...

第2章 我孫子市の環境特性(PDF:1203KB)

by user

on
Category: Documents
17

views

Report

Comments

Transcript

第2章 我孫子市の環境特性(PDF:1203KB)
第2章
我孫子市の環境特性
(1)我孫子の地形の変遷
かつては入り江だった利根川と手賀沼
かとりのうみ
●今から約
年前、関東平野には香取海が深く入り込み、我孫子はその入り江であ
い ぬま
て が う ら
る藺沼と手下浦に囲まれていました。
●その後、江戸時代の初期に、江戸へ流れ込んでいた利根川は銚子に向かって新しい
流れに変えられ、現在の利根川の原型ができました。その頃から昭和初期までは、
利根川は大きく蛇行しており、その氾濫原には幾つもの沼地(湿地)や池がありま
した。
●現在では、堤防が整備されたため、かつての利根川の跡が古利根沼や梶池などの幾
つかの池沼として残っています。また、大きな湿地であった北新田付近は調節池と
して指定され、その後水田として整備されてきました。
●一方、手賀沼は江戸時代初期に始まった干拓によりその面積を狭め、
年(昭和
年)に決定され
年(昭和 年)に完成した干拓事業で現在の大きさになりました。
約
年前
年(昭和
年(明治
年)頃
年)頃
年(平成 年)頃
地形(利根川・手賀沼)の変遷
第2部 我孫子市の環境の現況
一部に残っている我孫子の地形
(崖線・谷津)
●我孫子は気候帯として暖温帯で、植生は常緑広葉樹林帯(照葉樹林帯)のほぼ北限
域にあたり、縄文時代の遺構の解析から、当時の北総地域の人口は、日本では最も
高密度な状態であったと推定され、当時、世界的にも日本ほど高密度の人口のとこ
ろはなかったといわれています。このため、北総地域の自然は世界でも最も恵まれ
た地域であったと推察されています(*注)。
●人間生活にこの上ない恵まれた自然環境の地のもとで、今から約2千年前の弥生時
代は、ほぼ現在に近い気候や地形になり、稲作が始まり、人々の暮らしは、谷津や
平地に広がり、低地は稲作、台地上はムギやアワ、ヒエの畑作、斜面などに二次林
や植林を仕立てていました。基本的にこの土地利用は弥生時代以降、古墳、古代、
中世、近世をへて現代の昭和 年代まで、約2千年におよぶ長い間保たれてきまし
た。
このように、台地へ谷津が深く入り組むような複雑で多様な地形に寄り添いながら、
人々がくらしを営んできました。
●しかし、昭和 年代頃まで残っていた林、湧き水、水田、水路、湿地が連続した複
雑な地形は、戦後の都市化により、崖線は削られ、谷津は埋め立てられて住宅地へ
と変貌しました。
●しかし、まちを丁寧に眺めると、分断されてはいますが崖線や谷津は残り、現在で
も我孫子の地形の姿を留めています。
<地形と緑の変遷>
昭和
~
年代
利根川
水田
畑
屋敷林・社寺林
水田
畑
水田
屋敷林・社寺林
水田
手賀沼
現 在
利根川
水田
畑が点在
屋敷林・社寺林
宅地内の緑・社寺林
水田
水田
手賀沼
注)太線は崖線及び斜面林を示す。波線は失われた崖線を示す。
(*注)我孫子市鳥などの自然環境調査手法研究会報告書(
水田
年、中村俊彦)より
(2)水系と湧き水
2つの大きな水系にはさまれた我孫子
●我孫子市は、北側の利根川、南側の手賀沼
(手賀川)
と2つの大きな水系にはさまれた
まちです。
●市街地の南北に広がる低地には、北新田の3号排水路・4号排水路、利根川沿いの
湖北・布佐地区の我湖排水路・布湖排水路、手賀沼干拓地の低地排水路などの水路
が張り巡らされています。
かつては無数に見られた湧き水
●かつて湧き水は、台地と低地の境付近で無数に見られ、我孫子の地形を連想させる
とともに、この湧き水が手賀沼の底から湧き出すことにより、きれいな手賀沼を作
り出していました。
●しかし、都市化により斜面林や田畑が住宅地へと変わり、地表は建物やアスファル
トで覆われてしまったため、現在、湧き水は十数カ所で確認されるのみとなってし
まいました。
水系の状況と湧き水の分布
(3)緑の分布
宅地に変わった台地上の緑
●明治初期、
台地上のほとんどは樹林地や畑で覆われていましたが、
昭和 年代には、
ま
とまった緑は失われ、
わずかに斜面林が分布する程度になりました。
また、市街地内に
ある畑の減少も著しく、
宅地化しています。
第2部 我孫子市の環境の現況
●国道 号
(成田街道)
沿いや久寺家などの昔からの街道沿いの集落や、
白山、
緑などの
比較的古い住宅地には、比較的多くの屋敷林が残っていますが、
宅地の分割化などに
より減少傾向にあり、
その連続した緑の街並みが失われつつあります。
荒廃する雑木林
●かつて我孫子の斜面林や台地上に分布している林では、
人と自然がお互いを活かしあ
って共存するという関係が成立しており、また、
無駄なものは一切出ないという生産
と消費のサイクルが成立していました。
●しかしながら、
化石燃料や化学肥料の台頭により、人々のくらしは大きく変化し、
これ
らの雑木林は放置されました。
さらに、
化学製品が流通したことにより、
竹の利用価値
が薄れ、
竹林が管理されなくなった結果、
雑木林にその勢力を拡大し、
今やこれらの樹
木を駆逐しつつあります。
公園、
街路樹が整備されている住宅街
●比較的新しく整備された天王台、
湖北台や布佐平和台などには小規模ながらまとまり
のある公園が位置しています。
また、
つくし野・青山台・柴崎台・天王台・湖北台・布佐平
和台などでは、
緑豊かな街路樹がみられます。
意外に少ない我孫子の緑
