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原風景 は何か
原 風 景 とは何 か 木 岡 伸夫 は じめ に 住 ま い の風 土 性 ・持 続 性 に深 くか か わ る 「 原 風 景 」 の 本 質 を探 り当 て る こ とが 、 本 稿 の 役 割 で あ る。 しか し、 これ ま で の哲 学 に お い て 、 風 景 に 関 す る部 分 的 言 及 は 再 三 行 わ れ て も 、 世 界 認 識 の構 図 の 中核 に風 景 概 念 を 位 置 づ け る よ うな 「風 景 哲 学 」1は見 られ な い 。 そ れ ゆ え 以 下 で は 、 ま ず 哲 学 的 風 景 論 の 理 論 的 骨 格 を示 し、 そ の 中 で 「 原 風 景 」 の 占 め る位 置 を 明 らか に す る。 そ の 上 で 、 焦 点 とな る 「 原 風 景 」 の 本 質 につ い て 検 討 を 加 え 、 最 後 に 風 景 哲 学 の 課 題 を確 認 す る 、 とい う議 論 の 運 び に した い。 理 論 の 全 体 像 を 提 示 す る に あ た り、 ま ず 方 法 論 上 の 特 色 を 挙 げ て お こ う。 風 景 の経 験 を 分 析 的 に 記 述 す る さい に は 、 構 造 論 的 視 点 を と る。 これ は 、 三 つ の 構 造 契 機 原 風景 ・ 表 現的風 景 基 本風 景 ・ の連 続 的 展 開 に よ っ て風 景 経 験 を 説 明 す る 立 場 で あ る。 そ の場 合 、 風 景 経 験 の 全 体 は一 種 の 〈 構 造 〉 と して と らえ る こ とが で き る。 こ れ に対 して 、 風 景 の 変 化 を惹 起 す る 主 体 的 実 践 を重 視 した 場 合 に は 、 前 者 とは 異 な る弁 証 法 的 視 点 を 取 り入 れ る こ と が 必 要 に な る。 こ こ で 〈弁 証 法 〉 とい うの は 、構 造 契 機 間 の 非 連 続 を 前 提 す る 〈 媒介〉 の論 理 を 意 味 す る。 構 造 論 と弁 証 法 は 、 ふ っ う両 立 し が た い 立 場 と考 え られ て い る 。 しか し本 論 で は 、 あ え て こ の 二 つ を1ryLJす る方 向 を選 ぶ 。 理 由 は 、 生 き られ る 風 景 を 問 題 に す る こ と の うち に 、 経 験 的 現 実 の 分 析 再 構 成 とい う理 論 的 関 心 と未 来 志 向 的 な 実 践 的 関 心 と の 不 可 分 な結 合 が 潜 ん で い る と考 え られ る か らで あ る 。 そ れ は 、 風 景 が 「い か に あ る か 」 と風 景 を 「い か に つ く りだ す か 」 を 不 可 分 な 問 題 と して 、 同 時 に そ れ ら に 答 え よ う とす る 立 場 で あ る2。 1こ の 点 に関 して は 、次 の拙 稿 を参 照 され た い。 「 風 景概 念 の哲 学 的反 省 」、 関 西 大 学 哲 学 会 『哲 学 』 第 、219-246頁 。 25号 、2005年 2筆 者 の 構 想 す る風 景 哲 学 の 全 容 に っ い て は 、拙 著 『風 景 の論 理 一 沈 黙 か ら語 りへ 』 世 界 思 想 社 、2007 年 、 を参 照 して い た だ き た い。 本 稿 の 主要 箇 所 の記 述 は 、 同 書 と重 複す る こ とをお 断 りす る。 27 1〈 構 造 〉 と して の 風 景 1.構 造 論 的諸 契機 風 景 の 経 験 は 、a.基 風 景 、c.表 本 風 景 、b.原 現 的 風 景 、 とい う三 つ の構 造 契 機 か ら構 成 され る。 これ ら 三 つ の ほ か に、 構 造 外 的 要 因 と して密 接 に か か わ っ て く る の が 、d.原 型(X)で あ る。 そ れ ぞ れ の 性 格 は後 述 す る が 、 さ しあ た り各 契 機 間 に 生 じ る時 間 的 展 開 を図 式 化 す る と、 ピ ラ ミ ッ ド型 の 構 造 モ デ ル を 考 え る こ と が で き る(図1)。 この よ うに 構 造論 的 に見れ ば、積 層型 の モデル とな るが、三 つ の構造 契機 が 同時 に共存 す る 中で働 き合 う 〈 媒 介 〉 の あ り方 を ク ロ ー ズ ア ッ プ す る と、 円形 図 の 弁 証 法 的 モ デ ル が 考 え ら れ る(図2)。 このモ デ ル に よ れ ば 、 各 契 機 は第 三 項 の媒 介 に よ っ て 一 か ら他 へ 転 じ る こ とに な る 。 ま ず は 構 造 論 的図 式 に したがい 、そ れぞ れの契機 に つ い て 説 明す る 。 a.基 本 風景 最 も身 近 で あ りな が ら、 気 づ か れ に くい 風 景 で あ り、 風 景 経 験 の 中 の 不 可 視 的 な 次 元 と い う こ とが で き る。 過 去 に 「 風 景 哲 学 」 が 不 在 で あ っ た の は 、 風 景 画 の よ うな 表 現 形 態 の み が 取 り上 げ られ 、 経 験 の ダ イ ナ ミズ ム が 問 題 に され な か っ た こ と に起 因 す る。 基 本 風 景 とは 、 日常 世 界 の 中 で 沈 黙 の うち に 実 践 され て い る も の の 見 方 に ほ か な らな い 。 し か し 、 そ うい う 〈見 え な い 〉 暗 黙 的 な 世 界 認 識 を 問 題 に した 哲 学 者 が い る。 ハ イ デ ガ ー に よ る 現 存 在 の解 釈 学 とベ ル ク ソ ン の 知 覚 論 の テ ク ス トを参 照 した い 。 「し か し こ こ で は 自然 と い う も の を 、 た だ の 客 体 に過 ぎ な い も の と して 理 解 して は な ら な い 。 ま た 大 自然 の 力 とい う意 味 に 解 し て も な ら な い 。 森 は 山林 で あ り、 山 は石 切 り場 で あ り、 河 は 水 力 で あ り、 風 は 「帆 に は らむ 」 追 い 風 で あ る 。 発 見 され て い る 「 環 境世 界 」 と と も に 出 会 う の は 、 この よ うな 形 で 発 見 され る 「自然 」 な の で あ る 。 そ の あ り方 は 、 用 具 的 で あ る 」3 28 原 風景 とは何か(木 岡) 第 一 次 的 に 出 会 わ れ る 自然 を 、 ハ イ デ ガ.__.は 「 用 具 」(手 許 に あ る も の 、Zuhandensein) と して 考 え た 。 人 々 が 関 心 を 寄 せ る風 景 は 、 お お む ね 理 論 的 ・観 想 的 な 生 の 水 準 に お い て 出 会 わ れ る 自然 を意 味 して い る 。 しか しそ う した 、 い わ ば 特 殊 理 論 的 な 関 心 に 先 立 っ て 、 周 囲 の 事 物 は 目立 た な い 相 貌 の も と に 「現 れ て い る」、 否 む し ろ 「生 き られ て い る」。 こ の よ うに 直 接 生 き られ て い る 「 手 許 に あ る も の 」こそ が 、風 景 経 験 全 体 の構 造 的 基 礎 で あ り、 し た が っ て構 造 を 分 析 記 述 す る た め の 出 発 点 で あ る。 こ の よ うにハ イ デ ガ ー は 、 「 基本風 景 」 の あ り方 を 理 解 して い た と考 え られ る。 次 い で ベ ル ク ソ ン の 記 述 を 取 り上 げ よ う。 「現 在 の 対 象 の認 知 は 、 そ れ が 対 象 か ら生 ず る 場 合 は 運 動 に よ っ て 行 わ れ 、 主 体 か ら発 す る場 合 は 表 象 に よ っ て行 な わ れ る 」 「時 間 に つ れ て 配 列 され る 記 憶 か ら、 お の ず か ら な 推 移 を 経 て 、 運 動 へ の 移 行 が 行 な わ れ 、 こ の 運 動 は 生 ま れ つ つ あ る そ の 行 動 あ る い は 可 能 的 行 動 の 構 図 を描 く … 」4 運 動 に よ る認 知 とは 、 理 論 的 な 関 心 な しに 見 る と い う実 践 、 〈見 る こ と な しに 見 る〉 と い っ た 見 方 を 意 味 す る。 そ れ を 指 し て ベ ル ク ソ ン は 、 「わ れ わ れ は 自 らの 認 知 を 考 え る 前 に 演 じ て い る 。 わ れ わ れ の 日常 生 活 は 、 単 に 存 在 す るだ け で わ れ われ に あ る役 割 を 演 じ さ せ る 諸 対 象 の 中 で 営 ま れ て い る 」5と言 う。 い っ ぽ う 「主 体 か ら発 す る」 の は 、 そ れ と は 対 照 的 に 、 理 論 化 的 関 心 の も と で成 立 す る よ うな認 知 で あ る。 そ れ は 、 反 省 的 思 考 を つ う じ て 知 覚 と記 憶 を 「 表 象 」 と して 統 合 す る 過 程 で あ る。 こ の 二 つ の 認 知 の過 程 が 、 連 続 性 ・ 相 関性 を も つ とい う洞 察 が 、 最 後 の命 題 で 述 べ られ て い る。 基 本 風 景 が 身 体 的 に 生 き られ る の は 、 主 体 が 世 界 を 了 解 す る と と も に 、 世 界 が 隠 れ つ つ 働 い て い る か ら で あ る。 そ う した 存 在 了 解 の 端 的 な 現 れ が 、 場 所 ・土 地 に 「住 ま う」(住 み つ く)と い うあ り方 で あ る。 た とえ ば ボ ル ノ ウ の 空 間論 は 、 身 体 一家 一風 土(世 界)の 問 に 成 り立 つ ア ナ ロ ジ ー を 明 らか に し て い る6。 b.原 風景 基 本風 景 は 〈 沈 黙 〉の 次 元 に位 置 す る が 、原 風 景 は 〈 語 り〉の 次 元 で 成 立 す る風 景 で あ る。 個 々 人 の 語 りは 、 共 同 的 な 場 に お い て 社 会 的 経 験 と して の 物 語 へ と仕 上 げ られ て ゆ く。 こ の 物 語 制 作 の 場 が 、 「風 土 」 で あ る と考 え られ る。 風 土 に お い て 、 風 景 に 言 葉 に よ る 意 味 3Heidegger,M.,SeinundZeit,T ingen.,MaxNiemeyer,1979,S.70.