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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title ナガサキ・ヒロシマ通信 No.206 Author(s) Citation ナガサキ・ヒロシマ通信 No.206; 2015 Issue Date 2015-06-30 URL http://hdl.handle.net/10069/36822 Right © 長崎の証言の会 This document is downloaded at: 2017-03-30T14:40:26Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 一 ’ 0 事務局だより一 ︹活動日誌︺ L 人参加︶ 1月1日新春座り込み 1月加日新春のつどい︵諦 1月肥日本島市長銃撃妬年 記念シンポジウム サキ集会 ー月鍋日運営委員会 2月別日第1回編集会議 3月狸日さよなら原発ナガ 3月即日第2回編集会議 4月2日第蛆回福田須磨子 己。 4月娼日NPT長崎派遣団 句8日ヨシの少のシ︻胃 器廃絶には反対をしている。 禍を訴えても、日本政府は、 核の傘による安全保障の立場 を厳として変えないし、核兵 5月Ⅲ日立教女学院中 5月肥日長坂中︵三田市︶ 5月肥日藍中︵三田市︶ 被爆そして、敗戦から加年 の節目を今年は迎える。この 間世界の各地では、戦争や紛 争が絶え間なく起こっていた 5月四日橘中︵京都︶、牧 が、日本はその局外にあり、 園中︵鹿児島︶ 5月即日成徳中︵桑名市︶ 5月朋日鹿屋中︵鹿児島︶ 5月”日清和台中︵川西市︶ それを止めた。 ロシマの被爆惨禍の訴えが、 棄・人権尊重という世界に冠 たる日本国憲法がそれを支え たからである。戦争や紛争で、 核兵器が使われようとした危 機もあったが、ナガサキ・ヒ かった。国民主権・戦争放 殺し合いの場に立つことはな 5月釦日ゆりのき台中 田市︶ 5月剖日富士中、喜志中︵三 一カンパに感謝いたします︸ 増田馨氏1万円 女子聖学院様4万円 内野チョノ氏2万円 |事務局雑感一 一I1IIfI0ⅡIllll︲40︲I︲11.ⅡIⅡⅡⅡ!■811141﹂ その日本国憲法が、現在危 機的状況に置かれつつある。 m年という時が、その崇高な 使命を廃棄物の如く扱う人た ちを、登場させてきた。政を 行う人の中にも表れ、また、 廃棄物だと扇動する人やそれ に追従し、付和雷同する人達 が、大きな声を出してきた。 会の活動の一環で、若者た ちに被爆遺構のフィールド ワークを通して、戦争の惨禍 や命の尊さを伝えていくが、 無関心さが増えてきた。 それを利用して、日本を戦 争のできる国へと変えようと する自民党と追従する公明党 を初め右翼政党の勃興は、1 930年代前後の社会状況を 祐佛させる。﹁ナチスの勃興 と似ている﹂という人もいる が、そうなると亡国への道を 進むことになる。﹁小異を残 して大同につく﹂とは、会の 創始者秋月辰一郎先生の言葉 であるが、平和の大切さを今 一度考えよう。︵森口貢︶ 編集後記一 今号をもって、前任者の森 口正彦さんから通信の編集を 引き継ぐことになりました。 1面のイメージを少し変え、 コラム欄は﹁リレーコラム・ 地下茎﹂と題して一新。福島 から根本仁さん、そして手前 味噌ながら私の連載もスター トさせます。 原爆、核・反核平和・長崎 などをめぐって何か動きがあ れば、ぜひ読者の皆さまから も情報や原稿をお寄せくださ い。︵山口響︶ 櫛巡り・被爆体験講話についてIナガサキで何をつたえるのか ︵森口貢︶;・4/新運営委員紹介・・5/2015年NPT再検 討会談帰国報告︵田崎昇︶:・6/被爆二世としての家族証言︵佐 藤直子︶.:7/原発事故による健康被害の過小評価を批判lプ フルークバィル博士講減会︵園田尚弘︶:8/イタリア、原爆 紙芝居の旅︵西岡由香︶:・9/﹁長崎平和宣言﹂起草委員の選 任について市長への公開質問状..m/イスラムは暴力的だとい う神話について︵戸田清︶・・ね/︻新︼被ばく地・福島からの 便りl核発電所事故は語りかける[1]︵根本仁︶:由/薪︼ 核を視る[1]︵山口響︶;脚/ナガサキ通信、ヒロシマ通信 :応/事務局だより・事務局雑感編集後記・・畑 一 一 一 一 一 一 一 、 寺 一 三 一 − 一 − 一 4月下旬から5月中旬まで 国連で開かれていたNPTの 会議へは、長崎からも﹁長崎 太田千賀子 集会 発行/長崎の証言の会代表/内田伯・廣瀬方人事務局/〒852-8105長崎市目覚町25-5 の証言の会﹂の会員をはじめ、 多くの方々が参加された。が、 しかし核兵器廃絶への道は、 核兵器保有国の思惑と、核の 傘を安全保障だとする国々、 生命を引き継ぎ生きる 壮行 会 4月お日巴号里思胃の言豊の b 一方核兵器は非人道的として 核兵器廃絶を主張する国々の 対立で、進むことなく、今回 も終わった。ナガサキ・ヒロ シマの市民が核兵器による惨 ば、と思う。 jO 心して子を産める幸せ」が当たり前 になるように、と伝える。被爆者は 必ずいなくなる。母や父から聞いた すべてのことをつぶさに伝えなけれ I [主な内容︺ や、母から伝え聞いた気持ちを取り 第蛆回福田須磨子忌の集いl安倍政権の暴走続く中で:2/遺 入れながら話す。特に女生徒には「安 1 p への掲載がきっかけで、「碑めぐり」 のお手伝いもすることになった。実 体験のない私にできること、「原爆 小説を手がかりに話をした ら..?」だった。林京子著『祭り の場」を選んで、三菱兵器大橋工場 で被爆した主人公が、山越えして女 学校を目指し逃げのびる足跡をたど る。時間の都合で、実際に山越えは できないが、工場を脱出して浦上川 が見える所に案内し、原爆そのもの 0 , ︻遺構巡り四校。講話7校一 ’ ’ 昭 5月賜日第3回編集会議 2015.6.30 唖 − − − − 一 一 一 ■ ■ ■ 一 一 = ■ ■ ■ ■ ー ■ ■ ■ ー 元 一 ー ■ − P = − − 幼い頃から、8月9日は特別な日 であった。爆死した姉兄の命日で、 母は早朝から仏壇に氷を入れたたっ ぷりの水を供えていた。昼ごろ「今 頃が一番水が欲しかったんだよ」と いって度々水を替え、じっと仏壇の 前に座っていた。そんな母の姿が心 に残っていて、きちんと被爆体験を 聞いておこうと思った。証言第6集 核拡散防止条約(NPT)再検討会議にあわせて米ニューヨー クで開かれた市民集会で被爆証言を行う谷口稜曄さん (2015年4月24日、撮影・山口響) 3月3日女子聖学院 3月6日山梨英和高 3月鴫日同志社中 3月Ⅳ日愛知教育大 4月陞日和光中 4月恥日賢明学院 4月詔日日枝中 5月吃日矢野川中 5月週日東洋英和女学院 ナガ挑キ .上輿シマ通信 I I, TEL&FAX/095-848-6879定価/年1500円(送料含む)郵便振替/01800-1-4420印刷/㈱昭和堂 ’ 、 0 mmlN}撒岨轟織認 ANeWsletter ’ ( 1 8 ) ナガサキ・ヒロシマ通信No.206 ( 1 ) 一一一一一一一一一一一一一一一 一 弓 「 Ⅱ01lbⅢIIhlrlllⅡⅢlⅢ11 ◆ 第鋤回福 田須磨子忌の集 I 子とともに活動していたころ の思い出を語った。反核を訴 えるために東京に遠征する際 など、カンパ集めをよくした、 と語り、﹁運動は誰でもでき たんだ、してきたんだ﹂と自 らの来し方を振り返った。 した問題は、このように、残 念ながら、現在の私たちの問 題でもありつづけている。森 口正彦さん︵証言の会︶は、 ﹁集会は仙回目になるが、核 兵器はなくなっていない﹂と 嘆じた。