●我孫子市の緑被率(*注)は、市域全体面積の %を占めており、緑の多い都市といえ
そうですが、低地部の水田が大きく占めており、樹林地に限ってみると市域の %
に過ぎず、
緑は決して多くはありません。
●特に市街化区域における緑被率は、千葉県東葛飾地域の平均を大きく下回っています。
緑被率の現況
市街化区域面積に 市街化調整区域面積に 全市の面積に
占める割合 占める割合 占める割合 我孫子市 樹林地
農地
草地
8.5%
5.8%
6.8%
1.1%
49.2%
31.8%
4.2%
10.8%
8.4%
計
13.8%
65.8%
47.0%
東葛飾地域平均
26.4%
65.8%
50.6%
出典:「千葉県みどりの現況調査報告書」(
(*注)樹林地、農耕地、草地などの緑に覆われている場所の面積の占める割合。
年 月)
(4)生物の生息状況
水生植物や湿地の植物が豊富な我孫子
●我孫子は手賀沼と利根川の2つの大きな水系に囲まれているため、全国的に見ても
水生植物や湿地の植物が豊かな地域です。
●特に手賀沼は、水生植物の宝庫として多種多様な植物が繁茂し、それらの水草は、
鳥類の餌、魚類の産卵場、農地の肥料として重要な役割を果たしていました。
●しかし、昭和 年代から進行した水質悪化等の影響により、ヨシ、マコモ、ガマな
どが湖岸で見られるだけという状況となってしまいました。
●ところが、近年、ガシャモク(*注 )等の一時は姿を消した水生植物が確認され、手
賀沼のもつ潜在的な自然の豊かさが改めて認識されました。
●また、手賀沼沿いの南向き斜面は、湧き水により適度に湿度が保たれるため、暖温
帯性の植物(*注 )の北限地として、その植生が残っており、このような斜面林や谷
津田、古い社寺林などは、市街地の近くにある貴重な自然といえます。
生息環境を奪われた我孫子の鳥類
●手賀沼や周辺の水田に飛来していたマガン、ヒシクイなどは、水質汚濁、水生植物
の減少、水田の埋立・造成による環境悪化が要因となり、
年(昭和 年)以降
姿を見せなくなりました。また、明治時代にはトキやコウノトリも見られたようで
す。
●手賀沼の水草や貝類が豊富であった頃は、潜水して餌を採るタイプであるキンクロ
ハジロなどのカモが多く飛来していましたが、水質汚濁によって透明度(*注 )が低
下し、水草が絶滅したため、逆に水質汚濁の進んだ浮遊物質(*注 )の多い沼を好み、
水面で餌を採るタイプであるハシビロガモが増加しています。
●手賀沼で見られた鳥類は、昭和初期には5~6万羽も飛来していましたが、昭和
年代には2万羽、現在は4千羽と年々減少しています。
●しかし、水辺、樹林地、市街地など様々な環境が分布する我孫子市では、それぞれ
の環境に特徴的な鳥類が生息しています。
●水田や湿地環境が多くを占める手賀沼(手賀川)沿いの水田、利根川河川敷では、
サギ、カモ、チドリ、シギ科の鳥類が多く見られ、樹林地が多くを占める五本松~
岡発戸市民の森では、コゲラ、トラツグミなどが、住宅地が多くを占める本町~寿、
湖北台、布佐では、スズメ、ムクドリ、ツバメなどが多く見られます。
(*注 )本州(利根川水系の湖沼と琵琶湖内湖)と九州北部に希に生育する沈水植物。かつて手賀沼では緑肥に利用されるほど多
産したというが、水質汚濁の進行でほとんど姿を消し、現在では1~2ヶ所にしか残存しない絶滅危惧種である。
(*注 )シイ、タブ、常緑広葉樹林を主体とした樹林。
(*注 )湖や海の透明さをあらわす値。直径約
の白色円盤などを水中に沈めて、見えなくなる深さで示す。
(*注 )水中に懸濁している2
以下1μ 以上の小粒状物をいう。水の濁りの原因となり、その値が大きくなると魚類に対する
影響が現れる。
第2部 我孫子市の環境の現況
●なお、近年では猛禽類のオオタカ、サシバやツミの姿が確認されています。
水辺と樹林地が隣接した環境に生息するカエルたち
●手賀沼周辺では、ニホンアカガエル、アズマヒキガエル、シュレーゲルアオガエル、
トウキョウダルマガエル、アマガエル、ウシガエルの6種類のカエルが確認されて
います。ウシガエル以外は、産卵場所の減少や水質の悪化により減少しています。
●ニホンアカガエルは、谷津田の湧水のある場所で産卵しますが、谷津田の埋立や荒
廃、湧水の枯渇などにより、その産卵環境が減少しています。
●トウキョウダルマガエルは、繁殖力の強いウシガエルに生息環境を奪われつつある
のが現状です。
●アズマヒキガエルは、普段は林の中で過ごし、繁殖期には沼などでカエル合戦(*注)
を行うという習性を持っており、生息環境として水域と樹林地が隣接している必要
があります。また、シュレーゲルアオガエルも、夏には林の中に移動し、産卵期に
は水田の畦に産卵するため、水田と樹林地が隣接している環境に生息しています。
●また、ヘビ類では、手賀沼周辺にヤマカガシ、アオダイショウが多く、シマヘビ、
マムシ、ヒバカリは稀にしか見られません。トカゲ類では、トカゲとカナヘビが生
息していますが、トカゲは少なく、カナヘビの方が多く生息しているようです。
手賀沼における両生類・爬虫類の生態分布モデル
出典:「手賀沼の生態学」
(
(*注)アズマヒキガエルの繁殖期の性比は著しく不均衡で、雄は雌の
よばれる壮絶な雌の奪い合いが展開される。
年、浅間茂)
倍の数になる。このため、
“カエル合戦(ガマ合戦)
”と
多様な環境に生息する我孫子の昆虫
●我孫子市の調査で最も多くの昆虫類が確認されたのは、古利根沼周辺ですが、これ
は水域環境や樹林環境、その周辺の水田・畑環境など、多様な環境それぞれに生息
する昆虫類が確認されたためと考えられます。
