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服の歴史
Nara Women's University Digital Information Repository Title 垂領・大袖の衣を着る人々-僧侶と宮廷人を中心に- Author(s) 岩崎, 雅美 Citation 古代日本の支配と文化, pp.78-101 Issue Date 2008-02-29 Description URL http://hdl.handle.net/10935/1384 Textversion publisher This document is downloaded at: 2017-03-30T13:25:17Z http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace 垂 領 ・大 袖 の 衣 を 着 る 人 々 一僧 侶 と宮廷人 を中心 に一 岩崎 雅美 はじめに あげくび 中 国 ・唐 朝 で は 西 域 と の 交 流 か ら盤 領 ・筒 袖 の 衣 服 が 宮 廷 人 に も流 行 し、 壁 画 な ど に そ の 様 子 が よ く描 か れ て い る 。 正 倉 院 の 現 存 資 料 に も こ の 種 の 抱 が 多 く、 伎 楽 や 散 楽 等 の 芸 能 の 服 装 に お い て も こ の 形 態 が 一 般 的 で あ る 。 但 し、 半 膏 や 杉 の よ う な 下 着 あ る い は 軽 装 で は 、衿 が 垂 領 にな る こ とも あ るが 、袖 は筒 袖 で表 の衣 服 に合 わせ て い る 〔 注1〕 。 盤 領 を 外 側 に折 り返 してV字 形 に着 た 筒袖 の衣 服 は 「 翻 領 窄 袖 衣 」 と して 中 国 の 書 な どで は 説 明 され て い る 〔 注2〕 が 、 も と よ り元 は 盤 領 で あ る 。 たれくびサたりくび と ころで 、 正 倉 院 に は 「 袈 裟 付 木 蘭 染 羅 衣 」 に 加 え て 二 領 の 垂 領 ・大 袖 の 衣 が 所 蔵 さ れ て い る。 この 垂 領 ・大 袖 の 衣 は ど の よ うな 性 質 の 衣 服 か 疑 問 が 湧 く 。 例 え ば 、 服 装 と して 着 装 し た と き 、 ど の 部 分 の 衣 服 に な る の か 、 完 全 な 服 装 は い か な る も の か 、 着 装 者 は ど の よ う な 人 か 、 盤 領 ・筒 袖 の 抱 と比 べ る と衣 服 の 地 位 は い か な る も の か 、 そ の 後 の 服 うちきコうちぎ あこめ 装 史 に み られ る 桂 や 裕 な ど 同 形 の 衣 服 との 関 係 は い か な る も の か 等 で あ る 。 ま た 一 般 に 、 僧 服 は な ぜ 大 袖 な の か 、 と い う素 朴 な 疑 問 も存 在 す る 。 本 論 で は以 下 の 手 順 で 考 察 を 進 め て い く 。 ま ず 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 を 示 す 歴 史 的 資 料 を 収 集 し 、 画 像 や 彫 像 か ら袖 丈 や 被 服 構 成 に 注 目す る 。 実 物 資 料 の 実 測 以 外 の 画 像 や 彫 像 資 料 か らの 袖 丈 は 、 男 性 の 身 丈 を135cmと し て 換 算 した 数 値 を 参 考 とす る 。 これ は 正 倉 院 の 弾 弓 に描 か れ た 散 楽 の 服 飾 を考 察 し た 際 に 使 用 し た 方 法 で 、 古 代 の 人 物 像 が 現 実 に 近 い バ ラ ン ス で 描 か れ て い る こ と に ヒ ン トを 得 た も の で あ る 〔 注1〕 。 次 に4世 紀 こ ろ か ら多 く な る 仏 像 や 僧 侶 の 像 か ら服 装 に つ い て 考 察 す る 。 ま た 、 『続 日本 紀 』 『政 事 要 略 』 な ど の 文 献 か ら袖 丈 の 記 述 を取 り上 げ 、 宮 廷 人 の 袖 丈 に つ い て 考 察 す る 。 更 に 、 正 倉 院 の 垂 領 ・ 大 袖 の 衣 服 ・三 領 を 取 り上 げ 、 後 の 桂 や 袖 との 比 較 を行 い考 察 す る 。 1.歴 史 的 な 図 像 資 料 に お け る 垂 領 ・大 袖 の 衣 1) 中 国 ・戦 国 時 代(B.C.475∼B.C.221)の 資料 「 龍 鳳 紋 誘 錦 抱 」(図1)が 号 墓 か ら出 土 し、 荊 州 市 博 物 館 に所 蔵 さ れ て い る 。 筆 者 は 平 成17(2005)年 荊 州 馬 山1 に荊州 市 博 物 館 を 訪 問 し同 資 料 を調 査 した 。 抱 の 名 称 が 付 い て い る が 死 者 を包 む 一 種 の 夜 着 風 の 蒲 団 で あ る た め に 、 身 丈190cmの 大 き な も の で 、 袖 丈 は 約55cmで あ る 。 襟 ・袖 口 ・前 端 か ら 裾 に 巾広 の 縁 取 りが 付 い て い る 。 戦 国 時代 の資 料 に 「 青 銅 人 像 」(図2)が あ る 。 女 性 と 思 し き 人 物 が 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 を 重 ね て い る 。 前 の 打 合 せ が 深 く重 ね られ る の で 袖 付 け が 短 い 。 そ れ 故 に 長 い 袖 口 に 向 け て 広 が っ た 形 の 袖 に な っ て い る 。 ま だ 振 りを つ く る ア イ デ ィ ア が 生 ま れ て い な い 段 階 と考 一78一 図1龍 鳳 紋誘 錦抱 図2青 銅 人 像 (中国 ・ 戦 国時代)(荊州市博物館) (中国 ・ 戦国時代) 驚 図3長 沙 馬 王 堆 漢 墓 墓 主 と従 者 (湖南省博物館)(筆者撮影2005) -79一 え られ る 。襟 ・袖 口 ・裾 に 縁 取 り を示 す 線 刻 が は っ き り見 え て い る 。縁 取 り(ト リ ミ ン グ) につ い て 、 服 飾 史 で は 一 種 の 魔 よ け 、 防 備 と考 え る の が 定 説 に な っ て い る 。 