ハ 細 谷 貞 雄 訳 、 ち く ま 学 芸 文 庫 、1994年 、166頁 イ デ ッ ガ ー 4Bergson,H.,Mati鑽eetm驕V20ire,Paris,P.U.E,1968,pp,82-83.『 節 夫 訳 、 51bid.,p.103.訳 白 水 社 、1974年 書110頁 、91-92頁 ベ ル グ ソ ン 全 集2・ 物 質 と 記 憶 』 田 島 。 。 6Bollnow,0.R,MenschundRaum,Stuttgart,W.Kohlhammer,1963.オ ウ 『存 在 と 時 間(上)』 。 『人 間 と 空 間 』 大 塚 恵 一 ほ か 訳 、 せ ッ トー り か 書 房 、1980年 ・フ リー ド リ ッ ヒ ・ボ ル ノ 。 29 が 与 え られ る。 ま た 物 語 に は 、 後 述 す る よ うに個 人 的 意 識 の底 に あ る類 的 次 元(原 型)が 反 映 さ れ る。 した が っ て 原 風 景 は 、 「個 」 で は な く 「 種 」 に 定 位 す る風 景 経 験 で あ る 。 こ う した 詳 細 に つ い て は 、 次 章 に委 ね る 。 c.表 現 的風 景 原 風 景 は 言 語 的 な 媒 介 を 経 て は い る も の の 、い ま だ 十 分 な 〈 表 現 〉 に は 到 達 して い な い 。 表 現 に は物 語 行 為 に は な い 一 つ の 契 機 が 関 与 す る。 そ れ は 〈 個 の 自立 〉 で あ る 。 表 現 の 担 い 手 は 、 しば しば 社 会 に と っ て 異 端 で あ る よ うな 特 権 的 個 人 、 天 才 で あ る。 共 同社 会 と個 人 の状 況 か ら 、 二 種 の 表 現 欲 求 が 生 ま れ て く る。 第 一 に 、 共 同 体 に 存 続 の 危 機 が 訪 れ た と き 、 人 は 共 同 性 の 維 持 ・修 復 の た め に す す ん で 語 ろ う とす る。 も う一一つ は 、 自 己 の 意 志 に よ っ て か 意 に反 して か 、 い ず れ に せ よ 帰 属 集 団 か ら離 脱 す る さ い に 、 自 己 の 存 在 強 化 の た めに 〈 表 現 〉 行 為 を 企 て る場 合 で あ る 。 前 者 の 動 機 が 帰 属 集 団 との 紐 帯 を補 強 す る こ とに あ るの に 対 し、 後 者 で は 特 権 的 個 人 の 集 団 か らの 自立 が 志 向 され て い る。 表 現 的 風 景 は 、 構 造 的 に風 景 経 験 の 頂 点 を形 づ く る。 原 風 景 が 過 去 か らの 連 続1生と して 「原 型 」 に 関係 す る の に 対 して 、 そ の よ うな 連 続 性 を い っ た ん 断 ち切 り、 生 の 根 源 に 立 ち 返 る と こ ろ か ら生 ま れ る も の が 、 表 現 的 風 景 で あ る。 こ の 水 準 が 出 現 す る こ とで 、 風 景 経 験 の構 造 が 完 成 す る。 表 現 的 風 景 は 個 に よ っ て 生 み 出 され る が 、 そ こ に は 類 ・種 ・個 の 相 互 媒 介 が 成 立 す る。 d.原 型(X) 原 風 景 の 水 準 に お い て 、 個 人 的 経 験 は 社 会 的 経 験 に接 続 す る。 そ れ と は別 に 、 風 景 経 験 に根 本 的 な 類 似 性 を も た らす も の と して 、ヒ トが 有 す る 「 人 類 学 的 共 通 基 劉 が 考 え られ る 。 こ の よ うな 風 景 経 験 の類 的 次 元 を 、 「 原 型 」(X)と 呼 ぶ こ と にす る。 原 型 そ れ 自 体 を 取 り 出 す こ と は 不 可 能 で あ り、 生 物 学 的 理 論 や 深 層 心 理 学 に お け る 象 徴 化 の観 点 か らそ の 存 在 を 類 推 し うる の み で あ る 。 後 者 の 例 と して ユ ン グ の 『元 型 論 』8を 参 照 す る と、 そ こ で は 「 影」 「 ア ニ マ 」 を は じ め 、 さま ざま な 「 元 型 」(Archetypus)や イ メ ー ジ が 扱 わ れ て い る。 重 要 な こ と は 、 普 遍 的 な 元 型 な る も の は 、 そ れ 自体 と して 直 接 把 握 され る 実 体 で は な く、 具 体 的 で 多 様 な イ メ ー ジ の 展 開 の 中 か ら規 定 され る シ ン ボ ル だ とい う こ とで あ る。 た と え ば 、「母 」 「 童 子 」厂 老 人 」 の よ うに 人 格 的 な シ ン ボ ル を 見 る と、そ れ ら は 無 限 に 多 様 な イ メ ー 7ベ ル ク は 、歴 史 や 文 化 を超 え て あ らゆ る 人 間 社 会 に 共 通 す る風 景 を 「 元 風 景 」(proto-paysage)と 呼 ん で い る。 オ ギ ュ ス タ ン ・ ベ ル ク 『日本 の 風景 ・西 欧 の景 観 』、篠 田勝 英 訳 、講 談 社 現 代新 書 、1990年 、「 第 一 章 人 類 学 的 共 通 基盤 」 。 しか し本 稿 で は 、そ れ は 現 実 の 風 景 経 験 以 前 の 無 規 定 性 で あ る とい う意 味 で 、 「 原 型 」(X)と 呼 ぶ こ とに す る。そ れ がXで あ る とい うこ とは 、文 化 的 次 元 か ら顧 み られ る 原 型 的 な 地 平 が 、 つ ね に 多 様 化 され 差 異 化 され た も の と して現 出 す る とい うこ と、 した が っ て 歴 史 を超 え て原 型 自体 を規 定す る こ と は不 可 能 で あ る、 とい う認 識 を表 して い る。 8C・G・ 30 ユ ン グ 『元 型 論 』(増 補 改 訂 版)林 道 義 訳 、紀 伊 国屋 書 店 、1999年 。 原 風 景 とは何 か(木 岡) ジ が 展 開 す る 元 とな る類 型 で あ っ て 、 具 体 像 な し に は 存 立 しえ な い。 ユ ン グ は 「振 舞 い の パ タ ー ン」(pattemofbehaviour)と い う表 現 を 用 い て 、 元 型 が 心 的 活 動 の 形 式 を 表 す と して い る。 元 型 が 形 式 、 イ メ ー ジ が 内 容 を意 味 す る とす れ ば 、 形 式 と 内容 の 相 関 性 は経 験 科 学 の テ ー マ に な る と考 え られ る 。 2.構 造一 時 間 的 ・空 間 的 秩 序 こ こ に い う 〈構 造 〉 は 、 構 造 主 義 が 想 定 す る よ う な 「 規 則 」 とい う強 い 意 味 を も た な い 記 述 的 な 概 念 で あ る。 風 景 の 表 現 以 前 に 、 も の の 見 方 を 決 定 す る よ うな 〈 風 景 の構 造〉 が 存 在 す る わ け で は な い 。 む しろ そ れ は 、表 現 と同 時 に 瞬 間 的 に成 立 す る 「 構 造 化 す る構 造 」 (structurestructurante)9で あ る 。 そ こ に 現 出 す る構 造 、 つ ま り文 化 的 な 〈 型 〉 は、永 遠不 変 の イ デ ア 的 存 在 で は な く、 偶 然 性 を孕 ん だ 瞬 間 的 で 可 塑 的 な 秩 序 とい う性 格 を 帯 び て く る。 と こ ろ が そ れ は 、 瞬 間 的 に仮 構 され た も の で あ り な が ら、 意 識 主 体 に とっ て は あ た か も永 遠 に そ こ に存 在 して 自己 の振 る舞 い を 方 向 づ け 、 ま た 規 制 す る か の よ うな 規 範 的 性 格 を備 え る。 人 は 歴 史 的 存 在 で あ る か ぎ り、 〈 制 度 〉 と して の 文 化 を負 荷 と して 引 き 受 け な い わ け に は ゆ か な い 。 歴 史 的 世 界 に 生 き る こ と は 、 伝 統 を 自 らの 意 識 の 中 で 実 体 化 し、 そ れ を参 照 基 準 とす る こ と に よ っ て 、自 己 の 行 為 を 秩 序 づ け よ う とす る こ と に ほ か な らな い。 〈 構 造 〉 に お け る 〈上 昇 〉 過 程 と 〈 下 降 〉 過 程 とは 、 時 間 的 秩 序 に お い て 逆 方 向 を示 す 。 表 現 の 生 まれ る 最 大 の 要 因 は 、 生 命 の 根 源 で あ る 自 己 表 出 の 欲 求 、 衝 動 で あ る。 こ こ に 、 ピ ラ ミ ッ ドの 最 下 層 か ら頂 点 に 向 か う 〈上 昇 〉 の運 動 が 生 ま れ る。 生 命 的 衝 動 に よ っ て発 動 す る 表 現 作 用 は 、 下 か ら上 へ と二 つ の 水 準 を 貫 通 す る 過 程 にお い て 、 多 くの 主 体 の も と で無 数 の 語 りを 生 み 出 し、 特 定 の 個 人 の も と で 傑 出 した 作 品 を成 立 させ る。 こ の よ うな 表 現 行 為 に は社 会 全 体 が 参 加 す る が 、 そ の 運 動 を創 造 の レベ ル に 引 き 上 げ る の は 、 特 権 的 個 人 で あ る 天 才 の一 撃 で あ る。 生 ぎ られ る 風 景 は 、 こ う して 具 体 的 形 象 へ と可 視 化 され 、 一 般 に 理 解 され る よ うな 〈目 に見 え る 〉 風 景 と な る。 〈 構造 〉 にお ける 〈 下 降 〉 過 程 は 、 表 象 化 した 風 景 が 、 〈制 度 〉 と して 個 人 的 ・集 団 的 な 実 践 に影 響 を及 ぼ す 過 程 で あ る。 こ の 場 合 も 、 〈表 現 〉 の 意 味 が確 定 した 後 に 文 化 的 影 響 力 が 発 揮 され る わ け で は な い 。 作 品 が 社 会 の 中 か ら生 ま れ て そ の 卓 越 性 が 承 認 され て ゆ く <上 昇 〉 の 過 程 と、 そ れ が 集 合 表 象 の 中 に 定 着 して 規 範 的 な 効 果 を 及 ぼ し て ゆ く<下 降〉 の 過 程 と は 、 同 一 の 事 実 の 両 面 に ほ か な らな い 。 優 れ た 表 現 を仰 ぎ見 る視 線 と、 作 品 を 模 倣 し よ う とす る表 現 的 実 践 と は 、 同一 の 意 識 に 属 す る。 だ が 不 可 逆 的 な 線 条 的 時 間 の 図 式 にお い て、 〈 上 昇 〉 と 〈下 降 〉 とい う逆 方 向 の 運 動 が 同 時 に成 立 す る と主 張 す る こ と は 困 難 で あ る。 