﹁ロシアのプーチン 大統領がクリミア情勢に関連 田拓民さん︵長崎原爆被災者 冒頭のあいさつに立った山 ︵さや︶さんによる須磨子の 唱、同じく活水高の井上紗綾 活水高校コーラス部による合 加わって作られたものだ、と た﹃われなお生きてあり﹄は 自分の母方のいとこが編集に 須磨子が筑摩書房から出版し ロシアに対して一言も抗議を 口にしていない。﹃唯一の被 増田馨さん︵証言の会︶は、 協議会事務局長︶は、安倍政 詩の朗読と続く。合唱は、須 増田さんは原爆投下時には大 爆国﹄などと言っているのに。 集会は次に、黙祷・献花、 た。 と言うのではないか﹂と嘆い 倍政権の暴走続く中で 2015年4月2日、仙回 目となる福田須磨子忌の集会 権による憲法改悪のもくろみ 村在住であり直接被爆してい 安倍は﹃好戦・好核﹂︵こう が持たれた︵姐回忌︶。 などを念頭に置きながら、﹁須 磨子の詩にメロディーをつけ たものであり、﹁生命を愛し ないが、大村には航空廠が して核兵器使用の検討を口に した。核兵器は戦争の中で使 磨子さんのことを考えると、 む﹂など3曲が歌われた。 せん.こうかく︶というより てあり﹄の続編を書きたいと の強い希望が綴られていたと いう。﹁若い人が希望。平和 憲法を守る夢を若い人に託し に手紙があったことを紹介。 その中には、﹃われなお生き 亡くなる3年半ぐらい前に、 自分の夫である山田かん宛て 山田和子さんは、須磨子が ﹃肯戦・肯核﹄だ﹂。 われるということが明らかに なった。しかし、安倍首相は 必然的に今の政府のことが頭 あって米軍による空爆があり、 のエピソードを紹介された。 に浮かぶ。須磨子さんなら、 ずいぶん怖い思いをした、戦 争はしてはならない、と訴え た。 池田道明さんは、﹁年ごと にみんなが幸せになるとばか り思っていた。しかし、童顔 で優しそうだが激烈で好戦的 な安倍首相が出てきた﹂と警 戒感をあらわにした。 須磨子が仙年以上捌臥蒋冊慨 章長崎から﹄の最終決定版 た。これは、2000年に講 談社から出版された吉永小百 合さん企画・構成の﹃第二楽 ことはできます。戦争に至る い○ う。お気をつけてお帰り下さ ます。では、皆様、ご機嫌よ れる日が来ることを念じてい した。いつかまたお目にかか ご静聴ありがとうございま 申し上げます。 ている皆々様に心よりお礼を また、去る3月別日に、国 立長崎原爆死没者追悼平和祈 念館で須磨子の﹃われなお生 きてあり﹄が朗読されました。 以上、ご報告を終わります。 終わりになりましたが、こ の会の開催にご尽力いただい い﹂が再掲載されます。 る歌﹂﹁花こそは心のいこ で、福田須磨子の﹁母を恋う の風、長崎から﹄という詩画 集を出版すると言ってきまし 7月に﹃第二楽章ヒロシマ スタジオジブリから、今年 ことをご報告申し上げます。 最後に、須磨子が﹁核なき 世界﹂のために頑張っている 験を語りましょう。 の身であっても、どんどん経 で下さい。戦争体験者は高齢 問いかけて下さい。愚かな不 幸に至った歴史について学ん 戦争を知らない人々は、戦 争を知っている世代の我々に ています。 よう他の国を知り、歪みのな い歴史認識を持つべきと考え ちは、加害者の国にならない もなります。少なくとも私た 大惨事を引きおこしました。 戦争では被害者にも加害者に 日本軍が重慶を爆撃して、 道も学ぶことができます。 私たちができることは微々 たるものですが、昨年申し上 げた、平和を築くために学ぶ − 私たちに﹃何ぱしとつとね﹄ 一夕■﹃ 構成されたものである。紙芝 居の最後の一枚は、須磨子が 自作したという壁掛けそのも のが貼りつけてあった。 私は、人間をまるで嶬の群 れのように焼き殺し、この美 ● 次に池田早苗さんが、西町 Ⅳ棡胤醗乏臘棚災者として須磨 上げ、いろんな記念行事が行 l● われています。そのなかで、 3月即日付朝日新聞の﹁天声 昨年は、この場で皆様とご しい惑星を汚すような核兵器 − 下敷きに、写真を中心にして 末永浩さん︵長崎の証言の 会︶は、須磨子に関する自作 の紙芝居を披露。故・鎌田信 子さんが﹃長崎の女たち﹄に 寄せた須磨子に関する文章を たい﹂と山田さんは語った。 んである豊後レイコさんから つづけて、須磨子のお姉さ のメッセージ代読、内田伯さ ん︵証言の会代表委員︶の閉 れ、大量であればあるほど成 功とみなされ、各国は核兵器 戦争では大量殺人が目的とさ 人を殺すことは犯罪なのに、 んでいます。 たれました。そして、その記 事は、市民を標的にした大量 殺裁は原爆投下に至ったと結 のだ﹂という言葉に、強くう 心は、永久に灰にはできない せない。ああ、やさしい母の 人語﹂柵で紹介された、郭沫 若の﹁骨と肉はコークスとな り、かたくくつついいて引離 会あいさつと続き、集会は幕 を閉じた。参加は約印人。 j ︵まとめ/編集部・山口響︶ 、 j 第仙回Iij##” 湘謹 豊後レイコ ︵故福田須磨子氏の姉︶ 本日はお忙しい中、多数ご 一緒に妹・福田須磨子を偲び には絶対反対ですから、オバ 拡大に熱心です。 ましたのに、今年は体調の加 マ大統領の提唱する﹁核なき 参加いただきありがとうござ 減で残念ながら旅行できませ 世界﹂が来ることを強く願っ います。 んので、メッセージでご挨拶 ています。原発に関しては、 1 させていただきます。 ドイツはもうその方向に歩き 始めています。 ’ 自作の紙芝居を披露する末永浩さん (撮影・山口響) 今年は戦後、年、メディア ’ − ー ’ 安 でも戦争の悲惨さを多く取り ’ ( 2 ) No.206 ヒロシマ通信 ナガサキ ( 3 ) ’ 可 有し伝えていく使命が、私達一 には課せられている。 日本が侵略し、占領し、植 民地化したアジア諸国の人た ちも被爆していることを認識 し、日本人だけが原爆の被害 者ではないという事実も大切 | 一 ー である。 退職後しばらくして、森口貢さんのお誘いを受け、「証言の会」 の活動に参加することになりました。4歳になる直前、稲佐で被爆 した者ですので、あまり考えることもなく参加しましたが、“ウワ− 難しい”という実感です。しかし楽しくやっています。 そんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 案内や被爆体験の証言活動と ● られました。組合分裂、仕事の差別、労働災害、管理監督者の言動、● 戦争暴力は﹁殺人・殺裁と 破壊﹂という特質がある。核 兵器は、敵も味方もなく、兵 士、民間人、大人、子どもと 区別することもなく、大量殺 りくする戦争暴力の頂点であ る。このナガサキで、ヒロシ マで起こった事実を、具体的 に伝えていくことが語り部の 役目である。人間の命がはか し、いろいろなことを学びました。 これについての勉強会を4月 私は1957年、家計の都合で中学を卒業してすぐ、三菱長崎造船所 なく死んだ日が、そのまま﹁人 ’ 退職するまで37年間、更にいろいろなことを経験し、多くの人と接 しての講話を行っているが、 に就職しました。 の命こそ何よりも尊いもの﹂ だということ。それは平和へ の原点であり、被爆遺構が発一 信する被爆体験の証言である。 城山小学校や山里小学校、医 科大で、そして街中で、工場 で亡くなった人の命を語ると き、私達は、ナガサキにあつ ても﹁ナガサキ・ヒロシマ﹂ として一体のものとして捉え、 伝えていくことが大切である。 1975年三菱を退職し、当時の社会党専従になり、2012年社民党を に実施した。 三菱で働く中で、反面教師としていろいろなことを会社から教え 吉田豊さん という実感でした。 被爆遺構として、①山王神 社・被爆二の鳥居、②長崎大 医学部の構内に残存する旧長 6千余発存在する。その殆ど 崎医科大の遺構、③城山小学 は米ロが所有する。194 校︵国民学校︶、④山里小学 5年大戦終結後、核戦争の危 機 は 三 、 四 度 あ っ た 。 