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2012年度報告書京都側ダウンロード

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2012年度報告書京都側ダウンロード
PUKU 京都側事業報告書
第三回
2012.8.20~9.13
京都大学 PUKU 実行委員会
2012 年 11 月
目次
 序
1.
はじめに
2.
京都側代表挨拶 横山大稀
3.
北京側代表挨拶 鄭憲
4.
京都側顧問 阿辻哲次教授より
 第一部 PUKU 概要
1.
基本情報・事業理念
2.
第二回(2011 年)基本情報
3.
京都会期スケジュール
4.
スタッフ・参加者一覧
5.
2012 年度京都側収支報告
 第二部 京都会期全体プログラム・分科会別報告
1.
伝統分科会
2.
環境分科会
3.
福祉分科会
4.
訪問先よりのコメント
5.
全体プログラム報告
 第三部 北京会期概要報告
1.
北京側スケジュール
2.
北京側全体プログラム報告
 跋
おわりに ~PUKU に 2 年間携わって~
 後援・協賛
序
はじめに
「学生の力で社会にアクションを起こす、本気の日中間交流があったら…」
PUKUの構想は、そのような考えを持った京都大学生一人と北京大学生一人による、インターネット上の会
話から始まったPUKUは、今年で3年目を迎えました
新しい物事を始める時、3年目は節目の年とされます。方向性が定まり、基本的な形が見える年です。過去2
年間の活動を通じて、私たちは、PUKU創設時の理念が確かに正しかったのだと、確信を得ることが出来まし
た。すなわち、自分たちの交流だけを目的にするのではなく、屋内で議論するだけでもなく、かといって観光
に終始するだけでもない。両都市の身近な問題に対して、微力ながらも自分たちの力を尽くす、社会貢献型の
交流事業。その理念の下で活動することで、私たちは予想も出来なかったほどの大きな刺激と、深い繋がりを
得ることが出来たのです。
同時に、私たちには様々な課題も残されています。「社会貢献」を謳いながらも、学生という身分で、短期
間の活動において、一体どれだけのことが出来るのか。自己満足に終わりはしないか。そもそも、一夏の単発
的な活動が、社会にどれほどの影響を残せようか。
こういった課題に、私たちはこれからのPUKUで、正面から取り組まねばなりません。
今年、PUKU会期の8月下旬より9月上旬に至るまで、尖閣諸島の問題を巡り日中関係はこれ以上なく冷え切
っていました。悲しいことに、政治の問題にとどまらず民間交流にまで影響が及び、PUKUの諸活動にも、実
際に支障をきたすことがありました。
毎日のように流れる、両国の緊張の高まりを示すニュースの中で、私たちはどんなに焦燥感と無力感を感じ
たことでしょう。そんな中で、私たちはお互いへの心からの友情を失わずに、決して問題を避けるのでもなく、
誠意を持って一緒にいる時間を過ごしてきました。それがどれだけ素晴らしい時間であったかは、続く報告書
を読んで頂ければ、感じ取っていただけるかと思います。
そしてなにより、この難しい時期に、私たちの活動に理解を示してくださり、支えてくださった皆様の存在
が、私たちをこの上なく勇気づけてくださりました。PUKUに関わってくださったすべての方に、感謝と共に
この報告書を捧げたいと思います。
PUKU2012 京都側スタッフ一同
1
序
京都側代表挨拶――横山大稀
まず、この場をお借りして PUKU 開催にあたりご協力していただいた全ての方々にお礼申し上げたいと思い
ます。代表として全体を見たときに、本当に多くのご支援があって PUKU が開催できているのだということを
強く実感しました。
今まで PUKU に携わった先人方、京都大学の先生、
PUKU の活動にご協力頂いた様々な方々。
心よりお礼申し上げます。
(詳しくはここでは述べませんが)
今年は PUKU が PUKU として存続するかしないかという、
根本的に PUKU
が変わってしまうかもしれない大きな瀬戸際に立った年でした。その際、私は PUKU という団体について創立
経緯などの様々なお話を頂き、その在るべき姿について深く考えることが出来ました。
日本には日中関係をテーマにした国際交流団体が多数存在しています。その中で、何が PUKU をあらしめて
いるのか。私は簡単に述べると以下の3点であると思っています。
① 学生主体
企画運営・活動の全てを学生が担う。大学からの干渉を受けずに自分たちのしたいことがしたい。
(特にこ
れは北京側で言えることです。
)
② 草の根レベルの活動
一分科会10人ほどの少数単位で、20日という濃密な日々を過ごす。また、フィールドワーク先で、両
市民と活発に交流する。
③ 社会発信
「社会問題に対して何を議論したのか」ではなく、
「社会問題を解決するために何を行ったのか」を目指す。
議論は目的を達成するためのツールでしかない。
一見、お互いの文化交流にあまり関係ないのかも知れません。しかし、これらの活動の先に、お互いの日中関
係が見えてきます。日本のメディアでは反日デモなどの否定的なニュース、インターネットでは中国批判の記事
が溢れかえる日本。この活動に参加していなければ、これらの情報をそのまま捉えていたでしょう。そして、与
えられた情報だけで何もかも判断するのは、誤った認識を私達にもたらしてしまいます。
実際に、自分の肌で体験すること。この草の根レベルの交流は、お互いを真摯に見つめ合うよい機会となりま
した。そして単なる大学プログラムでもない私達の交流は、その目的達成に向けてのお互いの努力を認め合い、
より深い友情を生み出しました。
どこへでも行き、何でもやる。何でも話す。学生の限界を感じさせないフットワークの軽い団体であると、ま
た、これからもそうであってほしいと願っています。
では、今年度の20日にわたる私達の活動の軌跡をどうぞご覧ください。
2
序
北京側代表挨拶――鄭憲
北京側の代表として、ここで挨拶ができることを私はとても誇りに
思います。
まず初めに、北京側の PUKU メンバーを代表して、スポンサーの方々、
ご協力していただいた方々、PUKU に参加し私達を助けてくれた全ての
方々にお礼を申し上げます。京都会期において、私達は、日本の方々の
熱心な働きにとても感銘しました。毎日私達は共に議論をし、活動をこ
なし、インタビューをしました。そして、京都側の学生のよく練られた
準備と努力によって、私達は日本での素晴らしい経験と思い出だけでな
く、固い友情を手にすることが出来ました。
分科会テーマについていくつか述べたいと思います。私は京都会期において 3 つのグループに参加しました。
京都町屋を訪問するために伝統分科会について行き、日本の伝統的精神をいくつか垣間見ることが出来ました。
環境分科会では、人間の新しい生活の未来図について講義を聴きました。また私は福祉分科会にも参加し、子供
広場で多くの方々に愛を注ぎました。PUKU が創設されてからたった三年しかたっていませんが、分科会の内容は
さらに深く成熟してきています。私達はすでに目標を達成したというのは早すぎるかも知れません。しかし、こ
のプログラムを一年間組織し参加してきた1人として、私達の努力は疑いのないものです。
今日、日中関係について過激な言葉が溢れかえっていることは認めなければなりません。しかし PUKU は自分
の心で信じることの大切さを教えてくれました。私達は文化や言語の違いをのりこえて、より深い関係を築こう
と努力しました。PUKU は長い目で見て両国の未来に貢献するでしょう。PUKU で培った友情は、PUKU 外部の状況
がどうであれ影響をうけるものではありません。そして、私達が PUKU で成し遂げたことは今後真の価値をみせ
てくれるだろう、そう信じています。PUKU によって、お互いを理解し尊重する信頼関係が私達の心に刻みつけら
れ、ずっと私達を繋げてくれると願っています。
最後になりましたが、このような素晴らしい経験をすることができて私達はとても幸運でした。そして私達
PUKU メンバーはこの熱意を持ち続け、私達が出来るすべての方法でこの PUKU で学んだことを今後の生活に、持
ち込んでいく責任があります。京都側のみなさんには「ありがとう」を心から伝えたいです。あなたたちの努力
のおかげで、すべての予定は完璧におわり、北京会期をよりよくするためのモチベーションとなりました。あり
がとう。
序
京都側顧問 阿辻哲次教授より
今年の PUKU 交流も成功のうちに終了したと聞き、心よりうれしく思っています。今年は両国のあいだにこ
れまでにない緊張感がただよう状況でしたが、国家間の動向に影響されず、若い世代間の友好交流が円滑に進行
したことにこそ、真の意味での民間交流の意義があると感じました。双方が今回の経験と学習によって培った知
識をいつまでも大切にし、今後の活動の糧としていかれることを心より祈念いたします。
京都大学人間・環境学研究科 教授 阿辻哲次
3
第一部:PUKU 概要
基本情報・事業理念
[事業名称]
Cross-Culture-Communication between Peking University and Kyoto University (略称:PUKU)
[実施時期]
京都会期:2012 年 8 月 20 日(月)~8 月 30 日(木)
北京会期:2012 年 9 月 3 日(月)~9 月 13 日(木)
[実施場所]
京都会期:京都大学キャンパス、京都市
北京会期:北京大学キャンパス、北京市
[人数]
参加者:京都側 9 名、北京側 10 名
スタッフ:京都側・北京側 各 8 名程度
4
第一部:PUKU 概要
5
PUKU2012 京都会期スケジュール
第一部:PUKU 概要
参加者・スタッフ一覧
添田千鶴 Tizuru SOEDA
吉崎茉耶 Maya YOSHIZAKI
参
加
者
伝統分科会
同志社大学情報科学学部1回生
平
法学部2回生
哲弥 Tetsuya HIRA
中薗沙紀 Saki NAKAZONO
環境分科会
法学部2回生
黒田淳也 Junya KURODA
経済学部2回生
横山大稀 Daiki YOKOYAMA
福祉分科会
法学部4回生
代表
経済学部2回生
豊原圭次郎 Keijiro TOYOHARA
伝統分科会スタッフ
法学部2回生
音無知展 Tomohiro OTONASHI
環境分科会リーダー
法学部2回生
川添眞之介 Shinosuke KAWAZOE
環境分科会スタッフ
法学部2回生
吉原美奈子 Minako YOSHIHARA
福祉分科会リーダー
神戸大学国際文化学部2回生
子康 Zikang ZHANG
総務・会計
文学部3回生
広報・渉外
総合人間学部2回生
莫雨璐 Yulu MO
