Comments
Description
Transcript
ひと街しごと+ no.15
15 歴史はいつも未来へのみちしるべです 世の中の進むスピードと自分の生きていくペースが 少し合わなくなってきたなと感じ始めたら いつか来た道まで戻ってみましょう 印刷紙工 札幌市中央区北一条西十七丁目 北海道不動産会舘四階 編集工房 海 内 ︵〇一一︶六二三ー六六五二 編集 ひと街しごと刊行会 発行 札幌市中央区南十五条西十八丁目 ︵〇一一︶五六一ー三五九七 : 二〇〇六年 春︵年四回発行︶ (社) T E L ) T(有 E L : 原っぱで遊んでいると、どこからともなく聞こえて くるジンタ。﹁それっ﹂と音の方へ駆け出していく子ど もたち。いまよりはるかに暮らしが貧しかった時代に、 かね チンドン屋は夢の国からやってきたスター一座でした。 なにしろ抱える楽器は太鼓や三味線、鉦、ラッパにク ラリネット。いでたちといえば股旅、編み笠、ピエロ、 燕尾服 ││ この和洋の賑やかさが、商店街の大売出 しや開店セールを宣伝するのに効果的だったのでしょ う。目抜き通りだけでなく、くすんだ家々の間を、く ねくねと原色の花が通り過ぎていったものです。 ITの限りなく進む現代に、数は少ないながらもチ ンドン屋は健在です。レトロを売る大道芸として全国 コンクールも開催されています。しかし、かつて子ど もたちが夢中で後をついていったあの素朴な楽隊とは、 いささか魅力が異なるかもしれません。 過ぎ去った歴史のひとこまが、 「現在」に語りかけてくるものに 耳を澄まして……。 札幌市中央区 大通公園の歌碑 しんとして幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の 焼くるにほいよ ど う 読 み 継 が れ て い る の で し ょ う か 上 啄木が「大いなる田舎町なり」 と記した明治 40 年頃の札幌市役所 下 啄木が下宿した 「北7西4田中方」 は、 その後 北七条郵便局に(昭和52年撮影) ※いずれも札幌市写真ライブラリー提供 ろ ﹁ 。 札 幌 に 似 合 へ る も の は 、 を か き 立 て て や ま な い と こ 啄 木 フ ァ ン に 北 海 道 ロ マ ン こ の 三 度 目 の 漂 泊 が 、 と 転 々 と し た と き で す 。 て 函 館 、 札 幌 、 小 樽 、 釧 路 四 十 年 か ら 四 十 一 年 に か け 函 館 へ 。 そ し て 三 度 目 が 同 小樽市・水天宮境内の歌碑 かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき 人人の 声の荒さよ ※ 参 考 文 献 / ﹁ 北 区 エ ピ ソ ー ド 史 ﹂ ︵ 札 幌 市 北 区 役 所 ︶ こ え る か も し れ ま せ ん よ 。 ひ ょ っ と し た ら 、 啄 木 の た め 息 が 聞 の あ る 方 は 立 ち 寄 っ て み て く だ さ い 。 と 案 内 パ ネ ル が あ り ま す の で 、 興 味 前 述 の ビ ル 一 階 に は 、 啄 木 の 胸 像 う か は 言 わ ず も が な 、 で し ょ う 。 す が 、 啄 木 の 歌 が そ れ に な じ む か ど 帯 電 話 や パ ソ コ ン で 発 表 す る 時 代 で 館 と 小 樽 へ 。 次 は 二 年 後 に 楼 〟 の 中 で 目 立 つ パ ソ コ ン な ど の 量 短 歌 に 限 ら ず 、 俳 句 や 小 説 ま で 携 三 十 七 年 、 十 八 歳 の と き 函 そ し て 同 ビ ル を 含 め た 〝 幾 層 の 高 葉 遊 び か 。 ︵ 一 八 八 六 ︶ 二 月 、 岩 手 県 に 生 ま れ た 石 啄 木 が 北 海 道 を 訪 れ た の 川 啄 木 の 生 誕 百 二 十 年 に あ た り ま す 。 改 め て 今 年 は 、 明 治 十 九 年 象 と す る 歌 人 と い う の も 稀 で し ょ う 。 超 え た フ ァ ン が 、 熱 っ ぽ く 談 論 の 対 拘 ら ず 、 ま た 短 い が ゆ え に 、 時 代 を し か し 二 十 六 歳 と い う 短 い 一 生 に も 北 七 条 郵 便 局 の と き で し た 。 昭 和 五 十 年 の こ と 。 ビ ル に な る 前 の 、 北 口 近 く で 、 下 宿 跡 と 判 明 し た の は 焼 く る に ほ い よ ﹂ 。 一 帯 は J R 札 幌 駅 と し て 幅 廣 き 街 の 秋 の 夜 の 玉 蜀 黍 の す 。 こ こ で 生 ま れ た 歌 の 一 つ が ﹁ し ん 在 の 札 幌 ク レ ス ト ビ ル の あ る 場 所 で 先 ﹁ 、 北 七 西 四 ノ 四 の 滞 在 で し か な か っ た 札 幌 で の 下 宿 非 な る も の か 、 型 に は め る 単 な る 言 由 も つ ら い ﹂ │ │ さ て 、 歌 と は 似 て ヨ で す ぐ に ク ビ れ た の は ﹁ つ ぶ や い た ヤ ッ テ ラ の 小 さ な 画 面 に ゴ 明 シ 日 ッ ク は ど 体 で ー す ン 表 る ネ 示 自 ェ さ イ 流 に し て も ら い ま し た 。 