し か し 、 校︵国民学校︶、そして、慰 霊碑として、⑤松尾あつゅき ヒロシマ・ナガサキの被爆の 原爆句碑、中国人・朝鮮人犠 実相が、辛うじてその危機を 避 け た 。 そ れ で も 核 戦 争 の 火 一 牲者の碑、また、文学作品と 種 は 今 も 燃 え 続 け 、 地 球 潰 滅 、 | して、⑥林京子﹃祭りの場﹄ 人類皆殺しの危機は深まって一 から読み取る学徒動員中の女 学生の体験、等の資料を基に はいても、核保有国の﹁核に して勉強会を進めた。 よって安全保障と平和を﹂と ﹁被爆した者︵もん︶は日 いう傲慢な屈理屈で消えては 本人だけじゃなか。朝鮮人も いない。 中国人もようけおった。植民 核兵器と人類は絶対に共存 地にされ、食いはぐれたり、 できないことを、私達は地球 強制連行やらで連れてこられ、 市民に伝えなければならない 東洋平和の為って言うて牛馬 義務を負っている。﹁ヒロシ んごっ、こき使ったと。そし マ・ナガサキ﹂この2つの原 てオランダ・インドネシア・ 爆の本質とその実相を、自然 オーストラリア・イギリス・ 科学的、社会科学的、人間の アメリカの捕虜どんば連れて きて三菱や川南で働かせとっ ご支援をよろしくお願いいたします。 職場仲間の対応などなど。そして、いつの間にか、三菱の言うこと に黙っておれない、何かをしたいということが身についていました。 それは、大それたことでなく、当たり前なことを普通にやっている 人類が最初に戦争での核使 用を体験したヒロシマ・ナガ サキで、﹁私たちは﹃何を学 び、何を伝えるのか﹂﹂とい う課題について、被爆したナ ガサキ市民、そして、﹁長崎 の証言の会﹂で遺構巡りや被 爆体験講話をしている者が集 まり、4月に勉強会を行った。 1977年、NGO被爆問 [これまでの核・平和問題とのかかわり]長崎平和研究所副所長 (1998年2月∼2010年1月)、長崎平和文化研究所所長(2000年7 月∼2006年3月)。両研究所が主催する講演会、長崎平和研究所の 長崎平和研究講座、講演会後の講師の話が核・平和問題を考える上 文化的総体において見極め、 日ごろから、会員の皆さん方のご活動に接するにつけ、自分の勉 強不足を痛感しています。はたして運営委員が務まるかどうか、不 安だらけですが勉強になればと引き受けました。皆さんのご指導. 題国際シンポジウム宣言の 議会代表理事。 とさ﹂lやっと重い口を開 田豊です。 ﹁生か忘却か﹂の一節に﹁も し私たちが、いま押し流され ているように、このまま漂流 をつづけるならば、夢遊病者 のように、フラフラと終末的 な破局へ落ち込んでいくだろ う。そうなれば、人類は滅亡 し、人々の話声は二度と聞か れなくなるだろう。⋮⋮ヒロ 涜、,減》,鋪>,梯、,砿、,醜》砿4>‘錦、、8分、‘・碗ノ応Y◆,、鋪.,蕊..◆fj,'“,砿0カ.,◆2・''0狗雛,、蝋ノ'・X0)4か,、沁・30@%00y・*:。◆』◆シ◆(◆>'ゅ..◆沙'蝉j・・.・70,、蝿>、砿シ'◆紗〈弊("?(◆Xりく'や》(塊、‘2秒f蝉)'.ャ:、:、奥・りり輪秒'興齪噂,9 証言活動をしていかなければ この度、「長'崎の証言の会」運営委員にご推薦いただきました吉 シマナガサキの教訓は、す 新しい運営委員を紹介します! ならない。 科学化」の課題を記録映像の視点から取り組みたいと考えている。 すんでそれを学ぼうとするな らば、まだ人類を救うことが で大変参考になった。 できる﹂。 今‘◆◆・△◆◆。F・◆・o60f.◆'0J◆10‘.●』◆、《◆I◆(便0今『0◆fO◆.◆◆‘O“◆.。“ogC◆;◆、◆"◆’申‘◆:4◆:0◆卿0J◇:◆◆ご●・L0◆49ノ‘●:●・メ◆◆記◆◆◆0.参・◆〃'◆;◆.、t蝉、.tj9''◆〃《'、'''90ウツ.、ベバ、4.9 長崎の証一言の会の活動の一一 き証言した被爆者の思いを被 環として、私達は被爆遺構の一 爆遺構の中から読み取り、共 [証言の会に関わるにあたっての抱負]秋月辰一郎氏が講演「『長lll奇 の証言』をなぜ続けるか」(1973年8月)で提起された「『証言』の ’ んでいる。また長崎原爆の残留放射線の問題にも取り組んでいる。 ● 大矢正人さん [現在取り組んでいること]科研費研究(2009年∼2011年、2012年 ∼2015年)として、長崎原爆被害記録映像のデジタル化、記録映像 の分析、記録映像の平和学習・遺構めぐりでの活用の研究に取り組’● ■■■■■■ 現在、核兵器は世界に1万 1947年生まれ。長崎総合科学大学名誉教授、原水爆禁止長崎県協 一 ( 4 ) ナガサキ・ヒロシマ通信No.206 ( 5 ) ◆・・。■・ 米ニューヨークでの反核デモに参加する 長崎からの代表団(提供・田崎昇さん) いる。 長崎から約百人の市民代表団 私たち実行委員会の代表団 は朝長万左男委員長を団長に 別人から成り、そのうち被爆 者が9人。 この他にも県内から被爆者 団体、反核団体、被爆者歌う 会﹁ひまわり﹂、長崎大学ユー 0 ◆● fの 十◆ ◆ 心 ロム今十 い 噸も◆ み● 94 6守 令+ 十◆小 ● *◆ + & 彌 群秒桝ハや将。輪。令令十十十。 ﹄●●● 与。■。。︽●可■b● 十十・◇・鯵鰹。浄聰+●◇・や錨峰。呼翔 ◆。 経ちました。その間、被爆者 会﹂での活動を始めて3年が を語り継ぐ﹁永遠︵とわ︶の 二世の会、長崎﹂と被爆体験 私が、﹁長崎被災協々被爆 語り部になるための準備期間 活動している父の後を継いで 長年被爆体験の語り部として て学んできました。それらは、 爆体験記を読み、原爆につい で、父が原爆を体験した部分 か、構成に悩みました。そこ ように進めていったら良いの りとは違う二世の語りをどの ました。初めは、被爆者の語 の語り部として家族証言をし 展において、初めて被爆体験 し支援を受け、昨年n月、神 奈川県相模原市での県外原爆 私は、すぐにその事業に参加 援する事業を開始しました。 世・三世による家族の被爆体 験の継承︵家族証言︶﹂を支 昨年度、長崎市が﹁被爆二 でした。 ◆冬 季冬 や十 ●■GL. + の方々と一緒に活動し、二世 間僻撚蕊鍬令.蕊獺織惨.認識駕澱篭謝鋤対↓ 4 ◆+ ス代表など総勢約百人、田上 富久長崎市長も平和首長会議 の代表として訪問した。私た ちは4月妬日、平和行進に参 加した。各国のNGOや米国 q ● 慧縦翻遮溌億織 職鰯 蕊鶏 鶏 鍵 ︾ 鶏 篝 鱈 は、昨年完成した父の証言を ,、.● llf NPT l帰国報告 事務局長︶ 田崎昇 ︵核兵器廃絶地球市民集会実行委員会代表団 0 ’ 市民約7500人が、ユニォ ンスクエアーから国連前の広 場まで行進した。私たちも出 発前に市民から寄せ書きをし てもらった横断幕を手に、 ﹁ノーモアヒロシマ、ノーモ アナガサキ、ノーモアウォー﹂ と市民に訴えた。無視する通 行人もいたが親指を立てて賛 意を示す人も多く勇気づけら れた。 I 高校やフォーラムで被爆証言 再検討会議は4月〃日から 始まった。私たちは、午前中 ブルックリンの高校を訪問し、 午後は岸田外務大臣の演説傍 聴と平和首長会議出席の2班 に分かれた。高校では7つの 小グループに分かれて、被爆 者と高校生が交流した。高校 生たちは被爆者の話に熱心に 耳を傾け、病気に対する不安 や、米国に対する感情などの 質問もあった。代表団は別の 高校や日本人学校でも交流を 深めた。また平和首長会議や ピースデポ等の日本の団体が 主催する会議にも出席し核兵 器廃絶へのNGOの熱意にも 触れた。今回初めて、長崎県 ●I や市の協力を得て、国連に近 いジャパンソサエティのホー ルで﹁フオーラムーナガサ 界への願いを訴えた。 キ・イン・ニューョーク﹂を 開催した。