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2012年12月 国土研創立50 周年記念講演会&シンポジウム

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2012年12月 国土研創立50 周年記念講演会&シンポジウム
国土研創立 50 周年記念講演会&シンポジウム
2012 年 12 月 15 日
レジメ集(完全版)
目
次
記念講演
わが国における第二次大戦後の水害と行政
高橋
裕
1
いいまちづくりが防災の基本
片寄俊秀
5
国土研の設立について
上野鉄男
17
国土研の調査活動と三原則
奥西一夫
19
国土研が実施した治水・ダム問題調査研究活動の概要
中川
学
25
水害(ダム問題を含む)
新川
伸
33
50 年の国土研調査を振り返って
基調報告:国土研の創設と近年の活動について
最近 20 年の国土研調査の総括
道路問題における国土研活動の沿革,意義および今後の見通しについて
大豊英則
35
工事災害
浜辺友三郎
39
再岸にかかる活動
開沼淳一
43
開発と地盤の問題
米倉
満
45
岡田
隆
47
静岡県営太田川ダムに発生した上流側経年変位
岡本
尚
49
紀伊丹生川ダム中止から 10 年
森下
健
51
広島高速 5 号線二葉山トンネル建設計画の問題点
竹村文昭
52
「荒崎水害訴訟」の現状
安保千春
53
安威川ダムについて
畑中孝雄
55
国土研と長野県戸川の治水問題
五味春人
56
情報公開制度の拡充を(淀川左岸線)
廣瀬平四郎
58
住民団体からの報告
武庫川ダムのたたかいを振り返って
わが国における第二次大戦後の水害と行政
高橋
裕
1.大水害頻発時代(1945~59)
1945 枕崎台風
食料危機:広島
1947 カスリン台風
東京東部,一関市水没
1953 北九州梅雨豪雨
筑後川,白川など
1954 洞爺丸台風
台風の進路予報→海難審判
1958 狩野川台風
東京,横浜→都市水害の始まり
1959 伊勢湾台風
死者 5041 人,直前数年の開発が大災害の原因
工業開発,地盤沈下,木材需要の増加
この 15 年の大水害頻発は,マスメディアも行政も未曾有の豪雨が原因と報道した。
水害を拡大したのは被災地の不適切な土地利用:“地図は悪夢を知っていた”(中日新聞)
明治 29 年以後の治水政策に潜む構造的原因-連続高堤防治水方式の矛盾
2.水不足時代(1960~72)
1964 東京の水不足(東京オリンピックの成功の陰に),日本橋が高速道路の下になる
クルマ社会,高速道路,都市景観の破壊,都市河川の地下化,
なぜ利根川のダムを早く建設しなかったか(マスメディアの攻撃)
1959~72 下筌松原ダム:蜂の巣城の攻防,本格的治水裁判
ダム反対は非国民
当時の官僚の常識
国立大学教授は国策に反対すべきではない
佐久間ダム(1956 年完成)の輝かしい成果の頃からダム・ブーム時代に入っていた
産業構造の急変,都市への人口集中,都市化と都市水害の頻発
3.治水の変質と水害訴訟(1972~92)
1972 梅雨前線豪雨と水害訴訟
大東水害と最高裁判決
水害訴訟,加治川破堤(1967)
1974 多摩川,
1975 石狩川,
1976 長良川:3 年連続の超一級の河川の破堤
都市水害頻発と都市治水の変質
1977 都市河川の総合治水対策
多摩川水害訴訟(1974~92)
1
多摩川などで環境団体と河川行政の対立
一部の行政の言い分:“人間と鳥とどちらが大事か?”
1982 長崎水害とクルマ社会
死者行方不明 299 人
クルマ被害 2 万台以上
坂の街の氾濫,情報化時代の水害
4.河川環境重視時代(1992~現在)
神奈川県西湘バイパスが 1km にわたって崩壊(2007 年)
高知県仁淀川支流波介川に初めて施工された穴太積み(大津市坂本の古来工法)の護岸
2
海岸侵食防止のための離岸堤(河川の流出土砂が海岸を養っている証拠)
1970 年代
水質悪化,生態系破壊
1990 年代
多自然河川工法の適用
長良川河口堰反対運動
1997 河川法改正
1999 広島などで土砂災害
への対応
2000 東海豪雨
2000 土砂災害防止対策推進法
2003 特定都市河川浸水被害対策法
河川法改正以後,流域委員会
まとめ
・水害は社会現象:社会が変われば水害の質は変わる
・水害と土地利用の密接な関係
・治水は本来総合的:省際的,学際的であるべき
・水害は地域性,歴史性が顕著な災害
以上の認識に立たない限り,水害の質的変化,大規模化が憂慮
気候変動は,島国日本,臨海部開発に依存してきた日本にとって重大
強雨頻度増大,猛烈な台風襲来
高度経済成長以後の土地利用変化は治水にとって難問
防災立国への道
災害大国にふさわしい国づくりの樹立こそ東日本大震災の教訓
3
4
いいまちづくりが防災の基本 2012.12.15 片寄俊秀 かたよせ としひで
国土問題研究会設立50周年記念講演レジメ 大阪人間科学大学侍任教授 国土研副理事長
1 ある土木技術者との論争から
「三面張り水路」誕生の経緯・「区域内最適設計」の追求が「区域外」にもたらすもの・技術は決
して「中立」ではない・巨大事業による「問題すり番え」のカラクリ・技術はしばしば退化する・
知恵と工夫と無縁の「マニュアル技術者」問題・災害拡大要因としての「エセ技術」と「エセ技術
者」・盲目的な技術体系との決別・「いいまちづくり」の技術展閑と技術者の育成は急務の課題
2 アーチ石橋に魅せられて
町衆が育てた技術と芸術の結晶「アーチ右檎」。長崎では、観光・町並み保存・水辺の復権・防災・
商店街問題・むらおこし・まちづくりの総合的な研究に取り組む。水害の修羅場で『災害論』(佐
藤、奥田、高橋共著)を再読し「災害の構造は:素因・要因・拡大要因」の有効性を確乱「計画
高水流量の逆算で確率年を住民決定」提起。中島川眼鏡橋現地保存には「成功」、鹿児島は不成功。
3 大災害多発時代の到来
日本および世界各地で多発する大災害。災害の様相は大きく変化してきた。人口と資産の超集積、
人間関係の希薄化、高度機械化、車社会化、少子高齢化、あげくは原発事故、そして今後激増が予
想される老朽インフラ事故‥・とはいえ、『災害論』が指摘した「災害は弱者(経済的、身体的)
に厳しい」と「防災の要諦は災害拡大要因の根絶にあり」は、世界共通の課題。
4 防災の基本:「いいまち」だからこそ、守りたい!
人それぞれの「いいまち」がある ‥・とはいえ、命あっての物種!
災害とは、発生の瞬間から時間の経過のなかで被害の様相が変化し、底知れず広がっていく事象
「しのぎ」の防災システムと「防災」+「ぼうさい」の二段構えでの対処の必要性を提唱
ソフトとハードの巧みな組み合わせ、「防災シェルター」の配置
「ぽうさい朝市&昼市ネットワーク」‥・
「災害に軌、人間」が増えてきた・楽しく充実したキャンプ場を「防災施設」として整備しよう!
5 いいまちづくりに向けて わたし自身が抱えている課題など
「花鳥風月のまちづくり」「下町商店街の賑わいと安全で楽しい水辺と自然の復活」「諌早湾復活」
「危険一杯の木造密集市街地問題」‘道は狭いが人情は厚い,雰囲気を保ちつつ、安全度を徐々に
かつ格掛こ高め、しかも積層化し経営的にも実現可能な「いいまちづくり」、これ難題中の難題!
6 国土研への片想い?!
権力に追従せず、つねに軌、側「される側」に立つ、吸い心と力量ある研究者、技術者、助っ人の
集臥決して指導者や先生ではない。主人公も知恵の源もすべて地域の方々である。われら名利を
求めず、与えられた場で力の限り知恵と腕を振るい、やがて忘れられ野垂れ死にするのが本懐。範
は黒澤明の「七人の侍」!「国境なき医師団」「原子力資料情報室」「ペシャワールの会」・‥
∫
図1地区内の最適設計は地区外の最不適股計
「技術」は決して中立ではない
瀞線 輪塔内t議鰐鮒の追及が機慮外木の親水湾生を犠未琶罷メ凝二荒ム
謂無
図2 ニュータウンの下流部における
河川改犠状況
(上)図4 ニュータウン計画を律したrペイとモデルの
倫理」の関係
(下)図5 ニュータウン成立条件追求の憺理の全体構造
き
∴、 ̄…十 ̄ ̄■、■ ̄■・\.,
幽魂隠‘ふ本木 棚減の漁獲
㌦∴巨J
棚牌、′・一・一■、、−−\.捕糾せ
′ノ 泌迩 \ヽ
蝉嶋疇
図3 山田川改修工事断面図
蜘ゆ毎蒜練瀾棲
(安戚川合流点690m上流地点)
僻濁螺
図6 NT成立のための物賞収支と新規大規模開発プロ
ジェクトによる地域的収奪関係
工†・▼it一一1■t力・力右
ミヱネ梱れ。き●エ組軒減篭
当∴ ▲〆㌦〆
博叫・′下せ
占
鮎簑
「防災」+「ぼうさい」の構えで
まつりも野外キャンプも、金でがrぼう k 叫抑勤
災書は「3」がキイワードとされる:
き秒 3分 3時間 3日 3過 き月 3年・暮雷
<自助> <共助> <公助>
1 霊 鼻
◎発雷発生そのとき(生死を分ける甜■}3時間〉
⑳ 牧聯着までく3嘲 ′〉 3日)
◎人間らしい暮らしへの希求(38・〉 3週)
◎ 安定貯な生藷捜浮を求めて(3遥 ′〉 3月)
◎ 僚設捉まヽ、かもの脱強く3月 ′〉 3年)
ソフトとハードの巧みな組み合わせによるrしのぎ」の防
図 森は海の恋人、川は姦しいデートコース
災システム
西宮市内のある保育園のすぐれた設計思想ト級建築士 嘲石勝
之氏の設計)
ハ_ぎフトしないト▲__……一箪…日.__.▼.する
r災睾シェルターjの機能をもった民間施設 みんなのこどもを
つくらない 甘受一一一一……−…−【しのぐ▲=一一…一一受け流す
▲ 厳
みんなで育てる「ゆめっこ保育園」
建築時防炎システム
郎 ゆめっこ僅首鼠の計画(新たな課頴)
1.番市の弟子と地域の生活く暮らしをしたてる出会いの蟻に)
扉 個錮豚「 ̄蒜嘉五誌 ̄盲
こ都市の塑性設計;・
「施設jから「いえJへのイメージに近づける
策 馴対策逐攣鱒設計上鮒治水
あたたかい、親子がはっとする空間づくり(子育ては現育て)
子どもの痛ましい事件の多発(子育て支援)
2,阪神議路大震災の強教潮は生かす
,転壷 品孟去宝憲こ妄言 つくる 全体対策 部市全体の安定化
絶対に壊れない建物
児童福祉施設最低基準(保育所は子供を守ってこそ、大人は救援活動に動
▲瓢市防災のソフトテクノロジー(片寄1993)
ける)
三日乳水無し、火攻めにも飼える施設設備に
3.地球環境間幾への取細み
「災害シェルター日防災かけこみ判の適切な配置の捷
案 片寄1982
稲石氏投射の保育園にわは京都市内)
傭人の努力が人とまもを守り、育てる
7
私硯
王り,これまで作り上げてきた技術の体系そのものを変
盲目的な技術体系への
根本的な反省か必要
え,そのために社会の仕組みそのものを変え.そして何
よりも、それを先導しサポートする学問体系の本格的な
措造転換をはかることから始める必要がある.およその
イメージとしては.土木.建築.造園などの工学分野に
片寄俊秀胸曲油閉脚睨
軸まで∴盤繁華,歴史学∴文化人類学,生活科学,経済・
現在のわが国における土木技術の体豹軋基淘桝こr積
経営学.項壌芸術,デザインその他の技術,学間.芸術・
み上げ型」であり,土木工学はそれをサポートする形で
創造活動と融合し稔合化して.根底にどのようなライフ
発展してきた,という認識をもっている.都市建設を支
スタイル,生活空間.地球環境を作るべきかについての
えるもう2つ、建築お上び造園の技術の体系が,どちら
哲学をもったr全体像先行型」の津毅技術の体系へと大
かといえば「全体像先行型」であるのとは,かなり対比
きく転換ないしは捨合化する必要があると考えている.
約であるように思う.そしてわが国の土木技術は.その
もはや土木だの建築だのとセクトに閉じこもっている時
発展の過程において.いつの頃からか.積み上げたあげ
代ではないことは青うまでもない.
〈が.どこに向かっていくかわからぬまま.ひたすら積
先臥 静岡県掛川帯で開かれたr白熊環境復元シンポ
みよげ,ひたすら工事をするというやり方で大発展を遂
ジウム」(主催:自然環塊復元研究会)に出席したとき,
げ.わが国の津々浦々にまで,組織とお金と政治とそし
パネラーの中心が植物や動物に造詣の深いナチュラリス
て技術の仕組みががっちりと組み合った体系が出来上
ト系であるのに対して,満員の聴衆のかなりの部分が.
がってしまった,と見ている、
土木系のコンサルタントや役所の人たちであり.近自然
この根底に.土木工学の学問としての発達の末熱さが
工法やエコアップ工法でホタルやトンボの住める川や沼
か1.とくに哲学が欠落したまま,この体刑に追従して
づくりを進めたり,なつかしい自然景観を復元する技術
きたこと−つま翫 この経過を科学的にチムックし,批
の習得に憩い関心を飽いておちれることに亨ある感慨を
判し.転換を遵めていく勅さを内部から盛り土ぼること
覚えた.従来の土木体系の盲自性と哲学の欠落をかねて
ができなかったことがある.つまり.地球環墳破壊を進
から批判し.あるべき方向を真剣に模索してきた業界,
め.人間の住めなくなる環境づくりを盲目的に進める動
学会内外の一群の人たちの,少数ではあるが懸命に積み
きに対して,そのような方向を構造的に転換していくた
重ねてきた努力の一端がようやく世に受け入れられはじ
めの理論的支柱たるべき学問としては,土木工学はほと
めたのだなあ.という時の移り変わりを知ったわけであ
んど有効に機能することなく今日まで来てしまった.と
るが.同時に新しいビジネスチャンスの存在を察知した
いう厳しい見方をしている.わが国の工学はすべて同様
すばやい動きがそこにあることも知り,反面.少しばか
に未熟な発達段階にあると嘗えるが,ただ.土木の場合
りうそ寒い感じも受けた.皮内っはく言えば,これまで
は,登紙や帝境の不可避的な改変を二次元取三次元的
三面コンクリート張りでがちがちに固め.むやみに埋め
に巨大なスケールで進める分骨であるだけに“罪けが重
立てて鼻たそれらを,今度はもう一度もとの姿に作り最
いと言えようか.
すというのであるから「往復で儲かる」この仕事の前途
したがって,“教育”をする削こその資格があるか,
は洋々たるものではあろう.