携 帯 電 話 死 な む と 思 ふ ﹂ を 、 あ る 人 に ケ ー タ は た ら く 仕 事 あ れ は 生 涯 に 三 度 。 最 初 は 明 治 田 中 方 ﹂ は 、 現 そ れ を 仕 遂 げ て た と え ば 啄 木 の ﹁ こ こ ろ よ く 我 に 話 題 に な る 芸 術 家 は た く さ ん い ま す 。 明 治 四 十 年 九 月 十 四 日 か ら 二 週 間 と の 距 離 は ど れ ほ ど で し ょ う か 。 今 ケ ー タ イ に 明 け 暮 れ る 現 代 の 若 者 に は る よ う に 、 生 誕 何 年 と い っ て 年 の モ ー ツ ァ ル ト に 代 表 さ れ ず に は い ら れ ま せ ん 。 時 は 札 幌 区 ︶ 。 百 年 の 時 の 流 れ を 感 じ 札 幌 が 、 人 口 六 万 六 千 人 の 頃 で す ︵ 当 し て 人 力 車 な り ︵ ﹂ 秋 風 記 ︶ と 記 し た 造 り の 大 建 物 な り 、 自 転 車 に あ ら ず 幾 層 の 高 楼 に あ ら ず し て 幅 広 き 平 屋 に よ っ て そ の 出 口 を 探 し 続 け た 啄 木 貧 窮 に あ え ぎ な が ら 、 あ く な き 創 作 歌 を メ ー ル で 投 稿 ? 若 い 十 代 、 二 十 代 の 若 者 が 、 気 軽 に の ケ ー タ イ 短 歌 の 人 気 。 啄 木 よ り も ジ オ に は レ ギ ュ ラ ー 番 組 も あ る ほ ど す る 時 代 で す 。 さ す ら い の 歌 人 、 石 川 啄 木 そ こ で 思 い 出 し た の が 、 N H K ラ 夢 多 き 青 年 を 北 の 果 て に 向 か わ せ た 販 店 。 若 者 の 行 き 来 が 絶 え ま せ ん 。 か つ て は 文 学 少 女 の 感 涙 を 誘 い 札時 幌代 のは 下ケ 宿ー 先タ もイ ビ短 ル歌 の 中 啄 木 、 百 年 前 の 足 跡 北七条郵便局は現在 札幌クレストビルに 1階に啄木の胸像と案内パネルが 2 ペーパーショップ サクマ 札幌市中央区南一条東四丁目 電話 ︵〇一一︶ 二一〇 八 ―四〇一 ﹁ペーパーレスの時代といわれますが、 そういう時代だからこそ、一枚一枚の紙 に個性が求められるのではないでしょう サクマの福原久美子さん。静かな店内に か﹂││こう言うのはペーパーショップ 懐かしいもの、面白いもの、珍しいものを探して歩くシリーズ 本を読まなくなった最近、紙に触ってますか 新聞以外では、ひょっとしてコピー用紙ばかり? 使い方一つで夢を託せる 〝紙ワールド〟 を見つけました 同店は、戦前に出発した歴史を持つ 紙卸商サクマが平成二年︵一九九〇︶ 、自 に適した紙を求めるお客さんが増えてい トプリンターを使って自社のチラシなど 多かったのですが、 最 近はインクジェッ た使い方、作品を実現してほしいところ 紙の持つ風合いや個性に自分の夢を託し することでしょう。しかしここへ来たら、 紙に目を奪われます。 一歩足を踏み入れただけで、約五千種の 社倉庫の一角に一般消費者向けの小売部 は顕著で、﹁ 以前はデザイン関係の人が 門として開設したのが始まり。以来、需 してくれます。 種類は増えても人気の定番は変わら ず、それは色数の多いレザック、マーメ です。 それは例えば、結婚披露宴の案内カー ドやプロフィール紹介、あるいは席札な ます﹂と言います。 舗に至っています。ここでは八年のべテ もちろんそうしたOA機器に対応し た新しい紙も、使い方一つで機能を発揮 ││さあ、色で選ぶか、模様で選ぶか。 すると絵柄が凸凹飛び出してくるもの 自分だけの夢を求 めて、 ぐるり店内を。 ゼントに添える詞書││。印刷でも手づ ︵同︶とも。希望サイズに一枚から断裁 ﹁同じ紙を探し出すのも仕事冥利です﹂ 切れ端でもいいから見本を持参すれば、 探して差し上げます﹂︵福原さん︶ 。また、 がほしいと言っていただければ、すぐに 相談することです。﹁漠然とでもこんな紙 う。そこで迷うことなく女性スタッフに 使ったらよいのかわからなくなるでしょ 白になるくらい、どの紙をどのように といっても様々な模様、色とりどりの 紙を前にしたら、考えてきたことが真っ くりでも喜ばれること請け合いです。 ルカバー。家族や友人のお祝い事のプレ イドなど。そして最新の紙は、裏からこ お好みのサイズに切ってくれる 大きな断裁機 ど。また、サークルの文集の表紙や本文 〝ペーパーワールド〟で迷ったら すぐにスタッフに相談を── の紙。ミニアルバムや自分史のオリジナ 要に応じて拡張・改装を行い、現在の店 ランという福原さんの目にも客層の変化 紙ってこんなにたくさん色があったのと思うくらいの数。手触り、厚さも 様 々 3 地にイラストが入った紙 コピーやレーザープリンターに使える 地 域 密 着 の トップランナー では経営が成り立たなくなったとい うことのようです。同組合の本田義 ! 経産省の商業統計調査によります と、昭和五十一年に全国で六万一千 分解掃除、 ロードヒーティング工事、 まって、石油ストーブやボイラーの こには電球や蛍光管の取り替えに始 ﹁電話一本で配達・取り付けまでして 店にもなれないでしょう。