即 ち 、 襟 ・袖 口 ・前 端 ・裾 な どの 明 き か ら魔 物 が 入 っ て こ な い よ う に 、 防 備 す る 役 目 と して 縁 取 りが 付 い た とい う考 え で あ る 。 よ く似 た 例 と して 、 古 代 エ ジ プ トや メ ソ ポ タ ミ ア で 太 い 眉 や ア イ ラ イ ン の 化 粧 法 が さ か ん で あ っ た が 、 これ は 魔 よ け や 虫 除 け と云 わ れ て い る 。 中 近 東 の イ ス ラム 社 会 で は 現 在 で も 男 女 に こ の 化 粧 法 が 残 っ て い る6 2) 漢 代 の 資 料 で は 湖 南 省 長 沙 の 馬 王 堆 漢 墓 出 土 の 服 飾 資 料(湖 南 省 博 物 館 蔵)が に な るが 、現 存 の 多 く は 垂 領 ・筒 袖 の 衣 服 で あ る 。筆 者 は 平 成17(2005)年 年 の2回 参考 と 同18(2006) 、 同 館 を 訪 問 して 調 査 した 。 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 は 、 畠 画 に描 か れ た 墓 主 像 と従 者 の 服 装 に み られ る(図3)。 他に 「 着 衣 戴 冠 男 桶 」、 「 着 衣 侍 女 桶 」(図4-1)に る が 、 桶 の 袖 口 は 絞 っ た 形(図4-2)に 3) 中 国 は 西 暦220年 な って い て特 殊 な形態 で あ る。 に 後 漢 が 滅 び る と 、581年 十 六 国 時 代 で あ る 。 東 晋 の 画 家 ・顧 榿 之(4世 巻 」(図5)に もみ られ に階が 統 一す る まで 、三 国 時代 、 五胡 紀 後 半 ∼5世 紀 初 め)の 人 物 像 「 洛神賦図 は 、宮 廷 風 な雰 囲 気 の 中で 舞 踊 を楽 しん で い る人 々が描 か れ て い る。 男女 共 に 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 で 、 襟 、 袖 口 、 裾 等 に縁 取 りが 施 され て い る 。 台 座 に 座 っ て い る 高 位 の 人 物 の袖 丈 が 長 く 、 後 ろ の 従 者 の 袖 丈 と 比 較 す る と100cmと60cmく らいの差 に描 か れ て い る 。 台 座 の 人 物 は 裳 を 着 けて い る の で 下 部 が 不 明 で あ るが 、 侍 者 は 長 衣 で 下 に袴 が 覗 い て い る 。 裳 や 紐 の 位 置 が 高 い の で 袖 付 け が 短 く 、 一 方 袖 口が 長 い た め に 袖 の 形 は斜 め線 で あ る。 4)北 魏 は386年 に 鮮 卑 族 が 建 て た 国 で534年 に 東 魏 と 西 魏 に分 裂 した 。 「北 魏 加 彩 武 吏 あゆい 陶 桶 」(図6)を み る と 、 脚 結 を 施 した 袴 と上 衣 の 二 部 式 で 、 禰 福 鎧 を着 け た 服 装 で あ る 。 こ の 武 装 は 後 の 唐 代 の 武 将 や 四 天 王 像 の 武 装 に 先 行 す る も の と 考 え られ る 。 上 衣 の 身 丈 80cm位 5) とす る と袖 丈 は61cmく らい に な る 。 袖 口 に 線 刻 が あ り、 縁 取 り と 考 え られ る 。 「北 魏 彩 絵 陶 撃 鼓 桶 」(4∼6世 紀)(図7)は 女 性 の 芸人 で 小太鼓 を叩 いて い る様子 で あ る 。 袴 の 上 に 腰 丈 の 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 を 着 て い る 。 身 丈77cm位 で 袖 丈 が50cm位 にな る。 6)北 周 は 東 魏 の 後 の557年 ∼581年 に で き た 国 で あ る 。 「北 周 撃 鼓 舞 踊 」(図8)は 図7 と 同 様 に垂 領 ・大 袖 の 腰 丈 の 衣 服 に 袴 の 組 合 せ で あ る 。 太 鼓 の 形 に違 い が あ る が 、 芸 能 人 の 衣 服 は 北 魏 時 代 と変 わ って い な い 。 身 丈74cm位 、 袖 丈67cm位 にな り、 北 魏 の 女 性 よ り少 し袖 丈 が 長 い 。 こ の よ う に 芸 能 人 の 衣 服 に も 垂 領 ・大 袖 が み られ 、 芸 能 人 と い う職 種 と 服 装 の 関 連 が 考 え られ る。 7) 図9は 晋 武 帝 像(在 位265∼290)で あ る が 、 い わ ゆ る唐 代 帝 王 図 と 同 形 の 服 装 で あ り、 唐 代 に描 か れ た も の と考 え られ る 。 図5の 東 晋 の 画 家 ・顧 喧 之 の 「洛 神 賦 図 巻 」 に 描 か れ た 垂 領 ・大 袖 の 貴 人 の 衣 服 が 、 玄 衣 に練 裳 の 皇 帝 の 服 装 と して 確 立 した 様 子 が 示 さ れ て い る 。 襟 と袖 口 に 別 色 の 縁 飾 りが 施 さ れ て い る 。 皇 帝 の 袖 丈 は100cmは 一80一 あ ろ うか 筆 図4-1全 体像 図4-2袖 の部 分 図4 長 沙 馬 王 堆 漢 墓 着衣 侍 女桶 (湖南省博物館)(筆 者撮影2005) 図5 「 洛 神 賦 図巻 」 顧 榿 之(4世 -81一 紀後半∼5世紀初め) と い う長 さ で 、 臣 下 の 者 よ り一 層 長 い 袖 丈 で あ る 。 8) 「 三 彩 文 官 」 中 国 ・唐 代(図10)套 手 して侍 立 す る男 女 の 文官 桶 で あ る。男 女 差 は 髪 型 の み で 衣 服 は 同 形 で あ る 。 裳 に 上 衣 を 組 合 せ た 服 装 で 、 襟 、 袖 ロ等 に縁 取 りが 付 け ら れ て い る。 上 衣 の 身 丈87cm位 9) 「 男 侍 図 」(図11)は 、 袖 丈 は72cm位 唐 ・天 寳4(745)年 博 物 館 蔵 で あ る 。 上 衣 の 身 丈93cm位 で あ る。 に宮 廷 に仕 え る人 を描 いた も ので 、陳 西 、袖 丈63cm位 に な る。 