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カレーライスと文化の 技 法
NO.47 浣 SHIMAMOTO Kan 日 本 の カ レ ー は 初 め か ら 皮 肉 な 運 命 を 抱 え て い た 。 幕 末、 日 本 人 が の高度 成長期に急速な飛躍をとげる。ライスカレーからカレーライス な い 自 己 成 長 的 な 食 物 な の だ 。 そ し て、 こ の 自 己 成 長 は 第 二 次 大 戦 後 の か わ か ら な い が、 と も か く、 日 本 の カ レ ー は 最 初 か ら 無 国 籍 的 な 乱 ある時などテストの最後に自家製カレーをもってきた 学生もいた。こ 最 初 に 出 会 っ た カ レ ー が イ ン ド ・ カ レ ー だ っ た と い う の に、 日 本 の カ へ、洋食から国民食へ、そして、カレーライス自体も進化し続ける。 シュにするためである。誰もが美味しい! と感歎の声をあげてくれ ん な こ と に な る の は、 授 業 中 に、 美 術 史 と い う も の の 論 理 の 比 喩 と し レーはイギリス経由でもたらされた。明治のことである。日本のカレ こうした日本のカレーの近代史、というより日本のカレーが近代そ ぼ く の 授 業( 西 洋 美 術 史 ) を と っ た 学 生 た ち か ら、「カ レ ー ラ イ ス て「カレーライス」について比較芸術論的 蘊蓄を傾けるためかもしれ ーは本場のリメイクから始まったのだ。それ以降の日本のカレーの発 の も の な の だ が、 そ の 歩 み は、 西 洋 に 縛 ら れ が ち な 近 現 代 日 本 の 芸 術 雑 さ を も っ て い た と い う こ と で あ る。「 本 物 」 と い う 固 定 観 念 を も た ない。もちろん、カレーを好きではある。とくに、精華 の食堂のカレ 展をみていると、この出発点の捻れはきわめて重要なことのように思 イギリス経由で入ってきたため、カレーは長く洋食の部類に入れら 前 に あ る コ ロ ッ ケ と 唐 揚 げ を ト ッ ピ ン グ し た カ レ ー ラ イ ス も そ う だ。 は何でもトッピングで き、そのうえ美味しいものとなっている。目の 文化の 技法に示唆する ものがあるの ではないか。現在の日本のカレー 以 上 に 興 味 が あ る の が「 日 本 の カ レ ー」 の 辿 っ て き た 歴 史 的 変 遷で あ れ て き た。 と い っ て も、 こ れ は 洋 画 や 洋 楽 の よ う に 本 当 の「 洋 」 で は える。 る。そこには文化や芸術 での表現のヒントがふんだんにちりばめられ ったのか。だいいちカレー自体が他者だったのだ。 入れ包み込むこと。そもそも日本の精神風土はそうしたものではなか トッピングという他者を包み込み 総合しているの である。他者を受け 世紀イギリスのオリエンタリズムに由来する のか、カレーというミックススパイスのもつ原産地の香りの直輸入な が入っている。それが た だ し、 日 本 の カ レ ー に は も う ひ と つ、 異 国 趣 味( エ キ ゾ チ ズ ム ) ない。あくまで西洋化された「洋」だからである。 ぼくは外国に滞在するときかならず固形のカレールーをもってい く。 自分 が 食べ る た めで は な く、 外 国 人 と の デ ィ ナ ーで メ イ ン デ ィ ッ 19 のヒントを与えてくれるのだ。 て い る か ら で あ る 。 カ レ ー の 歴 史 と 現 在 は、 日 本 の 芸 術 文 化 の 技 法 へ こんなカレーグルメについて話すことはやまほどあるのだが、それ ーは、大さじ三杯のウィスターソースを入れるとかなり美味しい。 る。それほどに日本のカレーライスは評価が高いのだ。それは日本の 「ひととき」林 千花子 (陶芸コース 204C023) 好き」の人間だと思われているらしい。食堂 で他のメニューを食べて 木野通信 第47号 2009年1月20日発行 京都精華大学広報部広報課 〒606-8588 京都市左京区岩倉木野町137 TEL 075-702-5197 ない日本のカレーは、現在の自分を見本として変化していかざるをえ KYOTO SEIKA UNIVERSITY カレーに「本物」の観念がないからだと思う。 京都精華大学 いると、「今日はカレーではないのですか」とよく声をかけられるし、 学長◎ 島 本 カレーライスと文化の技法 KINO PRESS 大学創立 ロンバルディ できた。 念事業を展開している。