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山口 佳則 助教授

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山口 佳則 助教授
山口
佳則
(YAMAGUCHI Yoshinori)
早稲田大学生命医療工学研究所助教授/理学博士
先端科学・健康医療融合研究機構
医療計測ドメイン コアメンバー
Ph.D., University of Michigan, Ann Arbor
Electrophoretic Separations; Analytical Laser
Spectroscopy and Imaging
Phone: (03)-3272-1206
Email: [email protected]
はじめまして山口 佳則と申し
申します
早稲田大学の先端科学・健康医療融合機構の山口佳則と申します。所属がややこしい名前ですが、
ASMeW(アスミュー)の山口佳と覚えていただいても結構です。ただし、本当に親しい友達は「ヤマグッ
ツアン」とか、「Yoshi」とかよんでいただいております。これから、少し、私のことについて徒然に書
きたいと思います。つまらないところもあると思いますが、その分は飛ばして読んでいただければ・・
と思います。
ミシガン大学化学科博士課程
私は最終学位(Ph.D.)をアメリカのミシガン、アンナーバーで修
得した。非常にハードだった。ミシガン大学の大学院で最初の 2 年は
コースを履修しなければいけない。学期は Fall と Winter があり、学
期中の授業は例えば、月、水、金と同一のクラスがあり、進むのが早
い、また、学生も熱心である。正直、必死にやらないとついていけな
い。アメリカの大学院はどこでも同じであるが、年での平均の GPA
が B 以上でないと「Leave」、つまり退学しないといけなくなる。B
ミシガン大学セントラルキャンパス
なんて意外と簡単と思われるかも知れないが、グレードは細かく刻ま
れており、「A(8)、A-(7)、B+(6)、B(5)、B-(4)、C+(3)、C(2)、C-(1)、
F(0)」の中で B 以上をキープしなければならないのである。さらに、
日本では、F つまり、単位が取れない場合にはそれは換算されないが、
アメリカでは、分母になってしまう。GPA は上の()の数字の和を全
体のクレジットで割って算出するが、例えば、クレジット数が3のク
ラスで F を取ってしまうと、分母に3が加算され、全体の GPA が下
がってしまうのである。一つの Term で取れるクラスの数は最大4つ
程度で、私は最初の Term では、3つのクラスを選択した。そして、
運が悪いことに、C を取ってしまった。他のクラスは確か A-と B だっ
たが、なんと GPA が(7*3+5*3+2*3)/3*3 = 4.6 となってしまって焦
った苦い思い出がある。その C を取ってしまったクラスでは、正直、
ベルタワー
何を話しているのか全く分からなかった。今、考えても良く分からない。
そのときに聞く単語もはじめてのものだったし、また、そのクラスは教科
書があるわけでもなく、教授が授業で使う資料だけがすべてであった。で
も、GPA が 4.6 だったときには、クラスメートから励まされて本当に嬉
しかった。
キャンパスに生息するリス
ミシガン大学アンナーバー
自宅から大学までは基本的に車で通学する。Department of Chemistry まで
は車でいくことはできない。駐車のスペースがないのである。運が良くて、パ
ーキングメーターのところに止めることができても、コストがかかりすぎるの
である。といっても 80 セント/時間であるが・・したがって、毎日は大学のキャ
ンパスからは少し離れたところに駐車してバスで通学していた。その駐車場は
スタジアムのそばにあって、年 20 ドルであった。(この前年はタダだった。)
Department of Chemistry の内部はヨーロッパの建築物を思わせるようなレ
ミシガン大学バス
