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Journal of Aesthetics and Art Criticism
ポピュラー音楽における Higher Level Ontology: リマスタリング、カヴァー、リミックス 日本学術振興会特別研究員 森功次(もり のりひで) [email protected] 1 自己紹介 • 森功次(もり のりひで) • 東大美学芸術学研究室出身(今井と は学部の同期) • もともとはサルトル研究をしていた ……というか今もしている。 (早くサルトルで博論を書かなければ……) • 修士課程では初期サルトルの想像 力論について、博士課程では中期 サルトルの道徳論の発展について 研究していた。 2 自己紹介 • 博士課程の中頃から分析美学に興味を持ち 出す。とりわけフィクション論とか。 • 現在は、日本学術振興会 特別研究員PD • 研究題目は「芸術作品における美的価値と 倫理的価値との相互作用:美的経験の構造 分析に基づいて」 • 音楽の存在論はそこまで専門ではありません。 3 自己紹介 • 今年の5月に、ロバートステッカー『分析美学 入門』(勁草書房)の翻訳を出しました。 • 日本で初の分析美学の本格的入門書(ただ入 門書にしては、ちょっとムズい) • 今回はおそらくこの本がきっかけになって、本 ワークショップにお呼ばれしました。 4 本日の発表構成 1. 音楽に関するいくつかの存在論 2. 増田と今井は何をやろうとしていたのか 3. 「録音物の音」と「録音された音」: 評価されるもの と志向的対象 4. リマスタリングの種類と、リマスタリング作品の評価 5. 各存在者間の諸関係: 近年の分析美学における カヴァー理論から見えてくるもの 6. 「作品」と《トラック》の間:リミックスやリマスタリング が保持する「作品」の同一性 5 1 音楽に関するいくつかの存在論 6 「分析美学における音楽の存在論」の (とても大ざっぱな)概説 • GoodmanやKivy、Wolterstorffらを中心に、音楽作 品の位置づけをめぐる議論が起こる – 唯名論(具体的対象の集合だよ)vsプラトニズム(抽象的存在者だよ) vs消去主義(本当は存在しないよ)vs観念論(頭の中だよ) ↓ • Jerrold Levinsonによる「指し示された構造 (indicated structure)」説 (音楽作品はタイプだけど創造 されるよ) ↓ • 体系的存在論を重視する形而上学者たちからの 反論(中心はプラトニズムのDodd)と、それへの再反論 (Howell)、さらに別の存在論的対象の提示(たとえば Rohrbaughは歴史的個物説を、Caplanらは演奏の融合体 fusion説を主張) 詳しくは『分析美学入門』の第六章を参照 7 2000年台後半における方法論的反省 • 2000年代は、存在論の理論的体系性と日常 的直観とでどう折り合いをつけるか、という問 題をめぐって様々な主張がなされたが、決定 的な解決は見いだせなかった。 • そうした混乱をうけて、2000年代後半から、方 法論的反省が出てくる。 8 Andrew Kania 「音楽の存在論にはいくつかの種類がある」 Fundamental Ontology – 理論的に整合的な存在論の構築が主目標 ↕ “Higher-Level” Ontology – 音楽実践に即すことが主目標。基本的に記述主義 (descriptivism)を採る。 Andrew Kania (2008) “The Methodology of Musical Ontology: Descriptivism and Its Implication” →Kaniaはこの論文で「記述主義かつ虚構 主義(Fictionalism)」という立場を提唱 9 Robert Stecker 「目的ごとに異なる存在論を採用すべき」 • どの存在論を採用するかは目的によって異なる。 • また、どのデータ、直観を採用・重視すべきかも、 目的によって異なる。 • 芸術作品は文化的対象なので、我々のそれに 対する思考が完全に誤っているということはない が、素朴な直観や実用的制約(Pragmatic Constraint) を重視しすぎるのも問題。 Robert Stecker. (2009) “Methodological Questions about the Ontology of Music” 10 (西洋クラシック)音楽の存在論に求 められてきた説明事項 • • • • • • • • • • • • 音楽作品は、ある時点に作曲者によって創造される。 音楽作品は、聴取可能である。 音楽作品は、ある時点にある場所で演奏される。 音楽作品は、異なる演奏によって繰り返し具現化される。 音楽作品は、誤った演奏を許容する。 音楽作品は、異なる記譜法で記述されうる。 音楽作品は、別様でもありえた。(様相的フレキシビリティ) 音楽作品は、批評の(主たる)対象となる。 