世界を揺るがす作品を 生み出してきたアーティストや思想家を招聘 し、さまざまなかたちで京都精華大学とコラボ Passages for Light~光の道~」 LECTURE&PERFORMANCE YOKO ONO レートした一連の記念事業をレポートする。 「 が参加し「なぜ表現するのか」「アートと 講演会やワークショップには多くの学生 キャンパスにパン人間とアルパカが出現。 が 世 界 を 明 る く す る、 自 分 が 大 き な 力 を っ た。 オ ノ 氏 は、 ク リ エ イ テ ィ ブ な こ と の 後、 レ ク チ ャ ー で は 学 生 と の 対 話 を 行 をまくパフォーマンス「フラワーロード」 オ ノ・ ヨ ー コ 氏 が 歩 い た 後 に 学 生 が 花 は 何 か 」 と い う メ ッ セ ー ジ を、 体 験 を 通 持 っ て い る こ と を 信 じ て ほ し い と 語 り、 ォ ー マ ン ス と 講 演 会、 ワ ー ク シ ョ ッ プ。 ア ー テ ィ ス ト・ 折 元 立 身 氏 に よ る パ フ “Living Together is Art” 折元立身 度、「世 界 を 変 革 す る 表 現 」 を コ ン セ プ ト に 記 ���� 創立から 年という節目にあたる����� 2008�年 「 表 現 の 大学 」 と し て 常 に 先 進 的 に 時 代 を 歩 ん 周年事業レポート 年) 、「自由自治・国際主 義・ 人 間 形 成・ 凝 集 教 育 」 を 教 育 理 念 に 掲 げ、 1968�� 年( � 昭和 � 洛北の地に開学した京都精華大学。自律的に学 ~ロ ンバルディア州 職人工芸の挑戦~ マスタークラフト・ロンバルディア LOMBARDIA Exhibition MASTERCRAFT び 自 ら を 表 現 す る こ と を 教 育 実 践 の 核 に 据 え、 」 THEATER ASSEMBLY 映画上映会 「 「アセンブリーア ワー講演会」に訪 ア州の職人工 イ タ リ ア・ 映 画・ 映 像 作 品 の 芸企業との共 じて受け取った。 黎明館ほか 【会場】天ヶ池周辺、 10 渚氏や寺山修司氏 特 別 上 映 会。 大 島 同プロジェク 学生らはそのメッセージに聞き入った。 【日程】 月 日 ◎パフォーマンス 時 「�������������� パン人間とアルパカがセイカに 分〜 12 れたゲスト講師の の 作 品 の ほ か、 山 ト 。 本 学学 生 時 15 のアイデアを やってくる�」 月5� �日 � 【会場】悠々館前広場 30 上映され、多くの学生が足を運んだ。 ロンバルディ 【日時】 月 5�日 �� 分 月 6� �日 � 時〜 時 【日時】 「���� みんなの� 輪�」 � &ワークショップ ◎パフォーマンス 【会場】黎明館 時〜 時 【日時】 ◎講演会 【場所】キャンパス内 11 下敦弘氏や河瀬直美氏らの監督自選作も 【日程】 月6� �日 �� ~ 日 ア州で活躍す る 熟練の職人たちが具現化した、テーブ 日~ 月 日 ルウェアなどのプロトタイプやプロダク トを展示。 【日程】 月 Shiodomeitaliaクリエイテ ィブ セ ・ンター 12 43 【会場】 東京 21 【会場】黎明館、明窓館 NY ADC&TDC展 のデザイン・広告界 長年にわたり世界 12 40 40 22 11 を リ ー ド し て い る、 ふたつの展覧会を京 30 12 19 12 13 都に招致。関連イベ ントとして、書体デ ザイナー小林章氏ら 18 10 11 10 SEIK A UNIVERSIT Y KYOTO P R E S S K I N O のトークショーも開催された。 」ギャ shin-bi 「�� NY ADC( ������� ニューヨーク アートディ レクターズクラブ)展」 【日程】 9 �� � 月� 6� � 日� ~ 日 【会場】 C �O �C �O �N �� 烏丸「 �� ラリー 「�� NY TDC( ������� ニューヨーク タイプディ レクターズクラブ)展」 【日程】 月 日~ 日 + 40モー ドメイ ク アップ 1968 京都精華大学 shu uemura/ 京都オパール デザインコンペティション � ㈱京 � ������� セ ラ が 開 発 し た� 「京都 � � ����� オパール」 を 使 用 し た 装身 具 等の デ ザ イ ン���� コンペを 実 施。 プ �ロ �ト ����� タ イ プ を「京 ��セ ������ ラ美術館」 月8 �� � 日� ~ 日 で展示し �������� た。 ������ 8 ����� ���� 日には表� 彰������� 式も行われた。 