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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
5章 地域美術の創造と大学(地域創造と大学)
Author(s)
井川, 惺亮
Citation
地域創造と大学 (長崎大学公開講座叢書 11) p.63-77
Issue Date
1999-03-01
URL
http://hdl.handle.net/10069/6416
Right
This document is downloaded at: 2017-03-30T14:52:44Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
5章 地域美術の創造 と大学
井川
1節
憧亮
は じめの創造 は長崎 から
1 地域創造 と大学のイメー ジ
"地域創 造 と大学" とい うタイ トル を見れ ば、私 は ミケ ラ ンジェロや ラフ ァ
エ ロの作 品等の 『
天地創造』 (
註 1)や 『アテネの学堂』 (
註 2) を思 い出 し、
それ らは、神懸か り的で哲学的 な言葉の響 きの ように も聞 こえた りす る。
ルネ ッサ ンスの頃には、神 の存 在や美のキ ヤノ ンがあ った し、女神 もいた。
4世紀経 った現在、私 たち 日常 において、神 の存在 やルネ ッサ ンス的 な芸術創
造 はさてお き、 ちっぽけな地球や宇宙 と言 えるほ ど私 たちは視野が拡大 した よ
うで、そ ういった、い とも簡単 な認識 と錯覚の上 に立つ までに至 って しまった。
それ と裏腹か どうか、科学の発達 に よって、人類 の滅亡 を陥れ るほ どの不安 と
恐怖 と制約か ら私たちは最早逃れ るこ とも出来 な くなった。
改 めて ここ長崎 にいて思 う。 長崎 は地理的 に、 また、歴 史的 に見て、大陸か
らの、そ して、西洋の文化がいち早 く入 り交 じり、一方で はキ リシタン迫害や
被爆等の受難の地で もあった。 また、 これは史実か どうか知 らないが、出島の
あ る喫茶店で コー ヒーを飲 んだ折 りにそ この トイ レに立 った。 "ガ リバ ー、長
崎 に上陸"の落書 きに出会 った。 そ うだったのか、何 とも言 えぬ ロマ ンテ ィッ
クな長崎 を夢見 なが ら想像 した。
この ような長崎 とい う場所 において こそ、我 々大学人に とって、 また、芸術
を携 わる者 にとって、 もの ごとを創造す る上 で格好 のモチー フ とな り得、テー
マ ともな り得 るのだ。
本文 は私の これ までの美術活動 を通 して、地域へ の創造や大学が果 たすべ き
役割 の活動 を述べ ることに しよう。 ここで大切 なこ とはいつ も学生達 と共 にあ
る ことだ。彼 らの感性 を知 り、学 びなが ら地域 の方 々 とも一緒 にな り、芸術 の
創造 に向かって、一種 の コラボ レー シ ョン的で、 また、 ボ ラ ンテ ィア的な美術
が …
新 なる創造…への提言 となる ように、私 は 日々努力 を重ねている。
-6
3-
2 創造 と想像の間
創造 と同 じ響 きに想像 という語がある。 この二つが私 にはごっちゃになって
いる時がある。私は絵 を制作す る時、キャンバス上にある色 を着けたのにそれ
が気 に食わないので消 してみた り、ある時 には消すのをため らい、画面上 をう
ろうろ しなが ら、 しば らく己の感性 に赴 くままに浮揚 した りしていたが、ある
ときか ら絶対 に消す とい うような行為 をせず、む しろ禁欲 なまで失敗 を生かす
ように筆 を進めて来た。 この ような身に、「
そ うぞ う」 と開けば、 この二つ を
同時に一緒に して しまい、そり両者の問に浮遊 しているような状態だ。恐 らく、
これは何れ も無い ものか らス ター トし、それを組み立てる作業が似 ているか ら
であろう。 そ して、何 よ りも心の閃め きとして想像力が豊かでない といい創造
は生 まれない。特 に、芸術 に携 わる者 はこの想像力 を自由に操 り、オリジナル
なもの を創造する使命がある。
前述の天地創造は芸術作品によって生 まれたが、地域創造 も芸術 的な力 とセ
ンスを最低限必要 とされ よう。そ して、大学は、何 よりも大学人 として創造す
ることの意義 と幅広い寛容な精神 と柔軟 な感受性 を持 ち合わせ ることが前提で
あるということは言 うまで もない。
2節 美術がボランティアなの ?