●一方で、人為的な影響を受けている市街地内の公園、畑地、水田では、確認種数が
少なく、また、社寺林や孤立した環境を有する小規模な樹林地でも、そのような傾
向がみられます。
●ヘイケボタル(*注 )は、主に止水性(*注 )の水田や用水路を主な生息環境としてお
り、近年、水質の悪化、宅地化、農薬の流入によりその姿を徐々に消していますが、
根戸新田、高野山新田、都部付近の湧水地周辺では確認されています。その他にヘ
イケボタルが確認された地点は、農薬の使用量が減少したり、直接的に農薬の影響
を受けない水域が維持されている場所となっています。
●
年(昭和 年)前後には、手賀沼周辺で 種以上のチョウがみられましたが、
現在ではギンイチモンジセセリ、ジャコウアゲハ、ミヤマセセリなどのチョウは個
体数が減少傾向にあります。
●同じようにトンボ類も減少傾向にあり、 年
(昭和 年)
頃には 種のトンボ類が報
告されていますが、 年度
(平成3年度)の調査では 種確認されただけとなりまし
た。特に、
トンボ類は幼虫期を水中で過ごすので、水域の埋立や水質悪化が減少の原
因だと考えられます。
●アカマツ林に生息することが知られているハルゼミは、昭和 ~ 年代のマツ枯れ
やアカマツ林の荒廃などにより、我孫子市内では姿を見かけたり、鳴き声を聞くこ
とができなくなりました。
限られた種類しかいない魚類・底生動物
●「我孫子市自然環境調査 水生生物調査報告書」
(
年 月、我孫子市)によると、
我孫子市ではタイリクバラタナゴを除くタナゴ類、ワカサギ、チョウセンブナ、ギ
バチなどは現在絶滅したものと考えられます。
●タナゴ類は、
普通、
貝類に産卵しますが、水質汚濁やこれに伴う貝類の減少のため、
タ
ナゴ類は減少し、特にゼニタナゴは水質汚濁に弱く、繁殖力の強いタイリクバラタナ
ゴに生息域を追われ、
姿を見せなくなりなした。
また、そのタイリクバラタナゴも産卵
に利用するイシガイ類が水質汚濁により減少したため、
姿を消しつつあります。
●底生動物については、手賀沼、古利根沼や排水路とも、イトミミズとユスリカがほ
とんどを占めているような状況です。
(*注 )我が国で普通に親しまれてきたホタルで、幼虫期にゲンジボタルは流水性、ヘイケボタルは止水性の水中で生活する。今
日、農薬の使用、土地改良事業、水質汚濁などによって生息地が減少傾向にある。(
のためのエコアップ」
、杉山恵一・進士五十八編「自然環境の復元技術」
)
(*注 )止まって流れない水の状態。
年、森清和 「ホタル文化復活
第2部 我孫子市の環境の現況
(5)生活環境の状況
年々増加する苦情
●公害苦情件数は、年々増加傾向にあり、特に野焼きなどの大気汚染に対する苦情が
多くなっています。これは、近年ダイオキシン類などに対する関心の高まりが一つ
の要因であると考えられます。
●大気汚染に関する苦情の他は、騒音、悪臭、振動に関する苦情が多くなっています。
(件)
その他
悪臭
土壌汚染
地盤沈下
公
害
苦
情
件
数
振動
騒音
水質汚濁
大気汚染
公害苦情相談実績の変化
出典:公害苦情相談実績(
年度~
年度)手賀沼課調べ
大気汚染の状況
●我孫子市においては、工場・事業場などで発生源として規模の大きなものはないも
のの、国道6号や国道 号などの幹線道路における自動車交通が多いことから、こ
れらに起因する大気汚染が問題となっています。
●なお、柏市、松戸市、印西市などの周辺地域と比較すると、我孫子市では二酸化窒
素濃度はやや低くなっているものの、浮遊粒子状物質(*注 )濃度ではほぼ同レベル
となっており、また、
年度(平成 年度)及び
年度(平成 年度)の光化学
オキシダント(*注 )の環境基準超過時間数については、柏市、松戸市及び印西市と
比較してかなり多い時間数を記録しています。
(*注 )燃焼によって発生する“すす”などの「ばいじん」や粉砕等により発生する「ふんじん」などの大気中に浮遊する「浮遊
ふんじん」のうち、粒径が
μ 以下のものをいう。
(*注 )光化学反応によってつくられるオゾン、パーオキシアセチルナイトレート(
)等の酸化性物質の総称。
水質の状況
●我孫子市における主な水域は、利根川、手賀沼、古利根沼とこれらの水域に流れ込
む排水路から構成されています。
●利根川の水質調査地点として、我孫子市では大利根橋と栄橋の2地点があります。
この2地点における河川の汚濁指標である生物化学的酸素要求量(BOD)
(*注 )の
測定結果によると、
年度(平成 年度)
、大利根橋で
、栄橋で
と環境基準(*注 )を達成しており、比較的良好な水質を維持しているといえます。
●全国で最も汚れた湖沼である手賀沼の水質は、依然として高い化学的酸素要求量
(COD)
(*注 )を示しています。
●さらに、この手賀沼だけでなく、古利根沼においても我湖排水路などからの汚濁水
の流入により、水質汚濁の進行が懸念されています。
●また、近年、有機塩素系化合物などによる地下水汚染も問題となっています。
騒音・振動の状況
●騒音・振動は、日常生活に最も密接した公害といえ、その発生源は工場、事業場、
建設作業や自動車などの交通機関によるものなど、多種多様です。
●我孫子市での
年度(平成 年度)の環境騒音の測定結果によると、一般地域では
環境基準を満たしていますが、騒音に関する公害苦情件数は毎年多く発生しており、
最近では特にクーラーや音響機器の音が、生活近隣騒音として問題となっています。
また、道路に面する地域については環境基準値を超過している地点があり、特に国
道6号、県道船橋我孫子線や都市計画道路 ・ ・ 号に面する地域では高い値を示し