偶 然 か も知 れ な い が 、 図10 の 高 官 よ り も袖 丈 が 短 い 。 10) 「 礼 賓 図 」(図12)は 物 館 蔵)の 唐 ・景 雲2(711)年 部 分 で あ る 。 向 か っ て 左 か ら の3名 ・大 袖(70cm位)の か ら2人 に描 か れ た 「 章 懐 太 子 墓 壁 画 」(陳 西 博 は唐 王朝 か らの迎 えの 者で 、 広 衿 の垂 領 衣 服 に 裳 、 蔽 膝 を 着 け て い る 。 襟 や 袖 口 に 別 布 の 縁 取 りが あ る 。 右 目 は 被 り物 と袴 の 着 用 か ら高 句 麗 か ら の 使 節 と考 え られ 、 唐 の 役 人 よ り も 短 め の 大 袖(57cm位)の 上 衣 で 、 襟 と裾 に 縁 取 りが あ る 。 唐 代 の漢 族 の 本 来 の 宮 廷 服 は 、 垂 領 ・大 袖 の 衣 服 で 、 二 部 式 、 ま た は 長 衣 と裳 の 組 合 せ で あ る 。 身 分 の 高 い 者 は 袖 丈 が 長 く蔽 膝 を 着 け る 例 が あ り、 侍 者 は 長 衣 に 帯 を 締 め る 服 装 が み られ る 。 襟 や 袖 口 に 別 布 の 縁 取 りが あ り、 襟 は 幅 が 広 い 。 縁 取 り布 は わ が 国 の 服 飾 史 で は 襟 以 外 に構 造 と して は み られ ず 、 襟 は 別 色 にす る こ と な く 同 じ布 を用 い て い る の で 、 縁 取 りとい う意識 は生 まれ て いな い 。 「 縁 取 りは 体 を 守 護 す る 」 と い う 西 域 の 思 想 が 、 わ が 国 に は 定 着 し な か っ た の か 、定 か で な い 。後 の 時 代 に 掛 衿 と い う襟 の 汚 れ か ら地(本 物) の布 を守 る 工夫 が され て いる が、縁 取 りとは発 想 が異 な る もので あ る。 2.仏 教 の 図像 か ら 仏 像 に は 悟 りに 到 達 した 如 来(薬 師 ・大 日 ・阿 弥 陀 等)、 修 行 の 者 で あ る 菩 薩(観 弥 勒 ・文 殊 等)、 仏 法 を 守 護 す る 明 王(孔 吉 祥 天 ・弁 財 天 等)等 雀 ・愛 染)や 天 部(四 音 ・ 天 王 ・仁 王 ・十 二 神 将 ・ が あ り、 そ の 服 飾 は お よ そ 天 衣 と称 され る が 、 詳 細 に み る と 各 々 特 徴 が み られ る 。 他 に 仏 法 を 広 め た 高 僧 の 像 が あ る 。 1) 図13は 、 中 国 ・北 魏 時 代 、 正 光6(525)年 し た 中 尊 と修 行 の 脇 侍 像(図13-1)で の 「 如 来 三 尊 立 像 」 で あ る 。 悟 りに 達 あ る 。悟 りに達 した 中尊 の如 来 は 天衣 と称 され る 布 状 の 衣 で あ る 。 イ ン ドで 生 まれ た 仏 教 が ガ ン ダ ー ラ で 古 代 ギ リ シ ア の 彫 像 と 出 会 っ て 仏 像 が 生 ま れ た と い わ れ て い る が 、 釈 迦 や 如 来 の 服 装 が ド レー パ リー の 天 衣 で あ る の は 、 イ ン ドの 布 の 巻 衣 と古 代 ギ リ シ ア の ペ プ ロ ス 、 キ トン、 ヒ マ チ オ ン 等 とが 融 合 し た と も考 え られ る 。 イ ン ドの 巻 衣 と古 代 ギ リ シ ア の 衣 服 の 構 造 は 殆 ど 同 じ も の で 、 仏 像 が 造 形 さ れ た 時 代 の 衣 服 と考 え られ る 。 し か しそ の 後 、 仏 教 が 北 上 し て 東 方 に 伝 播 す る に あ た り、 漢 民 族 は じ め 多 くの 民 族 に広 ま り、 ま た 多 くの 弟 子 が 生 ま れ る 。 中 国 大 陸 で 高 貴 な 人 の 服 装 が 僧 服 に な っ た 可 能 性 も考 え られ る 。 さ ら に 、 悟 り に達 し た 釈 迦 と弟 子 や 修 行 の 者 と の 区 別 や 、 一 般 人 と の 区 別 か ら 、 釈 迦 の ドレー パ リ ー に 近 い デ ザ イ ン の 垂 領 ・大 袖 の 衣 が 選 ば れ 一82一 た の か も しれ な い。 脇 侍 像(図13-2、13-3)は 垂 領 の 大 袖 衣 で 、 そ の 上 に 半 膏(ま た は 肩 被)や 理路な ど を 着 装 した 服 装 で あ る 。 中 尊 を 護 りな が ら修 行 す る菩 薩 の 姿 と考 え られ 、 中 尊 と は 異 な る 服 装 に な っ て い る 。 図13-2は 2)修 左 妊 で ある。 行 す る 仏 像 の 菩 薩(図14)に は 日光 仏 菩 薩 立 像(図14-1)と 月光 仏 菩 薩 立 像(図14-2) が あ り、 垂 領 ・大 袖 の 衣 で 造 られ て い る 。 3)仏 法 を守護 す る仏 像 (1)四 天 王(図15>(持 国 天 、 増 長 天 、 広 目天 、 多 聞 天)は 、 大 袖 衣 の 上 に 甲 冑 を着 け た 服 装 で あ る 。 時 に 長 い 袖 の 下 部 を括 り、 勇 ま し さ や 活 躍 ぶ り を 一 層 表 した 像 もみ られ る 。 また上 腕部 や 下腕 部 に も腕 甲 を付 けた 場合 は、大 袖 が隠 れて 筒 袖 のよ うに見 え る こ ともあ る 。 北 魏 時 代 の 武 装(図6)よ り も唐 代 の 武 人 は 複 雑 な 甲 冑 の 服 装 に な っ て い る が 、 そ れ が 唐 代 や 奈 良 時 代 に造 られ た 天 王 像 に も反 映 して い る 。 (2)天 部 の 仏 像(図16)に は 帝 釈 天 立{象(図16-1)・ 梵 天 立 像(図16-2)等 が あ り、 垂 領 の大 袖衣 で あ る。 (3)吉 祥 天 像(図17)で は 薬 師 寺 の 画 像(図17-1)や れ て い る が 、 弁 財 天 も含 め て 女 性 の 表 現(天 女 形)で 西 大 寺 の 像(図17-2)が よ く知 ら 、 垂 領 の 大 袖 衣 で あ る。 (4)十 二 支 像 十 二 支 像 は 顔 面 は 子 牛 寅 卯 辰 巳午 羊 申酉 戌 亥 で 、 人 間 の 服 装 を して 武 器 を もつ 「 獣首人 身 像 」 で あ る。 仏 法 守 護 の 守 護 神 将 像 で あ る 〔 注3〕 。 い ず れ の 十 二 支 像 も 垂 領 ・大 袖 衣 の 服 装 で あ る が 、 詳 細 に 見 る と国 や 地 域 に よ り少 し ず つ 異 な る 。 以 下 の 五 種 類 に 分 類 を 試 み た。 ① 図18は 階 か ら唐 代 の 中 国 の 十 二 支 で あ る.武 漢 市(図18・1)と の 像 は座 像 で 袖 丈 は 不 明 で あ る が 、 図18-3は 像 で あ る 。 袖 丈 が90cmく ② 奈 良 の キ トラ 古 墳(700年 揚 州 市(図18-2) 洛 陽 近 郊 で 発 見 さ れ た 唐737年 の 十二 支 ら い に な りか な り長 い も の℃ あ る 。 前 後)(図19)に は 「 午 」と 「 寅 」が 遺 っ て い る 。「 午 」(図19-1) は 垂 領 で 赤 地 大 袖 の 長 衣 で あ る が 、 裾 の 部 分 が 不 明 で あ る。 襟 と袖 口 に 別 布 の 縁 取 りが つ く。 キ トラ 古 墳 の 「 寅 」(図19-2)は 襟 と裾 に 赤 色 の縁 取 りが 付 い た 垂 領 ・大 袖 衣 の 長 衣 で 、 長 衣 の 下 部 、 あ る い は 下 着 は 不 明 で あ る 。 袖 丈 は 約70∼80cmで あ る。 キ ト ラ古 墳 の 縁 飾 り は 、 これ ま で 取 り上 げ た 中 国 大 陸 や 朝 鮮 半 島 の 歴 史 的 な 服 装 を 彷 彿 と さ せ 、 そ の 関 連 が 考 え られ る。 ③ 図20は 天 王 像 の よ う に武 装 し た 十 二 支 像 で 統 一 新 羅 時 代(8世 紀)の 資料 で あ る。 こ の 時 代 に な る と 十 二 支 像 は 十 二 方 位 に 従 っ て 墓 の 護 石 の 周 り に配 置 さ れ る よ う に な る 。 図20-3の 申 は 聖 徳 王 陵(在 位702・737)か ら移 さ れ た も の で あ る 。袖 丈80cm位 。 亥 と午 の 像 は 袖 が 翻 っ て い る の で 袖 丈 は 不 明 で あ る。 ④ 図21は 垂 領 ・大 袖 の 衣 で あ る が 、下 部 が 袴 に 「白練 旛 福 」 を 組 合 せ た 服 装 で あ る 〔 注 一84一 図12礼 賓 図(章 懐 太 子 墓 壁 画 、唐 景 雲2〔711〕年)(陳 西 省 博 物 館) プ 藩蝋 、「 ■ か ■ 、/ .、 、 、 、 、 ∴'「 、 、 一 戸 、 ・ 、 、 ・ 一 風 ・ / 鑓 幻 ぞ ・∵1 1・ 耕 \ ・ 、 ・ ・ ヤ=・・ 、; 声 、 ・ ∴.毫 、・ = し ■ ・ 「 1響 、 ' 図13 如 来 三 尊 立 像 聡 一 ・ (北魏 時代 正 光6〔525〕年) 図13-2向 かって左の像 (山東 省 博 物 館) 一85一 図13.3向 かって右 の像 弼1 、、 、、 ヤ ・ ∫ 、 訟・・ 、が 図14・1目 光 仏 菩 薩 立像 図14-2月 光仏菩薩立像 図14日 光 ・月 光 仏 菩 薩 立 像 (奈良時代8世紀 中葉)(東 大寺 法華堂) 図15-1持 国天 図15・2増 長 天 図15-3.広 図15四 天 王 立 像 (8世 紀)(唐 -86一 目天 図15-4多 招 提 寺) 聞天 三 議 ∴蕊辮 :」 隅!、∬ 、 ・「 記 ∵ ド露 、 欝 、1 ・ . . L ∵写 「 ∵ 「、「 講 ゼ擬 欝 鑑 ∴ _祥 天 画 像_祥 天 立 像 図16.1帝 釈天 図16-2梵 天 (8世紀)(薬 師寺) (8世紀)(西 大寺) 図16帝 釈 天 ・梵 天 像 図17吉 祥 天像 (奈良時代8世紀 中葉)(東 大寺 法華 堂) 図18・3洛 陽近郊 (唐8世紀) 図18中 図18-2揚 州市の十二支像(7世 紀後葉 ∼8世紀初頭) -87一 国 の十 二 支 像 図19・1午 図19キ 図2・ ・亥 ・ 一 図19・2寅 トラ古 墳 の 十 二 支(700年 図2σ2午 図20武 装 の十 二支 像 (統一新 羅8世 紀) -88一 前 後) 灘 甥 図21-1子 図21大 図22-1辰 図22大 図21-2牛 袖 衣 ・袴 ・白練 櫨 福(新 図22-2午 袖 の長 衣 ・ 袴 ・裳(統 羅8世 紀 中 葉 以 降) 馬 図22・3羊 一 新 羅9∼10世 -89一 図21-3寅 紀)(韓 国 ・ 慶 州 市) サ… 灸 、 、'・ 二 換 く ,' 蛎㌻ 淫 ,揆甲 ・ へ r "撫 '繊 、 墨二 ,.1 醸 《 美 ,飯 ∫ 、 銭 一 、 唱 讃 妻一 、 一・ 、 讐蓑1;凝 …融 、 拶響 磁 寒 議 薦 華 論 濃 藻 !飛 一 導 苫 磯 嚢 撫 ぢ蝋 ジ 岨" 図23-1迦 葉 立 像 図23-2目 健 連 立 像 図2匪3舎 利 弗立 像 (北魏 一西魏時代 ・6世 紀) (天平6〔734〕 年)(興福寺) (天平6〔734〕 年)(興福寺) (麦積 山石窟芸術研究所塑造彩色) 図23釈 図24天 寿 国 繍 帳(7世 -90一 迦十大弟子 紀 前 半)(中 宮 寺) 図25天 寿 国繍 帳(7世 紀 前 半)(中 宮 寺) 図26・1前 ㌧$ 図26袈 裟 付 木 蘭染 羅衣(絶 裏) 袖丈74cm (正倉 院) 図26-2後 一91一 4〕。 「白 練 権 櫨 」 は 唐 代 の 武 装 像 や 天 部 の 仏 像 に み られ る 布 状 の も の で 、 形 状 が バ イ ア ス 風 に垂 れ 下 る 。 股 間 を 隠 す 目 的 の 武 装 の 一 種 と考 え られ る 。 図21-1の 「 子 」 の 袖 丈 は70cm位 ⑤ 統 一 新 羅 時 代(9∼10世 図22は 服 装 で あ る 。 袖 丈 は70cm位 4)仏 にな る。 他 の もの は袖 が翻 って いて不 明 で あ る。 紀)の 十二 支 像 で 、大袖 の長衣 、袴 、裳 の組合 せ の で あ る。 教 を広 め る人 (1)釈 迦 の 十 大 弟 子 釈 迦 に は 十 大 弟 子 と呼 ばれ る 僧 侶 が い る(図23)。 