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Title ピューリタンの楽器 : エドワード・テイラーの詩と音楽 Author 佐藤, 光重
Title Author Publisher Jtitle Abstract Genre URL Powered by TCPDF (www.tcpdf.org) ピューリタンの楽器 : エドワード・テイラーの詩と音楽 佐藤, 光重(Sato, Mitsushige) 慶應義塾大学藝文学会 藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.75, (1998. 12) ,p.327(54)- 347(34) Journal Article http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00750001 -0347 ピューリタンの楽器一一 エドワード・テイラーの詩と音楽 佐藤光重 バロック音楽の巨匠バッハの音楽に感動をおぼえ,その神秘を探ろうと 思えばまちがいなくシュヴP ァイツアーなる人物と出会うことであろう。大 著『バッハ j を遺し,モノラル・レコードでいまも接することができる 数々の名演奏を世に贈ったこのひとこそ,『水と原生林のはざまで』によ って知られるアルパート・シュヴトァイツアーである。牧師の職をなげうっ て仏領ガボンに身を投じた彼は医師であったのはもちろんのことすぐれた オルガン奏者でもあり,なおかつカント哲学やゲーテ文学にも通じてい た。 他方, 1668年マサチューセッ、ソ植民地へ渡航し, 71 年から 1729年に 87歳 で死去するまで Westfield の牧師を務めた Edward Taylor も詩人,博物 学者,医者,錬金術師などさまざまな顔をもっ。この多才な詩人の全貌を とらえるには,多様な好奇心に通底する彼の探求の目的を把握することが 必要で、あり,それを把握すればさらに,彼の新しい一面が浮び、あがって見 えてくるであろう。 1 学究の徒テイラー テイラーは複数の顔を持つ。なによりもまず慣れない土地でのきびしい 生存のためには,当時はだれでも農業や牧畜の知識と技術とが必要で、あっ た。彼も例外ではなかったらしく園芸の用語が作品にしばしば登場し, と りわけ薬草の名が多くあらわれる。これは彼の医学知識を窺わせて興味ぶ かい (1 )。作品には万能薬( Catholicon)も登場し,永遠の生命を探求する ( 3 4 ) 錬金術と手を携えていた当時の医学をしのばせる。錬金術の研究対象は金 属はじめ自然界の物質および生命が含まれていて甚だ幅が広い(2)。このほ か彼には博物学者の側面もあり, 1705年 7 月 30 日 Boston NewsLetters の 記事で,巨大な骨がニューヨークで発見きたことを知ると,テイラーは熱 心にその情報を収集しながら, 196 カプレットからなる叙事詩 “ The G r e a tBoneso fClaverack ”(未完)を書き始めた(へその他にも自然界 へ関心を向けていた証拠に,英国からの渡航中に目撃した様々な生物や出 来事の記録が日記に見える。 もちろんテイラーの著作に撮るものは信仰心であるのは言うを侯たず, 教会員制度をめぐり Solomon Stoddard とキリスト教神学上の熱い論争 を繰り広げたことで彼はこれまで知られてきた(針。彼の詩が発見されたの は 20世紀に入ってからであるが,文学テクストの解釈においてもニュー・ イングランドのビューリタニズムから作品を見る方法が研究の主流であ る。とくに John C o t t o n ,I n c r e a s eM a t h e r ,SamuelMather などマサチュ ーセッツの宗教界で支配的な影響力をふるったマザー一族の著作とテイラ ーの作品とを比較してこれまでのいくつか重要な論文が発表きれている( 5)。 けれどもテイラーには博物学者としての顔もあり,その面の理解は牧師で ある彼の理解をさらに深めることになろう。 王立科学アカデミーの会員で数々のアメリカ見聞録を書き送ったことで 知られるひとに Cotton Mather がいるけれども,彼の報告書はことごと く伝聞にもとづいて書かれたものであった。植物が交配する事実は,イン ディアンが古くから知っていたのをたまたま彼が耳にしたものであり,種 痘も彼が発明したのではなくアフリカで行われる民間療法を黒人奴隷から 教えてもらい,参考になればとアカデミーへ報告したに過ぎない( Kil g o u r126-33 )。これとくらべればテイラーには観察態度と呼ぴうる姿勢が 認められる。ニューヨークで発掘された巨大な骨に向けられるテイラーの 視線を重要視する研究もある。さらにまたアメリカへの航海で目撃した烏 や魚のようすを日記によく残していることが Lawrence L . Sluder により 指摘されている。一例を挙げよう。 346- ( 3 5 ) WedJ u l y1 ,1 6 6 8Abouts u n s e twesawaf i s hr i s e ,s p o u t i n gwater o u tandl e a p i n go u to ft h ew a t e r ,a sb i ga sahugeh o r s e .Some t o o ki tf o rayoungw h a l e ,somef o rag r a m p u s ;o u rm a s t e ra t h r e s h e r .( q t d .i nS l u d e r2 6 6 ) テイラーは目で見た( we saw)ことを書き,他の意見( Some t o o ki tf o r ..)を参考にする。作品全般においてもテイラーの博物学者らしい態度 が読み取れると Sluder は言う。 万能薬を追求するときのテイラーは医師でもあるが,今日の観点からす ると異端の魔術師であったとも誤解されかねない。なぜなら,薬に使う目 的で彼は詳細にわたり人体を調査していたからである。乾燥した遺体の一 部を薬に調合することもかつては珍しくなし ミイラなどは薬剤にかぞえ られた。人体を薬に使う発想、は東洋でも唐代の『本草拾遺J にかぎらず魯 迅の短篇「狂人日記J や「薬j ,我国でも芥川龍之介「湖南の扇」にみら れるように民間療法では 20世紀にも存続する。ヨーロッパではパラケルス スの医学がもっぱら人体の効能を説き,その学説はキリストの「血と肉 J をめぐる聖餐の問題ともからんでいた( Gordon-Grube 201-04 )。