Comments
Description
Transcript
古代人と夜
古代人 と夜 多 田 一 臣 き。 ここに建 速 須佐 之 男命 に詔 り たま ひし - ' 「 汝命 は' 代 記 」 の三 貴 子 の分治 を定 めた章 段 であ る。 の I a-I , ・ 天照大神 に賜 ひ て詔 り たま ひしく ,「 禦 鵬は、高 天 の こ とよ 原 を知 ら せ」 と事 依 さし て賜 ひき。 - - 次 に月 読 命 に詔 を すく ー り たま ひし- '「 汝命 は'夜 の 食 国 を 知 ら せ」と事 依 さ し る のかも し れな い。そ の ことを考 えさ せる のが'次 に掲げ た 「 神 私 たち は' 畳 と夜 と の連 続 性 を 疑 わな い。 畳 の後 に夜 が来 る こ 海原 を 知 ら せ」 と事 依 さし き。 ■ とを 当 たり前 の こと と思 い' そ の移行 も き わ め て連続 的 にとら 中 に延長 さ せる ことを 可能 にし た。 目 覚 め て いる かぎ り は 、夜 であ る ことも まず 間 違 いな い。 し かし ' 問題 とな る のは、 スサ 味 し て おり ' ツク ヨミ の支 配す る夜 の食 国 が文字 通 り夜 の世界 ここでア マテ ラ スが支 配す る高 天原 は おそ ら- 畳 の世 界 を意 古 代 人 にと って'夜 と は特 別 な時 間を意 味 し て いた。 いま の えら れ て いる。 灯 り の普 及 は'畳 の生 活を そ のま ま夜 の時 間 の の時 間 も 畳 の時 間 と変 わり がな いと いう のが' いま の私 たち の た。 両者 はま った- 異な る時 間的 範噂 に属 し て いる と考 えら れ いる とも 考 えら れる の であ る。 永 藤 靖 は' こ の記 事 から 、畳 や る時 間 の世 界 、時 間的 範噂 に属 す る世 界 ではな いことを 示 し て ども '夜 や畳 が海 原 と並 置 さ れ て いる こと自 体 ' これら が単 な の世 界 と は異 な る独自 な 空 間領 域 を意 味す る概念 であ る。 け れ ノヲ の支 配す る世 界 が海 原 であ る こと であ る。 海 原 は、夜 や畳 理解 であ ろう。 し かし '古 代 人 にと って'夜 はき わ め て特 別 な時 間 であ った。 て いた のであ る。 さ ら に いえ ば、 ここで述 べた よう に'夜 と畳 夜 と畳 とはけ っし て連続 す る時 間 とし て考 え ら れ ては いな か っ とを時 間的範 噂 とし てと ら え る こと自 体 '不 正確 な 理解 と いえ みを超 え た世 界 とし て'具体的 にはそ こに住 む人 々や そ こに存 古 代 人 の脳裏 に刻 み込ま れ て いた、 と述 べて いるが'従う べき 夜 は時 間的な表象 を現 わす 以前 にも っと強 い別 個 な観念 とし て 上 述 し たよう に'畳 は人間 の世 界 であ り、夜 は神 の世 界 であ に' 一日が畳 (日 )と夜 と の集 合 とし てあ る ことを述 べて いる。 を' これら の例 は示し て いる。 eは、 そ のことをき わ め て明瞭 属す る畳 と夜 とを別 個 に数 えあ わ せな け れ ばな らな か った こと の世 界 であ った。 畳 が人間 の活 動 の許 さ れ る世界 であ る のに対 然 レバ、夜夜 隠 レテ此 ノ橋 ヲ造 り渡 サ ム」 - 云 テ、夜 夜 g--鬼 神等 優婆 塞 二申 シテ云ク 、「 我等 形チ瞳 テ見苦 シ。 箸 墓 伝説 ) 0 日は人作 り'夜 は神作 る。 -- ( 「 崇神 紀」 一 〇年 九月 条 ' f. . . -轡 時 人,其 の墓 を部 け て,箸 墓 と謂 ふ。 匙 の墓 は・ ひ る った。 この ことも例 を掲 げ て確 かめ てお こう。 指摘 であ ろう と思う。 古代 人 にと って の畳 や夜 は、時 間 の枠 組 在す る事 物 のあ り かたま でも が異な るそ れぞ れ独自な世 界 とし てあ ったt と いう ことが でき る のであ る ( 永藤靖 ﹃ 古代 日本 文 学 と時 間意 識﹄) 0 し て、夜 は人間 の活 動 の許 さ れ ぬ世界 であ った とも いえよう。 呪 駆鬼 神 語第 三」) 0 急 ギ造 ルヲ・ ・ -・(﹃ 今昔物 語集 ﹄ 巻 二 ㌧ 「 役優婆 塞諦持 結 論 から いえ ば、畳 が人間 の世界 であ る のに対 し て、夜 は神 畳 ( 人間 の世 界 )=-・ 人間 の活動 の許 さ れる世 界 造 営 に従 った、と いう。 し かし '「 形チ極 テ見苦 シ」と いう のは、 言主 神 は' お のれ の姿 が醜 いのを恥 じ て'夜 の闇 に紛 れ て橋 の じ て'葛木 山 と金峯 山 と の間 に岩 橋 を架 けさ せた と いう 話。 一 日 主神 に命 に示 さ れ て いる。 gは、修 験道 の開 祖 役行者 が' 三 一 り、夜 は神 が造 った のだ と いう。 畳 と夜 と の世界 の相違 が明瞭 - は' いわゆ る箸墓 伝説 の記 事。 そ の筈墓 を'畳 は人間 が造 夜 ( 神 の世界 )-- - 人間 の活動 の許 さ れ ぬ世界 畳 と夜 が'別 個 の秩序 世界 に属 し て いた ことは、次 の例 を な がめる こと で明瞭 にな る。 b 雛 榔 筑 波を過ぎ て 幾夜 か雇 つる かがな よ ここの よ ひ と をか 日日並 べて 夜 には 九 夜 目 には 十 日を ( 記 二五 二六 ) ひ やか よ や よ 日 八 日 夜 八 夜 を 遊 びき ( 「 神 代記 」、 C--如 他 行 ひ定 め て' 天 の若 日子 の葬 儀 の段 ) 0 れ ており '畳 の時 間 に出 現す る ことは できな い。 そ れ が本来 の 話を合 理化す る ため の説 明 でし かな い。 神 の活動 は夜 にかぎ ら ▲巽 のみを 泣き つ つ在 り てや-- ( 万、 日 の こと ごと 意 味 であ っただろう O も っとも 、「 雄 略記 」には、この 三 7 F 主神 d--山科 の 鏡 の山 に 夜 はも 夜 の こと ごと 畳 はも 二 二 五五 ) は、 現世 に姿 を 現し た神 の意 であ る が、 それ だけ に この ことば 神 、争 静急熱 券 に有 ら む とは」 と語 ったと いう O ウ ツシオミと f ] 2 一日 一夜 、合 為二1日J (Fl 二代実録﹄元慶 元年 四月 1日条 ) 0 が,星間 、葛木 山 に狩 り に来 た天皇 の前 に姿 を 現 し た、 と いJ か し ・ ) b-d は' いず れも畳 (日 )と夜 とを別 個 に数 えあ げ て いる 記事 が見 え て いる。 天皇 は、 そ の時 ' 恐催 し て 「 恐 し。 我 が大 のではな- 'それを表す ため には' それぞ れ異な る秩序 世 界 に 例。 古代 におけ る 一日が畳 と夜 とを な だら かに包 み こん であ る 4 への驚きを示したも のとし て理解 しう る であ ろう。 この例 から 六二 二二) 0 学院女子大学基督教文化 研究所 掛 り て、日月 照り 克 己 研究年報﹄ 1九 ・二〇号'昭 朝 粥 間 ひて日はく,「 然らば汝 ギ は闇 の中 を、 この地上世界 に向 か って降り て- る。 そ の地上 とす ると いう ことは'祭 り が本来 '夜 お こなわれるも のであ る 神 の出現'移動 が闇 ' つまり人間 の活動 の許 されぬ夜 を原則 る。 これも闇 の中 の移動 と考 え てよ いだろう。 