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黒ビールでも飲みながら
吐山
継彦
発刊にあたって
本書は吐山継彦さんの「市民プロデューサー通信」の原稿をまとめたものです。通
信の創刊日は2001年3月4日で、2012年9月22日まで189号を積み重ねています。通
信は、発行人である吐山さんの「黒ビールでも飲みながら」
(№165まで)
を中心に、時
折の活動仲間の寄稿やコラムで構成されていました。
「原稿書きや」を口癖に、発行の志を共にした他のメンバーにはっぱをかけることが吐
山さんの仕事でもありました。「期待に応えなくて本当にすみません」とメンバーは思っ
ています。ほとんど、吐山さんが踏ん張って
(楽しんで?)10年以上も発行をしてくれま
した。「書く」ことは本当にしんどいことです。書き続けることはなおさらですね。
吐山さんは「プロフィール」にあるように「書く」ことを生業にされていました。和歌
山の「県外広報紙」の仕事もされていましたが、素人がみても見事な出来栄えでした。
「取材原稿に本人からの直しが入らない」ことを聞いたことがあります。自慢そうにで
はなくて、
「取材とは何か」を伝えるために客観的な事実として言っておられました。
取材対象から「言いたかったことがここに書かれている」と言われたと。この意味が
分かりますでしょうか。
ここにまとめた原稿群は、そのようないわば「仕事としての原稿」とは一線を画しま
す。自分で主宰して、仕事のようにさまざまな与件
(たとえばクライエントからの要請
とか、
締め切りとか)
はなしで、
書きたいことを書いた原稿の群れですね。その分、仕
事では書けない自分の好きなこと、
関心、
思想的なことが表現されていると思います。
吐山さんの考えていたこと、感じていたことが存分に味わえると思います。それにし
ても幅広く、奥深いと思います。もちろん、吐山さんの生きた時代、こだわり、人や社
会の見方の「傾向」があります。共感する人も、しない人も、当然あることでしょう。
吐山さんはかなり個性的な人でしたから。
さて、本書の編集ですが、膨大な中から、
仲間が投票して選びました。一応の分
類(章立て)もしてみました。それは「市民プロデューサー」
、
「政治のこと、社会のこ
と」、「吐山さんのパーソナリティ、好きな文学、映画」の三つです。
選択したのは23稿
(165稿中)
です。他の原稿は大阪ボランティア協会のホームペ
ージ(アドレス)
で見ることができます。この本をきっかけに、ぜひ、
その場所に足を
運んでみてください。
最後に、通信を購読
(無料です)
いただいていた方にお詫びです。通信は2012年
9月22日までで途切れました。
理由はそれ以降は吐山さんが書かなかったからです。
長い闘病生活を送りながら、踏ん張って
(楽しんで)
発行されていました。でも、限
界が来ました。
そして、2012年12月11日午後7時51分に永眠されました。
愛読者には何も伝えておらず、そのことが仲間にとって心残りでした。この場を
借りてお詫び申し上げます。申しありません。そして、吐山さんが永眠されたこと
を理由に、通信も廃刊させていただきますね。
でも、本人は不在となりましたが、原稿は残り、こうして小さな本にまとめられました。
それで十分でしょう。さあ、この本を読んで、
市民活動の新しい議論を始めましょう。
もちろん、
「節度ある話合い」で「融合のマジック」をめざすのですよ。
市民プロデューサー養成講座チーム
第1章・市民プロデューサーのこと
(62 「国の旗」を畳もう
融合のマジックって、なあに?
(81)「ベ平連ニュース(縮刷版)」を買って、考えた。
(1)
市民プロデューサーは“ナカヨク主義”でいこう!
(136)
「もう一つの民意の回路」
(1)
(4)
ディベートより“節度ある話し合い”を!
(137)
「もう一つの民意の回路」
(2)
(35)
インコミュニカビリティ(伝達不能性)の自覚
第3章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
(56)
「市民としてのスタイル」十か条
(10) 新刊書店と古書店を交互に巡る
(84)
「活動」とは何なのか…
(31) 幸先のよい三つの前兆
(96)
「市民活動プロデューサー」再考
(32) 掛け替えの無さについて
(161)
「市民セクターの収益モデル」を考える
(43) 最近、「なんかヘンだ…」と思っていること(2)
寄付金・補助金だよりの市民セクター
(79)「如何なる場合にも平気で生きて居る事」
市民セクターの収入源は“頂戴金”
(85)「ビートルズの市民性」
NPO /市民活動の収益モデルを考える
(129)
「ちと用ありてあの世へ」
(165)
議論(話し合い)の歴史
(147)
「行き当たりばったり」のススメ
技法としての議論
思想としての議論
第2章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
非難のターゲットは“無計画性”
「無計画批判イデオロギー」の起源
手工業的成熟社会「江戸文明」に学ぶ
(19)
『オハイオ』と『栄ちゃんのバラード』
両立がむずかしい「進歩」と「調和」
(61)
「市民」よりも「国民」のほうが多かったアメリカ
物事・状況を深く味合うこと
第 1 章・市民プロデューサーのこと
第1章・市民プロデューサーのこと
融合のマジックって、なあに?
市民プロデューサー養成講座では、企画力・創造力を高めることと、グル
ープでの作業を大切にしています。
変化の激しい現代社会には、
「規格」ならぬ「企画」が求められています。企画
とは新しさの設計であり、企画の核には新しいアイディアがあるべきです。アイ
ディアとは、既存または異質の要素の新しい組み合わせの発見とも言えます。
また、今、世界的に見ても「チームの協働」が仕事や問題解決の中心にな
っており、講座では、グループの協働作業により、新しさを創造していくこ
とをめざして、グループ単位での企画づくりにとりくみます。
そこに融合のマジックが働くとき、個人の能力を越えた創造力が発揮され、
一人ではできない成果が得られるのです。
融合のマジックについて、受講者の一人、高桑次郎さんがすばらしい定義
をしてくださいました。
【融合のマジックとは】
鉄は硬くて成型しやすいが同時に錆びやすいという欠点がある。
しかし、この鉄に一定割合のクロムとニッケルを融合させると、ステンレ
スが誕生する。ステンレスは鉄の長所に加えて美しい光沢を持ち錆びない。
この特性によりステンレスは我々社会のあらゆる分野で重宝され、今や生
活に欠かせない金属になった。
このように物質の世界で全く性質の違うAとBが融合することによって、
AでもBでもない全く別の優れた物質に生まれ変わることがある。だがこの
現象は計算して予測できる物理的変化で、価値ある変化ではあるが「マジッ
ク」とは言わない。
「マジック」は人と人のかかわりの中で、ドラマティックに発生する。
これをピアスの『悪魔の辞典』風に定義するとこうなる。
「融合のマジック」とは異質のマインドが混ざり合い、協調し、時には絡み合い
激突しあって結果的に大きな成果を生み出す、人間社会特有の化学変化である。
ただ「マジック」と言えるほどの成果を生み出すには絶対要件がある。
それは相手が素人だろうと子供だろうと誰であろうと、耳を傾けてじっく
5
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
りと話を聴こうとする真摯な気持ちと柔軟な基本姿勢である。
ちなみに男と女が合体した結果として、たとえ優秀な子供が産まれたとし
めたほうがいいのでは…。自民党も憲法九条も、長所も短所もあります。で
も、毛嫌いするほどのことはないでしょう。
ても「融合のマジック」とは言わない。
これは単に「軽率なる出来心の結果」であって、しばしば反省の対象になる。
(2001.3.4第1号)
(1)市民プロデューサーは“ナカヨク主義”でいこう!
▼毛嫌いからは、不毛な議論や勝った負けたの議論は出てきても、絶対に“節度
ある話し合い”は生まれません。でも、ものごとを説得的に解決したり、新しい
システムを生み出したりする時に必要なのは、“節度ある話し合い”なんです。
またそのためには“仲良く
(ナカヨク)
しないといけませんね。だから、市民プロ
デューサーは、ナカヨク主義で行ったほうがいいと思いますよ、ボクは…。
(2001.3.10第2号)
▼私には、今の日本にはサヨクの人とウヨクの人がいて、対立し合っている
ように見えます。もちろん、マルクス・レーニン主義を信奉する“左翼”や、
街宣車で天皇制死守を叫ぶ“右翼”の人たちという意味ではありません。あく
までも片仮名のウヨクとサヨクなんです。
(4)ディベートより“節度ある話し合い”を!
▼ネイティブアメリカンの口承史を書籍化した『一万年の旅路』は示唆に富
▼筆者が言うサヨクの人というのは、新聞は朝日、政治心情は護憲・革新派、
む本である。とくに、「節度ある話し合い」というコンセプトが、心の琴線
福祉と環境に興味を持ち、竹村健一さんや渡部昇一さんが大嫌いで、佐高信
に触れた。論争やディベートという言葉との違いを考えると、どちらがより
さんや内橋克人さんの本を好んで読みます。もちろん、自民党は大嫌いです。
優れた考え方・態度かが分かる。
▼ウヨクの人は、読売新聞、週刊新潮を好みます。政治心情としては、保守
▼ディベートや論争は闘いである。言葉による争いなのだ。だから、結果と
的な傾向があり、日本の伝統や文化は優れていてると考えています。もちろ
して勝者と敗者に分かれることになる。しかしながら、何のためにお互いが
ん、若者が社会的な奉仕活動をするのは大賛成。ニュースステーションの久
話し合うのかという根本のところを考えれば、明らかに勝者と敗者をつくる
米宏には若干批判的ですね。また、戦前の日本にも、良いところはたくさん
ためではない。
あったという考え方です。
▼問題を解決したり、何か新しい価値を創造することこそが話し合いの目的
▼今の日本って、ウヨクの人かサヨクの人しかいないような感じになってい
なのである。そういう目的に対して、ディベートという考え方は無力である。
ませんか?
