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EU 加盟に向けた南東欧諸国の進捗状況について

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EU 加盟に向けた南東欧諸国の進捗状況について
EU 加盟に
加盟に向けた南東欧諸国
けた南東欧諸国の
南東欧諸国の進捗状況について
進捗状況について
平成 21 年 4 月
(株)日本政策金融公庫
国際協力銀行
フランクフルト事務所
はじめに
2004 年 5 月の 10 カ国(キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトア
ニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア)の同時 EU 加盟に引き続き、2007 年
1 月にルーマニアとブルガリアが新規に加盟し、
EU は 27 カ国体制、
人口約 4 億 9,000 万
人に増大した。
2004 年 5 月の 10 カ国同時加盟の衝撃に加え、加盟条件を未達のまま留保条件付きで加盟
したルーマニアとブルガリア両国に加盟後なお課題が生じている経験から、EU 委員会や加
盟国では今後の急速な拡大には慎重論が多く、数年後に見込まれるクロアチア加盟以降、
新規加盟の目処は立っていない。一方で未加盟の南東欧等の諸国にとって EU 加盟は引き
続き大きな政策目標であり、かかる目標に向けた政治・経済政策の構造改革を継続的に推
進する方向に変化は見られない。
現在、EU 加盟を目指して EU 委員会と交渉中の国のうち、加盟候補国であるクロアチア、
マケドニア、トルコの 3 カ国、並びに潜在的加盟候補国であるアルバニア、ボスニア・ヘ
ルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビアの 4 カ国について、EU 加盟に向けた最近の動向を
以下に取り纏めた。
平成 21 年 4 月 1 日
日本政策金融公庫
国際協力銀行
フランクフルト首席駐在員
熊谷 芳浩
2
現在、EU 加盟を目指して EU 委員会と交渉中の国として、西バルカン諸国ではアルバニ
ア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、又、
(註 1)、トルコ
は正式加盟候補国として、その他は加盟候補国候補(註 2)として承認されている。
これと並んでトルコが挙げられるが、このうち、クロアチア、マケドニア
このような状況下、2007 年 1 月 1 日のブルガリア、ルーマニアによる加盟で 27 カ国体
制となった EU の更なる拡大には、27 カ国体制を定めたニース条約の改正が必要となった
ことから、2007 年 12 月の EU 首脳会議で新基本条約となるリスボン条約が承認されて、
現在は EU 加盟 27 カ国による批准待ちとなっている。同条約は当初、2009 年 1 月 1 日の
発効が予定されていたが、チェコとアイルランドによる批准の遅れで実現しておらず、そ
の後は 2009 年末までの批准が見込まれていたものの、2009 年 3 月のチェコ内閣不信任に
(註 3)。
よる政局不安で再び先行きが不透明になったとされている
註 4)を果たし
尚、EU 諸国内では、加盟条件を未達のままセーフガード条件付き加盟(
たブルガリア、ルーマニアと EU 加盟後に問題が生じた経験も踏まえ慎重論が台頭してお
り、EU 内から積極的な一段の拡大を求める動きはみられていない。
(註 1:マケドニアは 2005 年 12 月、EU 首脳会議で EU 加盟候補として正式に承認されたも
のの、EU 加盟交渉開始時期はまだ決定していない。)
(註 2:安定化・連合協定 SAA は既に調印済み。)
(註 3:リスボン条約は既に 23 カ国が批准済みで、2009 年 5 月にも上院で批准予定のチェ
コと 2009 年 11 月に 2 度目の国民投票を実施するアイルランドによる批准待ち。又、ド
イツでは上下院議会で批准後、憲法違反を理由とした訴訟で 5~6 月に見込まれる最高裁