音楽作品は、形而上学的存在論の一区画に存する。 音楽作品は、時間構造や部分をもつ。 音楽作品は、作者の死後も残り続ける。 一曲の演奏全体を聴くことで、作品全体を聴くことができる。 11 Doddが重視する説明事項 • • • • • • • • • • • • 音楽作品は、ある時点に作曲者によって創造される。 音楽作品は、聴取可能である。 音楽作品は、ある時点にある場所で演奏される。 音楽作品は、異なる演奏によって繰り返し具現化される。 音楽作品は、誤った演奏を許容する。 音楽作品は、異なる記譜法で記述されうる。 音楽作品は、別様でもありえた。(様相的フレキシビリティ) 音楽作品は、批評の(主たる)対象となる。 音楽作品は、形而上学的存在論の一区画に存する。 音楽作品は、時間構造や部分をもつ。 音楽作品は、作者の死後も残り続ける。 一曲の演奏全体を聴くことで、作品全体を聴くことができる。 12 Kaniaが重視する説明事項 • • • • • • • • • • • • 音楽作品は、ある時点に作曲者によって創造される。 音楽作品は、聴取可能である。 音楽作品は、ある時点にある場所で演奏される。 音楽作品は、異なる演奏によって繰り返し具現化される。 音楽作品は、誤った演奏を許容する。 音楽作品は、異なる記譜法で記述されうる。 音楽作品は、別様でもありえた。(様相的フレキシビリティ) 音楽作品は、批評の(主たる)対象となる。 音楽作品は、形而上学的存在論の一区画に存する。 音楽作品は、時間構造や部分をもつ。 音楽作品は、作者の死後も残り続ける。 一曲の演奏全体を聴くことで、作品全体を聴くことができる。 13 高段階の存在論 “Higher-Level” Ontologyの目的 高段階の存在論が説明するのは • ある実践を記述するためには、どのような存在 者が必要になるのか →同一性条件(何がそろえば同じと言えるのか)や存 在条件(何がそろえば存在することになるのか)の整備 • 各存在者たちはどのような関係にあるのか 当の音楽実践をあまり知らない人に役立つのはも ちろん、その実践をよく知っている者にとっても思 考がクリアになるような理論が望ましい(注1)。 14 2 増田と今井は 何をやろうとしていたのか 15 今井の目的 • 「我々はどのような対象について批評や判断を 行っているかを明らかにする」(p. 24) →《楽曲song》《演奏performance》《トラック》 • 主たる問いは「ポピュラー音楽の鑑賞において、 重視される対象は一体いかなる種類のものであ るのか?」(p. 24) – これは「作品とは何か?」という問いではない。 • 「ポピュラー音楽の鑑賞において重視される対 象の多様性を許容」したいというのが狙い(p. 24) 16 増田の目的 • 増田は、増田[2005]において「楽曲、およびレ コードに録音されたサウンド総体それぞれが「作 品とみなされる際の論理的構造」」を明らかにし た、と言う(p. 2)。 • 本稿は今井への反論を行いつつ、リマスタリン グ、リミックス作業について考察することで、自身 の「レコード音楽的作品」概念を洗練させること が狙い。(これは「今井の批判を受けて増田2005の立場を 保守するとともに、より理論的に進化させる作業」(p. 1)) 検討せねばならないのは、その「レコード音楽的作 品」が何のための概念なのか、という点。 17 3 「録音物の音」と「録音された音」 :評価されるものと志向的対象 18 谷口による区分 ① スピーカーをはじめとしたオーディオ装置で あり、そこから発せられて耳に届く音響 →時空間上の音響出来事として特定されるもの ② メディアに記録された音声データから構成さ れた形式 →タイプ。複製可能。 ③ 「そこから聞こえるもの」、例えば歌手やバン ドの存在であり、彼らのいる(はずの)空間 →観賞者(たち)が聴取をつうじて 虚構的に作り上げるもの 19 ③「録音されたもの」についての 今井の解釈 「レコーディングされた空間において、実際、あるい は想像的に鳴り響く音響現象」(p. 34) • これは「スタジオ空間において実際に鳴った音」 と「観賞者が想像する空間において鳴っている 虚構的音響」を両方含むような文面になっている。 • ③「録音されたもの」とは、録音物がrecordings of performances(典型例はクラシック音楽)であ れば前者を、recordings of compositions(初期 ロック)、もしくはrecording artifacts(テクノ)であ れば後者を指すだろう(注2)。 20 今井が③を《トラック》として認めない理由 • 今井が求めているのは「評価される対象」だから。 • 今井はここで、評価されるべきは「再現されてい るもの」ではなく、「再現するもの」であるという前 提をとっている(p. 37-8)。 – 価値があるのは、「絵画上に再現される女性」ではな く、絵画《モナ・リザ》 • これは、この「構築物」こそアーティストたちがつ くり上げたものであり、われわれもこの構築され た物を評価している、という考え方。 – この構築物は「(最終的に)しかじかの美的経験を与 えてくれる(基になる)」という道具的価値をもつ。 21 増田の批判① • 制作者がつくろうとしているのは、②「録音物 の音」ではなく、③「録音された音」ではない か(注3)。 – 『エリナ・リグビー』のリマスタリングで目指された のは③のレベルでの修復作業だ。 – 「リンゴの激しいドラミングで椅子が軋む音など、 生々しいドキュメント」を残すという判断は、アラ ン・ローズがその音をビートルズの「作品」に含ま れるものと見なした判断の故である(決して《ト ラック》に含まれると判断したためではない)。」 (増田p. 6) 22 増田の批判①について: 増田と今井の違い 今井が「評価されるもの」を目指したのに対し、増 田は「作品とは何か」というやや別の観点から、 「アーティストが志向していたもの」を持ってくる。 • 増田は「アーティストの創造性」を評価したがって いる模様(注4)。 • これに対し今井は、「提出された物」への評価を 重視している。 – おそらく今井は、評価は「作家がつくろうとした もの」ではなく、「最終的に提出されたもの」に 対して与えられるべきだ、という立場。 23 今井 増田 《モナ・リザ》 描かれた女性 録音物の音 録音された音 ※ただしあとで述べるように、増田の言う「録音さ れた音」の同一性条件については検討が必要 24 存在論において 志向性の概念を導入することの利点 • たんに(物理的)対象だけで考えるのではなく、 制作や聴取における、観賞者・制作者の(能 動的)働きを考えることができるようになる。 • 芸術作品が独立自存の対象ではなく、文化 に依存する対象であることを説明できる。 ロマン・インガルデン 25 志向性概念をもちだすさいに 注意すべきこと • ただし、志向性概念をもちだすさいには、その志向性 が向かっている先は何か、を考えることが重要。 • 〈志向的意識をもつ〉とは〈意識外の存在者へと向かう 意識をもつ〉こと。これは必ずしも〈自分にしか意識で きない対象を意識すること〉を意味するわけではない。 • 「各人の志向性が向かっている対象は実はバラバラ」 と考えると、役に立たない存在論になりかねない(注5)。 • 「作品」を、頭の中にある観念・妄想のようなものにし てしまうのは、あまり望ましくない。「われわれは同じ 対象を聴き、同じ作品について語っている」という実践 を諦めることになる。 26 存在論と志向性は両立する • 客観的対象を目指す今井の姿勢を受けて、増田 は、今井は志向性について考慮していないので はないか、と批判する(p. 3)。だが、志向性概念 を用いつつ客観的対象についての理論を考える ことは可能(インガルデン[2000] p. 128)。 • 今井の理論も(好意的に読んであげれば)、志向 性概念を含んでいるようにも読めなくはない? (今井はいくつかの箇所で《トラック》=データのようにも読め る微妙な書き方をしているが、いちおう、《トラック》の定義は 「《再生》によって例化される音構造タイプ」だった。) 【要確認】増田は「存在論はmind-dependentな対 象を扱えない」と考えている? 27 重要なのは同一性条件の整備 • (今井が志向性についてどれくらい考えてい たかどうかはともあれ)、重要なのは、志向的 対象の同一性基準を整備すること。 • 《トラック》を単なる物理的事物のようなものと して考える必要はない。《トラック》概念を志向 的対象のようなものとして洗練させることは可 能。じっさいKaniaらはそう考えているはず。 • むしろ近年の、人工物の存在論などの領域で は、「心的状態への依存」や「意図」を同一性 条件・存在条件に組み込むのが主流。 28 【参考として】 Amie Thomassonの存在論 • Thomassonは、芸術作品を依存(dependence)関 係によって説明する。 • 芸術作品の存在に必要なのは、時空的対象と (作者&類的観賞者の)心的状態 (cf. Thomasson [1999])。 • これは〈芸術作品は、作者がある対象を制作す ることによって存在し始め、その対象と観賞能力 をもつ類的存在者が存在し続ける限り存続す る〉という考え方。 ※Thomassonの存在論については 倉田[2012]が参考になる。 29 では「レコード音楽的作品」の 同一性条件は? • 増田自身は「レコード音楽的作品」を、「複数の エディションやヴァージョンの集合によって志向 的に示される対象」(p. 6)、「さまざまな別エディ ションの総体として志向的に示される」もの(p. 8) と説明している。 – 正直、ここはちょっとわからなかった。「作品」は一 回の聴取では正しく聴くことができない? – あとこの表現は、別エディションが出たら「作品」は 変化するかのようにも見える。それでいいのか?要 確認。 