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「おちほ」第26号

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「おちほ」第26号
攣「㌻手下
第26号 平成8年9月10日 発行 社会福祉法人 椎の木会 落 穂 寮 発行者 山下 陽一
湖畔学舎
泳相だ
遊んだ
笑った′
8月の1・2・3と、2泊3日
でき、ホッとひと安心でした。
の湖畔学舎に行ってきました。今
年は琵琶湖の今津浜です。初めて
の場所ということで、どんな所な
のか不安も抱えていましたが、寮
生さんはすんなりと慣染み、適度
な緊張感が良かったのか大きな事
故もなく、皆元気に過ごすことが
天気にも恵まれ、青い空の下、
広い琵琶湖で楽しそうに遊ぶ寮生
さんの笑顔もさわやかでした。い
つも2班に分かれて交互に入水す
るのですが、あまりの暑さに我慢
できず飛び込んでしまう人、また
逆に水は苦手で浅瀬で遊ぶのが好
きな人、と楽しみ方は様々でした
が、水上運動会では棟対抗競技に
ではキャソプファイヤーのもと、
盛り上がり、夜のアトラクショソ
また今年もたくさんのポラソティ
職員やボラソティアさんの出し物
や寸劇で演出された花火の打ち上
げで、楽しい夕べのひとときをす
ごし、3日間を満喫してくれたの
ではないかと思います。
アの方が来てくれました。お世話
になった宿舎の方ももちろん、多
くの人に支えられてこそ無事に終
えることのできる行事なんだと実
感すると共に、寮生さんの笑顔で
疲れもふっとぷ今年の湖畔学舎で
した。
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け
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∵∵∵∵二∴∴∴︰理$長 増 田
昭和22年7月、創立して間もない
その名も学園歌にうたわれる
近江学園の後援団体として発足し
。
た
﹁
∵
∵
。
∴
ちもしばらく後援
︵松尾芭蕉の句︶ からとって、
﹁近江学園椎の木会﹂と名づけら
れた。昭和23年4月、児童福祉法
が施行され学園が県営になったの
その協力の輪は吉田さんが逝くなっ
地域に後援会員をひろめ、また寄
附金をあつめられた。吉田さんの
田さんの呼びかけは県下各地に反
つよくゆりうごかしていった。吉
﹁まずたのむ椎の木もあり夏木立﹂
をつづけた。
学園のなかで重
度児や年長児の問
題が討議され、重
た後までつづいた。
予定が深夜におよんで、案に泊ら
れ翌早朝帰宅された。代理者の責
任をはたすお考えだった。︼
法人役員会がひらかれ、はじめ
た吉田さんは、また人一倍情の厚
い人だった。僕が赴任したときの
事務引継ぎに、病中の斉藤寮長に
かわって立ち会われた。短時間の
自戒きびしく、気性のはげしかっ
人徳がたくさんの協力者をつくり、
響し、各地に地区委員がつくられ、
度児の施設﹁落穂
創立時、椎の木
なった。
に専念することに
た。椎の木会は新
しい落穂寮の経営
和25年5月誕生し
くとも社会につな
ぐ拠点として、昭
寮﹂が、社会に巣
立つ可能性は難し
会長は吉田さんが就任し、全県の
婦人に﹁子をもつ母の愛を落穂の
子に﹂ と呼びかけ、二、〇〇〇名
余の後援会員をつくられた。会員
は折にふれ寮生の慰問と励ましに
みえた。家庭をはなれ愛情ほしい
寮生は、身体をふるわせ歓声をあ
げ会員を出迎えた。天衣無縫の喜
びの歓迎が訪問者の愛の心を強く
正
わになって吉田さんに名差しで呼
している。私は常務理事や。会の
ばれ、﹁落穂寮は椎の木会が運営
方針にそって働いてもらうから、
勝手なまねはゆるさんぞ、わかっ
たか増田﹂。何かわからんかった
が、﹁はい!﹂と返事する。
て動きまわった。
それについて一言
なかった。
もいわれたことが
のちには公私と
もに親しくしてい
ただき、またたい
へんお世話になり
感謝で一杯だ。忘
れがたい思い出が
る。
つぎつぎ浮んでく
日のお姿をしずかに思い浮べつつ。
本当に立派な人だった。在りし
たと思う。
めは吉田さんなくしてできなかっ
て始まった。その借金返済を椎の
木会が背負って県下の婦人に訴え、
寄附をつのり5年ほどで完済する
ことができた。人にあえば﹁落腰
寮の子どものために﹂と呼びつづ
けられた吉田さんにとって、椎の
木会と落穂寮は愛してやまない我
が子のようだった。落穂寮の足固
落穂寮は近江学
園から独立したが、大きな借金を
して、開設の敷地と建物を買収し
ふくむ今昔
﹁
∵
∴
。∵﹁ た ら し い 。 し か し
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それから10年は信用されなかっ
され、大将づらし
。∵﹁ 斉藤寮長のもと寮
内外の処理をまか
一三i三●三一三
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て役員にお目見えすることになっ
た。役員は各界の名士ときいてい
た。恐るおそる会議にでた。会の
顧問で僕の紹介者でもある糸賀先
生の紹介で末席に緊張してすわっ
た。会議後の歓迎会で、宴たけな
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落穂案の経営母体の椎の木会は、
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ふくむ今昔
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▲創立30周年記念式の日の吉田ナミさん
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r・三■・三■・三十三
