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大阪国際サイエンスクラブ
235 WINTER 2013 大阪国際サイエンスクラブ International Science Club of Osaka ● 目 次 Contents かけはし かず お 梯 一 雄 ........... 1 新年挨拶 New Year’ s Greeting きょう こ フリデーン京子 ........... 3 特別寄稿 「2012年ノーベル週間の印象から」 Contribution Impressions of Nobel week 2012 会員のひろば 「2回の大阪マラソンを走り終えて」 Opinion My Impression of the Osaka Marathon 2011 & 2012 会員のひろば 「イスラエル雑考」 Opinion Miscellanea on Israel 見学記 「九州大学 浮体式海上風力発電見学レポート」 Ivent Report Visit to Kyushu University Offshore Floating Renewable Energy Farm 私のとっておき 「自然と共生の中で・人生の選択 ペンション経営にトライ」 My Treasure In Harmony with Nature … enjoy running“B&B”late in life … 新会員紹介 Introduction of new members 8 名 ........... 25 編 集 後 記 Editor’ s note 谷 口 和 彦 ........... 32 しお たに とも や 塩 谷 智 也 ........... 7 い ほ くら おか い こう すけ 五 百 藏 弘 典 ........... 9 みつる 岡 井 満 ........... 14 ほり え た か お 堀 江 多 賀 雄 ........... 18 たに ぐち かず ひこ 表紙 :雪景色 絹田 貞子 プロフィール 1945年 5月 岡山県生まれ 1970年10月 株式会社竹中工務店 入社 設計部配属 建築イラストレーション国際コンペ入賞 CG大阪デザインコンテスト、他 1990年 8月 中之島コラージュ「艶」二人展 2000年12月 「ARCHITECTURAL RENDERING」DREAM PALETTE 出版 2006年 2月 一期一会 絵葉書100枚展 個展 2006年 3月 株式会社竹中工務店 退職 現 在 あとりえ禎(TEI)代表 新年のご挨拶 かけはし 梯 かず 一 お 雄 新年明けましておめでとうございます。 産業技術総合研究所様と共同で自然エ 会員の皆様方には、益々ご健勝で新 しい年を迎えらあれたことと心からお ネルギーを利用し、無農薬での野菜栽 培の実証実験をされておられる両備 慶び申し上げます。 ホールディングス植物工場「やさい蔵」 旧年中は、皆様方から暖かいご理解 とご協力をいただきまして、順調に当 様、10 月には、温泉組合様や漁業関 係者など地域環境に配慮しつつ自然エ クラブの運営並びに諸事業を行うこと が出来ました。 昨年の当クラブの活動を振り返って みますと、5 月に講演いただいた楠本 関西特命全権大使から、 「グローバル 化、情報化の進展により国際社会は 益々一体化しつつあるという大きな変 化の中で、日本がどのような国際貢献 を行うべきかが重要な課題となってい る。他方で日本の高度な科学技術力へ の関心は高く、科学技術分野での日本 の貢献への期待は大きい。具体的にど のような貢献が可能であるのか、また そのために日本としてどのような方策 を講じて行く必要があるのか、国際化 の下での科学技術協力のあり方が重要 である。 」との示唆に富んだお話をい ただきました。 また、一層関心が高まっている自然 エネルギーの活用に着目し、6 月には ネルギーを利用する取り組みを進めて おられる九州電力八丁原発電所(地熱 発電)様ならびに九州大学浮体式海上 風力発電所様を見学しました。 さらに昨年は、京都大学の山中伸弥 教授がノーベル生理学・医学賞の受賞 という大変喜ばしいニュースもありま した。先生のお話では、「ノーベル賞 受賞をマラソンに例えると折り返し地 点にたどり着いたようなもので、これ まで基礎研究がメインだったが臨床応 用というゴールが遠くに見えてきてい る。マラソンもそうだが後半のほうが 大変なので頑張りたい。」とのことで した。 ところで、ノーベル賞授賞式の晩餐 会でのドリンクに純米吟醸酒「福寿」 が振る舞われたとのことです。技術的 には日本酒は、米のデンプンから麹に よる糖化と酵母による糖のアルコール −1− 発酵を同時に行う並行複発酵技術が用 いられており、ワインのように既に糖 は輝きを取り戻し、今後もますます活 動を推進していきたいと思います。 を持っているものから発酵させるもの 今年の干支は癸巳(みずのと・み)、 巳には新たに出発するという意味があ より数段高度な技術を活用しており、 その味わいとともに高く評価されたの ではと思います。 ります。この記念すべき時に気持ちを 今年は当クラブ発足 50 周年を迎え ます。当クラブの目的である「 『知』 す。 最後に今年一年の会員の皆様方お一 の交流拠点」の活動は、未曾有の災害 人お一人のご健勝とご活躍を祈念いた に見舞われても致命的な打撃を受けな いしなやかな経済とあらゆるところに しまして、新年のご挨拶とさせていた だきます。 新たにして一歩踏み出したいもので 根を張る最先端の技術、そのコラボ レーションを後押しするものでありま す。このコラボレーションにより我々 −2− 大阪国際サイエンスクラブ 理事長 特別寄稿 「2012 年ノーベル週間の印象から」 きょう こ フリデーン京 子 2012 年度ノーベル医学生理学賞は京 クホルムに集まる一週間、地元で見聞きし 都大学の山中伸弥教授と英国ケンブリッ ジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士 た模様を皆様に少しお伝えしたいと思い ます。 に授与されました。受賞者がストックホル ノーベル週間の間、地元の新聞やテレ ムに滞在される一週間は「ノーベル週間」 と呼ばれ、合同記者会見、記念講演、レ ビでは連日のように各受賞者の業績や生 い立ちが紹介され、晩餐会に向けて次第 セプションやコンサートなど様々なプログ ラムが用意されます。 世界中の注目がストッ に気分が盛り上がっていきます。ガードン・ 山中教授の場合には、ともに「挫折を克 テレビインタビューでガードン教授と談笑される山中教授 Copyright © Nobel Media AB 2012/Photo: Niklas Elmehed. −3− さて、忙しい一週間のクライマックスは、 なんと言ってもアルフレッド・ノーベルの 命日 12 月 10 日に催される授賞式とそれ に続く晩餐会でしょう。晩餐会は、ストッ クホルム市庁舎「青の間」で行われます。 晩餐会には受賞者への特別な「贈り物」 という意味があり、王室、政治家、そして 外国からの賓客を招待して行われる華や かな祝賀の宴です。 「贈り物」ですので、 振舞われるメニューやワイン、そして食事 の合間に披露されるエンターテイメントの 内容も開始時間まで一切秘密です。晩餐 会の模様は毎年テレビで生中継されます。 授賞式でメダルと賞状を授与された山中教授。 Copyright © Nobel Media AB 2012/Photo: Alexander Mahmoud 服し科学者として成功した」という共通 点と、 「世代や環境」の相違点を対比した 報道が目に付きました。山中教授は 「 日本 ではロックスター並みに人気があり 」、 「最 も忙しいノーベル賞受賞者 」と称され、こ ちらでも注目の的。カロリンスカ大学で行 われた記念講演にも、一時間以上前から 入場を希望する長蛇の列が出来るほど関 心の高さを示していました。山中教授は平 易な言葉で随所にジョークを交えながらご 講演され、聴衆から割れんばかりの拍手 喝采を浴びました。