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一相互作用論の社会概念一

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一相互作用論の社会概念一
相互作用と社会
(
1
)
一一相互作用論の社会概念一一
近藤敏夫
【抄録】
相互作用論は小集団を越える社会の問題を適切に扱えないと批判されてきた。本稿
では,この批判に応えるために,シンボリック相互作用論に加えてシカゴ学派の理論
をも広義の相互作用論としてとらえ
その概念構成の特徴を検討する O 相 互 作 用 論
は,行為者の主観をパースベクテイヴ概念に読み替えることによって,相互作用と社
会の関係を説明してきた。相互作用論は,第一に,主観主義的ではないこと,第二
に,面対面の小集団を越えた社会を問題にしてきたこと,第三に,社会の動的過程ば
かりでなく,構造や秩序を問題にしてきたことを示す。
キーワード:相互作用,パースベクテイヴ,社会的世界
1 問題の限定
シンボリック相互作用論を代表とする,いわゆる意味学派の相 E作用概念は,面対面の小集
団を問題としえるが,面対面を越える社会の問題を適切に扱えないものと考えられてきた。こ
の問題との関連で,従来の相互作用論の特徴を次の 2点にまとめてみよう。
(一),相互作用における主観的意味が重視される O 心的相互作用,シンボリック相互作用と
いった言葉に象徴されるように,相互作用の内実は自己自身との内的会話や他者との言語によ
るコミュニケーシヨンである O 意味学派の相互作用論は現象学的社会学の影響を強く受けてお
り
, (間)主観的意味を重視する傾向がある O
(二),相互作用の生起する範囲が会話のかわされる小集団(面対面の状況)に限定される。
相互作用論の経験的研究は小集団を扱ったものが多く,全体社会を問題にしたものが少ない。
社会は個々の相互作用の生起する多元的社会から構成されており,研究者はそれら個々の社会
を問題にしえるが,様々な相互作用を超越したところに存在する全体としての社会を客観的に
- 49一
社会学部論集第
3
1号 (
1
9
9
8年 3月)
問題にしえない。
上記三つの特徴にみられるように,相互作用論は諸個人の主観を強調するあまりに,より大
きな現実の社会を問題にしえないと批判されてきた。たしかに相互作用論も全体社会を問題に
してきたが,しかし,その全体社会はあくまで諸個人の認識に反映される限りでのものであっ
て,諸個人の認識から独立して全体社会を想定することは,相互作用論では基本的に許されな
かった。
学説史上,意味学派の相互作用論は機能主義や構造一機能主義との対抗関係のなかで発展し
r
てきた。いわゆる「規範的パラダイム対解釈的パラダイム J
, マクロ社会学対ミクロ社会
学j など,社会学理論は大きく三つに区分され,相 E作用論は解釈的パラダイムやミクロ社会
学の理論的基盤として高く評価されてきた。しかし,他方,規範的パラダイムやマクロ社会学
からは,相互作用論が主観主義的であり,全体社会を問題にしえないものと批判されてきた。
この批判に応えるためには,ブルーマーに代表されるシンボリック相互作用論だけではなく,
より広義の相互作用論の概念構成を検討する必要があろう O 例えば,ストラウスやシャーリン
は
,
トマスやパークに始まるシカゴ学派の理論を広義の相互作用論とみなし,相互作用論が当
初から小集団ばかりでなく
F
i
s
h
e
r&
より大きな社会の問題を考虚してきたことを示した (
S
t
r
a
u
s
s,1978,S
h
a
l
i
n,1986:1
0
)0 相互作用論は社会を機能主義的発想とは異なる仕方で扱
ってきた。問題は,その扱い方が現実の社会を適切に把握しているかどうかにある O
相互作用論に対する第一の批判は,主観主義的であるということである。機能主義において
も相互作用概念は重要であるが,そこでは相互作用が一つのシステムを形成するものと考えら
れ,行為者の主観(動機や目的など)から独立した要素,すなわち規範的秩序の共有が分析の
o
n
s,1977 [
1
9
6
8
J :167f
f