テイラ ーが医療の参考としたのはおhann Schroeder の Pharmacoρoein Medico-Chymica (1644年)であり,彼はこれを書き写して 109種の「動 物」に関する効能の注解書とした(向上192-96 )。ネズミの糞,牛の尿, 小犬の胆嚢を粉末にしたもの,小犬の白ワイン漬け,焼いた墓蛙,黒猫の 頭の黒焼きなどおぞましいリストにならぶのは人体の項目である。髪, 爪,耳垢,汗など,(なぜか男の)尿,大使,精液,皐丸,女性のおりも の,後産,そのほか血液,皮膚から文字どおり骨の髄まであますところな く効能が記される。まことに気色悪い話であるが,当時はミイラを扱う専 門店さえ存在したのだからしかたがない。これでも永遠の生命をめぐる真 面目な取り組みではあったのであろう。 永遠の生命については「生命の樹J なるものもあり,これに触れると不 老不死,回春,復活の能力が備わるときれる神秘の植物である( 6)。テイラ ーは 115ページにわたる金属学の覚書きを遺したが,その種本は John ( 3 6 ) -345- Webster の Metallograρhia (1671 )であることがわかっている( Fattore 233 )。同書によると金属は地中に液体で存在するときがもっとも神秘的な 力を秘めるとされ,金がこの液体から生じるばかりかこれに触れると他の 非金属も金に変わると言う(向上234 )。ょうするに錬金術に通じる書物な のである。金属の性質は天体の「影響J により形成きれ,たとえば金など は太陽の影響を受けてできると説明する(向上204 )。 Metallographia とテ イラーの作品との関連をつきとめたファットーレによると,テイラーの作 品では太陽( Sun)がすなわちキリスト( Son)であるため,太陽の性質 を帯ぴた金は癒しの効能をもち復活の奇跡も起こるという。地中に潜むと される液体の金はちょっど樹状図をなすと考えられたため,テイラーの詩 に現れる生命の樹はひょっとするとそれを指すのではないかとファットー レは指摘する( 204-05 )。 じつはこれら多彩な研究課題がテイラーの詩に取りあげられるそのつ ど,関連してしばしばテイラーが扱うもうひとつの分野がある。それは音 楽である。 2 作品の音楽性 演劇や絵画とならぴ音楽はピューリタン社会で盛んであったとは思われ ない芸術活動であるが,彼らがカルヴ?アンのみならずルターが起したプロ テスタントの一派であることを考えれば,あながち彼らも音楽と無縁な存 在ではなかったのではあるまいか。まず,宗教音楽といえば誰もが思いつ くものに賛美歌があり,ルターが着手した布教のための重要な作業は聖書 のドイツ語訳のほかに賛美歌の編纂があった。ルターの仕事はバッハによ りクラシック音楽の一大体系となり,メンデルスゾーンやマーラー,シュ ヴP ァイツアーやグールド, リヒターなどの天才奇才らが歴代に渡ってバッ ハ音楽を復興,発展きせたおかげてや今日の我々もバッハを通じそれとは知 らずフ。ロテスタントの音楽文化に接している。ルターの詩にもとづく『カ ンタータ第四番』( BWV4 )などはバッハの傑作に数えられる。バッハの オル方、ン作品においてフーガと双壁を成す「コラールJ も,『広辞苑J に -344- ( 3 7 ) 記載のあるとおりルターが礼拝の音楽に用いたのが起源である。ルターの 改革はメンデルスゾーンの有名な交響曲にも扱われた。コロンビア制作の デジタル録音『J. S. バッハ教会暦によるオルヌゲン・コラール集J の帯に は, Helmuth Rilling の演奏を評して「ドイツ・プロテスタントの精神を 伝える j 名演とある。教会音楽は大聖堂で荘厳なミサを執り行うカトリッ クばかりではなくプロテスタントにも伝統を確立しているのである。 もちろんプロテスタントの文化がすなわちピューリタンの芸術にひとし いとは言えないけれども,ピューリタンにもやはり賛美歌はあったのであ る。それはアメリカで最初に出版された書物にあらわれている。三人の牧 師 Richard M a t h e r ,JohnE l i o t ,ThomasWeld から翻訳した The が詩編をへブライ語原典 BayPsalmBook (1640年)がそれである。文章の装飾 性を嫌うピューリタンが独自に編み出した文体( Plain Style)で書かれ ているため,意味は忠実にたどっているが,言葉の響きが犠牲になって, 欽定訳にくらべると文章がぎこちない。そのためハーバードの学長 HenryDunster らが改訂した 1651 年の版ではより美しい響きになるよう 書き換えられた( Elliott 227-28 )。植民地の詩人 Anne B r a d s t r e e t ,M i ュ c h a e lWigglesworth,そしてテイラーなどこの賛美歌集の影響を受けなか った詩人はいない。原典に忠実なればこそ,詩編は読むものであると同時 に歌うもの,ダヴィデの歌,そして音楽と捉えられよう。ニュー・イング ランドを代表するピューリタンの牧師ジョン・コットンは The Psalm Book Bay 初版に序文を書いたほか,雅歌(ソロモンの歌)の注解書 A B r i e fE x p o s i t i o no ft h eW h o l eBooko fC a n t i c l e s (1642年)をロンドンで 出版した。これまたアメリカのピューリタンに宗教と音楽との融合がみら れる一例である。 テイラーの詩から,ピューリタンが詩編や雅歌をどのように捉えたか推 測することも可能なのではあるまいか(7 )。そもそも詩編のテクストは弦楽 器の調べに合わせた歌であった。たとえばテイラーの Med. くる句“ Altaschath I .18 を締めく Michtam,i nS e r a p h i c kTune,,は詩編第 57, 5 8 ,5 9 ,7 5 章の冒頭からの引用で,「ほろぼすなかれ」と呼ばれる音楽の節回しのこ ( 3 8 ) とであり, Med. I . 46 にみえる“My meanShoshannimmayt h yM i c h ュ tamsraise,,の“ Shoshannim ”は詩編第 45 および69章の冒頭に出る「百合 花j という名の楽器を指す。テイラーが自身の作品をどのようにみていた のかといえば, Med. I I .18 “ Let t h yb r i g h tA n g e l l sc a t c hmyt u n e ,and q u a l l sDavidMichtamwhichi sin’t”に明言きれていると sing’ti ThatE おり賛美歌である( 65-66 )。