そ こ に 時 間 的 ・空 間 的 秩 序 と して 、 〈構 造 〉 の 観 点 を 導 入 す べ き 理 由 が あ る。 9Bourdieu,P.,Lesenspratique,Paris,Minuit,1980,p.88 隆 訳 、 み す ず 書 房 、1988年 、83頁 .P・ ブ ル デ ュ 『実 践 感 覚1』 今 村 仁 司 ・港 道 。 31 そ れ は 、 二 方 向 の運 動 が 瞬 時 に 相 互 媒 介 され る よ う な 〈 場〉 ま さ し く<構 造 〉 が 存 在 し、 経 験 が そ う した 〈場 〉 の 力 学 に よ っ て 進 展 す る とい う見 方 で あ る 。 II原 1.語 風景 沈黙か ら語 りへ る こ との意味 「 語 る人 」(homoloquens)の 定 義 が 物 語 る ご と く、人 は言 葉 を 用 い て 語 る生 き物 で あ る。 何 を 、 な ぜ 、 い か に 語 る の か 。 ア リス トテ レ ス の 定 義 に よれ ば 、 人 間 は 自 ら の行 為 を ミ ュ トス に よ っ て 語 る 生 き物 で あ る10。 ミュ トス と は 、何 ら か の テ ロス(目 的)を もった行 動 、 出 来 事 で あ る。 ミュ トス の 本 質 は 「筋 立 て 」 で あ り、 経 験 を 意 味 の あ る 出 来 事 へ と組 織 す る こ とで あ る か ら、 そ れ を 「 物 語 」 と言 い 換 えて も よ い だ ろ う。 「 語 ら う」 「語 り合 う」 の 用 例 が 一 般 的 で あ る よ うに 、 語 る こ と は他 人 に 向 け て言 葉 を発 す る だ け で な く 、 聴 く者 が そ れ を受 け て 語 る 側 に 転 じ る とい う形 で の 〈 語 る 一聴 く〉 の 相 互 転 化 を 意 味 す る。 「 話 す 」 が しば しば 一 方 的 で あ る の に対 し、 「 語 る」 は 基 本 的 に 相 互 的 な 言 語 行 為 で あ り11、 した が っ て複 数 の 「語 り手 」 とそ れ を 取 り巻 く共 同 的 な 場 、 社 会 空 間 が 前 提 され て い る 。 相 互 行 為 の 場 に お い て ミュ トス 、 筋 立 て が語 り出 され る とい うこ と は 、 そ こ に 居 合 わ せ る人 間 が 複 数 の 作 者 とな る よ うな 共 同 の 物 語 が 制 作 され る とい うこ と で あ る。 重 要 な こ と は 、 語 りをつ う じて 語 られ る事 柄 が 物 語 へ と仕 上 げ られ る こ とに 加 え て 、語 り合 う行 為 そ の も の に よ っ て 、個 別 の 経 験 を共 同 的 な経 験 へ と接 続 す る シ ス テ ム 、〈 物 語 空 間 〉 が 具 体 化 され て ゆ く とい う こ とで あ る。 物 語 行 為 は 、 社 会 的 に共 有 され る 物 語 と そ の 発 話 形 式 を整 備 す る傍 ら、 集 団 的 意 識 と個 人 的 意 識 の 臨 界 を 明 確 化 して ゆ く。 す な わ ち 、 人 々 が 物 語 制 作 の 場 に 参 与 す る と き 、 物 語 全 体 とそ れ に 対 す る 各 自の 寄 与 で あ る個 々 の 語 りが 区 別 され る。 語 り手 は 、 自己 の 持 分 を 提 供 す る 場 合 も し な い 場 合 も 、 集 団 との 関係 に お け る 自己 の役 割 を 意 識 しな い わ け に は ゆ か な い 。 そ れ は 、 す で に集 団 か らの 分 離 の 意 識 を含 ん で い る 。 個 人 的 記 憶 と集 合 的 記 憶 の 関係 につ い て も 同様 で あ る。 物 語 空 間 は 、 そ こ に数 多 の 個 人 的 記 憶 を集 積 す る こ とに よ っ て 成 立 し 、 そ こ に 蓄 え られ た 記 憶 は 全 員 の 共 有 と な る が 、 記 憶 の 共 同 化 に 参 与 し な い 者 は 、 集 団 か ら疎 外 され た 単 独 者 の 位 置 を 自分 に 引 き 受 け ざ る を え な い 。 個 人 的 意 識 と集 合 的 意 識 が 分 節 化 され る よ うな 社 会 的 経 験 の 水 準 が 出 現 して は じ め て 、 そ れ 以 前 の 個 人 的 経 験 とい う もの を 考 え る こ と が で き る。 沈 黙 の 実 践 に も とつ く基 本 風 景 は 、 した が っ て この 地 点 か ら遡 っ て 想 定 され た も の で あ る 。 語 る行 為 が 現 実 化 す る以 前 に 10「 詩 学 」 『ア リ ス トテ レ ス 全 集17』 11「 語 る」 と の 位相 」 を参 照 。 32 今 道 友 信 訳 、 岩 波 書 店 、1977年 「 話 す 」 の 違 い につ い て は 、 坂部 恵 。 『か た り』 弘 文 堂 、1990年 、 の特 に第 二 章 「〈か た り〉 原風 景 とは何か(木 岡) は 、厳 密 な 意 味 で の 個 人 的 意 識 は 存 在 し な い 。 そ も そ も 「 個 人 」 が 存 在 しな い か らで あ る。 〈個 〉 の 意 味 は 、 〈 私〉 が諸 々 の 〈 個 〉 か らお のれ を 区 別 しつ つ 、他 の 〈 個〉 に向か っ て語 る 時 点 で は じ め て 具 体 化 す る。 物 語 論 の 文 脈 に 沿 っ て 言 え ば 、語 りの 場 に 参 与 す る 人 物 が 、 物語 の人 称 とは異 な る 厂 語 り手 の 人 称 」12を自分 自身 に 結 び つ け る こ と に よ っ て 、 〈 私〉の 意 識 が 出 現 す る。 語 られ る 事 柄 は 、 さ し あ た り当 人 が 体 験 し見 聞 した 出 来 事 、 つ ま り 「 基 本 風 景 」 で あ る。 基 本 風 景 は 、 言 語 化 され る こ とに よ っ て 、 何 ほ どか 〈私 の風 景 〉 とい う 輪 郭 を帯 び て く る だ ろ う。 しか し、 物 語 空 間 にお け る 言 語 行 為 か ら展 開 す る の は 、 個 人 的 な 私 的 風 景 とい う よ り も、 共 同 的 な 経 験 の 水 準 に 対 応 す る 「 原 風 景 」 で あ る。 2.風 景 は物 語 で あ る 風 景 が 視 覚 を 中 心 とす る感 覚 的 世 界 像 で あ る の に 対 して 、 物 語 は言 語 に よ る 世 界 制 作 で あ る 、 と い う常 識 に 従 うな ら、 風 景 が そ の ま ま 物 語 で あ る な ど と は考 え られ な い 。 に も か か わ らず 、 こ こで は 風 景 を一 種 の 物 語 と して と ら え る。 そ の理 由 は 、 物 語 行 為 の 根 底 に あ る集 合 的 一 個 人 的 意 識 の 中で 、 表 象 と言 語 は解 き が た く錯 綜 し た 一 体 を な し、 た が い に 支 え合 っ て い る と考 え られ る こ と に あ る。 言 葉 と感 覚 と が 不 可 分 に 一 体 で あ る こ と、 そ の こ とに お い て 風 景 が 成 立 し、 風 景 を ま つ わ らせ た 物 語 が 進 行 す る。 両 概 念 の 関 係 を歴 史 的 に 辿 っ て み る な ら、 お よそ 次 の よ うな 理 念 的 段 階 区 分 が 成 り立 っ 。 最 初 の 物 語 は 口承 文 化 の 中 で 発 生 し、 や が て 文 字 文 化 へ の移 行 と と も に話 者 と筆 記 者 の 分 離 を 生 じ、 語 りの 内 容 は 書 か れ た 文 字 テ クス トへ と移 行 した 。 文 字 以 前 の 音 声 言 語 は 一 種 の 身 振 りで あ り、 個 々 の 身 体 は 、 音 声 を 介 して お の お の の 身 体 に 宿 っ た 〈場 所 の 記 憶 〉 を 交 換 し、 模 倣 し合 う。 身 体 に 宿 る 〈 場 所 の 記 憶 〉 とは 、 「基 本 風 景 」 の 核 と な る事 物 の 知 覚 像 とそ れ に接 続 す る運 動 習 慣 との シ ス テ ム に ほ か な らな い 。 実 際 に 身 を も っ て 生 き ら れ る 風 景 の意 味 が 、 沈 黙 の 実 践 か ら浮 か び 上 が り、 語 りに よ っ て 相 互 に伝 達 、 共 有 さ れ る 歴 史 的 段 階 を 考 え る こ と が で き る。 しか し、 コ ミュ ニ ケ ー シ ョン の 手 段 が 音 声 か ら文 字 に 変 わ る と 、 記 憶 の 場 所 は 身 体 か ら 書 か れ た 文 字 、 テ ク ス トとい う客 体 へ と移 行 す る。 文 字 は 身 体 に よ る身 振 りや 模 倣 か ら言 語 を解 き 放 っ こ とに よ っ て 、 口承 的 段 階 に お け る語 り と風 景 の 一 体 性 を 断 ち切 る。 記 憶 内 容 は い っ た ん 文 字 言 語 に移 され る こ と で 、 も と の 体 験 に 含 ま れ て い た 場 所 と の 結 び つ き や 風 景 の 具 体 性 を廃 棄 せ ざ る を え な い 。 こ う した 〈忘 却 〉 の 契機 は 、 近 代 の 活 字 文 化 に お い て よ り顕 著 な も の と な る。 しか しそ の 代 わ りに 、 書 か れ た もの の 中 で 抽 象 化 され 一 般 化 さ れた 〈 意 味 〉 が 発 生 し、 人 々 は こ の一 般 化 され た 意 味 を 語 り出 す こ と に な る。 そ の場 合 の 12「 語 り手 人 称 」 は 、会 話 で用 い られ る 一 人称(「 私 」 「 俺 」 な ど)と は異 な る 、物 語 の語 り手 の 人 称 で あ り、 そ れ は 通 常 テ クス トに は表 れ な い とい う意 味 で 、 「 ゼ ロ人 称 」 とみ な され る。 こ の考 え方 の理 論 的 背 景 に つ い て は 、藤 井 貞 和 『物 語 理 論 講 義 』 東 京 大 学 出 版 会 、2004年 、 「皿 物 語 理 論 の 水 面 と移 動 」 を 参 照 され た い。 33 語 りは 、 直 接 的 な 身 体 間 の 伝 達 、 模 倣 で は な く、 表 象 的 記 憶 に よ る 反 復 的 想 起 とい う仕 方 で 、過 去 の 風 景 を 志 向 す る。 「 原 風 景 」 は 、 この 段 階 を 特 徴 づ け る風 景 経 験 で あ る。 