1 美術 は無料的有益
美術 の活動 を見 るとき、音楽や演劇等 と比較すればわか りやすいので具体的
な例 を挙げてみ よう。
一般的に音楽会 は入場料 を支払って鑑賞 をする。美術で も美術館やお寺 に入
るとき入場券 を買 うけれ ども、音楽会ほ ど高額でな く、時間に縛 られることも
な く、好 きな ときに来て好 きなように自由に楽 しむことがで きる。
もう少 し、私の立場か ら話 してみ よう。 私が美術作品を発表するとき、期間
はいつ も 1- 2週間程度で、入場料 な ど発想がな く、無料であることが 自然の
成 り行 きであった。 しか も、作 品発表は前 よりも更に新 しい創作 に挑戦 となる
か ら、 よ り実験的な作品を手掛 けることとな り、ある時は貧 しくて壊れやすい
素材 を使 った りして しまう。従 って、作品を商品的な価値 として評価 しない し、
-6
4-
5章
地域美術の創造 と大学
また、扱 って くれない。それに、作品の販売 は皆無だ。 日本の多 くの現代美術
作家 も私 とほとん ど似 た り寄 った りでなかろ うか。それ こそ彼 らは純痔 に作 品
発表のための作品発表 をしている その上、作品発表の会場 として貸 しギ ャラ
。
リーの予約 を 1- 2年前 よ り行わない と発表がで きないのが実情である。
他方、美術館等が作家の企画展 をすれば、入場料 なる ものが付 き、 また、 カ
タログやパ ンフレッ トを発行 した りす るが、その作家 に直接、お金が入る訳で
はない。 また、あるギ ャラリーでは作 品の販売 を 目的 とした ところ もあるが、
入場料 までは取 らないケースが多い。
こうしてみる と、現代美術作家 は自らが作 品発表 を行 うときは、実 に非営利
的であ り、ひたす ら鑑賞者へのサービスを行 っている。 つ まり、芸術的感動表
現 を通 してその作家の感性的な喜 びを鑑賞す る人達 に分かち合 える場所や空間
を無料で提供 しているのだ。少な くとも私たちの ような発表者 にとっては、美
術 を媒体 としたボランテ ィア活動であるとも言えよう
。
2 美術 による徹底的なボランテ ィア
本学での公開講座 "
被爆5
0年 を考える現代美術"を開催 した。この企画では、
被爆長崎 における平和美術展の意義 とヤ ン ・フー ト氏 という ドクメンタ(
註 3)
で世界的 な話題 となった著名者 の講演会 とい う好 カー ドの組 み合 わせ によっ
て、大 きな成果 を得 たのである。 ここで忘れてならない ことは、私の研究室の
学生達の支援 と地域 のボランティアとして手伝 って くださった方々の献身 さが
あったことである 私 はこれは美術 な らではの出来事だか らこそ可能であった
。
と確信 している
。
私の研究室では例年のように 8月 9 日が来 ると平和展 を企画 して きたが、 こ
の時は被爆5
0年 とい う節 目であることか ら、 これを全国規模の展覧会 として本
講座 とタイア ップさせ、全 国か ら集 まって来た1
50名の作 家たちの作 品を長崎
市内の 8カ所の公的な場所 (
註 4) に並べ ようとい うものであった。
もとも
と、事の始 ま りは私の研究室の学生 を中心 とした作 品展 を行 う心算だった。け
れ ども準備期間中、平和が テーマであるだけに予想 もしない話が舞い込んで、
企画 に思わぬ副産物がいろいろと出て来て、それ らを平和 的にクリアすること
が徹底的に要求 された。
-
6 5
-
例 えば、ヤ ン ・フー ト氏 はNHK長崎支局か ら直接的に私への紹介であった
が、 ツタリュウム美術館 とも絡んでいたため複雑 さを増 して しまった。 りタリ
ュウム美術館か ら本展が成功 した暁には、私たち研究室のス タッフの展覧会 を
