...

南米への旅

by user

on
Category: Documents
1

views

Report

Comments

Transcript

南米への旅
南米への旅
-マチュピチュ、ナスカの地上絵、イグアスの滝の3大絶景を訪ねる旅-
2013.8.13-24
-1-
南米への旅
-マチュピチュ、ナスカの地上絵、イグアスの滝の3大絶景を訪ねる旅-
中村千里
旅行に出る前には愛用の一眼レフの点検から始
めることが多いのですが、今回ばかりは異なりま
した。滝壺に突入することになっています。ネッ
トで体験記を読むと、カメラが壊れたとの記載も
あるではないですか!コンパクトデジカメに防水
カバーで我慢すべきと考えて買いに行きました。
そこで目にした小型ビデオカメラは頭に固定して
水中撮影も可能な優れもの。これは買うしかあり
ません。頭に装着してテニスを行ったり、映像を
YouTube に投稿したり事前準備に抜かりありませ
ん。それでは旅行行程図を書いたのでご参考に!
【第1日目は平塚からリマへ】
さて、猛暑つづきの日本を離れて初めての南米
へ旅します。ANAのワンダーアースと言うツア
ーですが、飛行機は同じグループのユナイテッド
航空UA06便;座席番号1Lです。約12時間かけて経由地のアメリカのヒュースト
ンに一旦入国しますが、この入国審査に時間がかかり参りました。どうもアメリカは厳
重すぎるようですが仕方ありません。乗り継ぎ便もユナイテッド航空ですがすでに搭乗
開始時間を過ぎていてちょっと焦りました。今回の添乗員は飯島さんで参加者は同年代
の夫婦と男3世代(孫、父、爺)の総勢8名です。トイレにも行かずあわてて搭乗した
UA854便ですがなかなか動こうとしません。疲れもあってじーと座って目を閉じて
いたのですが1時間半過ぎて乗客がぞろぞろ降りだしました。どうやら無線の具合が悪
いので一旦搭乗券を回収し待合室で待機となりました。成田ではリマの管制官のストが
あるかもしれないと知らされていただけにダブルパンチです。結局、ゲートを移し同じ
機種で出発することになったので搭乗券が再配布され同じ座席番号3Bで搭乗しました。
遅れること約4時間30分なのでリマへの着陸が午前2時半となってしまいました。お
まけに荷物の回収に時間がかかり空港の外に出たのが午前3時半ですから日本を出てど
の位の時間がかかったのでしょうか?迎えてくれたのは日系3世のアラガキさんで、リ
マの概要を話してくれます。雨がほとんど降らないので屋根のタンクに雨水を貯めるよ
うで、特に4月~11月は降雨ゼロに近いとのこと。最近は曇天続きで気温は15-1
8℃くらい。注意事項としてトイレで紙を流さないでと言われたのはギリシャ以来のこ
とでした。ホテルに入ったのが深夜の4時頃ですが不思議と眠気はありません。途中途
中で寝ていたためか時差の関係かよく分かりませんが現地に慣れる必要もあるので一応
5時に就眠しました。
-2-
【第2日目はペルーのリマ】
それでも8時には起きて朝食をきちんと食べました。ホテルは旧市街にあり周囲はま
るでヨーロッパを思わせる重厚な建物が多くて驚きました。今回もスマホ持参だったの
でWifiが繋がっていれば日本の情勢もすぐ分かるし写真も即座に送ることが出来ま
す。でもシェラトンホテルはすべて接続が有料になっていたのが残念でなりません。接
続できるのは有り難いことですがもっと手軽に出来るように改善を望みますよ。12時
になって市内観光に出ましたが、行き先はいきなりレストラン!テラス席は肌寒く風よ
けシートと暖房器具が出ていました。南半球は一応冬ですから当然かもしれません。
食後は、同じ一角にあるラファエル・ラルコ・エレラ博物館で土器やら生活用具等の説
明を受けましたが心に響くことはありません。次に向かったペルー料理博物館ではペル
ーの地理の解説があり、アマゾンの密林地帯とアンデスの山岳地帯と太平洋側の7割は
乾いた砂漠地帯に分けられると知ったのは勉強になりました。アマゾン川源流はペルー
でした。ペルー料理もジャガイモやトウモロコシ中心ですが美食の国に恥じないメニュ
ーが並んでいました。その後、中心広場のアルマス広場で下車しカテドラルやペルー政
庁など西欧風の重厚な建物を見学しました。それよりも道路を封鎖して映画の撮影を行
っている光景の方が面白かったかもしれません。同じ動作を大勢の通行人が何回も繰り
返せるものだと感心! 車までが同じ動作ですから。リマを走る車種は日本と大差ありま
せんがやや中古車が目立つのと反対に軽自動車やバイク、自転車が目立ちません。
ブラジルにはメルセデス等の工場があって新車を注文すると、車はアルゼンチン→チリ
→ペルーと運ばれてくるので既に走行距離6,000kmの中古車になってしまうと笑
っていました。ブラジルとを結ぶ高速道路の建設が悲願のようです。
日が暮れてからラ・レセルバ公園の13もの噴水
を見に出かけます。遠路はるばる来てなぜ噴水ショ
ーと思いましたが、乾期には貴重な水をふんだんに
使ったいろいろな仕掛けもあるこの公園はリマ市民
にとっても癒しの場所になっているし、旅の序盤に
は軽いウォーミングアップと言ったところでしょ
う!