葛凤女 Fengnv GE
徐如梦 Rumeng XU
Economics
伝統分科会
Economics
English Literature
史秋洁 Qiujie SHI
Urban and Environment Science
陈恺林 Kailin CHEN
Economics
陈玲 Ling CHEN
周悦霖 Yuelin ZHOU
環境分科会
Journalism
Law
郑雨蒙 Yumeng ZHENG
Urban and Environment Science
钱坤 Kun QIAN
Economics
戴融 Rong DAI
福祉分科会
雷铭 Ming LEI
郑宪 Xian ZHENG
王婉琳 Wanlin WANG
柳洁 Jie LIU
ス
タ
ッ
フ
農学部4回生
伝統分科会リーダー
多田千鶴 Tizuru TADA
北
京
側
法学部2回生
上野晃志 Koji UENO
張
参
加
者
経済学部2回生
石川春菜 Haruna Ishikawa
工藤賢太郎 Kentaro KUDO
ス
タ
ッ
フ
法学部2回生
高間裕貴 Yuki TAKAMA
小倉大翔 Jyoji OGURA
京
都
側
経済学部2回生
卢雪铮 Xuezheng LU
Social Welfare
Psychology
代表
伝統分科会リーダー
伝統分科会・総合
環境分科会リーダー
黄怡 Yi HUANG
環境分科会・総合
黎采薇 Caiwei LI
福祉分科会リーダー
History
English Literature
Law
History
Psychology
English Literature
姜嘉庆 Jiaqing JIANG
福祉分科会・総合
Environmental Sceience
程斯 Si CHENG
福祉分科会・総合
School of Government
6
第一部:PUKU 概要
2012 年度京都会期予算
2012年度PUKU京都会期予算
支出
科目
金額
航空運賃
日数
人数/ 回数
小計
科目別支出額
¥
40,500
1
11
¥
445,500
¥
50,800
1
6
¥
304,800
¥
750,300
¥
20,000
10
1
¥
200,000
¥
200,000
朝食 ¥
2,000
10
3
¥
60,000
昼食 ¥
800
8
36
¥
230,400
夕食 ¥
800
8
36
¥
230,400
¥
520,800
歓迎会費用 ¥
65,000
1
1
¥
65,000
日本料理体験費用 ¥
20,000
1
1
¥
20,000
参加者レクリエーション企画費用 ¥
50,000
1
1
¥
50,000
最終発表会後懇親会費用 ¥
75,000
1
1
¥
75,000
¥
210,000
京都市バス1日乗車券 ¥
500
9
36
¥
162,000
福祉班電車移動 ¥
500
7
10
¥
35,000
送迎バス(京都⇔関西国際空港) ¥
55,000
2
1
¥
110,000
交通費予備費 ¥
15,000
¥
15,000
¥
322,000
参加者召集費 ¥
20,000
¥
20,000
最終発表準備費 ¥
10,000
¥
10,000
最終報告書印刷費 ¥
39,800
¥
39,800
¥
69,800
観光費
¥
2,000
36
¥
72,000
¥
72,000
分科会費
¥
10,000
4
¥
40,000
¥
40,000
雑費
¥
15,100
¥
15,100
¥
15,100
¥
2,200,000
宿泊費
食費
企画費
交通費
広報費
支出計
収入
科目
金額
人数
小計
科目別収入額
自己負担
京都側参加者 ¥
110,000
10
¥
1,100,000
京都側スタッフ ¥
80,000
7
¥
560,000
昨年度繰越金
¥
130,000
国際交流基金助成
¥
300,000
学内研究室等
¥
110,000
¥
1,790,000
¥
410,000
¥
2,200,000
協賛( 予定)
収入計
7
第二部:分科会別報告
伝統分科会報告
伝統分科会報告Ⅰ―――伝統分科会リーダー:上野晃志 豊原圭次郎
□京都会期報告
テーマ:町家の魅力を再発見する
京都会期では「町家の魅力を再発見する」というテーマを掲げ、多くの町家を
見学させていただき、多くの方にお話を聞かせていただいた。それをもとにして、
自分たちで町家の魅力とは何かを再考し、それをさらにより多くの方に知ってい
ただくことを社会への貢献と位置付けて活動を行った。京都と同様に北京でも伝
統的家屋である四合院が姿を消して行っており、両会期を通して同じ問題設定を
行うことでより深い考察、よりインパクトのある行動ができるのではないかと考
上野(上)と豊原(下)
え、このテーマを選定した。
■四条京町家
まず「町家」とはどういうものかをつかむために、四条沿いで唯一残っている四
条京町家を訪問させていただいた。非常によく保存されている町家の中で、歴史
や京都とのつながり、暮らしなど町家全般についてお話を伺った。あまりにきれ
いに保存されていたため、驚きを隠せない参加者も多かったが、典型的な町家の
姿を皆でつかむことができた。
■らん布袋
裏千家の師範でもあり、町家を改装してカフェらん布袋を営んでいるランディ先生を訪問した。町家そのもの
の特徴を残しつつ変貌したカフェの二階で、茶道のお話を中心に伺った。外国人でありながら日本文化の代表
であるお茶の道を究めたランディ先生の講義を聴けるということは北京大生にとってはもちろん、私たち日本
人にとっても貴重な日本文化体験となった。またなぜ町家でお店をはじめようと思ったのか、茶道と町家とい
う二つの伝統の相性はどうかなど最後まで質問が絶えなかった。
■うさぎ塾
町家で鎧づくり教室を行っているうさぎ塾を訪問した。地域の伝統工芸とうまく調和しながら息づいてきた町
家の特徴を学びながら、次の世代にどのようにして伝統工芸を伝えていくのかというお話を実際に取り組まれ
ている例をもとに聞かせてもらった。鎧づくりにおいては、まず難しいこと抜きにして楽しんでもらうことを
優先することで親しみを持ってもらうことに重きを置いているということで、この考え方は町家についても当
てはまると確信した。また鎧を初めて間近に見たという参加者も多く、鎧づくりのお話にも皆興味津々で聞き
入っていた。ご夫婦が住まれている二階部分では現代的な家具が町家と調和し良さを引き出していたので、多
くの参加者から感嘆の声とともに、自分たちも住んでみたいという声が上がった。
8
■アンケート
京町家友の会のご協力で町家住人の方に実施したアン
ケート 25 枚を見ながら、実際に住まれている方が町家
をどのように感じているのかを考察した。住み心地や
町内会への参加度合いに関しては「満足している」
「で
きるだけ参加している」という回答が大半であったが、
町家の保存がうまくいっているか、町家を観光地とし
て広めたいかについては住人の方の中でも意見が分か
れるようで、私たちもその点に絞って議論を進めてい
った。この考察をもとに、以降の訪問先ではより住民
目線、実情に沿った鋭い質問、意見が増えてきたので、とても短い時間であったが有意義なものとなった。
■CHOBO
町家での暮らし、町暮らしを広めるために活動しておられるグループ CHOBO の方々を訪問した。町家で暮
らすうえでは切って離せないコミュニティとのつながりのある生活についてお話しいただいた。一方的なレク
チャーではなく、全員で輪になりフランクに意見、質問を言い合うことができた。日本人の感覚が高度成長期
後の「もの」を所有するというものから、現在広まりつつあるシェアするというものに変わりつつある風潮を
挙げ、その感覚が実は大世帯で住むという町家暮らしの根本と一致しているという指摘には、はっとさせられ
た。
■DALI
これまでに訪問してきた町家は比較的保存や利用がうまくいっているケースであった。それゆえなかなか町家
が年々取り壊されているということを認識することは難しかった。しかし DALI は数か月後に取り壊されるこ
とが決まっていて、所有者の残したいという思いも叶わず消えていってしまうという町家の現実を知ることが
できた。大工の棟梁さんもお招きして、町家が取り壊されていく実情についてお話を伺った。壊されていく原
因としては、建物の老朽化などハードな面だけでなく、町家に関わる人たちの人間関係もソフト面として大き
く影響を与えているという論に、表面からはなかなか見えない裏側を垣間見た気がした。それでも時代遅れの
ものから何か現代の生活にも通じるものを探し出したいというオーナーの強い気持ちに町家への愛を感じた。
■土間ハウス(アウトプット)
町家の魅力を改めて多くの人に発信して、より興味を持ってもらうことを目的に、土間ハウスにて座談会+流
しそうめんを行った。町家住人の方からそうでない方までお越しいただいて、自分たちが京都会期で学んだこ
とを発表。それに対してゲストの方から意見を伺うという形式をとった。町家と四合院の簡単な説明に始まり、
各訪問先で学んだこと、そして四合院との比較で見えてくる町家が置かれている問題点などを私たちなりに考
え発表した。内容に関しては、詰め切れていない部分もありその点をゲストの方に指摘されることもあったが、
発表をもとにゲストの方の率直な意見を聞くことができた。また「若い世代の人が今日のように町家について
勉強して、考えてくれることが、後世に伝えていくために一番有効だ」という言葉をいただいたときは率直に
うれしかった。座談会後は町家の中で竹を使った流しそうめんを皆で楽しみ、涼を存分に感じることができた。
9
■まとめ
最終的に私たちは町家の魅力を次の三つに分類した。1、町家の美しさ 2、町家は生きている 3、町家は
進化している。また伝統全般について、「残す」「残さない」の議論ではなく、「残る」ものにはそれなりの理
由があり、「残らない」ものにはそれが欠けていると考えた。伝統それ自体も過去の一時点のものではなく進
化しているが、私たちは古いものから何かエッセンスを今の生活に取り入れていきたいとまとめた。
□北京会期の概要
北京では四合院の現状を理解し今後どのようにできるかを考察していくことを目標に掲げ、いくつかの四合
院を訪れ、レクチャーを聞き、また構造を理解するために実際に四合院のモデルをつくった。しかし町家と四
合院で決定的に違うのは政府の影響力の大きさである。中国では基本的に国家が土地を所有しているため、新
たな都市計画に含まれた地域に建つ四合院は有無を言わさず取り壊されてしまう。圧倒的な権力の前に無力感
を感じながらも、四合院の魅力を伝えるために 800 年の歴史の中で変わってきたものと変わっていないものの
二つを挙げそれをもとに四合院の良さを再考していこうと、発表した。

