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「JOINT」No.3 (PDF 5692KB)

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「JOINT」No.3 (PDF 5692KB)
 財団法人 トヨタ財団
FOR THE SAKE OF GREATER HUMAN HAPPINESS
[ジョイント]
March 2010
3 「いのち」の歌を聴け
No.
【特集】
コミュニティの再生が模索されるなか、絆づくりの重要性
が指摘されている。本号では「くらし」
の基本である
母と子の絆を軸に、心豊かに生きるための
「いのち」
の智恵に耳を傾けてみたい。
﹁
自
行動を取り巻くさまざまのしばりやくびきからの解放
由﹂という観念は、若い世代のばあい、じぶんたちの
を声高に訴えるときによく口にする。慣行や制度への反撥で
ある。フランス革命のときも、旧体制︵アンシャン・レジー
ム︶の転覆は、次代を担おうとする階層によって﹁自由﹂の
名の下になされた。
戦後すぐに生まれたわたしたちの世代が、
その観念にすがりついたのは一九六〇年代。
﹁セット・ミー・
フリー﹂が合い言葉だった。これはロック音楽のタイトルで
もあったが、同時代の歌には﹁自由﹂という願いを、大空に
ない、という仕事に日々悶えているらしいということである。
﹁自由作文﹂については、最近、知人がすごい感想をわた
しに述べた。﹁自由作文﹂とは、だれに宛てるわけでもない﹁感
想﹂という文章を書くという教育である。そういう教育を受
けてきた生徒は、こんどは大学で﹁学会論文﹂なる同業者宛
ての文章を書く練習をさせられる。さらに企業に就職すれば、
こんどは業界向けの文章を書かされる。つまりいつも内輪向
く練習をしてきていない。宛先を分けて、書き分ける練習を
けの文章である。つまりいまの学生は、︿外部﹀に向けて書
る。一つは、いまの社会に求められているのは、言わ
の指摘には、すぐに思いつくだけでも二つの意味があ
してきていない⋮⋮。そう言うのである。
こ
なくてもわかるようなことがらを濃密に共有している共同体
内のコミュニケーションではなく、たまたまおなじ地で暮ら
すことになったたがいに見ず知らずのひとたちが、その地域
藍を描きかえている。それでわたしは瓦を一枚一枚、ピンクやら黄やら黄
なことをいわれたらしい隣の同級生はゆらゆらするような不安定な形に伽
ることはあっても、身を支えられるということはない。ひとがじぶんがこ
ンに、いまひとびとははまっている。けれども、これにときたま慰められ
ター⋮⋮と、顔をじかにつきあわせることのない匿名のコミュニケーショ
もうひとつ苦痛だったのが﹁自由作文﹂の時間。わたしたちの世代の作
文といえば、正面から﹁自由作文﹂を課されるというより、教師がなにか
﹁自由って、個性って、かんたんなもんやなあ﹂というのが、そのとき
の感想である。ことばの軽さだけはおぼえたように、いまもっておもう。
そ、きちんとした宛名をもつメッセージが切実な意味をもつのである。自
のような意味をもっているか、その確認がひとの存在を支える。だからこ
﹁居場所﹂がないというのは、だれからもわたしがここにいることが求め
られていないということである。特定のだれかにとってじぶんの存在がど
研究助成プログラム、アジア隣人プログラム助成金贈呈式
日々の﹁くらし﹂のなかで愛情をもって育ま
本特集では、母と子の絆を軸に、人と人とが支え合うためのコミュニケーション、生活を潤し
希望ある社会を築くための各種研究や助成のありかたなどを考えてみたい。それは、私たちが﹁くらし﹂
その智恵を掘り起こすには﹁まだよくわからないけど、大事なこと﹂にたいする謙虚な姿勢、
﹁ 小 さ な こ と、 だ け ど
好奇心と協調性が人を動かす力
…… 26
… 24
アジアの希望と幸福、そして日本の希望の再生
Relay Essay ◉ 末廣 昭
大切なこと﹂
に気づく感受性が欠かせない。身体が発する﹁いのち﹂の声に、まずは耳をすましてみることから始めよう。
JOINT ホット・インタヴュー ◉ 板東あけみ
…… 18
相互扶助、自然との共存、情報の共有化
の原点を見つめ直し、よりよく生きるための智恵を探ることにほかならないからである。
…… 30
愛と恵みのケニア紀行
活動地へおじゃまします!
…… 12
れ、心豊かに楽しく生きるための智恵を身につけ
ていく ―
。今、古き時代から伝えられてきたこの当たり前の事実が忘れられがちである。
[温故知新]身近な環境をみつめよう「市民研究コンクール」❸
世代をこえて受け継がれるもの
…… 20
2009年度 助成決定プロジェクト一覧
アジア隣人プログラム・研究助成プログラム
…… 10
くらしといのちの豊かさをもとめて
1949年生まれ。哲学者。大阪大学総長。著書は
『
「聴く」
ことの力―臨床哲学試論』
(阪急コミュニケーションズ)
、
『モードの迷宮』
(筑摩書房)
『死なないでいる理由』
、
(小学館)
『噛みきれない想い』
、
(角川学芸出版)
など多数。
羽ばたく鳥に託したものも多かったようにおもう。
解放を願う者からではなく、
その﹁自由﹂ということばが、
若いひとたちを管理する側から発せられたときにはろくなこ
とがない。そんなイメージが、わたしの記憶にはへばりつい
じめて﹁自由﹂ということばをかけられたのは、小学
ている。
を運営してゆくためにたがいに異なる思いをきちんと交換す
る、そういうコミュニケーションの作法だということ。おなじ考え、おな
は
じ思いでいるはずだということを前提にできないような、つまりじぶんに
校の美術の時間だった。近くのお寺へ連れだって行っ
柱や扉。黒や濃茶色や灰色で描くしかなかった。背景の空は、どう見ても
て、お寺の伽藍の絵を描かされた。黒い瓦に、風雪にさらされて黒ずんだ
緑やらで描き分けることにした。面倒な作業だったが、機械的な作業なの
の事情で授業ができないときに、その空いた時間を埋めるためになにかさ
味ある他者であるということ︶なのであるから。
己とはまさしく﹁他者の他者﹂︵じぶんがじぶん以外のだれかにとって意
のだれかにとって、じぶんがここにいることが意味があると確認できると
こにいていい理由をみずからに納得させることができるのは、じぶん以外
せないと、ということで求められた作業だった。児童にとって何を書いて
この二つの意味で、わたしたちはだれかに宛てられたことばを、それに
ふさわしいことば遣いとともに、送らねばならない。そういうことば遣い
根源的な生きる力の再発見を
…… 13
【講演録(抄)】内田樹
…… 4
【特別対談】母と子の絆 ̶ 西舘好子
のなかではじめて、﹁自由﹂はわたしたちの身を護ることばとなる。
「赤ちゃんにおむつはいらない」東京シンポジウム
冷静な観察と体験から学ぶ
三砂ちづる
「いのち」をつなぐ物語のために
一 つ ひ と つ の 小 さ な﹁ い の ち ﹂は、
特集:
「いのち」の歌を聴け
きである。だれかに、あなたがそこにいないと困るといわれるときである。
もいいといわれるほど、難儀なものはない。書くというモチベーションを
個性的な絵や﹂
。
で順調に描き終えた。すると先生の反応は、
﹁えらいええ絵になったなあ。
といわれた。
﹁自由に﹂ということの意味がわからなかった。おなじよう
いま一つは、ことばは特定のだれかに向けることではじめてその力を発
染まっていた。
それでそのとおりに描いて教師に見せると、﹁もっと自由に﹂
するということである。インターネット、ブログ、2ちゃんねる、ツィッ
とっての︿外﹀という異質なものとの対話が求められているということだ。
大阪大学総長 鷲田清一
青、樹の葉は緑だった。そう見えたというより、そういう観念にべったり
自由」がわたしたちを護る
ことばとなるとき
研究助成プログラム・社会コミュニケーションプログラム
もたない児童にとって、
﹁何を書いてもいい﹂といわれるほどとまどうこ
FIRST WORD ◉ 鷲田清一
◉わしだ・きよかず 「
とはないからだ。ほとほと困ったのだが、あとになって知ったのは、プロ
「自由」
がわたしたちを護ることばとなるとき
…… 2
の書き手というのは、書きたいことがなくてもそれでも書かなければなら
C O N T E N T S
﹁いのち﹂の歌を
聴 け
March 2010
︻特集︼
「母子健康手帳」を手にポーズをと
るベトナムの若いお母さん。その背
におんぶされて子がすやすやと安ら
かに眠っている。どこかなつかしく
もほっとする光景である。そして、
カラフルな日傘とマッチした母親の
笑顔の素晴らしさ! 今号は、助成対
象者である板東あけみさん撮影のこ
の写真で表紙を飾らせていただいた
(板東さんの活動に関しては34ペー
ジを参照)
。
Photo by Akemi Bando
…… 34
…… 39
トヨタ財団ジャーナル
No.3
[ジョイント]
FIRST WORD
[巻頭言]
津田塾大学教授
三砂ちづる
西舘好子
―
Chizuru Misago
︻特別対談︼母と子の絆
三砂ちづる
をつなぐ物語のために
﹁いのち﹂
NPO法人日本子守唄協会代表
西舘好子
変わりました。その際の募集要項が素晴らし
するようなものに助成をしたい、という趣旨
本当の意味でのくらしといのちの豊かさに資
Yoshiko Nishidate
かった。
﹁くらしと
究助成プログラムが改訂されて、
く、昔からあったもの、忘れられたものを少
ベーティブな何かを発見したというのではな
がぼんやりしていて見えにくいものでも、
果﹂
て確立していないようなもの、あるいは﹁成
形になっていないものだとか、学問領域とし
ことに役に立つものはどれだけあるだろう。
﹁いのち﹂をつないだりする
いったりとか、
いろいろな研究者がいろいろな専門的研究
をしていますが、本当に人間が豊かになって
と、私たちの期待以上にお母さんたちが夢中
とわからない。でも、やってみて慣れてみる
味を持ってもらえるかどうかはやってみない
おうということになったのですが、本当に興
というプロジェクトだったのです。
思ったのが﹁赤ちゃんにおむつはいらない﹂
あ、ぜひともトヨタ財団に応募してみたいと
抱えていて、その要項を拝見したときに、あ
と予算ではどうしても実行できないテーマを
専攻する研究者ですが、従来の研究の枠組み
の要項で大いに共鳴したんです。私は疫学を
いのちの豊かさをもとめて﹂というテーマに
ういう研究に助成金を出していただいたこと
し掘り起こしたにすぎないのですけれど。そ
おむつをはずしていたということも聞いてい
し、日本の伝統的な家では生まれて2週間で
母さんたちは赤ちゃんにおむつをしていない
出会ったわけです。もともと、アフリカのお
で、トヨタ財団のこの研究助成プログラムと
究助成にそぐわないなあと思っていたところ
うちょっとかわった提案ですから、従来の研
むつをはずしてみてもいいんじゃないかとい
ういう学問カテゴリーにも収まらないし、お
いた﹁おむつなし育児﹂というのは既存のど
的研究が行われていますが、私たちの考えて
ジェクトによってちゃんと提示されたのが新
だから育児でも原点に還って本来のありか
た を 考 え 直 そ う っ て い う こ と が、 こ の プ ロ
木阿弥、いつも同じところに戻ってしまう。
こるたびに対策はとられるものの結局は元の
すか。対処療法はいろいろあって、ことが起
わからない社会になってきているじゃないで
り見つめ直さないと、もう、どうしていいか
化の根底にあるものを掘り起こして、しっか
それが、素晴らしいことなのよ。日本
西舘
は今、ともかく基本に戻らないと。人間や文
に、ほんとに感謝しています。
えてあげなさいって言うと、面倒くさそうに
どものおむつが重たくなっているから取り換
の知っているあるお母さんは、おしっこで子
ど、刹那的な﹁楽﹂な方に流れるばかり。私
るし、ちゃんとやろうとは思っているのだけ
よね。今のお母さんたちも頭ではわかってい
恵﹂の部分を伝えなければいけないわけです
う 方 法 論 じ ゃ な く て、 そ の 基 本 に あ る﹁ 智
そうだと思います。若い母親は駄目だ
西舘
とか、育児下手というけど、ほんとはそうい
私が助成をいただいたのは2006年から
なのですが、そのとき 年以上続けてきた研
の知能の発達などに関してはさまざまな科学
ましたので、そのあたりを体系的にやってみ
鮮でした。新鮮というのは変な言い方かもし
﹁今日水分をあたえすぎたのかしら。だから、
のおかしさがわかってくる。若いお母さんた
ことによって、逆に今当然とされていること
えるということは、基本をきちんと見つめる
ない。つまらなくないのかしら。
育てることの楽しさや発見の喜びもないじゃ
。 そ ん な ん じ ゃ、 人 間 を
納 得 す る だ け︵ 笑 ︶
と伝わる、という自信にもつながりました。
たいな、と思っていたのです。
れませんけど。私の祖母なんかは当たり前に
いっぱいしちゃったのね﹂って、原因追求で
本を拝見するまで、私はトヨタ財団のその助
ちに読ませたいなと、すごく思いましたね。
調査なさっています。素晴らしいですよ。な
さんたちを取材したり、地域特有の育児法を
実際に多くの育児経験のあるいろんなおばあ
ん 出 て き て い ま す よ ね。し か も 三 砂 さ ん は、
とそれが画期的に思えるようなことがたくさ
プロジェクトの2年目には、この﹁おむつな
じつは私たちにもすごく不安はありました。
に、まずは興味をもってもらいたいんです。
三砂 そうなんです。おむつをまったく使う
こういう﹁問題提起﹂
なという話ではなくて、
わけじゃないのよね。
家、汚いですよね。家事をしなくとも
三砂
同じなのではないかしら。
て察する感覚がにぶっているのと、根っこは
で気持ち悪い思いをしているんじゃないかっ
こない。それって、自分の子どもがおしっこ
できたらやります﹂っていう応えしか返って
﹁時間が
いと言うと﹁忙しいからできない﹂
と。ごみ屋敷寸前って感じです。片付けなさ
私の娘がそうですが、最近の若い人たちの
どの家庭に行っても感じるのは部屋が汚いこ
のなかの、たいへん画期的なっていうか、本
成のことを知りませんでしたし、実際に育児
本の題だけ見ると誤解されるかもしれない
けど、おむつをはなから使うなと言っている
かなかできることじゃない。
し育児﹂をお母さんたちに実際にやってもら
来なら当たり前のことなのですが、今になる
失われた育児技法を
におむつはいらない
―
。あ の
求 め て ﹄っ て い う 本︵ ペ ー ジ 参 照 ︶
していたことですからね。でも、今新しく思
10
11
あれ、いい本ですよね。三砂さんのプ
西舘
ロジェクトのことをまとめられた﹃赤ちゃん
。だから、
になって楽しんでくださって ―
本質的なものというのは、提示すればちゃん
西舘 いい巡り合わせがあったのですね。
この要項の趣旨自体が、プロジェクト
三砂
のテーマと同調したんですね。育児や子ども
トヨタ財団と私の関わり、その経緯あ
三砂
たりから話をはじめましょうか。
ひとつの出会いから
1
私が今回実施した研究は、新しくイノ
三砂
5
特集
、お掃除はい
た か ら。 家 事 全 般 の な か で も、
体もグレードアップするのだけれど、今なか
し、おっぱいも出るようになるし、自分の身
本当に自然なお産を経験すると、ちゃんと
子どもがかわいいと思えるようになってくる
それを批判する人はほとんどいなくなりまし
まわりを美しく保つという感覚はすごく大事
なか、医療の介入なしには産めなくなってき
ている。そうやって女性の身体も変わってき
研究の途上で感じてきました。
ていることを、
使って向き合っていれば子どもはかわいいで
だから、自然な形で月経、妊娠、出産、あ
るいは母乳育児などにきちんと自分の身体を
赤ちゃんは、当然のことながら、なに
西舘
が心地よく、なにが不快かを感じる感覚や意
性が自分の月経のことに向き合ったり妊娠出
スになるはずです。だけど現在、なかなか女
の意味でいい方向に変えていこうというベー
いう気持ちにもなるし、小さなことから本当
すし、やっぱり周囲をよりよくしていこうと
大切なことに気づくこと
だと思います。
ちばん後回し。でも、やっぱり清潔に、身の
◉西舘好子︵にしだて・よしこ︶
NPO法人日本子守唄協会代表。社団法人日本民族
音楽協会副理事長。主な著書に﹃うたってよ 子守唄﹄
﹃赤ちゃんのこころが育つ子守唄﹁ねんねん
、
︵小学館︶
などがある。
﹄︵エクスナレッジ︶
ころり﹂
識がある。言葉をしゃべれなくとも、赤ちゃ
﹂は母
ん と の﹁ 会 話︵ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン ︶
なんです。相手を思いやるとか、互いに察し
親さえその気になれば気持ちよくできるはず
合うとか。ある意味で動物的な、大人以上の
話 し か け て い く こ と が な け れ ば、 子 ど も か
く見てよく聴いて、よく匂いをかいで、よく
をもつ﹁高い﹂意識と、そうではない、エゴ、
愛情をもって共に生きていくというベクトル
そういった方向ですよね。つまり、
るという、
ね。
ことがしにくいですし、できていないですよ
分で産むんだ﹂と自覚したりとか、そういう
産を肯定的にとらえたりとか、子どもも﹁自
らなにかを察知するような﹁予感﹂は生じな
自分の利益だけ考えて自分さえよければいい
﹁おむつなし育児﹂には子どもの排泄と向
き合うことで、そこになにか女性が気づくた
感受性を赤ん坊はもっている。でも、親がよ
いですよ。そういう基本というか原点に立ち
という﹁低い﹂部分の意識というのは誰のう
もあるから、探してみて﹂というような。
返って、育児とか人との絆とかを考え直さな
ばかまわないんだという方向にシフトするか
めのきっかけをつかみたい、つかんでほしい
ということが、その時代を生きる人間に大き
西舘さんにとっての子守唄もそうだと思う
のですが、時代の流れのなかで忘れ去られそ
ちにもあることです。ただ、ある時代のなか
﹁高い﹂っ
面の両方が必ずあるんですよね。
く影響すると思う。私は女性というのは、自
うな小さなこと、でも、くらしのなかになく
ければいけないんじゃないのかしらね。
て何かというと、人間が共生していこうとす
分の人生において、自分の身体に起こること
てはならない大切なことに気づくきっかけを
大 切 な こ と を 見 過 ご し て は い な い? こ こ に
る方向を向いていること。お互いに愛し合い
を素直に受け止めていけば、自然に高い方向
提示したい。今、高き方向に人々の目や気持
﹁ あ な た、
と い う 思 い が 込 め ら れ て い ま す。
助け合って生きようとする気持ち、というん
に、つまり人間を存続させていくという方向
ちを向ける﹁善きもの﹂を、私たちの世代は
か、いや低くてもいいんだ、自分さえよけれ
でしょうか。人間というのは自分の世代で終
に引き上げられていくものではないかと考え
ほとんど提供できていないと思うので。
で高い部分をより高くという方向で出てくる
わるわけではなくて、今の世代までずっと続
ています。
らうものだと思っている。産科医が不足して
も同じだと思いますが、非常に高い面と低い
いてきたもので、これから先も人間は続いて
尊敬しました。ほんの2ヵ月くらいの間です
いるとか、産む場所がないっていうけど、誰
一人の人間の中には、女性でも男性で
三砂
いく、ということの、自分もその一コマであ
。その母を産んだ母がまたいるわ
けど︵笑︶
ん じ ゃ な い で す か? 自 分 が、 自 分 で 産 む っ
が 産 む の か? 産 科 医 が 産 む、 と 思 っ て い る
三砂さんじゃなかったかしら、今の
西舘
代はたいへんな時代だって言ってたの。
大抵のことはなんでもできるんじゃないかと
あんな出産ができたら、
わけじゃないですか。
たね。ひたすら自分の身体と向き合い、戦う
日本の女性が病院出産することが普通になっ
ている。それもすでに3 世代目ですからね、
てことを引き受けることができなくなってき
子守唄がおむつをはずす
で女が変わるっていうことがよくわかりまし
けで、そのまた母も⋮⋮。私、お産すること
はい、それまで伝えられてきたことが
三砂
今の 代で切れている。よかったこともある
てから。全般的にはもう、 歳以上の年齢の
70
思いますね。でも、私の世代あたりから、そ
!?
