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オペラの風景(20)「ローエングリン」の数奇な運命と DVD

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オペラの風景(20)「ローエングリン」の数奇な運命と DVD
オペラの風景(20)「ローエングリン」の数奇な運命と DVD
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「ローエングリン」ほど160年前の誕生から今日まで数奇な運命をたどったオペラ
を私は知りません。
初演が出来なかったドレスデン国立オペラ
ワーグナーが伝説「ローエングリン」に手をいれてたことは前回のべましたが、出来
上がった台本はこうです。
(筊書き)1幕ではドイツのザクセン国王がハンガリー攻撃の協力を求め、アントワ
ーブに来て、当地ブラバント国の治安が悪いが、と口火をきり、理由を重臣テラムン
トに説明させる。彼は亡きブラバント王の娘エルザが弟を殺して自分が後継者になろ
うと、企んでいるという噂のせいだ、と訴える。エルザの答えが曖昧なことから、
「神
明の戦い」の実施が決まる。エルザの代理騎士とテラムントが戦い、勝った方に神の
理がある、とする判決方法である。エルザの祈りに答えて現れた白鳥の騎士が彼女の
代理人となり、テラムントに勝つ。騎士に姓名、素性を問わないという約束でエルザ
との結婚を承諾する。
2幕ではテラムントの妻オルトルートが夫を背後で操っていて、弟の死はオルトルー
トの魔法によるのが明らかにされる。二人は天下とりの企みを打ち合わせている。そ
こへ現れたエルザにオルトルートが落胆振りを示し同情を買う。エルザは易しくなぐ
さめる。
ハンガリーへの出撃が宣言されたあと、エルザと白鳥の騎士との結婚式のため、一同
の列が教会に向う。そこへオルトルートが現れ、一転して自分がエルザの後塵を拝す
る理由はないと、難癖をつける。
3幕では白鳥の騎士とエルザの結婚式が全員の祝福で、有名な婚礼の合唱のもとに進
む。オルトルートのに陰謀にのってしまった新婦は、新婚の床で新郎に出自の説明を
迫る。そこへテラムントが刺客として侵入して殺される。甘い夜は崩壊する。
後半はハンガリー国境への出陣のため全員が集まっている。そこへ、白鳥の騎士が登
場、昨夜の出来事を説明、自分が聖杯の騎士ローエングリンであると述べ、事態が判
明した以上帰国の義務があるから参戦できないと宣言する。白鳥が現れ、エルザに別
れをつげる。オルトルートが登場し、自分の仕組んだ魔法と、それにのったエルザの
愚かさをあざ笑い、騎士が去るのをよろこぶ。白鳥の魔法がとけ、エルザの弟が現れ
る。騎士は彼こそブラバント後継者であると宣言し、鳩が曳く、小舟に乗って去る。
細部で大事な所はこうです。
1)ワーグナーのドラマ(ローエングリン伝説ではない)の場所はアントワーブで、
そこへザクセン王ハインリッヒ1世が来たのは932年、彼の来訪は徴兵のためであ
る。ザクセン王は絶対的権力をもつものとして、ブラバントの貴族は「我々は王命に
服従を誓います」と宣言する。勝った白鳥の騎士をブラバント王の後継者と宣言した
ときも、貴族は熱狂的嵐で歓迎するが、ハインリッヒ王の徴兵の演説ではザクセンの
臣下だけが歓呼し、ブラバントの貴族は無言。両国はドイツと一括されるが、微妙に
違う。
2)勇者フリードリッヒ・フォン・テラムントは最初エルザを諦めたのは弟殺しの疑
いがあるからだ、といいながら、まもなく彼女が得体も知れぬ愛人(実はローエング
リン)がいるため、自分をはねつけたといっています。ハインリッヒ王への告訴が「弟
殺しと不倫」2本立てのわけです。二つの事実はいずれもオルトルートと結婚してか
ら知ったことで、2幕で事情は明らかにされます。
3)オルトルートの登場にも意味があります。ワーグナーは彼女をゲルマンの森の古
代の神々をいだく、土地の貴族の末裔として登場させています。ローエングリンが絶
対者「聖杯」の騎士として「光輝と至福」の象徴であるのと対照的です。このことは