ンガ作りでエレガントなところだった。地下には、長いすが並べられ、そこで
は学生が勉強する姿がよく見られた。内部からの吹き抜けはガラス張りになっ
ていて天気のいい日は日差しが内部に注ぐようになっていた。
さて、そのように環境が整ったところで博士の学位を貰ったわけだが、
それには、授業だけでなく、まだまだ長い道のりがあった。その一つは「プ
レリミナリ‐テスト」である。学部内からボスを含めた4人、そして学部
外から一人の教授を自分の選考委員に選び、彼らの前で口頭試験を受けな
ければならない。この口頭試験に合格すれば、
「キャンディディト」になり、
研究に没頭できるようになる。この試験までには、まずクラスの単位、化
学の5つの分野の筆記試験、それからセミナーに合格、そして、研究計画
Department of Chemistry
をそれぞれの選考委員に提出して初めて受けられる。
さて、この「プレリミナリ‐テスト」は一番の難関である。選考委員はいつも難しい質問をしてくる。
化学の知識、装置の知識、物理化学の知識、生化学、分離化学の知識など幅の広い質問があった。当然
のこととして、これから行おうとする研究がこれまで、自分が行ってきた
研究とどうつながるか、また、その研究が世界的に行われている研究のど
のような位置づけになるかなどを自分で説明して理解されれば、合格とい
うことになる。ボスは基本的に助けてはくれない。その場に同席するだけ
で、一言も話さないのがルールである。私の選考委員は、MS の専門家、
Microscope の専門家、Electrochemistry の専門家、Bio-chemistry 特に、
地下吹き抜けベンチ
DNA,RNA の専門家で構成されていた。試験は、全体の時間は3時間ほ
どかかった。正直、難しい質問ばかりであった。例えば、
「コヒーレント
の光より、アンコヒーレントの光のほうが何故光学分解能があがるのか」「分離をどれぐらい、例えば、
理論段数でどれぐらいにすれば、Ion Suppression がなくなるか」
「光学分解能以下の動きを動画の解析
によって分かるか?」等、全部は覚えていないが、たくさんの質問を受けた。これらの質問について、
最低でも70%程度は答えられないといけないのである。
モリ
モリス研究室
私が所属した研究室はモリス研究室だった。
Dr. Morris は「分光学」と「キャピラリー電気
泳動」
「イメージング」の権威であり、その中で
も「ラマン分光」では、世界で5本指に入る有
名人である。彼の研究室には、常時2人のポス
ドクとおよそ8人の博士課程の学生がいた。私
がモリスグループに仲間入りしたときのメンバ
ーは多国籍であった。ポスドクは一人が英国人、
もう一人がオーストラリア、そして、学生は同
モリス研究室メンバー(左から5番目がモリス教授、一番左が私)
期がナイジェリア、一つ上でいつも一緒に研究
をしていた共同研究者がブルガリア、そして、3次元の研究を一緒にした共同研究者はフランス、μチ
ップの研究をしていた学生は中国出身であった。もちろん、その他はアメリカ人である。一年後には、
シンガポールからポスドクがきた。彼は、
「雪を見るのが初めてだ。」と言って感動していたが、
「寒さに
は耐えられない」ともよく言っていた。
このような International な研究室では、よく、相手の国の言葉で挨拶をしたりした。例えば、ブル
ガリアの彼には「スダラスティ」彼は「こんにちは」などで
ある。その中で一番難しいのはナイジェリアの現地の言葉で
ある。英語、日本語、中国語などとは似ても似つかない言葉
である。唇が厚くないと発音できないのではないかと思うよ
うな言葉や一度ジャンプして勢いをつけてからでないと発音
できないような勢いよく空気を吐き出す言葉などがあった。
研究室は非常に和やかで、学会の発表の練習なども気持ちよ
学会発表にて
く付き合ってくれるし、とくに、ポスドクには、よく英語を
直してもらっていた。
基本的に田舎のアメリカ・ミシガン
ミシガンのアンナーバーは治安がよかったが、気候は冷帯で、雨、
雪が多く、冬はマイナス 20 度くらいにはなる。マイナス2桁は本