﹁ひまわり﹂の合 唱で開幕、田上市長が平和都 市長崎の役割、朝長委員長が 医師として核兵器の非人道性 について講演、被爆者の末永 浩さんと本村チョ子さんは被 爆の悲惨な状況と核のない世 ’ ければならない。 最終文書l合意できず 再検討会議は核兵器廃絶へ の期限設定で核保有国と非核 保有国の意見が対立、核兵器 禁止条約の文言は最終文書案 から消えた。土壇場で中東非 核兵器地帯の問題が噴出、最 終文書に合意できないまま閉 幕した。期待が大きかっただ けに失望も大きい。しかし私 たちは諦めてはならない。幻 の文言となったが﹁核兵器の 非人道性﹂への認識は多くの 国の合意を得ていた。これか らも国内外のNGOと連携し て核兵器禁止条約の締結に向 けて、粘り強く進んで行かな を話しました。実際に家族証 言をするまでは、﹁被爆者で 者の子である二世の思いなど きた父についての話や、被爆 他に、私が小さい頃から見て ます。この依頼を受けた時、 息子は恥ずかしそうにしてい らいたいというのが私の希望 でしたので、どんな話をしよ うかと今から楽しみにしてい ぜひ私の家族証言を聞いても 世話になっている先生方へ、 した。息子やそのお友達、お もなく原爆も経験していない 二世の話を果たして聞いてく もとに作った紙芝居で伝え、 れるのだろうか﹂と不安に ましたが、今では﹁いつ学校 に来るの?﹂と、楽しみにし ているみたいです。学校のお 友達も、全く知らない人から ではなく、お友達のお母さん 場にいらした方が、涙を流し 頷きながら聞いて下さってい 思っていました。しかし、会 る姿を見た時、その不安はな きっと真剣に聞いてくれるも たいと思います。 さをわかりやすく伝えていき に、被爆の実相と平和の大切 積み、次世代を担う子供たち ことなく、これから長い年月 をかけて知識を深め、経験を だ始まったばかりです。焦る 語り部としての活動は、ま 機会にもなると思います。 かを息子に知ってもらう良い のと思います。それに、私が 今どういう活動をしているの から話を聞くということで、 くなりました。また、﹁とて もわかりやすく、二世の思い が良く伝わってきました﹂と の感想も頂き、自信につなが りました。 それから半年が過ぎ、大阪 の岸和田市や、長崎でも数回、 証言活動を経験しました。こ れから被爆、年に向けて、少 しずつ依頼が来ています。 私には高校1年生と小学5 年生の息子がいます。7月に は息子が在学する小学校で初 めて話をすることが決まりま 一 20 。 ● ● ● ◆ 。 との交流を深め、いろんな被 1二 ﹃、 、▼ 曲 ・-号==−-_--- の理由の一つは、多くの被爆 者が国連や外国を訪問して、 ふ み 0 8 画 : 。 : 。 : 。 − 議 被爆加年目の再検討会議 NPT︵核不拡散条約︶再 +■・ロ●■守り●■・ - 茸 検討会議は5年毎にニュー ●●。。fo − - ヘ 被爆の実相と核兵器廃絶の願 いを直接訴えることができる のは今回が最後の機会と思っ ているからである。また最近 核兵器の非人道性に国際的な 注目が集まり、核兵器禁止条 約への新たな潮流が生まれて 譲 ヨークの国連本部で開かれる。 私たちの実行委員会が代表団 を派遣するのは鮖年、加年に 続いて3回目である。被爆沁 年目に当たる今回の再検討会 議には、被爆地長崎から大き な期待が寄せられていた。そ :。::。:◆寺‘ ー I 1 5 繊臓鍾織 漉蕪鱗 ◆ . + 、 白 ・ 浄 。 と ・ ・ 。九●Uea4ワ。.◇も■。咄,。十f●も.皇●◆●●︽ 1 . . . . . 難 ; 診 令.。■。。 ’ で- IFO・■gop+も ' 、 i ( / g l 画. 一 一 − ◆+4 ’ ÷ IpeDoZo。◆C ■ ’ トー千・J●・・ 心十タ母。・・・d ’ ( 6 ) ナガサキ・ヒロシマ通信N0.206 ( 7 ) ’ ’ I 11 ’ 球あるいは甲状腺腫瘍が目 博士は、 チェルノブイリ事 に し ろ 、 福島の事故にしろ、 国際機関、 高 名 な 学 者 の 多 く が、健康被害を過少に評価し ていることを、発症数などを 表、グラフなどにして、その 嘘を暴いて、徹底的に批判し した。チェルノブイリに何 度も足を運んだ強みを生かし 内容で、福島でこれから起 こるであろう事態を予測させ るものでした。 ■ 吋 ’ ゞ 、 − 一 一 1 , 西岡 由香︵漫画家︶ 投票で脱原発を決めた国イタ リア。朝夕に美しい鐘の音が 鳴り響く古都フィレンツェで は、現地に住む日本人女性が 多数参加し、﹁関東に住んで いるときは原爆のことをほと んど知らなかった﹂と、池田 早苗さんの紙芝居に涙ぐむ方 も。講演後も約帥分、活発に 意見が交わされました。﹁原 爆の悲惨さは想像も及ばない。 でも想像できないものが、ボ タン一つで現実になってしま う﹂﹁被爆の実相を知らない から市民が無力になっていく。 体験と世界の現実の両方を伝 えてほしい﹂。 有名な﹁ピサの斜塔﹂にほ ど近いピサ市庁舎での講演で、 活動家の女性は力強く語りま した。﹁被爆者は身体じたい が生き証人であり反核のシン ボル。ヒロシマ・ナガサキは 驚くのは、どの講演会場に も物理学者が出席しているこ とでした。古くはガリレオ、 別世紀にはマンハッタン計画 に参加したエンリコ・フェル ミを輩出したイタリアは今で も物理学が盛んだとか。﹁日 本で医療被ばくは問題になら ないのか?﹂﹁原爆を受けた 日本がなぜたくさんの原発を 持っているのか?﹂鋭い質問 にたじろいでぱかりでした。 ﹁ヒロシマ・ナガサキは実験 室だった﹂。ローマでの物理 学者の言葉が忘れられません。 フィレンツェ、ピサ、ロー マをへて、連日別度を越す暑 さの中、最終講演地ナポリヘ・ 書店での講演で、谷口稜曄さ んの赤い背中の写真を掲げる と、参加者たちは顔をゆがめ につなげていかなければ﹂。 至っていない。一人一人が心 の中から非武装になって、個 人レベルの思考を政治レベル 間社会に変化をもたらすに 人類の意識に決定的なショッ クを与えたにもかかわらず人 1千 チェルノブイリ事故は、 ヨーロッパ中に放射能降下物 をまき散らしました。詳細は スペースの関係でここでは省 てきません。 ラルーシの病院の小さな病室 に母親とともに入院させられ、 何度も手術を受けている子供 を一度でも見ると、もう夜よ く眠れません﹂と、プフルー クバイルさんは病気になった 子供たちに接する時の辛さを 告白しました。しかしこれら の病気は、公式の発表では出 ました。これに関連して、﹁ベ れも注意されなかった︶は事 故後急速に増えました。3歳 までの子供の神経腫瘍が増え れなかった︶、筋肉の病気︵こ 状腺がんが発生し、砺年時点 原 発 事 故 に よ る 健 康 被 害 の 過 小 評 価 を 批 判 − で賜人が死亡した、一般住民 1夷至室。プ元︲クバィ雀士薑会塗呉 に放射能が原因の健康被害が ほかにもあることについて、 園 田 尚 弘 婁 崎 大 学 名 誉 教 暹 一 現在まで説得力ある証拠がな い﹂と述べています。これは する健康上の悪影響は確かめ ら れ な か っ た ﹂ 、 ﹁ 調 査 し た 子 一事実ではありません。 ベラルーシの統計によれば、 供たちは全般的に健康であっ 内分泌異常、神経系の病気、 循環器の病気︵あまり注意さ 2015年3月3日、県教 育文化会館でプフルークバィ ル博士講演会が開催されまし 。演題は﹃チェルノブイリ、 イッ、福島﹄でした。博士 師歳、ベルリン在住、ドイ R︵国連科学委員会︶は、﹁急 立って増加していることを示 していない﹂と報告していま す。しかしベラルーシの甲状 腺がんの発症の統計では、小 児の甲状腺がんが多発してい ます。