感想、未来の PUKU へのメッセージ
(上野)
準備段階から約一年間 PUKU に携わってきて、会期前、会期中を通して本当に充実した日々を過ごすこと
ができた。京都会期では怒涛の忙しさで心が折れそうになることもあったが、その中でも分科会のメンバー全
員とやり遂げることができたというのはとても感慨深いものであるし、今後の自信にもつながると思う。個人
としては、北京大生の勤勉さに初めはただただ圧倒されていたが、会期の最後には一年後彼らみたいになって
やろうと、つまり手の届く目標と思うことができた。ちょうど、領土問題を契機に日中の関係がピリピリして
いる中での開催であったが、国家レベルの問題は個人レベルの友情には影響を及ぼさなかったと感じている。
確かに育ってきた環境が異なるので、すんなりとは分かり合えない部分もあったが、それでも 20 日間を共に
過ごす中で双方の分かり合いたいという思いもあ
り、私たちの間には「きずな」が生まれたのではな
いかと思っている。本気で向き合うことで生まれた
この「きずな」は確実に私たちの両国への目線を変
えてくれるものになる。
PUKU2012 は成功裏に終わったということがで
きる。
しかしまだまだ若い団体であるので PUKU は
成長の余地を残している。来年以降はそのような課
題にも取り組みつつ、今年感じることができた「き
ずな」を育み続けるような交流プログラムであり続
けて欲しい。その過程に来年も関わることができた
ら、私にとってはこの上ない幸せである。
両会期を通して、様々な方にお世話になった。彼
らのご厚意がなければ PUKU は成り立たなかっただろう。最後に心から感謝の意を述べて私の報告を締めく
くりたいと思う。
10
伝統分科会報告Ⅱ―――伝統分科会参加者:添田千鶴

はじめに
わたしはもともと伝統に興味があり、PUKU の活動は総じてとても有意義なも
のであった。なかでも、北京の伝統文化・保全状況を実際に現地に赴いて観察す
ることによって、現地の事情を肌で感じながら日本の伝統建築である町家と北京
の四楓院を比較することができたという点が PUKU に参加して一番良かったこ
とだと思っている。また、インプット→アウトプット→フィードバック→再考→
アウトプットというプログラム構成の一連の流れがよかったこともあり、会期を
通して建設的な議論をすることができた。

京都と北京の伝統文化を比較して
京都会期中は、京都にある現役の町家を訪れていった。町家の中には、完全に
商業利用だけのものもあったが、多くは人々が依然としてそこに住んでおり、町家に根付いた生活文化という
ものがまだ生きているように思われた。また、町家の住人も「まちやぐらし」の良さを認識しており、それを
後世に残していこうという思いが感じられた。さらに、町家は庭に象徴させるように、四季の移り変わりを意
識した造りになっており、現代のエコライフを具現化したものであるようにも思えた。しかし、このような町
家文化に対するある種あこがれの念があるのにもかかわらず、依然として町家の数は減少し続けており、人々
の町家にたいする知識、特に制度面での改正が必要だと考えられる。
北京会期では、北京の伝統的建築物である四楓院を見て回った。四楓院にも中庭などがあり、昔の自然を重
んじる精神を感じることができ、町家と異なり色鮮やかなペイントがなされていて、見た目にも鮮やかであっ
た。また、家の構造や家具一つ一つに風水などの意味があり、昔の人の生活を垣間見るようであった。しかし、
四楓院の数も急速に減少している。なぜかというと、近年の急速な経済発展によって四楓院が取り壊され高層
ビルなどが建っていることと、四楓院は維持費が高く庶民では住むことが難しいということである。これらの
問題は根本的に、住民に土地や住宅の所有権がないという政府の土地政策に起因している。また、四楓院はも
ともと高い地位にあった人しか住んでいないところであったため、中国の人々は単なる生活の場としてではな
く、そこに住むことをある種のステータスとみなしているようであった。そのため、別荘や軍の基地となって
いるところが多く、生活に根付く四楓院の文化とい
うことから離れてしまっているという現実がある。
このように、中国の四楓院と日本の町家がおかれ
た状況は、人々の意識・社会システムから異なって
いるのであり、生活に根付いた文化という側面から
みると、四楓院の存続は日本の町家よりも厳しいと
いうことがいえるだろう。そして、中国では伝統的
な生活に対する意識が薄いと感じたこともまた事
実である。伝統班の至った答えとは、文化に根付い
た生活が実際にその家で行われていてこそ、その家
が伝統的家屋であるという見解であった。
11

北京に行ってみて
北京大学の学生とは非常に良い関係を築くこ
とができたと思う。そのなかでも、彼らの何事
にも貪欲である態度には目を見張るものがあっ
た。自分の意見を主張し、議論に積極的に参加
する姿は私も見習わなければならないと感じ
た。また、北京の街に関しては、まだ未開発な
部分もあるが、とても近代的な街で人も多く活
気にあふれていた。この意味では、人々の服装
も日本と近かったので町並み事態は日本とあま
り差を感じなかった。しかし、やはり北京の人々
がパワフルではあった。

