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76KB - JICA
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
〔研究ノート〕
Note
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
― ブラジル・セアラ州における経験 ―
Factors that Affect Infant Mortality Rates
― A Case in the State of Ceará, Brazil ―
* 羽根田 潔 *
Kiyoshi HANEDA
三砂 ちづる *
* 小貫 大輔 *
* 吉野 八重 *
Chizuru MISAGO
Daisuke ONUKI
Yae YOSHINO
* 田口 やよい *
* 定森 徹 *
** 梅内 拓生 **
Yayoi TAGUCHI
Toru SADAMORI
Takusei UMENAI
要 約
ブラジル・セアラ州は近年小児保健の分野で目覚ましい成果を上げ、1997 年の乳児死亡
率は出生 1000 人当たり 40 人に低下したが、依然地域格差は大きい。そこで乳児死亡率に
影響を及ぼすと考えられる社会経済、衛生、保健指標(1 人当たりの年間所得、非識字率、
不適正な飲料水供給、不適正な屎尿処理、妊婦健診受診率、母乳保育普及率、ワクチン接
種率、保健エージェント展開率)と乳児死亡率との関連性について検討した。その結果、不
適正な飲料水供給を受けている家庭が75%よりも多くを占める地区では、乳児死亡率が出
生 1000 人当たり 71.0 ± 2.5%(平均±標準誤差)と、75% 以下の地区における 62.7 ± 2.2 に
比して有意に高く(p < 0.05)、適正な飲料水の供給を受けていない家庭がある程度以上に
達すると、乳児死亡率は有意に影響を受けることが判明した。妊婦健診受診率は乳児死亡
率との間に有意の負の相関関係を有し(r =− 0.617,p < 0.05)、受診率が高くなるほど死
亡率は低下した。また乳児死亡率が州の平均値を超す地区(出生 1000 人当たり 66 人以上)
では、死亡率が平均値を下回る地区よりもワクチン接種率が有意に低かった(71.7 ± 4.1%
対 82.2 ± 1.2%,p < 0.05)。
このように乳児死亡率の高い地区は飲料水の供給が不備であり、同時に妊婦健診受診率、
ワクチン接種率などの保健活動の遅れが顕著であった。したがってセアラ州における小児
医療の改善策を考えるとき、医療面の向上を図ることはもとより、まずこういった保健活
動増進を最優先課題とし、同時に社会の基礎的構造改善などの総合的な対策を講じていく
ことが必要と思われた。
ABSTRACT
Health programs for infants in the state of Ceará in Brazil have produced excellent
results in recent years, and the infant mortality rate has decreased to 40 per 1,000 births in
* 国際協力事業団専門家
JICA Expert
** 東京大学大学院国際保健計画学教室教授
Professor, Department of Health Policy and Planning, Graduate School of International Health, Faculty of Medicine,
University of Tokyo
国際協力研究 Vol.15 No.2(通巻 30 号)1999.10
33
1997. However, a huge gap between different regions of the state still remains. The authors
conducted an analysis of the relationship between infant mortality rates and various factors: socio-economic conditions, sanitary conditions, and health indices (annual income
per capita, illiteracy rate, inadequate drinking water supply and sewage systems, antenatal
consultation rate, breast-feeding, vaccinations, and the number of public health agents). As
a result, it became apparent that infant mortality rates are affected significantly if the percentage of households, which do not have adequate drinking water supplies, reaches a
certain level. For instance, in areas where more than 75% of the households receive inadequate drinking water supplies, the results showed 71.0 ア 2.5% infant deaths per 1,000
births (mean ア standard error). This is significantly higher compared to 62.7 ア 2.2 infant
deaths in areas where less than 75% of households receive inadequate drinking water supplies (p < 0.05). The authors also discovered a negative correlation between antenatal consultation rate and infant mortality (r = - 0.617, p< 0.05). As antenatal consultation rate
increases, the infant mortality rate decreases. Moreover, in areas which show a higher infant mortality rate than the state average (66.0 deaths per 1,000 births), the frequency of
vaccinations is significantly lower than that of areas which have a below average mortality
rate (71.7 ± 4.1% vs. 82.2 ± 1.2%, p < 0.05).