少なくとも言論の世界では…。竹村健一さんも好きだけど、久
なぜなら、自分と違う考えの者を打ち負かすことに重点があるからである。
米宏さんも悪くないとか、日本の伝統文化はウザイと思うけど、戦後民主主
しかし、「節度ある話し合い」というコンセプトの中心は、相手の言うこと
義もなんだかなあ…とか、新聞はサンケイと朝日を両方とっているなんてい
を聞くことにある。まず、相手の言い分に静かに耳を傾ける。これはものす
う人はかなり少ないでしょう。なんとなく、サヨクの人はウヨクの人を軽蔑
ごく洗練された文化的な態度であると言えよう。
し、ウヨクの人はサヨクの人を浅はかで頭デッカチだと思っている。
▼翻って、例えば、イスラエルとパレスチナの対立を考えてみよう。何十年
▼でもね、市民プロデューサーっていうのはナカヨク(中翼)、つまりどっ
論争を繰り返し、多くの命が奪われたにもかかわらず、いまだにあまり事態
ちの良さも分かるっていうのが大切なんです。食わず嫌いと毛嫌いだけは止
が進展しているようには見えない。お互いに相手の非をあげつらっているだ
6
7
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
けのように思える。ディベート的発想で事態に対処している限りは、恐らく
倒的に送り手のほうが真っ当なやり方で情報を送っており、受け手がボンク
何年経っても状況はそれほど代わらないのではないか。
ラな場合もあるだろうが、そういう場合でも、情報を送りたいと思っている
側が相手のボンクラ性を理解した上で情報発信しなければならない。そうで
▼「節度ある話し合い」というコンセプトを、市民プロデューサーは信条と
ないと、せっかくまともな情報が伝わりきらないからである。臍をかむのは
すべきである。話し手であるより、まず聞き手であることだ。これはインタ
送り手のほうで、ボンクラな受け手は何の痛痒も感じないだろう。
ビューの心構えとも通じる。話の聞き手が先に喋ってはどうしようもない。
じっくり、興味を持って相手に耳を傾けるという姿勢があれば、やがて相手
▼問題は、コミュニケーションに力関係が働く場合である。上司と部下や、
は話し出す。誰しも、自分のことを誰かに分かって欲しいという気持ちがあ
年齢差があるコミュニケーションなどは最も分かりやすい例で、どちらかの
る。それが人間というものである。
側により"力"がある場合、どちらから情報発信するにしても、インコミュニ
カブルに終わる場合が多い。ということはつまり、全てのコミュニケーショ
▼静かに相手の言い分を聞いた後、
こちらも静かに話し出そう。そのことによって、
ンはインコミュニカブルに終わる可能性が高いということだ。だってある意
お互いが分かり合えるベースができる。話したくてたまらないのは、
自分の主張
味で、全ての人間関係は力関係(権力関係)の側面を持っているからね。
や個性や論理を相手に分かって欲しいというより、押し付けたいのかもしれ
ない。自己主張は後からゆっくりすればよい。成熟した市民は、根本的な技
▼恋人同士、友人同士の間にも"力関係"が働いていることは、賢明な読者諸
能として「節度ある話し合い」の技を身につけているべきではないだろうか。
氏なら当然自覚されていることと思うが、解決策、というよりは妥協策は「イ
(2001.3.31第5号)
(35)インコミュニカビリティ(伝達不能性)の自覚
ンコミュニカビリティ(伝達不能性)をオモシロがる」以外にはないように
思える。インコミュニカビリティには人間の本質の一端が見えているのだと
考えると、そのことを注意深く観察し、「自覚という革命」(A・ミンデル)
に至ることこそ、関係性の変革への足がかりになるのではないだろうか。
(2002.2.27第43号)
▼世俗的な欲求、
「もっとお金を儲けたい」「あの人に愛されたい」「いい仕
事がしたい」
「もっと出世したい」「効果的な市民活動がしたい」等々にはす
べて人間関係が絡む。そして人間関係というのは全部コミュニケーションの
問題である。だから、コミュニケーションさえ上手くできれば大方の問題は
解決する、と断定してもよいぐらいのものである。
(56)「市民としてのスタイル」十か条
▼ボランティア国際年の記念イベントとして、2001年に大阪ボランティア
協会主催で、連続フォーラム「市民としてのスタイル」を企画した。その時、
▼そして、いつも言っていることだが、「コミュニケーションは受け手が完
スタッフの間で、全4回のフォーラムが終わった時点で「市民としてのスタ
成させる」ものだから、いくら情熱的に愛の言葉を囁いても、相手にその気
イル十か条」みたいな感じで、新しい市民像というか、「ぼくらはこういう
がなかったり、相手に通じない言葉(相手の理解力を越えた言葉や外国語
思考と生活のスタイルを主張し行動したい」というメッセージになるような
等々)で話し掛けても意味がない。
ものを考えてはどうだろう…という議論があった。
▼そういう意味では、インコミュニカブル(伝達不能)である責任の大半は
▼それで、フォーラムが終了した時に、
「十か条、十か条」と言っていたのだが、
情報の送り手にあるといっても過言ではない。もちろん、客観的に見て、圧
誰がどんなふうにそれを考えるのかという問題もあり、一応『市民としてのス
8
9
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
タイル』というタイトルの本を出版し、その中に「市民としてのスタイル十か
条」を載せることを考えていた。それで、一昨年の年末に何人かの人に集って
もらい、
「市民としてのスタイル十か条」選定会議のようなものを持った。
▼そのときに、ぼくが十五か条の「市民としてのスタイル」を考え、それを
たたき台としてみんなで議論をし、カードブレスト法を使って新しい提案な
ども書いてもらった。ところが去年、『市民としてのスタイル』の出版化の
話が頓挫した。簡単に言うと、どの出版社も「こんな企画の本は作っても売
(1)私たちは、地球環境や次世代のことを考えて現在の生活を営みます。
(2)私たちは、NPOや市民活動に積極的に取り組むとともに、行政や企業
などとも協働して社会の改革に取り組みます。
(3)私 たちは、小さな声にも耳を澄まし、話し合いによる合意形成を重視
します。
(4)私たちは、文化的・思想的多様性こそ「豊かさ」の源泉だと考えます。
(5)私たちは、権力を持つ人たちの見解やマスコミ報道などを鵜呑みにす
ることなく、冷静に判断し、態度を決めます。
れない」という判断だったのだ。
(6)私たちは、地球上の全ての人たちが飢餓と無知から解放されることを
▼そこで、
「市民としてのスタイル十か条」が宙に浮いた形になった。で、月
(7)私 たちは、インターネットなどを活用し、地球市民のネットワークを
ウ ォ ロ
刊ボランティアの編集委員をしているぼくは、月刊ボランティアが『Volo』
と誌名変更する2003年新年号の特集タイトルを「市民のウォロ」とし、市
民の意志(ウォロはラテン語で「喜んで~する」の意味)を検証、ルポする
企画を編集委員会に提案。企画は受け容れられた。
▼そしてぼくは、徳島の「民主主義のがっこう」を取材したり、編集委員5
人による座談会をしたりしていたのだが、それと同時に「市民としてのスタ
イル十か条」についてもまとめていた。ところが、編集委員の中には「そん
望みます。
形成します。
(8)私たちは、植物や動物も人間と同じ生き物としてその存在を尊重します。
(9)私たちは、地域社会をより安全で快適なものにするよう努力します。
(10)私たちは、基本的人権と地球市民としての義務を大切にし、主権者と
して行動します。 (2003.1.8第64号)
(84)「活動」とは何なのか…
なものを制定する必要はない。十か条は個々の市民によって違うし、それを
▼関東方面から、大阪ボランティア協会の岡本理事長と帰阪する機会があっ
制定して月ボラの誌面に載せることにどんな意味があるのか」という反論も
た。かなりの珍道中だったが、長時間話をさせていただくことはあまりない
あり、ぼくもそれはもっともな意見だと考えたので、記載を中止することに
ので、貴重な体験だった。「最近、天使のささやきを聞いていますか?」など、
した。
キリスト者らしい質問があったりして、面白かった。因みに、この質問はク
リスチャンなら誰でもするというようなものではなく、理事長独特の表現で、
▼でも、こういうふうに書くと、「どんな十か条なの…」と興味を惹かれた
自己の内なる声を聞いているか、とか、新しいアイデアが天から降って来る
読者も多いのではないかと思うので、以下に月ボラのメーリングリストなど
ような経験をしていますか、というようなことである。
で議論を重ねて創作した「市民としてのスタイル十か条」を掲げておきます。
皆さんはどのように感じられるでしょう。
「市民としてのスタイル十か条」
私たちは、志を持った自治的な市民として、次のような考え方及び生き方
のスタイルを確立したいと思います。
10
▼また、理事長は、「最近ぼくは活動ということを考えているんです」とも
おっしゃった。名前は忘れたが、ヨーロッパの女性文学者の本を読んでおら
れ、その中で彼女が、「仕事」と「労働」の違い、そして「遊び」のことな
どについて書いており、それらとは別に「活動」という概念を提出している
という。
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黒ビールでも飲みながら
▼仕事と労働の違いについてその作家は、労働というのは嫌でもやらなけれ
ばならないこと、そして仕事とは、例えば、自ら進んで文章を書いたりする
第 1 章・市民プロデューサーのこと
(96)「市民活動プロデューサー」再考
こと、というように捉えているらしい。そして、遊びとは文字通りテニスを
▼去る8月7日(日)のキックオフ・ワークショップの結果、団体名称を市民プ
したり、夏休みに海外旅行に出かけたりすることで、それ以外に人間がする
ロデューサー協会から市民活動プロデューサー協会に変更することが決まっ
ことの一つとして、「活動」というものがある、というような話だったと理
た。これまで、
「市民プロデューサーとは?」と訊かれると、
「いろんな市民活
解している。
動をプロデュースするとともに、そのことを通じて社会の中に“市民性”を創
り出していく人のことです」というような答え方をしてきた。この考え方は
▼とても面白い考え方だと思った。今までは、まず生活していくための労働
今でも変わらないが、市民活動プロデューサーとすることによって、その役
や仕事があり、その余暇にリフレッシュのための遊びがある、というのが一
割をより明確化した、と思ってもらうとよい。
般的な考え方だったように思う。しかし、ボランティア活動、市民活動、と
いうのはそのどちらでもない。お金を稼いで生活を成り立たせていくために
▼市民プロデューサーというと、聞く人によってイメージが異なり、例えば、
しなければならないことでもないし、気分転換や楽しみのためだけにやるも
NPOや自治体などが行う非営利の芝居や映画の興行をプロデュースする市
のでもない。
民(ボランティア)と捉える向きも多かった。もちろん、それも含めてもらっ
てもいいのだが、映画や演劇、音楽などの創作をプロデュースするというよ
▼でもしかし、
「活動」というのはやればやったで楽しいし、そのことによ
り、「変革」をプロデュースする、という意味合いが強いのである。
って自分が成長するという側面もある。また、一応はほかの誰かのためにや
ることが多いが、それが自分のためではないかというと、結局、自分の充実
▼今の社会の矛盾や不便、不平等、不正義などを変革するには、カリスマ的
感や自己実現のためにやっているのである。
な政治リーダーや革命家に頼るのではなく、フツーの市民一人ひとりがそれ
ぞれの持ち場で、社会的なイノベーションを積み重ねていくしかない、との
▼「活動」というのはつくづく贅沢で気楽なものだと思う。それは「運動」
ある種の諦念と決意こそが「市民活動プロデューサー」の根幹なのである。
と比べてみるとよくわかる。運動はもっと切羽づまっているし、やらざるを
得ない側面がある。だから、60年代の政治の季節には、
「もっと真剣にやれ」
▼社会的イノベーションを目ざすさまざまな市民活動が渦巻きのように起こ
とか「沖縄の人たちの現状を知ったら、デモが闘いだということがわかる」
っている社会。そういう市民セクターになったとき初めて、官僚や専門家や、
などと、いつも自分や仲間を叱咤激励していたように思う。
エリートではなく、フツーの市民が主役となる市民社会が姿を現すのではな
いか。そして、その状態は永遠に続き、どこまでも完了することはない。政
▼市民運動がいつのまにか市民活動と名前を変え、苦しさや闘いや革命より、
治革命のように、権力奪取すればそれで終わりではなく、市民によるさまざ
自己実現や楽しさや行政との協働が喧伝される今、もう一度、運動と活動に
まな活動が、世の中の不具合を絶えず手当てしていく。
ついて考え、私にとって活動とは何か…ということに思いを致すことが必要
な気がする。運動にももっと楽しさの側面が必要だとか、市民活動には社会
▼そのような社会では、多種多様な市民活動をプロデュースしていく役割が重
変革性が必要だ、といった議論の前に、人間にとって「活動」とは何だろう、
要になるだろう。世の中における市民活動のニーズを見極め、活動のコンセプ
ということを考えてみるのもとても意味のあることのように感じている今日
トを確立し、具体的な活動内容について企画立案し、仲間を集め、資金を工面
この頃。 (2004.7.2第92号)
12
し、ネットワークを築き、行政と企業にも働きかけ、課題を一つひとつ潰してい
13
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
くとともに、そのこと自体を自己実現の喜びとする。そういう市民(個人)を
にいるとは思えない。だから、もしそれが定着するとしても、まだ何十年も
どれだけ誕生させることができるか?