からの判決後の大統領の署名待ち。又、ポーランドも反対派の大統領による批准署名待ち
となっている。)
(註 4:EU 加盟後のセーフガードとして、向こう 3 年間を期限とした司法協力・EU 市場
への参入の制限、並びに EU 支援金の支払い停止といった条項適用が可能、且つ達成状
況次第で延長も容認されている。ブルガリアに対しては 2008 年 7 月、汚職も絡んだ EU
ファンド運用上の問題を理由に EU 支援金を一部凍結する EU 史上初の制裁措置が施さ
れている。尚、セルビアの SAA 調印に際しても強行に反対したオランダの政治家が最近、
ブルガリア、ルーマニアの加盟取り消しやトルコの加盟阻止に向けた動きを強めていると
報じられている。)
1.クロアチア
開始して、2006 年 10 月に Screening を終了後、
33 分野のうち 21 分野の交渉が開始されて、4 分野が暫定的に終了した。
2008 年 11 月 5 日に発表された EU 委員会からの進捗状況報告は、政治面で、未
だ不十分な司法・行政改革の一段の推進、依然蔓延する組織犯罪・汚職の撲滅、少
数民族、とりわけ移民の権利・保護への取り組み、旧ユーゴ戦犯逮捕に向けた国際
2005 年 10 月 3 日から加盟交渉を
3
刑事裁判所への一段の協力を要請し、経済面では、構造改革の遅れを指摘して、中
期的に EU 圏内での競争に耐え得る改革プログラムの一段の推進が求められた。
EU 委員会の Rehn 委員(拡大担当)は当初、クロアチアが 2009 年末までに加盟
交渉を終えることが可能とし、その条件として組織犯罪・汚職の防止、競争上の問
題を呈する造船産業の再編、スロベニアとの Savudrija 湾境界問題(註 5)の解決を
挙げていたが、EU 内部からは、交渉終了が 2010 年にずれ込む可能性も示唆され始
めている。特に、スロベニアとの湾境界論争は加盟交渉上の大きな障害となってお
り、
昨年 12 月にも、スロベニアはクロアチアによる一部の分野の交渉開始に反対し、
当該問題で進展が見られないようであれば、クロアチアの EU 加盟を完全に阻止す
るとして牽制する動きを強めている。
NATO 加盟に際しては、スロベニア議会が批准後、クロアチア加盟反対派である
スロベニアの極右政党が既にスロベニア議会が批准済みの決定を覆す為の国民投票
の手続きを開始していたが、これに必要な支持を得ることが出来ずに期限切れとな
り、3 月末にスロベニア政府が最終的に批准書を NATO 関連事務局に提出したこと
から、2009 年 4 月 1 日の NATO 正式加盟が決定した。
一方、スロベニア政府がクロアチアの EU 加盟については反対との強硬な姿勢を
崩していない状況下、スロベニアとの二国間協議の難航が予想されることから、ク
ロアチアが目指す 2009 年の加盟交渉終了による 2011 年の加盟は、実際には 2012
~2013 年にずれ込む可能性が高いと見通されている。
(註 5:1991 年から続いている二国間争議。クロアチアの EU 加盟に際しては、全
加盟国の承認が必要なことから最大の障害とされている。クロアチアは、スロベニ
アの EU 加盟時点でも当該問題は解決されていなかったと主張し、二国間問題であ
る海域争議を EU 加盟問題から切り離すべきとスロベニアを批判しており、解決の
目処が全く立っていない。EU 委員会の Rehn 委員は、同問題の解決に向けて、コソ
ボ独立問題で調停役を務めた Ahtisaari 元フィンランド大統領を交渉代表とする調
停委員会を設立して 2009 年 3 月に話し合いが開始されているが、歩み寄りは見ら
れていない。)
【2001 年 10 月:SAA 調印、2003 年 2 月 21 日:加盟申請、2004 年 12 月 17 日:E
U首脳会議による 2005 年 3 月 17 日の加盟交渉開始承認、2005 年 3 月 16 日:3 月
17 日の加盟交渉開始を延期、2005 年 10 月 3 日:加盟交渉開始(Screening)、2006
