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文化を活かした地域活性化

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文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
~鳥取中心市街地での取り組み~
【指導教員】
【学生】
野田邦弘
勝見世界
榎木久薫
久保田千智
張谷優衣奈
藤田英祐
小泉元宏(後期)
小出綾乃 佐藤敦子
佐野史周
仲治佐登美
三崎有紗 宮本しずか
1. 導入
【全体目標】
鳥取の中心市街地の文化資源や歴史について学び、それ
私たちは、鳥取中心市街地の活性化を考えていく上で
らを活性化に貢献するための企画に昇華させるように考え、 まず「中心市街地について知る」ということから始める
「文化によるまちおこし」の実践につなげていく。
ことにした。そこでまち歩きや実際にキーパーソンの方
へのインタビュー、文化資源についての調査を行い、鳥
目次
取の現状を知る中で、鳥取ならではのまちづくりをする
べきではないかと考えた。よって、
「文化によるまちづく
1.
導入
1-1 まち歩き
り」の観点から実際にイベントなどを実践することを試
みた。
1-2 鳥取市の状況の概要
2.
調査と結果
1‐1 まち歩き
2-1 先行研究
2-2 フィールドワーク班
まず、私たちが行ったのはまち歩きである。中心市街
地を歩きながら、歴史や現状について講師の鳥取市教育
2-2-1 米村京子さんのインタビュー
委員会文化財係長の佐々木孝文さんに教えていただいた。
2-2-2 渡辺博さんのインタビュー
普段何気なく歩くだけでは気づけない、文化的な資源で
2-2-3 常村護さんのインタビュー
もある場所を多く発見できた。
2-2-4 平木美雪さんのインタビュー
2-2-5 感想
2-3 デスクワーク班
具体的なコースとしては、この地図の南側に位置する
①の鳥取駅を出発し、太線に沿って若桜街道、智頭街道、
2-3-1 鳥取のカフェ
袋川沿いに進んでいった。実際に歩いて見た場所の中か
2-3-2 著名人ゆかりの場所
ら 4 つのポイントを紹介したい。
2-3-3 季節のイベント
2-3-4 鳥取の文化財
2-3-5 鳥取の交通
3.
考察
3-1 フィールドワーク班
3-2 デスクワーク班
4.
5.
結論
アートプロジェクトの報告
5-1 HOSPITALE Project とは
5-2 横田医院について
5-3 展示「横田医院の歴史と記憶」
5-4 HOSPITALE まとめ
―- 1 ―
2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
最初のポイントである①は、鳥取駅にある山本兼文
最後に、一番北側の④は、智頭街道商店街にある五
さんによって作られた彫刻で、鳥取城に住む人が表現
臓圓ビルである。もともとあった建物が改築され、現
されている。②のポイントは、鳥取民藝美術館、たく
在は現代的な雰囲気とオリジナルのレトロな雰囲気に
み工芸店、たくみ割烹店である。これらは、民藝運動
包まれた、外壁のタイルがとてもおしゃれなビルにな
の拠点となった場所とされており、美術館でお皿など
っている。
を見て、割烹店では実際に触れて、工芸店では買うこ
ともできる。
④五臓圓ビル
①鳥取駅の彫刻
1‐2 鳥取市の状況の概要
続いて、私たちは商業などの観点からお話を伺い、
まちづくりのポイントについて、講師のとっとり地域
連携総合研究センター(現鳥取環境大学地域イノベー
ション研究センター)研究員倉持裕彌さんにレクチャ
ーを受けた。
倉持さんによると、現状として鳥取の中心市街地が
衰退していることは事実であり、そこに起きる問題の
定義の仕方はどのような観点から捉えるかによって変
わってくるのだと言う。例えば、鳥取の中心市街地に
②鳥取民藝美術館 、たくみ工芸店、たくみ割烹店
賑わいを求めるのなら、経済的な発展の遅れが問題と
続いて、③は若桜通りから横の細い通りに入った所
なるし、趣や味のある“まち”を求めるのなら、鳥取
にあるもので、旧横田医院である。昔から円形病院と
らしさが失われていくことが問題となるということで
も言われ、住民の人たちに親しまれている。私たちの
ある。このように、観点が変わると求められるものも
中でも興味深い建物として注目していたが、ここ旧横
変わってくるので、住民がまちの将来像を共有しにく
医院でアートプロジェクトを実施することになり、詳
くなっているという現状がある。
また、人口減少や土地が狭いといった理由からまち
しくは後半に記載する。
の活動を行う人つまり“担い手”が活動を重複して抱
え込むというオーバーラップが起きており、担い手の
世代交代などのサイクルを促進するべきだとおっしゃ
っていた。そして、商店街は使うか使わないかに関わ
らず、買い物できる状態であって欲しいものだと言う
考え方もおっしゃっていた。
2.調査と結果
2‐1 先行研究
鳥取市、あるいはその中心市街地の近年の状況に関
して、先行研究は何を明らかにしてきたのだろうか。
③旧横田医院
―- 22―
文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
この章では、先行研究が明らかにしてきた近年の鳥取
ぜ衰退していったのかまとめている。
ここで、中心商店街の衰退要因として最初に取り上げ
市の状況について概観していきたい。
まず、大掴みながら鳥取市のイメージを持ってもらう
られているのが、モータリゼーションに伴う郊外へのス
ために、鳥取市の概要について見ておこう。
プロール現象1と郊外型大規模店舗の進出である。倉持
(2005)も、
「衰退の主な理由は、
『大型店の進出(170 件)』、
◎位置
『車社会の到来(153 件)』の二つが共に抜きん出て多い。
鳥取市は、中国地方の北東部、鳥取県東部に位置し、
鳥取市ではジャスコ(駅前・北店)等大規模店舗やロー
鳥取県の約 22%を占める山陰最大都市で、同県の県庁所