先のことになるのではないだろうか。
そこがぼくらの勝負所である。
(2005.8.31第104号)
(161)
「市民セクターの収益モデル」を考える
■寄付金・補助金だよりの市民セクター
▼また、話は変わるが、大阪市長選挙に圧勝した橋下氏は、当選後の記者会見
で「大阪市役所は意味の分からない補助金がたくさん出ている」と発言し、大阪
の市民セクター関係者を戦々恐々とさせた。大阪の市民活動団体に橋下嫌いが
多い原因としては、氏の強引な政治手法や市民活動に対する無理解を挙げる
人もいるが、本音のところではやはり「補助金カット」ではないだろうか。要は
▼CNNのウェブサイトによると、アメリカの富豪グループが11月16日に米議会
市民活動団体が行政の支出に頼っている現状に、彼が手を突っ込んだからで
を訪れ、
「富裕層に対する増税を財政赤字削減策に盛り込むよう要請した」と
ある。しかし記者会見では「平松市政の市民恊働は受け継いで行く」と述べ、
いう。同グループは著名なエコノミストや女優などの有名人のほか、グーグ
市民活動に対する一定の気配りも感じさせた。しかしおそらく、新市長が前
ルの社員や元社員らで構成されている。彼らは、「ブッシュ前大統領の時代
市長に比べて補助金の財布の紐が固いのは確実で、大阪の市民活動団体にと
に成立した富裕層に対する減税措置の打ち切りを求めており、財政削減策に
って自立的な収入源の確保が今まで以上に必要とされるようになるだろう。
ついて協議している超党派の特別委員会に対し、富裕層への増税を伴わない
措置は一切退けるよう訴えた」。また、グーグルの元マーケティング責任者は、
「我々はもっと税金を払いたいと思っている。幸運にも年間100万ドル以上
の収入を手にした者は、もっと税金を払うべきだ」と訴えたという。
■市民セクターの収入源は“頂戴金”
▼さてここで、第1セクター(行政セクター)、第2セクター(営利セクター)、
第3セクター(非営利セクター・市民セクター)の特徴を資金面から考えて
▼ぼくは、これまでの人生で一度も金持ちになったことがないので、常々な
みよう。第1セクターは事業の原資を税金にたよっている。第2セクターは
ぜ世の富豪たちが必要十二分以上のお金を保有したがるのか理解できなかっ
ビジネスよって得た利益を原資とする。ではさて、「非営利」を標榜する第
た。衣食住に困らず、ある程度の贅沢(高級車や宝石の所有、高級レストラ
3セクターは、何を活動の原資としているのだろう。
ンでの頻繁な食事等々)ができ、親族へも十分な資産が遺せれば、それ以上
のものを所有する意味はほとんどないのに……と。
▼活動メンバーや会員が負担する会費、個人や企業からの寄付金、行政から
の補助金、バザーや講座の事業収入などであろう。一見すると、他セクター
▼しかしこのニュースに接し、金融大国アメリカにもウォール街の守銭奴以
に比べて多様な収入源があるように見えるが、お世辞にも「経営的に安定し
外に真っ当な神経の富裕層もあり、この良識が米国の寄付文化を成立させて
ている」とは言えず、どの団体も内状は“火の車”であることが多い。
いるのだと納得した。まただからこそ、同国NPO / NGO隆盛の基盤が盤
石なのだろう。翻って日本の状況を見れば、盛んに“寄付文化”を定着させよ
▼各セクターの資金の性質を端的に表すなら、第1セクターは個人や企業に
うと奔走している人たちがいるわりには深く根付きそうにはあまり思えない。
収めさせる「徴収金」、第2セクターは事業活動から得る「営業金」となる
だろう。では、第3セクターの資金的特徴は何と表せばいいのだろう。もち
▼大王製紙の前会長の3桁の億単位のギャンブルへののめり込みを見ても、
ろん事業収入もあるが、補助金や寄付が多いので「頂戴金」とでも命名して
日本の大富豪の中で市民セクターへの寄付を習慣としている人たちがそんな
おこう。
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黒ビールでも飲みながら
▼NPO・市民活動団体が他人様(行政や企業、個人)からお金を頂けるのは、
第 1 章・市民プロデューサーのこと
提供ができたら、有料の学習者や読者がついてくれるかもしれない。
その活動やミッションに対して共感してもらえるからである。そして、共感
の源泉は、活動の他利性と非営利性である。利益を求めず、より良き社会の
▼いま市民活動団体の中で、自分たちの持っている教育資料やさまざまな情報
ために行う行動だからこそ共感を呼ぶのである。
を、収益を生む可能性のある資源として捉えているところはとても少ないよう
に見える。しかし、市民セクターの各分野がもっている教育と情報の資源は、
▼ただ、
「頂戴金」はあくまで他人様の善意によって頂くものだから、非常
必要な人にとっては有料でもぜひ欲しい価値であることが多いのではないか。
に不安定である。時々の景気や寄付者の経済的な事情によって頂ける金額は
大きく変わってくる。だからやはり、人の善意に依拠しない資金源がもっと
▼例えば、アフリカやアジアの貧困地帯で活動している団体、家庭内暴力の
必要となろう。しかし、非営利を標榜している限り、暴利に走ることは許さ
被害者を支援している団体など、国際的、社会的な活動をしているさまざま
れない。もちろん、市民セクターの「非営利」は、儲けを度外視するという
な市民活動/ NPOがもっている貴重な経験や情報はそれらを必要とする個
ことではなく、
「営利を目的としない」という意味である。だから、バザー
人や団体にとって喉から手が出るほど欲しい有益な資源なのではないか。そ
などで適切な利益を得ることは全く問題ではない。
のような教育資源や情報がメールマガジンという手軽なメディアで安価に、
■NPO /市民活動の収益モデルを考える
例えば、月額500円程度で、しかも簡単に入手できるとしたら、かなり購読
希望者が多いかもしれない。
▼だから、NPO・市民活動団体は、もっと真剣に儲かる事業を企画・実行
▼現在、「まぐまぐ」の有料メールマガジン発行者は、有名な芸能人やタレ
すべきなのかもしれない。しかし、ただ儲けるために自分たちのミッション
ント、文化人・知識人などがほとんどだが、市民活動諸分野のエキスパート
と無関係の商品を作って売ることなどは本道ではない。それは第2セクター
や団体なら、彼らに比べても発行者として決して遜色がない。例えば、毎月
(営利セクター)に任せておけばよい。営利セクターには大いに儲けていた
いろんな市民活動団体が紙媒体で発行している広報誌や情報誌は制作・発行
だき、余剰金を寄付を含めた社会貢献活動に回してもらえばよいのだ。
と配布にかなりの資金が必要だが、ペイしているところは皆無に等しい。
▼では、非営利セクターの収益モデルはどのあたりに求めるべきなのだろう。
▼パソコンやネット環境をもたない人たちもいるので、紙メディアの発行を
ぼくはそれを「教育モデル」と「出版モデル」ではないかと考えている。つ
止める必要はないが、その中の情報を有料メルマガで発信することも「アリ」
まり、教化・教育による収益モデルと新聞、雑誌、書籍など出版で収入を得
ではないだろうか。そのことによって、例えば、月500円の購読者が100人
る収益モデルである。前者ではとくに、行政からの補助金に頼らない私塾(学
獲得できれば5万円、1000人なら50万円の収入増になる。毎月50万円の収
習塾、そろばん塾、ピアノ塾、乗馬や英会話スクール等など)が参考になる
入は1年なら500万円である。これは大きいし、団体の規模によっては不可
はずである。また後者では、現在の、広告収入に頼っているマスメディアで
能な数字ではないだろう。
はなく、初期の出版文化の中にあった購読料収入だけに頼った出版社である。
▼もちろん自立的な収入源の確保は、ファンドミックスで行くべきだから、
▼どちらも実現するにはとても難しいところのある収益モデルではあるが、
有料メルマガ以外にもいろいろ創案して行かなければならない。そのために
大きなヒントとなるのは有料メルマガである。幸いメールマガジンを出すこ
はやはり、寄付を集めるファンドレイザーだけではなく、資金獲得のための
とに大した出費は必要ないから、内容の豊富な、独自性のある教育や情報の
専門職マネーメイカーが必要となるだろう。それが不可能ならせめてマネー
16
17
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
メイキングのための会議を定期的に開き、さまざまな収入源の獲得に真剣に
「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを
取り組むべきである。いつまでも行政や企業の「頂戴金」を当てにしている
根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。
と、生き残って行けないかもしれない。 (2011.12.14第185号)
それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちと
(165)議論(話し合い)の歴史
もうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論
議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するも
のだ」。
人類の長い歴史の中で、いつ頃から「議論(話し合い)」が行われるよう
になったのでしょう。人間の言葉が、議論できるまで発達したのはいつ頃か
さて、ここまでは文献によってトレースできる議論についての歴史的断片
らか、
という問いに明確に答えることは残念ながらできません。なぜなら、
「こ
に触れてきましたが、無文字時代の人間社会で議論が行われた形跡は全くな
の時から議論が始まった」というようなことを記した文献などありえないか
いのでしょうか。実は、ネイティブ・アメリカンによる口承史を書物の形で
らです。しかし、人間が文字で残した歴史の中には、明らかに我々の祖先が
出版された文献があるのです。
議論をしていた証拠があります。
『一万年の旅路~ネイティヴ・アメリカンの口承史』(ポーラ・アンダーウ
たとえば、釈迦(BC463? ~ BC383?)の十大弟子の一人「富楼那(ふる
ッド著、星川淳訳、翔泳社、2,500+税)です。これは、北米のネイティブ、
な)」は、大勢いた弟子たちの中でも、弁舌にすぐれていたとされています。
イロコイ族の女性が、1万年間語り継がれた部族の歴史を祖父から口移しで
富楼那はベナレスへ赴き釈迦に議論をいどみますが、論破されて弟子となっ
受け継ぎ、それが書籍化されたものです。同書は、遠い過去からの歴史のな
たとされています。
かで自分たちが学んだ多くの知恵について述べられており、その中の一つが
「節度ある話し合い」というコンセプトです。
また、ソクラテス(BC469頃~ BC399)は、徳・正義・善・勇気などの
抽象概念を明確に定義づけようとしますが、その際、一方通行の弁論や書物
彼らは、アフリカ側の地中海沿岸の定住地で地震・津波などの大災害に遭
では役に立たず、しっかりと質疑応答をして合意を重ねながら対象を深く探
遇し、1万年に渡る長い旅路を北米の定住地まで東に向かって歩き続けるの
求していける議論が必要になると考えました。
ですが、ベーリング海峡のアジア側までたどり着いたとき、それまで学んで
きた知恵を数か条にまとめます。
極東アジアにおいても、孔子(BC5世紀頃)が現れます。『論語』は、孔
子の没後、弟子たちが彼との問答の中での言葉や、いろんな国の君主と行っ
た対話、また弟子たちが孔子に対して意見を述べたときの言葉などを集めて
一つめの知恵は、部族の中に十分な知恵者がいないときは、「多くの者が
心を一つにすれば、確かな道を見いだせるかもしれない」ということ。
編まれたものです。孔子が様々な人と広汎な議論をしたことが推察させます。
二つめは、「つねに人に従う者が学ぶのは、他人の背中の形だけである」
時代はずっと下りますが、日本においても、聖徳太子(574 ~ 622)の「十七
ということ。
條憲法」の第一条には次のように書かれています。下記ウェブサイトの現代
語訳を掲載しておきます。下線は、本文筆者によるものです。
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
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三つめは、「選び方はたくさんあるが、多くの場合すばやく選ぶことが最
善で、さもないと選んでも手遅れになりかねない」ということ。
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黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
そして四つめは、「一族の中で解決できることも多いけれど、ときには年
根拠が弱いことを示唆する」(「激しい言葉は理由の薄弱さを物語る」との
長者の意見が最前である」こと。そして一つめの学びと組み合わせて、「一
別訳あり)と喝破しましたが、現代社会において、あまりにも“激しい言葉”
つの道でもなく、またもう一つの別な道でもなく、その二つの釣り合いが確
や“勝つための言葉”や“論理のない言葉”が氾濫しているように思われます。
かな道を照らし出す」ということ。
今こそぼくらは、
「節度ある話し合い」の知恵を学び直さなければなりません。
そして最後の知恵が、
「節度ある話し合い」です。女性リーダーの「雪の冠」
がつぎのように語ります。少し長いですが以下引用しておきます。
●技法としての議論
現代社会において、いろんな場面で「議論がかみ合っていない」とか「お
「すなわち、われらは幼い民で、じゅうぶん学ぶ前に先生を失い、あれこ
れ決めるのに言い争ってばかりいる子どものようだ。/ならばこそ、節度あ
互いの意見表明だけに終わっている」、「議論に生産性がない」と感じること
はありませんか。
る話し合いの知恵を求める民への道を学ぼうではないか。指導者をまたたく
たとえば、国会での政党間のやり取りや政治討論番組における怒鳴り合い
まに失いかねないことを、記憶にとどめようではないか。一人では不可能な
に近い議論の仕方。また、卑近な例を挙げれば、市民活動の中での物事が決
ことも、大勢なら可能になるかもしれないことを理解しようではないか。/
められない長時間の会議、講習会などで延々と自分たちの活動についてPR
そしてもし、こうしたことがすべて記憶からすり抜けたとしても、これだけ
する人、相手の意見に耳を貸さず自分の意見だけに固執する人などなど。
はおぼえておくがいい。節度ある話し合いの知恵を求めること。どんなに大
これらのことを思い出すと、つい「うまく議論が進む魔法の杖のような技
勢でも、どんなに少数でも、どんなに年老いていても、どんなに若くとも、
法(テクニック)はないのだろうか?」と考えたくなります。もちろん今の
節度ある話し合いの知恵を求めること。一同の中で最年少の者にさえ、座を
世の中には何でもありますから、会議の進め方や議論で勝つ方法についてた
与えて耳を傾けるがいい。(後略)」。
くさんの書物が出版されていますし、講座もあちこちで数多く開催されてい
ます。
これらを現代風の言葉に要約すると、一は「衆議の可能性」、二は「追従
たとえば、対話法の確認的応答やファシリテーションのホワイトボードの使い
の愚劣性」
、三は「意思決定におけるスピードの重要性」、そして四は「ベテ
方を学ぶことは議論や会議をうまく進めるうえでとても効果的だと思います。
ランの意見の尊重」と「弁証法による課題解決」ということです。そして最
だから、いろんな話し合いの技法を学ぶ価値はじゅうぶんあるでしょう。
後の知恵は、
「冷静な議論の必要性」ということではないでしょうか。
ただしかし、よく目にする光景は、これらの講座に参加したり、講座その
ものを企画したりした人たちが集まって会議や議論をしても、予定時間が超
このように見てくると、彼らが学んだ知恵は、現代のビジネスや市民活動
においても重要な学びであることが分ります。そしてぼくらは、彼らが1万
過して肝心のことが決められなかったり、一人の権威者が議論をリードして
広汎で多彩な意見が出なかったりする場面です。
年以上前に学んでいたことを、真剣に学び直さなければいけないと感じます。
なぜ、このようなことがしばしば起こるのでしょう?
