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厄介者の聖地巡礼者 - 東北学院大学情報処理センター
オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 厄介者の聖地巡礼者 2009 年 3 月 7 日(土)於東北歴史博物館 3 階講堂 櫻井康人(東北学院大学文学部) はじめに 一般的な聖地巡礼者のイメージ 1.研究史と問題の所在 (1)フランチェスコ会の史料作成の動機 『オスマン帝国のフェルマーン集』:オスマン帝国支配下で苦しんだフランチェスコ会 『聖地および東方のフランチェスコ会の史料集成』:フランチェスコ会の所有権 (2)聖地巡礼研究への影響 14 世紀から 16 世紀前半:聖地巡礼の「黄金期」 「黄金期」の終焉:オスマン帝国による聖地周辺域の支配・宗教改革の影響 ⇔果たしてそれだけか? (3)本報告の主目的 (i)聖地巡礼史研究の文脈 受け入れる側の史料から見たもう一つの聖地巡礼の諸相 (ii)「ヨーロピアン・グローバリゼーション」の文脈 フロンティアの一つである聖地周辺域社会の実態を「聖地巡礼」から考える 2.年代記史料についての補足説明 (1)ルーカス・ワッディング(1588-1657):1208 年~1447 年の記述、教皇庁から与えられ た諸特権の記録 (2)ピエトロ・ヴェルニエロ (?-1660):~1636 年までの記述、実務に関する記述、聖地管 区長パオロ・ダ・ローディーの命により作成 (3)フランチェスコ・ダ・セリーノ (1594-?):~1642 年までの記述、実務に関する記述、 聖地管区長アンドレス・ザノン・ダルコの命により作成 (4)ファン・デ・カラオーラ (?-1684):1679 年に作成、「フランチェスコ会士の迫害・実 務・抑圧・殉教の歴史」 (5)アンドレス・デ・モントーヤ(1674-1734)・フアン・デル・プエルト(? 1719-1722 に 聖地に滞在):カラホーラの継続版 ⇒本報告では、ヴェルニエロとセリーノの作品が中心 3.厄介者の聖地巡礼者たち (1)巡礼者の「減少」 (1)Navis peregrinorum(資料1):1632 年に管区長パオロ・ダ・ローディの命により作成、 1695 年までの聖地巡礼者の記録簿 (i)巡礼者の数:17 世紀の転換期前後に聖地巡礼者の数が増加、1626 年以降に減少、1660 年代から 1680 年代にかけて再び増加、1690 年代に入るとまた減少 -1- オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 (ii)「プロテスタント」の巡礼者数:17 世紀に出現、1650 年頃より増加、特にイング ランドからの巡礼者+その集団性 ⇒1626 年~1680 年代以に、聖地巡礼者の数は平均して年間 20~30 人 「プロテスタント」の増加=「カトリック」の減少 ←資料2:クレタ島を巡る戦争・神聖同盟:特にイタリア人巡礼者の減少 (2)フェルマーン(資料3) (i)ムスリムからの「嫌がらせ」:恒常的だが、巡礼者の減少とは直結せず cf.)1604 年、フランチェスコ会士 P.の教皇クレメンス 8 世宛て書簡: 「昔は多くのキリスト教徒たちが聖墳墓教会に赴いたが、今日巡礼者はやってこな い」 (ii)「お客さん」としての巡礼者:ワクフの一財源 →その数の減少は経済的にイスラーム社会にも影響 →歴代のスルタンによる対応策の必要 ただし、外交の制約:ex.)メフメト 3 世による 1599 年の勅令、1650 年代・1660 年代におけるオーストリアとイングランドとの外交関係 (2)フランチェスコ会士の年代記からの情報 (a)1490 年・1493 年の協約の教皇勅令化(1634 年) (1)1490 年、管区長バルトロメオ・ダ・ピアチェンツァの規程 decreto (i)序文:巡礼者や船長は修道院ではなく巡礼宿に泊まるべし、それに対しフランチェ スコ会は何ら義務を負わない、船に招かれたときのみ修道士は 5 ドゥカートを 支払うべし ←トルコ人からのスパイ隠匿の懐疑を受けるという危険性、財政的困難 (ii)条項 1.巡礼宿が満員でそこに宿泊できなくても、修道士を罵るべきではない。 2.巡礼団の中心人物 Padroni は、巡礼者たちを食堂に集めること(管理のため)。 3.巡礼宿には、常にムーア人・トルコ人がいて、金銭の要求・質問攻めなどの災難 に遭うことがあること(危険性の示唆)。 4.長年、トルコ人は巡礼宿の中に入ってこなかったが、今や押さえられない旨。 5.最近、トルコ人によりフランチェスコ会の食事係が撲殺された旨。 6.従って、フランチェスコ会士は大いに苦しみ、食事の準備ができない旨。 7.教会の維持で、修道士は多忙である旨。 8.巡礼者は以上のような状態に理解を示すべき旨(修道士と巡礼者の絆 il vincolo della charità が離れてしまわないように)。 (2)1492 年、同管区長による巡礼者と船長のシオン山修道院への宿泊を禁止する命令 ←修道院が狭くなる、うるさくなる、彼らが食事をよく食べる (3)1493 年 7 月 12 日、ヴェネツィアのドージェ、アゴスティーノ・バルバリーゴの条約 (4)ヴェルニエロの記述:「それにも関わらず、それ以降しばらくは巡礼宿は劣悪な環境 に置かれることとなった。一方で、ここ 2 年間(これはヴェルニ エロが記述を行っている 1630 年頃のこと)、巡礼宿は最上の状態 -2- オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 にもかかわらず、巡礼者は金銭を支払わねばならない時に苦しめ られていると思いこみ、不満を言う。その結果として、秩序が乱 れ、スキャンダルが発生する。」 (5)1634 年、管区長パオロ・ダ・ローディによる協約の教皇勅令化の要請 「厄介者の巡礼者」についてのポイント 1.巡礼宿ではなく修道院に宿泊したがることに端を発する 2.暴飲暴食などによる経済的負担 3.それにも関わらずの修道士に対する罵り 4.巡礼にかかる費用(税・薬代・ガイド費)を自腹で支払わないこと ヴェルニエロの記述:「我々には不愉快さしか残らない。巡礼者はこれだけの恩恵を受 けながらも満足せず、表面的にしか修道士を理解せず、要求が多 く、いかなる常識もなく、修道士を苦しめ、名誉を傷つけ、施し を持って行き、修道士に対して「貪欲・無礼」と罵り、多くの恩 恵を受けた後に、恩を忘れ、あちこちで修道士の悪口を言う。」 (6)フランチェスコ会士の服装をしての巡礼の禁止 ←1634 年のあるドイツ人巡礼者による事件 (b)Navis peregrinorum の作成動機 (1)1632 年、スコットランド人巡礼者の船長ロバート・インネスの事件 →管区長パオロによる命:コンソーリ(領事)やスカーレ(港)の管理官は、エルサレ ムに行こうとする巡礼者が十分な金銭を所持しているか入念にチェックすべし →Navis peregrinorum の作成 +同管区長による宣言:必要な所持金のない巡礼者は聖地に来るべきではない ⇒「貧乏な聖地巡礼者たち」を門前払いにしていた可能性 (c)厄介者の聖地巡礼者の具体例 (1)金銭トラブル ex.1)1623 年、イタリア人巡礼者ジャコモ・ブッチョイーニとロレンツォ・マッキア ex.2)1586 年、ある巡礼者 ex.3)1635 年、メッシーナ人フランチェスコ・コッポラの騒動 (2)フランチェスコ会士の服装をする巡礼者 ex.)1634 年、あるドイツ人巡礼者 (3)訴訟沙汰 ex.1)1557 年、ラムラで捕らえられた巡礼者 ex.2)1618 年、2 人のフランス人商人ルバル Lebar とゲラン Guerrino ex.3)1615 年、プロテスタントのフランドル人ダニエル・ミュイソン ex.4)1666 年、ローマ管区のフランチェスコ会士トマーゾ (4)棄教者 ex.1)1612 年、ある年老いたシチリア人巡礼者 ex.2)1612 年、あるナポリ人巡礼者 -3- オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 ex.3)1557 年、キリスト教信仰を棄てんとする巡礼者 ex.4)1612 年、「悪魔のような老人」diabolico vecchio (d)会計記録に見る経済的打撃 (1)会計記録(資料4) (i)負債総額 トマーゾ期以降に増加 (ii)巡礼者等への施し 額はそれほど多くないが、精神的ダメージ (2)施しの記録(資料5-1・資料5-2) (i)資料5-1 アンジェロ期以降、徐々に増加 アンブロシオ期~パオロ期(1621 年~1635 年)、額の大きさが顕著 (ii)資料5-2 アンジェロの時期から「厄介な巡礼者」による経済的ダメージが増加 アンブロシオ期に頂点→サント期以降に改善の試み ⇒1625 年以降、「厄介な巡礼者」の締め出し (3)ペストの流行 (1)Necrologia(死亡者表)(資料6) 1618 年~1620 年にかけてのペストの大流行 cf.)1656 年:修道士 27 人、助修士 24 人 1680 年:修道士 67 人、助修士 44 人 ⇒経済的負担:埋葬費、修道士・助修士の補充に伴う税金=トマーゾ期以降の多額の負債 おわりに (1)受け入れ側の史料から見た聖地巡礼の実態 (i)オスマン帝国との外交関係の影響と 1650 年代以降のプロテスタントの巡礼者が増加 (ii)1625 年以降の聖地巡礼者数が減少 背景:フランチェスコ会による「厄介者の巡礼者」排除の努力 (2)聖地周辺域の社会 (i)ワクフにとっての財源としての巡礼者 (ii)イスラームの法廷の開放性 (iii)キリスト教とイスラームの垣根の低さ (iv)オスマン支配下におけるフランチェスコ会の生き残り政策 -4- オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 主要参考文献リスト (1)一次史料 (a)フェルマーン等 ・Arce, A., Miscelánea de Tierra Santa, 4 tomos, Jerusalem, 1950-1982. ・Id., Documentos y textos para la historia de Tierra Santa y sus Santuarios, 1600-1700, Jerusalem, 1970. ・Heyd, U. (ed. and tra.), Ottoman Documents on Palestne 1552-1615, Oxford, 1960. ・Hussein, M. J., Sciad, F. et Gosselin, N. (tra.), Firmans ottomans 1521-1902, 3 tomes, Jérusalem, 1934, Mancini, I. (éd.), 1986. (b)年代記 ・Calahorra, J., Chronica de la Provincia de Syria y Tierra Santa de Gerusalem. Contiene los progressos que en ella ha hecho la religion Serafica, desde 1219 hasta 1632, Madrid, 1684. ・Id. (Angelico, C.(tra.)), Historia Chronologica della provincia di Syria, e Terra Santa di Gierusalemme...Tradotta nella lingua Italiana dal M.R.P. Angelico di Milano, Venetia, 1694. ・Montoya, A., Chronica de la Cvstodia de Syria y Tierra santa de Jerusalén, dedicada al Rey inmortal de los siglos y Señor de los señores, Christo. Escrita por..., Comissario de Tierra Santa a la Porta Othomana y Procurador General de Jerusalén y su Custodia. Parte Segunda, la qual incluie desde el año 1632 hasta el de mil y setecientos, Arquivos Nacionas Torre do Tombo, PT-TT-MSLIV/706, ANTT/7633. ・Puerto, J., Patrimonio seraphico de Tierra Santa fundado por Christo,...prometido,...a N.P.S. Francisco,///adguerido por el mismo Santo, heredado y posseido por