It is notable that areas with high infant mortality rates have inadequate drinking water
supply, and lag behind in undertaking health programs including antenatal care and vaccinations. Therefore, in thinking of ways to improve the health of infants in the state, it is
necessary not only to enhance medical treatment but also to prioritize implementation of
health programs and to undertake comprehensive measures for improving the basic social
infrastructure.
図− 1 ブラジル・セアラ州
はじめに
ブラジル東北部、南緯 3 度から 8 度の熱帯地方
に 位置するセアラ州(図− 1)は、州民 1 人当た
りの年間所得は平均1227ドル注1)と日本の20分の
赤道
セアラ州
1 以下注 2)であり、ブラジルで最も貧しい州のひと
つに数えられている。また 70% 以上の人々は水道
ブラジル
水の供給のない生活を強いられ、屎尿処理設備の
不備な家庭は 90% 以上に達する注 3)。さらに 15 歳
以上の人口における非識字率は 4 6 % と高率で
ある 注4)。このような極度の貧困、劣悪な居住環境、
低教育レベルの中で、住民の保健指標も不良であ
大西洋
るが、州政府の熱心な取り組みにより小児保健の
状況は次第に改善し、乳児死亡率は1970年代の出
生 1000 人当たり 157 人注 5) から 97 年には 40 人注 6)
にまで低下した。このように目覚ましい改善の見
られる小児保健であるが、93 年から 95 年までの 3
乳児死亡率は医療従事者や医療施設の質的、量
年間の乳児死亡率を見ると、地域によって出生
的な問題によって大きく左右されるが、同時に医
1000 人当たり 16.4 人から 144.1 人までの開きがあ
療以外の社会の基本的な要因によっても影響を受
り、州内の地域格差は依然大きい
34
注 7)
。
けるといわれている。
これまでもブラジル国内で、
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
乳児死亡率に影響を及ぼす因子、地域格差をもた
図− 2 セアラ州の保健区と,乳児死亡率が州の
らす因子について、限定された集団を対象とした
平均値(出生 1000 人当たり 66 人)以上
の地区
いくつかの疫学調査が行われ報告されているが、
その結果、貧困注8)、出生時の身長・体重注9)10) 、母
親の教育程度
注 10)11)
料水供給の状態
、妊娠中の管理の状態
注 10)
大西洋
注 12)
、飲
13
などが乳児死亡率に影響を与
える因子として挙げられている。一方、これまで
フォルタレーザ市
10
12
セアラ州においては、母子保健に関するルーチン
1
データによる現状分析は行われてこなかったが、
8
1990年代に入り、州民の置かれている環境につい
7
2
ての種々の情報が入手できるようになってきた。
そこで本研究は、14の地区に分かれている保健行
9
6
政区ごとの乳児死亡率と、各地区に関して入手し
11
得た基礎的な社会経済、衛生、保健指標とをレト
4
14
ロスペクティブに比較検討することによって、ど
の指標が乳児死亡率に影響を及ぼしているかを明
3
5
らかにし、今後の小児保健政策上の参考にするこ
とを目的として行った。
0
I
1.
