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ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死
-157ー ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 ーヨハネ福音書 19 章1 6b-30 節の資料問題一 山 .盛主. F雪 子 中 t 序 9章1 6b-30 節と共観福音書との比較 ヨハネ福音書1 ( 1 ) ヨハネ福音書における受難物語 ( 2 ) 共観福音書の十字架報知との比較 H ヨハネ福音書1 9 章1 6b-30 節の分析 ( 1 ) 伝承と編集の問題 ( 2 ) 資料問題 結 序 福音書におけるイエスの十字架の死の理解の多様性とその変遷過程を明らかにすることが 筆者の継続的な課題である。その際福音書記者のイエスの十字架の死についての解釈を表わ す最も重要な手掛りが, 受難物語の十字架報知の中心であるイエスの十字架上の言葉であ るO そのため最古の受難物語伝承を保持,編集 Lているマルコの十字架報知1 5・33-39( 1 5・ 42-47の埋葬物語との関連も含む)を起点と Lて,その平行記事であるマタイ 2 7・45-54お 3・32-48 (行伝 7・ 5 4一6 0との関連も含む)をイエスの十字架上の言葉を中心に よびルカ 2 比較検討してきた。その結果,共観福音書におけるイエスの十字架の死の理解,その多様性 と変遷過程とをある程度明らかにすることができたと思う"。 9章1 6 b " 3 0 節,特にイエスの十 ところでこれらはヨハネ福音書の受難物語の十字架報知 1 5-30 節とどのような関係にあるのだろうか。そこでイエスの十 字架上の言葉を中心とした2 字架上の言葉を中心としたヨハネ福音書の十字架報知と共観福音書のそれとを比較検討する ことで,イエスの十字架の死についてのヨハネの理解を明らかにし,共観福音書,特にマルコ 1 )広島女学院大学論集23,2 5,2 9,30,3 1,32集および新約学研究 1 0号の拙稿が本稿の前提となってい る。特に全体を通じての問題の所在については2 3 集参照。 -158'ー (中山貴子) の理解とどのような位置関係にあるのかを新しい課題として考えてみたい。本稿ではまず, ヨハネ 1 9・1 6b-3Oの資料問題を取りあげ, 次 の 釈 義 的F・神学的研究の基礎的考察とした し 、 。 i ヨハネ福音書 19章 1Gb-30節と共観福音書との比較 ( 1 ) ヨハネ福音書における受難物語 ヨハネ福音書が,マルコ福音書の系列下にあるのではなく,全く別個の独立した福音書で、 あることは周知の通りである。現行のヨハネ福音書のテクスト,順序については問題が多 L、 2 )。 し か し 受 難 物 語 1 8・1--19・42(31-42の埋葬物語も含む〉は,福音書記者ヨハネの編 9・16b-30 のテクスト. 11頃序も現行 集 段 階 に お い て , 現 在 の Kontext に位置しており. 1 のままであったへ本文批評上の問題も特に存在しない。 ただヨハネの受難物語とマルコの受難物語14 ・ 1~15 ・ 42 とを比較すると, ヨハネの場合 はマルコの叙述のいくつかがすでに受難物語以前の叙述部分に組みこまれている h 例 え ば 4・1--2の受難物語の序にあたるイエス殺害の決議はヨハネ 1 1・47-57に ①マルコ 1 ルコ 1 4・3-9のベタニヤにおけるイエスの塗油物語は, 5・42-47の埋葬物語とも関連しているが, ことで 1 ②マ “あらかじめ葬りの用意をした" ヨハネ 1 2・1-11ではラザロのよみがえ りの物語と関連して述べられている o ⑧マルコ 1 4・10--11, 1 7 2 1 . 43--45のイスカリオテ のユダの裏切りの過程は, 2・4--6の塗油物語の一部分と Lて , 1 3・21-30の 弟 子 ヨハネ 1 の裏切りの予告の一部分として述べられ 1 8・2以下の逮捕の場面に続いている O ④マノレコ 14 ・1 2--16の過越の食事の準備の叙述はなく 格は, ⑤マルコ 1 4・22-25の 最 後 の 晩 餐 の 聖 護 式 的 性 3・1-20の最後の夕食にではなく,すでにヨハネ 6 ・1-14の 5,000人 の 供 ヨハネ 1 食物語に具体化されている O ⑥マルコ 1 4・27--31の弟子たち,ベテロの裏切りの予告はヨハ 2) 例えば s・3b-4,. 7・53-8・1 1の P65, 75 鵠 BA CVid における欠如, 2 0・1 93 1と対比して明らか 1 章など。従って現行ヨハネ福音書のテクストにおいては,伝承資料, 福音書記者の段階 に付録である 2 だけではなく,これらを挿入付加した後の編集者をも考慮 Lなければならなし、。 E .H a e n c h e n :J o h a n - n e sE v a n g e l i u m ,1 9 8 0 ,S .4 4 5 7 ,7 4 1 0 3 . なお現存する新約聖書最古の写本である p15 が,ヨハネ受 難物語1 8・31-33,3 7 : 3 8 を含んでいることは注目すべきである。 3) 但し Bultmannによれば, 1 8・1-20・3 1は , 1 4・3 1の“立て。さあ, ここから出かけていこう"を 8・1 b “弟子たちと一緒にケデロンの谷の向うへ行かれた"に続くと L、う。R.B u l t m a n r i : 受けて 1 H i r s c h sA u s l e g u n gd e sJ o h a n n e sE v a n g e l i u m , EvTh4 1 1 9 3 7 )S .1 1 5 1 4 2 ,H aenchen ,J o h a n n 回 , S . 5 3の引用による。 4) 1 .Becker: DasEvangeliumnachJohannes, I ! 1 9 8 1,S .5 3 1 5 3 9 . ヨハネの持っていた受難報知の 基本的構造は. A) イエス殺害決議から自分の者たちとの別離まで の墓の発見から弟子たちへの出現の 3つの部分であったと L、 うO B) 逮捕から埋葬まで. C) 空虚 一語。- ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 ネ 13・36-38に ⑦マルコ 14・32-42の ゲ ッ セ マ ネ 物 語 は ヨ ハ ネ に は 存 在 し な い が , そ れ と の 関 連 が ヨ ハ ネ 12・2 7 f . に み ら れ る 。 マ ル コ 14・43のイエス逮捕の場面からが, ヨハネ受 難 物 語 18・1以 下 と 平 行 的 に 展 開 し て い る O ( 2 ) 共観福音響の十字架報知との比較 ヨハネ 19.16 b-30 の構成は下記の通りである口 ①16b-H~,のローマ兵士たちによるイエスの引き取りと十字架刑 ,,1 ,,).0( と ユ ダ ヤ 火 祭 司 長 た ち の 抗 議 ③23-24の イ エ ス の 衣 服 の 分 割 ② 19-22の ピ ラ ト の ④ 25-27の 十 字 架 の 傍 ら に 立 つ 女 た ち , イ エ ス の 母 と 愛 弟 子 に 対 す る イ エ ス の 十 字 架 上 の 言 葉 (A) ⑤1~8-30 の 酢 い ぶ ど う 酒 を 飲 む こ と と イ エ ス の 十 字 架 上 の 言 葉C BJ, イ エ ス の 十 字 架 上 の 最 後 の 言 薬 CCJと死であるっそして④と⑨とが, Beek e rの い う よ う に 十 字 架 報 知 全 体 の 序 と 結 と を 構 成 し て い る 5ら こ の 後 に31→37の ヨ ハ ネ 特 殊 資 料 で あ る イ エ ス の 死 体 の 十 字 架 か ら の 取 り お ろ L. 38-42の 埋 葬 へ と 続 き , こ の 埋 葬 物 語 6} が 受 難 物 語 の 結 尾 と な っ て い る こ と は 共 観 福 音書と同様で、ある。 