という間覇をまず真剣に問う必要がある.と考える.つ
しかし.間組解決の糸口がほのかながらも見えてきた
ことは事実である.それだけに従来の土木業界,学会の
い?大学時代にまともな土木教育を受けなかった彼らの
流れの延長上にこの動きを位置づけてしまったのではい
陛代が,今いちばん現場で土木体系の矛盾に慎み,考え
けない・それではどうせ二七物しか生まれてこないだろ
ているな.と見ている.思い切って彼らにすべてを重ね
う,という気がする.古い体質を払拭するため槻大な
ることから新しい道が向けものではないか.自戒を込め
連動展臥土木のペレストロイカが必要なのである.で
軋 どこから進めていくべきだろうか.今,期待で垂そ
うだなと感じているのは,あの大字紛争時代に育った人
コ’言主筆=…:≡≡≡…≡≡;≡≡三三…書も
たちが.社会の中堅ところになぅできたことである.率
1991.3 vol.76「21世紀に向けた土木教育J特集号 土木学会誌
土
㌢
●1990年当時、県や国の土木行政担当幹部らと激しく論争したあと、「眼鏡橋現地保存」で、ある種の
決着がつけられたが、どうにも割り切れぬ思いでいたところへ、会員になっていた土木学会から「21世
紀に向けた土木教育」特集への寄稿を頼まれた。
莫大な公費が投じられる一方で、もっとも大切な「命を守る」仕組みが全く進んでいない「激特事業」
の矛盾とそれがもたらす「まち破壊」の進行。この流れに、ほとほと頭に来ていた所であり、ほとんど
喧嘩を売っているようなぶっきらぼうな調子で書いた上記文章であったが、最近ネットで検索してみた
ところ、氏名不詳の方がプログに次のような共感の意見を寄せられていたのを発見して意を強くした。
<某氏のプログより>
土木の将来についてなど、みんな転換期を感じて考えている。その中で、長崎大学の片
寄氏の厳しい見方が出色だった。いわく「土木工学には哲学がなかった」ということ。土
木、建築と分離するのでなく、もっと幅広い経営、経済学まで含めた視野に立った学問を
目指すこと。など核心に触れた批判を述べておられる。
土木学会誌別冊増刊「21世紀に向けての土木教育」1991.3月号Vol.76の中の
長崎総合科学大学工学部建築学科教授、片寄俊秀氏の論文「盲目的な技術体系への根本的
な反省が必要」に土木工学の問題指摘がなされている。
1.土木工学の学問としての発達の未熟さ。
2.積み上げた挙句が、どこへ向かっていくかが判らぬまま、ひたすら積み上げ、ひたす
ら仕事をするというやり方で大発展をとげ、我が国の津々浦々まで組織とお金と政治とそ
して技術の仕組みが、がっちり組み合った体制である。
3.哲学が欠落したまま、この体制に追従してきた。
4.この経過を科学的にチェックし、批判し、転換を進めていく動きを内部から盛り上げ
ることが出来なかった。
5.地球環境破壊を進め、人間の住めなくなる環境づくりを盲目的に進める動きに対して、
そのような方向を構造的に転換していくための理論的支柱たるべき学問としては、土木工
学は殆ど有効に機能することなく今日まで来てしまった。
6.工学の中でも、土木の場合は空間や環境の不可避的な改変を二次元的、三次元的に巨
大なスケールで進める分野であるだけに、”罪”が重い。
7.学問体系の本格的な構造転換をはかること。
8.イメージ(新しい土木の)。土木、建築、造園などの工学分野に加えて、生態学、
歴史学、文化人類学、生活科学、経済、経営学、環境芸術、デザインその他の技術、学問、
芸術創造活動と融合し、総合化して根底にどのようなライフサイクル、生活空間、地球環
境を作るべしについての哲学を持った「全体像先行型」の建設技術の体系へと、大きく転
換ないしは、総合化する必要がある。
眠い目をこすりつつ、この引用文を抽出した。後は週一回は現場を見ることで知ってお
きたい。
7
れ﹁スッポンの平尾﹂と相手側から恐れられた。−誓這年に国土問痘研究
平尾広春着﹃貫いた人生﹄光陽出版社皆毒所収。大分市議を長く務めら
−器は年可月は日の長崎大水害の現場で、﹁災害はあとの復旧復興の段
高橋裕著﹃川と国土の危機 水害と社会﹄岩波新書等−N所収
叢蜜に歪三豊毒素⋮意義墜叢解完警灘叢寒心に窯兼
慧譜が慧腎、狭霧寒心に歪警官、馨産業莞空合姦した。
蒐寒河濃で墓雷石逝壷ア哀憐威駕﹂は二九書警園芸葦芽に緒
警告い宗、窟還奪義反撃姦水音羞い芸者急が警い著を呼
蓋穂が莞鷲莞に濠も嘉叢ち、せぐ讐最中叫
翌朝畢V、丹毒発溌僻整蒸篭準教授薫峰蒜姦なか畠檻都が空冤﹁申轟川の
厳鳶職の等充
で、電話だけがときどき通じるという状況のなかであった。
切って高橋先生のご自宅に直接電話させていただいた。当時は停電
階でまち壊しが進む﹂と直感し、一刻も早く先手を打たねばと、思い
童
会で取り組み、大きい成果を挙げた事例である。
悪
東野群の広範な九日憾鵜地帯から凍番をなくし、嚢条な鵜づく坤をすずめるために、
完苦慮を守る垂の書式簑登に塙カし芝たださ、邸門数をし芸調整
をお願いし竃このときめ瀞渡籾は*絆容渾教授孫巌ぺ狩野俊簿先生と嘉富怨を
守る垂の整斉で構成暮れた。木村登教授は詞丑珊葛餅兜食違等我で環壌地学がご
専門.片野葦生は長将総葦東学の教授を務め、器帝王単がご軍門雪匁聾笠貢
として千里ニュータウンの闊発に従事してこられた方だった。
調査団は台嵐のたびに遊客をう相でいる現地考開発が離礁睾丸でいる上流の出様や、、、
空曹、義挙に撃た。号のうえで、葉獲琴三井建設−苦塩などの奄地豊
計馨にもきき、山林の伐凍誓義博蝉未発の蜜偲、銀曹洞の籠下能力などを桟討し
たヵその葉によや、環状のまま上線め署認めれば畢茶壷を招くと苦し、暮
川の改樽とこれに注入する雨水貯鼠の漉鋼を優先するよう提言した。
路が連投された。初めて文化財保護と清水技術の両立が議論された。以経の文化財と新たなイ
して眼銀楕保有の意喪を力脱したという。その結果、憶は現地保存きれ、橋の湖岸に地下放水
県はこの水毒輿の義金を設け、半年にわたって構諭した。片寄救経がしばしば代理出席
佗道であったが、それが当時の公賓の常識であったに追いない。
それを蘭いた同行の国家公務員は、その晩を敵地した方が良くはないかといたく心配していた。
マスメディアでは、当時東大教授であった張音が桁の現地保秤を主張していると伝えていた。
からも賓当であると考えていた。
ぇ是た三方、河岸澄、撃蛮呼望うに、警棒警素敵蛮慧よ還輝の慮
完凡毒、持碁雷、完⋮蒜暮蒜地簿の鰐詫Vな言い残警重た
警悪書富新窓梁警しで靂蒜碧学に蒙時男パイ意義る靂誓
年当時としては治水の正攻法であった亡
鰊業を莞恕評には・や皆盛莞塞ア妄欝祭真率これが禁を
警止め要塞警吏と与川から誓叢遠くの撃志に叢鼻毛差は老
約1錨 社告とともに教わ各州
ンフラ連投との両立へ誓轟いた虚無は大きい。
/ここ
専門家の粁学由な榊篭にもとづく投首を、マスコミは大きく報道した,
こうして倖吾川慮惰腱先の世漁が広がるなかで、大迫、鵬春日・田篭など鶴雷−うけて
いる曇から護藩銅の改憲最、健青銅の改修が終わるまで上流の額発嘉河しない
で﹂という純情欝が大分県と大骨市に出されたn
羞 妻 に 震 載
答弁のなかで明らかになったのは以下の四点である。
①任せ川の改修が終わるまで上濱の開発を藤村しないということを大分市が公式の場で
はじめて表明したこと。
③住募集地蛾の祈水、♯水の根幹である住香川の改柵完了計画が大樽に早くなった。
劫紺発にとも晋下艶の河川藩や排水を環の掌を闊薯が︼立憲するルー紗
こうして私たちは.住民の羊求糠決に大きく貢覿することができた。
城で住民の生食・財産を守り、大分市の安全な街づくりをすすめることができたこと。
④住書川の河川改曹優先したので、説破の胃春日、大道、閏隻など広畿な永富常襲鶴
を、大分市がはじめてつくったこと。
<記録に痍されている、数少ない国土問題研究会会員としての活動事例>
く蓮如旅軒サー巧明けt抑7月〉
シリーズ ー 地域つくりに想う
な歴史性をもつ町においては、その個性ある景
。口癖鹿野◎配告ぎ≪診篭防発⑳文化化皿
〝一病息災″という言葉がある。一般には身
まちづくりにおいてもそのような発想をすべき
う積極的な生きかたを追求されているように、
人がよく″痛いを友として明るく生きる〟とい
はきわめて弱い都市構造になっていることには
る。もちろん長崎が地形的な制約から、災害に
ャンペーン的な運動にも参加してきたからであ
かつ学生や市民とともにその実現にむけてのキ
観を大切にしながら現代社会に適応するまちづ
場合がしばしばあるのではないか、というのが
気づいており、とくに大水害発生の可能性につ
に一つの病をもっている人の方が達者で長生き
本論の趣旨である。つまり、町のなかに、ある
いてはしばしば警告を発し、河川の一年間の定
くりを進めるべきであると、かねがね主張し、
不都合があった場合︵ここでは水害に弱い都市
点観測をやったこともある。しかし、それに対
する、という意味に使われており、痛い持ちの
の例をあげている︶、それを切開手術で取り除こ
災害が発生した直後、二〇〇人近い犠牲者、
する具体的な方策を提言するに至るより以前に、
合においては、わずらわしいけれども、その不
数千億円にのぼる被害を出した危険都市長崎は、
うとしても、患部が転移するだけで、下手をす
都合さを抱え込んだまま上手につきあっていく
この際抜本的な都市改造を行なって、二度とこ
災害はやってきたのであった。
方策を考えることが良いまちづくりにつながる、
のような悲劇を生まない安全都市として蘇生さ
ると事態がより悪化する可能性が強いという場
という考え方である。
せなければならない、と誰しもが考え、そして
努力をすると公言し、約束した。事実、その後
現地入りした政治家たちもそのために最大限の
一九八二年七月に長崎が大水害に襲われたと
長崎には数百億円にのぼる公共投資が集中的に
㊥大水害の現場で考えたこと
き、わたしは現地在住の都市計画・環境問題の
行なわれた。
その渦中において、わたしはこれは危ない、
研究者として、ある意味で剣ケ峰に立たされた
と感じた。というのは、長崎のような世界史的
私・の・捜・言
長崎総合科学大学教授片 寄 俊 秀
▼1982年7月22日長崎水害のシンボルとなった眼鏡橋の惨状
が魅力であり、かつ観光都市としてそれが人を
いちはやくキャンペーンを張った。歴史的環境
結果として町破壊が起こる恐れがあると考え、
い言葉を背景に大規模な土木事業が進められ、
安全のための抜本的な都市改造という一見美し
不可能な面が多い。じたばたしてもかえって事
災害に弱いので、これを押さえ込もうとしても
かなり無理をしてつくられた都市は、構造的に
であった。また、長崎のような海辺の谷あいに
的達成が必要である﹂というのがわたしの意見
その後長崎に投入された膨大な公共投資は、か
否定できない、というのが実情である。つまり、
たたびほとんど同じ程度の被害が出る可能性を
たあれほどの規模の降雨があったとすれば、ふ
どうか、である。わたしの見るところ、今度ま
ことによって、はたして町は安全になったのか
おいて、この町がもっていた珠玉のような都市
態を悪化させる可能性があり、むしろ自然の猛
徒手空拳のわたしにできることは、マスコミ
景観や歴史遺産の多くはあえなく破壊されてし
惹きつけている長崎においては﹁大規模な都市
に自分の考えをなんらかのかたちで発表するこ
まったのである。何のために何をやったのか。
んじんの問題の解決にはほとんど資することな
とぐらいしかなく、土砂くずれで不通になった
現在の災害復旧・復興の仕組みからはこうなら
威と上手につきあう仕組みをつくることこそ真
道路を歩いて山越えして原稿を新聞社に持ち込
ざるを得ないと、当初からこの事態を予測し、
改造ではなくて、ソフトとハードの巧みな組み
み、幸いそれは被災一週間後の地元の長崎新聞
なんとか軌道修正ができないかと発言を繰り返
く終わったのではないか。そして、その過程に
のある一面全部を使うかたちで掲載され、その
してきたわたしとしては、空しさと悔しさが残
の災害対策である、と主張した。
後も数回連載させてもらった。しかし、ひとた
び災害が起こったのちに、一研究者がなにを言
んだ経験を有するだけに、誰よりもよく知って
公務員技術者として災害復旧の仕事にも取り組
は、まず土石流危険地区等を明確にし、そこで
大雨が降っても人が死なない仕組みをつくるに
崩れによるものであったことに注目するならば、
長崎大水害の死者の九割ちかくが土石流や崖
いた。そしてその後、事態は当時わたしが予測
の対策体系の確立に力をいれる必要があった。
。
る
した通りの、最悪のコースをたどって今日に至
当局がその努力をやらなかったわけではない。
っても無駄に近いことは、わたし自身がかつて
ってしまった。
また、災害後における担当者たちの奮闘には敬
行なわれて町の姿が一変した。工事はなおも
投資によって数々の大規模な復旧、復興工事が
災害発生後から今日まで、長崎市内では公共
それらの地区もさることながら、あのときの豪
なかったというのが実情なのである。じつは、
の法面修復や砂防ダムの設置から一歩も出られ
としては土石のすべり落ちた箇所だけについて
意を表するにやぶさかではない。しかし、結果
延々と続いており、一部の工事は今世紀中には
雨ですべり損なった﹁災害予備軍﹂とでも称し
㊥災害復旧・復興という名の破壊
到底終わらないと思われるのだが、問題はその
/ズノ
合わせによるセキュリティとアメニティの統一
ト上流部から進められた≡面張りの河川改修
−17−
JL′■ _、l
ttL
ているのであり、その間題についての対策がも
たい箇所にこそ、危険のポテンシャルが高まっ
この過程で、市内の中心部を流れて長崎港に
い持ち″ の町だという認識こそ重要なのである。
が相次いだのであるが、河川管理権をたてに当
わたしは計画当初から指摘し、住民からも批判
発生の位置をずらせることにしかならない、と
し、その内容がまったく的はずれであり、災害
大規模な河川改修工事等がおこなわれた。しか
大きかった。そして、そのための対策と称する
都心部では、浸水被害による経済的な損失が
の不格好で使いにくい昭和の石橋ができた責任
まだ文句があるのかといい、一部の市民は、あ
なたの言い分はじゅうぷん受け入れたつもりだ、
くられた。ある当局者はわたしにむかって、あ
る評判が悪い。眼鏡橋の横には巨大な暗梁がつ
た。橋を渡るには階段があって市民にはすこぶ
んとも不格好な﹁昭和の石橋群﹂ができあがっ
でいた江戸期の石橋群にかわって、背の高いな
注ぐ中島川はぶざまに改修され、ずらりと並ん
局は工事を強行した。結果はまさに予想どおり、
はわたしにある、と名指しで批判する。災害が
っとも急がれているのである。
一∼二mという浸水被害を蒙った中心商店街地
一背か高く評判の悪い〝昭和の石橋″
善に役立たないのは誰がみてもあきらかであっ
る本流をいくら改修しても、ほとんど事態の改
うているのに、その片言隻句をとらえて批判さ
そうであった。発言はその根本的なあり方を問
主張しても、それは無理な話といえばたしかに
発生してしまったあとにおいて、ある意味では
た。しかも本流は、川の上流部から改修が進ん
れたのでは浮かぶ瀬がない。世の中というもの
/j
\
だために、工事の遅れている下流部がネックと
はえてしてこういうものなのだろう。流れに竿
わたしはことさら新しいことを言ったつもり
区において、前回とおなじ豪雨がきたときには
なって、いまでは以前と違う箇所での災害ポテ
をさそうとしたつもりが、上手に利用され、﹁眼
はない。自然の猛威との上手なつきあいかたに
﹁災害待ち﹂ の体制にあるわが国の建設業界の
ンシャルが高まっている。結果を見るまでもな
鏡橋は現地から移設すべきではない﹂﹁コンクリ
ついては、すでに先人の智恵が蓄積されている。
たして何センチ水位がさがるだろうか、という
く、都心部のほとんどが埋め立てによってでき
ート橋ではなく昔どおり石橋群として復元すべ
川沿いの民家などではよく軒先に舟をぶら下げ
システムがフル回転している最中に、その復
た都市において、ハードな河川改修工事の有効
きである﹂との発言の一部を見事に利用され、
ている。肥溜めの横には蓋の重しのための石が
状況にある。その商店街の位置は低い位置を流
性ははじめから限られていた。﹁町じゅうを川に
数百億円の大工事にまで仕立てあげて誰かが大
置いてあった。いずれも浸水がきた場合にも被
旧・復興のあり方についてパラダイムの変更を
するぐらいの考え方で取り組むべきだ﹂と、あ
儲けする片棒をかっがされ、その不都合の責任
害を軽くするための工夫である。誰しも水につ
れる支流の流域にあたり、より高い位置を流れ
る河川工学の専門家が指摘していたが、ある意
だけは転嫁されてしまったわけである。まさに
かるのはいやだから、できるだけ押さえ込みた
だけ、ではあった。
味では正しい指摘であったが、それではどこに
ピエロかドン・キホーテか大馬鹿ものを演じた
㊥災害とのつきあい万
住めというのか。長崎というのはもともと〝病
−18
ト眼鏡橋周辺の修景
えることがあり、押さえこめなかった場合には
い。しかし、自然の猛威にはしばしば予測をこ
設置するという提案であるが、それについては
建てで、どの家からも移動距離三〇〇m以内に
はいろいろと難しいことが多い。住み手の立場
一部の地区で実現した。しかし、土砂降りの雨
たかが雨が降ったぐらいのことで、人がむざ
からいうと、急激な居住環境の変化というのは
これを巧みに﹁受け流す﹂ ことが必要である。
むざと殺されるという現状がおかしいのである
できるだけ避けたいという希望がある。そこで、
のなかをお年よりを背中におぶって避難する、
から、まず何よりも命を守る体制づくりを進め
さきの ﹁防災シェルター﹂を、なにかと地区の
つまり、雨が降るという現象を止めることはで
