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守 り 育 て よ う み ん な の 文 化 財
守 り 育 て よ う み ん な の 文 化 財 指定 京料理・会席料理 平 成年 度 府 指 定 ・ 登 録 等 文 化 財 の 紹 介 京 都 府 教 育 委 員 会 は じ め に 京都府教育委員会は、京都府文化財保護条例(昭和 56 年京都府条例第 27 号)に基づき、平 成 25 年3月 19 日付けで下記のように 10 件の文化財を指定・登録しました。京都府指定登録等 の文化財については、文化財の保護を図るために、所有者が行う修理・保存事業に必要な経費の 一部を補助し、必要に応じて保存活用等についての助言等を行っています。この冊子では、冒頭 で京都府が指定等文化財保護のために平成 24 年度に行った事業の一部を紹介するとともに、4 頁からは新たに指定等を行った 10 件の文化財を写真で紹介しています。これまでの刊行物とあ わせて、郷土の歴史や文化を考え、理解を深めるために御活用いただければ幸いです。 平成 25 年 10 月 平成 24 年度 京都府新指定 ・ 登録等文化財一覧 区 分 番号 区 別 名 称 員数 年 代 所在地 所有者 ① 指定 本満寺蓮乗院霊屋 1棟 元和7年(1621) 平成16年移築 上京区 本満寺 ② 指定 隣華院客殿ほか 3棟 文政7年(1824) ほか 右京区 隣華院 指定 麟祥院霊屋 1棟 江戸時代前期 明治30年移築 右京区 麟祥院 ④ 登録 麟祥院本堂ほか 2棟 江戸時代前期 明治30年移築 右京区 麟祥院 ⑤ 指定 恵心院本堂 1棟 延宝4年(1676) 宇治市 恵心院 小計 5件(指定4件、登録1件) 絵 画 指定 報恩寺本堂障壁画 文麟筆 44面 天保7年(1836) 舞鶴市 報恩寺 彫 刻 指定 木造神像 附 神像形 16軀 平安~ 2軀 鎌倉時代 西京区 松尾大社 工芸品 指定 唐衣裳装束 伝東福門院所用 一式 江戸時代前期 左京区 考古資料 指定 人面付土器頭部片(温江遺跡出土) 附 土器 残欠共 石器類 1点 120点 5点 弥生時代 与謝野町 与謝野町 小計 4件(指定4件) 指定 京料理・会席料理 - - 左京区 保持者:髙橋 英一 ③ 建造物 ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ 美 術 工 芸 品 無形文化財 霊鑑寺 (京都国立博物館寄託) 小計 1件(指定1件) 合 計 10件 (指定9件、登録1件) 京都府指定 ・ 登録文化財等の保存修理事業等 平成 24 年度に行った京都府指定・登録文化財等の保存修理事業等の概要を紹介します。 (1) 建造物保存修理事業 継続2件、新規6件(内災害復旧2件)の保存修理事業 を実施しました。妙顕寺は京都市上京区に所在する日蓮宗 大本山です。本堂は文政5年(1822)に建築が開始され、 完成までに 17 年間の歳月を要したことが判明します(平成 10 年府指定) 。瓦葺屋根の破損が進行していたため、平成 21 年度から 24 年度にかけて、屋根葺替・部分修理を実施 しました。 2 妙顕寺本堂(京都市上京区) (2) 建造物防災施設事業 継続2件、新規2件の防災施設事業を実施しました。知恩院は京都 市東山区に所在する浄土宗の総本山です。防災設備の老朽化に伴い、 御廟堂など境内の建物(昭和 62 年府指定)について平成 22 年度から 24 年度にかけて、防災施設事業を実施しました。 知恩院御廟堂・御廟唐門・御廟拝殿 (京都市東山区) (3) 美術工芸品保存修理事業 美術工芸品の保存修理事業は、掛軸・襖絵・仏像・古文書などの文 化財の修理を対象としています。2件の事業が行われました。 龍潭寺は亀岡市薭田野にある寺院で開山である特芳禅傑(1419 ~ 1506)は大徳寺・妙心寺を歴住した人物です。特芳禅傑の師で応仁の 乱後に妙心寺・竜安寺を復興したことで知られる雪江宗深(1408 ~ 1486)の創建した大梅寺が、龍潭寺の前身であるとされます。