ヨハネの十字架報知の特徴を共観福音書のそれとの比較から考えてみよう九 両者の比較検討の結果を整理すると下記のようになる c i}" a) 共 通 す る 点 ・イエスの引き取り ヨハネ 19・16b マルコ 15・20 bparr. 5) B e c k e r : JohannesH,S .5 8 2,そのほかR. Schnackenburg: Das Johannesevangelium I I I ,1 9 1 6 , S .3 11 .R .E .Brown: TheGospela c c o r d i n gt oJohn,H泌6,p p .9 1 0 9 1 2は , 5つのエピソードに分け 3 ( ),⑤3 1-37),序 16b-18 と結38-42で持fづけられてし、る ( ①1ト 22,②23-24,③25-27司④28- とし、う。 6) 共観福音書,特にマルコの埋葬物語とイエスの十字架の死との色関係については拙稿「イエスの十字架 の死と埋葬物語マルコ福音書1 5 章42-47 節の解釈J(前述3 2 集)で、述べた。ヨハネの埋葬物語1 9・31-42 は共観福音書とは著しく異なっている c 共通点は, 3 8 節のアリマタヤめヨセフがピラトに請うてイエ久 の死体を取りおろし埋葬したことだけである (Mk1 5・4 3 ,4 6p a r r . )。 しかも彼はイエスの弟子として 1ー 3 7 ではイエスの死体の取りおろしは, 表わされている。これに対して 3 ユダヤ人の請求によりローマ 兵士の手で行われていて,アリマタヤのヨセフの取りおろしと一致しなし、。 34b と3 5 には教会的編集が 認められる。マ Jレ コ 15・4 4 f .'のピラトと百卒長とのやりとりはなし、。イエスの墓は十字架刑の場所の ある園に設け られ ( 41 ),その埋葬はユダヤ教の慣習にふさrわしいものであったことが強調されている 4 ( 3 9 b ,4 0 )。埋葬にはニコデモも参加しているが,女たちは全く登場しなし、。女たもの名前とアリマタヤ のヨセフとが聞く結合してしたであろう元来の古い埋葬物語から, 女たちの存在を削除してニづデモを 挿入したのはヨハネであろう。 Bultmann: DasEvangeliumd e sJohannes ,1 9 6 4 .S .5 1 6 f . 7) B e c k e r : Johannes 14 S .描4 ‘のヨハネと共観福音書との比較一覧表, Bultmann: Joh 副m es ,S . 5 1 6 f .,C .H.Dodd: The)nterpretat~(;m o ft h eFourthGospel ,1 9 5 3 ,p p .4 2 5 4 2 8 ,C .K .B a r r e t t :The Gospel a c c o r d i n gt oS t Johd ,1 9 7 8 ,pp.42-54 ,H.R.webd: 必 記z,1975',S .213-222,Dauer: P a s s i o n s g e s c h i c h t , eS .1 6 5 f ., 2 1 6 2 2 6 . -160- (中山貴子〉 -イエスの十字架刑 2人の者が共に 十字架につけられたこと ハネ 1 9・1 8 マルコ 1 5・2 4 a ,2 7p a r r . .r ユダヤ人の王 Jの罪状書 9・1 9 ヨハネ 1 マノレコ 1 5・2 6p a r r . 2雇通兵士たちによるイエスの衣服 ョハネ 1 9・刻・ マルコ 1 5・ 油 開r r -酢いぶどう酒 ヨハネ 1 9・2 9 マルコ 1 5・3 6p a r 乙(ルカは削除) ・イエスの十字架上の言葉 9・3 0 ヨハネ 1 マルコ 1 5・3 4 b cp a r r . .女たちの存在 ヨハネ 1 9・2 5 マルコ 1 5・4 0p a r r . b) 相違する点 •. 9u i 噌 ココ i 唱 ・時の知らせモティーフ 5FO レ ,fレ マ マ, , , -クレネのシモンモティーフ r r a r p 江 3 mA3 15 , . ワ 白 α) ヨハネの十字架報知に欠如しているもの マルコ 1 5・2 3p a r r . -十字架刑以前の没薬をまぜたぶどう酒 ・通行人,祭司長たち,律法学者たち,共に十字架につけられた者たちによる噺弄 5・29-32p a r r . マルコ 1 e p a ,α : : r (暗やみ,神殿の前幕が裂ける) .T : ' マノレコ 1 5・3 3 ,3 8p a r r . ・エリヤモティーフ マルコ 1 5・3 5 f .p a r r . (ノレカは削除) -異邦人百卒長の告白 マルコ 1 5・3 9p a r r . s ) ヨハネのみの叙述 ・イエスは自ら十字架を負う 1 9・1 7 a ・ピラトの T:'l"";..o~ に対するユダヤ人祭司長たちの抗議 ・イエスの下着のくじ引きと聖書証明 1 9・2 0ー 2 2 1 9・2 4 b c -イエスの母と愛弟子へのイエスの十字架上の言葉 (A] 1 9・2 6 f . -イエスの十字架上の言葉 (B]と聖書証明 しかしながら, 1 9・2 8 a) の共通点についても細部においては相違点も多く,ヨハネのイエスの 十字架の死理解からくる伝承資料の改訂がある。 ①イエスと共に十字架につけられた 2人の者は,マノレコ 1 5・2 7( M t2 7・3 8 ) のように, Y J(J切♂ではなく, 元来略奪者・常備兵・傭兵を意味し転じて強盗やゼロテを表わした A 単に dえÀOl)~ 6 6 0 となっている。彼らはまたイエスを噺弄することもない。これはすでに, ルカ特殊資料2 3・39-43において,マルコ 1 5・3 2 bの全面的改訂を行いきわめて対照的な 二通りのふるまいに書き分けることで,新しく罪人の悔い改めと信仰告白モティーフを導入 するために, ) ; I J l 1 ' r : ' 1 J cを t c a t c o u p r o c( 新約聖書では他に 2Tim2・9 のみ)と変更したノレカ 8) ThWBIVS .2 6 7 . ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 の思想をさらに展開したものといえよう叱 -161ー イエスの十字架の死を,栄光,父なる神への帰 還として把えるヨハネにとって , J..f;d'rマc もしくは広a.~oûprO( の限定は不要であるばかり か , ヨハネの神学と一致しない。従って,イエスと共に十字架につけられた者のモティーフ は,前ヨハネ伝承の単なる保持であって「特別の意味を持つてはいない。後述するように, μE 1 1 0 V6 e" o ν ' 1 η1 1 0 U Vの挿入によって,むしろイエスの王権を強調する道具だてになってい るにすぎない。 