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モンゴルの経済移行と双子の赤字 上野 宏 キーワード 移行経済

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モンゴルの経済移行と双子の赤字 上野 宏 キーワード 移行経済
モンゴルの経済移行と双子の赤字
上野 宏
本稿では、モンゴルの経済移行をマクロ経済の実績、財政、貿易の三つの側面か
ら考察し、その評価を試みた。1990 年から開始された経済移行は、マクロ経済の実
績の面から見れば、比較的良好なパーフォーマンスであり、2000 年で経済移行は一
応終了したと考えられる。一方で、1995 年以降、財政支出の拡大が続きその結果と
して財政赤字が増大し 2002 年には対 GDP 比 5.7%に達するという問題が生じてきた。
今後も、更に赤字が増大する方向の要因が多い。貿易収支の面から見ると、財政赤字
と類似して、1996 年にそれまでの黒字から赤字に転落し、以後赤字が増加傾向にあ
り、2002 年には対 GDP 比 15%に達するという問題が生じてきている。しかも今後、
この赤字も拡大すると考えられる。このように、典型的な途上国問題である双子の赤
字の問題が発生しつつある。
キーワード
移行経済、モンゴル、財政赤字、貿易赤字
1. 始めに:目的と方法
この論考の目的はモンゴル経済移行の成果のアセスメントを行うことによって、モンゴ
ルの今後の経済政策設計に貢献することにある。前回の論文 Ueno(2000)はモンゴルにおい
て実施された経済政策の分析を行った。今回の論考は政策と初期条件の結果としての経済そ
のものの実績を分析・評価することを目的としている。具体的には、
(a)モンゴル経済は果
たして移行を終了したのか?現在どういう位置に立っているのか?そして、
(b)モンゴル経
済が現在抱えている問題の中から双子の赤字の問題、を検討することを目的としている。方
法は、単純な統計比較と文献レビューによる。期間は移行開始の前年 1989 年から、データが
発表されている 1992 年までを対象とする1)。
2.移行開始後のマクロ経済実績
2.1 GDPの下落と回復
国内総生産(以後GDP)の移行後の実績はどうであろうか?図1は移行開始以後 2002
年までの実質GDPの推移を示す。1989 年は社会主義経済期で最大のGDPである 651 十億
2
トゥグルク(1995 年価格、以後断りがない限り 1995 年価格)2)を達成した。しかし 1990
年に移行を開始したために、GDPは移行国に特有の経済縮小(制度転換にともなう国民生
産下落)に突入し、1993 年には 22%減少の 506 十億トゥグルクとなる。下落の主な原因は、
第 1 に旧ソヴィエトからの経済支援と生産のための中間投入財の供給を失ったこと、第 2 に
旧ソヴィエトの指示により稼動していた旧コメコン(現在クメア CMEA、Council for Mutual
Economic Assistance と改称)への輸出・輸入システムが崩壊したことであることは、殆ど
のエコノミストが合意している。GDPは 1993 年をボトムとして、1994 年からは回復に向
かい、それ以後常にプラスの成長を達成している。1994 年以後は順調に成長し、99 年まで
は年平均 3.6%で成長した。2000 年と 2001 年は、二年続きのゾド(雪害)の影響で家畜が
大量に死亡し、GDP 成長率は年率 1.1%となったが、両年とも畜産を含む農業部門を除いて
図1.実質国内生産(GDP)
:1995 年価格(単位:十億トゥグルク)
700
651.5
635.1
600
664.3
632.5
550.3
524.7
606.4
505.9
563.2
500
十億トゥグルク
639.0
625.9
585.7
521.6
517.6
400
300
200
100
GDP 成長率
GDP95 価格百万 Tg
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
0
1989
1990
1991
1992
1993
1994
0.0%
-2.5%
-9.3%
-9.5%
-3.0%
2.3%
651,469
635,075
576,201
521,611
505,946
517,584
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
6.3%
2.4%
4.0%
3.5%
3.2%
1.1%
1.0%
3.9%
550,254
563,201