ています。
●振動については、道路交通騒音と同時に道路交通振動の調査を実施していますが、
我孫子市の主要幹線である国道6号、 号、県道船橋我孫子線、都市計画道路 ・ ・
号の4路線とも全ての時間帯で要請限度値(*注 )を下回っており、おおむね良好
な状態が維持されているものと考えられます。
(*注 )河川水や排出水、下水等の汚濁の程度を示す指標。水中の有機物質が微生物によって酸化分解されるときに消費される酸
素の量をいい、値が大きいほど水中の汚濁物質が多く、水質が汚れていることを意味する。
(*注 )環境基本法により、
「大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染および騒音に係わる環境上の条件について、それぞれ、人の健
康を保護し、及び生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準」として規定されている。
(*注 )閉鎖性水域の水の汚濁度を示す指標。水中の有機物等の汚濁物質が化学的に酸化されるとき消費される酸素量をいい、値
が大きいほど有機物等が多量に含まれていることを示す。
(*注 )
「振動規制法」に定められた道路交通振動の限度値。要請限度を超え、これに加えて苦情が発生した場合道路管理者に対し
て、振動防止のための道路構造の改善などの措置をとるように要請したり、都道府県公安委員会に対し道路交通法の規定
による措置もとるように要請することができる。
第2部 我孫子市の環境の現況
(6)手賀沼
手賀沼の概要
面 積
(本手賀沼約
)
周 囲
距 離
本手賀沼=縦断距離約
、横断最大距離約
南部手賀沼=縦断距離約
、横断最大距離
標 高
水 深
水 量
平均
、最大
万m
水 位
~
・
での設定
年(昭和 年) 号台風での若松地区の浸水のため設定
されたが、計画水位は本手賀沼
、手賀川
・なお、水位の管理は ~ 月は手賀沼土地改良区で、それ以外
は国土交通省(旧建設省)利根川下流工事事務所
流域面積と
水 田;
(
%)
土地利用状況
畑 ;
(
%)
市街地等;
(
%)
山 林;
(
%)
合 計;
主な河川
流域人口
流域市町村
大津川、大堀川、金山落、染井入落、亀成川
人〈
年(平成 年) 月末現在〉
松戸市、柏市、流山市、我孫子市、鎌ヶ谷市、印西市 沼南町、白
井町、本埜村( 市 町 村)
農業用水
漁獲高
m /年〈
t/年〈
年度(平成 年度)
〉
年度(平成 年度)
〉
手賀沼の歴史
●縄文時代の海進期(*注 )には、現在の霞ヶ浦、利根川、印旛沼、手賀沼を含めた一
かとりのうみ
帯は、太平洋の海水が入り込む香取海と呼ばれ、深く入り組んだ入り江でした。
●江戸時代の初期の
年から
年までの 年間に、現在の東京湾に注いでいた利
根川を渡良瀬川と一本化し、香取海に付け替えた(いわゆる「利根川の東遷(*注 )」
)
ため、この利根川が運んでくる土砂が堆積していきました。
●また、洪水の際に、利根川の土砂が木下付近で手賀沼に向かって堆積し、さらに地
盤がわずかずつ上昇していったことにより、手賀沼の沼化が進んでいきました。
●その後、江戸時代初期に、江戸の商人海野屋作兵衛が干拓事業にあたり、約 年間
で
弱の新田を開発したものの、その後の度重なる洪水によって壊滅してしまい
ました。
年、幕府は高田茂右衛門に命じて、再び手賀沼の干拓に着手しました
が、これも洪水により壊滅してしまいました。その後たびたび埋め立てを行い、新
田開発が計画されましが、成功しませんでした。
●干拓が成功したのは戦後になってからで、食糧増産の急務が叫ばれたのを契機に、
年(昭和 年)に国営印旛手賀沼干拓建設事業が着工され、
年(昭和 年)
に完成しました。干拓地は2つに分かれ、第一干拓地は沼南町布瀬の東
、第
二干拓地は我孫子市都部新田以東の
で、計
でした。第一干拓地には
「職と食」を解決するため 戸が入植し、第二干拓地では、零細農家の増反として
戸に分配されました。
●この結果、水田開発による農業の振興は図れましたが、手賀沼での漁業は、この頃
から著しい進行をみせた水質汚濁と相まって、漁獲高は減少していくこととなりま
した。
●また、この干拓と同時に、手賀沼と利根川の合流部地先に手賀排水機場が新設され、
利根川の水位に左右されることなく、沼の水を排水できるようになり、水害の心配
はなくなりましたが、利根川から手賀沼への魚の遡上は妨げられることとなりまし
た。
(*注 )今から1万年前頃に氷河期が終わり、
~
年前をピークとする海面上昇を縄文海進期とよんでいる。
-
年)から寛永・承応年
間(
-
年)にかけて、関宿地先から常陸川(広河)に流入する瀬替え工事を施工した。この約 年間にわたる利
根川の流路改修を呼ぶ。
(鈴木久仁直著「利根の変遷と水郷の人々」崙書房
)
(*注 )江戸幕府の成立前後から始まり、大規模工事は関東代官伊奈半十郎忠治が、元和年間(
第2部 我孫子市の環境の現況
手賀沼の水質汚濁
水質汚濁の状況
●手賀沼のCODは、環境庁の公表で全国ワーストワンを
年度(昭和 年度)か
ら
年度(平成 年度)の連続 年も記録しているような状況です。
●手賀沼の水質汚濁の大きな原因として、流域人口の増大や開発に伴って生活排水や
産業排水が大量に流入してきたことが挙げられます。手賀沼の主要な流入河川であ
る大堀川、大津川では水質汚濁が進行しており、特に昭和 年代後半の大堀川では
BOD
を超えているような状況でした。近年では、やや改善傾向にあります
が、
年度(平成 年度)調査でのBOD値は、大堀川の北柏橋で