特に科学を目指す若 い世代に向けて、分かりやすく語りかけら れたという印象です。 晩 餐会の招待客は年々増え今年は 1300 人あまり。しかし最初からこれほど 大掛かりな催しであったわけではありませ ん。1901 年第一回の晩餐会は受賞者の 宿泊先であるグランドホテルの「鏡の間」 で行われ、その時の招待客はわずか 113 人、全員男性でした。翌年からは女性も 招待されるようになり、1903 年にはマリー・ キュリーが夫とともに女性として初めて物 理学賞を授与されたのです。 1300 人ものゲストに同時に食事を振 舞うとなると、スタッフのスケジュールは まさに分刻み。入念なリハーサルを積ま ねばなりません。厨房で働くシェフは 40 名、食事を運ぶ給仕は総勢 260 名。全 部で 60 卓ものテーブルに使われるテーブ ルクロスの全長は 470 メートル、食器類 は 7000 枚、グラス類 5000 個、カトラリー 10,000 本というから驚きです。お皿とカト ラリーはテーブルの端から正確に 2cm のラ −4− インに揃えるのが決まりで、白い手袋をし たスタッフが長さを測りながら慎重にセッ ティングしていきます。 受賞者は「栄光のテーブル」と呼ばれ る中央貴賓席に座ります。山中教授の席 はスウェーデン国王の次女マデレーン王女 され入場される知佳夫人の写真が紙面を 飾りました。 晩餐会を見る楽しみの一つは、女性 招待客が身に着ける煌びやかなドレスの 数々でしょう。知佳夫人の和服は大変好 評で、地元メディアによる恒例のドレスラ の隣。王女は美貌の誉れ高く、10 月にご 婚約を発表されたばかりです。夫人の隣 ンキングでは「美しい民族衣装「キモノ」 で登場とはとても嬉しい。厳かで誇りを感 はカーレーシングが趣味のカール・フィリッ じる。晩餐会という国際的な行事に特別 のスパイスを与えてくれた。 」と絶賛。テレ プ王子。受賞者の中でお若い山中教授ご 夫妻にふさわしく、フレッシュな王族二人 に囲まれました。翌日の地元紙ではマデ レーン王女と談笑される山中教授や、化 学賞受賞者レフコビッツ教授にエスコート ビ中継の間も、山中教授ご一家の艶やか な和服姿が何度も何度も話題に上り、画 面を見ている私まで誇らしい気持ちになり ました。 晩餐会の模様。栄光のテーブルの花演出は、スウェーデンのアーチスト、グンナー・カイ氏による北欧の森を再現したもの。 Copyright © Nobel Media AB 2012/Photo: Helena Paulin-Strömberg −5− 食事を満喫した後は各賞受賞者による 返礼の挨拶です。医学生理学賞を代表し ストックホルムに住む日本人にとって、 日本の科学者の業績が評価されノーベル たガードン教授は、長いこと実験に貢献し 賞を授与されることほど誇らしいことはあ てくれた「かえる」が古代から様々な文学 りません。また近い将来、このような嬉し に登場してきた歴史を紹介。そして「共 同受賞者のうち、私とヤマナカほど共通 いニュースが届きますことを心から期待し ております。 項の少ない二人はいないだろう。しかし人 類の苦しみを和らげるのに役立つ研究が したいという思いは同じだ。 」と結ばれまし た。ガードン教授の方にきちんと姿勢を正 され、時に頷きながら、熱心に耳を傾けら れる山中教授の姿がとても印象に残って います。 記念講演や授賞式そして晩餐会につ いては、ノーベル財団のウェッブサイトに ダイジェスト版ビデオが公開されていま す。 (ノーベル財団のサイト http://www. nobel.org)またこのサイトには、アルフレッ ド・ノーベルや賞の歴史についての情報 も掲載されています。ご興味のある方は、 是非一度アクセスし、さらにご理解を深め ていただればと思います。 ノーベル博物館内レストランの椅子に記された 山中教授のサイン。 フリデーン京子様にはスウェーデン大使館科学部に在職中に「ノーベル博物館 ー創造の文化」と日本巡回展について「会報 193 号」(2002 年の新年号)にご寄稿 いただきました。2008 年よりスウェーデン、ストックホルムに在住され、日本からの 視察や取材の企画・運営や、記事の執筆を通じて、スウェーデンついて日本に紹介 されています。 今回、地元にお住まいの一日本人のノーベル週間の印象、雑感という視点でご寄稿 をいただきました。 −6− 特別寄稿 「2 回の大阪マラソンを走り終えて」 しお たに とも や 塩 谷 智 也 一昨年の第 1 回大会に続き、第 2 回 忙を極め、また 9 月に実母、10 月に義 大阪マラソンにも参加することができ ました。 母が立て続けに他界するという悲しい 出来事も重なり、思うようにトレーニン 一昨年の最初の参加のきっかけは、 グの時間を取ることができませんでし 協賛会社のセミナーに参加した際の営 業さんからのお誘いでした。私はその た。 大阪マラソンはチャリティマラソンで 場の雰囲気で「申し込みます。 」と口 走ってしまいました。あとで冷静になっ て考えると「大変なことを言ってしまっ たなぁ。 」と思いましたが、2 人の娘た ちに人間努力をすれば、困難な課題も 解決できるということを感じてもらおう と考え、正式に申し込むことにし、出 場権を獲得しました。 第 1 回大会の前は、平日は週に 2 回 会社との往復 10 キロを走り、週末には 地元の河川敷を 15 キロ走ってトレーニ ングを続けました。その練習の甲斐あっ てか、自己ベストを更新する 3 時間 57 分で完走することができました。この 結果については、ひとえに大会前から 大会当日までの妻と娘たちの協力・激 励のおかげだと思っています。感謝 ! さて、第 2 回大会も運よく出場権を 獲得することができました。しかしな がら、昨年は仕事や自己研修などで多 すが、私にとって今大会は、二人の母 の弔いマラソンとなりました。気合を 入れるためにも大会前日に妻と娘たち からのエールと二人の母の名前をシー ルに書いてもらい、T シャツに貼り付 けて大会に臨みました。 第 2 回大会はスタート地点の大阪城 公園に自己申告の記録別に A 〜 Q のブ ロックに分かれて約 3 万人の参加者が 集まりました。私は第 1 回大会の記録 −7− 御堂筋を走る で申請し、比較的前方の C ブロックで スタートの合図を待ちました。 朝 9 時にスタートの号砲がなると、 A ブロックから順次スタート、参加者 も沿道の人々もお祭りのごとく大盛り 上がりの中、沿道の声援を背に快調に 走り出しました。20 キロ迄は自己ベス トを上回るペースで走ることができま した。しかし、そこからが試練でした。 練習不足がたたり、足がピタリと止まっ てしまいました。手足がしびれ、一瞬 意識も朦朧としましたが、給水・給食 を取り少し歩きながらも、家族のエー ルと二人の母のことを思い出し、ゴー ルのインテックス大阪を目指して走り 続けました。 沿道の方々やボランティアの方々か らの温かな声援は本当に大きな力にな りました。最大の難関である南港大橋 を渡り終え、ゴール前 41 キロ地点で ひときわ大きく、聞き覚えのある声援 が聞こえてきました。 「お父さん頑張っ て !」と、妻と二人の娘が側道で僕と並 声援してくれた娘と 走しながら、応援してくれていました。 この声援を受け、最後の力を振り絞り、 ようやくゴール ! タイムは自己ベストを 大きく下回る 4 時間 24 分でしたが、第 1 回大会とは別の達成感がありました。 改めて人間頑張れば、困難を乗り越 えることができるということと、最後ま で完走できたのも家族や周りの方々の 支えのおかげであることを深く感じま した。今大会の出場において支援して くれた家族、大会運営関係者、ボラン ティアの方々、沿道で声援をいただい た方々、 本当にありがとうございました。 今年の第 3 回大会の出場権を獲得で きるかはわかりませんが、自己ベスト 更新と新たな感動を求めて、日々トレー ニングを重ねて、第 3 回大会に臨みた いと思います。 自由なカッコで楽しむランナーたち 住友電工情報システム株式会社 −8− 会員のひろば 「 イスラエル雑考」 い ほ くら こう すけ 五 百 藏 弘 典 昨年の 10 月、若い頃の仕事の繋がり 警備にあたる制服警官の姿一つ見ぬま でイスラエルへ行く機会があった。