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大瀬 由香利
財団法人 かながわ国際交流財団 国際学インターン2009春学期 5月27日 リベラルアーツ学群 大瀬 由香利 設立:1977年2月15日 目的:人と人、地域と地域の国際交流及び国際協力の積極的な推 進、地球市民意識の高揚と多文化共生社会の実現、国際的 な人材の育成並びに情報発信を図り、もって県民の福祉の 向上と社会の平和と発展に寄与すること。 代表者: 福原 義春(2007年4月1日現在) 基本財産等:(2008年4月1日現在) 基本財産額 675,640千円 (うち神奈川県165,000千円[24.4%]) ◆役員 理事→27名(理事長、専務理事、常務理 事は各1名) 幹事→2名 ◆評議員→26名 財団理念 1.県民の国際交流・協力活動を情報、ノウハウ、資金面から支援 2.地球市民意識の高揚と、多文化共生社会の実現 3.次代を担う青少年を中心に、世界で活躍できる国際人材の育成 4.学術・文化交流を通じ、地球規模の課題の解決に向けた地域 からの提案を、県民をはじめ、国内外に発信 この4つを重点的に促進 施設・1 ◇あーすぷらざ(神奈川県立地球市民かながわプラザ) 予算:19,7964千円 ・目的 1、こどもの豊かな感性の育成 2、地球市民意識の醸成 3、国際活動の支援 展示室、情報フォーラム、映像ライブラリーなどがある 施設・2 ◇湘南国際村学術研究センター(予算:1,4624千円) ・テーマ 1.芸術・文化 2.国際関係 3.環境 4.教養 各テーマごとで、イベント、展示室、セミナーが行われている 事業概要 1.県民の国際交流・協力活動の支援(予算:113,528千円) ・情報提供・相談事業 →外国籍県民の生活相談、国際交流・交流の関連諸情報の提供 ・国際交流支援事業 →財団事業の理解と参加を促進、理解を深める ・国際学生会館運営事業 →県内私費留学生等に良好な住宅提供、地域住民と交流 ・国際研修センター運営事業 →国際研修センターの管理、研修員等と地域住民の交流 2.国際性豊かな人材の育成(予算:27,384千円) ・国際人材育成事業 →多文化共生の実現、学術、文化交流による情報発信を目的 ・地球市民学習支援事業 →地域から行動する地球市民の育成 ・国連人材育成事業 →国連が提唱する平和思想、人権などの地球規模の諸課題 に対する県民の関心を高め、解決のために活動する人材育成 3.多文化共生促進事業(予算:2,411千円) ・多文化理解支援事業 →多文化共生社会の実現へ向けた異文化理解促進 ・多文化子ども支援ネットワーク事業 →自治体、学校、NGO が一堂に会した会議を開催 4.民際協力基金(予算:12,400千円) ・民際協力基金事業 →地球社会における共通課題の解決や外国籍住民が 「共に生きる」地域社会づくりに向けた、市民による国際 協力活動等の推進を目的 国際学インターン 読書レポート 大瀬 「世界と恋をするおしごと 山本 由香利 国際協力のトビラ」 敏晴 本書では、 「国際協力」という世界に興味のある人、とりあえず海外に行きたい人、日本でサラリーマ ンになるのがいやな人、国際協力など偽善ではないかと疑っている人も、その答えに通じる道として、 夢を持ち、世界のため、社会のために働き、何より自分のために生きていく1つの方法が紹介されてい る。著者は、 「知る」ことが第1歩です。怖がらずに、面倒くさがらずに、「知る」のための機会に飛び 込んでいってみて下さい。と述べている。 第 1 章では、ある程度長期の本格的なボランティア活動が紹介され、青年海外協力隊、国連ボランテ ィア、国境なき医師団、シニア海外ボランティア、国際協力 NGO で働いていた方々の話が書かれている。 青年海外協力隊は、国際協力をやってみたい人にとって、第1選択の1つとなる登竜門的な存在である。 エチオピアに行き、学生に料理を教えながら、料理を広めようと現地の料理番組に出演、英字新聞に日 本の料理を紹介する記事を連載し、料理と日本語会話の本を作り、さらに映画を作って帰ってきた平井 洋美さんが紹介されている。 平井さんは、自分を見つめて、その国のためにできることは何だろうと考え行動している青年海外協力 隊員の話を聞いて、自分も行こうと決めた。