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「成し遂げられた!」

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「成し遂げられた!」
「成し遂げられた!」
ヨハネによる福音 67
「成し遂げられた!」
19:16b‐30
いよいよヨハネ福音書のクライマックス、キリストの復活を記す最後の 20
章と 21 章が近付きます。十字架の章……19 章は、いわばそのピークの一歩
手前にある、福音書の中では二番目に大事な所ですが、今朗読して頂いた最
後の言葉「成し遂げられた」は、正に主の勝利の宣言。協会口語訳は「すべ
てが終わった」。新改訳は「完了した」と訳しています。この新共同訳の「成
し遂げられた」は、神の子キリストが天の父から委ねられた大事業が、「つ
いに完成した」意味です。英語の聖書では普通 It is finished.これが直訳です。
昔から、十字架の場面は多くの芸術家の感動と創作欲を刺激しました。詩
や讃美歌が作られたことは勿論ですし、「クオ・ヴァディス」のような小説
もあります。また多くの絵画が描かれました。最近では更に映画とテレビの
映像があります。そのリアリズムには少々辟易するのですが。
仮に今こういう作品を「宗教芸術」と呼ぶとしましょう。「メサイア」や
「マタイ受難曲」のような音楽の作品も含まれるでしょうが、やはり一番直
接的、感覚的に人に訴えるジャンルは絵画でしょうか。ところで伝道者であ
る私がこんな事を言うのは、変に聞こえるかも知れませんが、私はあの十字
架に釘づけられたイエス・キリストの絵があまり好きでないのです。これは
また、カトリックの方たちがお使いになるあのクルーシフィクス(十字架像)
についても同じような感覚を持つことを告白しなければなりませんが、どう
も好きになれないのです。十字架の形だけならまだ、もっと深い真実なもの
を連想する助けになるのですけれど。
私は使徒パウロが「十字架の言葉」と言ったように、本当は言葉だけで伝
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えられた福音の内容―それもできるだけ聖書そのままに近いものが良いの
ですが、こんな事を言うと「あなたの信仰は抽象的で具体性を欠くのか」と
誤解を受けることも予想して、なるべく言わないことにしていました。でも、
きのう予習をしていましたら、やはり私と似た考えの持ち主は外国の研究家
の中にもいて、こんな文章を発見しました。
「プロテスタントでもカトリックでも同じだが、一般の感覚をくすぐるよ
うな傾向が、イエスの十字架の苦痛を生々しく描き過ぎてきたと思われる」。
モルガンという聖書学者の言葉です。彼は、「私とは反対の意見もあって良
いが」と断ってから、「神の教会はイエス十字架刑の聖画によって、知らず
知らずの間に大きな損害を受けたと思う」と書いています。私が感じたもの
は多分、それだったのでしょうか。その極限みたいのが、アメリカ映画「聖
衣」だったように思います。
ヨハネ伝の今日の箇所を見て感じることは、福音書の文章の簡潔さです。
中世の芸術家なら、これでもか、これでもか、とばかり残酷と苦痛を事細か
く描いたキリストの死の光景を、ヨハネはたった一言……原文では三つの単
語を使って、「そこで彼を十字架刑にした」と記すだけです。十二弟子の中
でただ一人、十字架を至近距離から見た人が……です。当時の人には、描写
や説明は要らなかったにしても、この“慎み”は却って、福音記者の伝えた
い中心点を強めていると思います。
1.ピラトが付けた「罪状書き」。
:16-22.
16b.彼らはイエスを引き取った。17.イエスはみずから十字架を背負って、
されこうべ(ヘブル語ではゴルゴタ)という場所へ出て行かれた。 18.彼ら
はそこで、イエスを十字架につけた。イエスをまん中にして、ほかのふたり
の者を両側に、イエスと一緒に十字架につけた。 19.ピラトは罪状書きを書
いて、十字架の上にかけさせた。それには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
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と書いてあった。20.イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、
多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル、ローマ、ギリシャ
の国語で書いてあった。
ゼフィレッリさんの映画なんか、最近のは時代考証が厳密ですから、スチ
ルの写真集でよく見ると、本当に正確に書いてあります。ピラトにしてみれ
ば、この皮肉で祭司長たちに復讐をしたのでしょうが、三つの国語ですべて
の人に「イエスは王である」という宣言が届いたという所には、著者ヨハネ
の聖なる皮肉もこめられます。
処刑場の地名「されこうべ」のいわれはよくは分かりません。頭骸骨がゴ
ロゴロしていたというのはウソでしょう。ユダヤ人はそんな事ができない民
族です。ゴルゴタの丘というのも詩人の想像で、丘だったことを裏書する証
拠はありません。むしろ平地で、やや盛り上がった滑らかな岩肌の地面が、
頭骸骨のてっぺんを連想させたのではないか―これは現代の研究家の、大
方の意見です。
ついに祭司長たちは、執念のように求めたイエスの十字架処刑を手にしま
した。執行はローマ軍の刑吏がするにしても、総督を脅迫して首を縦に振ら
せた! でも、ただ一つ気にいらぬことがありました。
21.ユダヤ人の祭司長たちがピラトに言った、「『ユダヤ人の王』と書かず
に、『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」。 22.ピラ
トは答えた、「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」。
最後の言葉は完了形で、とても強い表現です。「私が書いてしまったもの
は、私が書いてしまったのである」。What I have written, I have written. 一
字も書き直すことは許さない。―
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2.十字架のすぐ下で起こっていたこと。 :23-27.