い ま や わ れ わ れ は 、 活 字 文 化 の 段 階 を 脱 し て 、 浮 遊 す る電 子 言 語 に よ る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 時 代 に 入 っ て い る。 電 子 媒 体 に よ る談 話 的 コ ミ ュニ ケ ー シ ョ ン の復 活 は 、 文 字 と い う抽 象 的 媒 体 に よ る精 神 の 支 配 か らの 解 放 で あ る 、 とす る ポ ス トモ ダ ン 的 論 調 も存 在 す る13。 物 語 空 間 に 生 じ た 変 容 等 空 間 の グ ロ ー バ ル 化 、 語 りの 同 時 性 ・双 方 向性 ・匿 名 性 は 、 風 景 の 存 続 を 許 す の か ど うか 。 そ れ は換 言 す れ ば 、 風 景 の 成 立 条 件 で あ る風 土 が 存 続 す る か ど うか 、 とい う問 題 で あ る。 風 景 と物 語 と の 関 係 は 、 時 代 に よ り文 化 に よ っ て 微 妙 に変 化 して 吟 る。 文 字 の 時 代 を 中 心 に 考 え る な ら 、ふ つ う物 語 に は 時 間 的 に 展 開 す る構 造 、つ ま りス トー リー(筋)が ある。 そ の と き風 景 は 、 時 間 的 に 展 開す る物 語 の 瞬 間 的 切 断 面 を表 し、 空 間 的 ・視 覚 的 構 造 を も つ 。 本 来 は 庫 然 一 体 で あ っ た はず の 二 種 の 構 造 は 、 語 りが文 字 へ と移 行 す る 時 点 で そ れ ぞ れ 独 立 の 水 準 を構 成 す る が 、 そ れ で も な お 風 景 が 物 語 性 を 帯 び 、 ま た 物 語 が 風 景 的 に 存 在 す る とい う仕 方 で 、 独 特 な ア マ ル ガ ム の 性 格 は 存 続 す る。 「 原 風 景 」 とい う水 準 で 見 れ ば 、 風 景 と物 語 の 問 に は 、 文 字 ど お りの 同 一 性 で は な い に して も 、 隠 喩 的 関係 が 成 立 す る こ と は た し か で あ る。 そ の 関係 に着 目 して 、「風 景 は物 語 で あ る 」とい うこ と が許 され る だ ろ う。 3.物 語 空 間 と して の 風 土 風 土 に 関 す る 新 た な 定 義 を こ こ で 提 案 した い 。 そ れ は 、 風 土 と は 「さ ま ざ ま な 主 体 が 語 り合 い 、 物 語 を 紡 ぎ 出 す こ との で き る 空 間 」 だ と い うこ とで あ る 。 よ り簡 潔 に 、 風 土 とは 物 語 空 間 そ の も の で あ る 、 と言 っ て も よ い 。 こ の 定 義 は 、 風 土 を 自然 環 境 とみ な す Klimatologieの 立 場 は も と よ り、 風 土 を 「 社 会 の 空 間 と 自然 に 対 す る 関 係 」14とす るベ ル ク 風 土 学(m駸ologie)の 規 定 と も異 な っ て い る。 そ れ は 、 客 観 的 な 条 件 か ら で は な く主 体 側 の 条 件 か ら、ま た 「 語 る 」 とい う行 為 的 実 践 の観 点 か ら と らえ る と い う点 で 、主 体 的 ・ 実 践 中 心 的 定 義 で あ る 。 そ う して 、 語 る行 為 が 成 立 す る の は 人 と人 の 問 、 間柄 に お い て で あ る とい う意 味 で 、 和 辻 風 土 論 の 倫 理 学 的 前 提 を積 極 的 に展 開 し よ う とす る 立 場 で あ る。 「我 々 は 同 じ寒 さ を 共 同 に 感 ず る 。 だ か ら こそ 我 々 は 寒 さ を言 い 現 わ す 言 葉 を 日 常 の挨 拶 に 用 い 得 る の で あ る。我 々 の 間 に寒 さの 感 じ方 が お の お の 異 な っ て い る とい う こ と も 、 寒 さ を 共 同 に感 ず る と い う地 盤 に お い て の み 可 能 に な る。 この 地 盤 を 欠 け ば他 我 の 中 に 寒 さ の 体 験 が あ る とい う認 識 は全 然 不 可 能 で あ ろ う。 そ う して み れ ば 、 寒 さの 中 に 出 て い る の は 単 に我 れ の み で は な く して 我 々 で あ る。 … …従 っ て 「 外 に 出 る 」とい う構 造 も 、 13た と え ば 、 マ ー ク ・ポ ス タ ー 14Berque,A.,五 『情 報 様 式 論 』 室 井 尚 ・吉 岡 洋 訳 、 岩 波 書 店 、1991年 土 の 日 本 』 篠 田 勝 英 訳 、 ち く ま 学 芸 文 庫 、1992年 34 、 を参 照 。 θ3α〃vαgθθ〃 初r塀cθ'五 θ3」4ρoη 砺4θvα η〃αηα∫ 〃酒ε,Paris,Gallimard,1986,p.165.ベ 、210頁 。 ル ク 『風 原風景 とは何か(木 岡) 寒 気 と い うご と き 「も の 」 の 中 に 出 る よ りも 先 に 、 す で に 他 の 我 れ の 中 に 出 る とい うこ と に お い て 存 して い る。 これ は 志 向 的 関係 で は な く して 「間 柄 」 で あ る 。 だ か ら寒 さ に お い て 己 れ を 見 い だ す の は 、 根 源 的 に は 間 柄 と して の 我 々 な の で あ る」15 寒 さの 共 同 性 が 「日常 の 挨 拶 」 で 確 か め られ る社 会 とは 、 間 主 体 的 に 成 立 す る物 語 空 間 で あ る。 してみれ ば、 「 寒 さ を 共 同 に感 ず る が ゆ え に 、 同 じ言 葉 を 挨 拶 に 用 い る 」 の で は な く 、 「同 じ言 葉 を 挨 拶 に用 い る が ゆ え に 、 寒 さ を 共 同 に感 ず る 」 と、 論 理 的 順 序 を 逆 に す べ き と こ ろで あ ろ う。 い ず れ にせ よ 、 私 の 感 じて い る 寒 さ と他 人 の そ れ とが 同 じで あ る とい う こ とは 、 寒 暖 計 と い う客 観 的 な 基 準 に よ っ て で は な く、 寒 さ を共 有 す る者 同 士 の語 りに よ っ て 認 知 され る。 「 寒 さ 」 とい う主 題 は 、 そ れ を も た ら した 自然 の 兆 候 、 過 去 に 生 じた 問 題 とそ の解 決 法 、 そ れ を 防 ぐた め の 手 段 や 知 恵 、 とい っ た さま ざ ま な 語 り の文 脈 に 移 され 、 展 開 され て ゆ く。 他 者 の 語 りに 触 発 され た 聴 き 手 が 、 「自分 の 場 合 は 」 と 引 き継 ぐ形 で 語 り手 へ と入 れ 替 わ り、 そ うす る うちに個 々 のパ ロール は 「 統 合 形 象化 」(リ クー ル)'16 され て集 団 的 な物 語 へ と膨 らん で ゆ く。 物 語 化 は 、個 々 の 「 基 本風 景」 が集合 的 な 「 原 風 景」 に収 斂 す る こ とで あ る 。 そ れ は た だ 物 語 を 生 み 出 す だ け で は な く 、 語 り の 空 間 を 構 造 化 す る。 した が っ て 原 風 景 の 出 現 は 、 そ れ に よ っ て 人 々 が 共 通 の 存 在 基 盤 を 自覚 し 、 言 語 的 共 同体 と して の 風 土 が 成 立 す る とい う こ と を意 味 す る。 4.テ ク ス トと して の 原 風 景 原 風 景 とい うテ ク ス トは 、 唯 一 の 作 者 に よ っ て 制 作 され る 「作 品 」 で は な い 。 語 りの 場 に は 、 複 数 の 語 り手 、 潜 在 的 な語 り手 で も あ る聴 き 手 が い て 、 談 話 が 成 立 す る。 談 話 に 参 加 しな くて も、 そ の 内 容 を記 憶 し て別 の 場 に そ れ を 語 り伝 え る 者 が 存 在 す る。 伝 達 者 、 媒 介 者 をっ う じて 新 た な 談 話 の 場 が 形 成 され 、 物 語 は 継 承 発 展 の 過 程 を 辿 っ て ゆ く。 こ の よ うに 無 数 の 「作 者 」 が 関 与 す る過 程 を つ う じて 、 風 土 を め ぐ る テ ク ス トは 修 正 され 、 美 化 や 歪 曲 な ど種 々 の 変 容 手 続 き を 経 な が ら仕 上 げ られ て ゆ く。 ま た 制 作 過 程 に 不 特 定 多 数 が 関 与 す る こ とか ら、 物 語 は 匿 名 性 を 帯 び る。 そ れ は 、 原 則 的 に 無 名 の 物 語 で あ る。 物 語 と して の 原 風 景 は 始 ま り と終 わ り を も た な い 。 そ れ は 、 い つ 誰 が 語 り出 した か が 不 明 な 伝 承 ・口承 の 性 格 を帯 び て い る。 しか し、 そ れ が 昔 話 と異 な る の は 、 語 りが 無 始 無 終 で あ る こ と に よ っ て 、 テ ク ス ト自体 が 未 完 結 性 を し る しづ け られ る 点 に あ る。 す な わ ち 、 物 語 行 為 が 反 復 され 、 つ ね に 新 た に 語 り継 が れ る た め 、 完 成 す る こ とが な い 。 物 語 の 制 作 15和 辻哲郎 !6リ ク ー ル は 、 ミ ュ トス(筋 『風 土 人 間 学 的 考 察 』 岩 波 文 庫 、1979年 合 形 象 化 」(configuration)、 立 て)を 、13頁 。 生 み 出 す ミ メ ー シ ス の 過 程 を 、 「前 形 象 化 」(pr馭iguration)、 「再 形 象 化 」(refiguration)、 r馗it,TomeI,Paris,Seuil,1983;partieI,chap.3<<Tempsetr馗it:latriplemimesis>〉 と物 語1』 久 米 博 訳 、 新 曜 社 、1987年 、 第 一 部 第 三章 「統 の 三 段 階 に 区 別 し て い る 。Ric(£ 隅P.,Tempset 「時 間 と 物 語 一 。リ ク ー ル 『時 間 三 重 の ミメ ー シ ス」 参 照 。 35 に か か わ る 全 員 が 作 者 の 資 格 を も つ とい う こ とは 、 誰 一 人 と して 真 の作 者 で は な い とい う こ と で あ り、 作 者 不 在 の 物 語 は原 則 的 に 終 わ る こ とな く続 け られ る。 