こうし た由緒から、龍潭寺には雪江宗深・特芳禅傑らに関わる史料がまとま って伝わっており、一括して特芳禅傑関係資料として指定されていま す(平成 14 年府指定) 。 今回修理が行われた雪江宗深像は、座った彼の姿を描いた全身像 で、画面上部には文明5年(1473)に雪江宗深自身が賛文を書いてい ます。賛文は雪江から印可を与えられた特芳の求めに応じて書かれた もので、二人の関係を伝える貴重な遺品です。今回の修理で安定した 保全が可能となりました。 雪江宗深像 (亀岡市龍潭寺) (4) 史跡名勝天然記念物保存修理事業 史跡名勝天然記念物の保存事業には、遺跡などの環境整備、名勝庭 園の池護岸修理、天然記念物の保護増殖など、個々の文化財に対応し た多様な内容が含まれています。八幡市所在の名勝正法寺庭園(平成 元年府指定)では、園池護岸、滝石組の修理を行いました。 正法寺庭園(八幡市) (5) 文化財環境保全地区保存修理事業 新規2件(内災害復旧1件)の保存修理事業を実施しました。多久 神社は京丹後市に所在し、 高台にある覆屋内に本殿(平成 16 年府登録) が鎮座し、背後には湧田山古墳群(昭和 63 年府指定)が広がります。 本殿に至る石段が斜面側に落ち込んでいたため、石段の復旧整備事業 を実施しました。 多久神社文化財環境保全地区 (京丹後市) 3 指定 建造物 ほ ん ま ん じ れ ん じ ょ う い ん た ま や 本満寺蓮乗院霊屋 江戸時代 所有者:本満寺(京都市上京区) 東妻 西妻 全景 内部 ぎょくどうみょういん にっしゅう 本満寺は上京区にある日蓮宗の本山で、寺伝では、応永 17 年(1410)に玉洞妙院日秀上人 こ の え み ち つ ぐ れんじょういん まつだいらひでやす (関白近衛道嗣の子)が創建したのにはじまります。蓮乗院は松平秀康[越前北ノ庄藩(福井藩) 初代藩主]の正室で、蓮乗院霊屋は没後間もなく建立されたと考えられます。 しゃくだにいし ほうきょう 蓮乗院霊屋は越前産笏谷石を用いた石造建築で、内部に元和7年(1621)の陰刻をもつ宝篋 いんとう 印塔を据えます。精巧な彫刻と極彩色で装飾し、小規模ではありますが建築的に整った形式で 造られています。江戸時代前期の石造建築の構造手法や装飾技法を良く伝えており、意匠的に 優秀かつ、学術的価値の高いものとして、貴重です。 4 指定 建造物 り ん か い ん 隣華院 客殿、 庫裏、 表門 江戸時代 所有者:隣華院(京都市右京区) 客殿 表門 庫裏 し ず が た け わきざかやすはる 隣華院は臨済宗妙心寺派に属し、慶長4年(1599) 、賤ヶ岳七本槍の1人である脇坂安治(1554 やすあきら な ん か げ ん こ う ~ 1626)が父安明の菩提を弔うために、南化玄興を開祖として開いた塔頭寺院です。 現在の客殿は文政7年 (1824) に竣工し、妙心寺山内でも最大級の規模を誇り、床、違い棚、 は せ が わ と う は く 付書院、帳台構えをしつらえた豪華な構成をもちます。内部は長谷川等伯(1539 ~ 1610)の か の う え い が く 水墨山水画、狩野永岳(1790 ~ 1867)の金碧画で華麗に飾り、江戸時代後期の注目すべき方 丈建築です。境内にはその他、17 世紀前期の建築である庫裏及び表門が残り、江戸時代の塔頭 寺院の景観をよく残しています。 5 指定・登録 建造物 り ん し ょ う い ん た ま や 麟祥院 霊屋 (指定)、 本堂 (登録)、 庫裏 (登録) 江戸時代 所有者:麟祥院(京都市右京区) 霊屋 麟祥院は臨済宗妙心寺派に属し、三代将軍徳川家光 かすがのつぼね の乳母春 日局を開基として、寛永 11 年(1634)に創 立されました。寺地は始め妙心寺北西、仁和寺近くに 定めましたが、その後妙心寺境内の南東に移り、明治 30 年(1897)現在地に移転しました。 霊屋は方一間の建物で、寛永 20 年(1643)に逝去 した春日局を祀りますが、もとは後水尾天皇の二条 本堂 お ち ん 城行幸時に造営された御 亭の遺構と伝えられます。 かえるまた 蟇股彫刻や透彫り金具等の細部意匠に優れ、内部には き ん す な ご 金 砂子の山水画が描かれるなど質の高い建築であり、 江戸時代前期の建築として貴重です。