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1 手始めに: たくさんの数と変数について
1 手始めに: たくさんの数と変数について 分野によらず、何か数学的な分析を行なわなければならないときに相手にしなければならないの は、ただ一個の数ではなく非常に多数の数のグループであることが多い。例えば、社会科学の分野で は数千人もの人を対象としたアンケートの結果に適切な統計処理をほどこして意味のある結論を出さ なければならないことがある。こうしたとき、数的処理の対象となるのは、数千人分の、一般には複 数の回答欄からなるアンケート結果である。同じように、生物科学などの世界でも条件や時期を変え て繰り返した多数の実験・調査結果を一括して数学的に処理しなければならないことは珍しくない。 上の例のような、多数の要素から構成された対象を混乱なく扱うためのコツは、一貫したルー ルを決めてそれを守りつづけることであろう。そうしたときに役立つ様々なルールが蓄積されている のが、これから学ぶ線形代数 (linear algebra) の世界なのである ∗ 。もちろん、線形代数は複数個の 数を系統的に扱うためのルールを与えるだけではない。ある意味では、その種のルールは出発点にす ぎないのであって、線形代数が実は多様な表現力ときわめて広い応用の場を持つことは学習を進める につれてはっきりしてくるはずである。 この章では広い意味の線形代数を学ぶための導入として、まず手始めに複数個の数や変数の組 を系統的に表現し処理するための考え方と便利な記号の使い方について学ぶ。 1.1 基本的な記号の約束 1 数学の勉強がつらいという理由の一つに — 人によっては一つだけでなく、いくつでも考えつく のだろうけれど — 次から次へと見慣れない記号が登場して、それについて行けないことがあげら れるだろう。まあ、はっきり言わせてもらうと「ついて行けない」ことの最も大きな原因は学習者の 練習不足というか怠慢にあることは疑いない1 。むろん、数学そのものや教える側にも責任はある。 (教えかたの上手下手は別にさせてもらっても)登場する記号の意味や使われ方が前後の文脈によっ て微妙に変化し、それで学習者が混乱してしまうことがあるからである。そこで、この講義では出来 るかぎりそうした「微妙な変化」を減らそうと考えている2 。と言うわけで、ここではまず最初に変 数名の使い方についてまとめておくことにしよう。 中学校以来の数学で、1,0, 2.5, 300 とかの数(数値)を直接に書くかわりに記号で置き換えてし まう流儀にはすでになじんでいることと思う。念のために言葉遣いをまとめておくと • 定数: すでにその値は分っているか、あるいは決まった値を取るはずの数。多くの場合は毎回 その値を書くのが面倒だから、記号一文字で置き換えてしまうと楽、というのが由来だろう。 円周率 p = 3.14 · · · などという使う方における p のこと。 • 変数: 値が分らない/特定できないか、あるいは方程式などを解いたあげくに分るはずの数。例 1 まじめに数学をやりたいと思うなら、頭だけで考えるより、実際に自分の手を動かして式や字を書いて紙の上で計算して みるのが一番の手である。現実の練習量がモノをいう点では、かなりスポーツに似ている。 2 申し訳ないけれど、その種の微妙さを完全になくしてしまうと逆に不便な点が増えるということもあるので、全く消して しまうわけにはいかないのが現実である。しかし、記号の意味合いを変化させるときには必ず明確に注意するように気をつけ るつもりである。 1 えば、方程式 3x = 1 の x が変数で、方程式を解けば x = 1 3 となることが分る。 一般に定数と変数を表す記号はアルファベット a, b, c, · · ·, y, z のなかの1文字を使うのがふつうであ る。この講義では、以下のような原則に従ってアルファベットを使う: 記号の意味 1. a, b, c, d, · · ·: アルファベットの最初の方の文字は定数名として使う。その値は実数全体の どんな値を取ってよい。 2. i, j, k, l, · · ·: アルファベットのなかほどの文字は定数/変数名の両方の意味で使う。