【第3日目はリマからクスコへ】
熟睡出来たのかわかりませんが朝の4時には目覚めてしまいました。日本ではとても考
えられないことです。6時に朝食を摂り45分にホテルを出発して空港に向かいます。
どうやら管制官のストもなくスターペルー航空で1時間少々のフライトです。空港で出
迎えてくれたのは現地ガイドの長岡さん。クスコの
空は一転して真っ青に晴れ上がって実に清々しいの
ですが早速「ゆっくり歩いて下さい」と注意があり
ました。クスコの標高は約3,400mで富士山の
8-9合目に相当するので空気が薄いのです。
最初にサクサイワマン遺跡に行きましたが、ここ
-3-
は更にクスコより高台に当たるのでちょっとしゃが
んだり立ち上がるときに「フラッー」とする気もし
ますが動作をゆっくりにしていれば問題なし。他の
人は知りませんけれどね!広大な野原にアルパカが
飼われており早速写真タイム。運び込まれた巨石も
インカの精巧な石組みで整然と並べられており、中
にはパワーを秘め込んだものもあるとのこと。ここ
はインカ軍がスペイン相手に戦った要塞群らしいで
すが、よくも高山病にならなかったと感心します。
サクサイワマン遺跡
遺跡出口には民族衣装に身をまとった人が観光被写
体として待ち構えていました。折角の機会ですから
チップをはずんで記念写真を撮ってもらいましたが
自分も溶け込んでいて現地人と見分けがつかないと
の評価は喜ぶべきか?
クスコ市街を見渡せるところでも写真タイムをもら
いましたが、この様な高地にインカ帝国の首都があ
り今でも人口40万人が暮らしているとは驚きとと
もに世界の多様さを感じました。クスコ市内に戻り
地元料理で有名なレストラン「ChiCha」で昼
食ですが、すでに高山病の症状が出たお爺さんはレ
ストランの階段も登ることが出来なくなっています。
食事時につきもののワインやビールももちろんご法
度でジャガイモやジャイアントコーンをアレンジし
た料理をご馳走になり市内観光に向かいました。
クスコ市街(中央:アルマス広場)
インカの石組みの精巧さを表す代表として取り上げられる「 12角の石 」がはめ込ん
である石塀を歩きました。最近雑誌で取り上げられた「14画
の石」はインカの石とは違うし門構えの一部なのでがっかりで
す。中心部のアルマス広場では何かの祭が行われていて賑やか
な音楽と踊りを見ることが出来て得した気分になれました。こ
の場所こそいつも旅番組に出てくる代表的なところで荘厳なカ
テドラルが見守っているようでした。
インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太
陽の神殿はスペインに攻め込まれて内部の装飾に使われていた黄金をすべて持ち去られ
てしまったが、今も残った土台にはインカの石組みが残されておりサント・ドミンゴ教
会が建立されたとのこと。一体インカ帝国とはどの様な国であったのか興味も湧いてき
ます。このインカの石組みをそのまま残したリベルタドール・パラシオ・デル・インカ
はホテルとして営業されていますが、ちょうどAPEC首脳会議が行われていて厳重な
警備が行われていました。明後日には我々も宿泊予定で楽しみですが、本日の宿泊地は
標高2,871mと低地?のウルバンバなのでいざ出発!これは高山病予防のための日
程作成になっているので有り難いことです。途中には富士山よりも高い所を通過します
がバスに乗ったままなので安心安心。車窓よりは近郊で一番高い山のアウンサンガテ山
-4-
6,384mが東に見えましたが、途中で頂きに雪が残るのは4,500m級以上でそ
れ以下では雪が溶けてしまうらしい。
あっと言う間もなく(寝ていたのかもしれませんが、、)2時間ほどでウルバンバのホ
テルに到着しました。5時半を過ぎると少々寒くロビーには暖炉がともっていました。
【第4日目はウルバンバからマチュピチュへ】
昨夜の食事時にガソリン値上げ反対のストがあると渋滞するので予定を早めるとの知ら
せがあって、マチュピチュでの1泊分の荷物を別にして7時50分にホテルを出ました。
結局、渋滞には巻き込まれずにウルバンバ川に沿って走
ります。途中の山肌に残雪か?と思わせるマラスの塩田
も車窓から見えました。インカの聖なる谷とも呼ばれる
この一帯にはインカ帝国の中枢をなした遺跡や村々が残
されており、その一つがオリャンタイタンボ遺跡なので
す。インカ時代の宿場ともスペイン軍と戦った砦とも言
われ急斜面のアンデネスを300段登り詰めると広場に
出ます。そこは修復中でしたが巨大な石が6個並べられ太陽神殿だったとも考えられて
おりミニ・マチュピチュかもしれませんが背景の山の形が違います。どうして昔の人は
巨石を運び組み立てることを考えたのでしょうか?ピラミッドもストーンヘンジもみん
な謎だらけ!?
