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世界史教育における文化圏学習
社 会系教科教 育学会 『社会 系教科教育学研究』第 6号 1994 (pp.73-78) 世界史教育に おける 文化圏学習 一 匚 辺境」概念 を手掛か り と してー “World History ”‘Metropolis-Periphery' “Cultural and ” Area A Reconsideration onTeaching Concept はじめに 「 ,辺境」 学校教 育, なかでも世界 史教 育の 場に お い て ー ロッパ および をいかに取 り扱 う」 か と 題は, ヨ とい しう て問 取 り 扱 い がちな世界史教育 中国だ, けを 「中 心題 大 きな課 であろう。とりわ け,文化圏学習 の 中で ,当該文化圏の 辺境はもとよ り,文化圏相 においては , 「辺境 」の取 り扱いは 重要な位 互の 関係において。 も本稿は ,主と して教 育内容論の 立 置 を占, め てこよ う概念がいかなる歴史状況の 「辺 境 」 中で形成 場から ,それ がどう展開 し,現在の世界 史教 育の中に反 され ,文化圏学習の さら 映 しているのか を探ることに より なる展開の 追求を目指す もの である气 渡 邉 義浩 (北海道教 育大学函館校) ,地理的概念であった中華と夷狄は ,次第に天子の と った气 徳化を基準 とする文, 化漢 的民 概 念が に居 転化 し て中 い原であるこ 族 住 する か うして中華 と夷狄は ,徳化という文化的 否かという地理的な差異では なく 。かかる中華と 成熟度によ り決定され る こ と に な った へ の 転 化 は , 必然 的に厂 夷狄一 夷狄 概念 」 概の 念文 に化 負的 の概 価念 値観 を付与 した 。す なわ ち 「夷狄一 辺境 」は文化の及ばない地域 ,徳化の及ばない地域 と 辺境 。 いう負の価値観 を包含する概念 となったので ある , この概 中華 と夷狄 に関して着目すべき点の 第 二 は 。具体的な事例 念が 重層的 な日 構本 造 を 有律 す令 る国 こと で成 あ立 るさせると,天皇 。 は , 家 を を掲 げよう ,その外部 を天皇の 1。匚 辺境」概念の構造 を 頂 点 に 統 治 権 の 及 ぶ 地 域 を 化 内 。また,隣 国 である唐 , 匚 中心」と厂 辺境」を表 古代東アジ, ア中 世華 界と に夷 おい てあ 化の及ばない化外 と区 別 し た 狄で った。中国で周代より 教 , 夷狄 である蝦夷 ・隼人とと 現する概念は 諸国, を律 も令法体 ,世界文化の中心 蕃国である朝鮮 系の 中にも華夷思想 を 儒家を中心に形成された 中 華 思 想 は も に 化 外 と 位 置 づ け 。こうして 日本は ,中華である中国に対 し 天子が徳治政治を行い,徳の直 である中華を支 配 す る 反 映 さ せ た ,国内に 対しては 中華 (小中華 ) ・東夷 ・西戎 ・北狄の夷狄が中華の徳 接及ばない南蕃 夷重 で層 あ り が ら心と辺境」の 。また政治的に ては東 , 的な 「中 シテスム を敷いた を, 慕い たある中国の天子 とな り 。さらに 中朝 華貢 思を 想行 はう ,と 夷す 狄る のも 首の 長で があ 中っ 華で 日本は ,新羅に対 して調 を要求 し, は ,王号 の で あ る ・爵位などの冊封をうけ,天子の外臣とな ,朝鮮諸国や東北アジ から 渤 海 を 朝 貢 国 に 位 置 づ け る な ど 。具 ,自己の 中華思想に基 づく国際社会の秩 アに対 しても り君臣関, 係中 を華 締で 結あ する中 と国 いう 国狄 際で 体あ 制を 形成 し日 た本 と夷 る朝 鮮 ・ ・ 形成 を目指 したの であった气 体的には ,朝貢と冊封によって君 序 ,中華と夷狄か らなる古代東アジア世 ヴェ トナム等, の周 辺 諸 国 と が 以 上 の よ う に 東アジアの世界システムである冊封体 」概 念は ,第一に 地理的概念か ら文 臣関係を結び 「中心と 辺 境 。こうして中華思想は,中国国 界の へ転化 し,その 中に価値観 を内包す るもの 制を形成した, の周 で辺 あ諸 る国 念 ・諸民族にも受容され ,儒教 ・ 化的な概 。