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「消費者政策のための需要側の経済学」円卓会議の報告書

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「消費者政策のための需要側の経済学」円卓会議の報告書
「消費者政策のための需要側の経済学」円卓会議の報告書
(OECD 産業科学技術局
概要仮訳
消費者政策委員会(CCP))
内閣府国民生活局消費者企画課国際室
要点
2005 年 10 月、OECD 消費者政策委員会(CCP)は、消費者政策への可能な含意を探求
する目的で、行動経済学を含む経済的研究の発展の輪郭を浮かびあがらせ、議論するため
に、加盟国から多くの学者と政府職員を円卓会議に集めた。その会合は、試行的なもので、
表明された見解は、必ずしも加盟国政府の見解を表すものではなく、何か特別な政策に関
して同委員会を拘束しようとするものではなかった。
この円卓会議は、第一に、行動経済学の洞察に焦点を当てた。加盟国の消費者保護当局
への他の経済分野からの貢献を吟味するために、更なる作業が CCP によって実行されうる。
特に、CCP は、如何にして、これらの多様な分野からの洞察が、更なる分析を提供するこ
と に 繋 が り 、 ま た 、 市 場 に お け る 消 費 者 の 保 護 及 び 自 立 力 強 化 ( protection and
empowerment of consumers)に関する重要な政策意思決定を決定し、実施するために精緻
になりうるかを探求することが可能であろう。
円卓会議における様々な発表と議論から提起された要点は次のとおり。
・需要側、特に消費者の行動は、市場の効率性に関する重要な指標である。
市場が効率的に機能するためには、競争的な供給側の構造が必要であると従来から
認識されている。供給者と消費者の相互作用から生じる、効率的な市場の結果にとっ
ては、需要側にも注意を払う必要がある。
・ 従来の経済学は、消費者の情報の量又は質の欠如の結果として市場の失敗があるとみ
なしていた。
主流又は従来の経済学の思想は、十分な情報を持った消費者は、市場取引において、
自分たちの最良の選択を合理的に計算すると考えている。しかし、主流又は従来の経
済学は、構造的に効率的な市場において、消費者の損害に繋がる失敗が生じることを
認識している。供給者の行動に起因する消費者の損害は別にして、その例は、意味の
ある価格情報の欠如、提供される商品及びサービスの質に関する情報の欠如、競争製
品の比較をすることの困難性である。公共政策は、消費者の情報の欠如又は誤解を惹
起する情報から生じるこれらの失敗に一般的に関心を持ってきた。かくして、虚偽の
主張や故意に誤解を惹起する情報を禁止し、また、例えば、情報開示、補償提供、解
約期間を要求する、問題に関係した特定の情報を規制するために、法令が採択されて
きた。
・行動経済学は、これらの失敗のほかの理由を示唆している。
過去30年間以上も、消費者行動からより多くのことが学ばれてきた。研究室にお
ける実験を用いる行動経済学の分野における研究と市場における様々な研究が、消費
者は、経済学が「合理的な」行動と分類するようなものから系統的な乖離を呈してい
ることを明らかにしてきた。
行動経済学は、情報の失敗から生じる市場の失敗だけでなく、消費者行動における
恒常的な偏向から生じる失敗を発見している。例えば、十分な情報を持っているとき
でも、消費者は、自分たちの利益になる情報を理解したり、利用したりすることがで
きない可能性がある。それゆえ、消費者が、自分たちが最良の利益に適う決定を採択
することに役立つように、異なる政策又は規制が必要になる可能性がある。
1
・行動経済学は、公共政策のための新しいアイデアを提供する可能性がある。
行動経済学は、市場が効率的に機能することを確保するために、市場の介入の代替
的又は修正されたメカニズムのための新しい洞察を提供する可能性がある。加盟国に
よっては、行動経済学に基づいて既に介入措置が採られた国もある。しかしながら、
幾つかの分野(例えば、一定の金融市場)では、相当の研究が行われてきたにも関わ
らず、より広範な政策的取組が行われる前に、より特別な証拠基盤が確認される必要
が依然としてある。
・CCP(消費者政策委員会)は、政策の発展に更に取組む。
この文脈において、CCP は、需要側の市場を分析するためのより着実な手法を開発
し始めることを追及している。この取組は、需要側の経済学及び消費者損害の分野で
最近行われている他の先行的な多くのプロジェクトに沿っている。その目的は、介入
が必要かどうか、また、いつ必要か、介入の最も効果的な形態、消費者の自立力強化
と消費者保護のためのメカニズムの費用便益を決めるのに役立とうとすることである。
円卓会議は、この方向での重要な第一歩を踏み出した。
プログラムの概要
第1部 消費者の視点で市場をみると:需要側の経済学
○ 新古典派経済学からの洞察と政策形成のための実際の適用
ムルホランド氏(Dr.Joe Mulholland、経済学者、米国連邦取引委員会(FTC))
○ 行動経済学からの洞察と政策形成のための実際の適用
シャフィール教授(Prof.Eldar Shafir、心理学、プリンストン大学)
○ 洞察の結合:消費者リスクの理解(障害の構築)
スミス氏(Ms.Rhonda Smith、経済学者、メルボルン大学)
(メルボルン経営大学院 Joshua Gans 氏、豪国競争・消費者委員会 Stephen King 氏
との共同ペーパーの発表)
○ 啓発効果は、父権主義(paternalism)を必要とするか。日本の法的運用からの考察