バスで数分のオリャンタイタンボ駅(標高2,600m)に時刻調整して向かいまし
た。この列車ルートがマチュピチュへの一般的な進入ルートになっていてバスでは進入
出来ないようです。旅番組で有名なハイラム・ビンガ
ム号はクスコから時間をかけてゆっくり食事をしなが
ら走る豪華列車ですが、我々の乗る列車はビスタドー
ムと言う天井がガラス張りの展望列車です。運賃が6
-7倍と違うのも豪華食卓とガイド料や優先バス乗車
料が含まれているためらしいですが、この線路は揺れ
が激しいので美味しいワインを味わうのは難しそう。
テーブルにワインを置けず一気飲みするしかないと勝手に想像しましたよ!展望列車の
座席も上質ですが、大きな旅行鞄を収納する場所がないのが難点で1泊分の荷物で各自
乗り込んだのはこのためなのです。
途中の車窓からはウルバンバ川とアンデスの山々の織りな
す光景が続きます。この川は最終的にはアマゾンの源流にも
なるようなので驚きです。ベロニカ山(5,750m)の頂
には残雪が美しく残り乗客のカメラが一斉に向けられます。
インカ道も所々に顔を出し地元の人が馬の背に荷物を乗せて
歩いている姿も見ることが出来ました。1時間半の車窓観光
-5-
を満喫して12時半にマチュピチュ駅(標高2,000m)
に到着しました。出迎えのホテルの人に荷物を預け身軽なリ
ュック姿でシャトルバスに乗り込みマチュピチュ遺跡(標高
2,400m)へいざ出発です。
世界遺産の中でも人気ナンバー1とも言われるマチュピチ
ュには年間120万人もの人が訪れるとのことで、この日も
多くの観光客で溢れています。日本人観光客も多いようです
が圧倒的に西欧人らしき人で占められ中国語や韓国語を耳にすることはありませんでし
た。今回のガイドの長岡さんは旅行誌「るるぶ」で必見ポイントを寄せている達人なの
で案内の手順や撮影スポットに手抜かりはありません。ただリャマの一団が通行の邪魔
をしてくれたのが想定外のようでしたが、入場して小高い見張り小屋に向かっている時
に ついに見 えてきました。これ
ぞ 何回も何 回も画像や映像で見
た マチュピ チュ遺跡で、その後
方 には絶対 無くてはならないワ
イ ナピチュ 山も美しく聳えてい
ま す。空気 の薄さは全く感じま
せ ん。この 光景を見ているだけ
で 何か得体 の知れない霊気のよ
う なものを 感じ取ることが出来
ま す。不思 議です!同行のお爺
ち ゃんも途 中では車椅子の世話
になりながらも高山病を克服しここでは自力で登ってきました。この光景を目にするた
めに参加されたようで、その瞳には涙があふれていました。実に感動的な一瞬でした。
一段一段上に登り角度を変えてマチュピチュ遺跡を俯瞰してみますが、どう考えても
背景の山々がないと絵になりません。遙か下にはウルバンバ川が取り囲んでいますが絵
の一部にはなかなか入りこめないようです。遺跡内部にも足を踏み入れましたが、基本
的に山の尾根に広がっているためどこに向かうにも階段を上り下りしなくてはなりませ
ん。遺跡内には100を越す階段があるとのことです。市
街地入り口から入場し、石切場、主神殿、聖なる広場など
名付けられた所を見ましたが、遠目で見たのと異なり意外
にも大きな部屋の集まりであると思いました。まあ、名前
は後世の人が想像でつけたので当時何に使われていたかは
謎です。インティワタナ(日時計)では石のパワーを感じ
ると温かく感じると言われ誰もが手をかざします。コンド
ルの神殿では野ウサギが迎えてくれ、水飲み場では渇いた
喉を潤した気分だけで止めておきました。太陽の神殿は修
復に向けての調査が入っていましたが日本人が参加してい
ると知り恐れ入りました。まあ、いろいろな建物が残って
いますがマチュピチュは全景がすべてと思いました。
-6-
上:日時計
下:コンドルの神殿
【第5日目はマチュピチュからクスコへ】
遺跡に登る朝日を鑑賞する予定でしたが朝起きるとあいにくの雨。これでは絶対に朝
日は無理どころか何も見えない可能性さえ出てきて、ダージリンでヒマラヤが全く見え
なかった記憶がよみがえりました。急いでレインウェアーに着替えてバスに乗り込みま
す。案の定車窓は真っ白で何も見えなくなっていましたが自分に出来ることは祈ること
だけです。遺跡入り口に到着した時点でもまだ雨は降っていましたが、小雨になってき
たのでもう少し強く祈りましたよ!昨日と同じ道を登っていき昨日と同じように感動を
迎えたかったのですが 、、、、まだ雲にかかって見えませんし薄暗い中から陽が射すとは
とても思えません。すでに日の出の時間は過ぎていましたが待ちました。もちろんここ
がマチュピチュであると言う景色が少しでもわかれば良いと願ったのですが、やはりこ
こには神が宿るのでしょう。
徐々に姿を現してくれたで
はありませんか!それも誰
もが憧れる幻想的な姿を現
しては消え、別の姿を現し
ては消え、と何度も何度も
雲の合間からワイナピチュ
山だけでなく足元のウルバ
ンバ川まで姿を出してくれ
るようになりました。どこ
から漏れてきたのか隣の山
の中腹には丸い日だまりま
で見えてきたではありませ
んか!もう感動感動で一眼カメラ、コンパクトデジカメ、ビデオ、スマホと持ってきた
全ての撮影機で撮りまくりました。マチュピチュには何回来たのか分からないと言う達
人ガイドの長岡さんも滅多にお目にかかれないとお墨付きの光景です。スマホの動画は
即日 YouTube に「幻想的なマチュピチュ」で投稿しましたのでご覧下さい。付け加えま
すが、交換レンズ等大きなものは商業用と間違えられて取り上げられる可能性があるの
で注意して欲しいとのこと。プロは事前に政府に申請する必要があるようです。
その後の自由時間は昨日訪れなかった居住区を中心に見て回りました。意外な発見は
ワイナピチュ山の横に低く聳えるウチュイピチュ山も近くで見るとミニ・ワイナピチュ
の雰囲気があって絵になります。インカの人々は何でこんな山奥に町を造ったのかは誰
もわかりませんが世界中から観光客を集める狙いがあったのは確かでしょう?