585,720
606,410
625,910
632,521
639,013
664,253
出典:上野(2004)及び NSOM(2003)
。
原典:Mongolian Statistical Yearbook (1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002)
3
見るとむしろ好調で年率約 7.0%で成長した。2002 年にはゾドから回復し、3.9%の成長の結
果 664 十億トゥグルを達成し、1989 年の移行直前の GDP をついに超える回復を示した。一
人当たり GDP は 94 年から順調に伸びてきたが、99 年は伸び悩み、2000 年・2001 年はゾ
ドが原因で逆に低下している。
モンゴルの移行パフォーマンスのポジティブな面について、上記以外にもIMF(2001、
p.3)は以下のように記述している:
(a)活発な民間セクターが形成された、
(b)経済を
運営する為の中心的な制度(Institutions)を作り上げた、
(c)1996/97 頃から市場化へ
の改革が急進した、
(d)1998 年の大規模な交易条件ショック(銅・カシミア価格急落とロ
シア金融危機、筆者注)にも拘わらずマクロ経済の状況は安定化した。
(a)の活発な民間セ
クターについては、我々はそれほど楽観的ではないが、最悪というわけでもない。
(b)の制
度については賛成するが、その実施・運営の能力は非常に低いと考える。
(c)についても賛
成するが、まだ大規模な国営企業が民営化されずに残っているという問題がある。
(d)につ
いては合意しても良い。
上記の比較的良好な経済実績の理由を IMF(2002、p.4)は(a)マクロ安定化政策の
実施と、
(b)基本的な市場メカニズムの導入、を政府が断固として行ったためとしている。
勿論これら二つの政策が良い結果をもたらしたことに疑いはない。しかし、これらに加えて、
(c)1991 年以降 1997 年までのグロス・ディスバースメントで年平均 US$126 百万ドル
(Ueno 1997、p.74)という高額のODA(公的開発援助)が流入したこと、及び(d)
主な輸出産品(銅、カシミア、金)の国際価格がモンゴルの回復期(1998 年のショック以前)
に高値にあり多くの外貨をもたらしたこと、という外的要因が大きく回復に寄与したことは
確かであり、その分だけ政策の効果は割り引いて考える必要がある。
2.2 生産性と投資効率
資本効率と生産効率に関して、Cheng(2003、pp.11 と 15)がモンゴルの資本量推計
と成長会計分析を行っている。Cheng の分析結果そのものを読めば以下のようになる。
(a)
移行開始以前は資本蓄積が成長を支え全要素生産性(TFP)は効果を持たなかった、(b)
移行開始後の前半 1990-94 年の期間は、全要素生産性が大きなマイナスに働き GDP 下落
の主要因となり、第 2 に資本減少も GDP 成長率を押し下げた、そして(c)後半 1995-01
年に入ると、全要素生産性が成長を牽引し、資本減少の程度は小さくなりそのGDPへのマ
イナス効果も小さくなった。
この結果を解釈すれば、移行開始後の前半については、資本減少が働いているが、それ
よりも移行に関わるこれら以外の要因(主に旧ソヴィエトからの援助消滅と旧コメコンとの
輸出入の消滅)によるGDP減少効果が優勢を占めて、全体としてGDPを押し下げた。其
4
の結果として、投資減少以外の全てのマイナス効果が全要素生産性のマイナス効果として顕
れたと解釈することが適切と思われる。勿論、安定化と市場経済化が定着していない為に資
本効率が悪かったということは十分に考えられる。しかし移行後の後半(1995-01 年)に
入ると、
(a)ODA流入による旧ソヴィエトからの援助の代替、
(b)CMEA以外の国々
への輸出増加によるCMEA輸出減少の代替、及び(c)安定化も進み市場経済が定着した、
といった理由により生産効率(全要素生産性)が上昇したと考えられる。
投資効率については橋本(2003)は、モンゴルと他の移行国の限界資本係数(ICOR)
を比較し(表1)
、1994 年以降のモンゴルの ICOR は高く、従って(生産効率も含めた)投
資効率も低かったと述べている。
表1.移行国の限界資本係数(ICOR)
実質 GDP 成
ICOR
長率(%)
図3.GDPの支出面(%)
100.0
観測年
80.0
モンゴル
8.0
3.7 1994~98
60.0
アルメニア
3.8
4.9 1996~99
40.0
1997,
20.0
1999,
0.0
4.4
1.8
2000 .