濱田宏一教授(経済学者、イェール大学)
第2部 政策と慣行
○ 突きつけられた現実(選択の問題)
ワダム教授(Prof.Catherine Waddams、英国競争委員会、東アングリア大学競争政
策センター)
○事例説明(実地の経験についてー市場における介入又は提案される介入)
1.エネルギー
アシャー氏(Mr.Allan Asher、英国エネルギー監視機構)
2.電気通信
コヂシャ氏(Mr.Alipio Codinha、経済学者、ポルトガル規制市場・国庫補助局)
3.健康
ビールス助教授(Mr.Howard Beales、米国ジョージワシントン大学)
4.退職後の貯蓄
マクファーソン氏(Ms.Liz McPherson、ニュージーランド経済開発省、消費者省)
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はじめに
OECD消費者政策委員会(CCP)は、市場の効率的な運営を促進するにあたり、
消費者が重要な役割を担っているということを認識している。消費者の選択を通じて、
消費者は、事業者が競争し、革新することを促している。消費者を引き付けるため、事
業者は価格を下げ、商品及びサービスの質や量を改善する。
市場における消費者の行動を通じて、消費者は、事業者の生産性の改善のために実質
的な貢献をしている。消費者の選好に絶えず反応する必要性によって、事業者が、市場
占有の維持を可能とする生産性の進歩や効率性の向上を追及するように動機付けられる。
要するに、生産性の向上は、経済成長、雇用機会及び実質家計収入の上昇を生み出す。
しかしながら、政策担当者は、消費者の行動が市場の成果を形成する方法よりも、市場
の構造に焦点を当てる傾向にあった。彼らは、市場における消費者行動の経験に基づく
証拠をほとんど収集していない。(企業は、市場調査を通じて、政策担当者よりはるかに
優れた調査基礎を有している。)
この基礎となる証拠を構築し始めるために、2005 年 10 月 24 日に、CCPは、伝統的
経済学及び行動経済学の洞察を導き出す消費者政策に関する需要側の経済学円卓会議を
主催した。委員会は、市場における需要側の経済学者の研究を、更に消費者政策に貢献
できる可能性がある範囲内で、探求する。
伝統的な経済学は、(概して)合理的な行動の仮定を出発点とし、とりわけ、消費者に
おける情報の影響に関する問題を探求する。より具体的に言うと、探索費用及び切換費
用(search and switching costs)並びに情報の非対称性のような取引費用の消費者への影
響は、興味深い問題である。一方で、行動経済学は、合理的な消費者行動の集合という
標準的な仮定を超えていく。この理論は、消費者がどのように市場の決定を扱うかを説
明する際に、重要となる消費者行動に偏向があるということを示している。行動経済学
者 に よ っ て 確 認 さ れ た そ の 偏 向 は 、 小 さ な 蓋 然 性 の 誤 解 (misunderstanding small
probabilities),擬似的な確かさ(pseudo-certainty)、双曲的割引(hyperbolic discounting)、
過信(overconfidence)、初期設定による(default)偏向、意思決定の衝突(overwhelming
choice)等を含む。消費者行動に関する実験や他の調査で明らかにされた行動は、結果が、
特に、公的な政策決定に影響を及ぼす性質をもつ市場効果に変換されるかどうかといっ
た、いくつかの興味深い疑問を生じさせている。
円卓会議においては、CCPに対し発表を行うために、加盟国の学者及び政府職員を
含む、様々な背景から 9 人の発表者が招かれた。最初の4つの発表は、一般的な経済理
論や研究の成果を扱い、他の5つの発表は主に事例研究だった。各発表の最後に、短い
議論の部が設けられた。
この報告書は、円卓会議での整理された議論の概要を提供する。それは、OECDの
コンサルタントである、イアン・マクアーレイ(Ian McAuley)によって、事務局からの
貢献とともに作成された。
この報告の第1部は、円卓会議の主題を概観している。円卓会議における議論の間に
示された全ての意見の忠実な概要を発表することを意図していない。むしろ、それは、
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委員会での円卓会議自体と同様に、発表者の書面文書や、委員会の前に開かれた、発表
者と招待された出席者の間での非公式に行われた事前の議論を基礎としている。第2部
は、各発表者の発表の概要を含む。第 1 部の3発表者からの書面文書は、付属書 III に添
付してある。
概観
市場の供給と需要
競争は、供給と需要の相互作用を取り込んでいる。競争政策は、供給側の市場構造に
主に関心を有しており、参入における不必要な障害が無く、市場集中が経済的な損失又
は消費者から製品への不合理な移転に繋がらず、詐欺、誤解を惹起する行動及び供給者
の談合に対する効果的な法的制裁があることを確保している。加盟国における様々な政
策手段は、市場における健全な構造を達成するために利用されている。
しかしながら、市場が供給側にとっては健全な構造になっていても、消費者にとって
は依然として逆の結果となり、したがって、資源の浪費がおこりうる。情報を入手する
場合の障害および消費者行動の一定の類型は、いくつかの潜在的には利益となる取引が
起こらないこと(「死重的損失」)、取引費用という過度の負担(代替的な供給者を探索し、
それに切換る費用)及び価格の硬直に結びついており、これらは全て消費者にとっては
損失である。要すれば、潜在的な競争の利益は、完全には実現されていない。