【会期】 【会場】京セラ美術館(伏見区) 今後の予定 ◎人文学部奨学生制度の拡充 制への改組を機に、人文学部の奨学金制度を 2009年度、3学科から1学科5コース 成績優秀者に4年間の授業料の約9割(特別 拡充。返還義務のない給付タイプの奨学金で、 奨学生)または半額(給付奨学生)を給付 ◎「京都精華大学 ������ 年史���� 」��� の発行 年を「年表編」と「資 【発行】2 ������� 009��� 年�� 3�月 日 冊子の3種を発行予定 料 編 」 に よ り 構 成。 冊 子・ �� C D R-� ・� 抜粋版 �� 1968年 ���� からの 40 40 【会場】 C �O �C �O �N �� 烏丸������� �������� 1Fアトリウム 大運動会 時〜 時 ) REDOMS メイクアップの世界に革命を起こした 周年事業で建て替え。新しい本館に 周年記念式典」 周年を祝う記念式典および祝賀パー 【会場】新本館 【日程】2009年4月 日 予定 卒 業 生 に よ る ホ ー ム カ ミ ング イ ベ ン ト も 開 催 テ ィ を 新 し い 本 館 の 竣 工 披 露 を 兼 ね て 開 催。 創立 ◎「 【竣工予定】2 ������� 009��� 年�� 3�月 集約 は、最新の語学学習施設の他、事務局機能を 館」を 老 ������������� 朽 化 し て い たキ ャン パ ス 最 古 �の ��� 建物「 �本 � ◎新本館建設事業 時期等は未定) 先生による対談を映像収録(映像の配布方法・ ��� 評論家 吉 ・ 本隆明氏と名誉教授の笠原芳光 ◎対談企画:吉本隆明×笠原芳光 【仕様】A �5 ��判 � 360����� ページ程度 31 学 生、 教 員、 職 員 が 一 堂 に 会 し た 運 動 会を実施。 【日時】 月 日 【場所】グラウンド ( V BOREDOMS ライブ 国 ��� 内外で �常 �� に斬 �新 �� な音 �楽 ���� 活動を精 �力 �� 的 さんは本 yoshimi に 展 開 す る『 ボ ア ダ ム ス 』 の コ ン サ ー ト を開催。コアメンバー �� �の 学 テキ ス タ イ ル 分 野 の 卒 業 生。 コ ン サ ー といわれるシュウ ウエムラとの共同展示 分 40 19 15 トホールとなった体育館はおおいに盛り 日のトーク 会 を 建 仁 寺 で 実 施。 学 生 が 制 作 し た フ ェ イ ス マ ス ク も 展 示 さ れ た。 時 40 上がった。 19 12 28 16 10 ∞ 【日時】 月 日 開演 時 イ ベ ン ト に も 多 く の 人 が 足 を 運 び、「美 」 時~ 30 10 【会場】体育館 日~ 日 日 18 ◎トークイベント「美を創る」 【日時】 月 17 40 29 に関わるものづくりの世界が語られた。 【日程】 月 30 【会場】建仁寺 禅居庵(東山区) 22 29 12 11 11 10 19 15 UNIVERSIT Y KYOTO 10 11 P R E S S SEIK A K I N O 京 都大学との連携協定を締結 マンガ制作依頼が増加 も の も 多 い。 こ れ ら の 制 作 に は ス ト ー リ ー マ 伝 え る マ ン ガ な ど、 社 会 的 意 義 の 高 い 内 容 の 口コミで依頼が拡大 本 学 へ の マ ン ガ 制 作 依 頼 が 増 加 し て い る。 ン ガ、 カ ー ト ゥ ー ン、 ビ ジ ュ ア ル デ ザ イ ン な 京大広報誌をマンガ学部生・卒業生らが制作 解しやすい表現。大学には、大学の活動や かねてから依頼は多かったが、リピーターや、 日、京都精華大学と京都大学との 評判を聞いた企業から新たに依頼を受けるケ 9 �� �月 研究を広く知らしめていく� 責������ ������ 務があると考 どの卒業生が中心となって携わっている。 制 作 依 頼 の 窓 口・ 進 行 管 理 を 担 う 事 業 推 進 ースが増えてきた。 依 頼 主 は、 官 公 庁 か ら 一 般 企 業 ま で さ ま ざ 室では、「卒業後もマンガや絵を描き続けてい 見 に は、 制 作 に 当 た っ た 学 生 ら も 同 席 し、 る 卒 業 生 を 起 用 し て い き た い。 社 会 人 と し て 京都大学 ������ の会� 議� 室� で��������� 行われた合同記者会 ま。 最 近 で は、 堀 場 製 作 所 か ら 依 頼 さ れ た、 のコミュニケ 生同士の交流や広報活動の強化が盛り込ま も と は 京都 市 か ら 依 頼 さ れ た、京都 の 偉 人 た 創 業 者 の 生 涯 を 伝 え る マ ン ガ 本 が あ る。 