増田は「変化し続ける作品」を認めるのか? – だがこれを認めると、説明しにくい事象も出てくるの ではないか。 →リマスタリング評価の問題へ。 30 4 リマスタリングの種類と リマスタリング作品の評価 31 • 増田論文、今井論文で問題になっていたの は《エリナ・リグビー》や《ロング・バケイション》 《I Wanna Be Your Dog》などのリマスタリング が何をやっているのか、であった。 32 特定すべきはリマスタリングの種類 • リマスタリングにもいくつかの種類がある。 A) 既発オリジナル版の音響を再現しようとするもの。 B) 「当時の作家が演奏していた音響」を目指すもの。 • スタジオやコンサートの音の再現が目標。ノイズ消去など。 C) 「当時の作家が理想としていたであろう音響」を目 指すもの • ハイレゾリューション化もこれの一種? D) 現代人にとってより自然に聞こえるように、と音響を 再構築するもの(バランス調整など) E) (新たな創造的意図から音構造の諸関係を変更す るもの(音方位の再変更など))→リミックス ※吉田のUlysess論文が参考になる 33 リマスタリングAについて • Aの場合、「リマスター版CDを聴いてオリジナ ルの《トラック》を評価する」という聴取は容認 してもいいかもしれない(レコード原理主義者は容 認しないだろうが)。 • だがリマスター版が元のものとまったく同じ音 を再現するとしても、リマスター版には「オリジ ナルに忠実な音響が再現されている」という、 それ独自の評価が与えられる。 • これはオリジナル版には与えられない評価。 34 リマスタリングBについて • また、BやCに見て取れるのは「悪質な機材の せいで、アーティストの狙いを十分に汲み取 れていなかった」という芸術観。 – もっとも先に見たように、評価の対象となるのは 「つくろうとしたもの」ではなく「提出されたもの」だ、 という芸術観もあることは忘れてはならない。 • そして、「あの時代にこれだけ高音質が鳴る 録音物を提出した」という評価は、音の改訂 を経た「リマスター版」では失われる。 35 【補足】リマスタリングの諸目的 • 吉田の言うように、リマスタリング作業にまつわる各目 標はしばしば齟齬をきたす。 • 問題は、結局われわれは「リマスタリング作品」に何を 求めているのか、という点。 – より良い美的経験 – アーティストが抱いていた真の理想の具現化 – この提示物が行った芸術的達成の明示化 • 「つくろうとした音」と「提出された音」、どちらを重視す べきかは、何を作品とみなすか、またどのような作家 像を採用するか(誰をその作品の制作者とみなすか) の問題。 • また「良い音」とは何かも価値観によって様々。 36 さらに、リマスタリングは 新たな作品の創造にもなりうる • 目的次第(たとえば「よりよい美的経験の創造」な ど)では――とりわけ「創作性を発揮する者」がはっ きり異なる場合は――、あるリマスタリング作業は 「同じ作品の別ヴァージョン制作」というよりも「新た な作品の創造」と言われるべきかもしれない。 • 注意すべきは、ここでしばしば、本来は産業的共同 制作の産物である作品の「作者」をアーティストだけ に押し付けていたこと、の弊害が生まれること。 • 「ビートルズの作品を、後日エンジニアが創造する」 という言い方は、どこか奇妙。「ビートルズ名義のト ラックを、リマスター技師たちがリメイクする」はOK? 37 リマスタリングを説明できる存在論を 目指して • 音楽の存在論は、こうしたリマスター版へのさ まざまな評価をきちんと説明できる枠組みを つくる必要があるだろう。 【課題】 • また、似たような行為としてカヴァーやリミック スもある。 • ではそのために必要な存在者は何か? 次にカヴァーについて考えてみよう。 38 5 各存在者間の諸関係: 近年の分析美学におけるカヴァー理論 から見えてくるもの 39 ポピュラー音楽の「間テクスト性」 • 「作品」であれ、《楽曲》《トラック》であれ、それ らの間には、さまざまな関係がある。 – カヴァー関係、リマスター関係、フォーマット別の ヴァージョン関係(たとえばレコードとMP3の関係) な ど • 《トラック》と《楽曲》、ある《トラック》と別の《ト ラック》の関係性を理論化することは、存在論 の重要な仕事。 40 近年のカヴァー理論 • 近年の分析美学者たちは、《楽曲》と《トラッ ク》の関係を整備することで、複雑なカヴァー 実践を説明している。 • ここで参考にするのは、Cristyn Magnus, P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir (2013) “Judging Covers.” 41 Cristyn Magnus, P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir (2013) “Judging Covers.” • 彼らによれば、カヴァーには4種類ある。 