5・26の 罪 状 書 ( 手 伝t r p α例 τ 手( a . l T : i α( , Mt 27・3 7 吋ναZ r : i aジ a . O T : O U ②マルコ 1 rerpa μμ 均 的 は , 明 確 な a 1 d a . の付加語を伴っている。ルカ 23・38は a . Z d aを削除し て 勾trpa 併のみにとどめている Q しかしヨハネ 1 9・1 9 f . は,d r A O ( という新約聖書, LXXに他に用例のない言葉を用いている O ラテン語の t i t u l u s も一般的な碑銘,書名から 尊称,名誉の称号までを意味している。従ってヨハネの場合は.罪状書というよりもむしろ 5・2 6 イエスの王たることの尊称として用いられているといってよし、。その内容もマルコ 1 ( M t27・37,Lk23・3 8 )の O{ J al 1 t A e u (τ G ν ' 1 0 υ6ai ω ν に対して, 1 8・5, 7の「ナザレ 1 η1 1 0 U (oNaC ωpaiO(ofJ•αl1tÀeù( τWV ' l o v 6 α t ω ν と改訂されて のイエス」と結びついて ' いる o ③マルコ 1 5・24b( M t27・35b,Lk23・34b) は,詩篇22・18に基づいてイエスの衣服の くじ引きによる分割のみを述べている O しかしヨハネ 1 9・2 3 f . では, f μar t o v を 4つに分 る こ χπω のくじ引きの 2つの行為に拡大している。 けることと,縫い目のぜい直接肌にJ着 さらに聖書証明のための引用も直接行っている O ③酢いぶどう酒は,マルコ 1 5・3 6( M t27 ・ 48) の ~áÀαμO( に対して , Ul1l1ω π'O( の茎で さし出されている O ⑤最も重要なイエスの十字架上の言葉は, ヨハネの十字架報知で、はルカと同様全面的な拡 大改変が行われ,マルコ,マタイ,ルカとは全く異なる内容となっている O 順序に従い,そ の言葉を (AJイエスの母と愛弟子へのもの, CBJδi 砂ω,(CJτe r e A e l 1 ' τ 仰とに分けることに 5・3 4 b c する。いずれもヨハネのイエスの十字架の死の理解を表わしていることは,マルコ 1 ( M t27, ・4 6 ),ル出 2 3・34a ,4 6 が福音書記者の神学に基づく意図的編集の表明であること と同様である O しかしながら共観福音書のように,イエスの十字架上の言葉と異邦人百卒長 のイエスに対する信仰告白との関係はヨハネには存在しない。 5・4 0がマグダラのマリヤ,小ヤコブ ⑥十字架刑を見る女たちの名前のリストは.マルコ 1 9) 殉教者の模範としてのイエスの十字架の死は, 同時に罪人の悔い改めと赦しをもたらすのでで、ある。い わゆる S,却 3 ( J η 1 )のモテイ一フがみられる G 拙稿2 9 集1 39-1 4 3頁 。 -162ー (中山貴子) とヨセの母マリヤ,サロメ,マタイ ? : l・5 6がマグダラのマリヤ,ヤコブとヨセフの母マリヤ, レ カ2 3・4 9には名前のリストがなく,すでに 8 ・3に述 ゼベダイの子らの母マリヤである O ノ べられている(マグダラのマリヤ, ヨハンナ, スザンナ)。 ヨハネの名前のリストとはマグ 5・4 0の十字架刑の証人としての女たちと, ダラのマリヤだけが一致している O ただマルコ 1 4 7節の埋葬の証人としての女たちと, 1 6・1の復活の朝の証人としての女たちの 3 ' " つの名前 のリストも異なっていて,これもマグ夕、、ラのマリヤだけが一致している O 共観福音書は,彼女たちがイエスのガリラヤにおける活動の時も彼に従って仕えた女たち であると述べることによって,十字架刑・埋葬・復活の重要な証人と Lてだけではなく,イ エスの全生涯に対しての N a c h f o l g eのモティーフを強調しているが, a c h f o l g e モティーフは全く見られない。 な女たちのイエスへの N 女たちはイエスの十字架刑を“遠くから"見ていたが, ヨハネにはそのよう さらに共観福音書では, ヨハネ 1 9・2 5ではイエスの十字架の 死以前に,しかも十字架の傍らに立っておりその位置が変えられている。 以上のように,細かい相違点にもかかわちずヨハネの十字架報知と共観福音書のそれとの 間にある共通のモティーフの存在が,両者の文献学的関連の問題を提示する。そこでヨハネ 1 9・16b-30の資料問題を,前ヨハネ伝承とヨハネの編集・形成を中心に分析することでさ らに検討してみよう。 E ヨハネ福音書 1 9奪 1 Sb3 D節の分析 ( 1 ) 伝承と編集の問題 この問題について,現在最も専門的な研究を行っている D auer10】の分析をおもに取りあ げながら考えてみたい。 1 6b節 Dauerはイエスの引き取りを表わす π αp a ) . a μs&v l 1 l が , ヨハネ 1 ・1 1と1 4・3以 外 e e v , 6 aの π αpal J e i J o v a e と対になっていることから前ヨハネ伝承 には用いられていないこと, 1 に由来するとみている。イエスの引き取りはマルコ(マタイも・ルカは異なる)では,むち 5・15-20), 打ちとローマ兵士たちによる紫の衣,いぱらの冠による潮弄の聞に行われ (Mk1 十字架刑執行に至る具体的行為者がローマ兵士であることも明白に示きれている o それに対 して, ヨハネ 1 9・1 6 b の主語は, 1 4 f . のユダヤ人ないしは祭司長たちで 1 8 節の十字架刑執 1 0 )A.D a u e r :D i eP a s s i o n s g e s c h i c h t ei mJ o h a n n e s e v a n g e l i u me i n et r a d i t i o n s g e s c h i c h t eu n dt h e o l o g i s c h eU n t e r s u c h u n gz uJ o h1 8・1-19・3 0 ,1 9 7 2 ,特に s .165-216参照。 1 1 )それに対して Mt1 6回 , Mk 6回 , Lk6回 , A pg6回 , D au ぽ :R 鰯 i o n s g e s c h 油民S.1 6 6Anm . 11 . ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 行の主語もその主うに読むことができる O ローマ兵士たちは, て明らかに出てくる O このことから, -163ー ヨハネでは23 節以-pではじめ 元来の前ヨハネ伝承資料における 16b の位置が 16b 1 b ) 2 f .→19・1 7 であったのを, →1 9・( ヨハネが構成上の暖味さを無視しでも,イエスの半 字架刑に対するユダヤ人の責任をより先鋭化させるために行った位置転換として考えること もできる問。 1 7 節 Bultmann は,マルコ 15・21 parr. のクレネのシモジ伝承と 17a' の ~t:r.t1τáCων lt:r.vτφ 吋 νt r r t : r . u p oνの叙述との矛盾を, ている 18)。 