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<実践事例1> 塑像 「私の足」
<実践事例1> 塑像 「私の足」-生きて動く自分の足を作る− (18∼20時間) 長島春美(東京都立大泉桜高等学校) 【内容概略】 ■自分の足の働き(機能)について考える ■足をデッサンする(観察する) ■自分が作りたい足の瞬間を決める。 その時の心身の状態について思い起こし メモする。 ■足の骨格など構造を触ったりしながら 想像して描きいれる。 ■作者当てクイズ 足の骨格デッサンのプリント (レオナルド・ダ・ヴィンチ解剖図から)を見て、 教科書を参考に作者を推定する。 ⇒各自の推論を根拠とともに発表させる。 ―クイズのようで楽しい。プリントや教科書にある情報のどこに着目するか、それからどう推理するかがそれぞ れに異なり互いに学びあう。自然に骨格に対する関心と知識、絵に取り組む姿勢についても感じ取ってくれる。 ― ■骨格を参考にしながら、塑像の芯をデザインし、角材と麻ひも、針金で作る。 ■芯に粘土で肉付け。(・機能と構造と形の関係を考えながら「生きている、その時の自分の足」を感 じてつくる・粘土にさわった時の気持ちが粘土に刻印されていくことを感じながら・よく見ると同時 によく触ること。段々直感的に「変だな」ということが見つかるようになる) 【ねらい】 ・見ているつもりで見ていない日常に気づき、触ることの大切さなど対象を把握する方法について体験させ る。 ・自然の造形の偉大さから学ぶ。足の機能と骨格、筋肉などの構造、目に見える形の関係について考えさせ る。 ⇒「形」と「意味」の関係を常に意識する態勢をつくる。 【授業をやってみて】 ● 「形」と「意味」の関係を考えることは、全ての学習の根本にあると同時に造形教育において顕著な事柄であ る。自分自身のよって立つ「足」で「機能」 「構造」 「目に見える形」の関係を見つめ考えることができる、格好 の題材。 ●この「私の足」では、はじめは団扇のお化けのようなものを作って「そっくりにできた」と真顔で言う生 徒にビックリ。 「本とかな?」と目をつぶって触らせ、自分の足と粘土の足を比べさせると生徒はあまりの 違いにビックリ。見ていたはずが見ていなかったと気づいた時に生徒たちは俄然目が違ってくる。徹底的 に追究する姿勢に脱帽。 【生徒の感想から】 ★自分の足の働き(機能)について考え、いろいろな方向から足をデッサンする(観察する)ことで、自分 の足を今までにない視点で捉えられるようになったと思う。それは「足はただの体の一部に過ぎないが、 その一部分がとても重要な働きをしていて、人間の体はそういうものが積み重なってできている」という こと。 ★「塑像の芯をデザインし、角材と麻ひも、針金で作る課題で、足を切り開いて見ることはできないが、足 を触り感じることにより、足の内側を想像することができる。たくましい想像力も必要だと思った。ただ 見ただけではわからないことが、ただ触ることだけでわかるのはお得なことだと思った。 ★粘土がついたときのことなど、後々のことを踏まえてやったので後で骨組みを直さずにすんだ。 ★紐を巻くのにも気を使うことが必要だ。本物の骨がでこぼこしているはずはないので、なるべくまっすぐ になるように、また粘土がつけやすくなるように紐を巻いた。一巻き一巻き丹念にがんばった。また紐を 巻くことによって木で作った四角い骨が丸みを帯びた。 ★粘土で肉付けするのに一番苦戦した。でもよく観てよく触ることで足らしくなっていった。先生の助言も とても助かった。はじめは足を斜め上からしか見ていなかったがそこだけ足らしくなっても他の側面から 見ると足らしくなっていなかったりしたので、いろいろな面から見ることが大切だと痛感した。それから 骨組の時には考えていなかった「関節」も考えなくてはならず苦労した。かといって骨が強調されすぎて もいけない。難しいようだけど根本的には自分でよく見てよく触る、そして感じることなのだと思う。二 学期を通して何時間もかけて足を作ってきたが、そこから学べることがたくさんあったと思う。そういう 意味で美術は深い。 ★足なんていつも見ているし、第一自分のものなんだから結構わかっているものだと最初は思った。でも実 際には全然わかっていなかった。足の指、甲、かかと、すべて複雑な面の組み合わせでできていることを .. 