配慮す る旨の話が入 ったが、私 はいつ も初心 に戻 るように努め、学生達の純粋
な意見や行動 に従 った。つ ま り、被爆5
0年のために作品展 を企画 したのであっ
て、私たちが平和の名の基 に利益 を得 るようなことは絶対 に避けるように した
ことである。
そ こで、一層のこと私の研究室のス タッフは、今回はこの平和展 に出品す る
ことさえも差 し控 え、事務局 としての作業 にひたす ら専念 した。作 品発表会場
を確保 した り、全国か ら集 まって きた作品を預か り、 また、作家の人達 を会場
に案内 して作 品設営 を手伝 った り、そ して、お客 さんを展示場 にまで案内 した
り、時に作品の解説 をした り、質問に答えた りしてボランテ ィアひと筋 に徹 し
たのである
。
ヤ ン ・フー ト氏 は被爆 5
0年 を念頭 において来 日し、被爆地長崎に深い関心 を
持 って原爆落下中心地 までやって来た。 また、現地制作 としてその打 ち合 わせ
で同行 したヴイ ト ・アコンチ氏 もこの中心地の風景 をモチーフにカメラの シャ
ッター をしきりに押 していた (
写真⑰)0
最後 に本企画展の記録 として カタログを作成 した (
註 5)が、事務局ではヤ
ン ・フー ト氏 に平和の コメ ン トを一筆 していただ きたい と、
何度 も催促 したが、
結果的には秘書 を通 しての返事で終って しまった。 また、世界的な現代美術の
アーテ ィス トと言われるヴイ ト ・アコンチ氏は小 さな ドローイングを FAXで
送信 して きたのみで、現地での制作 は作者の都合で断念 して しまった0
しか しなが ら、偉大 な人物か らのメ ッセージや作品 も必要であるが、今回の
場合 は、平和への熱意 をもって全国か ら手弁当で、はるばる長崎にやって来 ら
れた1
50人が参加 されたことで感動 させ られた。彼 らこそ真心で被爆 50年祈念
として長崎平和の 日への思いを、作品発表 を通 してそれぞれに主張 してお られ
たので、本当に感謝の念で一杯 となった。 このことはまさしく、美術 を媒体 と
して地域 に しかで きない平和へ のボランテ ィア活動 に他 な らない。 (
写真⑬ ∼
㊨) (
註 6)
ー6
6-
5章
地域美術 の創造 と大学
3節 駅舎美術館創設
8
0
年代終わ りころ、市民団体が長崎市 に美術館 をとその建設運動 に乗 り出 し
た。発想 としてはとて も大切 なことと思 われる。 そ りゃ、美術家にとればいい
器があることに越 したことはない。七不思議 と言えるほ ど、9
0年 も終 わろ うと
しているのに市内には美術館がない。それが どうしてそ うなったのかの理由が
わか り過 ぎ、却 って、返答 しようにも出来ない もどか しさを覚 える 長崎 と言
。
えば、かつて文化の発祥の地 として栄 えたのに、いつ しか文化の薫 りも失せて
いって久 しい。 ところが、 このことへの言及がなされてないのだ。そ こで私 は
作品発表 を通 して学生達 とともにそれ を試み ることに した。
90年の夏に折 しも、長崎県は旅 をテーマ一に `
`
旅"博覧会 (
以降旅博 とい う)
を開催す ることとなった。早速、私の研究室では、先の美術館建設運動 とこの
M̀usee-JR'
'(ミューゼ ・ジェアール と読む) と称 し
旅博 とを絡めて、`
て美術展 を企画 した。 ∫Rに着 目したのは、終着駅の長崎 と旅立ちと昇降 して
行 き交 う人々、そ して、特急 を利用 しない長与経由のローカル線 としての大村
湾沿いの各駅停車の駅舎 (
全体の 1/ 3が無人駅)をイメージしたか らである。
これ らの 9つの駅舎 を美術館 (ミューゼ) に仕立てて学生、 OB達 と作品発表