PUKU の感想
北京と京都では、総じて大きな違いがあるといえるだろう。そして、その違いを日本人としての色眼鏡では
なく、客観的に比較してみようという視点を持つことが大切である。また、今回会期を通して学んだ伝統的建
築については、保全に関する人々の意識の違い・法制上の違いなどが強く感じられる。日本では町家に関連す
る法律の改正、北京ではまず人々の保全に対する意識を上げることが急務ではないかと思われる。伝統建築は
壊すのは簡単であるが、再び同じものをつくることはできない。なぜなら、その建物がつむいできた人々の暮
らしや人生があるからである。建築物が老朽化することを考えると、伝統的建築を後世に少しでも多く残すた
めには、一刻でも早く保全に向けた取り組みをおこすことが重要である。そのためには、政府や地元の協力が
欠かせない。最後に、北京大学の学生について触れると、北京大学の学生と交流することで私は彼らにとても
感化された。このような人たちとこれから渡り合っていかなくてはならないことを考えると、頑張らなくては
ならないと思うと同時に、自分のモチベーションにもつなげることができた。ちょうど尖閣諸島問題で日中間
の雲行きが怪しいときであったが、自分たちのような小さなレベルでの交流を重ねることによって、少しでも
関係が改善することを願いたい。
12
第二部:分科会別報告
環境分科会報告
環境分科会報告Ⅰ―――環境分科会スタッフ:音無知展
■
テーマ
川添眞之介
「持続可能な社会」と「ゴミの堆肥化」
「持続可能な社会」そして、
「ゴミの堆肥化」が私たち環境分科
会の京都会期、北京会期を通しての共通のテーマだった。持続可
能な社会という大きな目標があり、それを達成する一つのアプロ
ーチとして、ゴミの堆肥化を選んだ。
■
京都会期
1.堆肥化実験~ダンボールコンポスト~
音無(左)と川添(右)
炭、米ぬかなど、内容物を変えて 3 つのダンボールを用意して、
対照実験を行った。毎週火曜日に下宿生のスタッフと参加者が自炊で出た生ゴミを持ち寄り、ダンボールコンポ
ストを継続的に実践した。なかなか温度が上がらず、発酵していないのではないかと心配したり、大量のイモム
シに閉口したりもしたが、成分分析キットを用いて 3 つのダンボールの堆肥化の進み具合やそれぞれの堆肥のタ
イプの違いなどを調べられて興味深かった。他人に勧める以上、自分たちで一度は試してみるべきだという思い
から始めたが、有益であった。
2.インタビュー
・市役所の濱口様
主に京都市のゴミ問題、その解決に向けた政策、更には詳細にゴミの焼却施設について、丁寧な解説をいただ
いた。ゴミ問題では、主に生ごみについて扱い、具体的な数値も参考に説明していただいた。政策については、
行政から市民レヴェルの話までしていただいた。例えば、ゴミ減量のための、ゴミ袋の有料化(これは中国では
あまり見られないらしく、北京大生も関心をもっていた)や、市民間でのコンポストの普及のために、一定数を
満たす、コンポスト作成に取り組む団体に対する助成金を支給する制度などについて、パンフレットを参考に解
説を受けた。京都市はゴミ減量に重きを置いており、これを中心に、様々な政策を実施しているのだと分かった。
バイオマス事業もその一環だそうだ。
・株式会社 Hibana の森様
Hibana の事業紹介を中心にお話を伺った。バイオマスの
中にも種類があり、Hibana では森林バイオマスといって森
林の資源を最大限活用するものに焦点を当てている。燃料
としてのペレットをはじめとして、様々な商品も見せてい
ただいた。薄い木の板で覆われた計算機など、つい手にと
ってしまいたくなるような木の温もりを感じさせる商品が
多く京都・北京の参加者はともに興味を示していた。この
ように、単に環境に優しいというだけではなくて、魅力的
な商品として開発・販売しているということがよく伝わってきた。
13
・京都大学環境科学センター研究支援推進員の矢野様
矢野先生には、かなり専門的、学術的な話をしていただ
いた。内容としては、生ごみの構成物、その成分比、更に
はそれらの物、物質に関する化学的な解釈など、難解であ
りながら知的好奇心を掻き立てる内容だった。また、講義
は英語で行われており、かなり専門的な用語を含んでいま
したが、参加者も熱心に耳を傾け、理解に努めていた。こ
のような専門性の高いバックアップがあるからこそ、民間
企業も、公的機関も、その助言を仰ぎ、仕事ができるのだ
なと実感した。
官・民・学の関係について私たちが議論した結果が「図 1」のようなツリーモデルである。
官→リーダーシップを発揮して、民間や研究者を巻き込んでプロジェクトを進めることができる。お墨付きを
与えたり、規制を加えたりすることもできる
民→難しい技術や考えを、商品化を通して一般的に受け入れやすい形に変える
学→正確な数値やデータの提供に加え、イノベーションが期待できる。
3.堆肥化イベント@京エコロジーセンター
京エコロジーセンターの島林様、杉本様始め多くの職員の方にご協力頂き、
「北京大学生とダンボールコンポ
ストを作ろう!」というイベントを企画した。自分たちで作った紙芝居を子供たちに見せてどうして堆肥化が大
切なのかを考えてもらった。質問を通して子供たちが自分で答えにたどり着いてくれたことが嬉しかった。その
後、ダンボールを用いて準備するところから、生ゴミを入れて混ぜるところまで実践した。参加者の子が楽しそ
うに米ぬかを入れたり、土を混ぜたりしていたのが印象的だった。
■ 北京会期
1.
市民に対するアンケートについて
北京会期では、市民の環境意識の高さ、環境教
育の水準を確かめるために、五十人程度を対象に
アンケートを行った。25 人は NGO が日頃からゴミ
の分別についてイベントなどを通して訴えかけ
ているコミュニティで、残りは地下鉄や宿泊して
いたゲストハウス職員やその周辺住民から回答
を得た。
最も大切な分析結果は、NGO が働きかけているコミュニティでは住民のゴミ分別などに対する意識がはるかに
高い、ということである。これは、地道な活動が人々の意識変化に大きな意味を持つことを示す結果であり、私
たちの活動をも大いに励ましてくれるものだと理解した。
14
2. インタビュー
・環境系団体との座談会
北京大学の環境系学生団体と、NGO のメンバーとともに、北京のゴミ問題に関する問題点の洗い出し、その解
決策について話し合いました。日本と中国の違いをしっかり踏まえた上で議論しなければならないと感じた。
・有機農園「Little Donkey」
北京郊外に位置する有機農園を見学した。ここでは、様々なコンポストの手法や、その活用の仕方を学んだ。
タイ式コンポストなどを用いて、肥料として農園で活用しているそうだ。コンポストにも様々な手法があり、そ
の地域で手に入るも材料も異なるし、気候、環境も異なるため、その地域に適したコンポストを用いることがよ
いのだと学んだ。
・リサイクルショップ「Change」
リサイクルショップも見学した。これは、コンポストとは関係なく、「持続可能な社会」のテーマを内容にし
たものだった。オーナーは環境のためというのではなく、あくまでこれはビジネスだと言っていた。ビジネスと
して利益を生み出すものでなければ、継続されることはないという主張は的を射ているように思えた。
3. 堆肥化イベントについて
京都会期と同様に、子供とその保護者を対象にして、ダンボールコンポスト普及を目指したイベントをコミュニ
ティで開いた。京都の時よりも多くの子供が参加してくれて、保護者の方にも関心を持っていただいた。
まとめ
私たちの活動で、最も注意していただきたい部分は、堆肥化は持続可能な社会へのあくまで一つのアプローチ
である、ということである。私たちは、家庭での生ゴミの堆肥化が持続可能な社会をすぐに形成するとは思わな
いし、それは全体の生ゴミ排出量などから見れ
ば微力であるとさえ思える。しかし、私たちの
最大の目的は、人々の意識を変えることにある。
各家庭で堆肥化を行うことでその家庭の子供は
知らぬ間に資源の再利用を学ぶだろう。自分が
出した生ゴミと向き合うだけでも、普段いかに
ゴミを捨てているかに気づくかもしれない。
それぞれがそれぞれの方法で持続可能な社会の
形成に関わることが望ましい姿だと思う。
ここでお名前を挙げさせていただいた方の他
にも、たくさんの方からお話をしていただいた
り、アドバイスを伺ったりしました。すべての
方々の助力・助言があって初めて PUKU 環境分科会の活動が有意義なものになったと考えています。この場をお
借りして厚く御礼申し上げます。
15
■ 個人的な感想
川添眞之介
PUKU は、学生のみで運営を行っています。よって、まだ
社会の制約をそこまで受けていない学生同士で、自由な発
想に基づきながら、自由にテーマを設定して、それに対し
て、柔軟かつ快活な議論を通して自分たちなりの結論を導
き出す。学生のみでということが重要で、これは活動終了
後に大変大きな達成感、自信につながりますし、また政治
的な亀裂が続く日中間の交流だからこそ、このように社会
の制約を受けずに、生身の人間同士、正直に、一切の先入観を払拭して、付き合う必要があると感じます。
今回も、大変残念な二国間の関係になってしまっていますが、次世代を担う現在の学生が、このような機会
を通して、友情を育み、時には文化や思想の違いに頭を抱えながら、自分なりに両国間の将来像を想像し、そ
れを少しでも豊かなものにしようと努力する。これは非常に重要なことだと思います。実際、今回も、政治的
な見解は日中の学生では違うなと感じる節もありました。もちろん同じような考えを持つ人もいましたが、大
切なのは、自分と、あるいは自分たちの考えと異なる思想をすぐに切り捨てるのではなく、そういう考えもあ
るのかとしっかり理解して、その上で、ではどのように互いにベストな選択をするかを模索する姿勢だと思い
ます。日本人は、中国政府が国際法を軽視しているから、すぐに中国が悪い、日本が言っていることが正しい
のだと主張します。しかし、そんな主張をしても何も変わりません。これからは、以上述べたことを理解し、
実行する力がある人が必要だろうと実感しました。
昨今の国際交流事業は、文化交流の面では非常に優れているとは思いますが、正直に申しますと、そのよう
な活動だけでは、両国間の親善な関係の構築には不十分であると考えます。文化交流だけでは、意見のぶつけ
合いが達成されにくいからです。また、議論だけでもダメで、やはり実際に現場に足を運んで、問題の実情を
自分で把握しなければならないと思います。その意味で、PUKU
は文化交流、議論、実践(フィールドワーク)をすべて網羅
している点で、大変充実した内容になっていると思います。
また、自分は、PUKU の活動の、プロセスの方が、社会への貢
献度よりも重要であると考えています。このプロセスに、大
きな意味があるように思うのです。すなわち、自分たちが社
会に出て仕事をするときに、自分で何が必要かを考え、それ
に対して自分なりのアプローチの仕方を工夫することが要求
されているような気がします。そんなときにこの経験が生き
てくるように感じます。
したがって、自分個人の考えとしては、自分たちのこの活動が短いスパンで実を結ぶことはなく、またはっ
きり言えば、そんなことは不可能だと思いますし、そんなことを目指してもいません。所詮学生の活動ですし、
長期的に活動をするわけではないので、成果はごく限られたものになってしまうのは事実です。しかし、だか
ら無意味だ、だから中途半端だ、と一蹴するのではなく、そこから何を学んだのか、話し合いを経て自分たち
なりにそれを消化し、自分で考えるきっかけを作る。決して自己満足的な活動ではありません。そこに大きな
意義があると思います。また、自分たちは、その活動の限界を十分理解しながら、真剣に取り組んでいます。
16
それぞれ何か学んだこと、感じたことはあるはずです。そんな経験ができたことに感謝するとともに、今後も
この貴重な機会が続くことを期待して、この感想を締めさせていただきます。
音無知展
環境分科会のリーダーとなり、もちろん重責を感じることもあった。参加者の方々はお金を払って私たちの
PUKU という活動に参加するのだ。参加者の方々が納得して満足してくれるような活動にせねば、という思いが
強かった。
「所詮は学生が行なっている活動だから…」という言い訳は絶対にしたくはなかった。会期前から
準備や実験も始め、参加者の方にも英語課題を出すなどしてディスカッションに向けての準備もサポートする
よう努めた。
私にとっての PUKU2012 の原動力が、昨年の PUKU2011 参加経験であることは間違いない。昨年はさしたる準
備もせずに参加し、自分の低い英語力、思考力のため
に議論について行くことができず、たまに議論の方向
について確認するくらいが精一杯だった。理想とする
社会貢献活動も明確な形で行えなかったことが少し
心残りでもあった。もちろん、このような後悔に近い
気持ちだけではない。やはり PUKU が終了したときの
あの達成感、充実感そして感動をもう一度味わいたい
という思いが何よりも私を駆り立てた。
今回の PUKU2012 では多くの点で、活動目標を達成
することができたように思う。ただ、ディスカッショ
ンについては、参加者(特に日本人)を十分に巻き込む
ことができなかったのが、私の力不足のせいだったように感じる。とはいえ、北京会期では京都会期よりも発
言が増え、徐々に英語での議論に参加者が慣れてきた印象も受けた。
中国人の学生と一緒にフィールドワーク、イベントをして、プレゼンを作り上げる。その中で、私は両国の
国民性を述べることの意味に疑問を感じた。北京大生の中にも、シャイであまり発言しようとしない人もいれ
ば、ものすごく細かいところにまで気を配ってスライドの作成に取り掛かる人もいる。日本では一般的に、中
国人は好きなことをバンバン言って、仕事がどちらかというと適当、というようなイメージを持っていると私
は感じる。しかし、中国人だから、日本人だから、ということは関係ないと私は思った。一般論を述べるのは
興味深いし大切な時もある。しかし、実際に一緒に生活して共通の目的に向かって協力するときに必要なのは、
相手を、その人を見るということだと思う。一般論の枠を取り払って、人と向き合う。その機会が PUKU には
溢れている。
3 週間という時間では語り尽くせなかったことを、今でも PUKU メンバーとネット上で語り合っている。日中
問わず今回もかけがえのない友を得られたこと、去年の自分よりも成長を感じられたこと、昨年のメンバーに
再会できたこと、PUKU2012 が私にもたらしたもの全てを決してなくさないように大切にしていきたい。
最後になりましたが、PUKU を応援し支援して下さった皆様ありがとうございました。分科会活動を振り返っ
ただけでも、いかに多くの方に支えていただいたかが実感できます。皆様のお力添えのおかげで、PUKU の活動
が充実したものとなりましたことを、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
17
環境分科会報告Ⅱ―――環境分科会参加者:石川春菜