sus Hijos de la Regular Observancia, Madrid, 1724. ・Serino, F., "Croniche o annali di Terra Santa", Cavallon, T. (ed.), Biblioteca biobibliografica della Terra Santa e dell'oriente Francescano, n.s. 11-12, Quaracchi, 1939. ・Verniero di Montepeloso, P., "Croniche o annali di Terra Santa, 1304-1637", Golubovich, G. (ed.), Biblioteca bio-bibliografica della Terra Santa e dell'oriente Francescano, n.s. 610, Quaracchi, 1930-1936. ・Wadding, L., Annales monorum seu trium ordinum a S. Francisco institutorum 1208-1447, 11 tomi, Quaracchi, 1931-1932. (c)その他 ・Lauda, P. (Zimolong, B.(Hrsg.)), Navis peregrinorum, Köln, 1938. -5- オープン・リサーチ・センター公開講演会 「17~19 世紀における東西世界のクロスゾーン」 (2)二次文献 ・Behrend, F., "Deutsche Pilgerreisen ins Heilige Land 1300-1600", Leidinger, G. (Hrsg.), Festschrift für Georg Leidinger, Munchen, 1930, S. 1-13. ・Brenner, P., Der Reisebericht in der deutschen Literatur, Tübingen, 1990. ・Fuente, E., Cien años de cristianismo medioriental (1632-1732), Cairo, 1989. ・Ganz-Blättler, U., Andacht und Abenteuer, 2 Aufl., Tübingen, 1991. ・Graboïs, A., Le pèlerin occidental en terre sainte au moyen âge, Paris, 1998. ・Huschenbett, D., "Die Literatur der deutschen Pilgerreisen nach Jerusalem im späten Mittelalter", Deutsche Vierteljahrsschrift für Literaturwissenschaft und Geistesgeschichte, 59, 1985, S. 29-46. ・Richard, J., "Les relations de pèlerinages au Moyen Âge", Wallfahrt kennt keine Grenzen, Munchen, 1984, S. 143-154. ・Röhricht, R., Bibliotheca geographica Palastinae, Chronologisches Verzeichniss der Auf die Geographie des Heiligen Landes bezüglichen Literatur von 333 bis 1878 und Versuch einer Cartographie, Berlin, 1890. ・Schmugge, L., ""Pilgerfahrt macht frei"―Eine These zur Bedeutung des mittelalterichen Pilgerwesens", Römische Quartalschrift für christliche Altetumskunde und Kirchengeschichte, 74, 1979, S. 16-31. ・Id., "Die Pilger", Moraw, P. (Hrsg.), Unterwegssein im Spátmittelalter, Berlin, 1985, S. 1447. ・Schur, N., Jerusalem in Pilgrims Accounts Thematic Bibliography, Jerusalem, 1980. ・Sommerfeld, M., "Die Reisebeschreibungen der deutschen Jerusalempilger im ausgehenden Mittelalter", Deutsche Vierteljahrsschrift für Literaturwissenschaft und Geistesgeschichte, 2, 1924, S. 816-851. ・Tobler, T., Bibliographia geographica Palaestinae, Eine kritische Üebersicht gedruckter und ungedruckter Beschreibungen der Reisen ins Heilige Land, Leipzig, 1867. ・Williamson, R., "Medieval English Pilgrims and Pilgrimages", Kriss-Rettenbeck, L. (Hrsg.), Wallfahrt kennt keine Grenzen, Munchen, 1984, S. 114-126. ・Zeeden, E., "Das Erscheinungsbild der frühneuzeitlichen Stadt, vornehmlich nach Reiseberichten und Autobiographien des 16. und 17. Jahrhunderts", Specker, H. (Hrsg.), Stadt und Kultur, Sigmarngen, 1983, S. 70-84. -6- 資料2 関係年表 1526年 モハーチの戦い 1529年 第一次ウィーン包囲 1536年 フランスにカピチュレーション付与 1538年 