、大津
川の上沼橋で
と依然として高い濃度で推移しています。
●一方で、これらの排水に含まれる窒素やリンの大量流入により、沼が富栄養化し、
植物プランクトンが異常発生する、いわゆるアオコ(*注 )の問題も大きくクローズ
アップされており、二次汚濁(*注 )の進行、悪臭の発生、魚類や水生生物への影響
を引き起こしています。
●特に、冬季に水質が悪化している傾向がみられますが、冬季は降雨量が少なく、流
入河川の水量に対して生活排水の占める割合が高くなるためと考えられます。
水質改善への取組
●手賀沼の水質浄化は、その汚濁原因の %前後が流域からの生活排水であることか
ら、国、県、流域市町及び流域住民の協力が不可欠です。
●現在、国、県をはじめ流域の6市2町が一体となって各種の施策を推進し、市民の
協力を得ながら浄化対策に取り組んでいる状況です。
(
L)
C
O
D
根戸下
手賀沼中央
年度
手賀沼COD年平均値の経年変化
(*注 )富栄養化した湖沼等で大量発生する植物プランクトン
(主に藍藻類)によって、水面に緑色の粉をまいたようになる現象を
いう。
(*注 )沼内の植物プランクトンが光合成により同化して生成する有機物のこと。内部生産ともいう。
手賀沼と生業
農業
●沼の水面は水田よりも低かったため、ポンプ等の無かった時代には、フンヌキ(ほ
んぬき)と呼ばれる農業用の井戸を利用していました。水田の端に井戸を掘り、通
水管はフシを抜いたマダケをつないだもので、 ~
ほどの水柱が年中自噴して
いました。
●ところが、手賀沼周辺に宅地や工業団地が広がり、上水や工業用水として大量に地
下水を汲み上げ、地下水位が低下したため、
年(昭和 年)頃には、水の出る
井戸はほとんどなくなってしまいました。
(*注 )
●昔は関東地方では、農地の肥料とするため雑木林の落葉などを利用していましたが
(*注 )
、手賀沼では水草(ガシャモク等)を肥料として利用する「モクとり」が盛ん
でした。このモクとりは、サッパ舟(*注 )に乗り、長い竹の柄の先に、鉄のツメを
つけた道具を使って行っていました。
●人間が排出した汚濁物質は手賀沼に流れ込み、これを水草が浄化(吸収)し、この
水草(モク)は、人間の手でモクとりによって田畑の肥料となり、この肥料で育っ
た作物を人間が摂取する、といった物質循環が成立していました。
水鳥狩猟
●手賀沼は古くから水鳥の猟場として知られています。特に、布瀬村(現在の沼南町)
を中心として、狩猟公会(組合のようなもの)をつくり、ここで発祥した流しモチ
縄猟などの共同狩猟を行っていました。
●明治に入って狩猟が一時期禁止され、
年(明治 年)には農林大臣の許可を受
け、再び狩猟が行われることとなりましたが、昭和に入ると、食糧増産のための水
田開発が進み、布瀬村に面する下沼から干拓されて水田に変わっていったため、猟
場は失われてしまいました。
漁業
●かつての手賀沼は、多くの魚類が生息し、漁業が盛んでした。江戸時代には、手賀
沼のウナギは「あお」や「黒」と呼ばれ、非常に高値で取り引きされたといわれて
います。
●干拓事業が終了した
年(昭和 年)前後から、漁獲量は上昇し、ピークの
年(昭和 年)には tを記録しました。その後、水質汚濁の進行に伴い、
年
(昭和 年)以降は
t前後の漁獲量で推移しています。さらに、
~
年
(平成 ~ 年)には、 ~ tに減少しています。
(*注 )
「手賀沼
話」
(
年、相原正義)
より
(*注 )
「むらの自然をいかす」
(守山弘)によると、江戸時代初期では肥料のために農地と同面積の二次林、採草地が必要といわ
れている
(*注 )長さ
ていた。
、幅
ほどで舟底は浅く、平らに作られている。漁、藻取り、刈り取った稲運び、渡船場の渡しなどに使われ
第2部 我孫子市の環境の現況
手賀沼と文化人
●大正期には、手賀沼のすばらしい景観や自然に魅せられて、白樺派の中心メンバー
など、多くの文化人が手賀沼湖畔に住まいを構え、活動を展開していました。
●特に白樺派の柳宗悦(*注 )、志賀直哉(*注 )、武者小路実篤(*注 )、バーナード・リ
ーチ(*注 )の4人は手賀沼のほとりに住み、親交を深めていきました。柳は「我孫
子から」という随筆の中で、
「静かな音もない沼の景色は自分の心をはぐくんでくれ
た。沼の上に永く降り続く雨も時としては自然の美しい、なくてはならぬ階調に思
えた。月の沼も又となく美しい。私は床に就く時間を幾度か延ばした。夕方、日が
沈みかけて、空が紅の色に染まる頃、沼越しに富士山を幾度見たか分からない。
」と
書いていることから、手賀沼の景色が心を癒し、やすらぎを与え、新たな創作意欲
をかき立てたことが想像できます。
●志賀直哉は、
年(大正 年)に手賀沼のほとりの弁天山に住まいを構え、その作
品には手賀沼や我孫子の情景を描いたものが多くあります。小説「和解」の中でも、
手賀沼で天然氷が作られていたことや手賀沼に渡し舟があったことが描かれていま
す。
●中勘助は、小説家であり、我孫子には
年(大正 年)から
年(大正 年)ま
で住んでいました。
「沼のほとり」
「提婆達多」等の作品を書いています。
●滝井孝作は、志賀直哉の勧めで
年(大正 年)に我孫子に移り住みました。我
孫子では創作に専念し、長編「無限抱擁」を完成させ、翌年の春に我孫子を去りま
した。
●杉村楚人冠(*注 )は、
年(大正 年)に手賀沼のほとりに転居し、以後亡くな
るまで我孫子に住みました。晩年には、我孫子の若者や有志を集め、古文を教えた
り、俳句の作り方を指導したりして湖畔吟社をつくるなど、地元の文化を高めるの