けれど、本人たちにもたいへんだったことも
あるはずだ、と言ってきました。
私 は 歳 だ か ら、 よ く わ か る。 今 の
西舘
お母さんである ∼ 代の方たちを見ている
40
でも、そんな経験や身体の﹁知﹂の伝承が
どんどん失われているのも確かです。全部、
ほんと、そうですよね。そして、女が
三砂
変わることで、世の中も変わるわけで。
るんじゃないかしら。
んな親からの経験が伝わらなくなってきてい
に知っているのはお年寄りしかいないですか
﹁仕事場﹂の一つは老人ホームな
西舘
私の
んです。お産と同様に、子守唄を真に体験的
なっているんですよ。
方 し か、 自 分 の 身 体 を 使 っ た 経 験 知 が な く
らね。
医療の枠組みに取り込まれて。女性自身も自
最初に私が取材先の老人ホームへ行ったと
き、そこの理事長はじめ所員全員に﹁だめで
す。認知症だから、会っても無駄です﹂って
分で産めるとは思っていなくて、産ませても
私が出産したときは、たいへんな大騒ぎ。
陣痛室っていうのがあって、その真っ暗な陣
さんどんよりとした生気のない顔をしていま
ちを4人くらい集めてもらった。実際、みな
せ て ほ し い ﹂ と 頼 み 込 ん で、 お ば あ さ ん た
けんもほろろ。私はそれでも﹁ともかく会わ
さ に う ん う ん 唸 っ て、 頭 に 巻 い て い た ピ ン
、 も う、 な ん と
カ ー ル は 飛 び 散 る し で︵ 笑 ︶
もすごいわけ。何時間も苦しんだんだけど、
したよ。それで、私は﹁あなたはどこの生ま
いて、その人の土地のわらべ唄をうたったん
﹁おばあちゃんはどこの人?﹂ってき
、
れ?﹂
そ し た ら﹁ ぽ ん ﹂ っ と 落 ち る よ う に 産 ま れ
そしたら、痛みもけろっとなくなった。その
しね。でも、そのときだけは、お母さんは偉
。普段はそんな話したこともない
すよ︵笑︶
んだのかって。私と母はずっと仲が悪いんで
憎たらしい親でも、こんな思いをして私を産
まにか﹁まりつき﹂の格好をするんです。そ
さ﹂ってうたうと、おばあさんの手がいつの
えば﹁あんたがたどこさ、ひごさ、ひごどこ
輝いてきた。それがひきがねになって、たと
そしたら、だんだん、だんだんその老人た
ちの顔が子どものように、赤ちゃんみたいに
です。
い! っ て ね。 な ん と い う か さ り げ な く も 生
の う ち に ね、 ど こ か で 回 線 が つ な が る ん で
したし、母に感動したんです。ああ、あんな
母を見直し、
きる女の強さに素直に感激した。
ときすごく感動しましたね。私が自身に感動
た。ほんとにポコンっていう感じなのよね。
◉三砂ちづる︵みさご・ちづる︶
津田塾大学教授。疫学者。主な著書に﹃オニババ化
︵内田樹氏との共著・
﹃身体知﹄
、
︵光文社︶
する女たち﹄
︵勁草書
﹃赤ちゃんにおむつはいらない﹄
、
バジリコ︶
などがある。
、小説に﹃月の小屋 ﹄︵毎日新聞社︶
房︶
痛室で、自分の身体がはがれていくような痛
感さえあるんですよ。
は滅びてしまうだろうっていう、そういう予
人自身が考えないと、このまま行ったら地球
﹁いったい女ってなんだろう﹂って女の
と、
20
6
7
70
85
70
ふっと唄の切れ端が出てくるのよ、
しょうか。
おばあさんたちの口から、つぶやくように。
全部希薄になっ
学ぶべきことが今、
れること、
てしまっている。
そのとき方言も出てきますから、テープに
とって帰ってから起こすわけですよ。それで
あって、もうこれぐらいにしておいたほうが
存分にあるわけですよ。十分すぎるくらいに
している人間が積み上げてきた科学の知識は
私は﹁権威的な知識﹂という言い方を
三砂
使いますが、学校で習ったり病院などで応用
マニュアル化されて型にはめられた図式のな
絆なんかできっこない。全部が全部、
たって、
わ な い け ど、 知 識 と か 義 務 で 押 し 付 け ら れ
動物園に行こうとか、ね。それが無駄とは言
お父さんお母さんと一緒に食事しようとか、
から
絆は日々の﹁くらし﹂
もなんだかわからない言葉があるから専門の
いいんじゃないか、というくらいたくさんあ
かで、絆なんかできないと思う。ほんとうの
それは、たとえば﹁絆﹂っていう言葉にも
通じると思うんですよ。絆をつくるために、
﹁ こ れ、 明
研 究 所 に 行 っ て 調 べ て も ら う と、
る。それはもちろん重要なことですが、やっ
意味での絆っていうのは、互いに相応の距離
らない﹂とか言いながら恥ずかしそうにして
治か江戸の頃の言葉ですよ﹂って。詰まって
ぱり、人間はそういう権威的な知識だけでは
感をもつなかで、相手を尊重しながら、くら
﹁知
そうやって、﹁下手だから﹂とか﹁忘れた﹂
るんですよ、そのおばあさんの身体に。私は
﹁くらし﹂に根付いた智恵も
生きられない。
しの歴史やそのなかで伝えられる智恵からで
うたいます。で、うたい出すと止まらない。
﹁あり
うれしくなって施設の理事長さんに、
必要なのです。
は じ ま っ た っ て 私 も 感 じ た。 で、 や っ ぱ り、
も大切なことが伝わり、とてつもないことが
て言うんですって、トイレに。なにか、とて
つをしていたおばあさんが﹁自分で行く﹂っ
です﹂って言うの。あの取材のあとね、おむ
∼、西舘さん、たいへんなことが起こったん
といっていいほどなくなってきている。今で
うのですけど、そのための智恵が今まったく
はそういうものに﹁乗っていく﹂ことだと思
し、人間が育ったり、死んだりしていくこと
環的な営みというのが生活の基本だと思う
何万年もの間ずっと同じようにやってきた円
﹁進
今日より明日に直線的に
昨日より今日、
歩﹂していくようなものではなくて、人類が
いました。しかしやはりシステムはシステム
生活をしている人たちに還元したいと思って
はなく、私たちが集めた智恵を多くの普通に
績を積み上げて評価を得るためにやったので
むずかしいところでしょうね。私たち
三砂
のプロジェクトは、アカデミズムのなかで業
らねえ。
行政なんかも認識が足りないんじゃないかし
論でその気にさせたって駄目。そこらへん、
﹁いや
録できました﹂ってお礼を述べると、
この仕事を私はやり続けなければならないっ
きるだけそれをたくさん集めておかないと、
として機能しているわけで、アカデミックな
きていくものであって、そんなお手軽な方法
がとうございました。とってもいいお話を採
て強く思いましたね。
を失い、生きて、そして死ぬということのス
生活というものがめちゃくちゃになって足場
おむつをはずすっていうのは、一つの希望
の象徴なんですね。明日への希望。排泄がき
囲でしたいからするっていうのが基本だと思
てしまうと思うの。研究者は研究を、その範
先に立ったら、押しつけがましい権威になっ
てはならないと思うんです。
だから、その智恵の通風路を今こそ開かなく
じることなんだということを感じましたね。
赤ちゃんから老人まで、
子守唄もおむつも、
そして﹁普通の﹂大人の生きる姿勢にまで通
できてくるものでしょう。小さな些細なこと
を尊重し合うとかの濃密な時間のなかで絆は
互いの﹁いのち﹂
レとケの境目をつくるとか、
問題じゃなくて、日々のくらしのなかで、ハ
るとか、ね。仲がいいとか悪いとかっていう
うってことではないはず。その日常で教えら
して教えようだとか、知識として記憶させよ
え 場 ﹂ と し て 教 え る こ と が 大 切 で、 学 問 と
場であって、それを日々の生活のなかで﹁伝
ていうのはまさに﹁生き死に﹂の繰り返しの
が飲めや歌えや、泣けや笑えやで、なんだか
かにお産のシーンがいっぱい出てくる。それ
きた﹃餓鬼草紙﹄ってあるじゃない。あのな
べたことがあるけど、たとえば平安時代にで
絶対、必要です。子守唄にも、物語が
西舘
入っている。で、私もいろいろ昔の物語を調
にしなければならないっていうことが研究の
のために、何かのシステム維持や破壊のため
い自体がなくなっちゃうんだから。逆に誰か
としてやる人がいなくなったら、そういう問
、三砂さん、それはそれでいいの
西舘
でも
よ。それがいいの、ある意味で。研究を研究
研究の枠組みにあわせていかねばならないと
うんです。それが﹁結果として﹂自分の生活
かもしれないけど、そういう﹁しるし﹂に気
ものすごいのよ。私は絵を見ただけなんだけ
トーリーが消え失せてしまう。
に活かそうというときの、人々の道しるべや
づいたり、時間を共有できることって楽しい
昔は﹁お産講﹂があったっていうのも知っ
ど、
ちんとできること、そして気持ちよくきれい
ヒントになるんです。
ことじゃないですか。だから、振り返ってみ
て、そこには当時のくらしの文化からなにか
ころもあります。
れ と、 あ れ も こ れ も、 何 で も あ り の 自
そ
由って、自由じゃないわよね。どこからも邪
ると、育児に一生懸命だったときの時間が私
ら、物語のエッセンスがすべてそろってる。
になるっていうことは、希望があるからこそ
魔のはいる余地がなくなると、何でも好き放
をいちばんよく育ててくれたと思っています
﹁まるごと﹂人生を楽しく
そんな物語には、
西舘 日常生活のなかだからこそ教えられる
﹁くらし﹂っ
ことってあるじゃないですか。
題できるかと思って、言いっぱなし、やりっ
よ。子どもたちに、娘3人ですけど、感謝し
生きるための智恵がつまっていると思う。
できるわけじゃないですか。
ぱなしで責任感がなくなる。権威を振りまわ
てます。
れは。とても興味があります。
﹁ お 産 講 ﹂ で す か。 素 晴 ら し い な、 そ
三砂
て何がいちばん大事なのかって考える時間や
しょう。だからこそ、やっぱり、自分にとっ
います。でも、むしろ、日本で問題なのは産
ム自体も私はとてもよくできていると思って
よくわかります。この研究はとても楽
三砂
しんでやってきました。日本のお産のシステ
﹁次﹂にちゃんとそれを伝えていくことなん
がる物語をつくったり演じたりすることで
に通じる物語を掘り起こしたり、未来につな
こめられていると思う。私たちの役目は、今
歌の力、物語の力
すことが自由だって勘違いしてしまう。今は
知識としての情報はなんだって簡単に手には
いるし、生活に何の不自由もない。ある意味
場をもつことって、とっても大切よね。それ
むほうの女性の側なんだと感じるようになり
ですね。
で、やろうと思えば何だってできる。できる
﹁上﹂からあた
は、 た と え ば 学 校 や 会 社 で、
ました。西舘さんがおっしゃるようなことを
物語には、物語であればこそ人の心を動か
す力や、人をたすける本当の意味での智恵が
えられるものじゃない。自分でつくっていか
楽しめることを知らないから、自分で産む気
けど、何もやらないっていうのが今の時代で
なければ何にもならない。シンドイことだけ
がない。つまり﹁いのち﹂を継ぐことに喜び
よ。これをこうすれば絆ができますよなんて
んでいかなければならないって思うわけです
らしの根本にある﹁生きるための教え﹂を学
自分たちが自分で考え、つかむっていう、く
研究の積み重ねも大事ですが、西舘さんのお
と。
人生に残された時間と労力を使いたいな、
なるか。これからは、そういうことに自分の
う方向でものごとを見ることができるように
たちの﹁姿勢﹂はどうしたら変わるの
女性
か、どうしたら次の世代の女たちが今とちが
が感じられなくなっている。
ど。
いう万人向けの処方箋なんてないわけで、と
話くださった唄︵歌︶とか、物語の力も必要
絆だってそうでしょう。親子が毎日、いっ
しょに寝たり起きたり食べたりするなかで、
きにはただ黙って見つめてあげる、ときには
ですよね。
写真撮影:川村容一
8
9
何かを相手から察したら手を差し伸べてあげ
協力:割烹 馬目(まのめ)
東京都江東区亀戸6-38-8
研究助成プログラム・社会コミュニケーションプログラム
くらしといのちの豊かさをもとめて
◉トヨタ財団研究助成プログラム
トヨタ財団研究助成プログラムでは、﹁く
らしといのちの豊かさをもとめて﹂という
に密に育てられた赤ちゃんは、言葉によらな
つ﹂の視点 から着目したものです。﹁身体的
人間のもつ身体技法の可能性について﹁おむ
題 す る 本 研 究 は、 近 代 化 の 過 程 で 失 わ れ た
報告されました。
んたちの日々の育児から、次のような知見が
れました。その結果、研究に参加したお母さ
﹁なるべくおむつを使わない育児﹂が実践さ
プロジェクト2年目には、実際に現在育児
に 取 り 組 ん で い る お 母 さ ん た ち を 巻 き 込 み、
います。
テーマを掲げ、助成活動を行っています。
い身体を通したコミュニケーションが可能で
失われた身体技法を求めて﹂︵研
いらない ―
三砂ちづる/津田塾大学教授︶と
究代表者
このテーマは、近代化や産業化が進み、効
率性や利便性が重視されるなか、合理的でな
いう高齢者の方の記憶や過去の記録に注目し
あり、おむつもさほど必要ではなかった﹂と
研究助成プログラムの趣旨について
い、 意 味 が な い、 あ る い は 古 い も の で あ る、
にする鍵があるのではないか、いのちの輝き
まざまなものにこそ、私たちのくらしを豊か
機能と、赤ちゃんのサインを察知する大人の
な布を体にあてがわれている赤ちゃんの身体
た三砂さんは、おむつによって日常的に不快
●
こと
●
の身体的なコミュニケーションが可能になる
●
排 泄 を 通 し て、 言 語 を 介 さ な い 赤 ち ゃ ん と
したサインがわかるようになってくること
赤ちゃんに注意を向けることで徐々にそう
をはぐくむ手がかりがあるのではないか、と
側の感受性が低下しているのではないかとい
う問題意識を掲げました︵左に紹介した書籍
もご参照ください︶。
こと
また、インドネシアでの海外調査がなされま
が本当に必要としていることを自分の身を
育児の本質的な喜び、幸せとなり、赤ちゃん
2年間の共同研究として行われた本プロ
ジェクトでは、1年目に日本でのおむつの変
した。そのなかで、近代化とともに﹁おむつ
もって考えるきっかけになり得ることを示
でも大事な問題である﹂
﹁精巧な概念操作や
はずし﹂を含む育児のお手本が、一般のお母
唆 し て い ま す。 こ う し た 人 間 に 備 わ っ て い
特に、お母さんが赤ちゃんからのサインを
感じとるといった親子間の根源的なコミュニ
げかけに対し、全国そして世界各地から、多
さんたちの豊富な育児体験にもとづいた智恵
る身体を通じたコミュニケーションの可能性
ケーショ ンは、﹁いのちの輝き﹂ にも通じる
くの魅力的な研究プロジェクトが寄せられま
︵こうしたお手本となるお母さんたちは﹁賢
と、社会の常識として受け止められているも
遷に関する文献調査や年輩の育児経験者、現
した。
婦人﹂と呼ばれていました︶から、医者や心
のへ疑問を呈する姿勢を持った本プロジェク
在の保育関係者からの聞き取り調査と観察、
2006年度からの
﹁おむつ﹂研究について
理学者といった専門家による﹁科学的﹂な言
にかくやってみよう﹂というこちらからの投
そのなかから本稿では、2006年度研究
助成プログラムで採択されたプロジェクトの
トは、﹁おむ つなし育児﹂を楽し むお母さん
る体験発表がなされ
たお母さんたちによ
だよくわからないものに取り組むわくわくし
とともに、本プロジェクトの根底にある﹁ま
こうした全国でのシンポジウムやDVDの
制作を通じて、研究の成果を社会に発信する
助成を通して伝えたいこと
ました。パネルディ
た感覚﹂を、皆さんに体感していただけたら
葉へと移行していったことが明らかにされて
学術的・実践的な報
告がされた後、おむ
スカッションも含ん
と思います。
つなし育児を実践し
だ東京・福岡でのシ
がわれました︵東京シンポジウムに関する記
で﹁おむつなし育児﹂への関心の高さがうか
ムも満員御礼の盛況
め、どのシンポジウ
いからこそ大切なことにもつながっていくの
多く存在する小さいけれど大切なこと、小さ
やる活き活きとした場となることは、社会に
者である赤ちゃんの排泄を中心に相手を思い
親 子 間 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に 留 ま ら ず、
社会の最小単位である家庭が、家庭の最年少
ンポジウムをはじ
とご機嫌な赤ちゃんたちの協力を得て、また
事は次ページに︶。
ではないかと考えます。
研究チームの﹁おむつなし育児が楽しいこと
よって、社会コミュニケーションプログラム
での更なるプロジェクトへと繋がりました。
本プログラムでは、この研究プロジェクト
への助成を通じ、私たちの身近にある﹁くら
保育関係者の方など関心を寄せる層は多岐に
わたっています。また、新聞やテレビによる
三砂ちづる[編著]
社会コミュニケーション
プログラムについて
る。現在、そして未来へ伝えたい母
しの喜び﹂が培われることを期待して、今後
視点から活き活きと伝えられてい
報道も多くなされており、﹁おむつなし育児﹂
―失われた育児技法を求めて
られる気づきや喜びが「おむつ」の
の発展を見守り続けていきたいと考えていま
それらを再び見つめ直すことで得
という一つの選択肢が着実に社会へと歩み始
赤ちゃんにおむつはいらない
社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン プ ロ グ ラ ム は、
2008年度から新しく設けられたプログラ
技が失われつつある現在において、
す。
受け継がれてきたくらしの智恵や
めています。
でなる共同研究者による共著。代々
ムであり、
過去の助成プロジェクトの成果を、
子保健・育児関係者、民俗学者ら
広く社会に発信し、普及させることを目的と
三砂氏を中心とした保育士、母
しています。
親の想いが詰まった一冊。
本プロジェクトは、研究助成プログラムに
おいて2006年度から2年間の研究を終え
たあと、2009年度社会コミュニケーショ
ンプログラムにおいて、全国4ヵ所︵京都・
東 京・ 仙 台・ 福 岡 ︶ で の シ ン ポ ジ ウ ム 開 催、
およびDVDの制作を対象とした助成が行わ
価格:2,000円 + 消費税
●
発行日:2009年8月28日
●
発行:勁草書房
●
れました。
シンポジウムでは、三砂さんと共同研究者
の和田知代さんによって2年間の研究成果の
育児中のお母さんが赤ちゃんと一緒に参加
する姿が 目立ちましたが、お 父さ んや学生、
を伝えたい﹂という純粋な気持ちの高まりに
上/三砂ちづるさん(左)と、和田知代(右)
さん(東京シンポジウム)
下/子どもづれのお母さんたちでにぎわう
会場(京都シンポジウム)
一つをご紹介します。
﹁赤ちゃんにおむつは
方法論などはそのうち後から付いてくる、と
た に も か か わ ら ず、
﹁ ま だ よ く わ か ら な い、
本テーマが新たに掲げられた2006年当
時は、漠然とした未知数のメッセージであっ
いう問題意識のもとに設定されたものです。
赤ちゃんは排泄の際にサインを出している
が明らかにご機嫌であること
●
赤ちゃんはおむつをしていないときのほう
として忘れられ、あるいはこわされてきたさ
2
10
11
特集
﹁赤ちゃんにおむつはいらない﹂東京シンポジウム
冷静な観察と体験から学ぶ
◉トヨタ財団研究助成プログラム
大学教授︶や西川昌宏さん︵東京都昭島市わ
かくさ保育園園長︶による特別講演が行われ
ました。フランス現代思想を専門とする内田
さんは、自身の子育ての経験や武道家として
の立場から、身体のセンサーを駆使して﹁物
られました︵次ページに講演の抜粋を掲載︶。
事を先駆的にスキャンする能力の重要性﹂が
クトとして2006年度にスタートした本研
また、西川さんは長年の保育園経営の経験か
情、おむつなし育児の実践から得られた気づ
究の成果が発表されました。そして、実際に
ら、赤ちゃんの生理的欲求に応える﹁おむつ
﹁根源的人間力の再発見につながる﹂と述べ