る必要がある。単純にいうと、水害は逃げさえ
人の集まる楽しい場所にして、そこで安全な地
という状況を考えてみると、いつまでも避難の
すれば命は助かるのであるから、その仕組みづ
区づくりについて住民が時間をかけてしっかり
きないが、これを災害たらしめないように、ま
くりが第一である。地震がまだ三〇秒前の予測
と意見をまとめ ︵それにはコンサルタント派遣
繰り返しではたまらない。やはり、抜本的な都
すら難しいのに比べたとき、雨の方は今の技術
制度なども必要であろう︶、それを行政がサポー
た災害が起こったとしても被害をできるだけ軽
と制度でも、かなり前からの予知、予報が可能
トして着実に実現していく、という順序立てが
市改造で、避難しないで済むまちづくりが究極
であり、そのシステムを強化、改善することは
よいと思う。﹁防災シェルター﹂は﹁地区まちづ
くするためにどうすれば長いかを考えるべきだ
相当程度可能と考えてよい。情報化社会といわ
くりセンター﹂ として児童図書館やファミコン、
の目標となろう。ただ、それを早急に進めるの
れながら、情報の伝わり方が遅かったというだ
カラオケ、バーなどを設置して日常的に利用さ
と主張しているのである。
けのことで、むざむざと多数の人が殺されたと
みをつくればどうか、と冗談まじりに提案した
れ、警報はおろか、注意報でも発令されれば人々
さらに、ハードな対策としては土木的のもの
が、じつはそのような﹁防災の文化化﹂ の発想
いう事態だけは、早急になんとかしなければな
より建築的な対応策で水を受け流すのがうまい。
が必要な時代に来ているというのが、わたしの
がいそいそとそこに向かう、というような仕組
かさ上げや水防シャッターなど。また、逃げ込
考えの根底にある。
らないのだ。
むための場所を確立する必要がある。わたしは
は、いざというときにオロオロするばかりで、
また、水害を経験したなかで、﹁世のなかに
予想される地区に点在させることを提案した。
およそ役に立たないひとがたくさん居る﹂とい
それを﹁防災シェルター﹂と名付けて、危険が
公民館や集会所、あるいは公営住宅のスポット
1 ′ ′
9皮′
豆、イ
ト眼鏡橋の現地修復を祝って踊りのパレードをする市民
その楽しさと同時に怖さを知っているかどうか
る。これはこどもの頃から自然とよくつき合い、
のこなし方は立派であった。問題は若年層であ
うことを知った。中年以上の世代の人たちの身
んでいてゴルフ場やレジャーランドの開発計画
かも、上流部では大規模な土地の買い占めが進
たび洪水が発生する可能性はある、と見た。し
水を発生させている前科のある川である。ふた
長崎災害の最大の教訓とは、ひとたび災害が
が目白押し。つまり、下流部での改修や大ダム
発生してしまうと、それを待ち受けているシス
の差ではないかと考えた。そして、こどもの頃
った。停電のまっくらななかで、家族が一本の
テムがフル回転して町の姿は徹底的に改変させ
づくりはこれらの開発推進のための免罪符づく
ローソクを囲んで食事をしたのは、わが家でも
られる、ということであった。したがって、い
りという裏も感じられる。
貴重な経験としてのこった。まちづくりは人づ
からキャンプなどによく行っていた連中が頼も
くり。おざなりの防災訓練ではなくて、自然と
星屑都で必要なことは、災害が起こる前に災害
しかった点に、教育の可能性のようなものを知
の楽しいつきあいを通じてこどもたちが育つ環
対策の体系を確立し、それを早急に実現するこ
とである、と思う。だが、それが﹁大ダムづく
りと河川改修﹂で患部をばっさりと切り捨て、
環境を美しく守るためには、堀割とのわずらわ
れずにいうならば、たかが水害対策なのである。
ならないことだけはたしかであろう。誤解を恐
と上流部への大ダム建設の計画が﹁水害対策﹂
が育ったことに思いおよばなくてはならない。
のであり、そのわずらわしさのなかから京文化
まう以上避けては通れぬ、生活作法のようなも
ノ、5、
境づくりを急ぐ必要があると痛感した。
㊥わずらわしさのなかにこそ
しいついあいが必要である、そして、そのなか
それで千年の古都の風情をこわしてはならない、
京都の風情を破壊してしまうやり方であっては
から柳川の文化が育ったということがしきりに
と思う。そのためには京都の市民に﹁川とのわ
﹁柳川堀割物語り﹂という映画で、柳川の水
強調されていた。防災のシステムもまた同じで
ずらわしいつきあい﹂を復活してもらわねばな
という名で行なわれようとしている。先日気に
けだし、防災が文化の源であったことを再認識
らない。それは京都という痛い持ちの都市に住
はないかと思う。
なって現地を見て釆たが、上流部の状況をじっ
い皇居都でも、京都の顔である鴨川の大改修
くり目と足で確かめ、下流に至っての総括的な
すべきである、と思うのだ。
︵かたよせ としひで︶
判断は、京都も長崎と同じく災害に弱い″痛い
持ち〟の町だな、ということであった。鴨川は
昭和一〇年二九三五︶ に氾濫し、市内に大洪
−20−
甲突川五大石橋と
片
博が云二年である三 て、ここまでハイレベルに
形成に決定
与えたであ
的世界的な文化過童であ長崎府会科学大学教学
島の原点であり、かつ国民■ ︵かたよせ・としひで日
惜しい。史と費のまち虎児 い。
聞くが、それはあまりにも考をぜひともお顔いした
開 国 と と も に 、 怒 と う の にとって、このヨーロッパ でこの二樵も撤去の方針とる。市民、県民あげての再
匿宣圃 場児島県調査報告春より)
代に至っている。
があったからである。
l巧ヨーロッパ方面で 省−トンの天文学を完訳し 適していた技術普横の土台 的な敲静を
は、帝政ローマ時代の水泡 だ中野柳画が捜したのは、
高農稀と西
田輔の横に
がある.甲
は広い公取
突川の上流
つかの遊水
部にはいく
池の適地も
ある。流最
け減らし、
をできるだ
公園の地熊
を少し阿り
下げて籾水
t八四四年から四九年に 喝のバイパ
命ぜられたとき、石工岩永 あるだろうか。
されている
よく外国人から﹁日本人 ろうことは
橋等蓮を経て、十四、五世 卓れよりも早く一八〇六
紀のルネサンス期に至って 彗膨大な数の韓欝が輸入 は人まねが上手だ﹂などと 想像に稚く
い
。
椰始︵やゆ︶されて悔しい な
専い、残
替れ、ヨーロッパ系の撃、
風格ある都市景観の形成 物理学、激蚤学そして土木 思いをすることがあるが、
石確ブームが起こる。
老してこれらの絵図は、
その他の西澤文物ととも 三五郎の脳裏にひらめいた
んだづ﹂に洋式の石橋が登
ように現れ込んで書た西洋 の護りむんむん? の巨大
ほど、当時すでにその技術 場している。
伊能忠敬が西洋式の潮叢 の技術を、わが国は瞬く間 工事の出現は、まさに黒船
は南軍完成の域に達してい
の大艦隊の乗譲にも匹敵
た。したがって、その後は 技術を身につけて、わが国 に受け入れ発展させたが、
し、そのことが彼らの思想
さして変化することなく近 全土の側盤園を完成させた その竜は、莞期におい
・ポーロが驚嘆したという
最古のアーチ橋の紐州桶 空や司帝汀演の﹁皮工園﹂ に璽叩景観を考慮した独特 七年に生まれた西郷噂盛で かつ穫済的
の風格ある甲究川五大石碑 あり、三〇年生まれの大久 にも容易と
や、二九二年建造の襲 ︵オランダの惑人ブック﹂
み
た
。
橋に見るように、十三世紀 の模箇︶、あるいは歌川 帯の大傑作に椿葵したとは 保利通である。
膏窄まっただなかの彼ら 窒 彙
未にベネチアの商人マルコ 巷の浮世桧﹁ウキヱおら 考えられないか。
に中国であるが、七世紀は ない。その筈である帝 長年培った技術事績と新し に川のほとりで見ていたの 稀の現地保
じめと伝えられる現存世界 蛮びょうぷの﹁四ヶ国郡市 い知馳とが、.ヨーロッパ風 が高橋のたもとに六二 存は技術的
技術の喪の一つは明らか 地に相当姦入ったに蔑い パの石橋ではなかったか。
わが国の石造アーチ棟の に、長崎を通じてわが国各 のは、絵図でみたヨーロッ かけて石橋群が次々に建造 スルートに
される様子を、毎日のよう すれば、〓
ている。
ッパ各地にたくさん現存し
西洋絵図からアイデア?
都市景観考えた造ゆ
寄 俊 秀
ヨトローツパの影響
スラス楕とほほ固形で、武之橋にも似ている
バリ・セーヌ川に架かるロワイヤル輔。ス空一
れたスタニスラス瑞であ が意識され、イタリア、フ 工学は、すでにわが国に輝 あの驚くべき技術発展が決
バリのセーヌ川と数々の ていに。
して付け焼き刃でなかった
穀近、フランスで発行さ る。規模がほぼ同じで、全 ランス、オランダ、イギリ く勝連していた。
名橋、アムステルダムやべ
ここからあとは、技術屋 ことを如夷に詔る物的征
泉チアの運河と石樵のよう れ た 歴 轟 念 物 の 棟 の 本 体にむくりがあり、中央の ス、ドイツ各地に巨大で個
拠が甲清川五大石橋だ、と
に、甲粂川と石橋群は、都 に、昨年の水害で流失し撤 アーチが左石のものより大 性的な石椀が次々に建誉 としての筆者の推側であ
習えるのではないか。全国
る
市の風枯とか景観をかなり 去蔓れた一八四四年萱の き い 点 姦 し て い る 。 嗣 れ、画家たちは競って川と 。
肥後では未経験であった 義したと砦、搭乗の遺
蕃敵して遣られておけ、ど 武之稀とそっくりの立雷 べてみると、この事の椀は 石讐モチーフにした都市
川嶋の広い冥川の仕事を 跡でこれほどの大物が他に
ちらかといえばヨーロッパ を見つけた。南部のマドン セーヌ川をはじめ、ヨtP 絵図を描いた。
的な風景だねとかねて思っ 川に土八世紀半ばに架櫛さ
火曜日
闇中細誓豊平成6・年,6品。
乗庁′
国土研の設立について
上野 鉄男
私は、国土研設立の 7 年後の 1969 年に入会した。当時 25 歳であった。現在の役員の中では最も古
いということで、標題の報告をすることになったが、設立時の国土研を直接知っているわけではない。
この報告は国土研の 30 周年記念特集である「国土問題 37 号」(1992 年 7 月)の記述を中心としつ
つ、25 周年記念特集である「国土問題 37 号」(1988 年 10 月)や「国土問題第1号」(1963 年 8
月)なども参照してまとめたものである。
1.国土研の設立に至るまでの出来事
(1)伊勢湾台風(奥田)
1959 年(昭和 34 年)9 月 27 日
死者・行方不明者:5,177 人
この災害を契機に、総評、農民組合、社会党、日本共産党などにより、民主災害対策会議が組織さ
れ、被災者救援、災害原因の追求、復興から災害予防まで展望することが目的とされた。この
ためには、科学技術の裏付けが必要であるとして、技術専門委員会が設置された。
技術専門委員会委員長には磯部巌氏がなった。
(2)下筌ダム建設反対闘争(奥田)
この運動は 1958 年(昭和 33 年)から始まっていた。
1960 年 5 月に「公共事業認定無効確認」の訴訟を提起した。
民主災害対策会議の技術専門委員会が科学技術的な検討をすることになった。
検討結果は「国土問題第1号」(1963 年 8 月)に「下筌・松原ダム問題の研究」として掲載された。
執筆担当:森武徳(闘争の経過)、奥田穣(科学技術論)、磯部巌(法律論)、佐藤武夫(運動
論)→「総合主義」が始まる。
2.国土研と近畿支部の設立
(1)国土研の設立(奥田)
民主災害対策会議の技術専門委員会は問題が発生しなければ招集されず、日常的な活動はなかった。
日常的な研究活動を行う場を要望する声が国土研の設立に結実した。
1962 年(昭和 37 年)7 月に「国土問題研究所」が設立された。
理事長;磯部巌氏、副理事長;佐藤武夫氏、常任理事;赤岩勝美、奥田穣氏、顧問;兼岩伝一、近
藤康男、多田文男、山崎不二雄氏、書記;大屋鍾吾氏など
「国土問題第1号」に以下の内容の「国土研規約抜粋」が掲載されている。
国土研の目的、目的を達成するための事業、入会は出資金を払い込んで申し込むこと、事業遂行
に要する費用は出資金、事業収入、寄付金を以て支弁すること、出資金の1口の金額は 1,000
円であること、などである。「出資金」はあるが、「年会費」はないことに注意。→ 創立か
ら3年後に会費制に変更された。
事務所:内幸町の幸ビル2階に無償で同居 → 国土研の発展に大きく影響
→「大家の藤川さんにつけ入り、あること無いことを捏造して国土研の運動を危機に落し入れた
萌芽がそこに転がっていた。」(奥田)、「事務所問題で混乱が生まれ、それにふり廻された
ため、会員の積極性が失われ、結集が阻害されるとともに・・・。・・・決定的な要因は、・・・
派閥的に、狭い殻に閉じこもろうとしたことにあった」(大屋)
17
(2)国土研近畿支部の設立(木村)
上桂川の水害調査の中から国土研に入会し、近畿支部をつくろうという意見が現れた。
国土研近畿支部設立総会:1964 年 7 月 18 日
会員は 16 名、国土研調査三原則の原案が共感をもって受け止められた。
支部長;木村春彦氏、幹事;青柳、堀井、三輪、岡林、岩井、澁谷、坂本、大月氏
「近畿の国土問題」創刊号:1964 年 11 月
3.設立後の活動について
(1)「災害論」 (奥田)
佐藤武夫、奥田穣、高橋裕共著
1962 年(昭和 37 年)早々に勁草書房から話があり、3 月に執筆を引き受け、約 1 年半の努力の成
果として、1963 年 8 月に完成し、1964 年 5 月に刊行された。
(2)研究会「河川計画と河川管理について」他(活動年表 138 頁より)
1962 年(昭和 37 年)8 月から 1963 年 2 月まで毎月開催。報告者は 8 人。
(3)京都上桂川防災調査(大屋)
「国土問題第2号」(1964 年 10 月)「京都上桂川防災調査の示すもの」(大屋鍾吾)より
1962 年(昭和 37 年)に京都府より、桂川水系における治山治水の基本的あり方について、特に「住
民の立場に立っての調査」を委託された。→「住民主義」につながる。
調査団:気象、水文、土木、地形、地質、経済、行政の専門家で構成 →「総合主義」
1962 年(昭和 37 年)12 月に調査開始、調査報告は 1963 年 9 月にまとめられた。
(4)国土研調査三原則(木村)
住民主義、現地主義、総合主義 ← アカデミズムに対する反省からできた。当時の学者は、住民
の立場でなく、現地へも行かないし、専門的であっても総合的でない現状があった。
国土研近畿支部の設立時に、調査三原則の原案が共感をもって受け止められた。
国土研近畿支部発足の直後くらいに三原則ができた。
(5)国土研がなぜ 25 年も続いたか(木村)
「創立 25 周年記念総会における木村理事長の挨拶」「国土問題 37 号」(1988 年 10 月)より
①国土の自然や人間を守るという共通的な価値観と危機感があった。
②三原則がうまく機能してそれが国土研の方針として正しかった。
③他にこういう全国組織がない。
④最小限の経済的基盤を持っている。←
会費に加えて、委託調査費を取って活動してきた。
以上の内容は、「国土研がなぜ 50 年も続いたか」として、現時点においても言えることである。
(6)国土研の組織について(活動年表より)
1973 年 会員数:本部 133 名、近畿支部 105 名
1974 年 「国土問題研究会」に改名。関東国土研と関西国土研が組織は一体、運営は別で併立する
ことになった。理事長;木村春彦
1976 年 会員数:関東 120 名、関西 198 名
1982 年 関東国土研と関西国土研を統合し、事務局を京都に置いた。
2002 年 会員数:293 名
2009 年 会員数:234 名
2012 年 会員数:265 名
18
国土研の調査活動と三原則
(奥西一夫)
1.国土研の活動目的
「国土問題」第1号(1963年)の表紙裏に書かれている国土研(当時は国土問題研究所)の規約
第3条は次の通りである。
「この研究所は,われわれの国土が国民すべてに対し,安全で住み易い国土であるように災害から防衛し,産業の
発展,生活の向上に役立つよう,官民一般の知識と経験を綜合して,治山,治水,交通,動力,水等の資源,人口
と産業の配置,その他各般の国土問題の調査研究を行うことを目的とする.」
「国土問題」第3号(1964年;当時は「国土問題資料」第2号として発行)に掲載された「国土
問題研究所案内」の「1.設立の趣旨と目的」では上記活動目的がかなりくわしくパラフレーズさ
れている。
その後,「国土問題」第6号(1972年)から第9号(1973年)までは,巻頭の「国土問題研究所
のしおり」の「目的」として次の3項目を挙げている。
1.国土問題研究所は,われわれの国土が国民のすべてにとって安全で住みやすいものとなるよう,治山,治水,
交通,資源,産業立地,観光,地域計画など国土に関する各般の調査を行ないます。
2.国土問題研究所は,国土問題に関する在来の個別科学,個別技術を基礎に,あたらしい総合的な科学・技術の
樹立を目指して研究を行ないます。
3.国土問題研究所は,調査・研究の成果を広く国民に普及することにつとめます。
そして,「国土問題」第10号(1974年)の巻頭に掲げられた「入会のしおり」の「1.趣旨と
目的」では,初めて三原則が明記され,次のようになっている。そして「国土問題」第33号
(1986年)まで,同じ内容のものがほぼ毎号に掲載されている。
近年国土開発がすすむにつれて,いたるところで環境破壊が激化しつつあります。われわれはこの様な現状に対
して真に住みよい住民のための科学技術や地域づくりは,どのようにあるべきかを一つ一つの現地調査のなかで具
体的に明らかにして,民衆の安全で,健康な生活が実現されることを念願しております。
そのためには,われわれは専門の壁にとらわれないで,広い分野の科学者,技術者を結集して,住民の立場に立