も と 績があるにもかかわらず、その研究内容を は世界的に高い評価を受けている研究や実 の も の づ く り 魂 を 伝 え た い と の 意 向 か ら、 今 従 業 員 は も ち ろ ん、 外 国 人 従 業 員 に も 創 業 者 の 創 業 者 を 取 り 上 げ た の が き っ か け。 国 内 の ち を 紹 介 す る マ ン ガ 本 の な か で、 堀 場 製 作 所 らえれば」と じて学んでも 室の仕事を通 ど、 事 業 推 進 ーションな 記者からの取材に堂々と答えていた。 とした公立・私立高校へ配られている。 冊 ���� 子は1 �� 万���� 部発行。� 非売 ���� 品。近� 畿� を� 中心 � 一般の人々にわかりやすく伝えることに苦 回は日本語版・英語版がつくられた。 日 の オ ー プ ン か ら、 ち ょ 万人を突破し 日、京都 国 際 マ ン 万人目の入館者には養老孟 万人を突破 している。 労していた。そこで尾��������� 池�������� 総長が注目したの の 啓 発 マ ン ガ、 関 西 経 済 連 合 会 の 取 り 組 み を ま た、 薬 物 依 存 症 リ ハ ビ リ 施 設「 ダ ル ク 」 が、マ ン ガ の 力。マ ン ガ で の 京大 広 報 誌 が つくれないかと本 �学 �に �相 �談 �� が舞 �い ����� 込んだ。 人が 携わり、京大の学生が研究室への取材を担 広報誌の制作には、両大 �� 学� の� 学� 生 当し、本学の学生がストーリー、作画を担 当。両学生が協力し合い作り上げた。 京 都国際マンガミュージアム、 入館者 月 伸びに一役買った。 際 マ ン ガ サ ミ ッ ト の 盛 り 上 が り も、 入 館 者 の ど の ユ ニ ー ク な 企 画 展 や、 9 月 に 行 わ れ た 国 のマンガ バ ン ド・ デ シ ネ の 歴 史 と 展 開 」 な ま た、「少 女 マ ン ガ パ ワ ー」「 フ ラ ン ス 語 圏 ンスからの入館者は2千人を越えている。 海 外 か ら の 観 光 客 数 が 増 加 し た。 と く に フ ラ 外国の旅行ガイドブック、国際マンガサミットの影響で 2006年 行われた。 イ ド ブ ッ ク や 旅 行 雑 誌 に も 掲 載 さ れ て お り、 同 館 は 開 館 以 来、 知 名 度 が 拡 大。 海 外 の ガ 50 協 ����������� 定にあたり尾池総長は「 �他 �� の大学 ��と �� の 連携に見ない特徴として、大学広報に関す る提携が含まれてい る。 京都精華大学 が も つ芸術系分野に期待し 月 25 ている」と述べた。 うど2年になる昨年 25 ガミュージアムの入館者数が 11 11 司 館 長 の 直 筆 サ イ ン 色 紙 や、 記 念 品 の 贈 呈 が た。 記 念 す べ き 50 �� ま た� 、 �� 島本� 学 �� 長 は� 、 え て い く 武 器。精華 は 「 表 現 と は、 世 界 に 伝 新しいコミュニケーシ ョンの核になりたいと 常 々 考 え て い る。 マ ン NEWS れている。 のマンガ制作依頼。iPS細胞など、京大に 協定のきっかけになったのは、京大から を取り交わした。連携協定のなかには、学 えている」と語った。 NEWS 連携協力に関する基本協定書に、島本浣学 17 長と尾池和夫京都大学総長(当時)が調印 NEWS ガ は、 ど の 世 代 で も 理 50 21 UNIVERSIT Y KYOTO SEIK A P R E S S K I N O 天 理市の ISO14001 取得をサポート アセンブリー講演会 人 文 学 部 環 境 社 会 学 科 4 年 生、 服 部 静 枝 こ の 取 り 組 み は 2 0 0 7 年 7 月 か ら、 SO14001」を取得した。 こ の 度、 環 境 管 理 の 国 際 規 格 で あ る「 I ス テ ム 構 築 に 取 り 組 ん で き た 天 理 市 が、 本学と官学共同で環境マネジメントシ 会」 。 前 期 に 続 き、 後 センブリーアワー講演 マで開催している「ア 幅広いジャンルのテー 化、芸術、社会などの するゲストを迎え、文 各界の第一線で活躍 み、同じコミュニティ という見解から切り込 い う 問 い を、「呪 い 」 で追い込まれるのかと の書き込みで自殺にま 釈徹宗氏。