-20.0
キルギスタン
3.7
3.7 1996~99
-40.0
ベトナム
3.9
6.9 1996~99
注:モンゴルは雪害のあった年を除いてある。
19
89
19
91
19
93
19
95
19
97
19
99
20
01
カザフスタン
最終消費
粗固定資本形成
純輸出
出典:上野(2004)
同様に、カザフスタンも GDP の成長率が異常に
低かった 1996 年と 1998 年を除いた。
出典:橋本(2003、p.12)
2.3 GDPの支出面
GDPの支出面は図3に描かれている。投資の経年的なデータが揃わないので、粗固定
資本形成を投資として利用する。1998 年以降の傾向としては、消費の割り合いが増加し、投
資の割合が減少している。そして 2001 年までは純輸入が増加してきている。即ち 2001 年ま
では、消費の増加が純輸入の増加と投資(粗固定資本形成)の減少で購われ、健全な姿とは
云いがたい。2002 年に至っては純輸入も減少しているので、消費の増加分全てを投資減少が
賄っており、望ましくない傾向が強まっている。一種の消費バブルが発生してGDPを押し
5
上げているように見える。
2.4 部門別シェアー
部門別でGDPを見ていくと、特徴的なのは一次産業と二次産業であり、その転換点を
為すのが 2000 年である(図4)
。一次産業は、主には畜産であるが、1999 年までは最大の部
門であり、かつそのシェアーを拡大してきた。しかし 2000 年からは、そのシェアーを急速に
減少させている。その原因としては 1999-00 年冬と 2000-01 年冬のゾド(雪害)の影響が
大きい。雪害のなかった 2002 年には 40 年来の旱魃があり、それらの影響でシェアーを低下
させた。当然、三次産業と二次産業(鉱業、工業、電気水道、建設業)がシェアーを拡大し
ている。2000 年以降は、三次産業が最大部門となった。一方で二次産業を見ると、そのシェ
アーは移行開始後継続的に縮小を続け 1998 と 1999 年に最小の 36%を記録した。しかし 2000
年からは継続的にシェアーを拡大し、2002 年には一次産業をしのぎ、第 2 に大きい部門と
図4.GDPの部門別シェアー
図5.製造業GDP
(%)
(1995 年価格、百万トゥグルク)
80,000.0
60.0%
70,000.0
50.0%
60,000.0
50,000.0
40.0%
40,000.0
30,000.0
30.0%
20,000.0
20.0%
10,000.0
0.0
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
10.0%
一次産業(農牧)
二次産業(鉱工電水建)
三次産業(商宿交通金融教社会)
出典:上野(2004)原典:NSOM
(2003、及び
1996-2002 の各年)
製造業GDP
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
0.0%
出典:上野(2004)
なった。即ち、2000 年を境として経済が移行後の後退期を抜け出し成長期に入ったと考えら
れる。しかしモンゴルの二次産業の主要部分は銅・金・原油に代表される鉱業部門であり、
経済成長にとって重要な製造業が回復したのかどうかが心配となる。これを、次節で検討す
る。
2.5 製造業の実績
製造業 GDP は、1997 年まで継続して減少し、1997 年から 2000 年までは低いレベルで
横ばいとなった(図5)
。2001 年では、信じ難いことだが 32%で成長した。2001 年固有の
理由としては、以下が考えられる。即ち、2001 年に口蹄疫が発生し、中国とロシア政府がモ
ンゴルからの生きた家畜の輸入を禁止した。その結果、中国企業がモンゴルに工場を作り食
肉その他の加工を行い中国へ輸出した。一方で、ロシアは主にモンゴルの食肉工場に食肉加
工を委託して輸入した。これらの結果として製造業が伸びたのかもしれない3)。2002 年も順
調に 22%で成長しており、製造業部門における移行後縮小が終了し、製造業低迷が底を打っ
たと考えても良いと思われる。従って、前節で観察された二次産業の 2000 年からの回復は、
製造業も含めて信頼できる回復と考えられる。
2.6 農業
農業の中心をなす畜産の GDP は、図6が示すように 1999 年をがピークであり、それ以
後急激に減少している。前述したごとく 2001 年と 2002 年のゾド、2001 年の口蹄疫、2002
図6.畜産と作物のGDP
(1995 年価格、百万トィグルク)
図7.小麦生産量
(千トン)
300,000.0
250,000.0
800.0
200,000.0
700.0
150,000.0
600.0
100,000.0
500.0
400.0
50,000.0
300.0
0.0
畜産GDP
出典:上野(2004)
作物GDP
100.0
0.0
19
89
19
91
19
93
19
95
19
97
19
99
20
01
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
200.0
小麦生産量(千トン)
年の旱魃の影響が大きいと思われる。これから、モンゴル農業は自然変動に非常に左右され
7
やすい、技術的に比較的未発達な農業であることがわかる。これらの結果として、1999 年ま
でに果してきた経済成長のけん引役を農業は失ってしまった。その原因は畜産部門にあった。
しかし、自然が平常に戻れば成長するであろうし、自然変動の影響を少なくする為に、飼料
備蓄や投資による技術革新が導入されるならば、まだその成長余力はかなり存在すると思わ
れる。
1999 年以降の農業不振の主要因は畜産部門にあるが、作物部門も全く成長していない。
作物不振の主な原因は小麦である(図7)
。小麦生産減少の原因は、社会主義時代に小麦に適
しない気候をもつ土地に無理に小麦生産を行い増産を行ったためである。即ち(a)1989
年の生産量が費用を無視した補助金による非現実的な高生産量であったこと、
(b)移行開始
後、政府及び旧ソヴィエトによる補助金が消滅したことに、主に起因する。小麦生産の最適
化の結果としての生産量縮小であるから、この減少は肯定的に受け取る必用がある。この小
麦生産減少は、他の作物の生産増加によって埋め合わされ、作物全体の付加価値(実質)は
かろうじて同じ水準を保ってきた。これは、おもに馬鈴薯に代表される根菜類の生産がのび
てきたことのお陰である。
2.7 移行は終了したのか?