ナ ムチ の魂 が'やはり光を放 つ存在 であ った ことが示され て い Cはt と- に闇 の中 と の明示はな いが'海上を や って- るオホ あ り'し かもそ の姿 は太陽 のごと-光 り輝 いて いたt と いう。 の移動 は,「 聖暫 とあ るよう に,おそらく は闇 の中 にお いてで セツヒ コが'信濃国 に隠 れ去 る ことを描 いた記事。 イ セツヒ コ bは、天孫 であ る神武 天皇 に国譲 りし た伊勢国 の土着 の神 イ # ・部魂 なり」 と いふ (「 神代記 」第八段 1書 第 六 ) . は鮎 誰 ぞ」 と のたま ふ。 難 へて日はく 、「 吾 は是汝 が朝 り。 -・ ・ ・ 匙 の時 に, C時 に,榊 し き 光 海 に 照 ら し て,恕 鰯 に 浮 か び来 る者有 (﹃ 伊勢国 風土記﹄国号総説 ) 0 b (伊勢津彦 が )割 ししく、「吾 はゲ融をもち て,和郎を起 うし ほ なT t こし て 海 水 を吹き 、 波 浪 に乗 り て東 に人らむ。 これす な さ よ し よなか いた よ も はち吾 が却 る由なり」 と。 --中夜 に比 及り て'大風 四 なふ う ちあ か わ、 や に起 こり て'波潤を 扇 挙 げ, 光 輝 き て日 のごとく 、除酢 あき も海も共 に 朗 ら かに'遂 に波 に乗 り て東 にゆきき。 -- が注意 される。 らし い。 そ の場合 '移動す る神自身 が光 を放 つ存在 であ る こと この例 にも顕著なよう に、神 の移動も闇 の中 が原則 であ った は'昼間 は人間 に姿を見 せる こと のな い神 が突如出現した こと とが確 かめられる のであ る。 も、間接的 ではあ るが'夜 こそが神 の活動す べき時間 であ る こ 二 夜 が人間 の活動 の許 され ぬ神 の世界 であ る ことは、夜 が本質 とし て闇 の世界 であ り'人間 の目 の機能を遮 断した世界 であ る ことにも とづ いて いる。 闇 が、神 の存在を幻想 さ せ、古代 人 の 幻想領域 の始原」 ﹃ 国語国文﹄昭五 一・九 ) 。 それ 想像力を拡大 さ せる母胎 であ った ことも指摘 され て いる ( 三浦 佑之 「 闇- ゆえ に、神 はまず闇 の中 に出現す る。 そし て、神 は'闇 の中 に 恥 光をもたらす 存在 とし ても考 えられて いた のであ る。 あ ま い はく ら H a 飛 掛 新 穀 邦 鄭 敵 陣 の尊 , 天 の 磐 座 を離 れ,天 の八重雲 を お し わ 排け て,軌跡 の 卦 恥 き 卦 恥 き て、 日向 の高千穂 の二上 の そらく ら あ まくだ 峰 に 天 降 りましき.時 に, 天 晴 冥 -、昼夜別 かず , ル 抄 羞 造を失 ひ、 獣 別き 難 か叫-O -・ ・ ・ ・ 時 に' 謡 等 の戴L L がごと-、千穂 の稲を撞 み、籾 となし て投げ散 らした カ、 か や 光 ききO -・ ・ ・ ま ひし かば、 す な はち (﹃ 日向国風土記﹄ 智舗郷条 ) 0 世界 は、昼夜 の区別 のな い暗黒 の世界 であ った。 そ こに 二二ギ ことにも対応し て いる。 祭 りは'依 り代を立 てて降臨す る神を これは ここギ の いわゆる天孫降臨 の神話を記 し たも の。 ここ は'はじ めて光をも たらす のであ る ( 犬飼 公之 「 闇 の影」 ﹃ 宮城 5 の移 動 は'祭 り のも っとも秘儀的 な部 分 であ り 、他見 を許 さな ま り、祭 り にお いては、神 の移動 がお こな わ れる のであ る。 神 迎 え、 そ の神 を祭 り の場 ま で渡御 さ せる形 が 一般 的 であ る。 つ 動 は夜 でなけ ればな らな いと いう 原 則 は貫 かれ て いる と いえ る ゆ う ぺ < し た 朝 ま で の間 の 一 だろう。 柳 田 の ことば にもあ るよう に' にわ たる ことを 避け て'時 間 が前 に移 さ れ ては いる が'神 の移 六時 に始 まり '午 後 一 〇時 過ぎ に終了し たと いう。 行事 が深夜 たとさ れる。 前 回 '昭和 四八年 の式 年遷宮 では、宮 移 - は午後 ら いのか本来 のあ り か た であ った。 そ の移動 も夜 、 とりわけ闇 の 夜 が'我 々の祭 り の大 切な部分 であ った のであ る ( 柳 田国 男前 か 中 であ る のが原則 であ った。 柳 田国 男 によ ると、全国 に暗闇祭 掲書 ) 0 夜 は神 の世界 であ り 、人間 の活動 の許 され ぬ世界 であ った。 夕 り と称す る祭 り が分布す る が' これは神 の渡御 に際 し て'そ の た神 の船 が海 を渡 ってや って- る が、 これを見 たも のはたち ど る のが普 通 であ った。 このことはど のよう に考 え たら よ いのだ し かし 、古代 にお いては、 人間 の恋愛 生 活 は夜 の時 間 に営 ま れ 三 時 刻家 々の灯 火を消 きし め'誰 にも見 ら れ ぬよう にし た祭 り で あ る と いう ( 柳 田国 男 「日本 の祭 」﹃ 定本 柳 田国 男集﹄第 一 〇巻 ) 0 JL ) ひいふ ま た'柳 田は' 同じ本 の中 で'伊 豆七島 の 息 の日 ・ 日 忌様 と呼 ころ に死 ぬと伝 、 与られ た'厳重 な物 忌 み の要求 され る祭 り であ ば れ る祭 り に ついても 紹介 し て いる。 祭 り の夜 '赤 い帆 を掛け ると いう。 この正月 二四 日 の夕 刻 から 二五 日 の朝 ま で続 -大 切 ろう か。 ﹃ 万葉集﹄ をな がめると、男 が女 のも と に通- のは原則 とし て な神事 に ついては'大間知篤 三も '三宅島 ・大島 ・新島 ・神津 島 な ど の例 を 紹介 し て いる ( 大 間知篤三 「 三宅島 聞書 」﹃ 大間 知 へ通 って い-。 し かし '夜 が神 の世界 であ れば'夜道 を歩- こ す べて夜 の時 間 にお いてであ る。 夜道 を通 って'男 は女 のも と も ( 万' 二 ・二五九〇) E ja秩砿 踏 む夜道行 かじと息 へれど殊 により ては忍 びかね つ とは'本来 、禁忌 の行 為 であ った はず であ る。 篤 三著作集﹄第 四巻 ) 。 こう し た祭 り の存在 は'神 の移動 が他 見 ちな みに'この忌 の日 ・日忌様 の祭 りは、 ﹃ 万葉集﹄の柏 しき物 を はば かる秘儀 であ った ことを よ-示し た例 と いえ るだろう。 の歌 を想 起 さ せる。 これも神 の渡御 をう た った歌 であ る。 お き う し は ぬ りやか たにぬ り と d 奥 つ国 領 - 君が 塗 屋 形 黄 塗 の屋 形神 が 門渡 る (万 ' 一六 ・ 同様 に、 これも神 の移動 であ る伊勢神宮 の遷宮 の儀式 が夜 お 外 を出歩 いてはな らな い、 とす る禁 忌 の意 識 が ここにはあ ると し て いる のではな いだろう。 人間 は、活動す べき でな い時 間 に 夜道 行 かじ」 と い- のは'そ の道 が危 険 であ る こと だけを意 味 これ は'女 のも と へ通う 男 の心をう た った歌 だが'「石根踏 む こな われ る こともよ-知 られ て いる。 遷宮 は'御神体 を 正宮 か 考 え る べき だと思う。 し かし、 こ の歌 では'恋す る女 のも と へ 三八 八八 ) 〇時 頃 )から始 ま っ によ れば、 そ の行事 は概 ね亥 刻頃 ( 午後 一 ら新宮 へ渡御 せし める神事 だが'﹃ 皇 大神 宮 儀式 帳﹄な ど の記 事 6 いう 点 にお いて'絶対的な禁忌 の世界 であ ったと いえる。 