詩編を題材とした詩には Med. I I .7 “ He s e n t amanb e f o r et h e m ,e v e nJ o s e p h ,whowass o l d "( P S .105.17)があり, 詩作する自らを神の楽器にたとえて詩人を天上の調べを奏でる者と見てい ることが“ Scouer [polish の意] t h o umyp i p e st h e np l a yt h yt u n e s 4 0 42 )と表 t h e r e i n. . .Whilet h ys w e e tp r a i s e ,myt u n e sd o t hg l o r i f y "( 現しているところからも分かる。 雅歌を扱った詩は特に多く, Med. II. の全167作品の方々に見つかり, 115 から 153番までは連続してソロモンの歌からの引用を主題とする。ここ でもやはり詩人は神の楽器であり,詩は神を賛美する歌である。たとえば Med.I I .120 では“Orecoming [ o v e r c o m i n g ] n o t e st h a tf i l lmyHarpe w i t h tunes”( 48 )と賛美の調べがハープと化した詩人にこだまし, Med. I I . 160 でも自身を主の楽器「百合花J “ Mee y o u rShoshannim”( 40 )と呼 ぴ,“I ’H borrowh e a v e n l yp r a i s ef o rt h e emyk i n g /Tos a c r i f i c et ot h e e 4 8 49 )と天上の音楽を奏する。ただし詩人 onmyHarpss w e e ts t r i n g "( が神聖な楽器となり主を褒め称える調べを奏でる様子はつねに,“ if”では じまる条件節が導く帰結節に述べられるので,テイラーは完全には主の道 具に成りえていないし,詩も天上の音楽の域に達してはいないことにな る。けれども,その文脈から詩編や雅歌を理想、の音楽と見なし,それを雛 形とした自作の詩も不完全ながら神を賛美する音楽を目指しているのだろ うことだけは分かるのである。 テイラーは己が身を楽器にたとえたが,身体はときに文字どおり楽器と なる。赤道直下のアフリカでもシュヴァイツアーの腕前が衰えないように じパリのバッハ協会は「水と原生林のはぎま」までオル方、ンを輸送した という(『水と原生林のはき、までj 39 )。もちろんテイラーにはオル方、ンな 一 342- ( 3 9 ) どなかったであろうが,楽器なる概念が今日とは違っていたことを考慮す ると,ある意味においては植民地にも立派に「楽器J が存在したことにな る。我々にとって声楽と器楽との区別は自明の事柄である。しかしボエテ ィウス以降の伝統的な音楽観に則れば,ひとの喉も楽器の一種となる(金 津70-71 )。 Magister Lambertus による音楽論 Tractatus d e m u s i c a (1270?)によると,楽器には二種類あって,そのひとつは「実用的な器 具j i n s t r u m e n t u mplatice s t r u m e n t u m theorice であり,もうひとつは「理論的な器具」 in であるが,後者は金津氏によると音の実験に用いる 器具であると推測される( 70 )。前者「実験的な器具j はさらに「自然の器 具J i n s t r u m e n t u m naturale と,「人工の器具J i n s t r u m e n t u m art♂ciale とに分類きれ,喉は自然の器具に,その他の楽器は人工の器具に分類され る(向上)。つまりは人工の楽器に対し神が作った楽器こそが人間の発声 器官となる。ひとの喉は優れた楽器であった。現に音楽の世界では m u s i c a instrumentalis を「器楽曲 j と訳すよりも,「器具の音楽J もしく は「道具の音楽」とすることのほうが多く,今日とは異なる「道具」の意 味を強調するという(向上71 )。すると,詩が音楽で声が楽器ならば詩の 朗唱は楽器の演奏と等しい。 Med. I I .48 の終りに“ My Q u i l lmakest h i n e A l m i g h t i n e s saS t r i n g /OfP e a r l st og r a c et h et u n emyMite [卑小な自 分] d o t hsing,,とあるように,テイラーの詩句にはしばしば歌っていなが ら自ら楽器となり,楽器でありながら自ら歌う描写が現れる。してみる と,テイラーは自身を楽器にたとえたと解釈するだけでは不充分で、あろ う。神の道具である詩人は,また自ら歌う楽器でもあった。 中世の視点から考えるならば,そもそも「音楽j そのものについての考 え方が現代とは異なる。演奏もさることながら根本的に音楽とは数の関係 に成り立つ調和であり,耳には聞こえなくとも調和が成り立つ数の関係が あればそれはすでに音楽であった(金津71 )。起源はピタゴラスにさかの ぼるとされるもっとも基本的な数比関係は 2 ヴ), 3 :1 (完全12 度), :1 (完全 8 度, 4 :1 (2 オクターヴ), 1 オクター 3 :2 (完全 5 度), 4 :3 (完全 4 度)の五つだが,もちろんここから調律は複雑な体系へと ( 4 0 ) 発展する。これらの数比関係の基になっているのは自然数の l, 2 ' 3 ' 4 で,合計10 となる 。 完数(それ自身以外の約数の和がもとの数と等しく なる 。 6 であれば約数 l, 2 ' 3 の合計がやはりもとの数 6 となる)の 6 ' 28 なども神聖視きれた( Brumm “‘ Tuning’ the songo fP r a i s e "1 0 4 -05)。聖アウグスティヌスからはこれにカパラ的な数字学( Numerology)も関わってくる 。 すると 3 が三位一体を表し, 4 が四つの福音 書,あるいは四季,四元素,方位,人間の四段階などを指し, 7 が天地創 造の日数を示すといった具合に数字ひとつにも象徴的な意味が付与される ようになる(向上106-07 ) 。 音符には長音と短音のふたつしかなかったノ ートルダム楽派を例にとるならば,短音は長音を半分にするのではなく三 分割にするため,今日から見ると不便なことに同じ短音でも長音の 3 分の l と 3 分の 2 との場合があ っ た 。 なぜ三分割かといえば三位一体を象徴す るのが「完全な」分割法ときれたからである(金津135-37 ) 。 