年 6 月 12 日:具体的な交渉開始、2008 年 11 月 5 日:EU 委員会から進捗報告発表、
2009 年末までの加盟交渉終了、2011 年加盟が目標】
2.マケドニア
同国は 2005 年 12 月、EU 首脳会議で EU 加盟候補として承認されたものの、ま
4
だ多くの改革推進が必要として具体的な交渉開始時期の決定が先延ばし(註 6)にさ
れたままとなっていた。
表
捗 報告では、政治面で幾らかの進捗は
確認されたが、十分な域に達しておらず、引き続き、司法改革、警察機構改革や中
央集権排除に尽力するよう要請された。2008 年 6 月 1 日に実施された前倒し議会選
が国際基準に沿って実施されず、暴動事件の勃発や多くの不正発覚が問題として指
摘されており、2009 年 3 月 22 日の大統領選が、公正かつ民主的な選挙実施に向け
た次の試練とされていた。しかし、EU 委員会の Rehn 委員は 2009 年 3 月 31 日、3
月 22 日に実施された大統領選が国際基準を満たしたと評価し、EU から要請されて
いる 8 分野における改革を一段と推進した場合、同国に対する年内の査証の自由化
と交渉開始の具体的な日程の決定が可能と語った。
経済面では、機能する市場経済への移行が一段と進んだとされる一方で、行政、
並びに法制上のビジネス環境の改善、中期的な競争圧力に耐え得る市場形成に向け
た一層の努力が求められた。
EU 加盟と並び、マケドニアの 2 大目標となっている NATO への早期加盟は、ギ
リシャとの国名問題での対立で、議定書調印の目処は立っていない(註 7)。
尚、EU 加盟に関する最新のアンケート調査では、国民の 74%(2008 年春時点比
で 8%減)が有益と回答しており、支持率が過半数を下回る他の 2 候補国と比較する
と、国民の高い支持が得られている。
2008 年 11 月に発 された EU 加盟進 状況
(註 6:EU 委員会は 2008 年 2 月、改革の兆候が現れてきたとして、2008 年秋の交渉
時期決定が見通されるとしていたが、2008 年 6 月の選挙の不祥事で先延ばしにされ
ていた。)
(註 7:旧ユーゴ解体で誕生した同国とギリシャ間の 1991 年以降の国名問題で、「マ
ケドニア共和国」との国名使用に反対するギリシャが拒否権を行使して 2008 年 4
月 3 日の NATO 首脳会議で見送りが決定した。同問題では、国連仲介による話し合
いを継続中。マケドニアの Crvenkovski 大統領は、セルビア、コソボに隣接する同
国の NATO 加盟は、バルカン地域安定の為に不可欠であると訴えている。)
【2001 年 4 月:SAA 調印、2004 年 3 月 22 日:EU 加盟申請、2005 年 12 月 17 日:
EU 首脳会議による加盟候補の承認、2008 年 11 月 5 日:EU 委員会から進捗報告発
表。2009 年に加盟交渉開始を希望。2015 年以降加盟との見通し】
3.アルバニア
への加盟を最優先事項とするアルバニアは 2006 年 6 月 12 日、安定
化・連合協定(SAA)に正式に調印し、EU27 カ国による批准は、2009 年 1 月 14
日のギリシャ議会での承認で最終的に完了した。これを受けて、EU 委員会は 2009
EU と NATO
5
例 合
準備を推し進めるよ
う要請したのに対し、アルバニア政府は、数ヶ月中に 2009 年上半期のチェコ EU 議
長国に対して加盟申請を提出する意向を示している。
2008 年 11 月の EU 委員会による進捗報告は、政治面では、コソボ独立問題(註 8)
では引き続き、西バルカン諸国や EU 諸国との良好な関係と地域安定に向けた役割
を果たすことを要請。内政では、最大の問題とされる組織犯罪・汚職の撲滅や、政
党間の協力による司法改革の推進、並びに行政機関の独立性の一段の確立が要請さ
れた。又、経済面では、機能する市場経済と競争力の確立が必要とされた上、経済
発展と国民の生活水準の向上を目指した交通、エネルギー、地域開発に関わる問題
への取り組みの必要性も指摘されている。
尚、NATO 加盟に関しては、同国はクロアチアと共に 2008 年 7 月、議定書に調印