ドラマでは2幕で彼女がエルザに面従したあと叫ぶ下記の台詞として示されます。
「汚された神々よ、わがあだ討ちに味方したまえ。
おんみらに加えられた恥辱に、報いたまえ。
おんみらの祭に仕えるこの身に力をかして、
背教者らの破廉恥な妄想を、ほろぼしたまえ。
おお、ヴォータンさま、強いあなたによびかけます。
おお、フライアさま。気高いあなたもおきき下さい。
あだ討ちに成功しますよう。
術策のかずかずをおさずけください。」
(この二人は楽劇「ニーベルングの指輪」の主役)
これらを知って、オペラ「ローエングリン」が遭遇する数奇な運命を辿ると、いろい
ろと思います。そこには日本の文化から想像できない、しつこい、粘々した西洋文化
の特質が滲みでています。
(革命)
「ローエングリン」の作曲にかかったのは1846年春です。ドレスデン宮廷
歌劇場から指揮者の仕事を3ヶ月免除された時でした。1848年1月から清書を始
め、4月28日には完成します。これに基づいて、ドレスデンで上演しようとする動
きがでますが、話が進まず、ワーグナーの苛立ちがつのります。
パリの3月革命に触発され、その頃ドレスデンには不穏な動きが広がり、彼の下に有
名なバクーニンやレッケルが出入りし、ワーグナーの協力をえて、社会革命を提唱す
る《人民新聞》を発行します。この二人は翌年逮捕され有罪判決を受けますが、ワー
グナーはチューリッヒに逃げられました。
(初演)このオペラは1850年8月28日ワイマールで初めて演奏されました。逃
亡先から親しい、有名なピアニスト、フランツ・リストに上演を依頼したからです。
ワイマールでの初演
この曲が従来のイタリア・オペラとは全く違うことをリストは見抜き、賞賛の論説を
1851年4月12日「絵入り新聞」紙上に発表しています。
「――― かれの個性の最も高貴な特質を反映している作品であり、そしてつまるとこ
ろは、古いタイプのオペラの構成、アリア、ロマンツエ‐‐‐などを探そうとすると、
正当な評価ができなくなってしまう。―――――― 彼にとって歌手はもはや眼中になく、
そこにはただ役があるのみだ。それゆえ彼は主役の女性歌手がそこにいることが場面
全体を支え、それをより高める場合には、彼女を一幕中歌わせることなく、黙ったま
ま演技させることも当たり前と考えるのである。―――」
リストは「ローエングリン」が何よりもドラマであることを見抜いています。
1850年はヴェルディが3大名作を書く直前です。(リゴレット1851年)。
(ヴェルディ)
《アイーダ》の作曲をほぼ終えたころ、「ローエングリン」の評判がイ
タリアに伝わりました。初演から20年もあとです。ヴェルディは1971年11月、
イタリア初演をボローニアに見にいきました。お忍びで出かけましたが、見つかって
しまい「ヴェルディ万歳」で会場が埋まったそうです。手元のピアノ楽譜へのメモに
よると、ヴェルディのワーグナー観は必ずしも良くはなかったようですが、大変興味
を持っていた様子は伺えます。
「全体の印象は平凡、音楽は美しい。明快なところには
思想がある。劇は台詞と同じ速さでゆっくり進行する。従って退屈である。」
ワーグナーはイタリアでの成功に気をよくし、逸材ボイド(当時熱烈なワグネリアン、
後にヴェルディの台本を書く)に手紙を書いています。
1971年は、ワーグナーには「パルシファル」を残す全作品を書き終えた頃です。
(パリ初演)1883年ワーグナーの死。1887年パリで「ローエングリン」が初
演されました。しかしこの作品に対する抵抗は非常に強く、指揮者が警官に守られて
行われたものの、劇場は二度と上演しないことが宣言させられました。再演は189
1年です。何がフランス人を傷つけたか、普仏戦争(1871年)の敗北だけでなく、
「聖杯の騎士」つまり神がドイツ人の先祖という思い上がりを嫌悪したのでしょう
(妻コジマの登場)ワーグナーの死後、妻コジマがバイロイト音楽祭を仕切ります。
彼女はリストの次女であり、大変な才女でした。1896年、彼女は「ローエングリ
ン」が一度も理想的に上演されていないとして、バイロイトでの上演を決意します。