新 聞などではイランの核開発を挟んで両 まに出迎えの車に乗った私は、少々拍 子抜けした感じで、エルサレムに住ん 国間の緊張が高まり、市民へのガスマ でもう何年かになると言う出迎えの人 スクの配布が始まっているなどとの報 道が散見されるようになっていた頃で に問いかけると、 「まあ、こんなモンでしょう。イ ある。不安げな顔つきで外務省ホーム ページの治安情報の欄を覗き込む私が、 無責任な仲間達に、 「路線バスには気を つけろよ…!」とか、 「ウエストの太った 人には近づくなよ…!」などと声を掛け られながらでも、なお、イスラエル行き を決断したのは、決してユダヤ教に入 信しようなどとか、真面目な動機では なく、ISCO のセミナーでイスラム教や キリスト教の歴史を勉強し、その成り 立ちなどに野次馬的な興味を持つよう になっていたからである。ここであえて 「雑考」と題したのは、そんな視点から のイスラエル訪問記としてお読み頂け ればと考えたからである。 街の雰囲気 10 月の半ばにテルアビブの空港に ランが欧州の言うことを聞かず、ウ ラン濃縮を進めるのも今に始まった ことでもないし…。バスに乗ったら 50% が爆発するというならともか く、乗り合わせ率が宝くじ並みと言 うことなら…」 「結局は、慣れって事ですか…? 慣れと共に危機感が薄れて行く…」 「勿論、こんな事を言ってられる のは軍隊の警備能力に対するそれな りの信頼感があってのことですよ」 私 は 10 月 末 に 帰 国 し た。11 月 に 入って、ハマスとイスラエルの紛争が 激しくなってハマスのロケット弾の一 部がテルアビブ近郊まで届くようにな り、テルアビブに住む人々にとっては もはや心安らぐ時は無くなったのでは なかろうか…。私の経験した和やかな 降り立った私を迎えた街の雰囲気は、 予期に反して和やかなものであった。 街の雰囲気は、イスラエルの人々に とっては、紛争の停止していた僅かな −9− 時間に平和を楽しむべく咲かせたあだ 花だったのかもしれない。 は全てを満足が行くようには見学する ことができなかった ! 世界遺産の大ラッシュ 嘆きの壁 エルサレムはイスラエル最高の観光 スポットである。 よく知られるとおり、 現在の「岩のドーム」の場所に建っ ていたユダヤ教の第二神殿が、BC70 その旧市街はユダヤ教やキリスト教、 イスラム教など多くの宗教、宗派の聖 年頃にローマ軍によって破壊され、そ の時残った西面の外壁がユダヤ国家再 地であり、それぞれの成り立ちと絡ん 建の悲願のシンボルとして聖地と化 だエピソードを持った 220 を越える 遺跡が世界遺産に登録されている。こ し、やがてユダヤ教徒の信仰の対象と なって、よく知られている遺跡であ れほど多くの意義ある観光スポットが る。 常に、「壁」の前に佇み敬虔な 密度高く集まっているスポットは他に 類を見ないと言ってもいいだろう。極 端な場合、エルサレムのシンボルと言 われる「岩のドーム」のように、1 階 にはそこからムハンマドが馬に乗り昇 天していった時に足跡を残している岩 があり、その地下 3 階にはそこでイ エスが神に祈りを捧げたという岩があ るという。近頃流行の 3D 遺跡である。 二つの重要な遺跡に触れるのに移動時 間ほぼゼロ。効率のいい観光地ではあ る。しかし、現実は、見るべきところ が多すぎて、丸三日を掛けても、結局 祈りを捧げ、自らの悲願の成就を願う ユダヤ教徒が絶えることがない。「壁」 の祈りの領域へは、観光客の私も入り 口に準備されている「キッパ(直径 15 ㎝ばかりの皿を裏返したような帽 子)」をクリップで頭髪に留めて入っ て行くことになる。「キッパ」の隣の テーブルには小さなメモ用紙とペンが 準備されている。願い事のある人は、 紙にそれを書き、壁の石積みの隙間に 挟み込んで祈り、成就を願うのである。 ここまでされると、何もせづに出てく るのは悪いような気分になり、キッパ やメモ用紙の世話を見ている快活そう な若者に頼んでメモ用紙を貰い、しな くてもいいような質問をしてみる。 "Can I write it down in Japanese?" "No problem! He is smart!" 予期どおりの答えに思わずにやっと すると、何を思ったか、彼からも嬉し 金色の「岩ドーム」(イスラムの聖堂)と「嘆きの壁」(右下) そうな笑顔が戻ってきた。 − 10 − 型どおりのお祈りをし、願い事を石 の隙間に残すと、何かしら一仕事済ま から判断して母音を補いながら読まね ばならない。結局のところ、まだ聖書 せたような充実感に包まれる。日本人 に触れる機会も少なく、音読の経験も としては並の「無神論者」なのにと思 少ない若者の場合、指導者の音読に わず苦笑する。 従って、音の流れとして丸暗記するし かないのだという。これは大変な作業 バル・ミツヴァ 私が「嘆きの壁」へ行った日は、たま である。文意は、言葉として文章が頭 に入っていれば、後の経験や成長に たまユダヤ教のバル・ミツヴァと呼ばれ よって自然と理解が進むと考えられて る成人式の日に当たり、 「壁」の前で行 われるその式典を間近に眺める事ができ いるのである。 この考え方はイスラム教の布教戦略 た。私の誤解を恐れずに見たままを記す にも受け継がれているようである。比 と式典はこんな風に進む。 式典は各個人の家を中心に行われる。 祝われるのはヘブライ語で書かれた旧約 聖書を自由に読めるようになった十二〜 三歳からの若者である。彼は、伝統的 な楽器類を持った兄弟や従兄弟、叔父 達で構成される楽隊を伴って、にぎやか な音楽と共に「壁」の前までやって来 る。そこに保管されている旧約聖書の一 巻を受け取って、判定役の長老の待つ 所まで全員で移動する。若者は、その 場で長老に指定された聖書の何章何節 かを開け、大声で読み上げる。間違いな く、且つ、スムースに読了し、長老から OK が出ると若者のグループは歓声に包 まれ、若者はこの瞬間から大人の社会に 仲間入りが認められるのである。 一見、単純な式典に見えるが現実は そうでもないらしい。ヘブライ語の文 字は子音表記であり、初見の文章の場 較的歴史の浅いイスラム教が世界の広 い範囲にわたって布教に成功している 一因が、コーランを布教先の言葉に翻 訳せず、そのまま読み方を教えていっ たことにあるとも言われているが、そ の通りなのかもしれない。 合、読む人は文章の内容や前後の文意 世紀にもわたる平和裡の共存が実現し エルサレム旧市街の住み分け エルサレム旧市街は、大きくは、ユ ダヤ教徒地区、ムスリム(イスラム教 徒)地区、キリスト教徒地区、アルメ ニア教徒地区の四つに分けられ、それ ぞれの宗派を信奉する人々が、その地 区にある各宗派の聖地(遺跡)を守る ようにして住んでいる。ここでは他の 宗派の宗教を互いに尊重しあう寛容の 精神のルールが確立し、時に外界の政 治情勢などから教徒間の摩擦が持ち込 まれても、時間と共に寛容の精神に基 づくバランスが回復し、結果として何 − 11 − ている。この異教徒共存の理想郷のよ うな旧エルサレムを挟んで、周辺の げ、運び上げていたとしたら、その作 国々が、未だ、人命の犠牲を払うよう 業は命の危険も伴い、想像を絶する厳 しいものだったに違いない。ユダヤの な争いを続けている矛盾はどうしたこ 人々はいかにしてこの苦難に耐え、二 となのだろうか…? 目の前に学ぶべき モデルが転がっていると言うのに…?! 年有余もの間、籠城戦を戦えたのだろ うか? いくら考えても結論が出ない まま、この疑問は、いつかイスラエル 「マサダ(要塞) 」 「 マ サ ダ 」 は、 死 海 の 東 岸 の 標 高 400 ㍍の岩山の頂上に、ヘロデ王の別 荘を兼ねて作られた要塞であり、写真 で見られるとおり、岩山の垂直な壁を 利用して作られた正に難攻不落の要塞 であった。私がマサダの存在を知った のは学生時代であり、967 人のユダヤ 兵とその家族がここに立てこもり、2 年以上にわたってローマ兵を相手に籠 城戦を戦ったと知ったとき、最初に頭 に浮かんだ疑問が「水」だった。ろく に草木も生えない荒野の中でいかにし て水の補給を続け得たか? 