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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title 我が国におけるイノセラムス研究の史的展望(略報) Author(s) 野田, 雅之 Citation 熊本地学会誌, 156: 2-6 Issue date 2011-04-10 Type Departmental Bulletin Paper URL http://hdl.handle.net/2298/26769 Right 熊本地学会誌 JournaloftheKumamotoGeoscienceAssociation,No.156,2-6(2011 「解説」 我が国におけるイノセラムス研究の史的展望(略報) 野田雅之篭 イノセラムス研究の揺藍期 はじめに イノセラムスは中生代ジュラ紀と白亜紀に繁 1890年,横山又次郎(1860-1942)は北 栄した海生二枚貝の一部類で世界的に広く産す 海道浦河産の主として軟体動物の化石につい る.イノセラムスはラテン語で肋oceramusと書 てPalaeontographica36巻に記載し,その中に く.mはギリシャ語の筋とか繊維とかの意をあ Inoceramusnaumannin.sp.,Inoc.ezoensisn・sp. らわし,ceramはセラミック,すなわち焼物,鋳 の2種が報告されている.この報告が日本の研 物,転じて型にはまったものをいう.oは加と 究者による国際学会における貢献の噌矢である. cemmの連結語,usはラテン語の男性名詞語尾. 標本はミュンヘンの博物館に保存されていること したがってmocemmusを直訳すれば繊維状の殻 になっているが,現在では所在不明ということで 構造をもった貝型をした化石ともいえようか.イ ある. ノセラムスの日本語に訳したものに筋介という呼 その後,1894年,神保小虎(1867-1924)は 称がみえる.1903(明治36)年刊行の石川成章 、北海道の白亜紀アンモナイト,二枚貝,その他の 著「地球発達史」の17ページに図示されている. 化石についてPalaeontologischeAbhandlungen, また,1905(明治38)年同氏著「地文学講義下 N.F.vol.2に公表した.その中にポンホロカベ 巻」395ページにも筋介の呼称がみえる.筋介 の筋はギリシャ語の、の直訳で殻構造に見られ ツのmoc.aノ沼uノosusn.sp.,奔別の肋oc加ceIms n.sp.,宗谷,チェトマナイ,芦別一ルベシベ,遠 る稜柱層(プリズム層)の絹糸光沢に因んだもの 別一ルベシベ;小平,幾春別,大夕張などから と考えられる. 産したmoc.d靭腫tusSowerby,Inoc.nauman"j 本稿を草するにあたり九州大学名誉教授故松本 Yokoyama,向別,チエトマナイからの肋oc.aff. 達郎先生には先生の手もとにある貴重な基礎資料 ノobatusMtinsterの5種について記載し,4種を や研究にまつわるいろいろな捕話をいただいた. 図示している.その記載の中で伽ocnaumannI 熊本大学名誉教授故斎藤林次先生,椙山女学園大 学故伊藤益雄名誉教授,故大立目謙一郎ご内室和 Yokoyamaについてはその殻頂部の特徴から Inoc.digitatusの未成期のものか不完全な標本 子様は若かりし学生時代の思い出や貴重な写真な ではないかと疑問を呈している.彼の記載した どを提供してくださった.また,東北大学名誉教 5つの種についてはその後の研究によって〃7“ 授小高民夫先生,高柳洋吉先生,森啓先生,北海 加cem/sn・sp・をのぞき誤認であったとされてい 道大学名誉教授加藤誠先生他,鎌田耕太郎先生, る.伽oceramusincertusの資料とした標本は何 箕浦名知男先生には教室に保管されている未公表 れも東京大学総合研究博物館に保存されている4 の貴重な研究物を自由に閲覧できる機会を与えて 個の転石由来のもので不完全なかけらである.全 くださった.さらに仙台の藤島靖隆氏,熊本大学 体像を予想して復元図を描いているが現実のもの 小松俊文准教授,つくば地質標本館利光誠一館長 とは輪郭がかなり異なっている. には種々資料の提供,情報の収集にご助言,ご協 1900年,地質学雑誌7巻p、110-111に「豊 力をいただいた.