競争を活性化するのは、消費者の行動であり、しかも、行動は、公共政策によってあ
る意味形成されうる。したがって、公共政策は、消費者が十分に情報を与えられるとい
う基本条件を確保するために、供給側の市場だけでなく、需要側にも関心を持っている。
しかしながら、情報提供は、競争を活性化するために必要であるものの、それ自体では
十分ではないかもしれない。十分に情報を持った消費者でさえも、選好を満足させる決
定から離れてしまう恒常的な行動類型を呈している。CCP は、これらの乖離に公共政策
が焦点を当てるべき程度についての核となる疑問を吟味した。
円卓会議の発言者は、これらの需要側の問題と公共政策への意味付けに関心があった。
このような短い会議では、特定の政策介入を提案しようとしても、不適切であったろう。
実際、このような会議では予想されることだが、構造的に健全な市場における消費者の
損失の程度、したがって、その損失に焦点を当てるために設計されうる政策介入の必要
性についての完全な合意には至らなかった。
消費者の合理性
「従来型経済学」として言及されうる主流派経済学は、供給者と消費者の側の「合理
的な」行動という概念に立脚している。市場の結果のモデル化のために、市場における
あらゆる意志決定者は、自己利益を合理的に追求すると仮定されている。これらの決定
者は、既に決めた要求と選好にしたがって市場に近づき、あらゆる選択肢を総合的に研
究し、これら選択肢の費用便益を比較して、自分たちの利益を最大化する決定を行う。
このモデルの改良版として、意思決定者は、包括的な調査を行わないということが認識
されている。つまり、「限定合理性」の理論は、意思決定者は、探索費用が探索から生じ
る利得を上回る点で探索を打ち切り、探索過程をより効率的に行う方法を追求するとい
うことを提示している。個々の企業や人々がそのような行動から乖離しても、合理性が、
市場の結果全体を描くための強力な予見能力を一応提供するのはもっともである。これ
は、市場における合理的な行動者が、効率的な資源配分及び最大の消費者利益をもたら
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そうとすることを示唆するものではなく、他の諸条件を満たすことが必要であり、最も
重要な条件は、市場が構造的に競争的である、言い換えれば「健全である」ということ
である。
構造的な健全性―必要ではあるが、しかし、十分ではない
一般に、発表者は、供給側における構造的要素は達成されてきている。つまり、議論
している市場は、競争者を参入させるための開放性、談合の不存在、詐欺行為の不存在
などの点において構造的に健全であると想定していた。これは、合併や企業買収の規制、
独占禁止法令、談合防止、欺瞞的行為の禁止のような競争政策手段の王国である。この
ような手段は、加盟国では一般に良好に整備されており、これらの手段は、企業行動に
関係するので、「合理的な」行動という経済学者の概念、すなわち、企業行動は、利潤と
いう明確な動機、ある場合には成長や市場占有という他の目標によって動かされている
という概念に合致しがちである。
しかしながら、供給側に構造的な健全性がある場合でも、消費者の損失は起こりうる。
競争的な供給側を確保する政策は必要であるが、消費者の損失をなくすことを確保する
上では十分ではない。
消費者の損失とそれが個人に齎す費用
消費者の損失は、いくつかの形態をとりうる。時には、消費者の利益を適切に考慮し
損なっている、又は現行の関心の観点で評価されていない規制から生じることもある。
消費者の損失は、事業者又は他の消費者の意図的な不法行為から生じることもある。発
表者は、これらの問題を全般に認識していたが、情報の経済及び消費者行動により焦点
を当てていた。
消費者損失は、供給者の損害に関連することもある。つまり、消費者と供給者の両方
に得になりうる取引が全く起こらない場合がある。いくつかの理由から、消費者は、市
場から遠ざかったり、供給者と消費者との意思疎通の問題のために、次善の商品又はサ
ービスで満足せざるをえないということになる。
これは、有名な「レモンズ」の問題である。すなわち、供給者が、その製品の質を消
費者に納得させることができない場合に、高品質の製品は、低価格で低品質の製品の出
現によって市場から駆逐されるというものである。最も容易に思いつく例は、中古車の
例である。つまり、低品質の中古車が、良い品質の中古車を市場から追い出すというも
のである。そのような性質を持った市場が他にもたくさんあり、「信頼」商品の場合に一
般に見られる。これらは、頻度の少ない購買に属する商品であり、購買前に、また、購
買後でさえも、品質を消費者が判断することは困難なことがある。これらの例には、保
険、貯蓄商品などの金融サービス及び家屋修繕が含まれる。
このような、非対称的な情報の場合には、供給者が潜在的な消費者を誤認させるかも
しれないという実際の可能性は、良質の製品を購入しようとする消費者だけでなく、良
質の製品を販売しようとする供給者にとっても損失である。経済学者の言葉では、この
ような損失は、「死重的損失」の1形態である。供給者が消費者の懐疑を克服するために
相当割引をせざるをえなくなれば、消費者に利益が生じるが、取引が成立しなければ、
消費者も供給者も不利になり、消費者又は供給者の損失は、いずれの相手側にも得には
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ならない。
消費者が情報を利用できるが、しかし、情報を得、解釈する費用が、別の供給者を探
索し続け、又はそれに切換ることによって得られると思われる利益よりも大きいという