ホテルに戻り朝食をいただいて10時にチェックアウトして駅周辺の土産物店を見て
回りました。ここでも値札が無くて交渉して購入するパターンなので気が滅入ります。
どのガイドブックにも値切るのが当然と書いてありますが、相手も生活がかかっている
と思えば値切りにくいです。結局は買い控えてしまうので土産なしになってしまいまし
たよ。12時にホテルに集合し歩いてレストランに出かけて昼食。朝は雨で寒かったの
に快晴となって気温も15℃と暑くなっています。市場など町中をブラブラ散策して1
4時半の展望列車でオリャンタイタンボ駅まで引き返し、その後はバスでクスコまで戻
-7-
りました。あのAPECの開かれていたホテルには各自の大型のバッグはすでに届けら
れています。内部の廊下やレストランの壁にインカ時代の石組みが残されているのでさ
ながら遺跡の中にいる雰囲気にしてくれるホテルですが各部屋の造りには特段変わった
ものはありませんでした。Wifiは簡単に繋がりました。
【第6日目はクスコからパラカスへ】
今日は完全に移動日になります。せっかくの素敵なホテルも1晩だけではもったいない
気もしますがやむを得ません。インカの雰囲気のレストランでの朝食を終えてクスコ空
港からスターペルー航空で1時間少々でリマに戻ってきました。再びガイドはアラガキ
さん担当です。早速市内のレストランでシーフードの昼食となるので、食っちゃ移動食
っちゃ移動で体重変化が心配にもなりますよ。旧市街は西欧の重厚な雰囲気の建物が多
かったのですが、新市街地は現代の東京と似ており車も高級車が走っています。人口は
約800万の南米屈指の大都会ですから当然かもしれませ
ん。見上げる空はどんよりしていますが日本の冬の寒さは
ありません。観光名所の「恋人たちの公園」はグエル公園
のようなタイルで囲まれ中央に恋人が抱擁している巨大な
オブジェが建てられています。空にはたくさんのパラグラ
イダーが飛び回り、海岸は西方一帯に広がっていますが遠
くは霞んで見ることが出来ません。
恋人たちの公園
14時半に公園を出発してからはパンアメリカンハイウェイを南下していきます。但
し、市街地を抜けたと思った途端に右を見ても左を見ても砂山が延々と続くではありま
せんか!1時間や2時間どころではありません。パラカスに着くまでの約4時間も海岸
砂漠地帯を走っていました。これほどまで砂漠の国とは全く思ってもいませんでした。
アンデスの山岳地帯で遮られアマゾンの密林に雨を降らせた乾いた風が砂漠を造ると第
2日目に勉強した記憶がありますが高山病?で忘れていましたよ!何しろ年間降雨量が
1mmにも満たないらしいので日本での豪雨災害を考えると想像さえ出来ません。この
乾いた大地に描かれたナスカの地上絵をこれから観光に向かっているのです。ナスカは
パラカスの先にありバスでまだ3時間ほどかかるので最近では手前のイカやパラカスの
町からセスナ機を飛ばす観光が主流になってきているのです。特にパラカスは注目の海
辺のリゾート地でボートで30分の沖合にはリトル・ガラパゴスと呼ばれるほどの野生
動物の楽園があります 。「何でこんな砂漠にこんな建物が建つのだ」まるで「掃きだめ
-8-
に鶴」の素晴らしいリゾートホテルが建っています。きっとこれから
開発が進んで砂漠も少なくなるのでしょう。でも夕食時の料理の運ば
れ具合は非常に遅くて参りました。まだ発展途上のようです。部屋はコテージタイプで
快適でした。Wifiも普通に繋がりクスコのガイドさんにもお礼をしておきました。
もちろんフェイスブック(FB)で状況報告もしましたので、ネットさえ繋がれば世界
のどこにいても即座に日本の家族や孫家族、友達やニュースが分かってしまいますね。
便利と言うより恐ろしい時代になったものです。
【第7日目はパラカスからブエノスアイレスへ】
朝早く起床してホテル敷地内を散歩しましたが、海にはアゴの大きなペリカンが停まっ
ており桟橋ではよたよた歩く傷ついた鳥?と思って近づくとペンギンではありません
か!南極でもないのに不思議に思っていましたが、近くの野生動物王国にはたくさん棲
息していることなので納得。どうも南極からの冷たいフンボルト海流に乗ってくるよう
で予想外の珍客と出会ってしまいました。時間があればリトル・ガラパゴスへ行ってみ
たかったですよ!残念。
朝食後は数分でピスコ飛行場に着きました。この飛行
場は軍用なので撮影は厳しく制限されていますが、なぜ
か離陸時の電子機器使用禁止がないのが不思議です。ビ
デオとカメラは機内では撮り放題になりました。12人
乗りのセスナ機に搭乗して10時頃離陸し約30分でナ
スカ上空に到着しました。途中の眼下の景色はそれこそ
一面の砂漠で川らしき流れに沿って緑と集落が見えたの
が印象的です。最初に出会ったナスカの地上絵はクジラ
で「羽根の下見て下さい」と片言日本語で解説してくれ
ます。でも、どの程度の大きさなのか?線の太さがどの