研究に参加して﹁おむつなし育児﹂を実践し
なし育児﹂に関連して﹁受容してあげること﹂
きなど、研究助成プログラムの助成プロジェ
ているお母さんたちによって、具体的な方法
が﹁自己肯定感﹂につながることや、子育て
におむつはいらない
を 交 え つ つ、 赤 ち ゃ ん の﹁ 排 泄 し た い ﹂ と
田塾大学︶
が
︵日︶
に開催されました。
月 日
求めて﹂
︻研究代表者
三 砂 ち づ る︵ 津 田 塾
大学教授︶
︼の東京シンポジウム︵会場 津
当日は雨にもかかわらず、赤ちゃん連れの家
のアドバイスなどを述べられました。
樹さん︵神戸女学院
また、第二部では内田
れました。
び、信頼関係の構築といった体験談が披露さ
いう欲求に応えるという子育ての楽しみや喜
第一部では研究チームから、近代化に伴う
おむつ育児の変遷、伝統的なくらしをしてい
﹁天下無敵﹂
とは
︻講演録︵抄︶
︼
るアジアやアフリカでの赤ちゃんの排泄事
根源的 な
生 きる力 の
再発見 を
内田です。
ご紹介いただきました、
赤ちゃんのうんちとおしっこのさ
せかたがテーマのこの場で、なんで
ぼくが講演することになったのかよ
く わ か り ま せ ん が︵ 場 内 笑 ︶
、三砂
ちづる先生とは以前に何度か対談し
たことがあり、そのときにすごく意
身
気 投 合 い た し ま し て、
﹃身体知 ―
体が教えてくれること﹄
︵バジリコ︶
という本をつくったという経緯があ
ります。
三砂先生は疫学、ぼくはフランス
文学というまったくフィールドがち
がうところでやってきた人間が、ず
いぶん似たようなことを考えている
な、と。現代日本における家族のあ
り よ う と か、 教 育 の あ り か た と か、
とくに人間の身体についての教育の
ありかたについて、すごく通じるも
のを感じておりまして、敬意と関心
◉ うちだ・ たつる
シ ョ ン が 実 施 さ れ ま し た。 そ こ で は、
﹁科学
的根拠を超えた説得的な言葉が求められてい
る﹂と三砂さん が述べられたあと、﹁おむつ
なし育児﹂を実践するお母さんたちに向けて
のメッセージとして、西川さんからは﹁子ど
もに対してのある種の介入が必要であり、そ
のタイミングを見計らうためにも冷静な観察
力が必要である﹂ことが、また、内田さんか
らは﹁﹃おむ つなし 育児﹄に引き 寄せられる
身体感受性を大切にすること﹂などが語られ
ました。
最後は三砂さんからの﹁赤ちゃんは優しく、
どんな親でも受け入れてくれる﹂という印象
的なメッセージをもってシンポジウムは大盛
よく、上機嫌に生きていくこと。自
かで基本的にバランスよく、気持ち
かれている世界全体の状態、そのな
そういうものではなくて、自分の置
いですか。実際には武道というのは
況のうちに幕を閉じました。
神戸女学院大学教授。著書は
﹃ 私 家 版・ ユ ダ ヤ 文 化 論 ﹄
︵文
藝春秋︶
、
﹃日本辺境論﹄
︵新潮
社︶
、近著に﹃邪悪なものの鎮
め方﹄︵バジリコ︶
など多数。
分自身のもっている生きる力が最大
化 し て い っ て、 極 め て い い 状 態 で
生きていく。誰もがいずれ死んでい
くわけですけど、生きている間、そ
のように心身の高いパフォーマンス
を実現するための体系が武道である
と、ぼくは考えています。
﹁天下無敵﹂という言葉がありま
すが、武道におけるそれは、天下に
いる敵をすべて倒してしまって敵が
誰もいないという状態ではないはず
なんです。そうではなくて、敵とい
うもの自体がない。さまざまなかた
ちでぼくの生き方に関与してくる
人がいる。ぼくの動線をふさぐ人が
いる。動きを制約する人がいるわけ
だけれども、動線をふさがれたらそ
の動線はなかったことにする。はじ
替える。他人からバッと手をつかまれたら、生まれてからずっとこう
めから、自分はこっちに行くつもり
今 み な さ ん の お 話 を 聴 い て い て、
あいかわらず三砂先生のおやりになっていることは、とってもディー
だったというふうに⋮⋮。理屈としてはわかっても、身体感覚として
だったというふうに頭を瞬時に切り
プだなと感動しました。自分のやっていることでいうと、大学で専門
身につけるのは非常にむずかしいのですが。
合気道のことなんて、みなさんほとんどご存知ないと思います。通
常、武道というと格闘技とか護身術を思い浮かべて、敵を攻撃したり
と思ったらもうダメなんです。自分がたまたまここで誰かにつかまれ
るのに、こいつにつかまれたせいで動きが制約されている、嫌だな∼っ
そのためには、主体とか自我という概念そのものを根本的に見直す
必要がある。他人に腕をつかまれたときに、一人だったら自由に動け
回避したりする技術の体系というふうに考えていらっしゃるんじゃな
が多いのです。
としていることよりも、武道家としてのこれまでの経験と相通じる点
内田 樹
験者たち
25
をもって三砂先生のお仕事をずっと
❶会場のようす ❷西川昌宏さん ❸❹おむつなし育児の体
10
見てきたのです。
❷
❸
❹
そのあと、二つの講演を受けて、三砂さん、
内田さん、西川さんによるパネルディスカッ
族など260名以上の参加者がありました。
失われた身体技法を
―
2009年度社会コミュニケーションプロ
グラムの助成プロジェクトである﹁赤ちゃん
3
❶
12
13
特集
断定する。2体の動物が合体したキマイラといえば、非常に複雑な構
イラ︵混成生物︶のような生き物である。私はそういう生物であると
たとする。すると胴が2個あって、頭が2個、腕と足が4本あるキマ
きないのです。でも、それがいい。それでいいんじゃなくて、それが
ンの最良の方法というのは、形として定式化してお奨めすることがで
でなく、逆にほとんどの場合はできない。
子どもとのコミュニケーショ
なんです。ある人が成功した事例というのはすべてに適用できるわけ
て、彼または彼女とそこにつくられた複合的な身体をどのようにして
のか。それは、自分一人の身体をどうやって自由に動かすかではなく
はコントロール可能である。では、どうやったらコントロールできる
ションについて、まだ、誰も到達したことがないけれども、なにか統
だような、包括的な仮説があるにちがいない。親子間のコミュニケー
い。反証事例がいっぱいある。にもかかわらず、その反証事例を含ん
目 の 前 に さ ま ざ ま な 事 例 が あ っ て、 そ の 個 々 の 事 例 の 間 に は 矛 盾
がある。簡便な仮説をもってきて、全部を説明しようとしてもできな
0
造体ですから、一人で動くときよりは、ややこしい法則になるけど、
いいことなんです。
操作すれば、その共身体のパフォーマンスは最大化するかを考えるこ
一的な仮説が存在するにちがいない。ある種の美しい秩序があり、隠
0
構造体である以上は、構造法則があり、運動法則があるから、ある種
となのです。どう考えたって二人分なわけだから、力は2倍になるわ
れ た 整 序 に 基 づ い て す べ て の 親 子 関 係 が 構 築 さ れ て い る。 私 た ち に
のルールに則って動けば、この共身体として協同的に構築された身体
けですよ。
使いようによってはですが、
一人では絶対できないパフォー
は、その秩序の一部分しか明かされていないけど、自分自身の個人的
な経験を通じて、宇宙的な根本原理に触れることができるのではない
マンスを達成できるはずなんです。
か⋮⋮。
ちょっと大袈裟な言いかたですが、一見ランダムな振る舞いの背後
に斉一な構造、ある美しい原理や法則が存在すると確信すること。そ
車馬一体とか人馬一体といった言葉がありますけど、おそらく優れ
た騎手たちは文字どおり人馬一体となっているのです。自分と馬が2
身体が腰から下が馬とつながっていて人と馬がひとつながりの非常に
れは、自然科学者にとって必須の能力というばかりでなく、人間のもっ
体の生物として別々にコントロールされているのではなくて、自分の
複雑な構造体をつくっている。ケンタウルスのようなキマイラになっ
ている最もすばらしい力の一つなんじゃないでしょうか。
小さな共同体、弱さが要求する共生感
うこと。それが、ぼくはすごく大事なことだと思うのです。
のではなくて、自分に引き取るっていうか、自分自身で考えるってい
るとき、どのように理解したらよいですかと誰かに答えを聞きにいく
その際のいちばんの基本になるのは、やっぱり、目の前にあって、
そこで起きているさまざまな現象。説明できない現象が目の前で起こ
ていて、ある一つの法則のもとにコントロールされて共身体として走
ケース・バイ・ケースのコミュニケーション
る。通常の状態とは頭︵身体感覚︶が切り替わっているのです。
赤ちゃんには言葉が通じない。母親にとっては自分の身体から出て
きた自分の一部分みたいなものだけど、明瞭な言語によって意思を聴
き取ることができない。赤ちゃんって何を感じ、何を考えているのか
わ か ら な い 一 種 の エ イ リ ア ン で す。 そ の よ う な エ イ リ ア ン と コ ミ ュ
ニケーションを立ち上げていくにはどうしたらよいのか。そのための
をしました。子どもが7つか8つのときのある日、
朝起きたときから、
ぼく自身、もうずいぶん前の話になりますけど、子育てにかなり専
念していた時期がありまして、育児でずいぶんいろいろ不思議な経験
やったらよいかについて、
﹁現場﹂の母親たちすべてにとって通用す
頭のなかでずっとあるCMソングが流れていたことがある。昔のテレ
育児書の類が世の中にはたくさん出回っているわけですが、実際どう
る回答など存在しない。相手はエイリアンですからね。
洗 っ て い る と き か ら な ぜ か 頭 の な か で 鳴 っ て い て 止 ま ら な い ん で す。
ビ 番 組 で つ か わ れ て い た C M ソ ン グ の メ ロ デ ィ が、 歯 を 磨 い て 顔 を
先ほども、﹁おむつなし育児﹂の経験者のかたが育児はケース・バイ・
ケースだということをさかんにおっしゃっていましたが、まさにそう
す。強固に自立した自我があって、他者の影響を排し、自分のほうが
するかということを、ことに近代の人間は課題として生きてきたんで
何小節かつながって流れては、ふっと消えてしまうというようなこと
食事のあと、皿を洗っているときもそうでした。頭のなかをそのメ
ロディが流れていて、今朝はやけにこの曲が頭にこびりついて離れな
す。でも、それはちがうんじゃないか。結局そんなことが言えるのは、
自由に動き、自分が中心となって物事にかかわりながら他人を抑え込
いなと思っていた。で、ある瞬間、メロディが途中でふっととぎれた
﹁ 安 全 で 豊 か な 社 会 ﹂ の 強 い︵ と 思 っ て い る ︶ 人 間 だ か ら で あ っ て、
を繰り返しながら。
んですね。そしたら、ちょっと離れたところにいた娘がその続きを歌
逆に、ぼくと娘との間に共感が成立したような、そういう種類の濃密
すごく弱かった。二人きりの小さな共同体をつくって、東京から移
り住んだ。まわりに友人も知人もいない、誰も支援も保護もしてくれ
ちは弱かったですね。
な空間がなくなってしまった。今思うと、やっぱり、そのときぼくた
みコントロールしていく。そういう種類の自我、個をどうやって構築
い出したのです。CMソングの続きを。
ぼくは口に出して歌っていたわけじゃないから、ハッとびっくりし
て慌てました。
なんでその歌を歌うのってきいたら、急に歌いたくなっ
んというか、テレパシーってやつかな、と。ずいぶん古いCMソング
ない状況に二人で向き合ったとき、ぼくたち二人でひっしと抱き合い、
たからっていうんですよ。
﹁えーっ!﹂と驚いて⋮⋮。これって、な
だったので、娘は知らない歌のはずなのに、知らないはずのメロディ
けないんだというような、弱さが要求する種類の共生感ってあるんで
助け合わなければならないということがたびたびあった。しかし、非
そのころ、ぼくは離婚してましたから、父子家庭です。﹁母親﹂の
役になって子どもを育てている時期が長かった。さすがに母乳はあげ
すよね。だから、逆説的ですが、そのときぼくたちはすごく強かった
だけれど、本人が自発的にその歌を歌いたくなってしま
くが刷り込んだ、というか送信した。ぼくが送信したん
知らずに出てきて歌いたくなった。ある意味でそれはぼ
があっても、それで死ぬわけじゃないんだからっていう
で責任とってもいいって言えるのは、万一失敗すること
責任で行動するっていうふうになっていくんです。自己
だんだん豊かに安全になってくると、みんな分離しは
じめて、自分で好きに動けるように自己決定して、自己
ないかと思います。
ですけれども。それはどんな場合にも、今の人全般にいえることじゃ
ンというか、テレパシーで通じるみたいなものが希薄化していったん
その後、子どもも成長し、だんだんとお互いに友だちや知人もでき
て自立心が出てくるようになって、そういう種類のコミュニケーショ
常に貧しく乏しい環境のなかで自分たちが支え合わなくては生きてい
られませんが、ごはんをつくって、洋服を着せて、学校にやって、家
という記憶があります。
が伝わって彼女の口から出てくるんですから。
のなかを掃除したり布団を干したり、繕い物をしたりで、そういうこ
とを毎日やっている時期があったんです。母親となって子どもとの関
係が非常に密接になっていたから、そういう﹁えーっ!﹂となるよう
な事件というか、身体的な同調が起こったのだと思うんです。
ぼくが頭のなかで奏でたメロディが向こうにいる娘に伝わったわけ
ですが、でもそれって娘からしてみたら、ふと歌いたく
う⋮⋮。あっ、こういうふうなかたちにもっていくのが
ような、ある種の見くびりがある。状況に対する安全を
なったということなんです。自分のなかからメロディが
合気で、武道的な意味で万有共生とか、天下無敵ってい
危機的な状況を一生物として生き延びようとすると
き、不安や恐怖によって人間はすごく強靭な共同体をつ
確信しているからこそ競争とか対立ができる。
強い弱いとか勝った負けたとか、成功した失敗した、
どっちが上か下かと格付けしたりとか、そういうことは
くる。鎧みたいな自我をバーンと破っていって、複合的
うことなんだなと、そのとき思いました。
全部、主体というか自我を強化するべくはたらくわけで
14
15
のが出入りし、それぞれがやわらかく結びついていって、一つの多細
な身体になろうと指向する。自我に穴がいっぱいあいて、いろんなも
まったのだけど、あっ、とあることを思いついて言ったんです。﹁ア
て。ぼくもそんなことやったことないから、う∼んって考えこんでし
7歳の小学校に入る前の子どもたちにどう教えたらいいんでしょうっ
レやったら、アレ。ハンカチ落とし﹂って。
胞生物のようなものができるんじゃないかとぼくは考えています。
いて座る。オニが一人その周りをぐるぐるまわって、誰かの後ろにハ
﹁ハンカチ落とし﹂で微細なシグナルをキャッチする
年間ほどの日本社会は、どんどん人々が孤立していくような
過去
社会で、孤立することを喜ばしいこととしてきた。みんな孤立して、
ンカチを落とす。ハンカチを落とされて、オニがあと一周まわっても
自分が自分で自分の利益を追求していく。﹁自由﹂に活動して、自分
気がつかなかったら今度はその子がオニになる。
みなさん﹁ハンカチ落とし﹂は知ってますよね。ぼくも昔やったこ
とがある、子どものときに。何人かで輪をつくって、みんな内側を向
一人の可動域を拡げていく。それがいちばん素晴らしいことのように
ニがハンカチを落とした瞬間反応するんですよ。視覚でも聴覚でも、
ら見えないし、音も聞こえない。にもかかわらず、勘のいい子は、オ
言われてきたのです。
だけど、そんなことよりも大事なのは、生き延びるってことですよ
ね。いまの日本の社会、だんだん、だんだんと生き延びるのがむずか
触るわけじゃないから触覚でもないはずなんだけど、いったいどのよ
このゲーム、最近はやったことのない人がほとんどかもしれません
が、どういう力を養うゲームかというと、ハンカチは後ろに落ちるか
済の情勢があり、人口もピークアウトして、日本社会全体の活力がど
しい社会になってきているように感じられます。いろいろな政治や経
のではないかという気がします。他人とどうやって相互依存的に生き
のための技術﹂っていうものを、人は少しずつ思い返しはじめている
んどん弱まっている。そういうときにですね、忘れられていた﹁共生
やろうという心に﹁ふっ﹂と兆した思念というか気持ちが微かなシグ
けで。やはり、ある子の後ろに来て、ハンカチを落としてオニにして
うな感覚で反応するのか。なにか非常に微細なシグナルに反応するわ
とか、体臭が変化するとかそういう微細な生化学的な変化が生じるん
ナルとして発信されているんですよね。実際に、ごくわずかにオニの
しかし、どうやって成功するか、どうやって他人を押しのけるか、
どうやって勝つか、どうやって強くなるかっていうハウツー本やセミ
じゃないかと思うのですが、それを感知する。そういう訓練を飽きも
スキャンする力
予知する能力
―
歩 み が 遅 れ る と か だ け で な く、 微 妙 に 汗 を か く と か、 脈 拍 が 高 ま る
ナーなんかはいっぱいあるけど、どうやって共生していくか、弱い人
せずやってみてはどうか。
ていくか、そのためのノウハウをさぐっている。
間同士がいろいろなかたちで相互依存し合いながら共同体をつくりあ
げ、そのなかでどうやってハッピーに生きるか。そのためのノウハウ
については、多分教えられた経験がほとんどない。家庭でも、学校で
も、どうやって他人と共に生きるのかっていうことに対して、真に教
す。そんな弟子の一人が、女性なんですが、芦屋に子どもたちのため
年くらい
ぼ く に は も う 20 0 人 く ら い 弟 子 が い る ん で す け ど、
やっていると独立して自分で道場を持ちたいっていう人もでてきま
すごく感度のいい子だったら、場合によっては上空からバーズアイの
の兆候がないにもかかわらず、
オニは人が隠れている場所を感知する。
見えないわけで、もちろん音も出さない。見えないし聞こえないし何
子どものころにする遊びって、みんなそういう訓練になっているよ
うな気がします。隠れんぼなんかもそうでしょう。隠れんぼというの
の道場をつくった。そしてしばらくしたら、ぼくのところに、先生子
視点で見て、木の後ろに隠れている友達の姿まで感知できているのか
えられてないような気がするのです。
どもたち相手にどんな稽古をしたらいいでしょうかって聞きに来たん
もしれない。これ、すごく重要な能力です。この能力は一種のスキャ
先日ある取材で質問されてその場でパッと思ったんですが、武道を
ずっと稽古してきて、また教育者として長年やってきて、今自分にとっ
人類にあたえられた太古からの宿題
は走って振り切るほどの身体能力はない。そんな能力を身につけるこ
ていちばん大切なことは何かっていうと、モニターするってことなの
は、よくよく考えてみるとかなり理不尽な遊びです。隠れている人は
です。いままでずっと大人たち向けの稽古をしてきたけど、6歳とか
ンする力なんです。
とは不可能に近い。でも、代わりに、そういう危険を回避するような
です。それもこのスキャンとか観察とかと連関してくるわけです。
ていなくともわかる。そういう生き延びようとする人間にとって根源
なんだかこっちに行くとよくないことが起こりそうだとか、そんな
ことが先駆的というかあらかじめわかる。実際にそこに行って経験し
覚がひろがって、自他が包み込まれてきますと、相手が感じていると
多分、そうだと思う。感覚の一致ってそういうものなんです。身体感
したいのがわかるっていうのは、自分がそうしたくなるんですよね。
スキャンする力ですよ。
的な能力が、おそらくかなり体系的に開発可能であって、旧石器時代
いうより、自分が感じるんです。
際に何千通りもの危機的な状況を瞬時に想定して、そのなかで行動す
チュエーションを事前にバーッと網羅的に掬い出すことができる。実