しかし ウチは昔ながらの漁船でやっている 業六十周年、中央区の﹁花岡電器﹂ 営に移っている店の一つが、今年創 ようなもの﹂という花岡伸郎社長 ︵北一西二三︶です。﹁大型店は黒船、 りますか﹂︵本田常務︶ 。お客さんの ︵ 五 六︶は団塊の世代でもあり、戦後 くれて、小さな仕事でもすぐに駆け 中には、自分が仕事を頼んでいる店 の家電の流れを見てきました。 つけてくれる。こんな業種が他にあ がどこにあるのか知らない人さえい 使い方が難しくなり、量販店で何十 ログ販売に。さらには年配の人には 商圏は拡大しましたが、かつての るというのですから、固定客と長年 ご飯時や夜九時、十時の訪問がカタ 培ってきた信頼関係がいかに大切か ということの証しです。 種類もある中から選ぶのはとても無 ら健康機器は、という成り行きに。 IH調理器に替えたら、運動不足な 行きます。水周りのリフォームは、 がら世間話。室内のあちこちに目が ︵花岡社長︶ 。ついでにお茶を飲みな 格差は、こうした様々なサービス ﹁量販店との価格競争は永遠の テーマ﹂︵鈴木社長︶ですが、その価 ││ いずれも経産省認定です。 アドバイザー、家電製品エンジニア 石油機器技術管理士、家電製品総合 任者アナログ2種、 同デジタル3種、 り。第一種電気工事士、電話工事担 理という状況にもなっています。 地域の電器店の存在意義は、量販 店とは根本的に異なる ││ といっ ここで気が付くのが、こうして必 ず家の中にまで入れてもらえるとい てもよいかもしれません。 う電器店の仕事。南区で川沿、東海 を含んだいわば﹁ハートプライス﹂ そこで﹁テレビでも三台くらい 持っていって比較してもらったり﹂ 地区を中心に今年で創業三十年とい ︵同︶ 。花岡社長も、﹁ネットで量販店 ちろん販売面以外でもサービ 人間関係はアナログ 相談に答えなければ﹂といいます。 くまで使い方を説明して、何回でも の価格を知っている人には安い値段 う﹁デンキのスズキ﹂︵南沢四 三 ̶、 東海店︶の鈴木将夫社長︵ 六 ︶ 五 の言 は申し訳ない。その分は、納得のい で売って、知識のない人には高くで いうことになるでしょう。 が一番近いところにいる﹂仕事、と デンキのスズキ (南区南沢4−3)の 大きな店舗は3階建て住宅の1階 地下ホールを地域に開放して 30 年のご愛顧に恩返し 葉を借りるなら、それは﹁ユーザー 必ず家の中に入れる 年の信頼関係といえば、札幌 市内でも数少ない二代目の経 長 都心や郊外で量販店が販売合戦を繰り広げる一方で、 地域の小規模店はいま、どんな道を歩いているのか ││ マチの電器屋さんが気になって話を聞いてみると、 おそらくどんな業種より地域に密着して 最も頼りになる 〝便利屋〟 としての存在感、あり! 電話一本ですべてOK 売るほど口コミでお客さんが増えた 店あった電器店が、平成十四年には シャワートイレの設置、給湯など水 その名刺にある資格を見てびっく は家の鍵まで預けてくれる﹂ ほどに。 まで入れるし、留守のときの納品で 信用で﹁最もプライベートな寝室に 同店は鈴木社長が脱サラして奥さ んと二人三脚で始めた店。三十年の 今年で創業60年という 札幌でも数少ない2代目の経営 花岡電器(中央区北1西23) 則常務によりますと﹁以前は売れば 元の駅前や商店街には必ず あそこはもっと安いとなって、お客 ものですが、いまは、それは高い、 たといっては店頭に飾られ、道行く が減る﹂状態と苦笑交じりに。 あった電器店。新製品が出 た。それが近年、店の数もめっきり 人の羨望の眼差しを誘ったものでし ですから量販店ではできない様々 なサービスを提供して、生き残りに 減って、華やかさも以前ほどではな 懸命。その範囲のいかに広いかは、 四万五千店に減っています。北海道 周りのリフォーム、太陽光発電と、 くなったようです。 電機商業組合でも組合員数のピーク たくさんの〝引き受けます〟が載っ 職業別電話帳で一目瞭然です。そ は昭和五十三年頃の約千五百人で、 効率と規模では大型店にはとても かないませんし、行列の出来る繁盛 ています。 現在は九百五十人を下回るまでに。 転廃業の大きな原因は、大量生産 で価格が下がると共に利幅も薄くな り、量販店攻勢もあって、販売だけ スに怠りありません。 も 地 4 無料体験に開放しているほか、四十 デンキのスズキでは、店舗地階 ホールを一五〇㌅ホームシアターの 文をもらってから仕入れているとの 店には製品を置かず、お客さんの注 エーなどの大型店が出店して以来、 年の創業ですが、麻生地区にダイ 仕事との直接の関係はないとはい ペーパーの編集責任者であり、YO え、どの業種より地域密着を標榜す 年になる麻生商店街のコミュニティ る電器店に、いかにもふさわしいポ になってきたようです。 ﹁時代はデ りっ放しでは済まないことが、鮮明 うという動きがあるとか。もはや売 六 〇 社長︵ ︶に話を聞くと、昭和四十五 人くらいまでの宴会など地域の集ま ジションではないでしょうか。 であるのです。さらには創刊二十五 SAKOIそーらん祭り麻生会場の 聞くところによると最近、量販店 が地元の電器店をフランチャイズ化 ジタルでも、人間関係はアナログ﹂ ︵本田常務︶ 。 ﹁電器店にはいずれ大 の言葉も現実味を帯びてきます。 飛躍のときがくる﹂という鈴木社長 して、アフター部門をフォローしよ りに使ってもらっています。また花 も出向きます。 こと。もちろん修理などにはいつで 運営責任者でも。 