済みで、2009 年 4 月 1 日には NATO から正式加盟が決定し、EU からは 2006 年 6
月に調印済みの EU 安定化・連合協定の発効が発表された。
年 1 月末のアルバニアとの定 会 で、EU 加盟に向けた一段の
(註 8:多数のアルバニア系民族が居住するコソボ独立を支持するアルバニアでは、当
該問題による今後の国内情勢に与える影響が懸念材料とされている。)
【2003 年 1 月 31 日:安定・連合協定(SAA)交渉開始、2006 年 2 月:SAA 覚書調
印、2006 年 6 月 12 日:SAA 正式調印、2009 年 1 月 14 日:SAA 批准完了、2009
年上半期に EU 加盟申請提出の見通し、2014 年の加盟目標】
4.ボスニア・ヘルツェゴビナ
連合協定(SAA)の交渉を開始し、国粋
同国は、2005 年 11 月 25 日から安定化・
主義の台頭を懸念する EU 委員会の要請する改革を推進し、2006 年 12 月の交渉か
ら 1 年半後の 2008 年 6 月 16 日に漸く正式調印に漕ぎ着けた(註 9)。その後、モン
テネグロによる 2008 年 12 月の加盟申請に刺激されて、同国の Alkalaj 外相は、2009
年上半期の申請の可能性を示唆している。
2008 年 11 月の加盟進捗状況報告は、政治面では、統一された中央集権国家(註
10) に向けた努力がみられないとして、行政機構と司法の改革の必要性を強調し、
経済面では、貿易収支の悪化、高インフレ、財政赤字の拡大で、マクロ経済の安定
が脅かされており、高い失業率が最大の懸念材料とした。
NATO 加盟に関しては、2008 年 4 月の首脳会議でボスニア・ヘルツェゴビナとモ
ンテネグロに対し、NATO 加盟に向けた行動計画(MAP)に参加する前段階の協議開
始が承認されていることから、2009 年 4 月に開催予定の NATO 首脳会議では MAP
への参加承認が期待されている。
(註 9:2007 年 12 月の仮調印後、長期にわたり協議が続けられてきたが、SAA 調印
の条件とされていた警察機構改革法を 2008 年 4 月に公布したことを受けて調印が実
6
現した。)
(註 10:1995 年の Dayton 協定によって建設された統一国家ボスニア・ヘルツェゴビ
ナでは、ムスリム系住民で構成されるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア系
住民の Srpska 共和国が独自の統治体制を取っており、外交・防衛関連政策のみが首
都 Sarajebo の中央評議会で決定されている。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が中央
集権国家を目指しているのに対し、セルビア系の Srpska 共和国は強固に反対してい
る。)
【2005 年 11 月 25 日:SAA 交渉開始、2006 年 12 月 15 日:SAA 交渉終了、2007 年
12 月 4 日:SAA 仮調印、2008 年 6 月 16 日:SAA 正式調印、2009 年上半期:EU
加盟申請提出の見通し、2015 年以降に加盟との見通し】
5.モンテネグロ
独
刑事裁
判所に対する旧ユーゴ戦犯引き渡しで非協力的との判断から 2006 年 5 月に交渉を凍
結されたセルビアに先駆け、2006 年 9 月 26 日に安定化・連合協定(SAA)交渉を
再開し、2007 年 3 月 15 日の SAA 仮調印後、同年 10 月 15 日に正式調印に至った。
その後の 2008 年 12 月 15 日には、当時の EU 議長国フランスに対して EU 加盟申
請を提出して EU 加盟に向けた積極的な動きをみせているが、EU 委員会は、当該申
請に対する回答は、モンテネグロの改革に向けた努力次第として、遅くとも 2009 年
4 月中には EU 内での当該申請に関わる協議を開始する意向を示している。
又、2009 年 3 月 29 日には、前倒し選挙が実施された結果、EU 委員会の Rehn 委