.)。このように相互作用概念は主観から一歩踏み
焦点になる (p町 s
出しているという意味で
社会システム概念の定式化にとって必要不可欠なものとみなされ
るO この文脈では相互作用概念は行為論というよりも,むしろシステム論に位置付けられてい
る
。
だが,ジンメルやシユツツなど,
ドイツ観念論から影響を受けた相互作用論では,行為者の
主観から独立して相互作用を問題にすることは考えられない。相互作用論の方法を貫徹するた
めには,あくまで諸個人の主観的要素から出発して,社会の構造や秩序を問題にしなくてはな
らない。すなわち,社会の構成が問主観的に可能かどうか,という難問に答えなければならな
い。この間いは主観的観念論の枠組みでは解決不可能である。従来の意味での主観性概念は現
象学的に再構成されなければならない。
機能主義の相互作用概念の検討と現象学的な主観性概念の再構成は今後の課題とし,本稿で
はシカゴ学派の相互作用論の学説史的展開を概観し,相互作用論における社会概念の特徴につ
いて述べてみよう。
-50一
相互作用と社会(
1
) (近藤)
2 シンボリック相互作用論から社会的相互作用論へ
ここでは,シャーリンの用語法に従い,広義の相互作用論を「社会的相互作用論 (
s
o
c
i
a
l
i
n
t
e
r
a
c
t
i
o
n
i
s
m
)J と名づけ,
Iシ ン ボ リ ッ ク 相 互 作 用 論 J と 区 別 し て お こ う (Shalin,
1
9
8
6
)。以下,両者の相違点を二つの観点から述べ,広義の相互作用論が,これまでシンボリ
ック相互作用論に対してなされてきた批判に応えうるものであることを示そう O
2-1 主観主義の回避
シンボリック相互作用論では認識が行為に先行するが,社会的相互作用論では行為が認識に
先行する (
S
h
a
l
i
n,1986:1
1
)0 相互作用論が主観主義的であるという批判に対しては,行為
者の認識からスタートしていては応えることができない。たしかにブルーマーが述べるよう
に,人間の相互作用は動物のそれとは違い,シンボリックなコミュニケーションや解釈過程を
含み,そのような相互作用によって人聞社会は構成されている(Bl田n
er, 1969:1
6
)。しか
し,この考え方は社会心理学の領域には適用できても,現代社会の問題を適切に扱えない。諸
個人が相互作用の過程において社会の問題をすべて認識することはありえないからである。相
互作用論は認識からではなく行為から理論を作り上げる必要がある O
シンボリック相互作用論においても主観主義を回避する概念構成がなされてきた。例えば,
行為者の「主観」という概念に代わって,行為者の「パースベクテイヴ」という概念が使われ
ている(1)。だが,シンボリック相互作用論では,ある行為者のパースベクテイヴと他の行為
者のパースペクテイヴが相互作用の過程で交わりながら,相互に相手のパースベクテイヴを解
,1
9
6
9
)。すなわち
釈,定義するものとされる(Blumer
パースペクティヴとは主観の内部で
意味付けられるものであって,行為者はそれを行為に先立って認識するものと考えられてい
るO すなわち,シンボリック相互作用論のパースベクティヴ概念は主観的なものに留まってい
るO
これに対して,社会的相互作用論は行為者が外的対象と関係していることを重視する O すな
わち,それぞれの行為者が[いま,ここ」を視点として外的対象と特定の関係を有しており,
この関係がパースペクティヴを構成するのである O この外的対象には社会的対象としての他者
も含まれる (
Charon,1995:1
7
1
)。だが,パースベクティヴは必ずしも行為者にとって自覚
的なものであるとは限らない。パースベクテイヴ概念は,第一義的には,身体を有する人間有
機体と環境との相対的関係を意味する O 解釈や定義づけなど行為者の主観的要素はパースベク
テイヴの一部でしかない。
相互作用論のパースベクテイヴ概念は,もともとミードの理論から借用してきたものと考え
られる O ここではミードのプラグマテイズムの発想に沿ってパースペクテイヴ概念の特徴につ
- 5
1ー
社会学部論集第 3
1号 (
1
9
9
8年 3月)