なぜなら、これらの必要性はじゅうぶん認識できているが、実行となると
もちろん原因はさまざまで、単純な原因究明はよくないと思いますが、一
……、
というところだと思うからです。とりわけ「節度ある話し合いの知恵」
つ考えられるのは、参加者各自の「議論」観が技術のレベルに留まっており、
については、本気で学ぶ必要があるのではないでしょうか。
思想のレベルにまで達していないせいなのかもしれません。つまり、議論の
仕方の問題というより、議論そのものについての考え方の問題なのかな……
フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴは、「荒々しく毒ずいた言葉は、その
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とも考えられるのです。
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黒ビールでも飲みながら
●思想としての議論
第 1 章・市民プロデューサーのこと
論」以外の選択肢が無いことが解り、感動すらおぼえてしまいます。
「思想としての議論」などと言うと、「なんのこっちゃ」と思われるかもし
「そんなことを言っていたら、いつまでたっても問題は解決しない」とい
れませんが、簡単に言うと「民主主義においては、みんなで議論する以外に
う声が聞こえてきそうですが、それはまた別の問題で、ここではあくまで「思
物事を進める方法がない」と思い定めることです。「議論しかないと腹をく
想としての議論」についての原則論を述べているのです。
くること」と言ってもよいでしょう。社会的な課題を解決したり、意思決定
をするのに、暴力や資金力、権威・権力、カリスマに頼るのではなく、「議
論しかない」と覚悟を決めることです。
「そんなことはわかっている」とおっしゃる方も多いと思いますが、頭で
「議論の思想」について語るとき、守るべき三つの基本コンセプトについ
て考えておく必要があります。それらは、傾聴(敬聴)、論理、止揚です。
「傾聴(敬聴)」とは、お互いを尊重してよく聴き合うこと
理解しているだけではなく、思想、哲学のレベルまで議論についての意志を
「論理」とは、お互いに話しの筋道が通っていること
錬磨する必要があると思います。少し大げさな言い方をすると、「ペンは剣
「止揚」とは、お互いに矛盾する主張の発展的融合を目指すこと
よりも強い」と信じ、突きつけられた銃の前でも「話せば解る」と言い切れ
ることだと言えるかもしれません。なかなか難しいテーマですが……。
まず、お互いを尊重し合って相手の言うことに耳を傾けなければなりませ
ん。それが前提でしょう。自分の側に独自の主張があれば、相手側にも相手
人間は弱いので、どうしても強いものに頼ろうとします。金や暴力やカリ
なりの主張があるのは当然です。お互いの主張が異なるからこそ議論をする
スマは強力で、油断すればフツーの市民の“話し合い主義”なんか簡単に吹き
のです。もし、主張が同じであれば、議論の必要はありません。しかしそん
飛ばされてしまいます。でも、そこを踏みとどまって、あくまでみんなの話
なことは、「異質の混在」が常態である人間社会においてまずあり得ません。
し合いに固執するのです。
それから、お互いに話していることに筋道が通っていることが重要です。
最近よく耳にするのが、「無駄な話し合いなんかいつまでやっていても仕
理屈が通っていない主張は、相手を納得させることができません。そのこと
方がない。さっさと金を払って(武力で、強力なリーダーに任せて……)、
は自分に引きつけて考えれば容易に理解できることです。筋道の通らない意
決着をつけよう!」といういささか乱暴な論調です。しかしこれらのやり方
見ほど厄介なものはありません。
で物事を進めていると、後で必ずしっぺ返しを喰うことになります。それは
そうでしょう。できるかぎり利害関係者全員の納得を得られるよう努力する、
という民主主義的営為の根幹を途中でほっぽり出しているわけですから。
また、お互いに主張の異なる者同士が話し合うとき、勝ち負けの論理に陥
ると、結局不毛な論争になってしまいます。そうではなく、お互いの主張の
妥協点を探り、二つもしくは複数のアイデアを融合させてより高い(深い)
古くは、成田空港建設の際、農民との話し合いを途中でほっぽり出して、
警察機動隊の暴力で問題解決を図ったことや、最近では、中韓との領土問題
発展的な統合を目指すこと、つまり「止揚」こそ重要です。さもなければ、
議論が、
「勝ち負けの論理」に陥り、禍根を残してしまう結果となるでしょう。
を武力解決に持ち込もうとする勢力の台頭などは、議論が思想のレベルまで
錬磨されていない典型のように思われます。それに比べて、宮本常一が目撃
これらはあくまで、理論的に抽出された“基本コンセプト”であり、それが分か
した村の寄り合いでの話し合いを見ると、村民たちの頭の中に「みんなの議
っていたところで、上手く話し合いが運ばないことも多々あるに違いありません。
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黒ビールでも飲みながら
しかしながら、議論に臨む一人ひとりが、傾聴・論理・止揚の三要素を、思想と
して血肉化しているのとしていないのとでは雲泥の差がでること必定です。
とりわけ「止揚」はいちばん難しいと思います。どうしても「勝ったか負
第 2 章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
第2章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
(19)『オハイオ』と『栄ちゃんのバラード』
けたか」の議論になりがちですが、その段階で満足してしまうと、本当の意
▼最近とんとコンサートへは行かなくなったが、11月にはエリック・クラ
味での“議論による民主主義”の醍醐味を味わうことができません。「止揚」
プトンが来るようなので、久しぶりに行ってもいいな…という気持ちになっ
とはつまるところ、「異見間に融合のマジックを働かせ、より高い(深い)
ている。というのも、60年代後半から70年代にかけての音楽を聞きながら、
次元に到達すること」と定義づけられるでしょう。難しいですが、目指すべ
あらためてあの時代のロックの凄さを再認識させられているからだ。
き「思想としての議論」の目標です。 (2012.09.22第189号)
▼例えば、いま仕事中にしょっちゅうパソコンのCDプレイヤーで聴いてい
るニール・ヤングの「DECADE」である。このアルバムは、日本語のタイ
トルでは「輝ける10年(ベスト)」となっているとおり、ニール・ヤング
が「バッファロー・スプリングフィールド」で活動し出した66 ~ 67年から、
「DECADE」が発売された77年までの十年間の軌跡をまとめたものである。
アナログ・レコードでは、三枚組み全35曲という大作だ。
▼CD版はディスク2枚だが、二枚目の最初の曲が有名な「オハイオ」である。
これはオハイオ州のケント大学で反戦デモ中の学生四人が州兵によって射殺
された事件を扱ったもので、歌詞は「Tin soldier sand Nixon’s coming(鉛
の兵隊とニクソンがやってくる)」に始まり、「Four dead in Ohio(オハ
イオで四人が死んだ)」のリフレインで終わる。
▼事件後、急遽ニール・ヤングのもとにクロスビー、スティル、ナッシュの
3人が集って、ロスアンジェルスのスタジオでレコーディング、1週間後に
は店頭にシングルが並べられたという。当時の大統領の名前をはっきりと出
し、事件の責任を問うている“プロテスト・ソング”だが、その抗議の気持ち
をすぐに“歌”にするアーティストと、それを商業ベースに乗せてヒットさせ
てしまうアメリカの音楽ビジネスの凄さを感じる。
▼実はぼくらも、九州大学にファントムが墜落した時に、「栄ちゃんのバラ
ード」というフォークソングをつくって、デモの中で歌った。栄ちゃんとは
言うまでもなく、当時の日本国の総理大臣、佐藤栄作氏のことである。「栄
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黒ビールでも飲みながら
第 2 章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
ちゃんの家にファントムが落ちたら、栄ちゃんはそのまま死んでしまうだろ
▼今のアメリカは強大で権威のある国だが、戦争を自ら仕掛けたことで、道
う。あの世できっと後悔するだろう、安保条約やめときゃよかった、と…」
徳的優越性を放棄してしまった。このことが後から効いて来るように思う。
という単純な歌詞で、プロテストというのもおこがましい内容である。
もちろんアメリカはフセイン政権を放擲するだろうが、事はそううまく運ば
ないはずだ。アラブのナショナリズムは相当頑強だし、世界中のちょっと物
▼ところが、この歌が放送禁止になったのである。どういう経緯でそうなっ
の分かった連中にはアメリカの狙いが石油とイスラエルへの加担だというこ
たのか、また放送禁止というのはどこの誰によってなされるものなのか知ら
とがはっきりと見えたからだ。
ないが、おそらく放送業界の自主規制なんだろう。歌詞に時の首相の名前が
入っていることや内容が安保条約に批判的なことが理由だろうが、情けない。
▼アメリカはぜったい認めないだろうが、
これまで世界中で最も多くの大量破壊兵
ニール・ヤングの「オハイオ」の場合と比べてつくづく感じるのは、日本の
器を所有し、それを使った戦争犯罪を犯しているのはアメリカだ。広島長崎は、
ビジネスの権力に対する弱腰である。権力に対抗することができるビジネス
無差別に非戦闘員を意図して大量に殺した戦争犯罪以外の何ものでもない。
の存在は、成熟した市民社会の必要条件だと思うのだが、どうだろうか…。
(2001.7.28第21号)
(61)
「市民」よりも「国民」のほうが多かったアメリカ
▼今回の戦争に対するアメリカ社会の反応を見ていて思ったのは、市民社会
が日本よりも根付いているはずの米国には「市民」よりも「国民」のほうが
多かったということだ。戦争に突入してからのアメリカ国民のブッシュ政権
支持率は怖いほどだった。
▼あるメールマガジンで、政治学者の丸山眞男が次のように述べているのを
知った。
「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬に
▼もう一度、丸山真男の言葉に戻ろう。イラク戦争はラムズフェルド国防相
して起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。この
を中心とする新保守派がブッシュを焚き付けてボタンを押させたものだが、
ことにこそ、平和の道徳的優越性がある」。
それにアメリカ国民が乗ったことが残念だ。アメリカには「市民」も沢山い
るが、それでも2~3割というところだろう。世界中にいかに「市民」を増
▼また別のMMで、「アメリカの大統領選では、1900年以降8割を超えるケ
やせるか。そこがこれからの勝負どころだ。「平和は無数の人間の辛抱強い
ースで身長の高い方が勝っている」という事実があることを知った。その
努力なしには建設できない」のだから。 (2003.4.10第69号)
MMの筆者は、
「大きなものや権威のあるものに逆らわないのが、生物とし
ての生存本能」かもしれなく、「本質的に誰かに頼って生きてきた弱い命だ
とすれば、権威を前にするとき僕たちは、よほど力を入れて精いっぱい胸張
って、自分の心で闘わなくてはならない」と書いている。
(62)「国の旗」を畳もう
▼何かの雑誌か新聞で読んだのか、それとも数多く購読しているメルマガの
ひとつに載っていたのか、もう忘れてしまったけれど、大好きな詩がある。
▼大きいもの、強いもの、権威のあるものに対して僕らは本当に弱い。二番
『旗』
目のMMが書いているようにそれは生物としての生存本能なのだろう。動物
旗振るな
の中に、相手が強そうだと自ら腹を見せて敵対心がないことを示すものがあ
旗振らすな
るように、人間も強大で権威のある者にはひれ伏すのだろう。
旗伏せよ
旗たため