程度か?最初はとまどいながらも撮影だけは行っておく
あいまいさ。とにかく眼下にはいろいろな線が入り組ん
でおり本物を見分けるのには慣れが必要です。丁寧に左
右の窓から見えるように同じ絵柄を旋回して見せてくれ
るので、望遠レンズ、標準レンズ、ビデオカメラ、スマ
ホと撮影機器を取っ替え引っ替えして記録に残しました。
山腹に描かれた「宇宙人」や「ハチドリ」はよく見えま
した。「クモ」「イヌ」「コンドル」「手」「木」も慣れてく
ると他の線との違いが分かってきました。見終わった今
-9-
記憶に残るのは 、「羽根の下・・・・・」と言うアナウンスと混在する地上の線と広大
な砂漠になるでしょう。地上絵をゆっくりと鑑賞するには写真で確認するのが一番です
が、実際の場所と大きさを実感するにはやはり出かけるしかないと思います。まあ再び
訪れたいとは思いませんが良い経験をさせてもらいました。この線は酸化した黒い大地
から深さ5-6cm掘り下げると下から石灰質を含んだ白い石の層が浮かび出てくるこ
とで線が描かれ幅は大体20-30cmとのことです。そしてほとんど雨が降らないし
適度な空っ風が掃除をしてくれるので長年にわたって残っていると説明を受けました。
しかし、何の目的でどの様な方法で描いたかは謎のままとのこと。
30分ほど観光飛行してピスコに戻って食事です。皆さん見えたかどうか確認していま
すし、私の窓の外にあった翼を支えるアームが邪魔ではなかったかと心配して下さいま
した。私は「アームを取ったら皆さんにご迷惑がかかるので避けて撮影しました」とお
答えしました。
その後は13時半からリマへの長い移動になり皆さんお休みなさいです。休憩を挟ん
で18時にリマの新市街に到着ですからよく眠れましたよ!巨大ショッピングモールで
買い物のあと19時にテラスでお弁当を食べる予定でしたが、あまりに寒くてバスに乗
り込んでの弁当になりました。バスは空港に向かっていますが東京と比較にならないほ
どの大渋滞だったので車窓から現地の人をよく観察できます。ペルーの人は男性でも身
長が160cmに満たない人が多いのは民族的特徴でしょうか。もちろん帽子を被り長
い髪を編み込んだケチュア族の人が目立つからかもしれません。
20時30分に空港に到着しアルゼンチン航空1365便でアルゼンチンのブエノス
アイレスに向かいます。出国審査を終えて搭乗口の11番ゲートまで歩いていたら通路
が閉鎖されていて足止め。全く理由もアナウンスもなく添乗員さんも困り顔で空港職員
に聞いても「待て」と言うだけ。搭乗時間間際になってようやく通路が開通しましたが、
どうも要人が通過するために閉鎖していた模様。異国のスペイン語圏では不安になりま
したよ。23時25分に無事に離陸しましたが座席13Cはフラットにはなりません。
実質飛行時間は4時間ほどですが、時差が2時間あるのでブエノスアイレスに午前5時
半到着しました。一応機内泊になります。
【第8日目はブエノスアイレス市内観光】
空港で迎えてくれたのは現地ガイドのクマベさん。大阪のおばちゃんの雰囲気。型通
りの注意があって早速市内で一番古いカフェ「カフェ・トウトーニ」に向かいましたが
扉は閉まっています。他のカフェで済ませましたがこれが南米風と開き直られた感じで
す。でも、市街地の建物を見渡すと全くのヨーロッパであって歩く人の顔もヨーロッパ
で間違いありません。確かにガイドブックにも南米のパリ
と書いてありましたが嘘ではありません。まあ、パリでな
くロンドンとかマドリードとかローマと言われても違いが
分からないかもしれないほどでペルーとはだいぶ異なりま
す。中央にオベリスコの建つ大通りの道幅は147m(2
2車線)あって世界一広い通りであり、傍らに建つコロン
劇場は世界三大劇場の一つとのこと。IOC総会の開会式に
- 10 -
コロン劇場
使用されていたので豪華な内装をご覧になった人も多いことでしょう。隣に建つ小学校
さえもコロン劇場並みの造りですし、斜向かいの最高裁判所もクラシックな造りで大勢
のマスコミがある事件の裁判を報道していたのはどこも同じだと感じました。中枢の5
月広場にはピンク色の外観の大統領府(カサ・ロサータ)が面しており革命記念の塔が
中央に聳えています。また、南米解放の父と言われるサン・マルティン将軍の柩が安置
されている大聖堂に入場しましたが、入り口にはアルゼンチン出身の現ローマ法王フラ
ンシスコの写真が飾られていました。聖堂内では護衛兵の交代式が行われて見学するこ
とが出来てラッキーです。
大統領府
護衛兵の交代式
ボカジュニアーズのスタジアム
その後はアルゼンチン発祥の地とも言える「ボカ地区」に向かいます。まずはサッカ
ーで名の知れたボカジュニアーズのスタジアムを遠目で見て、薬に負ける前のマラドー
ナの描かれた壁をすり抜け、最初の港湾であったボカ港で下車します。ここはタンゴ発
祥の場所でもありカミニート(小径)と呼ばれる一角にはカラフルに彩られた建物が並