いて述べておこう。
主観的意味が個人の内的世界の問題であるのに対して
パースベクテイヴは個人が行為する
ときの外的対象との関係を表わす。したがって,パースベクテイヴという概念には,主観とと
もに客観も含まれている O 個人は自らのパースペクテイヴに現れるすべての対象を意識してい
る必要はない。なにか問題が発生し,行為が一旦停止するとき,個人は反省的にパースペクテ
イヴの一部を意識するにしかすぎない。問題解決に結びっくようなパースベクテイヴが存在し
ないことに気付けば,新たなパースベクテイヴが構成されることになる。だが,この場合も個
人は必ずしも意識的である必要はない。新たなパースベクティヴは,基本的にはトライアル・
アンド・エラーのプラグマティックな過程を経て構成される。そのようなパースベクテイヴを
有する諸個人が相互作用を行い,社会が構成されているのである O
人聞社会は「シンボリック」な相互作用として存在しえる O だが,
用語で行為者の解釈や定義づけを意味するのであれば
I
シンボリック」という
それが社会を構成する相互作用のすべ
てではない。行為者の主観に現れないパースベクテイヴが相互作用の過程には存在し,それが
社会的行為を可能にしている。このことを考慮に入れて,相互作用論は社会の概念構成を行わ
なければならない(針。
2-2 思考の社会性
シンボリック相互作用論が個人の思考能力を主観的なものとみなしたのに対して,社会的相
S
h
a
l
i
n,1986:1
2
)。個人はある集団の
互作用論は個人の思考能力を社会的なものとみなす (
成員として状況を定義付けるのであり,その定義には個人の主観を越える要素が加わってい
るO 個人の住むシンボリックな世界は,他者と共有された世界であり,諸個人は共有の世界を
背景にして相互作用を行う
O
社会的相互作用論はこの共有の世界から分析を始めなければなら
ない。
共有の世界はパースペクティヴを共有する諸個人の相互作用から成る。共有のパースベクテ
イヴ (
as
h
訂 e
dp
e
r
s
p
e
c
t
i
v
e
) という概念は,時間を越えた相互行為のパターンを示し,シブ
タニがミードの「一般化された他者の態度取得 j との関連で用いた概念である (
S
h
i
b
u
t
a
n
i,
1955:5
6
4
)。諸個人は具体的な他者だけでなく
その態度を取得する O この場合,
「一般化された他者j とも相互作用を行い,
I
一般化された他者」は人聞を意味する概念ではなく,人々
によって共有されたパースベクテイヴ,すなわちある集団の文化を意味している (Charon
1995:1
7
3
)
0
人間社会は社会と丈化が分化することによって成立してきたが
共有のパースベクテイヴは
文化の領域を意味する。シンボリック相互作用論では,この共有のパースベクティヴを通して
諸個人はリアリティを解釈し,定義するものと考えられる (Charon,1995:173-175)。すな
わち,個人の思考能力は個人的なものではなく,ある集団の人々に共有された社会的なもので
- 5
2一
相互作用と社会 (
1
) (近藤)
ある。諸個人は相互作用の過程で共有のパースペクテイヴに基づいて共同活動を行い,ひとつ
の社会を構成するのである。
個人のパースベクテイヴが,社会活動の位相の一部を可能にすれば,共有されたパースベク
テイヴとしてそれは社会的な客観性をもっ。逆に
個人のパースペクテイヴが社会活動を可能
としなければ,それは主観的なものになる O 原理的には,パースベクテイヴの視点が行為者の
「いま,ここ」に制約される以上,個人は他者と異なるパースベクテイヴを有している。だ
が,思考の社会性とは,個人がある集団のなかで社会的な共同活動を行うために共有のパース
ベクテイヴを身に付けることを意味する。
個人の住むシンボリックな世界は集団の成員によって共有された世界であり,歴史的に規定
された文化をもっ O ただし,共有の世界は固定的なものでなく,つねに形成中のものである。
その共有の世界は,社会問題の発生とともに意識的な個人を産み出すとともに,問題解決の共
同活動の過程で常に再組織化されている。この問題解決能力が思考の社会性である。シンボリ