って,問題のおこっている現地に出かけ,住民と結びついた総合的調査研究の実線が,是非必要であると考えます。
われわれは,このような「住民主義」「総合主義」「現地主義」の原則のもとに,従来の「専門分担型」の調査研
究から「総合討論型」の民主的調査研究への脱皮をはかりながら,成果を蓄積して,現在当面する国土問題だけで
はなく,さらに,将来の住みやすい国土への科学的で遠大な展望をもって調査研究をすすめます。
その後30周年特集の「国土問題」第44号(1992年)の巻頭には「国土問題研究会とは」として
次の文章が掲げられている。
現在,農業や山林の荒廃や都市における災害・公害等,われわれの住む国土のいたるところで環境破壊が激化し,
それは,われわれの日常の仕事や暮しの基盤をも脅かしています。たとえば,土地造成や乱開発などが,公害,水
害,地辷り,崖崩れ等の様々な災害を誘発しています。そしてこのような災害の発生によって,その犠牲になる住
民と,災害発生や災害救済の責任者である民間企業,地方自治体や国との間で多くのトラブルが引き起こされてい
ます。
「国土問題研究会」は,従来の科学技術が「国づくり」という名目で開発を進める側にだけ奉仕させられ,地域
住民のために活用されなかったことに対する反省にたって,昭和34年の死者5000名を出した伊勢橋台風を契機とし
19
て昭和37年に設立された組織です。設立にあたっては,元国民経済研究協会常務理事・故佐藤武夫,元民主団体災
害対策会議常任幹事・故兼岩伝一民らの尽力がありました。
国土問題研究会の目指すところは,科学技術者の社会的責任を自覚し,住民のための安全で住み良い地域づくり,
国土づくりやそのための科学技術のどうあるべきかを調査研究のなかで具体的的かつ実践的に明らかにしていくこ
とにあります。
われわれ「国土問題研究会」のメンバーは,「各々の専門領域でのより深い科学的な研究を基礎としながら広い
分野の科学者,技術者,労働者等を結集して,住民の立場に立って,問題の起こっている現地に出かけ,住民とと
もに進める総合的調査研究の実践」が是非必要であると考えます。われわれは,このような「住民主義」「現地主
義」「総合主義」の調査『三原則』を基に,従来の「専門分担型」の調査研究から,「総合討論型」の民主的調査
研究の方向を指向し,さらに将来への科学的展望を含めて調査研究を進めております。
本会は,このような趣旨のもとに,災害公害対策(治山,治水,地辷り,大気水質の汚染,廃棄物問題等),
エネルギー資源(電力,ダム,水問題等),土地造成(造成,埋立,リゾート開発問題等),地域計画(郡市,道
路交通問題等),地場産業の振興(農林漁業,観光問題等)などの,国土に関する諸問題を取り扱い,それらの問
題の解決に少しでも寄与しようと,活動しています。
その翌年の「国土問題」第46号(1993年)から最近発行の第73号(2012年)までのほぼ毎号に
は上記の最後の1文節を省略したものが巻頭または巻末に掲げられている。また国土研のホームペ
ージには上記の最後の1文節の内容を少し変えたものが掲載されている。
以上,国土研の設立から現在まで,その活動目的がどのように説明されてきたかを概観した。特
筆されるのは,活動目的の基本が50年の歴史を通じて変わっていないことである。これは国土研
設立の母体であった総評の災害救援・調査部門や科学者団体(民主主義科学者協会=民科とその後
継団体,すなわち日本科学者会議や地学団体研究会など),および下筌ダム問題の調査に結集した
科学者・技術者グループ(後述の「災害論」の著者を含む)のメンバーが国土研に結集した時に,
民主的な討議によってその活動目的を決定したことが大きな要因であると言えよう。
2.国土研三原則の成立と議論の展開
「国土問題」第44号に掲載の木村春彦「国土研三原則はどのようにしてできたか」には,三原則
の成立からその内容に関する1992年までの議論の展開がレビューされている。また,この号(30周
年記念特集」の他の人の寄稿にも,三原則の成立と議論の展開に触れたものがいくつかある。さら
にこの号の巻末には三原則に関するそれまでに発表された論文が再掲されている。いかではこれら
に基づいて要約する。なお,「国土問題」第30号に掲載の木村春彦「大東水害訴訟最高裁判決と国
土研の調査三原則」は重要であるが,個別的な問題を扱っているのでひとまず対象外とする。
前節で述べたように,国土研の設立に際しては,その前身とも言うべきグループで調査研究活動
の実績を有する会員も多かったので,国土研の目的と方法について活発な討議が行われ,その成果
が国土研規約に盛り込まれた。一方,「国土問題」第44号の寄稿者の中には京都府の桂川水系等の
治水問題の調査を経て国土研近畿支部を設立した人が多く,これらのメンバーが国土研に入会する
に当たって,国土研の目的と方法について,再度活発な討議が行われ,その成果として「国土研三
原則」(調査三原則と呼ばれることもある)が確立した。その結論と言うべきものが木村春彦によ
って「近畿の国土問題」No. 1にまとめられている(上記木村の寄稿にも転載)。すなわち,
20
三原則は,われわれ国土研の研究の実践と科学運動の経験を通じて集約されたどれ一つ欠かせない重要な原則で
あり,国土研の活動のスタイルを特徴づけるものであると考えます。
住民主義とは,いうまでもなく被害者であり搾取される側である住民の立場に立つ,大きく言えば権力機構にく
み敷かれた国民を災害から守るということで,国土研の最も基本的な立場であると思います。このような立場に立
つならば,当然現地へ行って住民の要求と意見をきき,個々の現場の具体的事実をとらえる必要が生じます。すな
わち住民主義を貫こうとするかぎり,必然的に現地主義にならざるを得ません。かくして現地主義は,科学を,と
もすれば現実から遊離しようとする抽象論からとり返すためにも非常に重要な手段であると云えます。現地で各専
門家がそれぞれの問題ととりくむ過程で,われわれは,自然的・歴史的・社会的諸条件が複雑にからみあっている
ために,問題の専門的・技術的側面からのみの解決というものが,いかに困難であるかを体験します。また現実の
問題は専門の壁を越えて稔合的に理解されなければならないことを知るのであります。したがって国土研の総合主
義とは,いろいろの専門家が単に分担して研究をするといったものではなく,現地主義を通じて専門のセクト主義
を打ち破り,専門を異にした人々の現地実証と討論の頼み重ねから生れた総合性を意味します。したがってわれわ
れの総合主義は決して専門化と対立するものではなく,むしろ専門の深化に必要なものであります。真の専門的創
意は総合的理解があってはじめて発揮できるもので,いわゆる専門的知識が現実にあまり役立たないことが多いの
は,それらがこのようなかたちで生かされないからだと思います。
以上述べましたように住民主義・現地主義・総合主義という国土研の三原則は調査研究の実践において相互に切
りはなすことのできない必然的な関連をもったもので,科学者,技術者が,「住民の立場から現地で総合的調査研
究をする」ということは,すぐれた成果を生みだす源泉となることを信じます。われわれは科学技術を国民の真の
幸福に役立たせるための基盤として,国土研が存在するかぎり,これらの原則をふみはずさないようにしたいもの
だと思います。
3.最近の調査活動と三原則
1992年(30周年)以降は,三原則の適用に関する議論が「国土問題」等でまとめられることは
なかった。しかし,理事会,総会などで国土研の調査活動を振り返り,今後の国土研の活動方針を
議論する中では,必ず三原則が引き合いに出されてきた。その中で筆者が感じたことは,三原則の
意味合いが会員によって微妙に異なる形で議論されていることである。かくいう筆者自身はその中
でも特にエクセントリックな解釈をしていたような気がする。そこで,2002年に国土研40周年を
迎えるにあたって,三原則の正統的な解釈は何だろうかと,「国土問題」44号に再掲されている
文献を読んだりしたが,当初の議論を纏める形で三原則を提唱した木村春彦先生自身も,「これが
正しい解釈だ」というようなものを示していないし,むしろ,会員それぞれが自分の日頃の実践活
動を通じて,自分なりの形で三原則を深化させてゆくようすを頼もしく思っておられたように感じ
る。以下では,筆者自身の思考の遍歴を含めて,国土研の最近の調査の傾向と三原則の考え方につ
て,かなり断片的な記述になってしまうが,若干の考察を試みたい。
水害と治水,さらには河川管理,流域管理の問題に広がる諸問題は,第二次世界大戦後の水害激
化と,とどめを刺すような伊勢湾台風の悲惨な災害を契機に設立された国土研にとって,根源的な
問題であると言えよう。これらの水害からの立ち直りは当時国民的課題であるというのが世間一般
の見方であったが,社会学や経済学の専門家は早い時期から災害の階級性を問題にしていたし,国
土研に結集した研究者たちもこの点に注目していたので,国土研の設立趣旨においても,三原則の
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議論においても,国土研は「弱い立場におかれている階級」としての住民を支えるという目的意識
が明確であった。このような階級性の現れは水害問題に留まらない。電力や利水のためのダム開発
や治水のためのダム建設においても,ダム建設地の住民の犠牲という,階級性をあらわにした「人
災」が発生している
しかし,ダム建設地の住民の闘いが下流住民の環境保全を求める運動と結合した結果,少数者の
犠牲のもとに成り立つようなダム建設や河川計画は困難になってきて,1997年の河川法改正が一
つの節目であるが,住民の意見を聞いて治水や河川管理を行うことが,一定程度,行政に義務づけ
られることになった。その結果,「住民」という概念が,上述のような迫害され,より厳しい被害
を受ける階級としての住民と,河川管理や流域管理のありかたを決めることができる主権者として
の住民という概念に別れてしまうことになった(もちろん,住民が主権者だという考えは河川行政
においても未だに完全には浸透していないし,むしろ,その真の実現はまだまだ先のことだと言わ
ざるを得ないが)。このような問題は木村先生も既に意識されていたようで,前節に紹介した木村
先生の議論でも,住民を弱い立場におかれている階級として見るだけでなく,住民運動の担い手で
あり,社会を変えてゆくべき主体として捉えている。このような歴史的,あるいは弁証法的な見方
をすれば,例えば「住民とは何か」を考える時でも,「あれかこれか」という呪縛に陥ることはな
いと言えよう。
筆者は地盤災害問題の専門家として国土研に入会したのであるが,学生時代に陸水物理学を専攻
したこともあって,国土研の水害や河川計画に関する調査に細部まで口出しをすることが多い。そ
の多くは見当はずれな議論で,迷惑をかけることが多くて申し訳ないことであるが,議論の受け手
の対応によっては,見当外れな議論が新しい議論の切り口を開くこともあったりして,総合主義を
掲げる国土研に参加することの幸せを感じることが多い。逆に自分の専門の地盤問題について得々
と議論していて,専門外の会員や住民の方からの素朴な質問を受けて「アッ,これは間違ってい
た」と恥ずかしい思いをしつつ,正しい方向に軌道修正できた経験も数知れない。
水の問題について,その道の専門家とそれ以外の人で議論する時に,しばしば感じる困難は,水
の流れの力学について,言葉だけで説明することが難しいことである。例えば,水量が増えてゆく
と,水位も流速も増えてゆくというのが一般人の常識であろうが,水理学は必ずしもそうでないと
教えている。すなわち,常流と射流ではこの関係が逆転するのである。これをきちんと説明するに
は数学の力を借りなければならないのであるが,数学的な思考を習慣づけられていない人にとって,
数学的論理を使った説明は何となく胡散臭く,受け入れがたい。筆者自身はこの程度の数学論理に
はついて行けるが,数学が苦手で気象学を諦めた経験もあるので,数学的論理について行けないと
いう人の気持ちも分かり,議論をとりもつために右往左往することが多い。
この種の問題は他にもかなり多いようである。筆者にはきちんと議論することが難しいが,河川
計画を総合的に考察したり,都市計画,まちづくりの中で住民が主体的に参画したりする中では,
システム論的な議論を避けて通れない。そういう議論の中では,論理思考の問題は上に挙げたよう
な問題よりもさらに難しい形で現れるように思われる。この様な思考上の障壁が「総合主義」の深
化を阻むことがあってはならない。これに対する特効薬は持ち合わせないが,もともと国土研会員
は「考える」ことが好きな性格を共通的に持っているようであるから,専門分野を越えて楽しく議
論する機会を多く持つことによって,この問題は解決して行けるのではないかと考える。ひところ,
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「科学塾」というのをやり,それを「サイエンスカフェ」のような形で国土研の外にも広げてゆこ
うと考えたこともあったが,調査依頼に応えるのが忙しくなりすぎて立ち消えになっているのが残
念である。
前節で紹介した伊丹・木村論文では「現地主義」が「現場主義」になってしまってはいけないと
戒めている。この論文ではその違いを分かりやすくは示していないが,「住民とともに現地で総合
討論を行なう」ことの重要性を強調していることに大きなヒントがあると考える。新聞の三面記事
などに出てくる「現場」は事件現場,事故現場,災害現場,工事現場,等々であるが,いずれも特
定の見方でその場所を見るというニュアンスがある。それに対して,「現地」は人々の生活の場で
あり,その背景としての自然的,社会的,歴史的条件があり,その中で問題とする災害とか開発と
かの問題が惹起されている。けだし,「現地」という言葉自体にも総合主義と住民主義の理解を要
求する概念が含まれていると言えよう。
23
24
国土研が実施した治水tダム問題調査研究活動の概要
中川 学[技術士(建設部門)]
はじめに
1962年の国土研創設以来50年の間、全国の住民団体等からの依頼を受け多くの調査研究活動
を行ってきたが、治水・ダム問題に関するものがそれらの大半を占めている。本報告では、これ
までに国土研が行ってきた、これら治水・ダム問題に関する調査研究活動の概要を記すこととす
るが、創設後30年までの活動記録は、「国土問題44号」(30周年記念特集号)に記載されてい
るので、おおむねその後20年程度の間の活動を対象とする。
1.「ダムありき」のために歪められた河川行政の実態
日本の国は地形が急峻で可住地が少ないために,洪水氾濫源である河川下流部の平坦地に人
口が集中してきた。また個々の河川流域が小さいために河川流況が安定せず(渇水時と洪水時
の流量差が大),治水・利水のためのダムが多く造られてきた。これらのダムが暮らしの安全や
利便,そして様々の生産活動を支えてきたのは事実であるが,一方自然豊かな渓流を湖底に沈
め,流域の自然環境の軸となる河川の連続性を断ち切るなど,ダムが自然環境に与える影響は
計り知れない程に大きいものである。したがって治水対策を検討する上で,ダムは一つの手法
として有用性は認められるものの,あらゆる手段を尽くした上での最終的な選択肢とするよう
慎重な対応が求められる。
しかし、この20年間に行ったダム計画に関する調査活動の件数は、北は岩手県から南は熊本
県までの20箇所に及ぶが、そのいずれもが例外なしに、治水対策としては的外れな、つまり「ム
ダなダム計画」であった。ただ、そのような「ムダなダム計画」であっても、それらを根拠付
けようとするそれなりの「論理」は展開されているのであるが、多くは科学的根拠をもったも
のではなく、また的外れな「論理」を展開しているにすぎないものであった。
そうした非科学的な「手口」の一端は次のようである。
1.1過大な計画流量の設定
全ての事例に共通するのは計画流量★1)を過大に設定するもので,河道改修の場合には用地確
保が不可能など、ダムでなければ治水対策が不可能であるような枠組みを設定するやり方であ
る。計画流量を決定する方法として今日一般的に行われているのは,「何年に1回」というよう
な降雨の発生確率を安全性の指標として設定し,その降雨量に対応する流量を計算によって求め
るものであるが、同一の降雨量であっても洪水流量は同一とはならない。例えば同じ100年確率
の降雨量であっても、短時間に集中した大雨であるかダラダラとした長雨であるのか、或いは流
域内一様に降った雨か、ある地域に集中した雨かなど、実際の降り方は様々であるから,それら
の違いによって洪水のピーク流量は大小様々である。そうした複数の洪水流量を基に計画流量(洪
水のピーク流量)を求めるのであるが,ここでよく行われるのは、それら複数の洪水流量の中の
最大値を採用するというやり方である。
これら複数のデータのなかで、あるデータの数値が他のデータをどれだけカバーしているかを
示すカバー率という考え方があるが、ほとんどの計画において、このカバー率が最大となる基本
高水のピーク流量値が採用されている。
二、タ ̄
岩手県気仙川の津付ダム計画における基本高水のピーク流量は2000m3/Sであるが、そのカバ
ー率が最大値となるものが採用されている事例を下表に示す。
岩手県気仙川津付ダムのカバー率と流量の関係
O
9 0 8 0 7 0 6 0 5 0 咄 3 0 却
ヽ−島VrL
y=。.。組む_47.182 〟と> R2=0・9746 /
2000m3/S
J
y
′
/ ̄
/▼
ノ乞
′
●カバー率 −線形(力く一率)
ノ
1′.