に努めました。
●手賀沼の水生植物の研究は、湖北村出身の中野治房によって明治期に始まりました。
中野は手賀沼の水藻の研究で理学博士となり、戦前までは東京大学の教授を務め、
戦後は湖北村村長、湖北文化連盟会長として、郷土の文化向上に尽くしました。
(*注 )嘉納治五郎の甥で、
「白樺」の編集や文筆活動のほか、庶民的な民芸品の美しさを、広く世に知らせたことで有名である。
(*注 )我孫子に8年間在住した日本の代表的な作家で、作品に手賀沼や我孫子の情景を描いたものが多い。
(*注 )小説家、劇作家、雑誌「白樺」の同人で、自然主義の文学に対して、明るい理想主義をかかげて、文学に大きな影響を与
えた。代表作に「お目出たき人」
「その妹」
「幸福者」などがあり、画家としても活躍した。
年
(大正5年)に柳宗悦のすすめで我孫子に窯を築き、窯が焼失するまでの3年間、作陶に打ち込
んだ。
(*注 )新聞記者、随筆家として活躍し、日本の新聞の進歩に尽くした。石川啄木を世に出したことでも知られている。我孫子に
は、
年(大正 年)以降
年(昭和 年)に亡くなるまで在住した。
(*注 )イギリスの陶芸家。
手賀沼とレクリエーション
●干拓以前の手賀沼には、コイやフナの釣り場が至る所にあり、特に
年(昭和
年)には
万人の釣り客が来ていました。水質汚濁の影響もあり、
年(昭和
年)には激減し、利根川方面へと移動したといわれています。近年では、釣り客は
毎年 万人強で推移しています。
単位:千人
年
川釣り
年(S
年) 年(S
年)
ゴルフ
ハイキング
観光農園
-
-
年(H2年) -
年(H7年) -
年(H8年) -
年(H9年)
-
-
出典:「観光客入込調査概要」(千葉県)
我孫子市の主な観光レクリエーション客数
●手賀沼のほとりにある「鳥の博物館」の入館者数は、
~
年度(平成2~4
年度)頃まで 万人程度ありましたが、年々減少し、
年度(平成 年度)には
約4万人となっています。一方、
「水の館」については、年によって変動しますが毎
年 ~ 万人程度の人が訪れています。
(千人)
鳥の博物館
水の館
入
館
者
数
年度
「鳥の博物館」
「水の館」入館者数の推移
出典:「鳥の博物館」「水の館」調べ
第2部 我孫子市の環境の現況
(7)利根川
利根川の歴史
●江戸時代初期の利根川東遷以来、利根川の歴史は洪水と舟運の歴史でもありました。
●明治 年代から大正時代初期までに堤防が整備され、直線的な川筋に改修されるま
では、たびたび氾濫し、洪水のたびに川筋が変わるようなあばれ川でした。特に布
佐は低地であるため、たびたび手賀沼の増水による洪水にみまわれ、
年(明治
3年)の利根川の洪水では堤防が切れて切所沼ができたように水害の常襲地帯でし
た。
●その後、昭和初期には柏と我孫子に広がる田中調節池と対岸の菅生調節池(*注 )が
指定され、越流堤(*注 )による流量調整が行われるようになり、戦後の緊急開拓事
業により水田が整備され、今では優良農地となっています。さらに、
年代から
利根川下流で大規模な浚渫(*注 )が行われました。
●また、首都圏の水資源開発のため
年(昭和 年)に利根大堰(埼玉県行田市)
、
年(昭和 年)に利根川河口堰(千葉県東庄町)
、その他上流に多くのダム群が
整備されたため、氾濫源として広がっていた湿地が失われ、河川敷に広がる多様な
自然環境が減少し、人々が近づきにくい水辺となっています。
●また、利根川は、明治時代までは江戸・東京を支える物流の中心として利根水運が
栄え、白帆がたなびく高瀬船(*注 )や外輪蒸気船が(*注 )毎日何百艘となく往来し
ていました。みちのくから江戸・東京に米や雑穀、塩干物、醤油、味噌などの物資
を運ぶ場合、館山沖を通るより銚子から利根川経由の方が距離が短く、安全なため
か し
でした。そのため、沿岸には河岸が発達し、木下(印西市)
、布川(利根町)
、布佐、
小堀(取手市)などが栄えました。
●しかし、鉄道や自動車交通に取って代わられ利根川の水運が終わると共に、利根川
との交流の歴史が忘れられようとしています。
(*注 )田中・菅生調節池は、
(*注
(*注
(*注
(*注
年度(大正 年度)より着工の鬼怒川改修工事において位置付けられ、各
、
積を有し、囲繞堤(堤防の一種)と数ヶ所の越流堤(堤防の一種)及び下流の排水門からなる調節池である。
)川の堤防を低くして、ある水位以上の洪水が川に隣接する調整池等に越流するようにした堤防のこと。
)川底や海底に堆積した砂や泥・ヘドロなどを機械的に掘り出して取り除く作業。
)各地の河川で広く用いられた輸送船で、浅瀬に強いように、へ先が高く上がり、底は平らになっている。
)外輪を取り付けた汽船。スクリューを用いる前の汽船は外輪蒸気船であった。
の面
利根川の生物
●魚類については小貝川合流点付近で、スギモロコ、オイカワが多く捕獲され、ヌマ
チチブなども確認されています。
●底生動物ではユスリカ、ユリミミズなどの流れのゆるやかな下流域に生息する種類
が多く出現しています。
●陸上昆虫類については、水際の湿地環境を反映し、オサムシ科、ハネカクシ科を含
むコウチュウ目が多く出現した他、草地環境を反映してメイガ科、明地性のヤガ科
を中心としたチョウ目、カメムシ目が多く出現しています。
●両生類では、小貝川合流点付近で、アマガエル、ウシガエルなどが、爬虫類ではカ
ナヘビが、哺乳類ではモグラやネズミ類、タヌキ・キツネが確認されています。
アマガエル
キツネ
●植物群落の分布状況では牧草地、芝地が最も大きく占めており、次いでセイタカア
ワダチソウやヨシ・オギ群落が占めています。