ドサイドショップなど車で買い物をするライフスタイル
在地。鳥取平野を中心に市街地を展開する山陰唯一の特
に合致した店舗が、1980 年代後半から増えだしている。」
例市で、鳥取都市圏を形成。
と述べている。
岡山、姫路からは 100km、神戸、大阪、京都からは
衣川はさらに、この傾向を助長したものとして、1990
150km の圏域にある。
年の大規模小売店舗立地法(大店立地法)の施行と「大
◎自然
規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する
南北を貫流する千代川により形成された鳥取平野と、
法律」
(大店法)の廃止を挙げている。これによって、第
鳥取砂丘(日本一の大砂丘・国天然記念物・国立公園)、
一種大規模小売店舗2の出店は 1991 年から 10 年で 19 店
白兎海岸、湖山池(面積日本一)、久松山(標高263m)、
にのぼり、歩行者通行量は 1999 年と 2006 年を比較する
標高1000mを越える山地などに囲まれ、豊かな自然に恵
と半数以下に減った。
まれている。
そして、鳥取市の中心商店街の衰退要因としてさらに、
◎気候
鳥取大学の郊外移転が挙げられた。これは、教員や学生
年間平均気温15.0度、年間降水量は1,625mm。日本海
気候に属するが、四季の変化が実感できる比較的温暖な
が中心商店街から遠ざかったことが、衰退の要因の一つ
となったということだ。
気候。年間を通して、非常に快晴の日が少なく、くもり、
鳥取市の中心市街地の現状について、信頼出来る先行
雨の多い地域。
研究はつねに、中心市街地の地価の下落、空き地・空き
◎人口
家・駐車場率の増加、といった指標を用いて、その苦境
人口200,089人。世帯数75,892世帯。人口は、平成27
年をピークに、その後ゆるやかに減少していく見込み。
を描写している。例えば鳥取県による地価調査を見ると、
鳥取市の地価の対前年変動率の推移は、住宅地で平成 13
年以降、商業地で平成 4 年以降つねに下落しつづけてい
◎産業
る。
衣川(2009)は、「まとめにかえて」でこう述べている。
産業動態は、産業人口の推移から、第1次産業の就業
まちに住む人々や商店街の取り組み次第では,中心市
人口の減少傾向と、第3次産業の増加傾向が見られる。
高齢化、後継者不足が一層進展している。
街地や中心商店街の賑わいを取り戻し,活性化させるこ
◎商業
ともできる。ただ,それには,自分たちのまちをよくす
商品販売額は、ライフスタイルの変化、郊外型大型店
るための市民(商店主も含む)の相当の努力と協力が必
舗の進出など、購買範囲や形態は変化しているが、交通
要である。そのうえで,国や地方政府による公的支援を
網の整備、モータリゼーションの進展により、緩やかに
有効利用すべきである。国は主導的役割を果たすべきで
増加していくと予測される。
はないし,地方のまちにとって望ましい形で主導的役割
大型量販店の台頭、空家・空地の増加などにより、中
を果たすことはできないと考えられる。
心市街地商店街の空洞化が顕著。
「鳥取市の概要」鳥取市公式ホームページより
2‐2 フィールドワーク班
私たちは、まちづくりに携わる 4 人のキーパーソンの
さて、ではこの鳥取市の中心市街地はどのような状況
1
にあるのだろうか。先行研究を見ていこう。
今回、私たちが最も参考にしたのは、
『さびれゆく地方
都市の中心商店街 ―鳥取市の事例―』[衣川 2009]であ
る。この資料は、まず鳥取市の概要、中心商店街が移動
していったことを述べた上で、中心商店街がいかに、な
一般には、都市が“無秩序に拡大”(sprawl の本来の
意味)してゆく現象を指す。
2
大規模小売店舗法(大規模小売店舗における小売業の
事業活動の調整に関する法律)による、店舗面積
3,000m2 以上(特別区・指定都市は 6,000m2 以上)の店
舗に対する立地規制のこと。
―- 3 ―
2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
方々にインタビュー調査を行った。伺ったインタビュー
興組合理事会長もされているという、鳥取中心市街地の
の項目は、主に以下の 4 つである。
“今”を担っておられる方の 1 人である。

どのようなまちにしたいか

まちづくりについて
は、個人的にこんな街にしたい、という具体的なイメー

現在行っている活動
ジがあるわけではなく、ひとことで言えばコンセプトと

今後どのような活動していくか
して、は「住んで楽しい→商いをして楽しい→訪れたお
まず、どのようなまちにしたいかという項目について
客さんが楽しい」というのを持たれていた。
2-2-1
その中で、商店街の人々は、みんなまちを良くしたい、
米村京子さんのインタビュー
米村さんはよねむら硝子店のお店をされている傍ら、
変えたいという思いをもっている。しかし、そこで「ど
川端物語実行委員会やまちづくりレディ-ス鳥取会長な
うすればもっと多くのお客さんが訪れてくれるようにな
どまちづくりや商店街の活性化について多く活動されて
るか」ということばかり意識していても、魅力的なまち
いらっしゃる方である。
づくりはできないのではないか。なぜなら、自分たちが
はじめに、どのようなまちにしたいかという項目につ
いては、どこに行っても、同じような通りではなくて、
住んでいて楽しいと思えないまちに、お客さんが魅力を
感じるはずがないからであるとおっしゃっていた。
まちの「色」がみえる、感じられるまちが良いとされた。
どのようなまちにしたいかを考える一歩前に、どのよ
例を挙げると、大きな通りを外れたところに行燈がずら
うな街に住みたいか、という視点で住民のみんなが考え、
りと並んでいれば、他にはないその通りの色が出るとい
その中で出てきたニーズにひとつひとつ応えてそれを形
うような感じだとおっしゃっていた。
にしていくことが、お客さんにも楽しんでもらえる、理
まちづくりについては、鳥取市がどのようにまちをイ
メージし、グランドデザインとしてデザインしていくの