したのである。 しか も、 8月 9日平和の 日に因み実施 した。
各駅では、 まず、駅舎内やプラッ トホームや トイ レの掃 除か ら始める。作 品
設営 は駅舎内の壁面 に飾 るが、プラッ トホームの壁や掲示板 に も取 り付 けた。
8月 1日に長崎駅か らス ター トし、 1駅毎 に駅舎 に個展形式 を とり、そ して、
プラッ トホームの壁や フラワーポ ッ トに井川が ダイレク トに着彩 をし、次の駅
に 1日ずつ移動 して行 き、 8月 9日の喜 々津駅 まで行 った (
註 7)。
参加 した学生達に とれば、 これ らの企画の体験 を して、美術教育の実習その
もの と言い、前述 した ようにボランテ ィア的な要素 も充分 に含 んでお り、環境
の美化 に も貢献 した。何 よ りも駅舎の施設 を利用 して、建築美の再発見 (
道の
尾駅、本川内駅等)や大村湾 を見渡せ る等の どかな風景 との出会い等 によって、
取 り立てて美術館でな くとも、充分 に市民の感性 に訴える ものがあった と思 う。
以上の ように既存の公共的な建物や歴史的な建造物の活用 によって、長崎の文
化活性化 は充分機能 し得 る と思われる。一方では県への奉仕作業で もある
。
-
67
-
こ
うした文化的な体験 を積み重ねることが今の若者達にとって大切ではなかろう
か。
私は出来るだけ品や手法を変えなが ら学生達 と話 し合いなが ら歩んでいる。
註 8)
(
写真⑦∼⑯) (
4節 地域創造の最大の例
五島列島福江島三井楽町の自良が浜での 『
防波堤壁画制作』が、1
,
0
0
0メー
トルの長 さとい うスケールの点か ら・
して も、 また、3
,
0
0
0人以上集 まって来た
人々にして も、私の行ったこれ までの最大の記録 となっている。 この壁画制作
については何度か文章化 している (
註 9)ので、 ここではこれまで と違った側
面か らコメン トしてみよう
。
三井楽町は、今でこそジェッ トホイルで早 くなったが、当時は長崎港か らフ
ェリーではるばるといった感 じで、その島の港か ら更に、 1日何便かのバスで
ゆっ くり揺 られて といった ところにある
。
この企画は地元 に住んでいる青年
(
20代後半)たちが一丸 とな り、協力 しあって発案 したことである。 そ して、
私の研究室の学生達たちもこの企画に参加 し、私のコンセプ トにいろいろと意
見 を出 して くれ、私はそれを大いに参考に した。
,
0
0
0メ丁 トル壁画 を
当初、私の頭 には、アーテ ィス トとして私一人が この1
描 くのだとばか り思い込んでいた。・
それが `
・
'
町お こし'
'
の一環であることを知
った時、抵抗があった。第一、芸術は "
村おこし'
'や "
町お こし'
'の レベルで
はない し、それに利用 されて しまうのはどうか という疑問もあ り、 また、私の
プライ ドとしても多少、許 しがたい思いもあったことは確かであった0
地元の青年達たちか らイベ ン トを実施 したいが、何か、いいアイディアがな
いか と相談 を受けた。彼 らは今流行の歌手 を呼んで、 この美 しい浜辺で憩いの
場や時 を楽 しもうと考えていたが、 これでは一過性の ものであ り過 ぎるので、
もう少 し自分たちの手で何か形 を残せ るイベ ン トをしてみたいと言 う 私は彼
。
らが情報資料 として持っていた、私が まるごと着彩 した 『
長与町J
T
i-ロン資料
館』の写真 (
註 lo) を広げなが ら、彼 らに美術の役割 としての壁画制作の意義
を説明 した。で も、芸術 に余 り関心のない彼 らを説得す るほ ど私の話はうまく
いかない。そこで、何か 目立ちたいことしたい意気込み と情熱をもっている彼