以上個別に実体経済の実績を評価してきたが、全体として経済は移行を終了したのであ
ろうか?これを見るために、1989 年からのモンゴル経済の主な動きを歴史的に追跡してみる
(表2)
。このように、1990 年に移行を開始し、経済パーフォーマンスのみから見れば、2000
年ごろに経済は回復したと言える。この判断の主な根拠となる指標は、
(a)農村雇用者人口
の減少開始、
(b)ゾドが無かったと仮定した場合には 2000 年には、1989 年 GDP レベルのG
DPへ回復したこと、
(c)為替の安定化、
(d)物価の安定化、
(e)継続的にマイナスであ
った製造業 GDP 成長率が 1997 年ごろから下げ止まり 2001 年に成長開始したこと、
(f)ゾド
を除けば 1994 年以降毎年 2.3%以上の GDP 成長を示し算術平均で年率 3.6%で成長したこと、
といったパーフォーマンス指標である。IMF(2001)は 3.5%程度のGDP成長は貧困削減
の為には不十分だと述べているが、経済パフォーマンスそのものとしてはかなり評価できる
実績だと考えられる。即ち、GDPと経済指標から見れば、モンゴルは 2000 年で移行を終了
し、移行のマイナス効果からは脱出したと云って良さそうである。ただし、以下の章で検討
する如く、制度的・構造的には未完成な移行政策が多く存在する。
8
表2.経済の主な動き
年
主な経済変化
1989
社会主義経済(GDP)の歴史的頂点。
1990
移行開始。GDP 下降開始。
1992
最悪のインフレ率 326%。最悪の GDP 成長率でマイナス 9.5%。
1994
GDP 成長率初めてプラスとなりプラス 2.3%。以後常にプラス。
1995
1989-01 年間で最大の GDP 成長率で 6.3%。原因は銅その他の国際
区分
移行開始。
下降時期
経済成長開始
価格上昇(但し、反論あり)。移行後で、財政赤字が最小:財政支
出が GDP の 27%、財政収入が 26%、したがって赤字は1%。
1997
エンゲル係数低下開始(96 年 49%)。
1998
インフレ率この年以後 10%以下。即ち価格は安定化した。但し財政
回復期
支出は 41.9%で、以後の年は 40%前後を保つ、即ち大きい。
1999
ゾド(2000 と 2001)開始前年で GDP 成長率 3.2%。過去 6 年間(94
-99)の算術平均 GDP 成長率 3.6%/年。GDP は 89 年の 96%。農村
雇用人数最大(絶対値 40.3 万人、全雇用者の 49.5%)
。以後仮に 3%
で 1.5 年成長したと仮定すると 1989 年 GDP を回復したはず。99 年
以降名目為替レートは殆ど減価せず(2000 年にわずか 2.2%、2001
年に 0.5%の減価)
。
2000
農村雇用者人口(絶対値)が低下開始。遊牧従業人口は 2000 年を ゾ ド を 除 外 す れ ば
ピークとし、2001 年に初めて減少。第 1 回ゾド(1999-2000 年の 経済は回復した。但
冬)で約 10%の家畜消滅、この影響で GDP はわずか 1%の成長。製造 し 小 麦 の 生 産 量 は
業の付加価値が最低を記録。以後増加。
増加に向かってい
ない。更に財政と対
外経常の赤字はむ
しろ拡大傾向、ゆえ
に市場移行は道半
ば。
2001
2000-2001 年冬に第 2 回ゾド、夏に口蹄疫発生で、更に 10%の家畜
消滅又は消却、この影響で GDP 成長は 1%。非農業部門は良い付加価
値(VA)成長を示した。製造業 VA は 32%の成長;製造業成長開始
と思われる。
2002
夏に 40 年来の旱魃。しかし、GDPは 4%の成長。
回復後
9
このようにこれまでのモンゴルの経済移行は大きく三つに区分することが出来る:即ち
(a)1990 年の移行開始時点、
(b)1994 年の経済成長開始時点、及び(c)2000 年の経済
回復時点によって区分される、下降期・回復期・回復後の三つの期間である。
2.8 この節の結論
上記分析で明らかのように、2000 年で又は移行後 10 年で、1989 年時点のGDPを
大よそ回復し、経済パフォーマンス面も安定化してきたといってよい。但し、問題は、(a)
双子の赤字が発生してきた。
又は一般途上国特有の双子の赤字を生み出す体質になってきた。