しますが、人は危機に立たされたとき、限られた資源や起こり得るシ
それが近代以降になっても、人間のなかに部分的にのこっている。
いろんなところで同じことを書いたりお話しているのでこのくらいに
これはもう、個人を超えて人類にあたえられた太古からの普遍的な宿
立ち上げていくのか。それをどのようにコントロールしていくのか。
ていって、主体と他者を包含するようなある種の共生体をどうやって
やって改鋳していくか、また他者という概念をどうやって解きほぐし
やってきて、結局追求しているのは同じ問題。主体という概念をどう
ぼく自身が武道の稽古をやってきて、その一方でフランス思想、エ
マニュエル・レヴィナスという哲学者の他者論、主体論とかを 数年
る方向や使えそうなものは何かってことを人間は考えているんです。
題であって、それをずーっと引きずっているのです。
力。それって、基本的に観察力の一種なんですよ。
に時間を入れ込んでいって起こりうることを予知する能
する力。スキャンというのは空間的な比喩ですが、そこ
の予兆っていうのが、やはりあるわけです。予兆を感知
ズの中間っていうか、これから生じるかもしれないこと
在 す る よ う に 思 わ れ ま す け ど、 む し ろ シ グ ナ ル と ノ イ
よ。シグナルっていうと、いかにも目の前に具体的に存
つのもの・ことが発しているシグナルを感知する力です
それって、ことさらに超能力っていう必要もない。非
常に細かい観察の賜物なんです。なにか目の前にある一
れ来るにちがいないって、先駆的に確信できてしまう。
きる。一見役に立ちそうもないものによって命が救われる状況がいず
スキャン能力のある人は、その選択をみごとにヒットさせることがで
ないかとぼくは思うんです。
とかですね、
人類は何万年もかけてずーっと開発・育成してきたんじゃ
今日のテーマでいうと、前にも三砂先生とお話しているときちょっ
と思ったんですけど、赤ちゃんを抱いているとき赤ちゃんがおしっこ
能力はおそらく人間に備わっていて、しかも開発可能である。それが
よく引かれる例ですが、人類が誕生して間もないころ、野生の肉食
獣なんかと遭遇したとき、人間に、素手で野獣を殴り殺すか、あるい
10
ご静聴ありがとうございました。
たことです。
いうことが、今日のみなさんの発表や発言を聞いて感じ
そんな大きなトレンドのなかに今私たちはいるのかなと
こっと泡が沸き立つように、共通の志向が現れている。
としているのでしょう。あちこちで同時多発的にぼこぼ
ふと思った方々たちも、そんな方向に軌道を修正しよう
ば実際に﹁おむつなし育児﹂を実践してみようかなって
は な い か。 ぼ く ば か り で は な く、 三 砂 先 生 や、 た と え
ういう根源的な人間の力の再発見が求められているので
近代になってそういう人類的課題をわれわれは忘れがちなわけです
けど、ある種の危機の時代、窮乏の時代に至った今、そ
30
16
17
20
研究助成プログラム・アジア隣人プログラム助成金贈呈式
思いやり、交わり、支え合う、
豊かな社会の実現を願って
本イベントは、三部構成で行われ、第一部
では﹁こころの豊かな社会の実現に向けて﹂
助成金贈呈式を開催しました。
究助成プログラム・アジア隣人プログラムの
ホール︵東京・池袋︶にて、2009年度研
2009年 月 日︵木︶トヨタ・オート
サロン・アムラックス東京5階アムラックス
南米では困ったときはお互いさま、という﹁相
標準ではありますが、アジア・アフリカ・中
欧米の﹁ヒューマンライト﹂の考え方が世界
りました。今、なぜ人を助けるのかというと
た相互扶助のコンセプトが浸透するようにな
大震災をきっかけに、時間軸の入った開かれ
の同士の閉じられたものでしたが、阪神淡路
できるコンセプトです。本来は知っているも
が、思いやり、交わり、支え合うこころ
から生まれる皆様方の活動や研究の成果
述べ、﹁人と人との確かなつながりのなか
掲げています﹂と両プログラムについて
ことの大切さを、共通の問題意識として
といのちの場を、足元から構築してゆく
て 日 々 変 化 す る、 わ た し た ち の く ら し
ムは、ともにグローバル化の進展によっ
究助成プログラム、アジア隣人プログラ
◉川崎恵津子︵トヨタ財団プログラムオフィサー︶
と 題 し て シ ン ポ ジ ウ ム を 開 催 し、 助 成 プ ロ
互扶助﹂がいちばんわかりやすい言葉となっ
の豊かな社会の実現につながることを心
第二部は助成金贈呈式が行われまし
た。冒頭、当財団理事長遠山敦子より﹁研
ジェクト3件の趣旨と活動にかける気概が語
ています。AMDAは災害医療援助を実施し
られました。
ていますが、同時にこの開かれた相互扶助と
﹁相互扶助﹂に基づいた
よりよき隣人との付き合い
第三部の懇親会では、アジア隣人プロ
グラム特定課題﹁アジアにおける伝統文
へ激励のメッセージが贈られました。
書の保存、活用、継承﹂
選考委員長の松原
動の根底にあるのが﹁相互扶助﹂という考え
AMDAはこれまで紛争地域や自然災害地
での医療活動を実施してきましたが、この活
揮 し て も ら い、 そ れ を 支 え る こ と、 そ し て、
係を築くこと、ローカルイニシアティブを発
﹁相互扶助﹂に基づいたよき隣人の付き合
いをするためには、お互いに助け合う信頼関
常勤講師︶による﹁アジアにおける鎮守の杜
次に2007・2009 年度研究助成プロ
グラム対象者、李春子さん︵神戸女子大学非
会を再認識することになるのではないかと考
ける自然と人間が共存してきた豊かな人間社
らいます。このプロジェクトは、アジアにお
民間NGO、行政の人にも調査に加わっても
このプロジェク トには植物学者、 民俗学者、
鑑を作成し、社会に発信しようとしています。
る鎮守の杜を各100ヵ所ずつ調査して、図
します。
貯蔵、流通、消費の段階での行程ごとに解析
を考慮に入れて、ブドウの収穫後の酒造りや
とともに、その地域ごとの慣習や伝統的智恵
器を使ってさまざまな場所で農業を把握する
への影響を畑レベルで見てみるために、計測
見交換が行われました。
加者によるお互いの活動紹介や活発な意
まず、2007年度アジア隣人ネットワー
クプログラム助成対象者である菅波茂さん
尊厳と信頼に基
―
づいた多様性の共存﹂プロジェクトの報告が
てAMDA多国籍医師団
方です。財団の助成プロジェクトは、AMD
世 界 の 8 割 は 血 縁 共 同 体 社 会 で あ り、 そ の
ありました。
Aの相互扶助ネットワークを南西アジアと中
人々とどのように付き合っていくのかが重要
の資料化 ―
鎮守の杜の文化誌的図鑑﹂プロ
ジェクトについての報告がなされました。
バーサルなものを追求することであり、自然
であるといえるでしょう。
央アジアで強化することに役立ちました。
﹁相互扶助﹂は世界の8割の人たちが共有
﹁ 鎮 守 の 杜 ﹂は 日 本 で よ く 見 か け る 風 景 で
すが、アジアにおいてもそれはおそらく人間
と人間における共感が人間社会をより豊かに
アジアの鎮守の杜を
共同で調査し発信する
社会が社会を取り巻く自然環境を固有の宗教
していくことにつながるのではないかと思っ
2009年度研究助成プログラム助成対象
者となったモンテ・カセムさん︵立命館アジ
ではなく、 Think Locally, Act Globally
Locally
です。ローカルで考えたことをグローバルな
ローカルで考えたことを
グローバルな基盤で展開していく
えています。それは、自然と人間社会のユニ
感覚、畏敬、自然に対する謙虚さを空間的に
ています。
がつながりとして営まれることが風景として
2007年度の助成では、アジアの鎮守の
杜の地図を作成しました。鎮守の杜には、洪
ア太平洋大学学長︶による﹁気候変動によっ
基盤で展開する努力をしたら、もっと面白く
水の際にご神木の枝を切って堤防をつくって
て危険にさらされたコミュニティの活性化
表れているのではないかと思っています。
守ったという記録や、最初に村を開いたとい
なるのではないか、ということなのです。そ
Think Globally, Act
うご先祖様を祭るところに木を植えたなどの
のために、地域で集めた情報をグローバルに
人々がシェアできるようにしなくてはいけま
せん。それらの情報を可視化するためのシス
ウは人間と長い付き合いのある作物であり、
絞りました。鍵になるのはブドウです。ブド
インの味をどう変えるかということに焦点を
している方たちからの熱い思いや、ノウハウ
出席者にとってはすでにプロジェクトを実施
ただき、会場からの質疑応答 がありました。
それぞれの発表のあと、伊奈久喜さん︵日
本経済新聞論説副委員長︶からコメントをい
テムも構築していきたいと思っています。
ある一定の気候帯の中でしか生育しないとい
がこれからの活動のヒントになったことと思
となっています。そのなかで、気候変動がワ
うことから、気候変動と農作物の関係を見る
われます。
このプロジェクトでは、気候変動の農作物
のにふさわしいのではないかと考えました。
で、気候変動と農作物の関係は世界中の課題
気候変動が作物に影響を与え、その作物は
途上国の人々の生業につながるという意味
日本とニュージーランドでの醸造用ブド
―
ウ農家の研究﹂プロジェクトの概要について
中心にある考えは
立命館アジア太平洋大学学長
モンテ・カセム
さまざまな言い伝えがありますが、このよう
神戸女子大学非常勤講師
の報告が行われました。
で伐採の危機にさらされています。
25
2009年度はアジア3ヵ国 名での共同
研究として、アジアの韓国、台湾、日本にあ
李 春子
な鎮守の杜が現在、環境変化や都市化の影響
あらわしたものであり、命あるあらゆるもの
助成金贈呈式
(左は遠山理事長)
るアジア隣人﹃相互扶助﹄ネットワークとし
正毅先生による乾杯のご発声のあと、参
AMDA理事長
︵ AMD A理事長︶から﹁世界平和に貢献す
菅波 茂
から願っています﹂と助成対象者の方々
15
いうメッセージを世界に発信しているのです。
10
相互扶助、
自然との共存、
情報の共有化
4
18
19
特集
代表者氏名
題 目
所 属
年数
2009
アジア隣人プログラム
[一般]
アジア自然農業普及プロジェクト ― インド、インドネシアの現地NGOおよび農民組織と連携した アジア・コミュニティ・セン
ター21
技術マニュアル出版・普及と農民トレーナーの育成
2年
延藤安弘
自立共融的居住文化の継承と再創造 ― 台湾原住民参加による部落集住計画・育成ネットワーキング 愛知産業大学大学院
2年
中西正司
フィリピンにおける障害者自立生活センターを中心とした介助者派遣活動支援 ― 介助者派遣サービ
ヒューマンケア協会
スの構築・実施と介助研修ワークショップの開催
2年
広若 剛
藤岡朝子
ヘン・
インチェン
シャイック・タン
ビル・ホシャイン
プリヤンドコ
ジェーン・
マリー・ホウ
アジア隣人プログラム・研究助成プログラム
「日中タイ映画道場」― ドキュメンタリー映画をめぐる交流ワークショップを通じた各地の映像制作 ドキュメンタリー・ドリーム
センター
者・上映者のコミュニティ形成
2年
新しいオルタナティブに向け
たアジア地域交流
2009年度に採択された「アジア隣人プログラム」
(23件)
、特定課題「アジアにおける
伝統文書の保存、活用、継承」
(11件)
、
「研究助成プログラム」
(44件)のプロジェク
ト一覧です。
2年
*各プロジェクトの詳細についてはトヨタ財団ウェブ・サイトをご覧ください。
農業環境課、持続的な人的開
発センター
2年
アジアにおける結婚移民女性の新しい市民権獲得に向けた結婚移民グループの地域協力
合鴨農法を取り入れた住民参加手法を通してのバングラデシュの地域の生活改善
ジャックリン・ 労働移民に関するメコン流域の語彙 ― メコン流域での安全な移住に向けた地域ネットワーク構築と
移民支援プログラム財団
ポロック
相互理解の促進
パントム・シディ・
助成決定プロジェクト一覧
伝えたい生活様式 ― インドネシア、カリマンタンにおけるダヤック農民ネットワークの強化と拡大
南・東南アジア非木材製品交
流プログラム
良き隣人としての東ティモールとインドネシア ― 伝統織物工芸を通じた人と文化、環境のつながり
ブバリ文化愛好家財団
再構築
2年
2年
代表者氏名
加藤 博
ユシャオ・
ロン
李恵 燕
廣田律子
2年
南インドからスリランカへの民族移動の複合的説明を含む、国と地域の地理(地誌)に関する貝葉文書 ス リ ラ ン カ 民 族 学 国 際 セ ン
ター
の収集、翻字、および翻訳
1年
エジプト西部砂漠・オアシス地方における地方文書の収集
一橋大学大学院経済学研究科
2年
貴州省モン族の混農林業契約に関する清水江文書群の目録作成、翻字、解題、および集成
貴州大学人文学部
1年
韓国済州島の伝統文書の調査・集成・保存
東北芸術工科大学東北文化研
究センター
2年
中国湖南省藍山県のユーミエンの度戒儀礼に使用される儀礼文献・儀礼文書の保存と活用と継承
神奈川大学経営学部
2年
カンボジアの地雷原跡地における持続可能な農業支援 ― 雨季の雨水のみに頼り、米の収量が1t/ha カ ン ボ ジ ア 地 雷 撤 去 キ ャ ン
ペーン
にも及ばない地域での、稲作指導及び農業用水路建設を中心とした村落開発
2年
綾部真雄
「銀の蝶」プロジェクト ― タイ山地民リスによる土着の叡智を通じた「麻薬禍克服ネットワーク」の
首都大学東京人文科学研究科
構築
2年
農村部のエンパワーメントとコ
ミュニティ・ヘルスのための情報
科学
マノ・バット
ヒマラヤ地域社会における研究・ア
2年
中地重晴
タイ東部工業地域 Ma Ta Phut での工業団地と共存できる地域づくりのあり方の検討とリスクコミュ
環境監視研究所
ニケーションの実践
2年
カンボジア農村に住む知的障害者の収入創出事業 ― カンボジアで初めての食用油(ひまわり油)の製 (社)日本発達障害 障害福祉
連盟
造販売
2年
持続的で豊かな社会づくりを担うアジア次世代リーダー育成のための研修プログラムの開発 ― タ
カオデーン農園
イ・日本・フィリピンを中心とした農村若手活動家の交流・発展を通じて
2年
社会的投資プラットフォームの構築、及び、相互支援コミュニティの醸成
2年
コムサン・チャ
イタウィープ
2年
功能聡子
内モンゴル大学モンゴル学学
院
1年
松原あけ美
シンギ・トリ・ インドネシアにおける平和なイスラームの創出 ― デジタル化、マイクロフィルム化、翻字、翻訳、 ディポネゴロ大学アジア学セ
ンター
スリスティヨノ 文脈づけを通じたナスカ・ランバン
(ランバン文書)の保存
2年
原田 公
バリ島に残存するヒンドゥー法典「アウィグ・アウィグ」の収集・整理と保存・継承 ― 伝統文書の比
東北大学大学院文学研究科
較歴史社会学的解読と再定位の試み
2年
プロの技術者より製パン方を伝授するプロセスを通して、カンボジア貧困層青少年の自立と基本的人 FMA 国際ボランティア VIDES
JAPAN
間育成を目的とする協働プロジェクト
2年
内モンゴル西部地域における民間の土地契約文書の調査・保存・解題
ドボカシー・コミュニケーション
稲川孝子
韓国黄海岸における近世・近代海村文書の歴史生態学 ― 忠清南道洪城郡星湖里文書の整理・解題
却日勒扎布
地域に根ざしたガンジス川源流の保全 ― インドの4億人の水源
2年
アジア隣人プログラム
[一般]
鄭 勝謨
吉原直樹
21
ディマンチェ・
カンボジア農村コミュニティにおける持続可能な有機農業の支援・自助ネットワークの形成
ロン
2年
四日市康博
Seed to Table(ひと・しぜん・
2年
くらしつながる)
大谷賢二
上村 明
イラン・中国・日本共同によるアルダビール文書を中心としたモンゴル帝国期多言語複合官文書の史
料集成 ― 多民族・多言語社会の構造と官文書上のペルシア語・アラビア語・トルコ語・モンゴル語・ 九州大学人文科学研究院
漢語の相互関係の解明を目的として
年数
先祖から受け継いできた在来の稲を取り戻す ― ヴェトナム山岳地域に住むムオン民族の挑戦
遊牧民が描いた郷土の景観 ― モンゴル古地図のデジタル保存とデータベース・ウェブサイトによる
東京外国語大学外国語学部
その利用と継承
(社)
地域文化研究所
所 属
伊能まゆ
特定課題
「アジアにおける伝統文書の保存、活用、継承」
ガナナス・
オベイセケレ
題 目
アジア隣人プログラム
[小規模]
2年
エネルギー資源研究所 西部
地域センター
ヨギタ・メーラ 小規模農業者のための持続的、協働的な農業ビジネス・エコシステムの開発
2009年度アジア隣人プログラム助成対象プロジェクト一覧
2年
沼田千妤子
カンボジアの社会投資基金
絵本で繋ぐ心の架け橋「こころの教育を世界の子どもたちへ」― 絵本道徳授業をカンボジアの教育現
京都教育大学附属京都小学校
場に
2年
カンパール半島の伝統的生業と文化を維持・発展させるためのエスニック集団のネットワーク形成
熱帯林行動ネットワーク
― 大規模森林開発による環境影響を低減させるための地域組織化とキャパシティ・ビルディング
2年
ブントーン・ 郷土民謡「ラム」一座の地域間交流、および日本人愛好家・実践家たちとの交流と協働によるラオスの
民謡一座「ドクファーペット」 2年
ゲオブアラー 「ふるさと文化」
活性化の試み ― 南ラオスの2大祭、在ラオス日ラオ友好事業参加を足掛かりに
20
2009
助成決定プロジェクト一覧
アジア隣人プログラム・研究助成プログラム
(特活)は特定非営利活動法人の略
代表者氏名
題 目
所 属
年数
2009年度研究助成プログラム助成対象プロジェクト一覧
研究助成プログラム
[共同]
木村 亮
木多道宏
長岡智寿子
相川陽一
アフリカ農村部の草の根ヒーローたちが地域を元気にする! ― アフリカ農村部住民の中で芽生えた
京都大学産官学連携センター
自分たちで自分たちの道を直すという意識と自信を、地域の活性化につなげる手法の開発
1年
ブダペスト第7区 Jewish Quarter における「共生」の歴史の掘り起こしと、文化を継承する都市デザイ
大阪大学大学院工学研究科
ンモデルの提言
2年
村の女性に文字は必要か? ― ネパールにおけるコミュニティラジオ放送活用の学習プログラム研究
法政大学キャリアデザイン学
部
非農家出身者の農業者への育成と地域定着に向けたモデル構築 ― 千葉県成田市および周辺地域の
一橋大学大学院社会学研究科
ケーススタディ
東京大学大学院総合文化研究
科
恩田守雄
2年
岩渕成紀
2年
住宅と CO2市場で日本の林産地域を復活させる ― 「住」における地産地消メリットの可視化および
天然住宅バンク
CO2削減の市場化による、林産地活性化、職人技術継承発展、住宅のエコと健康化
2年
韓国住民参加予算制度の施行過程の評価及び活性化方案の模索
2年
草の根自治研究所イウム
ウィリアム D・
インドネシア、マドゥラ人の民間伝承に関するDVDと印刷物の制作
ダビエス
アイオワ大学言語学部
ヤマモト・
変貌する在日ブラジル人・韓国人家族 ― 就労と家族問題を中心に
ルシア・エミコ
静岡大学教育学部
マフブブル・
アラム
2年
田んぼの生物多様性パラタクソノミスト(準自然分類学者)シナリオ化による生きもの調査評価手法の
(特活)
田んぼ
開発と地域主体の田んぼの生きもの認証制度の開発
佐々木章晴
23
北海道根釧地方における、低投入持続型草地管理技術の構築による、自然環境保全及び根釧地域の持
北海道当別高等学校農業科
続的発展
1年
2年
辻本勝久
中枢港湾に近接した中小コンテナ港湾の存在意義と活用方策に関する研究 ― 日米欧の事例の網羅的
和歌山大学経済学部
把握と「みなとまちづくり」
に向けた政策提言
1年
2年
「気候変動避難民」
の時代 ― 受け入れ地域活性化の視座
関西外国語大学外国語学部
2年
京都大学大学院
2年
2年
渡辺幸倫
2年