人間 れ以 上 に'闇 は人間 の目 の機能 を完全 に遮断 し た世界 であ ると ならざ るも のが活動す る のが、 この間 の世界 であ った のであ る。 い恋情を表出した歌 にな って いる。 いわば禁忌を逆手 にと った 歌 にな って いる のであ る。 だが、それ にし ても 'な ぜ男 は夜女 月夜 であ っても、男 の訪 れる時 間 は概ね決ま って いた。 それ ゆ う ぺ よ ひ は から 宵 と いう時間 であ る。 なら ば'そ のよう な禁 忌を冒し ても通 ってしまう tと いう つよ のも と へ通う ことを許 された のか。 おそら- それは'男女 の恋 夕 愛 が、神 の行為 に準じ て理解 され て いたため にほかならな い。 ○) けむ ( 万' 一二 ハ C裂 に逢 ひて ( 暮 相而 )粥 郁熟 み断 にかか置き妹 が戯 せり が幻想 されたが、人間 の恋愛もま たそ の神婚 に重 ね合わされて 祭 り の場 に来臨 し た神 は'神を配る盤女 と神楯 を お こなう こと 釦 陣 に近 づき にけり ( 万, 泊瀬 川 梨 渡り来 て 家の 九 二 七七五 ) が 理解 され て いた のであ る。 男女 の恋愛 は'むしろ神 の世界 に属 夕 さらば君 に逢 はむと恩 へこそ 日 の暮 るらくも嬉 しかり 卦撃 を迎える女は神迎え の鬼女 にみず からを移し替 え て い った ので す べき行為 であ った。 女 のも と へ通う 男は来臨す る神 に'それ そ こに理由 があ ったと いえる。 あ る。 男 の通 いが夜 の時 間を選ばなければならな か った のは、 けり ( 万' 一二 ・二九 二二 ) こ よひ よひ 明日より は恋 ひ つつあ らむ 今 宵 だに ( 今夕 弾 )逮-初夜 わぎも 吾 妹 ( 万' 1二 ・三 二 九 ) れは夜 でありさえす れば いつでもよ いt と いう も のではな か っ あ る ことがわかる。 夕 は日没以後 の宵 に いたるま で の時 間'宵 これら の例を見 ると'男 の訪 れが夕 から宵 にかけ て の時間 で より ( 速初夜従 )紐解け た。 第 一にへそ の通 いは、原則 とし て月夜 でなけ ればならな か は'最後 の歌 に 「 初夜」 の表記 が見られるよう に'初夜 ( 概ね もちろん'男 の通 いが夜 の時間 に許 され て いたとは いえ、そ った (このことに ついては、古 橋 信 孝 の発 言 か ら 教 示 を 得 て それ以後 の夜中 や夜更け の訪 れはまずあ りえな か ったと考え て よ い。 このよう に夕 から宵 にかけ て の訪 れ が原則 であ るとす れば' 午後八時頃 )から夜中頃 ま での時 間を意 味し た。 った のであ る。 いる ) 。換言す れ ば' 闇夜 には女 のも とを訪 れる ことができな か とや ( 万'八 ・一四五 二 ) b闇夜ならば欝も釆 まさじ梅 の花咲け る月夜 に出 でまさじ 0 1八 ) る ( 万' 一〇 二 1 た だぢ 月夜よ み妹 に逢 はむと直道 からわれは来 れども夜 そ更け d天 の川を中 の渡り で遷 ろ へば河瀬 を踏 むに夜 そ更け にけ にけ る ( 万' 一一・二六 一八 ) この歌 では'闇夜 に訪 れ のな いことを当然 の前提 とし て いる。 であ る。 闇 の恐 ろしさは'現在 の私 たち の体験 からも次第 に消 我 が背 子を今 か今 かと待 ち居 る に夜 の更け ぬれば嘆き つ そ の上 で、月夜 であ るにも かかわらず や って こな い男を怨 む の ことは'物 理的 にもきわ めて難し か った であ ろう。 し かし'そ え つつあ るが'照明 の乏し か った古代 にお いて闇夜 の道 を歩- 7 天 の原 るかも ( 万' 一二 二 1 八六四 ) わ が背 子 は 待 てど釆 まきず さ ふり放け見 れば ぬばたま の 夜も更け にけり-- ( 万' 一三 ・ 三 二八〇) 始 め の二首 は'夜 が更け てしま ったために女 のもとを訪 れる この異常 な出会 いの極 致 は'夜 が明け てから の出会 いにな る。 あら む ( 万、 一〇 二 一 〇二〇) f天 の川砂融 を漕 ぎ て明け ぬとも逢 はむと思 ふ夜袖卦 へず これは七夕歌 の 一首。 たとえ夜 が明け たとし ても袖を交 わさ れ て いる。 一年 に 一度 の逢瀬 であ るがゆえ に' こう し た誇張し 牽 牛 )の つよ い意 志 が述 べ立 てら ことが できな-な った ことを嘆- 男 の歌。 後 の二首 は'反対 に、 ず には おかな い'と いう 男 ( 夜 が更け て男 の通 いを期待 できな-な った女 の側 の歌 であ る。 夕 から宵 の時間 に限ら れて いたと考 え てよ いだろう。 それ では' し かし' こう し た例外 はあ るも のの'男 の訪 れは原則 とし て た表現 がリアリテ ィをもちう る のであ ろう。 し かし'﹃ 万葉集﹄を見ると'夜中 にな ってから'あ る いは夜 た のだろう か。 ﹃ 万葉集﹄をな がめると、男 の辞 去す る時 間も概 女 のも とを訪れた男は、 いつわ が家 に戻らなけ ればならな か っ とを示す例 と考 え てよ いだろう。 とも に'夜更け てから の出会 いは原則 とし てあ りえな か った こ は、むし ろ出会 いの異常 さを強調し た歌 と考 え る べき であ り、 かけ て の時間 であ る。 鶏鳴 は'時 の異名 でもあ るが' それは い ね定ま って いたらし いこと が知 ら れる. そ れ は鶏 鳴 か ら 晩 に 更け てから の出会 いをう た った歌 が存在す る。 し かし、それら そ の出会 いは男 の ( あ る いは女 の)恋情 の つよさを際 立 たせる ると'案外鶏 の嶋-時 刻 は早-'それは夜 明けより二時 間余 り わゆる丑 の刻頃 ( 午前 二時前後 ) のこと であ る。 橋本 万平 によ 役割を果 たし て いると考 えられるo e釦畔 にし 人 の来 立 てば夜中 にも身 はたな知らず 出 でてそ も前 であ ると いう ( 橋本 万平 「万葉時代 の暦 と時制」F 万葉集講 逢 ひけ る ( 万、九 ・一七三九 ) 霞 立 つ春 の長 日を恋 ひ暮 らし夜 の更け ぬる に妹 に達 へる 座﹄第 二巻 ) 。 1万 の暁 はほぼ寅 の刻頃 ( 午前 四時前後 )の 「 平 旦」 が これ にあ たる。 まだ夜 の闇 に つつまれた暗 い時 間 が暁 で かも ( 万' 一〇 ・一八八四 ) 新 中 伽 の上 に霜 の降 あ った。 この鶏鳴 から暁頃 の間 に、男 は女 のも とを去らなけ れ これら は、 とも に逢う べき時 でな い時 の出会 いをう た った' gはな はだも夜更け てな行き道 の .* の 出会 いの異常 さを強調し た歌 と考 えら れる。 夜中 や夜更け の出 ら ばならな か った のであ る。 な 会 いはおそらく禁忌 であ り、それは夜中 が人間ならざ るも のの ( i t L ・・ 1 ) な い。 前 活動す るも っとも危険な時 間 であ ったから にほか L はあり待 て ( 万、四 ・六六七 ) る夜を ( 万' 一 〇 ・二三三 六 ) こ ・も 恋 ひ恋 ひて逢 ひたるも のを月 しあ れば夜 は隠 るらむしま 歌の 「 身 はたな知らず 出 でてそ逢 ひけ る」 の表 現 には'恋情 ゆ に達 へるかも」 の詠嘆も、恋 の成就 が夜更け と いう禁忌 の時間 鮎邸 の袖 つぐ夜 の鵬 は ( 袖続 三更之五更者 )川瀬 の鯵 は え に無意 識 に禁忌を冒し た感動 が こめられて いる。