井戸? そ う言えば、中部イタリアのオルヴィ エートに、丘の上の街に給水すべく丘 の凝灰岩を掘り抜いた 60 ㍍を越す井 戸があったっけ ! でも、 「マサダ」の 岩山の標高 400 ㍍をまるまる掘って もこの荒野、水脈にあたるとは思えな い。天水? まさか ! 降雨量の少ない 砂漠のなかで、屋根に降る雨水の全て を採取できる仕組みを作っても 1000 人近い人の需要を満たせるとは思えな い。 戦いの合間にローマ軍の目を盗み、 へ行く機会があれば自ら答えを見つけ てみようと積年の課題として抱えつづ けることとなった。 そして今回のイスラエル行 ! 答え は「マサダ」の中に展示されている集 水システムの模型を見て一目でわかっ た。答えは「天水」。拍子抜けする結 果 ! しかも、この解答は私の視野の 狭さ、発想の柔軟性の欠如を思い知ら されるものであった。 山を降りてどこかの泉の水を汲み上 − 12 − マサダ要塞の鳥瞰図 まず、 「マサダ」の集水システムに ついて説明する。 「ああ、我が発想の何という貧しさ !」 と只ただ恥じ入るばかりであった。 ①要塞マサダが建設されている山の頂 参考までに、ここに最後に立てこもっ 上から中腹までに山を構成する水成 て、一万人と伝えられるローマ軍の兵士 岩に断面積 1 平方㍍程度の水路(溝) を山を取り巻くように螺旋状に掘る。 を相手に互角以上の籠城戦を二年以上 にわたって戦い、最後を全戦闘員の自決 ②中腹の水路の末端に小型の貯水槽を 作る。 ③水路に沿ってロバが通れる程度の小 道を造っておく。 ④①〜③のシステムを必要に応じて複 数本造る。 で締め括った、ベン・ヤイールに率いら れた 967 人のユダヤの人々の考え方を 記しておく。 「我々は戦いに敗れたわけでもなく、虜 囚となったわけでもない。一自由人とし て戦い、 我々の自由意志で戦いを収める。 ⑤雨が降ると頂上から中腹の貯水槽ま での山肌に降った雨のほとんどが、 山を取り巻く水路を経て中腹の貯水 槽に溜まる。 ⑥中腹の貯水槽に溜まった水はロバの 背に揺られて頂上の要塞に別途造ら れた本貯水槽に集められる。 このようにして常時 4 万㌧の水を備蓄 できたと言うことである。 何のことはない ! 天水と言えば、集 水面積として私は自分の家の屋根の面 積を無意識に考え、それで集められる水 の量を前提として可能性を考えていた が、紀元元年のユダヤの人々は集水機 の有効面積として山の頂上から中腹まで の投影面積を考えていたのである。同じ 天水を考えても、私の発想では、 「1000 人の人の需要は賄えない」という結論と なり、当時のユダヤの人々の発想では、 「山に降る雨を全部集めれば何も問題は 自決の道を取るのは最後の瞬間まで自由 人であることの証である」 彼らは「追い詰められたのではない」 事の証に、普通は敵の手に渡らぬように 処分する食料や飲料水をそのままに残 し、その量は 1000 人の兵士をなお数ヶ 月も賄えるだけあったと言う。籠城側で 生き残ったのは 5 人の妊婦と 2 人の幼 児だけであった。 この 11 月に入って始まっていたイ スラエルとハマス間の紛争は、今日現 在(11 月 30 日)、周辺国の仲介など もあって小康を保っているようです が、両当事国の国民の方々が心安らか に眠れる日が一日も早く訪れる事を祈 念しながら、私の雑文を終わらせて頂 きます。お付き合い、どうも有難うご ざいました。 ない」との結論が導かれることとなる。 − 13 − フィガロリサーチ株式会社 代表取締役 見学記 「 九州大学 浮体式海上風力発電 見学レポート」 おか 岡 い 井 みつる 満 今回の見学会は、1 泊 2 日で風力発 学」を大変楽しみにしていた。また現 電、小水力発電、そして地熱発電に関 連する施設を見学するという再生可能 在、浮体式構造物を海上に建設し、そ こで海産物等の生産と利活用を行うと エネルギーをテーマとしたものであっ いうプロジェクトに関与していること た。再生可能エネルギーについては、 3.11 の震災以降、改めて注目されて から、浮体式構造物の実証試験の現場 に行けたことは誠に幸運であった。 10 月 25 日( 木 ) 午 後 1 時、 博 多 駅筑紫口に集合し、まず九州大学筑紫 キャンパスにある応用力学研究所へバ スにて移動した。ここで、九州大学応 用力学研究所について少し触れておき たい。九州大学応用力学研究所は、 「力 学に関する学理及びその応用の研究」 を専門領域とした研究機関である。平 成 21 年には文部科学省から全国共同 利用・応用力学研究拠点として認定さ れ、全国の研究者らが協力し、21 世 いる分野であることから、大変興味を 持って参加された方も多かったのでは ないだろうか。私からは九州大学の応 用力学研究所見学、そして博多湾での 浮体式海上風力発電の実証試験施設見 学について報告させていただきたいと 思う。 私はこれまでに風力発電所の建設 適地の選定調査や風力発電所建設に伴 う環境アセスメント業務に従事してい たこともあり、今回の「レンズ風車見 レンズ風車(側面) レンズ風車(正面) − 14 − 紀の地球環境保全と新エネルギーの開 発に重点をおいた研究を積極的に行っ ある(前頁写真)。 この風レンズ体の影響により、風 ている研究機関である。 車後方に渦による低圧領域が発生し、 ◆九州大学応用力学研究所 研究所到着後、まず初めに講義室 において新エネルギー力学部門風工学 分野の大屋裕二教授から、 「風レンズ 技術」や「レンズ風車」に関する説明 を受けた。非常に難しい「風工学」に 関する分野を分かりやすく説明してい より多くの風を引き込むことが可能と なる。風力発電の場合、発電量 P は 風車に流入する風速 V の 3 乗に比例(P ∝ V3)するので、同じ風速であって も一般の風車に比べてレンズ風車の発 電量が大きくなる。このレンズ体によ る現象は同じ流体である水中において ただいた。またレンズ風車の中国への も同様の効果が期待でき、潮流発電に も応用できるということであった。 展開や国の補助金を獲得するまでの苦 労話等についても聞かせていただい た。 さて、読者の中にはレンズ風車に ついてご存知の方もいるかもしれない が、ここでレンズ風車の原理について 触れてみたい。レンズ風車は、従来の 風車の羽(ブレード)周りにツバ付き の輪っか(以下、 「風レンズ体」とい う。 )を装着した形状の風車のことで 効果として、ブレードの風切り音を低 減させる効果がある。一般の風車と比 べて騒音の低減化を実現しているとい うことであった。これは、ブレードの 回転によって生じる渦(翼端渦 = 騒音 の発生源)が風レンズ体によって作り 出される渦によって消滅するためであ る。さらに、一般的な風車と異なりブ レードの周囲に構造体があるので、こ また風レンズ体の設置による他の − 15 − レンズ風車の実証試験風景 の部分にメッシュを設置すれば(扇風 は風車自体を倒し、損傷を最低限に回 機をイメージしてもらえばよい)、風 力発電所建設において、しばしば指摘 されるバードストライクを防止するこ とが可能となる。また、一般的な風車 では、ブレードに落雷する場合が多く ブレード損傷の原因になっているが、 構造体の部分に避雷針を設置すれば落 雷によるブレードの損傷を防ぐことも 可能となるということであった。 もう 1 つ、大屋教授がレンズ風車 の開発を進めていく上で重要であると 強調されていたものに、日本での普及 を想定した場合の自然災害からのリス ク低減がある。すなわち、日本は大型 台風の襲来が多くなってきているの で、強風にも耐えられるような設計と 併せて様々な工夫が必要であるという 点である。その工夫の一つとして、レ ンズ風車ではポールが折りたためる構 避できる設計となっている。 以上のようにレンズ風車は、これ までの風力発電設備で課題とされてい た諸課題をクリアできる風車というこ とで国内外から注目されている。 さて次に一行は研究所内にある風 洞実験棟へ移動し、実験状況の見学を 行った。ここで、先ほどのレンズ風車 の仕組みを実際に目の当たりにするこ とができた。上図をご覧いただきたい。 