場合もある。これは、「限定合理性」の状況であり、つまり、合理的な意思決定者は、探
索し、切換る費用の総額を、より低価格の、または、より満足できる製品を探索し続け
ることの予想利益と比較する。市場によっては、探索するための少額費用からでも生じ
る硬直性が、市場価格における歪みの拡大に結びつき、独占価格が市場に蔓延しがちに
なることもある。
多くの場合には、消費者は、探索し、切換ることから得られる潜在的な利益を過小評
価する。ブランド志向がそういう場合であり、競争者が、ある特定の供給者への消費者
の志向を放棄させるために、相当の価格割引を行うことがある。(もともとの消費者の決
定は合理的であったかもしれないが、低価格の評判を持つ供給者は、消費者の志向を維
持するためにその評判を利用するかもしれない)。発表者は、消費者の相当の惰性が一般
に消費者の損失に繋がった、エネルギー供給者からの証拠を発表した。消費者が比較情
報を利用できる場合でも、この惰性は、計算の困難性、つまり、探索費用が高いという
思い、または、人々の現在の供給者への信頼(誤っていることもある)によって説明さ
れうる。
消費者取引において、情報は、その市場形成機能を、頻繁に繰り返し購買される低価
格商品の取引において極めて容易に発揮する。そのような取引は、損な購買の結果であ
ることは少ない。商品の衣服及び玩具(安全であるとして)という単純な品目は、この
商品の範疇に容易に当てはまる。このような商品のために、「合理的な」行動という経済
学者の仮定が、強力な予見能力を一応提供する。
不十分な情報の結果は、様々な病気に対する保護を唱える健康製品のように、高い価
値があり、頻繁には購買されない商品にとって、極めて厳しい。時には、退職年金商品
のように、購入と消費者がその価値を経験する時期が長期間ずれている。
消費者が実質的な困難を継続的に経験してきた他の目立つ分野は、製品が急速な技術
の変化を受けている分野や、技術に根ざした新製品が消費者市場に出てくる分野である。
その例は、高規格 PC、デジタルカメラ、印刷機器、太陽電気システムである。このよう
な場合には、製品の目新しさと技術革新の速さのために、消費者が探索行動を最適化す
ることは極めて難しい。供給者が消費者を誤認させることを促進する強力な要素がある。
電気、ガス、水道及び電気通信のような公共的サービスは、競争の十分な便益が必ず
しも実現されていない範疇の商品として際立つ。近年、多くの加盟国は、公共的なサー
ビスの供給に、特に、必ずしも自然独占ではない分野(電線やパイプラインなど固定イ
ンフラは自然独占を構成しているが)に、競争を導入した。消費者は、小売供給者の選
択ができるが、水道、ガス及び電気においては、すべて同じ製品を供給せざるをえず、
製品の差別化を通じた競争の可能性は極めて少ない。(企業は、欠陥修繕のように辺境的
サービスにおいて限定された差別化の領域を持っているかもしれない)。つまり、競争は、
価格、または請求頻度もしくは他の製品とのパッケージ化など価格関係のサービスに必
然的に集中している。
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理論上は、製品の特徴が固定されている公共的サービスにおいては、探索する機能が
単純になるのはもっともなはずであり、価格の観点に制限される。しかし、実際には、
これらの市場には硬直性があり、発表者は、多くの消費者が得になる切換を利用してお
らず、いくつかの場合においては、より高価格の供給者に切換ていることもあることを
示す、公共的サービス市場からの経験的証拠を示した。問題は、ある発表者が
「confusopoly」と呼んだものであり、これは、固定料金及び従量課金の異なった算定方
法を持ち、関連製品の様々なパッケージを提供している、公共サービス企業からの様々
なパッケージサービスを消費者が比較する上で持っている困難性に関連している。人工
的な混乱は、いくつかの企業が価格競争を避けるために使う周到な戦術であり、消費者
にとっての価格比較を容易にするような措置に対する産業界からの強力な抵抗が証拠と
して示された。これらの問題は、多くの様々な製品(長距離、地域、携帯、固定等)が
同じ供給者から提供されている、電気通信分野で極めて顕著である。ある加盟国での事
例研究では、携帯電話顧客の 90%が、同じ企業から利用できる、必要に最も適したプラ
ンよりもより高額なプランで契約していることが明らかになった。
ガス、電気など価格設定が単純でありうる産業においても、人工的な混乱は発生しう
る。携帯電話の場合でも、意図的に価格設定を複雑にする事業者もいる。これは、携帯
電話の技術的な複雑さとは関係ない。
これらの情報の失敗の問題は、従来の経済学の領域及びその「合理的な」消費者行動
という仮定の範囲に収まってはいるが、合理的な行動のモデルからの系統的な乖離、つ
まり、消費者というものが、意思決定において、自分たちにとっての最良の利益になら
ない決定を行うことに繋がる一定の恒常的な偏向を受けていることについての強固で拡
大する証拠がある。これらは、「行動経済学」に関する議論で後述する。
消費者の損失のマクロ費用
ある観点からは、消費者の損失は、社会的正義又は公正の問題として認識される。こ
の社会的正義の関心を反映して、CCP は、
「消費者保護の極めて高度な標準を確保し、消
費者のための公正な世界的市場を促進する」と宣言している。社会的正義の視点からは、
市場の結果は、「消費者」利益と「製造者」利益とのトレードオフの文脈で認識されえ、
消費者政策は、単に「消費者保護」の文脈において認識されうる。詐欺及び誤解を惹起
する行為のような行動は、単純に消費者の損失の文脈において辛うじて認識されうる。