当に寒い。ミシガンにしばらく住んでいると、マイナス一桁はもう
普通に耐えられるように適応するが、2桁になると血液も全部凍っ
てしまいそうになる。ただ、気候がマイナス2桁になると、車のタ
イヤをスノータイヤに換える必要がない。雪がまるで、砂のように
なって、滑ったりしないのである。
給料が安かったので、生活は楽ではなかったが、豊かに生活でき
た。借りていたアパートは月 800 ドルで環境は非常に良かった。ア
パートの前は芝生になっていて、さらに中央には遊具とベンチが置
いてあり、夏はそこで本を読んだり、たまには BBQ をしたりして
いる人がいた。基本的には芝生の上で寝そべって本をよむ方が断然
楽ではあるが・・
ところで、
アメリカでも日本の食材は手に入れることが出来るが、
ミシガンの冬と夏の様子
値が高いので畑を借りて野菜を作ったことがあった。畑を借りるのは、
年間20ドルほどだったと思う。そこではアメリカでは売っていない日
本の野菜を栽培した。きゅうり、ナス、オクラ、トマト、それからほう
れん草だった。その中で、きゅうりとオクラ、ほうれん草はよく育った
が、ナスとトマトは収穫することができなかった。多分、接ぎ木をしな
いといけないのだろう。一方では、きゅうりはとても食べきれないほど
収穫できたので、近所(車で60kmぐらいの近所)の日本人家族に配
畑を借りて農作業
った。このきゅうりはアメリカのナスときゅうりの間のようなものとは
違って、細くて、棘のある日本のきゅ
うりだったのでみんなに喜ばれた。ま
た、土地は肥えていてほうれん草なん
かは本当によく育って、それは非常に
おいしかった。ほうれん草は早く収穫
できるので、いい食材だった。
元気に育ったほうれん草
きゅうりの成長の様子
アナーバーのお祭り「クラフトショー」
ミシガンでは、恒例となっている「クラフトショー」が行われ
る。時期は6月の初め頃だったと思う。
(クラフトショーはミシガ
ン大学の卒業式の後に行われる「ネイキッドレース」に続くアナ
ーバーのイベントといってもいいと思う。)クラフトショーは芸術
祭で、全米各地から、芸術家が集まり絵画やオブジェの露店が出
る。露店はアナーバーの町のいたるところの道路に出て、ところ
どころには、舞台が用意されて、そこではバンドが演奏されてい
た。芸術家が作ったものなので、高価でとても手の届くものでは
ないが、見て周るのは面白いものだった。例えば、写真にあるひ
まわりは、空き缶を切って作ってあるものだ。
このクラフトショーが終わるとミシガンには短いが、暑い夏が
やってくる。
お祭りの様子とひまわりのオブジェ
自由とフェアを保障しているアメリカ
私がミシガンの大学院で T・A(ティーチングアシスタント)に合格したとき、最初に私が外国人であ
るということで、念を押されたことがある。特に日米の大学の違い、特にアメリカの大学ではとにかく
『自由』であることを言われた。彼らに言わせると、
『例えば、その答えが間違っていても、そのように
考えることは自由である』というのである。そして、例えば、学生がどのような考え方をしても、
『おま
えは間違いだ』とは絶対にいってはいけない。と、よく言われた。特に大学では沢山の考え方があって、
その中の一つが正しいわけではない。また、自分の考え方もその一つであり、例えば、学生にサゼスチ
ョンするときも、例えば『自分はこう思う』といった言い方をしなさいといわれた。
生物の最小単位「細胞」
さて、ここまで、ミシガンでの生活を中心に書いてきたが、ここで、一言だけ今の研究に対する興味
を書きたいと思う。最近の興味は、ずばり「細胞」である。化学で物質を考えるとき、その最少単位は
『原子』であることは誰もが中学校で学ぶ。その『原子』から、多くの法則が作られ、今日の物質化学
の基礎が作られている。そこで、今度は生物の一番小さい単位はなんだろうかと考えたとき、
『細胞』に
行き着くのではないか。細胞を基礎として、いくつかの重要な法則を作れるのではないかと考えている。
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