プレヴェザの海戦(オスマン帝国の勝利) 1541年 オスマン帝国によるハンガリー併合 1571年 レパント沖の海戦(オスマン帝国の大敗) 1580年 イギリスにカピチュレーション付与 1606年 ツィトバ・トロク条約(ハプスブルク家との和) 1612年 オランダにカピチュレーション付与 1645年 ヴェネツィアとの戦争(~1669年) 1664年 ヴァシュヴァールの和約(ハプスブルク家との和) 1681年 バフチェサライ条約(ロシアとの和) 1683年 第二次ウィーン包囲 1684年 神聖同盟(オーストリア・ヴェネツィア・ポーランド)の対トルコ戦(~1699年) 1699年 カルロヴィッツ条約 資料6 Necrologia(死亡者表) 1618 25 1653 11 1679 1 1619 18 1656 3 1681 20 1620 7 1659 2 1682 4 1626 4 1661 1 1686 4 1627 2 1669 1 1687 1 1636 2 1670 13 1692 1 1643 4 1671 3 1693 27 1644 3 1674 2 1701 4 1647 2 1678 5 1702 11 Arce, A., Miscelanea de Tierra Santa, 1, Jerusalem, 1950, pp. 20-53; Verniero, n.s.6, p. 14,より作成。 資料3 Firman スルタン(在位年) 総数 関連 発給年月日 スレイマン1(1521-1566) 60 17 1528.10/15-11/13 1544.4/24-5/23 1545.4/14-5/13 1547.8/17-9/16 1549.4/29-5/26 1549.4/29-5/26 1549.4/29-5/26 1552.5/17 セリム2(1566-1574) ムラト3(1574-1595) 2 28 0 6 発給地 イスタンブル イスタンブル アドリアノープル イスタンブル アレッポ アレッポ アレッポ ? 訴状人 ヴェネツィア・バイロ フランチェスコ会 ヴェネツィア・バイロ ヴェネツィア・バイロ フランス・大使 フランス・大使 フランス・大使 なし 命令先 ガザ・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー ダマスクス・ベイレル=ベイ,エルサレム・カーディー,ラムラ・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー ガザ・サンジャク=ベイ,ラムラ・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー ダマスクス・ベイレル=ベイ 1558.2/19-3/21 1558.10/14-11/13 アドリアノープル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー イスタンブル グルジア教会から エルサレム・サンジャク=ベ,エルサレム・カーディー,聖墳墓教会 の書状 管理官 1560.7/17 ? なし ダマスクス・ベイレル=ベイ,ダマスクス・ワクフ管理官 1561.2/17-3/18 イスタンブル エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 1561.2/17-3/18 イスタンブル 1561.2/17-3/18 イスタンブル 1564.11/6-12/5 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ フランチェスコ会 ヴェネツィア・バイロ フランチェスコ会 ヴェネツィア・バイロ フランチェスコ会 ヴェネツィア・バイロ 1564.12/5-1565.1/4 イスタンブル 1565.2/19 ? 1579.10/22-11/21 1579.10/22-11/21 1583.4/4 訴状内容 巡礼者による通訳や現地人への嫌がらせ 総督・代官・徴税人による必要以上の税徴収 巡礼者による通訳や現地人への嫌がらせ 役人による巡礼宿の使用のため、巡礼者が使えず シオン山への巡礼者の制限 聖墳墓教会に行く巡礼者への妨害行為 シオン山への巡礼者の制限 ヤッファでの役人による巡礼者に対する法外な税徴 収、エルサレム・カーディーの息子による巡礼者に対する法 外な税徴収 巡礼者に対する妨害行為 フランチェスコ会はダビデの墓所から出て行くべし←巡 礼者からの収益を考慮し、件の地のフランチェスコ会の 所有権を認める ティベリア湖近くにある温泉施設の補修(巡礼者数の 増加による収益の増加の見込み) アラブ人が巡礼者から金品をまきあげる エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 出典 FO3 FO10 FO11 FO16 FO18 FO19 FO20 OD124 FO38 FO39 OD89 FO45 FO46 カルヴァリでの巡礼者のミサに対する、ギリシア正教会の 総大司教による妨害行為 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼者のための「柱の主日」のミサに対する、ギリシ ア人による妨害行為 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人が巡礼者から余分に税を徴収するために生じ ている、巡礼者の数および収入の減少 ヴェネツィア・バイロ ダマスクス・大カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カ 聖墳墓教会の天井の修復(修復せねば、巡礼者の ーディー 減少に繋がる) ポルトガル・海軍司 バスラ・ベイレル=ベイ 巡礼許可を求める←注意して見張れ 令官 FO52 イスタンブル イスタンブル イスタンブル フランス・大使 フランス・大使 フランチェスコ会 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ エルサレム・カーディー FO62 FO64 FO67 1583.9/7 イスタンブル フランチェスコ会 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 1583.9/31 イスタンブル 1584.11/19 ? フランチェスコ会士アンジ エルサレム・カーディー,聖墳墓教会管理官 FO76 ェロ ヴェネツィア・バイロ ダマスクス・ベイレル=ベイ,エルサレム・ムフティ,エルサレム・カーディー フランチェスコ会所有の建物の修復許可(壊れているた OD121 め巡礼者数が減り、収益が減少しているため) アラブ人がミサ中の巡礼者から金をまきあげる 役人が巡礼者に対して力ずくで金を要求 オリーブ山にある巡礼者のためのミサを行う場所で、ワ クフ管理者が金をまきあげるための妨害行為 エルサレムの門で、検査官が巡礼者の持ち物をぶちま ける 巡礼者に対する必要以上の税徴収 FO47 FO55 OD125 FO69 メフメト3(1595-1603) アフメト1(1603-1617) ムスタファ1(1617-1618) オスマン2(1618-1622) ムスタファ1(1621-1623) 22 39 1 11 4 11 6 0 0 2 1595.10/6-11/4 イスタンブル 1595.10/25 イスタンブル フランチェスコ会士アンジ エルサレム・カーディー,聖墳墓教会管理官 ェロ フランチェスコ会 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 76に同じ 1595.11/5 イスタンブル フランチェスコ会 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 1595.11/14 イスタンブル 巡礼者たち エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 1595 イスタンブル フランチェスコ会 1596.1/2-2/1 イスタンブル フランチェスコ会? ダマスクス・ベイレル=ベイ,エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・ カーディー ダマスクス・ベイレル=ベイ,エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジ ャク=ベイ,聖墳墓教会管理官 1596.3/1-3/31 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・カーディー,エルサレム・ムフティー 1599.3/28-4/27 イスタンブル なし エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 1600.7/13-8/12 イスタンブル フランス・大使 1600.10/2 イスタンブル フランス・大使 1600.10/3 1604.2/7 イスタンブル イスタンブル フランス・大使 フランス・大使 1604.9/17 イスタンブル スルタンの宦官長 イスタンブル フランス・大使 1604.11/23-12/23 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ 1605.2/20-3/21 1611.12/7-1612.1/5 イスタンブル イスタンブル ヴェネツィア・バイロ フランス・大使 ダマスクス・ベイレル=ベイ(ワズィール),ダマスクス・カーディー,ダ マスクス・デフテルダル ダマスクス・ベイレル=ベイ(ワズィール),ダマスクス・カーディー,ダ マスクス・デフテルダル エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 92に同じ エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 不当な税徴収のために巡礼者数が減少(「お前た ちは異教徒の戦士と通じている」、「お前たちが 原因でアレクサンドリアの戦艦が捕らえられた」、「お前 たちの教会を燃やすぞ」などの言いがかり) エルサレム・カーディー 不当な税徴収のために巡礼者数が減少し、ワクフの 収益も減少 なし フランチェスコ会の諸特権(内、巡礼者のためのフランチェスコ 会による経費負担の免除) なし 海賊の存在→巡礼のために聖墳墓教会にやってく る、ヴェネツィアとその友好国の平穏・安全の保証 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 100に同じ エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ カーディーの臣下が巡礼者による生活必需品の購入を 妨害 1623.6/29-7/29 1623.6/29-7/29 イスタンブル イスタンブル フランス・大使 フランス・大使 巡礼者から金をまきあげるための、管理官・役人 による嫌がらせ・難癖(「我々の信仰を侮辱した」、 「お前たちはムスリムを殺した」、「お前には以前に 金を貸したことがある」などの言いがかり) 聖墳墓教会の壁の修復(壊れかけてる壁から悪漢 が侵入し、巡礼者を恐喝→巡礼者数および収益の 減少) 徴税人による必要以上の税徴収 FO81 DT3 FO82 FO84 DT4,6 FO85 DT7 巡礼者からの収益はワクフにとって有益 BB10, p. 32 f. ダビデの墓所を巡るフランチェスコ会とグルジア教会との FO88 係争←フランチェスコ会が所有するとワクフやムスリムにとって DT10 有益(フランチェスコ会が所有しないと、巡礼者数の減 少から生じる収益の減少) 巡礼者が巡礼中に死去した場合、その財産は遺言 FO90 状に基づくこと DT13 聖墳墓教会には多くの巡礼者がやってきて、仏王 FO91 ・ヴェネツィアのドージェ・教皇・オーストリア王・ドイツ王・ス DT16 ペイン王・サヴォワ公などからの施しがある ←しかし、仏王とヴェネツィアのドージェ以外は外交関 係を持たないので、今後、聖墳墓教会への入場禁 止を命ずる 聖墳墓教会における不当な税の要求、ミサの妨害 FO92 DT20 92に同じ FO93 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼者からの金品のまきあげ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー,エルサレムのワクフ 巡礼者に対する、他のキリスト教徒からの妨害行為 管理官 FO94 FO98 FO99 DT34 DT33 FO100 FO101 FO112 DT59 FO132 FO133 ムラト4(1623-1639) 38 11 1623.9/26-10.25 1623.9/26-10/25 1623.9/26-10/25 1623.9/25-10/25 1624.3/21-4/19 