は 北 魏 ∼ 西 魏 時 代(6世 紀)の 作 で あ る が 、 背 丈 が 不 明 で あ る 。 袖 丈 は 長 い 。 垂 領 ・大 袖 衣 を 羽 織 っ た よ う な 服 装 に造 られ て い る 。 「目腱 連 立 像 」(図23・2)は 作 で 興 福 寺 蔵 の も の で あ る が 、 袖 丈 が56cmく 利 弗 立 像 」(図23-3)も かしようりゆうぞう そ の一 人で ある 「 迦 葉 立 像 」(図23-1) 天 平6年(734)作 天 平6年(734)の らい の 長 衣 の 上 に 袈 裟 を掛 け て い る 。 「 舎 の 興 福 寺 蔵 で あ る が 、 袖 丈 は46cmく らいの 長 衣 で 「目健 連 立 像 」 よ り も少 し短 い 。 ② 一般 の僧 侶 奈 良 時 代 の 一 般 の 僧 侶 の 服 装 を知 る 資 料 と して 、 「 天 寿 国 繍 帳 」の 下 方 の 刺 繍 図(図24、 25)を み る と 、 い ず れ も 袖 丈 は25cm位 の 短 い も の で あ る 。 図24で 僧 は 抱 に裳 を着 け た 貴 婦 人 と対 面 して い る よ う で あ る。 日常 の 僧 服 を 示 して い る と考 え られ る 。 3.わ が 国の 袖 口 に関 す る記述 正 倉 院 に 現 存 す る 垂 領 ・大 袖 衣 を 検 討 す る 前 に 、 奈 良 時 代 の 袖 丈 に 関 す る 記 述 を拾 っ て お き た い 。 な お 、 天 平 時 代 の1尺 1) 和 銅 元 年(708)閏 は29.67cm〔 注5〕 に あ た る 。 八 月丙 申 そで つく 「制 ス ラ ク 。 今 ヨ リ 以 後 。 衣 標 ロ ノ 闊 サ 。 八 寸 已 上 一 尺 已 下 。 人 ノ 大 小 二 随 テ 之 ヲ為 レ。 えり 又 衣 ノ 領 接 作 コ トヲ得 。 但 標 口 窄 小 。 衣 ノ領 細 狭 ナ ル コ トヲ得 ザ レ。」(『続 日本 紀 』) 袖 口寸 法 は8寸(23.7cm)以 上1尺(29.7cm)以 下 に して 身 長 と の バ ラ ン ス を み る こ と が 記 さ れ て い る 。 衿 は 接 い で も よ い 。 但 し袖 口 は 狭 す ぎ ず(細 す ぎ ず)、 衣 服 の 衿 が 極 端 に 細 くな らな い よ う に 、 と い う こ と で あ る 。 2) 和 銅 五 年(712)十 二 月辛 丑 そで 「制 ス ラ ク 。 諸 司 ノ 人 等 衣 服 ノ 作 。 或 ハ 標 狭 小 。 或 ハ 裾 大 二 長 ク 。 又 妊 ノ 之 相 過 ル コ ト甚 浅 ク シ テ 。 行 趨 之 時 開 キ 易 シ。 此 ノ如 キ 之 服 ハ 。 大 二 無 礼 ト成 ス 。 宜 ク 所 司 ヲ シ テ 厳 カ ニ 禁 止 ヲ 加 ヘ シ ム ベ シ 。」(『続 日本 紀 』) 諸 司(役 人)の 衣 服 構 成 に お い て 、 袖 が 細 す ぎ た り、 裾 丈 が 長 す ぎ た り、 妊 が 浅 くて 重 な りが 少 な く 歩行 時 に 開 きや す い も の 、 こ の よ うな 服 は 大 い に 無 礼 で あ る 。 所 司(役 人) は 厳 し くそ れ ら を や め さ せ る よ う に と の こ と で あ る 。 3) 宝 亀 二 年(771) -92一 「 其 抱 袖 口 闊 。 五 位 以 上 一 尺 為 限 。 六 位 以 下 八 寸 。 女 亦 准 此 。」(『政 事 要 略 』) 抱 の 袖 口 の 広 さ が 五 位 以 上 は1尺(29.7cm)、 六 位 以 下 は8寸(23.7cm)で あ り、 女 性 も ま た こ れ に 準 ず る と い う こ とか ら 、 わ が 国 にお い て も 身 分 の 高 い 者 の 方 が 袖 丈 が 長 か っ た こ と を 示 して い る 。 『続 日本 紀 』 『政 事 要 略 』 な ど に お け る 袖 口 寸 法 は 最 大1尺(29.7cm)ほ の 役 人 の 朝 服 の 袖 丈 が 長 くな っ て き た と言 って も30cm程 どで 、8世 紀 度 の長 さで ある。 また正倉 院の 「弾 弓 」 に 描 か れ た 散 楽 の 人 物 の 抱 の 最 大 の 袖 丈 は 身 長 か ら換 算 して 約40cmで 〔 注1〕 。 この こ とか ら、 次 に 取 り上 げ る正 倉 院 の 袖 丈54cm以 あっ た 上 の 垂 領 ・大 袖 の 衣 は 、 朝 服 の よ うな 官 服 や 西 域 風 な 芸 能 の 衣 服 と は 異 な る別 種 の 衣 服 と考 え られ る 。 4.正 倉 院 所 蔵 の 垂 領 ・大 袖 の 衣 正 倉 院 の 垂 領 ・大 袖 の 衣 を 大 き さ や 構 成 上 の 特 色 、 これ ま で の 歴 史 的 な 状 況 等 か らそ の 着 用 者 を考 察 す る 。 1) 「 袈 裟 付 木 蘭 染 羅 衣 」(緬 裏)(図26) 大 き さ は 身 丈106.Ocm、 袖 丈74cm、 桁105.7cm、 袖 幅53cm、 袖 付47.5cm、 脇 明25cm で 、 右 肩 部 に こ の 衣 服 の 名 称 に も な っ て い る 袈 裟 状 の 布 が 付 く 。 襟 幅 が 細 く、 襟 先 に 釈 迦 結 び が 付 い て い る 。 これ は 掛 輪 の紐(蜻 蛉 と 受 緒)で 留 めて 着 装す るも ので ある。 また 、 黄 茶 色 に 染 色 さ れ て い る こ とや 前 下 が りが あ る の で 、表 着 の 可 能 性 が 強 い。袖 付(47.5cm) か ら袖 口(74cm)に 至 る 線 は ゆ る い カ ー ブ で あ る 。 この カ ー ブ し た 袖 に つ い て は 、 中 国 の 戦 国 時 代 の 資 料(図2)や 図5の 東 晋 の 顧 榿 之 の 絵 画 に も描 か れ る な ど、 中 国 の 歴 史 的 な 資 料 に は よ く登 場 す る 。 構 成 学 的 にみ る と、 着 方 に お い て 深 い 重 ね で あ っ た り、 帯 や 裳 な ど を 上 部 に着 装 す る た め に 袖 付 が 短 くな り、 そ こか ら長 い袖 丈 にす る た め にカ ー ブ か 直 線 に し た も の で 、 必 要 性 と デ ザ イ ンが 一 致 し た 形 と解 釈 され る 。 