もしかするとこの双子の赤字は ODA が作り出しているのかもしれないが、より厳密な分析
を必要とする。更に、
(b)ICOR は高く、ODA の生産効率も低い。この高い ICOR という
問題は「1990~1994/1996 年までは移行に伴う総需要維持を目的とした緊急援助の期間で
あり効率は考えない」と仮定すれば、何とか正当化できる。しかし、
「1996 年から 2000 年
までは、移行後の経済の落ち込みから回復への支援であった」と考えるならば、このような
回復期の成長率は高く ICOR は小さくなるはずであった。
小さくならなかったということは、
明らかに民間部門の供給反応の遅さに比べて ODA の増加が早かったことを意味する。もし
も 2000 年以降も、同じような ICOR の高いパフォーマンスならば、ODA を考え直さなけれ
ばならない。
3.経済の抱える問題:双子の赤字
上記の如く、経済のパフォーマンスは比較的良好で移行の半分は十分超えたが、残さ
れた問題がたくさんある。以下で問題点を分析するが、紙幅が限られているので、重要な問
題である双子の赤字、即ち財政の拡大傾向による財政赤字問題と貿易赤字問題のみを検討す
る。
3.1 財政拡大問題
3.1.1 一般政府(中央及び地方)財政支出の経年的拡大と財政赤字再拡大の可能性
最大の問題は財政支出の対GDP比が拡大してきて高止まりしていることである。1995
年に最小の 27%という非常に望ましいレベルを達成して以来、1999 年まで急拡大し 39%にも
なった(図8)
。その後も徐々に増加し、2001 年と 2002 年では 44%の水準にある。
WB(World Bank,1996、p.114、Table7.2)は、1995 年前後に一人当たり所得レベルが
US$1,000 までの国は平均で対 GDP 比 26%前後の財政支出を行っているとしている。モンゴル
10
図8.一般政府の財政支出
表4. 雇用者数(単位:1000 人)
対 GDP 比(単位:%)
以下職業分類
50.0%
45.0%
40.0%
35.0%
30.0%
25.0%
20.0%
15.0%
10.0%
5.0%
0.0%
1995
2001
2002
行政管理と防衛
31.1
41.0
43.9
教育
48.5
55.2
59.3
保健と社会保険
38.1
33.0
34.5
コミュニィティ
26.6
26.9
27.5
144.3
156.1
165.2
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
ー・社会・個人
へのサービス
合計
財政支出
出典:NSOM(2003、p.68)
出典:上野(2004)
の一人当たり所得レベルは 1996 年に US$400、2002 年に US$445 であるから、この範囲に十分
入る。ならば、1995 年の 27%は良いが、2002 年の 44%は高すぎる。44%と言うのは一人当たり
所得が大略 US$15,000 以上の国々の支出レベルである(前出WB参照)。2002 年の 44%という
高さに加えて更に、2002 年と 2003 年に公務員給与を引き上げることを、現政府が選挙公約
している。即ち、最終的には 2000 年の給与の名目 100%増加を公約している。これは 2003 年
の財政支出を非常に拡大するであろう。政府は公務員の数を半減することでこれに対処する
と述べているが、不可能と思われる。例えば 2002 年までの過去の実績を、公的部門の雇用者
数から類推すれば(表4)
、公務員の数はむしろ増加していると考えてよい。
財政赤字の対 GDP 比は 1995 年に理想的な 0.9%を記録して以後 1998 年の 12.5%まで急
速に拡大した(図9)
。即ち、1996-2000 年の民主連合政権は明らかに財政を放漫にし、せ
っかく達成した 1995 年の 0.9%を再拡大してしまい、財政赤字は 1998 年には GDP の 12.5%
に達した。1999 年以後は、赤字はなだらかに減少し 2001 年には 4.5%まで縮小したが、2002
年には再上昇し 5.7%に達した。3%は財政赤字限度として一般的に使われる値であるが、こ
れをかなり超過している。短期間に 12.5%から 4.5%まで縮小した実績からすれば、モンゴ
ル政府が赤字を 3%まで低下させる能力はあると思われるが、達成しようという政府の意思の