1624.6/17-7/17 1624.6/17-7/17 1625.8/5-9/4 1628.8/4 1630 イブラヒム(1640-1648) 17 5 1631.2/3-3/5 1641.8/8-9/7 1641.9/7-10/6 1641.9/7-10/6 メフメト4(1648-1687) 70 12 1641.11/5-12/4 1642.5/1-5/30 1650.2/3-3/3 1652.1/13-2/11 1652.2/11-3/12 1659.1/25-2/24 1659.1/25-2/24 1659.1/25-2/24 1659.1/25-2/24 1662.1/22-2/20 1668.5/13-6/11 1673.5/27 1679.9/7-10/6 1681.1/21-2/20 イスタンブル イスタンブル イスタンブル イスタンブル イスタンブル フランス・大使 フランス・大使 フランス・大使 フランス・大使 エルサレム・カーディーの 書状 フランス・大使 ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー ダマスクス・ベイレル=ベイ(ワズィール),ダマスクス・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー,ワクフ管理官 エルサレム・カーディー 巡礼者のエルサレム訪問妨害 134に同じ 巡礼者に対する嫌がらせ 巡礼者に対する嫌がらせ 巡礼者からの収益はワクフにとっても有益だが、サンジ ャク=ベイによる不当な税徴収 イスタンブル 巡礼者からの収益はワクフにとっても有益だが、サンジ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー ャク=ベイやダマスクス・デフテルダルなどの役人による不当 な税徴収 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ 全てのサンジャク=ベイ,全てのカーディー,全ての役人 巡礼者からの収益はワクフにとっても有益だが、彼 らに対する嫌がらせ・妨害行為 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ ガザ・サンジャク=ベイ ヤッファでの巡礼者に対する不当な税徴収 ? ヴェネツィア・バイロ ? ヴェネツィア支配下のフランチェスコ会士・巡礼者の平穏 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 慣例に従っての巡礼行為の自由、シオン山への巡礼 の自由 イスタンブル フランチェスコ会 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼者への嫌がらせ・不当行為、ミサの妨害 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人による、金品をまきあげるための巡礼者に対 する宗教儀礼の妨害行為 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ ダマスクス・ベイレル=ベイ(ワズィール),エルサレム・サンジャク=ベイ, 役人による、巡礼者からの不当な税徴収→ワクフに サフェト・カーディー とっても損失 イスタンブル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人による、金品をまきあげるための巡礼者に対 する嫌がらせ イスタンブル ヴェネツィア・バイロ エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼中に死去した巡礼者の財産の不可侵 イスタンブル フランス・大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人が巡礼者の通行税をフランチェスコ会に不当要求 イスタンブル オーストリア・全権大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人が、金品をまきあげるために巡礼者の宗教儀 礼を妨害 イスタンブル オーストリア・全権大使 エルサレム・カーディー 189に同じ イスタンブル フランス・大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 役人が、金品をまきあげるために巡礼者に対する 嫌がらせ・ミサの妨害 イスタンブル イングランド・大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼中に死去した巡礼者のためにフランチェスコ会が購 入した墓所に対する役人の侵害 イスタンブル イングランド・大使 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 204に同じ イスタンブル イングランド・大使 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ,ガザ・カーディ ヤッファでの、巡礼者に対する役人の嫌がらせ ー イスタンブル イングランド・大使 エルサレム・カーディー,エルサレム・サンジャク=ベイ 巡礼者による「柱の主日」のミサの不可侵性 イスタンブル イングランド・大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼者に対する不当行為の禁止 アドリアノープル オーストリア・全権大使 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 聖墳墓教会に修復に対して、役人が金品をまきあ げるために妨害(聖墳墓教会にやってくる巡礼者 はワクフにとっても有益) アドリアノープル なし フランス国王ルイ14世 フランス人巡礼者を困らせないこと イスタンブル フランチェスコ会 サフェト・サンジャク=ベイ,サフェト・カーディー ナザレ・デフテルダルによる、巡礼者に対する不正行為 アドリアノープル オリーブ山のワクフ管 エルサレム・サンジャク=ベイ,エルサレム・カーディー 巡礼者によるモスクへの嫌がらせ(モスクの中にオリーブ 理官 や麦藁を置いていくため、モスクが壊れかかってい る) スレイマン2(1687-1691) 8 0 アフメト2(1691-1695) 6 0 ムスタファ2(1695-1703) 8 0 以下の史料より作成。 ・Hussein, J.