なぜネット 内田樹氏と宗教学者の 内田樹氏×釈徹宗氏、鈴木康広氏ら話題のゲストが続々 ゼミの堀田紘佑さんらが環境改善の数値 内で効力を発揮する 本学人文学部と市の官学協同事業が実る 目 標 づ く り な ど を サ ポ ー ト し、 進 め ら れ 「呪い」を防御してい 日に行われた授与式では、 った。 また、現代アーティストの鈴木康広氏の講演は、 月 天理市から人文学部長の鷲尾圭司先生に 「 『呪い』と『祝い』 」 と い う 興 味 深 い テ ー マで 対 も で き る「 ま ば た き 」 を 通 じ て、「見 る 」 と い う ば た き に ご 注 意 く だ さ い 」。 意 図 的 に も 無 自 覚 に ことに興味があるという鈴木氏は、パラパラマン ガを使った作品や、夜の公園で動いていない遊具 ( グロ ー ブ ジ ャ ン グ ル ) に、 昼 間 に 撮 っ た、 同 じ 遊具で遊んでいる子どもたちの映像を映し出すイ 映像はもちろん、その作品ができあがるまでの思 ンスタレーションなどで知られている。その作品 が、 自 分 が 絵 に 描 い た も の が カ タ チ に な り、 を、からだで感じられる機会となった。 生はじめ一般の方々にとって、彼らのメッセージ み合わせたプログラムになっており、参加した学 会や、からだをつかったワークショップなどと組 で、振付師である伊藤キム氏らも来学。映画上映 ヨン氏や、ダンスカンパニー「輝く未来」の主宰 「 チ ベ ッ ト・ チ ベ ッ ト 」 の 映 画 監 督、 キ ム・ ス ン そのほか、チベットの問題を映し出した話題作 らは釘付けになっていた。 ョンのように紹介された。視覚的な講演に、学生 考 の 移 り 変 わ り が イ ラ ス ト ス ケ ッ チで ア ニ メ ー シ っている。 実際に使ってもらえるのが一番の喜び」と語 建 築・新井清一先生がロシアの文化勲章を受章 NEWS く必要性を説いた。 感謝状が贈られた。 26 視覚的刺激に満ちたものとなった。テーマは、「ま て き た。 期もさまざまなジャン NEWS ルの豪華な顔ぶれが揃 NEWS 談を行ったのは、現代フランス思想を専門とする 11 日本人では初めての偉業 日、ロ シ ア・ バ シ コ ル ト ス タ ン 共 和 国 デ ザ イ ン 学 部 建 築 学 科 の 新 井 清 一 先 生 が、 9月 チになっている。新井先生は、「賞もうれしい や 競 馬 場 が 建 つ な ど、 着 々 と 新 し い 町 が カ タ も こ の プ ロ ジ ェ ク ト は 進 行 中で、 国 際 会 議 場 フ ァ 市 を 町 ご と デ ザ イ ン す る 取 り 組 み。 現 在 け て い る、 バ ジ コ ル ト ス タ ン 共 和 国 に あ る ウ 受 賞 の 対 象 と な っ た の は、 新 井 先 生 が 手 が シアに貢献した者に授与される。 音 楽 家 や 芸 術 家 な ど、 文 化 的 活 動 を 通 し て ロ の文化勲章「 Salavat Yulayev Award2008 」 を受章した。この賞は、芸術、文化への功労賞。 27 UNIVERSIT Y KYOTO SEIK A P R E S S K I N O 月 12 月 日 25 桐 充( 中 尾 ハ ジ メ ) 氏 に 替 わ り、 赤 坂 博 氏 が 新しい理事長に選出された。 【��� 理事�】 ││││││││ 赤坂 博(職員) 理事長 │ 学長 │ ││││ 島本 浣(芸術学部教授) 【����� 専務理事�】 上々手良夫(職 員 ) 【常 ����� 務理事�】 葉山 勉(デザイン学部教授) 石田 涼(職員 ) 【��� 理事�】 杉本 貞彦 (宝ホール� デ� ィ� ン� グ� ス� ㈱� 参与 �� ) 佐藤 茂雄 (京阪電気鉄道 � ㈱� 代表取締役 ��� �� CEO�) ��� 尾池 和夫(前京都大学総長) 安村 幸駿(京都銀行特別顧問) 【監 ��� 事�】 学( 当 時 は 京都精華 短 期 大学 ) の 第 1 期 生。 京都 に お 住 ま い の 方 は、 書 店 で 平 積 み さ 「 ら く た び 文 庫 」 を ご 存 知 だ ろ う か? 活躍する卒業生 音順)。京都精 1 9 6 8 年 4 月、 美 術 科・ 絵 画 コ ー ス に 入 学 し、学籍番号は1番だった ( 業 後 は ㈱ タ カ ラ ブ ネ を 経 て、 1 9 9 7 年 7 月 華大学 の ス タ ー ト 時 に 学 生 と し て 関 わ り、 卒 京都精華大学 に 転 職( 就職 課 職 周年の記念の 員 )。 大学 創 立 今 年、 理 事 長 に 就任した。 短期大学 は、美術科、英語英文学科の2学 1968年4月に私が入学した京都精華 科を合わせて約2百数名の初年度入学生で 周 年 を 迎 え て い ま す が、 スタートしました。 