ァ /
0 500 1000 15∝〉 2000 2500
流量(m3/S)
同様に長野県浅川の450m3/Sとカバー率と流量の関係を下表に示す。
浅川のカバー卒と流量の関係(α=0.25)
100.0
900
80.0
700
0
0
0
60 50 軋
︵羊蹄−て只
300
200
100
00
0 50 100 150 200 250 300 350 400 450
500
流量(m3/S)
また降雨データを統計処理する際にも,上位だけのデータをとったりして計算の基になる雨量
を水増ししているようなことも見られる。当然これらは科学的に見ればおかしいことなのである
が,それを押し隠すためか,「安全側を採って」というのが常用句として使われている。つまり、
「大きなことは良いことだ」とばかりに過大な計画が立てられているわけであるが,必ずしも
それが「大きな安全」を保障するものでないことに注意する必要があり,この点については後
に詳述する。
計画流量♯1):正確には流域の治水計画を立案する場合に設定する「基本高水のピーク流量」とすべきであるが,
平易に表現するため「計画流量」としている。
1.2 ダム効果を強調するための的外れな広報
次に共通して見られるのは,過去の災害事例などを誇張して恐怖を煽りダムの効果を宣伝す
るやり方である。今日、気象観測と情報伝達技術の進歩に伴って、水害で犠牲者が出ることは
こ.〔
希なほどに少なくなっている。ただ、土石流や崖崩れなどの土砂災害は依然として克服されて
いない。例えば、「〇〇年の水害で死者○名、だからダムが必要」などと宣伝するような事例が
よく見られるが、実は土砂災害による死亡例であって、それらはダムによっては救われない災
害なので、的外れな広報である。ダムによって救われるのは,ダム位置より下流における洪水
の氾濫による水害である。
またそうした下流部においても,本川が溢れたわけではないが本川の水位が高いために行き
場を失った支川が溢れるような水害,つまり内水水害についても基本的には効果は無いが,同
様に誇張して宣伝される例が多い。右下の写真は、岩手県気仙川津付ダム宣伝のために県のhp
に載せられた気仙川下流部の内水浸水時の写真であるが、津付ダムによっては解消されない水害
である。この地域の内水被害は、この時点ではダム宣伝のために「人質に取られていた」が、そ
の後国土研の指摘や被害者等の運動が実って、内水排除のポンプ施設が整備された。
こうした的外れな広報は「行政による情
報操作」とも言うべきものでそれ自身大き
な問題であるが,同時にそれら宣伝に使わ
れた各種の災害を「人質に取る」ようにし
て,その解決を遅らせるという二重の意味
での問題を孝んでいる。加えて、このよう
にして恐怖を煽り過大な計画が立案され
る一方で,ダムに異を唱える議論に対して
は、「安全を犠牲にするもの」と桐喝する
ようなことが常套的に行われるなどされ
ている。
津付ダム宣伝のために県のbpに載った内水災害の写真
1.3 現地・現場から離れ机上作業に終始する治水対策立案業務
ダムを含む治水計画の立案に当たっては、高水流量の算定などに多くの数値計算を必要とする
が、それらの作業は、机上で行われるものであることから、降雨、洪水という自然現象を対象と
しているにも関わらず、現地・現場の地形、水害実態から離れ、机上の検討作業に終始する傾向
が強い。
洪水が氾濫した場合にも、山間部であれば被害は微少であるが、市街地では甚大であるという
ように、同一の洪水であっても、それが引き起こす「水害」現象は一様ではない。しかし、机上
の数値計算においては、決められた計画高水を流域一様に溢れさせないようにすることが前提と
され、流域の実態に見合った治水対策とはならないことが多い。またこれらの業務は、土木設計
コンサルタントに委託され実施されるのが一般的であるが、彼らは数値計算や一般的な治水対策
メニューの把握には長けているが、個別実際の流域性状を把握しているわけではない。
当然、治水対策に責任をもつべき行政当局が主導し率先して「流域を歩く」べきであるが、多
くの場合、能力と人員不足などのため、「現地・現場」がおろそかにされているのが実態である。
そうした典型例が岩手県気仙川の津付ダム計画における県当局の姿勢で、実態は後述する。
2. 不適切なダム計画の概要
以上に見たように、そもそもそうした詐欺的な手法に依らなければ国民の支持を得られない
27
「公共事業」とは一体何なのか,以下、欺瞞的なダム計画の実態を各地の実例として紹介する。
□ 鋪ダム計画(岩手県気仙川)
気仙川は流域面積520h2のほとんどが山がちで,最下流部に陸前高田市が位置する岩手県管
理の河川である。気仙川の流れ込む三陸海岸の広田湾ではカキ養殖が盛んで,これらの沿岸漁業
は「川からの恵み」によって成り立っていることから,ダム問題への住民の関心は非常に大きい。
県が治水対策としてダム計画を根拠付けているのは,河道の疎通能力が小さく改修が必要とさ
れる箇所が全体で18.5血に及び,これらの河道改修を行うよりもダムを造る方が安く済むという
経済比較に依っている。現地調査ではそれらの地域の「浸水被害の実態」を把握するよう住民か
らの聞き取りを重視して行ったが,ほとんどは河川沿いの低地にある農耕地や道路を「被害対象」
とするようなもので,いずれも深刻な被害が想定されるような実態は見られなかった。
特にこの実地調査で明らかになった重要なことは,これら「要改修」とされた箇所のなかに既
に嵩上げされるなどにより明らかに浸水の恐れのない箇所が何カ所かあったことである。県側の
説明では「古い測量データによって疎通能力を算定したため」とのことであったが,この事実は
当然上記の「経済比較」の根拠を狂わせるものである。そしてそれ以上に問題となるのは,ダム
計画の当事者である県職員が現地を見ていないという実態が露呈したことで,まさしくダム計画
が机上で立案されていることを示したものである。
一方流域の中で浸水被害の深刻なのは最下流部の陸前高田市の中井地区であるが,それは気仙
川が氾濫することによるものではなく内水氾濫によるものである。こうした水害を無くすために
は,支川からの合流点に排水ポンプを設けることが不可欠であるが,市によってそれが整備され
たのはつい最近のことである。
ところで、この陸前高田市は2011年3.11地震と津波によって大きな被害を蒙ったところで、
当然、行政は被災者救援と災害復旧に全
力を挙げるべきであるが、盛岡の簗川ダ
ムともども、岩手県当局は「淡々と」ダ
ム事業を継続している。右の写真は、
2011年10月に撮った建設中の付け替え
道路である。
蛇足的な話題として,本調査は2003
年11月に行ったものであるが,このな
かでサケがどんどんと遡上し産卵する風
を目の当たりにし,また産卵で力尽きる
津付ダム関連の付け替え道路工事
光景は圧巻であった。
ロ 倉渕ダム計画(群馬県鳥川)
烏川は群馬・長野県境を源流とする利根川支川の一級河川で,倉渕ダムは治水計画基準点の君
が代橋よりはるか上流34kmの地点に県によって計画された多目的ダム(治水,上水)である。
烏川流域の近年の水害では1935年(SlO)9月の台風によるものが最も大きく,榛名町下里見
で本川の堤防が決壊した他,流域全域で土石流や崖崩れなどが発生し,死者及び行方不明者が52
名に及んだとされている。またこれ以前の水害は1910年(M43)に記録されているが,近年で
はこれら以外に本川が決壊するような大きな災害は発生していない。これら水害を経験した烏川
二、㌢
の特徴は,この両水害を契機に築造された新旧の堤防が延々と続いていることで,それらの玉石
積み堤防は天端にまで玉石が張り詰められており,十分な強度を持ったものである。またそれら
の堤防は「二線堤」☆1)のように築かれていたり,支川からの氾濫流を速やかに河道へ戻すよう
に「霞堤」★2)となっているなど,古来からの治水対策の智恵を生かした烏川特有の優れた特徴
を持ったものである。
しかし県のダム計画ではこれら過去からの治水対策の営みを全く踏まえずに,単に過大な計画
流量を設定して数字合わせの洪水処理対策に終始しただけのものと言える。計画流量は100年確
率として2800m3/Sとされているが,この内のダムによる洪水調節効果はわずか200m3/Sのみ
で,この200m3/Sを処理するために3案を取り上げ比較検討している。しかしその内の放水路
案や調節池案は地形的に見て凡そ非現実的な代物で,唯一現実的な代替え案として河道改修案と
の経済比較を行っているが,これに要する用地面積と単価を異常なまでに水増しして「ダム案が
経済的」としたものである。この用地単価を水増ししていたという事実は、県の内部資料が誤っ
て公開されたことにより暴露されたというお粗末なものであった。
そもそも県計画において対象としている2800m3/Sという数値自身が過大に算定されたもので,
しかもその内の「200」という数値は計算過程における誤差程度のものであり,この数値そのも
のを固定的に扱うこと自身が問題である。科学的・合理的に計画流量を設定すればダム計画その
ものが根拠を失うような「治水対策」である。こうした計画のお粗末さが明らかになったことと,
住民の批判の声が大きくなるなかで,計画は中止となった。
二線堤★1):普段は川側の堤防が機能して堤内側の農地を利用できるようにしておき,一定規模以上の洪水時に
はこの農地は浸水するが、第二線の堤防が機能してそれ以上の浸水を食い止めようとするもので,洪水との合
理的な付き合いの智恵が生きている治水施設の例と言える。
霞堤★2):堤防を上流に向かって開口することにより、一定規模以上の洪水を速水地に氾濫させたり、上流部で
の氾濫水を河道に戻すのを容易にしようにしたもの。上流に向かって開口しているのは、氾濫流の勢いを小さ
くするためで、この形状が霞たなびくように見えることからこう呼ばれている。
□ 浅川ダム計画(長野県)
浅川は長野市北部を流下し,豊野町で千曲川に合流する流域面積68血2の長野県管理の河川で
ある。ダムの計画された上流の山地部は地すべりの巣ともいうべき所で,ダムサイト直上流には
県自身が地すべり防止区域に指定した「浅川一ノ瀬地区」が存在し,下流には1985年に死者26
名の地すべり災害を発生させた地附山が位置している。またA級の活断層と言われる長野盆地西
縁断層にも近接するなど,こうした地域でのダム計画は危険極まりないものである。
一方浅川の常襲的な水害は,最下流部の豊野町付近において千曲川の水位が高いときに浅川が
逆流氾濫する内水水害であるが,ダムはこうした水害を助長する恐れが多いというのが実態であ
る。つまりダムは下流部への洪水ピークの到達を遅らせる効果があるが,一方はるかに流域の大
きい千曲川本川の洪水ピークの到達は浅川より遅れるのが通常で,ダムがあるためにこれらのピ
ークが重なる恐れがあるわけである。約200戸が床上浸水した1983年(S58)水害をモデルに,
千曲川水位の実績データを元に浸水実態をシュミレーションしたところ,ダムがあった場合には
浅川からの洪水氾濫が3時間も長引き,当然溢水量も多くなるという計算結果が得られている。
□ 下諏訪ダム計画(長野県砥川)
砥用は諏訪湖に北方から流入する流域面積約60血2の長野県管理の河川で,下諏訪ダムは東側
.ごブ
の支川東俣川に計画された多目的ダム(治水,上水)であるが,東俣川の源流部は八島湿原と車
山湿原となっており,それ自身が天然のダムとなっている。
一方人家の集中する下流部は天井川となっているうえに,河道断面を侵すような多径間の橋梁
が多く架かっており,堤防が決壊すれば大災害となることが懸念される現状である。しかし県の
計画では机上の数字合わせのようにダムが計画されているだけで,これら河道の危険性は放置さ
れたままである。こうした実態に適った治水対策とするためには,流域での土砂生産を抑制する
ような治山や森林保全対策を進めると共に,下流部において破堤の恐れのある天井川を解消する
ことが必須である。県の計画は「ダムありき」に固執した結果の的外れな治水計画と言える。
ご多聞に漏れず計画流量が過大に設定されており、基本高水のピーク流量は280m3/8である
が、2006年9月に100年確率の計画降雨量247mmを超える310mmの大雨があったが、実測流量
は102m3/Sにすぎなかったことが分かっている。この計画流量が過大であるとの認識は、市民
の間でほぼ共通のものとなっており、住民自身による本格的な流量観測も行われていた。またユ
ニークなのは、市民参加で「基本高水協議会」が開催され、「基本高水」が酒席の話題となるなど
していたことで、こうした粘り強い広範な市民の反対運動の結果、ダム計画は中止となり、その
後、天井川区間の堤防強化や危険橋梁の架け替えなどの河道改修工事が実施されている。
□ 北川ダム計画(滋賀県安曇川)
安曇川は琵琶湖酉の比良山系西側を北流し,湖北地方で琵琶湖に流入する流域面積約300血2
の県管理の河川である。アユなどの漁業が盛んであるが,漁協関係者などの間で水質悪化が懸念
されるなどによりダム計画を問題視する動きが見られる。
安曇川では1953(S28)年に堤防が決壊する水害が発生しているが,それ以降改修事業が進めら
れたことなどにより本川が大きく氾濫するような水害は起きていない。堤防の整備された中下流
部では沿川に農耕地が広がり集落が点在するような状況で,特徴的なのは遊水地形を生かした霞
み堤や二線堤や水害防備林など,昔ながらの治
水施設が健在なことである。とりわけこの二線
堤では,農道と交差する箇所で堤防が切れてい
るのであるが、浸水時に角落としをはめ込むほ
ぞが切ってあり(右図),1953年以来破堤氾濫
がないにも関わらず,今でも洪水に備えてそれ
ら水防用具の整備されているのが特筆される。
県の計画は単にダムを根拠付けるためだけに
過大な計画流量を設定したもので,以上のよう
な現状の治水施設をきちんと評価すればダムは
不要なもので、その後、計画の中止が決定され
ている。
安曇川二線堤の角落とし設置箇所
□ 武庫川ダム(兵庫県武庫川)
武庫川は兵庫県東部の尼ケ崎・西宮両市境界で大阪湾に流入する,流域面積約500血2の兵庫
県管理の河川で,少女歌劇で有名な宝塚市街地直上流部が自然豊かな武田尾渓谷となっている。
県は治水対策としてこの武田尾渓谷を水没させる高さ73mのダムを計画したが,都市近郊の絶好
のハイキングコースにもなっていることから,広範な市民が反対運動を展開した。
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計画規模は100年確率として他の事例と同様に過大な計画流量が設定されているが,実際には
多くの橋梁が架かっていることや沿川に人家が連担して拡幅が不可能なことなどから,河道改修
工事は30年確率で実施するというような矛盾した計画となっている。つまりダムだけは100年確
率で造るが,相当する規模の洪水には対応できないことを表明するような無責任な計画である。
現地の状況は下流部の約9血の区間が天井川となっている上に沿川に人口が集中しており,し
かも1995年阪神淡路地震の際には堤防が沈下するなどの被害が発生しており,決して万全の状況
にないのが実態である。元よりダムを造っても計画を上回る洪水が発生する可能性があり,下流
区間の堤防について,例え越流するような洪水があっても決壊することのないような補強対策こ
そが重要である。
その後、市民参加の流域委員会が設置され、国土研からも住民側推薦の学識経験者委員として
参加し、「新規ダムなしでの治水は可能」とする提言を提出、武庫川河川整備計画においても、ダ
ムなしの総合的治水対策を進めることとされた。
□ 横尾川ダム(大阪府横尾川)
槙尾州は大阪府南部の泉北地方の流域面積56.7加2の大阪府管理の河川で,ダムは流域面積が
全体の6%程度を占めるだけのはるか上流に計画されており,平常時の流量もごくわずかなもの
である。つまりこのダムによる洪水調節効果は微々たるものにすぎないことが素人目にも明らか
な計画である。
計画では治水計画基準点における計画流量が750m3/Sと設定されているが,この内ダムによる
洪水調節効果はわずか50m3/Sである。一方計画流量の750m3/Sは,6個の降雨データを基に算
出された計算値462∼710の内の最大値が採用されたもので,ダム効果とされる50m3/Sという
数値はこれらの計算過程での誤差程度でしかないことが分かる。さらに荒唐無稽なのは,この
「750」という計画値がピーク流量の計算で得られた「710」を切り上げて設定されたというもの
で,まともに計算すればダムの根拠は全く失われることが明らかである。まさしく机上で数字を
もてあそんで作られたダム計画というべき代物である。横尾川の計画高水流量配分図を以下に示