想のまちづくりに自然と繋がっていくのだと教えていた
だいた。
かがきちんと提示されないといけないとして、そこがは
また、まちづくりについては、街を知ってもらいたい
っきりとしないと、地についたまちづくりとはいえない
なら、まず自分が街を知ることが重要だとして、
「人が変
ということであった。また、
「まちづくり=既存の枠であ
われば店が変わる。店が変わればまちが変わる」という
る『商店街』」ではなく、既存の枠から外れたところから
流れがあると述べられ、以下のように語って頂いた。
でも、関わっている人たちの中から声を上げないといけ
「商店街は、いくつもの店が集まってできている。ま
ないのではないだろうかということだった。そして、川
た、店はそこで商いをしている人がいるから成り立って
端1丁目、2丁目では「のっぽ」
「あいちゃん」のように
いる。ならば、そのような人たちひとりひとりが変わる
若い人がお店を出されており、発展途上の最中でもある
ことで店が変わり、それが商店街を変えることに直結す
と言える。そんな中、ガチガチでなく柔軟にまちづくり
る。上記のスローガンは、その逆転の発想である。
が出来るようにしたいとおっしゃっていた。そこには、
具体的に、若桜街道商店街においては、久松山が見渡
「娯楽ではない、何か自分の生活の中で遊ぶ感覚が生ま
せるという鳥取市ならではの魅力を失わないために、3
れるまち」がイメージとして提示されていた。
階以上の建物は建てない。店を増やすことだけを意識し
今後どのような活動をしていくかについては、イベン
トなどは、行政のイベントには人は集まるものの持続性
てしまったら都会と何も変わらない。鳥取にしかない良
いところを無視してはいけない。」
があるとはいえないと考えられているようであった。そ
そして、まちに必要なものは、その時々によって違う。
して川端において、様々なイベントが企画、実行されて
まちからなくなっていくものもあるが、その分“今に合
いることを知った。
「古本蚤の市」は川端のお店の若い人
った”今求められているものを商店街に取り戻すことも
が企画して、それを昔から町内にいた人が手伝うといっ
重要だとされた。
「大都市のまねをして大きなものをどー
たように進められていた。このようにイベントだけでな
んと造るのではなく、自分たちのまちに必要なものを、
く、お店を出す際なども柔軟に若い人たちや新しく来た
必要な分だけ造る」ということを強調された。
人が動けるように「ポストイット」の役割をしていきた
大型ショッピングモールは、経営者の方針や利益に重
いとおっしゃっており、その役割のあり方については私
点をおいて店を作る。また、行政はお金があるから出来
たちにとって、印象深い内容であった。
ることがある。しかし、民間だからこそできることもあ
るということが印象に残った。まちづくりは必ず成功す
2-2-2
渡辺博さんのインタビュー
ることばかりではない。まずやってみることも大事とい
渡辺さんは、サービス呉服店店主で若桜街道商店街振
うことがとても伝わってきたのである。
―- 44―
文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
鳥取の中心市街地において現在行っている活動のひと
今行っている活動のうち、特に成果が大きかったもの
つに「街ものがたり」という情報誌の発行がある。この
は、因幡の手づくりまつりと五臓圓ビルを使った活動の
反響はとても大きい。
二つであったようだ。
「街ものがたり」の内容は、商店街のお店情報や街で
因幡の手づくりまつりでは人の往来が増加し、五臓圓ビ
頑張っている人へのインタビュー、名スポットの紹介な
ルは、ビル内にあるギャラリーやカフェを使った活動で
ど毎回さまざまであるが、この情報誌は街を訪れたお客
マスコミに取り上げられ、若者を中心としたたくさんの
さんだけを対象にしているのではない。「街ものがたり」
市民に注目されるという成果をあげた。さらに五臓圓ビ
を通して、商売をしている人同士もお互いの考え方を知
ルは有形文化財に指定された。
るきっかけができ、より強い繋がりをもてるようになっ
今後常村さんが行おうとしている活動は大きく分けて
た。また、表紙に写真ではなく絵を使ったりと、温かさ
三つある。一つ目に空き店舗を再利用することで完全に
のある情報誌を目指されている。
無くすこと、二つ目にアーケードの修繕事業(未定)、そ
して三つ目にカルチャー教室や関連業種の誘導である。
まちづくりに対するイメージを伺ったところ、活性化
をするべきであるとは思うけれど、人が多く行き交うと
いった都会のような賑わいは求めていないそうだ。また、
イベントを行うにしても一過性のものではなく、定期的
に続けることができるようなものを望んでいる。これは、
一過性のものでは街の活性化にはつながらないという考
えに基づいている。
2-2-4
平木美雪さんのインタビュー
平木さんは、鳥取市中心市街地活性化協議会(中活協)
の職員だ。今回はこの「鳥取市中心市街地活性化協議会
の職員」という立場からお話を伺った。
現在は主に、パレットとっとり整備事業、駅前環境整
備事業、チャレンジショップ新規出店者への経営支援の
三種類の業務に力を入れて活動を行っている。しかし実
際はこの三種類に留まらず、様々な活動を行っている。
今後、中活協では新しいテナントの誘致を積極的にす
すめていきたいそうだ。これは、現在行っているチャレ
ンジショップ新規出店者への経営支援と同じく、特に若
者の店舗経営を支援し、中心市街地内に新しい風を入れ
「街ものがたり」表紙
ていきたい、という意図があるようだ。
最近力を入れているもののひとつに“住むためのバリア
まちづくりのイメージに関して、中活協は実際にまち
フリー”がある。その具体的な取り組みとして、平成 26
づくりを行う立場ではなく、まちづくりをする人のサポ
年完成を目途にした「戎町地区共同建て替えプロジェク
ートを行う立場だそうで、ここではそのような中活協の
ト」がある。若桜街道の戎町 1 区を中心に、まちなかに