そして第二に東アジア世界の 「中心 と辺境 」 内はも と よ り で あ っ た ,匚 中 心 」 で あ る 中 国 だ け が , 一 元 的 に ・中国仏教 ・漢字文化を指標とする東アジ 律令制 テ ム は 。 のシス 」 の 周 辺諸国を支配下に置 くだけのものではな ア世界 を規定する国際秩序の根幹となったのである () 2 厂 辺 境 , 日本と朝鮮諸国との関係の ように ,中国の冊 封体 」 中華と夷狄と, いう 古 代 東 ア ジ ア 世 界 の 匚 中 心 と 辺 境 第一に着目すべきは,概念の文化的 く の概念に関し て につ 重ま 層 的 な古 中代 華東 とア 夷ジ 狄ア の 関界 係 を 成 す る も の 。中華概念の形成期である殷周時代には, 制の内部。 り , 世 の形 匚 中 心 と 辺 境 」 性格である 天下の中心と考え,その地を文化の優れ であった ,中国を頂 点とす る中心的なシステ 首都の周辺を の 世 界 シ ス テ ム は ,いくつものサ ブシス テムが 内部に形成さ ・華夏と称していた。すな た華, やか 識し 両な 概地 念と認 も, 地中 理華 的概念であった。しかし,春 ムのほかに ,幾層もの 「中心一 辺境」関係 わ ち れ る よ って 秋戦国時代から,儒家により中華概念が整備される を 包重 含層 す構 る造 もに の と し て 形成 され ていたの である 。 73- 2。差別の 重層化 一 辺境」 古代 東醸 ア成 ジ過 ア程 世か 界 を 事 例的 に概 検念 討 し た 匚 中 心観 , ら文 化 と し て 価 値 を包含 概 念 は ,その 内部に重層構造 を有するもの であった 。かか し 一 辺境」概念は ,世界が西ヨー ロッパに従属 る 「 ,中 世心 界 史が成立 した近代という時代性においては , し 。 いかなる特質を持つようになるの であろう, か世界史が 世界史教 育が世界 史の理 解 を 掲 げ る 以 上 一辺境」概念に規 定される世 形成 された 近代の 「中 ,心 世界史教育に色濃 く反映せ ざる 界シス テムの特質 はこうした意味で,近代における 。 を得な い で あ ろ う 一 辺境」概念の特質は ,歴史的視点を時代的に 厂 中心 制約 され ている近代に形成 された世界史教 育自体が内 包 し て来 い る問 題 点 の 追求 に西 繋欧 が中 る心 も史 の観 で批 あ判 るとい 思う わ観 れ 。従 , かか る問 題 は , る ,本稿では ,近代における差別 点か ら行われ てきたが ,この 問題に 接近 してみ た い 。 の重層化という視座 から ,それ ま 15世紀 末か ら始まる西欧諸国の 対外侵略は , で独 自の 歩み を続けてき た 各 地 の 諸 文 明 を 押 し つ ぶ し 一体 化 をもた ら し た 。 ウ ォ ー ラ ー 近代西欧に よる世 界の世紀 ,16 を起源 とする資本 主義的な ス テインに よ地 れ ば的にも世界 , 理 を覆 うよ うにな り,ヘゲ 世界経 ー済 のは 確立と崩壊,中核 ・半辺境 ・辺境の立場にお モニ ,近代世界シス テム を かれた各地域 を浮き 沈み さ せ る 。そこでは ,厂 中心」地域で 成立させることになった一方で,その他の地域は世界 ある西欧に富が集中 す るて余剰 」と し を 「中心」に奪われ続 シス テ ム の 匚 辺 境 。こうして,強 力となった 「中心」地域は ,さら ける , 「辺境」地域の諸 国家に圧力 に強 力な 国 家 を形 成 し , 「辺 境 」 地域 をますます低位の位置に従属 をか けて ,かかる資本主義の世 させ ていく气ア ミン に よ れ ば ,従属 国たる匚 辺境 」は ,このシ 界システムの 中では ,経済的に発展 ステムか ら分離する ことによってのみ し得る道が開かれ い け あ という 气 一て 辺 境る 」だ は ,で 西 欧る が 「中 心」 とな り, かかる匚 中心 」イヒ しただ けではない。 その 他 す時 べ て の 地域 を匚 辺諸 境地域 , 当 の 欧 州 の 諸国 ・ 自身の在 り方に,基 実は 。す なわ ち ,世界の中で西欧の 底 を持つ問題であった ,欧州世界は , 優位が決定的とな っ た19 世 紀 に お い て ,その周 辺に諸国 ・諸地域が存す る政 英 を 頂 点 と し て ・経済システム として再編 された气 治 ,英に伍 して国 民経済の増強 を図る仏 ・ 具体 的には ,さらにそれ に遅れ て依然半封 独の中進 資本主義国家 ,国 民経済の 形成 を 建的土 地 所 有 関 係 を 内 包 し な が ら ・墺 ・西の周縁 国家が ,国家の総合力に おいて 図 る 伊 階梯 づけられ ながら配置 され ていた 。この ような対外 ・軋轢は ,欧州地域の 内部 関係から生ずる様 々な , そ競 の争 矛盾 を表面化させた 。仏によ の弱い環に お いて ・ ニース ,普によるアルザス ・ロレー ヌ るサヴォ, イ ア 欧 州内部の 「辺境」 を,国民国家建設のス の獲 得 ー ガは ンの もとに ,強制 的に編入 しようとした試み で ロ 。また ,多数の 民族 を抱えた 地域 を国と して統 あっ, た凝縮 化 しようと したオース トリアーハ ンガ リー 合 し ニ 重帝国体制は ,その存在 自体 ,ヒエラルキ ッシ ュな ,自地域の 「辺境」イヒ を押 し留めるた 欧 州世界 に対 し ー−ポ リティッ めの方策であった气この 近代的パ ワ ,のちにバ クス を背景 と した欧州内部の地域 争奪戦 は 。 ルカン問, 題 に 集約 さ れ て対 いく こ とに なる 以 上 の よう な 外 的 「中 心 一 辺境」関係の さらに ,国家建 設過程で国家領域内部におけるエ 生成に加え 一 辺境」関係が形成されて いく ス ニシティ間の 「中心 。仏におけるブルタ こ と 目 し けれ ば な ら ー ニに ュも 語注 の 抑 制な や , 独 ・ 東 欧な 諸い 地域にお けるポー ラン ・チ ェコ民族の 抑圧など,領域の 内部においても 「 ド 」が展 開 しているの である气 差別の 重層 化 ,欧州に よるその他の地域の 「辺境」 以上の ように ,欧州 化 という図式を生成させ た 近 代 世 界 シ ス テ ム は 」の顕在 化,前者による後者の 内部 で の 「 中 心 と 辺 境 ・支配 を進 行させる過程 をも有 していたの で ある 。 統合 ,自己の 内部に 「中心一 辺境」 こう して近代 欧州 , 全は 体 と しては世界の 『中心』 とな り, を有 しなが らも 」 として従属 させ ていく。近代 その他の地域 を 「辺境 , 「辺境 」概念は世 欧州が世界 を従属イ 匕 して い く 中 で 。す なわち ,西ヨー ロッパ を 界 的な規模へ と拡大 した 」化され て いったの で ある 。 除 くすべて の 地 辺境心」たる欧州に 」諸 地域 域が厂 は , 「中 ,政治 ・経 「辺境 。欧州は ,自己 済 的な従属 を強 いられ たに止」 ま ら な い を,自己の反価値 的な と異 なる文化を有す る 「辺 境て,欧州以外の 。 こう し 世界 = 「 存在 と し て 認 識 し た 」は ,遅れた未開な文化的価値の低位な地域 であ 辺境 ,欧州,中でも西欧中心史観に るという認識が確立 し 。しか もか かる 認識は , よる世 界 史 把 握 の 端 緒 と な っ た 」地域の 自己認識まで をも規定 したの である 。 「辺境 ,世界史の発展を自由の 実現過程と捉えたヘ え ー例 ゲ ルば は ,西欧の反措定と して ,アジアの停滞 を強調 。 しかも,丸山真男が この 認識 をその まま 受けて , した ,西欧の認識は , 「辺境」 アジアの停滞 を説いたように 。 側の 自己認識に ま戦 で後 影響 を 与 え の で あ る “ , の 世 界 史た 教 育 に 理論 的な影響 を かかる認識は 。小谷汪之によれ 与, えマ たマ ルク ス 主ジ 義ア に も識 看も 取 し 得 る心的な歪み ルク ス の ア 認 西欧 中 を持っ ば ,戦後 ,論争が繰 り返されたアジア 的生産様 式 て お り も , 西欧の 対極と して歪め られたアジアの 姿 にす ぎず , ― 74 ― な た め, 商 業 的 進 出を 図 れ な か っ た こと に求 め られ る。 インドには存在 しない生産様式 である という % 近 代 の世 界 史 認 識 は, こ う し た 「 中 心 一辺 境 」 概 念 日 本 は 工 業 化 を 行 い 自 己 の生 産 力 を 高 め る こ と によ っ に 規定 さ れ て 形 成 さ れた 。 世 界 史 教 育 に お い て , 西 欧 て の み, 東 ア ジ ア 世 界 の朝 貢 シ ステ ム の 中 で, 中 国 に 中 心 史 観 か ら の 克 服 が 容 易 で は な い 根 本 的 な 理 由 は, 代 わ り 厂中 心 」 と な り 得 た の で あ る。 