二首目 の「 妹 であ る こと によ って、 一層 つよ められ て いると いえるだろう。 8 鳴 かず ともよし ( 万'八 ・一五四五 ) あ さと で 朝 戸 出 の君 が姿 を よ-見ず て長さ春 日を恋 ひや暮 ら さ む ( 万、 一〇 ・一九 二五 ) 最初 の二首は'女 の側 から の引き とめ歌。 男 の帰 りがま だ夜 いかでかは鶏 の鳴-ら む人知れず 思 ふ心 はまだ夜深き に (﹃ 伊勢物語﹄五三段 ) ここでも鶏鳴 は男女 の別 れ の時 を示す合 図 であ る。し かも、そ れがまだ「 夜深 き」 時 間 であることか歌 の表現からたしかめられる ( もちろん'この「 夜深き に」には思う 心 の深さが掛けられている ) 0 し かし'鶏鳴 がな ぜ男女 の別 れ の時 の合 図 であ りえ た のか。 深 い頃 であ る ことが歌 の表現 からも理解 される。 三昔日 は七夕 歌。 別れ の時 を告げ る鶴 は' この暁 は鳴 かず に いてほし いtと えに'鶏鳴 はしばしば神 の世界 の終りを'す なわち神退場 の時 もちろん'鶏鳴 は夜 の終りを告げ知ら せるも のであ る。 それゆ とも に退場 せねばならな い約束事 があ った のであ る。 このよう 刻を 示す 合図 でもあ った。 神話 や伝説 の世界 では'神 は鶏鳴 と いう願 いをう た って いる。 「 暁」の表記 が 「 五更 ( 午前 四時頃 ) 」 見る ことができな か った ことを嘆 いたも の。 悲 し み の涙 でよ- であ る ことも注意 される。 最後 の歌 は'朝 帰り の男 の姿をよ見えな か った'とす る理解 が普 通 だが、別 れはまだ暗 い中 であ いた のは折 口信夫 であ る。 折 口は' 日本 の伝統的な祭 り の中心 に'鶏鳴 が神退場 の時 間 であ る ことを'も っともあ ざや かに説 が真夜中 にあ る ことへ鶏鳴 がそ の行事 の終り とほぼ対応し て い るから'実際 にもそ の姿を見る ことが できな か ったと いう のが 鶏鳴 は時 の異名 でもあ るが、実際 にも別 れ の時 を告げる合図 本 当 であ ろう。 る ことを指摘 し た上 で' この鶏鳴 こそ が神 の世界 と人間 の世界 と の境界を示す も のであ り、祭 り の場 に来臨 し た神 は これを合 る。 そし てへ祭 り の行事 の終ら ぬ先 に鶏 が鳴けば、神 は事を完 図 とし て神 の世界 に帰還す る定 め にな って いた ことを説 いて い え ぬう ち に慌 てて退却しなけ ればならな か った のだ、 とも述 べ べき仕事 を果 たさず 退散 し た話 、う ろたえ てそ の身 を傷 つけ た て いる。 折 口はま た'鶏 の音 に驚 かされ て'神 や妖怪 が'なす とも ( 万、 1〇 ・二〇二 l) であ ったらし い。 に は と り h鶏 は かけ ろと鳴 き ぬなり 起 きよ 起きよ 我 が 暇 に つ ま 夜 の夫 人も こそ見 れ ( 神楽歌八八 ) と り ね 巌寮 と朝枇卦 へてさ寝 る夜 は 鶏 が 音 な鳴き 明け ば明け ぬ 最初 の 一首 は神楽歌 の例。鶏鳴 ととも に男 は女 のも とを去ら 話 が この国 には数多 -語 り伝えられ て いる ことをも紹介 し て い なければならな か った ことがわ かる。 二昔日 は' たとえ夜 が明 け ても構 わな いから'鶏 よ鳴 -な' とう た ったも の。 これは遠 る ( 折 口信夫 「 鶏鳴 と神楽 と」 ﹃ 折 口信夫全集﹄第 二巻 ) 0 をとめ ﹃ 常 陸国風 土記﹄ に収 められた 童 子 女 の松原 の伝承 は'鶏鳴 が 平安朝 の物語 にも次 のよう な例 があ る。 那賀 の果 断 の恥 ギ 献5 3の 静か の齢部 と呼 ばれる男女 の神 が, 神退場 の時 刻 であ る ことを具体的 に記 し た例 とし て興味深 い。 妻 であ る女 への思 いが強調 された表現 と考 え てよ い。 に'鶏 の鳴 きければ、 -むかLt男'あ ひがたき女 にあ ひて'物語などす る ほど 9 よ さ く ・r ひ J l の 中 、 お のが分 の僕を も て万呂 に与 へ、 とも に食 ふ。 そ の ごや 後 夜 にし て男 の声あ り。万 呂 に告 げ て いは- '「わ れを殺 出会 いの楽 し み に時 の移 る のを忘 れ'夜 の明け る のに気付 かず ' ついに鶏 鳴 き狗 吠え る朝 を迎 え てし ま い' 人 に見 ら れ る ことを と,諸 の霊 を拝 せむ がため にそ の屋 せし兄来 ら む とす る がゆ ゑ に' 早 -去ら む」と いふ。 -手 時 に,そ の母 と 鼻 る。 ここ で、松 の木 に姿 を変 じ た理由 が人目 を 恥 じ たた めと語 恥じ て'松 の木 に姿 を変 え てしま った、 と いう 有 名 な伝 承 であ の内 に入る0 万侶 を見 て驚 き り, そ の到 り来 れ るゆ ゑ を間 ふ。 -- ( 「 人 ・富 に履 ま る る閤健 の政 ひ収 めら れ' 第 十 二」) 0 れ た。 そ の魂 祭 り の夕 に万伯 のも とを訪 れた死霊 は'万伯 を我 毎 年 '大晦 日 の夜 には、祖先 の霊 を 迎 え る魂 祭 り がお こなわ 霊 しき表 を示し て現 に報ず る縁 黙 によ る神 退場 の時 刻を超 え て人間 の世界 に出 現す る ことは でき この男女 の神 が松 の木 に ら れ て いる のは'説 明 のた め の合 理化 に過ぎな い。 神 は'鶏 鳴 い た 。 な い。 鶏鳴 から暁 の時 間 は、神 の世 界 と人間 の世 界 と の絶対的 < 注⋮) な断絶 の時 間 とし て意 識 さ れ て 姿 を変 え た のは'そ の断絶 を超 え てしま った こと に対す る厳 し が屋 に連 れ帰 り 、魂 祭 り の供物 を分け与 え る こと で恩 返しをし と' 死霊 は 「 わ れを殺 せし兄来 たら む とす る がゆ ゑ に'早-去 よう と考 え たら し い。 し かし' 「 後夜 ( 午前 四時 前後 ) 」 にな る い代償 であ ったt と いえ よう。 と ころ で' ここで神 の語 を 用 いて いる のは、他 界 からや って た部 分 にあ る昔 語 り から' 死霊 が兄 に殺 さ れた のが事 実 であ る ら む」 と語 り、万伯 の前 から姿 を消 し てし まう 。 引 用を省 略し く る人間 な ら ざ るも のを総 称 し て のこと であ る。 それゆえ に' いう ' こ の神 の時 間以外 の活動 が許 さ れる ことはな か った ので 向 こう側 の世界 から や って- る死者 の霊 も '夕 から鶏 鳴∼暁 と あ るC ﹃ 日本 霊 異記﹄ 上巻 に、次 のよ う な 説 話 があ る。 道 登 と まろ いう 憎 の従者 であ る方伯 と いう 人物 が'奈良 山 の谷間 にあ って、 ら れる。 夕 に万侶 の前 に現 れた死霊 は' そ の 「 後夜」 の時 間 を に 「 後夜」 と いう 神 退場 の時 間 にな ってしま った から だ と考 え ことがわ かる が'し かし' 死霊 が姿 を消す本 当 の理由 は、す で 人や獣 に踏 ま れ て いた閣僚 を木 の上 に安 置し てや ったと ころ、 こ のよう な例 を な がめると、女 のも と へ通 ってき た男 が'な 超 え て この世界 に留 ま る ことは でき な か った のであ る。 夕 ぜ鶏 鳴 から暁 と いう 時 間 に立ち去ら なけ ればな らな か った のか、 の そ の間儀 の亡霊 が恩 を報 いにや ってき たt と いう 話 であ る。 