そのとき、13世紀から10世紀に時代を移し、異教徒とキリスト教徒の間の根本的
緊張関係を歴史的に確かな形として前面に出しました。この変更は異宗教の対立とし
ての色彩をオペラで強める役割をしたことでしょう。その後ナチが「ローエングリン」
利用する上で不都合を生んだ筈です。私はコジマの先見性を高く評価します。
コジマ演出のローエングリン
(国家社会主義・第三帝国への道)
「ローエングリン」をドイツ民族主義的意図の下に
悪用する動きが、第三帝国への第一段階として始まります。1914年ハインリッヒ・
マンが小説「臣下」を発表。この小説は皇帝ウイリアムス2世治下の君主国制最後の
時期に当り、《
「ローエングリン」を見ながら、恋人同士が交わす会話のなかで君主の
必要を表明する》話です。
同時期に、トーマス・マンは「非政治的人間の考察」
(1918年)のなかで、ワーグ
ナーが全く非政治的な人間であることを様々な例から実証し、たまたま1848年の
彼のドレスデン革命への関与が「ローエングリン」
(1850年)作曲と一致している
からといって、このオペラが政治的な信条告白などでは全くないと、宣言して、
「臣下」
を批判しています。
(ヒットラーの登場)1936年「ローエングリン」の上演にヒトラーが来場、3幕
「聖杯の物語」の後半部が鳴り響いたとき、ウニフレート・ワーグナーが唖然として
突き動かされる事件が起こったと伝えられています。異常な出来事の詳細は分かりま
せん。この年はベルリン・オリンピックの年でもあり、ナチス賛美のプロパガンダが
世界に向けられました。因みにヒトラーは自分をブラバントの総統の末裔と信じ、ウ
ニフレートはイギリスからワーグナー家に嫁にきて、ワーグナーの息子ジーグフリー
ドと結婚した女性で、4児を産みますが、ヒットラーとは大変仲がよく、噂もあった
程だといいます。この事件を第三帝国の文化としてを誇示したのは、芸術作品の政治
的利用の最悪の例とされています。
。
ナチス時代の第ニ幕
(バイロイトの再生)戦後1953年、初めて問題のオペラ「ローエングリン」が上
演されます。そこではオペラに含まれる数々の矛盾、特に心理的階層の真意を汲み取
ろうとする努力がなされはじめたそうです。単純な自然主義的傾向からの方向転換が
不可欠なことが実証されました。演出はヴォルフガング・ワーグナー。彼は1930
年代の英雄的自然主義と兄ヴィーランドの抽象的情景とを、具体的簡潔さに一体化さ
せたそうです。
その後の「ローエングリン」は様々に演出されました。最近30年のものは DVD で
みられます。
それらを見ながら、数奇な運命を辿らせた要因を考えました。勿論人によって判断が
違うでしょうが、私は二つをとります。
第一は奇蹟と現実との対立の融和方法です。融和を考えなくても、ヒトラーのように、
自分を奇蹟の本人と考える脳天な人物なら対立を無視できますが、この二つはメルヘ
ンの世界だけにしか融和できないと考えるのが自然です。様々な融和方法があるなか
で、下記5つの DVD のうち、この面の扱いが顕著なのは3)と4)です。メルフェ
ンでも、作品に深い意味を持たせるのに成功しています。
第ニは聖杯神話をゲルマン民族との密着度です。戦後の公演では密着を薄める工夫が
様々になされていますが、3)の DVD は自然で成功しています。
1)ワーグナー:歌劇『ローエングリン』 (1982)
ペーター・ホフマン(ローエングリン)
カラン・アームストロング(エルザ)
エリザベス・コネル(オルトルート)
ロール(テルラムント)
演奏:バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:ウォルデマール・ネルソン
演出 ゲッツ・フリードリヒ
2)ワーグナー: 歌劇『ローエングリン』
(1990)
プラシド・ドミンゴ(ローエングリン)
シェリル・ステューダー(エルザ)
ハートゥムート・ウエルカー(テルラムント)
ドゥーニャ・ヴェイソヴィッチ(オルトルート)
演奏:ウィーン国立歌劇場
演出:ヴォルフガング・ウェーバー
指揮クラウデイオ・アッバード