この装置は、風レンズ体の部分が可動 式になっており前後に移動する。また ブレード部分の風速を測定するセンサ ーが設置されており、写真左側のパソ コン画面に風速が掲示されるようにな っている。実験が開始し風レンズ体が ブレードに近づくにつれ、風速がどん どん増加していくのが画面で確認でき た。スタート時 11.7m/s であった風速 造となっており、台風が近づいた時に が、風レンズ体が設置した状態になる − 16 − データを自動的に送信できるようにな っている。また副次的な効果として、 海上に設けられた構造物が人工漁礁と なり、多くの生物の生育・生息の場を 提供している。実際に施設周りにはた くさんの魚影が確認できた。この実証 実験は環境省の補助金を得て実施され ており今年度で終了するとのことであ 浮体式海上風力発電施設の全景 った。大屋教授によると、浮体式風力 発電の今後の構想は、『洋上浮体式複 と 17.9m/s に増速していた。同じ風速 合エネルギーファーム』であり、「多 の状況であってもレンズ体を設置する だけで、ブレード部分では約 1.5 倍の 目的 : 漁業との共存」を目指して行く とのことであった。将来、化石燃料の 風速になっていることが実証された。 まさに 「レンズ体おそるべし !」である。 枯渇により船舶や小型飛行機等の電化 が進むとなれば、電力エネルギー供給 基地や漁業と共存した施設(例えば、 養殖生け簀、藻類等の培養施設など) として利用されることが考えられる。 ◆博多湾浮体式海上風力発電施設 続いて一行は応用力学研究所を出 発し、首都高速道路を経由して博多湾 に浮かぶ浮体式風力発電施設へと移動 した。博多湾は物流がメインの国際港 湾であり工場は少ない。また埋立地で ある「福岡アイランドシティ」には現 在スマートシティが形成されつつあっ た。博多湾のマリーナに到着後、小型 船に乗り換え海上に浮かぶ施設へ移 動。この海上実験施設の目的は、将来 の大型化と外海(玄界灘)での設置を 想定した基礎データを収集することで ある。この浮体構造物上には、太陽光 発電装置も設置されており風力発電と ◆最後に 大屋教授が説明の中で、東北大震災 により被災した少女の写真を見せ、 「私 は、この少女の顔を忘れずに、この研 究を進めていきたい」と話されていた のがとても印象的であった。この 1 枚 の写真が大屋教授の研究に対する原動 力になっているようであった。私も技 術者として、このように熱意を持って 仕事に取り組んでいかなければ ! と気 持ちを新たにした見学会であった。 太陽光発電によって得られた電気を利 用して、応用力学研究所に測定された − 17 − 株式会社環境総合テクノス 環境部 地球環境グループ 私のとっておき 「 自然との共生の中で・人生の選択 ペンション経営にトライ」 ほり え た か お 堀 江 多 賀 雄 あなたは老後をどのように暮しま すか。趣味、旅行、再度仕事…… この課題には誰もが遭遇する。い かなる生き方を選ぶかは人それぞれだ ろう。私は 20 代の頃の夢、ペンショ ンオーナーに挑む。65 歳それは老化 というリスクを持ちながらの自然との 共生、生涯現役へのスタートである。 まだ、3 年 6 か月の経験であるがエ ピソードなどを紹介し、少し自然との 共生や寒冷地の生活、田舎暮らしへの 移住の楽しさ、苦労などを通して地域 の良さと格差など知っていただければ 幸いである。 1. 自然との共生への準備 ――経緯と移住地の環境 団塊の世代が老年期に入り、2030 年代には 65 歳以上が 3 人に 1 人にな るといわれている。私は団塊世代の少 し前の生まれではあるが、定年退職後 の生き方がとかく話題になる世代でも ある。調査機関の資料によると定年退 職後の過ごし方、希望の第一は働くこ と、第二が旅行、第三が田舎暮らしで あるとか。どうやら私は第一位と第三 位の道を行っているようだ。 私が八ヶ岳の山麓原村に移住したの は2009年 4月、 66 歳の時である。 よく 「な ぜ八ヶ岳の地を」とか、 「田舎暮らし はどう」と聞かれるが、それほど深く 考え設計してきたわけでもない。そも そも田舎に移住することとした動機は、 長い人生で知り合ったネットワークを 最後「田舎と都会をつなぐ形で少し社 会に貢献してみよう」との思いと「若 い頃の夢、 ペンションオーナー」の実現、 この二つが大きな動機で都会から離れ ることとしたのである。 ◇移住地の選択、多くの人が迷うが 63 歳の夏、終の生活の実現に向け、 インターネットで調べた不動産情報 と知人からの情報をもとに信州塩尻、 八ヶ岳原村と安曇野を訪れた。何しろ 当時はまだ自動車免許を持っていな かったため、あちらこちらと探索の自 由はなく、不動産屋さんの案内に任せ 数件を見て廻っただけである。ネット での写真は美しいシーンを切り取った もので、実際とのギャップはかなり大 きかったが。幸い、二番目に訪れた村 − 18 − が日本で最初のペンション開発地区との 事もあり、森の中に開かれた家々とスー スであるため粉雪を箒で掃くことで事 う条件が気に入り、即日購入する返事を 足りる。ただ、雪が少ないからと放置 すると日当たりが良い場所でも、真冬 は融雪しても濡れている処に次の雪が した。それが原村移住の第一歩である。 積もると道路は氷り危険であることか パーや病院が近くに(車だが)あるとい ◇移住地原村という町は 原村、関西の人にはあまり知られてい ない。原村は標高 800m 位から八ヶ岳山 麓に広がる八ヶ岳中央高原一帯で、南 方面の隣町は富士見町、 「風立ちぬ」を 執筆した堀辰雄が療養していたサナト リュームがあった地でよく知られてい る。その先を南に降りると山梨県でサン トリーの白州工場があるところである。 また、西北は茅野市、上諏訪、下諏訪、 岡谷市と長野県でも観光と工業の地で ある。いずれも原村からは車で 1 時間そ こそこの圏内に有る。 私の住まいは原村八ヶ岳山麓標高 1300 メータにある。夏は涼しくクーラー は不要。冬は 5 〜− 10 度強、たまには − 20 度になることもある。雪はさほど 降らない。大雪で約 40 センチ強程度が 4回程度か。 数センチの雪は時折降るが、 乾燥し日照率が日本でも二、三番クラ 八ヶ岳の峰々 ら箒で雪を掃く回数は多い。 降雪が少ないのは、北アルプス、中央ア ルプス、南アルプス、東は八ヶ岳連峰を背 にする盆地地形のため、日本海の雪はアル プスに遮られ乾燥している。 また、原村は東京新宿からバスで 2 時間 30 分(JR で約 2 時間)と意外に 首都圏から近く、多くの別荘地が点在す る。そのお蔭か村の財政は比較的健全 で、病院も隣町に総合病院があり、買い 物も便利である。村は高原がもたらす自 然環境の影響か、元気な高齢者が多い。 現在原村は 65 歳以上医療費無料という 制度を採っており、今のところ継続中で ある。産業はセロリ―、ブルーベリーと 花栽培を中心とした農産と観光の村で ある。 ◇田舎暮らし、そして 新しい仕事へ…準備 移住前には、このような村の知識に は乏しく、木漏れ日の生活環境にあこ がれて選択、そして 2009 年 4 月に引っ 越した。物件購入 1 年後である。自動 車免許を持っていない私はまず始めに 田舎暮らしの必須自動車免許取得にト ライ、そして、食品衛生責任者の証明 を受け開業の準備に入った。 − 19 − 築 30 年の建物は思いのほか傷んで いたが外壁や構造上専門性が求められ 環境システムの課題などを実感した。 るところは別として、無垢の木ででき 2. ペンションの語源と生活の愉しみ た柱や窓、扉などすべて可能な範囲で 読者の多くはイギリスを一度や二度 自らの手で磨き、友人、家族の手助け を得て古い建物をリフォームし、その ならず旅された方が多いと思う。でも、 イギリスの B&B を利用された方は意 プロセスを楽しんだ。 その年はまだ産業クラスターの仕事 外と少ないのではないか。ペンション の語源は欧州の食事つき下宿フランス が継続半ばであったため、移住後も 1 語の「パンシオン」から採ったそうだ。 年は月 10 日ほど長野から大阪に出張 して業務をつづけながら開業準備をお 英語の「PENSION」には年金という 意味があり、イギリスでは多くのケー こなった。 