ただし、 その値は自然数(1, 2, 3, · · ·)あるいは整数(0, ±1, ±2, ±3, · · ·)に限られるものとする。 3. v, w, x, y, z: アルファベットの最後の何文字かは変数のみを表すために使う。これらの値 も実数全体のどんな値を取ってもよい。 4. 大文字の K, M, N, L, · · ·: 特に重要な自然数の定数。 上の規則は特別なものではなく世界中で通用するし、すでに感覚的になじんでいる人も多いはずで ある。ただし、i, j, k, · · · の使い方の規則は、特に線形代数の世界では大切なので心に留めておいて ほしい。 1.2 たくさんの数: 添字の登場 さて、いまの主題は複数個の数/変数を系統的に見通しよく扱うためのルールを学ぶことである。 前の節の記号のルールを頭の隅に置きながら、この問題について考えてみよう。 簡単な例から出発する。いま、次のような5つの数の組 1.2, 0, 5.1, 4, 10 (1) が与えられているとしよう。これらの数を記号を使って表わすとすると、前節のルールに従えば i) ど れも値が分っているから定数で、しかも ii) 値は整数あるいは自然数のみに限られていないからアル ファベットの最初の方の文字を使って名前を付けなければならない。とりあえず a = 1.2, b = 0, c = 5.1, d = 4, e = 10 といった具合に記号を割り振ると、数の組 (1) は a, b, c, d, e (2) と表されることになる。数の組 (1) が記号の組 (2) に置き換えられただけの話である。逆に、いった ん出発点の (1) を忘れて (2) のような記号の列を見たときには、読者はすでに値の分っている(与え られている)数が5つあるのだなと思わなければいけない。さらに念のために注意しておくと、(1) や (2) のような数あるいは記号の列を見るときには暗に左から右へ順序が付けられているものと考え る。つまり、(2) では、a が1番目、b が2番目、といった順序が付いているものと考えるわけである。 上の例は前節の記号の使い方の実例にはなってはいるが、たった5つの数なら別に記号で表現し ても特に楽になるわけではなさそうだと思われるかもしれない。その通りだから、もっと本格的な場 2 合について考えることにしよう。とりあえず 3000 個の数の組 2.0, 300.321, 213.1, 67, · · ·, 100, 641, 0.5 全部で 3000 個 (3) が与えらているとしておく。仮に誰かに上の 3000 個の数の和を式の形で書き表せ、ただし · · · なん かでごまかすな、と言われたらどうするか? まさか、 2.0 + 300.321 + 213.1 + この間にある数を全部 + 641 + 0.5 といった調子で 3000 個の数を書くわけにはいかないだろう(手が疲れて死ぬ)。これから説明する を使えば、上の問題をただちに、しかもかなり一般化され 記号の使い方と次の節で学ぶ和の記号 た形で表現することができる。 まずその第一段階として、(1) を (2) の形にしたときのように、(3) を記号の列として表現してお く必要がある。困るのは、定数名を前節のルールに従ってアルファベット1文字にすると、文字が足 りなくなってしまうことである。だいたいアルファベットは26文字しかないうえに、実数の定数 名はアルファベットの最初の数文字に当てることになっているのだから完全に足りない。こうした そ え じ 状況を解決するためのルールと記号法が添字付け (indicing) である。まず、前節のルールに従って、 というか解釈を拡大して 1. (3) は全部すでに値が分っているのだから、定数名としてアルファベットの前半の文字を選ぶ。 ただし、今の場合は1文字で 3000 個の数全体を表現するものとする。仮にアルファベット a を選んだとすると a ⇒ 2.0, 300.321, 213.1, 67, · · ·, 100, 641, 0.5 全部で 3000 個 (4) という形で対応させるわけである。ここでは、a と 3000 個の数が等号 = で結ばれているわけ ではないことに注意。要するに、3000 個の数全体に a という名前を付けたというわけである。 2. 3000 個の定数全体に a という名前を付けたのはいいが、さらに 3000 個の数おのおのを区別し なければならない。