んでいて画家の卵が集まってくる一大観光名所。土産物店も連なっており同行のサッカ
ー大学生はグッズを沢山購入して一番興奮していました。ブエノスアイレスはラプラタ
川の河口に開けた街ですが、その河口は世界一の広さで270kmと説明していました。
しかし、あとで地図を見ると河口と言うより全くの海ではないかと思えますがどうなの
でしょうか?倉庫街のあるマデーロ地区でも下車しましたが、現在の海運の中心で周り
には新しいホテルや一流レストランが並ぶ注目のエリアとのことで乙女の橋が印象的。
IOC総会が開催されたヒルトンホテルや猪瀬知事がランニングしていた地区になりま
す。
カミニート
乙女の橋
レコレータ墓地
最後の観光地のレコレータ墓地に行きます。墓地が観光地とはおかしな話にも思える
し実際の葬儀が行われている最中の観光だったので違和感がありました。しかし、ここ
はどのお墓も芸術的装飾が見事で世界的に有名な永遠の最高住宅地となるようです。確
かに見事で鑑賞に値する建造物群でした。11時40分に切り上げて昼食のレストラン
に向かいますが、途中の市内は大渋滞です。ブエノスアイレス圏の人口は1,000万
人を越える大都市ですから仕方ないかもしれませんが、国内線空港では大渋滞の傍らで
- 11 -
離着陸を繰り返しているではありませんか。いずれ移転だろうと勝手に決めておきまし
たよ。レストランでは300gはあろうかと言うステーキです。この国は有名な畜産国
で肉食の本家ではないですか。その為もあって皮革製品も安いはず。まあ完食出来まし
たので大満足。その後市内のシェラトン・ホテルに14時半チェックイン。機内泊と言
っても実際には今まで徹夜しているのと似た状態なので、昼寝になってしまいました。
このホテルもWifiが有料、スリッパが1組でタオル類も少なくペットボトルも1
本と単身用では?と考えるほど不満足ですが、東京オリンピック招致関係者が多数宿泊
していたようなので我々が先遣隊の役目をしたかもしれません。
裏手にあるフロリダ通りは歩行者天国の繁華街で夕食前の散歩に出かけましたが、皮革
製品の店が連なってメチャ安いと実感しました。日本の半額の印象だったのでついつい
ジャンパー購入しましたがステーキ何枚分で1着になるのでしょうか?
20時にホテルロビーに集合して夕食とタンゴショーに出かけます。ここで一大事件?
が報告されました。なんと明日のイグアス行き午前の搭乗予定便が欠航になったとのこ
とで、午後便に振り分ける旨の連絡がったようです。どうも乗客数が少ないので午後と
合わせたらしいのですが、そうなるとイグアスに到着する時間も4時間も遅くなり滝壺
にボートで突入するイベントも中止になってしまうとのこと。これには参りました!旅
行日程が決まった時点でビデオ撮影のテストまでして準備を重ねて一番楽しみにしてき
たことが無くなるなんて!きっと私のこの落胆ぶりは誰もが分かるほど哀れな表情だっ
たのでしょう。皆さんが励ましてくれました。なんでいつもツアーの仲間?は良い人ば
かりなのでしょうか。添乗員の飯島さんは最大の試練を迎えてしまいました。我を忘れ
た小生は、やれチャーター便を出せとかヘリコプターで移動せよとか夜中の間にバスで
移動せよとかプレッシャーをかけていたようですが記憶には残っていません。
「エスキーナ・カルロス・ガルデル」は食事と
タンゴショーの店の名前で、内部は2階席のオペ
ラ劇場のような造りでした。食事はまたまた大判
ステーキになり皮革生産に貢献しましたし、タン
ゴショーが始まると最前列の我々はカメラやビデ
オ撮影で夢中になったようにみえても、明日の予
定変更が気がかりでなりません。飯島さんも途中
途中で携帯で連絡を何度もとっています。22時
から始まったショーも23時半に終演を迎える最終盤になって飯島さんから嬉しくも厳
しいお知らせがありました。予定便は国内線空港からのアルゼンチン航空でしたが、国
際線空港からもイグアス行きの便が同じアルゼンチン航空で出るとのことです。ただ搭
乗時間が予定よりも早く空港が遠いためにホテルの出発が午前4時半になるとのこと。
元々厳しい時刻設定でしたが3時間も早起きするしかありません。急いでホテルに戻っ
たのが午前0時なのでシャワーと荷造りとで眠る時間があったのかどうか?
- 12 -
【第9日目はブエノスアイレスからイグアスへ】
興奮すると起きられるものです。午前4時のロビーには簡単な朝食が用意されており
全員遅刻することなく集合です。暗闇の中を空港に向かいました。大型バッグの重量オ
ーバーも係員が数字を見ないように気をそらし?何とかパスして搭乗を待ちます。まあ、
最初は24番ゲート6時15分搭乗予定でしたが次々に予定変更となり7時45分に搭
乗開始して8時15分離陸しました。これが南米流なのかもしれません。それでも一旦
はあきらめた午前中の移動が叶い10時に着陸出来ました。万歳!