セアラ州の乳児死亡因子調査
100
200km
注)数字は保健区を表し, 部は乳児死亡率が州平均値を上回
る地区を示す
調査方法
セアラ州は 184 の市によって構成されるが、保
りの年間所得、非識字率、不適正な飲料水供給の
健行政上14 の地区に分けられている(図− 2)。第
割合、不適正な屎尿処理が行われている割合、妊
1 区は州都フォルタレーザ市を含む 36 市からな
婦の定期健康診査(妊婦健診)の受診率、母乳保
注 13)
。また
育実施の割合、ワクチン接種率、保健エージェン
第 1、8、10、13 区の 4 地区は海岸部を有している
トの展開率を選択した。ただし第 1 区では、州都
が、他の 10 地区は内陸部の地区である。これらの
フォルタレーザ市の個人所得以外の諸指標が報告
各地区について、1993 年から 3 年間の乳児死亡率
されていないため、残りの35市のデータを用いた。
とそれに影響を及ぼす可能性のある諸因子との関
非識字率は15歳以上の人口に占める割合を、不
連性を検討した。その因子として、入手できる社
適正な飲料水の供給は、水道水の供給を受けてい
会経済、衛生、保健指標の中から以下の仮定のも
ない家庭(集落への共同水道も含む)の占める割
とに 8 指標を選択した。すなわち、所得が多く、
合を、不適正な屎尿処理は水洗便所あるいは屎尿
教育程度が高く、衛生状態が良好なほど乳児死亡
浄化槽の備わっていない家庭の割合を用いた。妊
率は低く、産前の妊婦の健康状態が良好なほど出
婦健診受診率は月に 1 回以上、日を決めて健診を
生時の乳児の状態も良好であること。また、各地
受けた妊婦の割合、母乳保育の割合は、生後 4 カ
域に展開する保健エージェントが多いほど住民に
月まで母乳でのみ保育された乳児の割合を、ワク
対する保健教育が行き届いており、母乳保育の徹
チン接種率は生後 11 カ月までに BCG(生後 1 カ
底やワクチン接種によって乳児期の疾患発生を減
月)、3 種混合ワクチン(2、4、6 カ月)、ポリオワ
少させ得ること。これらを想定し、人口 1 人当た
クチン(2、4、6 カ月)、麻疹ワクチン(9 カ月)の
り、州全体の人口の 44% を占めている
国際協力研究 Vol.15 No.2(通巻 30 号)1999.10
35
表− 1 セアラ州における社会経済,衛生,保健指標
地区 市の数
1
35 人口
乳児死亡率 1人当たりの年 非識字率 不適正飲料 不適正屎尿 妊婦健診受 母乳保育普 ワクチン接 保健エージェン
(出生1000人対)間所得(ドル)
(%) 水 (%) 処理(%)診率 (%)及率 (%)種率 (%)ト展開率(%)
1,064,535 60.5
(36)(2,833,172)
1,237 38.6
70.7
88.1
82.5
43.4
81.6
73.2
(2,211)
2
12 288,860 76.9
240 50.4
80.2
99.2
50.5
32.9
79.1
87.9
3
11 230,914 70.0
640 46.7
66.0
93.0
90.7
33.8
59.4
83.3
4
8 231,136 57.0
424 50.2
71.0
99.3
78.9
42.5
79.8
95.5
5
15 466,390 71.2
637 44.3
54.0
99.6
70.3
46.6
70.7
71.2
6
10 169,520 55.6
508 43.1
66.3
94.4
81.9
37.6
83.9
79.0
7
8 235,099 55.3
335 48.5
75.0
94.2
72.2
40.1
87.4
75.4
8
10 241,789 60.1
648 44.4
72.9
100.0
76.9
45.4
83.8
90.0
9
7 155,618 66.2
140 52.2
85.3
98.2
63.3
43.3
80.2
92.7
10
28 578,908 70.5
476 50.4
72.8
98.3
60.3
38.7
71.5
68.8
11
5 113,958 71.3
283 52.6
77.9
99.9
65.0
46.9
55.7
89.8
12
8 223,796 75.8
420 53.2
85.5
100.0
62.2
35.9
85.1
76.3
13
19 436,724 64.7
316 48.3
85.4
98.8
69.2
34.7
80.6
77.2
14
7 160,753 64.0
194 48.6
71.0
99.2
74.1
34.0
78.1
86.8
46.3
72.9
92.4
72.2
41.0
81.0
78.3
全体
183 4,598,000 65.7
(184)(6,366,637)
619 (1,227)
注)( )内はフォルタレーザ市を含んだ値
接種を完了した乳児の割合を示した。保健エー
た(表− 1)。各保健地区別に見ると第 7 区が 55.3
ジェントは各家庭を訪問して保健情報収集、ワク
人と最低値を示し、第 2 区が 76.9 人と最高値を示
チン接種や経口補水の指導、母乳保育の推進など
した。乳児死亡率が州の平均値を上回る66人以上
を行っているが、その展開率として100家庭に1人
の地区は第 2、3、5、9、10、11、12 の 7 地区であっ
として算出された保健エージェントの必要数に対
たが、これらの地区の大部分は州都から離れた乾
する充足率を用いた。資料は調査施行年度の比較
燥した高地であった(図− 2)。以下に各指標と乳
的近接したものを用い、乳児死亡率は 1993、94、
児死亡率との関係を記し、また乳児死亡率が66人
95 年の 3 年間
注 7)
、妊婦健診受診率、保健エージェ
以上の地区(A 群)と残りの死亡率 66 人未満の 7
ント展開率、母乳保育普及率、ワクチン接種率は
地区(B 群)における各指標の値を比較した。
95 年注 3)、ほかは 91 年の資料を用いた注 1)3)4)。
2) 1 人当たりの年間所得
各群間の比較はt-testにより行い、乳児死亡率と
州平均値は1227ドルであるが、フォルタレーザ
の関係は回帰直線によって相関関係を検討した。
を除くと 619 ドルにすぎず、第 1 地区以外はすべ
p値が0.05未満の場合を有意差があるものとした。
て700ドル以下であった。1人当たりの所得と乳児
死亡率との間には負の相関はあるものの、有意性
2.