そのために記号 a に添字 (index) を付ける。すなわち、数の組 a の中の1 番目の数、という意味で記号 a の右下に小さく 1 を書いて a1 、組 a の2番目の数として a2 、 3番目の数として a3 、という具合に数を振っていく。このような記号の右下に小さく書いた数 (変数)のことを添字3 と呼ぶ。この場合、(2) のところで述べたように数の列は左から右へ順 序付けられていると考えることを利用する。したがって、a1 = 2.0, a3 = 213.1,a 2999 = 641 と なる。 3. 一般的には、3000 個の数の組 a のある i 番目(いまの場合の i は自然数である)の数は ai と表 わされる。i は 1 から 3000 までのいずれかの数である。この状況、つまり i が 1 から 3000 ま でのどの値でも取りうるということを表わすために i = 1, 2, 3, · · ·, 3000 という書き方をする。 3 細かく言うと『下付き添字』 。 3 4. 以上の添字付きの記号法を使って、(4) を {ai }i=1,2,···,3000 (5) と表す。上の記法は、添字付きの定数の組 a1 , a2 , a3, · · · , a 2999 , a3000 を簡潔に表現するために 使う。 添字付きの記号を使うことによって、いくら数が沢山あっても記号用の文字が不足することがなく なる。それだけではなく、添字をある種の変数と見なすことによって方程式や数式をコンパクトに、 扱いやすい形で表現できるようになるのである。その効用(の一面)については次の節で詳しく学ぶ ことにして、ここでは、添字付き記号の作り方についてまとめておくことにしよう。 添字付き記号 1. 記号の形で表現したい定数あるいは変数の組があり、それらの組に含まれる定数/変数の 数が N であるとする((3) では N = 3000)。 2. 目的の定数/変数の組は左から右へ順序付けが可能である、と考えるa 。 3. 組全体を表すアルファベット1文字を選ぶ。前節のルールによれば、定数ならば a, b, · · ·、 変数ならば x, y, · · · など。ここでは例として x を選ぶことにする。 4. 組内部に含まれる数それぞれを区別するために、前段で選んだアルファベット1文字の右 下に添字を付ける。添字は(ほとんどの場合)自然数になるはずだから、アルファベット i, j, · · · を使えばよい。ステップ 1 の例を使うと xi などとなる。 5. 仕上げに、添字の範囲を示す。例えば添字が 1 から 1500 だったら i = 1, 2, · · ·, 1500 など と書く。 6. まとめると、添字付き変数(定数)の全体を示すために { 数の組の全体に付けた記号添字名 }添字の範囲 (6) と書くことになる。ここまでの x の例では {xi }i=1,2,···,1500 (7) a こうした数のことを特に『順序数』と呼ぶ場合がある。 1.3 添字付き記号と和記号の使い方 前節で添字付き記号について学んだので、ここではそれが最も威力を発揮する例の一つとして、 シグマ の使い方について話を進める。和記号 については、すで それらの和を表現する方法と和記号 に高校時代に習っている人も多いと思うが、線形代数では絶対に欠くことのできない知識なので、こ こで復習しておいてほしい。 4 基本的な考え方 具体例から始める。まず『1 から 5 までの和』は、簡単に S5 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 (8) と書き表わすことができる。S5 は、右辺の足し算の結果を表わしている。しかし、例えば『1 から 10000 までの和』を上の式のように総当り的に書くのはしんどいはずだ。こんな場合には和の記号 を使って 10000 S10000 = i (9) i=1 と書いてしまえばいい。i は和の添字4 といい、 の下に付いた “i = 1” は i を 1 から数え始めるこ とを示している。和の添字を数え始める出発点のことを『和の下限』と呼ぶ。(9) の和の下限は 1 で ある。