ここでの現地ガイドはベ
テランのタケダさん。荷物
を積み込み早速空港のある
プエルト・イグアスの町か
らイグアス国立公園内にた
った1軒あるシェラトン・
ホテルに入りました。ロビ
ーからは遠くに水煙をあげた滝がもう見えるではありませんか。自分では今回の旅のメ
インイベントと考えていただけに感動ものです。さすがに涙は出ませんが興奮気味だっ
たかもしれません。ホテルのロケーションは最高ですがシェラトングループなので部屋
のアメニティ等は不満足でしたが仕方ありません。荷物整理してすぐに観光へ出発です。
ホテルの庭先を抜けて園内を走る列車の駅まで歩いていきます。ここイグアスは亜熱
帯に属しており気温は冬でも30℃近くまであるようですが汗をかくことはありません
でした。遠目で見る滝の水量は 2,000m³/s 位で、平常の 1,500m³/s 以上ありそうだと長年
の経験から教えてくれます。
ある本によると、世界三大瀑布と呼ばれるイグアスの滝、ビクトリアの滝、ナイアガ
ラの滝の比較が載っていました。横幅はイグアス4km、ビクトリア1.7km、ナイ
アガラのカナダ滝670m、アメリカ滝260m。最大落差はイグアス82m、ビクト
リア108m、ナイアガラ51m。最大水量毎分イグアス39億トン、ビクトリア5億
トン、ナイアガラ1.69億トンとなっていました。他にもいろいろ比較があってどこ
まで正確かはわかりませんがイグアスの滝が他を圧倒している事では一致しています。
よく使われるエピソードとして、アメリカのT.ルーズベルト大統領が夫妻で訪れた際、
イグアスの滝を見た夫人が「かわいそうなナイアガラよ」と言った話は有名です。
終点駅からは歩きます。それも網目の歩道橋?が延々1.1kmも続くのでちょっと
怖いですが落ちても水深は浅いから大丈夫と言われました。でも下
を見ないように網目の頑丈そうな所を狙って前の人について行きま
す。いくつもの川を横断したと勘違いしていたのですが、広大なイ
グアス川を横断しただけでした。20分ほど歩いたでしょうか?遠
目にも水煙が見えてきて徐々に轟音が聞こえてきます。悪魔の喉笛
と呼ばれる最大の滝のすぐ傍まで歩道橋が続いて展望できるように
開けています。
ほんとうに驚きで言葉も出ないほどの光景で、これほど迫力のあ
るものを見たことはありません。感覚としては黒四ダムの放水が1
- 13 -
000本連なったとか華厳の滝が1000本連なったとかいろいろ考えましたが貧弱な
頭では思いつきません。考えるよりも画像を一眼レフとビデオカメラとで撮り続けまし
た。静止画で迫力が伝わるでしょうか?動画は YouTube に投稿してありますが他の人の
投稿画像と変わらないのが寂しい限り。まあそれだけ外れることがない証拠でしょう。
もし検索するなら「Chisato Nakamura」 で検索するといろいろな動画を見ることが出来
ると思います。
マイナスイオンを100年分頂戴し、自然の素晴らしさを十二分に堪能し、生きた証
を撮ってもらって引き返しました。中間駅近くにあるレストランでビュッフェ形式の昼
食を頂いてからいよいよメインの滝壺へボートで突入です。
メルセデスの大型トラックの荷台を座席にした密林移動車に乗り込みレンジャーガイ
ドがジャングルの説明をたくさんたくさんしてくれます。時にはエンジンを止めて、皆
さん耳を澄まして音を捜しましょうとか非常に熱心に話してくれるのですが、残念なが
らスペイン語やポルトガル語が主で英語の時にちょっとだけ理解できる程度。日本人ツ
アーは寝ている人が多かったのも日程を考えると理解できるでしょう!ふと目を開ける
と川の上方に来ており階段を下りてスピード・ボートに乗り込むようです。あわててレ
インウェアーを着込みゴーグルを取り出し、アクションカムを防水装置に収納し、一眼
レフのレインカバーを装着してと準備に余念がありません。防水袋をもらい救命胴衣を
まとっていたら乗船が遅れてしまいました。なにしろこの時のために地球の裏側にやっ
てきたのですから許して下さい。
乗り込んでエンジンがかかるとなぜか気合いが入ってきます。特にスピードが上がり
両脇から波しぶきが降りかかると前興奮状態。滝が見え周囲に虹がきれいに架かるよう
になりどんどん接近するとその迫力と色彩はたとえようもありません。ボートが停まる
と、その中に居るだけで天国と思える不思議な世界をしばし体験し、写真を撮りまくり
ます 。「そろそろ良いかな?」と見計らって「カメラを防水袋にしまって下さい」とア
ナウンス。過去にカメラが壊れたとのネット情報があったので、迷わず一眼レフは収納
して頭に取り付けた防水ビデオに委ねます。もちろんゴーグルで目も保護します。ボー
トが再び動き出すと皆が手を振りかざし「行けーーー行けーーー」と叫びます。つられ
て自分も「ゴーゴーーーー」と進軍ラッパを鳴らしたようで童心に戻ります。あとはお
察しの通りバシャバシャと水滴ではなく水塊の洗礼を受けました。ちょっとでも長く停
- 14 -
留すれば滝に押しつぶされて沈没したでしょう。これを2回ほど繰り返しましたよ。お
もわず全員から拍手の嵐が沸き起こりました。本当に大満足!