調査結果
は認められなかった。また A、B 両群間に有意の
1) 乳児死亡率
差はなかった(表− 2)。
1993年から95年までの3年間を平均した乳児死
3) 非識字率
亡率は、州平均で出生1000 人当たり65.7人であっ
非識字率は州平均 46.3% であった。乳児死亡率
36
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
表− 2 乳児死亡率と社会経済,衛生,保健指標との関係
社会経済,衛生,保健指標
1 人当たり年間所得(ドル)
A群
B群
t値
405.1±73.1
523.1±131.1
-0.79
NS
非識字率(%)
50.0±1.2
46.0±1.6 2.01
NS
不適正飲料水(%)
74.5±4.3
73.2±2.3 0.28
NS
不適正屎尿処理(%)
98.3±0.9
96.3±1.6 1.08
NS
妊婦健診受診率(%)
66.0±4.7
76.5±1.9 2.45
p<0.05
母乳保育普及率(%)
39.8±2.2
39.7±1.7 0.03
NS
ワクチン接種率(%)
71.7±4.1
82.2±1.2 -2.45
P<0.05
保健エージェント展開率(%)
81.4±3.6
82.4±3.2 -0.21
NS
注)A 群は乳児死亡率が出生 1000 人当たり 66 人以上の第 2,3,5,9,10,11,12 地区,B 群は乳児死亡率が 66 人未満の第 1,4,6,7,
8,13,14 地区を示す.値は平均値±標準誤差
との間には正の相関は見られるものの有意性は認
図− 3 不適正な飲料水供給と乳児死亡率
なかった。
4) 不適正飲料水
不適正飲料水については州平均 72.9% に達し
た。不適正飲料水供給の割合と乳児死亡率との間
には正の相関が見られるものの、有意性は認めら
れなかった。しかし不適正飲料水の家庭が 75% よ
りも多い 5 地区では、乳児死亡率が 71.0 ± 2.5(平
均±標準誤差)であり、75% 以下の 9 地区での死
亡率62.7±2.2よりも有意に高値を示し(p<0.05)、
水道水の供給を受けていない家庭の割合がある程
乳児死亡率(出生1000人当たり)
められなかった。また A、B 両群間に有意の差は
人
80
70
60
50
p<0.05
≦75%
>75%
不適正な飲料水供給
度以上に達すると、死亡率に有意の影響を及ぼす
ことが判明した(図− 3)。A、B 両群間には有意
の差は見られなかった。
5) 不適正屎尿処理
不適正屎尿処理については州平均 92.4% に達し
注)水道水の供給を受けていない家庭の割合
が75%以下の9地区での乳児死亡率は,出
生1000人当たり62.7±2.2人(平均±標準
誤差)であったのに対し,75%を超える5
地区での死亡率は71.0±2.5と有意に高か
った(p<0.05)
た。乳児死亡率との間に正の相関は見られるもの
の、有意性は認められなかった。またA、B両群
母乳保育普及率は州平均 41.0% であった。乳児
間に有意の差はなかった。
死亡率との間には負の相関関係は見られたものの、
6) 妊婦健診受診率
有意性は認められなかった。またA、B両群間に
妊婦健診受診率は州平均で 72.2% であった。乳
有意の差はなかった。
児死亡率との間には有意の負の相関関係が認めら
8) ワクチン接種率
れ(r =− 0.617,p < 0.05)、健診受診率が上昇す
ワクチンの接種率は州平均 81.0% であった。乳
るにつれて乳児死亡率は低下した(図−4)。また、
児死亡率との間には負の相関関係は見られたもの
A群での受診率はB群の受診率より有意に低かっ
の、有意性は認められなかった。しかし、A群の
た(66.0 ± 4.7% 対 76.5 ± 1.9%,p < 0.05)。
ワクチン接種率はB群に比して有意に低値を示