ここにこれらの方々に対し心か 後のイノセラムス」がみえる.当時地調の伊木 ら感謝のことばを申しあげる. 常誠の寄稿によるもので記載はきわめて簡単でス *〒870-0881大分市深河内5組の2 2011年1月30日受付,2011年2月4日受理 −2− ケッチも鑑別に堪えるものではない.しかし,こ た種は肋oc.ezoensisYokoyama,Inoc.nauma""j れにより1893年山上万次郎の20万分の1地質 Yokoyama,加oc.uwajimensisYeharaの3種で 図大分並に説明書には年代未定の中古紀層とされ Inoc.amakusensisNagaoはこの時点では創設 ていたものが中生代白亜紀肘と確認されたことの の手続きをふんでおらず無効名である.また, 意義は大きい. Inoc.incertusJinboはリストされていない(資料 1915年,矢部長克(1878-1969)は和歌山 とした標本が不完全で復元図も現実的でないため 県鳥屋城地域ならびに淡路,島阿那賀地域の白亜系 該当するものが見つからなかったのかも知れな 鳥屋城統(当時の呼称)からmoc.cfr.I電ularis い.筆者注).この巻末に当時の'三1本における白 d'Orb.,Inoc.schmidtiMichael,Inoc.schm〃〃 亜系の対比表が掲蔽されているが決め手となる化 Michaelvar.を記故し図示している. 石資料の貧弱さが猟感される. 1924年,江原真伍(1884-1964)は四国宇 和島の白亜紀層と九州大野川盆地の白亜紀層を イノセラムス研究の発展 比較し,その産m化石の類似から何れも和泉砂 1930年,北海道帝国大学に理学部が創設され 岩層(原田豊吉命名,1890)に対比した.その るに当たり,長尾巧は地質鉱物学教室に初代教授 中でイノセラムス3種を図示,記減した.Inoc. として東北帝大より転出赴任することになる.そ uw匂ノJme"sノssp・nov.,Inoc.akamatsuisp.nov., の時イノセラムスの研究資料いわゆる長尾ノート も持参することになる.東北帝大ではイノセラム I n o c . c f . r e g u l a r i s d ' O r b . が み え る . 1925年,矢部・長尾巧(1891-1943)は北 ス研究の後継者として稲井竪がこれに当たる. サハリンの白亜紀研究の中でイノセラムス化石 稲井豊(1903-1971)は1926年東北帝大卒業, の1つをアメリカの肋oc.peノ℃ostatusMiillerに 長尾巧,清水三郎らの指導のもとに卒論のテーマ 同定,また1928年,北海道のイノセラムスにつ として「豊後大野川盆地の地質に就きて」に取り いてmoc.aff.crippsiMantell,Inoc・sp.を記載と 組む.しかし,その緒言の中で‘‘初めに当たって ともに図示している.これらの研究の過程で矢部 大野川盆地に発達せる白亜紀屑の屑序とこの白亜 は長尾に対しYehara(1924)の〃ocuw匂ノIme"sノs 紀層中に埋蔵せる化石イノセラムスに就きて究め の創設にあたり,図示された標本の中に誤認のも んことを期待せしも予期に反せし結果を得しこと のがいくつかあることを指摘している(松本が長 を憾む”とあり研究の挫折をあらわしている. 尾から聴いた話,松本談).これを契機に長尾は イノセラムス研究に傾斜していく. 北大での第一期生に斉藤林次(1907-2006) と大立目謙一郎(1907-1944)がいた.長尾は 1927年,矢部は樺太を含む日本の白亜系24 斉藤にアンモナイトを,大立目にイノセラムスを 地域について総合的に分布,岩相屑序,化石層序 テーマとして与えた.大立目は幾春別,大夕張, を検討した.特に産出化石については地域ごとに 穂別地域の地質と軟体動物化石について精査し リストアップしているが記i股はない.その中で た.とくにイノセラムスの研究では24種を識別 イノセラムスはmoc.schmidtiMichael,Inoc.cfr. し,15種を新種として記戦し図示している.