本堂は六間取り かいほうゆうせつ の方丈平面形式で、内部の襖絵は海 北友雪(1598 ~ 1677)の作です。本堂、庫裏ともに寺地移転に伴い改 造を受けていますが、当初の部材も多く残り、江戸時 代前期に遡るものとして重要です。 6 庫裏 指定 建造物 え し ん い ん 恵心院本堂 江戸時代 所有者:恵心院(宇治市) 本堂 内部 須弥壇室側 内部 護摩壇室側 恵心院は平等院と宇治川を隔てた対岸に位置します。真言宗智山派の寺院で、寺伝では弘仁 年間(810 ~ 824)空海の創建と伝えらます。近世には、春日局が竹千代(徳川家光)の安全 祈願をするなど、祈祷を中心に興隆しました。本堂は桁行4間、梁行3間の身舎背面に庇を付 けた建物で、棟札より延宝4年(1676)に萬福寺の造営に携わった大工が棟梁となり建立され たことが判明します。建物は桁行3間の須弥壇室と桁行1間の護摩壇室を一つ屋根で納め、須 弥壇室側に向拝を設けた、左右非対称の平面となります。祈祷を重視する当院の性格を反映さ せた他に余り例を見ない建物であり、歴史的・学術的価値の高いものとして、貴重です。 7 指定 美術工芸品 絵画 ほ う お ん じ ほ ん ど う し ょ う へ き が ぶ ん り ん 報恩寺本堂障壁画 文麟筆 44面 江戸時代 所有者:報恩寺(舞鶴市) 虎図 落款印章 舞鶴市東部の報恩寺の本堂6室に残され た 44 面の襖絵です。落款印章から作者は 文 麟 と わ か り、 こ れ は 塩 川 文 麟(1808 - 1877)を指すと考えられます。文麟は幕末 の京都を代表する絵師で、京都の絵画史上 重要な役割を果たしました。丹後滞在中に 描かれた本作は初期の代表作と言え、優れ た画技を示しています。龍・虎・鶴・山水・ 群仙と画題は多岐にわたり、本堂全体を構 成する障壁画が完備している点も貴重です。 丹後地域に優れた障壁画が多く伝えられる 中でも、本作は特に優品として評価される 虎図 8 ものです。 龍図 鶴図 山水図 群仙図 9 指定 美術工芸品 彫刻 も く ぞ う し ん ぞ う 木造神像 16 軀 女神坐像 7軀 内一軀の像底に康治二年二月十一日、願主頼親、請造幷開眼延尊、 木造睿与、静仁等の銘がある 男神像 7軀 僧形神像 2軀 附 神像形 2軀 平安~鎌倉時代 所有者:松尾大社(京都市西京区) 写真:松尾大社提供 10 女神坐像 その二 男神像 その六 女神坐像 その三 女神坐像 その三 像底 女神坐像 その一 女神坐像 その四 女神坐像 その五 女神坐像 その六 女神坐像 その七 男神像 その一 男神像 その二 男神像 その三 男神像 その四 男神像 その五 神像形 その一 神像形 その二 男神像 その七 僧形神像 その一 僧形神像 その二 つくよみしゃ 松尾大社の摂社・末社に安置されていた木彫神像群です。特に月読社に伝わった女神坐像(そ の二)は平安時代後期を代表する神像の優品と評価されます。笑った表情の男神像など、他に 例の少ない特徴を備える像も含まれています。また、平安時代の神像で銘文を持つものは非常 に稀ですが、その中でも最古例に属する康治2年(1143)の銘文を持つものが含まれる点は特 筆されます。平安時代に遡る優れた神像群がまとまって伝わった点は貴重であり、全体として 価値が高いものです。 11 指定 美術工芸品 工芸品 か ら ぎ ぬ も し ょ う ぞ く で ん と う ふ く も ん い ん し ょ よ う 唐衣裳装束 伝東福門院所要 一式 江戸時代 所有者:霊鑑寺(京都市左京区、京都国立博物館寄託) 写真:京都国立博物館提供 懸帯 唐衣 表着 裳 12 下裳 打衣 五衣 単 長袴 その一 長袴 その二 ひらびたい 几帳 さ い し かもじ 平額 釵子 檜扇(表裏) じゅうにひとえ 髢 じゅだい いわゆる十二単で、徳川秀忠の娘で後水尾天皇に入内した東福門院(徳川和子、1607 - 78) からぎぬ う わ ぎ も かけおび し た も うちぎぬ いつつぎぬ ひとえ ながばかま の所用品と伝えられています。