(O.F.M.), Sciad, F.(O.F.M.) et Gosselin, N.(O.F.M.) (tra.), Firmans Ottomans, 3 tomes, 1934, Jérusalem, rep., Mancini, I(O.F.M.) (ed.), 1986, Jérusalem. (=FO) ・Heyd, U.(ed.), Ottoman Documents on Palestine, 1552-1615: A Study of the Firman according to the Mühimme Defteri, Oxford, 1960. (=OD) ・Arce, A. (O.F.M.) (ed.), Documentos y textos para la historia de Tierra Santa y sus Santuarios, 1600-1700, 1, Jerusalem, 1970. (=DT) ・Lemmens, L.(O.F.M.)(ed.), Biblioteca bio-bibliografica della Terra Santa e dell'oriente Francescano, n.s., 1-12 , Quaracchi, 1924-1939.(=BB) FO134 FO135 FO136 FO140 FO142 FO144 FO145 FO147 BB1,p.51 BB7, pp. 178-181 FO154 FO169 FO176 FO177 FO179 FO181 FO189 FO190 FO193 FO204 FO205 FO206 FO207 FO212 FO235 FO239 FO251 FO252 資料4 会計記録 (1)管区長チェザーリオ時(Verniero, n.s.6, p. 253 f., より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 24974z 修道士旅費等 利益 1913z トルコ人 利子 巡礼者等への施し 総計 借金:2137z 繰越金:232z 26887z 総計 (2)管区長バジリオ時(Verniero, n.s.6, p. 308, より作成) 収入 支出 30988p キリスト教世界からの施し 修道士旅費等 9086p24m 管区長が持ってきた財 トルコ人 17191p 3m 利益 巡礼者等への施し 総計 借金:2264p 57265p27m 繰越金:1481p22m 総計 8291z 19277z 374z 299z (27%) (64%) ( 1%) ( 1%) 30154z 29506p (94%) 1400p ( 4%) 525p ( 2%) 31431p (3)管区長フランチェスコ・ダ・ローディー時(Verniero, n.s.6, p. 328, より作成) 収入 支出 7200p20m 11539p27m (66%) キリスト教世界からの施し 修道士旅費等 2875p19m (17%) 利益 827p 8m トルコ人 2888p27m (17%) 残金 1740p 利子 83p ( 0%) 巡礼者等への施し 総計 借金: 繰越金: 9767p28m 総計 17385p73m (4)管区長フランチェスコ・デュルチェード時(Verniero, n.s.6, p. 334, より作成) 収入 支出 2607p キリスト教世界からの施し 11190p27m トルコ人 628p 巡礼者等への施し 70p 修道士旅費等 952p 利子 総計 借金: 繰越金: 11190p27m 総計 (5)管区長ジョヴェンニ・バティスタ・ダ・パレストリーナ時(1619年) (Verniero, n.s.6, p. 338, より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 823p20m 利子 利益 修道士旅費等 4121p 総計 借金: 7480p20m 繰越金:792p20m 総計 (6)管区長トマーゾ時(Verniero, n.s.7, p. 2 f., より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 9694p 巡礼者等への施し 利益 3010p トルコ人 総計 負債総額:34549p 12704p 繰越金: 総計 (16%) ( 4%) ( 0%) ( 6%) 16543p 9m 1343p 30p (21%) ( 0%) 6357p 184p28m( 1%) 828p ( 3%) 32190p (7)管区長アンブロシオ時(Verniero, n.s.6, p. 27, より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 80515p 利子 利益 46253p トルコ人 修道士旅費等 巡礼者等への施し 総計 負債総額:55549p 126768p 繰越金: 総計 45057p (37%) 44090p (36%) 30331p (25%) 742p 6m ( 1%) 121951p 6m (8)管区長サント時(Verniero, n.s.7, p. 81, より作成) 収入 支出 90718p52m(60%) スペイン国王からの施し 83085p27m トルコ人 85382p (56%) フランス国王からの施し 利子 7600p 19974p (13%) イタリアからの施し 修道士旅費等 3941p その他施し 3104p 利益 54262p21m 通行料 868p アンブロシオ期の残金 48p 9m 総計 152909p19m 総計 152909p19m 負債総額:58984p 繰越金:750p20m(しかし巡礼者への施し1028p3m) (9)管区長ディエゴ時(Verniero, n.s.7, p. 146, より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 125074p28m 修道士旅費等 その他施し 5731p36m トルコ人 サント期の残金 750p20m 施し 131557p24m 総計 繰越金:4865p28m 総計 負債総額:12075p18m (10)管区長パオロ時(Verniero, n.s.7, p. 312 f., より作成) 収入 支出 キリスト教世界からの施し 74978p 修道士旅費等 その他施し 1877p 8m トルコ人 利益 53909p 9m ギリシア人 (しかし、内 教会修繕費 28590p26mは 巡礼者等への施し 未払い) 