●鳥類では、小貝川合流点付近において、開けた環境となっているためか、スズメ、
ムクドリ、カシラダカ等が確認されています。また、左岸ではスズメ、ムクドリ、
カワラヒワの集団ねぐらが確認されています。
●河川敷などのヨシ原に生息しているオオヨシキリは、生息に適するヨシ原が減って
いるため、減少しつつあります。
出典:建設省河川局河川環境課監修、(財)リーバーフロント整備センター編集
平成 ~ 年度 河川水辺の国勢調査年鑑[河川版]山海堂
●また、北新田の越流堤付近には東西 m、幅 mの比較的大きなヨシ原が広がっ
ており、繁殖期にはオオヨシキリなどが採餌地や営巣地として利用し、越冬期には
オオジュリンなどが採餌地やねぐらとして利用しています。この北新田では、 種
もの鳥類が観察されています。
出典:時田賢一
我孫子市北新田の鳥相 我孫子市鳥の博物館研究報告
第2部 我孫子市の環境の現況
利根川の漁獲量
●利根川における漁獲量は年々減少しており、特に
年(平成 年)以降、それまで
t以上あった漁獲量が約 t前後にまで減少しています。これは、漁業を主と
した兼業漁家の数がこの年に激減したことが原因だと考えられます。
●魚種別に見ると、フナ・コイの割合が高く、漁獲量の約半分を占めています。また、
アユについては
年(昭和 年)頃まで年間
~
あった漁獲量が
年
(昭和 年)の
を最後に、以後漁獲されなくなりました。
(t)
ふな
こい
うなぎ
もつご
たなご
らいぎょ
手長えび
そうぎょ
漁
獲
量
れんぎょ
その他
利根川の漁獲量
出典:手賀沼漁業協同組合
(8)エネルギーの利用状況
年々増加する電気・ガス使用量
●我孫子市の電力使用量は、
年度(平成 年度)に約5億
でした。
(平成 年度)に使用量が減少した以外は年々増加しています。
●その電力使用量のうち、家庭用電力が約4割を占めています。
●我孫子市におけるガス消費量は、
年度(平成 年度)において約
万
っており、増加傾向にあります。
●そのガス消費量のうち、家庭用が約9割を占めています。
(百万
年度
とな
)
家庭用電力
業務用電力
工場等電力
その他電力
電
力
使
用
量
年度
電力使用量の経年変化
(百万
)
家庭用
商業用
その他
ガ
ス
消
費
量
年度
ガス消費量の経年変化
出典:「統計」
(我孫子市)
第2部 我孫子市の環境の現況
(9)物質循環の状況
増加傾向にある1人当たりの給水量
●我孫子市における年間給水量は増加の傾向を示していましたが、近年横ばい傾向です。
●我孫子市の上水道の主な水源は、江戸川及び地下水となっています。
(万
給水量
一人一日給水量 ( )
)
一
人
一
日
給
水
量
年
間
給
水
量
年度
給水量の経年変化
出典:「統計」
(我孫子市)
整備されつつある下水道
●我孫子市の「公共下水道」は、
年(昭和 年)の湖北台地区の汚水を湖北台下
水処理場で単独処理することに始まり、
年(昭和 年)から手賀沼流域下水道
事業の開始に併せ流域関連公共下水道事業の整備に着手し、
年度(昭和 年度)
から整備済み区域について逐次供用(*注)を開始しています。
●
年度(平成 年度)末では、市の計画処理面積(
)の約
%にあたる
について供用しており、処理人口
人(普及率
%)
、そのうち水洗化
人口
人(水洗化率
%)と年々増加しています。
●特に手賀沼流域では、処理人口
人(普及率
%)となっています。
我孫子市の下水道整備状況<自然流域別>(
区域
整備面積
行政人口
人
年度
(平成
処理人口
人
年度)末)
普及率
%
市全域
手賀沼流域
利根川流域
※普及率=処理人口/行政人口
(*注)下水管きょを敷設するとともに、水洗便所への改造を行い、排水が可能になること。
全国的に低いごみ排出量
●1人1日のごみ排出量については、我孫子市では g(
年度(平成 年度)
)
となっており、千葉県の g、全国の
g(
年度(平成8年度)
)と比較し
てかなり低い値となっています。
●
年度(平成 年度)における我孫子市全体のごみ排出量は
tであり、近年
は横ばい傾向で推移しています。
(g/日/人)
我孫子市
千葉県
一
人
一
日
ご
み
排
出
量
全国
年度
1人1日あたりのごみ排出量の経年変化
出典:「平成
年度 清掃事業概要」
(我孫子市)
「日本の廃棄物処理」(厚生省)
全国トップクラスの資源化率
●我孫子市では「我孫子式集団回収」を
年(昭和 年)から取り組んでいること
から資源化率(*注 )は
年度(平成 年度)において
%となっており、全国や
県平均と比べて、かなり高いレベルにあります。
●その他、焼却灰を溶融・スラグ化(*注 )し、土木資材やコンクリート製品の細骨材
として再利用を図ってきました。
(%)
資
源
化
率
我孫子市
千葉県
全国
年度
資源化率の経年変化
出典:「平成
年度 清掃事業概要」
(我孫子市)
「日本の廃棄物処理」(厚生省)
(*注 )再使用もしくは資源として再利用することになった資源量を総廃棄物量で割った割合。
(*注 )ごみを焼却した後に残る焼却灰を概ね
度以上の高温で溶かし、急速に冷やすことによって、灰を砂状にすること。こ
れによって、容積が ~ 程度に減るとともに、灰に含まれている重金属等が封じ込められ、無害化が図られる。また、
スラグをブロックや路盤材としての使用実用化が始められている。
第2部 我孫子市の環境の現況
ごみの大半を占める紙・布と生ごみ
●収集されたごみの内訳をみると、年によりばらつきはありますが、紙・布類が約
~ %、次いで厨芥類(生ごみ)が約 ~ %を占めています。