今年度は開学 岡 本 清 一 初 代 学 長 の「 自 由 自 治 」「 人 間 形 成 」「 凝 縮 教 育 」 「 国 際 主 義 」と い う 理 念 を 堅持し、学 生との密接なかかわりを保つ教 育 を 実 践 す る 大学 と し て 評 価 を い た だ き、 4100名を超える学生数が在籍する大学 に成長しました。 う手頃な値段、そして、「京の庭NAVI」 る か ら こ そ、 ど う 展 開 さ せ る か 考 え る の こ の 小 さ な 判 型、 と 条 件 が 限 定 さ れ て い 「京 の お 豆 腐 」「京都 穴 B A R 」 な ど、 こ 冊が発行 だ わ り の 視 点 と コ ン セ プ ト で 人 気 の 京都 案 内 本。 2 0 0 9 年 1 月 現 在 も、 決 ま っ て い る テ ー マ を ふ く ら ま せ て いくのも、どちらも楽しいですね」。また、 が お も し ろ い。 ゼ ロ か ら 企 画 を 立 て る の 全体に目を配って調整をしながら進行す 浩 さ ん は、 そ の「 ら く た び 文 庫 」 の 編 集 部 で 働 い て い る 編 集 ス タ ッ フ。 ら く た び る の も、 編 集 者 の 役 割 だ。「 デ ザ イ ナ ー、 さ れ て い る。 人 文 学 部 の 卒 業 生、 光 川 貴 集 を 手 が け る。 た く さ ん の 人 と 関 わ り な 文 庫 シ リ ー ズ を 中心 に、 書 籍 の 企 画・ 編 カ メ ラ マ ン、 ラ イ タ ー、 取 材 先 の 人 々、 い 」。 編 集 の 仕 事 を 始 め て 4 年 目 の 光 川 ろん何よりも読者に楽しんでもらいた も ら い た い と 思 っ て い ま す。 あ と は も ち 一冊の本に関わるすべての人に楽しんで が ら 本 を 創 る、 編 集 と い う 仕 事 に 大 き な やりがいを感じているという。 法 』 の 授 業 で 雑 誌 制 作 を 体 験 し、 そ の 講 さ ん は、 や り た い こ と、 覚 え た い こ と で 光 川 さ ん は、大学 2 年 の と き『 編 集 技 始めたことがきっかけで今の仕事に就い い っ ぱ い だ と 目 を 輝 か せ た。「 紙 や 印 刷 師の編集プロダクションでアルバイトを の 知 識 な ど、 書 籍 や 雑 誌 の ハ ー ド 面 の こ と も も っ と 勉 強 し て、 自 分 ら し い テ ー マ ア ル バ イ ト も 楽 し か っ た け ど、 自 転 車 部 に も 入 っ て い た し、 講 義 も お も し ろ か っ で一冊でも多くのヒット本を作りたい」。 た。「大学 は 本 当 に 楽 し か っ た で す ね。 た」と充実していた学生時代を振り返る。 材を育成する高等教育機関として大学 の果 して支持され発展を続けていくためには人 非常に厳しく、京都精華大学 が輝く大学 と 読 む 人 を 念 頭 に 置 い て 情 報 を 整 理 し、 興 ん で す が、 も の す ご く 厳 し か っ た( 笑 )。 が 研 究 テ ー マ で、 栗 巣 先 生 の ゼ ミ だ っ た とです。ぼくは『スポーツと日本の近代』 やレジメの書き方を細かく指導されたこ 「 今 で も 役 に 立 っ て い る の は、 レ ポ ー ト たすべき指名を明確にし、大学 の理念をよ 味を持ってもらえるように工夫すること 本の編集は似ているんです」と語る。 が 大 切 だ と 教 え ら れ ま し た。 レ ポ ー ト と り鮮明にした教育への改善、改革はもとよ 大学 発展のための皆様のご理解とご支援 す。 り大学 運営の組織改革が急務となっていま しかし、今、大学 のおかれている環境は ッ ト に 収 ま る 文 庫 サ イ ズ、5 0 0 円 と い れ て い る の を 見 た こ と が あ る は ず。 ポ ケ 新 理 事 長 に 選 出 さ れ た 赤 坂 氏 は 京都精華大 新しい役員体制が決定 赤坂博氏が新理事長に 学 校 法 人 京都精華大学 の 理 事 お よ び 評 議 員 日 ま で。 ま た、 12 の 任 期 満 了 に と も な い、 次 期 理 事 お よ び 評 議 月 員 が 選 出 さ れ た。 任 期 は 2 0 0 8 年 から2011年 24 日 に 開 催 さ れ た 学 園 理 事 会 で、 前 理 事 長 の 片 12 﨑間 昌一郎( 弁 護 士 ) 光川貴浩さん らくたび文庫編集部 2006年度卒業 人文学部 40 をお願いいたします。 