7) 母乳保育普及率
した(71.7 ± 4.1% 対 82.2 ± 1.2%,p < 0.05)。
国際協力研究 Vol.15 No.2(通巻 30 号)1999.10
37
図− 4 妊婦健診受診率と乳児死亡率
下に小児保健プログラムが開始され、本格的に小
児保健の改善が取り組まれた。予防接種の普及、
乳児死亡率(出生1000人当たり)
人
急性下痢症対策、周産期保健、母乳保育と離乳の
90
指導、発育・発達のモニタリング、急性呼吸器感
染症を加えた 6 つの領域を基本領域とするプログ
80
ラムである。その 2 年後の 89 年には保健エージェ
ントプログラムが開始された。これは保健エー
70
ジェント1人が100家庭前後を訪問して母乳保育、
60
経口補水療法、予防接種を推進し、同時に保健情
報の収集を行うものであり、小児保健プログラム
50
y=95.7−0.421x
r=−0.617
p<0.05
50
60
70
80
90
妊婦健診受診率(%)
と一体となって小児保健の改善に大きく貢献した。
セアラ州における同プログラムの成功を受けて、
91年以降、連邦政府は同様のプログラムを他州で
展開している。さらにこの保健エージェントプロ
グラムをより実際的な形で発展させた家族保健プ
ログラムが 93 年に開始された。これは医師、看護
注)妊婦健診の受診率は乳児死亡率との間に有意の相関
関係を有していた
婦、保健エージェントが 1 チーム を構成して家庭
訪問、巡回診療を行うもので、コミュニティーレ
9) 保健エージェント展開率
ベルの保健サービスを向上させる有効なプログラ
保健エージェントの展開率は州平均 78.3% で
ムと考えられ、現在連邦政府も国家的規模で推進
あった。乳児死亡率との間には負の相関関係は見
しつつある。
られたものの、有意性は認められなかった。また
このような州全体で取り組んだ保健活動により、
A、B両群間に有意の差はなかった。
乳児死亡率は 1997 年には 40 まで低下するに至っ
た注 6)。これは、主たる死因であった下痢症や急性
II 考 察
呼吸器感染症による乳児死亡の減少が大きな要因
であり、93年から96年にかけてそれぞれ出生1000
セアラ州のこれまでの母子保健改善への取り組
人に対して 19 人から 10 人、10 人から 6 人へと大
みには特筆すべき点が多々見られる。まず1977年
幅に減少した注 7)。この間、母乳のみによる保育の
に開始された PROAIS(総合保健プログラム)注 5)
割合は 90 年の 2% 注 14) から 95 年の 41% へと大幅
が挙げられる。これは伝統的産婆(Traditional
に増加し注3)、また下痢症に対する経口補水療法実
Birth Attendants: TBA)に対するトレーニングから
施率は、87 年の 23% から 94 年には 52% へと著し
始まり、次第にプライマリー・ヘルス・ケアへ発
く普及した注 14)。母乳保育による下痢症に対する
展していったものであるが、85年には小児保健の
予防効果、経口補水療法の治療効果は多数報告さ
改善を目指して、保健エージェントの家庭訪問に
れているが注15)∼17)、これらの報告を裏付ける結果
よる成長観察、経口補水療法、母乳保育、予防接
であった。同様にワクチン接種も著明に普及し、
種の活動が開始された。プログラム自体は92年に
87年には 2歳児で平均61% にすぎなかったワクチ
終焉したものの、その活動で得たノウハウは、そ
ン接種率注 14)は、95 年には乳児でも 81% 行われる
の後に州が展開した母子保健プログラムに対して
ようになった注3)。今回の検討でも乳児死亡率が州
大きな影響を与えた。
の平均値を下回る地区では、他地区に比しワクチ
1987 年には UNICEF(国連児童基金)の協力の
ン接種率が有意に高く、乳児死亡率への影響が認