その統計資料を参考に すると、福島の場合はこれか らその数が増大することが予 測されます。統計では事故の 年から青年、中高年の甲状腺 がんが増えているのですが、 大人の甲状腺ガンは福島では 無視されている、という講演 者からの指摘がありました。 チェルノブイリ事故弱年後 の2011年、UNSCEA シ放射線防御協会会長。 機関︶の会議で発表された﹃国 1991年5月ウィーンに おけるIAEA︵国際原子力 性放射線症候群で134人の 死者、6000人を超える甲 ← 際チェルノブイリプロジェク 概要﹂は、﹁放射線に起因 I ● た﹂、﹁データは事故後に白血 | ● イ タ リ ア 、 原爆紙芝曙の旅 (提供・西岡由香さん) 原爆投下から加年目の5月、 原爆紙芝居をかかえてイタリ ァヘ行ってきました。戦後加 年を迎え、様々な企画が催さ れるイタリアで、私のマンガ ﹁さよならアトミック・ドラ ゴン﹂を翻訳出版してくれた 友人が、各地での講演会を企 画してくれたのです。 4写 ぺ 亀 略せざるを得ませんが、たと えばチェルノブイリから約 1300km︵泊原発から鹿 児島までの距離に相当︶離れ たドイツバイエルン州での調 査では、事故後、女の子の出 生数が少なくなっていること、 小頭症の子供が多く誕生した こと、男の子の性器異常が見 られたことが報告されました。 また先天性の心臓の奇形があ る子供の出生数が増えている こと、小頭症が高線量地区で 増えたことが報告されていま す。 講演の最後では福島の事故 の状況をもう一度振り返って、 原子炉の制御が利かなくなる 危険は、日本だけではなく、 原発のあるところはどこでも 起こる可能性がある、という 指摘がなされました。 こうしたことを考慮すると、 日本の原発を再稼働すること は慎重に考えなくてはならな い、というコメントがありま した。 ながらも、身をのりだして見 入っていました。学校で原爆 を教えたという高校教師の男 性たちに、長崎から持って 行った被爆クスノキの葉をプ レゼントし、下平作江さんや 池田さんの紙芝居や、原爆の 記録写真などを現地の人々に 託してきました。﹁イタリア 語に訳してないんだけど﹂そ う言ったら彼らは﹁大丈夫。 絵は言葉がなくてもわかる﹂。 国境を超える絵で伝え続ける ことの大切さを実感しつつ、 帰国の途につきました。 帰国後、NPT再検討会議 の結果に肩を落としそうにな りながらも、ナポリで出会っ た女性の言葉を思い出してい ます。﹁政治は悲惨だけれど、 つながり続ける市民には希望 があるわ。小さな虫でも、硬 いクルミの殻に穴をあけられ る。がんばりましょう。ナガ サキの成功は、イタリアの成 功でもあるのだから﹂。 一 −−│■iii■--‐一・一---=−−−−−‐邑一.._ _ 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 マ ÷ グ ー − − F 字 一 ・ 一 一 一 若 一 、 ニ ー ー 壷 一 一 一 一 = = 一 一 一 - 一 一 一 ー ロ − − − − ’ 福島第一原発事故後、国民 一 一琶一 l 一一 。■■■■■■■■■■■rlllI■1 − ’ ’ − へ ∼ , . ‘ , , , … │ ’ はドた 故 ま た 卜 ’ ( 8 ) ナガサキ.ヒロシマ通信No.206 ( 9 ) ナガサキ・ヒロシマ通信No.206 ( 1 1 ) 【解説】以下は、「長崎の平和宣言」を考える市民の会(準備会)が、平和宣言起草委員会の 委員選任プロセスについて長崎市長に問いただした公開質問状である。6月ll日に「市民の会」 のメンバーが原爆資料館の中村明俊館長、市平和推進課の大久保一哉課長と面会した際に手交 された市長からの回答も組み込んである。「市民の会」では、この回答では不十分と考え、さ らに田上市長への面会を要請しているところである。 ( 1 0 ) 3人の識者を外した今回の平和宣言起草委員の選任には大きな疑問が残ります。このような 疑問について次の質問をおこなうものです。真蟄な回答を求めます。 1.3人の委員の排除はどのような経過で決められたのですか。委員の候補はどのようにして 決められるのですか。 (市側回答) 長崎市長田上富久様 平和宣言起草委員につきましては、1年間の任期であることから、毎年度選定を行っていま 2015年5月29日 公開質問状 ∼長崎「平和宣言」起草委員の選任について∼ 「長崎の平和宣言」を考える市民の会(準備会) 森口貢、森口正彦、山川剛、井手尾弘、丸尾育朗、平野伸人 広島・長崎に原爆が投下されて70年目の節目の年を迎えました。今、戦争や原爆被爆の体験 者が日本国民の2割にも満たない中、戦争や原爆被爆の惨禍の記憶も時の経過の前に風化して 埋没されようとしています。8月9日に、長崎が世界に発信する「平和宣言」は、そのための 大きな役割を担っています。しかし、現在の情況は、あの悲惨な戦争を反省し「戦争をしては ならない」ことを具現化した平和憲法が危機的な状況にあります。また、集団的自衛権を巡る 諸問題など日本は戦争の出来る国に変貌しようとさえ思えます。また、核兵器の廃絶を巡って も、NPT再検討会議の決裂や核軍縮の停滞など核兵器を巡る情勢も決して予断を許さない厳 しい情況が続いています。さらには福島原発事故における放射線被害の問題など課題も山積し す 。 委員の選定方法については、まず候補者検討リストを作成します。リストには、前年度の委 員のほか、新しい候補者を追加しますが、今年度は「発信」と「継承」の取り組みの中で活動 されている方も候補として追加しました。 この候補者検討リストを基に協議を進め、最終的には市長が起草委員の選定について意思決 定いたしました。 2.3人の委員を排除した理由はなんですか。 (市側回答) 委員の選定については、上記1の回答のとおりでありますが、その選定の過程において、「排 除」という観点はありません。 3.3人の排除が「議論の低調を招いている」という指摘があります。どのように受け止めら れますか。 (市側回答) ています。このような厳しい情況の中で、唯一の戦争被爆国である日本の2つの被爆地からの 訴えは、ますます重要性を増しています。 長崎の平和宣言は、平和宣言起草委員会による議論を経て作られていくという特色があり、 5月16日に開催した第1回起草委員会においては、各委員の皆様に事前に十分な準備.検討 をしていただき、その準備・検討を踏まえた様々な意見を聞くことができました。 今後とも、起草委員会の設置目的に沿って運営してまいりたいと考えています。 その点が広島の作成過程と違い大きく評価されているところです。この「平和宣言」の作成に あたって、市長が「起草委員」を任命して行く方式は、1994年の故本島市長の時からおこなわ れています。今年の初会合が5月16日に開かれましたが、そのメンバーについて大きな驚きと 懸念が指摘されています。 4.田上市長は、第1回の会合で「今回の委員選出にあたっては他意はない」と発言されまし たが「他意がない」とはどのような理由があって発言されたのでしょうか。 (市側回答) 今回、新たに大学生や被爆二世など3人が選任され、これまで平和宣言起草委員として重要 な役割を果たしてきた3人の委員が選任されませんでした。芝野由和さんや西岡由香さん、上 出惠子さんは平和問題に卓越した見識を持つ識者で、平和宣言起草委員会で重要な役割がある と多くの人が認めるところです。また、これらの人は現在の情況に危機感を持っている識者で す。その3人を簡単に排除した背景に何かがあるとしか思えません。長崎市は、わたしたちの 問い合わせに対して「長く務めたから」とか「3人入れたので3人に辞めてもらった」とか、 訳の分からない理由をのべています。長く務めた人は他にもいます。