す。
さすがに大阪府のトップも、このような荒唐無稽さに気づいたものか、2011年2月、ダム計画
の中止を表明した。
横尾川の計画高水流量配分図
J/
おわりに
全ての河川はそれぞれに固有の地形地理的特徴をもっており,したがってその治水対策につい
ても流域の人々の暮らし方との関わり様をも含め,全て固有の歴史的積み重ねをもって現在に至
っている。今日の治水対策の検討においてもそれらへの考察,研究が不可欠であり,それらを踏
まえ,流域全体をきめ細かく把握した上でなすべきは言うまでもないことである。しかし巨額の
税金を使い,環境を破壊するダム計画が何とも安易に杜撰に立案されている実態は以上のようで
ある。「安全」を錦の御旗に的外れで過大な計画が立てられているわけであるが,計画流量を大き
く設定したからといって,必ずしもそれが総合的な安全を保障するものではないことに最後に触
れておく。
多くの計画がダムを造ることだけが目的とされている実態は以上のとおりであるが,ダムに頼
ることにより河道改修を実施しなければ,河道の疎通能力は小さいまま放置されることになる。
一方いくら大きな計画を立てたとしてもそれを超える洪水が発生する恐れが無くなるわけではな
く,そうした時にはダムは洪水調節の能力を無くし,河道改修を実施した場合より危険な状態と
なることは容易に推測される。逆に「ダムができたから安全」として洪水という自然現象を見誤
ることにより危険を招くことも容易に推測される。重要なのは,地形地理的条件に適った土地利
用を行うことや,警戒避難体制を充実するなどにより超過洪水時にも被害を最小化するような,
流域全体での総合的な治水対策を進めることである。
2000年の河川審議会答申では,洪水を河道から溢れさせることも治水手法として取り入れると
共に,併せて洪水が溢れてくる側における防御対策も重要とする治水対策が示されている。つま
り安全を担保することが行政だけに託されるのではなく,流域住民全体の取り組みが必要とされ
ているわけである。そのためには行政が公正性を取り戻し,正しく情報を提供することが不可欠
である。
ム己
2012/12/10
調査活動報告一覧(1992年以後)
水害(ダム水害を含む)
国土研創設50周年記念講演会&シンポジウム
西宮市甲臨眉東山町朝日住建マンション建設針官にともなう災害間隠1∬1年4月「臨土間題労号」
国土研調査団報告
貴志地区の肪灸と和歌山二ュ・づウン計酎こ関する調査報告書19舛年3月唱土間肋骨J
ミシシッピ川と1993年の洪水1995年3月rlヨ土間旺49号」
ミシシッピ川水害の自然的特徴と現地討論1労5年3月「風土問題侶号J
水害(ダム水害を含む)
洪水跡見聞記195年3月「国土間綴咽号」
尼崎田能工芙適地水音調査報告書退路年4月「国土問浬知号」
和歌山県5モ川ダム水害調査1労7年11月「国土間皿労号」(関連文盲「囲土間鰐記号J)
長野県据花ダム異常放流問題調査日弱年7即国土間琵労号j瀾遅文書「可土間毘8号」)
1998年新湊川水静=関する機封報告書2∞1年1月(掲載誌なし)
平成11年新湊川水苔に朋する榛嗣報告書刀m年1月(掲載誌なし)
2012.12.15
20【事4年7月福井水害と足羽川ダム創一旨の問題中間報告書2¢くさ年6月(捕食琵なし)
象煙霞肱川の水害と治水対策に関する慣蓋報告書20応手12月唱土間蝕7号J
新川 極
千曲川の河床変動と水害に関する講圭研究ヱ009年5月「匹土間且乃卑J
1999年10月宇佐il水音開閉 調査租魯書知房年8月(掲載誌なし)
苫田ダム完成5年の検証慣壬報告書2m1年5月「邑土間抜71号」
長野・新潟県境蒲原沢の治郎年12月6日土石流災鬱王こ関する意見書刀砺年11月(掲載誌なし)
岐阜県大塩市荒噸地区における鞍掛】水雪間現1=朋する報告古刀u年用(掲モ誌なし)
サブテーマ①水害と地域特性
水害に関する調査活動のサブテーマ分類
・水害の特徴(浸水形態、浸水範囲など)は、地域特
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ミシシッピ川氾濫原管理による被害軽減、水害保険の検討
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肱川・大洲市街地の大水害7本・支川合流、河床勾配小
千曲川狭窄部と盆地部が交互に現れる?盆地部の洪水
・水害対策の検討でも地域特性の把握が重要
醐
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性から説明できる。
・・・−Jj
肱川下流掘削、進水地の活用、内水対集
千曲川:狭窄部の洪水流下能力向上
吉井川:急湾曲部の河川改修
蛾†無 ■−
サブテーマ② 開発と水害
サブテーマ③ 河川工事が原医で発生した水害
新湊川水害
開発予定地点下流の改修が進んでいないのに開発
河川工事実施方法の問題、溢水のメカニズム、
工事がない場合には軽微な浸水で済んだ
が進行した事例
水害リスク増大、水害発生範囲が拡大
足羽川永富
開発予定地の下流河jlHこ大きな内水災害の問題
がある事例
河道内の障害物く仮設矢板)の影響で破堤・越流が生じた
河川管理者設置の委員会や土木学会調査団では言及なし
河川管理者が実施した下流河川の対策では不十分
辛佐川水害
大阪空港に隣接する工業団地の水害問退
国道の改築工事で河道線形を変更し、新たに水衝部形成
水衝部で護岸が崩壊した
空港の排水施設に開法あり
水害原因の把握には水理モデル等の数値計算が必要
情報公開が不十分、必要な基礎データが得られない
住民運動をベースとした情報公開の世論形成
国土研調査で浸水対策方針を提案
調査報告書の公表が無謀な開発に対する一定の
歯止めになる
1
jj
2012/12/10
サブテーマ④ ダム操作によって発生した水害
サブテーマ′⑤ 他の原因による水害
長野t新潟県境蒲原沢の土石流災害
齢報飴操附こよって洪水被害が大きくなった事
土砂災書の復旧工事中に土石流発生、作業員が被災
土石流発生の予見可能性
冬季の渓流工事の危険性
安全性確保の責務
糞蛮悪霊宗芸濃賢瀾高空高配第割放泡が原因
薫蓋悪童墨簑鰻勉監慧ピ ̄クに効かない
和歌山県日置川殿山ダム
荒崎水害問題
夢喜造語撃墜訪蓋磯野鴇屋が浸水
水害常蛋地区における市街地浸水防御対策
洗堰からの氾濫水が浸水する地区を市街化区域に指定
長野県据花ダム
しかし、浸水対策を講じることなく27年間放置された
その間に3回の床上浸水発生
国土研提案:洗堰の嵩上げと二線堤による対策が有効
蓋鱗雲塩窪整義盛芸芸
今後の課題
水害訴訟関係の調査活動
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水害原因の解明のためのツールの充実
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最新の数値計算技術の調査研究
計算スキル拡充
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情報公開が不十分な場合
住民運動と連携した世論形成で状況打開
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訴訟対応での調査活動の拡大
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幅広い調査が必要になる、どこまで対応できるか
裁判官にわかりやすく説得力のある解説
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調査活動参加者の拡大
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若年層の参加
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ゴダ
道路問題における国土研活動の沿革、意義及び今後の見通しについて
大豊英則
1.情勢の沿革
短縮便益の「その他の道路」のものが総便益の8割前後
1970年代、高度経済成長とともに本格的な高速自動
を占めるため、これを総便益から外すと、費用便益比
車交通の時代を迎え、地方自治体を含め交通容量や快
(B/C)において「不経済」判定、すなわち1.0を下回るこ
適性の水準を高める道路整備が道路特定財源により強
とになる。事業の成否を左右するにも関わらず、走行時
力に推進された。そのことを技術的に支援するため、道
間短縮便益の「その他の道路」のものが不透明で、事業
路構造令、土工指針、舗装要綱、橋梁設計施工にかかる
実施にお墨付きを与えるための数字合わせに用いられ
示方書、道路附属構造物設置に関する基準等が制定さ
ている可能性が強く、国民の利益となるにはあまりに遠
れた。
一方で、急速な高度経済成長は深刻な環境汚染と環
い運用の実態がある。
境破壊をもたらした。1971年に環境庁が発足し、環境ア
2.道路問題での活動趣旨とその意義
セスメントについて検討が始められた。建設省では、道
国土研は1959年の5000名もの犠牲者を出した伊
路事業について1978年10月に「建設省所管事業環境影
勢湾台風を契機に全国に広がった被災者救済と災害
響評価技術指針細目、道路事業編(案)」をまとめ、通達
予防運動からの要請もあって、1962年に設立された。
した。その背景には、国道43号線公害訴訟、大阪市北区
従来の科学技術が「公共」という名目のもと、開発の犠
中津コーポ高速道路に反対する会など各地での道路公
牲となる地域住民のために活用されなかったことに対
害に反対する住民のたたかいがあった。その流れを受
する反省から、広い分野の科学者・技術者・自治体労
け、1980年代には環境アセスメントが国で要綱化され、
働者等が結集し、「住民主義」「現地主義」「総合主義」
1990年代にかけて各自治体でも条例化、都市計画決定
の調査『三原則』を基に、調査研究を行っている。
の手続きとしても位置付けられることとなった。
そのうちの道路問題については、単に交通施設とし
騒音・振動に関する道路事業者の対応は、舗装工法
ての要否や個別条件を議論するだけでなく、かかる地
や防音壁等の音振対策により技術的対応が一定の成果
域の社会全般の諸問題(経済、生活、文化、環境及び
をあげているが、生態系や地域社会の保護という観点で
人間関係など)を包括して取り組む必要がある。それぞ
は、道路事業者主導の検証手続きは形骸化しつつあり、
れの問題の出発点と帰着点を見据えて、制度・工法の
アセスメントの導入が充足した2000年代以降、環境面で
問題を直視し、住民の福祉を救済・最大化するための
の道路事業の改善の歩みは弱い。
理論を提供することが目途となる。また、住民の要求に
土地関連融資総量規制や消費税導入とともに生じた1
沿った、あるいは住民の要求を取捨選択して、道路事
990年のバブル経済崩壊以降、景気対策による財政出
業の中止若しくは制度的工学的配慮の可能性を兄い
動が続き、財政危機の認識が強まった。急増した無駄な
だすことにも注力することは、事業者・行政などとの対
公共事業を抑制させる議論が活発化、建設事業の事業
峠の構図を形成・整理するだけでなく、逆説的に行政
評価・再評価が要綱化され、全国の自治体にも波及し、
責任の補完・誘導という側面を有する。
環境以外の要件でも第三者の了承が事業継続の条件に
相談を受けた案件・事業について、住民の置かれて
なった。さらに、2000年代には費用便益比(B/C)など
いる状況がまず基本原理となる。そのうえで、当局が設
事業継続・実施の条件を厳正化する世論の高まりにより、
定する①基本調査、②実現可能性検討・費用対効果
計画交通量の見直し、都市計画決定の見直しなどがす
分析、③環境影響評価、④工事、⑤供用の各段階に
すむ流れのなかにある。
おいて、事業者と住民の理解を醸成する関係が適正に
しかし、環境アセスメントの結果を左右する計画交通
構築されているか、当局の検討や結論が適切か、当局
量の算定はブラックボックス化されたままである。また、
の検討・評価手法に込められた条件に偏向や割り切り
費用便益比(B/C)分析の走行時間短縮便益では、対象
はないか、設計や工法・材料は妥当か、あるいは住民
道路の問題がある。対象道路として、路線別に計算結果
側の主張が十分かなども検証し、対策を助言しつつ意
が示される「主要な周辺道路」と、一くくりで計算結果が
見を提供する。
示される「その他の道路」がある。多くの場合、走行時間
Jr
3.活動の実例
他に紹介したい事例は多くあるが、道路問題の調査
この20年間に国土研での道路に関する調査研究と
研究で陸路となるのは、計画交通量の予測と費用便益
相談の案件は50件以上になるが、今後の活動に活か
す観点から、いくつかの具体的な事例について振り返
比(B/C)の不透明性である。東九州自動車道(椎田南
∼宇佐)での事例では、具体的な道路設計を住民が自
ってみる。
ら立案し、各基準に合致し、かつ地域の利益に根ざし
国土研の活動は住民の安全を大前提としているが、
たルートの優位性を訴え、費用便益比(B/C)でも当局
住民の要求を一歩でも前進させた事例として、明石市
案より優ることを示した。国土研は、住民作成案と当局
大蔵朝霧地区の高架道路建設計画、西宮市北部水源
案を照査し、事業認定差し止め訴訟控訴審でそのこと
池上の阪神高速道路建設計画がある。前者では、住民
を裏付ける意見書を作成したが、まったく顧みられず
要求の地下道路化を提案し、実現はできなかったもの
敗訴となり、事業認定が強行された。今後の事業認定
の、高架の場合、騒音の予測値が環境基準をオーバ
取り消し裁判では、先に指摘した経済性分析に関する
ーすることを示し、県のアセス条例の対象外であった
不透明性を打破し、不当性を立証することで裁判官に
が、市当局の騒音対策の回答を引き出すことができた。
国民利益を優先する判断を促すことが課題である。
4.直面する課題(1)未成熟な制度
今後の国土研の道路問題についての活動の方向性
のひとつとして、都市計画やまちづくりという広い観点
から道路と住民生活との関係を捉えた調査研究があげ
写真 金仙寺湖の高架橋(阪神高速道路㈱HPより)
られる。戦前や戦後まもなく決定した道路計画が、半世
後者では、西宮市の北部水汲池の金仙寺湖を高架で
紀以上も温存され、住民の意に反して突如強行されて
阪神高速道路北神戸線が建設される計画が示され、
いる。その反面、そういった都市計画を見直す機運が
SPMや粉じん、有害物質を積んだ車両の事故など、飲
国民や行政の双方に拡がりつつある。
料水の水質に大きな影響が出るため、国土研は地下
日本の都市計画の制度は、民意を諮る観点だけで
道路案が可能であることを示した。住民は粘り強く交渉
なく、技術的にも甚だ不十分な制度である。市街地開
し、地下化は実現できなかったものの、将来、シェルタ
発(区画整理・再開発等)などの予算制度なども含め、
ー設置が可能な構造とさせ、また、水質保全等につい
道路を核としていかに円滑に事業を進めるかという観
て、西宮市・兵庫県・阪神高速道路公団と確認書を交
点で制度設計がなされている日本の社会基盤整備は、
換することができた。
道路特別会計が終わる局面において大きく改善させる
現在も、阪神高速道路淀川左岸線(2期)建設問題は、
機会があったはずである。しかし、実際には予算の査
大阪府公害審査会で調停中であるが、堤防内に高速
定方法が多少変わっただけであり、多くの問題が手つ
道を設けることで堤防の安全性が低下することと高速
かずのままである。
道路による住環境の悪化を指摘し、中津コーポ住民の
現制度下では確約されていないが、国民の利益と環
みなさんの運動を支えている。とりわけ、基本設計は2
境・地域住民の負担軽減をより高度にバランスした社
011年度末に延期されたにもかかわらず、いまだに示
会的総合評価の高い道路計画をつくる必要がある。当
されないままで、遅れている理由についても説明がさ
事者すべてにとって、民主的かつ包括的に、ルート計
れていない。阪神高速道路大和川線では、住宅の前
画案などの比較と選定を時間の制限無く公開の場で行
の市道に沿って流れる河川部を地下40mまで掘り下
う段階を持つことが望まれ、その議論の量と質が、道路
げて高速道路を建設する工事が始まっている。川は宙
事業の成否として問われているのである。
づりにされた管路に流すという常識外れの設計である。
不経済な事業の「打ち切り」は、客観的に行うべくそ
住民のみなさんは、当然、工事が始まる前から反対さ
の道筋は用意されているが、窓意的に算出されたB/C
れ、シールド工法への変更を訴えて係争中で、国土研
は逆にそれをくぐり抜け、事業強行を後押しする役割を