確 か に 8 αt1'raCe e vl4) Nachfolge 要請の ~atrráCIt ヨハネが別の伝承を基礎にしたためで、あると単純に説明し はヨハネの用法としてはまれで, しかもルカ 1 4・27 の ovt1't"arJpovi t : r . v ' t " o v ときわめてよく似た表現でもある D また ' t " ルカ 23・26のクレネのシモン伝承は, マルコよりももっと明白にイエスへの Nachfolge モ 7aは,元来イエスへの Nachfolge モティーフを持ったク ティーフを示している O 従って 1 レネのシモン伝承だったのを,父からあらかじめ示された道を最後まで従順に歩いたイエス の父への Nachfolge を強調するために, ヨハネが 1 7a を現行のように改訂したのではない φ そのものにヨハネの強調点があるのではなく,受難におけるイエスの か 。 Dauer も繍''&"i 自由意志・優越性を示すためのヨハネの形成であると述べている 1ヘ 実 際 共 観 福 音 書 は , イ エスが十字架を負うたことを明記しないで,直ちにクレネのシモンについて述べている o お そらくヨハネは前ヨハネ伝承に存在したであろうクレネのシモン伝承を削除して,イエスが 十字架を負うたことをより強調したので、あろう問。 17bは伝承資料に由来するが ( v g lM k15・22,Mt27・33 ,Lk23・3 3 ),o. U r 釘 ' t : r . e(この 様式は新約聖書においては,他に Joh 1 ・ 38, 20 ・ 16 のみ)と .E~pαt・'t1'r1 ( J oh5・2,19・ 13 ,1 7 ,20 ,20・1 6 ,Apk9・1 1,1 6・1 6 のみ)は, ヨハネ的表現といえる O 18 節 すで、に述べたように).~ t 1 r 1 J t ; (Mk1 5・27 ,Mt2 7・3 8 )や 1 C t : r . l C oupro t ; ( Lk23・3 2 f .,3 9 ) 1 2 ) ヨハネ福音書におけるユダヤ人の問題については, R .Le i s t n e r :A n t i j u d a i s m u sim J o h a n n e s e v a n g e・ l i u m ?,1 9 7 3 ,S .7 1 1 4 1参照。 1 3 )B u l 回 a n n :J o h a n n e s , S .5 1 7Anm.4 . 1 4 )J o h1 0・3 1,1 2・6 ,1 6・1 2 ,1 9・1 7 ,2 0・1 5 .事前聖書において Mt3回 , Mk 1回 , Lk 5回 , Apg , P I s 6回 , Apk 3回 Dau 釘 P a s s i o n s g 伺 c h i c h t e ,S .1 6 7Anm.1 3 . 4回 1 5 )D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t , eS .1 6 9 ,Anm.1 8 . dのように,共観福音書とヨハネとの粧違の説明と Lて,ヨハネが十字架への道の始めの部分を, 1 6 )Dod 共観福音書はその途中の出来事を記したのだとする説 ( H i s t o r i 回 1T r a d i t i o ni nt h eF o u r t bG o s p e I , 1 9 6 , 3 p .1 2 5 Anm. 2 ) ,H aenchen のように前ヨハネ伝承に欠加していたとする説 ( H i s 旬r i e und ,1 9 6 7 ,S .7 6 . )には根拠がな L。 、 G e s c h i c h t ei nd e nj o h a n n e i s c h e nP a s s i o n s b e r i c h t e n -164ー (中山貴子) ' J l(860)に変えたのはヨハネである。しかも 18・40で バ ラ バ を 幼 何 軒 と し て 表 わ を aAAO し,両者を明白に区別している。変更の理由を Dauer は,彼らをもしも A I ) d ' C 7 J (とすると, 18・28-19・16a にもかかわらず,イエスが政治的な理由から処刑されたという印象を与え ることになるからであるという 17)口 ま た Bultmann は , ヨハネが十字架上のイエスに,特 s53・12,v g l Lk22・3 7 ) を殆ど考えていない 別の卑下もしくは旧約聖書の預言の成就(Je ためとみている 18)。 et'o v' 1 1 }dOU ν によって,その場所が王であるイエスにふさわし ヨ ハ ネ は さ ら に が dOV 8 い尊厳に満ちた玉座であることを強調する。ユダヤ人の慣習においては 3人の人聞がいる 場合,最も有力な者を常に真ん中におくのが一般的であり,このような考え方はマルコ 10・ 37のゼベダイの息子たちの話や,マタイ 25・31-33の終末時の審判の話などにもみられる。 これはイエスの十字架刑を栄光ある高挙として描く, ヨハネの意図的形成である山口 19 節 犯罪人の名前・犯罪名・判決内容を公示することは,ローマおよびユダヤの慣例である制。 そのためイエスの罪状書は,おそらく史的事実として伝承に記されていたと思われる。 共観福音書は,その書き手については何も述べてはいないが, ヨハネは 20-22の叙述のた a r r . では, めにもピラトがこれを書いたことを明らかにする必要があった。マルコ 15・24p 罪状書はイエスの衣服のくじ引きの後に記されているが, ヨハネはそれ以前に持ってきてい るO この配置換えは伝承に由来するものなのか,あるいはヨハネの編集によるものなのだろ 節 の onl dt' αu p ωσαντω ' I 1 }dOU νの副 うか。まず 18節は,内容的に 19-22をとびこえて 23 文章なしに直接続いている D それに対して. 22 節と 23 節の結合は不適切であって,それを柔 らげるために 23aの o n . . . . . . ' I 1 }dOU ν を再び挿入したもののようである。 Bultmann も , 23a が元来は, 19-22をとびこえて 1 8 節と結合していたのを, 19-22の分断の結果 o n . . .…' I 1 }dO ω 1 7 )D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t e ,S .1 7 7 . 言語上の考察から証明することは難かしいのでほ以内 Joh約 30 回 , Mt約2 9 回 , Mk約2 2回),もっぱらヨハネの神学による改訂であろう。すでにルカ自身が神学的 意図に即して改訂しているからである。 1 8 )B u l t m a n n :J o h a n n e s ,S .5 1 8Anm.1 . 1 9 ) 古代ユダヤにおける慣習については, S t r a c k B i l l e r b e c k : KommentarzumNeuenT,白阻ment, 1S . .F .W e s t c o t t : TheGo s p e la c c o r d i n gt oS T .John ,1 9 7 1,p .2 7 4は,この付加文で,キリスト 8 2 5 f .B は苦難においても王として君臨することをヨハネが強調していると L、ぅ。そのほか E .Hoskyns: The F o u r t hGos p e l ,1 9 4 7 ,p .5 2 8 ,S c h n a c k e n b u r g :J o h a n n e sI I I ,S .3 1 0など。 2 0 ) ローマの慣例によれば,刑場へ連行される犯罪人自身が, この板を首からつるしたり運んだりした。 