つ 亨 ) も りゆ ふ ぺ に いたり て'人 '寺 の門 に来 り 晦 と いう 理由 がお のず から 明瞭 にな る。 男女 の恋 愛 が神 の行為 に の てまう さ- ' 「 道 萱大徳 の従者 万侶 と いふひとに遇 はむ と 重 ね合 わさ れ て考 えら れ、女 のも とを訪 れる男 が みず からを神 1同じ年 の十 二月 ねが ふ」 とま- す。 万呂出 でて遇 ふ。 そ の人語 り て いは 璽 って いかなけ ればな らな いのは' むし ろ絶 対的 な約束 事 であ っ 鮎 た と考 え ら れる ので の立場 に転位 さ せて いた とす れ ば' こ の神 退場 の時 間 に男 が帰 く ,「 大徳 の配 し びを教 り,こ のころ中敷 ら かな る厳 びを こよひ 得 た-。 し かし て' 今 夜 にあ らず は'恩 を報 いむ に由 な ゐ てそ の家 に至 - '閉 ぢ た 将 る屋 より し て屋 の裂 に入 る。 郭 に鋸蝕 を 設け たり0 そ の し」 と いふ。 す な はち万呂を 1 0 る。 ここでは、 ﹃ 源氏物語﹄ を引 いてお こう。 いが、平安時代 の物語類 の中 にそ の例を たしかめる ことが でき に就 いたらし い。 この男 の寝直し の例 は ﹃ 万葉集﹄ には見えな であ ろう か。 家 に戻 った男は、 どう やら原則 とし てふたたび床 わ が家 に帰り ついた男は、そ のあ とど のよう な行動を と った の まだ深 い闇 に つつま れた時間 であ った。 し かし、そ の間 の中を もちろん、鶏鳴 から暁 と いう時間は'す でに述 べたよう に' 鶏鳴 ととも に女 のも とを立ち去らなけ ればならな い'とす る厳 す よ- に、恋愛 は いわば神 の行為 であ り'神 の位置 にあ る男 は、 な考 え方 であ ろう。 け れども'それ が許 されな いのは'繰り返 らば'女 のも とで心ゆ-ま で睡眠を取 ればよ い、それが合理的 きな か った であ ろう。 帰宅後 にわざわざ寝直 しをす るくら いな よう に' このよう な状態 では決し て充分な睡 眠を取 る ことは で たと判断 される。 し かし' ここに 「 ま どろまれ給 はず 」 とあ る か活動を許 されな い。 恋愛生活 にお いては、 このよう に夜 と畳 然 たる約束事 が存在したから であ る。 神 は夜 の世界 にお いてし う か。 ﹃ 万葉集﹄ を見 ると次 のよう な例 があ る。 も ろひ と た け ( ] は - ここに 諸 人 酒 鮒 にし て,夜更け鶏鳴 く。 雌 に因り て主 の終り の合図 でもあ った ことを ど のよう に考え たらよ いのだろ と ころ で'鶏鳴 が神退場 の時 刻 であ ったとす る時 'そ れが宴 と の隔 たり が明確 に意 識されて いた のであ る。 k ( 源氏 が空蝉 のも とに忍 び入る場面 )鶏 も鳴き ぬ。 -て'光をきま れるも のから'影 さや かに見え て、な かな 鶏 もしばしば鳴- に'心あ わただし- て--月 は有 明 に かを かしき曙なり。 --殿 ( 左大臣邸 )に帰り給 ひても' ( 源氏 が再度 忍 び入り、入違えし て軒端荻 と契 る場面 ) とみにもま どろまれ給 はず ( 青 木巻 ) 0 -- ( 小君 が)君を押 し出 で奉 る に、晩近き月隈な-さ さ めやも 人貯巌 伊勢蔀縄麿 の作 れる歌 1首 はぶ し う ち羽振き鶏 は嶋- とも か-ばかり降り敷-雪 に君 いま し出 でて--小君御車 の後 にて、 二条 の院 におはし ぬ。 -- ( 空蝉 の)あり つる小社を、さす がに御衣 の下 に引 ら れ給 はず ( 同) 0 かてね ( 万' 一九 ・四二三三∼四 ) 守大伴宿禰家持 の和 へたる歌 い や 鳴 -鶏 は 弥 しき嶋け ど降 る雪 の千重 に積 め こそわれ立ち き 入れ て'大殿罷 れり 。 - -しばしう ち休 み給 ヘビ、寝 ( 末摘 花 と契 る場面 )--何事 に つけ てかは御心 のとま 古代 におけ る宴 は'夜通し お こなわれる のが原則 であ ったら らむ。う ちう めかれ て'夜深う 出 で給 ひぬ。 --二条 の 院 におはし て'う ち臥し給 へども-- ( 末摘花巻 ) 0 お こなわれる饗 宴 がそ の母胎 であ った。 宴 が具体的な神事性 か し い。 宴 はも とも と祭- の 一部 とし てあ り'神 の来臨 を迎え て ら切り離 され、社交を目的 とす る貴族 の生活 の l部 と化し ても ' これら の例を見 ると'「とみにもま どろまれ給 はず」 「 大殿罷 そ の原型 が神遊 びにあ ると の意識 は消える ことはな か ったと思 れり」「 う ち臥し給 へども」な どとあり、女 のも とから戻 った源 の例 だが' おそら-万葉 の時代 にお いても、事情 は同様 であ っ 氏 が' ふ た た び床 に就 いて いる ことがわ かる。 これは平安朝 i l l われる。 それ以上 に'特別な階層 であ る貴族 は' みず から の位 置を神そ のも のに準 え、そ の生活も いわば神 のそれを模倣す る も のとし て考 え て いたらし い。 宴 には飲酒 や歌舞 、音楽 な どが これは、推古 八 ( 六〇〇)年 の いわゆる遣惰便派遣 の際 の記 「 此 れ大 いに義 理無 し」 と。 Ⅳa倭王 は天を以 て兄▲つ と為し' 日を以 て弟 と為す。 天未 だ明 り ご と かふ けざる時 '出 でて政を聴き'伽鉄 し て坐し' 日出ず れば す な _i 便 ち理務を停 め、云 ふ 「 我 が弟 に委 ねん」 と。 高祖 日-' ば せるも のであ ると同時 に、宴 の参加者 みず からを神 の位 置 に 付きも のだが、 これらは いず れも神 に献げら れる こと で神を喜 はあ るが' 日 の出 ととも に 「 理務」を とどめた'と いう と ころ 録 であ る。 日神 ( 太陽神 ) への信仰 が つよ-感 じられる記事 で に、古 い 「 ま つり ごと」 の伝統 が示されて いる。 神 の時間 の終 る夜 にお こなわれる のは、そ こに理由 があ った のであ る。 それゆえに'宴 が鶏鳴 ととも に終りを告げ る のは、それが神 いう のが推古朝 以前 のあ りかただ った のだろう。 もち ろん'そ りととも に 「 ま つり ごと」も とどめられなけ ればならな い'と 転位 さ せるはたらきをも つも のでもあ った。宴 が神 の時 間 であ は、主人 の引き とめに、主客 であ る家持 が応え るやり とり がな れは 「 ま つり ごと」 が神 の世界 に属す る行為 であ ったから であ 退場 の時 刻 であ ったから だと理解す る ことが でき る。 この例 で されて いるが、そ の前提 には鶏鳴 ととも に宴 の場を辞 去しなけ し かし'そ の推古朝 にお いて'「 朝 政」と いう 概念 が中国 から る。 また'鶏鳴 が 「 夜更け」 であ る ことが注意 される。先 にも述 べ 輸 入さ れる。 推古 一二 ( 六〇四 )年 、聖徳太子 が制定 し たとさ ればならな いtとす る約束事 があ ったはず であ る。 この例 では' たよう に、鶏鳴 はま だ夜深 い中な のであ る。 いず れにし ても' 百寮 ,早- り て 裂く 潮 でよ」 と いう 定 め が そ れ であ る。 「 朝 が朝 早 - 君 にま みえる ことを意 味し て いた。 「 節 明紀」を見 る 政」 の 「 朝 」 は'朝廷'朝 堂な ど の 「 朝 」 と同義 であり'臣下 触 れる ﹃ 憲法 十七条﹄にそ の概念 がは っきり と見え て いる。 