演技、表現がオオバーで、他と比べ目立つ。ドミンゴ、スチューダそしてアッバード
と三人のスターが見せるオペラです。
3)ワーグナー: 歌劇『ローエングリン』
(1990・7)
ポール・フライ(ローエングリン)
シェリル・ステューダー(エルザ)
ガブリエレ・シュナウト(オルトルート)
エッケハルト・ヴラシハ(テルラムント)
演奏バイロイト音楽祭祝祭管弦楽団&合唱団
指揮:ペーター・シュナイダー
演出:ヘルツオーク
著名な映画監督の演出で舞台は適度にメルフェンチック。10世紀の時代設定が感じ
られる。
権力者欠落で危機のブラバントへ、神から白鳥の騎士が派遣されてくる。これが単な
る一つの事件として取り上げられています。その土地を支配していたエルザの父国王、
それを憎む土地に在住した原住民オルトルート一族ら、この3者間の事件であるのが、
はっきりしてきます。ローエングリンは不可能な条件下で愛を求めてやってきた、孤
独な騎士であり、彼は結果として孤独なまま、聖杯の国に帰ります。エルザとオルト
ルートはフィナーレで手を繋ごうとつとめますが、僅かにならないまま幕がおります。
こんな解釈が可能なのは、白鳥の騎士がブラバントの国王ではなく保護者である、と
原作にこだわったことや、別離の挨拶をして去るときローエングリンに、オルトルー
トが初稿ではこう叫ぶよう書かれてあることからも納得がいきます。
「勝利だ!勝利だ!ようこそ復讐のとき!いまこそ私はこの国を主なき国とよぶ!お
まえ(騎士)の心に傷にたたえあれ。それによって私は自分の復讐を手にしたのだか
ら。-------」
スチューダーが半年前のウイーンと違い、動きを抑えていますし、
4)ワーグナー:歌劇『ローエングリン』全曲(2006・6)
クラウス・フロリアン・フォーグト(ローエングリン)
ソルヴェイグ・クリンゲルボーン(エルザ)
ヴァルトラウト・マイアー(オルトルート)
トム・フォックス(テラムント)
ベルリン・ドイツ交響楽団
(指揮)ケント・ナガノ
(演出)ニコラウス・レーンホフ
バーデンバーデン、祝祭劇場[ライヴ]
フライより、フォーグトは白鳥の騎士に相応しい声色で、しかも風采もぴったり。で
もどこかナチスのイメージがある。背広を着た演技だが、現代性より、メルヘン性が
目立ち、宗教性は薄い。この演出は優れたオルトルート(マイヤー)歌手の演技力に
頼っているようです。彼女はローエングリンと対等の演技者ですが、単なる土地の神
の信者以上に活躍し、ローエングリンの神格化を阻止しています。彼は破綻する宿命
をもつ婚約者と観客に思わせます。
「愛人に過去を不問と命ずるなんてありえない、そ
れを受け入れるエルザは馬鹿」と言わんばかりの演技をオルトルートはします。観客
は3時間御伽話を見させられたのだよ、とフィナーレで思い知ります。マイヤーの演
技の凄さです。作品にメルヘン以上の奥行きを与えます。因みに幕切れではローエン
グリンが白鳥の鎖を切り、オルトルートは再生したゴットフリートの姿をみて声を上
げて倒れ、エルザは次第に気が遠くなって絶命します。
舞台は上手から下手に道が下っているだけ、道の上下は広い階段状です。大家レーン
ホフの仕事です。ここまでくると、ナチスがどうの、という話は全く忘れてしまうし、
新聞を読む場面があっても現代のせこささえ忘れさせます。
5)ワーグナー:歌劇『ローエングリン』全曲(2006)
ジョン・トレレーヴェン
ラインホルト・ハーゲン
ハンス=ヨアヒム・ケテルセン
エミリー・マッジ
ルアナ・デヴォル
ロベルト・ボルク、他
(指揮)ヴァイグレ
(演出)コンビチニ
(演奏)リセウオペラ
全く異質な演出。時代は貨幣経済以前の原始の世界。これは現代風に学校の教室の出
来事とする。教室は荒れている。最初はエルザに、騎士(大人)が入ってきてからは負
け組のテラムントとオルトルートに暴力を加える。変身して現れたゴットフリードは
手に拳銃をもっている。金での取引がない世界では暴力こそ唯一の力だという、コン
ビチニの演出観。
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