また、今年の委員の人数 は15人ですが、委員の定数は20人です。3人を排除する理由には当たりません。「識者排除」 「他意はない」との発言につきましては、第1回起草委員会当日の新聞に、「『集団的自衛権 反対』委員再任されず」といった見出しの記事があったことから、そのような意図はないとい の意図は他にあるのでしょう。 過去に平和公園の被爆遺構の保存問題を巡って時の本島等市長と対立して委員を辞任した岩 年度は16人、平成26年度からは15人の委員を選定し、平和宣言についてご意見をいただいてま 松繁俊さんを翻意させようと本島等市長は夜まで岩松さんの自宅を訪問して説得したものです。 それに比べ、担当者が電話一本で3人の委員を排除した長崎市の対応には納得しがたいものが あります。 う意味の発言です。 5.3人の識者委員について20人の枠があることから追加した方がいいという意見があります がどうですか。 (市側回答) 起草委員会の委員数については、20人以内で選任することとしており、平成24年度と平成25 いりました。 平成27年度の委員数については、限られた時間の中で意見を交わすことから、15人が適切で あると判断しております。また、第1回の起草委員会はすでに終了していることから、追加は 考えておりません。 ー 11 イスラムは暴力駒だという神話について 殺されたという。ジョル クサモスクで7万人以上が ︵1099年︶のときアルァ 一説では第1回十字軍 戸囲清簔崎大学教員︶ ﹁イスラムは特に暴力的な 宗教だ﹂という神話がある。 欧米は旧世紀にハーグ会議な どで戦争犯罪の規制を始めた。 住民虐殺はなかったし、 捕虜も解放された。 他方、イスラム圏の戦争犯 罪には、1988年のフセィ ンによるハラブジャ事件︵ク ルド人への毒ガス攻撃︶であ アサド政権も2011年 降加万人の自国民を殺して ︵西谷文和﹃ シ リ ア 内 戦 ク戦争のときも、攻撃の目標 は軍事拠点やテロリストの潜 伏場所であって、民間人の生 活の場を狙わない、と繰り返 し主張していた。だが結果と してイスラムで非戦闘員とさ れる女性や子どもを、数多く 殺害した。幼い子どもの死体 を抱きかかえて悲嘆に暮れる 親の姿に、世界じゅうのムス 1993年︶。n世紀十字軍 田老訳、日本ムスリム協会、 スィバーイー﹃預言者伝﹄中 ていた︵ムスタファー・アッ 高齢者︶を殺すな﹂と訓示し ﹁非戦闘員︵子ども、女性、 は7世紀にムハンマド自身が、 ごくわずかなイスラム教徒が 教徒は奴隷に売り飛ばされ、 日続いた。生きのびたユダヤ あった。略奪と殺裁はまる二 か、さもなければ焼き討ちに 徒とユダヤ教徒は刺殺される 年︶によると、﹁イスラム教 上俊一監修、創元社、1993 u年 年の のガ ガザ ザ攻 攻轆 撃で であろう。M ︵子ども殺し︶が﹁根本原因﹂ エルの軍事作戦に伴う誤爆 き金﹂であり、 欧米やイスラ ランスの事件で、風 風刺 刺画 画は は﹁ ﹁引 る。幼い子どもを殺されて怒 ではなく、世俗的な独裁者 /マ マー ーク クや や賜 蛆年 年の う 一るのは、ムスリムにかぎった 帖年のデン う会、2015年︶。フセ イラ ラク クの の子 子と ども も左 を救 DVD、イ スラム国の正体を暴く﹄ の英仏国王や、 昭 世 紀 モ ン ゴ 辛うじてダマスクスに逃げお は、パレスチナ側の死著 者が リムは瞬時に激怒した。それ ルのチンギス・ハン、恥世紀 おせた。この時の十字軍の極 ジュ・ダート﹃十字軍﹄︵池 日本の織田信長・豊臣秀吉な 悪非道なふるまいは、中東世 2000人以上、そのう それに対して、イスラム世界 どとは大きな違いである。キ 界全体に深刻な衝撃を与え、 500人以上が子どもであっ ﹁アメリカ政府は、アフ ニスタン侵攻のときも、イ ●l 汚していきます。川水を飲料 水として利用していた人や農 業用水として使用していた人 たちの健康と暮らしを破壊し ていく魔物と化すことは容易 に想像できます。そしてその 可能性はますます大きくなっ ています。 私は発電所事故をめぐり国 と東京電力の法的責任を追及 する裁判に関わる一方で、原 告の方に﹁証言﹂を書いてい ただき﹃証言集﹄を発刊する 活動をしています。2013 年加月に発刊した第1集で、 当時n歳だった男性は﹁仮置 き場は何を叫んでいるのだろ う﹂と題する一文を書きまし た・自分の田んぼ3反︵釦アー 記述でした。その後、その﹁仮 ル︶を﹁仮置き場﹂として町 当局に貸した一件についての 脅威と直面している原因であ ことではない。しかし、怒り の程度は、非ムスリムに比べ ると格段に高い。その怒りが 世界じゅうから﹃殺人者﹂﹃子 ども殺し﹄に対する復讐とし て跳ね返ってくるのである﹂ ︵内藤正典﹃イスラムの怒 り﹄集英社新書、2009年︶。 そうです。その男性は﹁3年一 雌悩鯏舳筋胴抑﹃い和知純馴一一 らせていました。 福島の核発電所事故をめぐ る政府・国の対応のお粗末さ、 無責任・住民無視の態度を、 福島県民はこの4年余り散々 見せつけられてきました。そ してまた、これほど決定的な 将来見通しにもかかわらず、 ﹁仮置き場﹂の重大な危険性 とまともに向き合うことをし ないのが日本政府です。略年 5月筋日の地元紙﹃福島民 報﹄が報じた、東電事故に対 がっています。 ﹁仮置き場﹂が第二の放射 能汚染源とならないようにす るには、いかなる方策がある のか。私たち福島県民にとっ て緊急な課題として浮かび上 しています。 日本政府の対応を痛烈に批判 が信頼醸成には不可欠﹂と、 興活動に関する国民との対話 簾︶﹁羅識詑噌識一 だ うち ラカ が、いまもって世界がテロの リスト教には十字軍の蛮行、 それから幾世紀にもわたって た。 らも当然のことでしょう。 ● 置き場﹂にフレコンバッグが 搬入されてから2年が経過し た今年の春、町から契約の3 年を延ばして欲しい旨を告げ られたと男性は語りました。 中間貯蔵施設の管理者である 環境省の担当者から町役場に 搬入延期の要請があったのだ − ンもアサドもイスラム過激派 異端審問、魔女裁判などが hM側きりⅣ川仏を奪還したと 人々の記憶に刻み込まれるこ イ あった。橋口倫介﹃十字軍﹄ 0 とになる﹂。その後、サラディ ’ り 以 レ ミ ︵岩波新書、1974年︶の ﹁大虐殺﹂という節によると、 I ■蓮塗被ばく地・福島からの便り日 核発電所事故は語りかける 福島原吋 発発 訴訴 訟訟 ﹂﹂ 原原 告告 、、 福 島 市 ・ 碗 歳 ︶ 第1回第二次放射能汚染の危険性を秘める︿仮置き場﹀ なりわい ︵﹁生業 しかし、国による中間貯蔵 施設予定地の土地買収は、地 権者の同意を得るのが容易で なく難航。当初の搬入計画は 大幅な見直しが迫られていま 根本仁 東京電力福島第一核発電所 ︵原発︶が、大地震と大津波 で大事故を起こしてから丸4 年と2ヶ月が過ぎました。緑 豊かな自然に囲まれ美しかっ た福島の風景は、核発電所事 故後大きく変わりました。そ のひとつが県内各地で見られ す。比較的早く﹁仮置き場﹂ 年。それはフレコンバッグの 耐用年数が3年であることか るようになった真っ黒いビ にフレコンバッグを搬入した ところでは、今年の年末か年 明けには耐用年数の3年が やってきます。もし、﹁仮置 き場﹂が3年以上そのままと なれば、事態は深刻になりま す。フレコンバッグは破れ、 中に閉じ込めていた汚染土・ 汚染汚泥が漏れ出すことは必 定。そうなると、県内各地の ﹁仮置き場﹂は第二次放射能 汚染の汚染源となり、福島の 土壌と川と海を再び放射能で ・雪_‐ − き ’ 、 、 イる 1 ’ ’ ニール製の大袋。発電所がま き散らした放射能に汚染され た土や側溝から出た高濃度の 汚泥など1トンが詰められた 通称・フレコンバッグ︵フレ キシブルコンテナバッグ︶の 山です。