知った。本当に観るということは難しい。作っている過程では何がおかしいのかわからずに、それでも何 かが違っているというような感じだった。でも、段々自分の足がわかってきた。それを粘土で表現するこ とができるようになると、とてもおもしろくなった。たった一つ、ほんの少し粘土をつけたり削ったりす るだけで、作品の感じが全く違ってきてしまう。最後には納得のいく作品ができてよかったと思う。何か を観て理解するのは大変だけどそれを表現するのはもっと難しい。それでもこうやって集中して何かを作 るのはとても大切だと思う。 ★足なんて普段意識して見たこともなかったし、どこがどうなっているかなんて全くといってよいほど知り ませんでした。そのため作っている間中、必ず何か発見があったし、制作記録に書くことがなくなること などありませんでした。本当に面白かったです。発見することと間違いを正してうまくいっているのを見 ることがこんなに楽しかったのかと、私は初めて気がつきました。 ★骨組みなどどうでもよいと思っていたが実は一番大事だったかもしれない。骨組みが変だったせいで指は 変な方向に曲がりかかとは飛び出ていた。でも一生懸命やって自分の納得するものができてよかったと思 った。 ★まず私が足を作り始めたときに驚いたのは自分が足の形をよく知らないことでした。そして自分から観よ うと思わなければ見えないということです。自分のものなのにとびっくりしました。…あと、なぜか滑ら かにすることにこだわっていて大局を見失っていたかもしれません。 ・・・私は不器用だし一つの物をずっ と見究めていくというのが苦手だったのですが、足を作るのはなかなか楽しいものでした。それから今は 足だけでなく指や肩など自分の体なのに今まで気にもとめていなかったところもよく観るようになったと 思います。 ★私は見ているけど本当は見ていないということがありました。そのせいであまり作業が進まなかったりお かしな形になったりしてしまいました。このことは私だけではなく他の人にも言えることではないでしょ うか。足を何度も何度も繰り返し見ているうちにいつの間にか前より少し「ものを見る」目が上がったと 思います。よく見ることで足の構造までもが大まかにわかってしまいました。 「見ることってすごいな」な んて初めて思いました。 ★適当にやればそれなりにきれいに作ったりはできるけど、細部にまでとことんこだわって作って見るのは すごく違っていて、本当に大変です。手間もすごくかかるし時間もすごく必要。作る時に何気なくやって はいけなくて、いろいろな点に注意して意識を向けてやらなければならない、そういうことがわかった二 学期でした。 ★ずっと、美術では絵を描くのが一番面白いと思っていたのに、粘土が意外なくらい楽しかった。今までや ったことがなかったので気づかなかった。何事も経験は大事。自分の足なんて怪我でもしない限りはよく 見たことなどなかったのに、今では体の他のどの部分よりもよく知っている。自分がずっと付き合ってき たにも関わらず見えていなかった体の特長が授業をやっていて段々見えてきた。何だか自分の足がとても 可愛く思えるようになった。そんな足を一生懸命写し取った作品も可愛く感じられる。この作品は私が今 まで作ったどの作品よりも大事。早く乾いて完成した姿が見たい。 ★毎時間私はこの「指」に惑わされ続けていたと思います。今思えば骨組みの状態のときすでに実物より太 い足になってしまっていました。また、まっすぐの針金を軸に曲がった指を作るなんて無謀なことをして いる時もありました。…骨組みを甘く見ていたのでしょう。すべての基礎なのに。それに気づいたとき何 だか空しかったです。それにしても足をこんなにじっくり触れて確かめたことなんて今まで一度もありま せんでした。私を支えてくれているものを知るためのよい機会だったなあと今思っています。 ★足をじっくりとよく見ることはあまりないことだ。手は勉強するときに見る機会がしばしばあるが、足首 から下はほとんど靴下で隠されている。だから粘土で作るときもなかなかイメージがわかなかった。特に 印象的だったのは足の指の付け根は 5 本の指全部が違うところ。指の生えている方向も全部違うことだっ た。はじめて発見したことだった。そして指の太さ指の長さに注意して作った。友達の足を見たら親指よ り人指し指の方が長かったけれど僕の方は人差し指の方が親指より短かった。