協力隊には、4 回応募し、4 回目で合格した。「国を自分が 変えてやるんだ!」国民に愛されて有名人になってやろうという勢いでエチオピアに行ったが、エチオピ アでは、全部エチオピア人に支えられてやってこれたとい事を実感した。これを伝えたいと思い映画を 作ったのだ。帰国後は、公邸料理人を目指し、再び進学し、アメリカ在ポーランド総領事館の公邸料理 人に合格した。平井さんは、自分の可能性にチャレンジできるのが協力隊。協力隊になったことにより、 いろいろな人に出会えて、多くの人に支えられながら、たくさんの経験をさせていただいたことに感謝 しています。と述べている。 次に、国連版青年海外協力隊ともいえる国連ボランティア。国連ボランティアを経験後、現在、一時 的に WFD(世界食糧計画)に派遣されている伊藤礼樹さんが紹介されている。伊藤さんは、留学した時に、 世界各国の留学生と知りあい、友人の話を聞いて、こうゆう世界もあるのかと興味を持ち始める。アメ リカで大学、大学院生活を過ごし、国連ボランティアに応募し、ボスニア・ヘルツェゴビナへ行った。 紛争や争いが起こっている地域では、国際機関の職員が「存在する」こと自体が人々の保護になると書 かれている。ボランティア終了後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)としてミャンマー、ルワンダ、 ジュネーブ本部などへ行き、日本へと来て、現在の WFP と至っている。伊藤さんは、やってきて良かっ たことは、いろんな所に行けて、いろんな人に出会えて自分のやる仕事の成果がすぐ出ることで、現実 の経験から、自分で新しい理論的な構築とかが出来る。その行き来ができるのが幸せだと述べている。 3 番目に、世界最大系の NGO の1つである国境なき医師団として働いた白井真也さんが紹介されてい る。白井さんはシエラレオネに半年とスーダンに半年派遣された。シエラレオネでは、小児病棟と重症 の栄養失調児の治療施設の監視、スーダンでは一般医として自分で患者を見ていた。医師団に入ろうと 思ったきっかけは、身近な人にでも何気ないところで優しく接することで、ひょっとしたらその人の記 憶に残って、将来「ああ、あんな人がいたな」みたいに思ってくれる人が多分、1万人の人に出会えば、 必ず 1 人はいるかもしれない。日本では、優秀な医者ではないけど、医者の足りないところであれば、 なんか役に立てるんじゃないかと思ったと述べている。 日本は高齢化社会を迎え、定年を迎えた人々の社会での役割が今後重要となってくる。優秀な人材と なりうる世代が働くための職場をこれからの社会は作っていかなければならない。その 1 つに国際協力、 シニア海外ボランティアがある。ここでは、シニア海外ボランティアで活動された玉手安男さんが紹介 されている。玉手さんは、南米のウルグアイ東方共和国に派遣され、中小企業の生産性や品質とかをあ げて、輸出競争をつけるために、今後、そのメーカーを指導するであろうカウンターパートを育てると いう活動をおこなった。しかし、玉手さん一人ではカバーしきれなかった。青年海外協力隊もシニア海 外ボランティアも現地に行ったら思うように仕事ができないケースが多い。玉手さんは、工業会議所の 人にトータルチームが必要だと提案し、玉手さん帰国後から、グループ派遣で 4 人で活動している。 最後に、国際協力 NGO センターは、どの NGO がどんな団体なのかを紹介している。そんな国際協力セ ンターで働く竹崎希さんは、国際協力は一部の専門家とか、えらい人だけがやっているものじゃないと いうことを知ってほしいと述べている。 第 2 章から 4 章では、国際協力を国際機関、政府機関、民間組織というさまざまな立場で職業として いる方を紹介している。 第 2 章では、ユニセフ、日本 UNHCR 協会、世界保健機関(WHO)、世界銀行の国際機関で働く方々の インタビューが書かれている。 初めに、世界中の子どもたちを助ける活動をしているユニセフで教育の専門として働く菊川穣さんが紹 介されている。ユニセフの 4 つの柱として「教育・保健・子どもの保護・水、衛生」の 4 つがある。そ してこの 4 つが最重要課題である。菊川さんは 3 歳か 5 歳くらいの時にフィンランドで過ごした。帰国 後、幼稚園で自分と他の園児との違いを感じ、将来、国連とかそうゆう仕事ができないかと思った。