ック相互作用論が思考の構成力(解釈や定義づけ)を第一次的なものと考えるのに対して,プ
ラグマテイズムの影響を受けた相互作用論は思考が社会活動に基づいていることを強調する O
3 社会的世界の特徴
相互作用論の考え方では,社会とは相互作用を交わしている諸個人から成るものであ
る(針。準拠集団,社会的世界,アリーナ,シーンなど,個人を越える集合体を差す概念には
いくつかあるが,相互作用論者は相互作用が生起している集団を社会の形式のーっとみなす傾
向がある。だが,相互作用論内部での社会概念の違いを検討することが本稿の目的ではない。
ここでは相互作用論の社会概念として「社会的世界 (
s
o
c
i
a
lw
o
r
l
d
)Jを取り上げ,それが規
範的パラダイムやマクロ社会学の社会概念に対抗するものであることを示そう O
もともと社会的世界の概念はシブタニが準拠集団論とミードのパースペクテイヴ概念とを基
S
h
i
b
u
t
a
n
i,1
9
5
5
),その後の相互作用論ではよく用いられる概
にして構成した概念であるが (
989:117-23),こ
念である。相互作用論内部での概念構成の違いは片桐に詳しいが(片桐, 1
こでは広義の相互作用論に共通してみられる社会概念として,社会的世界の特徴をまとめてみ
ょう
O
3-1 境界の無限定性と流動性
社会的世界の境界は面対面の相互作用が生起する領域に限定されない。面対面の相互作用が
可能な範囲は小集団に限定されるが
パースベクテイヴの共有としての相互作用は空間的領域
に限定されずに生起する O パースベクテイヴを共有できる他者であれば,実際に面対面の場に
居合わせなくても共通の社会的世界を構成しているものとみなす。現代社会は,高度に分化し
- 5
3一
社会学部論集第
3
1号 (
1
9
9
8年 3月)
複合的な社会であり,もはや空間的境界をもって区分することができなくなってきている O
ストラウスによれば,国際的なエイズ患者のコミュニティは空間的境界を越えて活動を行っ
ている O 例えば,エイズ・コミュニティでは 1992年大会の開催地がボストンに予定されてい
たが,アメリカの移民政策が外国人の参加を困難にしたので,開催地がアメリカ以外の地に変
更されたことがある O この例で注意しておかなければならないのは,パースベクテイヴの共有
が第一義的に共同の活動を意味し,面対面の状況に制限されていないということ,また,この
ようなパースベクテイヴで相互作用を行う人々にとっては,特定の国家の秩序がもはや行動を
S
t
r
a
u
s
s,1993:159,212-21)0
方向付けるものではなくなっていることである (
初期シカゴ学派の大学院生の「グリーン・バイブル」と称されたテキストにおいても,相互
作用の生起する範囲がコミュニケーション・メディアの発達とともに世界的規模になってきた
Park & Burgess,1969 [
1
9
2
1
J,3
4
3
)。ブルーマー,シブタニ,ス
ことが指摘されている (
トラウスらも,このシカゴ学派の相互作用概念の影響を受けていたと考えられる。当初から相
互作用論は,高度に複雑になり,明確な境界をもたなくなった社会を対象とするための理論と
して構想されたのであって,面対面の小集団を分析するための理論ではなかった。
社会が高度に発達してくると社会活動の種類も多様化し,それにともなって社会的世界がま
S
t
r
a
u
s
s,1993:215-17)0 そこでの境界は空間的なもの
すます多元化,分割化されてくる (
ではありえず,基本的には活動の種類に依存する O 例えば,精神科医の社会的世界から児童精
神科医の社会的世界が区分されたり,アメリカ人アーテイストの世界から黒人アーテイストの
世界が区分されたりなどである。ある社会的世界から下位の社会的世界が分割される過程は,
活動の定義づけや歴史の書直し,資源をめぐる争い,討論や駆引きなど,様々の相互作用を媒
介にして起こる O
さらに現代では同ーの個人が様々な社会的世界に所属し,まったく異なる共有のパースベク
S
h
a
l
i
n,1986:1
5
)0 諸個人はつぎつぎと他の社会的世界に参加
テイヴを持つことがある (