-6
8-
5章
地域美術 の創造 と大学
らに、 もし、誰かが少 しで も三井楽町以外の隣の防波堤 にち ょこっと壁画 を措
けば、次 にす る人は二番煎 となって しまうことを伝 えると、やっと、私の話 に
乗 って くれた。
こうして何度か打 ち合わせ をしているうちに、 このイベ ン トに集 まって来た
人全員で防波堤 を着彩 して もらい、 しか も、たった 1日で仕上げるとい う彼 ら
の案で話が弾 んでいた。彼 らの着想が一歩先 ん じていた ことに私は脱帽 した。
それはこれまでの社会的な体験 としての 『
長与町ペーロ ン資料館 』 の仕事 によ
って、 これまでの私の美術 のあ りようか ら何 か変化 しつつある状況であ り、 ま
た、私が一人で この防波堤壁画制作す るには体力的に見て大変であ り、その打
開策 を見 出せず にいたこと、続 いて、彼 らが地元住民の3
,
0
0
0人以上 をイベ ン
ト当 日集めて見せ るとい う意気込みに庄倒 されたことな どか ら、私はため らわ
ず、彼 らの意見 にすんな りと従 うことに したのである。 (
写真(
∋∼(
む)
前述 したように、当時は "
村お こし'
'とい う言葉 に抵抗があったが、あれか
ら1
0年が過 ぎたが、その ような抵抗感 は不思議 なものです っか りな くなって し
まった。 これまでの芸術家はあま りにも個人プレイを発揮 し過 ぎていたのでは
ないか。その反省が出て きた。個性だけの追求の時代が去 り、改めてその意味
を問い直 し、新 たな意義 を兄い出そ うとしている。 その一つ として美術が もっ
と社会性 との関わ りを持 ちなが ら、 日常の中にその必然的なもの として、 もっ
ともっと美術の存在 をアピールせねばな らない時に来ている。 (
註1
1
)
5節 美術 による国際交流
私が所属す る本学教育学部美術講座 は、1
0年あま り前か ら韓国の慶北大学校
と 2年 に 1回お互いが行 き来 して交流 し、その間、国際学術交流協定 を締結 し
て、今夏で第 7回交流の機会 をもった。内容は作品展 を中心 にシンポジュウム、
セ ミナー、 ワー クシ ョップ、パ フォーマ ンス等の催 しものを行い、学生間では
好評である。 ところが、ス タッフの方 は自己研究で精一杯 であるとか、相手校
が芸大であるため、教員養成 と掛 け離れて、人数的にもア ンバ ランスであると
か、研究費 も出 した くない とか、いろいろな意見があ り、総 じて交流展 を しば
らく休 む意向が濃厚である そこで、 この消 えかかった状況で私個人研究室だ
。
-
6 9
-
けやも持続 させて欲 しい旨を伝 え、その了泉 を得ている。
もう一方、同 じく韓国の昌原大学校 との交流は、最初か ら私個人研究室単位
写真⑳∼⑳)、今秋、1
1月に長崎で第 3回展 を開催する
でこれ まで 2回行い (
運びで、大学院生やゼ ミ生が、現在そのプラン作成で走 り回っている。
国際交流 とか異文化理解等 を教壇の前で述べ るよりも、学生達が同世代意識
として 自ら交流 を深め、国際親善の意義を確かめ合っているし、何 よりも作品
を通 して自己表現 を語 り合っている。その点、美術 はその媒体 としてすごく自
然にスムーズに展開 し易い要素 を持 っている。そ しで、展覧会開催中、地域の
方々が多 く鑑賞に来 られ、いろいろな方 と接するめでマナー も身につけ成長 し
ている姿は頼 もしく思 う。特 に、長崎はアジアの中にあるという実感を持つ町
であるか らこそ、学生達 と共に美術の力で大いに国際交流を大切に育んでいき
たい。 (
註12)
6節 提言を結びに換えて
これまで見て来たように、地域創造は場所その ものに深 く関わってお り (