27 歳の時、国連へ入り、JOP 制度で南アフリカ共和国へ。当時のユニセフの所長に誘われてユニセフへ入 った。最後に菊川さんは、ユニセフのいいところは、育児休暇とか男性でもとれるところ。子どものた めの仕事をするので、自分の子どものことをやっていないで、それをすることはできない。みんな尊重 してくれるし理解があると述べている。 次に、国連の各機関や国際大型 NGO などは、日本に出先の組織を作り、その団体の広報や募金を行う UNHCR に対する NPO 法人日本 UNHCR 協会の有給職員である井上清次さんが紹介されている。日本 UNHCR 協会は UNHCR の援助活動資金確保のための募金活動と難民問題を知ってもらうという広報活 動を行っている。井上さんは、大学院卒業後、一貫して日本と世界とのつながりを持つような仕事をし ていた。UNHCR も国連に関連し、困っている人の役に立てるかもと考え応募し、採用された。井上さ んは、今、何がやりたいか分からなくても、将来、何がやりたいか分かった時に、今のうちにいろんな 経験をつんでおくこと。そうすると、目標が見つかったときに実現しやすくなると述べている。 そして現在、WTO のジュネーブ本部の倫理・貿易・人権・保健法の部門で人権チームとして働く服部 あさ子さんが紹介されている。服部さんは、大学院で 2 年目を終えた時、1 年休学して英国の大学で国際 人権法を学ぶ。そこで、現実を知らなくて、理論だけでやってもしょうがないと考え、ILO に 3 か月間 インターンをすることにした。それから、国連ボランティアに応募しオファーが来たが、同じ時に WHO からオファーが来たので WHO に行くことに決めた。WTO などの国際機関は、短期限定契約という雇用 契約だ。だから、もう就職したから安心ということはない。いろんな文化的バックグラウンドの人たち と一緒にいるのが居心地がいい。自分が他の人と一緒じゃなくていいし、もっと違った生き方が見られ るし、それがおもしろいと服部さんは述べている。 最後に、貧困の克服を目的として集められてお金を開発途上国の政府や開発援助組織に貸し付け、多 くのプロジェクトを調整している世界銀行で働く川島宏一さんが紹介されている。世界銀行の存在意義 は「貧困のない世界の実現」であり、使命である。川島さんは、大学卒業後、国土交通省に入り、海外 長期研修制度に合格しアメリカの大学院へ留学。開発途上国やそこの人が自らの利害として本格的に、 そのことを自分の犠牲を払ってでもやらなければいけないことと理解した上でない限り、あいまいな気 持ちで我々が他人のために活動をするのはナンセンスと述べている。そして、JICA の専門家としてイン ドネシアへ。帰国後、日本の街づくりを世界銀行で紹介するワークショップで世界銀行のマネージャー に「働いてみませんか?」と言われ、働くことになった。世界銀行は世界中をカバーしているので本部 へ行けば、184 のメンバー国から選ばれた人たちと働くことができる。難しさとクリエイティブさ、ア イディアのぶつかり合いなど、世界中あんな職場はないと述べている。 第 3 章では、JICA、JICA アフガニスタン派遣専門家、国立国際医療センター、国際環境技術移転研 究センターで働く方々が紹介されている。 初めに、JICA の国際緊急援助隊事務局で働く廣澤仁さんが紹介されている。この部署では、自然災害 やその他の災害が起きた際に援助を行うのが役割である。廣澤さんが国際協力に興味をもったきっかけ は、小学生の時、ある絵本を読んで、当たり前のようにある国境だって、もしかしたらなくせるかもし れないんだなあ、そしたらどんな風になるんだろうと感じたことだった。大学卒業後、青年海外協力隊 に参加し理数科教師としてガーナへ。ガーナへ行ったことで以前とはずいぶん違う目で物事を見られる ようになったと述べている。帰国後、JICA へ入社した。自分自身の生活や人生を大切にしながら、思い っきり国際協力してみたいって思った。そういう意味で JICA は自分のやりたいことと生活とを両立しや すい職場と述べている。 次に、JICA アフガニスタン派遣専門家で今、JICA のリプロダクティブ・ヘルスプロジェクトで医師 として仕事をしている石原由紀さんが紹介されている。