は、工事が及ぼす住宅への影響と雨水の氾濫が必至
果たしている。また「事後評価」でも現情勢ではB/Cの
と指摘し、住民の安全を求めて、調査研究をすすめて
不透明な時点修正で留まり、形骸化している。これらに
いる。
対し関与する指標を拡大させ、同時に計算過程の透明
3g
性を高めることが重要である。
ない。それを当局主導にさせず、住民の利益になるよ
既存の制度・手法は、あらゆる観点において根本的
う整理誘導しなければならない。行革、郵政・道路公団
に成熟しているものではない。このことを前提に検証し、
解体、道路特別会計廃止等の経緯を経て、いっそう国
住民の要求実現と制度・行政の改善を勝ち取ることが
民の利益にならない、事業と制度とのマッチングを図ろ
できるよう、論点を提供することが必要である。
うとする行政の策動が続いている。
未着手都市計画道路などについて、行政にとっても
5.直面する課題(2)事業者一住民間の格差
これらの仕分けが急務となっている。しかし、見直しを
問題事象に対し国土研が関与する際に、端的に当
円滑に行うことは制度的に担保されておらず、検証の
局情報公開の遮断や住民運動の柔軟性不足が障害と
動きが逆に「至急着手」という流れをつくりかねない状
なり、効果的な対策の提示が困難になる。それらは道
況にある。
路整備の制度や慣習が、以下のような共通した性質を
住民の反発や矛盾が大きい計画では、それが国民
持つことにより、事業者が優位性を暗に担保されている
の眼前に表面化する段階での事業の熟度は今後さら
ため引き起こされる症状である。これらをふまえて対抗
に上昇し、巧妙化する傾向がある。前項で触れたように
していかなければならない。
まず調査行動の立ち上げを事業のより初期に、迅速に
・住民など利害関係者を、議論から切り離す工作が込
行う必要がある。
められている。(事業者が有する戦略の優位)
また、予算を絞り込む事業の選択と集中が理念とし
・行政の各機関と道路事業者が連携し、補完しあって
て行政に定着し、道路に関しては特に、より大規模で
いる。(事業者が有する組織の優位)
短時間に完成させる覚悟が強まっている。当該年度投
・底流として都市計画法・土地収用法に依存している。
資予算が枯渇していることで逆に債務負担行為や委託
(事業者が有する法の下の優位)
等の手法により事業者の動きが水面化に隠れる傾向が
・学識経験者や裁判所判事は、当局と同族的・依存的
あり、関係住民が見ても進捗に気付かないことが多く、
価値で誘引されている。(事業者が有する外部関係の
注意を喚起しなければならない。
優位)
・住民側当事者の価値観や利害関係は様々で、基本
7.直面する課題(4)多様で柔軟な視点
道路構造令は1993年にスペックが拡大され、狭い国
姿勢を統一しにくい。(住民が陥る内部の劣位)
これらを克服するためには、国土研の相談活動が、
土での最低限の道路構造から、快適・高速・多機能な
できるだけ事業の初期から関わることが第一に重要で
道路としての整備が促され、地方道路についても国庫
ある。事業者や行政の裁量や優位性は、事業が進捗
補助の適用に際して事実上適用された。しかし、結果
すればするほど硬直し、かつ拡大する。
的に建設費用増大、道路環境悪化、管理負担増大及
事業の計画を見直すべきとき、行政側の手戻りが少
び用地買収困難や本来受益地となるべき土地の減少
ないうちは、タイムリーな議論を仕掛けることにより、住
などが顕在化し、デメリットがようやく認識されることに
民の要求実現の可能性が高まる。早期かつ相互に軽
なった。
い負担のうちに得た成果があれば、その価値観が行政
国土交通省は最近、構造令旧規格の適用やダウン
などと共有され、前述の種々の優位性を打ち消しうるも
グレードを認めるなど柔軟適用の可能性に触れており、
のと考えられ、制度改善など行政改善の方向をも定め
この流れを住民の利益として実現する積極的な助言を
ることになる。
行うことが国土研としても適切である。また、国のみなら
対策の着手が遅いケースや、道路建設後の課題もあ
ず、本来は法の趣旨に基づき自治体ごとに独自に道
り、それぞれの段階からの検討となるが、いずれの場
路構造を定めることとなっている地方道路行政の自律
合も早い段階での調査開始が、住民要求実現の程度
した責任を強く求めることが重要である。
を左右する大きな要素であり、前述した事業者の優位
様々な外力や地震波等に適応する構造物を擁し、
性を少しでも打ち消すことになる。
浸水・山地崩壊などを想定し、災害避難路としても整備
される道路は、言うまでもなく地域生活の利便も反映し
6.直面する課題(3)粗暴化する道路事業者
た総合的な観点で計画され、又は取り止めにならなけ
道路整備手法の複雑化、陸路化は今後も避けられ
ればならない。地域に即した道路整備の要件を、行政
ゴア
側の制度適用のなかにありがちな悪平等的な側面や、
検討不足の計画について事業者に変更を求めていく。
大規模な事業を優先するいっぽう、生活道路の事業
評価にもB/Cが持ち込まれていることは、地方の社会
基盤を意図的に衰退させることを事実上定義づけてい
る。これらが引き起こす「社会基盤の貧困」にも対抗軸
を提示し、国土交通省や総務省が研究を一時進めて
いた「コンパクトシティ」化の動向を注視していく必要が
ある。
柔軟な視点をもって分析し、損益に結びつく多様な
価値の調整に基づいて、国民や当事者の最良の選択
肢を示すことが重要である。
8.直面する課題(5)国民の力を伸ばす活動へ
東九州自動車道に対して住民が実践してみせたよう
に、国民自らが公共事業の事業者に科学的に対抗しう
る素養が、確実に高まっている。このため、国土研は地
域住民の力量と意欲を伸ばし、要求実現のため助力す
る役割を果たすことが期待される。
道路構造令など土木施設に関わる現基準は、計算
機がじゆうぶん普及していない時代に近似式として確
立されたものが多く、道路線形や主要構造物形式決定
にあたって、当局が想定するケースだけに留まらない
様々なオプションが、実際には検討されないまま無視
されている。これらの検討可能性を適時提示し、住民
の議論を喚起していくことができる。
それに加え、地学的所見、構造・耐震設計、地盤・水
理分析や、法学・経済学など専門的知見を持ち寄り、
幅広く学識経験者・業務経験者の参加と連帯のもと、国
民の利益に即した総合的意見を発信できることは国土
研の大きな力である。阪神淡路大震災後がそうであっ
たように、東日本大震災以後飛躍的に研究が進むこと
が期待され、それらをいち早く住民の利益に結びつけ
る役割を果たすことも重要である。
現在の到達点として、国土研が関与した課題での当
局・事業者との対峠の結果については、成果を勝ち取
ったものもあれば、不十分かつ未解決なものもある。し
かし、関わったそれぞれの問題について、住民要求を
実現する可能性を引き上げ、社会基盤整備分野にお
ける住民自治の運動促進と活性化が実践されているこ
とは、各課題に共通しているものと考えられる。
以上の観点をふまえ、国民の利益と住民生活を守る
ために、複雑かつ深刻化していく道路事業者と国民の
利害対立に際し、科学的な解決を追求していく。
jg
「50周年記念誌」書き込みシート(1)工事災害
1)調査活動報告一覧(1992年以後)
1・隣地工事による宅地・家屋被害問題 10件
◎京都市山科区の隣地掘削による家屋被害調査(1993年開始)(不等沈下)
・隣地掘削による藤木宅への影響に関する検討報告書;報告書9304(1993年6月22日報告)
・隣地掘削による藤木宅への影響に関する調査報告書;報告書9305(1993年7月2日報告)
◎長野県下諏訪温泉不等沈下問題調査(1990年開始)(不等沈下)
・高濱温泉旅館不等沈下原因調査検討報告書(中間報告)‥報告書9301(1994年5月9日報告)
・高濱温泉旅館不等沈下原因調査検討報告書Ⅰ・Ⅱ;報告書9404(1994年8月24日報告)
◎大阪府吹田市 斜面防災に関する鑑定調査(1998年開始)(地盤安定))
・吹田市擁壁鑑定書;報告書9808(1998年12月24日報告)
◎京都市西京区樫原 擁壁工事と家屋被害に関する鑑定調査(2001年開始)(地盤安定)
・京都市西京区樫原山ノ上町の家屋被害に関する鑑定報告書;報告書0112
◎沖縄県具志川市 道路の排水不良による宅地地盤被害調査(2003年開始)(地盤安定)
・意見書 沖縄県具志川市の福里良美さん宅の被災状況について;報告書0407(2004年7月7日)
◎茨城県ひたちなか市の下水道工事による宅地沈下問題鑑定調査(2004年開始)(不等沈下)
・(茨城県ひたちなか市の下水道工事による宅地沈下問題)鑑定書‥鑑定調査報告書;報告書0408
・茨城県ひたちなか市の下水道工事による宅地不同沈下問題;国土問題 69号2008
◎山梨県韮崎市 公共下水道工事による家屋被害調査(2005年開始)(不等沈下)
・韮崎市公共下水道工事による家屋被害に関する調査報告書;報告書0603
・山梨県韮崎市公共下水道工事による家屋被害に関する調査;国土問題69号2008
◎京都府井出町 公共下水道工事による宅地被害調査(2007年開始)(不等沈下)
・京都府井手町の公共下水道面整備工事(1996年)に伴う宅地被害に関する意見書;報告書0702
(2007年9月報告)
◎奈良県葛城市の塾王丞漏水問題調査(2005年開始)(地下水)
・奈良県・葛城市の畜産農家 漏水調査について(経過報告,和解調書つき);報告書1009
(2009年1月29日和解連絡)
◎岐阜県海津市農業用水路工事被害調査(2011年開始)(不等沈下)
・海津市土方邸の農業用水路工事被害調査報告書:報告書1200(2012年4月20日報告)
2.開発t公共工事による周辺宅地・家屋被害問題 4件
◎大阪市 片福連絡線工事に伴う宅地被害調査(2000年開始)(不等沈下)
・片福連絡船工事に伴う宅地被害に関する調査レポート;報告書0105(2001年5月報告)
◎千葉県習志野市実籾のマンション建設と周辺の不等沈下に関する予備調査(2007年開始)(不等
沈下)・習志野市実籾のマンション建設と周辺民家の不等沈下に関する意見書
;報告書0903(2007年3月28日報告)
◎東京都 圏央道八王子城跡・高尾トンネルの調査(2006年開始)(地下水保全)
・圏央道八王子城跡・高尾山トンネルの環境調査報告書 第1編・第2編
;報告書0604(2006年11月28日報告)
1
37
・圏央道八王子城跡トンネル‥奥西一夫証言調書2005年7月3日;報告書0905
◎神戸市北区の再開発(区画整理)による土地造成と沈下被害の調査(2010年開始)
(土地造成・不等沈下)
・神戸市北区の再開発(区画整理・換地)による土地造成と宅地の沈下被害に関する調査報告書
;報告書1102(2011年1月30日報告)
3・開発・土地造成t公共工事等による周辺宅地Ⅰ家屋の危険性の調査 2件
◎京都市左京区 半鐘山開発に関する調査(1998年開始)(土地造成)
・京都市左京区半鐘山宅地開発計画の問題;報告書0108(2001年8月報告)
・京都市半鐘山開発問題;国土問題63号2002
◎京都市右京区梅ヶ畑 介護老人保健施設の建設にかんする調査(2000年開始)(土地造成)
・介護老人保健施設ほほえみ建設計画に関する安全性調査報告書;報告書0107(2001年8月報告)
・介護老人保健施設ほほえみ建設計画に関する安全性調査報告書(第二次)
;報告書0114(2002年1月報告)
2)このテーマによる調査活動の総括
① 工事災害の定義
工事災害に関連して、公共工事における補償基準の中に「事業損失」と称するものがあり、公共
事業の施行に起因して隣接地等において不可避的に生ずる損害等についての補償制度をさしている。
「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(昭和37年6月29日閣議了解)「第三」を受けて、
損害種別毎に策定されているが、「日陰」「テレビション電波受信障害」「水枯渇等」「地盤変動」「騒
音」について事務処理要領が制定されている
事業損失の内、工事を原因とする損失・損害、不利益等については特に「工事損害(あるいは工
損)」と称しているが、「工事災害」はこの「工事損害」と同義語として取り扱うこととする。
② 工事災害の案件の種別整理
今回対象としている1992年以降における国土研が調査活動・報告を行った中で、工事災害に分類
したのは16件(20報告書等)である。災害予測に関わるものは工事災害対象外とした。
16件の工事災害について種別整理を行った。
公共・民間工事別では、公共工事10件、民間工事5件、土砂流出1件となっており、公共工事が
多数を占める。民間工事5件についてもマンション建設2件、福祉施設建設1件、宅地開発1件と
ほとんどがデベロッパーが関わっている。公共工事10件は下水道4件、道路2件、鉄道1件、区画
整理1件、改良区2件となっている。
国土研が取り扱った工事災害の原因者は、公共(国、自治体、改良区、JR)とデベロッパーであ
り、いわゆる強者に属する立場の存在であり、逆に被害者は一個人、一個人業者、地元個人団体な
どであり、被害回復の程度により今後の生計に支障が出かねない弱者に属する立場の方である。
また、既に裁判に移行したタイミングでの依頼が14件と圧倒的に多い。被害の原因の立証、被害
程度・補償額、被害復旧対策などを求めるものが多いが、災害種別では、地盤の不等沈下8件、地
盤安定3件、土地造成2件、地下水関係2件なっており、工事種別は様々だが、地盤や地中での土
木・建築工事に関わって発生したほとんどが地盤関連被害である。
公共民間
16
公共工事
10
民間工事
5
土砂流出
災害種別
16
不等沈下
地盤安定
1
8
3
16
下水道
3
地下水
土地造成
工事別
道路
2
1
2
マンション等
宅地開発
1
2
裁判前
鑑定書
報告他
2
16
個人
1
住民団体
1
原告住民
16
原告住民団体
裁判所
意見書
報告書
依頼者
14
1
2
3
16
裁判中
成果品 種別
改良区
他民民
4
鉄道
区画整理
裁判
3
3
3
8
3
2
③ 因果関係の立証責任と裁判の現状
地盤関連被害の因果関係の立証については専門調査が欠かせない場合が多い。
前述の「地盤変動」等に関する事務処理要領では、「公共事業に係る工事の施行により不可避的
に発生した地盤変動」を前提として、「事前調査」(損害等が生ずるおそれがあると認められると
きは、当該損害等に対する措置を迅速かつ的確に行うため、工事の着手に先立ち、調査を行うもの
とする。)と「被害発生後の地盤変動の原因等の調査」(損害等の発生の申出があったときは、地
盤変動による損害等と工事との因果関係について、速やかに、調査を行うものとする。)や「損害
等が生じた建物等の調査」を当局の責任において行うよう定めている。そして「受忍の範囲を超え
る損害等」に対する「必要な最小限度の費用を負担することができる」としている。すなわち、損
害が「不可避的」と損害の回避努力を前提とし、やむをえず発生する場合の被害に対して、因果関
係の立証には多額の費用が必要となる場合があることや、事業の円滑な実施のために、事業実施当
局側に立証責任がある旨を定めているのである。
しかし、損害の訴えがあれば事業実施当局において立証責任を果たすように求められているにも
関わらず、訴訟に移行せざるを得ず国土研への立証等の依頼が多い現状である。
立証責任を果たさないだけでなく、被害を最小限にするための努力の痕跡がみられない安易な施
工方法、事前調査も不十分、事後も形式的な調査、その上、調査のデータ開示に非協力、補償交渉
についても誠意がみられない等の事例が多い。まさに強者が弱者を脅かしている。
これに対し、被害者は、やむをえず弁護士の協力を得て自費で因果関係立証のための調査を行い
非協力的な、事業施行者に対抗するが、裁判に移行した段階で事業施行者はますます非協力的な対
応に終始し、裁判官も呼応するかのように敗訴判決を行う場合が多い。
国土研には、このタイミングで依頼される場合が多いが、最近相談を受けている案件では、国土
研に相談を思い立った理由について「公正でボランティア的対応」をあげている。利害関係がなく
一定の社会実績があり科学的立証が可能、調査費用等も実費ベースで安価という意味と考えられる。
④ 公共事業施行者に求められる姿勢
国土研がかかわった16件で見る限り、9件の公共事業施行者により無責任な対応が行われている
が、なぜそういう対応を行っているのか。全国の公共工事はきわめて多数あり、大半は争いに発展
しない対応であると考えたいが、近年誠実な対応を困難にする様々な要因が増加している。それは
3
射
7
公共事業施行者・請負の施工業者ともに、予算・人員・工期等の制約の厳しさが障害となっている。
