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アンドレアデス氏「日本の人口」に就て
宮本, 又次
經濟論叢 (1931), 33(2): 312-316
1931-08-01
http://dx.doi.org/10.14989/130059
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
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論叢
特 別 合 計 の 整 理 - - a ・・・・・・-法接博士紳戸
所得税の税率の改正・・・・・経済畢博士汐見
曲町掛剛
経済的愛動の分析・・・・・・・・文墜博士高田
ディルタイ哲晶一吉経漕哲皐・・・・・経一草博士石川
輔
新着外園経済雑誌主要論題
附録
戸﹂仕畠
v斗
コ一
郎
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4
明治初年御用金の責措者について・経済皐博士本庄栄治郎
産米の管外移出高の季節的建動・-経済車工入木芳之助
金問題批判・・・・・・・・・・経済事士松岡孝児
ア γド Vアデス氏﹁日本の人口﹂について・経済撃士宮本又失
観苑
農家における米の販責・・・・・経空宇土谷口吉彦
統計利用の意義三問題・・・・・経溌皐士地川虎ゴ一
東海道富松宿に閲ナる一考察・-経済鬼平士大山敷太郎
回刷暗列
載
興保
二馬
禁
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宮老教
又
せんとするものである。
アンドレェアデス氏の論文は前後二篇に分れ、
に於ては一八六八年以前の日本の人口を取扱ひ、後篇
前篇
該博な考察を加へ、以で﹁日本の人口﹂ Jhτ 三-PZEE
γ唄ヨなる一交を草し、最近間220 同S ロCEr---OHBEg-E・
2 FすZH23Mデ誌上に後表された。以下はその要旨を紹介
れたが、その際蒐集された資料と、調査し見聞された事責に
授は、過般東京に開催された第十九回統計協曾曾議に出席さ
世界的撃者として令名ある希雌雄奥府の﹀・﹀
本
﹁日本の人口)に就て
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は維新以後の日本の人口に嘗てられてゐる。その行論
第三十三巻
第二放
七世紀より
一五六
第一節
人口の医分
山都市
同克服すべき障碍
第一筒
一七一一一年より一八一六年迄
の順序は攻の如くである。前篇
第二節
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賞現された進歩
一八一六年より一八六八年迄
十七世紀迄
第三節
人口準的強展
第二節
間職業による匝別 間性による寓分
ω人目撃的指一歩の設明
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に人口を主題として取扱った論著としては﹄)さ宅
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に闘する研賓は既に可友りの教に登ってゐるが、首-接
篇のみについて検討する事とする。抑外人の日本経済
篇即ち維新以前に就てであるから、本稿は専らその前
の内五口々の問題とし旦関心を有するものは主左して前
以上は菊版五二頁にわたって述べられてゐるが、そ
附図民柾による医分
及び田舎の人口
後
篇
λ氏の論文が既に時代を経た今日こ
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アデス氏の簡明にして包括的な研賀を加へ得た事は誠
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な名著ある外は、あまり知られてをらや、そのドロッバ
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日本を訪ね、且つ多く日本人の手にたる論著を引用せ
に慶賀に堪へざる所である。然も著者が親しく最近の
僅かに統計局議行のパシフレツトに操り、簡軍たる概
歴史期聞に遁確な調査資料の依如せる事をか乙ちつ L
内骨肌止天災ーとに釦L
注目し、 乙の下落を
究ぐ急激な高膿とに
激な下落と、・それに
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観を試みられてゐる。
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る事は特筆すべき事柄である。その中前篇に関しては
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第三十三巻
第二競
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てゐる。叉大化改新
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五六O年より一七一二年間に人口が五倍した飛躍に驚
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いてゐる。然もこの期間の初め四半分が所謂戦闘の世
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統計協曾曾議に提出された
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前に支配的であった原始生産業の従事者は百寓を帥植え
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れたであらうと指摘し、 この飛躍が百六十年で左しに
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都帝園大皐経拙何事部紀要﹂に掲載された同博士の
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語大
も多︿引用し且依擁されてゐる。
前篇第一節は七世紀乃至十七世紀間の日本人口を取
扱ってゐるが、 A氏はこの殆んど十二世紀聞にわたる
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組合よりも、夏に夏に錯綜した株仲間制度が存在し、
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百年間に左されたに違びない止推定して、そこに疑ひ
各々特権と潤占とを擁して、商工業の発達を阻んでゐ
第二務
をさしはさんでゐる。 かくてこの期間に闘しては、問問
た事実に鰯れ、農村の疲弊、著修安治の風等を象げて、
第三十三巻
令間接的であらうとも今後新しい文書が費見され、以
かかる事情からは営然に人口増加を妨げる経済的道徳
ア yドレアデス氏﹁日本白人口﹂に杭て
て日本の墜者遣が此等の黙に就き数示して呉れるやう
けれども、その調査貫施には快陥があって、小児や武
ゐる。徳川氏は一七一二年以来騒々人口調査を行った
により一居摘まった Aし、二、 三人以上の子を有する
た
。 A氏は暗一胎殺見の流行は上級階級が例を示すとと
加ふるに、飢鶴・疫病の頻褒は、この人口減少を助長し
人口の都市集中傾向と堕胎殺児の翠風去を惹起した。
武士の多数と、それ一を負櫓ナる農民生活の困難とは、
的要因を生ぜざるを得ないとしてゐる。消費階級たる
川
家階級の遺漏がある事をA氏は指摘し、その理由はド
侍は奇妙に思はれたと云ふ﹁中井竹山﹂の一一員を引いて、
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ロツパ l ス氏に依れば租税的理由から、本庄氏に依れ
武士階級に於ける小出家族の事を述べてゐる。ドロツパ