人間開発のための手話研究 ― 日本の研究成果を活かしたアジア・アフリカの手話研究人材育成
秋田大学教育文化学部
2年
渡邊一正
若桜町舂米における山村集落の現状と可能性 ― 茅場から考える地域の活性化
NPO 市民文化財ネットワーク
鳥取
1年
清水直美
イラン・カスピ海沿岸地方の聖所信仰と地域社会 ― その現状調査と基本情報のデータベース化
テヘラン大学外国語学部
2年
増淵敏之
金戸幸子
東アジアにおける結婚移民とコミュニティの再生産に関する研究 ― 移動・家族の機能変化・ネット
京都大学文学研究科
ワークの構築
2年
サビハム・
スピアンディ
鹿熊信一郎
アジア太平洋型 MPA(海洋保護区)システムの提示 ― 漁村の多様な条件に応じた多様な MPA 設計
沖縄県八重山農林水産整備課
手法の開発に向けて
2年
木村李花子
波照間永吉
アジアにおける鎮守の杜
(モリ)
の資料化 ― 鎮守の杜の文化誌的図鑑・映像資料の作成
沖縄県立芸術大学付属研究所
2年
アクテール・
ナスリン
南アジアにおける不規則な越境移住 ― インドにおけるバングラデシュ女性移民の研究
ニューファンドランドメモリ
アル大学女性学部
1年
堀 ひかり
鈴木 紀
気候変動によって危険にさらされたコミュニティの活性化 ― 日本とニュージーランドでの醸造用ブ
立命館アジア太平洋大学
ドウ農家の研究
「一村一助」運動による地域の活性化 ― ユイ、モヤイ、テツダイという伝統的な互助慣行の見直しと
流通経済大学社会学部
地域固有の資源に基づく互助ネットワークの形成をめざす「一村一助」
運動による地域づくり
1年
新宿のニューカマー韓国人のライフヒストリー記録集の作成 ― 顔の見える地域づくりのための基礎
相模女子大学学芸学部
作業
モンテ・カセム
2年
京都大学大学院農学研究科
2年
四川大学公共衛生学部
九州大学大学院言語文化研究
院
戦後開拓の経験からの「農」
の再考
日本の地域社会特有の家族特性に関するトレンド分析
フアン・ツォウ 中国の地方コミュニティでの残留児たちの健康的かつ活発な生活をめざして
紛争後社会の民族共存に資する教育制度分析 ― 地域社会の再生と国民融和に向けて
中山大将
金 兌恩
廃棄海藻を利用したエビ・海藻混合養殖システムの普及活動 ― 生産者の立場に立った沿岸域の活性
カセサート大学水産学部
と食の安全を取り戻すために
1年
2年
永井暁子
筒井 功
愛媛大学連合農学研究科
東京大学大学院総合文化研究
科
2年
宮本律子
バングラデシュの小規模混農林業を通じた社会経済的利益、食の安全性向上、気候変動への適応
医療政策における国民・患者の参加に関する国際比較研究 ― 日本と英国の患者団体の活動
新垣 修
日本女子大学人間社会学部
年数
石垣千秋
人口オーナスが進行する地方部における地域活性化策 ― 人口減少と人口構成の変化が地方の人々の 法政大学大学院政策創造研究
科
暮らしに及ぼす影響と対応策の研究
小峰隆夫
所 属
研究助成プログラム
[個人]
小松太郎
コミュニティ・ハブとしての「廃校」
再利用プロジェクト
李浩
題 目
2年
門田岳久
田中 優
代表者氏名
宮本万里
多文化化する地域と新たな共同性 ― 多民族・多文化教育の実践の現場から
グローバリゼーションと日本文化の受容 ― アニメやマンガの国外での受容の実態と将来に向けての コロンビア大学東アジア言語
文化学部
展望
1年
甘さと連帯 ― フェアトレード・チョコレートによる中南米カカオ生産者支援に関する研究
2年
国立民族学博物館
民主主義の制度化プロセスにおける環境保護政策の変容と、村落社会の価値体系の再編に関する政治
京都大学東南アジア研究所
人類学的研究 ―「幸福大国」
ブータンの事例から
マリー・クリスティ フィリピン、北サマール州とコンポステラ渓谷における薬草に関する知識と利用の向上 ― 村の薬草
ン・R・カストロ 庭園と薬草薬局の設立を通して
2年
1年
研究助成プログラム
[共同]
1970∼80年代における札幌市のサブカルチャーシーンの再確認と伝承 ― マンガ作家・湊谷夢吉と 法政大学大学院政策創造研究
科
その時代
2年
適応性のある社会エントロピーシステム ― インドネシアのパーム油プランテーションにおける経済
ボゴール農業大学農学部
活動と自然・社会・生態学的ダイナミクスの調和
2年
草地を巡る野生動物と遊牧民の共生をめざした、エコ・コミュニティ意識の構築 ― ジャンムー・カ
馬事文化研究所
シミール州、高山草地と高山湿地を持つふたつの国立保護区を中心に
2年
ハサヌディン大学研究活動セン
ター人文社会科学部門ラ・ガリゴ
研究所
2年
気候変動対策としての人間の定住計画にグリーンアーバニズムを織り込む手法
フィリピン大学都市地域計画
学部
2年
泣き寝入りより裁判で ― 沖縄の市民が参加する裁判員裁判による沖縄の米兵犯罪の抑制・抑止効果
カリフォルニア大学サンタク
ルーズ校社会学部
2年
ヌルハヤティ・
ラ・ガリゴ文化の再生 ― グローバル化に向けて
ラフマン
キャンディド・A・
キャブリド・ジュニア
2年
福来 寛
2年
西原智昭
象牙利用に関する日本伝統文化のあり方の再価値づけとアフリカ熱帯林・マルミミゾウの密猟の実際 野生生物保全協会コンゴ共和
国支部
に関する研究
2年
2年
杉山秀樹
わが国における魚醤文化の再評価のためのアジアとの比較研究 ― 日本の伝統調味料「魚醤」の復活を
日本魚醤文化研究会
めざして
2年
22
一九五〇年代から六〇年代にかけて、アメリカやソ
ジアの希望の星﹂という言葉をご存知であろうか。
ころで、二年前にアジア諸国で使われている﹁希望﹂
という言葉を調べていて面白い事実に気づいた。日
本が経済大国、技術先進国としてアジア諸国に支援
の手を差し伸べることはもちろん重要である。アジ
1951年鳥取県生まれ。東京大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。
アジア経済研究所、大阪市立大学をへて、1992年東京大学社会科学研究
所助教授、 年から同教授。現在、同研究所所長。タイ・アジア社会経済論
専攻。元アジア政経学会理事長、現在日本タイ学会会長。
﹃タイ 開発と民主
主義﹄
﹃タイ
﹃キャッチアップ型工業化論﹄
﹃ファミリービジ
中進国の模索﹄
ネス論﹄など著書多数。トヨタ財団理事。
◉ すえひろ・ あきら
がると、私自身は信じている。
務であると同時に、日本における希望と活力の再生につな
源は同じサンスクリット語のパンニャ を
) 、いまこそアジ
ア諸国に向けて発信すべきではないのか。それが日本の責
日本の経験と智慧 タ
( イ語のパンヤー、日本では般若。語
福︶を実現するために、さまざまな試行錯誤を重ねてきた
︵希望︶を取り戻し、
﹁世界の
﹁将来への明るい見通し﹂
不確実性と不安定性への不安︵苦=煩悩︶からの解放﹂
︵幸
共同研究こそが何より不可欠だと感じる。
く、共通の課題とその解決方法を模索するアジア諸国との
ジア諸国・地域の固有の制度や文化を探る研究だけではな
働して取り組むことではないかと思う。そのためには、ア
に苦しむアジアと同じ目線で、現実のさまざまな課題に協
しかし、いま日本に最も求められているのは、共通の問題
精神にみちた若い経営者を確保することも必要であろう。
アに投資先と市場を求め、アジアから優秀な学生と企業家
日
している。日本が抱える問題と基本的に同じなのである。
社会の到来、家族制度の崩壊という共通の社会問題に直面
テロという共通の脅威にさらされ、少子高齢化、ストレス
ジアは等しく、グローバル化の波に翻弄され、気候変動や
の違いを尊重したからにほかならない。しかし、いまのア
つて﹁思いやりのある社会﹂を目標に掲げたのも、お互い
である。そして、この﹁幸福﹂という言葉は、北東アジア
で使うのは、
﹁国民の幸福﹂
﹁社会の幸福﹂という言葉の方
言葉がでてこないのである。むしろ、政府や政治家が好ん
党や政治団体、政府の政策には、ほとんど﹁希望﹂という
も﹁希望﹂という言葉はでてくるが、東南アジアでは、政
本を含む北東アジアでは、日常会話にも政府の政策内容に
と
自分自身や社会の変革と結びついているからであろう。
の中で、
﹁ホープ と
」 ﹁チェンジ﹂が抱き合わせで語られ
ることが多いのは、英語圏においても、希望という概念が
成することを含意しているのである。オバマ大統領の演説
能動的な気持ちを意味し、何らかの行為を通じて望みを達
ている。つまり、現状に満足せず、いま以上の状態を望む
いとよりよい状態を期待し、その実現を願うこと﹂となっ
の説明は、
﹁自分がこう成りたい、人にこうしてもらいた
ユニークな辞書として知られる﹃新明解国語辞典第六版﹄
と﹁将来への明るい見通し﹂の二つの意味を掲げている。
ることが実現することを待ち望むこと。また、
その気持ち﹂
﹁希望﹂という言葉を﹃日本国語大辞典﹄で調べると、
﹁あ
◉末廣 昭 ︵東京大学社会科学研究所所長︶
アジア の希望 と幸福、
そして日本 の希望 の再生
﹁
ア
連といった大国に依存しないで﹁非同盟の道﹂を目指した
アジア諸国の指導者に冠せられた名称である。ネルー、周
恩来、スカルノなどがそのように呼ばれた。
最近、再び﹁希望﹂という言葉が、アジアの現状と結び
つけて語られるようになった。ただし、前向きの表現は、
温家宝首相が大メコン圏
︵GMS︶の会合で、メコン川を
﹁希
望の川﹂と呼んだときくらいで、むしろアジア諸国でよく
使用されるのは﹁希望の喪失﹂﹁希望なき世代﹂といった、
後ろ向きの意味合いの方である。両親の世代が貧困から脱
却し、所得も増加し、子どもたちを大学に送ることができ
たのに対し、子どもの世代は、大学はでたものの、希望す
る職にはつけず、同世代の中での格差も広がっている。そ
うした﹁希望の喪失感﹂が、日本だけではなく、アジア諸
国の若者の間で広がっている。
日本語の希望︵冀望︶の語源は、中国の﹃後漢書・安帝記﹄
にでてくる﹁望みが成就することを冀︵こいねが︶う﹂で
︵一二七五年︶
ある。日本語文献では鎌倉時代の﹃名語記﹄
に登場し、明治時代までは冀望という表現も使われていた。
と東南アジアでは、かなり意味内容を異にする。
たとえば、日本︵こうふく︶でも中国︵シンフー︶でも
韓国︵ヘンボック︶でも語源は同じ﹁幸福﹂で、物質的に
豊かな生活をまず意味し、その次に心地よい状態や幸運と
いう意味が続く。幸福の反対語は不幸。私のところで勉強
している中国人留学生は、ためらいなく﹁幸福の反対語は
悲惨﹂と答えた。
これに対して、タイのスック、インドネシア・マレーシ
アのバハギア、インドのスッカァは、いずれも﹁苦からの
解放﹂
が
﹁幸福﹂の第一の意味となる。それぞれサンスクリッ
ト語を語源にもち、宗教的精神的意味合いが強い。北東ア
ジアでは幸福と不幸が対になっているのに対して、フィリ
ピン︵ラテン系︶を除く東南アジアやインドでは、
幸福︵楽︶
れるキーワードは﹁民主化﹂と﹁貧困﹂である。し
て、アジアの現状を見ていくときに、しばしば使わ
と苦が対になっているのである。
さ
かし、私自身は、グローバル化や経済の自由化が急速に進
む中で、あるいは、鳥インフルエンザやテロ事件が頻発す
る中で、ひとびとがいま感じているのは社会の不安定性と
不確実性、そしてそれに対する漠然とした不安︵将来への
見通しのなさ=苦︶ではないかと思う。しかも、多くのア
ジア諸国では政治の混乱が続き、経済面では一九九七年の
の大きな危機を経験した。一九六〇年代から七〇年代に国
アジア通貨危機と二〇〇八年の世界金融危機という、二度
民が共有した﹁国の開発﹂
︵経済成長、教育の普及、社会
の近代化︶という目標は、現在、﹁国民の幸福﹂︵安定・安
全・安心に支えられた社会の実現︶へと、大きく変わりつ
つあるように思う。
アジアを語るとき、これまでは﹁アジアの多様性﹂が強
調されてきた。民族・言語・文化の違い、政治体制の違い、
経済発展段階の違いが強調され、それゆえにこそ、
﹁多様
性の中の協力﹂が主張されてきた。ASEAN加盟国がか
95
24
25
Relay
Essay
C
K
O
SH
H
O
N
IN
I
温 故 知 新
身近な環境をみつめよう﹁市民研究コンクール﹂
❸
◉加賀 道︵トヨタ財団プログラムオフィサー︶
世代をこえて受け継がれるもの
清々しい冬晴れの朝、千葉県の行徳野
分 ほ ど 歩 く 道 す が ら、 あ ち こ
鳥観察舎を訪ねた。バス停を降りてから
川沿いを
ち か ら さ ま ざ ま な 鳥 の さ え ず り が 聞 こ え、
ジョギングをする人たちはすれ違いざまに
挨 拶 を し て く れ る。 東 京 か ら 電 車 で 一 本 の
距離にもかかわらず、普段とはまるで違うそ
ん な 朝 の 様 子 に、 お の ず と 取 材 へ の 期 待 が 一
層高まった。
今回取材に協力くださったのは、行徳野鳥観
察舎友の会︵以下、友の会︶の蓮尾純子さん。第
4回市民研究コンクール︵1988年︶で最優秀賞
当時の活動概要
を獲得した友の会の中心的なメンバーの一人である。
千葉県の浦安・行徳一帯は﹁新浜﹂と呼ばれる東京
湾奥部最大の干潟の一部で、水鳥の貴重な渡来地でも
あったが、1960年代の高度経済成長期にその大部
分が埋め立てられてしまった。今回訪れた行徳野鳥観
らさず、汚い水が浄化されていく様子を隠さずに見せ
たことが、市民の巻き込みや理解につながったと思い
ます﹂と答えた。このような活動の他にも、河川を汚
さない石鹸作り、作った石鹸を使ってみるためのバー
ベキュー大会を開くなど、市民を巻き込んだ活動を展
開させていったという。地道な努力によって蓮尾さん
たちの研究成果が地域に広がり、
根づいていったのだ。
鼎談の中で、原ひろ子委員︵第3、
4回選考委員︶は、
成果は﹁地域の力がついていくということ﹂と言って
いたが、まさに友の会はそれを実践していたように思
未来を描ける力
える。
年当時の新浜からは想像もつかないほどたくさんの
ト を 見 つ け た。 タ イ ト ル は﹁ 2 0 0 1 年 の 保 護 区 ﹂。
周年を記念して編ま
1986年に行徳野鳥観察舎
れた﹁すずがも通信﹂特集号に興味深い一枚のイラス
10
野鳥や魚、動物たちが湿地をにぎわしている。
世紀をはるか遠い未来と思って描いた青写真だっ
たというが、現在まさにこのイラストのような保護区
を目にすることができる。イラストの上の方に顔をの
ぞかせている可愛らしいタヌキも2004年から実際
に出没するようになり、取材当日も運よくタヌキの家
族に遭遇した。淡水のある風景もすっかり定着し、多
くの鳥たちが集い羽を休めている。
﹁こうなって欲し
いとは思ったけれど、まさか本当になるとは思っても
いませんでした﹂と蓮尾さんは笑うが、未来の姿をデ
ザインし、それを実行してきた努力の跡は、保護区の
あちこちに現存していた。
年は植物との戦いに悪戦苦闘して
一方、湿地が広がったことで多様な生物が生息でき
るようになったかわりに、アシなどの水生植物の繁茂
に見舞われ、この
10
1986年に描かれた「2001年
の保護区」。当時、ほとんど
生き物がいなかった土地が、
現在ではこの絵のような姿に
生まれ変わっていた。
蓮尾純子さん
10
繁茂したアシやヒメガマを刈り
取ったり根から引き抜いたりし
て、水鳥の休息地を確保してい
る。ここ10年は、植物との戦い。
察舎一帯は、その新浜を守りたいという自然保護論者
と開発を進めたい地元や行政との激しい対立のいわば
折衷案として成立した場所である。
埋め立てによって造成された保護区は、淡水源がな
いため乾燥化が進みやすく、繁殖や採餌に利用する鳥
が集まりにくいという課題があった。また、保護区の
前を流れるドブ川︵丸浜川︶は、
家庭排水の流路であっ
たため、極端に汚れていた。そこで市民研究コンクー
ルでは、丸浜川の浄化を図ることで食物連鎖を回復し、
水鳥の餌場も確保することを目指す実証実験︵水車ポ
ンプを回し、
ドブ川に酸素を送り込んでの浄化実験や、
水質調査など︶を行った。
開発を進める市川市や、開発に賛成する地元住民に
対し、野鳥の保護を訴える友の会との間で対立が起こ
り﹁人か鳥か﹂と言われたこともあったが、反対運動
ではなく﹁人も鳥も﹂の考え方のもと、発見した課題
に地道に取り組んだことが高く評価され、最優秀賞の
市民研究コンクールの成果
獲得に至った。
さて、市民研究コンクールの成果とは何だったのだ
ろうか。昨年亡くなられた日高敏隆先生が、選考委員
の鼎談︵萩原なつ子著﹃市民力による知の創造と発展﹄
2009︶の中で、以下のような言葉を残している。
﹁ 市 民 研 究 の 一 番 の 重 要 な と こ ろ は、 専 門 的・ 国 際 的
な研究成果を上げたというところではない。研究を通
じてわかったいろんな新しいことが、地域に広がると
いうところである。大学の先生がいくらやっても広が
らないことが、市民が研究することによって可能にな
る。しかも、それによって市民の身のまわりの認識が
広まった、深まったということでしょう﹂
この言葉を蓮尾さんに伝えると﹁ドブ川から目をそ
いるそうだ。また、淡水湿地の塩分濃度が上がり、カ
エルなどの生き物の繁殖に影響が出ているという。時
の流れとともに環境や生物は移り変わり、目標の実現
それぞれの新浜
にはゴールというものはないようだ。
埋め立てられる以前の、広大でたくさんの水鳥が訪
れていた新浜を知っている人たちにとって、今の新浜
は﹁亡骸﹂なのだという。まるで死んでしまった子ど
もに会いに来るようで、
胸が痛むのだそうだ。しかし、
現在の保護区しか知らない人にとっては、今の新浜が
原風景として心に刻まれている。東京湾に湿地がほと
るのだ。形が変わってしまっても、世代が変わっても
んどなくなった今、新浜は﹁市民の誇り﹂になってい
受け継がれるものがある。ないよりはある方がいいで
しょう、と蓮尾さんは言った。
埋め立て前の新浜を知っ
ている蓮尾さんから発せられるその言葉には重みが感
モットーはニコニコ顔に
じられた。
﹁私のモットーは、この観察舎を訪れたあとの帰り
に誰もがニコニコ顔になることなんです﹂と蓮尾さん
は語ってくれた。この場が癒しの空間であれば、難し
いことを考えている人でも笑顔になるはずと、観察舎
の前を行きかう人への挨拶を欠かしたことがないのだ
そうだ。ちょっと恥ずかしいけどずっと続けてきたん
です、とはにかみながら話してくれた。
取材を終えた帰り道、今朝通りすがりの人から受け
た挨拶を思い出した。数値で計ることはできないけれ
ど、あの挨拶や鳥の声もまた、友の会の活動成果の一
つなのだろう。冬空の下、温かい気持ちで自然観察舎
を後にした。
26
27
86
21
本記事の連載終了にあたり、当時の担当者であり、
ご協力をいただいた萩原なつ子さんにお話をうか
がった。当時の様子や助成活動のありかたなど、萩
原さんの未来へ託す思いを紹介しよう。
当時の市民研究コンクールの思い出を教えてくだ
―
さい。
私、ツアーコンダクターになりたかったんですよ。
だから、選考委員の先生方を連れて現地インタビュー
に行くのはとても面白かったです︵笑︶。先生たちの
個性を考えながら、調整をして、相手方に連絡をして、
どこを観るかとか、そういうのがね。
当時の資料を見ると、助成対象者と選考委員やプ
―
ログラムオフィサーがつながっているというか、時に
はぶつかったりと、距離感が非常に近い印象を受ける
のですが⋮⋮。
﹁ 選 ぶ 側・ 選 ば れ る 側 ﹂、﹁ 助 成 す る 側・ さ れ る 側 ﹂
といった二項対立がありませんでしたね。お互いに切
磋琢磨して相互作用が生まれていました。選考委員も
真剣に議論し、現地インタビューに行ってはお互いに
意見を出し合う。お互いに真剣になることでモチベー
ションが高まっていくという相乗効果があったよう
に思います。
市民研究コンクールは予備研究を経て、選ばれた
―
研究だけが本研究に進み、そのなかでも優れた研究に
対して賞が与えられるという形式がとられていまし
た。これについてどう思われますか?