岡電器では二十年続いているという ふとパソコン教室もある隣のス ペースをのぞくと、そこには和紙 の人形の展示が。実は永倉社長、 お得意さんを招待してのマージャン 大会が好評ですし、社長自身も町内 会やPTAの役員で恩返し。 さて、わがままを聞いてくれる電 器店、あなたはどこかと長い付き合 5 麻生一帯の地域活動の拠点 ミサワ洋電 (北区麻生町5) 亜麻をすきこんだ和紙人形の 常設展示も いがありますか。 (参考資料/ 「日録 20 世紀」 (講談社) 「日本家電のデザイン」 、 (サンヨー) 他) 麻生の地名の由来でもある亜麻を広 高機能化 ステレオ「ウォークマン TPS −L 2」 (ソニー) 1980 昭 55 ● ダビングできるテープレコー ダー「ザ・サーチャー W・ GF− 808」(シャープ) ● 個人レベルのユーザーを想定 した「パーソナルコンピュー ター・PC−8001」(NEC) 発売 1981 昭 56 ● 「コンパクト・ディスク・デ ジタルオーディオ(CD)」シ ステムのプレーヤーとコンパ クトディスク発売(ソニー) 1983 昭 58 ● カセット式カラーテレビゲー ム「ファミリーコンピュータ」 (任天堂) ● ホームランドリー(松下電器) 1984 昭 59 ● 超小型テレビ、ポケットカラ ーテレビゲーム「テレビアン」 (セイコーエプソン) 1985 昭 60 ● 軽量小型化した家庭用ビデ オ、8ミリビデオ「CCD − V8」 (ソニー) ● ファミコン 「スーパーマリオ ブラザーズ」 (任天堂) 1986 昭 61 ● 家庭用オートベーカリー「ら くらくパンだ」(船井電機) ● レーザーディスクとコンパ クトディスクのハードが一台 に。 コンパーチブルプレー ヤー「CLD−7」(パイオニ ア) 1987 昭 62 ● ホームベーカリー(松下電器) ● コードレス電話 (同) 1988 昭 63 ● コードレススチームアイロン 「セ・パ・レ」(松下電器) 1989 平成元 ● 自分で楽しむビデオ「ハン ディカム55」(ソニー) 1990 平 2 ● ファジーで全自動洗濯機「愛 妻号Dayファジィ」(松下電 器) ※松下電器産業、カラーテレ ビ第1号生産30周年 1991 平 3 ● フラットのブラウン管、大画 面の「画王」(松下電器) ● 家庭用ファクシミリ「UX− 1」(シャープ) 1992 平 4 ● 名刺サイズのAMステレオ 対応ラジオ「CR−D60」(ア イワ) ● 世界初の液晶画面付きビデオ カメラ「液晶ビューカムVL −HL1」(シャープ) 1993 平 5 ● カビ、汚れに強いステンレス 槽式洗濯機(日立製作所) 1994 平 6 ● 大画面テレビの決定版「ワイ ド画王・ヨコヅナ」(松下電 器) ● テレビゲームに新時代「プレ イステーション」(ソニー・コ ンピュータエンタテイメン ト) 1995 平 7 ● 家庭用通信カラオケ「X− 55」(タイトー) 1998 平 10 ● 運転状態や故障を言葉で知ら せる冷蔵庫(松下冷機) めるサークルの事務局を引き受けて (三洋電機) ● カセットテープ型ヘッドホン そして北区でたずねた﹁ミサワ洋 電﹂︵麻生町五︶ 。数坪ほどの店舗部 ● 家庭用エアコンがリモコンに 分に置いてあるのは電球や蛍光管と 1978 昭 53 おり、和紙にはその亜麻をすき込ん 情報化・IT社会 大衆化 木箱の内側に鉄板を張った 「電極式パン焼き器」登場 、 通称「停電灯」 1947 昭 22 ●「ハウスライト」 がよく売れる(三洋製品、電 池はナショナル) 1949 昭 24 ●「4球ポータブルラジオ」 (白砂電機) 早川電気(シャー 1951 昭 26 ● 白黒テレビ、 プ)1号機 1952 昭 27 ● ラジオ全盛期(君の名は) ● 17インチ白黒テレビ(松下電 器) 1953 昭 28 ● テレビ本放送開始(2月 NHK、 8月日本テレビ) ● 電気冷蔵庫、松下電器1号機 ● 噴流式電気洗濯機、三洋電機 1号機 1954 昭 29 ● 品質安定、画期的乾電池「ハ イパー乾電池」 (松下電器) (昭和 20 年代後半からの家庭 電化̶̶扇風機、 トースター、 アイロン、ラジオ) 1955 昭 30 ● トランジスタラジオTR・55 (東京通信工業・現ソニー) ● 日本初の自動電気炊飯器 (東芝) (昭和32、3年頃から家電ブー ム̶̶電気洗濯機、白黒テレ ビ、 電気冷蔵庫が三種の神器) 1957 昭 32 ● 湯沸型ポット(東芝) 1958 昭 33 ● ホームクーラー、松下電器1 号機 1959 昭 34 ● テレビ用のリモコンスイッチ (東芝) 1960 昭 35 ● 赤外線健康コタツ(電気コタ ツ、松下寿電子工業) ● 自動皿洗い機(普及せず) ● カラーテレビ、松下電器1 号機 1961 昭 36 ● セパレート方式のステレオ 「 ステレオコンポーネント ST − 800 型」 (トリオ、 現ケンウッ ド) 1965 昭 40 ● カセットテープレコーダー 「カートリッジテープレコー ダー TP − 707 P」 (アイワ) (新三種の神器3C−カラーT V、カー、クーラー) 1967 昭 42 ● 初の国産シャワートイレ「サ ニタリイナ 61」 (伊奈製陶、現 イナックス) 1968 昭 43 ● ラジオ付きカセットレコー ダー(アイワ) 1970 昭 45 ● 電子ジャー(象印マホービン) ● ステレオ(パイオニア) 1971 昭 46 ● エアコン(三菱電機) ● 家庭用自動もちつき器「もちっ子 」 1972 昭 47 ● 18 型トリニトロンカラーテレ ビ(ソニー) 1974 昭 49 ● 冷凍室、冷蔵室、野菜専用室 のついた3ドア冷蔵庫 1975 昭 50 ● テレビゲーム機「テレビテニス」 「ブロックくずし」 (エポック社) 1976 昭 51 ● ビデオデッキ「ビデオカセッ ターHR3300」 (日本ビクター) (三菱電機) 1977 昭 52 ●「ふとん乾燥機」 1978 昭 53 ● 日本初のビデオディスクプ レーヤー(ゼネラル) ● いった日用小物だけです。