「 群卿 神 の時間 の終りととも に'宴もま た閉 じられなければならな か った のであ る。 四 日 の出頃 に出仕し'正午頃 に勤務を終えるt と いう 原則 は、時 に退出す る規定 が定 められ て いる ( 鮮 明天皇 八年七月 一日条 ) 0 〇時前後 ) と'卯時 ( 午前 六時前 後 )に参朝 Lt巳時 ( 午前 一 紀り'神意 のあ らわ れを知 る こと で人 々を統治 しよう とす る行 代 によ って若干 の差 異 はあ るも のの、以後 ﹃ 延書式﹄ の段階ま 政治 が 「 ま つり ごと」 と呼 ばれる のは'それが文字通 り神を 為 であ ったから にほかならな い。 それゆえに、「 ま つり ごと」で で守 られ て い-0 たが、 日 の出 ととも に 「 理務」を とどめたと いう 、古 い 「 まつ けれども' この中国 の制度 の影響 を受け た 「 朝 政」 のあり か あ る古代 の政治も'夜 の時 間 にお こなわれる のが原則 であ った ら しい 。 ﹃ 晴書 ﹄倭国伝 に次 のよう な記事 があ る。 1 2 り ごと」 のあり かたと大き-相違す る のは'前者 が政治をあ- 日常性を遮断し た時間 であ ったためでもあ ろう。 たち の生活 の中 で'夜 の比重 が次第 に増し て いく のは、それが 遥隔億 の報告 に対し て'高祖 が 「 此 れ大 いに義 理無 し」 と述 べ け た頃を選 ぶのかt と いう こと であ った。 深夜 に都 に入る のが た のは、上京 の旅を終えた貴族 たち が都 に入る時 'な ぜ夜 の更 らし い。 平安朝 の日記類を読むた びに以前 から疑問 に感 じ て い 平安朝 の貴族 にと っても 'たしか に夜 は特殊な時間 であ った ま でも人間 の世界 に属す る行 為 と考え て いる のに対し て、後者 たと いう のも、それが、法 と いう制度 によ って国家 の運用を計 がそれを神 の世界 に属す べき行為 ととらえ て いる ことだろう。 ろう とす る'律令国家 の理念 と相容 れな い考え方 であ ったから 絶 対 的 な 原 則 であ ったらし いことは、 ﹃ 土佐 日記﹄ や ﹃ 更級 日 ぬほどに、 月出 でぬ。 桂 河' 月 のあ かき にぞわ たる。 -- b夜 になし て'京 には'人らむとおも へば、 いそぎLも せ 記﹄ をな かめる こと でわかる。 にほかな らな い。 と ころが、平安朝 も中頃 を過ぎ ると、律令国家 の制度 はも は よう にな る。 「 朝政」が' いわゆる 「 夜儀」に変化し て い- ので てう れし。家 に到り て'門 に入るに'月あ かけ れば' い 夜 ふけ て来 れば' と ころど ころも見えず。 京 に入りたち やたてまえとなり'上層 貴族 たち の政治 はも っぱら夜営ま れる あ る。 村井康彦 は、 こう した 「 夜儀」 の増加す る理由を'政治 とよ-あ りさま見ゆ。 聞 きしよりもまし て' いふか いな の内延化 、すな わち摂関政治 の展開 と結 びあわ せて説 明し て い -ぞ こぼれ破 れたる (﹃ 土佐 日記﹄) 0 る ( 村井康彦 ﹃ 平安貴族 の世界﹄) 。 し かし、そ の理由 の 一部 に は、神 の世界 であ る夜 の意義 を回復しょう とす る伝統的な心性 べ- と、中 の時 ばかり にたち て行けば'-- いと暗くな り て'三条 の宮 の西なる所 に着き ぬ ( ﹃ 更級 日記﹄) 0 粟津 にとどまり て'師走 の二日京 に入 る。 暗- いき つ- いず れ の記事を見 ても'「 夜 になし て'京 には、人らむとおも がはたら いて いた のではな いか、とも考 えら れる。 平安貴族 の れは夜通し お こなわれる のが原則 であ った。 物語頬をな がめて へば」「 暗- いき つ- べ- と」とあ り 、入京を でき るだけ遅 い時 生活 に宴 は付 きも のであ るが、す でに前節 で述 べたよう に、そ る。 男女 の恋愛を描- のか物語 の中心趣向 であ るとし ても 、現 も、そ こに描 かれる主要な場面は こと ごと-夜を舞台 とし て い い時分 であ ったと思 われる。 し かも '「 月あ かけ れば'いとよく とし ており'逢 坂山を越え て都 のわが家 に着 いた のは深夜 に近 日記﹄ の場合'粟津 の出発を 「 中 の時 ばかり ( 午後 四時前後 ) 」 おそら-'平安朝 の上層 貴族 たち の生活 は'無 自覚的 ではあ あ りさま見 ゆ」と いう ﹃ 土佐 日記﹄の場合 はとも か-も'「 師走 刻 にしよう と考 えているらし いことが知ら れる。 と- に'﹃ 更級 ろう が、みず から の存在を神 に準 えるも のであ ったと いえよう。 実 の貴族 たち の生活 の中 で、夜 の世界 の比重 が増し て いる のは 具体的な生産 に関与しな い貴族 は、 いわば非 日常世界 に身 を置 の二日」 の入京 であ る ﹃ 更級 日記﹄ では'月 明かりは ほとんど たし かな ことと いえよう。 - こと で'日常世界を支配す る根拠を つ-り出し て いた。 貴族 1 3 恥じ たた め、夜間着京 の万 が好都合 であ った、 と説 いて いるも に関 し ては'注釈書 頬 の中 にも 、旅 や つれを 人 に見 ら れる のを の私 たち の目 から見 るときわ め て不可解 な こと であ る。 この点 う し た闇 の中 にわ が家 に着 - ことを意 図す ると いう のは、現在 期待 でき な い'闇夜 に近 い状態 であ っただろう。 も とよ り' こ さ せた' みず から の位 置を非 日常 世界 に転位 さ せる た め の いわ 安貴族 たち の入京 や引越しな ど の行動 は' この神 の移 動を潜在 う に、神 の移動 は夜 、 とりわけ闇 の中 を原則 とし て いた が'平 顔 を のぞ か せて いた、 と いう こと にな る。第 二節 でも記 し たよ 在 の根拠 を つ- り出 し て いた貴族 たち の夜 への意 識 が こ こにも しけ れば'非 日常 世 界 に身 を 置- こと によ って、 みず から の存 え て いな い。 も ち ろん、私自身 、 この間題 に対す る的確 な説 明 の二十九 日 にま ゐる。 は じ め て ま ゐ り L も こよ ひ のことぞ か た時間 であ る ことも指摘 さ れ て いる。 ﹃ 紫 式部 日記﹄ に'「 師走 前記 の対 談 では'紫式部 の初 出 仕 が、夜 の特 殊 性を背 景 とし ば無 自覚 的 な行動 であ った のかもし れな い。 のがあ る ( 関 根慶 子 ﹃ 更 級 日記 ﹄へ 講談社学術 文庫 )) 。 一応 の説 をも ちあ わ せて いるわけ ではな い。 し かし、夜 と いう 時間 の特 明 ではあ ろう が、 この不合 理を納得 さ せる だけ の説得 力 はもち 殊性 に対す る意 識 が、 こう し た夜間 入京 の行 動 の背 景 にあ る こ 夜 であ った ことがわ かる。 式部 の出仕 の年 に ついては、寛 弘 二 し。 --」 と いう 記事 があ り、式部 の初 出仕 が 一二月 二九 日 の と ころ で'「 京 ・日常 ・色 好 み」と題す る'角 田文衛 ・中村真 とは間違 いな い事 実 であ ろう と思う。 〇〇五 )年説 と三年 説 とがあ り '比較的有 力 な 二年説を採 用 (一 にな る。 対 談 でも述 べら れ て いるよう にへ式部 が大晦 日 の夜 を 月 二九 日 の夜 はま さし-大晦 日 の夜 であ った こと す る と' 二 一 一郎 の対談 (﹃ 国 文学﹄昭五 一・六 )の中 で'平安朝 の貴族 の引 る。 