足の甲は親指を起点として 小指の方へと下り坂になっていて足首の方へと上り坂になっている。何度も触ってみた。また、足首も思 ったより太かった。足首は触ったし見た。さらに周りの長さを測った。…まだまだ見直すべきところがあ るはずだ、そうやって見直して作って見直して作ってというのをくり返して完成に近づけるものだと思う。 きっと一年やっても見直すべき点はまだまだあるのではないかと思う。美術というのはそういうものなの だ。 ★自分の足をここまでじっくりと見たことはなかった。今まで足がかたいと思ったことはなかったのだが、 足は大部分が骨で形成されていてそれぞれの骨がつながっている部分もあるということがわかった。周り の友達の足も、ここまでよく見たことはなかった。足=自分だったけど、友達の足を見て、こうも違うも のかとわかってなかなか面白かった。足について思ったり考えたりすることは一度もなかったので、今回 の授業で思ったのは「ああ、これが足なんだなあ」ということ。かなり当たり前のことだが私にとっては すごい発見だった。できるならばもう少し時間がほしかった。 ★足の指の完成を目指し、指とつめにかかりっきりになっていたら、足の裏がぺちゃんこで親指の下が薄ペ ッたくなってしまいました。撫で回しすぎると生気のない足になってしまうと聞きましたが、私もなんだ かそんな感じになってしまったようです。足を作ると聞いた時、 「彫り物でないならやり直しがきくから楽 ジャン」と高をくくっていたらとんでもなかったです。一箇所に命を懸けていると他とのバランスが崩れ て足じゃなくなったりバランスに気をつけていると指などの細部がぼろぼろだったりして、とても難しか ったです。いつも一緒にいるのにあまり意識しない「足」をあんなによく観たのは初めてでした。思いも しないところに骨が出ていたり骨があると思っていたところはそれほど出ていなかったりしてビックリす ることの連続でした。どの指が一番長いとか短いとか、小指は曲がってついているとか新しいことがたく さん知れてとても楽しかったです。 ★最後の最後で骨組みを手術することになり、あせったが、結果そのおかげで気になっていた甲もすっきり し、何より指の表現がよりしっかりとできるようになった。この足作り、最初スケッチをしたときは上辺 しか見えなかった。足を触って足の内部まで考えた時に、面白い発見がたくさんあった。指の付け根や土 踏まず、かかとの骨格、甲のなだらかなライン、爪、いろいろな方向から見た。こんなに足のことを思っ たのは初めてに違いない。そして私は足の美しさを感じた。一部分だけ見るとぎこちないのに全体を捉え るとなんと人の体の美しいことかと思った。私は出来上がりに満足している。そして同時にもっと感じた いと、知りたいとも思った。 ★足の筋の感じを出すのが難しかった。足を見ているだけで作業を進めていたら、実際の足よりもかなり大 きくなってしまった。それからくるぶしの位置もいつの間にか全然違う位置に作っていた。やはりこうい うことから触れて感じ取ることの大切さがよくわかった。そして「そこの部分はこうなっているからつけ よう」という考え方ではなく「どのようにしてこの出っ張りはできているのだろうか」と、元を辿ってみ ないと正確に形を捉えることができないことに気がついた。自分の足に直接触れ、曲線やでこぼこの感じ を実感したのは初めてのことだった。死んだ足ではなく、あたかも足の上もずっとあるように表現するこ とが如何に難しいかよくわかった。また、自分では直接なかなか見ることのできないアキレス腱を作るの が最後にとても苦労した。これだけ人間の足の形が神秘的になっているのは、歩くために最も合理的な形 であるためなのであろう。足っておもしろい。 ★最初はどうなるかと思った「足」も何とか完成させることができました。まだまだ未熟な作品だけれど私 が気がつくことができたことは全部改善しようと努めてきました。今回学んだことは表現しようとする対 象をよく見つめ、全体で捉えるということです。対象を見つめる時間を惜しんで自分の想像に頼ってつく っても結局は満足せずに作り直すことになってしまいます。これからは見て触れて対象を捉えることに持 ち時間の大半を使うような姿勢で美術の授業に取り組みたいと思います。 ★作っていて気づいたことは「内」を想像するということがすごく大切だということです。