同様に、 の上の付いた 10000 は i をどこまで数えるかを示すもので、これを『和の上限』と 10000 10000 呼ぶ。(9) の和の上限は 10000 である。で、 (以下、文中では i=1 と表記する)は、そのす i=1 ぐ右隣りにある i に 1 から 10000 までの値を取らせ、それら全ての値の和を取ることを示すわけだ 10000 が、具体的に i=1 i がどんなふうな『動き』を示しているかを順を追って見てみよう。まず、和の 下限は 1(すなわち i を 1 から数える)だから 10000 10000 i =1+ i=1 i (10) i=2 と書けることに注意する。左辺から右辺に移るとき、i=1 の場合を明示的に書いてしまったために右 辺の和の下限は 2 に変化させていることにも注目してほしい。次に i = 2 の場合もくくり出してしま うと 10000 10000 i = 1+2+ i=1 i (11) i=3 である。ここでも i = 2 までをあからさまに書いたために右辺の和記号の下限は i = 3 になっている ことに注意する。この調子でどんどん続けていくと 10000 10000 i = 1 + 2 + · · · + 9999 + i=1 i (12) i=1000 となる。ここでは右辺の和記号の下限と上限が一致しているから i = 10000 以外の可能性はない。結 局左辺は 1 から 10000 までの和を表わしていることになるわけである。 逆に『3 から 256 までの和』を (9) 方式で書く『手順』を考えてみよう。まず紙に変化させるべ き和の添字を書く。ここでは記号 k を使って k としよう。次に k の左隣りに和記号 を書き加えて 4 running (13) suffix 5 k (14) と書く5 。で、k の出発点(下限)は 3 だから k (15) k (16) k=3 と書き、さらに k の終点(上限)を示すために 256 k=3 と書けば、出来上りである。 一般的な場合 和記号 の最も基本的な使い方は、前の副節で思い出してもらえたと思う。ただし、 上で学んだ知識だけでは連続した数の和しか表現できない。連続していない、特に規則性があるとは を使って表現するときに欠かせないのが、全節で学んだ添字付きの記号 限らない数の和を和記号 である。以下で説明するように、そうした場合には添字付き記号の添字が「和の添字」の役割を果た すことになる。 {xi }i=1,2,···,N 全ての和 S を 記号を使って表現してみよう。これには前の副節の (14)∼(16) の 手続きをそのまま応用できる。まず上に出てきた一般の場合の変数名 xi を書く: xi . (17) ここで、xi の添字 i は 1, 2, · · ·, N の範囲にあるということ以外は決まっていない『変数』であること に注意する。したがって、これを和記号で使う『和の添字』に流用しても構わないわけである。で、 取りあえず i を『和の添字』として {xi }i=1,2,···,N の和を取ることを宣言するために xi (18) i と書いてしまう。仕上げに、和の上限・下限を明確にするために N xi = S (19) i=1 と書き加えれば出来上りだ。S は {xi}i=1,2,···,N 全ての和を示す変数である。 {xi }i=1,2,···,N 全部の和を取ることが自明な場合には和の上限・下限を省略して(つまり (18) の 段階で止めて) と書いてしまうこともある。この場合、 xi = S (20) i i は {xi} を区別する添字の値全てについての和を取ると いう意味になる6 。 最後に、和記法の一般形式と関連公式をまとめておく: 5 このことを 6 こう書くと、i を k に『作用』させる、とも言う。この言い方をするとき、 の取り方が連続している必要などがなくなる利点が生ずる。 6 を『演算子』と呼ぶ。 Σ 記法の一般形と公式 1. 一般形 和の上限 和の対象 (和添字が含まれる) (21) 和の添字名=下限 2. 公式 変数の組 {ai }i=1,2,···,N ({bi }i=1,2,···,N )の和について成立するほとんど自明な公式が 知られている。 N (ai + bi ) = i=1 N ai + i=1 N cai = i=1 c N N bi (22a) i=1 ai (22b) i N c = Nc (22c) i ここで和に関係しない c は定数である。 