永倉吉裕 ●「電熱器」が人気呼ぶ 電子化・省エネ化 家庭電化の始まり 1946 昭 21 手 に す る の は く じ り と 呼 ば れ る 錐 に 似 た 道 具 の み 。 十 分 か ら 二 十 分 で 一 足 の 鼻 緒 を 挿 げ る 0 0 0 い ま し た か ら 、 そ の 木 か ら 下 駄 を 作 る 職 ま れ た ら 桐 の 木 を 植 え る 習 慣 も 根 付 い て あ っ た こ と は 周 知 の と お り 。 女 の 子 が 生 す 。 次 に つ ま 先 を 入 れ る 前 壷 に も 麻 紐 を そ し て 両 方 を し っ か り 結 ん で 蓋 を 閉 じ ま 三 本 ず つ の 紐 を 踵 の 裏 蓋 に 出 し ま す 。 小 樽 に は 札 幌 よ り 華 や か だ っ た 時 代 が い う 作 業 で 麻 紐 を 鼻 緒 に 巻 き つ け 、 左 右 自 然 で し た 。 大 学 を 卒 業 し て す ぐ に 後 を 継 ぐ の も ご く 鼻 緒 を 挿 げ る 順 序 は 、 ま ず 根 巻 き と と 、 店 舗 を 守 る 母 親 を 手 伝 っ て き た の で 、 い 頃 か ら 、 卸 商 と し て 道 内 を 売 り 歩 く 父 親 業 大 正 七 年 ︵ 一 九 一 八 ︶ と い う 老 舗 で す 。 幼 軒 ﹁ 、 は き も の の 店 輝 い て 見 え ま す 。 た だ 一 人 の 鼻 緒 挿 げ 技 能 士 と い う 資 格 も 在 。 大 阪 ぞ う り 協 同 組 合 が 認 定 す る 道 内 瀬 塚 さ ん の 店 は ﹁ 天 然 記 念 物 の よ う な ﹂ 存 こ う 言 う 瀬 塚 豊 さ ︵ ま ん つ 五五 や ︶ は ﹂ の そ 三 の 代 う 目 ち 。 の 創 一 内 に 二 、 三 軒 に な っ て し ま い ま し た ﹂ │ │ い と 始 め た の に 、 今 で は 路 面 店 は 道 も 以 前 ほ ど で は あ り ま せ ん 。 そ れ だ け に ま し た 。 草 履 や 下 駄 を 履 く 姿 を 見 る 機 会 し 、 鼻 緒 を 挿 げ 替 え て く れ る 店 も な く な り 行来 くた 道道 。、 初 代 は 、 着 物 が あ る 限 り 草 履 は 廃 れ な も ち ろ ん そ う し た 職 人 は も う い ま せ ん ス ロ ー コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 求 め て 。 人 も ま た 多 く い た そ う で す 。 二 十 一 世 紀 が あ る ん だ よ │ │ お 待 ち し て お り ま す 。 様 々 な 先 達 が い る か ら こ そ 本 欄 へ の 自 薦 、 他 薦 を (左)最初の根巻きという作業が重要(写真は下駄の鼻緒) (中)根巻きした鼻緒を裏蓋と前壷に通して固定 (右)左右の強さのバランスを調節 はきものの店 まつや(和装履物問屋 瀬塚商店) 小樽市花園1丁目6−13 TEL TEL0134−23−5523 評 判 で す 。 札 幌 の 奥 さ ん グ ル ー プ が 買 い を 挿 げ て い ま す か ら 、 伸 び に く い と い う 下 駄 は 、 す べ て 瀬 塚 さ ん の 手 で 台 に 鼻 緒 し か し 、 こ ち ら で 販 売 し て い る 草 履 や 効 か ず 捨 て ら れ る こ と に な り ま す 。 す ぐ に 鼻 緒 が 伸 び た り 傷 ん だ り 。 修 理 も め て 挿 げ ら れ て 流 通 す る 時 代 で す か ら 、 生 産 の 世 の 中 。 草 履 や 下 駄 も 工 場 で ま と 何 の 業 界 に 限 ら ず 専 門 店 が 廃 れ 、 大 量 と 、 一 日 順 調 で す ﹂ と 瀬 塚 さ ん 。 で す ﹁ 。 そ の 日 の 最 初 の 一 足 が う ま く い く 下駄の種類も多い に も 大 い に 期 待 し た い と こ ろ で す が 。 技 を 学 ん で 帰 っ た と か 。 そ う し た 若 い 力 た 若 者 が 、 一 週 間 泊 り が け で 鼻 緒 挿 げ の 譲 り の く じ り と い う 錐 の よ う な も の だ け 0 0 0 大 阪 か ら わ ざ わ ざ 瀬 塚 さ ん を 訪 ね て き る の に 十 分 か ら 二 十 分 。 使 う 道 具 は 先 代 ナ ン ス も し っ か り し な け れ ば │ │ 。 