し,その社会的世界に共通のパースベクテイヴから客観的リアリティを獲得するが,逆に,そ
れ以前に属していた社会的世界に共通のパースベクティヴの客観的リアリティを弱めることに
なる。この結果,社会的世界の周辺だけでなく,まさにその核心部分が常に疑問視されること
になる O だが,同時に,このことから下位の社会的世界が分割されたり,新しく社会的世界が
生まれ変わったりすることもある O
下位の社会的世界への分割や社会的世界の再生は,ある社会的世界の特定のメンバーが,他
の社会的世界に参加して新たなパースベクテイヴを持ち込み,自分たちの活動をそれまでとは
S
t
r
a
u
s
s,1993:2
1
6
)。
別の観点で正当化することによっても引き起こされる (
相互作用の種類によって社会的世界の領域を定義すれば
そもそも相互作用論が面対面の小
集団を分析するための理論ではなかったことが明らかになる O むしろ,相互作用論は,集団の
境界そのものが無限定で流動的な現代社会を分析するための理論であったことが理解できるだ
-54-
相互作用と社会(
1
) (近藤)
ろう
O
3-2 参加者の関与の違い
社会的世界に参加する人々にとって,パースベクテイヴの共有の度合は様々である O 諸個人
は様々な社会的世界に属しているために,いくつもの社会的世界に専心することは不可能で、あ
るO その結果,社会的世界には中心的な核になる参加者と周辺的な参加者がいることになる。
アンルーによれば,社会的世界への関与の深さには 4つの次元がある O すなわち,社会的世
)異邦人 (
s
t
r
a
n
g
e
r
) ,2
)旅人 (
t
o
u
r
i
s
t
) ,3
)常連 (
r
e
g
u
・
界への関与の程度が低い者から, 1
l
a
r
),4
) 部内者(in
s
i
d
e
r
) の順である (Unruh,1983,片桐, 1989:119-20)。ある社会的
世界の参加者にとってパースベクテイヴの共有の度合は必ずしも同一である必要はない。人々
は様々の度合でパースベクテイヴを共有しながら,ひとつの社会的世界を構成しているのであ
る。共有の度合が一致していることは
相互作用の生起にとって必要条件ではない。
さらに,行為者が共有のパースベクテイヴを意識化する程度も様々である。ある社会的世界
に同じ程度参加していても
意識化の程度は同一であるとは限らない。例えば,親と子供がパ
ースペクテイヴを共有する場合,子供は家族のパースベクテイヴを親と同一に意識しているわ
けではない。子供は「一般化された他者の態度j を自覚的に取得するために,すなわち共有の
9
3
4
)0 また,大
パースベクティヴを意識するために,社会化されなければならない (Mead,1
人であっても,同ーの市民運動に同じ程度参加しているメンバーが,共有のパースベクテイヴ
を同じ程度意識しているとは限らない。
関与の度合に関しては,深いかかわりを持つ部内者が存在しない社会的世界もある。現代の
人々は,伝統的な家族,学校,教会などの集団,また政治組織や社会運動体のどれにも積極的
23-25)0 彼らはインテリアや服装の趣味にこだわり,
に関与しない者が多い(片桐, 1989:1
居住地区や住宅のタイプに固執する O 彼らはそれらのライフスタイルに合わせて仕事や将来の
s
c
e
n
e
)Jとして定
キャリアを選択しようとする。アーウインは彼らの社会的世界を「シーン (
義する。シーンとは「共有されたカテゴリーや価値,信念,シンボルなどのセットを人々に用
I
r
w
i
n,1977:6
2
)0 シーンにおけるパースベク
意し,人々の相互作用を深めるものである J(
テイヴの共有は情緒的なことが多く,シーンへの関与の度合も伝統的集団の場合と比較して高
くはない。
ヤンキーやフリーター,パーやクラブに集まる人々,スキーやサーフインを通して知り合う
人々が,伝統的な社会組織が解体した後に集まりを形成するようになった。人々は,これらの
シーンに情緒的に参加することによって共有のパースベクテイヴをもち,緩やかなアイデンテ
イティを獲得するのである。
さらに参加者の関与の度合の違いに関しては,そもそも社会的世界の参加者が異なるパース