原発立地の大熊町と 双葉町で受け入れることが決 まった中間貯蔵施設にフレコ ンバッグが搬入されるまでの 間、仮の置き場として留め置 く場所が﹁仮置き場﹂です。 ﹁仮置き場﹂の期限は原則3 I ( 1 2 ) ナガサキ・ヒロシマ通信No.206 ( 1 3 ) I 与二■■■■ 11 、j〃−196◆jく・jf・jf・jfi∼jf3fjt・﹄く・$ぐ・﹄噂やjぐjf・§§if・jf?§喝.j§。jr。jくく別ljf・j5?§f●3§,9f●3くや391 似一蓮謎核を梯る︵1︶ 一一 山口響︵長崎の証言の会︶ 一﹁被爆地訪問﹂がそんなに大事なことか? 一 一 F!⋮⋮;11∼’11ぐjIIIII1,11∼1011,1j1jlf∼∼;$く§ 大戦で日本以外のアジアの 早期実現 を、と平和推進協。 第五福竜丸事件、 1・釦 “一宅日日・ ○二■日日●111 岡城山小校舎国指定 り川脇山垂膜を否定しようとす しかしこれは、しばしば言 われるように﹁思わぬ﹂反発 なのだろうか。そんなことは ない。1996年、日本が広 島原爆ドームの世界遺産登録 を目指した際、中国の代表が ユネスコにおいて、﹁もしヒ ロシマの世界遺産リスト登録 を百歩譲って認めようものな ら、例外的な理由であれ、こ の種の人々[注亜第二次世界 術であったと推測できる。 被爆地広島‘長崎への訪問 を各国指導者に要請する文言 を最終文書に入れるかどうか をめぐって、核拡散防止条約 ︵NPT︶再検討会議で日中 両国が激しいつばぜり合いを 演じた。中国が、﹁侵略の歴 史を否定しようとしている﹂ として、被爆地訪問を求める 日本提案に難色を示したのだ。 日本政府は、核兵器禁止条 約のような性急な手段を嫌い、 米国に同調して、核廃絶への ﹁段階的﹂アプローチを採る としている。しかしその個別 の中身といえば、他国も主張 しているような内容が多く独 自性に欠ける。被爆地訪問を 通じた軍縮教育というのが、 日本の核軍縮外交におけるほ ぼ唯一の﹁売り﹂なのだ。中 国政府はそのことを正確に見 てとり、ピンポイントで突い 国々で多くの人命が失われた 動きは、①国際的な場で日本 に恥をかかせ、②歴史問題を ネタにすることで中国国内の 世論の歓心を買い、しかも最 も重要なことに、③核軍縮と いう本質的な議論から目をそ らさせて、5年にたった1度 のNPT再検討会議の貴重な 協議時間を浪費することを目 的とした、実に高等な外交戦 てきた。 つまり、今回の中国政府の ナガサキ通信 , ︵幅.1月∼4月︶ 厚労省が 被ばく状況評価へ・ 米原潜施設の国立 公園化に ﹁懸念伝える﹂とケ ネ デ ィ 米 大使が長崎市に。 1 . 羽 米大統領の被爆地 訪問を長 崎・広島両市がケネ デイ米大 使に要請。 1・塑 玄海原発事故を想 定 し 3 県 合同の防災訓練。 長大レクナ広瀬氏がNPT 再検討会 議へ﹁日本が橋渡し で被爆手記鮒編展示、長崎追 悼平和祈念館で。 1.4マンハッタン計画 を願った﹂と語る。 参加の米科学者﹁原爆不成功 1.5高校生1万人署名 活動実行委が平和カレンダー を市に寄贈。 1.釦イスラム国支援者 ロイⅡ■●︹哲〃﹄ ・米首都で原爆展計画、広 役を﹂。 1.6銃撃事件を受けた 1︲︲︲︲ロⅡⅡ︲I︲︲︲︲︲︲︲︲LB 11 る人々]が登録を危険な目的 のために利用することがあり 得るかもしれない﹂と述べて、 登録承認を保留する、という 出来事があった。被爆地の世 界史的意義を強調する日本政 府に対して中国が歴史認識を 持ち出して批判するというパ ターンは、今に始まったこと ではないのだ。中国の今回の 反発を予想できなかった日本 政府は、厳しい言い方をすれ ば外交オンチだった。 ﹁被爆地訪問﹂が核廃絶の ための重要な手段であること は間違いがない。私だって、 長崎にできるだけ多くの人に 来てほしいと思う。しかし、 被爆地に人を呼び被爆の実相 を伝える取り組みは私たち民 間の人間がやればよいこと。 別に日本政府や国際社会から お墨付きをもらわなくたって、 自分だけでも勝手にやる。外 交官ならば、外交でしかでき ないことlとりわけ、核兵 器禁止条約の交渉入りlに、 全力を注ぐべきだ。その本質 的な点に力を入れず、全体と して見れば些末な論点である ﹁被爆地訪問﹂復活に向けて ●l 影研の統計解析で。 2.3ノーベル平和賞候 補に長崎被災協谷口会長ら推 2.4ピースボート証言 薦。 さん。 の航海に長崎から森田、三村 2.55団体が被爆地域 拡大などの解決努力求める。 2.8被爆2∼4世アン ケート﹁体験継承できる﹂ 船・1%。 2.枢﹁9条にノーベル ・長崎市大浦9条の会発足。 平和賞を﹂と発案者強調。 ・長崎市被爆、年記念事業路 件発表。 2.卿全国の被爆2世ら 長崎で交流。 2.泊被爆体験者訴訟控 訴審、国が本田意見害へ反論。 2.配全国被爆2世団体 協が検診拡充など厚労省に要 輯−0 ・長崎の被爆体験者有志が福 島原発事故避難者へ手紙とミ カン送る。 .﹃はだしのゲン﹄、アラビア 語版出版。 3.6クリステンセン氏 日本の外交チームは会議中盤 で強化された。おそらくは広 島出身の岸田外相の﹁選挙対 策﹂だろうが、つき合わされ た外交官はお気の毒、という 他はない。 他方で、﹁被爆地訪問﹂削 除を求める中国政府の態度も また、決して許されるもので はない。同じことを、日本の アジア侵略によって傷ついた 中国の被害者が口にしている のなら、まだ理解できる。し かし、被爆地訪問削除を今回 訴えたのは、中国の﹁民衆﹂ ではなく﹁政府﹂だ。自国の 核戦力維持のために核軍縮議 論を遅らせることを意図した、 ﹁為にする﹂削除要請であっ ただろうことは、想像に難く ない。﹁日本の被害だけでは なく加害をも語れ﹂という主 張自体は正しいとしても、核 兵器維持に利益を見出す中国 政府の外交戦術に、核兵器廃 絶を願う私たちが丸ごと賛同 することなどできない。 ささいな問題のためにエネ ルギーを浪費した日中両政府 の罪は大きい。 3.7長崎で原爆文学研 3.枢深堀柱さんの被爆 究会始まる。 資料館で。 時計公開へ、浦上キリシタン ・韓国政府が故・本島等さん 3.禍福島県大熊町中間 を表彰。 抗議文。 貯蔵施設に除染廃棄物搬入。 ・被爆5団体、オーストリア 核禁文書不賛同方針の首相に 3.M他年キューバ危機 時、米沖縄部隊に核攻撃命令、 現場判断で発射回避。 .さようなら原発ナガサキ集 会、原爆資料館ホールで。 3.帽長崎平和推進協遺 山王神社へ。 構巡り、旧長崎医科大学から 3・旭クリミア併合時に 核使用準備した露大統領に県 内被爆者5団体が抗議文。 3.躯長崎ピースボラン ティア学習会で軍縮教育家サ 3.羽長崎・広島両市長、 リバン氏が講演。 核禁文書に賛同をと政府要請。 ・オスプレイが佐世保に初飛 行、地元困惑。 3.路被爆者らイスラエ ■■■■■■ 皿 講演﹁核軍縮ペース鈍化﹂。 Q 1.1﹁児童と原爆﹂展 島・長崎両市が加年ぶりに。 本島元長崎市長への手紙2万 を映像で批判。 平 和 案 内 人 研 修 会 、 被爆者 写真の活用を。 ・NTT労組被爆者2世協が 佐世保で初の戦争遺跡巡り。 ・九州被爆2世の会連絡会交 流会。 る。 長崎放影研講座で保存試料 の活用探 2 . 2 永井隆の生涯に関 する企画 展開催。 放射線量多い小児被爆者は 甲 状 腺 し こりの高リスク、放 − − − − = = = − 一 = ∼−−ー戸一F=_−−−− −−−−−−−−=一国一一一一一両−一一一一一一戸'ー一一=李司存甲一=三一一三三一= 、 らが﹁原爆投下後、米に操ら れている﹂と日本政府の対応 通をデータ化へ。 1.枢原爆投下は﹁もっ とも恐ろしい惨事﹂とローマ 法王新年あいさつ。 1.