ら 締 め て い き ま す 。 一 足 を 丁 寧 に 仕 上 げ 流 行 は な い 。 そ れ だ け に ア フ タ ー メ ン テ 鼻道お 緒内客 挿たさ げだん 技一 と 人 能の歩 士 む 三 代 目 通 し 、 こ ち ら も 履 き 心 地 を 加 減 し な が あ っ て も 草 履 に す 。 靴 に 流 行 は い が 及 ぶ か ら で と い う こ と に 思 残 し て い け る か け る か 、 本 物 を も の を 作 っ て い 界 全 体 が 、 い い 瀬 塚 豊 さ ん │ │ は き も の の 店 ま つ や 路面店でこれほどの品揃えは道内に2、3軒 ︵ 小 樽 市 ︶ な ど を 含 め た 業 る も の の 、 呉 服 み が ち 。 息 子 さ ん と い う 後 継 者 候 補 は い と は い え 、 仕 事 の 将 来 と な る と 話 も よ ど 獲 得 し て い ま す 。 こ 。 会 場 で 台 か ら 挿 げ て 、 多 く の フ ァ ン を 呉 服 や 和 装 小 物 関 係 の 催 事 に 引 っ 張 り だ 貴 重 な 技 能 の 持 ち 主 だ け に 、 道 内 各 地 の で し ょ う 。 も 三 代 目 が い る と い う の も 老 舗 な ら で は こ と も 。 お 店 が 三 代 目 な ら 、 お 客 さ ん に ま 立 ち 寄 っ て そ の 後 は 電 話 注 文 で と い う 求 め て 行 っ た り 、 観 光 で 来 た 人 が た ま た 店舗は国道 5 号線、JR のガード下 6 い 町 を 歩 い て い る と ﹁ 、 お 時 間 が お 人 に 尋 ね る 気 に も な れ ず 知 ら な な お 祭 り も あ る が 、 そ の 日 は 中 島 町 は あ る 。 碑 の と こ ろ で さ さ や か 本 町 も 土 方 町 も な い け れ ど 、 中 島 に な っ た か を 言 う と ﹁ 函 館 に は 榎 で 椅 子 に 腰 か け 、 ど う し て 寄 る 気 ﹁ ま あ 、 お 座 り な さ い ﹂ と 言 う の 札 幌 に 戻 り 、 し ば ら く し て 私 の す っ か り 暗 く な っ て か ら だ っ た 。 で 話 は 尽 き ず 、 そ こ を 辞 し た の は 彼 は 啄 木 の 研 究 家 で も あ っ た の み や 皿 を 焼 い て い る ﹂ と 語 り 始 め た 。 今 は 少 し 時 間 を 見 つ け て は 、 湯 の 続 け た い 。 で も な ぁ 、 た ま に は う そ し て 私 は 一 生 、 安 い も の を 焼 き 分 が 気 に 入 る か 否 か だ け が 基 準 だ 。 の に 値 段 で 決 め る の は 愚 か だ 。 自 の 時 の 気 持 ち 次 第 。 焼 き 物 を 買 う の か と 。 彼 曰 く 、 そ ん な も の は そ チ 山 の 途 中 の 左 側 に 立 っ て い る ﹂ よ 。 啄 木 の 歌 碑 は 、 公 園 の ス リ バ さ ん が 守 っ た 千 代 ヶ 岱 陥 落 の 日 だ た 。 ま っ た く 心 当 た り が な か っ た と こ ろ に 少 し 大 き め の 荷 物 が 届 い 私 は 礼 儀 と し て ま ず 自 分 の こ と を た 。 全 体 は 灰 白 色 だ が 、 赤 い 色 の 中 か ら 出 て き た の は 一 個 の 壷 だ っ る 日 開 け て み る と 、 ク ッ シ ョ ン の の で そ の ま ま に し て お い た が 、 あ り に 、 青 柳 町 ま で 。 な き ゃ 。 鮨 を 食 い な が ら 啄 木 を 語 た 彼 。 今 年 も ま た 、 函 館 ま で 行 か る 男 。 プ ロ 。 そ し て 私 に 宝 を く れ 北 海 道 で 唯 一 人 、 焼 き 物 で 食 え ま い 鮨 を 食 い た い じ ゃ な い │ │ 。 あ て が 外 れ 、 も う 一 つ の 目 的 の Q 問い合わせするときに どんな点に注意したら か な ﹂ と 書 か れ て あ っ た と か 。 ﹁ ほ と と ぎ す ら ず 、 守 る 千 代 ヶ 岱 に 四 十 九 歳 の る 、 古 び た 家 が 目 に 入 っ た 。 ド ア い う 手 書 き の 小 さ な 看 板 の 出 て い あ り な ら 、 お 立 ち 寄 り 下 さ い ﹂ と 込 み の 男 衆 を や っ て い た 。 そ れ で を 連 れ て 夜 逃 げ 。 温 泉 旅 館 で 住 み の だ け れ ど 、 事 業 に 失 敗 し て 家 族 昔 は 社 長 と 言 わ れ た こ と も あ っ た ウ ィ ン ド ウ に は 作 品 が 飾 ら れ る よ る よ う に な り 、 街 の ギ ャ ラ リ ー の 房 の 名 を 言 う だ け で 運 ん で く れ 函 館 駅 に 着 い て タ ク シ ー に 彼 の 工 我 も 血 を 吐 く 思 い ら 、 一 枚 の 短 冊 が の ぞ い て い た と い な い テ ー ブ ル の 上 に 並 べ て い た 。 