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軍司令官 乃木希典大将 参謀長 1 6P弓 1 6Pl 1 6Pl 1 2Pl

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軍司令官 乃木希典大将 参謀長 1 6P弓 1 6Pl 1 6Pl 1 2Pl
資料編 ・1
第 二 軍組織 図
◎軍司令官
乃木希典大将
―
第 一 師団 ( 東京) 松 村務本 中将
歩兵第 一 旅 団 山 本信行 少将
―
l
参謀長
歩兵第 三 旅 団 中 村覚少将
伊地知幸介少将
│
ト
│
第九師団 ( 金沢) 大
島久直 中将
歩兵第 六旅 団 一 戸兵衛 少将
歩兵第十八旅 団 平 佐 良蔵少将
第十 一 師 団 ( 善通寺) 土
│
屋光春 中将
歩兵第十旅 団 出 中信義少将
歩兵第 二 十 二 旅 団 神 尾光 臣少将
■ ︱﹂
◎攻城砲兵 司令部
野戦砲兵第 二 旅 団
後備歩兵第 一 旅 団 友 安治延少将
後備歩兵第 四旅 団 竹 内正策 少将
司令官 豊 島陽蔵 少将
大迫 尚道 少将
第 三 軍 ・旅順攻撃 の攻城砲
1 2 セ ンチ相 弾砲
1 6P弓
1 2 セ ンチ加 農砲
1 6Pl
1 5 セ ンチ槽 弾砲
1 6Pl
徒歩砲兵 第 一 独立大隊
9 セ ンチ 臼砲
1 2Pl
徒歩砲兵第 二 連隊
第 一 大隊
5 セ ンチ 臼砲
24門
第 二大隊
5 セ ンチ 臼砲
24門
野戦重砲兵連隊
徒歩砲兵第 一 連隊
徒歩砲兵第 三 連隊
2 セ ンチ加 農砲
0 ・ 5 半 速射加農砲
海軍陸戦重砲 隊
6門
4門
5 セ ンチ 自砲
24門
9 セ ンチ 自砲
12門
2 セ ンチ加 農砲
20門
ネ他 に、 戦利砲 6 門 、野砲 ・山砲 1 8 0Pl。 機 関砲 4 8Pl(後
* 第 二 回総攻撃以降、 2 8 セ ンチ/ r y 弾
1 8Pl
砲
に 8 0Fl)
│
陸
◎ 関東軍 司令官
テ ッセル 中将
ス
旅順要塞 司令宮 ス ミル ノフ中将
東狙兵第四師 団 フ ォー ク少将
第 一 旅 団 ・第 二 旅 団
東狙兵第七師 団 コ ン ドラテ ンコ少将
第 一 旅 団 ・第 二 旅 団
要塞砲兵 隊
ベ
ー ル イ少将
歩兵 三 十 一 大隊、騎兵 一 中隊、野砲兵 九中隊 ( 6 4 門 ) 、 5 7 ミ リ砲 兵 一 中隊 ( 6 門 )
、要塞砲兵三大隊、 ほか工兵 、鉄道兵 、地雷 の各 一 中隊。機 買砲 4 3 門 。
戦 闘総員 は歩兵 2 万 8 0 0 0 名
計 3万 5680名
、騎兵 1 8 0 名
、砲兵 6 4 0 0 名
。非 戦 闘員 を含 めて、総 計 4 万 2 5 0 0 名
の合
。
1 111︲
︱︱
﹁
比較
、工 兵 1 1 0 0 名
旅順攻略戦 にお いて、 最 も 日本軍が苦 しめ られた ロ シア軍 の機 関砲 (銃)。 機 関砲 は、
特 に堡塁の 前面お よび堡塁 内 の側 防火器 として猛 威 をふ る った。 当時、機 関砲 は 一 門で歩
兵 二 個 中隊 に 匹敵す る と言われて い たほ ど、そ の火器 と しての威 力は絶大で あった。
ところが、 どうした ものか、 日露戦争 の 当初 、 日本軍 は機 関砲 を持 って いなか った とい
う俗 説 が 信 じられて い る。桜井忠温 は 『肉弾』 で 「
我 らの最 も恐 るべ き火器」 といい、陸
大教官で 日露戦史 の専 門家 の飯村穣 で さえ、 「ロシア軍 は、わが 軍 の もって いなか った機
関銃 をもって い た」 と公然 と書 いて い る。 まった くの虚構 だ。す で に南 山の戦 間では、 日
本軍 は ロシ ア軍 の五 倍近 い機 関銃 を投入 して いる。
● ロシ ア軍の機 関銃 は、マキ シム 式で、水冷 ・後座式 であった。 日径 は 7・ 6ミ リ、射
ー トル、発射速度 は毎 分 300∼ 400発 。
程距離 1920メ
● 日本軍 の機 関銃 は、ホテキス 式 といい、空冷 で非後座式で あった。 日径 は 6・ 5ミ リ
ー トル、発射速 度 は毎分 500∼
、射程距離 2000メ
600発 。
ロ シア軍 の ものよ り遥か に優秀で ある。第二 軍は、第 一 回総攻撃で は 48門 を投入 し、
一 旅 団 ごと、 ほぼ 6門 の割合 で
装備 して いた 。そ の後 、逐次増加 され、 第 二 回総攻撃で は
総計 80門 を数 えて いる。
日本軍 は性能 ・数量 とも勝 って いなが ら、機 関銃 の取 り扱 いに精通 してお らず、故障 ば
か り起 こして、 ほ とん どそ の威 力を発揮 しえなか った。 これ に対 し、 ロシ ア軍 は機 関銃 の
使用が実 に巧みで あった。堅固な掩蓋 の下や堡 塁の銃 眼 か ら、 丸裸 同然 に突撃 して くる 日
本軍 を斉射す るのだか ら、そ の効果 は絶 大で あった。事 実、第 一 回総攻撃 にお ける 日本軍
の死 傷者 1万 5000余
の うち、 70パ ー セ ン ト以 上が 銃創 (小銃 ・機 関銃 の 傷)で 倒れ
た と記録 されている。
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