い つ 誰 が 語 り 出 した か が 不 明 で あ る と は 、 物 語 の 成 立 時 点 が っ ね に 〈 現 在 〉 だ とい う こ とで あ る。 そ れ は 、 過 去 か ら継 承 され て き た 語 りが 、 現 在 に お い て あ る主 体 の も とで 統 合 形 象 化 され 、一 っ の ま と ま り、 〈 形 〉 とな る とい う こ とで あ る。 多 くの 場 合 、原 風 景 は 〈 失 わ れ た も の 〉 と して 語 られ る。 〈失 わ れ た 原 風 景 〉 とい う主 題 は 、 そ れ が 現 在 に お い て 語 り 出 され る 物 語 で あ る こ とを 証 拠 立 て て い る。 た だ し、 主 体 が 現 在 の 時 点 で 原 風 景 を 意 識 して 語 り出 す と き 、 そ こ に 〈 私 の 物 語 〉 とい う性 格 が 付 着 す る。 こ の と き原 風 景 は 、 個 人 の責任 にお け る 「 表 現 的 風 景 」 へ の道 を歩 み 出 す 。 そ れ は 、 物 語 が 匿名 性 か ら記 名 性 へ と 転 じ る こ と で あ る。 原 風 景 は 語 りの水 準 で 出現 す る 経 験 で あ る が 、 口頭 で の 語 りに と どま る とき 、 記 憶 の 底 に 沈 澱 した ま ま 現 実 へ と浮 上 して こ な い 。 そ の 場 合 、 原 風 景 は 意 識 の 奥 に 潜 み 、半 ば 隠 れ て い る とい うこ とが で き る。 原 風 景 が 表 現 の 主 題 と して 立 ち 上 が る の は 、 語 る 主 体 に 切 実 な 危 機 が 迫 っ て き た場 合 で あ る。 5.〈 距離 〉 と 〈 痕 跡〉 原 風 景 は い か な る仕 組 み に よ っ て 意 識 の 表 面 に 立 ち 現 れ る の か 、 ま た 意 識 の 背 後 へ と姿 を 隠 す の か 。PTSD(心 的 外 傷 後 ス トレ ス 障 害)に 関 係 す る外 傷 性記 憶 が そ うで あ る よ うに 、 語 られ な い 体 験 は 、 生 々 しい 現 実 性 を 帯 び た ま ま 意 識 に 固 着 す る。 しか し どん な衝 撃 的 な 出 来 事 も 、 ふ っ うは 時 間 の 経 過 に つ れ て 現 実 感 を薄 れ させ 、 や が て は記 憶 の 一 角 に 位 置 を 占 め る も の とな る。 そ の と き 、 一 連 の イ メ ー ジ の核 とな る部 分 は 「 原 体 験 」 と呼 ば れ るが 、 そ れ は 体 験 の 原 点 で あ る と と も に 、 物 語 の 起 点 で あ る 。 現 在 を 中 心 と して 過 去 が 想 起 され る と き 、 わ れ わ れ は この 原 点 か らの 展 開 を 、 自己 に ま っ わ る一 つ の 物 語 と して 思 い 浮 か べ る 。 心 的 外 傷 か らの 回 復 の 条 件 が 、 出 来 事 を 語 る こ とで あ る よ うに17、 記 憶 の 中 で進 展 す るこ うした物語 化 は 、 〈 距 離 〉 を つ く り出 す 過 程 で あ る。 原 体 験 と の 距 離 は 、 も はや 現 実 な ら ぬ 事 象 の 〈 遠 さ〉 で あ る と 同 時 に 、 い つ で も語 りを つ う じて そ こ に 遡 る こ と の で き る 〈近 さ〉 で も あ る18。 こ う して 現 在 性 を剥 離 され た 体 験 は 、 記 憶 の 層 に 潜 在 す る も の とな り、 そ の こ と に よ っ て 〈忘 却 〉 を し る しづ け られ る。 わ れ わ れ が 必 要 に 迫 られ て 原 風 景 を 呼 び 覚 ま す の は 、 日常 的 な 生 を 暗 黙 裡 に 支 え る こ う し た 物 語 との 〈 距 離 〉 が 、危 機 に直 面 した 場 合 で あ る 。 出来 事 の 物 語 化 は 、 現 実 との 〈距 離 〉 の構 成 で あ り、 〈忘 却 〉 に よ る過 去 化 で あ る か ら、 17ジ ュ デ ィス ・ハ ー マ ン 『心 的 外 傷 と回 復 』(増 補 版)中 井 久夫 訳 、 み す ず 書 房 、1999年 、 で は 、 性 的 被 害 者 の 救 援 と回 復 の基 礎 条 件 が 、被 害 者 に と って 安 全 を保 障 され た 場 で の語 りか け に あ る こ と を 、P TSDに 関す る多 様 な事 例 紹 介 をつ う じて明 らか に して い る。 18「 距 一離 」(Ent-fernug)は 、 ハ イ デ ガ ー に よ る 現 存 在 の 時 間 的 規 定 に用 い られ た 概 念 で あ り、 九 鬼 周 ふせ 造がそれ を 「 離 れ を距 ぐ」(「人 間 と実 存 」『九 鬼 周 造 全 集 第 三 巻 』 岩 波 書 店 、1981年)と 解 釈 した よ うに 、 遠 さと近 さの 両義 性 を表 す 。 36 原風景 とは何か(木 岡) 物 語 の テ ク ス トが 出 来 上 が る につ れ て 、 原 風 景 は 意 識 の 背 後 に退 い て ゆ く。 原 風 景 は 姿 を 隠 す こ と に よ っ て 存 在 し始 め る が 、 た だ 単 に 隠 れ る の で は な く、 現 実 世 界 に そ の所 在 に つ う じ る 何 らか の 目印 を残 して お く。 そ こ に は 、す べ て が 隠 れ る の で は な く 、一 部 を 〈 痕跡〉 と し て 残 しつ つ 、 そ の 背 後 に 全 容 を隠 す とい う存 在 性 格 が あ る。 マ ドレ ー ヌ を め ぐ る 回 想 か ら 「失 わ れ た 」 過 去 全 体 を 手 繰 り寄 せ よ う とす る プ ル ー ス トとは 対 照 的 に 、 人 は 過 去 の 全 体 を 再 現 す る 代 わ りに 、あ る 特 定 の 場 面 や 対 象 に つ い て 、あ た か もそ れ が全 体 を 代 表 し、 そ れ に 取 っ て 代 わ る価 値 を も つ か の よ うに ふ る ま うの が つ ね で あ る。 そ れ を 〈風 景 の レ ト リ ッ ク 〉 と呼 ぶ こ とす る な ら、〈忘 却 一 想 起 〉の メ カ ニ ズ ム に 関係 す る レ トリ ッ ク の 中 心 は 、 「提 喩 」(synecdoche)に あ る19。 部 分 が 全 体 に 置 き 換 わ る提 喩 の 特 質 に よ り、 物 語 全 体 を 暗 示 的 に要 約 す る よ うな 代 表 的 イ メ ー ジ が 立 ち 上 が る。 た とえ ば 、 戦 中 世 代 の 終 戦 の 記 憶 に ま つ わ る 焼 野 原 、 玉 音 放 送 、 代 用 食 、 バ ラ ッ ク小 屋 等 々 。 これ ら の 断 片 的 イ メ ー ジ が 原 風 景 と して語 られ る と き 、 終 戦 後 の 生 活 史 全 体 は 「図 」 を支 え る 「 地 」 の位 置 に と どま る。 と りわ け過 去 を最 も鮮 烈 に 証 言 す る 瞬 間 的 な 「図 」 とそ れ に付 随 す る要 素 は 、 原 体 験 の核 と して 入 念 に 言 及 され る だ ろ う。 提 喩 的 な操 作 に お い て は 、 特 定 の形 像 に物 語 の 〈主 役 〉 とい う地 位 が 与 え られ 、 そ の た め 非 人 格 的 事 物 の 人 称 化 が し ば し ば行 わ れ る 。 そ れ に よ っ て 山 や 川 は 、 一 種 の 〈 汝〉 と して の 二 人 称 を 獲 得 す る が 、 そ れ は 自然 が 物 語 に ふ さ わ しい 準 人 格 的 な 存 在 と し て扱 わ れ る こ との 証 拠 で あ る20。 原 風 景 と し て 思 い 浮 か べ られ る の は 、 広 大 な 「地 」 と して の 物 語 の 中 に 点 在 す る い くつ か の 「図 」 で あ る が 、 そ れ が 意 味 す るの は 経 験 全 体 の 〈 痕 跡 〉 にす ぎ な い。 痕 跡 は 元 の 経 験 を代 表 し、 そ れ に 近 づ く手 が か りを 与 え る が 、 オ リジ ナ ル そ の も の で は な い 。 そ の 全 体 を 表 現 し よ う とす る 動 き は 、 原 風 景 の 存 在 条 件 で あ る 〈距 離 〉 の 喪 失 の 危 機 と と も に め ざ め て く る。 6.環 境危 機 の意 味 環 境 危 機 の本 質 は 、 語 る 主 体 、 語 られ る 事 柄(物 語)、 語 られ る 場 所(物 語 空 間)、 そ う して こ れ らす べ て を 包 括 した 意 味 で の 〈 世 界 〉 の 解 体 に あ る。 そ こ に 風 景 の 問題 が孕 む 深 刻 さ が あ る。 ま ず 、 厂 原 風 景 」 が 語 り出 さ れ る た め に 不 可 欠 な 〈 距 離 〉 につ い て い えば 、 人 は 成 長 過 程 の 中 で 自己 の 存 在 の 原 点 を振 り返 り確 認 す る こ とに よ っ て 、 現 在 か ら将 来 に わ た る 自 己 像 を 描 き 出 して ゆ く。 物 語 行 為 は 、 人 間 的 成 長 の 要 件 で あ る 自 己解 釈 の 契 機 と 19部 分 的 なイ メー ジ が全 体 を指 示 す る場 合 に 「 提 喩 」 が 成 立 す る が 、そ こ に は 当然 多 数 の イ メ ー ジの 隣 接 関係 が含 まれ る か ら、 原 風景は同時に 「 換 喩 」(metonymy)を 含 む とい うこ とが で き る。佐 藤 信 夫 『レ トリ ック感 覚』 講 談社 、1978年 、 を参 照 。 20深 田久 弥 『日本 百名 山 』(新 潮 文庫 、1978年 、424頁)に は 、 山 に は それ ぞれ の個 性 を表 す 「 人格な ら ぬ 山格 」 が あ る とい う信 念 が 表 明 され て い る。 人 で は な い が 物 で も な い よ うな 「自然 」 の 人 称 性 を ど う 考 え る か 。 これ は 、風 景 哲 学 が 追 究 す べ き重 要 な 主題 で あ る とと も に 、現 在 の環 境 倫 理 学 が 「自然 と人 間 の共 存 」 を謳 い な が ら、 ほ とん ど顧 み な い 問題 で あ る。 37 して 不 可 欠 で あ る21。 