はじめに
私は環境分科会のメンバーとして PUKU2012 に参加した。
環境分科会のテーマは「持続可能な社会(sustainable society)」
の形成であり、家庭での生ごみの堆肥化を通じたごみ削減への
取り組みというアプローチをもってその達成を目指した。以下
では京都会期、北京会期と振り返り、その後、活動全体を通じ
ての感想を述べる。

京都会期
北京会期私は 3 日目からの参加であったのだが、京都会期ではまず、専門家の方の講義を聞く中で「持続可能
な社会」への理解を深めた後、京都市伏見区にある市民向けの環境学習施設、京エコロジーセンターで子供た
ちに堆肥化を教えるイベントを開いた。
持続可能な社会の形成には、①政府②学術機関③企業や NGO、NPO といった民間部門の 3 つのフィールド
の協力が欠かせない。そしてそれらの活動を支え、基礎となるのが市民である。
私たちの活動は、市民に働きかけて環境意識の強化を図るものである。家庭での生ごみの堆肥化それ自体に
は、ごみ削減の効果をそれほど期待することはできない。特に都市部では個人の堆肥の需要自体がきわめて小
さく、これが個人単位で堆肥化を広めることの限界でもある。本格的に堆肥化を通じてごみを削減するために
は、例えば行政が生ごみを集め堆肥化をし、農家に売るなどといった行政の関与が欠かせない。しかし、ごみ
として捨てる物も再び有効に活用できる、ということを子供たちが知ることには大きな意味がある。また、イ
ベントは子供たちに楽しめるようにということを第一に考えて行ったのだが、園芸が趣味だという保護者の方
が関心を持って様々な質問をしてくださった。堆肥化は難しいものではないため、趣味の一部としてでも少し
ずつ広まればと思う。

北京会期
北京会期では民間部門により注目した。現地の学生の
環境団体や NGO の方々との討論や、exchange-shop・
有機農場でのインタビューを通じ、民間単位での様々な
取り組みを知った。その後、私たちにできることとして
京都同様、子供たちを対象に堆肥化を教えるイベントを
開いた。
まず、北京の環境対策はあらゆる面で京都より遅れて
いる。ごみ問題だけ見ても、分別やリサイクルが甚だ不
十分であることはもちろん、とにかくその量に圧倒され
る。原因は、経済最優先の政府、市民の意識の低さ、人の多さ、料理は残すものという文化等々、実に多様で
あると考えられる。日本の高度経済成長期を思い起こす。思うに、当時の日本と今の中国は環境問題のことも
18
含め似ている部分も多い。違いを決定的にしているのは格差問題である。あまりにも大きな格差が、問題をよ
り複雑にしている。
活動の中で私は様々な葛藤に直面した。この環境の中で堆肥化という些細な活動を進めて何になるのだろう。
リサイクルやリユースの前にもっと取り組むべきことがあるのではないか。所詮それらは一部の富裕層の慈善
活動という娯楽に過ぎないのではないか。問題に真摯に取り組もうとしない政府にやり切れない怒りを感じる
こともあった。しかし活動を進めるにつれ、自分があまりに悲観的であったことに気付いた。現在の北京、そ
の中においても問題意識を持ち、時に政府から阻止されながらも自分たちにできることを模索する人々の姿は、
大きな希望である。ある団体はごみの分別を勧める活動を行っている。分別してごみを出したところで回収さ
れるときは一緒に集積所に持って行かれるため、現状では意味がない。しかし、市民が分別を行えるようにな
れば政府も動くのではないかと、そう信じて活動を続けている。そこには強い信念がある。まだまだ課題が山
積みではあるが、地元の人々の諦めない姿勢を見習い、日本の経験を踏まえて協力して取り組んでいけたらと
思う。
PUKU を通じて

「近くて遠い国」とはよく言われるが、私もマスコミや書籍を通じた中国しか知らなかった。そしてそのイ
メージは決して良いものとは言えなかった。私から見た中国政府の政策は、批判したい点だらけである。領土
問題は置いておくとしても、少数民族の迫害や貧富の大きすぎる格差、経済最優先であまりに環境等を無視し
ているところ。なぜこれらがまかり通ってしまうのか。中国の未来を率いる若い学生たちはどのように考えて
いるのか知りたかった。それが PUKU 参加の第一の契機である。活動を通じて実際に知り合った学生たちは、
言葉こそ違え普通の若者たちであった。公に体制を批判することができないのであれば、見方は自然と偏るの
ではないかと思っていたが、彼らは政策を批判することもあったし、マスコミが全て正しいとは思っていない
点で日本人よりもよほどメディアリテラシーがあり、賢かった。ただ、
「仕方ない」ととらえてしまっていると
ころもあると感じた。政府は仕方ない、格差も仕方ない、その中で自分たちはどう動くか……。それは、グロ
ーバル社会の中で強くあろうという情熱にもつながっていると思う。
この夏、私は中国から多くの刺激を受けた。その中でも今の自分に一番引き付けて一つ挙げるのならば、学
習について。大学の設備を見てもわかるよう
に、中国は教育への投資に熱心である。さら
に学生も、課題が多く出されるということも
あり日本よりずっと勉強をしている。日本の
学生が勉強をしないということはしばしば言
われているが、このままでは中国から、世界
からどんどん置いて行かれると実感した。京
都大学の良いところは、学習のほとんどを学
生に任せているところ。言い換えれば、ひた
すら与えられた課題に忙殺されるよりも恵ま
れた環境にいるのだから、それを生かして自
分の興味をより熱心に追及していきたい。
尊敬すべき多くの友人に巡り合えたことを幸せに思うとともに、今後、両国がより良い関係を築けるよう、
少しでも力になりたいと思う。
19
20
第二部:分科会別報告
福祉分科会報告
福祉分科会報告Ⅰ―――福祉分科会リーダー:吉原美奈子

テーマ:
児童福祉
地域とこども、こどもと福祉。現代特有の児童福祉問
題解決のために、私たち大学生ができることとは。

概要
京都側《訪問先》
非営利団体 NPO法人 山科醍醐こどものひろば
吉原(右)と北京側代表の鄭(左)
《活動内容》
・山科区 しのみや祭りの運営にボランティアとして参加
・山科醍醐こどものひろばにてチャリティサロンを一日開催(中国語講座・チャイニーズノット・切り絵
福祉分科会は、児童福祉をテーマに山科醍醐こどものひろばにてインプットとアウトプットの両方を行った。
北京会期と京都会期がともに、こどものボランティアを軸に活動を行えたことは良かった。昨年は京都会期、北
京会期で同じ分科会でも全く異なるテーマを扱った分科会もあったため、改善点として今年は両会期で共通のキ
ーワードを決め、それに沿った活動を行った。20日間ではあるものの、同じテーマを両都市で学ぶことができ、
実感・経験することができたことは、最終発表において比較検討をし易くし、かつ活動そのものをスムーズに進
めることが出来たという点で大変良かった。