とりわけ土木関係組織において「技術者の技術力低下」に関わって現状把握と小手先の様々な対策
が講じられている。その現状把握の一部を紹介するが、不誠実対応の背景が見える。
公共事業は「公共の利益」のために国や自治体等が行うものであるが、このために一部のものに
特別の犠牲を強いるものであってはならない。
資料1)自治体技術者の例から=ぐんまの土木技術者の技術力を向上させたい−「土木技術者の技術
力向上プログラム」の策定一群馬県県土整備部監理課建設政策室(2007年5月)
現場で起きている問題
1)現在抱えている問題(県職員アンケート)①設計や施工に関する技術力の低下(特に若
手職員)②現場職員の時間的余裕不足(余裕をもって仕事ができない,技術的な検討をする時
間がない)③若手職員が現場へ行かない(積算・工事書類に追われている)④担当業務に必要
性が感じられない(特に若手職員)
2)県監督員の問題点(建設会社技術者,測量・設計会社技術者アンケート)
①「協議しても適切な回答がない,遅い」②現場に来て,現場を把握して欲しい
資料2)国土交通省技術者の例から=国土交通省技術事務所「技術力の継承に関する取り組みについ
て」(2008年) 技術力確保・向上で障害となっている点
・業務多忙。(業務が多様化して技術的課題に集中できない)・マニュアルに頼りすぎ。(技
術力がなくても仕事ができる)・職員自身の意欲不足。 ・指導者不足。等
資料3)国土交通省の方針=国土交通省公共事業コスト構造改善プログラム(2008年3月)
工事コストの低減だけでなく、工事の時間的コストの低減、施設の品質の向上によるライフ
サイクルコストの低減、工事における社会的コストの低減、工事の効率性向上による長期的コ
ストの低減を含めた総合的なコスト縮減について、「公共工事コスト縮減対策に関する新行動
計画」(以下「新行動計画」という。)を策定し取り組んだ結果、平成14年度までに工事コ
スト縮減率13.6%を達成した。
⑤ 国土研は要請に応えられているか
国土研への依頼の多くは、既に訴訟が一定進行し比較的行き詰ったタイミングで、且つ安価な費
用を前提として持ち込まれている。国土研としては、依頼者・依頼内容等を確認した上で、調査団
を編成する。団は、調査内容を想定した研究者・技術者・行政実務経験者などをメンバーとして編
成している。近年、担当者の分野的広がりが見られる。
また、安価な依頼費用は、科学的立証・「現地主義」との関連で矛盾するが、調査団の幅広い構
成、既存データの活用、依頼者・弁護士との共同作業などの「総合主義」で、依頼者の求めに最小
限応えている。
しかし、被告側によるデータ開示を極力抵抗する姿勢や裁判官の行政当局寄りの姿勢に、必ずし
も原告勝訴とはなっていない。また、弱者・少数の原告であるが故に、裁判の枠内にとどまり、世
論の支持を訴えるまで行かない点も判決結果にあらわれている。
国土研において、調査完了後の被害回復の状況や結果、裁判結果など、その後どうなったのかの
追跡が必要と考える。保存文書で見る限り、一部を除き、結果の記録・継承が不十分で、調査団貞
のみの記憶の世界にとどまっている。調査活動の総括をしてこそ教訓につながる。
以上
4
5綿
<50周年記念行事シンポジウム 裁判に関わる活動>
1 国土研が最近関わった裁判事例
① 韮崎市下水道工事による家屋被害問題
② 井手町水道工事による家屋被害問題
③ 福岡市こども病院人工島移転先用地売買金返還請求
④ 神戸市区画整理事業による家屋被害問題
⑤ 山口県宇佐川水害損害賠償請求
⑥ 東九州自動車道ルート変更請求
⑦ 西宮はり半跡地開発許可取消訴訟
災害被災者(水害、工事災害など)の救済、公共事業(道路、ダムなど)の差し止め
開発許可取消などの裁判を支援
2 行政裁判における裁判所の姿勢
A 住民の訴えをまともに受けとめて審理する姿勢がない
B 事実を見ない
C 技術基準違反を容認する
2−1Aにかかわるもの
⑥道路建設予定地の所有者が現計画より経済的・妥当なルートを提起。判決は判断避ける。
⑦土石流危険渓流を埋め立てて開発することは防災上、自然環境保全上問題ありとして提
訴。高裁の判決文は一言も触れず。
2・2 Bにかかわるもの
②ズサン工事を示す工事写真無視、住民側主張を裏付ける鑑定2本も無視。
③軟弱地盤で、かつ液状化の危険もある博多湾人工島にこども病院移転計画。基礎地盤に
達する深さまでボーリング調査せず。N値計測せず。
2・3 Cにかかわるもの
⑦技術基準についての裁判所の考え方は別紙
技術基準に合致すれば許可しなければならない。合致しなくても許可しうる。
3 法廷闘争の長所と限界
行政が持つ資料などを公表させるのに有効。
しかし、法定内のたたかいだけでは良識欠如の判決がまかり通る。
≠5
<資料> はり半の高裁判決文から
(宅地防災マニュアル、開発許可制度運用指針)
上記マニュアルは行政担当者が開発事業を審査する際の参考に供するためのものである
し、上記運用指針は、地方自治法245条の4に基づく技術的助言であるとしても、行政担
当者の許可権限を拘束するとの根拠を見出すことができないから、仮に、本件処分に上記
マニュアル及び上記運用指針に沿わない点があるとしても、そのことから直ちに、本件処
分に取消事由があることになるわけではない。そして、西宮市長は、本件許可申請につい
て審査した結果、法令が定める審査基準に適合する限り、これを許可しなければならない
のであるから、法令が定める審査基準を離れて実質審査を行うことができ、かつ、そうし
なければならないことを前提とする控訴人らの主張を採用することはできない。
(多段擁壁)
多段擁壁を築造する場合において、上段の擁壁の荷重及び下段擁壁の支持力について十
分に余裕を持った数値で安全を確認することを否定するものでもないことに加え、本件開
発計画においては、そのような余裕を持った数値で安全を確認していることが認められ…
(新設水路の流速)
本件新設水路の水路工Aと呼ばれる部分における流速が控訴人ら主張の基準(毎秒0.8か
ら3m)を上回るとしても、そのことによって、上記水路工Aの水路床を過度に磨耗させる
とは考えられない…
(跳水高さの計算)
控訴人らは、原判決が跳水による溢水が発生しないとするに当たり根拠とした原審証人
川谷の証言及び同人の鑑定書は全く信用できない旨主張する。しかしながら、控訴人ら指
摘の証拠は、その具体的な理由付け及び計算過程と相侯って十分信用することができる…
(残地森林と造成後の植林)
兵庫県土木部の「調整池指導要領及び技術基準」のうち調整池指導要領第2の2に「こ
の要領において『開発』とは、土地の形質等を変更する行為で、河川の流出量の増大をも
たらすものをいう。」と規定されていること、河川の洪水流量の増大があるかどうかは、地
表の流出係数に変化があるかどうかで判断されること、控訴人指摘ら指摘の森林緑地に復
旧する部分は、調節放流域に当たるが、森林から森林へ造成し、流出係数は0.7で変化がな
いことから残地森林と同様とみなし、直接放流域から除外して良いと判断されていること
がそれぞれ認められる…
(地下空洞の存在)
本件会社は本件処分後、控訴人ら指摘の地下壕の安全・安定化を促進するために空洞充
填の処理を行い、処理後の検査で重点閉塞できたことを確認し、これを西宮市長に報告し、
同市長は、同報告の内容を確諷していることが認められることから…
女ゲ
50 周年記念シンポジウム報告:開発と地盤の問題
国土研設立からの 40 年間の開発と地盤の問題に関する調査活動の総括が「国土問題」63 号で行わ
れている。
本報告は設立 30 周年の 1992 年以後現在までの 20 年間の調査活動を総括するものである。
国土研設立以来の 50 年間を前半の 30 年と後半の 20 年に分けて,その間の際だった違いを挙げる
と,前半期には調査件数が 51 件(1 年あたり 1.7 件),後半期は 62 件(1 年あたり 3.2 件)とほぼ
倍増している。そして,前半期にはそれぞれの調査を担当する会員の数が少なく,1 人で担当した場
合も多かったようであるが,後半期にはおおむね 3 名以上の会員が担当している。これは,ひとつに
は開発と地盤に関わる専門の会員が増えたことに起因しているが,その他に,狭義の開発と地盤とい
う枠組みに収まらず,治水,工事災害,道路問題,環境問題などにもまたがる課題について調査依頼
を受けることが多くなり,これまでよりも広い範囲の専門の会員が担当する必要が生じたことも原因
していると考えられる。
その結果,調査団の中での討議が活発になり,専門的な内容を深め,ひとつの調査の成果を他の調
査に生かすということも多くなってきた。また,専門が異なる調査メンバーの間の討議を通じて,調
査3原則(住民主義,現地主義,総合主義)の中の,総合主義の実現に向けて大きな進歩があったと
評価できよう。
住民主義に関しては問題が残されている。ある程度以上の規模の開発行為に関連する調査において
は関係する住民が多く,住民との対話を通じて住民主義を実現することが比較的容易であると考えら
れるが,小規模な開発や土木工事に伴う宅地 家屋被害などでは,影響を受けるごく少人数あるいは
1所帯の住民から調査依頼を受けるケースが多く,調査のなかで住民主義を実現しているという確信
が持てないことが少なくない。また,顕在的・潜在的被害者の中で,国土研に調査を依頼するに付い
ての費用負担に耐えられる住民は限られており,問題を抱えている多くの住民を置き去りにしている
という心理的プレッシャーもある。しかし,多額の費用負担に耐えて国土研に調査を依頼する住民の
中で,かりそめにも利己的な動機で調査を求める人は皆無であると断言できる。これは,国土研が特
定の個人の利益のために活動するものではないことを理解してもらっているということもあるが,依
頼者の側にも,同様の問題を抱えながらも費用負担の点で国土研等への調査依頼を諦めざるを得ない
人が多いことを知り,そういう住民をも代表して国土研に調査依頼をしているという意識が共通的に
感じられる。そのため,住民主義の実現に関して重大な問題点を指摘されることはこれまでなかった
が,住民主義の実現レベルの向上を図る必要性は高い。例えば住民要求の地域的差異に国土研が振り
回されないためには,国土問題の地理学的な総括をきちんとしておくことが必要であろうし,現時点
における住民要求と次世代におよぶ長期的な住民要求の間で迷いを生じたりしないためには歴史学的
な観点をしっかり持つことが必要であろう。このような必要性を満たすためには,社会人文系を専
門とする会員を増やし,かつ開発と地盤の調査に直接あるいは間接に関与していただく必要がある。
現地主義を実行するために,現地に赴き,現地で物を考えることが重要であるが,国土研会員の多
くが居住する京阪神地域から離れた地域に関する調査では旅費の負担を軽減するために,ややもする
と現地調査を制限して資料調査に依拠してしまう傾向が生じていることは否定できない。これについ
ては,住民主義について述べたのと同様に,総合主義の徹底によって補完する以外にはないであろう。
もう一つ重要な問題は開発地や工事場所の土地所有や土地使用権と関係し,経費の問題とも絡むが,
45
地盤特性に関する調査データが事業者に独占され,また住民が必要とする地盤データが開示されなか
ったり,意図的にせよ無意識にせよ調査されなくて取得できなかったりすることが極めて多いことで
ある。このことが真の現地主義の実現を阻んでいると言える。環境問題に関しては,かなり規模の大
きい事業に限定されるものの,法律(環境影響評価法)による義務づけがあるので,必要最小限のデ
ータ取得が可能であるが,開発と地盤に関しては,宅地造成規制法などの法規定はあるものの,調査
データの取得 開示に関する義務規定は緩く,裁判においても法律に明示された義務に違反しなけれ
ば,事業者の過失を認めないなど,住民と住民を支援する国土研に対する壁は厚く高い。この点を強
く世論に訴え,状況の抜本的な改善を図る必要がある。
46
安威川ダムについて
安威川ダム反対市民の会(代表
江菅洋一)
大阪府安威川(あいがわ)の治水を考える流域連絡会(代表
畑中孝雄)
当日配布した資料は下記 URL に掲載されていますので,
そこからダウンロードして下さい。
http://suigenren.jp/wp-content/uploads/2012/11/cecf5b9f324d24fab938380221354709.pdf
55
情報公開制度の拡充を
中津リバーサイドコーポ環境を守る会
廣瀬平四郎
議事録、打ち合わせメモは、黒塗りで開示
淀川左岸線2期事業に関する技術検討員会(以下技術検討委員会と称す)は、
平成23年5月13日に開催され平成24年3月末までに5回開催して終了す
る予定で発足しました。その後第2回(同年7月8日)、第3回(同年11月2
9日)開催後、現在まで1年弱の期間開催がストップ、再開のめどが立ってい
ません。3回分の議事録、打ち合わせメモ等を情報公開請求しましたところ、
議事録・打ち合わせメモは、委員の発言部分をすべて黒塗りで非開示としまし
た。
技術検討委員会は、高速道路建設により堤防を現状より弱体化させないこと
を主眼に検討・協議する有識者委員会として設置されました。淀川の堤防が、
淀川左岸線2期事業により河川管理上どのような影響が有るのか、無いのかを
検討中の記事録、打ち合わせメモを情報公開請求したところ全て不開示とされ
ました。この事業区間は、大阪市内の中枢部に位置し、地震・津波により淀川
左岸堤防にもしものことがあれば市民の生命財産に甚大な被害が予想されると
多くの学者が指摘しています。大阪市は、会が平成24年5月28日に提出し
た「海老江~新御堂筋(国道423号)間の淀川左岸堤防が、震度の強さによ
って液状化することを想定しているか」の質問に「淀川左岸では、地震による
液状化により、堤防が数十 cm~1m程度沈下すると想定しています。」と8月9
日に回答しています。大阪を襲った地震と津波展(大阪歴史博物館平成24年
8月26日まで開催)では、東海・東南海・南海3連動地震が発生した場合大
阪市内は約4mの津波に襲われると想定した展示がされていました。有識者が、
知見にうらづけされた技術検討員会での論議中の議事録・打ち合わせメモなど
は、市民に広く公開して地震・津波対策を計画することが、非常に大切だとの
思いで公開を求める裁判を行いました。
有識者委員会での議論はすべて公開を
公文書部分公開処分取消請求裁判
平成24年8月22日大阪地方裁判所民事7部へ訴状提出
平成24年10月23日第1回裁判
平成24年12月18日第2回裁判
国・大阪市の不開示理由
58
① 公にすることにより委員間の率直な意見の交換若しくは中立性が損なわれ
るおそれがあるため
② 公にすることにより、市民に混乱を生じさせる恐れがあるため。
不開示とした部分の取り消しを求める理由
①について
公開を求めている議事録、打ち合わせメモは、淀川左岸線2期事業に関する技
術検討委員会で各委員がこれまでに研究してきた技術的、専門的な知見を基に
議論・検討している過程であり、個人の思想良心にもとづく発言ではありませ
ん。
もし発言者名は伏せても、議論の内容は公開するべきです。また発言者名が
伏せられた状態で、文書を公開しても、率直な意見の交換、もしくは意思決定
の中立性が不当に損なわれることは有りません。
しかも、委員会の責務は、現在計画中の堤防の安全性をいかに維持するか、
についての議論です。すなわち、堤防との一体構造物(スーパー堤防と高速道
路が一体化した構造物)を造ることで堤防の安全性を保つことが出来るのかと
いう検討事項は、国民・市民の生命身体の安全性に直接係る事柄です。また、
科学的真実ないし公共の利益に関する事項を審議する委員会での議論であるか
らこそ、公開が強く求められるものです。
②について
議事録・打ち合わせメモを公開しても混乱は生じません。なぜならば、公開
を求めている議論は専門的・科学的な議論です。そのためむしろ公開すること
でかえって市民の理解が正しくなり、誤解や憶測がなくなります。
また、公開を求めているのは、淀川の堤防との一体構造物を建設することに
よって、堤防の機能ないしは安全性にどのような影響を及ぼすかについての委
員会議事録等です。
委員会は、現存する淀川堤防の安全性を議論しているものではありません。し
たがって、一体構造物いまだに存在していない状況下では、情報公開しても住
民に混乱を招く事態にはなりません。むしろ、これから建設しょうとする一体
構造物について、情報を公開しないことが「不都合な事実があるから隠そうと
しているのではないか」との推測を呼び混乱を生じさせる可能性が高いと言え
ます。
59
Fly UP