大学卒業後、青年海外協力隊に応募したが落ち、 医者になって 10 年目の時もう一度 JICA にアクセスしたが話が流れてしまい、タイへ留学。帰国後、JICA 専門家の研修に参加し現在のプロジェクトに行くことになった。石原さんは、アフガニスタンにいる時 が人生で一番幸せ。アフガン人は誇り高い。誇り高い人たちはたくさんいるが、アフガン人は相手の誇 りも、ものすごく大切のしてくれる。今、アフガニスタンでアフガン人が国を作っている所に私もそば でチョロチョロできるのは、すごいな、なんて恵まれているのだろうと感動すると述べている。 3 番目に、国立国際医療センターで働く小山内泰代さんが紹介されている。小山内さんは、国際医療協 力局の母子保健グループの支援官を行っている。自身も、カンボジア、パキスタン、バングラディシュ などへ行った。カンボジアでは、病院に妊婦さんがいても、1 か月に 1、2 人必ずお母さんが亡くなって いた。しかも、病院まで到達しきれない所でホントはもっとたくさんの人が死んでいる。ODA のお金は 社会で弱い人のところまで届くようなことをしなきゃいけないという想いがあったと小山内さんは述べ ている。 最後に、三重県や四日市市が支援する団体である国際環境技術移転研究センターの真下英人さんが紹 介されている。産業系の環境問題を中心に国内・国外で研修を行っている。研究は、企業の技術開発に 補助金を出す。調査は産業公害に対する法則制がないのか、それとも守られていないのかなどの現状を 把握するというような 3 つの事業を行っている。真下さんは、 「ムダをなくすことはもうかる」と企業に 教え、ムダをなくそうということを行っている企業には講師をしてもらう。こうした事で理解が広がる と述べている。 第 4 章では、AMDA、ピースウィンズ・ジャパン、コーエイ総合研究所、国際開発センターの民間組 織で働く方々が紹介されている。 国内の医療系 NGO で最大の規模を持つ AMDA ともう 1 つの NPO ピープルズ・ホープ・ジャパンで 活動する看護師の岡本美代子さんが紹介されている。岡本さんは、世界中にいろんな問題がある中で、 その時にただ手を差し伸べるとか、ただ何かをするっていうより、意味のあることを本気でしたいんだ ったらどうしたらいいんだろうと考えて、実践する。実践すると疑問がわいてくる。解決が困難な問題 を困難だから諦めるんじゃなくて、どうにかできないだろうかって世界中のみんな、保健だけじゃなく て教育、経済、開発、政治とか得意分野を持った一人一人が世界のどこかに住んでいる一人一人の幸せ を目指して努力しているという価値観が好きだと岡本さんは述べている。 次に、国内最大手の NGO のピースウィンズ・ジャパン(PWJ)で働く柴田裕子さんが紹介されている。 PWJ は、紛争とかに対する緊急援助と復興支援を中心に活動している。柴田さんは、大学卒業後、企業 に就職したが、3 年目ぐらいの時に人のためになることをしたいと思い始める。日本の大学を出て、アメ リカの大学院へ留学。その後、日本の NGO の中で大きく、成長しているといわれていた PWJ に入り現 在に至っている。 そして、開発コンサルタント会社と呼ばれる、コーエイ総合研究所で働く杉山卓さんが紹介されてい る。杉山さんは大学卒業後、普通に働いていたが、31 歳の誕生日後に 14 か月かけて世界中を旅行し、 たくさんの人や国際協力の分野の人たちと出会う。そこで国際協力を意識し始める。その後、JICA など で仕事をし、今のコーエイ総合研究所で働いている。杉山さんは、勉強はやりたいと思った時がやるべ き時。やりたいと思った時に機会を手に入れて活かしやすい世の中だったらもといい感じで生きられる と思うと述べている。 最後に、開発・国際協力分野の総合的シンクタンクである国際開発センターに入った中井達哉さんが 紹介されている。中井さんは現在、シエラレオネで JICA に委託を受けた調査に関わっている。シエラレ オネでは性的暴力を受けた女性や少年兵がたくさんいるが、そういう人たちを全面的にフォーカスする のはやめようという事が 1 つの方針だった。中井さんが国際協力に興味を持ったのは、ボランティアに 参加した大学卒業直前だった。25 才の時に国際開発センターと出会った。ここは、長く働かせるために スタッフに対して会社が投資すると中井さんは、述べている。 