何 p e i ℃ o s t a t u s M i i l l e r , I n o c . s a c h a l i n e n s i s S o k o l o w れもMSを付し印刷物として公表されていないの (図示),Inoc.o"e"垣"sSokolow,Inoc.eノ昭a"s で,無効名であるが,それらの中で現在有効な種 Sokolow,Inoc.ezoensisYokoyama,Inoc.aff. 名として用いられているものが6種類ある. lobatusMiiller,Inoc.nauman"/Yokoyama,Inoc. 東北大ではイノセラムス研究を継承した稲井豊 cfr.reguね応d'Orb.(図示),Inoc.uw釧刀ensis のもとに伊藤益雄(1906-?:1929-1932束北 Yehara,Inoc.amakusensisNagaoなどの種がみえ 大在籍)がいた.彼は稲井の指導のもと,時には る.これらの中で日本の研究者によって確立され 北大に赴き長尾教授の直接指導も受けた(伊藤 −3− 私信,1988.10.30).卒論のタイトルは""eノcjD". AmonographoftheCretaceousInoceramusof Capu/usandInoceramus伽で北大に保管されてい Japan,I,IIである.これには29種(12新種), る北サハリン産標本の分類学的研究である.研究 10亜種(9新亜種)が記載されている.その中 にあたって引用した文献は当時のこととてほと には6種名が大立目卒論の種名と重複する.又 んどが欧米のものでわずかにJimbo(1948),Yabe 分類上高位の類位である属,亜属を用いないで (1915,1927),YabeandNagao(1925,1928)が groupを用い5つにわけている.これはイノセラ みえる.イノセラムスについてはSokolow(1914), ムスの研究が未熟な当時にあってきびしい条件に Michael(1899),Schmidt(1873)が参考にされた. 縛られる属よりも条件のゆるいgroupを採用し 彼の正確,織密な図は大いに参考になるが印刷公 たことは適切な選択であったといえよう.草稿に 表には至らなかった. ついて松本に尋ねた所,長尾ノート(1928,手記) は参考にしたが,大立目論文は見ていないとのこ 1935年,長尾は大立目が上穂別長和から採 集した巨大なイノセラムスについてInoceramus とであった.該論文の原稿はすべて松本が執筆し, 加betsuensisNagao&Otatumeの種名を付して 最後に長尾が眼を通したとのことだった.大立 公表した.しかしタイプの指定も種の記載もない 目と重複した6種名の中にはタクソンは│司じで ので命名規約上無効名である. も中味の異なるものが含まれている.何れも詳細 1936年,松本達郎(1913-2009)は東大卒 な記職と図示をともない完模式標本の指定はない 論として“九州大野川盆地白亜系の地史学的研 ものの資料とした標本は総模式として認定され有 究”に取り組んだ.同層群の地質構造,堆積構造, 効名とされた.ここに日本産白亜紀イノセラムス 層相,層序区分,化石帯区分など詳細な観察と記 の研究は国際的に大きく貢献することになる.以 録,それらに基づく地史的考察は従来の調査報告 来,海外の研究者にもこの論文は広く引用されて に比べて画期的なスタイルであった.また,産出 いる.戴いた別刷の1ページに松本が感想を綴っ する化石とくにイノセラムスについては詳しく検 ている.「苦心の作の完成,先づは歓喜感激,さ 討し16種を識別,9つの化石帯区分を試みてい れど真理は未だ遠く更に攻究を誓ふ」若き頃の松 る.この研究を通して松本は日本産白亜紀イノセ 本(27才)の気概を感じさせる文言ではある. ラムスの研究にのめり込んでいく.その過程で指 NagaoandMatsumotoのイノセラムスモノグ 導の小林貞-(1901-1996)より「松本君,イ ラフが公刊されたのは1939年2月である.そ ノセラムス研究にはなんといっても北海道のも の年の3月,松本は在籍していた東京帝大大学 のが保存がよく変形していないのでそれらを対 院を退学して新たに創設される九州帝国大学理学 象にした方がよかろう」との示唆をうけ(松本 部の地質学教室の助教授として赴任する.