ス「年金生活の方が独り立ちした子供 ◇ペンション開業の手続き ペンションの開業には旅館業と飲食 業の許可がいる。旅館業は消防署の適 性検査がいる。飲食業は調理師か衛生 責任者の認証がいる。この書類を整え 保険所に申請し立ち合い検査を得て認 可 さ れ る。 わ が 家 は 2009 年 8 月 15 日が開業の日となった。 移住して 4 か月、5 月でも時に零下に なる日や雪が残るという高原の特徴を味 わいつつ準備、そして、直ぐ自然との 共生の在り方、都会と田舎の情報環境 ギャップ、地方政策のミスマッチ、住居 ペンションの庭 の空いた部屋を朝食付きで貸す」こ のスタイルが一般的でこれを B&B と 言っている。日本の「ペンション」は 俗説らしい。我が家も同じ年金生活者 スタイルであるが、近くに最適な夕食 場所がないので、自家栽培した無農薬、 有機栽培を使って夕食、朝食の二食を 出している。もちろん B&B, 素泊まり は大歓迎である。 原村はペンションという新しい観光 産業を本格的に開発した最初の地で、 1973 年に始まり当時は最大のペンショ ン地区で、まさに「anan」 「nonon」族 といわれた時代、ペンションブーム火 付け役の場所である。今は、ブームも 去り落ち着いた木漏れ日の町であるが。 ◇田舎暮らしの重要な要素… ペンションに携わり学んだ愉しみ では田舎暮らしやペンション経営で 大切な事とは何か。短い経験であるが、 − 20 − 私は①何でもできること、②体力と努 力を惜しまないこと、③自然となじめ 住してきたお店が 2 軒ある。 何事も楽しめること、の三つが最も必 3. 自然との共生と観察 要と考えている。 ① 何でもできることとは。ある時 ――エピソード は料理人、またある時は大工、 ペンションを本格的に開業して 3 年、私は移住後すぐ、自然との共生や ガーデナー、農夫、……と自ら が働き維持コストを極力外部に 寒冷地対応、田舎と都会との格差…… など知識と実際のギャップを知ること ゆだねない。 ② 体力と努力を惜しまないこと。 薪を割り、掃除をし、時に建物 の補修……と何しろ体力勝負、 そして日々コツコツこなす努力 が不可欠である。 ③ 自然になじみ愉しめること。こ れは働くことの代償でもあるし この気持ちがないと続かない。 自然の中で愉しめることがスト レスを解放してくれる。また、 自然と共生しているため鳥や虫 が建物を傷めたり、侵入してく る、そのことを受け入れられる ことでもある。 もちろん、料理や人集めはペンショ ン経営の重要な要素であるが、終のラ イフプランとして臨む人にはむしろ上 述のことの方が重要な要素であろう。 特に、年金による生活ベースがある 方には共同生活者の賛同が得られれ ば、 人との触れ合いや自然体験が出来、 終の人生としては健康面からも新たな 生活の選択の一つとして検討に値する となった。 ⑴ キツツキの生態と共生 キツツキの生態の研究はいか程進ん でいるのであろうか。住んで間もなく 早朝コツコツと音がする。ノックの音 かと目覚めるとそれは外壁(板張り) を叩くアカゲラ、時にはアオゲラで あった。よく見るとすでに外壁には大 きな穴が 9 つ開けられていた。臭い やフクロウなど猛禽類のダミーを置い たりしたが効果なく、毎朝確実に壁を つつく。その年の終わりに、スズメバ チが屋根裏で巣作りされても困るし、 雨が入っても困るので取り急ぎ高所作 業車を借りてすべて塞いだ。ところが 1 か月後、ほぼ同じ場所の 4 か所に穴 を開けにやってきた。幾度か追い払っ と思う。近所にも同じような考えで移 − 21 − 壁をつつくキツツキ たが根負けし、結局いつの間にか「子 づくり」の場所となっていた。そして 6 羽が巣立った。今は、穴は放置しス ズメバチの巣にならないよう地上部で スズメバチが好きなお酒と酢と砂糖の 混合液を入れたペッとボトルを吊るし 捕獲に精を出して、キツツキとは共存 している。 (スズメバチ対策は都会で また、冬は水道管の凍結防止が必須 である。使用しない水道は水抜き栓を 閉め、管の水を抜いておく。使用中の ものには電熱ヒーターを水道管に巻き つけ凍結防止対策をとっている。とこ ろが床下は部屋を利用していると暖か いということで保温材が巻かれている も効果ありおすすめである。) なぜキツツキは同じ個所に穴を開 けに戻ってくるのか、また、類似した 家でも穴を開けに行く家とそうでない 家があるのか、いまだ理由はわからな いでキツツキと共生している。 自然が豊かであることは、いろいろ 複合的なことが起こる。これも自然の 贈り物かと生態の一端を体験した。 ⑵ 自然は美しい、しかし水の管理は これから本格的な冬である。標高 1300 メータの地は時に素晴らしい自然 の造形美を見せてくれる。温度は日当 たりでも零下、時には夜、零下 20 度 のときもある。もっとも太陽の下では 気温 0 度以下でも暖かく、路面や屋根 は温まり、雪と氷が流れ落ちる。木陰 や家の影は雪が凍結し寒さが続くと 15 センチ位の板状の氷塊が出来、暖かい 日に接触面が融け滑り落ちてくる。新 聞 1 ページくらいの大きな塊、量ると 35 キロあった。雪降ろしはここでは不 要であるが、この氷塊は危険この上な い。 冬のペンション だけのところが多く、たまに零下 20 度と予想外の寒さになると床下でも凍 結する。特に古い建物は管も古くなり 破裂しやすく、補修には多額の経費を 要する。高齢者時代は同時に高齢建築 物の時代でもある。水道凍結防止の手 法をもっと簡易に、もっとシステム的 にできないものかと更なる研究の余地 を感じた次第である。 ◇高すぎるエネルギー経費 冬が訪れるといつも悩むのがエネル ギーコストである。電熱ヒーターを稼 働させるだけで電気代が夏の 2 倍を超 える。多くのペンションは来客の関係 から 24 時間ボイラに火を入れ、お湯 を循環させ洗面所などに供給している。 普通の住居とは少し異なるが、冬場の エネルギー経費削減は寒冷地居住者の − 22 − 大きな課題である。また、多くの暖房 器具が電気起動のため、いったん停電 すると凍結と重なり大きな損害を招く。 我が家は 1 年目の水道管凍結の経 験から 2 年目の冬前に床下に入りお湯 と水のパイプを一つの保温材で巻き、 暖かいお湯を利用して水の凍結防止に 役立てている。このような生活の知恵 燃えてしまう上に、油脂成分が高いの で鋳物ストーブは傷めやすい。薪のコ ストは直径 25 センチ束、長さ 45 セ ンチ薪で一束 450 円強である。カラ マツであれば 300 円くらい。普通の 住宅であれば一日 2 〜 3 束くらいか。 ストーブの暖かさは本当に心地よい が、コストがかかる。 は業者も教えてくれない。寒い地域の 高齢住宅の暖房と凍結防止、除雪、こ こには更なる研究課題と市場があると ◇森林産業の付加価値高めるために、 思われる。 薪の購入を通して学んだことであ るが、山には財産区という共同の地権 所有者が多く、山の管理や利用には何 十件もの地権者の説得がいる。その上、 急坂で運び出しが困難な地形が多く、 コストがまだ追いつかないという。 近年、環境問題の高まりと田舎では他 に職がないこともあり、森林産業に関心 が集まり、最近、村の若者の林業に携わ る人口が少し増えているようである。 ドイツでは伐採、加工、販売と市 場ニーズを上手く捉え、伐採から販売 まで一環システムとして推進する仕組 みが出来、今や基幹産業になっている。 今、日本の森林は植林後 50 年と伐採 最適年に有るが、いまだ輸入材に押さ れている現状である。ドイツの林業の ように、都会のニーズをよく知るデザ イナーと連携し、木材の伐採段階から 商品化に向けた部材加工、生産、販売、 ⑶ 樹木の管理、薪の確保、地域格差 自然豊富に暮らすことは意外とコス トがかかることを実感した。最近は都 会でも住宅に薪ストーブの導入希望者 が増えているという。多くの読者は山 の中なら森林がそばにあるので簡単に 薪が手に入るものと思っておられるか もしれない。我が家も御多分にもれず 薪ストーブを導入したが、ストーブに 最適な薪、楢材などは、最近手に入り にくくなってきた。