す で に 述 べ た とお り、 原 風 景 は 自 己 の 来 歴 が 語 り出 され る さ い の 、 単 な る 〈図 〉 で は な く<地 〉 を含 む 記 憶 の 全 体 を 意 味 す る か ら 、 そ の 実 体 は む し ろ表 立 っ て 語 られ な い 背 後 の 〈テ ク ス ト〉 に あ る。 人 は そ う し た 過 去 の 記 憶 全 体 を維 持 しっ っ 、 そ こ に 新 た な 物 語 を 書 き加 え て ゆ くの で あ る 。 問題 は 、 過 去 の想 起 と新 た な語 りに 不 可 欠 な 〈痕 跡 〉 が 失 わ れ 、 〈 距 離 〉 が 成 立 しな く な る こ と で あ る 。 原 風 景 は 、 現 在 の 知 覚 と追 憶 の 二 重 化 に お い て 成 立 す る。 知 覚 に お け る 〈 痕跡 〉 を導 き と し て 、 過 去 の 物 語 の 中 心 部 分 が 背 後 の 〈地 〉 と と も に 立 ち 現 れ 、 現 在 の 知 覚 に か ぶ さっ て く る 。 した が っ て 〈 痕 跡 〉 は 、 現 在 の 只 中 に お け る過 去 へ の 通 路 で あ る。 実 を言 え ば 、 われ われ の世 界は無 数 の 〈 痕 跡 〉 に 取 り巻 か れ て い る。 だ が 、 そ の こ と に わ れ わ れ は 通 常 気 づ か な い 。 な ぜ な ら、自 己 の 住 ま い や そ れ を 取 り巻 く 景 色 は 、異 変 が 発 生 しな い か ぎ り、 つ ね に す で に そ こ に あ る か らで あ る。 過 去 か ら現 在 へ と持 続 す る存 在 は 、歴 史 的 で あ る。 歴 史 的で ある とは、そ れが過 去 の 〈 痕 跡 〉 と して 、 こ こ に い ま現 前 して い る とい う こ とで あ る。 「ふ る さ と」 の 第 一 義 的 な 意 味 は 、 そ の よ う に過 去 の 環 境 が い ま こ こ に 現 存 す る と い う事 実 で あ る22。 た と え そ れ が どれ ほ ど変 貌 し よ う と、 過 去=現 在 の 二重性 がそ こに読 み と られ る か ぎ り、 そ れ は 〈 痕 跡 〉 と して 存 在 す る の で あ る。 で は 、 〈痕 跡 〉 が 消 失 す る の は 、 ど うい う場 合 か 。 そ れ は 、 他 と取 り替 え の 利 か な い 場 所 、 空 間 点 で は な く原 風 景 が 展 開 す るた め の 起 点 と な る場 所 が 、 場 所 的 に 存 在 しな く な る とい うこ とで あ る23。 そ う した 事 例 の 典 型 を 、 た とえ ば ダ ム建 設 に 伴 う山 村 集 落 の 立 ち 退 き に 見 る こ とが で き る 。 この 種 の 開発 行 為 で は 、 無 数 の 場 所 を含 む 集 落 空 間 の 全 体 が 消 滅 す る。 そ の と き追 憶 の 風 景 は 、 現 実 の 風 土 の 抹 消 を補 償 す る だ ろ うか 。 否 、 過 去 と二 重 化 す る 現 在 と して の 〈 痕 跡 〉が 存 在 し な けれ ば 、 原 風 景 に 至 る 通 路 は 永 久 に 失 わ れ る。 〈痕 跡 〉 の 不 在 は 、 持 続 す る歴 史 の 消 滅 で あ り、過 去 自体 の 〈 死 〉を 意 味 す る。 そ う した 過 去 の 〈 死〉 を 象 徴 的 に物 語 る の は 、 ダ ム湖 中 に 沈 ん だ 桜 木 で あ ろ う。 そ の お そ ら く一 度 か ぎ りの 開 花 は 、 過 去 と現 在 の 出会 う場 所 が 失 わ れ 、 そ こ か ら物 語 が 紡 ぎ 出 され る可 能 性 が 消 え た こ と を 宣 告 す る。 そ れ は 、 原 風 景 そ の もの の 〈 死 〉 で ある。 21「 物語 行 為 は 一 種 の 解 釈 学 的 行 為 で あ り、過 去 の 出 来 事 を再 構 成 す る こ と に よっ て 、 現 在 の 自 己の 境位 を 逆 照 射 す る機 能 を もっ て い る。 過 去 を 現在 の 時 点 か ら再 構 成 し、構 成 され た 過 去 に よ っ て 逆 に 現 在 が 意 味 づ け られ 、現 在 の 自 己理 解 が変 容 され る とい う往 復 運 動 を起 動 させ る こ とに お い て 、物 語 行 為 は 二 重 の 意 味 で 過 去 構 成 的 な の で あ る」(野 家 啓 一 『物 語 の 哲 学 柳 田國 男 と歴 史 の発 見 』 岩 波 書 店 、1996 年 、101頁)。 22「 うさ ぎ追 い しか の 山 、小 鮒 釣 り しか の 川 」 とい う文 部 省 唱 歌 「故郷 」(1914年)は 、戦後の開発行為 に よ って 失 わ れ た 原 風 景 を象 徴 す る とみ な され て きた 。 こ の詩 は 、 た しか に 原 風 景 を め ぐる 物 語 の 完 全 性 を表 現 す る。 重 要 な こ と は、 追 想 す る 現在 に お い て 完 全 無 欠 な過 去 は 失 わ れ た が 、物 語 の 場 所 と して の 土 地 自 体 は 歴 史 的 に存 在 す る とい う点 で あ る。 そ の 意 味 にお い て 、 場 所 の 歴 史 的 持 続 が人 々 の 語 り継 ぐ行 為 と語 りの社 会 空 間 を保 障 して い るの で あ る。 23場 所 に 関 して 「 空 間的」 とは、取 り替 えの で きる物理 的 な トポ ス とい う意 味 、それ に対 して 「 場 所 的」 とは 、 事:物が存 在 す るた めに不 可欠 な コー ラ とい う意 味 であ る。 これ らの 区別 は 、ベル クに よ ってい る。 『 風 土 学序説 文化 をふ たた び 自然 に、 自然 をふ た たた び文 化 に』 中 山 元訳 、筑 摩 書房 、2002年 、「 第一 章 38 場 所 」参 照。 原風景 とは何か(木 岡) しば しば 誤 解 され る よ うに 、 原 風 景 は 単 な る 過 去 の 追 想 、 郷 愁 で は な い 。 そ れ は 過 去 に よ っ て 生 か され る現 在 を 意 味 し 、 人 間 存 在 の 歴 史 性 を 証 明 す る事 実 で あ る 。 原 風 景 が 展 開 し え な い 世 界 は 、 生 き られ ぬ 世 界 、 死 の 世 界 に ほ か な らな い 。 人 は そ の こ と を 了 解 す れ ば こ そ 、 場 所 の 破 壊 に 対 す る抵 抗 ・反 対 の 運 動 を 展 開 す る 。 風 景 が 死 滅 す る 世 界 へ の危 機感 と と も に 、〈 表 現 〉へ の衝 動 が 出 現 す る 。こ う し て 原 風 景 は 、風 景 経 験 の 第 三 の 契機 で あ る 「 表 現 的 風 景 」 へ と接 続 され る。 皿 〈 表 現 〉 と個 の論 理 1.二 種 の衝 動 〈 表 現 〉 へ の 欲 求 が 生 ま れ る の は 、 大 き く見 て 二 つ の 場 合 で あ る 。 一 つ は 、 原 風 景 を 支 える 〈 距 離〉 と 〈 痕 跡 〉 が 失 わ れ る と き 、 語 りの 成 立 基 盤 で あ り 目的 で も あ る共 同 体 に 存 続 の 危 機 が 訪 れ る 。 この と き人 は 、 自 己 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を構 成 す る 共 同 性 の維 持 な い し修 復 の た め にす す ん で 語 ろ う とす る。 も う一 つ は 、 共 同 社 会 か ら 自 己 の 意 志 で 離 脱 す る か 、 も し く は 意 に 反 して 排 除 され る とい っ た 形 で 、 全 体 との 緊 張 関係 が 生 じた とき 、 い わ ば 自己 の 存 在 強 化 と い う方 向 に お い て 、 社 会 か らの 逸 脱 を 補 償 す る た め に 〈表 現 〉 を企 て る場 合 で あ る。 前 者 の 動 機 が 、 帰 属 集 団 と の 紐 帯 を補 強 す る こ と に あ る の に 対 し、 後 者 で は 個 人 の集 団 か らの 自立 が 志 向 され て い る。 こ う して 二 種 の 〈 表 現 〉 が成 立 す る が 、 一 方 の 中 心 は既 存 の 物 語 の発 展 強 化 に あ り、 他 方 は 旧 い 物 語 に 代 わ る新 しい 風 景 を 提 示 す る こ と が 眼 目で あ る(た だ し 、 現 実 の 表 現 に 関 して 二 種 の 動 機 を 見 分 け る こ と は難 しい。 共 同 社 会 へ の 帰 属 と逸 脱 そ れ 自体 が 、 近 代 的 な 主 体 に と っ て の ア ン ビ ヴ ァ レ ン ツ と して し ば し ば 自覚 さ れ る か らで あ る)。 天 才 的 表 現 者 は 、 共 同 体 に とっ て の 異 端 者 、 境 界 線 上 に 位 置 す る 人 物(marginalman) で あ る 。 彼 の 表 現 行 為 は 、 集 団 的 共 同 性 へ の 復 帰 を 意 図 す る も の で は な く、 む しろ そ こ か ら離 脱 す る こ と に 向 け て の跳 躍 板 の 性 格 を も つ 。 た と え ば 印 象 派 の 風 景 表 現 、 と りわ け セ ザ ン ヌ や ゴ ッホ に よ る 近 代 的 遠 近 法 の破 壊 は 、 画 壇 の 常 識 を 覆 して 自然 を 見 る 眼 を変 え る こ と を 要 求 した 。 そ う した 表 現 の 新 し さ は 、 そ れ が 誕 生 した 時 点 に お い て は 、集 団 が 保 持 す る物 語 の 破 棄 、 つ ま り原 風 景 の 否 定 を表 す 。 時 代 に 浸 透 した 風 景 との 絶 縁 を つ う じて し か 、 新 しい 表 現 は 生 ま れ て こ な い。 類 似 の 事 例 と して 、哲 学 や 宗 教 の 思 想 的 指 導 者 が 、 内 部 集 団 の 維 持 を 目的 と し な い 、 い わ ば 人 類 的 普 遍 性 に っ う じ る革 命 的 な メ ッセ ー ジ を発 し た 場 合 、 社 会 は動 揺 し、 当初 はそ れ に抵 抗 す る が 、 や が て 一 つ の 形 態 変 化 を 引 き起 こす24。 24CfBergson,、Lesdeuxsourcesdelamoraleetdelareligion,Paris,P.U.E,1969;chapitre皿:<<Lareligion dynamique>〉.