九大で 談),矢部長克を介して北大の長尾教授の門を叩 松本は日本における白亜紀の総合的な層序学的な く.1937年のことである.松本は東大大学院に 研究と平行してアンモナイト,イノセラムスを中 在濡中であった.北海道には1933年に北大を卒 心とした古生物の研究に力を注いだが,その重 業した大立目謙一郎がいた.彼は当時北炭に勤務 点は次第にアンモナイトに傾斜していく.戦後 していたが松本の良きパートナーとなって野外に になって地方の研究者らによるイノセラムスの 室内に研究に協力している.松本は長尾ノートは 産出や記載がローカル誌や大学紀要に報告され 勿論参考にしているが彼の頭の中には西南日本 るようになり資料が蓄積されていった.この間, 各地のイノセラムスも集積されており,より広 松本は1952年,Inoc.hetonaianusn.sp.Inoc. い立場から日本産白亜紀イノセラムスの概要が al〃だ"sisn・sp.,1957年にmoc.mihoensisn. 描かれていたことは間違いない.こうして公に sp.,を創設しているが,前2者は模式の指定もな されたのがNagaoandMatsumoto(1939,1940): く,記載も簡単で命名規約上では無効名であった. −4− 日本の研究者にはこの種名はよく引用されていた 道菊面沢の_上部白亜系についてイノセラムスと有 が,この間はむしろイノセラムスによる化石屑序, 孔虫による化石層序区分の比較を試みた.これを 化石帯区分に関する進展が注目される. 契機としてアンモナイト・イノセラムスなどの大 生物学の中に計測・統計の手法(biometry)が 型化石と有孔虫・放散虫など微化石による化石帯 とり入れられるようになってから,その手法はそ 区分の対応がはかられ,さらに古地磁気をも含め のまま古生物学にも応用されるようになる.その て統合生層序の確立を目指した(Toshimitsuet 先駆的な業績として速水(1966,1969)や速水・ al.,1995).こういった試みはloni畷的にも一つの 松隈(1971)がある. 規範として高く評価されている.これに伴うイノ Tanabe(1973)はそれらの手法をイノセラムス に応用し,個体群ごとにある形質の変異を明らか セラムスによる化石帯区分の発展と結果はNoda andMatsumoto(1998)にまとめられている. にし,個体群相互の変異の有意性を検討したり, 特定の形質の相対成長の解析を試みている.これ は我が国におけるイノセラムスの測定学的研究の 噴矢として高く評価された. 研究領域の細分化と残された問題 古生物の研究はまず形態的特徴の記栽とそれに 基づく分類から始まった.また,産出層準を比較 筆者はかつて松本が取り組んだ大野川層群のイ することで化石帯区分の確立に貢献してきた.最 ノセラムスについてNagaoandMatsumotoをな 近の古生物学界の趨勢として,ことに大型化石の ぞりながら初歩的な研究を続けていたが,1969 記載や分類に関する研究は発表件数が少なくなっ 年にそれが九大理研報に掲救されたのを契機に松 ていく傾向にある.ひきかえに発生学的検討,殻 本からイノセラムス研究の一部をテーマとして頂 構造の解明,機能形態,理論形態,古生態の考察, いた.そして主として西南日本のものを中心に研 古環境の復元など多様な而からのアプローチが主 究の対象をひろげていった.従来の記峨に加え, 流をしめる.記栽を中心とした研究は前近代的と 数量的解析をも試みた.このような手法はイノセ いった感がある.とはいえ地質の野外調査におい ラムスの種の記載にはTanabe(1973)をのぞい て化石の鑑定はルートマップの作成,フィールド てはなかったことである.その結果については西 ノートの記入などに必須の要素である.その前程 南日本の標本は保存が悪く変形しているので計測 として化石種の特徴の把握は基礎的条件である. 値についての信頼が高くないとの批判があった. 室内においても,分類,進化,系統発生の攻究と 1975年,北海道の標本について検討したらと の松本の助言を得た.以後,野田はチュロニアン 産出層序区分の関係はなおざりにはできない.次 世代の研究者に残された問題である. ーカンパニアンのものを対象に,松本はセノマ ニアン・チュロニアンのものを対象にとり組む ことになる.