写
真⑳)、あたか も美術作品を創作するの と似ている。真 っ白いキャンバスに絵
の具がのるとき、美の空間の概念が生 まれる。 これを感 じるのは何 もプロの芸
術家たちだけではないのだ。普通の人が夕月 を見て美 しいと感動する感性で充
分に創作 に直結 し得 ることを知って欲 しい。従って地域創造はだれで もが参加
で きるものである。
最後に大学人 として我が大学の場所性の見直 しの必要性に迫 られている。学
内に環境豊かな空間 (
写真⑳) と文化的な施硬等の提案である。最 も急がれる
のが国立の大学 として博物館 ない しはギャラリーの設立であるが、現実にはそ
の存在がない ことを誠に恥か しく思う (
註1
3
)
。国際性や歴史性あふれる長崎
の地であるか らこそ、こうした施設の重要性が問われるのだ。 これ ら博物館や
ギャラリーは情報提供の場 とな り得て、市民にも解放 し、同時に幅広い企画力
を大学人が発揮 して行 くことにある。
当然のことなが ら、大学 とは学生 自らが 自主的に学問を学ぶ ところである。
従って、いい教材 を学際的な立場か らで も、全学的な教育か らで も、あるいは二
一7
0-
5章
地域美術の創造 と大学
国際交流 の立場か らで も、この博物館 な りギ ャラリーに どん どん提供や提示 し、
幅広 い学 問を総合的 に学 び合 うコ ミュニケー シ ョンの場所 として、今の大学や
社会 に とって必要 なことだ と思 う 一方、教員は学生が主役 になるようにその
。
環境や場 を作 った り、与 えた りして、支援や応援 を惜 しまない ことだ。何 れに
せ よ、地域創造 は、 とりわけ美術 の活動の役割が大 きな もの となっていること
であ り、 同時に、大学人の創造す る心 と、 また、地域性 と国際化への実践 と展
望 を絶 えず見据 えることが私たち大学人にかかっている といって も過言で はな
い。 (
写真⑳ ∼⑳)
是非 とも、私 たち大学の皆 さんの力で博物館 かギ ャラリーの設立 をお願い し、
未来の地域 の文化 と大学の夢 を育 て ようではあ りませんか。
註
ASTJ
UGEMENTe
t
c;バチ カ ン宮殿 シス
(
註 1)代表名称 として THEL
テ ィーナの礼拝堂 フレス コ 1
5
3
3
-1
5
41
年
(
註 2)TI
i
ES
CHOOLOFATHENS;バチ カ ン宮殿 著名 の間 フレス コ
1
5
0
9-1
0年
(
註 3)Do
c
u
me
nt
a;ドイツの カッセルで第 1回展が 開かれたが、
'
9
2
年 9回
で は総合 デ ィレク ター としてベ ルギー人のヤ ン ・フー トがつ とめ
1
8
8名のアーテ ィス トの作 品が展示 され最大規模 の国際展 とな り話
題 を呼んだ。
(
註 4)長崎大学構 内 (
中部講堂エ ン トラ ンス、教 育学部新館、校庭 等)、
県立体育館 ア リーナ (
館 内、 ロビー、 中庭)、爆心 地公 園、 出島石
倉 (
倉庫 内、庭)、南 山手町並 み保存 セ ンター、長崎県立美術博物
館、NHKロビー、長崎新 聞社 ロビー
0
年周年祈念 フェステ ィバ ル なが さき ・水 の波紋 '
9
5(出品者
(
註 5)被爆 5
全員の作 品発表記録集)
(
註 6)長崎新 聞 H7年 6月 4日付 `
`
8月 に水 の波紋展 現代美術作家が公
開制作 ナガサキの心 一作 品募集"、 H7年 6月 7日付 "8月に水 の
4日付 "作家 らが
波紋展 芸術 を通 し平和 を訴 えたい"、 H7年 7月1
現地下見 「なが さき ・水の波紋 '
9
5
」展 公募 には1
5
0
点'
'
、 H7年 7月
-
7 1
-
2
5日付 `