ベ ル クソン 央 公 論 社 、1969年)「 第三章 「道 徳 と 宗 教 の 二 っ の 源 泉 」(『 世 界 の 名 著53ベ ル ク ソ ン 』 森 口 美 都 男 訳.中 動 的 宗 教 」 を参 照 。 39 そ れ こそ が 、 〈 世 界 の 見 方 〉 と し て の 風 景 の 変 化 で あ る と い う こ とが で き る。 これ に 対 して 、表 現 行 為 が 生 の 基 盤 た る原 風 景 を 志 向 す る 場 合 、 見 え な い 根 源 は 、 す で に 知 られ た もの 、 か つ て 見 られ た も の を再 生 産 す る 「母 型 」(matrix)と い う意 味 を担 う。 そ こ に は 過 去 と の 断 絶 は な い 。 描 き 出 され る もの は 、 生 の 普 遍 的 な 次 元 に つ う じ る懐 か し さ、 郷 愁 を そ そ る 風 景 で あ る。 と い うの も、 こ こ で は 〈痕 跡 〉 か らそ れ を 生 み 育 ん だ 源 へ と遡 及 す る こ と に よ っ て 、 表 現 が 引 き 出 され る か らで あ る25。 〈 体 験 一表 現 一理解 〉 が閉 じた 意 味 連 関 を構 成 す る の は 、 ま さ に こ う した 実 践 の 場 合 で あ り26、 そ こ で は 〈 見 え ない も の〉 は 〈見 え る も の 〉 との 確 固 と して ゆ る ぎ な い 紐 帯 の うち に 安 ら っ て い る 。 一 般 的 に は 、 無 数 の 作 者 に よ っ て試 み られ た 表 現 の ほ とん どが 、 表 れ 出 た 瞬 間 の 新 奇 さ が 人 目 を 牽 く こ と は あ っ て も 、社 会 に よ っ て そ の 存 続 を 拒 否 され 、闇 に 葬 り去 られ て ゆ く。 た ま た ま 社 会 の 承 認 を 得 て 生 き 残 る こ とが で き た 文 化 的 表 現 に して も 、 や が て は非 現 在 化 し 、想 起 され ぬ ま ま 忘 却 の 淵 に 沈 み 去 る こ とが 稀 で は な い 。 表 現 は ど こ ま で も両 義 的 で あ る。 社 会 が 〈 新 し さ〉 を容 易 に 受 け 容 れ な い の は 、 そ れ に よ っ て 社 会 の 構 造 が 揺 ら ぎ 、 解 体 す る危 険 を知 る か ら で あ る。 しか し、 安 定 相 に お い て の み 持 続 す る社 会 は 、 停 滞 し非 活 性 化 す る 「閉 じた 社 会 」 で あ る。 共 同社 会 の 閉域 化 を 防 ぐ こ とが で き る の は 、 多 少 と も 当 の社 会 に と っ て 異 端 的 な 主 体 で な けれ ば な ら な い 。 社 会 は そ の 停 滞 に揺 さぶ りを か け 、 全 体 を 覚 醒 させ る異 端 者 の 登 場 を 、 恐 れ つ つ も反 面 で は 待 望 して い る の で あ る 。 2.〈 構 造 〉 か ら 〈弁 証 法 〉 へ 「 表 現 的 風 景 」の 出 現 に よ っ て 、風 景 経 験 の 〈 構 造 〉が 成 立 す る。 す で に概 略 を 説 明 した が 、 それ は 「 構 造 化 す る 構 造 」(structurestructurante)な い し 「構 造 化 され た 構 造 」(structure structur馥)27で あ る 。 そ れ は 〈 表 現 〉 と同 時 に成 立 す る 〈 無 か ら の構 造 〉 で あ る が 、 そ れ を 〈 構 造 〉 とみ な す の は 、 文 化 的 伝 統 を 作 為 し 引 き 受 け る こ とに よ っ て 発 生 す る規 範 性 を 重 視 す る か らで あ る。 生 き られ る風 景 は 、 具 体 的 形 象 へ と可 視 化 され る こ とに よ っ て は じ め て 、ふ つ うに 人 々 が 理 解 す る意 味 で の 〈目 に 見 え る 〉 風 景 と な る。 しか し風 景 の 表 象 は 、 風 景 経 験 全 体 の 一 部 、 頂 点 に過 ぎず 、 そ の 大 半 は 形 な き沈 黙 の 中 を 蠢 い て い る。 風 景 が 表 252000-2001年 度 に 放 映 さ れ たNHK・BSの 「21世 紀 に 残 し た い 日本 の 風 景 」で は 、 番 組 の 用 意 し た 語 りの 空 間 に 多 く の 視 聴 者 が 積 極 的 に 参 加 し 、 自 己 の 基 本 風 景 に 含 ま れ る 〈痕 跡 〉 を 公 共 的 な 原 風 景 に 昇 華 させ よ うとす る彼 らの 意 欲 を伝 え た。 しか し、 番 組 製 作 者 の 作 為 した 映 像 表 現 が、 概 して 表 現 主 体 で あ るべ き本 人 た ち の語 りに まっ わ る意 味 圏 を逸 脱 し、 そ の 意 図 を裏 切 る結 果 に な っ た こ と は否 めな い 。 原 風 景 の 再構 成 に 不 可 欠 な 〈見 え な い も の 〉 と の 関 係 を い か に 確 保 す る か が 、 こ う し た 番 組 で は ほ とん ど 解 決 不 可 能 な 課 題 と し て 残 され た よ う に 見 受 け られ る 。 26デ ィル タイ の 解 釈 学 で は 、歴 史 的 世 界 にお け る 「体 験 」 と 「 表 現」の連続性 が 「理 解 」 の 前 提 と 考 え ら れ て い る 。 そ の 記 述 は 風 景 経 験 の 構 造 に お け る 連 続 性 に 照 準 を 合 わ せ て い る 。Dilthey,W.,DerAufbau derGescichtlichenWeltindenGeisteswissenschaften:Gesam〃zelteSchriften,Bd.V皿,G undRuprecht,1992.『 27Bourdieu,loc.cit.ブ 40 ttingen,Vandenhoeck 精 神 科 学 に お け る歴 史 的 世 界 の 構 成 』 尾 形 良 助 訳 、 以 文 社 、1981年 ル デ ュ前 掲 訳 書 同 頁 。 。 原 風 景 とは 何 か(木 岡) 現 と して 噴 出 す るの は 、こ の 巨大 な 無 言 の 体 験 層 が 、基 盤 と して そ れ を 支 え る ゆ え で あ る。 そ の さい 〈 構 造 〉 の 中 心 とな る の は 、 社 会 的 経 験 の 水 準 に 定 位 す る原 風 景 で あ る。 原 風 景 が集 団 にお け る 〈 型 〉を 表 す の に対 し、個 の 水 準 で 実 践 され る基 本 風 景 と表 現 的 風 景 は 、〈 型〉 と な る以 前 の 多 様 な 〈 形 〉 に過 ぎな い。 こ こで 、 〈 弁 証 法〉 に よって構 造論 的 見 方 を補 い たい。 弁 証法 とは、風 景 経験 の事 実 的 再 構 成 に と ど ま らず 、 そ れ を発 展 させ て ゆ く 実 践 の 論 理 で あ る。 田辺 元 の 「種 の 論 理 」 に お い て 、 人 間 の社 会 的 存 在 様 態 が 、 類(人 れ て い る。 こ の 区分 を適 用 す れ ば 、原 型(X)は 類)・ 種(民 族 ・国 家)・ 個(個 人)に 区分 さ 類 、原 風 景 は 種 の 水 準 に そ れ ぞ れ 該 当す る。 基 本 風 景 と表 現 的 風 景 は い ず れ も 個 に 属 す る が 、 前 者 は 種 に 後 者 は 類 に媒 介 され て 成 立 す る 。 これ らの 問 に は 「 絶 対 媒 介 」 が 成 立 す る。 す な わ ち 類 ・種 ・個 は 、 い ず れ も単 独 で は 存 立 し え ず 、 他 を要 請 す る 関 係 に あ る 。 「 種 の論 理 」 の 主 た る 動 機 は 、 国 家 の 存 在 理 由 を 哲 学 的 に 基 礎 づ け る こ と、そ れ も 「種 的 基 体 」 で あ る 国 家 が 、集 団 的 利 害 関 心 を 超 え 出 て 、 「 類 的 自覚 」 に 立 つ 「人 類 的 国 家 」 へ と進 み 行 くた め の 条 件 を提 示 す る こ と に あ っ た28 。 田辺 は 、 種 的 社 会 で あ る 国 家 が 人 類 的 国 家 に超 出 し う る の は 、 「類 的 個 」 の 媒 介 に よ っ て で あ る とい う。 と こ ろ で 個 は 、 種 に 属 す る と と も に 、種 に対 して 否 定 的 に 対 立 す る 存 在 で あ る。 つ ま り個 は 、 種 に よ る限 定 を受 け な が ら、 同 時 に そ の 限 定 を破 ろ う とす る矛 盾 し た傾 向性 を抱 え て 存 在 す る 。 す な わ ち 、 全 体 へ の 従 属 ・帰 順 と全 体 を否 定 す る 自由 選 択 の 意 志 が 、 正 反 対 の 方 向 に 両 立 す る の が 個 の 存 在 で あ る 。 この よ うな 矛 盾 を孕 む 個 の あ り方 を 、 田 辺 は 「二 次 元 の 統 一 」 と表 現 し 、 「二 次 元 の 対 立 的 統 一 に お い て は 、 対 立 抗 争 す る 方 向 の 一 方 が 他 方 を 媒 介 と して 、 自 己 を 実 現 す る外 無 い 」29と記 して い る。 問題 は 、 個 が い か に して 種 を否 定 的 に媒 介 して 「 類 的 個 」 と な る か で あ る。 「 種 の 即 自的 な る 直 接 統 一 を 媒 介 と し、 之 を 契 機 と し否 定 的 に 対 立 す る対 自態 と し て の 個 を 、 否 定 の否 定 に お い て 止 揚 す る絶 対 否 定 態 と して の み 、 即 自且 対 自 の 綜 合 的 な る 類 は 成 立 す る 。 そ れ は 単 な る個 の 分 立 を 否 定 し、 我 と汝 の 直 接 的 対 立 を止 揚 して 、 之 を 絶 対 普 遍 の統 一 に 齎 す も の で あ る か ら 、 絶 対 的 全 体 の 実 現 で あ る け れ ど も、 種 の 直 接 的 統 一 に於 ける如 く 、 連 続 的 に 閉 じ た 統 一 を な す の で は な く、 相 互 否 定 的 に 分 立 す る個 の 絶 対 否 定 的 な る統 一 を 意 味 す る が 故 に 開 い た 統 一 とい ふ べ く、 前 者 を 有 の 全 体 とい ふ な ら ば 後 者 は無 の全 体 とい ふ べ き も の で あ ら う」30(傍点筆者) 28彼 の そ う した動 機 を 後 押 し した の は 、 レ ヴィ ・ブ リ ュー ル 、 デ ュル ケー ム等 に 代 表 され る当 時 の 社 会 学 的研 究 が 、 「 集 合 表 象 」 や 「トー テ ミズ ム 」 とい っ た概 念 で 表 され る社 会 現 象 の根 底 に 、種 的 社 会 が 具 え る 「も の 」(chose)と して の 性 格 を想 定 して い た とい う事 実 で あ る。 