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「自殺は問題の終わりではない 始まりである」
「自殺は問題の終わりではない 始まりである」 清 水 新 二(奈良女子大学教授) ●自殺は単純な理由ではない 先ず最初に、自殺は決して単一の理由で生じるものではない、ということを触れておきます。私たち遺さ れた者、周囲の者は当然にも「なぜ?」と思いますが、恐らく逝った人にも本当の原因はそう明瞭ではな いのではないでしょうか。つまり、いろいろな出来事が因となり果となり重なり合って、その人を精神的に 追いつめ、社会的に孤立させ、心理的に絶望させた結果と考えられるからです。したがって、うつやアル コールに関連する精神疾患や、ストレス・マネージメントとこころの健康、経済環境の悪化による倒産・失 業やリストラ等々、いろいろな角度から対策が検討される必要があります。 ご承知の通り、平成10年に自殺者が3万人を初めて越えました。以来、この大台を下回ることなく、毎 年3万人以上の人が自ら命を絶つという状況が続いています。今や自殺は社会問題となっています。そ こで厚生労働省を始め大阪府などの各自治体でもいろいろな角度からこの問題に取り組んでいます。そ の中で、府民の皆さんがあまり耳にしない、しかし最近ではマスコミもだんだんと取り上げるようになった 「自死遺族」(大切な人を自死で失った遺された人々)に関する対策の重要性について簡単に述べてみた いと思います。 ●自死遺族問題 私はあちこちで、これまで遺族の問題への関心が欠落してきたこと、遺族がこの問題を話したくとも話せ ないで苦しい思いをし、こころの奥深くに封印せざるをえないでいること、そして周囲の人々もまた触れて はいけないタブーとして腫れ物にさわるようなぎこちない対応を強いられている面があること、などを指摘 してきました。 考えてみれば3万人を越す自殺者の背景には相当に多くの遺族がいるわけで、また「後追い」も含めて この遺族が再び自らの命を絶つ可能性が高いのです。そうでなくとも、悲しみや自責感、怒り、そして自ら が心身の不調を来すリスクをかかえた毎日が続いているのです。このあたりの遺族のつらさは、機会が あれば、たとえば最近出た『自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう―』(朝日新聞社刊) などを読んでみてください。 ●偏見、非難 遺族もまた私たち周囲の者も、この問題を触れてはいけないタブーのように扱うことが多いのです。時 にはどうして防げなかったのかと非難めいたまなざしを遺族に向けたり、これを受けて遺族も自責の念に とりつかれるといったことがしばしば生じています。家の恥だ、あなた(自分が)がもう少し気を付けていれ ばなど、こころない言葉や出口のない責任追及じみたまなざしは、自殺は防げたはずだ、防げるはずだと いう、必ずしも適切でない見方や、端的にいえば自殺に対する偏見が背景にあってのことです。 誰も望んで自らの命を絶つ人はいません。結果として自ら死を選ぶのです。ですから最近では「自殺」で なく、「自死」と呼ぶようになってきています。 ●防げる自殺ばかりではない 実は自殺防止の専門家ともいうべき精神科医でさえも、しばしば担当する患者さんの自殺を防げないこ とが珍しいことではありません。一口に自殺防止というものの、それほどに難しいことなのです。たとえ自 殺防止マニュアルを手にしていても、自殺防止は簡単なことではありません。防げる自殺もあれば、防げ ない自殺もあるというしかないのです。わたしは専門家としてこの問題に関わってきて、そう思うしかない との考えに至っています。もしマニュアルを手にして、自殺が防げたはずだなどというなら、そんなマニュ アルはない方がましだとさえ考えます。 しかし同時に遺族の悲しみを見れば、ひとつでふたつでも自殺は予防も防止もしたいと考えます。でも このことは自殺が防止できるはずだ、と考えることと同じではないと思います。家族だからといって、おた がいにいつも分かり合っているわけではありません。しばしば思いは別です。よしんば思いは同じだとし ても、防げない自殺というものがあるのです。切なく無情な現実です。こんな思いで、私は今自殺問題と 取り組んでいます。 そうした辛い、苦しい思いを遺族にさせないためにも、是非自殺を思いとどまって欲しいと思います。最 後に、私の立場からする自殺予防のメッセージを掲げておきます。“自殺は問題の終わりではない。始ま りである。“