の み 、 壷 な ど を 、 き れ い と は い え な り 年 配 の 男 の 人 が い て 、 皿 や 湯 を 開 け て み る と 、 中 に は 私 よ り か 生 活 。 は じ め は 一 日 十 八 時 間 勤 務 。 て 、 函 館 に 戻 っ て き て ガ ー ド マ ン や っ ぱ り 教 育 上 は よ く な い と 思 っ も 一 人 娘 が 年 頃 に な っ て く る と 、 る け れ ど 、 そ の 差 は ど こ か ら く る の 値 段 に 高 い も の も 安 い も の も あ う に な っ て い た 。 と も か く 五 稜 郭 に あ る 博 物 館 に あ る 時 、 彼 に 聞 い て み た 。 作 品 一 生 を 終 え て い る 。 う 。 雨 に 濡 れ 血 の 滲 ん だ そ れ に は 血 に 染 ま っ た 彼 の 遺 体 の 胸 元 か すが、おおまかには印刷費、編 集費、それに製作日数(工程) どうしても自分の本をつくり たいと思っています。費用がい ちばんの問題ですが、見積もり も含めて、どんな点に注意して 問い合わせればよいのでしょう か。 A 印刷費、 編集費、 製作日数を 聞いておく どんな本にするかにもよりま 7 についてでしょう。 まず印刷費ですが、すでに原 稿が出来上がっている場合はそ 榎 本 以 下 が 降 伏 し た 後 も 官 軍 に 降 に な っ た と あ っ た 。 さ ら に 数 年 。 た 。 箱 館 戦 争 で は 土 方 が 戦 死 し 、 た 。 焼 き 物 で ど う に か 食 え る よ う 稜 郭 の 総 裁 と な る 榎 本 釜 次 郎 が い 数 年 し て ま た 、 壷 が 送 ら れ て き 習 所 で 勝 麟 太 郎 と 同 期 、 後 輩 に 五 裏 に ﹁ 頑 張 れ ﹂ と あ っ た 。 目 的 は 中 島 三 郎 助 。 長 崎 海 軍 伝 い る こ と に 気 付 い た 。 正 面 に ﹁ さ か ﹂ 、 ぶ ら と 歩 い て い た 。 と 見 て い る と 、 字 が 焼 き こ ま れ て い っ た あ て も な く 函 館 の 街 を ぶ ら る 見 事 な 出 来 で あ っ た 。 し げ し げ 十 に 外 れ て し ま い 、 こ れ と ん だ 短 冊 の イ メ ー ジ を 彷 彿 と さ せ の枚数と、希望の判型(A5、 B6など)からおおよそのペー ジ数がわかります。 写真や図版、 追加原稿があればそのこともお 知らせください。 体裁でもう一つはっきりして おきたいのは、上製本か並製本 かということ。前者は布クロス などのハードカバー、後者は背 を糊付けした上製より薄い表紙 です。 次に編集費。本欄でも過去に 述べているとおり、よほど書き なれている人でない限り、原稿 の添削、全体の構成、使用資料 数 年 前 の そ の 日 、 私 は 目 的 出 て い る 個 所 が あ り 、 例 の 血 の 滲 思 い 出 の 一 品 に ま つ わ る 話 の 数 々 │ │ 函 館 で 出 会 っ た 焼 き 物 師 の 、 無 名 時 代 の 作 は 宝 物 全 国 行 脚 の な か で 出 会 っ た 人 と 旧 き 良 き 時 代 の 生 活 道 具 を 集 め て 三 十 年 ﹁ さ か ﹂ の 文 字 の あ た り に 滲 む の は 、 中 島 三 郎 助 の 無 念 の 涙 か │ │ 等のアドバイスは必要と考えら れます。 そして、いつまでにつくる か、つまり納品日です。誕生日 とか、何かの行事に合わせてと かいう場合は、それに合わせた スケジュールを立てなければな りません。 いずれの項目も、あくまでも 目安ですが、知っておかなけれ ば安易に進めません。一度お問 い合せを。 レ ト ロ ス ペ ー ス 坂 会 館 ・ 館 長 坂 栄 養 食 品 ・ 開 発 部 長 ) 行 け ば 、 彼 に 関 わ る も の に 会 え る ( か と 思 い 足 を 向 け た の だ け れ ど 、 と 出 言 し う て 。 く れ た お 茶 を 飲 み な が ら 、 話 し た 。 そ れ に 応 え て 彼 も ﹁ 私 も そ こ に は 彼 の も の ど こ ろ か 箱 館 戦 函 館 公 園 に 足 を 向 け た 。 好 き な 啄 あ る は ず で あ る 。 し か し 、 こ ち ら 争 に 関 す る も の さ え な か っ た 。 れ 木 の ﹁ 友 函 の 館 恋 の 歌 青 矢 柳 車 町 の こ 花 そ ﹂ の か 歌 な 碑 し が け も 見 つ け る こ と は で き な か っ た 。 ビ ル の 谷 間 の 谷 間 に ふ さ わ し く 時 刻 と 気 温 、 天 気 の デ ジ タ ル 表 示 を 組 み 合 わ せ て 、 装 に 、 意 匠 を 凝 ら し た シ ン ボ ル や モ ニ ュ メ ン ト が 増 え て い ま す 。 こ こ は ビ ル まス玉て すはと水 。い同を まじ吸 小働い 樽きに のをく 観しい 光たの のので 目で、 玉すガ と。ラ なそス っのの てガ浮 いラき そ れ は 魚 網 の 網 端 ︵ あ ば ︶ で す 。 