イグアスの滝突入の様子
ハナグマ
陸に上がり途中途中で滝を眺めては写真を撮りながら歩いてホ
テルに戻ります。本来ここは亜熱帯の密林地区なのに人間に慣
れたハナグマが何匹もやってきたりカラフルな蝶々が飛び回っ
ていたり不思議。17時に戻り部屋からの滝も鑑賞。夕食後は
満月の月明かりで滝にかかる虹を見ることになっています。2
1時15分集合でホテルの庭で見る位に思っていたのですが、
バスに乗り込み公園入口の列車駅から昼間と同じルートで行く
ことが分かりました。確かに満月に合わせて設定されたツアー
ですが、目を暗順応させるために決して懐中電気やフラッシュ
撮影しないで下さいと厳命されました。あの網目の遊歩橋は本
当に怖かったですよ。悪魔の喉笛は満月の下でも轟音と巨大な
失敗作:満月のイグアス
流れは十分に分かりましたが残念ながら虹は出ていません。それでも満月の下の滝を撮
影しようと試みましたが暗すぎました。普通なら設定をいろいろ変えるのですがダイヤ
ルが暗くて何も見えないので困りました。適当に廻してシャッター音で推測するだけに
なってしまい今回は大失敗となってしまいました。次回チャンスがあれば三脚を用意し
スローシャッターに習熟しておきましょう。ホテルに戻ったのは0時過ぎになっていま
した。
- 15 -
【第10日目はイグアスからブエノスアイレスからNYから成田へ】
早朝の滝を部屋から写せたのは大満足
です。誰もが同じアングルで撮った写真
は新鮮味がないと思ったのですが出来映
えは如何でしょうか?メインイベント終
了でなにか虚脱感もあります。あとは戻
るだけになってしまいました。
朝食後はプエルト・イグアスの町外れにある三国間国境を訪れま
す。イグアス川とパラナ川がT字に交差する地点で、パラグアイと
ブラジルとアルゼンチンが交わるのです。ただそれだけですが観光地
にしようとポールを建て道路を舗装し土産物店を出しているように思
えました。
アルゼンチン航空は欠航や遅延があって良い思い出はなかったので
すが、帰りの11時45分離陸の便は嬉しいプレゼントをくれました。
着陸時にかすか右前方に見えた水煙が離陸時に同じ右側の窓から見え
るとは思いませんでした。離陸後なにやらぐるーーと旋回してくれて
いるようで思わず窓をみればサヨナラしたイグ
アスの滝の全景が見えてきたではありません
か!これは翼に邪魔されない右側の座席の人が
味わった絶景です。急いでコンパクトデジカメ
を取り出し最後の撮影をさせて頂きました。ラ
ッキーです。座席17Dでしたが周囲の人から
もお礼の拍手が機長に贈られました。機長も扉
を開けて答えていたのは南米流?すでに寝込ん
でいた人もいたようで申し訳ないですよ。
イグアスの滝の全景
着陸したのは国内線専用の街中にある飛行場。ここは高層ビルの谷間に着陸するので
ちょっと怖いですが他の交通との接続は優れもの。倉庫街に開けたプエルト・マデーロ
地区のレストラン「ソレント」で最後の食事会となりました。帰国して振り返ると、I
OC総会の会場のすぐ近くにあり、ここでロビー活動している様子が写されていたり、
猪瀬知事が周辺をランニングしていたりと見覚えのある光景が何度も写されていました。
しかし、当時のここでの記憶は時間調整のために運河周辺を散歩しようにも寒い寒いと
言ってレストランに戻ったことしか覚えていません。毛皮のコートの人が多いのに自分
たちは亜熱帯から戻ったばかりですから、、、
- 16 -
17時15分に空港に着きアメリカへの出国手続きを行います。しかし、英語でペラ
ペラと誰が荷造りしたかとか普段聞かない質問をされるので困りました。紙に書いても
らってようやく納得。荷物チェック手続き完了の紙を渡されたり普段とは異なることが
たくさんありました。アメリカ入国は実に面倒です。20時発のUA846便座席3L
で無事にニューヨークに飛び立つことが出来ました。予定では約11時間10分かかり
ます。つまり翌日の朝ニューヨークの空港に着陸しました。またしても入国と出国を繰
り返しますが出国は意外に簡単であとは乗り継ぎ便が出るまで空港のラウンジで待機す
るだけ。残ったドルを使用すべく孫どもへの土産を購入し11時05分発UA79便座
席1Lで成田へ向かいます。離陸後右手に自由の女神像やマンハッタン島の摩天楼がみ
えたので、空港はニューアーク・リバティー国際空港じゃないかとあとで知った次第。
ラブラドル半島の湖沼
北極海の上空から望遠で
真昼の晴天時の運行なのでアメリカ大陸が眼下に見えると期待したのですが、機首は北
へ向かったままです。カナダのラブラドル半島を通過した際は無数の湖沼が見えたり、
北極海では雲の切れ間から氷の塊が見えたのはおまけの絶景でした。樺太方面から南下
して成田国際空港に14時頃無事に到着しました。飛行時間は約14時間です。日付変
更線をまたいだので足かけ3日かけてアルゼンチンから戻りました。最後の飛行機が今
回の旅行で乗った10機目になるとは今までに経験のない旅でした。
今回は南米の有名な世界遺産を訪ねましたが、自分なりの感動度はイグアスが最高点
で思い出の60%を占めますが、マチュピチュは35%でナスカ地上絵が5%くらいに
なってしまいます。でも一度は訪れておかないとわからないことが多いのが旅ですから!
2013.9月
東京オリンピック・パラリンピック誘致のニュースを毎日見ながら記す
- 17 -
南米への旅
-マチュピチュ、ナスカの地上絵、イグアスの滝の3大絶景を訪ねる旅-
2013.8.13-24
- 18 -
Fly UP