バ ッ ハも数字には凝っていた 。 1745年にへンデルが音楽学術協会で11番 目の会員になったことを受けて入会の意志を固めたバ ッ ハは,それで、 も実 際にはわざと二年間入会を遅らせて, 14番目の会員となるのを待った。こ の理由はいかにも数字を重視したひとにふさわしく,ラテン語でアルフア ベ ッ トを数字に置き換えると BACH は 2+1+3+8 で14 となり,さら にはフルネームを数字にすると 158 で 1 と 5 と 8 を足しても 14 となるから なのである( du Bouchet124 - 25 )問。 14 はかねてから意識きれ,『平均律 クラウ、、 イーア曲集J での最初のフーガ( BWV 846 )の主題も 14 の音符か 。 =二二二==ーー I (譜例 1 2 3 十 56 ワ z q lυ1 I n/J J-1-・ 『平均律クラヴィ ー ア曲集第 1 巻』「フーガ 1 」 BWV846) -340- ( 4 1 ) らなり(譜例 1 ),最後のオル方、ン・コラール『汝の御座の前に,われは いま進み出てや.] ( BWV668 )も最初の行は 14 の 音符,メロディー全体で41 の音符になる(向上)。 『神の時こそいと良き時』 ·( BWV106 )などは歌詞 “ Es i s t d e r a l t e Bund/Mensch,dumuβt sterben”(こは旧き契約の定めぞ,人よ,汝死 なぎるべからず)に使われるアルファベットを数字に置き換えた数と使わ れた音符の数が626 で一致する(イルシュ 193 ) 。 通奏低音に使われる音符 の数をたよりにして『マタイ受難曲.] (BWV244 )に秘められたマタイ伝 と詩編との予型論的対応も発見されている(シャイエ 194 95 )。た とえば 第 2 曲,イエ スが十字架にか け られる日が近いこ とを 告げる場面,使われ る音符の数は 7 である(譜例 2 )。 二E , 、ーーーー刷園町輔.. I1· さ 一ー 1 ' e内 ? T・. J・ .,.ー、a 」包・ I l a r ~ I fClUJ • I.---..,戸、 4 ・& e r 唱。.d /干で=ー一一~1 r• .~ ..・ . , , du • Men.•cl.en ’ Sohn A . , J 7 ・ - uA4J 4 ユ (譜例 2 •ird .I て. u.1 r t .. , .d e , 戸戸 hJ . l wcrキdcn 玄 0 ・ Iler 同・;,d, r . ' ¥ ~ b ヴ 『マ タイ受難 曲 J BWV244 第 2 曲 ) そこで詩編第 7 章 を見ると第 14 節に,あたかも神の子を処刑せんとする人 を指すがごとく , “ Behold, het r a v a i l e t hw i t hi n i q u i t y , andh a t hc o n ュ c e i v e dm i s c h i e f,andb r o u g h tf o r t hfalsehood,,とある 。第 9 曲では,ひ とりの弟子が自分を売ると述べる場面では音符の数が 5 なので詩編の第 5 章を 探すと第 6 節には“ Thou s h a l td e s t r o ythemt h a ts peakl e a s i n g :t h e Lordw i l la b h o rt h eb l o o d yandd e c e i t f u lman,,とな っている(譜例 3 )。 ( 4 2 ) -339- ト』一 .J:.•us ~. ==字二J . .I...ιl , ’ T•hr・ lid\ ,同h ..・ H ~ - c u c h : E ‘- ncr ・ I ~ ! l - ;.,~.,向寸戸吋 mich 市.,・ - . . . . . •I 一一一一一一一一 /F 一一- J- ー 三三~~ ヨ斗 ユ 5 (譜例 3 向上第 9 曲) さらにひとつだけ例を挙げると第 14 曲,イエスが弟子たちに,あなたがた はわたしのために苦しむことがあるだろっが,わたしは蘇るであろうと伝 える場面で,通奏低音の数は 34 である(譜例 4 )。 ー随一「出一民一←」= Jc1u1 ~ l n I_ A. d i e.:,. N•dit . . . . , ,• I~ • +主 dct 伽吋・1 ・ l・ 一 一 I t キ ' ' " '•• ,ーーーーー, " ' " . , . 'p 、~一一一一一ー /.一ーーー • -..'.!x 旬 . . . . . . ・ 守 Eヨ=+ Dcnnォ •tc·hct r c. .d叩‘」xn: 噌’ 一一 4』 一一 ! c h ""・ de d四日H回目、l ・·r•n. 、』』ーーーーー-- 「 ・ . . C . 一 A undd ; . Seit ・・ fc d . , -Her.d e d ’冒・: den •ich 「 z c r - .町 v 温 う = = = - 一=千← ' " : 5 ’41 問。dent。 可,,.,,.. ;.i. ...... WI ・胃・山 ·he, . l l -一 ーヨー ~ill ‘ 8 - 12 .... : .. . i c h•or 四d O•n·1 <・ hen 山 G ・ •Ii ・ ヲο 一 引 . ' 3 ' 2 - . I a /1よ~ 71~ I 1 1.• . , . -3ちーすヰー- (譜例 4 向上第 14 曲) 詩編 34 . 19 にも“ Many a r et h ea f f l i c t i o n so ft h er i g h t e o u s :b u tt h eLord d e l i v e r e t hhimo u to fthemall ”と,同様の内容となることばがあらわれ る。 テイラーの詩に潜む数のからくりも解明されている。まず, Karen Gordon Grube は数字の 7 に注目した。 Preparatory M e d i t a t i o n s ( 1 s t ser. )に収められた作品数は 49 すなわち 7 の二乗で、あるのは偶然で、はな しその証拠に Med. I I . 21 の作品を見ると 7 を「神に選ばれた」数と捉 えていたことが分かる( 23 1 ) 。 ( 4 3 ) EachS e v e n t hDayaSabbathG r a c i o u sWare. AS e v e n t hWeekay e a r l yF e s t i v a l ! . TheS e v e n t hMonthaF e a s tn i g h ,a l l ,r i c hf a r e . TheS e v e n t hYeareaF e a s tS a b b a t i c a l ! . Andwhens e v e ny e a r sa r es e v e nt i m e st u r n da b o u t AJ u b i l e e .Nowt u r nt h e i ri n s i d eo u t . WhatS e c r e tSweetM y s t e r i eu n d e rt h eWing Oft h i ss omuchE l e c t e dnumberl i e s ? ( 7 1 4 ,e m p h a s i sm i n e ) つづいて Ursula Brummは 1980年の夏にベルリン自由大学でテイラー研 究セミナーを聞き,学生とともに作品群の数字学的読解に取り組んで成果 を挙げた。詳しい内容はブラムの論文に譲るとして,ここでは一例だけ紹 介すると,完数の番号に当たる Med. I .28 には 28 にまつわるからくりが仕 掛けられている。作品に使われた語数をブラムがかぞえたところ全部で 252 となり,これは 280 28 であり 28 が意識されているのは明らかである(“ ‘ Tuning ’ the Songo fPraise” 107 )。ちなみに語数の 252 は Bede が計算し た太陽と月との聞の距離252,000 スタディアにもつながる。この距離はち ょうど地球と月との距離の二倍であるとされていた。こうすると二つの距 離の比が 2 :1 つまり 1 オクターヴの比率と等しくなり,音楽は宇宙の調 和を表現すると考えた当時の観念と合致するのである(同上)。 さらに詳しく作品をみてゆくと,いくつかの単語が意図的に繰り返され ていることも分かった。キリストの思寵にあずかる詩人は「器」“ Ves sell ”にたとえられて,次のパターンで繰り返される。第二連“Although I b u tanE a r t h e nV e s s e l lb e e /Convaysomeo ft h yF u l n e si n t omee ” ( 11 -12,強調著者)で最初に現れ,第三連“Although i t si nanE a r t h e nV e s ュ s e l l sC a s e , /L e ti tnoEmpty V e s s e l lbeo fG r a c e "(17-18,強調著者)で は二回使われ,第四連になると“Although I ' m ei nanE a r t h e nV e s s e l l s p l a c e , /MyV e s s e l lmakeaV e s s e l l ,L o r d ,o fG r a c e " (23-24,強調著者) ( 4 4 ) と三度言い換えられ,最終の第五連で、は“ My E a r t h e nV e s s e l lmaket h y Fontalso ”と始まり一行置いて,“ Thy Dropsw i l lonmyV e s s e l lt i n gt h y P r a i s e . /I’H s i n gt h i sS o n g ,whenIt h e s eDropsEmbrace./My V e s s e l l now ’s a V e s s e l lo ft h yGrace ”( 28 30,強調著者)と四回出てくる。 以上を足すと 1+2+3+4=10 で,ちょうどピタゴラスが基礎に据え た四つの数の合計となる(同上109 )。このうち“ Earthen Vessell ”は機土 の塊にすぎない人間の立場にある詩人を表すが,ちょうど地上世界の構成 要素の数である 4 と対応するかのごとく四回使われる。十字架上のキリス トが流す汗はルカ伝22.44 “And B e i n gi nagonyh ep r a y e dmoree a r n e s t ュ l y :andh i ssweatwasa si twereg r e a td r o p so fblood”とあることから “Drop”もしくは“Drops”と書かれてやはり四回繰り返きれる。数字の 4 に対して,ひとの罪を購う神の思寵“ Grace”は七回(選ばれた数)現れ る。罪深きひと,もしくはひとの罪を象徴する 4 と思寵を暗示する 7 を掛け ると作品番号の 28 が得られる仕組みになっている(向上109-11 )。このよ うにテイラーは数字のからくりを仕掛けて神秘の調和を作品に込めたのだ ろうとされる。 神の創造した世界は数字で表現される秩序にもとづき,音楽にたとえら れる調和が成り立っている。テイラーの作品に窺うことができる中世以来 の世界観は,つとにブラムにより指摘され,イエスが演奏家で詩人が楽器 となる構図にも言及がある(向上115-16 )。けれども,ブラムはテイラー の作品に現れる音楽や調和を形而上学的に捉えてはいるものの,アウグス ティヌス以降に確立された宇宙観をそのままテイラーにあてはめただけ で,正統的な音楽観とテイラーの思い描く音楽とのずれ,テイラーの特殊 性には無頓着なようである。じつのところブラムはダンテやスペンサー研 究で成功したカパラ式の読解をテイラーに応用した結果,さいわいにもそ れなりの成果を挙げることは出来たのだが,その方法はまず数字学を持ち 出し,あらかじめ決めた枠組でテイラーを読んだのであり,いささか演緯 的と言わざるをえない。たしかに 17世紀後半には宇宙の調和について体系 化した考えがあったのであろうが,はたしてテイラーの作品群から出来合 ( 4 5 ) いの整った音楽世界が立ち現れるかどうかは,留保を付す必要があろう。 信者にとり聖書は神の言葉であり,解釈するにあたって全編にわたる有機 的な統ーを読み取り神の存在を感得するのも当然で、ある(9)。しかしテイラ ーの作品にまで聖典のごとき秩序を見出したのはブラムの深読みであろ う (1 へなぜなら,詩人は作品をけっして神聖視してはおらず,みずから を調律のはずれた楽器と考えたからである。堕落したアダムの末喬のひと りであるとの自覚から,彼はひとが失った理想の調和をこわれた楽器で追 求した。彼の音楽は形市上の要素ばかりではなく,形市下の側面,あたか も職人が持ち前の勘で楽器をこしらえているょっな手探りの感触がある。 広くテイラ一流儀の錬金術,医学,博物学などを視野に入れてみれば,む しろそうした学問追求の路線に彼の音楽は位置するように思われる。調和 は天上で獲得するのではなく地上で試行錯誤した末にひょっとすると獲得 できるかもしれない一一調和の探求は錬金術に似た試みだったのではある まいか。