役割について説明していただいた。
ふさわしい生活や営み、そして若桜街道商店街の将来像
その役割とは、各商店街の機能配置と、コミュニティ
を見据えた、街並みのまとまりやコミュニティを大事に
の中での役割を見直してもらうことなどだ。各商店街の
した建て替え事業が行われている。
中で住民や店舗の位置づけを図ることで、中心市街地の
バランスをとることが中活協の主な役割のようだ。
2-2-3
常村護さんのインタビュー
常村さんは、鳥取画材代表取締役、智頭街道商店街振
2-2-5
このように街のキーパーソン 4 名にお話を伺い、私た
興組合理事長、株式会社街づくりいちろく代表取締役と
いう三つの役割を担い、智頭街道商店街で行われている
感想
ちは以下のような感想を持った。
住民の方々は、都会で理想とされる商店街と、自分た
まちづくり活動の先頭に立って活動している。
―- 5 ―
2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
ちが理想とする商店街をきちんと区別して捉えていると
文と、営業時間、定休日、駐車場情報、電話番号などを
いうことが分かった。それを知った上で、鳥取市におい
見られるようにした。
ては私たちも住民間のコミュニケーションや都会とは違
調査の結果、軽食、スイーツ、ランチからディナーま
った地方都市ならではの暖かさを守りながら、まちづく
で食べられる、お洒落なカフェが中心市街地だけで 50
り、そして衰退という問題と向き合っていくことが必要
店舗以上あることがわかった。これらは、クーポンなど
だと感じた。
もつけて、フリーペーパーなどでも積極的に紹介されて
いる。また、なかには日本海の魚、山陰の良質な肉、無
2‐3 デスクワーク班
農薬有機野菜など、鳥取の風土を生かした料理を提供す
デスクワーク班においては、中心市街地において「カ
るカフェもあった。
フェ」
「著名人」
「イベント」
「文化財」
「交通」の 5 つの
調査したカフェのうちのいくつかに実際に足を運んで
みたのだが、普通の民家をその雰囲気を残しつつカフェ
項目からマップ作りを進めることにした。
にしているところや、ソファを置いているところ、読書
2-3-1
カフェなどもあった。個人的な感想としては、どのカフ
鳥取のカフェ
最近、日本ではカフェは、多くの人が利用し、身近な
ものとなっている。私も鳥取中心市街地のカフェを、お
ェも落ち着きがあって、長時間くつろげる雰囲気だと感
じた。
いしい料理を食べるため、ゆっくりと読書を楽しむため、
また友達とおしゃべりをするためなどに利用することが
ある。カフェは、私たちの生活に身近な、人々の憩いの
場であり、人々が楽しい時間を過ごせる場ではないだろ
うか。そこで私は、鳥取中心市街地には、いくつくらい、
どんなカフェがあるのか調べてみることにした。
調査方法としては、昨年度の地域調査実習で、鳥取中
心市街地のカフェについて調査されている先輩がおられ
たので、その資料の引き継ぎを行った。また、県内のお
店や学校に置かれているフリーペーパーから、鳥取中心
市街地のカフェが載っているものを集めたり、インター
ネットを使ったりして情報を集めた。そして、そのうち
2-3-2
のいくつかのカフェに実際に足を運んでみた。
著名人ゆかりの場所
続いて鳥取市中心市街地の文化資源として鳥取市にゆ
調査結果である集めた情報は、まとめサイトに掲載した。
かりのある有名人について調べてみた。
以下の写真のように、地図にお店の場所を記した。
鳥取県の西部では『ゲゲゲの鬼太郎』の作者水木しげ
る、中部では『名探偵コナン』の作者青山剛昌が地域活
性化に大きく貢献している。
では鳥取市ではどうだろうか。現在中心市街地の活性
化に貢献している有名人、またはその可能性を持ってい
そうな有名人ははたしているのだろうか。調べてサイト
に載せたものの一部を紹介していく。
・吉川経家(1547-1581)
戦国時代の武将。秀吉の中国攻めの際、鳥取城を守
備するよう派遣される。兵糧が尽き降伏を申し出、そ
して切腹。この銅像の一見の価値あり
・岡野貞一(1878~1941)
鳥取市が誇る鳥取市生まれの作曲家。
「ふるさと」
「春
地図上の赤いアイコンは、カフェの場所を示している。
また、赤いアイコンをクリックすると、そのお店の紹介
―- 66―
の小川」など誰もが知っている曲を作曲。
文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
イベントは下記の通りである。
・尾崎放哉(1885~1926)
俳人。
「咳をしても一人」というフレーズで有名。彼
の作品は格差社会に生きる現代人に強い襲撃を与える。 ①
パレット鳥取
②
田舎料理教室
③
農実公民館和の作品展
④
小さな世界の癒し展
⑤
文化村商店街の秋祭り
⑥
太平三角ブギウギナイト
⑦
ココロノランド
⑧
しゃんしゃん祭り
⑨
野点 in 師走の鳥取
⑩
ふるさと鳥取桜まつり
⑪
木の祭り
⑫
学生と考える鳥取の街づくり発表
・吉田璋也(1898~1972)
民藝運動家。
「たくみ工芸店」を設立し鳥取の民藝は
全国的な広がりを見せた。
また「鳥取文化財協会」を設立し鳥取砂丘や鳥取城
跡史跡などの保存にも尽くした。
しゃぶしゃぶの発案者でもある。
・石破二朗(1908~1981)
鳥取県知事を4期務め、県民からは「道路の神様」
と呼ばれたほど鳥取の交通網の整備に尽力した。
また鳥取空港や県立博物館、鳥取砂丘こどもの国、
老人ホームなど多くの施設を整備した。
わらい地蔵まつり
・鬼塚喜八郎(1918~2007)
鳥取中心市街地で行われているイベントはほとんどが
鳥取西高校出身でスポーツ用品メーカー「アシック
無料のものであった。また、音楽、芸術系のイベントが
ス」の創始者。
多く、収益目的ではなく憩いの場を提供することに重き
鳥取の産業発展にも尽くした。
をおいているのではないかと考える。イベント数が年間
以上のことから、中心市街地という狭い範囲だけでも
40 というのは少ないわけではないと思うのだが、そのイ