事 実 、﹃ 枕草 子﹄を見 る と'道隆 の積善 寺 の l切経供養 に際 識 は'現在 の私 たち と はあ さら か に違 ったも のであ ったはず で 選 ん でわざわざ出仕 し た とす れば' そ こにう かがわ れ る時 間意 越 し が'通常 深夜 お こな わ れるも のであ る ことが指摘 さ れ て い し、中宮定子 の二条宮 への渡御 がお こな わ れ た が、 そ れが深更 あ る。 対談 は' そう し た時 間意 識 のあ り かたを '古 い伝 統的 な に及 ぶも のであ ったことがたし かめら れる。 「二月 ついたち のほ ど に、 二条 の宮 へいら せたま ふ。 夜 ふけ て' ね ぶた︿なり にし わ せて説 明し て いる が' 一日 の始 まり が いつであ る のか に つい 慣 習 の中 で、 一日 の始 まり が夜 と感 じ ら れ て いた ことと結 びあ ては異論 もあり' これをそ のまま納得 でき る説 明 とす るわけ に かば'何事 も 見 入 れず --」( 二五 六段 )と清 少納 言 は記 し て い は いかな いQ 大晦 日 の夜 が、古 -魂 祭 りを お こな って祖先 の霊 る が' これも私 たち の常 識 とは隔 たる不 可解 な行動 であ ろう。 前記 の対 談 の中 で'引越 し の実際 は昼 間便 用 人 がお こな い、主 を迎 え る特別 な夜 であ った ことはす でに述 べたが' この時代 に かも し れな い。 も ち ろん、大晦 日と いう 条 件 を除 いても '夜 の ま で通ず るそう し た大晦 日 の夜 の特殊 性を こ こでも 認 める べき れ て いる。 先 掲 の日記類 の場合 も'帰 宅 の準備 は使 用人 によ っ てす でに整 えら れ てあ り'作者 たち 一行 だけ が夜間 に戻 って- 人 のみが夜 移 る のであ ろう 、 と いう 指 摘 ( 中村 の発言 )がな さ る' と考 え た方 がたし か に理解 し やす いだろ- 。 この推 測 が正 1 4 いるよう に見える。 し かし、この歌 は、「 愛し妹 が手枕離 れ」と aは防 人歌。 「夜立ち釆 のかも」とあ るから'夜旅をう た って 三 ・二九七 ) を遮 断したと ころに存在す る夜 の時間、そ れが式部を はじ めと あ るよう に'女 のも とから帰 る男 の姿 が重 ねあ わされ て いる。 初 出仕 と いう 事実 は動 かな いのであ り' ここでは' 日常 の秩序 まず 考える べき だと思う。 1万 のbは、宮人の旅を った ったあき ら かな例。 「 夜見 つるか う た った歌 ではな いことになる。 であ った のだろう。 そ の意味 では、 この歌 は夜を通 し て の旅を も とをま だ夜深 い中 に出発し た'そ のよう な体験をう た った歌 おそら-女 ( それは同居 し て いる妻 であ るかもし れな いが)の す る平安朝 の貴族 たち の心性 に及 ぼし て いる特殊な意 識を こそ 五 これま で述 べてき た のはへ古代 人 にと って夜 は特別な世界 と って通 過 し た ことを 意 味 し て いる。 し かし、中 西進 は' この も」 とあ る のは'美し い風景 とし て知ら れる田児 の浦を夜 にな し て感じら れ て いた、 と いう こと であ った。 畳 と夜 とは、それ ぞれ人間 の世界へ神 の世界 とし て'絶対的な断絶 の関係 にあ っ があ らわれ て いた のであ るo (一) ﹄( 講談社文庫 )) . そ の推定 には'夜を通し て の旅 はありえ 「 夜」を 日 没 時 の こと であ ろう と考 え て いる ( 中 西進 ﹃ 万葉集 た のであ る。 そ こに現在 の私 たち とは異なる古 代人 の時 間意 識 こう し た夜 の時 間 の特殊性を考 える最後 に'夜旅 の問題を取 り上げ てお こう。 夜旅 が夜道を行- こと であ るならば、第 三節 日没を過ぎ て田児 の浦を通過す る こと にな った'そう し た状況 る のが当時 の常識 であ った。bも、 おそら-旅程を急ぐあまり' 産 と いう 弁基 の歌を例示す るま でもな-、夜 にな れば旅宿 りをす 越 え行き て 術 抑山梨 な い, とす る前提 があ る のだろうOb の直後 にあ る 「 い ほさ き す ・ (た ね 前 の 角 大 河原 に独 り かも 宿 む」 ( 万 、三 二 一 九八 ) ことができる。 夜道 を行- ことが許された のは、女 のも と へ通 で述 べたよう に、そ れは原則 とし て禁忌 の行為 であ ったと いう う 男 のよう な、 みず からを神 の位 置 に移し替 える こと のでき る' ち だ 立 のかも ( 万, 1 き 来 る ことが でき る。 「 大君 の命 畏 ( 恐 )み」 と いう 表現 は、 こう し お いて' とも に夜道を行- こと の禁忌を冒し た歌 とし て理解す ではな い点 にお いてtbは日没過ぎ て の歩 みがう たわれる点 に し て存在す る ことも注意す べき かもしれな い。 aは純粋 の恋歌 も っともt ab両歌 に'「 大君 の命 畏 ( 恐 )み」 の表現 が共通 夜を通し て の旅をう た ったも のではな いことになる。 をう た ったも のと考 える ことができ る。 したが って、 これも' そ- した存在 にかぎられて いた。 し かし、 ﹃ 万葉集﹄を見ると' 夜 よ 夜旅をう た ったよう に見える歌 が存在し て いる。 これら の歌 は' ど のよう に考 える べきな のだろう か。 た まく ら 手 枕離れ 凶 二二四八〇) va大君 の厳封 み獣し妹 が つ か さ ま け b 田 口益 人夫裏 の上野国 の司に任けらえし時 に,駿 河 の 浄見崎 に至り て作 れ る歌 二首 二 首略 ) そ 」 と か し こ 昼見 れど飽 かぬ田児 の浦大君 の命恐 み夜見 つるかも ( 万' 1 5 た禁忌 の冒しを補完す る役割をも って いたと考 えられる。 それ 在 は' この場合 の用例 とはなし がた い。 最後 の歌 の 「 稗 の音す 神 の行 いの模倣 とし てあ った のであ る。 夜釣 りをす る海 人 の存 特別 な ( 神聖な )職業 民 であ る。 夜 の釣 りそ のも のが、 いわば なり」 と い- のも、そう し た海人 の釣り船 と考 える べき であ ろ は'禁忌を超 える絶対的な秩序 の根本 に 「 大君 の命」 があ ると と ころ でtb に ついては'作者 は海路 を と って いた のではな いう '新 し い意 識 のあ らわれ でもあ っただろう。 に宿 りす るかも」 ( 万、 一五 ・三六四四 )の例 によ ってもあさら う。 遣新羅傭人歌 の場合 も'「 大君 の命恐 み大船 の行きのまにま かなよう に'そ の旅 が 「 大君 の命」 に支 えら れ て いると いう意 いかtと の指摘 ( 中 西進前掲書 )もなされ て いる。 それが正し 識 が夜 の航行を保証し て いたと考 えら れるO もちろん'新羅 に け れば'これは夜 の航海をう た った歌 へと いう ことにな る。 ﹃ 万 葉集﹄ では、夜 の航海 は'牽 牛 が天 の川を夜船 で渡 る ことをう に か 水 心 漕ぐ かも ( 万' 廻 うら ま 浦 の感 知沖 にな づさ ふ の声呼 び こ 手 衝 の方 に稗 の音す なり はとりあ えず 題詞通り額 田王 の作 と考 え てお-。 