そこで博物学,医学,錬金術が窺われる作品を通して彼の音楽観 を捉え直してみたい。 3 こわれた楽器 昆虫記のおもむきをたたえる寓意詩“ Upon aS p i d e rC a t c h i n gaFly ” では (11 ),蜘妹(悪魔)のわなにかかった蝿(罪深きひと)が神によって 救われると,突如として蝿はナイチンゲールのように賛美歌を朗唱する。 We ’l N i g h t i n g a i ls i n gl i k e Whenp e a r c h tonh i g h I nG l o r i e sC a g e ,t h yg l o r y ,b r i g h t , Andt h a n k f u l l y , Forj o y . ( 4 6 5 0 ) 蝿とナイチンゲールとではちぐはぐな取合わせに見えるけれども,これは ちょうど日本語でいう「月とスッポン」のようにはなはだしい優劣の差を 表す。地上で人聞が試みる音楽と天上の音楽とはかくも隔てられたもので ( 4 6 ) -335- あるとの認識が窺えよう。堕落したひとの技では楽園を取り戻すことがむ ずかしい。けれども詩人は音楽の追求を放棄しない。蝿に神を賛美させる ストーリーの展開は, Gods Determinations に収められた別の作品にもふ たたび現れるのでこちらも合わせて考慮したい (12)。“An Extasy o f Joy L e ti nbyT h i sR e p l yR e t u r n e di nAdmiration,,で注目すべきは,一方に 永遠を象徴する天上の音楽があり,他方で神の音楽を求め試行錯誤する研 究家の姿が蝿に読み取れることである。ここでもまずは天上の音楽を見出 すことがひとの能力ではきわめて困難で、ある様子が語られる。詩人は「一 万の心をもち,一万倍にしても J “ Had It e nt h o u s a n dt i m e st e nt h o u ュ s a n d h e a r t s "(5 ),さらには「その心がそれぞれ,一万の舌をもっても」 “ And E veryHeartt e nt h o u s a n dtongues”( 6 ),天上の調べのほんの切れ 端を「庖るだけ」“I s h o u l db u tstut”である( 7-8 )。神の楽器たるにはあ まりに「ゆっくりと,ゆるみ,遅れ,無感覚に」“how s l a c k ,s l o w ,d u l l ? w i t hwhatd e l a y "(81 )調律されている。「自然の器具J である喉がうまく 歌声を出せないのは,人間が「木の実をよしとして盗んで食べ,その芯が (中略)喉につまった j “he r o b b i n g ,e a tt h ef r u i ta sgood/WhoseCoare h a t hChokdhimandh i srace”( 53-54 )からである。にもかかわらず詩 人は神を賛美する術を追求し続ける。だからこそ楽器としての詩人を神が 調律してくれるよう嘆願するのである。 Screwu p ,DearL o r d ,upont h eh i g h e s tp i n : Mys o u lt h yampleP r a i s et os o u n d . 0t u n ei tr i g h t ,t h a te v e r ys t r i n g Maymaket h yp r a i s er e b o u n d . ( 7 7 8 0 ) キリストが救いの手を差し伸べて「わたしは,人間の血を清め,あの芯 を,人間の喉から抜きとりましょう J “I’le p u r i f yh i sB l o o d , andt a k e / TheCoareo u to fh i sThroate”( 63-64 )と言われる。語り手は一方で 「わが旅路の果てに(中略)いと美しい調べを,われを忘れてうたおう」“ at myjourney’s end. . .[ Iw i l l ]s i n g. . .I nR a v i s h i n gt u n e smosts w e e t " ( 4 7 ) (89-92 )と宣言し,天上の音楽がこの世では発見できないものとあきらめ ているように見えて,しかしながら他方ではたとえ拙くても,人生の途上 にある詩人は「きれぎれの調べ j “broken notes,,を歌うと決意する。 YetLorda c c e p tt h i sP i t t a n c eo ft h yp r a i s e Whicha saT r a v e l l e rIb r i n g , WhileT r a v e l l i n ga l o n gt h ywayes I nbrokenn o t e sIs i n g . ( 8 48 7 ) テイラーは天上の音楽を想定するかたわら永遠の音調を地上で探求しても いるのであって,音楽はかならずしも彼岸のものとわりきらない。いまだ 錬金術のような神秘のヴF エールに包まれている感は拭えないが,天上の調 律はテイラーにとって学問的な研究対象のひとつとなっている。「もし全 世界が蒸留器の中にあり,その霊[スピリット]を血の汗としても」“If a l lt h eworldd i di nAlimbeckl y , /B l e e d i n gi t sS p i r i t so u ti nSweat"( 9 -10 ),一匹の蝿に神の賛美歌を噛かせることもできない “ It c o u l dn o t h a l f ee n l i f eaF l yIToHumt h yP r a i s e sgreate ”( 11 12 )と語り手は述べ る。にもかかわらず,一匹の蝿が天上の音楽を追求する姿がこの作品全体 に窺える。 不老不死の薬「ミイラ」を扱う作品では,永遠の生命を得る者が,永遠 の讃歌を神へ捧げる。 Med. I I . 40最終部で語り手は“When t h yP r e h e ュ minencedothp l yt h i sp i n , /MyMusicks h a l lt h yP r a i s e ss w e e t l yb r i n g " (42-43 )と自分が神の調律する楽器になることを願う。おなじく Med. I I . 81 でも締めくくりに詩人は音楽を奏する能力が授かるよう祈る“ If I be f e dwitht h i sr i c hf a r e ,Iw i l l /SayGracet ot h e ewithSongso fh o l y skill”( 65-66 )。