たくさんの有名人が存在していたことが分かった。多く
ベントが行われている場所がわかりづらいというのが、
の方がすでにお亡くなりになられておりその功績は素晴
人があまり集まらない原因なのではないかと考える。
しゃんしゃん祭りなど、商店街で大々的に行われてい
らしく各地に記念碑や銅像などが建てられている。
しかし残念ながら東部には地域全体が一体となって盛
り上げようとする人物はいないように感じる。水木しげ
て、宣伝が頻繁に行われているイベントほど人が集まっ
ていると推測する。
るも青山剛昌も漫画という世代問わず親しみやすく活性
サイトに掲載したイベントはあまり知られていないイ
化にも結びつけやすいコンテンツであるが、東部の有名
ベントを選んだ。そうすることで、少しでもイベントが
人はどの人物もその活躍を活性化に結び付けるのは難し
行われている場所を知ってほしいし、参加してほしい。
大学にももっとイベントの告知があると、学生たちが
いのではないかと考える。
イベントに参加するのではないかと考える。ボランティ
2-3-3
ア参加のイベントだけでなく、音楽のイベントやフリー
季節のイベント
私は鳥取中心市街地の季節毎のイベントについて調べ
マーケット等、楽しむことの出来るイベントが多く行わ
た。イベントを調べた目的は、鳥取中心市街地には人が
れている。鳥取中心市街地に学生が多く流出することで、
いないという印象があったからだ。私が大学受験で始め
少しでも街の雰囲気が明るくなればよいと考える。
て鳥取駅を訪れたとき、母と「鳥取市なのに人が少ない」
と話したことがあったが、鳥取大学に入学して多くの学
生が同じ印象を持っているということに気づいた。そこ
で、人が集まるきっかけとなるイベントが、鳥取中心市
街地でどれくらい行われているかを調べることにした。
方法は、鳥取中心市街地の季節のイベントをまとめた
資料を先輩、教授からいただき、それを Google マップ
にまとめ、サイトに掲載するという形をとった。
実際に作業を行ってみて、鳥取では年間約 40 のイベ
ントが行われているということがわかった。全てのイベ
ントを地図に配置することが無理だったので、各月一つ
ずつ選んで地図に配置することにした。実際に掲載した
―- 7 ―
2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
2-3-4
鳥取の文化財について
歴史的な建物、場所、モノが注目されるようになった
昨今、様々な地域がそういったものを地域のアピールポ
イントとして活用している。鳥取市に関して何も知らな
かった私は、このような観点のもと、
「鳥取市には地域の
アピールポイントになりうる文化財が、いったいどれだ
け存在するのか」ということについて調べた。
調査方法としてはまずは地図帳、インターネットなど
を活用し、鳥取市の文化財に指定されている建物、場所、
モノを探した。また、実際に鳥取市内を歩いてみて、事
前に調べた文化財などを見たりもした。
調査結果として集められた情報は「中心市街地
資源
まとめサイト」として WEB 上に掲載した。また、調査
②鳥取城跡・久松公園
結果として、次のような文化財を見つけることができた。
また⑥鳥取民藝美術館は土蔵造りといっても昔風では
①仁風閣
ない建物で、鳥取駅から歩いて 5 分ほど、若桜街道と交
②鳥取城跡・久松公園
わる太平線通り沿いにある。このため、鳥取市街地を何
③聖神社本殿
気なく歩いていると、見つけることがあるかもしれない。
④興禅寺
鳥取民藝美術館は、昭和初期に民芸運動をすすめていた
⑤玄忠寺
吉田璋也が開設した。館内には、山陰に伝わる古い民芸
⑥鳥取民藝美術館
品をはじめ、日本全国や中国、朝鮮、ヨーロッパなどか
らも収集された民芸品が多数展示されている。
①仁風閣と②鳥取城跡・久松公園は美しい文化財であ
り、観光地として利用され、また、ドラマの舞台として
も使われた。
⑥鳥取民藝美術館
このように鳥取市街地には、私たちが知らないだけで、
歴史的に重要で文化財が身近に存在していることが分か
った。
2-3-5
鳥取の交通
ここでの調査内容(対象)は、鳥取の中心市街地にあ
る駐車場とガソリンスタントの数である。調査目的とし
①仁風閣
ては、交通の不整備(駐車場やガソリンスタンド)が、
鳥取の中心市街地への人の流入を抑える要因になってい
る、という言説が正しいかどうか検証することを狙いと
している。その地域に良い観光資源があり、にもかかわ
―- 88―
文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
らず人が訪れない、と考えている人たちは、交通が観光
客が仮に少ないのだとしても、それは中心市街地の駐車
客の流入に対してネガティブな誘因になっている、と考
場の数の不足やガソリンスタンドの不備が原因ではない
える傾向があるだろう。観光客の流入を妨げる要因とし
だろうと考えられる。
て、交通の不整備があげられることがあるが、こうした
全国商店街振興組合連合会による調査では、商店街に
言説は、現在の鳥取市の中心市街地にもあてはまるのだ
おける大きな問題として「駐車場がない」という要因は
ろうか。
1990
(平成 2)年に 7 つの要因のうちで 1 位であったが、
調査は、Google Map のマップデータを主に用いた。
2003(平成 15)年の調査では 6 位になっている。近年
の中心市街地で問題とされることは、駐車場や競合する
目視による確認も一部行なった。
大型店舗よりも、
「経営者の高齢化による後継者難」や「魅
力ある店舗が少ない」ことであるようだ。
〈参考文献、資料〉
・鳥取市公式ウェブページ、鳥取駅周辺有料駐車場
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/121350602
6384/index.html、2012.02/22
・『商店街実態調査報告書』全国商店街振興組合連合会、
2003、p.49-50
3.考察
3‐1 フィールドワーク班