京都・北京会期を通しての感想
昨年私は伝統分科会の参加者としてPUKUに参加し、今年初めて分科会リーダーを務めた。北京大生は常に
誠意をもって活動に取り組み、京都側が用意した京都会期のプログラムを精いっぱいこなしてくれた。ディスカ
ッションにおいても、私が英語勉強不足のため
に議論進行がままならない時は進んで北京大
学生が指揮をとってくれ、北京大学生だけでデ
ィスカッションが盛り上がることのないよう
配慮してくれた。ロジックを非常に大切に最終
発表について考えることは変わっていなかっ
た。アカデミックな発表、ロジカルな発表にこ
だわるあまり、最終発表が味気のないものにな
ってしまい、実際に私たちが開催したチャリテ
ィサロンの活動内容が聴衆に伝わらず厳しい
コメントをもらってしまった。北京会期では、
21
この失敗点を見事に克服できたと思う。最終発
表に向けてのディスカッションの時間を十分にとり、例え日本語でもいいから全員が自分の意見を必ず発表する
ようにした。京都会期の間は、やはり英語がネックになったり北京大学生の的確な指摘に怖気づいたりして本当
にメンバー全員が議論で意見を口にする、ということは少なかった。そのためなんとなく当たり障りのない議論
が進み、本当に伝えたいこと、こうしたいと思うことは通訳できる者を通しての会話になりがちであった。しか
し、北京会期では、お互いの仲がより親密になったからということもあるが、英語でできるだけ伝えてみようと
する姿勢が双方に見られた。仲良くなった北京大学生と直接はなしができる、尖閣諸島について腹を割った話が
できる、冗談を言い合える、そういう楽しさが増してくると、自然にディスカッションもスムーズに進み、反対
意見であってもお互いに堂々と提案できていたように思う。試行錯誤しながら 1 つのプレゼンテーションをみん
なで一生懸命に作り上げることがこんなに充実して
楽しくて大変なものなのだと、みんなが実感できたの
ではないだろうか。
また、昨年も感じたことではあるが、日本人が中国
の文化を知っている以上に、はるかに詳しく彼らは日
本の文化を知っている。北京にて migrant children
と一緒に老人ホームへボランティアに行った時も、教
えるはずでもっていった折り紙とあやとりが、実は子
供たちのほうが上手で、最終的に私たち日本人学生が
子供たちに教えてもらっていた。歴史認識の点におい
ても同じだった。今年は日中戦争ミュージアムには行かなかったが、故宮やほかの観光地を訪れたときに自然に
話題は戦争や歴史についてであった。彼らは自国の歴史について非常に詳しく、それに比べて、私たち日本側は、
日本について、日本の中国との歴史についての知識が浅く、それを知ろうとする姿勢も足りていない。もちろん、
日中関係を専門に勉強している学生も多々いるが、やはり彼らはまだマイノリティであり、一般の日本人学生が
日中戦争の歴史についてある程度の知識を持っているとは思いにくい。北京大生とも話をして、両国の歴史の教
科書が割く日中関係についてのページ数の差が大きすぎることに愕然とした。今後アジアを台頭していくかもし
れない中国について、その中国との関係についてもう少し全日本人学生が学ぶべきだと思った。

京都会期
8月23日は山科区の地域のお祭りであるしのみや祭りにて運営のお手伝いを行った。北京大生の中には“夏
祭り”に参加することが初めての学生もいて、結果的には非常に貴重な経験が出来たと喜んでくれ、こどもひろ
ばさんにも今までで一番成果が大きかったと誉めても
らえた。北京大学生にとって相手が言葉の通じないやん
ちゃな子供たちであること、私たち日本人学生にとって
も幼い子供を相手にすることが苦手な学生が多くいて、
お話を頂いた時は果たしてうまく貢献できるか自信が
無かった。初めこそどうしたらいいのか分からずさまよ
っていた時もあったが、日本語を発音だけ真似して「輪
投げ100円 どうですか」や「道路アートに参加しま
せんか」など積極的に大声で宣伝してくれたり、道路ア
ートでも絵の才能を活かして小学生と一緒にお絵かき
をしていたりなど、すぐにやるべき仕事に順応してくれ
22
た。京都側が常にそばにいて彼らを手助けしながら、およそ4時間、できるだけのことはできたのではないかと
思う。日本語が分かる北京大生ばかりでは無かったのに、恥ずかしがらずに自ら声を出して輪投げと道路アート、
チラシ配りを行ってくれたことには本当に感動した。子供たちも彼らに質問したりしてコミュニケーションをと
り、翌日のチャリティサロンに向けてとてもいい経験ができた。
8月24日は福祉分科会のアウトプットである
チャリティサロン
開催日だった。こどもひろばさんのスペースとPUKU の人数との兼
ね合いで、午前と午後の2部門に分けてサロンを開催した。各1時間
半の予定だったが、予想以上に多くの方々が参加してくれたこと(午
前15人、午後18人:年齢層は幼児から定年退職者まで広範囲)、参
加者の皆さんが非常に熱心にサロンに参加してくれたこともあり両部
門とも2時間サロンを開いた。両部門とも、まず始めに簡単な中国語
講座を開いた。北京大学生が全て企画・実践し、通訳のみで30分間
中国文化についてのプレゼンと中国語、中国の新年の歌について紹介
した。
中国語講座を行って後、午前は切り絵、午後はチャイニーズノットの
講座を開いた。切り絵、チャイニーズノットはともに中国の伝統的な文化で、昨年わたしが伝統分科会で学んだ
ものである。このように、連続してPUKU に参加した学生がその経験を次回のPUKU に活かすことは有効だ
と思う。そうすることで昨年なにをしたのかを新しい参加者は学ぶことができるし、毎年の活動を関係性のある
ものにできる。来年のPUKUではまた今年の経験を活かしていきたい。
切り絵、チャイニーズノットの講座はともに大反響であった。切り絵は折り紙をモデルに沿って切り、それを一
枚の大きな画用紙に貼り 1 つの絵に仕上げるというもので、小さい子にもできるように簡単なモデルから大人用
の複雑な模様モデルまで用意した。北京大学生も積極的に参加者の皆さんとコミュニケーションを取ろうと努力
し、京都側のヘルプ無しでも楽しそうに切り絵をしている様子が印象的だった。チャイニーズノットに関しても
参加者の皆さんには大変喜んでいただけたが、北京大学生にとってはコミュニケーションの弊害が気になったよ
うだ。やはり一般市民を巻き込んでのアウトプットで英語が有効であるとは言い難い。その場合、京都では北京
大生が、北京では日本側が一般市民とコミュニケ
ーションをとることに苦労する。私も、北京会期
にて、老人ホームでボランティアを行ったとき、
一連のパフォーマンスに通訳が無かったこと、そ
して中国語のゲームをしたことでどういう進行状
況なのか把握できず、ものすごく取り残された感
じがした。また、老人ホームの皆さんが私たちの
活動にデモをしたという事実についても、私たち
がすらすらと中国語で自己紹介などをできたら彼
らにとっての印象もまた違ったのではないか。
23
福祉分科会報告Ⅱ―――福祉分科会参加者:黒田淳也

はじめに
悲しかった。こんなにも PUKU のメンバーと別れるが悲しいものになるな
んて、PUKU 開始前には想像もできなかった。中国に行けるから。北京大学
の学生と知り合えるから。こんな理由で PUKU への参加を決めた。しかし実
際に PUKU に参加して20日間過ごし、ものすごく多くのことを学んだし、
得ることができた。もちろん楽しいことだけではなくて、悔しいことや悲し
いこともあったけれど、この PUKU で過ごした20日間は僕にとってかけが
えのないものとなった。
活動を通して学んだことは大きく二つに分けられると思う。まず第一に、
福祉会で活動することで得られたこと。そして第二に、北京大生との交流や
中国での生活を通して得られたこと。これらはともに大事なことであり、は
じめに福祉班での活動を通して感じたこと、学んだことを報告し、其ののち
に北京大生との共同生活など、PUKU 全体の活動を通して感じたこと、学んだことを報告していきたい。