当時は、選考委員の名前が公表されていました。そ
して、選考委員が応援したい案件を表明し、応援団に
なり、コンクールの最中に選考委員が現地を訪れ、助
言をし⋮⋮公平性が重んじられる今ではなかなか考え
にくいことです。でも、そのようないわば﹁贔屓﹂を
研究コンクールを盛り上げた大きな一因でしょうね。
有名・無名の問題ではなく、かつ自分の専門を超えた
くおっしゃっていました。文系・理系を問わずにさま
ところでも楽しめるかどうか。これは、日高先生もよ
代前半だった私にとって研究への
ざまな委員が顔を突き合わせ議論を交わした選考委員
会の現場は、当時
姿勢を実地で学ぶ場でもありました。
そのような﹁超一流﹂の選考委員を選ぶのがプログ
ラムオフィサーの役目であり、腕の見せ所でした。そ
のためにも、プログラムオフィサーはプログラムの目
的を明確にして、何のためにプログラムを運営してい
るのかをきっちり認識しておく必要がありました。
昨年お亡くなりになった日高敏隆先生︵第4、5
―
回選考委員、第6、7回選考委員長︶との思い出を教
えてください。
チ ョ ウ 研 究 の 権 威 で あ る 日 高 先 生 と、 天 竜 村 ギ フ
チョウ研究会の現地インタビューへ赴いた時のことが
忘れられません。
ギフチョウ研究会のメンバーは、チョ
ウの権威である日高先生がいらっしゃるということで
大騒ぎ。でも、日高委員長はいわばアマチュアの研究
者に対して、研究の方法論や手法については口を出さ
ず、むしろ自分のわからない部分をさらけ出して質問
し、﹁なるほど、
知らなかった﹂などと答えていました。
とにかく謙虚でした。このような謙虚さは多くの選考
委員が持ち合わせていたように記憶しています。
また、日高先生は予備研究の時は公平性を期すため
に﹁全部行かない﹂としたかわりに、本研究は﹁全部
行く﹂とおっしゃって、第6、7 回のコンクールでは
すべての現地インタビューに同行されました。
当時の活動内容を見ても取り上げられている課題
―
に古さを感じないのですが。
課題は、自然環境問題やまちづくり、文化の保存な
温 故 知 新 スペシャル・インタヴュー
萩原なつ子さんに聞く
故・日高敏隆委員長
(写真左)は、
本研究のコンクールではすべて
の現地インタビューに同行され
た(写真右は萩原さん)
。
真剣にするなかから、選考委員にも、助成対象者にも
やる気が生まれていたように思います。
贔屓は悪いことのように思われがちですが、皆そ
―
れぞれの良い面を平等に贔屓してもらっているとわか
る形であれば、むしろ良い効果を生むのかもしれませ
んね。
また、本研究に進めない案件もありましたが、それ
は一概に成果が出なかった研究というわけではありま
せんでした。予備研究の時点で、自立してやっていけ
そうだと判断された案件は、内容がとても良くても本
研究へは進めませんでした。選考委員やプログラムオ
フィサーには、判断力や切る勇気が必要なんです。
今と当時の助成プログラム運営の違いは何か感じ
―
ますか?
当 時 は イ ン タ ー ネ ッ ト な ん て も の が な か っ た の で、
連絡はすべて固定電話か手紙でした。とにかく、時間
の流れが違っていました。助成対象者とは頻繁に電話
で連絡を取っていましたよ。﹁大丈夫﹂と言われても、
本当に大丈夫なのか、本当は芳しくないのか、声を聞
けば何となくわかりました。やり取りの多くがメール
になってしまった今では、そのような機微は読み取る
のが難しいですよね。
それから、応募する側も、手書きの申請書を書くの
は大変なことだったと思います。手書きという作業効
率の話だけではなく、参加メンバーを集めるにも直接
会うか、電話や手紙でやり取りするしかない。とにか
く動かないとつながらなかったから、事前に話し合い
を重ねた意思疎通の取れた仲間による応募が多かった
ような気がします。応募する側も、プログラムを設計す
る側も、とにかく練りに練って企画を作っていました。
選考委員についての思い出はありますか?
―
﹁ 超 一 流 ﹂ の 選 考 委 員 が そ ろ っ て い た こ と が、 市 民
ど、今取り上げられているものとほとんど変わりませ
ん。ただ、
当時はその課題に市民がどう取り組むのか、
そ の 手 法 を 必 死 に 考 え て い た 時 代 だ っ た と 思 い ま す。
今となっては一般的になったテーマだけれど、当時は
その課題の芽に気がついた人たちがやっと動き出した
0
0
時期でした。今では当然のように使われる﹁協働﹂な
0
どを取り入れていったのもその画期的な人たちがはし
りでした。
この人たちはみんな、ポリシーが明確で芯をしっか
り持っていましたね。選考委員からのアドバイスにも
意 見 を 言 い 返 せ る よ う な 人 た ち が 多 か っ た。一 方 で、
柔軟性や素直さみたいな、一見正反対に見えるような
要素もしっかり兼ね備えていました。何より危機感を
持って立ち上がった人たちが多かったように思います。
最後に、私たちプログラムオフィサーへ一言お願
―
いします。
広告代理店は、社会の半歩先をデザインする仕事だ
と聞いたことがあります。あんまり進んでいると社会
が付いてこられないからと。みんなが、あ、そうかな
るほど、と思うくらいのことをデザインする。でも、
プログラムオフィサーは 歩先のことをデザインしな
ければダメ。そのときにはみんながピンと来なくても、
将来課題になりそうなものを先読みして助成プログラ
ムとしてデザインすること。
募集要項の作りこみも大きいと思いますよ。トヨタ
財団は何をやりたいのか、何をめざしているのか。市
民研究コンクールでは、当時担当者たっだ山岡義典さ
ん︵現日本NPOセンター代表理事︶がその点をしっ
か り デ ザ イ ン し た の が 成 功 の 一 因 だ っ た と 思 い ま す。
プ ロ グ ラ ム オ フ ィ サ ー は プ ラ ン ナ ー で あ り、 デ ザ イ
ナーであるべきだと思っています。頑張ってください。
28
29
10
30
1956年山梨県生まれ。立教大学社会学部社会学科教授、21世紀社会デザイン研究科教授。
トヨタ財団が1988年から3年かけて実施した市民研究コンクールの「総括評価プロジェクト」
のメンバーとして報告書を執筆、1991年からアソシエイトプログラムオフィサーとして、第
6、7回の市民研究コンクールの企画、運営を担当した(1991年9月∼97年12月)。
写真右上が崎坂さん
す。日本から遠いアフリカの地において、どのような研究が行われて
健康と行動変容 崎坂氏プロジェクト
ナ イ ロ ビ か ら 国 内 線 で 北 西 部 へ 1 時 間 弱 ほ ど 飛 ぶ と、 キ ス ム と い
う町があります。ニャンザ州の州都であるこの町は、アフリカ最大の
湖ビクトリア湖のほとりにある人口約 万人の貿易都市です。今回お
でHIV/AIDSの罹患率が最も高く、住民の5人に1人が感染し
の農村部のくらしの様子を垣間見ることができました。ここはケニア
を見事なバランス感覚でゆったりと運ぶ女性たちが行き交い、ケニア
を括りつけ全身の力を使ってペダルをこぐ若者、頭の上に載せた荷物
続く青空の下には、牛を連れて歩く男性、自転車の後ろに大きな荷物
の繁る﹁赤道直下アフリカ﹂の景色が広がっていました。どこまでも
車窓から外を眺めると、ちょうど季節が小雨季ということもあり、緑
ウェスト州の村落を調査対象地の一つとしています。調査地に向かう
時間ほど北へ行ったところにある隣国ウガンダとの国境にほど近い、
じゃました崎坂さんの研究プロジェクトは、キスムからさらに車で3
32
旅のはじめに
月の終わり、日本を飛び立って 時間、アムステルダ
2009年
ムを経由してさらに8時間かけて辿り着いたのは、東アフリカの玄関
12
は山積みしており、2007年 月に行われた大統領選挙に端を発す
しかし、都市部と農村部の経済格差や経済的貧困からなる社会の課題
ニアは、東アフリカの中で最も経済的に発展した国となっています。
す。1963年にイギリスから独立した後、資本主義体制を貫いたケ
ケニア共和国は、赤道直下に位置する人口約3980万人の国です。
マサイ族の言葉で﹁冷たい水﹂を意味するナイロビを首都としていま
できました。
に囲まれたからか、今度はプロブレムなしでケニアに到着することが
私の左横に座った大柄のケニア人男性はアッラーにお祈りを、右横
のご年配のイタリア人神父さんは胸の前で十字を切り、敬虔なお二人
地がそうさせるのか、会話の弾む機内となりました。
ん乗っていて、乗客には不思議な連帯感が生まれ、ケニアという目的
替便には私と同じく、アムステルダムで一晩足止めされた人がたくさ
路1日半という長旅から始まったケニア出張となりました。翌日の振
ニカルプロブレム﹂なる理由で翌日までキャンセルとなったため、往
口、ケニア共和国。正確には、アムステルダムからの経由便が﹁テク
10
る部族対立が現在まで続き、治安の悪化を招いています。﹃地球の歩
12
・ 年版﹄は、﹁現地の人が楽しそうに過ごし
き方・東アフリカ
ていたとしても公園に足を踏み入れない方がよい﹂
﹁昼間でも一人で
09
歳未満のHIV/A
崎坂さんのプロジェクトは、母親、妊産婦、
IDS孤児とその保護者を対象に、栄養改善のための効果的な介入活
ている地域です。
識変容・行動変容﹂に着目した実践型・住民参加型のプロジェクトで
たプロジェクトです。どちらも課題の解決のために必要な﹁住民の意
2009年度の同プログラムにおいて新たに1年の継続助成が決定し
にあり、もう1件は1年プロジェクトのため研究は完了したものの、
は 2 年 プ ロ ジ ェ ク ト で、 プ ロ ジ ェ ク ト が 始 ま っ て か ら 折 り 返 し 地 点
さ て、 今 回 の ケ ニ ア 出 張 の 目 的 は、 2 0 0 8 年 度 の 研 究 助 成 プ ロ
グラムの助成プロジェクト2件の調査現場にうかがうことです。1件
いながら歩くことを勧めていないのが現状です。
ナイロビ市内を歩かないように﹂などの注意書きに溢れ、歩き方とい
08
◉西田志紀(トヨタ財団プログラムオフィサー)
活動地へおじゃまします!