当初、中心市街地について現状なども含めて何も知ら
ない状態であった私たちは、中心市街地について知るこ
とから取り掛かり、特に住民の方のまちづくりに対する
考えを聞きたいという思いをもって、4 人の方々にお話
調査結果であるが、下の地図は、中心市街地周辺にあ
を伺わせていただいた。
るガソリンスタンド(スタンドマーク)と、ある程度の
収容能力を持つ駐車場(P マーク)を示している。
そして、まちづくりに携わる 4 人の方々の考えの共通
点として以下のことが挙げられるのではないかなと考え
調査結果から考察していくと、まず、ガソリンスタン
た。
ドに関しては、地図を見て直観されるように、その数が
4人の方々の考えの共通点
不足しているとは言えないだろうと考えられる。地図外
・都会のような商店街を目指しているわけではない
のスタンドも含めると、鳥取市の市街地近辺に関して言
・今あるものを使うこと
えば、ガソリンスタンドが見つからなくて困るというこ
・住民間のコミュニケーション
とはないはずだ。
つまり、都会のような賑わいを追い求めるのではなく、
また、駐車場の数も定常的な観光客の流入を支えるだ
けの数はあるだろう。なぜなら、鳥取市の中心市街地
2.1k ㎡ほどの面積に対して、駐車場は有料のものに限っ
ても 35 カ所(2548 台)3存在するからだ。この駐車場数
は、一晩で何万人以上という数の人が流入するようなイ
ベントを支えるだけの能力を持たないだろうが4、定常的
に訪れる一定数の流入客を支えるには十分な数ではない
だろうか。
商店街を目指していらっしゃるということだ。そのため
に、新しいものを作ることではなく、鳥取に今存在して
いるものにもう一度目を向け、それらの中から何かを使
えないかということを考えるのも大事だということが言
える。そして最後に、住民間のコミュニケーションを失
わず、保っていくことを大事にするべきだということも
考えておられた。人々のつながりはまちが生きることや
結論を述べると、鳥取市の中心市街地への車での流入
3
鳥取らしい鳥取ならではの味わいのある街であったり、
鳥取市の公式ウェブサイトで紹介されている鳥取駅周
辺の駐車場の合計数は、鳥取城周辺地区で 3 カ所(257
台)、鳥取駅周辺地区で 32 カ所(2291 台)であった。
4
そうした大規模なイベントは交通規制がかかるため、
むしろ単線で本数の少ない山陰本線が問題になるだろ
う。
まちづくりにおいて、基本となる本当にたいせつな要素
なのだと考えておられた。
また、以上の 4 人の方々のお話を伺って、まちに対し
て私たちにも可能な限りで行動を起こせないかと、何か
に携われないかと考えるようになっていった。
―- 9 ―
2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
を会場に 3 月にアートプロジェクトを開催することにな
3‐2 デスクワーク班
った。アートプロジェクトの詳しい内容を続けて報告す
授業開始時においては、鳥取の普遍的な地域的魅力と
る。
は何かを考えた際、何か漠然としていて思い浮かばない
というのが現状としてあった。だが、デスクワーク班で
〈参照文献〉
中心市街地に関する調査をそれぞれで進め、
「文化資源マ
衣川恵(2009)「さびれゆく地方都市の中心商店街―鳥取
ップ」として作業を進めるうちに、私たちが今まで知ら
市の事例―」鹿児島国際大学附属地域総合研究所、地域
なかった鳥取の姿や魅力が少しずつ私たちの中でも明ら
総合研究 36(1・2)、p.71-80
かにされていったように考えられる。
倉持裕彌(2005)「鳥取市の中心市街地商店街活性化に関
そして、私たちはマップ作成を通して鳥取市中心市街
する考察―社会構造の変化を踏まえて―」TORC レポ人
地の資源に評価を下せるようになるという目標を立てて
No.26、とっとり地域連携・総合研究センター
いたが、それらの結果を以下のようにまとめておきたい。
鳥取市公式ウェブページより「鳥取市の概要」2009
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/122906303
観光客的な視線:ブランディングが不十分 (鳥取側の)
5617/activesqr/common/other/49ed70c8006.pdf
→「鳥取って砂丘以外に何があるの?」と思えてしま
・鳥取県公式ウェブページより「平成 23 年地価調査基
う
準地価格調書」鳥取県
地域住民の視線:個別の誇れる地域文化がある
http://www.pref.tottori.lg.jp/47883.htm
→「鳥取ならではの文化資源が実はたくさんある」
このように、ブランディングといった面ではまだ引っ
かかる点はあるが、地域における地域文化や文化資源は
誇れるものも数多くあるという評価が下されるのではな
いかというのが私たちの考えである。だが、マップ作成
の内容的にまだ不十分なところがあるため、まだ鳥取に
存在する事柄をまとめ、伝えきれていないというのも現
状としてあるので、マップの内容を継続して充実させて
いくことも必要なのではという考えも挙げられた。
4.結論
今回の調査では、主に鳥取中心市街地について知るこ
とをフィールドワークやマップ作成といった手段で取り
組み、今まで知らなかった中心市街地の姿や現状を知識
として取り入れたり、私たちなりに受けいれたりするこ
となどに重きが置かれた。このように知識が集積されて
いく中で、私たちは「都会とは異なる方向性での地域づ
くり」や「地域住民のための住民による地域づくり」が
方向性として目指されている姿なのだとまとめることが
できた。
また調査において、実際に住民の方の声を聞くといっ
た体験をすることで、より問題意識を持って文化という
ものが中心市街地のまちづくりにどうつながって行くの
かを考えることにつながっていった。そして、地域に沿
った創造的活動に私たちも取り組めないだろうかという
考えに至った。
そこで私たちは、中心市街地に古くから在り、住民の
方々にも親しまれ、現在は廃病院となっている横田医院