7 1.4 複数の添字が必要な場合 前節まででは、多数の数を未知・既知によらず記号化して操作するための一つの方法として添字 記号を使って表現する方法 付きの定数・変数を導入し、さらにこれら添字付き定数・変数の和を について学んだ。すでに述べたように、1列に並んだ数の組(数列)は暗に左から右へ順序付けら れていると考える習慣がある。その習慣に従えば、添字は数列に含まれる数の左端から数えたとき の「順序」を表していると考えることができることになる。例えば、定数の組 {ai }i=1,2,···,100 に含ま れるある定数 a33 は、1列に並んだ 100 個の定数からなる数列 {ai } の左から数えて 33 番目にある定 数ということになる。同じように、一般に ak といえば、ある k 番目の定数を表わすわけである。 ここで注意。上の文にある「…ak といえば、ある k 番目の定数を表わす」という部分の解釈 についてである。こうした言い方がされるときの前提は、むろん文脈から明らかなように ak は {ai }i=1,2,···,100 に属している、すなわち ak ∈ {ai } 7 であることである。したがって 1 ≤ k ≤ 100 だが、k = 50 という具合に明確に一つの値を取っているわけでない。つまり、記号 ak は組 {ai } に属するある一つの定数を代表して表すために使われているわけである。添字記号を、ここで説明 したような一般的な意味合いで使うときには8 、{ai }i=1,2,···,k,···,100 などと書いておくこともある。 しかし、対象となる数の組によっては、その組に属する一つの数を指定するためには1系統の順 序番号(添字)だけでは足りない場合がある。この種の組の代表的な例が、表の形式にまとめられた 数の例である。下の表 1. を見てほしい。これは、6世帯分の夫婦・子どもの数、自動車の保有数を 調査した結果である。 表 1: 家族構成と自動車保有数 人数/台数 山本 佐藤 鈴木 小林 田中 竹下 夫 1 1 1 1 1 1 1 1 1 0 0 1 1 1 1 0 0 2 2 1 1 2 3 0 0 1 1 1 1 0 妻 子(男) 子(女) 自動車 表のような縦横2次元的に並べれられた数値を読むとき、多くの人は 行: 横並びの数列 表 列: 縦並びの数列 というようにグループ化して頭を整理するはずである。表 1. で見ると、各列は各家族の構成と自動 車保有台数をまとめて表わし、また各行は家族によらない夫妻・男女子数、それに自動車台数を表わ すことになる。したがって、例えば鈴木さんの女の子の数は 1. 女子数のデータは4行目 2. 鈴木家全体のデータは3列目 7 例えば A ∈ B というとき、∈ は A が組 B に属することを表わす。 k を generic な添字と呼ぶこともある。 8 こうした 8 なのだから、4行目と3列目の交わる所に位置する数=1人と読み取ることができるわけである。こ の例から納得してほしいことは、表のように縦横2次元的に並べられた数に属する数を指定するに は9 、2つの数(行番号と列番号)が必要である、ということである。 さて、以上の観察を念頭において表 1. のデータを記号化するやり方について考えよう。表 1. か ら数値の組部分だけを取り出し、1.3 節でやったと同じように、この30個の数全体を a という記号 で表わすことにする: a⇒ 1 1 1 1 1 1 0 0 1 1 2 1 1 1 2 3 1 0 0 1 0 1 1 1 1 2 1 0 1 0 . (23) ここでは、一般的な習慣に従って30個の数をかっこ (· · ·) でくくってある。次に、数の組に属する ある1個の数を特定するために添字付けをしなくてはならない。先に示したように、こうした表形式 でまとめられるべき数の組では、表内の数の位置を示すために (行番号, 列番号) という一対の数が必 要で、a に付けるべき添字も2個になる: a 行番号 列番号 ⇒ aij . (24) 行番号を表わす添字記号に i、列番号の添字には j を選んだ。行添字(i)と列添字(j )の順序は非 常に重要で、常に行・列の順である。