利子 ディエゴ期の残金 3638p 総計 134402p21m 総計 負債総額:38608p4m 繰越金:2084p (11)管区長ジャチント時(Verniero, n.s.8, p. 255, より作成) 収入 支出 トルコ人 4143p フランス国王からの施し ギリシア人 19093p スペイン国王からの施し 修道士旅費等 5662p その他施し 利子 37677p パオロ期の残金 巡礼者等への施し 総計 負債総額:54582p p:ピアストル 83408p 繰越金:13181p m:メディーノ z:ツェッキーノ 総計 35895p24m(60%) 23849p19m(56%) 1318p29m(13%) 128991p25m 27066p 6m(24%) 22097p41m(20%) 22202p (20%) 6772p23m( 6%) 1138p 4m ( 1%) 35038p13m (31%) 113313p27m 4249p27m( 5%) 45692p (55%) 11960p12m(14%) 8444p21m(10%) 206p ( 0%) 83570p 資料5-1 様々な人への施し 管区長 ボニファッチョ・ディ・スターニョ ブレスキアーノ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ヴェネツィア ジョヴァンニ・ダ・ベルガモ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ヴェネツィア ジョヴァンニ・フランチェスコ・デッラ・サランドラ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・バジリカータ エヴァンジェリスタ・ダ・ガッビアーノ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ミラノ チェザーリオ・ダ・トリノ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ロマーナ ガウデンツィオ・サイバンテ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ヴェネツィア アンジェロ・ダ・メッシーナ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・プリンチパート バジリオ・バジリイ・カプラローラ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ローマ フランチェスコ・ダ・ローディ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ミラノ フランチェスコ・デュルチェード・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ジェノヴァ トマーゾ・ダ・ノヴァラ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・ロマーナ アンブロシオ・デッラ・ポーラ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・プリンチパート サント・ダ・メッシーナ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・シチリア ディエゴ・ダ・サンセヴェリーノ・リフォルマート・デッラ・プロヴィンチア・ディ・プリンチパート パオロ・ダ・ローディ・リフォルマート・デッラ・プロヴィンチア・ディ・アッシジ ジャチント・ダ・ヴェローナ・デッラ・プロヴィンチア・ディ・サンタントニオ 在職期間 1554-1560 ?-1578-? ?-1580-? 1596-1597 1597-1598 1603-1608 1608-1612 1612-1615 1615-1618 1618-1619 1619 1619-1621 1621-1625 1625-1628 1628-1632 1632-1635 1635-1636 総額 813p34m 36p4m 26p 31p53m 48p 155p63m 111p 216p91.5m 530p64m 82p22.5m 636p14m 179p58m 833p26m 1002p90m 1313p89m 1192p10.5m 177p36.5m 巡礼者 746p74m 0 18p 0 0 5p 81p 118p23m 104p60m 18p 158p35m 64p12m 266p67.5m 72p27m 61p29m 75p18m 116p21m % 92 0 69 0 0 3 73 55 20 22 25 36 32 7 5 6 66 資料5-2 様々な人への施し(巡礼者内訳) 管区長 ボニファッチョ ブレスキアーノ ジョヴァンニ・ダ・ベルガモ ジョヴァンニ・フランチェスコ エヴァンジェリスタ チェザーリオ ガウデンツィオ アンジェロ バジリオ フランチェスコ・ダ・ローディ フランチェスコ・デュルチェード トマーゾ アンブロシオ サント ディエゴ パオロ ジャチント p:ピアストル m:メディーノ Verniero, n.s.9, pp. 167-182, より作成 巡礼者 746p74m 0 18p 0 0 5p 81p 118p23m 104p60m 18p 158p35m 64p12m 266p67.5m 72p27m 61p29m 75p18m 116p21m 貧しき巡礼者 9m(0.1%) ― 8p (44%) ― ― 1p (20%) 31p (38%) 40p23m(34%) 4p ( 4%) 18p (100%) 75p (47%) 34p (53%) 72p15m(27%) 42p27m(58%) 28p18m(46%) 61p18m(81%) 2p ( 2%) 保釈金 726p37m(97%) ― 0 ― ― 50p (62%) 12p (10%) 2p7.5m(2%) 0 13p ( 8%) 0 0 0 0 0 0 貸金等 2p28m(0.3%) ― 10p (56%) ― ― 4p (80%) 0 66p (56%) 98p52.5m(92%) 0 70p35m (45%) 30p12m (47%) 194p52.5m(73%) 30p (42%) 33p11m(54%) 14p (19%) 18p 6m (16%) その他 棄教の恐れのあった巡礼者:18p(2.4%) フランチェスコ・コッポラの恐喝:96p15m(83%)