a
r
e
n
a
)Jがこの社会的
ベクテイヴを持ち込んでくる場合もある O ストラウスの「アリーナ (
5
5-
社会学部論集第 3
1号 (
1
9
9
8年 3月)
世界に相当する (
S
t
r
a
u
s
s,1993:217-18,225f
f
.)。人々は多くの社会的世界に属し,つぎつ
ぎと他の社会的世界にも関わることになる。ある社会的世界のメンバーが他の社会的メンバー
と出会うとき,その出会いの場がアリーナと呼ばれる。アリーナでは,異なるパースペクテイ
ヴを持った人々が相互作用を行う
O
そこから新たな協同活動が成立し,新たなパースペクティ
ヴが共有されることもある O
だが,政治的アリーナにみられるように,各参加者が自分の社会的世界から持ち込んできた
パースベクティヴに固執することもある。彼らはそれぞれの社会的世界から共有のパースベク
テイヴを持ち込んで,論争し,策略をめぐらし,交渉を行うが,説得に失敗することもあれ
S
t
r
a
u
s
s, 1993:225-27)。 こ の 場 合 , ア リ ー ナ へ の 参
ば,強制的手段に訴えることもある (
加者はパースベクティヴを共有することがないままに
つまり同ーの社会的世界に関与するこ
とがないままに相互作用を行っているのである O
3-3 構造的要素
S
t
r
a
u
s
s, 1993:213-15)。パースペクティヴの共
社会的世界は構造的要素を備えている (
有のみが社会的世界を構成するのではなく,地理的位置,性別や階級など従来の組織的要素が
メンバーの行為を方向付けている。これまでの考察からも明らかなように,相互作用論では社
会的世界の流動性が強調されるが,行為者の用いる資源として構造的要素は存在する。
具体的な相互作用の過程から超越しているという意味で,非時間的な構造的要素は,相互作
用論の考え方では現実には存在しえない。だが,諸個人が資源として用い,常に現在の時点で
実現され変化するものとしてなら,非時間的な要素(構造や秩序)も,相互作用の過程に存在
しているものとみなされる。
相互作用論は社会的世界の概念を用いることによって
従来の構造概念に対して批判的な検
討を行っている。従来の構造概念は,国家,社会階級,エスニック・グループ,家族などとい
った集団組織の構造を意味していた。だが,現代社会では,集団の境界線が相互に浸透し,集
団の構成が重なり合い,明確な境界をもった構造が考えられなくなってきた。例えば,国家の
構造も,旧ユーゴスラピアの崩壊で明らかになったように,地域,人種,宗教,エスニシテ
ィ,国籍など様々な観点から構成されうる。これらは地理的,組織的な構造的要素であるが,
それらを行為者が資源として用いることができてはじめて共有のパースベクティヴが構成され
S
t
r
a
u
s
s,1993:1
6
0
)0
るのである (
また,旧東ドイツや旧ソビエト連邦が崩壊したときに明らかになったことだが,特定のコミ
ュニケーション・メディアを利用できる技術が社会的世界の構造的要素としては重要である
(
S
t
r
a
u
s
s,1993:2
2
0
)0 地理的,組織的な構造的要素の選択とコミュニケーシヨン・メディア
を利用する技術の発達とが,現代社会を常に流動的で境界も明確ではない世界に作り上げてい
るO
5
6
相互作用と社会 (
1
) (近藤)
ストラウスは,認知と構造の二元論に立っているように思われるが,彼による構造への配慮
995:1
6
9
)。諸
は相互作用論の概念構成からすると論理的整合性が保たれていない(片桐, 1
個人の相互作用の過程でパースベクテイヴが共有され,そこから共通のパースベクテイヴとし
ての構造的要素が導き出されなければならないだろう。シンボルが構造を構成するのか,構造
がシンボルを規定するのか,といった三元論的な問いを無効にする必要がある。共有のパース
ベクティヴから構造的要素が構成されなければならない。ストラウス自身は「ネゴシエーシヨ
n
e
g
o
t
i
a
t
e
do
r
d
e
r
)Jが相互作用から生み出されることを指摘しているが,構造的
ン的秩序 (
要素を所与のものともみなし,素朴な二元論に立っているように思える (