いるのか、本稿では2件のプロジェクトをご紹介し、皆さんに、今の
域に
高い地
患率の
罹
S
ians
d
ID
r
/A
、Gua
国 HIV
、母親
る
婦
ケニア
産
と
主 す
、妊
対策を
子ども
て
た貧血
い
おける
し
つ
と
に
入活動
)を対象
介
者
的
護
果
(保
めの効
善のた
栄養改
の研究
題目
[助成
]
年度
(2008
力者の方と共に、一連の介入活動の効果の定量化が図られます。
残り1年の研究では、栄養改善のための啓発活動を行うとともに、
アンケート調査の統計と分析を進める計画で、現地の共同研究者・協
嬉しさを物語っていました。
びの歌、踊り、舌を震わせて出す独特の甲高いよく通る叫び声がその
井戸がどれほど喜ばしいことか。井戸を囲んでの、女性たちによる喜
川の水を飲用としてきた人々にとって、自分たちで掘り当て建設した
すべき日に立ち会わせていただくことができました。今まで水溜りや
今回の訪問では、井戸設置による行動変容調査の設置前アンケート
調査が終了した村で、住民の方が初めて井戸から水を汲み上げる記念
動変容調査を新たな研究項目に加えました。
井戸掘り活動を展開するNPOと連携し、井戸設置前後の利用者の行
ないと考えた崎坂さんは、ケニアで住民参加型の﹁上総掘り﹂による
きたなかで、栄養改善のためには﹁安全な水へのアクセス﹂が欠かせ
動方法とその効果の定量化を課題としています。研究を1年間続けて
18
愛と恵みのケニア紀行
ケニアの様子の一端を感じていただければと思います。
ニュラ
和国フ
共
ア
ケニ
代表)
対象者
子
ム助成
ラ
屋
グ
香
崎坂 研究助成プロ
30
31
先]
[訪問
08年度
ために
)]
になる
農
ら豊か
自
が
精神と
農村
てきた
リカの
に
を支え
と
会
こ
『アフ
社
る
域
移転す
本の地
の
住民へ
法
―日
域
手
地
す
く
引き出
を正し
を
術
力
技
活
工
潜在的
人々の
より、
開発』
目(20
ら模索するものです。これま
で の 研 究 で、﹁ 土 の う ﹂ に よ
る道路整備の有効性と住民の
潜在意識の活性化が行動変容
に繋がることが報告されてい
ます。
今 回、 研 究 実 施 地 で あ る
4ヵ村におじゃましました
が、エルドレットから幹線道
路を外れて村へと向かう道
は、どれも悪路。雨による侵
食 で、 道 は 大 き く 深 く 割 れ、
次におじゃまさせていただいたのは、ナイロビから飛行機で北へ1
時間弱ほどの距離にあるエルドレットという町を拠点に展開されてい
では、近くに市場があるにもかかわらず、悪路のために買い付けのト
わせていたという話を聞きました。また、野菜栽培が盛んなこの地域
る道が一面大きく深い水溜りとなるので、大人が子どもを背負って通
るプロジェクトです。京都大学産官学連携センターの木村亮教授のこ
という視点は、﹁農﹂と﹁工﹂から人の暮らしに必要な﹁道﹂の課題
を捉え、また、そこに暮らす地域住民の心も捉えていました。このこ
とは、現地で 時間全てをこの研究に費やしている喜田さんの今まで
も大きいのではと感じました。
培ってきた経験や人柄、また他の共同研究者の方の姿勢によるところ
この町は標高2100メートルにあり、スポーツ選手、特にマラソ
ン選手の高地トレーニングの拠点となっています。マラソンで有名に
トの町を走っていく若者は、そのうち国際大会で走っているのかもし
れないと︵もしくは、すでに走っているのかもしれませんが︶、彼ら
の未来に思いを馳せました。
ダーは皆さん誇らしげに説明をしてくださいました。自分たちで道を
住民の潜在意識に働きかけ地域の課題解決につながるか、課題解決に
た。この研究は、
﹁土のう﹂を用いた簡便な道路整備手法が、いかに
2009年度の1年プロジェクトとして新たに継続助成が決定しまし
道を直し終えると、次へ次へと自分たちで別の道の整備にとりかかっ
ちが自分たちを見る目も変わってきたこと⋮⋮。村で優先順位の高い
かったが、どんどん整備されていくとメンバーが増え始め、村の人た
のはリーダーだから仕方ないかな⋮⋮、という理由から乗り気はしな
直 せ る と い う 話 に、 は じ め は 半 信 半 疑 だ っ た こ と、 作 業 に 加 わ っ た
向け、はじめの一歩を踏み出すための手法を﹁農﹂と﹁工﹂の視点か
村の方の気持ちが伝わってきて、私もうれしくて前向きな気持ちにな
木 村 氏 の プ ロ ジ ェ ク ト は、 2 0 0 8 年 度 研 究 助 成 プ ロ グ ラ ム の 1
年 プ ロ ジ ェ ク ト と し て の 研 究 期 間 を 終 え、 昨 年 月 か ら 開 始 し た
ているそうで、喜田さんが
と、くらしのさまざまな場面で使われています。
く、赤ちゃんのおくるみに、風呂敷代わりに……
カシューナッツなど色とりどりの模様が描かれた
この布には、カンガセイイングと呼ばれるスワヒ
です﹂という意味なんだよと、村の方が笑いをこらえながら教えてく
いといいのですが⋮⋮﹂などと調子に乗って自己紹介をしたのですが、
農 民 組 織
りました。皆さんのスワヒリ語でのスピーチでは、私の名前﹁ニシダ﹂
うその布は、服として身体に巻きつけるだけでな
敵な時間を一緒に過ごすこ
やスピーチをいただき、素
り、心のこもった歓迎の詩
で、女性たちによる歌と踊
が済んだ道沿いにある広場
すい﹁土のう﹂による整備
の1年後をとても楽しみにケニアを後にしました。
住民が一体となって村の課題に取り組む姿を拝見して、プロジェクト
ています。﹁モッタイナイ﹂のように﹁ドノウ﹂という日本語が定着し、
プローチに対する諸機関の反応を検証することが課題として挙げられ
興、生活改善といった地域の課題にアプローチしていくか、また、ア
月から再び始まった研究プロジェクトでは、道路整備
2009年
の技術を取得し自信を得た住民が、いかに他の機関と連携して農業振
ださいました。私も即席のスワヒリ語で﹁私、にしだが問題にならな
が率いる村
Youth Group
では、村の方の発案で私の
会話の糸口となる﹁ニシダ﹂に感謝をする一日となりました。
Kokwaluk
にこにこしながらその様子
アやタンザニア、東アフリカの女性が身にまと
リ語の諺や言葉がプリントされています。女性は
自分の気持ちを、この「おしゃべりする布」で表
現するのだそうです。
● ここで、私が手にしたカンガの言葉をご紹介
「Love is Fruits」と言いながら、その意味を教
します。カンガ売りのお兄さんが素っ気ない顔で
えてくれました。
愛は心の恵み(果実)
である。
今回、この原稿を書くために「カンガ」につい
11
て調べたところ、次のようなカンガセイイングも
発見しました。
Rizili ni popote usichoke kutafuta
恵みはどんなところにもある。探すことに飽きて
はいけない。
総じて、
「愛はどんなところにもある。探し続
されたらもう終わり」
「お隣とうまくやっていけ
ないあなたはどういう人なの」などもあり、人生
の酸いも甘いも楽しんでしまう、そんなカンガに
魅力を感じました。社会的に立場の弱い女性たち
にとってのカンガは、厳しい環境の中で明るく暮
らすパワーの源となっているのかもしれません。
最後に、ケニア出張でお世話になった皆さんにお礼を申し上げます。
アサンテ・サーナ⋮⋮。
Upendo ni tunda la roho
けなさい」ということでしょうか。
「ツキに見放
さいました。平らで歩きや
ために歓迎会を開いてくだ
が よ く 登 場 し た た め 何 で だ ろ う と 思 っ て い る と、
﹁ニシダ﹂は﹁問題
11
4 ヵ 村 に お じ ゃ ま し ま し た が、 こ こ が 悪 路 だ っ た と は 思 え な い ほ
ど歩きやすい道に生まれ変わり、案内をしてくだった農民組織のリー
なることは、
ケニアンドリームの一つなのだそうです。朝のエルドレッ
24
の方が迎えてくださいました。
ラックが村に入ることができないため、せっかく収穫した野菜が腐っ
す。雨季には大きな水溜りとなるそうで、ある村では、小学校へ通じ
車は穴を避けながら走りま
写真中央が喜田さん
のプロジェクト、現地エルドレットでは、共同研究者で現地の指揮を
題
[助成
てしまうケースがあったとのこと。木村さんら研究チームの﹁土のう﹂
グラム
成プロ
研究助
度
村 亮)
年
木
9
0
は
表
,20
者。代
(2008
象
対
助成
執っていらっしゃるNPO道普請人副理事の喜田清さんと共同研究者
道と行動変容 木村氏プロジェクト
ト
ドレッ
国エル
和
共
ケニア
喜田 清
を教えてくださいました。
●「カンガ」と呼ばれる布をご存知ですか。ケニ
32
33
先]
[訪問
とができました。道ができたことで、暮らしがどんなに変わったか、
女性の気持ちを伝える「カンガ」
考えがどんなに変わったか、村の抱える他の問題も解決したいという
コボレ バ ナ シ
▼
I N T E R V I E W
板東あけみさんは、日本の公立小学校で、先
年早期退職するまで約 年にわたって、特別
年
20
なできごとがありました。ベンチェ省の保健
の厳しさをわかっていなかったと思い知らさ
に自分は情報を知っていても、心では途上国
というケースも多々ありました。そこで会の
職員に尋ねても、いつごろかよく分からない
副局長は、
﹁ぼくたちは手術をしたくても技
できていませんでした。案内してくださった
然受けられる治療や学校教育を受けることが
子どもたちに会いました。彼らは日本だと当
められて毎月自分たちの給料から寄付をした
行い、そのあまりに厳しい生活環境に胸を痛
発的に障がいのある子どもたちの実態調査を
彼らは1989年に政府からの指示なしで自
2つ目は、ベンチェ省の副知事さんや保健
局の方々の省民への深い思いと努力ですね。
1998年の7村での試行利用から毎年少
しずつ使用村を増やしましたが、これは会が
だったのです。
しょうかという提案をしたのが、1998年
トナム版母子健康手帳を作られたらいかがで
本の母子健康手帳を見せて、これを参考にベ
母子健康手帳導入は大変重要であると考え、
術設備もないんです。本当に残念です﹂と唇
り、ほかの方にも寄付を訴えて、障がいのあ
村の診療所の母子保健に関する医療機材の寄
[題目]モデル地域での活動経験を全国展開に活かす方法論の開発̶ ベト
ナム保健省版全国用母子健康手帳普及プログラム
[助成額]400 万円(2006 年度 ) / 450 万円(2008 年度 )
[助成概要] ベトナムでは、日本の NGO「ベトナムの子ども達を支援する
会」との連携のもと、1998 年からベトナム版母子健康手帳を開発し 2004
年には南部モデル地域であるベンチェ省内の全域で普及するに至っている。
本プロジェクトでは 2006 年度から、ベンチェ省での活動を活かし、母子
健康手帳をどのように全国に展開していくのかという方法論について研究
を行った。次いで 2008 年度からは、北部のハーザン省をモデルとし、よ
り多くの機関の協力が不可欠となる山岳少数民族地域での普及を目指すと
ともに、地域のネットワークの強化が母子保健改善に果たす役割について
研究を行っている。本プロジェクトは、今後ベトナム全国、更には識字率
の低い他の途上国でもスムーズに母子健康手帳導入を伴う母子保健改善事
業を行う方法論の開発をめざす実践的研究である。
ベンチェ省人民委員会︵地方行政機関︶に日
をかみしめていました。私はまるでタイムマ
る子どものための学校建設資金を作ったりし
がよくわかったので、これからは印刷費を自
ていました。2003年にベンチェ省人民委
この2つの経験で﹁私も同じ地球上で同じ
時間を生きている一人の大人として﹂その活
己資金でまかないますという、途上国として
員会は、母子健康手帳は役に立つということ
動に協力をさせていただきたいと思ったんで
は驚くような申し出をしてこられました。国
際協力の成果の一つのポイントは、サステナ
ビリティ、つまり現地に根付いて定着してい
くことですが、まさにそのモデルのようにな
りました。そしてとうとう2004年に人口
帳が使用されるようになったのです。これは
134万人の省内全域160村で母子健康手
いというケースが多々見受けられました。ま
れていたら障がいの発症が防げたかもしれな
中に、妊娠期や新生児期に適切な処置が取ら
たちと共に接した障がいのある子どもたちの
すね。本当に心丈夫でした。医療専門家の人
なるのではないかという途方もなく大きな夢
ナム全国に広げたらきっともっと大きな力に
を使う事業村が増えるにつれて、これをベト
んです。それで、ベンチェ省で母子健康手帳
ないですぐに次の目標を考えてしまう性格な
でも、良 いのか悪いのかわか りませんが、
私って一つの目標に達したら、そこに満足し
本当にうれしかったですよ。
た障がいの確認時期を保護者や村の診療所の
の人たちが共感して入会してくださったので
行っていたのですが、次第にいろいろな職種
私が会をた ち上げ、活動を始 めた当初は、
自分の専門である障がい児教育の支援を主に
母子健康手帳の導入は、
どのような経緯で行われたのですか?
支援する会﹂︵以降﹁会﹂︶を作りました。
すよ。そして帰国後﹁ベトナムの子ども達を
られました。
シーンに乗ったような気がしましてね、いか
た子どもとポリオの後遺症で歩けなくなった
局副局長さんの案内で、口唇裂︵未手術︶と
でした。このベンチェ省で私を動かした大き
はまだ電気が来ておらず、私には驚きの連続
このとき、南部のメコンデルタにあるベン
チェ省に行ったのですが、当時ベンチェ省に
りませんね︵笑︶。
生はどこにターニングポイントがあるかわか
などまったく予想もしていませんでした。人
後にまさか自分が国際協力を専門とすること
その時は単なる好奇心で出かけたので、
い の あ る 子 ど も た ち に 興 味 が あ っ た の で す。
教育に長年携わっていたので、途上国の障が
行きました。私は障がいのある子どもたちの
小学校の教師をしていた私は、1990年
の春休みを利用して初めてベトナムへ一人で
そ も そ も 板 東 さ ん が、 ベ ト ナ ム で 活 動 を 始 め ら
れたきっかけを教えてください
ロジェクトに懸ける想いを聞いた。
とでも仲良くなることという板東さんに、プ
そのままに快活でエネルギッシュ、特技は誰
典 型 的 な 関 西 の﹁ 肝 っ 玉 母 さ ん ﹂の イ メ ー ジ
る プ ロ ジ ェ ク ト に 対 し て 助 成 を 行 っ て い る。
する、ベトナムで母子健康手帳を全国に広め
年から現在に至るまで、板東さんを代表者と
極的に続けている。トヨタ財団では2006
らはベトナムで子どもたちへの支援活動を積
支援学級を担当するかたわら、1990年か
30
医療専門家の人たちと共に、ベンチェ省での
◉ 聞き手:楠田健太(トヨタ財団プログラムオフィサー)
れたのです。この日本との格差の大きさに愕
好奇心と協調性が人を動かす力
然としたのが1つ目ですね。
助成対象者/板東あけみ
水頭症の生まれたときから障がいのある子ど
ホット・インタヴュー
もたちと、麻疹の後遺症で目が見えなくなっ
ベトナムの母子健康手帳 ▼
付と合わせて母子健康手帳の印刷費を寄付し
板東あけみ(2006・2008年度 研究助成プログラム助成対象者代表)
34
35
写真左が板東さん
ておられました。その篤い思いに心を揺さぶ
ばんどう
I N T E R V I E W
で母子健康手帳の説明をするようにしまし
びに保健省の国際課や母子保健課へ足を運ん
このシンポジウムに保健省他政府幹部や他の
待するのは多大な経費がかかります。そこで
その結果、実現の方向で動き出したのです
が、やはりベトナム国内から多くの方々を招
明らかになりました。
子健康手帳への高い関心をもっていることが
すくて困っていること、またベンチェ省の母
ものを数種類使っていて、保護者がなくしや
た。当時の保健省の母子健康手帳への関心は
省の保健局幹部を招待する資金のため、トヨ
を持ち始めたのです。以来、ハノイに行くた
さほど高くはなく、ベンチェ省への母子健康
タ財団の研究助成プログラムに応募して、幸
ベトナム保健省に変化が出てきたところ
で、2007年に助成金を使って、今まで
手帳に関する視察すらなかなか実現しません
現したのが2006年でした。
でした。紆余曲折を経て、それがようやく実
子健康手帳の急速な発展はなかったと思いま
ければ、多分今のようなベトナムにおける母
ありがたかったですよ。もしこの助成金がな
運にも助成をいただきました。これは本当に
やはり保健省からの指導も系統的な研修もな
たちも大多数が高い評価をしていましたが、
のヘルスワーカーさんたちも診療所職員の人
しました。これによるとお母さんたちも集落
村で母子健康手帳を使っていた2省で調査を
ンチェ省人民委員会の代表と相談して、中村
への大きな刺激になるという判断をして、ベ
私はタイで行われた第4回の会議に出席し
た際に、ベトナムでの開催がベトナム保健省
し合う国際会議を開催されていました。
来、4回にわたって母子健康手帳について話
このような私をいつもご指導くださってい
る大阪大学の中村安秀教授は、1998年以
省から自分たちの省でも使いたいので保健省
つ目はこのシンポジウム後にいくつかの他の
て浸透していたことを知ったこと、そして3
こと、2つ目はベンチェ省の全村で活用され
の母子健康手帳への熱心な取り組みを知った
クトがあったと思います。1つ目は近隣諸国
通りベトナム保健省へは大きな3つのインパ
ヵ国160人の
このシンポジウムは世界
参加で熱心に討議が行われたのですが、期待
健康手帳を使っている経験のある5省の保健
すでに省内の全村あるいは一部の村で母子
会議をハノイで開催しました。保健省代表と
大阪大学の共催で第1回の母子健康手帳国家
その課題を実行するべく2008年の3月
には同じく助成金を使って、今度は保健省と
きであるという課題を明確に示しました。
保健省から系統的に研修を伴う指導をするべ
結果は、ベトナムで母子健康手帳の導入には、
局、国際機関やマスメディアなど約 人が参
トナム全体の約3分の1強の
に現状調査を行いました。ベ
私はこのシンポジウムの時
に参加した各省保健局代表
した。でもやはり現実はそんなに甘くなかっ
と、研修が重要であることなどが確認されま
ま し た。 ま た 政 府 の 主 導 性 が 重 要 で あ る こ
母子健康手帳の全国普及への期待を表明され
がベンチェ省他いくつかの今
るいは数枚のうすい記録する
業ごとに1枚物のカードやあ
まとまったものではなく、事
です。やはり現場を見ていただくのがいちば
階 で は 政 府 の 予 算 も つ か な い か ら で し ょ う。
手帳が役に立つかどうか本当の確信がない段
資金がないからと言って手帳の開発がなか
なか進まなかったのです。多分まだ母子健康
に教育レベルの低いお母さん
のを感じていたのですね。特
ちのネットワークが強くなる
健康手帳の導入で、村の人た
めるようにし、また色々な専門家の意見も聞
策で行っている事業の内容をきちんと書き込
母子健康手帳の内容を参考に、ベトナムの政
した。母子保健局は今までのベンチェ省での
そして、2009年4月からいよいよ初め
て保健省版の母子健康手帳の作成が始まりま
スワーカーさんたちや、診療所の医療職員の
た ち に は、 村 の 人 た ち の サ
皆さんに母子健康手帳のことをきちんと理解
きながら作成されました。加えて特にこの事
私はこの副村長さんの報告
をうかがって、ハーザン省を保健省版母子健
していただくためのガイドラインも作られま
験は必ず他の省に母子健康手帳を導入すると
が母子健康手帳を有効利用されたら、その経
不安感を払しょくし、そしてハーザン省全体
典 を 行 い、 ハ ー ザ ン 省 で の 母 子 健 康 手 帳 を
いよ2009年6月1日に使用開始の記念式
ず保健省で泣いてしまいました。そしていよ
印刷されてきた母子健康手帳を見た時に
は、 や っ と こ こ ま で 来 た! と 感 無 量 で 思 わ
業のカギを握るボランティアの各集落のヘル
康手帳の初めての試行利用省にしたいと感じ
した。
きに役に立つ情報を提供すると考えたからで
使った事業が始まったのです。
りやすい省で いくら試行事業をし ても、﹁条
件 の 良 い 所 で 使 え た っ て、 母 子 健 康 手 帳 は
山岳少数民族の多いところで本当に使える
の?﹂という疑問や不安はいつまでたっても
消えないでしょう。
月に行った1回目のフィール
2009年
ド 調 査 で は、 ハ ー ザ ン 省 内 郡 全 1 9 5 村
のなかからそれぞれ地理的条件の異なる3郡
村に加えて、省や郡の病院の産科・小
へ、ハーザン省の人たちをベンチェ省へお連
同研究者である保健省の人たちをハーザン省
いたと思いました。助成が決まってから、共
でやっと母子健康手帳の全国展開に一歩近づ
たちを対象に網羅的なアンケート、ヒアリン
や1歳以下の赤ちゃんを育てているお母さん
カー、母子健康手帳を使用している妊婦さん
落に配置されている医療ボランティアワー
児科、各村にある村診療所の医療職員、各集
内の
れ し ま し た。﹁ 百 聞 は 一 見 に し か ず! 研 修 ﹂
幸運にも2回目の助成をいただくことがで
きたときは本当にうれしかったですよ。これ
ハーザン省での母子健康手帳の使用状況は
いかがですか?
す。もしハノイ近郊のような条件の整ったや
経験が、保健省やハーザン省の幹部の人々の
ました。なぜなら少数民族の多い山岳地帯の
ポートが不可欠です。
使用している村々では、母子
んなんです。
たのですね︵笑︶
。
省が協力してくださいまし
加しました。この国家会議で保健省副大臣は、
80
まで訪問した母子健康手帳を
の省が母子健康手帳のような
た。調査では、そのほとんど
23
ハーザン省で行う際に、この2つの村の先行
❸
いので、その点の要望が出ていました。この
安秀先生他この国際会議の中心的なメンバー
で取り組んでほしいという声が上がってきた
トヨタ財団の研究助成を受けられたのも
この年からですよね?
すね。
15
の皆様に、第5回はベトナムで開催してくだ
10
ことです。
❶ハーザン省の保健局による母子健
康手帳の説明会
❷調査村でお母さんと話す板東さん
❸母子健康手帳を大事にもっている
少数民族のお母さんたち
さるようにお願いしました。
でもここで例の如くめげない私は、再度トヨ
タ財団に助成を申請することにしました。
2008年に2度目の助成を受けた研究は
どのような特徴がありますか?