ミイラから採れる薬“this r i c hfare,,を服用して永遠の生 命を獲得することで,天上の音楽を演奏する力も備わってしまう。ミイラ は薬であると同時に宇宙の調和を発見する鍵ともなっている。 生命の樹に接がれて蘇生する信者を描いた作品も,ほとんどが天上の音 楽を求める詩句で終わる。しかもテイラーは Preparatory Meditations の ( 4 8 ) 第一集よりも第二集になってからのほうが,永遠を音楽で象徴するように なった傾向が強い。 Med. I. では生命の樹を扱った詩が少なくとも五つあ り,そのうち音楽の話題に触れるのは二つであった。これが Med. II. にな ると,生命の樹を扱った作品七つのうち五つまでもが音楽へとテーマを発 展させる。たとえば Med. I I . 16 では,信者が生命の樹へと変身を遂げる ならば主の遣わきれる鳩が枝にとまって天上の調べをきえずるであろうと 想像する。第 49番の作品には奇抜な発想、が見られ,不毛の実にすぎなかっ た信者が生命の樹に繋がれることで娃り,ふくらんだ実が賛美の音を立て る。第 56番にみられるように生命の樹が神の業のたとえとなる場合もあ り,御業によりふたたび実を結んだ信者の樹は賛美歌を朗唱する。ミイラ を扱った第 81番には生命の樹も現れることから,万能薬と生命の樹との主 題が永遠の生命をめぐる探求の同一線上に存在することを示す。この作品 も最後に音楽の話へ移るのでやはり調和の発見が錬金術の延長にあること が明らかとなる。神との合ーを調和で表現する第 113番では,キリストに よってひとと神とが「共鳴」すると“Godhead, andManhoodharmonize h y i nt h e e "(44 ),イエスは樹の根へと変わりひとは枝と化し“ Make met h yGrace b r a n c h ,bet h o umyr o o tt h y s e l fe”( 50 ),ここにおいて“ let t r o o ti nmyheart”( 51 )と主の恩寵が信者の心に「根ざす J 。合ーの境地 にある生命の樹からは甘美な調べが流れる“ My s w e e t e s t musick s h a l l t h yp r a i s ed i s p l a y " (54 )とあるところからも,生命の樹を獲得すること がやはり天上の音楽へ参与するための手段であることが分かる。 テイラーの詩において音楽は永遠の象徴であるとともに,医学や錬金 術,博物学とおなじく永遠の生命を探求する学問でもあった。ちょうどネ オ・プラトニズムの世界で大宇宙と小宇宙とが共鳴するように,テイラー の音楽では形而上的な天上の調和と形而下にある神の楽器・詩人とが共存 する。彼は理論的に数字の神秘を表現しただけではなく,詩を編むことで 天上の音楽を獲得しようと試みた。幅広い(疑似)科学への好奇心に支え られ,言葉と宇宙とを結ぶ神秘の詩学を模索したテイラーは,『ユリイヵ』 ( 4 9 ) を構想した詩人であるポーを努髭とさせる。 Austin Warren は同時代の 形市上詩人とテイラーとのイメジャリーの用法は異なるとして,彼の作品 を「植民地のバロック j と定義した。バッハのカンタータのように聖書の 詩句を宇宙の調和で表現しようとしたエドワード・テイラーの作品は,ま さしく言葉で書かれたバロック音楽であり,詩人は自身を神の楽器と化し て荒野の賛美歌を演奏していたのである。 }王 (1) テイラーの園芸知識に関しては, C.R.B.Combellack, heick および Alan B .Howard William J . Goュ を参照。 (2) 当時の医学と錬金術とは分かちがたく結びついており,たとえば万能 薬は治療の目的から見るならば医学の範時に入るけれども,調合の探 求でもあるのだから錬金術と見なしでもよい。テイラーの作品に現れ る万能薬に関しては, Joan D e lF a t t o r e ,KarenG o r d o n G r u b e ,C h e r y l Z .Oreovicz らの研究がある。 (3) DonaldE .Stanford は作品を New Y o r kHistoη に公開した。これを 受けて Lawrence L anSluder は同事件をめぐるテイラーの博物学者ら しい側面に注目し,詩作品の全般からも観察者の姿勢が発見きれるの ではないかとして再考を促す。テイラーの孫でイエール大学学長を務 めた Ezra Stiles は祖父の遺稿を発見してアメリカ古代巨人説をとなえ E .Lutz を参照。 S .G r a b o ,e d . , Edward Taylor ’s T r e a t i s eC o n c e r n i n gt h eLord ’s Sゅper ( M i c h i g a nS t a t e ,1966 )およ び Thomas M .andV i r g i n i aD a v i s ,e d s . ,EdwardT a y l o rv sSolomon B o s t o n ,1981 )。 Michael S t o d d a r d :TheN a t u r eo ft h eLord ’s Suρρer ( た。スタイルズに関しては Cora (4 ) 資料には次の二点がある。 Norman Colacurcio が 1967年 American Literature に優れた論文を発表し,こ B l a k e , 80年代に J. D a n i e lP a t t e r s o n , GeorgeS e b o u h i a n ,90年代に入っても Carol M.Bensick らが議論を続 れを受けて 70年代に Kathleen ける。邦文では,三宅晶子『エドワード・テイラーの詩,その心』(す ぐ書房, (5 ) ( 5 0 ) 1995年), 4 0 49ページに明瞭な説明あり。 A . Hamュ mond,“A P u r i t a nArsM o r i e n d i :EdwardTaylor ’S L a t eM e d i t a t i o n s e t e r a t u r e(1982/83 )を参照。 