員は、選挙が平穏に実施されたことを評価すると同時に、再選された連立与党に対
し、野党との協力の下で今後も EU 加盟に向けた改革を推進するように要請してい
2006 年 6 月にセルビア・モンテネグロから 立したモンテネグロは、国際
る。
捗 報告では、2007 年 10 月の憲法制定後、
EU 法に沿った法の枠組みも整備されて行政機構の強化も確認されているものの、組
織犯罪・汚職撲滅に向けた司法改革が今後の課題とされた上、行政能力の一段の向
上が要請された。又、経済面では、マクロ経済の安定を脅かすインフレ上昇、貿易
赤字の拡大が懸念材料として挙げられており、経済発展を目指した構造改革に向け、
民営化の促進、法制面を始めとしたビジネス環境の改善が求められた。
尚、EU 加盟に向けた重要な鍵とされる NATO 加盟に関しては、今年 4 月の首脳
会議での行動計画(MAP)への参加承認が見込まれている(4.ボスニア・ヘルツェ
ゴビナご参照)
。
2008 年 11 月の EU 委員会からの進 状況
【2005 年 10 月 10 日:セルビア・モンテネグロとして安定化・連合協定(SAA)の交
7
渉開始に調印、2005 年 11 月 7 日:SAA 交渉開始、2006 年 5 月 3 日:SAA 交渉中
断、2006 年 6 月 3 日:モンテネグロ独立、2006 年 9 月 26 日:SAA 交渉再開、2006
年 12 月 1 日:SAA 交渉終了、2007 年 3 月 15 日:SAA 仮調印、2007 年 10 月 15
日:SAA 正式調印、2008 年 12 月 15 日:EU 加盟申請、早くて 3 年後に加盟との
見通し】
6.セルビア
ソ 独
ソ 独 支持を表明
する EU 諸国への反発から与党内で亀裂が生じ(註 11)、同年 5 月 11 日の前倒し総
選挙の実施が決定した。同選挙で反 EU 勢力が票を伸ばすことを懸念した EU は、
選挙に先駆けた 4 月 29 日、セルビア国民に親 EU 政党への支持を訴えるかたちで、
既に仮調印済の安定化・連合協定(SAA)の正式調印に至った。この調印は、国際刑
事裁判所への戦犯引き渡しが必須条件として最後まで調印に反対していたオランダ
に配慮し、完全引き渡し後にのみ EU 加盟国は批准するとの条件をつけることでオ
ランダに妥協を促して実現している。
結局、5 月の総選挙では Cvetkovic 首相(民主党)率いる親 EU 政権が誕生。EU
加盟を最優先事項に掲げた政策を推し進め、反対派を抑えて 9 月 9 日のセルビア議
会で SAA を批准した。その後は、セルビアから分離独立したモンテネグロが 2008
年 12 月 15 日に EU 加盟を申請したことを受け、セルビアの Dacic 副首相が、2009
年上半期には加盟を申請する見通しとの見解を示したのに対し、EU 委員会の Rehn
委員は 2009 年 2 月 9 日、セルビア政府は安定化・連合協定(SAA)の完全批准後に
EU 加盟申請を提出すべきと釘を刺した。同国の EU 加盟に向けた道を開く鍵として
は、大物戦犯である Mladic 元将軍とクロアチアでのセルビア人元リーダーHadzic
の逮捕が挙げられている。
2008 年 11 月に発表された EU 委員会の進捗状況報告は、政治面では、司法・行政
改革、汚職撲滅への努力が必要とし、更には、コソボ独立後の国民の権利保護とコ
ソボの地域・国際社会への同化、並びに EU による同国への平和・安定に向けた協
力に対する建設的な対応が要請されている。又、経済面では、堅調な経済成長下で
機能する市場経済が確立されつつあるとする一方、国際収支のバランスが崩れ、グ
ローバルな金融危機の影響への脆弱さが増加したとして、インフレ抑制、失業対策、
一段の民営化の促進による競争力のある民間部門を確立して中期的な競争に耐え得
る市場の確立が要請されている。
同国では、2008 年 2 月 17 日のコ ボ 立をきっかけに、コ ボ 立
註 11:Kostunica 前首相率いるセルビア民主党から、コソボ独立を承認する EU と
の加盟交渉停止を求める声が高まり、コソボ問題と EU 加盟問題は個別に対応すべき