2001年から日本外務省の草の根資金協
力を受けた母子保健改善事業で、5省計 村
︵ 各 省 2 村 ︶ の 村 診 療 所 の 備 品 が 改 善 さ れ、
母子健康手帳を使っておられました。私はこ
の事業をコーディネートしていた関係で、全
村 を 訪 問 し て い ま し た。 そ の 中 で 熱 心 に
使っておられた北部のハーザン省の2村で、
せていただいたのです。
2003年に修士論文を書くための調査をさ
そのうちの1つの村を2007年の 月に
再訪問した際に、村の副村長さんが﹁母子健
康手帳が私たちの村に来てから大きく変わっ
たことが2つあります。1つは村民の知識が
改善されたことです。そしてもう1つは村の
村民ネットワークが強化されたことです﹂と
報告してくださいました。これはまさに私の
11
❶
10
11
予 想 通 り で、
﹁ こ れ や!﹂ と 思 い ま し た。 私
10
❷
36
37
12
10
ら母子健康手帳を使い続けている村の皆さん
握し課題を抽出しました。また2001年か
グを行い、母子健康手帳導入直後の実態を把
した。
容はその後省の保健局から文書で降ろされま
療所に限ることなどを決定しました。この内
き写す、手帳を渡す場所は村や町の公立の診
るかということ は、非常に重要な 視点です。
すからいかに少ない資金で大きな効率を上げ
協力であっても資金には限界があります。で
した経験がありますが、いかなる組織の国際
I N T E R V I E W
にもフォーカスグループでご意見をいただき
がうことができました。2010年4月には
省での調査結果は、ハーザン省だけでなく次
ことが重要だと思います。こうしたハーザン
ただ、このような課題は今後他の省に展開
していく際に、保健省から指導していただく
ています。その意味で、これからの国際協力
といってもやはり一人のできる範囲は限られ
を広げること が、非常に重要だと 思います。
その関連領域や周辺領域の研鑽を積んで視野
そ の た め に は 自 分 の 専 門 分 野 だ け で は な く、
2回目の調査を同じところでさせていただく
の他の省での母子健康手帳の普及事業のため
は、関連領域の複数の専門家が協働して事業
ました。合計666人の皆様のご意見をうか
予定です。
にとても役に立っていると思います。
しかし、その一方でいくつかの問題点も明
らかになりました。昼間公立病院で母子健康
した。
えないと決めつけてはいけないと強く感じま
レベルが低いだけで母子健康手帳をうまく使
大事そうに使っておられるのを見ると、教育
大多数でした。実際にお母さんたちが手帳を
くなれた、という言う妊婦さんやお母さんが
所や集落のヘルスワーカーさんと前より親し
たことですね。また手帳をもらってから診療
は、今や多くの日本やベトナムの人たちの夢
康手帳を使えるようになってほしいというの
この地域でも日本のように妊娠したら母子健
いという側面をもっています。ベトナムのど
較的スムーズに地方に伝播し、実行されやす
主義国家なので、一度国が決定したことは比
画期的な実例だと思います。ベトナムは社会
は省の活動が政府を動かしたボトムアップの
くベトナムに携わってきた者からするとこれ
に導入する旨が正式に明記されました。長ら
中に、2015年までに母子健康手帳を全省
月には、ベトナム保健省が策
2009年
定した﹁子どもの生存に関する国家計画﹂の
彼女たちはどのようにして母子健康手帳が
ポ な し 路 上 イ ン タ ビ ュ ー を す る の が 夢 で す。
ずっと先に、ベトナムに行って色々な省で
妊婦さんや赤ちゃん連れのお母さんたちにア
ら人生を生きていきたいと思っています。
事にしてたくさんの人たちと心を通わせなが
余りで還暦を迎えますが、自分の好奇心を大
協調性が必要だと思います。私は、あと1年
きる人間性、そして多様な分野の専門家との
ける人たちの立場に立って真摯に考え共感で
まとめますと、これから国際協力をめざす
人たちには、広い視野や見識、国際協力を受
調査結果で特に興味深いのは、字の読めな
い妊婦さんたちやお母さんたちからも手帳を
手帳にデータを書いている医師たちが、夜診
になり、その実現へ一歩一歩近づいています。
ていくと思います。
まったく知らないと思
ベトナムに来たかなど
を行う学際的な活動形態が今以上に求められ
療している自分の私立クリニックで母子健康
手元に置いておきたい、という意見が多かっ
手帳に書いていなかったり、手帳を渡す前の
健診や分娩のデータなどが書かれていなかっ
たり、当初配布していたのが省立病院と診療
い ま す が、
﹁母子健康
すよ﹂といわれる声を
プ ロ ジ ェ ク ト に 懸 け る 想 い と、 国 際 協 力 に 携 わ
る若い人たちへのメッセージをお願いします
国際協力に関わる方法として大きく3つに
わかれると思います。いわゆる国連や国が行
聞 い て み た い の で す。
所だったので忘れたときに二重受領をしてい
局から招集していただいてすべての郡の代
う事業での関わり、NGO/NPOが行う事
と、 財 団 の ネ ッ ト ワ ー ク づ く り を 目 的 に、
2008年度より新しい試みとして、日本各
地でシンポジウムを開催しています。
これまでに福岡、岩手、広島、長野の4県
で開催してきましたが、地域づくりに取り組
興味関心を持つことのできるテーマを設定し
て開催されてきました。
●
第1回
福岡︵福岡市︶ 2008年
月6日︵土︶開催
﹁民が主役となった地
岩手︵盛岡市︶ 2009年3
月 日︵金︶開催
﹁ 先 進 事 例 か ら 学 ぶ!
地域社会が抱える課題に対して私たちが
●第2回
地域に根ざした﹃仕
域社会の実現へ ―
組み﹄
づくりを考える﹂
12
できること﹂
広島︵広島市︶ 2009年6
●第3回
月 日︵土︶開催 ﹁地域における新たな
豊かな地
﹃つながりづくり﹄を考える ―
域社会の実現に向けて﹂
●第4回 長野
︵長野市︶ 2009年8
月8日︵土︶開催
﹁中山間地域から考え
の交流を深めるまたとない機会となり、財団
ポ ジ ウ ム は、 互 い に 刺 激 し あ え る﹁ 仲 間 ﹂と
話を共有し合うことで、参加者にとってシン
ること﹂、
﹁ 人 材 の 育 成・ 活 用 と 連 携・ 協 働 の
つつ、社会を変えうる大きなうねりへと繋げ
出すこと﹂、
﹁小さな成功体験の積み重ねを経
各 シ ン ポ ジ ウ ム で は、
﹁地域の外からの気
づきから、地域の人々の主体的な参加を引き
新しい﹃長野モ
る﹃くらしの豊かさ﹄ ―
デル﹄の構築と発信に向けて﹂
にとっても地域社会の再生・振興に向けた仕
﹃仕組み﹄をつくること﹂、
﹁モノを作る前に人
で、地域の中長期的なビジョンが共有される
を作ること﹂、
﹁ 自 分 の 夢 を 持 ち 続 け、 ま た 人
また、シンポジウムは地域の中間支援組織
などの協力を得て企画・運営され、それぞれ
こと﹂
、
﹁ 活 動 を 行 う 前 に、 ま ず は 地 域 資 源 の
の夢を受け入れること﹂、
﹁活動の担い手の間
の地域の人々にとって身近な、幅広く人々が
なっています。
組みづくりのアイデアが得られる貴重な場と
む活動家や、地元企業家、行政担当者などの
手帳が役に立っていま
表者の方や省立病院の方と対策会議をしまし
これぞ﹁自己満足﹂の
2010年度アジア隣人プログ
ラム、研究助成プログラムの
公募を開始
ト ヨ タ 財 団 地 域 社 会 プ ロ グ ラ ム で は、 地
域社会の多様な人々の意識共有の場の創出
●
業での関わり、そして研究者としての関わり
2009年度地域社会プログラ
ム公募状況
た。そこでは私立クリニックにも書いてもら
●
地域社会プログラム
シンポジウムについて
地域社会プログラムシンポ
ジウムについて
たりということでした。それで調査後に保健
10
●
38
39
27
27
INFORMATION
極みですね︵笑︶。
March 2010
です。私はこの3つの分野全部で国際協力を
トヨタ財団ジャーナル
う、渡す前の情報も新しい母子健康手帳に書
THE TOYOTA FOUNDATION
調査や把握を行うこと﹂など、地域を元気に
するには何が重要であり、大切なのかが議論
の的となりました。
また、地域社会プログラムでは、めざすべ
き地域社会像を模索すべく、2009年度よ
り、各地で助成対象者のためのワークショッ
プも開催しています。ワークショップには、
毎回、参加者による活動紹介などを踏まえ、
財団や地域社会プログラムへの率直なコメン
トや提言が寄せられています。
今後、選考委員会による審査を経て、3月
開催の理事会にて正式に助成プロジェクトが
ございました。
決定されます。たくさんのご応募ありがとう
2010年度アジア隣人プログラム、
研究助成プログラムの公募を開始
2010 年度のアジア隣人プログラム︵含
む特定課題﹁アジアにおける伝統文書の保存、
助成プロジェクトの公募を3月中旬から開始
活用、継承﹂
︶
、および研究助成プログラムの
トヨタ財団では、こうした場が、地域社会
の多様な人々にとって、より良い地域づくり
いては、3月
します︵締め切りは5月中旬予定︶
。詳細につ
日以降に財団ウェブサイトを
に向けた関係を築くきっかけとなることを
カレン民族闘争と民主化
闘争の現場をあるく
宇田有三 著
研究助成プログラムにおいて﹁﹁命﹂の
者の宇田有三さんは、2006年度の
閉ざされた国ビルマ
を紹介します
回、延べ4年間にわたって現地
ろうプログラム﹂、そして後に東南アジア域
を相互に翻訳して出版し合う﹁隣人をよく知
ア国別助成﹂、日本と東南アジアの文学作品
固有文化の保存と振興をめざした﹁東南アジ
を日本語に翻訳して日本に紹介しようとし
し、インドネシアの文学を熱心に読んでそれ
力した武田麟太郎は、インドネシア語を独学
らに共感して、危険を顧みず独立に向けて尽
真摯に交わり、インドネシアの独立を願う彼
てしまったため、それは実現できなかったが、
内の学術交流を支援するために東南アジアの
プログラム﹂︵
時流に飲み込まれずに、人と人との絆を大切
にして日本とインドネシアの関係を築こうと
した。
は、 現 在 の 日 本 の 立 場 は ど う で あ ろ う
されている。東アジアの範囲をどこま
とであった。東南アジアの人々と率直に意見
そこで行ったことは、できるだけ多くの東
南アジアの人々の意見に真摯に耳を傾けるこ
行などを非難する厳しい日本批判に直面した。
にはあまり関心を向けない内向き志向が日本
の展望が見えない不安が渦巻くなかで、海外
経済格差の問題などが山積しており、将来へ
同体﹂構想がある一方で、国内では、右肩上
か。冒頭で記したような﹁東アジア共
でとするかについては人によって考えが異な
交換を行うなかで、お互いの顔が見える信頼
全体を覆っているように思える。
で
るが、一般的には東南アジアに日本、中国お
関係を彼らとの間で築いていった。東南アジ
の大きな国際関
を伴った状況であったが ―
係のうねりのなかで、個人の絆を大切にした
といってもそれは戦
―
争という比較にならないほどの強制力
みえる信頼関係を育んでいくように努力する
大切にし、より多くの人たちとお互いに顔の
的視野に立って⋮⋮社会活動に寄与する﹂こ
がりの経済成長の神話が崩れ、少子高齢化や
よび韓国を加えた地域と捉えられているよう
アの人々と強い絆を育み、お互いの思いを共
そうした状況だからこそ一層、日本が世界
の一員であることを自覚し、積極的に海外の
近﹁東アジア共同体﹂構想が喧しく提唱
だ。そして、日本の安全保障についてはアメ
有することができたからこそ前述したプログ
人たちと交流することが求められているとい
最
リカとの同盟関係が基軸と考えられているの
ラムを生み出すことができ、それが双方に受
歴史上の人物が思い浮かぶ。アジア太平洋戦
ことが重要であろう。そうした行動をとるこ
化の分野に重点を置いて、同地域内の関係を
がちであるが、一つの地域共同体を形成する
争期において、陸軍の宣伝部に徴用されジャ
とは、現在アジアで展開している﹁アジア隣
では、どうしても経済分野に関心が向けられ
える。
や支援を
との意味を噛みしめ、海外の人々との対話を
当財団は、その設立趣意書に記された﹁世界
ためには、文化を根底に据えた人と人との絆
ワに派遣された文化人の一人であった作家、
人プログラム﹂に良い作用を及ぼすだけでな
当
れに似た状況
を結んでいくことが重要なのではないかと考
武田麟太郎である。インドネシアを占領し続
く、世界の時流に先んじた新たな国際プログ
密接に築いてくことを主張する論調が目立つ
財団ではこの文化に重点を置いた交流
けた日本軍の立場であることにやりきれなさ
ように思われる。こうした地域共同体の議論
年以上前から東南アジアに
ラムを生み出す原動力ともなるだろう。
こ
に対し、
﹁東アジア共同体﹂構想では経済、文
進出と、日本の経済的優位および日本人の素
集中的に現地を訪問したのだが、日本企業の
アジアで活動を行うにあたり2回にわたって
しかしこれらの活動が何の障害もなくス
ムーズに開始されたわけではなかった。東南
︶などである。
SEASREP
ていた。彼は日本の敗戦後の混乱期に急逝し
います。
で、写真を交えた読みやすい筆致で描かれて
マ人の日常的な生活模様や恋愛事情に至るま
レン人勢力の紛争の壮絶な取材記から、ビル
助成の成果である本書は、﹁一国内における
世界最長の内戦﹂であるビルマ軍事政権とカ
らしをファインダーに収めてきました。
に滞在しながら、ビルマの普通の人たちの暮
年以来、計
を受けたフォト・ジャーナリスト。1993
写真撮影を通して現代ビル
尊厳を求めて ―
マの実態と今後を追う﹂プロジェクトで助成
著
助成プロジェクトに関連した書籍
を感じながらも、インドネシアの作家たちと
おいて行ってきた経験がある。東南アジアの
30
●
願っています。
際部門を立ち上げて間もない時期から多
くの助言をいただき、1982年から国
際助成、
﹁隣人をよく知ろう﹂翻訳出版促
進助成プログラムや東南アジア研究地域
︶などの選考
交流プログラム︵ SEASREP
委員長やアドバイザーを歴任され、助成
プログラムの発展にご尽力いただきまし
た。また、1990年から2006年ま
で評議員、理事も歴任されました。心よ
BOOK REVIEW
人々と立ち上げた﹁東南アジア研究地域交流
りご冥福をお祈りいたします。
●
発行:高文研
発行日:2010年1月31日
価格:1,700円 + 消費税
●
ご覧ください。みなさまのご応募をお待ちし
ております。
歳でご逝
訃報
石井米雄先生
京都大学名誉教授で東南アジア地域研究
者の石井米雄氏が 月 日に
80
去されました。石井先生には当財団の国
12
2009年度
地域社会プログラム公募状況
地域社会プログラムでは、2008年度に
プログラムの大幅改訂を行いました。今年度
は、引き続き﹁地域に根ざした仕組みづくり
自立と共生の新たな地域社会をめざし
―
て﹂を基本テーマとし、これまで特定課題と
していたユース助成
︵高校生対象︶
および、助
成 重 点 課 題 と し て い た﹁ 離 島 助 成 ﹂を 本 体 の
月9日︶
。
中に組み込み、公募を行いました︵2009
年 月1日∼
578件︶
。
2
出版物のご案内
30
16
えるのではないだろうか。そのなかにおいて
(トヨタ財団チーフ
プログラムオフィサー)
け入れられていったといえよう。
◉ 姫本由美子
応 募 件 数 は 6 1 9 件 と な り ま し た︵ 昨 年 度
公募説明会および個別相談を実施した結果、
メールマガジンや、さまざまな情報媒体を
用 い て の 広 報 活 動、 そ し て 全 国 9 ヵ 所 で の
11
「顔の見える」信頼関係を
育むために
40
41
10
OPINION
砂 先 生 が 財 団 の 助 成 対 象 者 と な り、
﹁赤ちゃんに
な︵?︶出会いをしてしまいました。その後、三
砂先生の著書﹃オニババ化する女たち﹄と運命的
● ● 現 在、 5 歳 に な る 長 男 が 6 ヵ 月 の と き、 三
れません。
機 会 を も て る 人 は、 そ ん な に 多 く は な い か も し
を 担 っ て い ま す。 し か し、 そ の 大 切 さ に 気 づ く
ざ ま な 形 で、 私 た ち の 生 活 を 支 え る 大 切 な 役 目
ら、 二 人 目 が で き た ら ぜ ひ 実 践 し た い、 と 思 っ
学 ぶ も の で は な く、 日 々 の く ら し の 中 で 自 然 に
ん 詰 ま っ た 一 冊 と な っ て い ま す。 学 ぼ う と し て
今 号 は、 そ う し た 儚 く も 社 会 か ら 消 え て し ま
いそうな﹁いのちの智恵﹂の素晴らしさがたくさ
おむつはいらない﹂プロジェクトを開始した時か
︶をあげながら、現在1歳の次男におむつな
ていただけたら嬉しいです。
[
]
N.W.
恵の存在にみなさんも本誌を通して気づき、知っ
身 に つ け る こ と が で き る 智 恵。 そ ん な 素 敵 な 智
て い た と こ ろ、 次 男 を 授 か り、 と き ど き 悲 鳴
︵
あるときふと、﹁そういえばトヨタ財団の広報誌で
0
0
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号
け っ こ う 効 き ま し た。 そ れ は、 本 号 の 企 画 が 進
はもっとエンタテイナーたれ!﹂という一言は、
● ● ● ● い ろ ん な 意 味 で、 楽 し く 刺 激 的 な
んでしたが、巻頭の﹁対談﹂
のさいに語られた、﹁男
と な り ま し た。 誌 面 の 都 合 で 省 か ざ る を 得 ま せ
ような経験をさせてくれた子どもたちに感謝して
]
E.K.
●●● 今号のテーマは﹁いのちの智恵﹂に耳を傾
張った﹁おつむ﹂から﹁おむつ﹂をはずしなさい!
発行日 2010年3月15日
発行人 加藤広樹
編集人 野々宮彰彦
編集協力 石井 泉
デザイン エディション・ヌース
印刷 文唱堂印刷
]
I.I.
で の メ ッ セ ー ジ で し た。 ま ず は 私 た ち 大 人 の 強
を す べ き か に つ い て 考 え て み た つ も り で す。 特
けること。
﹁いのちの智恵﹂とは、昔から伝え受け
行 中 に 亡 く な っ た マ イ ケ ル・ ジ ャ ク ソ ン を 偲 ん
集 企 画 を 通 じ、 か つ て の 日 本 人 は、 相 手 の こ と
と叱咤激励されているようで⋮⋮︵笑︶
。
[
います。[
3
継 が れ て き た 生 き る 智 恵 で あ り、 そ れ ら は さ ま
)
い た と 思 わ れ ま す が、 特 に、 昨 今 は、 人 と し て
〒163-0437東京都新宿区西新宿2-1-1
新宿三井ビル37階
[TEL]03-3344-1701
[FAX]03-3342-6911
[URL]http://www.toyotafound.or.jp/
発行所 財団法人 トヨタ財団
の誇りとやさしさをもって行動のできる大人が
少なくなった感も残念ながらいたします。
こ の こ と は、 幼 少 の こ ろ、 最 初 に 接 す る 親 か
ら数え切れないほどの無償の愛を授かった子ど
も が 少 な く な り、 愛 さ れ た 経 験 を 持 た ぬ ま ま に
大 人 に な っ た せ い で、 人 に 愛 を 授 け る こ と が で
きなくなってしまったためではないかと感じる
JOINT[ジョイント] No.3
。
る。
けない
にもあ
い
ろ
は
こ
て
と
り
飽き
どんな
P.33よ
ことに
紀行」
す
恵みは
探
ケニア
の
み
恵
愛と
本誌「
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Riz
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u
次第であります。
jo
ご意見・ご感想、また本誌送付先の変更等があ
りましたら、トヨタ財団ウェブ・サイトの「お
問い合わせ」フォーム、あるいはファックスで
ご連絡いただけると幸いです。
ム助
ログラ
助成プ
研究
09年度
紀(20
本庄由
写真:
研究者
ト共同
ジェク
プロ
成対象
[ジョイント]
uki Hon
oto by Y
Ph
アにて
ケニ
と か く、 殺 伐 と し た 世 相 で す が、 母 と 子 の 絆
が 強 く な る こ と に よ っ て、 や さ し さ・ 微 笑 み・
]
A.N.
FOR THE SAKE OF GREATER HUMAN HAPPINESS
を 慮 り、 お く ゆ か し く 誇 り と や さ し さ を も っ て
今 号 は、 母 と 子 の 絆 を 軸 に、 人 と 人 が 豊 か な
気 持 ち で か か わ り 合 っ て い く た め に は、 今、 何
り感謝いたしております。
こんなことも言っていたなあ﹂と思い出していた
のみなさんはどのように感じられたでしょうか。
そ ん な な か、 私 に と っ て は 今 回 の 対 談 は と て
も 深 く、 心 に 染 み 入 る よ う な 企 画 で し た。 読 者
し育児を楽しく実践中です。
!?
だけるものであってほしいと願っています。この
[編集後記]
● 広報誌として装いを新たにしたこの﹃ JOINT
﹄
も 3 号 目 を 発 刊 す る こ と が で き、 ご 執 筆 を い た
LAST WORD
だいた方々や編集に携わる皆様のご協力に心よ
「赤ちゃんにおむつはいらない」シンポジウム
(東京)にて
思 い や り ⋮⋮、 そ ん な 言 葉 に 包 ま れ た 明 日 が 必
ずやってくると信じています。
[
活動の余白に
●
On The Journey
本誌掲載の記事、写真、イラスト等の無断転載を禁じます。
42
http://www.toyotafound.or.jp/
No.3
JOINT No.3 財団法人 トヨタ財団 〒 163-0437 東京都新宿区西新宿 2-1-1 新宿三井ビル 37 階
THE TOYOTA FOUNDATION
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