研究は単著で時には共著で,また 松本や下の多くの研究者の協力を得て続けられ, おわりに 本稿では紙数の関係からジュラ紀イノセラムス や図表,写真などは割愛した. 鬼籍に入った諸先達の研究にまつわるエピソー 1975-2011まで56編の報告がなされている. 一方,イノセラムスによる生晒序区分や化石帯 区分も分類の進歩や綿密な野外訓査の充足によっ ドなども触れなかった.それらはいずれ稿を新た にして記することにする. て次第にその糖度をあげていった.これには早大 の平野,京大の前田,ならびにその傘下の学生諸 氏,地質調査総合センターの利光らの功絞が大き い. 文献 速水格,1966:古生物分類の理論と方法一二枚 貝化石を例として−その1,化石.12号.p56-65. 1988年,松本は米谷,野Illの協力を得て北海 −5− 速水格.1969:化石の計測と統計一古生物学実 習の例−.九大理研報(地質),10巻,2号.p- Otatume,K..1933:SomeCretaceousMoUuscan shellsfromHokkaido.Japan.Gradua"D〃的esjsa Hokkaj上わ〃7躯吻〃.(unpublishedmanuscript). 67−90. 速水格・松隈明彦,1971:化石の計測と統計一ア ロメトリーと個体変異の解析一.九大理研報(地 Schmidt.M、F・.1873:UberdiePetrefactender KreideformationvonInselSachalin・Mem・Akad 質).10巻.3号,p.135-160. 伊木常誠,1900:豊後のイノセラムス.地質雑,7巻, ノmp、5a.,Pete応加Jg.vile.Ser..vl9,no.3,p. 1 3 7 , p i s . 1 8 . p.110-111. 石川成章,1903:地球発達史.255p.大日本図書株 Sokolow.D.W.,1914:Kreideinoceramendes 式会社,東京. RussischenSachalin.A化".Com.Ceo!..N.5.,vol. 石川成章,1905:地文学講義下巻.404p.金刺芳流堂, 8 3 . p . 1 9 5 . p i s . 1 6 . Tanabe.K.,1973:Evolutionandmodeoflife 東京. ofInoceramus(Splienoceramus)nauman"j Yokoyamaemend,anUpperCretaceousbivalve. 7》召"S.Pl℃c胞胞eontSac.Japa",〃5.,no.92,p. 1 6 8 1 8 4 . p i s . 2 7 . 2 8 . Jimbo,K.,1894:BeitragezurKenntnisderFauna dieKreideformationvonHokkaido・ゐゎeonf A助andi.ノV.F.,vol.2,no.3,p.140-198,pis. 17-25. 松本達郎・米谷磯寿郎・野田雅之,1988:北海道菊 而沢の上部白亜系におけるイノセラムス・有孔虫 Toshimitsu,S.,Matsumoto,T、,Noda,M..Nishida,T., 松本達郎・野田雅之・米谷盛寿郎,1991:北海道 白亜系セノマニアン・チュロニアン両階のアン a n d M a i y a , S . , 1 9 9 5 : I n t e g r a t i o n o f m e g a , m i c r o a n d m a g n e t o s t r a t i g r a p h y o f t h e U p p e r C r e t a c e o u s inJapan.Proc.15的加tern・Symp..幻'un部ook Nam,助〃.p.357-370. モナイト・イノセラムス・有孔虫による統合生 Yabe,H.,1915:NoteonsomeCretaceousfossils 屑序を目指して.地学雑誌,100巻,3号.p- fromAnagaontheIslandAwajiandToyajointhe P r o v i n c e o f K i i . 5 ℃ / R e p t s . T o f i o k u I m p . 