しかし、貧弱に機能している市場は、費用を消費者に押し付けているが、事業者と経
済全体に対しても費用を押し付けている可能性がある。「死重的損失」、すなわち、取引
が制限されている際に生じる損失は、消費者と製造者の両方から生み出される損失であ
る。高い取引費用は、死重的損失のひとつの原因である。取引費用は、市場の変化の不
可欠な部分であるが、政府の介入費用が、取引費用を削減することの利得をもっと上回
る例がある。不作為の費用が相当である一方で、詐欺及び欺瞞的広告に対する規制がこ
の点で特に効果的でありうる。消費者から製造者への移転は、直接的な資源の再配分を
伴わないが、持続すれば、他の活動を犠牲にして、そのような移転の機会を持つ一定の
活動への投資を促進することがありうる、詐欺及び誤解を惹起する行為に注意が及んで
いなければ、供給者側には、質のよい製品又は真正に革新的な製品への意欲がわかない
だろうし、消費者は、一般に市場に対する不信を抱くだろう。価格硬直性が長期的に持
続する過度の利得を生む場合には、革新と生産性改善に対する刺激は鈍る。手短に言え
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ば、経済成長は妨げられる。そして、政治的には、公共政策が消費者に対する利益を提
供していないと見られる場合には、競争から遠ざかるような、父権的で保護的な政策へ
の政治的圧力が出てくるだろう、
行動経済学
上に示したように、この円卓会議のために、発表者は、「従来の経済学」を、「合理的
な」消費者行動の仮定に基づく経済理論として特徴づけた。つまり、消費者が十分に情
報を提供されている場合には、全体として、自分たちの選好を満たすような方法で行動
するというものである。ある発表者は、基本的な経済学の教科書からの引用で、その立
場を次のとおり要約した。
「我々消費者が天才であると期待することはできない。我々は、決定の大半を、無意
識のうちに、又は単に習慣から行っている可能性がある。仮定されていることは、消
費者は、嗜好と行動においてかなり整合的であり、自分達を判断や計算の頑固な誤り
によって惨めにするような、予想できないような様で揺れ動くようなことはないとい
うことである。十分な数の人々が、購買行動において突拍子も無い変化を避け、整合
的に行動すれば、われわれの科学的理論は、事実のおおよその予測をすることができ
るだろう」
これは、経済学者がホモ・エコノミクスモデルと呼んでいるものであり、一人ひとり
では必ずしも合理的に計算しないような消費者も、総体として、かつ、一般に、合理的
に行動しているかのようにモデル化することができるというものである。選好は、最大
化された自己利益に基いて決定されるのである。短期的には選好は安定しており、消費
者は、市場に、所与の選好で接するというものである。
行動経済学の経験則は、消費者行動の経験的な研究からの洞察によって、経済学の知識
基盤を拡張する。主として、実験室のシミュレーション及び実際の市場における心理学的
な研究に基づき、行動経済学は、人々が意思決定を行う方法を探求する。これらの行動又
は偏向の類型は、消費者が、自分の厚生に合致しない決定を行う方法を示している。この
知識の拡張は、市場の失敗を確認するとともに救済の実効性と効率性に貢献することによ
って、政策に重要な寄与をもたらすことが可能である。賦存効果(endowment effect)、時
間差選好性(time variant preferences)、表現方法の効果(framing effects)、選択負荷
(choice overload)という4つの偏向が、円卓会議における議論を占める傾向があった。こ
れらは、後で述べるが、他にも多く偏向があり、簡単な説明付きの、偏向のより完全なリ
ストは、別添Ⅱである。
一般に、これらの偏向は、意思決定の近道選び(heuristics)の適用から生じる。これら
は、意思決定の単純化の機能的な手段であり、大抵、最適解又は少なくも満足のいく結果
を導く、単純な親指の法則(rules of thumb)である。しかし、一定の状況下では、消費者
の厚生という意味において、逆の結果を齎すことがありうる。
これらの偏向に気づいており、必要な場合には、これらを克服する術を身に付けている
消費者もいるが、一般には、その出現は、教育と収入のような要素には強くは関係してい
ないということを提示する証拠がある。これらは、一定の類型の消費者の間でというより
は、一定の状況又は取引の形態で生じる傾向がある。すなわち、一定の状況下では、どん
な消費者も、これらの偏向を受ける可能性があるのである。
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行動経済学の成果は、従来からの経済学が(構造的に健全な市場における)市場の失敗
を情報の欠如、つまり、情報の獲得又はその消化における問題に帰着させるという点で、
従来からの経済学からは区別することができる。行動経済学は、十分に情報を得た消費者
でさえも、従来からの経済学モデルからは、利益を最大化させると考えられる方法では情
報を利用しないということを発見している。
いくつかの発見は、市場を模した実験室の研究に基づいている。人工的な、又は模され
た市場におけるものであることから、実験経済学とも言える。行動経済学は、継続的な期
間というよりは、特定の時間においてのみ、行動を吟味していることから、行動経済学(言
い換えれば「早撮り写真」)の妥当性について、疑問を呈した発表者もいた。しかし、こ
れらの偏向について、模された市場というよりは、特に金融商品や公共的サービスに関係