これは好き勝手に変えてはならない。2つの添字を使った記法 (24) を使うと 1 1 1 1 1 1 1 0 2 1 0 1 1 2 1 a11 1 1 0 a21 1 0 1 2 0 1 = a31 3 1 1 a41 a12 a22 a32 a42 a13 a23 a33 a43 a14 a24 a34 a44 a15 a25 a35 a45 a16 a26 a36 a46 a51 a52 a53 a54 a55 a56 0 1 0 (25) となる。元の表 1. と記法 (25) の対応は (データ種別, 家族) = (行番号, 列番号) (26) となるわけだから、先に見た「鈴木さんの女の子の数」は(女子数、鈴木家)=(4行目、3列目)で a 女子数 鈴木家 =a 4 3 = a43 = 1 (27) と読むことができる。同じように田中さんの所有する自動車の台数は(自動車数、田中家)=(5行 目、5列目)だから a 自動車数 田中家 =a 5 5 = a55 = 1 である。 以上、表形式に並べられた数の組を出発点にして、2個の添字を必要とするような記号化の方 法について見た。この調子で、3個以上の添字を持つような記号の組を考えていくこともできる。例 9 この辺りの事情は、平面内の点の「位置」を特定するためには2個の数(X 座標、Y 座標)が必要になることと同じで ある。 9 えば、同じ大きさの立方体の積木を縦横に積みあげて立体を作ったとすると、それに含まれるある 一つの積木の位置を指定するには3個の数の組/添字が必要になることが分るだろう({aijk } など)。 それでは、記号化に4個以上の添字を必要とするような数の組はどんな風に配置された数なのだろ う……となると、積木の場合(添字3つ)のような簡単な空間的イメージを作るのは難しそうだ。 実は、数を記号化して扱うことの利点はこの辺りにある。つまり、いったん系統的な記号法(添 字付けの規則)を作ってしまえば、出発点となった数の配列の空間的イメージなどは忘れても記号/ 添字を使った形式的な操作が可能になるわけである。この先で、我々はその『形式的な操作』の方法 について学んでいくことになる。だから、たとえ5個の添字を持つ記号の組 {aijklm } なんぞが出て きても別に驚くことはない。 ついでに、線形代数の入門的段階(つまりこの講義のレベル)では基本的に (25) のような2個 の添字を持つ記号の組10 の扱いが中心となることも言っておくことにしよう。 ★ 情報処理との関係について一言 多数のデータ (数) の集団を扱うために複数個の添字をもつ記号が必要になるのは、むろ ん純粋な数学の世界だけではない。 1. 表計算ソフト いまでは常識化している『表計算ソフトウェア』の利用においても、 「添字」の考え方が身についていなければ入門レベルを超えられない。表計算ソフト でも表形式に並んだデータの集団を処理の対象とし、表に含まれる個々のデータを識 別するために2つの添字を使う。ただし、代表的な表計算ソフト Microsoft Excel で は、行位置の指定にはアラビア数字 1, 2, 3, . . . を使うが、列位置の指定にはアルファ ベット A, B, C, . . . を使う慣わしである。 2. Mathematica 代表的な数式処理ソフトウェア Mathematica では、2つの添字で 個々を識別する変数/データの集合 A を、例えば A[[i,j]] と表す。 3. C言語 代表的プログラミング言語Cでも、2つの添字で個々を識別する変数/デー タの集合 A を、例えば A[i][j] などと表す。 Mathematica やC言語では、記号の使い方がちょっぴり違うだけで、本文中で学んだ添字 記法の感覚がそのまま生かされていることが分る。情報科学の分野では、個々の識別に添 字が必要な変数やデータのことを配列a と呼ぶ。 a 英語では array. 10 後で述べるように、一般には『行列』と呼ばれる。 10 1.5 複数の添字を持つ量の和について 前節では、1.2 節で初めて導入した添字記法を拡張して、2個以上の添字を持つ記号の捉え方に ついて学んだ。そこで、この節ではそうした複数の添字を持つ記号に関する総和記号( )を扱う ときの『コツ』について述べておくことにしよう。