S u e t o n i u s ; De V i t a Ca 回 釘um C a l i g u l a 32 “ p r a e c e d e n t et i t u l o q凶 回U姐 m P o e n a l 担d i c u 回 t " , c a 回 i u s Dio 5 4・8 . ユダヤ教の律法においても判決理由の公示は慣例であった。例えば S t r a c kB i l l e r b e c k1 ,S .1 0 3 8 . Sanh 6・1 ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 一 話6ー … によって再び状況説明を開始するために行った必然、的な挿入であるとみている 21>0 l Y r a . . . ' I ' 1 } dOU νが23 節の流れを妨げていること,接続詞 onがヨハネ福音書に非常に多いこと ( 1 9 回 ) , 20 ー 2 2の叙述を導入することを目的としていることなどから, このような配置換えは ヨハネ自身によるものとみてよいだろう加。 , 5・26の手 b : r trpa 併す手 マルコ 1 al~la, を,王としての尊厳を表わすために , ~ld.o, と いうヨハネのみの用語に変更したことはすでに述べたとおりである O それはおそらく共観福 音書と同様,前ヨハネ伝承においても元来罪状書であったものを, 20-22において, ピラト をして全世界にイエスの王たることを十字架上から宣言させるためのものとしたのである。 「ナザレ λイエス」は, ヨハネ受難物語の 1 8・5, 7にのみ出てくる表現であるが, r ユダ ヤ人の王 J と組み合わせること7c ~1~ÀIK の内容をより完成されたものとしたのかもしれな し、鈎} o 20-22 節 ピラトの ~1~Ào, とそれに対するユ夕、、ヤ人祭司長たもの抗議やピラトの回答などは,共観 福音書や外典福音書にも存在しないヨハネ特殊資料である 24)0 Bultmannは , 1 9・12b のユ 9・1 5cの祭司長たちの反論などのモティーフがここにもみられること ダヤ人たちの反論, 1 3aが20-22の流れを破っていることなどからヨハネの形成と主張している制。 Dauer と , 2 は,他の多くのヨハネ特殊資料が実は,古い埋もれていた伝承資料の採用であったというこ ともあるので, ヨハネの形成かどうかは慎重な検討を要すると前置きして以下の 2点から考 察をすすめている制。①20-22の史実性が疑わしいということ,②言語・構成技法・神学的 傾向がヨハネを示しているということについてである。以下彼の検討を取りあげてみよう o ①について O)1 9・2 1以下の祭司長たちの抗議は,共観福音書の叙述と矛盾している ( v g lMk15・32, Mt 27・42 ,Lk2 3・35 によれば,彼らはイエスをイスラエルの王キリストと呼んで噺弄し ている o Pet-Ev4 においても“そして彼らは十字架を立てた時「この男はイスラエルの王 である」としるした"とある)0 , 1 : 1 1 : A o を読んだギリシャ, ローマ人からユダヤ人全体に対 2 1 ) Bultmann: Johannes ,S .5 1 5 . 2 2 )v g lM, k M,t Lk各1 2回 , Apg1 0 回 P l s1 8 回 , I P e t 1回(i' r so oνは Joh 8因。 2 3 )D a u e r : P邸 s i o n s g e s c h i c h t , eS .1 7 6 f . ヨハネの十字架報知でも遅く成立した 1 9 節を,ヨハネが高挙の 神学に合せて,いくつかの点を改訂して採用したのだとみる。 ,伺c 2 4 ) ニコデモ福音書 1 . 2は Joh1 9・2 0の影響かもしれな L、。Dau e r :P a s s i o n s g h i c h t e ,S .1 7 7 .Anm. 8 2 . 2 5 ) Bultmann: J o h a l l n e s , S .1 5 5 . 2 6 ) Dauer: P a s s i o n s g e s c h i c h t , eS .1 7 7 1 8 2 . -166ー (中山貴子) する瑚弄として,皮肉にも我が身にふりかかってきて,はじめてピラトに訂正の申し入れを するに至ったのだと L、う解釈がたとえ成り立つとしても,それはあくまで推測にすぎない。 ι @τ什 A o , "が 3ヶ国語で記されたことはありえないことではないが, ピラトが果してイエス : u ' A o , "は , の場合に適用したかどうかは疑問である O むしろ 3ヶ国語の 1 すると考える方が適切である問。以上の Dauer の指摘は, ヨハネ神学に由来 史実性の根拠を裏づけるものが 全く存在しないこともあって,いずれも適切な主張である。 ②について 0 節の o u ν はヨハネ特有の 0 5 J J -historicum であること ③言語上の形成. 2 T : 1 T : A o ν のヨハネ的文体, T : o f k o J JT : ν O c . π' o A A o … ・τ G ν ' 1 0 υ8 al ω ν がヨハネの多用する o l' 1 0 υd a l o eであ り,しかもヨハネの好む言語の分綴であること,同様に l r T o 片手νoT : O # o , "吋'"n o A e ωc も lTru , " , が rerpa μ : t c J .ν o ν, 'E9pa l " t 1 げなどのヨハネ的表現, 分綴 Pωμl " t 1 T : 1 は聖書の 宅 Hapaxlegomenon, < E A k l l J J e t 1 T : 1は他に行伝21・37にあるきわめてまれな表現であるが,おそ らく 'E~palt1T:1 に対応させて epmμato," ( 1 1・4 8 )と ' E A A 7 } J( 7・ 3 5 ) からヨハネが形成 したもの O 2 1節の o u ν h i s t o r i c u m ,o l& . p 1 . eepu , "τ w v' 1 0 υ( J al ωp のヨハネ的特色(ユダヤ人の属格結 合は新約聖書においてヨハネのみ 他 2 ・6ユダヤ人の宮潔め 3 ・1ユダヤ人の指導者, 1 8・ 1 2ユダヤ人の下役,その 2・ 1 3,1 1・1 5ユダヤ人の過越. 5. 1 . 6 ・4, 7 ・2ユ 夕 、 、 ヤ人の祭, 1 9・ 42ユダヤ人の準備の日 ) 0 Dauer によれば, いたのは, ヨハネが T : Wν ' 1 0υSαtων を用 r ユダヤ人の王」と「ユ夕、、ヤ人の祭司長たち」とを対抗させ,ユダヤ人の代表者 が彼らの王を拒否するが不成功に終り, ピラトによってイエスの王たることが全世界に宣言 α σe A e u , "e l J j e nôν ~10υ 8alων の分綴, されることを意図しているためで、ある制。そのほか 9 なd ν' O C " の用法. 2 2 節の or . l rpa ゆa,T. Erp a . Oaの簡潔な短縮は, 13・ 27の on o e e kπ0 1 1 } t 1 0 J J e T : & 1 . OV と同様ヨハネの形成である O 以上2 0ー 22には,殆ど一貫してヨハネ固有の言語的特徴があるのに対して,前ヨハネ伝承 に属する言語表現を確立することはできない。 @構成上の技法として⑧ゴルゴダにおける十字架刑から一転して総督官邸でのピラトとユ ダヤ人祭司長たちとの論争,さらには再び十字架刑の場面へもどるなどの多様な場面の描写 はヨハネ的である ( v g lJoh1 8・ 28-19・ 1 6 a ,4 ,7 ,9章)。⑥ T : 1 T : A o , " の「ユダヤ人の王 j を 2 7 ) W.B a u e r :DasJ o h a n n e 随 v a n g e l i u m .1 9 3 3 .S .2 2 2 .S t r a c k B i l l e r b e c k1 , 1S .5 7 3 .Beck e r :J o h a n n e s 1 , 1S .回 8 . しかしこの場合は H a e n c h e nのいうように, 3ヶ国語の世界語がイエスの尊厳を u r b ie t o r b iに告知するためである. DerWegJ e s u ,1 9 6 6 ,S .5 2 8 ,Anm.2 ,J o h a n n e , sS .5 5 1 . 2 8 )D a u e r :P a s s i o n s g e g c h i c h t e ,S .1 7 9 . ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 めぐってのピラトとユ夕、、ヤ人祭司長たちとの対話の文体が, 法と一致する o -u; 足一 ヨハネに特徴的な劇的な物語方 @r ユダヤ人の壬」が,祭司長たちにとっては,異邦人世界からのユダヤ民 族に対する侮厚として受けとめられる一方, ピラトはこれを用いて結果的にイエスの王たる ことを全世界に証言するといった二重の意味を含む文体で、あること O @神学的傾向として,⑧論争的・弁証的側面として,最後の瞬間に至るまでイエスを拒否 するユダヤ人=不信仰な世のありょうが. 20~22 のピラトとユダヤ人祭司長たちとの論争で 劇的な頂点を迎えること。⑥実証的・神学的側面として⑧にもかかわらず, ヶ国語の 1 ' C '' C ' J . oc ピラトによる 3 の公示は,イエスの十字架刑を高挙として理解するヨハネの神学と一致す る ( v g l8・28 ,特に l f r eeTOJJf J e )0 以上の検討結果から, Dauerは20-22を , ヨハネが伝承上の<王>モティーフの援用によ って小さな劇的場面を創造して,読み手にイエスの十字架刑を信仰者の視点で理解させるた めに形成したものと結論づけている D 一 23ー 24節 ヨハネは 23a の oned' C ' 4Op ω'dae τ ル' 1 1 ) 1 1 0u ν を付加して再び伝承へともどっている O 処刑された者の衣服を分けることは当時の慣例でもあり 29) 詩篇22・1 8による聖書証明は共 3 f . の兵士たちによるイエスの衣服のくじ引きによる 観福音書にも存在している従って 2 分割は,前ヨハネ伝承を受け継いだものである O しかしながら,マルコ 15・24と比べると伝 承の拡大があるため,ここにもヨハネの編集が行われているとみてよい。 共観福音書では,イエスの衣服のくじ引きによる分割をひとつの行為として理解している のに対して, ヨハネでは詩篇22・1 8の同義的平行法を“わたしの衣服を分け"と“わたしの 8aは 4人 着物をくじ引きにする"との 2つの行為として把えている。そのため詩篇 22・1 v g lApg12・4 ) による fμτlOJ , J の分割に, 2 2・18bは χw 仰のくじ引きにと の兵士たち ( 分けられてし、る(地の聖書引用では l / l a ' r l O ν と fμmμc)o 19・23a の fμ 'C'lOJ , J( J o h 13・4,1 2 ,1 9・2,5 )は,マルコ 15・24p a r r . とも一致しており伝承と結びついている o 19 ・23b の ' X A ' C ' φ ν は , ただ 23 f.には, みα ザ Tpaψ~ ヨハネのみの記述であるが伝承かどうかを決定するのは難か L,¥ , 3 0 )0 特にヨハネ的表現といえるものはないので伝承とみなしてもよ L。 、 24bの nA ηpω0 手は, ヨハネに典型的な旧約聖書の引用形式であることかちヨハネの 2 9 )Bultmann ニJ ohann e s .S .5 1 9 ,Anm.4 ,J .B l i n z l e r : DぽPr o z 白 sJ e s u ,1 9 6 0 ,S .271,Anm.3 8 . ,Mt各 2回 , Lk 3回 , Apg 1回 , J u d 1回.しかしイエスの衣服との関連 3 0 )新約聖書において, Mk では出てこない。ヨハネはこの箇所のみ。ヨセフス「ユダヤ古代誌J(秦剛平訳)I I I. J ・ 4の大祭司の祭 服との関連で,縫い目のなし、 I l ' Z "W ν にイエスの大祭主主臓の象徴をみたり,あるいは教会の一致の象徴 をみたりする解釈には根拠がなし、。,Be c k e r :J o h a n n e sU,S . 5 8 9 . B叫tm 組 n :J o h a n 悶 5, S .5 1 9 .Anm. ,D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t e ,S .1 8 6 1 9 1 . 1 0 -168ー (中山貴子) 形成であろう o 2 4cも後述するようにヨハネの形成である 30。 25 節 十字架刑に立ち会う女たちの叙述は, ヨハネの言語的特徴のみられないこと,女たちが特 に何の役割も果していないことなどから前ヨハネ伝承に由来するものとみてよ L、。ヨハネの 女たちの名前のリストは,前ヨハネ伝承に由来する O おそらくイエスの母もはじめから伝承 に属していたと思われる D ヨハネの用いた受難物語伝承には,共観福者書の女たちの名前の リストとは異なる別の伝承がすでに存在していたのであろう O すでに述べたように,共観福音書記者は伝承資料をこえて,女たちのイエスの全生涯にわ たる Nachfolge モティーフを意図的に編集しているが32) 、ヨハネにはそのそティーフはな く,埋葬物語にも女たちは登場せず,空虚の墓物語においてもマグダラのマリヤだけが記さ れている o 女たちの叙述の位置の転換は, Dauer によれば,そのためには, ていないものを, 26-27に移行するためのヨハネの編集である。 24c と 25a の元来別個の伝承であって内容的に結びつい ヨ ハ ネ の 構 成 上 の 技 法 で あ る がν・ …. . 8 e 文を用いて結びつける必要があ ったのであり, 24c はそのために意図的に付加されたのである。 ヨハネのこの構成上の技法とは,イエスの周囲の人々の聞に,対照的な一組みの人聞を登 場させ,信仰の決断を迫るという神学思想である。例えば, とイエスを信ずる弟子たち, 2'18-22の不信仰なユダヤ人 6'66-69のイエスを捨てる多くの弟子たちとべテロ (=12弟 子)の信仰告白などがあげられる。ここでは,イエスの衣服のくじ引きをしている 4人のロ ーマ兵士たちに表わされる不信仰者と,十字架の傍らに立つ 4人の女たち 33)に表わされる信 仰者との対照がある。 26-,-27 節 イエスの十字架上の最初の言葉 (AJは,イエスの母と十字架報知に突然登場する愛弟子と に対するものである。共観福音書にはないこの特殊資料は, 25 節から 2 6 f . への内容上の移 行がぎこちないことや言語上の相違などから,前ヨハネ伝承に属するものではなくヨハネ自 3 1 ) この Formel はヨハネ福音書のみ。 