『正 倉 院 展 』 図 録 〔 注6〕 に も 指 摘 さ れ て い る が 、本 資 料 は 「 鑑 真 和 上 像 」の衣 服 と類 似 して い る(図27)。 特 に74cm と い う 長 い 袖 丈 は 高 僧 の 衣 服 と い う 身 分 を 示 して い る 。 ま た 、 釈 迦 結 び と掛 輪 の 位 置 が 和 上 像 と ほ ぼ 同 じで あ る こ と 、衣 服 に染 色 が 施 さ れ て い る こ と、襟 が 強 調 さ れ て い な い こ と 、 袈 裟 を 左 肩 に掛 け る た め に 右 肩 の み に別 布 が 付 い て い る こ と な どが 共 通 点 と し て 挙 げ られ る 。 和 上 像 は 座 像 で あ る た め に 袖 丈 や 形 が 不 明 で あ る が 、 鑑 真 和 上 は 中 国 の 僧 侶 で あ り、 中 国 の 衣 服 ・僧 服 を着 用 し て い る と考 え られ る 。 2) 「 衣(布 身 丈130cm、 単)(布 抱 第15号)」(図28) 袖 丈65cm、 こ の 衣 服 は後 幅 が61cmで 桁118cm、 袖 幅58cm 一 般 の 衣 服 の2倍 ほ ど の 幅 が あ り、 途 轍 も な く大 き い 。 これ ま で の 資 料 に 例 が な く、 特 殊 な 用 途 と 考 え られ る 。 3) 「 衣(布 身 丈115cm、 袷)(橡 布 襖 子 第42号)」(図29) 袖 丈54cm、 桁78.5cm、 袖 幅45cm. 一93一 山、後袖 、前見 頃 、妊 に接 ぎが あ 図27-2襟 の留 め部分(拡大) 図27鑑 真 和 上 座 像 (天平 宝 字7〔763〕年 制 作 の説)(唐 招 提 寺) 図28衣(布 単 布 炮 第15号)袖 丈65cm(正 -94一 倉 院) 図29衣(布 ・ 袷 橡 布 襖 子 第42号)袖 丈54cm (正倉 院) 下前身頃 前 67 衿肩明上 り22.5 下 るト う る 巨1」 _ 11 11 表裏と杣 接ぎ 24. 23 身 紙 紙 頃 54 前 ぎ ぎ 身 接 と ぎ 同 ・ 益 ぎ 接ぎ 置 6 60 図3び2右 見頃 一 ・ ト 罵 層 紙 ぎ 亘35 27一 レ 後 図30・1前 図30衣(橡 ← 一→←一『 図30-3後 一95-・ 布 襖 子 第42号)の 寸 法 図(正 倉 院) 図31 三 領 重 ね の桂(鶴 図32唐 岡八 幡 宮 古 神 宝)(13世 紀 鎌 倉 時 代) 紙霰地案二陪織物桂 袖丈71cm -96一 図33向 鶴 文桂(鶴 岡八 幡 宮 古 神 宝) 図34鳳 風 文 桂(鶴 岡 八幡 宮 古神 宝) 袖 丈71.2cm ' 袖 丈71.8cm 図35・1前 図35-2寸 法図 図35萌 葱 小 葵 地 浮 線 綾 二 陪 織 物 相 袖 丈83cm (14世 紀 室 町 時 代)(熊 野 速 玉 大 社) -97一 る(図30)。 橡 は 通 常 薄 墨 色 又 は 鈍 色 と解 釈 さ れ て い る が 、 『万 葉 集 』 に は 黄 橡 の 略 と考 え られ る 歌 も み ら れ 、 明 る い 赤 味 の 茶 系 の 色 の 可 能 性 も あ る 〔注7〕 。 麻 布 で 襖 子 と名 付 け られ て い る が 、 冬 期 に 抱 の 下 に 着 る 襖 子 とは 異 な る も の で あ る。 本 資 料 は 山 、 後 袖 、 前 身 頃 に 接 ぎ が あ る こ と か ら普 通 な ら下 着 の 類 と考 え られ る が 、 橡 色(灰 色)と い う こ と 、 下 衣 に 袴 を 着 用 して こ の 衣 を着 け る と 、165mく 床 上 が りが25∼30cmく らい の 男 性 な ら ら い に な る こ と 、 袈 裟 を 着 け る な ら接 ぎ 目は 目立 た な い こ と等 か ら僧 服 の 可 能 性 が 高 い 。 全 体 像 の イ メ ー ジ は 図23・2、23・3の 平 安 期 の 現 存 衣 服 が 厳 島 神 社 の 半 膏(特 殊 な 小 形)く 紀 ・鎌 倉 時 代 初 期 の 鶴 岡 八 幡 宮 古 神 宝(図31)に 十 大 弟子 の服 装で あ る。 ら い で 参 考 に で き な い の で 、13世 本 資 料 は 類 似 して い る 。 古 神 宝 の 桂 は 五 領 伝 え られ て い る が 、 そ の 内 の 三 領 を 重 ね た も の が 図31で あ る 。 そ れ ぞ れ が 材 質 ・文 様 や 寸 法 を 異 にす る 。 寸 法 的 に 最 も近 い 桂 は 「 唐 紙 霰 地 案 二 陪 織 物 桂 」(図32)で 、 一番 下 に 重 ね られ て い る 。 桂 は 袖 付 け が 全 て 見 頃 に 付 け られ て い る の で 、 仕 立 て 方 も 「 橡布 襖 子 第42号 」 と共 通 で あ る。 「橡 布 襖 子 第42号 」と 「 唐 紙 霰地 案二 陪織 物 桂 」 との 寸法 を比 較 す る と 以 下 の 通 りで あ る(表1)。 表1 衣 服 名 「 橡 布 襖 子 第42号 前 幅 」 後幅 袖幅 27 32.5 袖丈 身丈 衿下 45 54 115 39 71 衿幅 67 11 (奈良時 代) 「 唐 紙 霰 地 案 二 陪織 物 桂 」 40.6 41 131.8 83.6 15.2 (鎌倉 時 代) 「橡 布 襖 子 第42号 」 の 方 は袖 幅が や や広 いが 、そ の他 は桂 の方 が 各部位 とも大 き い。 「 唐 紙霰 地 案二 陪織 物桂 」 の 上 に 「 向 鶴 文 桂 」(図33)、 さ ら に 「鳳 鳳 文 桂 」(図34) が 重 ね られ 、 上 に行 く ほ ど少 しず つ 大 き く な っ て い る 。 「 橡 布 襖 子 第42号 」 は さ ら に 裕 と も構 造 が 類 似 して い る 。 袖 は 男 性 が 抱 の 下 に 着 用 す る も の で 、袖 丈 が 長 い た め か 下 部 が 振 り に 仕 立 て られ て い る 。