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黒ビールでも飲みながら
第 2 章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
たわごと
社旗も校旗も
マンチストの戯言のように聞こえるらしい。しかし僕は、これ以上リアルで、
国々の旗も
緊急に確立されるべきコンセプトは他にないように思える。「国家」の枠組
国策なる旗も……生きるには
みと「国益」という思想を超えないと、現実的に戦争も貧困も飢饉も無くな
旗要らず (城山三郎)
りようがない。 (2003.4.23第70号)
▼今、アメリカは星条旗を高く掲げて、多くの若者を戦場へと駆り立てている。
この詩の中の「旗」は、大義名分であり、思想であり、正義であり、要する
に僕らを僕らが望んでいないものへと駆り立てる理屈でありシンボルである。
(81)「ベ平連ニュース(縮刷版)」を買って、考えた。
▼OAP(大阪アメニティ・パーク)の古書市で、「ベ平連ニュース」の縮刷
版を発見。8000円と少々値は張るが、65年の創刊号から74年の終刊号まで
▼でも、こんなものはなくても生きていける。「生きるには旗要らず」との
全て収録されているうえ、「脱走兵通信」と「ジャテック通信」まで読める
フレーズは、僕らをいろんな意味での「戦場」へと駆り立てようとする全て
ので、思いきって大枚をはたいた。
の人間や組織や企てに対する「No!」の至言である。
▼因みに、ジャテックとは、JATEC、つまり、Japan Technical Committeeto
▼「国」というコンセプトに拘泥している限り、僕ら市民はあんまり幸せに
Aid Anti War GIsのことである。日本語では「反戦米兵支援日本技術委員会」
はなれないと思う。なぜなら、国は「個人」を超えたところに価値を見出し、
とでもなろうか。「脱走兵通信」と「ジャテック通信」は名前が変わっただ
それを僕らに押し付けざるを得ない存在だからだ。
けで同じものである。
▼作家の辺見庸氏はある講演で、北朝鮮拉致家族の問題に関して「いまナシ
▼ベトナム戦争のときは、多くの脱走兵が出た。これは、今回のイラク戦争
ョナルな義憤が日本を覆っている」と発言した。“ナショナルな義憤”という
とかなり違うところだ。まだ、そんなに時間が経っていないから出ていない
のは実に言い得て妙な表現である。北朝鮮という国に対して、日本国の国民
だけで、一旦本国に帰還すると戦地へ戻らない米兵はいるそうだから、早晩、
として、正義という観点から憤る。
反戦脱走兵が出ることを期待している。
▼でもそこには、世界の中の個人(市民)としての視点は稀薄だ。拉致被害者
▼というのは、これまでのイラク市民の死者数約8000人から1万人の十分の
とその家族に対する同情心と金正日及び北朝鮮という国に対する憤りが先行
一程度とはいえ、かなり多くのアメリカの若者が戦死しているから、遅かれ
して、向こうにいる家族や、経済制裁によって死んでいく、その数二百万と
早かれこの戦争の無意味さ、理不尽に気づくだろうと思うからである。戦争
も四百万とも言われる北朝鮮の子どもたちについての想像力が欠如している。
は、兵士がサボると成り立たないし、それが戦争を終わらせるいちばんの得
策だと考える。ブッシュが「Kill!」と命じても、
「I won’t.」と拒否する兵士
▼イラク戦争における多数のアメリカ国民の反応も同じだ。フセインとイラ
が出てくればいいのだ。
クという国に対するナショナルな義憤に駆られ、巻き添えをくって死んでい
った恐らく何千人という単位のフツーのイラク人に想像力が及んでいない。
▼兵士というのは国家によって徹底的に洗脳された存在である。「国と国民
を守るために戦うのだ」とか「正義のための戦争である」といったまやかし
▼「地球市民」というコンセプトは、ある人たちにとっては非現実的で、ロ
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は、ちょっと別の角度からの情報に接したり、自分の頭で考えたら分ること
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黒ビールでも飲みながら
第 2 章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
なのだが、徹底的に洗脳されている彼らには通じない。
をさせられたようで、紙製の日の丸の旗を振りながら軍歌を歌うのだという。
▼実はぼくも、ベトナム反戦脱走兵を自分の家にかくまった経験がある。
▼軍歌のリズムに合わせて、右上に振り上げた旗を斜めに左下へと振り下ろす。
二十歳を少し出たぐらいの小柄な白人だったが、なぜかしらLSDの化学式を
簡単そうに思えるが、小学生にとっては重労働で、精一杯にやっていると、声がカ
もっていたことが印象的だった。全くふつうの若者で、「こいつに人を殺さ
ラカラになってくるそうだ。戦争が激しくなってくると、夜も担任教師に引
せるのは酷やな」と思った。
率されて、列車輸送されていく兵士たちを見送った。小学生たちは旗を振り、
歌を歌い、万歳を叫ぶ。「まさに異様なまでのフィーバーぶり」だったという。
▼戦争指導者というのはどういう頭の構造をしているのだろう。この1年間に自
国の若者約1000人を戦死させ、1万人もの一般イラク市民を殺させてなお、戦争
▼その熱気に当てられたのか、一人の兵士が汽車の窓から顔を出し、小学生
を継続させるという神経は、フツーの市民のものではない。自分の命令によっ
たちに向かって叫んだ。「ようし、チャンコロの首の二つや三つ、おみやげ
てこれだけ多数の人命が失われることを考えると、ぼくなら正常ではおられな
に持って帰ってやるぞ!」。今の若い人たちはご存じないかもしれないが、チ
いと思う。それとも、人間というのは立場によって誰でもそうなるのか?
ャンコロというのは中国人の蔑称である。廣澤は次のように書いている。
▼1969年11月1日号の「ベ平連ニュース」の表紙には、当時の佐藤栄作首
▼「そのことばを、いま強烈な印象で思い出す。あの兵士は中国戦線へ行っ
相の笑顔の写真がさかさまにレイアウトしてある。しかも、白黒反転プリン
てそのことば通りに実行したのであろうか???? 出征してゆく方も、それ
トである。そして、その下に、相良直美かだれかのヒット曲「いいじゃない
を見送る私たちも、戦争の加害者などの意識はカケラもなかったと思う。ま
のしあわせならは」の替歌が手書き文字で書かれている。
さに異様なまでのフィーバーぶりであったといえよう。」
▼
「あの晩ジョンソンの北爆を支持し今夜はニクソンと手をとるわたし悪い
▼戦後教育を受けたぼくらは戦前を暗い時代、人々が軍部に抑え込まれていた
政府だと人はいうけれどいいじゃないのしあわせならはいまがよけりゃ」
時代だったと思いがちだが、そんなことは決してない。民衆が支持し、熱狂しな
かったら、また敵を劣った、征服されて当然の存在と見做さなかったら、い
▼戦争でも何でもアメリカを支持する、という日本のトップの考え方は何も変わ
くら軍部がしゃかりきになっても、あんな侵略戦争が遂行できたはずがない。
っていない。イラクの人たちが日本をアメリカの追従者とみなすのも当然と思
える。それにしても、そのために人質にされたり、殺されたりするのは全く割
▼それと同じことが言えると思うのは、現在の日本の政治状況である。日本
に合わない話である。人質になった人たちが無事に解放されることを祈ろう。
の議会制民主主義は本当にどうしようもなく、この世界的な不況のさなかに、
(2004.4.25第89号)
(136)
「もう一つの民意の回路」(1)
完全に機能不全に陥っている。ところがそれに対して日本の市民はどこか冷
めていて、「鼻くそが目くそを笑う永田町」というような政治的シニシズム
でもって、当事者性を完全に放棄しているように見える。
▼
「七人の侍」の助監督をしていた廣澤榮の『日本映画の時代』
(岩波現代文庫
▼戦時的熱狂と平時のシニシズム(冷笑主義)はまったく違うように見える
1000円+税)を読んでいて、戦前の日本の庶民のメンタリティを表わすエ
が、実は同じことなのではないかと思うのだ。どちらも、無責任なノン・ア
ピソードに行き当たった。戦争中の小学生は毎日のように出征兵士の見送り
ンガージュマンなのである。アンガージュマンという60年代に流行ったフ
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黒ビールでも飲みながら
第 2 章・政治的なこと(ベ平連、戦争・紛争など)
ランス語の意味が分からない人も多くなっていると思うので、手元のスーパ
つの回路を持つべきで、その試みの一つに「討議デモクラシー」がある、と
ー大辞林を引いて、その語義を下記に示しておこう。
いう意味のことを書いた。そこで今回は、討議デモクラシーの一つであるプ
ラーヌンクスツェレ(計画チーム)のことについて書こう。
▼engagement〔関与・拘束の意〕フランス実存主義の用語。状況に自らか
かわることにより、歴史を意味づける自由な主体として生きること。サルト
▼1970年代にドイツで創出されたプラーヌンクスツェレは、英語で言うと、
ル・カミュなどではさらに政治的・社会的参加、態度決定の意味をもつ。
PlanningCell(計画細胞)で、無作為抽出で住民台帳から選ばれた市民が小
グループのディスカッションを繰り返して、自分たちに身近な社会政治的な
▼ノン・アンガージュマン、すなわち「主体的な社会参加、政治参加をせず、
課題に取り組み、最終的には行政に対して市民答申を行なう、というシステ
戦前は歴史に翻弄されただけ、現在は冷笑的に政治状況を眺めているだけ」
ムだ。ドイツではこれまで何回か、いろんなところで実施されてきたが、こ
というのが、ぼくを含めた日本の民衆(市民)の態度なのである。
の手法の特徴をまとめると次のようなものだ。
▼「デモクラシー」というのは、「民衆による統治」という意味であり、ま
1)都市計画や環境政策など、解決策を要する多様な課題について実施される。
さに市民が主体的に社会や政治にかかわっていくシステムであるはずだが、
2)参加者は利害関係者から選ぶのではなく、住民台帳から無作為抽出され
今の日本の政治状況は、地方でも国レベルでも“議員”という名の権力者たち
るため、性別や年齢、職業構成などはほぼ地域社会の縮図となる。
が勝手に主権者たる民衆(市民)を差し置いて、自分たちの都合のいいよう
3)参加者には日当が支払われ、4日間程度の継続参加が必要とされる。
に物事を決めていっている。国政レベルでは、主権者たるぼくら市民は、も
4)実施については、行政ではなく、大学などの中立的独立機関が行う。
う5年間も選挙による意思表示さえさせてもらっていないのだ。
5)関係者や専門家が参加者に対して必要な情報を十分に提供する。
6)4 ~ 5名程度の小グループがメンバーチェンジを繰り返しながら討議する。
▼にもかかわらず、裁判員制度はすぐに始まるし、定額給付金も支給される。
7)最終的には文書の形で委託者(行政など)に対して「市民答申」を行なう。
また、ほとんど国会での議論もなく、海上自衛隊の護衛艦がソマリア沖に派
遣される。ぼくら日本の市民は、議会制民主主義ではない、もう一つのつの
▼ポイントは、フツーの市民が小グループで討議を重ねることによって、実
民意の回路がどうしても必要なのだ。
際の社会的課題に対する解決策を提案することである。この手法に対して、
疑問を呈する向きももちろんあるが、ぼくは市民プロデューサー養成講座の
▼そこで考えられるのが、「討議デモクラシー」という直接民主主義的なも
経験から、小グループ・ディスカッションの有効性を信じているので、民意
う一つの民意の回路である。
(次号に続く) (2009.3.31第159号)
のもう一つの回路として、プラーヌンクスツェレを含めたさまざまな討議デ
(137)
「もう一つの民意の回路」(2)
モクラシーの可能性を追求してみたいと考えている。日本でもすでに、いく
つかの自治体でこの手法が試されている。
▼前回、戦時的熱狂と現代の政治的シニシズム(冷笑主義)は結局、どちら
▼『市民の政治学?討議デモクラシーとは何か?』(篠原一著岩波新書)によ