S
t
r
a
u
s
s,1993:245
f
f
.。
)
ここで注意しておかなければならないのは,構造的要素が共有のパースベクテイヴから構成
され,比較的長いスパンで相互作用の資源として用いられるといっても,それは文化的要素と
は異なっているという点である。丈化によって行為者はリアリティを定義づけるが,構造的要
素によってリアリティを定義づけることはない。文化はリアリテイの認知,解釈,定義づけに
かかわる,共有のパースベクテイヴのソフトな側面である O これに対して,構造的要素は社会
的世界へのメンバーシップを制限したり,社会的行為を方向づけたりする,共有のパースベク
テイヴのハードな側面である。
t
e
r
a
c
t
i
o
n
) の第一の要素をシンボルや認知に置くのではな
相互作用論は,相互作用(in
a
c
t
i
o
n
) に置く必要がある。行為については,それを認知することもあれ
く,文字通り行為 (
ば,無意識のままのこともあり,主体的な行為であっても行為者は行為のすべての側面を認知
している必要はない。そもそもそれは不可能なことである。認知は個人の意識の内部で起こる
心理的問題であるが,行為は対象との関係なしには成立しえない。この行為者と対象との関係
を表わす概念がパースベクテイヴ概念である O パースペクテイヴは行為主観から見た対象の現
れや意味づけである必要はない。それは行為者にとって無意識の関係であってもよい。
構造的要素は相互作用における共有のパースペクテイヴ、がパターン化されたものである。パ
ースベクテイヴの共有は, (問)主観的にのみ達成されるものではない。個人がある社会的世界
に参加したいと主観的に願っていても
構造的要素が社会的世界へのメンバーシップを制限す
ることもある。また,個人がある社会的世界に属していても,構造的要素が個人の意志に反し
て行為を方向づけることもある O
4 相互作用論の課題
第一に,パースペクテイヴの主観性はパースベクテイヴの客観性へと発想を転換する必要が
ある O シンボリック相互作用論では,認知レベルが問題にされすぎてきた。だが,人間の意識
や認識が現実を生み出すのではない。社会に関する「実在論対唯名論j という問題設定その
- 57-
社会学部論集第 3
1号 (
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8年 3月)
ものを相互作用論は無効にしなければならない。
第三に,個人が相互作用の過程において他者のパースベクテイヴ、を客観的に受け取っている
ことを示す必要がある O 相互作用が主観的意味や言語による心的な要素から成るだけでなく,
むしろ客観的に観察可能な行動(刺激一反応,作用一反作用)から成ることは,初期の相互作
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1
J :342-343)。とこ
用概念ではむしろ自明のことであった (Parkand Burgess,1969 [
ろが,シンボリック相互作用論の発展とともに,観察可能なレベルの行動が相互作用にとって
副次的な意味しか持たなくなってしまった。身振り,表情,物体の操作など,コミュニケーシ
ヨンは言語による主観的意味の伝達に限定されはしない。
言語化されない身体聞の相互作用(喧嘩や抱擁や家族の為の食事の用意など)にみられるよ
うに,人と人との相互作用の形態は様々である O この相互作用は,主観的意味の伝達ではな
く,客観的な行動や動作のやり取り,物の作成や交換などから成立している。物々交換であ
れ,貨幣を媒介とした商品の売買であれ,具体的な物のやり取りから相互作用は成立してい
るO 無言のままでの相互作用が多いことからも分かるように,内部会話や他者との言語による
コミュニケーションは相互作用の成立にとって必要条件ではない。もともとは非言語的レベル
の相互作用が交わされるのである。その相互作用を言語化することは可能だが,言語化された
相互作用がもともとの非言語的レベルの相互作用に完全に取って代わることはない。最広義の
相互作用は,有機体と環境(個人と社会環境)との間で成立するものであって,人と人との言