1. 2. 3. 4. 模倣的カヴァー mimic cover 演出的カヴァー rendition cover 変形的カヴァー transformative cover 指示的カヴァー referential cover ※彼らの主眼は、存在論の構築よりも、カヴァーへの 評価evaluationを説明するための枠組みを提出するこ とにある。 42 Cristyn Magnus, P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir (2013) “Judging Covers.” 模倣的カヴァー Mimic Cover • 元の《トラック》の音響を模倣することが目標。 • Cover Band(日本でいう「コピーバンド」)は、この 目標の達成度合いで評価される。 例)Dark Star OrchestraのGrateful Deadカヴァー 演出的カヴァー Rendition Cover • 先立つ誰かの《楽曲》をカヴァーすること。 • 先立つ《トラック》との差異も、評価の対象となる。 例)CardigansのBlack Sabbath “Iron Man”カヴァー 43 Cristyn Magnus, P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir (2013) “Judging Covers.” 変形的カヴァー Transformative Cover • 元の《楽曲》から派生する別の《楽曲》を例化す る。→この場合、カヴァーの対象は同じ《楽曲》ではない。 • 歌詞の変更や削除を許容。 例)Aretha FranklinによるOtis Redding “Respect”カヴァー 指示的カヴァー Referential Cover • 派生的《楽曲》を例化し、さらにその《楽曲》が元 の《曲》や《トラック》についてのものである場合。 例)MeatmenによるThe Smiths “How soon is now”のカヴァー 44 45 Cristyn Magnus, P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir (2013) “Judging Covers.” • Magnusらは《楽曲》《トラック》や「歌手の意図」と いった概念を用いながら、カヴァー実践を適切に 評価できる枠組みを提出している。 • Magnusらの理論では「ふたつの《トラック》が例 化する《楽曲》が、いつ同じ《楽曲》で、いつ《派生 的》になるのか」については曖昧さを残している ものの、「これは体系的な存在論を構築しようと いう試みではなく、評価実践を説明しようとする 試み」と断ることで、有益な説明を提出している。 46 明確化されるべきは 何を説明するための理論か、である • 結局、どこまで細かい概念を用意すべきかは、何の ための理論を求めるかによる。批評? 著作権問題? • 仮に、増田のいう「作品」と〔トラック〕概念だけで、著作 権問題を説明することができるだろうか?と考えると、 すぐさま2つのことが指摘できる。 1. トラックの同一性条件に意図を含める必要がある。 (別作者が作る同一構造トラックは、別のトラックと考えたい) 2. 増田の言う「作者」とは別に、「トラック制作者」を用意 する必要がある。(アーティストは必ずしもトラック制作者 ではない。ただし、どれくらい細かい同一性条件を用意する かは、何を説明するかによる。) 47 増田論文はリマスタリングやリミックス を説明しようとしていたはず • だがこうした批判が適切かどうかは、そもそも増 田論文が何を説明しようとしていたのか、による。 • 増田論文の目的のひとつは、「リマスタリングや リミックス作業のなかで、一貫して保持されてい る『作品』」の位置づけを説明すること、だった。 • おそらくこの位置づけは、今井が何も述べていな いし、そのままでは説明しづらいところ。 • 最後に、この部分を整備することで、よりよいポ ピュラー音楽の理論を目指すことにしよう。 48 6 「作品」と《トラック》の間: リミックスやリマスタリングが保持する 「作品」の同一性 49 増田の批判②(p. 5) • 大瀧詠一『ロング・バケイション』CDは、はじめ の版とリマスター版で別の評価を受ける。 • だが、今井はこれを同じ《トラック》にしてしま う(と増田は言う)。 • 同じ《トラック》が、別の評価を受けるのであれ ば、それは問題だ。 この批判はもっとも 50 増田の批判②について • 今井は、リマスター行為は「別《トラック》」もしくは「同 じ《トラック》の別エディション」を生み出すと言うべき だった。 • 少なくとも大瀧詠一のリマスター版は、「不満が残る 音質を向上させよう」という狙いから新たに作られた ものであり、そこに創造的意図を認めてもいいかも しれない(注6)。 – 各CDの音響効果はもちろん異なるだろうし、評価も異なる だろう。 • 今井は、《トラック》がいつ同じで、いつ異なるのか、 という条件を(目的にそぐう形で)もう少し整備すべき だった。 51 増田の反論③(p. 8) • 今井の理論だと、 “Goodbye to Love”の二つ のヴァージョンはそれぞれ「異なる《トラック》 タイプによる異なるトークン」となる(増田p. 8) (注7)。 • だがこれは「異なるエンド・プロダクト」を作る 試みというよりは「同じ作品の改訂」として理 解すべきだろう。 • 「同じ作品の改訂」という事態を説明できない 今井の理論には問題がある。 52 増田が追い求める 「同じ作品」という考え方 • 増田が「改訂版も同じ作品だ」と言うように、リ マスター作品や、リミックス作品には、通底す る「何らかの共通性」がある。 • 確かにこの共通性には、なんらかの説明が 欲しい。 • そしてこの共通性には、たんなる《楽曲》の同 一性よりも、厚い条件規定がなされなければ ならない(《楽曲》の同一性は、別の者によるカ ヴァーでも保たれるから)。 53 加えてさらに説明されるべきこと さらにいえば 1. リマスター、リミックス、カヴァーが、どれも別の トラックを生み出す作業でありながら、 2. それぞれは別種の行為であり、 3. ときに「同じ作品」を生み出し、ときに「別の作 品」を生み出す。 という点を説明することが望ましい。 さて、どういった枠組みが必要だろうか? カヴァーについては、先に見たので、 リミックスについて考えてみよう。 54 増田のいう事態を 《トラック》を使って説明できないか • リチャードの行為は、いくつかの共通する音源を使 用しつつ、既存の《トラック》の欠陥を補うことを目的 として、同じ《楽曲》の新たな《トラック》をつくる行為、 といった仕方で説明できるかもしれない(注8)。 • 重要なのは、ある《トラック》は、先立つオリジナル《ト ラック》と、性質・関係(「タイトル」「意図」「クレジット される作者」「ある程度の音構造」など)を共有でき る、という点。 • この「関係の共有」によって、先の3の「同一性」を説 明できる。各《トラック》はまったく無関係になるわけ ではない。 55 リミックス作業は変形型の新たな制作 として理解すべき • むしろこのように考えることで、作品を「新しい 版が制作されることで変化するもの」として考 えずに済む。 • じっさい録音作品の場合、リミックス版が新た に制作されても元の版は残り続けるのだから、 リミックス制作作業は、存在論的には、絵画 の修復よりも、鋳造彫刻の変形型制作に近 い。 56 リミックスの各バージョンを「同じ作品」 として取りまとめていたのは何か • われわれは、各ヴァージョンのうち、何らかの要 素(作者の意図、タイトルの同一性など)を共有してい るものを「同じ作品」と呼んでいる(「真正な作品」 の決定とはそこからさらに一部を選び出す作業)。 • 「作品の同一性条件」を、その諸ヴァージョンを いかなる要素が取りまとめているのか、という点 から定めるのであれば、新しい版がつくられても 「作品」は変化せずにとどまりうる(もちろんどの要 素を選ぶかは、時代や文化、慣習によって異なりうる。)。 57 真正性と作品概念 • この枠組で、真正性はどのように説明できる か。 • 「真正な作品」の決定とは、同じ作品に属する 数あるヴァージョンの中から、特定の価値観 によって(一つもしくは複数の)バージョンを選び出 すことだ、と言える。 58 真正性と作品概念 • もし真正な《トラック》が一つの版に絞れるのであ れば、作品とは「提出されたもの」だ、という考え 方も保持できる。この場合、真正性の構図によっ て変化するのは「何が作品であるか」というより も、「どのトラックが作品であるか」だということに なる。 • 「真正な作品」という対象を、複数の作品から抽 象的につくり上げるケースについては、別途考 察が必要(しかしこれは作品ごとに異なる作業である ので、存在論というよりは歴史家の仕事?)。 59 【補足的質問】 増田の〔トラック〕概念のポイントは? • 増田は〔トラック〕の同一性条件を音響だけで規定する • だがこれだと、異なる作者が同一音響の別トラックを つくる、というケースが説明しづらい。 • また、同じ作者が同一構造のトラックを別作品として 提出する、というコンセプチュアルな作品もありえない わけではない。 • こうしたデメリットがあるにも関わらず、増田はなぜ〔ト ラック〕の規定条件から、「意図」や「来歴」を切り離し たのか? • むしろ今井の《トラック》概念の不備を補うためには、 同一性条件の規定を増やすべきなのでは?【検討課 題】 60 まとめ • 重要なのは、何を説明するための理論かをはっ きりさせること。 • そして、目的に沿うかたちで必要な存在者を用 意し、各存在者の同一性条件と、存在者間の関 係を整備すること。 • 今井、増田の両者の不備を補いあうことで、リ ミックスやリマスタリングを説明する、よりよい理 論を作ることができるだろう。 • この存在論的考察は、作品の意味・内容解釈に 必ずしも直結するわけではないが、価値づけ実 践をうまく説明できる枠組みを提出できる (存在論 的考察の意義については、Kania[2008]が参考になる)。 61 References • • • • • • • • • • • • Ben Caplan and Carl Matheson. 2006. “Defending Musical Perdurantism” British Journal of Aesthetics 46: 59-69. –––––. 2011. “Ontology”in A. 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Cambridge University Press. –––––. 2005. “The Ontology of Art and Knowledge in Aesthetics” Journal of Aesthetics and Art Criticism 63: 221-230. –––––. 2006. “Dabates about the Ontology of Art: What are We Doing Here?” Philosophy Compass 1: 245-255. –––––. 2010. “Ontological Innovation in Art” Journal of Aesthetics and Art Criticism 68: 119-130. 63 • • • • • • • • • • ロマン・インガルデン『音楽作品とその同一性の問題』安川昱訳、関西大学出版 部、2000年. ジャック・ナティエ『音楽記号学』足立美比古訳、春秋社、新装版、2005.今井晋. 2011. 「ポピュラー音楽の存在論――《トラック》、《楽曲》、《演奏》」『ポピュラー音 楽研究』15:23-42. 倉田剛. 2012. 「芸術作品の存在論―分析的形而上学の立場から」西日本哲学 会編『哲学の挑戦』春風社. 佐々木健一. 1985. 『作品の哲学』東京大学出版会. 谷口文和. 2010. 「レコード作品がもたらす空間――音のメディア表現論」『RATIO SPECIAL ISSUE 思想としての音楽』講談社: 240-265. 田邉健太郎. 2012. 「ジュリアン・ドッドの音楽作品の存在論を再検討する : 聴取 可能性の問題を中心に」『Core ethics コア・エシックス』8: 267-278. –––––. 2013. 「「指し示されたタイプ」的存在者としての音楽作品――ジェラルド・ レヴィンソンの音楽作品の存在論に関する一考察」『美学』242: 71-82. 増田聡. 2005. 『その音楽の〈作者〉とは誰か――リミックス・産業・著作権』みすず 書房. –––––. (unpublished). 「われわれは「存在しないもの」を聴いている――今井晋 「ポピュラー音楽の存在論――《トラック》、《楽曲》、《演奏》 」への応答」. 吉田寛. 2010. 「われわれは何を買わされているのか――新リマスターCDから考 えるビートルズの「オーセンティシティ」」『Ulysess』2010年冬号: 100-103. 64 注1 音楽の存在論のもつ意義についてはKania[2008] が行っているRidleyへの反論が参考になる。また、 Thomasson[2006]も(Higher Level Ontologyという語 は使わないものの)、同一性・持続条件の明確化 が存在論の重要な仕事であると主張する。 注2 ただしここで、谷口の説では「空間」だったものが 「(現実のもしくは虚構上の)音」へとすり替わって いる点には注意が必要かもしれない。谷口の主眼 は(おそらく)、聴取経験についての反省的考察 をつうじて「聴取対象の性格」を考えることであっ て、存在論の構築ではなかったのではないか? 65 注3 増田はこれに付け加える形で「《トラック》は作 品ではない」という主張を行なうが、今井にとっ て「作品とは何か」は議論の対象外であったこ とには、注意が必要である。増田は論文の結論 部でも、「今井の「作品概念よりも《トラック》が観 賞における重要な対象になっている」という主 張を聞き流し」(p. 9)、と言っているが、そもそも 今井はそんな主張はしていないのではないか。 66 注4 この増田のアーティスト観は、「改作の権利を持 つのは原作者だけ」(佐々木[1985]p. 265-276)と いった芸術観に近しいように思われる。だがこうし た芸術観がポピュラー音楽実践(ひいては産業文 化的制作物一般)を説明するのに適切かどうかは、 別途検討が必要だろう。そこで言われる「アーティ スト」「原作者」とは誰か?(ここで多くの者は、増田 の著作のタイトルが『その音楽の〈作者〉とは誰 か?』であったことを思い出すことだろう。