ページで 「編集の仕事は企画からスタートしま す。 ら く た び 文 庫 の 場 合 は、 として2007年3月に創刊された。 50 理事長 赤坂 博 楽しむための文庫判ビジュアルガイドブック” UNIVERSIT Y KYOTO 35 88 位� ノ� �花 俊明 堂山 道生 「らくたび文庫」は“京都をもっとディープに 40 P R E S S SEIK A K I N O 25 客員教授による 特別講義 建築学科客員教授 安井 清先生 本 学 は 、第 一 線 で 活 躍 す る マ ン ガ 家 や 編 集 者 、作 家 な ど 多 彩 な 客 員 教 授 を 迎 え て い る 。 プ ロ フ ェ ッ シ ョ ナ ル の 生 の 声 に 大 き な 刺 激 を 受 け 、学 生 ら は 自 分 だ け の 表 現 を 探 っ て ■こんなゲストも いる。ここに、2008年度後期に行われた客員教授の授業の一部を紹介したい。 メディア造形学科客員教授 松本俊夫先生 如庵など国宝級の伝統建築の修復を数多く手 覚を混乱させるよう さ せ た 作 品 な ど、視 をひとつずつ解説。フィルムを紫外線で感光 ィストの淀川テクニ ン 学 科 で は、 ア ー テ ビジュアルデザイ いる。 師が数多く来学して も、 著 名 な ゲ ス ト 講 客員教授以外に スなど世界各国で日本のマンガがどのように が け て き た。そ の な作品群の根底に 受け入れられてい 経験談をまじえな は、「人間が普段見る ッ ク 氏、 の び ア ニ キ 数々の実験映像を流しながら、その撮影技術 る か、な ぜ 人 気 な 前の建築が学べる がら、「京都は�� 千�年 氏、 画 家 の 高 木 さ え � 前� 衛 ��������������� 的 な 映 像 作 品 を 手 が け て き た 氏 は� 、 のかを講義。また、 ことのできないもの こ 氏、音 楽 家 の 高 木 正 勝 氏 が 教 壇 に 立 っ た。 氏は棟梁として、桂離宮をはじめとする国宝 これからのマンガ 土 地。本 物 を 見 て を 与 え る」と い う 自 代々、西ノ丘卿の棟梁の家系である安井家。 市 場 や ケータ イ マ 学ぶことが大切で である中野先生。アメリカ・ドイツ・フラン ンガというコンテ さ ら に、 ア ー ト デ ィ レ ク タ ー の 宮 師 雄 一 氏 身 が 目 指 す テーマ が や、 ゲ ー ム デ ザ イ ナ ー・ 編 集 者 の 伊 藤 ガ ビ ン 氏、大 手 企 業 の 宣 伝 部 な ど さ ま ざ ま な 顔 ぶれが訪れた。 ア ニ メ ー シ ョ ン コ ー ス で は、「科 学 忍 者 隊 ど 、「わ か な フォル ム を 実 際 に 先 生 が 描 い て 説 明 す る な らず、多くの学生が提出し、受講した。苦手 ームを提出するという条件付き。にもかかわ 方 な ど を 解 説。貴 とことばの合わせ 方、伝 え 方、映 像 が ら、企 画 の 考 え ム「写ル �� ンで �す �� 」 、 �シ ���� ャープ「 � AQUOS 」など、 先生がこれまで手がけてきたC �M����� �を ����� 紹介しな 資 生 堂「スーパーマ イ ル ド」 、� 富 ���� 士 ��� フ �� イ �ル 化 に つ い て、熱 の マンガの表現の変 けひきを読み解き、 者とマンガ家のか の 数々を 紹 介。 読 な ど、貴 重 な 資 料 ガや、新しい表現方法が現われた節目の作品 マに読む順番がふられた1 �� 96 �0 ������ ����� 年代のマン マンガ評論家である呉先生の授業では、コ 業界のプロに触れられる環境を活かした活 ラ ボ し て イ ベ ン ト を つ く る 企 画 な ど も あ り、 学生と情報館と著名なアーティストらがコ ま た、 デ ジ タ ル ク リ エ イ シ ョ ン コ ー ス の 授業も開かれた。 か、 世 界 的 な J A Z Z 演 奏 者 を 招 い た 特 別 と橋爪大三郎氏がそれぞれ講演を行ったほ ラ シ ー」 の 授 業 で、 社 会 学 者 の 宮 台 真 司 氏 貞 雄 氏 が 開 講。 人 文 学 部 で は、「日 本 語 リ テ ニメでキャラクターの作画をしていた宮本 マンガ学部客員教授 呉 智英先生 り や す い」 に、学 生 た ち は 真 重な制作現場の話 動が増えている。 デザイン学部客員教授 あることを語った。 す」と語りかけた。 語った。 マンガ学科客員教授 村上もとか先生 と 学生らに こ もった 講 義 が 繰 ガッチャマン」の作画監督やディズニーア 大 好 評 だっ り広げられた。 