福祉分科会を通して
(Ⅰ)京都会期
京都会期では山科こども広場においての活動がメインであった。一口に福祉といっても、その範囲はとても
広く、学生が10日間ですべての問題に取り組むことは不可能であるため、児童福祉に焦点を当てて活動した。
地域の祭りの手伝いをしたり、こども広場でチャリティーサロンを開いたりした。チャリティーサロンとは、
山科こども広場が普段ひらいている活動であり、子供やその両親、さらには地域の人々を対象にしている。そ
してその活動を通じて地域コミュニティーをつくりあげ、児童を地域で育てていくことを目的としている。僕
たちも山科こども広場でチャリティーサロンを開催した。チャイニーズノットや切り絵などのサロンを開い
た。多くの子供たちや、地域の人々が参加してくれて、有意義なものになった。
これらの活動を通して、地域でこどもを育てる大切さなどを学んだ。そのためにはそのような機会を生み出
しコーディネートすることが大事であると思った。また児童福祉のために僕たち大学生にできることとは何
か。このことについて考える重要な契機となった。僕たち大学
生にできる最も大きなことは、子供たちに多様な生き方のモデ
ルを提供することではないか、と感じた。現代の子供は多様な
人間と触れ合う機会を多く持たない。一方大学にはさまざまな
バックグラウンドをもった学生がいる。この両者を結びつける
ことで子供たちに様々な生き方がある、ということを教えるこ
とができるのではないか、と思った。また大学生の中には、ボ
ランティアをしたいが機会がない、という学生が多くいるた
め、このような学生が気軽に子供たちと触れ合えるような“場”
を設けることが重要だと感じた。
24
(Ⅱ)北京会期
北京会期では、地方から大都市北京への出稼ぎ労働者の子供
たちに焦点を当てて活動を行った。
まずは出稼ぎ労働者の子供たちの現状などを知るために、い
くつかの機関を訪問した。一般的に、出稼ぎ労働者の子供たち
はボランティアの一方的な受け手になりがちである。しかしこ
れでは彼らの自尊心が育たない。そのため、彼らにもボランテ
ィアを行う場を提供し、ともにボランティアをすることを通じて、自尊心を育てることが現在求められている。
訪問を通じてこれらのことを学んだ。そしてその後、実際に出稼ぎ労働者の子供たちの小学校を訪ねて、二つの
活動を行った。まずはじめに、学校を訪問し、ゲームや折り紙等を一緒に行った。この活動はおもに僕たちが彼
らの現状を知ること、それに加えて彼らと仲良くなることを目的として行われた。次に、僕たちは彼らともに老
人ホームを訪れて、彼らともにボランティアを行った。子供たちには自分たちで、老人ホームの人々に披露する
ダンスなどのパフォーマンスを準備してきてもらった。彼ら自身にボランティアの準備やボランティア活動をし
てもらうことが一番の目的であった。この活動はとても難しかった。良い点とともに、改善点も多く見つかった。
まず良い点としては子供たちが受け手ではなく、ボランティアを提供する側になれたことが挙げられる。これは
最も大事な点であったのでこれを達成できたことはよかった。しかし一方で、僕たちの準備不足は否めなかった。
子供たちがもっと自主的にボランティアに参加できる仕組みを作るべきだった。ただパフォーマンスを披露する
だけになってしまっては意味がない。ボランティアをともに作り上げていくことが大事であった、と反省してい
る。また、老人ホームの人々が本当に喜ぶような活動をすることができたのか、という点には多少疑問が残った。
たしかに子供と触れ合うことで喜んでくれていた人々も多くいたと思うが、もう少し老人ホームの人々もアクテ
ィブに参加できる参加型の活動にすればよかったのではないか、と思った。このように多くの改善点がみつかっ
た。子供たちにボランティアを行う機会を与えるという発想はよかったと思うが、それを実践することの難しさ
を強く感じた。これから同じようなことを行う場合には、今回学んだことを生かしていきたい。
PUKU 全体を通して感じたこと

日本と中国の距離を縮めたい。これは僕の夢であり、今回の
PUKU 全体を通してより一層この夢が大きくなった。
北京大生との交流を通じて、多くのことを感じた。特に個と
個の交流の重要性を強く感じた。中国と日本は歴史的な問題な
ど、多くの問題を抱えており、国家間の関係性は必ずしもいい
とはいえない。それだからこそ、個と個の交流は大事なのであ
る。個と個がつながっていくことで、将来的には国と国同士の関係の悪化を防ぐことができるのではないか、
さらにはその関係を良いものにしていくのではないかと思った。20日間共に活動し、遊び、飲み、議論し、
腹を割り、過ごしていく中で、多くのかけがえのない友達、親友が多くできた。また彼らと日本人との考え方
の違いや習慣の違いも感じることができた。このような活動がもっともっと多くなり、個と個の交流が進んで
いけば、ほんの少しかもしれないけど、日本と中国の関係は近づいていくのではないかと感じた。また、今回
できた友達との関係を今回限りにしてはならない。一生付き合っていくことが大事だと思う。そこからまた輪
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が広がっていくと思う。
今回、PUKU はちょうど領土の問題などで国家同士の関係が歪みあっているときに開催された。そんなこと
をものともせず、多くの交流ができた。しかし一方で、ひとつだけ心にぐさっとくる出来事があった。ボラン
ティアとして北京の老人ホームを訪れたとき、僕たちが日本人だとわかると、老人ホームの人々の一部はその
会場から退出してしまった。また老人ホームで僕たちの活動をやめさせろという抗議もあった。本当に悲しか
ったし悔しかった。僕たちは何もしていないのになんで、過去のことや領土の問題と僕たちの活動に何の関係
があるの、という思いが込み上げてきた。しかしこんなことを日本人側が言うのは間違っているとも感じた。
もし日本と中国が逆の立場だとして、相手にそのようなことを言われたら腹が立つし、許すことができないだ
ろう。そのことを考えると、どうすることもできなかった。申し訳ない気持ちと、何もできない悔しさと、自
分の無知と、自分たちの無力さを感じた。今まで何度も中国を訪れていたけど、このようなことを考えさせら
れたのは初めてだった。この体験を絶対に無駄にしたくない。今まで、俺が日中の関係をよくする、って軽々
しく言っていたのが恥ずかしくなった。それでも、もっとこれから日本のこと、中国のことを知って、歴史の
ことも知って、互いの歴史の見方や互いの文化のことも知って、そしてそれらを発信して、現状を変えていき
たい、と本気で思った。
また、PUKU の活動の中で、北京大生と多くの議論をした。最終発表の準備や活動についてのディスカッシ
ョンなどである。これらを通じて自分の力のなさをまざまざと感じることができた。英語の能力のなさ、知識
の乏しさ、ロジックの甘さなど数えればきりがない。これらのことは一日で改善できることではないが、これ
から毎日意識して改善していきたい。これらのことに気付けたのもいい収穫だったと思う。
PUKU での20日間。きっと一生忘れることはないだろう。いろいろな経験ができた。ものすごく大変だっ
たけど、ものすごく充実していて、信じられないぐらい楽しかった。また PUKU を通じてできた友達は一生
付き合っていくだろうし、僕の宝物である。このような経験ができたのも PUKU を支えてくれる方々、そし
てスタッフや今回参加したメンバーのおかげだと思う。本当にありがとうございました。来年はスタッフとし
てこの PUKU を支えていきたい。
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第二部:分科会別報告報告

訪問先よりのコメント
京エコロジーセンター 島林様より
先日は、本当にお疲れ様でした!楽しく、無事にイベントを終了することができて、本当に良かったです。北
京大生との共同で、初めてのイベント実施・・・準備や調整等、とても大変だったのではとお察しします。私も
なかなかフォローが行き届かず、申し訳ありませんでした。
反省点としては、開催日がやはり夏休み期間での実施が理想でしたね。また、イベント中に学生のみなさんが
写真をとても沢山撮っていたことが、少し気になりましたが、お客さまと、やりとりをしながら進めていく姿勢
は、とても素晴らしかったと思います。北京大生もおもちゃなどを使って、積極的に来館者に声をかけている姿
が印象的でした。
紙芝居風の導入も、とても分かりやすかったと思います。実際に「食べ物を食べ、土に入れて混ぜる」という
行為を参加者と体験することで、小さな子にも実感してもらえるイベントになったのではないかと思います。参
加してくださったお母さんも「家でやってみます。」とおっしゃっていたので、イベントだけで終わらず、家庭
での実践にもつながる可能性が感じられました! 土の成分や作り方について、力石先生から直接お話いただけ
たことも、大変良かったと思います。館内案内は、時間が短く、紹介しきれなかった部分が多かったのですが、
みなさんが興味を持って聞いてくださっている様子が嬉しかったです。気になったことや、もう少し詳しく説明
が欲しかった場所があれば、いつでもご連絡ください。来館もお待ちしております♪
エコセンでの経験が、みなさんの今後の活動の糧になることを、心より、お祈りしております。

京都大学
矢野先生より
日中双方の学生が環境問題という視点を交流のテーマに掲げていることに感銘を受けました。学生とは思え
ない程熱心に質疑の声を挙げてくれていたことが印象的です。今後も両国の学生がともに学び議論できる関係を
継続していただけることを願っております

山科醍醐こどものひろば 八久保様より
24日のチャリティサロンは大成功でしたね。参加者の人数も期待以上で、活動後も切り絵やチャイニーズノ
ットの作り方を尋ねに来てくれた方もいらっしゃいました。中国語講座は小さなこどもにとっては少し難しかっ
たかもしれませんね。でも、大人のみなさんはとても楽しんでいましたよ。よく計画された素敵なチャリティサ
ロンだったと思います。これを機に、今後も何らかの形で関わっていけたらよいですね。

山科醍醐こどものひろば 梅原様より
こどもたちにとって、非日常の大イベントはとても貴重な経験であったと思います。北京からの学生さんと交
流できる機会は大人にとっても稀なチャンスでしたし、普段中国語講座に出席している地域の皆さんは特に喜ん
でいたのではないでしょうか。23日のお祭りではPUKUの皆さんの積極的なお手伝いのおかげで今までで一
番の売上を記録しました。また、お祭りの後の反省会で、PUKUのみなさんが出してくれた意見は今後の活動
のヒントになるものが多く、夏の期間だけではなく長期的なお付き合いができることを期待しています。
27
第二部:全体プログラム報告

全体プログラム
ゲストハウス「こばこ」での宿泊
昨年、一昨年と同じく、宿泊はゲストハウス「こばこ」でお世話になりました。長い一日の終わりに、み
んなでダイニングに集まって、声を抑えながらもついつい夜中まで話し込んだり、余裕のある朝には台所を
お借りして、京都側メンバーが朝ごはんを作る場面が見受けられました。

全体導入
京都会期初日の午前中、PUKU に対する目的意識を明確にす
るため、オリエンテーションを行いました。京都側顧問の阿辻哲
次教授からご講演をいただいた後、なぜ PUKU に参加したのか、
PUKU で何を得たいと考えているのか、各々が意見を発表しま
した。

着物着付け体験
PUKU 初年度よりお世話になっている、京都大学国際交流センター森教授の奥様のご厚意で、今年は北京
大生に本格的な着物の着付けを体験させることが出来ました。女の子は特に喜んでいて、シャッターを切る
音がずっと絶えませんでした。30 人分の着付けという重労働
をお引き受けくださった森様、本当にありがとうございまし
た。

全体ディスカッション
昨年と同じく①「理想のリーダー像」のテーマに加え、今
年は②「SNS の両国における影響」についての議論も行いまし
た。毎年、国民性が洗われる面白いプログラムです。

邦楽コンサート
京都の三条商店街を中心に活動されている「お着楽な会」の
皆さんがお越しくださり、津軽三味線の鑑賞と、簡単なお座
敷遊び体験をさせていただきました。京都会期一の盛り上が
りでした!