この歌 が夜 の この歌 の作者 が誰 であ るかに ついては異論もあ るが' ここで でな ( 万' 1・八 ) d鮎 酔軒 に船乗 り せむと月待 てば潮も かな ひぬ今 は漕ぎ出 田王 の有名な歌 はど のよう に理解す べき であ ろう か。 と ころ で、夜 の航行を問題 とす る時 '夜 の船出をう た った額 のは'「 大君 の命 恐 み」 と いう意 識 であ った のである。 情 はあ った に違 いな い。 しかし、そ の航行を成 り立 たせて いた 渡 るため には'実際 に夜船を漕 がなければならな い'と いう事 〇二一 〇 一五、 二〇 二〇な ど )を別 とす れば' た った七夕歌 (一 凪 する い ぎり 漁 辺 おJ I L I( 沖 ( 万へ 巻 一五 の遣新羅傭 人歌 に集中 し てう たわれる のみであ るo い そま 一五 二二五九九 ) 夕 ゆふ なぎ c月 よ み の光 を清 み神島 の磯 週 の浦 ゆ船 出す われ は 月よ み の光を清 み 一五 ・三六二二) 山 の端 に月 か た ぶけ ば ( 万' 一五 ・三 六二三 ) 吾 のみや夜船 は漕ぐ と恩 へれば ( 万、 一五 ・三六二四 ) 理解す るかによ って議論 が分 かれ て いる。 一般 には'百済救援 のため の軍団派遣 を この歌 の制作背景 と考 え'熟 田津 の港 を い 船出をう た って いる ことはたし かだが'そ の船出をど のよう に ままき に進発しよう とす る軍船 の前途を祝福す る'統率者斉 明 始 め の三首 の例 からもあきら かなよう に、夜 の航海 は月 の光 人歌を例 とし て、瀬 戸内海域 での夜 の航行 がけ っし て珍し- は 月待 てば」 天皇 の意志を体現し た歌 とし て このdを理解す る。 「 を利 用し てお こなわれたらし い。 直木孝次郎 は' この道新 羅使 ﹃ 万葉集﹄中 の例を見 るかぎ り、夜 は船泊 りをす る のが原則 であ であ る。 直木孝次郎 は'さら に、陸 から海 に向 か って吹-陸風 とは、月 明かりを利 用し ての航海を意 図し たも のととらえる の な か った ことを説 いて いる ( 直木孝次郎 ﹃ 夜 の船出﹄) 。 し かし' り'夜 の航行 が 一般的 であ ったとは考え がた い。 もちろん、第 が船出 には大 切 であり'ためにそ の風 の吹-夜 が船出 の時間 と 三首 にう たわれるよう に、海 人 の夜釣 りはよ-見られる光景 で あ った。 し かし'海人は'釣りす る ことを神 によ って許 された 1 6 し て選ば れ た のだろう tと説 いて いる ( 直木 孝 次郎 前 掲書 ) 。 一 この歌を 、聖 な る水 をも と め て の行幸 の歌 と解 し、海上 に船 を 方 、 この歌 を軍船進 発 とは結 び つけな い論 もあ る。 折 口信夫 は、 一六 ( 七 四四 )年 ' 元正上皇 の難 波行幸 に際 し て の歌 であ る。 ( 万 ' 一八 ・四〇六 二 ) -夏 の夜 は道 たづ たづし船 に乗 り 川 の瀬 ごと に樟 きし上 れ こ の歌 には'「 右 の件 の歌 は'御船 の綱手 を以 ち て江を滑 り て た った歌 であ る ことは間違 いな い。 左往 に 「 遊 宴」 とあ る以 上 、 浮 か べて の神事 ,す な わち船群潜 が こ こにう たわ れ て いる, と 船 の上 で宴 が催 さ れた こと が理解 さ れ るが'す でに述 べたよう る。 舞 台 は難 波 の堀 江 であ り海上 ではな いが、夜 の船遊 びをう と の比較 的 少な い説 であ る。 し かし、夜 の船 出をう た ったd の 遊宴 し たま ひし 日 の作 な り。 --」 と いう 左 注 が付け ら れ て い 性格 をも っとも 正し- とら え て いる のが' こ の折 口説 であ る と に'宴 とは神 事性 を帯 びた行事 であ り 、 それゆえ にま た夜 お こ 両説 のう ち'折 口 の船御遊 説 は、現在 では取 り上 げら れる こ 思 わ れる。 祭 り が夜 営 ま れ る のが原則 であ った ことはす でに述 歌 に ほかな らな いのであ る。 な わ れ る のが原則 であ った。- は'船 御遊 の実際 を背 景 にし た 説 いて いる ( 折 口信夫 「 額 田女 王」 ﹃ 折 口信 夫全集 ﹄第 九巻 ) 0 ったとす れば' そ れ はま さし-夜 お こな わ れる べきも のであ っ 船乗 り」 が神事性 を具体的 に背負 った表 現 であ べた がtd の 「 は'す でに第 二節 に お いても 示し てお いた が' そ の神 を 迎 え る て'原則 とし てはあ りえな いも のであ ったと想像す る ことが で おそら- 、夜 の航 行 は'遺 新羅偉 人 のよう な特別 な場合 を除 い このよう にな が める と、夜 の船 出 をう た った額 田王歌 は'け っし て夜 の航行 をう た った歌 ではな か った ことが明瞭 にな る。 一 一 17 た。 異界 からや って- る神 が、海上 を船 に乗 って渡 って- る例 儀礼 が、港 では お こな われ た。 ここで の 「 船 乗 り」 とは、 そう き る。 神 の時間 とし て の夜 の特 殊 性 は'航 海 の場 にお いても' 一種 の禁 忌 と いう かたち で'厳 し-守 ら れ て いたと考 え る こと ばれる必要 があ った のであ る。 そ の意 味 で'dを 軍船 の進 発を が でき る のであ る。 し た神 迎 え のため の船出 であ り 、 それゆ え に夜 と いう 時 間 が選 は、次 の歌 の存在 からも たし かめら れる。 ( 注 2)鶏鳴から暁 の時間を 「 費明」ととらえ、そ こに神 の世界 人 柱 IV元輿寺 の鐘堂 に出現する悪鬼を退治する'﹃ 日本霊異記﹄ 上巻 の有名な道場法師 の話( 壷 が撃 得て生ましめし子 の強き力ある練 第三」)にお いても、悪鬼 の出現が、「 鬼、 よなか 半夜ばかりに来れり」と記されており'夜中が悪霊など の活動する時間であることがたしかめられる。 う た った歌 と考 え る ことは できな いよう に思 わ れる。 こ のこと ( 万 、三 ・三 二三 ) eも も しき の大宮 人 の鮎 酔軒 に船乗 りし け む年 の知 らなく これ は'山部赤 人 の歌。 あ きら かにd が踏 ま えら れ て いる。 この歌 の表 現 から は、軍船 の進発 の様 子 をう かがう ことは でき な い。 大宮 人を中 心 とし た海 上 の祭 り 'す な わち船御進 の印象 が つよ- この歌 には残 さ れ て いる と いえよう。 夜 の船遊 びをう た った次 の例 も '以上 の推 測 を 助け る。 天平 と人間 の世界と の絶対的な断絶を見た'益田勝実 「 賓明」 ( ﹃火山列島 の思想﹄)からも大きな示唆を受けた。 月しあれば明-らむ 別 わき も 知らずして雇 てわが来しを人 ( 注3)も っとも ﹃ 万葉集﹄には'月明かり のため'夜 のあける けじめ に気付かず、寝過ごしてしま った男 の歌も収めら れて いる。 見けむかも ( 万、 二 二 1 六六五) ここでも禁忌 の冒し のあることは自覚されて いるが'実 際 には このような こともあ った に違 いな い。 古 代 人 の 1日 - 」( 古 付記 ・本 稿 は、 五月 三〇 日 に お こな わ れ た第 1六回古 代 文学 ( 本 学教 官 ) 代 文 学会 主 催 )に お いて、「 時 間 観 」と題 し て講 演 し た際 講座 「 万葉 集 の生 活 を ひら - 1 の草 稿 に若 干 の補 筆 を 加 え たも のであ る。 1 8