して、現実に適用されていることを指摘する者もいた。
伝統的には、探索費用の観点で描かれてきた、いくつかの類型の行動は、行動経済学の
発見によって、よりもっともらしく説明できる。例えば、特定の供給者に消費者がこだわ
るのは、情報の欠如によって説明することもできようが、
「賦存効果」
(「現状」効果とし
ても知られている)の観察される行動的現象としても説明することができ、これは、既に
使われている供給者を志向する人為的偏向である。代替的な供給者がより低価格で利用で
き、切換費用が低い場合でも、消費者は、既に使っている供給者にとどまる傾向にある。
(消費者が特定の供給者にこだわるのは、切換が得になるような一定の場合でさえも、機
能的であるかもしれない。消費者と供給者の間の信頼は、多くの利益を齎す。つまり、関
係者によっては、取引費用は下がり、もっと言えば、市場信頼という社会的資本が発展す
れば、他の消費者及び供給者にとっての外部的利得もある。しかし、先に提示されたもの
の効果は、別途ある。つまり、所与の供給者との確立された関係に由来がない場合でも、
その効果は見られる。この賦存効果の経験は、人々の愛着が商品又はサービスそのものに
対してであるかもしれないことを示唆する。
逆に、この賦存効果を完全には減殺しないが、自分自身の権利の新規性への要求がある。
ある発表者は、従来型のモデルは、予見においてあまりにもきっちり断定的であると示唆
しつつ、消費者というものは、
「頑固又は気まぐれ」である可能性があり、行動において、
ある状態から別の状態に豹変することもあると提示している。言い換えれば、選好は、決
して安定していないと主張している。従来からの経済学は、消費者は既に決まった選好を
持って市場に接すると提示しており、選好とは、経済学で使われる市場モデルに対して外
生的である。行動経済学は、選好は市場取引の中で形成され、部分的には、取引自体によ
って形成され、市場に対して内生的として考慮されなければならない。つまり、消費者は、
確たる買い物リストを持って市場に接するわけでは必ずしもないということを発見して
いる。
消費者行動は市場取引が行われる環境によって影響を受けうる。個人生活に関する情報
を提供することが要求される場合に、金融機関と取引する際に人々が経験する心理的負担
に言及する発表者がいた。そのような負担の不安は、市場取引が起こらないことに繋がる
可能性がある。
議論された他の主要な偏向は、「時間差選好性」の現象として見られるものであった。
合理的な経済行動は、消費者が単一割引率(時間選好率)を将来の費用及び利益に影響す
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る決定に適用すると考えるものである。もし、ある消費者が今日 100 ドルを1年後の 110
ドルと交換で投資しよう(典型的な投資選択)とするなら、年 10%の個人的な定常的割
引率を示して、同じ消費者が2年後に 121 ドル戻ってくることに無関心であると予想す
ることは合理的であるだろう。実際には、このような行動は、一般には見られない。時と
して消費者は、不利な割引率を示して、将来利得がより小さくなる、高い、短期的な費用
を進んで払うことがある。しかし、もっとも一般的には、双曲的割引の証拠がある。すな
わち、個人の割引率は、考慮される期間が短いほど、極めて劇的に上昇する傾向がある。
例えば、多くの人は、金融機関で低利回りの投資を行いつつ、短期間にクレジットカード
での高額の借金を重ねる。日常の言葉では、この現象は、言い換えれば、近視眼、自己管
理の欠如、行動延期として表現されている。人々は、現在と将来の間のトレードオフに関
して合理的に健全な意図を持つかもしれないが、これらの意図に基づいた行動をし損ねる。
消費者が、自己管理を欠いているが、この非効率を穴埋めしたいと思えば、企業は、消
費者が働きかけることを助ける商品を提供することができる。多くの論稿や教科書で使わ
れている例は、消費者が、体育館の無料利用のために多額の前払いを行っている場合の体
育館の会員制に関係している。無料利用と結び付いた埋没費用は、
(運動することへの意
欲のなさを部分的には克服する)事前の選好に沿って、消費者が体育館を利用することを
促進している。同様に、自己を束縛する契約に加入することによってこの偏向を克服して
いる消費者もいる。彼らは、「合理的又は規律された」自己が「非合理的で規律されてい
ない」自己を正すよう仕向けている。例えば、実効的な利率が低くても、クリスマス貯蓄
クラブに、自動給与引落としを気ままに選択する可能性がある。この行動の公共政策的意
義は、後で論じられる。
しかし、もし消費者が将来の機会(体育館の無料利用、航空会社のラウンジの自由利用、
ソフトウエアの無料支援)を過大評価すれば、この結果は、過大消費を促進することにも
使われる。
(
「今年は利用しないが来年利用する」
。)同様に、長期的な費用が生じでも、目
前の利益が示されれば、消費者は、目前の利益を過大評価しがちであり、これらの取引の
とても高額な費用を支払ってしまう。例として、(金融商品の手数料と引き換えの)無料
の金融アドバイス、「容易な支払い」手段と結びついた店頭割引、魅力的な初期価格の、
しかし、高い切換費用を要求、又は切換を長期間禁止する、公共的サービス契約が含まれ
る。
これらの偏向は、特に貯蓄に関係している。人々は、貯蓄すれば利益になることを知っ
ているが、貯蓄を行うべき時期が来ても、貯蓄しない。例えば、クレジットカードの支払
い分を利子無料期間に清算できるだけの貯蓄を行う意図は持っていても、期限が近づけば
近づくほど、決心は弱くなる。
消費者の行動が、選択が表現される「表現方法」によっても影響を受ける場合について、