助 i V . . S ℃ 届 / / , [ G e o ノ . ) . v o l 、 4 , n o . l , p . 1 2 4 . p i s . 1 4 . Yabe.H・,1927:Cretaceousstratigraphyofthe JapaneseIslands.5℃/.Repts..To加加加p-伽"・ S e 展 〃 , { C e o ノ . ) , v o l ・ 1 1 , n o . 1 . p . 2 7 1 0 0 , p i s . 3 9 . Yabe,H.andNagao,T・,1925:Neworlittle-known CretaceousfossilsfromNorthSaghalien ( L a m e l l i b r a n c h i a t a a n d G a s t r o p o d a ) . 5 ℃ / . R e p t s . , T o h o k u I m p . U n i v . , S e r . I I , ( G e o ノ . ) , v o l . 7 , n o 、 4 , p . 1 1 1 1 1 4 . p i s . 2 8 , 2 9 . Yabe,H.andNagao.T.,1928:Cretaceousfossils fromHokkaido:Annelida.Gastropodaand L a m e l l i b r a n c h i a t a . 5 ℃ i . R 印 う お . , T o f i o k u I m p . 助 〃 ・ 先 眼 〃 . ( G e o ノ . ) . v o l 、 9 , n o . 3 , p . 7 7 9 6 , p i s . 1 6 , 1 7 . 山上万次郎,1893:20万分の1地質図大分並に説 化石の対応.化石,44号,p.25-32. 378−398. Michael,R.,1899:UberKreidefossiiienvonderInsel Sachalin.北.K.2℃uss.Geo!.Landesanst,vol・18. p.153-164,pis.5,6. 長尾巧.1929:Cretaceous/noceramusofJapan. manuscript.(いわゆる長尾ノート) 長尾巧.1935:巨大なるイノセラムス.我等の砿物, 4巻,5号,p.1-3.図版1. Nagao,T.andMatsumoto,T.,1939:Amonographof theCretaceousInoceramusofJapan1..ノα"、ゐC s℃/.,HDkkaido〃叩.伽〃,Se協皿vol.4nos.3.4, p、241-299,pis.23-34. Nagao,T・andMatsumoto,T・,1940:Amonographof theCretaceousInoceramusofJapan11.JourFac. 5℃/.,〃bkkakわ〃ID.伽奴.Se展〃,vol.6,no.1,p. 1-64.pis・1-22. 野田雅之,1969:九州大野川層群の化石層序学的研究. 九大理研報,10巻,1号,p.1-10,pis・1-3. Noda,M.andMatsumoto,T.,1998:Palaeontology andstratigraphyoftheinoceramidspecies fromthemid-Turonianthroughuppei・Middle ConiacianinJapan.ActaCeoノ昭ica助ノb"j℃a,vol. 48,no.4,p、435-482,pis、1-17. 明書,81p.農商務省地質調査所. Yehara,S.,1924:OntheIzumiSandstoneGroupin theOnogawaBasin(Prov・Bungo)andthesame groupinUw可ima(Prov・lyo)."anesejourGeoZ andGeogr,vol.3,p.27-39,pis.2-4. Yokohama,M..1890:Versteinerungender J a p a n i s c h e n K r e i d e ・ R 7 ね e o n t 昭 r . , v o l . 3 6 , p . 1 5 9 - −6− 202,pis.18-25.