その他
不燃物類
厨芥類
木・竹・
わら類
ビニール類
紙・布
重
量
年度
ごみの種類別構成比
出典:「平成
年度 清掃事業概要」
(我孫子市)
(10)農業の現状と環境保全
水田の割合が非常に大きい我孫子
●我孫子市の耕地面積は、水田
、畑
、樹園地9 (
年(平成 年) 月
日現在)となっており、水田面積が %以上を占めています。
●近隣他市町と比較しても、その割合が高いことがわかります。
樹園地
畑
田
耕
地
面
積
割
合
千
葉
市
市
川
市
船
橋
市
松
戸
市
野
田
市
柏
市
流
山
市
八
千
代
市
我
孫
子
市
鎌
谷
市
関
宿
市
沼
南
市
近隣市町との耕地面積割合の比較
出典:「千葉県農業基本計画調査結果報告」
(千葉県)
兼業農家と農業従事者の高齢化
●我孫子市の農家 戸(
年(平成 年)現在)のうち、約 %にあたる 戸が
第2種兼業農家(農業以外の職業を主とする農家)となっています。
●また、それら農家の年齢構成をみると、成人では 歳以上が
人で約 %を占め、
さらに 歳以上が 人と最も多くなっており、高齢化が進みつつあります。
専業農家
第 種兼業
専・兼業別農家数
第2種兼業
~
歳
~
歳
~
歳
~
歳
~
歳
~
歳
歳以下
人口
(人)
農家戸数の内訳
農家の年齢
出典:「千葉県農業基本計画調査結果報告」
(千葉県)
第2部 我孫子市の環境の現況
無農薬栽培や直売などの新しい試み
●我孫子市の一部の水田では、無農薬米の栽培が行われています。
●市内には農産物の直売所が カ所あり、とれたての地元野菜、果物などが販売され
ています。
●このような環境保全型の農業や農家と消費者とを結びつける新たな試みにより、都
市近郊にある身近な緑としての農地が見直されつつあります。
出典:
年我孫子市農業青壮年会議作成
我孫子市農産物直売所マップ
(11)環境学習・環境活動の実施状況
様々な環境学習・環境活動が実施されている我孫子
●我孫子市内の小中学校では、校内の田畑での栽培活動、自然とのふれあいや手賀沼
の船上見学などの体験学習、自然散策を体験できる林間学校、クリーン活動を中心
としたボランティア活動など、様々な環境教育が実施されています。
●市内各小学校に共通の取り組みとして、一人一鉢栽培、サケの放流、手賀沼船上見
学が実施されています。
市内小・中学校における環境学習・環境活動
学校名
主な取り組み
我孫子一小
愛鳥モデル校として、校内環境を整備
我孫子二小
飼育活動での動物とのふれあい、実験田・畑
我孫子三小
児童会による資源回収
我孫子四小
四小動物園での飼育活動、苗を育て地域に配布
湖北小
バードカービング
布佐小
親子樹木調べ、ポイ捨て禁止の看板づくりと設置
湖北台西小
校内の畑での栽培活動
高野山小
アウトドアクラブ、魚の飼育
根戸小
自然観察クラブによる「つくし野の森」探検、足尾での植林
湖北台東小
クリーンセンター・終末処理場見学、房総の村見学
新木小
ハイブリッドバスによる湿原見学
並木小
畑・教材園での栽培活動
布佐南小
「地球にやさしい南っ子」をテーマにした南っ子祭り
我孫子中
園芸部中心に全校で取り組むグリーンアドベンチャーの設置、我中の森
(八ヶ岳)
湖北中
園芸委員会を中心として全校で取り組む栽培活動
布佐中
福祉委員会を中心とした草花の栽培
湖北台中
飼育・園芸委員会による活動、駅前の花壇づくり
久寺家中
栽培委員会を中心として全校で取り組む栽培活動
白山中
栽培委員会を中心として全校で取り組む栽培活動
第2部 我孫子市の環境の現況
市民団体による活発な環境保全活動
●我孫子市には、環境保全に取り組む市民団体がいくつもあり、さまざまな活動が展
開されています。
環境保全に取り組む主な市民団体等の状況
団 体 名
湖北座会
名
主な活動内容
・自治大学講座・創立記念講演会
・赤米・黒米作り
・鎌倉道、市民の森野草園の清掃
・民具・農具の資料館つくり 他
ふれあい手賀沼の会
名
・ぐるり手賀沼探検・近郊探訪
・手賀沼ふれあい清掃 ・
手賀沼 他
我孫子野鳥を守る会
名
・探鳥会
・野鳥等の調査と保護
・啓発活動 他
(社)我孫子青年会議所
名
・例会
・
手賀沼 他
我孫子の文化を守る会
名
・講演会
・史跡・文学散歩
・文化財保護のための活動 他
手賀沼漁業協同組合
名
・水環境の浄化保全
・魚類の種苗生産(*注)・卵放流
・外来魚の不法放流の監視 他
あびこガイドクラブ
名
・手賀沼・古利根沼の自然の解説
・中央公民館講座生の手賀沼船上ガイド 他
我孫子市消費者の会
名
・食・環境・高齢者問題等の講演会
・消費者の啓発 他
6市2町EMによる
手賀沼浄化連絡会
名
・有用微生物群を活用した水質浄化
・ 〃 〃に関する啓発活動 他
手賀沼にマシジミと
ガシャモクを復活させる会
名
・マシジミとガシャモクを手賀沼へ復活させる
ための施策の検討
・調査会・観察会・勉強会 他
名
・安心して食べられる食物の共同購入
・せっけんの推進
・環境ホルモンを出さない容器への切り替え
・ビンのリユース 他
NPOせっけんの街
名
・廃食用油からのせっけん作り
・せっけん学習会 他
古利根の自然を守る会
名
・古利根自然ウォッチング
・クリーン作戦 他
美しい手賀沼を愛する
市民の連合会
団体
生活クラブ生協
(我孫子支部)
エコピュアあびこ
会員数
(約 万名)
名
・手賀沼ふれ愛フェスタの共催
・各種紙誌の発行 他
・ボカシの配布
・生ごみのリサイクル 他
ら ん ち し
(*注)魚介類の卵稚仔や幼生、幼若個体を人工的に生産すること。
Fly UP