今まで、骨組み に作品が影響されることはそんなにないと思っていたけれど、中の様子を想像できるような足を作ってい る人もいて、一番最初の針金から足を想像できるようでないとだめなのかなと思いました。よく見てつく る足と、イメージで作る足と、触って作る足と、どれも違って、しかもイメージだけの足はやはりどこか 変でした。 「今にも動き出しそうな足」を作ろうと思ったけれど、意外に足の切断部分に手間取って時間が かかり、足を眺めることができなかったです。「今にも動き出しそうな足」は中の骨組みをイメージして、 でもそれだけではだめで、技術的な面以外にも、気持ちの面も大きく影響していると思います。難しかっ たのはかかと部分で作っても翌週にはつぶれてしまったのでこの間の自分の作ろうとした足のイメージが 思い返せなくて、毎週毎週それに四苦八苦しました。うまくいったのは足の甲の部分と首の部分で、最初 のころ、そこにたくさん時間をかけて触って作ったからだと思います。逆に指はうまく作れず触ってもピ ンとこなくて最後まで苦労しました。次もしもまた「足」を作る機会があったら指をきれいに作りたいで す。足を作ることで、作品を作る上でも気持ちの持ち方が大事なことやそれの作品への影響が学べました。 ★実際に作ってみると、割合だけで進めていくのでどうしても大きくなってしまった。また、自分の重さで つぶれていくので土踏まずの部分は苦労した。あと、甲の部分は骨だけだと思っていたけど肉もかなりつ いていて意外だった。くるぶしは何度も作り直した。自分の足を触り比べて感触が同じになるようにした。 指も難しかった。五本ともそれぞれ個性があり、まっすぐなものもあれば少しねじれているものもあった。 粘土だけでもこれだけ楽しめることがわかった。 ★骨作りがやはり大事だったと思います。僕は三回目くらいに一旦粘土をつけたけど、形がおかしかったの で骨を作り直しました。その時は「せっかくここまでできていたのに」と思い、悔しかったのですが、骨 を作り直したら自分の思うとおりに粘土がつくので作品がどんどん完成に近づいてうれしくて、直してよ かったと思いました。最後の 4 時間くらいは、すごく集中してやったのでかなりいい作品ができたと思い ます。先生は足は顔のようにいろいろな表情を持っていると言っていたので、早く自分の完成品と他の人 の作品を見たいです。 ★最初は「足を作るなんて面倒だし石膏取りしたほうが速いだろう」と思っていたけれど、やってみるとす ごく良く自分の足に似ていて驚いた。それに自分で作った方がすごく愛着もわくし触ってみると自分の足 に触っているようで不思議な感じがした。 ★はじめはそんなにやる気がなかったが、足の骨格を組み立て粘土をつけ始めたころから段々のめり込み、 楽しさがわかってきた。 ★粘土は中学校でやってなかったので最初はイヤだったが、段々楽しくなっていった。足は注意して見ると とても複雑な流れをしていると思った。たまには粘土をこれからもやってみたくなった。 ★少し時間をおいてから作品を見たら、自分の想像で作っている所があったのがわかった。やはりよ見て触 って作らないといけないと思った。今回足を作って痛感したことは「骨組み」にかかっているということ だった。指の針金を長くしておけば指は折れにくくなったし組み立てる角度に注意していれば足の裏の骨 組みを削るようなことはなかった。でもやはりそれらの失敗はやってみなくてはわからなかったこともあ るし、時間をかけなければ見えてこないことがあると気づきました。 ★全体的にスローペースだったが最後に自分の納得するような作品ができてよかった。足指の部分にはかな り苦戦し、何度も整えた。足の出っ張っている部分や太くなる部分、細くなる部分などには最後の最後に 気づいたので、もっと早くにやるべきだった。今回は本当に、見るだけでなく触ることに、本当に大切さ があることを知った。 ★「足」を作るにあたって、自分の足をじっくり見ることができた。今まで歩くにしても走るのにも何も考 えずに足を使っていたが、今回の足制作を気に、不思議に思い始めた。 「これだけの構造で自分を支えられ るのかあ?」それほど大きくも太くもない骨と、その付属品としてついているような肉だけで自分の体重 を支えていると思うとビックリである。 「足」について考えるということは一生のうちであまりないと思う ので「私の足」作りは貴重な体験だった。