強固さが問われている。更に、2001 年の 4.5%への赤字減少の要因は支出削減ではなく、財
政収入の増加であった。2001 年以後財政支出が 44%レベルで高止まりしている間にも、財政
収入が対 GDP 比で、1998 年の 29%から 2001 年の 37%へ増加した結果である。
11
図9.財政支出と財政赤字、GDP比(%)
50.0%
40.0%
30.0%
財政支出
財政赤字
財政収入
20.0%
10.0%
0.0%
1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002
-10.0%
-20.0%
出典:上野(2004)
一方で、輸入関税は 2002 年に一律7%から5%へ低下したはずだし、商品税も下げる
予定と云われている。その結果、これ以上財政収入を増やすことは難しいと思われるし、望
ましくもない。一方で財政支出の面は,上記の如く公務員給与の倍増があり、更に ODA 返済
が開始され(グレース期間の終了)
、かなりの公営企業(SOE)受入ローンは政府が負担せね
ばならなくなることが予想される。従って、財政赤字はむしろ現在のレベルから今後拡大す
ると予測される。
ADB(Asian Development Bank, 2000、p.5)によればモンゴル政府は、移行の初期
段階では旧ソ連邦からの援助が消滅したにもかかわらず、西側からの大量のODAと好調な
輸出収入の伸びがあり、その結果政府は比較的高いレベルの社会部門支出・住宅用支出・暖
房用支出を維持できたとしている。その結果、勿論移行以前より低下はしているが、最近で
も国際水準に比較して高いレベルの保健医療・教育支出を保っている。1998 年の財政支出の
最大部門は、教育(支出の 15%)
・社会保障(15%)
・保健医療(6%)といった社会部門支出で
あった(ADB 2000、p.5)
。これらが過大な歳出の大きな原因となっている。
2004 年には中央政府の総選挙が控えている。現在の政権党である革命党(MPRP)
も前政権党である(旧)民主連合も、どちらも過去に於いて、選挙前の 1-2 年に財政を拡大
している。今回も、その可能性は高いといえる。
3.1.2 地方政府の財政
財政赤字の大きな要因の一つは地方政府である。地方財政については殆どモニター・監
督がなされておらず、その支出について殆ど無管理状態と思われる。これと関連してか、W
B(2000、p.iii)は、近年の財政支出の地方分権化を止めるように(improving government
12
service delivery through …rectifying current decentralization arrangements)提言し
ているが、その真意は不明である。
3.2 貿易赤字拡大問題
輸入の経年的増加、輸出の停滞、その結果としての貿易赤字の増加傾向が大きな問題と
なりつつある。
移行後の貿易は 1994 年を境としてそのトレンドを逆向きに変えた。即ち、1989
年から 1994 年までは貿易収支改善の方向にあったものが、1994 年から 2002 年までは貿易収
支悪化の方向へ向きを変えた。
1989 年から 1994 年までの間は輸出も輸入も減少し、特に輸入は輸出に比べてより急
激な速さで減少した。その結果貿易赤字は減少し、1993-1995 年の三年間は貿易黒字を記録
した。1994 年から 2002 年までは逆に輸入も輸出も増加し、特に輸入は輸出に比べてより速
いスピードで増加した。その結果貿易収支は黒字から赤字に転じ、更に赤字が徐々にではあ
るが増加してきた。赤字は 2000 年を除き、1997 年以降常に対 GDP 比で 10%を越え、2002 年
には US$167Million 又は GDP の 15%にまで達した(図10参照)。一般には 10%を超えると、
赤字が大きすぎると判定する。故に、1997 年で既に大きすぎ、徐々に拡大してきており、し
かも更に拡大すると考えられる。
図10.貿易収支(百万USドル、当年価格)
1,400.0
1,200.0
1,000.0
800.0
600.0
400.0
200.0
0.0
-200.0
-400.0
-600.0
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
