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「傷ついた癒し人」
「傷ついた癒し人」 司祭 アンデレ 橋本 克也 みなさまに、主の恵と祝福をお祈りいたします。 池聖の嘱託司祭にさせていただいて 2 回目のクリスマスを迎えます。地下鉄「要町駅」6 番出口から 1 分、池袋駅までも歩いて 10 分というこの教会の足の便の良さは、ことに盲人 の私にとってはとても感謝です。 わたしは毎朝の食後、ヘンリーナウエン著「今日のパン、明日の糧」という 1 年間の毎 日の短い黙想の言葉を読んでもらっています。もう何年も続けているのですから、何回も 繰り返し聴いているわけですが、聴く度に、新たな感動と気付きを経験し、慰められ、癒 されます。同じ言葉であっても、聞こうとする自分は、変化しているので、その時々に新 しく聞こえるのも当然なことなのでしょう。 ナウエンには、同じ聖公会出版の「傷ついた癒し人」と言う黙想の小さな本があります が、この、イエス・キリストを「傷ついた癒し人」と語る、その日の黙想には、 『私たちの 傷が恥の原因ではなくなり、癒しの源となる時、私たちは傷ついた癒し人となったと言え ます。 イエスは、神から来た傷ついた癒し人です。イエスの傷によって私たちは癒されます。 ………』の黙想に感動します。「主は共におられるのだ」と言う私たちの信仰は、「傷つい た癒し人キリストイエスは、傷と共におられる」の信仰であり、私たちがそれぞれに今日 まで歩んできた、たどたどしく、時に粗末で情けなくも思われる歩みにこそ、信仰によっ て、重い束縛から解き放される自由と祝福の喜びがあります。これからも誰もが向き合い、 避けることのできない、 「傷つくこと」の恐れや不安、戸惑いに、主の癒しと祝福の実現の 約束を知ることができます。それは、今日を弱さを生きることの愛と感謝の出合いです。 ― 1 ― 「幸い」を、「繁栄と平和」を優先して、豊かさや力に頼る、上昇志向に傾き陥るとき、 真の平和と希望を実は見失うことになるでしょう。苦難と孤独を伴う「愛と平和」のキリ ストの道は、私たちが貧しさ、弱さを認めて受け入れながら、隣人と共に歩みたいと、願 って探し求め続ける道でしょう。それは日本社会の多くの人々からは、敬遠される道や生 き方であるかもしれません。 しかし、聖書はどこまでも、辛抱強く、そして粘り強く私たちを待ち続けて語りかけ、教 え導いてくれています。人々が軽んじたり、見失ってしまっていることの多い、弱さ、小 ささ、貧しさにある「幸い」を証ししているでしょう。 「繁栄や力によって獲得しようとす る平和」こそが、偏見や差別を生じさせ、競争と対立を生み、今日の世界を、一層の混乱 や争いに陥れているのでしょう。 避けることの出来ない、地震や災害の現実は、人間の行き方や幸せについて、根本から問 いかけ正しています。 「傷ついた癒し人」キリスト・イエスに、私たちは共に癒されること の喜びの事実を伝え合って行きたいと思います。 私たちの東京教区も、教区再編成と言うテーマに向かい合って皆で希望をもって取り組 んでいます。近隣の、聖マルチン教会、聖ガブリエル教会、池聖の 3 教会は、今年の 5 月 から毎月第 4 日曜日の主日礼拝を 3 教会合同で、しかも毎月教会を変えて行っています。 戸惑いや困難もあります。以前には想像できなかった状況であるかも知れません。 しかしこの試練のときこそ、神の家族として、互いの新たな出会いと励ましを得て、共に 癒されている神の祝福を信じて生きる仲間の、大きなチャンスとして捕らえ、「主の平和」 と親しく挨拶を交わし合う家族として語り合い、協力して共に歩んで行きたいと思います。 完 池袋聖公会「教会報」より ― 2 ―