語による面対面での相互作用はその特殊形態にしかすぎないのである (4)。
第三に,面対面の状況を越える広い社会的世界で相互作用概念が有効であるかどうかを検討
する必要がある。上述のように,社会的世界をパースベクテイヴの共有という観点から捉える
発想がすでに相互作用論者から提出されている O しかし,より大きな社会的世界を問題にする
なら,パースベクテイヴの共有という用語よりも,ミードに倣ってパースベクティヴの組織化
という用語の方が適切であろう。
パースベクテイヴの組織化という概念の特徴は,行為者によってパースベクテイヴが主観的
に共有されている必要がないという点である。むしろ,社会的世界では,パースベクテイヴを
主観的に共有していない他者とも相互作用が生ずる O 他者と主観的な意識化の程度が異なる場
合もあれば(社会的世界への関与の違い),さらに,意識的に他者と異なるパースベクテイヴ
を持つ場合もある(アリーナ)。
以上,本稿では個人の主観性をパースベクテイヴ概念に読み替えて,社会の多元的特徴を説
明する試みを示した。この考え方が,シブタニやストラウスらの社会的世界という概念に適切
に継承されることが,今後の相互作用論の社会概念の構成にとって必要と考えられる。
注
(
1
) パースベクテイヴ概念は, G
. H. ミードが主観
-58一
客観の二元論を克服する概念として評価したも
相互作用と社会 (
1
) (近藤)
のであり,有機体(人間)と環境(社会)との相対的関係を表わす概念である。ミードはパースベ
クティヴの客観的リアリティを主張することによって,人聞社会の特徴を検討している (Mead,
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)。ブルーマー,シブタニ,ストラウスなど代表的な相互作用論者はミードのパースペクテイ
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ヴ概念を継承しているものと考えられる(Bl
お,パースペクテイヴ概念の検討については拙稿を参照のこと(近藤, 1
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)。
(
2
) ストラウスの相互作用論では,相互作用の背景として「アウェアネス・コンテキスト」ゃ構造的要
素が考慮に入れられている。ただし,それらと相互作用との内的関係が不明であり,相互作用と構
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s,1993:183-184)0
造的要素が並立して存在している (
I
アウェアネス・コンテキスト j や
構造的要素そのものが,相互作用から創発するものであることを示す必要がある。
(
3
) このような社会の定義に対して,機能主義から批判がなされている。すなわち,相互作用論の考え
方にしたがえば,諸個人は相互作用の過程で社会的に共有されるものを内面化し,そのことによっ
て社会的な存在になるとみなされる。しかし,この論法では,諸個人間の心理的同一性が共有され
た社会を産み出し,諸個人間の心理的異質性が多元的社会や社会の分化を産み出すものと考えられ
るO だが,現代の高度に分化し複合的な社会では,個人の心理や相互作用に社会を還元することは
田 m,
1984・551-52)。
不可能であると主張される (Luhm
(
4
) 現象学の問主観性と同様に,自己のパースペクティヴの内には自己には還元し尽くされない他者の
パースペクテイヴが必須の構成要素として存在する O そうすると,人間有機体と非人間的有機体の
相互作用という発想も可能になる。ただし,相互作用をしている二つの個体を,客観的観点から見
ることは現象学的には不可能であって,あくまで個人のパースベクテイヴを出発点にせざるをえな
し
ミ
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(こんどう
としお/社会学科)
1997年 10月 1
6日受理
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