輸出
689.1
716.1
717.9
739.1
721.5
660.7
1991
388.4
382.6
356.1
473.3
424.3
451.5
345.2
452.2
535.8
521.5
524.0
輸入
1,095. 1,139. 1,104. 1,113. 963.0
924.0
418.3
379.0
258.4
415.3
450.9
574.7
503.3
512.8
614.5
637.7
690.8
貿易収支
-406.4 -423.6 -386.7 -374.5 -241.5 -263.3
-29.9
3.6
97.7
58.0
-26.6
-123.2 -158.1 -60.6
-78.7
-116.2 -166.8
出典:上野(2004)
原典:Mongolian Statistical Yearbook (1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002)
13
以上の貿易の動きからいえる事は、
(a)モンゴルの輸入は非常に所得弾力性が高いという事
である。下降時(1989-1994)では期間で 3.6 又は年間で 1.3 であり、上昇時(1994-2001)
では期間で 4.87 又は年間で 1.3 である。一方で(b)当然のことではあるが、輸出が所得(G
DP)にかんしてそれほど感応的ではない。
(c)このような輸入と輸出の弾力性の差が所得
上昇時に貿易赤字を増やしていく。更に(d)モンゴルは 1997 年に全ての輸入関税(高純度
アルコール飲料などわずかなものには関税を残したが)を撤廃し、貿易が世界で最も自由化
された国となった。
その影響もあって 1997 には輸入が急増し貿易赤字は一挙に対GDP比で
3%(1996 年)から 12%へ増大し、2000 年を除いて 1997 年以降マイナス 10%を切ることは無
くなった。財政赤字の影響もあり、政府は 1999 年には再度 5%の関税を導入し、2000 年には
それを7%に引き上げたが、輸入は減らずその結果赤字も減らなかった。モンゴルでは関税
増加はわずかの影響しか与えないと言ってよいのかもしれない。(e)1994 年までは、IMF
の優等生として厳しい引き締め政策(ベルト・タイトニング)を行ってきたが、1994 年から
GDP成長率がプラスになったことに安心したこともあろうし、
更に 1996 年の総選挙対策と
しての財政支出拡大(即ちベルト・ルースニング、例えば年金支給額の増大)を行い、貿易
に関する政策又はその実施の規律が緩んできたと考え得る。この緩みの例証としては、1993
年から実施してきた第一 ESAF のコンディショナリティーを 1995 年(総選挙の前年)頃から
満たすことが出来ず 1996 年に IMF が第一 ESAF を失効させたことや、94 年以降に財政収支が
黒字から赤字になりその赤字が増加していったこと、に代表される財政管理の緩み、1997 年
の輸入関税全廃等を挙げることが出来る。
以上の如き理由もあるが、根本的な理由は以下のようなものだと考えられる。先ず供
給側から見ると、モンゴルは未だ自給率が非常に低く、消費財・生産財を含めて殆ど全ての
物資についてそれらの生産能力は存在しないか又は非常に低く、国内供給が出来ない。即ち
国内の供給能力不足がある。次に需要側から見れば、(a)ODAと送金増加と鉱物資源収入
増加によって需要が増加し、
(b)経済が安定化し、GDP もある程度回復してきたことによっ
て需要が増加し、更に(c)これに前述した高い所得弾力性が働いたと考えられる。この結
果、輸入が増加している。
これらの財政赤字と貿易赤字は資本収支によってファイナンスされ、財政赤字の殆ど
100%と貿易赤字の半分はODA(さらにODAの中のポリシー・ローン)によってファイナ
ンスされた4)。IMFのESAFの外貨はモンゴル銀行(中央銀行)に入り、モンゴル銀行
からの貸し出しによって直接輸入をファイナンスしたし、ADBのプログラム・ローンと世
界銀行のSAC・SECACは大蔵省に入り予算の赤字分をファイナンスしたはずである。
上記のような理由が重なることにより、輸入は増加し、一方で輸出がはかばかしく伸
14
びなかったために、貿易赤字が漸増したと考えられる。そしてこれらの条件は変わってはい