もノン・アンガージュマン、つまり、ぼくを含めた日本の民衆の政治や社会
ると、「(前略)一九九〇年前後から、参加だけでなく、討議の重要性が再
への不参加主義である。本当はもっと状況に積極的に関わらなければならな
認識され、とくに政治の世界の討議だけでなく、市民社会の討議に裏づけら
い。民意の回路が議会制民主主義だけではなく、直接民主主義的なもうひと
れない限り、デモクラシーの安定と発展はないと考えられるようになった。
32
33
黒ビールでも飲みながら
これが討議デモクラシーである」とされる。
▼プラーヌンクスツェレのほかにも、討議制意見調査やコンセンサス会議といった
手法が開発されており、これからの民主主義のあり方として、市民の参加と討
第 3 章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
第3章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
(10)新刊書店と古書店を交互に巡る
議は欠かせないものとなるだろう。現在の日本社会にも、代議制だけではな
▼古本屋めぐりをするのが趣味である。新刊書が中心の大型書店もいいが、
く、直接民主主義的なもう一つの民意の回路がどうしても必要だと考える。
ランチで外へ出たついでに古書店に寄って思わぬ拾い物をすることも多い。
幸いうちの事務所の近くには徒歩10分か15分の範囲内に5、6店舗あり、い
▼というのは、民主主義のファンダメンタルズは、広範な民衆の広くて深い
ちばん近いのは入居しているビルの1階にある。古書店の良さは、すでに絶
議論ではないかと思うからである。制度としての間接民主主義がきちんと整
版になっているものや、絶版にはなっていないが新刊書店ではなかなか見つ
備されていても、それだけでデモクラシー、つまり「民衆による統治」が実
からない本に出会えることだ。
現するわけではない。基盤である民衆の議論が遍在的に行われている必要が
ある。しかも、ただの酒場談義ではダメで、市民による討議と意思決定のシ
▼また古書店の良さは、それぞれの店主の嗜好によって、置いてある本の種
ステムを確立する必要がある。さて、どうするのか…、ぼくらの市民力が問
類にかなり違いがあることだ。文芸書の選択にオヤジさんの個性が出ている
われているのである。 (2009.5.11第160号)
店、民族学に強いところ、江戸文化に関する本が中心のところなどいろいろ
あり、新刊中心の大型総合店より味がある。
▼ぼくはお金はないが、幸か不幸か書店めぐりをする時間はタップリある。
だから、1日に3 ~ 4軒書店をはしごすることはザラだ。新刊書店も、 わり
と近くに5軒ほどあるので、古本屋と新刊書店を交互に見てまわることも多
い。新刊書店は世の中の動きを忠実に映す鏡である。最近ではどの書店でも
コンピュータやインターネット関連の雑誌・書籍の数とスペースが増えてお
り、中でもEマーケティング関係のビジネス書は目白押しである。
▼ところが古書店では、その類の本はあまり多くはない。その理由は、流行り
のジャンルの本は,逆に言うとすぐ古くなってしまうから、本好きの客が多
い古本屋はもっと息の長い普遍的な書籍を好んで置くからなのだろうと思う。
▼何を言いたいのか見えない人が多いのではないかと思うが、新刊書店と古
書店のハシゴの効用をぼくは述べたいのである。市民プロデューサーたる者
は、最先端の事物と普遍的なるものの両方に目配りしておいた方がいいと思
う。そういう意味では、「新」「古」両書店巡りは、先端と普遍の両方に出会
えるため、非常に有益であると考えている。「ただ、暇なだけやんか」とい
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35
黒ビールでも飲みながら
う声がどこかから聞こえてきそうですが…。 (2001.5.13第11号)
(31)幸先のよい三つの前兆
▼遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしく
第 3 章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
で叫ばれるのではなく、映像で静かに見せる。とくに、日常の何でもない風
景の中の光、例えば古い家の廊下の黒光りや、クルマが高架下を通る時のテ
ールランプの赤い光など、一つひとつのシーンの光と影が心に染み込むよう
に美しく、人間の生というのはまさに「幻の光」なのだと気づかせてくれる。
新年からこういう傑作を見ると、幸先がよい。
ご愛読の程おねがいいたします。さて、私事で申し訳ありませんが、今年は
良いことがありそうな予兆が三つあった。一つは、正月に「幻の光」という
▼「三つの幸先のよい前兆」などと言うから、どれほどのものかと思われたか
ビデオを見たこと。次に新年早々仕事のオファーがあったこと。そして最後
もしれない。「その程度のものかいな…」とがっかりされた読者もいるだろう。
が「フク」という名の子猫が我が家に来たことである。
でもね、市民プロデューサーというのは、楽観的、未来志向的であることが
最大の資質だと思う。なんか今回は、いかにも牽強付会(こじつけ)という
▼実は、子猫は今日(9日)の夕方に来ることになっており、まだ見ていな
いのだが、名前だけは「フク」ときめている。その理由は、もらった相手が
「福*さん」という人だったことと、その日は事務所の新年会で下関のフク
を食べに行くことになっていたからだ。ご存知のとおり、下関ではフグと濁
らず、ゲンをかついでフク(福)と呼ぶ。
感じになってしまった。 でも、本当です。 (2002.1.10第39号)
(32)掛け替えの無さについて
▼1月8日にうちへやってきた猫「ふく」は女の子で、生まれて数ヶ月と推
定される。まだ子猫だが、人間で言うと中学生か高校生というところだろう。
▼仕事のオファーというのは、某国立大学の広報誌の取材及び記事作成で、
きじ猫というのか、チャコールグレーのはっきりした縞と少し茶色の混ざっ
いま国立大学は若者人口の減少や独立法人化のために、ものすごくPR活動
た生地である。足は短く、お腹はプクッと出ているが、尻尾の長い器量良し。
に力を入れているそうだ。PRという面で、国立大学では東大がいちばん進
最初は猫を被っており、おとなしく誰にでも抱かれる。ギャアギャア鳴かな
んでいるとのことだった。ところが、某大学はその面で遅れており、そうい
いし、トイレも決められたところでする。
う意味では仕事が継続的に来る可能性が高い。
▼「ふく」は福*さんの家の近所で、ニャアニャア鳴いていたところを保護
▼また、
「幻の光」という映画(1995年)
、原作が宮本輝の小説で、
中堅の実力派
されたらしい。 その時、首輪を付けられていたようだから、飼い猫なのだろ
監督・是枝裕和の最初の作品である。主演は江角マキコ(デビュー作です)、他
うが、誰も探しにこないようなので福*さんが保護し、家につれて帰ったと
に浅野忠信や内藤剛士が出ている。幼いときに痴呆症の祖母の徘徊を止める
いう。ところが、その家にはもう一匹の猫が飼われており、そいつが「ふく」
ことができず行方不明にさせてしまった尼崎の女の子が成長して、幼馴染(浅
のことを毛嫌いし、餌も食べなくなってしまったので、仕方なく、以前から
野)
と結婚する。しかしその夫も、理由のわからない鉄道自殺(自殺かどうか
「猫を飼いたい」と言っていたぼくのところにやってきたのだった。
も定かでない)
で死ぬ。3ヶ月の男の子を抱えて夫に死なれた彼女は、子連れ
男
(内藤)
と再婚するために能登へと向かう。相手の子どもは娘で、2人は夫妻
▼猫を飼いたかったのはもちろん猫好きだからだが、前に飼っていた「満月」とい
の姉弟として仲良く遊ぶようになり、淡々とした日常がつづく。
う雌猫がある事情で山口県へ引っ越しており、年に二~三回しか会えないこともあ
った。この「満月」は、人に抱かれるのが嫌いで食の細い、一日はき古した靴下
▼主人公のトラウマというテーマはあるが、それが取り立てて大仰なセリフ
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の臭いが好き、という変わった猫だった。冬、ぼくの寝床に入ってくるのも必
37
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
ず足元で、それも掛け布団と毛布の間に入り込んだりするのが好きだった。
葉を使い過ぎるような気がする。特に女性はその傾向が強いのではないか。
▼それにくらべて「ふく」は、寝る時は必ず寝ている人間の顔の辺りに居所
▼いま、「特に女性はその傾向が強い」と書いたが、これを「特に女はその
を据える。時には人間と枕をシェアすることもある。小さいくせに大食漢(漢
傾向が強い」と言い換えると、どんな感じがするだろう…。後者にはある種
は男の意味だから本当はおかしいか)で、水もよく飲む。「満月」と違って、
の批判めいた響きがあるような気もする。女性と女の意味内容はまったく同
人見知りということを全くしない。とはいっても、誰にでも媚を売る、とい
じで、生物学的に子を産む性のことだが、文化的・社会的なコノテーション(含
う感じではなく、
「しかたが無いから抱かれといたろか」という風情なのだ。
意)が異なるのだ。
猫は猫でも、
「満月」と「ふく」では個性が全然違う。
▼剥き出しの「男」「女」には、生物学的な性を意味する以外に多くの含意
▼ことほど左様に、人間ばかりでなく、生き物は全て一つひとつみな違う。
がある。例えば、「女ができた」という文はいろんな意味を持つ可能性があ
だから、
「アフガン難民」や「テロリスト」、「野良猫」などと十把一絡げに
るが、主格が男の場合、ふつうは「好きな女ができた」という意味だろう。
概念化(抽象化)して、分かったような気になるのは、便利ではあるが、こ
しかし、そこにはあまり祝福されている感じはなく、からかいや非難がまし
ぼれるものもいっぱいある。一つひとつの生命に宿っている個性、つまり“掛
さが漂っているようにも思える。
け替えの無さ”こそいちばん大切なものだ。
▼男性、女性という言葉が頻繁に使われだしたのは、フェミニズム運動の結
▼行政やビジネスや軍隊といったシステムは、抽象化された「住民」や「消費
果、女と男という言葉が内包する差別感を避けるためのユーフォミズム(婉
者」や「敵」を相手にする。だから、一人ひとりが掛け替えの無い人生を生き
曲語法)からだったのではないかと思うのだが、皮肉にもそのことがまた、
ており、一人ひとりが独特の癖や趣味・嗜好を持っていることに頓着しない。
ある種の差別性を生んでいる。
…というより、システムとはそういうものなのだろう。でも、NPOや市民
活動は、一人ひとり、一匹一匹、一草一木の掛け替えの無さに着目すべきで、
▼上述した新聞記事の例でも分かるように、明らかに男性・女性は男・女よ
そこにこそ市民セクターの面目があるのだと思う。 (2002.1.18第40号)
り、よりお行儀の良い言葉なのである。だから、事件の加害者になるような
(43)最近、
「なんかヘンだ…」と思っていること(2)
▼
「銀行から出てきた男性
(60歳)が横断歩道を渡ろうとした時、黒覆面の男
が後ろから近づき、男性の脇腹に刃物を突きつけて金を強奪した。男は近く
に止めてあった軽自動車で今里方面へ逃走」というような新聞記事の言葉づ
かいに、かなり違和感をおぼえるのはぼくだけなんだろうか。
者は男か女であり、善良な被害者は男性か女性でなけらばならないのである。
しかしながら、不毛な言葉狩りと同じように、言葉を換えてみたところで内
実は変らない。男性・女性という言葉を使う時、自分の中にある種の偽善性
を感じてしまう時がある。それは考えすぎなんだろうか?
(79)「如何なる場合にも平気で生きて居る事」
▼長谷川櫂著『俳句的生活』(中公新書)の受け売りだけど、正岡子規は病
▼何がって? 「男性」と「男」の使い分けである。なぜ、被害者は男性で、加害
床にあって、「余は今迄禅宗の悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事
者は男なんだろう。いつごろからこういう使い分けをするようになったのだ ?