「 社 会 存 在 の 論 理 」(1934-1935)『 田 邊 元 全集6』 筑 摩 書 房 、1963年 、 を参 照。 29同 書112頁 。 30同 書130頁 。 41 個 は 社 会 を否 定 し て 自 由 を 実 現 し よ う とす る が 、 そ れ は集 団 か らの 離 反 に と どま らず 、 各 々 が他 の 個 に 敵 対 す る権 力 意 志 に 直 結 す る。 しか る に 、 種 を否 定 す る個 の 独 立 を さ らに 否 定す る 「 否 定 の否 定 」、 「 絶 対 否 定 」 に よ っ て 、 我 執 か ら解 放 され た 人 類 的 な 個 が 実 現 す る。 そ の 上 で 、 この よ うな類 的 個 人 に 媒 介 さ れ る こ とで 、 種 的 社 会 は 「 類 的種 」 としての 「 人 類 的 国 家 」 に 転 じ る 、 とい うの が 「種 の 論 理 」 の 到 達 点 で あ る31。 3.個 の 論 理 一一 他 者 と の 〈出 会 い 〉 個 の 実 践 が 種 的 制 約 を突 破 して 類 的 地 平 を 切 り開 く、 とい う過 程 を 風 景 論 的 に言 い 換 え れ ば 、 そ れ は 己 の 原 風 景 を 支 え と して 普 遍 的 意 味 を も つ 表 現 的 風 景 を生 み 出 す とい う こ と に ほ か な らな い 。 風 景 の種 的 限 界 を 乗 り越 え る可 能 性 は 、 種 に 制 約 され つ つ 種 の 限 界 を超 え る 自覚 的 な 個 の 実 践 に ゆ だ ね られ る。 しか し 田辺 の 「 絶 対 媒 介 」 の 図 式 で は 、個 が 種 か ら翻 っ て 類 を志 向 す るた め の 具 体 的 な 契 機 が 明 らか に され て い な い 。 彼 は 、 カ ン ト的 倫 理 の 超 越 論 的 次 元 を個 の 自覚 の よ り ど こ ろ と して い た 。 しか しそ れ な らそ れ で 、 個 の 意 識 を 普 遍 的 な 道 徳 ・倫 理 の 高 み に 導 く契 機 を 、 そ の弁 証 法 の論 理 に 組 み 込 む 必 要 が あ っ た はず で あ る 。 種 的 次 元 の 掟 や 道 徳 は 「閉 じた も の 」 で あ り、 そ れ が 「開 い た も の 」 の 次 元 へ と個 を媒 介 す る こ と は あ り え な い32。 で は 、 「閉 じた も の 」 を 開 く契 機 は ど こ に あ る の か 。 私 は そ れ を 、 他 者 との 〈出会 い 〉 に あ る と考 え る。 〈出 会 い 〉 と は 、 風 土 の 外 へ 出 て ゆ く こ と に よ っ て 、 異 な る 種 に 属 す る 個 を 発 見 す る こ とで あ る。 風 土 の外 に身 を移 し、 種 的 な葛 藤 を 生 き た 人 々 の な か に は 、 田 辺 が 種 と個 の あ い だ に想 定 した 二 次 元 の 葛 藤 を つ う じて 、 個 の 論 理 を 体 現 した 例 が あ る。 た と え ば 哲 学 者 九 鬼 周 造(1888-1941)の 場 合 、1920年 代 の8年 に わ た る ヨー ロ ッパ 留 学 は 、 西 洋 文 化 の 内 的 受 容 と内 な る風 土 の 同 定 とい う対 照 的 な 方 向 に成 果 を も た ら し た。 形 式 的 な 区別 を 立 て れ ば 、 前 者 の 方 向 に哲 学 的 主 著 『偶 然 性 の 問 題 』(1935年)が て 『「い き 」 の構 造 』(1930年)が 生 ま れ33、 後 者 に お い 誕 生 し た と い う こ と も で き る。 しか し真 相 は 、 矛 盾 的 な 二 方 向 へ の 表 現 衝 動 そ の も の が 、 あ らゆ る 表 現 行 為 に 内 在 す る原 動 力 で あ っ た と見 な け れ ば な らな い 。 『偶 然 性 の 問 題 』 の 意 図 は 、 西 洋 哲 学 の 全 歴 史 をっ う じ て 副 次 的 に扱 わ れ て き た 「偶 然 31類 的 個 が 出 現 して は じめ て 人 類 的 国 家 が形 成 され る とい う意 味 で 、 田辺 にお い て は個 の役 割 が 重 視 さ れ て い る。 人 類 的 個 人 は 「 菩 薩 」(同 書163頁)と 呼 ば れ る よ うに、 救 済 的 使 命 を 自覚 して 実 践 す る 自 己 犠 牲 的 個 人 を 意 味 す る。 表 現 は とも か く、 個 の 自覚 を最 も重 視 す る 点 は 、 自己 の 出発 点 とな っ た カ ン ト の 自律 的 理 性 の立 場 を 田辺 が 維 持 して い る こ と を物 語 る。 32こ の 点 は 、 田辺 が影 響 を受 け た ベ ル ク ソン の 指 摘 す る と こ ろ で あ る。 「 わ れ われ が 現 に生 き て い る社 会 と人 類 一 般 の あ い だ に は 、 閉 じた も の と 開 い た も の の あ い だ に あ る と 同 じだ け の 対 照 が あ る。 両 者 の 違 い は 本 性 的 な も ので あ り、 単 な る程 度 の差 で は ない 」(Bergson,Lesdeuxsourcesdelamoraleetdela religion,p.28.前 掲 訳 書244頁)。 33偶 然 性 の テ ー マ を め ぐ る諸 テ ク ス トの 制 作 過 程 とそれ ぞ れ の 意 義 にっ い て は 、拙 稿 「 テ クス ト と しで の 偶 然 性 」、坂 部 恵 他 編 『九 鬼周 造 の世 界 』 ミネル ヴ ァ書房 、2002年 、 を参 照 され た い 。 42 原 風 景 とは 何 か(木 岡) 性 」 の 意 義 を解 明 す る こ と に あ っ た 。 偶 然 性 とは 必 然 性 の 否 定 で あ る。 存 在 が 必 然 と 考 え られ る の に 対 し、 偶 然 性 は 無 の 可 能 性 を意 味 す る。 伝 統 的 形 而 上 学 は 、 存 在 を 必 然 の 相 の も と に と ら え 、 世 界 の 同 一 性 ・必 然 性 を存 在 論 に よ っ て あ とづ け る とい う姿 勢 を とっ て き た 。 そ れ に 対 して 、 九 鬼 が 偶 然 性 を 問題 に し た こ とは 、 西 洋 世 界 の 「正 統 的 」 な 学 問 論 理 が 、 他 者 と出 会 わ ず 、 自己 同一 性 を 疑 う必 要 の な い 、 一 つ の 風 土 に お い て 展 開 し て き た こ とへ の批 判 に ほ か な ら な い 。 とい うの も 、「偶 然 」 とは 「独 立 な る二 元 の 邂 逅 」34を意 味 し、 他 な る も の と の 出 会 い へ と開 か れ た 生 き 方 を 表 して い る か らで あ る。 九 鬼 が 「 偶 然性 」 に 着 目 した こ と は 、 西 洋 の現 代 哲 学 の 動 向 に触 れ た こ と に 起 因 す る 。 しか し、 そ れ を 自身 の 問 題 と して 発 見 した こ と に は 、 西 洋 文 化 を鏡 と して 自 己 の 存 在 根 拠 に反 省 の 目を 向 け る と い う、 も う一 つ の 動 機 が 大 き く 関与 した はず で あ る。 他 者 を 鏡 と して 自 己 の存 在 を 問 い 質 す とい う問 題 意 識 を よ り明確 に浮 か び 上 が らせ て い る の が 、『「い き 」の構 造 』で あ る。 こ の 書 は 、江 戸 時 代 末 期 の 町 人 文 化 に お け る 美 の 理 念 「い き 」 を素 材 と して 、 そ の 概 念 と経 験 内 容 の構 造 分 析 を 展 開 して い る。 パ リ滞 在 中 にそ の 準 備 稿 が 作 成 され た と い う事 情35は 、上 述 の 表 現 衝 動 の う ち の 原 点 回 帰 の 方 向 を示 して い る。 し か しそ の 衝 動 は 、 単 な る 過 去 的 日本 へ の郷 愁 で は な い 。 主 題 で あ る 「い き 」 の 経 験 内 容 の 中 心 は 、 男 女 の 色 事 に即 して の 身 の 処 し方 に あ る。 出会 っ た 男 女 が 自然 的 な 結 合 を 断 念 す る こ と を 「い き 」 とす る 精 神 文 化 の 裏 づ け と して 、武 士 道 的 な 「 意 気 地 」や 仏 教 的 な 「 諦 め 」 が 指 摘 され て い る 。 こ う した 伝 統 へ の 視 線 が 生 じた 背 景 に は 、 異 国 にお け る 無 数 の 他 者 との 出 会 い と そ の 挫 折 が あ る と考 え られ る 。 〈出 会 い 〉 を 反 省 の 主 題 と した 九 鬼 の 例 は 、 自己 の 風 土 か ら 出 て他 者 と の 邂 逅 を経 験 し た 主 体 に お け る表 現 の 方 向性 を示 して い る。 九 鬼 に お け る 表 現 は 、 原 風 景 へ の 回 顧 的 視 線 に 強 く 限 定 され な が ら、 そ れ を否 定 的 に 媒 介 す る こ とで 、 普 遍 的 な 課 題 と も い え る他 者 と の 邂 逅 の 問 題 に 目を 転 じ た 経 緯 を物 語 っ て い る。日本 文 化 と西 洋 文 化 の 種 的 な 対 立 の 中 で 、 矛 盾 す る 二 っ の 方 向 に 跨 りつ つ 、 両 者 を と も に 否 定 的 に媒 介 した 九 鬼 の 厂 類 的 個 」 と して の 生 き 方 を、 〈問 風 土 的 主 体 〉 の 実 践 の 一 例 と して 評 価 す る こ とが で き よ う。 34『 九 鬼 周 造 全 集 第 二巻 』 岩 波 書店 、1980年 、120頁 。 35『 「い き 」 の構 造 』 が刊 行 され た の は帰 国後 の1930年 回 目のパ リ滞 在 中(1926年)に だが 、 第 一 次稿 に 当 た る 「い き の本 質 」 は、 第 一 執 筆 され た 。 いず れ も、『九 鬼 周 造 全 集 第 一 巻 』 岩 波 書 店 、1981年 、 に 所収。 43