10―
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景観まちづくり課、2011
文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
5.アートプロジェクトの報告
い閉院し、現在に至る。
建物を円形建築とする案は横田医院長によって出され、
―HOSPITALE―
【HOSPITALE 開催概要】
デザインは浅川繁・構造設計は田中豊が行った(当時、ど
◎会期
ちらも太平土建[現・田中建設]の社員)。地上 3 階建の鉄
(山本高之ワークショップ)
骨鉄筋コンクリート造である。中心の柱部分は空洞とな
3 月 3 日、4 日、10 日、11 日
っており、それを囲うように水場及び倉庫が配置されて
いる。その外側に廊下、最外周部に部屋が放射状に並ぶ、
(市川武史、石田尚志、森弘治作品展示)
3 月 17 日〜3 月 31 日
ドーナツ型の構造となっている。
1 階には診察室・臨床検査室・レントゲン室・手術室・
(徳永進講演)
3 月 25 日
薬剤室など外来用の施設、2 階には入院患者用の病室が
◎会場:旧横田外科医院(鳥取市栄町 403)
10 部屋、3 階には病室のほか、看護婦の宿泊施設・院長
◎主催:Hospitale Project 実行委員会
室など主にスタッフ用の施設となっており、病院として
◎キュレーター:赤井あずみ
の機能性を設計に取り入れたことが伺える。また、建物
◎協力:鳥取大学地域学部地域文化学科(野田研究室、
南側の一部はプライベートな住居として使用されていた。
榎木研究室、小泉研究室)及び他学科、他学部
病室のベッドのサイズが部屋の入口よりも大きく、部屋
の学生
の中で組み立てられたものと推測される。また、昭和 32
年(1957)の開院まもない横田医院の写真から、家具や医
5‐1
HOSPITALE Project とは
療器具など開院当初からの設備がそのまま残っていると
日本国内外で活躍するアーティストによる展覧会を軸
考えられる。
にし、地域住民を対象としたワークショップ、講演会か
ら構成するプロジェクトである。
Hospitale とは、後期ラテン語で「来客のための大き
な館」を意味し、外来者を迎え入れる host、宿泊施設の
hotel や病院を表す hospital、またもてなしを意味する
hospitality の語源とも言われている。
本プロジェクトは今後旧横田医院を拠点とし、鳥取市
街地へのアウトリーチ活動も含め、発展・継続させてい
く予定である。
展覧会「Hospitale」は、国内外で活躍する現代美術作
家 4 名の作品を通して、普段は意識することのない「死」
とその裏返しとしての日常の営みや社会における人間の
旧横田医院の内部
「生」について改めて見つめることで、危機を乗り越え
ていく意志と展望を描くことを試みることをコンセプト
5‐3 展示「横田医院の歴史と記憶」
にしている。
◎田中豊さん(田中建設取締役相談役)のお話
私たち地域調査実習の学生は、展示会場の一室で、横
病院を円形建築にするという案を出したのは横田先生
田医院の歴史についてのリサーチの成果発表及び関連資
だった。医師仲間からの情報によるものではないかと思
料の展示を行う、
「横田医院の歴史と記憶」という展示発
う。デザインは浅川繁・構造設計は田中豊が行った。当
表に関わった。
時、どちらも太平土建 k.k (田中建設の前身)の社員で、
30 代初めの若手技術者だった。
5‐2 横田医院について
コンクリートの打設にはカーブした型枠を用い、表面
横田医院は、胃腸外科専門の個人医院として、昭和 31
にモルタルを塗って仕上げた。円形建築は、機能的で使
年(1956)、鳥取市栄町に開院した。鳥取県東伯郡北栄町
い勝手が良く、公共的な建築には向いている。耐震強度
(旧大栄町)の元婦人科の病院で故・横田浩医師が開業し
も充分あると思う。
たのが、その前身である。当時地方での外科手術を専門
栄町は鳥取駅に近く交通の便が良いので、患者が来院
的に行う病院は少なく、鳥取県外から来院する患者も数
しやすいという理由から、この場所に病院を建てたのだ
多かったという。平成 8 年(1996)、横田医師の引退に伴
と思う。
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2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
2011
横田先生は、普段は面白い人だが医療のことになると
の活気はすごかった。移動手段は汽車とバスが主だった
厳しく、腕の良い外科医という評判だった。自然を好み、
ので、鳥取駅で乗り換えたり、鳥取駅からの通勤であっ
病院内外共に自然を感じさせるしつらえにしていた。
たりと、鳥取駅が中心となっていた。その鳥取の中心地、
一番栄えていた場所に横田医院はあった。しかし、ジャ
◎田中礼子さん(横田医院元婦長さん)尾崎孝子さん
スコが出来、マイカー時代になると、人々は中心市街地
(横田浩医院長の娘さんの友人)お二人の話
よりも郊外に行くようになり、中心市街地の衰退が始ま
・横田医院について
ったと思う。
来院の患者は多く、午前中は外来診療で、午後は手術
というスケジュールだった。スタッフは横田先生と助手
◎槇塚まゆみさん(横田医院元看護婦)のお話
の先生に加え、看護婦は7人から 8 人、若い人からベテ
横田医院は円形でこぢんまりとした規模の病院だった
ラン看護婦までいた。外来は飛込みが多いため、看護婦
こともあり、3 階に住み込み、病院で働いていた看護学
は基本的に病院につめていた。勤務は夜 9 時までで、そ
生の職員達と、2 階に入院していた患者の方々、そして
れ以降の夜勤は当番制だった。看護婦同士の仲はとても
院長夫妻は、家族のように毎日和気あいあいと過ごして
よく、先生に迷惑はかけられない!と一致団結して仕事
いた。院長は動物好きで、当時の医院の庭は小規模な動
にあたっていた。また、看護婦同士はプライベートでも