ont h eSongo fSongs,” Early AmericanL Hammond による“ The B r i d ei nRedemptiveTime:JohnC o t t o nand t h eC a n t i c l e sControversy,” The NewEnglandQ u a r t e r l y (1983 )は 詩編解釈における John Cotton の影響については Jeffrey コットンの神学を理解するのに有益で、ある。予型論をめぐる Samuel Taylor E x e g e t i c a l l y : The P r e p a r a t o r yM e d i t a t i o n s and t h e Commentary Tradition,” T e x a sS t u d i e si nL i t e r a t u r e and Language (1982 ),および John C . Shields を見よ。 Increase Mather とのつながりについては Karl K e l ュ Mather との関係では, Hammond,“ Reading ler の言命( 1978 )がある。 (6) 「生命の樹」はエジプト,アッシリア,ギリシャの古代神話や聖書など にあらわれる。テイラーの作品に関しては, Ursula Brum,“ The ‘Tree o fL i f e 'i n Edward Taylor ’s Meditations,” American L i t e r a t u r e (1968 )で注目され,その他 James B ray ( 1 9 7 4 ) ,C e c e l i aH a l b e r t (1966)らの論文でも扱われた。こんにちではテーラー研究の基礎事項 となり,様々な研究で幅広く取り上げられる。 (7) 詩の引用はすべて The Poems o f Edward T a y l o r ,E d . Donald E . Stanford からおこなう。なお作品名は慣例に従い Priゆaratoη Medita t i o n s( 1 s tser. )を Med. I. とし, 2nd s e r i e sは Med. II. として,その後 に作品番号を示す。引用した詩句の行数は丸カッコに入れてあらわす。 (8) 引用は邦訳による。 (9 ) 詩に関して抱かれる「幻想」には主として四種あると Harold Bloom は言う。詩は真実を伝えるとする「宗教的迷妄J,統一性を備えると考 える「有機体説的迷妄j ,一定の形式を持つととらえる「修辞学的迷 妄」,ならぴに意味を創出するとみなす「形而上学的迷妄」である (121-22 )。 ( 1 0 ) 「深読み」については Umberto Eco を参照。 Boyce A l l e n( 1 9 7 0 ) ,HartmutB r e i t k r e u z( 1 9 7 1 ) ,LynnVeachS a d l e r( 1 9 7 3 ) , R o b e r tS e c o r (1968 )らがつぎつぎと試みた。 ( 1 2 ) Gods Determination には三宅晶子『エドワード・テイラーの詩,その ( 1 1 ) 1960年代末から 70年代初頭にかけて,この詩の解釈を Judson 心j (49-192 ページ)に邦訳がある。この訳から引用した部分は鍵カ ッコに入れて示した。 B i b l i o g r a p h y A l l e n ,J u d s o nBoyce. “ Edward Taylor ’S C a t h o l i cWasp:E x e g e t i c a lC o n v e n ュ t i o ni n‘ Upon aS p i d e rC a t c h i n gaFly. ’” English LanguageN o t e s7 . 4( 1 9 7 0 ) :2 5 76 0 . B e n s i c k ,C a r o l M. “ Preaching t ot h eC h o i r : Some Achievements and S h o r t c o m i n g so fTaylor ’s God ’s Determ仇αtions. ” Early American 8 . 2( 1 9 9 3 ) :1 3 3 4 7 . L i t e r a t u r e2 ( 5 1 ) B l a k e ,Kathleen. “ Edward Taylor’s P r o t e s t a n tP o e t i c :No n t r a n s u b s t a n t i a t ュ i n gM e t a p h o r . "AmericanL i t e r a t u r e4 3 . 1( 1 9 7 1 ) :1 2 4 . Bloom,H a r o l d .K a b b a l a handC r i t i c i s m .NewY o r k :C o n t i n u u m ,1983. 『カ パラーと批評j (島弘之訳),図書刊行会, 1986年。 B r a y ,James. “ John F i s k e :P u r i t a nP r e c u r s o ro fEdwardTaylor. ” Early AmericanL i t e r a t u r e9 . 1( 1 9 7 4 ) :2 7 3 8 . B r e i t k r e u t z , Hartmut. “ Motif and L i t e r a r y Genesis. ” English Language N o t e s8 . 4( 1 9 7 1 ) :2 6 7 7 9 . Brumm, Ursula. “ The ‘Tree o fL i f e 'i nEdward Taylor ’s Meditations. ” AmericanL i t e r a t u r e3 . 2( 1 9 6 8 ) :7 2 8 7 . 一一.“‘ Tuning’ the S ongo fP r a i s e :O b s e r v a t i o n sont h eUseo fNumbersi n EdwardTaylor ’s P r e p a r a t o r yMedit at ions. ” Early AmericanL i t e r a ュ 7 .2( 1 9 8 2 ) :1 0 31 8 . t u r e1 C o l a c u r c i o ,M i c h a e lJ . 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