そのため、互いを区別するために二種類の添字を 必要とするような変数の系列 {xij } を考え、その添字が i = 1, 2, · · ·, M と j = 1, 2, · · ·, N の範囲の 値を取るものと仮定する。このとき {xij } は全部で M × N 個の変数の組を表していることになる。 以下で、これらの変数 {xij } の全てに関する和(添字 i, j に関して取る和)式で表現する過程を調べ てみよう。まず添字 i に関する和を取る。手順は (17)∼(19) と全く同じで、直ちに M j = 1, 2, · · ·, N xij , (28) i と書き下すことができる(i は和の running suffix になっている)。言うまでもなく、この (28) は和 x1j + x2j + · · · + xMj の結果を表現している式である。しかし、j に関する和はまだ実行していない のだから、(28) の結果は実は添字 j = 1, 2, · · ·, N を持つ N 個の変数の組を表現しているものと考え なくてはならない。したがって、i に関する和 (28) を何か変数に代入するならば、N 個の変数を用 意しておく必要がある。その N 個の変数の組を {zj }j=1,2,···,N とすると、(28) を zj = j = 1, 2, · · ·, N xij , (29) i と表現することができる。注目してほしいのは、添字 i に関する和を実行し終えたこの段階で、もと もと M × N 個あった変数 {xij } が N 個の変数 {zj } に還元されてしまった点である。すなわち、i に ついて和を取るという操作によって、添字 i が不要になっている。次に、(29) の表現を使って j に関 する和も実行してしまうと N M N ( xij ) = zj j i (30) j と書ける。この式の右辺は N 個の変数の組 {zj } の和 z1 + z2 + · · · + zN だから、全体としてはただ 一つの値になる。つまり (30) の値を代入するために必要な変数もただ一つだけとなり、その変数を S とすると S= N M j xij (31) i と表現できることになる。すなわち、i に続いて j に関する和を取ると、N 個の変数((29) と (30) で は {zj } という変数名を使用)が今度はただ一つの変数 — したがって、添字は一つもいらない — で 表現できるところまで単純化されてしまったわけである。 さて、(28)∼(31) までの操作はたんに形式的な記号の遊びとしか見えないかもしれないが、 の 一つの重要な性質を表現していることも確かである。すなわち 一つ以上の添字を持つ変数に、対応する和添字を持つ和記号 を作用させると、得られるのは その添字が消去された変数の組である。したがって純粋に記号的に考えると、 は作用される 側の添字を消去する機能を持っている、と言える。 11 この性質に注意していれば、例えば添字 i, j, k, · · · を持つ変数に j を作用させたのにもかかわらず 得られた変数に添字 j が生き残っているようであればどこかに勘違いがあることを教えてくれる。 M (28)∼(31) までを例に取ると、二つの添字を持った変数 {xij } に i を『作用』させると、得ら N れたのは添字を一つしか持たない変数の組 {zj } である。さらに、この {zj } に j を作用させると 一つも添字を持たない全体の和 S が得られたわけである。 もっと一般的な場合、すなわち四つの添字 i, j, k, l によって区別されるような変数の組 {αijkl } を 考え、これに i を作用させると Sjkl = αijkl (32) さらに i jl を作用させると Sk = 最後に Sjkl (33) Sk (34) jl k を使うと S= k という具合になるわけだ11 。 線形代数の世界で和の記号 を使うときに必要な注意はこれくらいなものである。この章で学 んだ添字記法と総和に関する知識さえしっかり身に付けておけば以降の学習に困ることはないはず である。 11 (32)∼(34) はかなり省略して書いているが、各添字に関する和の上限・下限はそれぞれの添字に可能な値の範囲に留まる ことを仮定している 12