た寅淫や、殊に帝国の西市に於て盛に行はれた男色の
ば軍事的念慮から出てゐる事に言及し、十八世紀の敵
この期聞に於ける人口の静止或は低落傾向の原因に
影響に臨してゐるが、 A氏はこれ等の要素以外に経済
ース氏は武士の小家族を、晩婚を賞詰問する儒斡の影響
闘しては、 A氏は日本の政治制度が封建制であり、経
的理由を加へねば友らねとしてゐる。邸ち武士は一種
洲に於ても亦近隣諸闘が自園の計数に通やる事を好ま
済組織が鎖園経済であった事をあげ、かのチユルプ l
の騎士であり、ある枇曾的地位を有するに拘らやその
に蹄し、叉今日よりも夏に大規模で公然と行はれてゐ
の才を以てするも容易に改巌し得なかった泰西の同職
中、人口教を秘密にした事を思ひ合してゐる。
4再開 - 1
にとA氏は切に希望してゐる。
四
情と古代スパルタのそれとを比較封脱してゐる。古代
である。とこから康見制限が出てくる。 A氏はとの事
所得は限定され、その樟聞を保つことは凪難だったの
のを遺憾止してゐる。十九世紀には突の数字を副都げて
ざると共に、 乙の十九世紀にも僅かしか鰯れてゐたい
る。本庄博士の優れた研究が一七一二年以前に遡及せ
第三章は一八一六年より一八六八年間を取扱って b
と
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に導いた。この古代スパルタ左日本との接近は誠に興
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むべき現象が翁政者の心を動かし、人口制限に針する
武士を初め農村に一般化してゐた事を奉げ、この悲し
推算されたが、本庄博士亦乙の数字を借用され、徳川
見積り、
因を根治せす、只悪行の行はれるこ去のみを取締って
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ゐたから、 一時的初出取を有するに過ぎや 結局は無効に
終ったと遁ぺてゐる。
アンドレアデ見氏﹁日木白人口﹂に就て
第三十三舎
の調査が三四、八O六
、
第二時抗
一八七二年
一五九
000人であるから、明治の
いと推定されてゐる。若し然らやとせば、
年より一八六八年間に著しい増加数があったに違ひ左
種々なる政策となって現はれたが、その勢一令はその原
一八四六年の人口をニ九、五六三、九O七と
ゐる。小宮山氏はその省略された人数を二百六十寓
此等数字にも亦小児や侍階級その他の数が省かれて
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後期の人口推算を二八、 000、000乃至三O 、。
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味深い事である。それはともかく、 A氏は堕胎殺見が
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itの二階級に分
スパルタの人口は 1225?と匡一心E
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ゐる。
一定の支
CE に依って耕作され
れ、前者は一定の所得印ちE
た物の分前を受けてゐる軍人階級であって、
同)必一江伊仙の交出、郎ち一一機の勝校
川を友す僚件を以てのみ、その地位を保つととが州来
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曾食費の如きものを云ふ。乙の結果は彼等を産児制限
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第三十三巻
第二披
一六O
邸ち武士階級に属するものは二、四六四、000人と
rレアヂス氏﹁日本白人口﹂に就て
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初め四ク年聞の年 h増 加 数 が て 二0 0、000人で
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れてゐ円白。
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もあって、同問題に関心を有する者にとって、他山の
如︿である。その設には従来の遁設と具、れる氏の推断
明治維新以前の人口に闘する A氏の設は大要以上の
その増加傾向を助長したであらう左高調されてゐる。
道徳的大莞醒を指摘して、この莞拙が人口上に反映し、
﹄ロ巾︿
20の立詮を皐げ‘維新前二十五年間に於ける智的
ば成岬し得たいのが原別である主たし、とヨ古品。]c?
曾的政治的大革命は長い匹胎期間に先きだたれ泣けれ
て幕末の人口増劃を前副
殺見或は病死の減少に役立ったであらう左記し
摘し、それが欝準、薬製及び衛生思想の上に進歩を奥
人口曾加を主張する外、幕末に於ける蘭墜の護連を指
得るであらう。か︿ A氏はハリスの記遁を根擦として
なり、之を一八世紀の見積り約一、五0 0、
000と比
000以下に止まってゐればゐるほど、そうした
友ければたらね事になる。然るに、それに次ぐ一八七
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較せば、 との黙に於ても人口増加の事貨を観取するを
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、
三年乃至一八七六年の四ナ年の年々培加の全額が二O
。
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000、000以下ではなかった筈だと主張し
事は不可能なわけとな私。かくて A民は幕末の人口を
三二、
その主張を裏書きするものとしてタウンセンド・ハリ
九約一品川執を判配列されてゐる。維剰に先ヨ争十年に日本
を訪ねたハリスは、その印象を記して﹃到る所住民は
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人口唯加の有様を指示し、 且 皮 が
幸一闘に生活し、質貧ではあるが、絶叫割的た安全を楽し
んでゐた﹄と遁ぺ
000、000上りも
江戸に就て算出した人口数は、二、五九七、 000人
で、前の一時代に呈された数二、
遥かに上である去云ってゐる。叉調査を除外されてゐ
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石ともならば幸甚である。(完)
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.429 441.
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る武士階級に就てハリスは次の如き数を算出してゐ加。
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一高人の家来を有ナる大名一八名
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三四二
名
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同
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二千人の家来を有ナる中名
三百人目家来を有する小名
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34,806, 000 より 35 , ~5 , 55 ,OOO になっでゐる。
18 7 2 から 18 7 6 年迄に人口は
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〆¥.
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