とした Tadic 大統領率いる民主党の対立が深まり、同首相は議会解散を要求した。)
(
8
【2005 年 10 月 10 日:安定化・連合協定(SAA)の交渉開始に調印、2005 年 11 月 7
日:SAA 交渉開始、2006 年 5 月 3 日:SAA 交渉中断、2007 年 6 月 13 日:SAA 交
渉を再開、2007 年 11 月 7 日:SAA 仮調印、2008 年 4 月 29 日 SAA 正式調印、2012
年~2014 年の加盟を目指す】
7.トルコ
申請。その後、長い年月を経た 2004 年 12 月 17 日に
EU 首脳会議が EU 加盟交渉開始を承認して、2005 年 10 月 3 日に加盟交渉が開始さ
れた。但し、同国の EU 加盟に関しては、全ての加盟条件の完全達成と EU 側の受
け入れ体制完備が条件として付け加えられており、交渉終了は早くて 2014 年、加盟
は 2020 年以降と長期的な見通ししか立っていないのが現状で、他の EU 加盟候補と
の相違点として、交渉開始が将来的な加盟を保証するものではないことが指摘され
同国は 1987 年に EU 加盟を
(註 12)。
ている
開始して既に 3 年以上を経過した現時点で、33 分野のうち 10 分野の交渉
が開始されているが、終了したのは 1 分野(科学・研究)だけに留まっている。ト
ルコの Erdogan 首相は、EU 側のゆっくりとした交渉テンポを、EU 議長国毎に 2
つの分野開始が慣習になっていると皮肉っており、EU 諸国内に存在するトルコ加盟
に反対する動きを批判している。特に、2008 年におけるトルコ政府による改革ペー
スの急激な落ち込みが指摘されているが、その背景として、進捗しない交渉に業を
煮やした国民による EU 加盟に対する支持率が低下していることが挙げられている。
2008 年 11 月に発表された EU 委員会の進捗状況報告では、政治面で、政治安定
を目指した政党間の協力、憲法、司法といった政治改革を推し進め、思想・表現の
完全自由化に向けて尽力するよう要請された。又、経済面では、国内需要の落ち込
みでマクロ経済に課題を抱えており、外的金融支援の必要性が指摘されている。
尚、加盟交渉上で大きな焦点となっているキプロス問題が解決されなければ、EU
交渉上の 8 分野の交渉開始が見込まれない状況下(註 13)、トルコは 2009 年 1 月、
その一つであるエネルギー交渉を開始しない限り、トルコ経由で建設が予定される
Nabucco ガスパイプラインへの協力を再検討する可能性を示唆して、EU 加盟交渉を
有利に運ぼうとする動きを強めた。EU 委員会はこれに対し、同パイプラインプロジ
ェクトと EU 加盟問題は切り離すべきと警告して Barroso 委員長が同国との協議に
臨んだ結果、Erdogan 首相は、トルコは EU のエネルギー問題解決に向けた重要な
役割を果たすとして、再び全面的な協力姿勢を打ち出している。
交渉を
(註 12:自由の権利、民主主義、人権問題が生じた場合、EU はトルコとの交渉を中
止することが可能となっている。)
(註 13:トルコが、キプロスからの船舶・航空機の乗り入れを禁止していることから、
2005 年 7 月にトルコが署名した関税同盟に関わるアンカラ議定書で定められた商品
9
の自由な移動条項に違反しているとして、EU は 2006 年 12 月、8 分野の交渉を凍結
することを決定した。)
【1987 年 EU 加盟申請、1999 年 12 月:EU 加盟候補として承認、2004 年 12 月:EU
首脳会議で加盟交渉開始の承認、2005 年 10 月 3 日:加盟交渉開始(Screening)、
2006 年 6 月 12 日:具体的な交渉開始、2006 年 12 月:8 分野の凍結で、交渉はほ
ぼ中断、2007 年 3 月 29 日:交渉再開、交渉終了は 2014 年以降、加盟は 2020 年以
降になるとの見通し】
以上
10
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