第 5 章では、スポーツ、芸術、大学を通じて国際協力を行う人たちが紹介されている。 スポーツでの国際協力は、大会に集まった子どもたちに、ワクチンを接種、健康・衛生教育、スポーツ を通じてルールを守り、社会規範を大切にし、戦争や内戦を予防する。ここでは、国際陸上審判として 働く関幸生さんが紹介されている。関さんは、マイナーなアフリカの国の有望選手のチャンスを作って あげたいと考え、毎年アフリカへ行っている。そこで、スープレイドというスーダンの NGO と出会う。 彼らの趣旨は「平和と開発のためのスポーツ」で資金援助を行っている。 次に、芸術で国際協力を行う林容子さんが紹介されている。タリバンが巨大石仏を破壊した山肌に世 界的に有名なヒロ・ヤマガタ氏がレーザーアートを使って、約 200 体のブッタを復活させるという試み のコーディネーションを林さんは行っている。世界の人が持ってしまったイメージは非常に強烈で、そ うそう変えられない。これを変えることができるのはアートだけ。と林さんは述べている。 最後に、大学で国際協力を行う谷口真由美さんが紹介されている。日本は政策の補助を行うシンクタ ンクの発達が遅れている。そのため、大学などの教育機関や研究機関に要請している。今、やっている ことが、社会に貢献できるのかどうかという視点から研究していこうという動きが大きくなっている。 谷口さんは、やらないよりは、やったほうがいい。ひょっとしたら、社会のちょっとくらいの約には立 ってるかもしれない。その程度だと述べている。 第 6 章では、キャノン、トヨタ自動車、東京電力、大和証券グループ、クレアンなど普通の会社でで きる国際協力が書かれている。 キャノンでは、徹底的な環境問題への配慮、包括的な CO2 排出削減システムが行われ、少ない資源で モノをちゃんと作りましょう。持続可能な社会に貢献しましょうという考えである。環境にやさしいと いうことが、ブランド価値を持つようになったら、それが究極のブランドになると考えている。 トヨタ自動車は、ハイブリッド・カーをいち早く世に送り出し、販売実績も確立した。トヨタ自動車 で働く、西堤徹さんと布施直人さんは、動くことによって出会いが生まれて、新しい文化、文明が発達 し、豊かな社会作りに繋がると思う。信頼される企業とは、信頼される個人の集まりでないといけない と述べている。 東京電力は、私たちの使っている電気のエネルギー源は無限ではない。しかし、私たちの日常に欠か せないもので、電気を安全に安定に供給することが会社の社会的責任、存在意義という考えが創業以来 続いている。国際協力では、オーストラリアでの植林プロジェクト、開発途上国で効率のよい火力発電 の方法を教えるなどの技術協力も行っている。社会、環境すべてに配慮しながら経営や事業を進めてい くことは、株価などよりも、もっともっと重要ではないかと考えている。 大和証券グループは、企業の社会的責任(CSR)を経営そのものと考えている。スマトラ沖地震では、日 本の NGO と組んで、復興支援を行った。金銭的な支援だけではなくて、本当に必要なことは何かと考え 10 年の支援という事を決定した。社会の持続可能性があって初めて、企業の存続があるという観点から こうした活動を行っている。 クレアンは企業の社会的責任の支援を行う株式会社である。企業と市民(消費者)と行政が一体となって 活動していかないと、CSR は広がらない。世の中のバランスを保ち、地球環境を保つには、顧客や株主 の声だけでなく多方面の声を聞いて企業は動くべきではないかという議論が世界の潮流となってきた。 CSR は世界の人々が、 「もみにもんで」育てた概念で、明日のための知恵が詰まっている気がすると書か れている。 最後に著者は、大会社の社長になることも、主婦となり子どもを立派に育てることも、サッカー選手 を夢見て日本代表を目指すことも、どれも立派な人生で、上等な人生も下等な人生もない。ただし、 「世 界のために自分の人生を使う」という生き方もある。すべての人間が、すべての生物が、地球を取り巻 く環境全てが、みんな幸せになることがあるとしたら、最もすばらしいことではないか。世界のために、 そして自分の人生のために、 「国際協力」という「宇宙のオリンピック」の競技場がある。と述べている。