『 JIN― 仁 ― 』で有名なマンガ家、村上もと か先生の授業を受講するには、期日までにネ 黒須美彦先生 ンツ産業の展望を マンガ編集者、ノンフィクションライター マンガ学部客員教授 中野晴行先生 11 19 11 27 剣な眼差しで聞き ながら学生の質問に答える宮本氏 9 19 10 25 入っていた。 た。 授業が終わった後も絵コンテを見せ 9 8 9 9 UNIVERSIT Y KYOTO SEIK A P R E S S K I N O 記憶に残るものをと考えています。つきましては、今後10年、 20年と続く展望を込め、ご寄付のご協力をお願いしています。 寄付金は一口一万円からとなっています。詳細に関しては「募 金要項」をお取り寄せください。この寄付金につきましては、 文部科学省から「特定公益増進法人であることの証明書」の 交付を受けていますので、所得から税金控除を受けることが できます。 詳細のお問合せや募金要項のお取り寄せは、京都精華大学企 本館建替工事に関して もなう建替工事によ ま す。 郵 送 先・ 電 話 生や在学生、教職員はもちろん本学に関わるすべての人々の s e i k a - s e k a」 i り、 事 務 局 が 3 月 ま 大学ブログ「 毎 日 �� 更新� 中 � 京都精華大学ブログ「 ��������� seika-sekai 」が昨年秋にス タ ー ト し ま し た。 日 常 の キ ャ ン パ ス の 様 子 を レ ポ ー で対峰館1階および 番 号・ F A X 番 号・ 分開式 を運行します。お車でのご来場はご遠慮く ださい。 2009年度入学式 日時…4月1日 (水) 時 場所…国立京都国際会館イベントホール 画室(075-702-5201)までお願いいたします。 本館の老朽化にと ト し て い ま す。 大学 W e b サ イ ト の ト ッ プ ペ ー ジ か 学部トップペー E‐ m a i l 等 に 変 明窓館に移転してい ジからリンクさ 更 は あ り ま せ ん が、 は3月竣工の予定です。 時開式 日 (金・春分の日) 分開場/ 場所…本学体育館 9時 日時…3月 2008年度学位記授与式 卒業式・入学式のご案内 ほ ど よ ろ し く お 願 い い た し ま す。 な お、 新 し い 本 館 様 に は ご 不 便 を お か け し ま す が、ご 理 解、ご 協 力 の ご 注 意 く だ さ い。 皆 ご訪問の際などには れてい ����� ま ���� す。各 さい。 一度ご閲覧くだ てい ���� ま ��� す。ぜひ �� かる内容になっ の特徴がよく分 コースそれぞれ ま た、 コ ー ス ご と の W e b サ イ ト や ブログ も、 各 らリンクされてい ���� ま ��� すので、ぜひご覧下 �������さ ���� い。 http://seika-sekai.jp 2 0 0 8 ���� 年度芸術� 学 ���������� 部 卒業・修了制作展 芸 術 学 部 と 芸 術 研 究 科 に よ る 卒 業・ 修 了 制 作 展 を、京都 市 左 京 区 の 岡 崎 公 園 内 に あ る、京都 市 美 術 館 に て 開 催 い た し ま す。 学 生 た ち が、学 び の 集 大 成 で あ る 卒 業 制 作 を 記念事業のイベントや出版物を計画・実施しています。卒業 ※地下鉄「国際会館駅」よりスクールバス 今年�������������������������� 度������������������������� 、創立40周年を迎えた京都精華大学。さまざまな周年 ※地下鉄「国際会館駅」から徒歩5分。 お車でのご来場はご遠慮ください。 京都精華大学広報部広報課 〒606-8588 京都市左京区岩倉木野町137 TEL 075-702-5197 http://www.kyoto-seika.ac.jp 木野通信送付先住所の変更は企画室・木野会事務局 [email protected]までご連絡ください。 木野通信 第47号 2009年1月20日発行 UNIVERSIT Y KYOTO 創 立 40 周 年 記 念 事 業 に 関 す る 募 金 の お 願 い 10 30 発表します。ぜひ お立ち寄りください。 京都精華大学 卒業・修了制作展 日(水)~2月1日(日) ※市バス「京都会館美術館前」下車すぐ。 会場 京都市美 術 館 本 館 会期 1月 ’08 30 20 9時開場/ 10 28 ま た は 地 下 鉄 東 西 線「 東 山 駅 」 下 車 徒 歩 分。 10 P R E S S SEIK A K I N O