ないので、中期的には対外経常赤字は拡大すると思われる。政府及び支援国はこれに対応す
る政策を立てる必要がある。特に、財政赤字拡大が予想され貿易赤字が拡大傾向にあるとき
に、これら財政赤字の殆ど 100%と貿易赤字の半分をODA(さらにODAの中のポリシー・
ローン)がファイナンスし続けることが良いことなのかどうかを検討する必要がある。この
良し悪しの判断は、第一にはODAに対する民間のGDP反応度と外貨獲得度に依存してい
る。第 2 には、外国為替レートを現状維持(実質レートの上昇放置)すべきかどうかの判断
が関わってくる。
4.むすび
1990-2002 年の経済移行の実績を総合評価すれば、以下のようになる。
(a)制度・政
策については、必用な道具は一応整ってきたし、比較的適切な方向に動いている;
(b)その
結果も寄与して、経済は他のCIS諸国と比較すれば、比較的良好なパーフォーマンスであ
ったと云える;GDPと経済指標から見れば、モンゴルは 2000 年で移行を終了し、移行のマ
イナス効果からは脱出したといって良い。しかし、
(c)比較的良好な実績は、大量のODA
の流入と自然資源の国際価格の上昇という外部条件に依存した部分が多く、かなり割り引い
て評価する必要がある;
(d)一応の形態が整った制度・構造的面も、一つ一つ検討すると未
完成・未完了の部分が多く存在し(例えば、エルデネット銅公社に代表される大規模国営企
業の民営化が進んでいないことなど)
、かつその実施・運営の能力に問題がある(例えば二次
にわたる銀行部門の破綻など)
;従って、制度・構造・政策実施の面からは、移行未終了とい
うべきであろう;
(e)典型的な途上国問題である双子の赤字の問題が発生しつつある;これ
はモンゴルが、
移行国から一般の途上国の状態へ変わりつつあることを示している;更に(f)
双子の赤字と実質為替レートの上昇はODAが作り出しているかも知れないという危惧が存
在する。
モンゴル経済に取って残された問題は沢山あるが、今後の最大の政策課題は何であろ
うか?それは多分、石油・銅・金・カシミア・その他鉱産物という自然資源からのレント(不
労所得)をいかに、経済成長と貧困へ振り向けられるかという問題にたいする政策対応であ
ろう。より具体的にいえば、
(a)この資源レントから生まれる資金を、如何にして海外逃避
をさせず国内に保持し、しかも(b)その資金を消費ではなく投資へ向わせる、という政策
課題と、
(c)為替の実質増価に見られるオランダ病の可能性をいかに回避するかという政策
課題であろう。
15
注
1) この論考は、国際協力銀行からの委託研究「モンゴルの経済開発・構造改革政策の評価と今
後の政策課題・プライオリティー」
(2003 年 3 月)から出発している。その一部を取り上げ、新
しいデータを加え、分析を拡充・深化させた。新しいデータも加えた。きっかけを提供していた
だいた国際開発銀行に、記して感謝したい。
2)1トゥグルク(Tg 又は Togrog)は約 Tg 10=1 円又は Tg 1000=$1。
3) これがもし正しければ(そしてかなり正しいと思われるが)、大変興味深く、モンゴルの取
るべき政策に関していろいろな示唆を与えてくれる。即ち、製造業回復と輸出の拡大の両方を達
成できる可能性を示す。今後の検討課題である。
4)橋本(2003、p.20、第Ⅰ-7表)によれば、1999 年の財政赤字 105 十億トゥグルクは、93
十億トゥグルクを対外借り入れ(譲渡的 ODA のみ)で、12 十億トゥグルクを国内借り入れ(国
債など)で、購っている。又、2001 年の財政赤字 58 十億トゥグルクは 100%対外借入れで購っ
ている。更に、橋本(2003、p.21、第Ⅰ-8 表)によれば、1999 年の貿易赤字 115 十億トゥグ
ルクは、57 十億トゥグルクを公的移転と借款で 58 十億トゥグルクを私的移転と借款で賄われた。
又、2001 年の貿易赤字 135 十億トゥグルクは 67 十億トゥグルクを公的移転と借款で、58 十億
トゥグルクを私的移転と借款で、10 十億トゥグルクを外貨準備取り崩しで賄った。即ち、貿易赤
字の約半分は ODA に起因するか又は ODA によってファイナンスされた。
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