■ニケ二三十三■・三
をつよく感じさせられました。
者の出自を街の主張としているの
によりキソグ牧師の紹介もなされ
返らせてくれました。
知っていることをあらためて振り
ていない。そしてこれは世界中が
﹁わたしには夢がある。﹂ この言
葉は、スピーチのなかで繰り返さ
れていましたが、街を代表する指
導者の業績をたたえることも忘れ
ました。このようなところにも黒
さて、日本におきかえるとどう
人差別の重い歴史を背負い、開放
運動の礎として今日に至った指導
妙な比較かもしれませんが、黒
れるパーキソソソ病に侵されてい
るのです。
私は世界一をきめるスポーツの
祭典に、身体の躍動とそのうらに
なるでしょうか。さしずめ、国際
大会が滋賀県で行なわれたとき、
当時の糸賀先生の映像と﹁この子
人開放運動の指導者と福祉の実践
ことになるのでしょうか。
らを世の光に﹂ の録音が流される
チが世界の人々に引き継がれ、最
れても悲鳴をあげることなく、な
いことの一つに、﹁夢﹂があげら
れると思います。しかもこれが破
家の共通点で見落としてはならな
ブル震わせてトーチを支え、から
いるモハメド・アリの姿でした。
この衛星中継をみていた人々は、
特別な感動をおぼえたのではない
でしょうか。
ボクシングの過去の世界的チャ
ソピオソのかれはけっしてお行儀
のよいスポーツ選手ではありませ
んでした。過去の栄光がまだ鮮明
ななか、かれは現在脳に障害を受
け、全身に運動機能障害があらわ
ていることに寄るものかも知れま
せん。それに加え、わたしは、楽
天的な捕え方ができることこそ、
わきあがる﹁夢﹂ のみなもとだと
思っています。
事ができる。これは深い信仰にたっ
お﹁夢﹂を持ち続けている事では
ないかと思います。
その場面の限界に達したときで
さえ、悲鳴をあげないで受入れる
だ全体が緊張でこわばって立って
トを当てられたのは、左手をプル
後のラソナーに引き継がれようと
したとき、聖火台のたもとでライ
アテナイの神殿で点火されたトー
この大会で最も印象にのこってい
るのは開会式です。
数々あったようですが、わたしが
されました。連日テレビや新聞で
選手の活躍ぶりが報道され、自分
との戦いを限界まで燃焼させてい
るすがたや、印象ぶかいドラマが
アトラソタオリソピックが開催
.三卜三一三.三.一三一三〆㍉・三
/
今日、落穂寮に行った。行く前
らなくなりました。けど、何度も
だけ。あとはみんなと同じ。私た
人とは少しおくれる。たったそれ
今日一日でとても大切なことを
学んだと思う。初めに思ってた自
分の気持ちが、なさけないです。
やはり障害を持っていると、他の
たけど、すぐ座って今度はぞうき
の私は、不安や心配な気持ちでいっ
てくれて、ぞうきんを持って、そ
何度も話かけたら、その子が立っ
▽落穂寮成人施設化が、ゆっくり
と、でも確実に音を立てて動き出
しています。今、何を求められて
いるのか、私達は何がしたいのか、
より良いサービスを提供する為に
は?日々頭を悩まし、話し合って
います。しかし、客観的な意見は
なかなか出ませんので、皆様から
の御意見・御協力の程よろしくお
願い致します。
大腸菌0157が、伝染病に指定
されました。これで少しは落ち着
し.
﹁′.、、主弓く、、、.YYYj童之毒
私たちはどうしたらいいのかわか
んを持ってもくれなくなりました。
ぱいでした。こういうことは思っ
うじをしてくれました。一人でそ
ちがきれいな花を見て﹁きれい﹂
と思うように、障害を持った人も
イ葉の人と仕事をして:。レ
てはいけないのかもしれないけど、
うじをしたわけではありませんが、
橋元涼子
﹁落穂寮の人は、私たちと同じ人
間だ﹂と先生に言われたけど、私
の心の中では、﹁やっぱりちがう
⋮。﹂ と少し思ってしまう。いく
ら同じ人でも障害を持っていたら
といっしょに〝おふろそうじ〟をし
くのでしょうか。でもまだまだ暑
い日が続きます。0157に限ら
▽最近猛威を振るっている病原性
て、私の気持ちは変わりました。
障害を持っていても、私たちが声
う0
ず、食中毒には充分気を付けましょ
けど、今日障害を持った人たち
少しちがう目でみてしまう。
をかけてしてほしいことを言うと、
たちの言っていることがわかって
してくれたのじゃないのかなと思
のは不思議です。けど、それは私
たのに、きゅうにする気になった
に見えた。さっきまで何もしなかっ
私には一生懸命がんばってるよう
たいおもわないと思う。思いたく
ないです。
私はもう初めに書いた気持ちはぜっ
ぱり感じる気持ちは同じだと思う。
て同じ人間だもん。だから、やっ
そのように思う。きっと⋮。だっ
ちをもって、ごめんなさい⋮。
自分の徳を減らすような接し方
にならないように気をつけたい
ものです。
る﹂という立場にたちがちです。
ある古老から聞いたことばで
す。施設職員は、﹁∼してあげ
けて頂くことになる。
いうのはその相手から徳を分
自分の徳をその相手にあげる
ことに、﹁∼させて頂く﹂ と
﹁∼してあげる﹂というのは
木 言
初めは反応がないけど、二・三度
言うとわかってくれて、私たちよ
りも一生懸命がんばってそうじを
していました。自分がする場所の
う。その子供がぞうきんを持って
そうじが終わると、つかれたのか
座りこんでねている人もいた。そ
れがなんだか、﹁かわいいな⋮。﹂
こちらから話をかけてもまったく
そうじをしてくれたことは、とて
と思いました。
けど、一人ずっと座りこんで、
反応がなくずーと遠くを見ている
もうれしかった。
落穂寮のみなさん、へんな気持
うきんを持ってふこうとしてくれ
子がいました。一度は、立ってぞ
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