`
なが さき ・水の波紋展 ボランテ ィアを募集 作 品管理や見
学者案内"
、 H7年 7月3
0日付 -"「水の波紋」展 1日に開幕 長崎か ら
世界-平和の願い発信 多彩 な公募作 品国内外の招待作家 も"、 H7
年 7月3
1日付 `
`
▲
被爆 5
0
年 ・平和祈念 アー トフェステ ィバ ル∴なが さ
9
5入場無料 "、・
H7年 8月 5日付 `
`
爆心地周辺で美
き,・水 の波紋 '
L
術展「なが さき ・水の波紋 '
9
5
」8会場 に1
6
0
点"
、毎 日新聞 H7年 8
月 4日付 `
`
美術 なが さき ・水 の波紋 '
9
5
展 静かに訴 える作 品群"、
0日付 `
`
水 の波紋展か ら"(
∋∼⑥、読売
長崎新 聞 H7年 8月 3-1
新 聞f
I7年 8月1
7日付 "被爆5
0
年の美術 若い世代 に可能性"
、長崎
2
-2
4日付 "現代美術 の波紋"<上><中><下>、朝
新聞 H7年 8月2
2月2
2日付 `
`
「
個」
「
世界」の現在探 る試み多彩'
'美術 ア
日新聞 H7年 1
ー トコーデ ィネーター安部文範
(
註 7)長崎駅 (
出品者全員) 8/ 1、浦上駅 (
重野裕美) 8/2、西浦上
井川) 8/4、長与駅 (
波多野
駅 (
増田和剛) 8/3、道の尾駅 (
慎二) 8/ 5∴本川内駅 (
松野英恵) 8/ 6、大草駅 (
白浜清司)
8/ 7、東 園駅 (吉 岡由紀子) 8/ 8、喜 々津 駅 (西 蔭佐千子)
8/9'
9
0
、何 れ もJ
R駅 (8月一杯 開催)
ヽ
.
ヽ
∼
㌔
(
註 8)西 日本新聞 H2年 7月1
0日付社説 "
芸術が まちをどう変 えるが '
(
註 9)地域理解の視点 (
地域教育研究叢書 Ⅰ) の `
`
地域 と絵画"等
o
)BT'
8
6
年 7月号 第5
6
4
号 井川悼亮が描いた「
ペーロン資料館」
(
註l
(
註
1
1
)J
a
b
a
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Ti
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s15
'
8
8Fuk
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spu
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,長崎新聞 S6
3
年 5月 7日付
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0
0
me
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e
rc
o
a
s
t
a
lmu
r
a
"
み ごと世界最長、全長千 メー トルの壁画が完成'
1
、西 日本新聞 S6
3
年 5月 7日付 "
離 島燃 ゆ 壮大 な夢 を実現、防波堤 に 1キロ壁画、
町や企業 も全面協力"、・
朝 日新聞 S6
3
年 5月 7日付 `
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人が壁画
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年5
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、朝 日新聞 S6
4
の長城 に挑戦"、アサ ヒグラフ 1
年1
、
月 6日付 `
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山水 鳥話 7.