発表者は、様々な形態で言及した。選択肢が異なる方法で表現され、どれかが、
「通常の」
選択として表現されているように見えると、初期設定偏向のために、その選択肢を選ぶ
人々がいる。例えば、「40%の顧客は X を選ぶ」と「60%の顧客は X 以外を選ぶ」という
表現は、何が通常の、または、初期設定の選択と考えられるかについて異なった考えを引
き出すだろう。保険商品に関する決定などの意思決定が、保険をかけないことによって生
じうる損失によって表現されると、危険回避が支配する傾向になり、人々は保守的になり
がちであり、必要以上の保険を購入することになる。同じ意思決定が、可能な利得(例え
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ば、高保障保険を掛けていない貯蓄)によって表現されている場合には、人々は危険回避
しない傾向になる。
また、「選択負荷」の問題が言及された。これは、消費者が、問題になっている製品の需
要弾力性に依存して、既存の供給者にとどまるか、市場全体から離れるかについて選択し
ない傾向があるという点で、幾つかの観点から「confusopoly」の状況に似ている。一定
点をすぎると、競争的な商品がより多く提供されるほど、消費者は選択をしなくなりがち
であるということを、経験的な証拠は、提示している。
(心理的説明は、選択肢が多いほ
ど、より多くのことを拒否しなければならないが、どの拒否も「拒否しなければ、どうな
っていただろう」という考慮の費用を伴うという、後悔の考えに焦点を当てている。)発
表者2人は、選択負荷が存在する加盟国があるということを示す、公共的サービス市場の
例を提供した。
公共政策
発表者の意図は、需要側の市場の失敗を克服する特別の手段を提案することではなかっ
た。公共政策が需要側を見過ごしてきたことを示唆する意図もなかった。実に、多くの研
究の主題になっている行動経済学の1分野である、行動金融の幾つかの発見は、公共政策
に組み込まれている。このプロジェクトの現段階では、むしろ、公共政策の疑問を提起し、
政策立案における可能な改善を考慮するための広範な枠組みを示唆することが意図であ
った。
消費者政策は、長い歴史を持っているが、経済学的枠組みに必ずしも反映されたわけで
はない。むしろ、法的観点から検討されてきた。事実上は、消費者政策は、経済学的考慮
と連動しているかもしれない。製品安全法は、例えば、経済的利益を齎したが、純粋に経
済学的な評価は、安全及び健康が関係する場合には、公共政策のための十分な基礎ではな
いことに大半が同意するであろう。
大抵の規制問題におけると同様に、基本的な公共政策の疑問は、介入の費用を利益が上
回る程度に関心がある。行動の偏向の場合においては、発生する複雑さは、行動経済学に
基づいた介入は、実際には、情報が提供される方法の表現方法によって、消費者選択を狭
め、または特定の選択に向けた父権主義的な指導を提供するかもしれないということであ
る。
もちろん、虚偽の、及び誤解を意図的に惹起する表現の制限とは別に、広告を規制する
ための市場への特定の介入は常に行われてきた。これらの中には、情報開示規制及び購入
決定を単純化する標準の推奨がある。多くの加盟国では、多くの消費者に競争的な表現を
評価する能力が欠けているとして、薬品表示に関係した、全て又は特定の広告を禁止して
いる。また、子供又は知的障害者など、十分に成長した判断能力以下の能力しかない人々
は、一定水準の父権主義的な保護を必要としているという議論が一般にある。父権主義的
と見なすこともできるこれらの介入は、行動経済学に基づいているのではない。行動経済
学は、今のところ、市場への父権主義的な介入にいかなる根拠を与えるものではないと示
唆した発表者がいた。
一つの可能な政策的アプローチは、消費者(もっと細かく言えば、一定の類型の状況に
ある全消費者)を保護するための介入が、より十分な情報を持っている、又は行動の偏向
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を意識して克服するよう鍛錬された他の消費者に課する費用の程度を考慮することであ
る。あらゆる利用可能な情報を得て、使用するという意味で、十分に情報を持った人々を
「情報を得た」人と分類し、行動の偏向を意識して克服する人々を「鍛練された」人と呼
ぶことができる。政策的問題は、介入が、情報を得た、又は鍛練された人々(従来の経済
学モデルにおいて「理想的な」市場を形成する「理想的な」消費者)に費用を課す程度で
ある。
少なくとも、規制のために「無害な」方法があると示唆された。つまり、洗練され、鍛
練された人々に相当の費用を課することなく、情報を得ていない、又は鍛練されていない
人々を助けるのであれば、規制は、受け容れ可能であろう。(経済学者の言葉では、これ
は「パレート」手法と呼ばれるだろう。)そのような試験に通らないような介入には、も
っと強力な検討をしなければならないだろう。しかし、そのような規制によって、内部補
助が影響を受けない場合でも、そのような内部補助によって以前利益を得ていた人々が占
めだされるだろう。損をする人がいない場合は多くはないかもしれない。特定の消費者に
損になる介入は、得をした人に対する利益に対して、損をした人の蒙る費用を比較する、
広範な費用便益基準に基づいて評価されなければならないだろう。
一つの政策的問題は、消費者の損害についての明確な証拠が出るまで介入を待たなけれ
ばならないか、危険性の証拠が政策的反応を引き出すのに十分であるべきか、ということ
である。
公共的サービス、特に「confusopoly」の状況に関係して、多くの発表者は標準化され