38
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
められた。このような予防、治療法の普及は小児
同定が可能になっており注8)10)11)、今回のように州
保健プログラム、保健エージェント・プログラム、
全体を対象にした検討からでは、種々の要素の関
家族保健プログラムの活動によることが大きく、
与によって、明確な結論を導くことは難しいもの
地域住民に対する保健活動の向上が、乳児死亡率
と思われる。しかし、限定された地域においての
を低下させた主たる要因であったと思われる。
詳細な母子保健調査は施行されていたものの、州
今回の検討の結果、妊婦健診の受診率が乳児死
全体にわたる情報が得られなかったセアラ州にお
亡率と有意の相関関係を有していることが判明し
いて、ルーチンデータによって乳児死亡率に影響
た。これまでの報告でも、妊娠中の適切な健康管
を及ぼす要因について検討できるようになった意
理が低体重児の出産を減らし、乳児死亡率減少に
義は極めて大きい。今後州の人口の約 3 分の 1 を
効果があることは知られており
注 12)18)
、単に健康
占める州都フォルタレーザ市の情報を加えること
状態のチェックだけでなく、同時に産前、産後、育
によって、より正確な調査、検討が可能になるも
児などについての適切な指導を行えば、
保健全般、
のと思われる。
予防接種、子供の保健、栄養、家族計画、性感染
セアラ州における小児医療の改善策を考えると
注18)
。ただ、実
き、医療施設の改善やスタッフの養成など医療面
際にセアラ州で行われている健診内容や方法の詳
の向上を図ることはもとより、社会の基礎的構造
細が不明であるので、妊婦健診のどの要素が乳児
である経済面、教育面、衛生状態の改善など総合
死亡率減少に影響を及ぼしているのかは明らかに
的な施策が必要であるが、おのずから実施上の優
できないし、
統計学的な検証は十分でないものの、
先順位が存在するであろう。今回の検討によると、
妊婦健診をワクチン接種なども含めた、全般的な
乳児死亡率の高い地区では妊婦健診の受診率、ワ
保健活動としてとらえ、その普及の程度が乳児死
クチン接種率など保健活動の遅れが顕著であった。
亡率に影響を与えているとすることができるので
これらの地区は州都より遠く離れ、大部分を高地
はないだろうか。したがって、今後よくトレーニ
が占める地理的条件にあり、それが保健活動を遅
ングされた健診実施者や家庭訪問の担当者を養成
らせている大きな要因になっていたものと思われ
しながら、妊婦健診推進活動を展開することが必
る。したがって、まずこういった遅れた地区での
要であろう。現在セアラ州における妊婦健診は、
保健活動増進を最優先課題にし、同時に全州にお
州のプログラムである女性保健プログラムが中心
いて社会全体のレベルの向上に向けて取り組んで
になって推進しており、近年 2 市において母子健
いくべきではないだろうか。
症などについての教育効果は大きい
康手帳が使用されるようになるなど、少しずつ質
的な面での向上も図られるようになってきており、
注 釈
今後の発展が期待される。
このような直接的な保健医療にかかわる環境因
1) IPLANCE, UNICEF:Indicadores Sociais dos Municípios
do Ceará, Fascículo 3, Renda da População e Finanças
子のほかにも、社会経済環境、上下水道など衛生
Municipais, Fortaleza, 1995.(セアラ州計画研究所,ユ
施設に関する環境なども乳児死亡率に反映すると
ニセフ:セアラ州内各市の社会指標 , 3分冊 , 住民所得
いわれている。しかし、今回の調査では水道水の
と市の財政 , フォルタレーザ , 1995.)