一つは死刑執行吏の兵士たちがやっていたこと。もう一つは息子の最期を
見る母マリアとイエスの対話です。
23.さて兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに
分け、おのおの、その一つを取った。また下着(その下のチューニック)を
手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったも
のであった。 24.そこで彼らは互いに言った、「それを裂かないで、だれの
ものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互いにわたしの上着を分
け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書が成就するためで、兵卒た
ちはそのようにしたのである。
かなり程度の低い兵士たちです。下着と訳してあるものは、むしろセータ
ーのような長シャツです。映画「聖衣」の中で人の手から手へ渡るのがそれ
ですが、あれは本当は robe ではなくて tunic だと思います。これは引き裂か
ないで、バクチで取り合いした。理由は robe つまり長い外套のほうは、文字
通り四つに裂いて雑巾にでもしたのでしょうか。人間の欲と醜さが十字架の
真下でモロに出ているのを、ヨハネはコメント抜きで、詩篇 22 篇のとおりに
なったと言います。これもすべての出来事が天の父の意志で進んでいるとい
う、福音史家の眼です。
25.さてイエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの
妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。 26.イエスは、その
母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦
人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。 27.それからこの弟子に言
われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟
子はイエスの母を、自分の家に引きとった。
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多分ヨハネであろう、というのが古来の一致した理解です。仮にヨハネで
ないとして、なぜかこの人物は、「イエスが愛しておられた弟子」という不
思議な呼び名で、ヨハネ伝に四回現れます。前には 13 章、ここ 19 章、この
後 20 章と 21 章。ただ「イエスに愛して頂いた」というだけで名前は伏せて
いるのです―この人は。
一見イエスの敗北、失敗のように見える悲惨な最期が、実は天の父の意志
で押し進められていることと、そのイエス自身が最悪最低の状況の中で決し
て、度を失ったり絶望したりするどころか、事のすべてを手中に握っておら
れる。そして、最後にいちばん気に掛かっておられたことを、落ち着いて処
理してゆかれる。そんなイエスの姿を、ヨハネは描いて余すところがありま
せん。神(“命の息”)が行為しておられるのです。
3.イエス生涯の事業、完成する。
:28-30.
「成し遂げられた!」と訳した新共同訳と、「完了した!」と訳した新改
訳を紹介しました。それをイエスは最低の恥辱と、これ以上の残酷な死は無
いような死で、成し遂げてしまわれたのです。
十字架と訳されてきたは、もともと「杭」を表す語で、十字の意
味は含んでいなかった語です。木の杭に吊して、なるべく長い時間苦しんで
死ぬように考案したローマ人の発明です。初めは一本の縦の木材だったもの
が、T 字型や十字型に組んだものが普及して、英語の cross になりました。
日本語の「十字架」は中国語の訳語を輸入したものです。体はロープで縛る
こともありましたし、釘で固定することもありましたが、裂けて落ちたりせ
ぬよう、またがって処刑される人の体重をかけられるように棒が打ってあり
ました。大体は何日間も生きてさらされていたもので、最後は心臓衰弱か出
血で血圧低下か、脳へ行く血が不足して死ぬかしたものです。主イエスの場
合、驚くほどの短時間で絶命なさったのは、処刑直前の鞭打ちが、よほど度
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の過ぎたものだったために、極度に衰弱しておられたものか、もっと深い霊
的な苦痛の故か、我々に分からぬ謎の部分もあります。
マタイとマルコにある「麻薬を含んだぶどう酒を拒まれた」というのは、
イエス御自身はあくまで正気で、苦痛と死に向かおうとされたのだと思われ
ます。ここに出ている「酢いぶどう酒」のほうは、上方落語で言う「酢ぅい
酒」と同じで、一番粗悪な安物の酒です。「渇いた」とおっしゃって一口所
望なさったのは、ここの最後のお言葉をはっきりと発声なさるため、張り付
いた喉を潤すためだったことを暗示します。福音史家は、こんな一言にも詩
篇の一節を思い起こして、天の父の遠大な計画と摂理の手を見ています。
“神
の息吹”(霊)のドラマ(行為)です。
28.そののち、イエスはすべてが今や成し遂げられたことを知って「わたし
は、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためめであった。 29.
そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、
このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとに
さし出した。 30.すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「成し遂げられ
た」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
結局この瞬間のために、イエスは天から地に来られて、あの三十数年間、
罪ある人の世に住まわれたのでした。それは、私たちの真っ只中で神が幕屋
に住まわれたのと同じだ(1:14)と先に著者は表現したのですが、今その人
の罪を負う神の小羊の仕事はついに完了して、肉をまとう人の子としてのイ
エスは、私たちが息を引き取る時と変わらぬ姿で「息を引き取られた」ので
す。ヨハネはそれがどんな苦痛を伴ったか、どれだけ悲惨で、目を覆うよう
な死であったかには一言も触れず、「成し遂げられた」と、イエスのパート
が全部済んだことを宣言します。次の行からは、天の父(むしろ“神の息吹”)
がなさった救いの仕上げが語られます。
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《 まとめ 》
今朝の中心テーマは「成し遂げられた」という一語でした。原文では本当
に一語で、《》です。ルカによると、このあともう一言、「父
よ、私の霊を御手に委ねます」と言われますが、これは祈りでありますから、
天に向けられていました。周りの人たちや私たち読者に語りながら宣言され
た言葉としては、この「成し遂げられた」が最後です。それを主はわざわざ、
乾いて張り付いた喉を、有り合わせの安物の酒で濡らしてまで、これだけは
人の耳に残るように明瞭に、力を振り絞って宣言なさったのです。「成し遂
げられた」、「全部終わった」と。
主のパンと杯を頂くにあたって、私たちはこのお言葉を本気で受け止めた
かどうか、確認したいのです。「成し遂げられていない」かのようにうろた
えていないか……! まるで自分の小細工や反省で埋め合わせできるかのよ
うに、さも謙遜そうに恰好を付けて物を言ってはいないか……? 「私などは
まだまだ清められていない失格者です。皆さんと同じには行かないのです」
と、謙遜そうな不信仰の言葉を弄んではいないか? ―言うを止めよ! 十
字架からの尊い宣言を決して値引きするな! 「成し遂げられていない」ので
はなく、「成し遂げられた」のです。言われたイエスも本気、受け取る側も
本気で、主の食卓に連なりたいものです。
世界中が主の降誕を記念する週にあたり、外の人たちが何をやるかはニッ
コリ笑って見ていれば宜しいでしょう。西洋の習慣に従うもよし、すべて省
略するもよし。ただ、このことだけは省略すれば、クリスチャンのクリスマ
スではなくなります―「成し遂げられた」ことを。
(1987/12/20)
《研究者のための注》
1.「されこうべ」はヘブライ語でグルゴーレト。アラム語のグルグルターがグルゴター
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となまって音写されたと推定されます。ラテン語では Calvaria でこれが英語の
Calvary の語源。「されこうべ」と訳されたギリシャ語の名詞は
2.地名の謂れとしては他に、アダムの骨の埋葬地とするオリゲネスの説がありますが、
伝説がそれ以前にさかのぼる証拠はありません。
3.四つに分けたが、狭義の長衣でなく広義の「衣類」であったとすれば、腰
布、帯、ターバン、サンダル、長衣を四人で分けたものか? 「裂かないで」の裏の意
味にこだわれば、狭義の長衣を裂いたことになります。
4.「母の姉妹」と「クロパの妻マリヤ」とを同一視する Godet の見方よりも別人と見る
方が自然です。恐らくこの婦人はサロメ(マタイ 15:40)またゼベダイの子らの母(マ
タイ 27:56)と同一人。十字架のそばにいた四人の婦人、特にマグダラのマリヤにつ
いては 1980 年 9 月交野での「第四の女」を参照。
5.ヒソプを投げ槍と読み替える人もいますが、十字架につけられた人
の足は地に届かないものの、口の位置はさほど高くはなく、手近にあった茎と海綿で
十分届いたと考えられます。無理に読み替える必要は無いでしょう。
6.贖罪は「成し遂げられて」、付け加えるものは一つも無いが、人に仕える「キリスト
の御苦労」の続きを果たす責任は、コロサイ書の福音第 5 講(1:24)を参照。
7.マタイにある「イエスは再び大声で叫び」(27:50)は、ヨハネの伝えるこの宣言だ
ったのか、それとも何か「ときの声」のような絶叫であったのかは不明です。
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