熊 野 速 玉 大 社 古 神 宝 祖 「萌 葱 小 葵 地 浮 線 綾 二 陪 織 物 初 」(図35)は14世 紀 ・室 町 時 代 の も の で あ る 。「 橡 布=襖子 第42 号 」 と寸 法 を 比 較 す る と以 下 の 通 りで あ る(表2)。 この場合 も袖 幅 以外 で は 袖 の方 が 各 部位 で大 きい。 服 飾 史 で は 、 平 安 時 代 に な る と国 風 化 の影 響 で 男 女 共 に 貴 族 の 衣 服 が 巨 大 化 す る と い う こ とが 定 説 に な っ て い る 。 そ の 際 、 袖 幅 が 狭 くな って 他 の 部 位 が 大 き く な る と い う傾 向 が 今 回 の 比 較 か ら考 え られ る 。 -98一 表2 衣 服 名 「 橡 布 襖 子 第42号 前 幅 後幅 袖幅 」 27 32.5 袖丈 身丈 衿下 衿幅 45 54 115 67 11 (奈良時 代) 「 萌 葱 小 葵 地 浮 線 綾 二 42 41.5 42 83 183 112 16 陪織 物 相 」(室町時 代) 5.ま とめ 1) 中 国 の 歴 史 的 な 絵 画 資 料 か ら、 皇 帝 及 び 宮 廷 の 人 々 な ど 身 分 の 高 い 人 々 は 垂 領 ・大 袖 の 衣 で 、 そ の 襟 や 袖 口 に は 別 布 の 縁 飾 りが み られ る 。 身 分 の 高 さ は 当 然 衣 服 の 材 質 に 表 わ れ る が 、 袖 丈 に も表 れ て い る 。 特 殊 な 衣 服 と し て 芸 能 人 の 服 装 に大 袖 が み られ る 。 2) 仏 法 に お い て 修 行 を す る 人 、 守 護 す る 人 、 広 め る 人 は 、 悟 り を 開 い た 人 の 表 現(天 衣 ・布 の ド レー パ リー)に 近 い 垂 領 ・大 袖 の 衣 が 採 用 さ れ て い る 。 3) 奈 良 時 代 、 布 は 貴 重 品 で あ る 。 官 服 の 袖 丈 は 、 『続 日本 紀 』 『政 事 要 略 』等 の 記 述 か ら30cm程 度 で あ った 。そ れ を超 え る衣 服 は、 身分 が特 に高 い人 か高 僧 の衣服 にな る。 わ が 国 の衣 服 に は 縁 取 り は み られ な い 。 4) 正 倉 院 所 蔵 の 「 袈 裟 付 木 蘭 染 羅 衣 」 は鑑 真 和 上 の よ うな 高僧 の 中国 風 の 僧服 で 、 こ の 上 に 袈 裟 を 着 け た 服 装 が 考 え られ る 。 他 の 二 領 の 垂 領 ・大 袖 衣 の 内 の 「 衣(橡 第42号)」 は 、 布(麻 布)製 布・ 襖子 で あ る こ と 、 山 、 後 袖 、 前 身 頃 に 接 ぎ が あ る こ と か ら普 通 な ら下 着 の 類 と考 え られ る が 、 袈 裟 を 着 け る な ら接 ぎ 目は 目立 た な い こ と 、 橡 色(灰 色)で あ る こ と、文 献 に お け る 官 服 よ り袖 丈 が 長 い こ と等 か ら僧 服 と 考 え られ る 。ま た 、 後 代 の衣 服 の内 、鶴 岡 八幡 宮古 神 宝 の桂 や熊 野 速 玉大 社古 神宝 相 が形 態 として は類似 の も の で 、 袖 幅 以 外 の 部 位 が 大 き くな る こ と で 衣 服 が 巨 大 化 し た と 考 え られ る 。 謝辞 本 研 究 に 関 連 し て 、 東 大 寺 清 涼 院 の 森 本 ハ ル 子 氏 の ご厚 意 に よ り現 代 僧 服 の 実 物 資 料 を 身 近 に 拝 見 す る 機 会 を 与 え て 頂 き 、種 々 の ご教 示 を 賜 り ま し た 。厚 く御 礼 を 申 し上 げ ま す 。 注 〔1〕 岩 崎雅 美 「 正 倉 院 の 弾 弓 に 描 か れ た 散 楽 の 服 飾 一 服 種 と 着 装 の 視 点 か ら 」(『家 政 学 研 究(奈 良)』Vo1.53 No.2、2007年 、 pp.71-80)。 〔2〕 李 肖沐 『中 国 西 域 民 族 服 飾 研 究 』 新 彊 人 民 出 版 社 、1995年 〔3〕 図 録 『韓 国 ・慶 州 博 物 館 』p.203に 、p.228。 は 、 十 二 支 に つ いて 以 下 の よ う に 説 明 が さ れ 一99一 て い る。 十 二 支 に 対 す る 意 識 は エ ジ プ ト、 ギ リ シ ア 、 中 央 ア ジ ア 、イ ン ド 、 中 国 、韓 国 、 日 本 な ど 広 範 囲 に あ る 。 十 二 支 を 動 物 に 例 え た の は 中 国 ・戦 国 時 代 か ら で あ る 。 ま た 獣 首 人 身 像 と し て の 十 二 支 像 の 成 立 は 中 国 ・階 代 で あ る 。 こ の 十 二 支 像 は 中 国 で は唐 代 で 途 絶 え る が 、 韓 国 で は 統 一 新 羅 以 後 、 陵 墓 彫 刻 と仏 教 美 術 の 面 か ら 継 続 す る 。 当初 は 副 葬 品 で あ っ た が 、 守 護 神 に 性 格 が 変 わ り、 神 将 像 と し て 墳 墓 の 周 りに 配 置 さ れ る よ う に な る 。 〔4〕 黄輝 〔5〕 、pp.99-102。 正 倉 院 に は 主 に 以 下 の よ う な 物 差 しが あ る 。 ① 『中 国 古 代 人 物 服 式 写 画 法 』 上 海 人 民 美 術 出 版 社 、1993年 「紅 牙 嬢 鐘 尺 」 儀 式 用 で 測 る の に 適 し て い な い 。 平 成15年 『正 倉 院 展 』 図 録 (pp.24-25) ② 「白 牙 尺 」 象 牙 の 物 差 し 、 「天 平 尺 」 の1尺 図 録p.32。 平 成3年(1991)以 後の で29.7cm。 平 成18年 『正 倉 院 展 』 図 録 、 お よ びp.52で 『正 倉 院 展 』 は1尺 が 29.67cm。 ③ 〔6〕 「木 尺 」 天 平 尺 の1尺5寸(44.5cm)。 平 成15年 『正 倉 院 展 』 図 録p.26。 