2) 厚生省:厚生白書,ぎょうせい,p78,1996.
供給を受けていない家庭が75%を超える地区とそ
3) IPLANCE, UNICEF:Indicadores Sociais dos Municípios
れ以下の地区とで乳児死亡率は有意に異なったも
do Ceará, Fascículo 4, Água, Saneamento e Saúde
のの、個人所得、非識字率、屎尿処理の状態は乳
児死亡率との間に明瞭な関係を有していなかった。
これまでブラジル国内から出された報告を見ても、
厳密に対象を選定することによって初めて関係の
Maternoinfantil, Fortaleza, 1995.(セアラ州計画研究所,
ユニセフ:セアラ州内各市の社会指標,4 分冊,水,衛
生,母子保健,フォルタレーザ,1995.)
4) IPLANCE, UNICEF:Indicadores Sociais dos Municípios
do Ceará, Fascículo 2, Analfabetismo, Fortaleza, 1995.(セ
アラ州計画研究所,ユニセフ:セアラ州内各市の社会
国際協力研究 Vol.15 No.2(通巻 30 号)1999.10
39
指標,2 分冊 , 非識字,フォルタレーザ,1995.)
5) Andrade, F.M.O., Kisil, M., McAuliffe, J.F.:PROAIS-A
羽根田 潔(はねだ きよし)
Primary Health Care Programme: The Case of Ceará, North-
1943 年生まれ.東北大学医学部卒.東北大学医学部胸
Eastern Brazil. Lat. Am. Rep., 11:22-37, 1995.
部外科助教授,
東京大学大学院国際保健計画学客員助教授
6) Programa Agentes de Saúde, SESA-CE:Taxa de
Mortalidade Infantil-Ceará, 1994-1998.(保健エージェン
トプログラム , セアラ州保健局: セアラ州における乳
児死亡率 , 1994-1998.)
を経て,
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
ジェクトリーダー.
〔著作・論文〕
7) SESA (Secretaria da Saúde Estado do Ceará):Boletim
Whole Body Protection during Three Hours of Total Circula-
Epidemiológico de Vigiláncia à Saúde, SESA, Fortaleza,
tory Arrest: An Experimental Study. Cryobiology, 23:483-494,
1996.(セアラ州保健局:保健監視疫学公報,セアラ州
1986.
保健局,フォルタレーザ,1996.)
最新胸部外科手術 1995: Rastelli 手術,杏林舎,1995.
8) Issler, R.M., Giugliani, E.R., Kreutz, G.T., et al.:Poverty
Levels and Children's Health Status: Study of Risk Factors
Effects of Cardiac Surgery on Intellectual Function in Infants
and Children.Cardiovascular Surgery, 4:303-307, 1996.
in an Urban Population of Low Socioeconomic Level. Rev
Saúde Pública, 30:506-511, 1996.
9) Morris, S.S., Victora, C.G., Barros, F.C., et al.:Length
and Ponderal Index at Birth: Associations with Mortality,
Hospitalizations, Development and Post-Natal Growth in
Brazilian Infants. Int J Epidemiol, 27: 242-247, 1998.
10) Macharelli, C.A., de Oliveira, L.R.:Death Risk Profile of
Children Under One Year of Age Residing in a Locality of
São Paulo State, Brazil, 1987. Rev Saúde Pública, 25: 121128, 1991.
11) Sastry, N.:What Explains Rural-Urban Differentials in
Child Mortality in Brazil?. Soc. Sci. Med., 44: 989-1002,
1997.
12) Gray, R.H., Ferraz, E.M., Amorim, M.S., et al.:Levels and
Determinants of Early Neonatal Mortality in Natal, Northeastern Brazil: Results of a Surveillance and Case-Control
Study. Int J Epidemiol, 20:467-473, 1991.