た様式での価格表示及び価格比較計算機のような器具の提供による利益について言及し
た。この問題は、深くは議論されなかったが、判読容易な形式で比較情報を消費者に提供
することの利益について、明確な反対はなかった。しかし、価格広告規制には、落とし穴
もあることが指摘された。例えば、このような規制は、新参者を阻害する効果を持ちうる。
行動経済学の分野では、ある加盟国でまもなく施行される予定の、貯蓄行動を奨励する
ための表現方法や、初期設定による偏向及び賦存効果を利用している、退職金貯蓄制度に
ついての1例が言及された。その制度下では、18 歳を超える全新規被用者は、退職金貯
蓄への 4%の給与引き落としを初期設定とする、労働に基盤を置く貯蓄制度に自動的に加
入させられることになろう。提供者が選択されない場合には、初期設定が提供されること
になる。被用者は、この仕組みへの不参加を選択することができるが、多くの人はそうし
ないということが予測されている。これは、被用者に、初期設定の無い、開かれた分野か
ら退職金貯蓄計画を選択するよう求める貯蓄制度及び義務付けに頼る貯蓄制度とは対照
的である。
現在の介入の多くは、多くの概念、つまり、従来の経済学、行動経済学又は(消費者は
公正をそれ自体のために求めるという行動経済学の発見から部分的に正当化されている)
社会的正義から正当化されうることを示唆した発表者がいた。行動経済学の定義及び用語
は、主として 20 世紀後半に発展したことから、比較的新しいが、これらの偏向のいくつ
かは、長年知られてきている。実際に、経済学と比較して、心理学とより強固に結び付い
ているマーケティング論においては、これらはよく知られている。例えば、義務的な解約
期間は、より多くの情報を得るための時間を提供するという点から従来の経済学によって
正当化されうるが、双曲的割引の問題又は近視眼の偏向を克服する点からも正当化されう
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る。不当利得に対する法律は、社会正義の点からも正当化されうるが、誇張された割引を
克服する点でも正当化されうる。実に、多くの加盟国で、シートベルトの利用及び退職貯
蓄のための強制的な課金又は徴収課税など、一定の父権主義的選択をするために、人々は、
選ばれた政府を既に使っている。
市場取引が行動理論から分析されれば、選好が安定しているという従来からの経済学的
発想は、侵食される。同様に、経済学的結果が、個人の直接的な自己利益の点から純粋に
分析されうるという発想も侵食される。つまり、人々は、自己利益を超える分配の公正を
追求する可能性があるのである。この文脈において、John Rawls の「もともとの立場」
という考えが参照され、市場における人々の経験が、その選好を形成し、人々はその効果
を知っているので、市場によっては、彼らは意図的に一定の父権主義を追及するというこ
とを示唆した発表者がいた。例えば、ある薬品は常習作用があるので、一旦常習作用のあ
る薬品が飲まれると、当然需要が硬直的になるので、そのような薬品の供給を禁止する規
則を設定する選択をする。全加盟国は、一定の常習作用のある薬品を禁止しているが、こ
れらの禁止は、一般には、行動経済学の枠組みで検討されたものではない。
特に行動経済学及び法と経済学との間の境界面における、より適用された、より政策に
関係した研究を行う必要性について一般的な合意がなされた。行動経済学の発見は、マー
ケティング理論にうまく統合されてきた。つまり、実際、マーケティング慣行を行動経済
学に関連づけた発表者が多かった。しかし、マーケティング研究は、通常企業が行うもの
であり、公共領域で行うのは稀であり、政策というよりも販売に関係している。
規制の予期しない、又は逆の結果についての警告もあった。そのような警告の一つは、
影響を受けやすい人々を保護するために広告を規制するための規制は、例えば、有益な情
報を抑制する結果になりうるというものである。市場のダイナミクスに関する警告もあっ
た。つまり、多くの場合には、消費者と供給者は相互学習というダイナミックな状況にあ
り、今日の問題を解決するための規制は、明日には、不要になったり、非生産的になるか
もしれない。
規制の問題に関しては、規制には、その影響の評価の点から、効果的でないものもあり
え、もっと悪いことには、企業に高度の遵守費用を課す点から高くつくという一般的な点
についての反対はなかった(そのため、ほとんど議論されなかった)
。行動経済学には、
規制がより器用な手段によって如何に課すことができるかに関する何らかの指針を提供
することができる可能性がある。例えば、市場の失敗が、従来の経済学の視点から焦点を
当てられる場合、より多くの情報の開示が要請されがちである。情報過剰の結果は、情報
負荷となりえ、企業が意図的な「confusopoly」に従事する機会となりうる。消費者と製
造者に対する費用が利得を上回るということから情報規制の拡大を政府が自制する場合
が多々ある。行動経済学の発見、特に表現方法に関係する発見は、情報開示に関係する規
制を見直すための、消費者及び提供者にとってより明確な機会を提供するかもしれない。
それ自体が目的ではないという強力なメッセージが競争政策の目的に返ってきた。競争
政策は、消費者の要求を満たす市場の成果を達成するための幾つかの手段の一つである。
目的の転換は公共政策において一般的であり、手段が目的の地位を得ている。消費者の利
益は、経済的目標との何らかのトレードオフを伴わず、むしろ、経済政策の中心的目標で
ある。
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