は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違いで、悟りとい
「女性」と「女」の場合もまったく同じである。最近、男性、女性という言
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ふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」と書いた。
39
黒ビールでも飲みながら
▼「如何なる場合にも平気で生きて居る事」というフレーズは凄い。ごぞん
じの通り、子規の晩年は脊椎カリエスのため、絶え間のない苦痛に悩まされ
る日々だった。彼の有名な句「幾たびも雪の深さを尋ねけり」にあるように、
寝たきりの生活で、雪が降っても寝床から起きて雪の積もり具合を自分の目
第 3 章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
悩み苦しみながらもシブトク生きていたのだから…。 (2004.3.15第87号)
(85)「ビートルズの市民性」
で確めることさえできなかった。そんな彼が、平気で生きていることこそが
▼この年まで生きてきた中で、いちばん数多く聴いたアルバムは、やっぱり
悟りだ、と悟る。この認識はスゴイ。
ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バン
ド」だろう。若い時に最初にあのアルバムを聴いたときの衝撃は未だに忘れ
▼最近、大ヒットした映画のお陰でまた流行りだした「サムライ」の世界では、い
られない。エレクトリックな多重録音が、それまでに聴いていたどの音楽と
つでも平気で死ねるのが肝の据わっている証拠とされたようだが、おそらく死
も違い、ものすごくに新鮮に感じられた。また、他のレコードアルバムのよ
ぬよりもどんな状況でも平気で生きていることのほうが何倍も難しいだろう。
うに、一曲ずつが独立したものではなく、トータルなテーマ性を持ったコン
セプトアルバムという考え方も「スゴイ!」と思った。
▼ちょっと考えてみても、突然末期ガンを宣告されたり、明日から収入が全
く入って来ないことが分ったり、さっきわかれたばかりの最愛の人が交通事
▼プロデューサーのジョージ・マーティンが、「私にとって、これは最高に
故で亡くなったり、半年先に巨大隕石が地球にぶつかることが確実だとした
創造(想像)的で、この時代のトレンドを決めたレコードだった」と書いて
ら、生きていくよりも死を選ぶという人も多いのではないかと思う。
いるが、今、あらためてCDで聴いてみると、曲やエレクトリックな仕掛け
も良いが、やはりリリック(歌詞)が素晴らしい。
▼何があっても平気で生きていくことは、絶望して自殺するよりもずっと難
しい。沢木耕太郎氏の『無名』について書いたときに、「その肩の無頼のか
▼「ダイヤモンドで飾られて空に浮かんでいるルーシー」というような、明
げや懐手」という彼の父親の俳句について言及したが、何があっても平気で
らかにLSD体験をもとに作られている歌と、「検針係の可愛いリタ」や「64
生きていることこそが市民的"無頼"だと思う。
歳になった時」のことを唄っている、イギリスのごくありふれた市民の日常
生活の1コマを切り取ったリリックとがバランスよく配されている。また、
▼この国では、毎年3万人の自殺者があるという。不況による経済的な理由か
ところどころに人々を勇気づけるようなフレーズが挟まれている。
ら、中高年者の自死も数多いと聞くが、本当に自殺者の責任ならまだしも、リス
トラによる失業や倒産などは経済や行政や政治といったシステムの失敗による
▼「I get by with a little help from my friends.」とか、「It's getting better
ものがほとんどなのだから、なにも死ぬことはない。たとえ消費者金融の取り
all the time.」などのフレーズにどれだけ励まされたことか。ジョージ・ハ
立て屋が騒ぎ脅そうが、こちらは市民として“無頼”を貫けばいいだけのこと。
リソンの「ウィズイン・ユウ・ウィズアウト・ユウ」の中の、Try to realise it's
all with in your self no-one else can make you change.(全ては君自身の
▼ガラにもなく勇ましいことを書いてしまったが、もちろん、どんな場合に
中にあるのであって、だれも君を変えることはできない)などのフレーズに
も平気で生きていることなど簡単にできることではおません。「お前にでき
はかなり深い思想性さえ感じる。
るのか?」と問われたら、「あまり自信はない」と答えるしかオマセン。し
かし、だからこそ、ぼくは“無頼”という言葉に憧れるのです。日本のフツー
▼二十歳代に2年間、ロンドンにいてカレッジに通っていたが、英会話の授
の市民は、長い歴史の中でおよそ昭和の半ばまでは極めて貧しい生活を送り、
業で、このアルバムの中の「SHE'S LEAVING HOME(彼女の家出)」が
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41
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
教材として使われた。イギリスの普通の家庭で育った娘が、水曜日の早朝に
▼因みに芭蕉は辞世を詠まなかったらしい。俳書『花屋日記』には、弟子た
家出する、という話なのだが、この詞が本当にやさしい日常英語で書かれて
ちに辞世を請われて、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。
いて、なおかつドラマチックなのである。この時の授業で印象に残っている
吾生涯に言ひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし。もし、我が辞世
のは、先生のリチャードが、彼女が階下へ降りていく時にハンカチを握り締
は如何にと問ふ人あらば、この年日頃、いひすておきし句、いずれも辞世な
めている「clutcing handkerchief」というclutchingが非常に感じが出てい
り」と語ったということだが、キザっちゃキザでしょう。
るとか、fathers nores(父親は鼾をかいて寝ている)がいかにもそれらしい、
と言っていたことだ。
▼年代的には、西行が平安末期から鎌倉初期、宗鑑は室町後期、芭蕉は江戸
初期の人である。三人の共通点は、いずれも武家の生まれであること。それ
▼また、厳しい両親のもとで長年孤独に過ごした娘が家を出て会いに行く相手
にしては、三人の作風が違いすぎる。簡単にまとめると、西行はナルシステ
が「a man from motortrade(カー・ディーラーの男)だというのも、この歌詞の
ィック、宗鑑はオプティミスティック、芭蕉はペシミスティックである。
ポイントだ
(とリチャードは言っていた)。「いかにも」という感じなのだろう。言
葉巧みにクルマを売り付けるような商売に従事するスーツ姿の男に言い寄ら
▼もちろん、三人の三作品だけを並べて比べているのだから、サンプル数の極
れて家を出て、
「She is having fun.」彼女はいま楽しんでいるのだ。最後の
端に少ない統計みたいなもので、何ほどのことが分かるのか、
と問われれば答
ところで、
「Fun is one thing that money can’t buy.(楽しみはお金では買
えに窮する。……が、
しかし、三作品とも辞世もしくは死についてのステートメ
えないもの」というフレーズがあるのは、前のところに母親の嘆き節的な「We
ントであるため、そこに詩人としての本質が現れているのではないかと思う。
gave here very thing money could buy.」というフレーズがあるからだ。
▼ぼくは、五十代までは西行のこの歌が好きで、なんと清らかで美しく、理
▼「LOVELY RITA」や「WHEN I'M SIXTY-FOUR」にしても、本当にイ
想の死に方のイメージだと思っていたが、宗鑑の辞世を知ると、まあなんと
ギリスの市民生活を活写している優れたリリックだと思う。また「A DAY
ナルシスティックな歌人なんだろうと感じるようになった。花、おそらくは
IN THE LIFE」の幻想性と現実性がない交ぜになっているような歌詞も美
山桜が満開の満月の春の夜に死にたいなんて、自分の美意識に絶大の自信を
しい。ビートルズのリリックに、人々の日常生活に根ざした市民性のような
持っていないと、詠めない歌ではないだろうか。
ものを感じる。そこが、凡百のイマドキの、恋愛や個人的感覚を前面に押し
出した歌詞との違いだろう。 (2004.9.7第93号)
(129)
「ちと用ありてあの世へ」
▼俳諧の祖とも仰がれる連歌師の山崎宗鑑。最近、彼の辞世を知った。「宗
▼芭蕉の句は辞世ではなく、病気の時のものだから、「ああ、芭蕉はんも陰気
になってはんねんなあ」という感じであるが、ただこの人はどちらかという
と陽性というより陰性で、「軽み」を強調したわりにはどこか深刻に人生や俳
句を捉える癖があるように思う。俳諧の「諧」は諧謔のことで、滑稽やユー
モアの意味なのだが、芭蕉の句にも生き方にもあまり明るさは感じられない。
鑑は何処へと人の問ふならばちと用ありてあの世へといへ」というもの。こ
れを、理想の死に方についての西行の有名な一首、「願はくは花の下にて春
▼翻って、宗鑑の辞世は滑稽で明るい。実は彼の一生はあまり詳らかでない
死なむその如月の望月のころ」と比べてみると、その違いは明白である。こ
部分が多いが、ウィキペディアでは、
「本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、
れらの歌に、
芭蕉が病床で詠んだ一句、
「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」
近江国の出身とされるが、本名・出自については諸説あり定かではない。」
を加えて比較してみてもよい。
としている。室町幕府九代将軍足利義尚に仕えたが、義尚の陣没(延徳元年
42
43
黒ビールでも飲みながら
1489)後出家し、摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後現在の阪
急京都線「大山崎」辺りに庵を結び、そのため山崎宗鑑と呼ばれたらしい。
▼「宗鑑さんは何処へ行かれた、と訊かれたら、ちょっと用事があってあの
世へ行っております、と答えておけ」と、おそらく病床で弟子たちに向かっ
て一首詠んだのだろうが、この軽さ、ユーモア感覚、あの世とこの世が日常
第 1 章・市民プロデューサーのこと
「一貫した計画や予定もなく、その場その場のなりゆきにまかせること」(ス
ーパー大辞林)
これらの定義に共通するのは、「なりゆきにまかせる」という部分である。
「なりゆき」というのは「物事の推移」ということだから、それに任せる、
ということについて良し悪しの価値判断はないのだろうと思われる。
的に通じているものとする純日本的感性には非常に惹かれるものがある。彼
は戦国時代の人物だから人の死はたくさん見ているはずである。これはある
ところが、ある前提を付加すると、途端にマイナスの価値観を伴う言葉と
意味で、非常にニヒルな滑稽感なのかもしれない。 (2004.9.16第94号)
なる。すなわち、
「計画・目的もなく」とか「先のことを深く考えず」とか「一
(147)
「行き当たりばったり」のススメ
▼非難のターゲットは“無計画性”
これまでの自分の人生は、取り立てて就きたい職業があったわけでもなく、
大金持ちになりたいとか有名人になりたい、小説家になって大傑作を書きた
い、といった大それた望みがあったわけでもなく、至って平凡に、次々と出
貫した計画や予定もなく」といった前提である。
つまり、「計画性もなく、物事の推移に将来や選択、決定等々を任せる」
ということが非難の対象になるのである。無計画性こそが敵であり、闘いの
対象なのである。
▼「無計画批判イデオロギー」の起源
来する出来事に行き当たりばったりの対処をすることによって形成されてき
では、なぜそういうことになるのか、ここで「計画」というものの歴史を振
た。そのため、たとえ「お前なんか行き当たりばったり人生やないか!」と、
り返ってみよう。ブリタニカ国際大百科事典には次のように書かれている。
誰かから非難がましく言われても、声高に抗議する気持ちにもなれない。
「計画の出現を歴史的にみると、企業経営では20世紀の初めに科学的管理
「行き当たりばったり」の反対語は、おそらく「計画性」とか「計画的」
法が計画の必要性を強調したため、にわかに着目されはじめた。その後計画
という言葉で、それがないこと、つまり「無計画」なことが非難の対象にな
の対象は生産や販売から長期の経営方針にまで及んできた。中央政府に関し
るのであろう。そこでまず、「行き当たりばったり」の根本的な意味をいろ
ては、19世紀末頃から政府に対して種々な機能を遂行するように期待され
いろな国語辞典で調べると、下記のような定義が掲げられている。
はじめたことが計画の必要性を高めたといえる」
「計画・目的もなく、なりゆき任せだ」(角川国語辞典)
つまり、「計画」というものが人間社会において重要視されだしてからま
「成り行きに任せること。運命に任せること」(新潮国語辞典)
だ百年と少ししか経っていないのである。それにも関わらず、みんなが当然