唐衣・表着・裳・懸帯・下裳・打衣・五衣・単・長袴などに加 ひおうぎ か み あ げ ぐ えて几帳や檜扇・髪上具などが揃っており、華美な姿を伝える優品です。後に廃止された懸帯・ こうけちのも 下裳(纐纈裳)を伴うなど、後水尾天皇を中心に進められた故実研究の動向を示しています。 江戸時代前期の染織品の高度な技術を伝えており、資料的価値は高く評価されます。何より、 からぎぬもしょうぞく 揃いで伝わった唐衣裳装束では最古のものであり、極めて貴重です。 13 指定 美術工芸品 考古資料 じ ん め ん つ き ど き 人面付土器 と う ぶ へ ん あ つ え 頭部片 (温江遺跡出土) 1点 附 土器 残欠共 120 点 石器類 5 点 弥生時代 所有者:与謝野町 人面付土器 頭部片 弥生土器(附の一部) 背面 出土状況 人面付土器頭部片は、与謝郡与謝野町温江遺跡の弥生時代前期集落の環濠から多量の弥生土 器とともに出土しました。残存高 8.5cm、顔長 9.2cm、顔幅 5.6cm、奥行 7.1cm で、首から下を 欠損し、器形は不明ですが壺型土器の口頸部や蓋に付けられていたと思われます。人頭部を写 と さ か 実的かつ立体的に表現し、とくに頭頂部から後頭部にかけて作り出した鶏冠状突起が特徴的で、 部分的に赤色の顔料が残っています。 西日本における弥生時代前期の人面付土器の出土例は 10 例未満と少なく、信仰・習俗など 弥生時代の文化を理解する上で、きわめて貴重な京都府を代表する考古資料です。 14 指定 無形文化財(無形の文化的所産に係る技能) 京料理 ・ 会席料理 たかはし えいいち 保持者:髙橋 英一 住所:京都市左京区 髙橋 英一氏 京料理 しつらえのようす 調理のようす 京料理は、京都の歴史上形成された日本料理の五体系(大饗料理、本膳料理、精進料理、懐 だ し 石料理、お番菜)を総合した出汁を基本とする調理法によって創作される料理と、それを盛り つけ、配膳し、しつらえの中でもてなす料理文化です。中でも会席料理は本膳料理、精進料理、 懐石料理を総合した高い技能が必要とされ、料理屋を中心に普及展開してきました。 髙橋英一氏は、昭和 14 年(1939)京都市に生まれ、東京や大阪の日本料理店で修行後、昭 和 42 年瓢亭 14 代当主となられました。京料理全般に高い見識と調理技術に秀で、伝統的な京 野菜の復活と振興に尽力するなど大きな足跡を残しておられます。また、茶道の知識を背景に、 自らが創り出す設えの空間ともてなしの料理は、伝統を基盤に創意に富み、その技能は他の追 随を許さないと評価されています。現在は全国の料理学校や講習会の講師を勤めるなど、後進 の育成と京料理の発展に力を注いでおられます。 15 京都府指定・登録等文化財市町村別件数一覧 平成25年4月1日現在 有形文化財 無 形 文 化 財 美術工芸品 種 別 建 造 物 工 芸 品 彫 刻 絵 画 書 跡 典 籍 歴 史 資 料 考 古 資 料 古 文 書 小 計 記念物 民俗文化財 有 形 史 跡 無 形 指 定 登 録 小 計 天 然 記 念 物 名 勝 市町村 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 指 登 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 定 録 京都市 向日市 長岡京市 大山崎町 宇治市 城陽市 京田辺市 木津川市 笠置町 和束町 精華町 南山城村 亀岡市 南丹市 京丹波町 綾部市 福知山市 舞鶴市 宮津市 京丹後市 与謝野町 宇治田原町 伊根町 井手町 八幡市 久御山町 合 計 平成25年10月発行 重要文化財及び府指定文化財等に指定又は文化財の焼失等により府の指定・登録が解除、取消となった件数は除く。 文化財保護 No.31 選 定 選 定 決 定 合 計 文 化 的 景 観 選 定 保 存 技 術 地域定めず 文 保 化 全 財 地 環 区 境 守り育てようみんなの文化財 発 行 京都府教育委員会 京都市上京区下立売通新町西入ル藪ノ内町 編 集 京都府教育庁指導部文化財保護課 TEL(075)414-5901