物園のようであった。中でもキジを多く飼っていて、住
仲がよかったので、たまに皆で映画を見に行っていた。
み込みで働いていた学生の頃は、毎朝 5 時に起きて、ま
・横田先生について
ず最初の仕事がキジの餌やりだった。それが終わると注
横田先生はとても威厳があり、センスのある、ソツの
射器の消毒などの看護婦としての業務に取り掛かる。病
ない名医だった。医学博士で、手術の論文を執筆したり、
院と患者さんの繋がりが本当に強く、近所でうなぎ屋さ
横田式手術法を考察したりしていた。従軍医師としての
んをしていた入院患者のおばあさんが、家に帰るたびに
経験もあり、その経験を活かした簡素な治療法により、
うなぎを焼いて持ってきてくれていた、といったエピソ
治りは早く、良い治療法だったように思う。
ードもある。
患者さんの昼食は建物内の調理場で作られていて、患
横田先生は、興味が湧くと没頭するタイプの人だった。
その一方で、とても多趣味な人で、歌謡曲の作詞をした
者さんに昼食を運んだ後、職員たちも毎日患者さんたち
り、ロータリークラブに入ったり、また、病院の敷地内
と同じご飯を食べていた。
1 階にある院長夫妻の住居のお風呂をみんなで共有し
で動物も飼っていた。
子どもに話すときも、子どもだからではなく、ちゃん
ていて、夜お風呂に入る時は、薪をくべて沸かすお風呂
とお話をしてくれていた。横田先生の話は引き込まれる
に、一人ずつ順番に入っていた。お風呂上りにはいつも、
ものが多く、話していて楽しかった。
院長の奥さんがみんなにお茶とお菓子を出してくれて、
それを頂きながらみんなで団欒するひとときが、毎晩の
楽しみだった。
◎阿部一郎さん(たくみ割烹店料理長)のお話
阿部さんは、横田医院院長・横田浩さんの娘さんの同
級生で、患者としてではなく、ふらっと立ち寄る感覚で
横田医院を毎日のように訪れていた。
横田医院の門を入って左手には、動物を入れる檻や池
があり、多くの動物がそこで飼育されていた。鷺をはじ
めとする鳥類を特に多く飼っていたが、狸などもいて、
その様子はまるで病院に小さな動物園が併設されている
田中礼子さん、尾崎孝子さん
ようだった。池では亀や鯉、オオサンショウウオなども
飼われており、ずいぶんと珍しい生き物もいた。
・鳥取中心市街地について
昭和 30 年代の鳥取市の中心市街地は大変にぎわって
病院の裏手には、ふそう銀行の広場のような場所があり、
いた。若桜街道は人が行きかえないほどの通勤ラッシュ
そこで野球などもできて、病院の周囲は賑やかな様子で
があり、商店街も全てのお店が営業をしていて、買い物
あった。
も楽しかった。高度経済成長期のど真ん中の中心市街地
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文化を活かした地域活性化
文化を活かした地域活性化
鳥取中心市街地での取り組み ―
――鳥取中心市街地での取り組み―
病院そのものの建築法も当時にしては画期的で、現在
あのような円筒形の病院を建てようとしても難しいだろ
であるため、この結果を喜ぶだけではなく、頂いた数多
くの意見を活かして今後よりよい企画にしていく。
うから、建物自体を大切にしていくべきであるし、今回
このイベントを開催することになった当初、私たち学
のようにイベントの会場に使われることで町の記憶とし
生は今まで体験したことの無い、イベント主催という役
て残ることは喜ばしいことだ。
目への不安を感じていた。ワークショップの手伝いや受
付、作品監視などどの業務に関しても立ち回り方が分か
らず、キュレーターの赤井さんやアーティストのみなさ
んの手を煩わせてしまったことと思う。しかし同時にこ
の貴重な体験を通して、学生各々が成長することができ
たのもまた確かである。HOSPITALE Project を経験し
たからこそ、この成長を成せたのだと私たちは思ってい
る。
最後に、私たちは鳥取市中心市街地と横田医院との記
憶的つながりを実感し、またこれは人と場所、人と人と
のつながりであるということを理解した。このイベント
阿部一郎さん
が、鳥取市中心市街地のさらなる活性化に向けたスター
ト地点となることを祈る。
◎ぶどうや(栄町 インテリア用品店)さんのお話
彼女自身小学 4 年生の時と 30 歳の時に横田医院にか
かっており、祖母も老衰するまで「病院といえば横田医
院」という考え方で、鳥取市中心市街地の人々にはおな
じみの病院だった。
開業後しばらくした後、当時には珍しいデイケアサー
ビスを行っていた。
円形の建物は珍しかったため、病室の形、水道など今
でも覚えている。病室内も横田医院長らしく、おしゃれ
だった。
◎藤本茂さん(本通商店街振興組合理事長)のお話
フジモト鞄店の店主である藤本さんは、横田医院はよ
く通院していた馴染みのある場所だという。
横田先生は、普段はフォルクスワーゲンに乗るような
モダンな人であり、医師として仕事をしている際は慎重
な人であった。特に麻酔使用には慎重だったようだ。
横田医院の前の通りは、かつてダイエーと宝屋があり、
通行量一日当たり最高 2~3 万人と、市内で一番賑やか
な通りだった。
横田医院の近くに立地する今の山陰合同銀行の場所に
は、ふそう銀行のグランドがあった。
5‐4
HOSPITALE まとめ
今回のイベントの目的は、鳥取中心市街地の活性化で
あった。結果は、中心市街地のみならず、県内他地域や
県外からの来場者も多数あり、大成功というかたちで幕
を下ろすことができた(来場者数 563 人)。ただこの
HOSPITALE は継続していくことを念頭に置いた企画
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2011年度 地域文化調査成果報告書
年度 地域文化調査成果報告書
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旧横田医院1・2階平面図
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