「どうするかという方針を初めからは立てず、その時の様子や成り行きに任せ、
のように“無計画性”を論難するようになったのである。しかしそれ以前の人
適当にすること」
(新明解国語辞典〔三省堂〕)
「先のことを深く考えず、成り行きにまかせて物事を行うさま」(広辞苑)
「計画を立てずに、なりゆきに任せて行うこと」(明鏡国語辞典)
44
間社会は、どこでも「行き当たりばったり」的な様相を呈していたのである。
例えば日本の江戸時代、庶民はあまり計画など立てなかったに違いない。身
分制社会の中で、諸個人は親の職業を継ぐのが当たり前で、農民の子は農民に、
45
黒ビールでも飲みながら
第 1 章・市民プロデューサーのこと
大工の子は大工に、武士の子は武士になるものだったから、先の計画など立
る意味で現代人が考える理想的な暮しの描写だと見紛うのは自分だけだろう
てても仕方がなかった。まして女は、親が決めた誰かの嫁になるか、裕福な
か?自然と調和し、その美を愛で、少欲で知足安分し、他人と競争するので
家庭の“女中”にでもなるか、貧乏な親に売られて“女郎”になるなどしか生計
はなく、物質的には慎ましいモノで満足している。何とエコロジカルで穏や
の手立てがなかったから、計画的な人生など最初から論外であったのだろう。
かな、安心できる暮しなのだろう。
しかしだからといって、江戸時代の人びとが不幸だったかというと、決し
ただ、もしあの時代に近代工業化せず、富国強兵政策もとらず、江戸文明
てそんなことはない。現代の市民社会に生きるぼくらはどうしても、江戸期
社会を続けていたとしたら、虎視眈々と日本の植民地化を目論んでいた欧米
の庶民より自分たちの暮らしや人生のほうがはるかに“上等”だと考えている
列強にむしゃぶりつくされていたこともまた容易に想像できることである。
が、本当にそのようなことが言えるのだろうか。
近代化とは欧米化であり、工業化・産業化の謂いである。人間の暮しを工
実は、江戸時代に来日した多くの外国人の書き残したものを見ると、当時の
業と産業によって覆いつくす時代の始まりである。複雑化する社会の中で、
日本社会における人びとの暮らしがとても明るくアッケラカンとして幸せなもの
国家や企業などの巨大組織は「計画」化される必要があった。なぜなら、
「行
だった、
という印象が強く残るのである。渡辺京二氏による、江戸及び明治初期
き当たりばったり」では競争相手に勝てないからである。
に来日した外国人の証言を分析した労作『逝きし世の面影』
(平凡社ライブラ
リー/定価・本体1900円税別)からいくつか下記に引用してみよう。
そして、その価値観が個人にも敷衍され、人生を計画的に見通すことが奨
励されるようになったのであろう。そこには、個人の暮らしや人生も競争で
「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満
ある、との価値観が感じられる。競争によって他人よりも有利な職業に就き、
のない国民であるように思われる」(ラザフォード・オールコック著『大君
出世して経済的、世間的、地位的にも成功を収め、社会的な名声を博する。
の都』)
「人びとは幸福で満足そう」(『ペリー提督日本遠征日記』)「どうみ
そして個人個人がそのように努力することによって、全体的な産業社会、企
ても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれ
業社会もますます栄え、国家としてさらに競争力がつき強大国になっていく。
ない」
(プロシャのオイレンブルク使節団の遠征報告書)「日本人は何と自然
を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているの
しかし、このようなスキーム(図式)が成立しえたのは、日本が全体として成
だろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏
長経済を続けておれた90年代の中ごろまでのことだろう。現在のように経済
やかな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立て
と社会が成熟し、大幅な経済的な成長が期待できなくなったとき、ぼくら市
ることを知っているのだろう」
(エミール・ギメ著『1876ボンジュールかな
民は今までとは異なる生き方のスタイルを模索しなければならない。それが、
がわフランス人の見た明治初期の神奈川』)
計画的・競争的ではない「行き当たりばったり」のライフスタイルなのだ。
▼手工業的成熟社会「江戸文明」に学ぶ
思えば江戸時代後半というのは、手工業社会が成熟化を成し遂げた、正に
「江戸文明」と呼ぶべき完成された社会だったと考えられる。その中で人び
とりわけ4つ目のギメの著作からの引用文は、明治9(1876)年の神奈川
とは、ギメが観察したように、「大それた欲望を持たず、競争もせず、穏や
における日本人の印象だから、本格的な近代的工業社会が始まる前、まだ江
かな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活」をうまく組み立ててい
戸文明が色濃く残っている時代のものである。ここに書かれているのは、あ
たのだろう。
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黒ビールでも飲みながら
▼両立がむずかしい「進歩」と「調和」
現在、
経済的発展の著しい中国で上海万博が開催されている。テーマは「よ
第 1 章・市民プロデューサーのこと
▼物事・状況を深く味合うこと
では、これらのことに対する処方箋はあるのだろうか?ある。その答えが、
り良い都市、より良い生活」という中国の現実に即した至って抽象的なもの
「行き当たりばったり」のススメである。しかし実は、こんなススメをしな
であるが、40年前の大阪万博では「人類の進歩と調和」という壮大なテー
くても、フツーの人びとの95%程度(何の根拠もないが…)はほとんど計画な
マが掲げられていた。しかしながら人類は、1970年から2010年の今年まで、
んかせず、「行き当たりばったり」に生きているように思う。たまに、弁護
圧倒的に“進歩”のほうにハンドルを切り、アリバイ的に“調和”への舵取りを
士や医者など、経済的・世間的に有利な職業に就こうとして、本人の意志を
ほんの時おり行ってきたに過ぎなかったように思われる。
親が度外視して将来計画を強制するという場合も見られるが、その計画通り
に行かないことも多いようである。
60年代後半から70年代にかけて、地球の有限性に対する認識が深まり、
シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』などの書物でも地球
ぼくの周辺には計画的人生をおくっている人物など一人もいない。みんな
環境との調和が論じられ、エコロジー思想が広まったにもかかわらず、圧倒
その時どきのさまざまな状況に「行き当たりばったり」に、しかし賢明に対
的なイデオロギーは「進歩」主義であった。
処して人生を楽しみ、まあまあうまくやっているように見える。
それは今も続いており、進歩&成長神話の継続、
つまりさらなる経済の拡大を、
もちろん時には、思わぬ病気になったり、失業したり、離婚したり、等々
中国を初めとするBRICs(ブラジル=Brazil、ロシア=Russia、インドIndia、
の、“不幸”に見舞われることもあるが、それが人生というものであり、何の
中国=China)
やアフリカに求めている。これらの国々・地域の人びとの経済的
挫折の経験もなく順風満帆の人生の航海者などほとんどいないし、いたとし
発展への望みをないがしろにすべきだとはもちろん思はないが、これまでと同
ても人間としての深みに欠ける、おもしろくない存在となる可能性も大きい。
じ経済発展の原理である“地下資源など自然の搾取”を貫徹するなら、地球環
境と人類の「調和」がさらに乱されることは想像に難くない。地下資源など
自然の搾取を経済発展の原理とするかぎり「進歩」と「調和」は両立しない。
だから、無理に計画的な人生など送る必要はない。もちろん計画的な人生
を送ろうとしている人たちを敵視しているつもりはなく、ただ計画は計画で
あり、それが実現できるかどうかは確証の埒外なので、実現できなかったと
また「進歩」には必ず「変化」がついて回るが、人間社会と自然のハーモ
きに、あまりにも落胆して自殺など考えて欲しくない。もし計画が途中で頓
ニーが保たれているとき、変化はほとんど必要ないか、もしくは非常にゆる
挫しても、「まあこれも人生」と諦め(居直り?)、次のステップに踏み出し
やかな変化となるだろう。まさに江戸時代というのは「ゆるやかな変化の時
てみよう、とアドバイスしたいだけなのである。
代」だったし、人びとはそのことに満足していたようだ。
「計画」のネライは、その結果としての成功もしくは勝利であり変化である。
そして、進歩や変化と不可分なのが「計画」である。人間は進歩や変化を求
また、目的の成就である。では、「行き当たりばったり」の意義もしくは目
めて何事かを計画する。とくに企業などの「組織」は、いつも他の組織と競争
的とは何なのだろう。意義や目的などとくになくても、ただ「生きているだ
状態にあるから、間断なき計画を余儀なくされる。しかしそのことに個人が巻
けで丸儲け」だとする明石屋さんま的なチョー楽天的生き(行き)方もあろ
き込まれると悲劇が生ずることが多い。いつも計画していなければならないこ
う。しかし凡人は、何ほどかの人生の意義を感じたいものでもあるので、以
とに対する強迫観念、長時間労働、暮らしにおける余裕の無さ、等々である。
下にそれを提起しておこう。
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黒ビールでも飲みながら
第 3 章・吐山さんという人(パーソナリティ・幅広さ・こだわり)
「行き当たりばったり」の意義もしくは目的とは、物事、状況を深く味わ
うことだ、と言説しておこう。例えば、行き当たりばったりの旅をして偶然
出あった町や人や景色を深く味わうこと。映画や小説や絵画など、優れた作
家による作品を深く味わうこと。自分の身に降りかかる好ましくない状況や、
思いがけない幸運を充分に味わうこと。換言すれば、人生における喜怒哀楽
を深く味わい尽くすことである。
誤解を恐れずに言えば、計画的人生の目的がソーゾー(想像・創造)であ
るのに対して、行き当たりばったり人生の目的はカンショー(鑑賞・観賞・
勧賞・感賞・観照)である。ソーゾーとは頭の中で思い描き、新しいものを
創り出すことである。それに対してカンショーとは、すでに存在する素晴ら
しいもの、美しいもの、楽しいものを深く味わい、賞賛するとともに、悲哀
や不幸も深く感得し、物事の本質を見極めることである。
今の社会で重視されるのは圧倒的にソーゾーであり、カンショーの重要性は
ほとんど省みられない。しかし本当は、全くの無から有は生じようがないよう
に、ソーゾーの土台として、広く深いカンショーという素地が必要なのである。
現在、その素地が本当に薄っぺらな、ツギハギだらけのものになっている。海
に沈む夕日の美しさに本当に感じ入った経験(カンショー)があってこそ、素晴
らしい夕焼けの絵画
(ソーゾー)を創作することが出来るのである。ソーゾーの
前にもっともっとカンショーを! そのためにも、「行き当たりばったり」にさま
ざまな体験をし、物事を深くカンショーする必要があるのである。
(2010.6.20第170号)
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吐山継彦略歴
1946年7月
1960年代後半
京都府園部町(現・南丹市)に生まれる
「ベトナムに平和を!市民連合」
(べ平連)の活動に参加。南
大阪べ平連を結成し、70年の万博に反対する、反パク集
会の企画や『栄ちゃんのバラード』の作詞作曲など行う
1968年3月
関西外語語短期大学2部米英学科卒業
1971年5月~
欧米に遊学
1979年3月
関西外国語大学外国語学部英米学科に編入後、卒業(在
1975年2月
学中に1年間、米国オハイオ州ウィッテンバーグ大学へ
交換留学)
1982年3月
関西外国語大学大学院(言語文化専攻)修了
1983年
大阪府職員、
専門学校等での英語講師などの仕事を経て、
1990年5月~
株式会社関西マガジンセンター勤務。
1992年~2001年
和歌山県の広報誌「CaN」および「連」の企画制作に携わる
1994年~
フリーランス5人による、企画・編集事務所「言葉工房」
1998年~
大阪ボランティア協会の活動に参加。
企画・CI専門会社株式会社イング設立
1994年10月 「企業市民ジャーナル」創刊。編集長に就任
を設立し、代表となる。
市民ライター、市民プロデューサーなどの言葉とコンセ
プトを提案し、数々の講座を企画・運営。
ボラ協常任運営委員「ウォロ」編集委員長としても活躍
2006年
初の単著『市民ライター入門講座』
(総合電子出版社)
を上梓
2009年
検査により胃がんがみつかる。以後、闘病生活に入りな
がらも治療の傍ら、
大阪ボランティア協会の情報誌「ウォ
ロ」の原稿執筆などを精力的にこなす。
妻・信子さんの献身的な看病に支えられ自宅での療養を
続けていたが2012年12月11日永眠。享年66歳
発
行
2014年4月1日
著
者
吐山
編
集
市民プロデューサー養成講座チーム
継彦
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