Sharing Time
今年も京都会期7日目の夜、互いに対する認識の変化を共有するための「振り返りの時間」を設けました。
正直な気持ちを紙の上に書き出して、みんなでシェアしました。良いところも悪いところも、率直に話し合
える仲になっています。
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第三部:北京会期概要
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北京側スケジュール
第三部:北京会期概要

北京側全体プログラム報告
長城観光
PUKU3 年目にして初!長城観光に一同は大喜び。北京側がバスをチャーター
してくれ、観光客の多い八達岭長城を避けて、慕田裕長城へ連れて行ってくれ
ました。築かれた年代が比較的古い古長城で、城壁から眺めると、遠くの峰々
まで烽火台が点々と続き、まさに壮観でした。

バドミントン大会
お互いの親睦を更に深めるためにはスポーツが一番。なんと北京オリンピック
で実際に使用された北京大学体育館を借りて、バドミントンのトーナメント戦
を行いました。なかなかどうして、PUKU メンバーは議論だけでなく、スポー
ツも得意な人が多いようです。

水越様(CLAIR)よりご講演
CLAIR(自治体国際化協会)北京駐在員の水越様より、京都府の中国との交流事業についてご講演をいただ
きました。PUKU は学生による民間の交流事業ですが、自治体規模で行われている活動について詳しく教え
ていただき、大変勉強になりました。参加者からは積極的に様々な質問が出されました。

餃子作り体験
こちらも恒例となっているイベントです。北京大学の食堂の一角
で、様々な話題に花を咲かせながら、餃子をひたすら包みます。
奇妙に一体感が生まれるイベントです。今年は昨年度の北京側参
加者が数名顔を出してくれて、北京会期全体を一層素晴らしいも
のにしてくれました。

漢服着付け体験
京都側の着物の着付けと対応して、北京では漢民族の伝統衣装、
漢服を着る機会がありました。中国の伝統衣装というとチャイナ
ドレスを想像しがちですが、あれは近代になって流行った新しい
ファッションなのです。本物の漢民族の伝統衣装は現在ではほと
んど注目されることなく、時代劇の中だけに登場するものになっ
てしまったとのこと。なんとも勿体ないことです。
30
跋0
おわりに ~PUKU に 2 年間携わって~
私が PUKU と出会ったのは昨年の五月末、已に参加者締切日を過ぎた時で
した。他サークルでの活動中、懇意にしていただいていた先輩に「夏休みに北
京大生と京都大学の学生が一緒に活動するプログラムに興味ない?」と偶然に
声をかけていただいたのが始まりでした。夏期休暇に何をするかを決めておら
ず、格安で中国に十日間滞在でき、英語の練習にもなるなら一石二鳥ではない
かといういまから思えば、なんとも安易な動機で参加を決めました。その時は、
PUKU と夏休み二十日間にとどまらず、一年以上関わり、私の大学生活をこ
れほど彩るものになることは夢にも思っていませんでした。
さて、私は昨年の北京会期後から、縁あってスタッフとして関わらせていただくことになりました。一度参加
したとはいえ、学生団体の一スタッフとしてプログラムを一から作り上げることは、一参加者としてプログラム
に参加することとは全く異なりました。何より驚いたことは、参加者の時に決まっていたことのほとんど全てが
ー分科会テーマ、訪問先、参加人数、助成金の提出先、スケジュール、宿泊場所―つまり“夏休みに北京大生と
京都大学の学生が一緒に活動する”という事以外、本当に何も決まっていなかったことでした。たった二〇日間
のプログラムだからそれほどすることは多くないだろうと高を括っていた私は、その仕事量の多さに驚くと同時
に不安でいっぱいでした。実際に準備が本格的に始まると、一年近くに及ぶ毎週のミーティングを経て、分科会
テーマ設定と北京側との折衝、助成金申請、スタッフの募集、訪問先へのアポイントメント取り、参加者の募集
と毎回のように時間に追われていました。私にとって何かの団体を運営側にたつということは、今回が初めてで
あり、不慣れさ故に不手際が続いた時もありました。その上、”スタッフ”という漠然とした責任感が肩の上にの
しかかり、不安は日に日に増大するばかりでした。しかし、私がどれほど不安に思おうが月日は着実に流れ、気
がつけば京都会期は間近でした。そして八月二〇日深夜、スーツケースを運ぶ音で静寂を破って北京大生十八人
がゲストハウス”こばこ”に来たのでした。その時になって初めて実感がわいたのか、漠然とした責任感は彼らと
過ごす京都での十日間を全力で充実したものにするという情熱に一変しました。そのようにして会期が始まると、
刺激的で怒涛のような日々の連続でした。もちろん、スタッフとしてのプログラム進行及びそれをスムーズに進
ませることへの責任感はありました。苦心もしました。しかし、それを上回り余りあるほどの気づき、学び、楽
しさにあふれていて、心から PUKU が楽しいと思えました。それまでの一年間の苦労が報われたとしみじみ感
じました。かといって会期中のプログラムが全てうまく行ったわけではありません。例えば、フィールドワーク
で得たことを比較、共有しまとめる議論ではそれをリードする役割にあたった時のことです。私は昨年、スタッ
フが決めていた筋書きどおりに議論が進んでいるような気がし、参加者として分科会にあまり貢献できていない
と感じていました。それ故、今回は参加者もスタッフも皆で論点を探し、それを選択していく作業から行おうと
しました。しかし、それは言い換えれば実質的には参加者への丸投げであり、声には出さずとも予めある程度の
予測をし、もし良いアイデアがでれば、それに肉付けしていけばよかったと反省しています。
わずか十日間でしたが、たくさんの酸いも甘いも経験し、十二分の充実感とともに京都会期は終了しました。
以下に上文中で触れた北京大生から学んだことについて述べたいと思います。
私にとって最も印象的だったことは、北京大生は妥協点が高く、また論理性を追求することでした。一例を挙
げますと、伝統班ではアウトプットでお邪魔させていただいた土間ハウスでフィールドワークで学んだことを発
31
表させていただいたのですが、その時のパワーポイントの発表内容は、英語に翻訳さえすれば私はそのまま最終
発表にも使えると思っていました。しかし、そのアウトプットで町家の住人の方や関係者の方から頂いたアドバ
イスを取り入れ、また、結論を修正するとなると、論理的には一貫性を失うという考えのもと、共に徹夜で違う
切り口のプレゼンを1から作りなおしたことはそれを象徴するものだったと思います。内容としては大きくは変
わらなかったのですが、論理性を高度に顕示するためでした。自分への厳しさも並一通りではないと感じました。
だからといって冷徹ではなく、普段は、うれしい時ははじけるほど笑顔で、食べ物をこぼして服が汚れたら思い
切り悲しみ、冗談を言って人間性の豊かさを垣間
見ることができました。中国人―日本人、北京大
生―京大生という垣根を超えて同じ大学生とし
て、魅力的な友人として時を共に過ごせたことは
非常に有意義であり、これからの私の人生に計り
知れないほどの影響を幸運にもうえることがで
きました。
自らの努力不足、直面する困難の数々により自
分は PUKU には不必要ではないか思い、PUKU
を去ろうとした時もありました。しかし、親切な
心で引き止め、寛大な心で迎え、成長の機会を与
えてくれたスタッフに心より感謝しています。
尖閣列島の領有権争いで日中関係がここ数年で最悪と言われる中で、次世代を担う両国の青年たちが交流でき
たことには、そしてそれに参加できたことにはきっとそう軽くはない意義があるはずです。それを参加者、スタ
ッフが意識し、また関係者とどまらず、各人が感じたこと考えたことをこの周囲に伝え広めることによって初め
て PUKU の目標とする真の国際交流を達成できたと胸を張って言えるのだと思います。さらにいえば、PUKU
がこれからもずっと素晴らしい機会を京大生と北京大生に提供し続け、両国間の相互理解を促進し続けることを
願ってやみません。
最後になりましたが、このような機会を与えてくださった訪問先の皆様、関係者の皆様に心より感謝申し上げ、
私の報告書とさせていただきます。
2012 年 9 月
PUKU 2011 参加者
PUKU 2012 スタッフ
豊原 圭次郎
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■京都側協賛(順不同)■
京都 お着楽な会
林 保男様,森 純一教授,江田憲治教授
田坪成浩様,栗林史子様
■北京側後援・協賛(順不同)■
王 京教授
PUKU2013 新スタッフ&参加者募集中!
まずはお気軽に、下記までお問い合わせください。
E-mail: [email protected]
Twitter: @pukukyoto
HP: www.puku-kyoto.com
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