1 3・1 8,1 7・1 2,変形としてみ α 1 C ) . 1 JP ω( ) f jOl o r o ! ;1 2・38, 1 5・1 5 ,Mk1 4・4 9 ,Mt2 6・54では alTPαOaiである。 3 2 ) 拙稿3 1 集 88-90 頁 。 3 3 )ただ女たちが十字架の傍らに立っていたことについては Dauerはこの παpa-Dativが新約聖書にお f 1 1 :a l l t l c の場合, π αpa は避けて人間の場合は pn -a ( 1 8・ 5 ,1 8 ) , ける唯一の例であること,ヨハネは l O ! ;( 1 8・1 6 ,20・1 1 ) を用いていることなどから前ヨハネ伝承に帰している。前ヨハ 事物の場合は πP ネ伝承が詩篇38.11の“遠く離れて"との関係を知らなかったため, 女たちはただ単に十字架の傍らに a s s i o n s g ,錨c h i c h t , eS .1 9 4 .Dod d,Haenchen も伝承説。それに 立っていることになったのだとし寸。 P , 2 6 f . の導入のためヨハネが資料の d幼 μ αp K O ( ) 胞を π α ρ a1 :φ σTαυp ,q に変え 対して Bultmannは たのだと考える。 J o h a n n e s ,S .5 2 0 . ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 身の形成とみる方が自然である。 -1$'ー これに対する Dauer の論証は次のようなもので、あ・る剥1 引 26 節の o u v h i s t o r i c u m ,ÓμaJJ折~t;, o v手raπα(13・23,19・26,21・7,2 0 ) のヨハネのみに 用られている I m p e r f e k t ,r ω似 の 呼 び か け (2 ・4, 4.21. 19・26,20・13, 15など o イエスの母に対しては新約聖書ではヨハネのみ), e ( J e特 に l i J φ ν…… ) . er et , i J e の構造 (Mk 3・ 2 4 のほかはヨハネのみ ) 027節の e l t ; を伴う A αp1 f ave ω (新約聖書では Joh6・ 2 1,1 9 ・27,2Joh10 のみ), r a, i J e α (家,故郷の意味では Apg2 1・ 6 以外は Joh1 9o 2 7 " ,1 6 ・32 のみ)。以上はヨハネの言語上の特徴である O 構成上の技法として, 1 9・ 20-22と同様 に 27b に物語の中断による説明がある。すなわちイエスの十字架刑の時と場をこえて,読 み手に情報を伝達するためのエピソードが入ってきているのはヨハネ的特徴である ( v g l1 2 ・2 2,7・39 ,1 1・5 l f .,1 2・3 3 } 0 Dauer の具体的な指摘は, 26ー 27を史的事実や前ヨハネ伝 承と解釈するよりは確実な論拠といえるだろう制。 28-30: 節 ① 28 節 共観福音書の十字架報知のイエスの十字架上の言葉の K ontext と最も近い関係にある 28 節は,前ヨハネ伝承とヨハネの形成とが混在している o Bultmann の分析では, ) ' e r e e . -30 i J e φG の動機のうち e ! i J φc… … l Y r e手 8ηπ-&v-rατ町 e ) .e d r a e をヨハネに l v t X . n ) . e e ω( J f jザ rpa 併 を 伝 承 資 料 に 帰 し て い る 36)。イエスの十字架上の言葉 CBJの i J e ゆG は,受難物語伝 2・1 5の聖書証明に属していることから,前ヨハネ伝承と 承の重要なモティーフである詩篇2 … 考えることができる o l v t X . . . . i Je < t w までの 28b の聖書証明を受けて, 29節の酢いぶどう酒 0 a のそれを飲むイエスが述べられている ( P s 69・2 1 b )。 しかしながら, 2 8 aの の提供, 3 e !i J φf……T釘 e ) . e d ' τ仰 の 分 詞 構 文 (6 ・6 , 1 1 3・1, 3, 1 8・4) は , ヨハネの形成である。 Dauer は , その論拠として④ 2 8 a の位置が 1 8・ 4a と厳密に一致していることに注目す る37)O 1 8・4a ' l 7 ) dou t ;o u νe li J φcπav r t X .r a 1 9・ 2 8 a μ釘 a r o u r oe li J φt ;O ' l 7 ) d o D c 3 4 )D a u e r :P a s s i o n 唱e s c h i c h 陪, s .. 19 7 2 0 2 . 3 5 ) 史実は勿論のこと,伝承説を否定する者が殆どである。例えば B u l t m a n n :J o 1 国n p e s ,S .5 1 5 ,5 2 1, S c h n a c k e n b u r g :J o h a n n e , sS .3 2 3 .,B促 k e r :J o h a n n e sI I ,S .5 9 1 f .など。共観福音書におけるイエス の母や兄弟などの親族についての叙述に明らかであるだけでなく (Mk 3・3 1 3 5 ) ,ヨハネにおいても J o h7・1 1 3 )。また弟子たちの裏切りや逃亡は, イエスの活動に無理解であることが述べられている ( 史実と結びついて伝承に固定されていることからも明らかである。 3 6 )B u l t m a n n :J ぬa nn 田, S . 5 1 6 . 3 7 )D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t e ,S .2 0 1 2 0 4 . -170ー (中山貴子) μs o lpt v al π'ω' t " ν d・・・…坐竺 O ' t " t狩万世竺笠't" trUe d ' t " 似 l ・ …・・坐笠! ヨハネは受難物語の開始にあたって ( 1 8・4). イエスが自分め身に起るすべてのことを 知っていると述ベ, 1 9・2 8 a ),イエスはすべてのことが成就 最後に十字架の死に際しても ( l l J φc文がヨハネ受難物語全 きれたことを知っていると再び強調する。そしてこの 2つの e 体の枠を形成している。 ⑨ Zμ~e釘 'rà τ 切OÛ街官't"叫 0111α ö't"旨E の構成, π'å Jl't"α などのヨハネ的言語表現がある 88}G @イエスが自らの受難について知っていることの強調 (vg16・64 ,13・1,3,18・4 ),イエスは 4 . 5'36)などのヨハネ神学との結合がある O 父から委託されたそのわざを成就する (4 ・3 ② 29節 3 f .と文体もよく似ていること,特にヨハ 前述したように聖書証明と結びついていること, 2 ネ的な言語表現がみられないこと, ヨハネ固有の神学的モティーフが欠けていることなどか ,d E o l Jc ,nspt't"tfJéJ.峨, π~Øépetν ら前ヨハネ伝承資料に由来している。その資料は ,dnOrrOc などの共観福音書 (Mk15・36p a r r . ) とも共通の言葉を持っているが I C a A a μOc ではなく [ ) d d ωπOc を用いている O ③ 30節 イエスの十字架上の最後の言葉 ( CJとイエスの死を描く 30節にも伝承とヨハネの編集上の 形成とがある。 