ダ ラ ク紀 行 (1) 東 野 芳 明、 日経
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畠 7/2オブジェクティブ ・アー ト "みい
らく海岸パ ラペ ッ「ト壁画"、長崎新 聞 S6
3
年 6月1
7日付 "まちの美
化 と美術 色 と色 とが人々を結びつけ たY
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-
72-
5章
地域美術の創造 と大学
(
註 1
2)協定校の慶北大学校 との交流展 について
第 1回 (
'
88)韓国大部東亜美術館、第 2回 (
'
88)長崎新 聞社 ギ ャ
ラリー等、第 3回韓国大部東亜美術館、第 4回長崎県立美術博
物館、第 5回韓国大部文化会館、第6回長崎新 聞社 ギ ャラリー、
長崎大学中部講堂エ ン トランス、第7回韓 国大部文化会鰭
報道 :第 1回展で は、長崎新 聞 S63年 1月2
3日付 "
相互 に美術
展覧会、長大 と韓 国の慶北大 '
'
、朝 日新 聞 S63年 1月2
4日付
"
美術 で 日韓交流 "、長崎新 聞 S63年 3月 2日付 "
長崎大学美
術科 ・慶北大学校美術科"、朝 日新 聞 S6
3年 3月 5日付 "韓国
で美術交流、展 覧会や シンポ開催 "、第 2回展 では、長崎新 聞
S6
3年 6月 6日付 "日韓美術交流 7月 1日∼ 7日 長崎市 長崎
大 一慶北大が初の試み 「
海 を越 え文化慶北大が初韓 国で交流」、
3年 7月 1日付 `
`
長大 と韓国 ・慶北大学校 の交流美
毎 日新 聞 S6
術展 '
'
、長崎新聞 S6
3年 7月 2日付 "日韓展特集" (ここでは、
報道 に関 して国際交流の出発時点 とい う意味で第 1回韓国大邸
市 と第 2回長崎市で行 われた もの を各 々記 した。以降略)、尚、
カタログ、ポス ター :毎回発行
昌原大学校 との交流展 について
第 1回 (
'
95)長崎新 聞社 ギ ャラリー、第 2回 (
'
97)昌原大学校芸
術大学ギ ャラリー、第 3回 (
'
98)KTNギ ャラリー、ブ リックホ
ール 2Fギ ャラリー
2月 8日付 "日韓 の美術生
報道:
第一回展 では、長崎新 聞 H 7年1
交流、長崎大 ・昌原大/初めての合 同制作展'
'
、第 2回展 で は、
毎 日新聞 H 9年 5月1
5日付 "日一韓 国際交流展 2
0-2
4日 韓
国で、長大 ・昌原大の美術教師 と教 え子 たち/出品に意欲"、ポ
スター :毎回発行
(
註 1
3)本学国際学術協定締結校である韓 国国立慶北大学校、 また、私の研
究室単位で交流 している韓 国国立昌原大学校等 にもあ り、殊 に歴史
的な文化遺産 を中心 にコレクシ ョンし、その常設 を し、一般公開を
している。
-7
3-
① 、② みいらく海岸防波堤 1000m 壁画
④ ペイン ト着彩受付風景
1
985.
5.
5
(
む 絵の具受付
⑨ みいらく海岸防波堤1
0
0
0
m壁画1
9
8
8(
着彩式)
5章 地域美術の創造 と大学
(
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⑰ 被爆5
0周年祈念
ながさき ・水の波紋'
95⑩∼⑳
⑱
出島石倉会場風景
⑳ 打ち合わせ 井川研究室
⑩ 青森からバイクでかけつけた作家、木を組む (
長大にて)㊨ 長大教育学部校舎脇 作品風景 ⑳ 県立美術博物館 展示風景
5灘
韓国慶北大学校博物館
⑳ 韓国昌原大学校校庭風景
回C
&
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ニン
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1
9
9
7
⑳ パフォーマンス
⑳ C&N展昌原大学校ギャラリー
⑳ 活水女子短大校庭
井川作品風景
静養 拙著o
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⑳
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