増田の言 う「レコード音楽的作品」の作者とはいったい誰な のか?) 67 注5 増田はリマスタリングについて、「それを実行する人によっ て最終的な音響的結果が異なるという事実は、リマスタリン グにおいてエンジニアが保持しようと意図する対象(増田 2005がレコード音楽的作品と呼ぶもの)が志向的な存在であ り、客観的な形式(②録音物の音)として示すことが困難であ る事実を意味している」(p. 6)と言う。(ちなみに当該箇所の次 の文は日本語がややおかしいが、その文でも「何が「録音さ れた音」の本質であるとみなすかは個々人の置かれた文脈 によって異なる」と増田は言っている。) こうした記述を見るかぎり、増田は、作品の同一性条件を 確保しようとしていないようにも見える(増田は、作品につい て、ある種の構成主義に立つのだろうか? 【要確認】)。すく なくとも増田は、今井の目標を無視して、別の目標を立てて いる。この増田の「作品」概念が何を説明できて、何を説明で きないかは、検討する必要があるだろう。その答えによって は、もしかしたらその増田の目標は、今井の理論の改定に よっても達成できることが判明するかもしれない。 68 注6 《I Wanna Be Your Dog》については扱いが難しい。 オリジナルLP版と完全に同一の響きを目指すリマ スタリングを、「同一《トラック》の別ヴァージョン制 作」と言うべきか、「新たな《トラック》制作」と言うべ きかどうかは、結局のところ、《トラック》の定義の 問題である。ただし、あとで述べるように、〈リマスタ リングによって、別の対象が生み出されながらも、 その各対象間には何らかの共通性がある〉という 事態は説明できるようにしておきたい。 そこから以下、どこまで細かい区分を設けるかは、 説明しようとする音楽実践が何なのかによる。音に うるさいレコードマニアの聴取を説明するためには、 別ロット盤を別《トラック》と見なすことが求められる かもしれない。 69 注7 ただし、増田が「レコード音楽的作品」ということで、どのような 事態を説明しようとしていたかについては、再度確認する必要 がある。 (じつのところ、増田の主張は、肝心の定義の記述 (「増田のいう「レコード音楽的作品」とは、このリチャードの発言 にある「ぼくの頭のなかに完成したイメージ」が、録音物によっ て聴くことができる具体的な音響によって志向的に示されたも のとして再定義されよう」(p. 9))が複雑な日本語になっている ため、よくわからない。この記述は一見、(多くの論者が拒否し た)観念論のようにも読めかねないが、まさか増田がそのような 立場を採ることはないだろう。) 志向性概念を持ち出し、作者と観賞者の志向性によって作品 の位置を定めるあたりからすると、増田の「作品」概念はインガ ルデンのそれに近いようにも思われる。だがその一方で増田は、 ジャック・ナティエの「中立レベル」を持ち出しながら、「レコード 音楽的作品」はナティエの「中立レベル」に位置する、とも言う (ナティエ自身は「中立レベルは作品ではない」と主張していた 70 のだが)。本発表では、インガルデン解釈にも、ナティエ解釈に も踏み込まないが、議論のために別途引用集を配布する。 いずれにせよ確認すべきは、増田が、論文註5で述べている ような「創出・感受の変化による作品の変化」をどのようなレベ ルで考えていたのか、である。この「作品の変化」とは、具体的 にどのような変化なのか? 何が保たれつつ、何が変化すること なのか? 作品は観賞態度ごとに変化するものなのか? 内容 解釈や評価の変化は作品を変化させるのか? これらの問いへの回答次第では、増田の理論は一種の(ナ ティエが避けようとしていたはずの)構成主義に近いものとなる だろうし、そうなると作品の同定条件を整備するのは難しくなる かもしれない。(構成主義が抱える問題、いわゆる「構成主義の ジレンマ」についてはロバート・ステッカー『分析美学入門』第6 章第2節がおおまかな説明を与えてくれる。さらに興味がある方 は、Stecker [1997]を見て欲しい。) 71 注8 既存《トラック》と同一音響を目指す作業については、リ マスタリングの一種として説明したほうがいいかもしれな いが、「元《トラック》とは別の音源を使用しながら元《ト ラック》と同一の音響を目指す」という特殊ケースは説明 できるようにしておきたい。別アーティストがこの作業を やるケースについては、先に見たMimetic Coverのような 行為として説明できるが、作者が同じであれば、その行 為はやや特殊な行為ということになるだろう。われわれ はそのような行為を「カヴァー」とは呼ばない。 同一作者者が、ヴォーカルなどの重要な要素を録り直 して《トラック》を作りなおす作業は、リミックスというよりも、 セルフ・カヴァーと呼ばれるかもしれないが、じつのとこ ろ、リミックスとセルフ・カヴァーとの間に原理的区分を設 けるのは難しいように思われる。とはいえこの場合でも、 同一音響を目指す行為は、ふつうセルフ・カヴァーとは 呼ばないだろう。 72