Bultmann は CCJについてヨハネが元来資料にあった言葉を τ釘e A e 釘仰 に置き換えたという 39)。元来の伝承資料にどのような言葉があったのかを明らかにすること e d't",似には,イエスの十字架の死を父のわざの成就として理解する はできない。ただす釘e). ヨハネの神学が集約されている。そのため共観福音書のように,イエスの十字架上の言葉→ 異邦人百卒長の信仰告白をあらためて必要としない。 30a のイエスが酢いぶどう酒を実際に飲んだことは 28b-29 の聖書証明の歴史化であっ て伝承に属する。 30b の I C M v a c 't"~v I C e ゆaA Y )vの表現は,後期ユダヤ教,ギリシャ文学,新約聖書, のいずれにも全く平行記事がない 40)。 また π ' a p u J ωI C e v' t " dπv e u . μ LXX も前ヨハネ伝承に由来 3 8 ) μ ε'l'a ' l 'o S' l 'O J o h2・1 2 ,1 1・7 ,1 9・2 8 ,Heb9・27,Apk7・1 ,0 1 δ α O ' ' l ' (J o h2 2回 , Mt10回 , Mk , Lk 6回 , Apg 8回 , πdνTα3・3 1,3 5 ,4・2 9 ,39 ,4 5 ,5・20 ,1 3・3 ,1 5・1 5 ,1 7・7D a u e r : 4回 P a s s i o n s g e s c h i c h t , eS .2 句f . 3 9 )B u l t m a n n : Jobanne , sS .516.Mk1 5・34bc か Lk23・46 のような言葉か,あふ、は Mk15.37 のような言葉のないさけびであると推測している。 4 0 ) vglXenopho , nCyrop7・3 ,4Makk1 2・1 9 . π αpaotoωαtは,ヨハネで、は,イエスと関連するのでは なく,ユダとイエスの敵にのみ関連させられている。むしろこれに近いのが. Mt27・50 aゆがω 'l'O 1(J J E U pα で,伝承の段階ですでに a O f j Kω から π αpeoω u ν が出ているとも考えられる。 D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t , e S .2 1 5 . しかし 7 ・37-39の霊の授与との関連性を読むことは問題である。こ乙での ' l 'O 1(J J E V μ α は純粋に自然的なものである。 ヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死 -11 1 ; ー するであろう。 3 0b にはヨハネの神学モティーフは特にみられない。 ( a ) 資料問題 9・ 16b-30 の伝承と編集の分析の結果, ヨハネ 1 ヨハネが資料として受難物語伝承を用 いていることが明らかとなった。それは Bultmann のいうしるし資料とも説話資料とも異 なるものである D ヨハネが用いたこの受難物語伝承の十字架報知は,おそらく下記のような ものであったで、あろう O ①ピラトの判決によって,イエスはローマ兵士たちに引き取られ,むち打ち山、ばらの冠, 紫の衣などの暢弄を受ける。 ②(クレネのシモンが十字架を負う) ) J ; ( J f" 1 J ¥ )を十字架につ ③彼らはゴルゴダの刑場でイエスを十字架につけ,左右に 2人の C けた。 ③イエ;t..の衣服を上着は各自が分け.縫い自のない下着はくじ引きとされ,詩篇2 2・ 1 8の 聖書証明が行われた。 ⑤十字架の土には罪状書が打ちつけられた。 ⑥(イエスに対する暢弄が行われた) ⑦イエスは,詩篇2 9・ 2 1を成就するために,人々がヒソプの茎につけてさし出した海綿に 含ませた酢いぶどう酒を飲み,さけんで、頭をたれその魂を渡した。 ところでこの前ヨハネの十字架報知は, 1の項で述べたように,共観福音書の十字架報知 と多くの点で一致し共通のモティーフによって構成されている O そのため前ヨハネ伝承資料 が,共観福奇書伝承を前提としている可能性を全く否定することはできない。しかしながら そのことはヨハネが実際に共観福音書そのものを読み直接資料として用いたということを意 味しているわけではなし、。ヨハネが共観福音書を知っていたという根拠はないからである D そのため,このような共観福音書の十字架報知との共通性と, しかしなお多い細部にわた っての相違点などから,共観福音書伝承と共通のモティーフ,叙述を持つてはいるが,それ とは別個に展開したイエスの苦難と死についての伝承の存在が考えられる。 それはすでに完全な文書資料であったのか,あるいは Dauer の推定するような“ mun・ d l i c h e und s c h r i f t l i c h e( = s y n o p t i s c h e )T r a d i t i o n " とが相互に混じり合い貫きとおってし、 るようなもので41}, しかもマルコの十字架報知に対するマタイ,ノレカの改訂編集や特殊伝承 を用いて編集した異本の痕跡や影響を認めることができるようなものなのかどうか明確に断 定することは難かし"、。 いずれにせよ,現行の共観福音書の十字架報知との直接の文献学的関連を認めることはで 4 1 )D a u e r :P a s s i o n s g e s c h i c h t e ,S .226. -172- (中山貴子) きない。おそらく 1 9・16b-30は , 知を基礎として, 共観福音書伝承とは別個の前ヨハネ受難物語十字架報 ヨハネが自己の神学的意図に合わせて新しい叙述部分を書き λれ拡大改訂 編集したものであろう。 結 ヨハネ福音書の十字架報知の 1 9・16b-30の資料問題について, 下記のようにまとめる ことヵ:で、きる。 ① 1 9・16b-30 には,共観福音書の十字架報知と多くの共通点を持つてはし、るが,それ とは別に展開した受難物語伝承が基盤にある O ② ヨハネはイエスの十字架の死の神学理解に合わせて,その伝承資料の改訂や拡大を行 い新しい十字架報知を形成した。 ③ ヨハネ自身の形成・編集は 1 7 a ,1 8a以 仰 心 βedOV l J eτ OV ' ] 7 / d OUV ,1 9の-r1 ' d . O ¥ , 2 0 -22 ,2 3 a ,2 4 b c,26-27 ,2 8 a ,3 0 の τ釘 e J . e c r r a eである O ④ 特 に イ エ ス の 十 字 架 上 の 最 後 の 言 葉 CCJの τ釘 e J . e c r r a e は,マルコ 15・34bc( M t27 ・4 6 ),ルカ 2 3・3 4 a ,4 6 と同様に, ヨハネのイエスの十字架の死についての解釈を最もよ く表わしている O その意味において, ヨハネも共観福音書記者と同じ意図を持って編集して L、るといってよ L 。 、 以上の資料問題の結果を踏まえて,次にヨハネ福音書におけるイエスの十字架の死の釈義 的・神学的考察を行いたい。その際,特に重要な問題としては, ある 20-22節の'r1'rJ.o~ をめぐる論争, ヨハネの意図的編集部分で 2 6 ー 2 7節のイエスの母と愛弟子への言葉(イエスの 0節の τ 釘 e J . e c r r a c( イエスの十字架上の言葉 (CJ) などがあげられ 十字架上の言葉 (AJ),3 るO