近年、カラマツス トーブの普及が進んでいるが、カラマ ツは楢 1 本を燃やす間に二本くらい 薪割り デザインと用途開発で基幹産業に フォローと言った付加価値を高めた商 品提供をする一環システムへの対応政 − 23 − 策が求められている。 のペンション業への変身であるが、長 い団体活動で知り合ったネットワーク ⑷ 都会と田舎との連携は で今も私の人生を支えてもらってい 新商品開発の宝庫 る。この紙面をお借りして厚くお礼申 田舎(地方)には都会の知恵と市場 と融合出来ると地域の活力を上げる題 し上げるしだいである。 最後に、最近、田舎暮らしについての 材が沢山ある。紙面の関係で以下その テーマだけになるが、①日本ミツバチ FP(ファイナンシャルプランナー)への 相談を雑誌や新聞で目にすることがある。 の養蜂促進と環境対策、②高齢化と田 わたくしも物件購入、田舎暮らしの生活、 舎の情報化環境整備・情報リテラシー の向上、③地域の立地を生かした発電 野菜栽培などこの分野での実体験を積ん だので、田舎暮らしや異った環境との地 システム、④田舎のシルバー人材活用 域交流などのご相談にも応じながら、の 施策見直しと青年連携、⑤田舎こそス マートハウスなど知恵と研究でニュー ビジネス、新商品開発につながる潜在 テーマがあると感じている。 んびり経営していこうかと思っているこ の頃である。 この紙面がみなさんの目に触れる ころ我が家は真冬、多分零下の日々で あろう。あまり、寒すぎるのは困るが、 薪ストーブの前でのんびり出来るのも 冬である。 2013 年も健康で、良い年でありま すように。最後までお付き合いいただ きありがとうございました。 4. 終わりに…… 暖炉で一杯いかが 移住して 4 回目の冬を迎える。今 年は我が家の事が 7 月 27 日付の朝日 新聞全国版「55 プラス」という企画 記事に掲載され、新しい方などとの出 会いも出来た。 大阪科学技術センター定年後、イ メージ情報科学研究所を経て、産業ク ラスターなどの仕事をお手伝いして後 ◆ペンションの日々の生活や近辺の 景観 , お問い合わせなどはブログ ①「 ペ ン シ ョ ン 森 の cradle」 http://cradle-gotakuro.blogspot.jp/ ②「 ク レ イ ド ル お じ さ ん の ……」 http://blog.goo.ne.jp/horidole-1 を ご 覧いただきご連絡いただければ幸いで ある。 クレードル ペンション森の cradle ⎛元㈶大阪科学技術センター⎞ ⎝㈶イメージ情報科学研究所⎠ − 24 − 新会員紹介 新しく入会された会員をご紹介します。 〔五十音順・敬称略〕 (1)年齢 (2)出身地 (3)所属・役職 (4)趣味・読書(最近読んだ本) ・旅行(印象に残っ た土地) (5)新年・入会に際しての抱負など え じま とし や け いし ともひろ 江島 俊也 (1)51 歳 (2)長崎県 長崎市 (3)三菱重工業株式会社 原動機部長 (4)読書:最近読んだ中では「永遠のゼロ」に感動しました。家族や社会の 為に 20 歳前後で命を落とされた方々のことを思うと、50 歳を超えた自 分の精神や行動を情けなく、日々を精進していこうと思った次第です。 (5)技術立国、日本の為、大阪の地での縁を大切につないでいきたいと 考えております。 結石 友宏 (1)59 歳 (2)岡山県 (3)住友電気工業株式会社 解析技術研究センター 主幹 (4)読書:マーケティングの実践教科書、よくわかる生産管理のしくみ、 管理会計の基本 旅行:奥入瀬渓流。渓流沿いの遊歩道を下流から 十和田湖に向けて歩くと、幾つも滝が点在し、美しい自然と心の安 らぎを感じることができて最高でした。 (5)平成 22 年の技術士業務研修コース参加の技術士仲間と NPO 法人 関西技術経営コンサルタンツを設立しました。中小企業診断士の資 格も取得中です。定年後は中小企業のコンサルタントとして、日本 の GDP 底上げに貢献したいと思います。よろしくお願い致します。 さか ひろのぶ 坂 寛延 (1)53 歳 (2)兵庫県 (3)住友電気工業株式会社 自動車技術研究所 主幹 (4)旅行:ドイツ ウルム大聖堂の世界一高い教会の尖塔。約 140m の 頂上(東京タワーの第 1 展望台相当)まで一歩一歩自分の足で登っ て見えた夕焼けのウルム市街の展望は忘れられません。 (5)各分野で活躍されている方々のお話に含まれる“新しいモノの見方” や“分野を超えた学び”から、仕事だけでなく人生においても、新 たな着想が得られればと、期待しております。 さ とう けん いち 佐藤 謙一 (1)64 歳 (2)愛知県 (3)住友電気工業株式会社 フェロー 材料技術研究開発本部・技師長 (4)読書:日本古代史、明治維新前後の話など乱読中。大きく時代が変 化する時に人はどう動くのか、大変勉強になります。 旅行:白神 山地・ブナの原生林を歩いているとホッとします。 (世界遺産です。 ) 400 年前にブナ林の伐採を留めた “留山” という場所があります。 (秋 田側) 。昔にえらい人がいたものです。 (5)現在、超電導研究開発に携わっています。物理・化学・電気・機械 など多くの分野に関係します。いろいろなキャリアの方とお会いで きることが楽しみです。 − 25 − にしおか たか お にしぐち まさのり にし だ やすのぶ もりおか みき お 西岡 隆夫 (1)53 歳 (2)京都府 (3)住友電気工業株式会社 アドバンストマテリアル研究所 部長 (4)旅行:南仏ポリニャーノ・ア・マーレの海岸沿いにそそり立つ岩壁の 洞窟レストランでのディナーは忘れられない想い出です。オフシーズ ンでしたが地元の友人が一緒で、我々ゲストのために洞窟に灯りを付 けてもらい味わった紺碧のアドリア海のシーフードは絶品でした。 (5)若い研究メンバーには日頃より外へ出て他流試合で自分を磨くこ と、また外の鏡で自らのポジションをチェックすることを奨励して います。貴クラブの入会により自身も他流試合で研鑽できるよう努 めていきたいと考えています。 西口 勝規 (1)55 歳 (2)奈良県 (3)住友電気工業株式会社 パワーデバイス開発部長 (4)趣味:多趣味 下記の他に随筆も書きます。 読書:塩野七生『神の代理人』彼女の作品は、ほぼ読破しているが、 最近文庫本で再刊されたので読み直した。初期の気負いも感じられ るが、分析力には何時も感心させられる。 旅行:入社 30 年記念で、 家族 5 人で南独とチェコ・プラハを旅した。名物のビールを呑み歩 きながら、古城を巡り、中世文化に想いを馳せた。 ゴルフ:2 度 の米国駐在で、距離のあるコースには対応できるが、帰任して練習 不足で日本のコースを回ると苦戦の連続。 (5)四半世紀ぶりに関西に帰ってきました。その間、海外で仕事をする ことが多かったので、その経験も活かしつつ、関西ならではの柔軟 な発想と粘り強さを学び直して、新しい観点から活動できれば嬉し いと考えています。よろしくお願い致します。 西田 泰信 (1)48 歳 (2)兵庫県 (3)関電プラント株式会社 取締役 原子力事業本部 副本部長 (4)趣味:スポーツ(スキー、ゴルフ、ジョギング) 読書:空気の研究 (山本七平) 、ゲーテの警告・ニーチェの警鐘(適菜収) 、ワープする 宇宙− 5 次元の謎を解く(リサランドール) 旅行:ハンガリー・ブ ダペスト(歴史を感じる荘厳な都市) (5)将来の日本を想い、諸先輩方々から、様々な多くの刺激を受けなが ら、よく学び、自分自身大きく成長したいと思っております。皆様 よろしくお願いいたします。 盛岡 幹雄 (1)62 歳 (2)大阪市 (3)住友電気工業株式会社 情報通信事業本部 技師長 (4)旅行:昨年春に白神山地、秋に屋久島に旅をしました。いずれも日 本で初めて世界遺産として登録された地であり、そのスケールの大 きい自然に感動しました。 (5)国内外の政治、経済、社会情勢等非常に不安定で「先の読みにくい 時代」を迎えています。様々な分野の市場、技術動向等を学び、将 来に向けての洞察力を高めたいと思います。 − 26 − 2013年 (平成25年) 謹 賀 新 年 大谷クリニック 京都大学 名誉教授 一(財︶ 大阪科学技術センター 顧問 大阪大学 名誉教授 大阪学院大学 名誉教授 小谷恒之 院長 木 村 逸 郎 京都大学 名誉教授 福井大学 名誉教授 遷 大阪大学 大 谷 大阪府立大学 熊 谷 信昭 大阪大学 名誉教授 取締役会長 国際電気通信基礎技術研究所 児 嶋 眞平 福井大学 前学長 一(財︶ 大阪科学技術センター 顧問 名誉教授 大阪府立大学 大学院工学研究科 教授 神戸大学 理事長・学長 樹 下 行三 名誉教授 奥 野 武 俊 小川昭 弥 宇麼谷教明 − 27 − 2013年 (平成25年) 謹 賀 新 年 大阪大学 名誉教授 高 橋 賢 博 名誉教授 奈良県立医科大学 大阪大学 東 松 孝 臣 名誉理事 学校法人常翔学園 大阪電気通信大学 中野秀男 名誉教授 大阪市立大学 長尾信次 名誉教授 一英 名誉教授 谷 ︵社団︶ テラプロジェクト 理事長 智の木協会 代表幹事 小 林 昭 雄 大阪大学 名誉教授 智の木協会 理事長 関西センター 所長 豊田政 男 ︵独︶ 産業技術総合研究所 学院長 田口 隆 久 帝塚山学院 児 玉 隆 夫 (五十音順) − 28 − 2013年 (平成25年) 謹 賀 新 年 名誉教授 大阪市立大学 専務理事 山 本 研二郎 ︵社団︶ テラプロジェクト 峯 平 慎哉 暹 京都大学エネルギー理工学研究所 京都大学 名誉教授 特任教授 大阪大学 名誉教授 公 (財 レ )ーザー技術総合研究所 名誉所長・副理事長 吉 川 − 29 − ︵地独︶ 大阪府立産業技術総合研究所 理事長 山中千代衛 名誉教授 古寺雅晴 一(財 大 )阪科学技術センター 顧問 吉 岡 恒夫 姫路工業大学 宮 﨑 慶 次 大阪大学 名誉教授 邦夫 京都大学 名誉教授 東 (五十音順) ISCO 行事予定 1月 「新年交歓会」 ●と き:2013 年 1 月 7 日(月) 15:30 ~ 17:00 ●ところ:大阪科学技術センタービル 7・8 階 2月 「国際交流懇談会」(一財)大阪科学技術センター共催事業 ●と き:2013 年 2 月 7 日(木) 13:30 ~ 15:00 ●ところ:大阪科学技術センタービル 702 号室 ●ゲスト:マーノップチャイ ウォンパックディー 氏 (タイ王国総領事館 総領事) ●テーマ:「洪水からの復興 1 年のタイ(仮題)」 ●参加費:無料 「第 2 回吟醸酒セミナー ~東北地方の復興を応援しよう~」 ●と き:2013 年 2 月 8 日(金)18:30 ~ 20:30 ●ところ:大阪科学技術センター 7 階 レストラン ●ゲスト:伊藤 嘉章 氏 (㈱伊勢屋) ●テーマ:「被災地 東北地方の『日本酒』について(仮題)」 ●参加費:7,000 円(日本酒・食事代) 3月 「国際交流懇談会」 ●と き:2013 年 3 月 7 日(木) 15:30 ~ 17:00 ●ところ:大阪科学技術センタービル 601 号室 ●ゲスト:川下 史朗 氏 (在大阪カズフスタン共和国名誉領事館 名誉領事) ●テーマ:「『カズフスタン共和国』 豊かな自然と豊かな資源の国(仮題)」 ●参加費:1,500 円 「見学会 ~周山街道の 120 周年を迎える羽田酒蔵~」 ●と き:2013 年 3 月 16 日(土) 9:15 ~ 17:10 ●ところ:羽田酒造 (京都周山街道)京都市右京区京北周山町下台 20 ●ゲスト:中村 彰 氏 (大丸興業㈱食品統括部製品流通部マネージャー / シニアワインアドバイザー) ●スケジュール: 9:15 JR 京都駅 集合(路線バスにて移動) 11:30 羽田酒造 酒蔵見学とオーナー羽田裕氏との懇談・昼食・新酒試飲 15:40 路線バスにて移動 − 30 − 17:10 JR 京都駅 解散 ●定 員:20 名 ●参加費:6,000 円(食事、酒代) ~参加者には詳細を送付いたします~ 「関西国際センター見学会 ~外交官・公務員研修生との交流昼食会~」 ●と き:2013 年 3 月 29 日(金) ●スケジュール: 10:20 JR・南海電鉄 りんくうタウン駅 集合(送迎バスにて移動) 10:40 関西国際センター施設見学・研修風景見学 12:00 外交官・公務員研修生との交流ランチ 13:30 JR・南海電鉄 りんくうタウン駅 解散(送迎バスにて移動) ●参加費:2,000 円(昼食代) ~参加者には詳細を送付いたします~ 第 11 期 金曜サイエンスサロン 「上海、ソウル、そして大阪の IT 最新事情」 (3 回シリーズ) ◇と き:2013 年 3 月 8 日・15 日・22 日 18:15 ~ 20:15 ◇ところ:大阪科学技術センター 600 号室 ◇コーディネーター:中野 秀男 氏(大阪市立大学 名誉教授) ◇参加費:20,000 円(3 回シリーズ 1社 2 名参加として・代理出席可) <第 1 回> ●と き:2013 年 3 月 8 日(金) 18:15 ~ 20:15 ●ゲスト:下條 真司 氏(大阪大学サイバーメディアセンター 教授) ●テーマ:「VislabOsaka うめきたで起こす可視化のイノベーション」 <第 2 回> ●と き:2013 年 3 月 15 日(金) 18:15 ~ 20:15 ●ゲスト:西田 純二 氏(㈱社会システム総合研究所 代表取締役) :松本 敏文 氏(T&Yマツモトコーポレーション 代表取締役) ●テーマ:「ソウルのユビキタス : Part 2」 <第 3 回> ●と き:2013 年 3 月 22 日(金) 18:15 ~ 20:15 ●ゲスト:杉田 義明 氏(上海 福善) ●テーマ:「上海 IT 事情」 − 31 − 編集後記 2012年のノーベル医学・生理学賞に京都大学山中伸弥教授が授賞されました。再生医療の 実現に道を開くiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究で革命的な進歩をもたらしたことが評価 されています。 i PS細胞は皮膚などにいったん変化した細胞が「初期化」と呼ばれる生まれた頃に 逆戻りし、新たにどんな細胞にでも変化できるようになります。 このノーベル賞授賞は、韓国や中国との領土問題、電子企業の没落、国家信用格付けの格下げ など、暗いニュース一色だった中で吉報が伝えられたことや、整形外科医としての挫折を乗り越え、 ひたむきな努力による巻き返しであった点により、日本国民を一層勇気づけていると思います。 2013年は大阪サイエンスクラブ設立50周年であり、新たな息吹が期待されています。 i PS細胞と 同様に初心に帰って読者層を増やす努力をして参りますので、今まで以上に会員の皆様のご協力を お願い申し上げます。 広報委員 谷口 和彦 会員の皆様へ 「私のとっておき」コーナーへご投稿のお願い 「会報」は、ご承知のとおり季刊として発行しております。現在、会員外からご投稿頂く特別寄稿をはじめ、講演要旨、 海外リポート、会員のひろば、新会員紹介などを掲載し、毎号の会報編集については、広報委員会で検討しております。 会員の皆様により一層のご愛読頂くため会員参加型のコーナーとして昨年より「私のお気に入り」を連載しております。 つきましては、下記の内容等で自由にご投稿頂き楽しいコーナーとして皆様の多数のご参加お待ちしております。 ①テーマ:問いません ex.お店・健康法・スポーツ・旅行・本・音楽・映画・芝居 等々 ②文字数:問いません(写真・図有可) ③締 切:随時掲載 ※実名・匿名いずれでも結構です。 原稿は下記までメール送信して頂きますようお願い申し上げます。 紙面の都合によりご投稿多数の際は、抽選させて頂く場合がございます。 <本件窓口> 大阪国際サイエンスクラブ 事務局 TEL(06)6441-0458 FAX(06)6441-0459 ([email protected]) 2013年1月 (H25) 発行 大阪国際サイエンスクラブ 広報委員会 大阪市西区靭本町1丁目8番4号 TEL (06) 6441-0458 ホームページ:http://www.isco.gr.jp/ E-mailアドレス:[email protected] ※本誌掲載の記事・写真・ロゴマークの無断転載を禁じます。 − 32 −