帽被爆3世草野優介 さんが初めて推進協写真資料 調査部会入り。 ’ ● ’ 4− c∼雪と,,金一…グー曽星∼弓一ふし。"》 $ $ ’ ’ ’ ・師年非核三 原 則 の 前 年 、 佐 藤政権が核持ち込み容認か。 ・故・本島長崎市長﹁銃撃妬 年展﹂が始まる。 1.打米軍﹁自衛隊は核 書で判明。 武装を﹂、印年代後半米公文 G1 ナガサキ・ヒロシマ通信No.206 ( 1 5 ) ルで証言。 3.刀音楽劇﹁祈りの四 季、長崎から﹂完成。 ・釜山で高校生 ら 在 韓 被 爆 者 の苦悩まなぶ。 3.釦被爆歌人竹山広さ んの歌碑を時津町に建立へ。 ・新安保法制で 抗 議 声 明 、 県 4.2福田須磨子を偲ぶ 内の学識者7人。 如回目の集いで紙芝居も。 4.3世界初の核実験か ら、年、米の爆心地は今も高 4.4NPT会議議長が 線量。 長崎訪問。資料館見学し、爆 心地で献花。 6万署名をNPT議長へ。 帽在米被爆者3人、 。釦フォトブック﹃N 長崎市で市民と平和交流。 4 ぱ﹂ NUKES﹂刊行。 .”NPT再検討会議 撮影開始。 洋二 監督の映画﹁母と暮らせ 4 。妬長崎原爆描く山田 ●一一 ユ ー ョ ー ク N G O 平 和 集 谷口 口さ さん ん決死 会で谷 死の 訴 え 。 流。 さん 、ウラン鉱山先住民と交 4 ・別長崎の被爆者川副 の核物質データベース公開。 総量は原爆加万発分。 4.詔長大レクナが世界 分かれる。 原発差止め却下、高浜と判断 4.理鹿児島地裁が川内 0 投下は日米で認識に溝。 4.相核使用想定演習へ 落胆。 国連本部ロビーで原爆展。 ■■■■■ⅡⅡⅡ■ⅡⅡ111111111■ 4.羽長崎の被爆者合唱 団﹁ひまわり﹂がNYの高校 で歌声。 4.釦地球市民集会ナガ サキ主催のNY集会で、長崎 の被爆者らが米市民に訴え。 ︵まとめ・末永浩︶ ヒロシマ通信 7 ︵幅。1月∼4月︶ 1.1平和公園原爆慰霊 碑前で.人一輪千人献花﹂ ・中国新聞の全国アンケート で被爆者の9割が被爆体験の 1.配セミパラチンスク は重要﹂と強調。 核実験場があったカザフスタ ンを訪問、被曝者たちと交流 した市民団体が報告会開催。 1.刀米国がネバダ州で 1.釦原爆症の認定に関 初めて核実験をした﹁ネバダ デー﹂を記念し、平和公園で 核兵器廃絶を訴える座り込み。 する訴訟の判決で大阪地裁が 国の新基準を否定、4人を原 爆症と認定。 1・訓被爆者から聞き 2.2被爆建物の広島ア 取った体験談を基に﹁原爆の 絵﹂を描いている基町高校が、 広島ユネスコ活動奨励賞受賞。 1.5世界初の核実験場 風化を懸念。 ︵米ニューメキシコ州︶トリ ニティサイトで、米国立がん 研究所が昨年9月から被曝状 録を贈る。 ンデルセン旧館の建て替え検 討で、被爆外壁を保存する方 針を内部チームが固める。 ・広島東南ロータリークラブ が、被爆建物約170本分の 説明板を作成、市に見本と目 1.幻日米の若者が被爆 況の調査を行う。 アート作品を共同制作する の歌﹂の7月公演後援での披 露に向けて練習、仲間も募集。 2・加広島合唱団が﹁炎 記念の別事業を発表。国連軍 縮会議の開催、旧日銀広島支 店での被爆資料の展示、被爆 関連映像のアーカイブ化等。 3.打広島市の松井市長 に当たり全会派で共同提出。 兵器廃絶に全力を尽くす決議 を全会一致で採択、被爆加年 3.川広島市議会が、核 に伝えた米ジャーナリスト、 ジョン・ハーシーの孫キャノ ン・ハーシーが広島を訪問。 日米露の高校生が核軍縮につ いて英語で意見発表する国際 会議始まる。日本から5校が 4.2広島女学院中高で ・被蝿凋惨状をいち早く世界一 部長表彰を受ける.ゞ湖まで 2.畑広島市の被爆刊年 らが、核兵器の廃絶とサミッ トの広島開催を求める要請害 悼平和祈念館が、被爆証言ビ デオの外国語版をこれまでの 3言語︵英語、中国語、朝鮮 2.9広島市は被爆刊年 語︶からu言語に増やす。 バラ・レイノルズが創設。 設立別年。米平和運動家バー 4.川中国新聞が在外被 に不満。 爆者アンケート。援護の上限 4.側福井地裁、関西電 力高浜3.4号機の再稼働を 認めない決定。 4.幅ドイツで開催中の 4.4広島、長崎を巡り 4.釦原爆資料館の初代 先進7か国︵G7︶外相会合 が核不拡散に関する声明を採 択。広島・長崎の被爆に言及。 3.釦俳句同好会の排句 の限定的先制使用を想定。 旬に実施した大規模演習の際、 北極圏の島や千島列島で戦闘 が起きた事態を仮定、核兵器 4.1ロシア軍が3月中 569人を治療。 事業として7月邪日と8月9 日に平和コンサート、NPO 法人と協力して実施。 参加。 2.釦米国の下院議員2 会が、不戦の思いを冊子﹁ひ 人が原爆資料館見学後、慰霊 碑に献花。策兵器削減への努 3.認原爆による﹁黒い 団体、国内外に保有するプル トニウム保有量の透明性を求 3.劃原水禁など反核4 4.5原爆ドームが前身 元安川で収集。 の県物産陳列館として誕生し 100年を迎えたのを記念し、 ドームで使われた石材などを 4.8原爆ドームの健全 度調査を終え、足場が撤去、 全体像を見せる。 4.9被爆者の記憶を時 を修了。 代に語り継ぐ﹁被爆体験継承 者﹂別人が誕生。3年の研修 4.相NPO法人ワール ドフレンドシップセンターが ︲一中国譜溌蠅副︶ 孝一ふう︵句O T再検討会議が国連本部で始 4。〃5年に1度のNP 高生加入を含む︶が続々渡米。 の開幕を前に、広島市の高校 生や広島邦楽連盟船人︵小中 4.筋NPT再検討会議 初開催、今秋に実施へ。 の被爆者実態調査の検討会を 4.別厚労省がn年ごと に寄託へ。 芸術で平和を表現するワーク ショップに参加した日米の若 力誓う。 ろしまの祈り﹂にして発行。 2.型広島市の市民グ 3.1ビキニデーに合わ める要請書を首相官邸に提出。 3.訂在韓被爆者渡日治 者朗人が、広島で作品を完成、 市内のギャラリーで展示。 館長を務めた故・長岡省吾氏 が収集した資料1万1890 点が自宅で見つかる。資料館 雨﹂を援護対象区域外で浴び 健康被害を受けたとして、広 島市の茄人が被爆者健康手帳 せ、被曝に苦しむマーシャル 群島の住民の実態を考えるシ ンポジウムが東京都内で開催。 3.妬福山市原爆被爆者 の交付を申請。 3.4佐々木禎子の肖像 の会が3月末で解散すること を受け、被爆者・遺族・被爆 ループが、被爆後1週間の状 況を描いた紙芝居﹁ヒロシマ 7デイズ﹂を創作、東日本大 震災支援イベントで披露へ。 を折鶴2千羽で表した貼り絵 が広島市の幼稚園に米国の芸 3.6被爆、年の今年の 2世が新しい団体を設立。 平和記念式典に国連合唱団が 術家から贈られる。 2.5国立原爆死没者追 地をめぐり、平和を表現する ● 配広島・長崎の被爆 , の抗議文、露大使館﹁言いが かり﹂と長崎市に返書。 ・嘉代子桜を北九州市137 4.村渡辺千恵子さんの ワークショップが今春開催。 ・米国のマンハッタン計画関 連施設を国立公園化する計画 に対し、被爆の実相の反映を 求めた松井市長の要請文に返 書、﹁日米共有の歴史の共有 壜 者とトルーマン元大統領の孫、 に核廃絶訴え。 , か所に植樹。 ﹃長崎に生きる﹄復刊。 ︲ 者説 を岸田外務大臣に提出。 4.幅原水協が核禁42 ・平和首長会議が﹁核禁条約 で交渉開始を﹂アピール採択。 NPT会議で岸田外相が演 核禁会議に言及せず被爆 ア 、ジ 輻ア 輝非 州核 年化 ︾へ ﹄提 諦言 桐書 ︾。 恥 畔 癖 一 が開 幕 、 長 崎 の 被 爆 者 ら 6 千 人が平和大行進。 ・ナガサキユ ー ス 代 表 団 に 任 命状。NPT参加の廻人に。 4 4 ら、 4 療広島委員会が、韓国政府か ら長年の功績を認められ外交 初めて参列へ。 一 − 一 ’ ( 1 6 ) ナガサキ・ヒロシマ通信N0.206 ( 1 7 )