13) IPLANCE, UNICEF:Indicadores Sociais dos Municípios
三砂 ちづる(みさご ちづる)
1958 年生まれ.京都薬科大学卒.ロンドン大学 PhD(疫
学).ロンドン大学衛生熱帯医学校母子疫学ユニット疫学
研究員などを経て,
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
ジェクト専門家(疫学).
〔著作・論文〕
Determinants and Medical Characteristics of Induced Abortion
among Poor Urban Women in North-East Brazil, Abortion in
the Developing World. World Health Organization, Zed Books,
1999.
Determinants of Abortion Among Women Admitted to Hospitals in Fortaleza, North Eastern Brazil. International Journal of
Epidemiology, 27:833-839, 1998.
Women's Hidden Transcripts about abortion in Brazil. Social
Science and Medicine, 44(2): 1833-1845, 1997.
do Ceará, Fascículo 1, Dados de população, Fortaleza, 1995.
(セアラ州計画研究所,ユニセフ:セアラ州内各市の
社会指標,1 分冊,人口,フォルタレーザ,1995.)
小貫 大輔(おぬき だいすけ)
1961 年生まれ.東京大学文学部卒.ハワイ大学社会学
14) SESA:Saúde materno-infantil no Ceará. Resultados das
修士課程,東京大学教育学部博士課程終了.ブラジル・サ
PESMICs 1, 2, e3, 1987-1994. 1995.(セアラ州保健局:
ンパウロでのコミュニティー活動,CRI −チルドレンス・
セアラ州における母子保健,セアラ州母子保健調査1,
リソース・インターナショナル(NGO)での活動を経て,
2,3 の結果, 1987-1994.1995.)
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
15) Victora, C.G., Smith, P.G.,Vaughan, J.P., et al.:Evidence
for Protection by Breastfeeding against Infant Deaths from
Infectious Diseases in Brazil. Lancet, 2:319-321, 1987.
ジェクト専門家(健康教育).
〔著作・論文〕
耳をすまして聞いてごらん,ほんの木,1990.
16) de Zoysa, I., Rea, M., Martines, J.:Why Promote
Breastfeeding in Diarrhoeal Disease Control Programmes?.
吉野 八重(よしの やえ)
Health Policy and Planning, 6:371-379, 1991.
1968 年生まれ.聖路加看護大学看護学部卒.
17) Haider, R., Islam, A., Hamadani, J., et al.:Breast-Feeding
Counselling in a Diarrhoeal Disease Hospital. WHO Bul-
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
ジェクト専門家(助産).
letin, 74:173-179, 1996.
18) Rooney, C.:Antenatal Care and Maternal Health : How
Effective Is It?, A Review of the Evidence, WHO, SMS,
92.4, 1992.
田口 やよい(たぐち やよい)
1949 年生まれ.上智大学外国語学部卒.同大博士課程
修了.横浜市女性協会,フォーラムよこはま情報グループ
のコーディネーターを経て,
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
40
乳児死亡率に影響を及ぼす要因
ジェクト専門家(WID).
〔著作・論文〕
北京会議とインターネット.女性施設ジャーナル,2 号,
学陽書房,1996.
Women's Online Media and Women's Internetwork Shuttle: A
Pioneering Project in Japan, Springer, 1997.
定森 徹(さだもり とおる)
1968 年生まれ.山梨大学工学部卒.CRI −チルドレン
ス・リソース・インターナショナル(NGO)のスタッフ
を経て,
現在,国際協力事業団ブラジル家族計画母子保健プロ
ジェクト調整員.
梅内 拓生(うめない たくせい)
1941 年生まれ.東北大学医学部卒.WHO 西太平洋地域
感染症対策部長,WHO ジュネーブ本部感染症対策次長を
経て,
現在,東京大学大学院国際保健計画学教室教授.
〔著作・論文〕
日本における B 型肝炎のサブタイプについて.Lancet,
2:498-499,1973.
世界における日本脳炎ウイルス感染の疫学とその対策.
WHO Bulletin,63:625-631,1985.
アジアとラテンアメリカにおける薬剤回転基金について.
Lancet,347:1698-1699,1996.
国際協力研究 Vol.15 No.2(通巻 30 号)1999.10
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