軽 く 目 を や っ た と き に 、 カ リ ヨ ン の 響 き が 聞 け た ら ラ ッ キ ー ? が 四 月 か ら 、 月 曜 ∼ 金 曜 の 夜 間 が 開 し 込 み を 。 札 幌 市 の 中 央 図 書 館 と 地 区 図 書 館 り し て お り ま す 。 印 刷 紙 工 ま で お 申 中 央 図 書 館 が 使 い や す く 希 望 の 方 に は 、 定 期 的 に 無 料 で お 送 ● 小 紙 を お 送 り し ま す 小 紙 を ご か ら 承 り ま す 。 で は な い で し ょ う 。 な く 、 I T 社 会 と の 融 合 も 遠 い こ と 開 催 。 貴 重 な 技 術 が 消 え て い く こ と づ く り も お 手 伝 い い た し ま す 。 企 画 年 、 三 十 周 年 ⋮ ︶ に ち な ん だ 記 念 誌 業 や 団 体 の 節 目 の 設 立 周 年 ︵ 二 十 周 デザイン・イラスト/伊藤公修 同 会 が 中 心 と な っ て 世 界 職 人 学 会 を ● 記 念 誌 づ く り も お 手 伝 い 企 な ど を 行 っ て い ま す 。 三 年 前 に は 、 流 、 地 元 の 若 い 人 の 指 導 や 体 験 学 習 ど 。 全 国 各 地 の 職 人 の 集 ま り と の 交 師 や 畳 職 人 、 利 き 酒 師 な ど 六 十 人 ほ 人 の 会 の こ と で す 。 メ ン バ ー は 花 火 と 、 十 年 以 上 も 前 に 発 足 し た 小 樽 職 職 人 の 技 術 を 後 世 に 伝 え て い こ う い た だ き ま す 。 し て 、 い ろ い ろ と ア ド バ イ ス さ せ て の 上 、 編 集 者 と 印 刷 担 当 者 が お 伺 い を ご 用 意 い た だ け れ ば 、 日 時 を 相 談 ま す 。 三 人 以 上 の お 集 ま り で 、 会 場 づ く り セ ミ ナ ー の 出 前 を 行 っ て お り 話 を 聞 き た い と い う 人 の た め に 、 本 続 い て も い か に も 小 樽 ら し い 話 。 で 来 ら れ な か っ た り 、 お 仲 間 だ け で 小 樽 職 人 の 心 意 気 づ く り 講 座 を 開 い て い ま す が 、 都 合 す 印 刷 紙 工 で は 毎 年 、 定 期 的 に 本 ● 自 分 史 セ ミ ナ ー の ﹁ 出 前 ﹂ し ま 飾 的 要 素 は あ ま り あ り ま せ ん 。 信 号 を 待 つ 間 、 き ょ う は 寒 い な あ と 温 度 に 確 な 記 述 を 心 掛 け ま し ょ う 。 り ま せ ん 。 納 得 い く ま で 調 べ て 、 正 を 調 べ る の に 、 本 に か な う も の は あ 自 分 史 を 書 く に あ た っ て 古 い こ と と で 、 ヨ ー ロ ッ パ で は 三 百 年 の 歴 史 が あ る と か 。 日 本 で も 公 園 や 広 場 な ど 小 樽 ら し い 桐 の 使 い 方 を も う 一 つ 。 こ と は 朗 報 で す 。 カ リ ヨ ン の 響 き 。 な る 音 色 の 鐘 を 数 個 か ら 数 十 個 組 み 合 わ せ て 様 々 な 曲 を 奏 で る 仕 掛 け の こ デ ィ ー で 時 報 が 聞 こ え て き た ら 気 持 ち も 和 む も の で す 。 カ リ ヨ ン │ │ 異 ろ う な ど と い う 会 話 が 交 わ さ れ て い た の お 宅 の 桐 を 切 っ た 、 来 年 は あ そ こ だ つ て は 職 人 た ち の 間 で 、 今 年 は あ そ こ や 南 部 ︵ 岩 手 ︶ が 主 産 地 。 小 樽 で も か ろ に は 良 い 木 が 育 た ず 、 会 津 ︵ 福 島 ︶ を 求 め る 声 が 上 が っ て い た も の 。 と 出 数 も 四 冊 ま で と 少 な い た め 、 改 善 数 な の に 、 休 館 日 が 多 く 、 一 回 の 貸 で は ト ッ プ ク ラ ス の 図 書 貸 出 登 録 者 館 と な り ま し た 。 政 令 指 定 都 市 の 中 そ う で す 。 く に 休 館 日 が 月 二 回 と 大 幅 に 減 っ た そ ぞ ろ 歩 き に し ろ 仕 事 に し ろ 、 街 を 歩 い て い る と き に な じ み の あ る メ ロ に 使 わ れ る 理 由 で す 。 気 候 温 暖 な と こ 吸 湿 ・ 吸 水 性 。 家 具 や 建 具 、 下 駄 な ど 足 を 止 め る こ と を 忘 れ て い ま せ ん か 。 加 工 し や す い こ と 。 加 え て と て も 低 い 桐 の 一 番 の 特 徴 は 軽 く て 柔 ら か く 、 訪 ね た と き に 聞 い た 桐 の 話 。 本 号 、 鼻 緒 挿 げ 技 能 士 の 瀬 塚 さ ん を 魚 網 の 〝 網 端 〟 も 桐 で あ ば い つ も そ こ に あ る 時 計 に 、 何 か に 追 い 立 て ら れ る よ う に 過 ぎ て い く 毎 日 。