「袈 裟 付 木 蘭 染 羅 衣 」(緬 裏) 『正 倉 院 展 』 図 録(1991年 、p.54、 お よ び 、2002年 、 pp.28-29)に よ る と、 中 国 で は 大 祀 、 大 嘗 、 元 日な ど の 高 位 の 高 官 が 着 用 し た 礼 服 の 一 つ で 儀 式 用 、 高 僧 の 衣 の 可 能 性 が あ る こ と 。 後 部 の 方 形 を 袈 裟 と 解 し た の は 明 治 以 降 の こ と 。 『続 日 本 紀 』 天 平 勝 宝4(752)年 大 仏 開 眼会 に 「五 位 以 上 礼 服 、 六 位 以 下 当 色 を 着 用 。」 「東 大 宮 」 の 墨 書 の 小 箋 が 付 い て い る 。 〔7〕 谷 田 閲 次 ・小 池 三 枝 『日 本 服 飾 史 』 光 生 館 、1989年 、pp.33-34。 図 出典 図1 「 龍鳳紋誘錦抱」荊州 市博物館(陳 高華 ・徐吉軍主 編 『中国服飾通史 』寧波出版社 、2002年 、図版p.12) 図2 「 青銅 人像」(前掲 『中国服飾 通史 』 、 図版p.10) 図3 長沙馬 王堆漢墓出土 墓主 と従 者(湖 南省博物館 、筆者撮影、2005年) 図4 長沙馬 王堆漢墓出土 着衣侍 女桶(湖 南省博物館 、筆者撮影 、2005年) 図5 「 洛神賦 図巻」顧憧之筆(東 晋)4∼5世 図6 「 北魏 加彩武吏陶桶」 北魏4∼6世 図7 「 北魏 彩絵陶撃鼓桶」 北魏4∼6世 図8 「北周撃鼓舞桶」北魏4∼6世 紀(前 掲 『中国服飾通史 』、図版p.22) 紀(徐 海茱主編 『中国服飾大典 』華夏 出版、2000年 、カ ラー 図版) 紀(前 掲 『中国服飾通史 』 、 図版p.26) 紀(前 掲 『中国服 飾通史 』 、図版p.26) 図9 「晋武 帝 司馬炎像」晋武 帝(在 位265年 ∼290年)伝 図版P。22) -100一 閻立本筆、ボス トン美術館(前 掲 『中国服飾通史 』、 図10 「 三 彩 文官 」 中 国 ・唐 代 、京 都 国 立 博 物 館 蔵(図 録 『天 平 』奈 良 国 立 博 物 館 、1998年 図11 「 男 侍 図 」(王 仁 波 主 編 『晴唐 文 化 』学 林 出 版社 、1997年 図12 「礼 賓 図 」 唐 景 雲2年(711)、 陳 西 博 物館(前 、p。194) 掲 『晴唐 文化 』、p.94) 図13 「如 来 三 尊 立 像 」(図 録 『中 国 国 宝 展 』東 京 国 立 博 物 館 、2004年 図14 、p。104) 「日光 ・月 光 仏 菩 薩 立 像 」(『日本 の 仏 像22』 講 談 社 、2007年 、p.112> 、p22) 図15 四 天 王 像 、 唐 招 提 寺(前 掲 『天 平 』 、pp.54・55、 pp.58・59) 図16 「梵 天 」 「 帝 釈 天 」(前 掲 『日本 の仏 像22』 、p.23) 図17 「 吉 祥 天 像 」 薬師 寺(前 掲 『天 平 』、p.75,228)・ 西 大 寺(同 書p.69) 図18 中 国 の 十 二 支(『 東 ア ジ ア の 十 二 支 像 』 奈 良 文 化 財 研 究 所 飛鳥 資 料館 、2006年) 図19 キ トラ古 墳 の午 、寅(図 録 『キ トラ古 墳 と発 掘 さ れ た 壁 画 た ち 』奈 良 文 化 財 研 究 所 飛 鳥 資 料館 、2006年 、p.2, 17,28) 図20 武 装 の 十 二 支 亥 、 申(図 録 『国 立 慶 州 博 物 館 』1996年 図21 十 二 支 拓 本 資 料(前 掲 『東 ア ジ ア の 十 二 支 像 』) 図22 石 造 の十 二 支(前 図23 釈 迦 十 大 弟子 「 迦 葉 立 像 」(図 録 『中 国 国 宝 展 』 東京 国 立 博 物 館 、2004年 興 福 寺(前 掲 『天 平 』 、pp。16-17、 p215) 代 の 染 織 』 中央 、 図 版46) 図26 「 袈 裟 付 木 蘭 染 羅 衣 」 維 裏(図 録 『正 倉 院 展 』1991年 図27 「 鑑 真 和 上 座 像 」 唐 招 提 寺 、8世 紀(前 図28 「 衣(布 単)(布 抱 第15号)」(関 図29 「 衣(布 袷)(橡 布 襖 子 第42号)」(前 図30 「 衣(布 袷)(橡 布 襖 子 第42号)」 、p.126) 「 天 寿 国繍 帳 」7世 紀 前 半 、 中 宮 寺(松 本 包 夫 責 任 編 集 ・山辺 知 行 監修 『日本 の 染 織1上 公 論 社 、1982年 図31 午(前 掲 『天 平 』、 p.112) 掲 『国 立 慶 州 博 物 館 』 、pp.182-183) 「目健 連 立 像 」 「 舎 利 弗 立 像 」 天 平6年(734)、 図24・25 、p.61,63)、 、p.54。 図録 『正 倉 院 展 』2002年 、 pp.28-29) 掲 『天 平 』 、pp.52-53) 根真隆 『 奈 良 朝 服 飾 の 研 究 図録 編 』吉 川 弘 文 館 、1974年 、p.31,122) 掲 『奈 良 朝 服 飾 の 研 究 図録 編 』、p.32) 寸 法 図(前 掲 『奈 良 朝 服 飾 の研 究 図 録 編 』 、p.123) 三 領 重 ね の 桂 、 鶴 岡 八 幡 宮 神 宝(堀 越 す み 『日本 衣 服 裁 縫 史 』雄 山 閣 出 版 、1974年 、p.66) 図32 「 唐 紙 霰 地 案 二 陪織 物 桂 」 鶴 岡八 幡 宮 神 宝 図32-1 前(『 原 色 版 国宝7 鎌 倉1』 毎 日新 聞 社 、1980年 、p。153) 図32-2 寸 法 図(堀 越 す み 『日本 衣 服 裁 縫 史 』 雄 山 閣 出版 、1974年 図32・3 表 地(霰 地 案 の 文 様)(高 、p.67) 田倭 男 責任 編 集 ・山辺 知 行 監 修 『日本 の 染 織2公 年 、 原 色 図 版7) 図33 「 向 鶴 文 桂 」鶴 岡 八 幡 宮 古 神 宝(前 掲 『公 家 の染 織 』、 原 色 図 版3) 図34 「 鳳 鳳 文桂 」 鶴 岡 八 幡 宮 古 神 宝(前 掲 『公 家 の染 織 』、 原 色 図 版1) 図35 「 萌 葱 小葵 地 浮 線 綾 二 陪織 物 袖 」 熊 野 速 玉 大 社 図35-1 前(前 掲 『公 家 の 染 織 』、原 色 図 版12) 図35-2 寸法 図(前 掲 『日本 衣 服裁 縫 史 』 、p.93) -101一 家 の 染 織 』 中央 公 論 社 、1982