か か る 把 握 は, 近 代 の 世 界 史 そ の も の に, 西 欧 を 「 中 心 」 と し , そ の 西 欧 の 衝 撃 を う け て 日 本 の近 代 化 = 西 欧 化 か 始 ま っ た 他 の地 域 を 価 値 的 に 低 位 の 「 辺 境 」 と す る 匚中 心 一辺 と す る 従 来 の西 欧 中 心 史 観 に よ る ウ ェ ス タ ン ー イ ン パ 境 ] 観 が 内 在 し た た めで あ ろ う 。 クト 論 で は行 い 得 な い 。 し か も か か る 理 解 は, 経 済 的 一 方 , 「 辺 境 」 の地 域 で は , 西 欧 の 「 辺 境 」 認 識を な 近 代 化 を 説 明 で きる だ け で は ない 。 政 治 的 に も, 日 そ のま ま受 け た 自 己 認 識 を 前 提 と し て, 近 代 化 = 西 欧 本 が1871 年 に 締 結 し た 日 清 修 好 条 規 は, そ れ ま で 東 ア 化 の努 力 が 開始 さ れ た。 そ の過 程 に お い て , 「辺 境 」 ジ ア 世 界 で 中 華 で あ っ た 清 朝 と対 等 な 関 係 を 締 結 し , 地 域 内 で 逸 早 く 近 代 化 = 西 欧 化 を 推 進 し 得 た地 域 は, こ れを 足 場 に 東 ア ジ ア の 国 際 関 係で あ る 朝 貢 シ テ ス ム 自 己 が 厂辺 境 」 内 の 厂中 心 」 で あ る こ と を 主 張 し て , を 改 編 し, 朝 鮮 ・ 琉 球 に対 す る 日 本 の 匚中 心レ 哇を 認 他 者 と の差 別 を 行 い 始 め る 。 こ う し て, 西 欧 を 頂 点 と 識 さ せ る 意 図 が あ っ た と 理 解 で き る の で あ る ゜。 し な が ら も, 「 辺 境 」 の内 部 に も重 層 的 に「 ̄ 中 心 一辺 以 上 の よ う に, 日 本 の近 代 化 は, 東 ア ジ ア文 化 圏 に 境 」 が 形 成 さ れ る, 近 代 世 界 にお け る 差 別 の 重 層 化 か 固 有 の朝 貢 シ ス テ ム に, い か に対 処 し た か と い う 内 容 進 展 し た の で あ る。 そ し て , そ の 際 留 意 す べ き は , 近 によ り 決 せ ら れ た 部 分 が 大 き く, 近 代 化==西 欧 化 と い 代 化 = 西 欧 化 の過 程 に お い て も, 当 該 文 化 圏 に 固 有 の う 単 純 な 西 欧 中 心 史 観 の み に よ り, 把 握 し 得 る も ので 国 際関 係 を 踏 ま え た 近 代 化 が 行 われ た こ と で あ り , 西 はな い の で あ る。 ア ジ ア は, 西 欧 とい う世 界 のF  ̄ 中心 』 欧 文 化 圏 に そ の 他 の 文 化 圏 が 吸 収 さ れ, 世 界 中 が 均 質 に対 し て は, お し な べ て 匚辺 境 」 で あ っ た。 し か し , 的 な西 欧 文 化 圏 と な っ た の で は な い こ と で あ る 。 そ の 内 部 で は, 文 化 圏 固 有 の シ ス テ ム 内 に 匚中 心 と辺 具 体 的 な 事 例 と し て 日 本 の近 代 化 を 取 り 上 げ よ うO 境 」 の サ ブ シ ステ ムが 形 成 さ れ , そ の 匚中 心 」 と な り 日 本を 始 め と し た ア ジ ア諸 国 の 近 代 化 は, 西 欧 社 会 の 得 た 日 本 が , ア ジ アへ の支 配力 を 確 立 し た ので あ る。 近 代 化 を モ デ ル と し て , 工 業 化 に よ る生 産 性 の向 上 を 普 遍 化 す れ ば, 西 欧 を 頂 点 と す る 匚中心 一辺 境 」 構 目 指 し て き た。 工 業 化 を 達 成 す る た め に, 農 業 生 産 を 造 の差 別 的 特 質 が 形 成 さ れ る こ と を 前 提 と し な が ら, 中 心 と し た ア ジ ア の伝 統社 会 は,解 体 さ れる対 象 とな っ F ̄ 辺 境 」イヒ さ れ た 地 域 の 内 部 に も, 当 該 文 化 圏 固 有 の た。 従 来 の西 欧 中 心 史 観 に 基 づ くウ ェ ス タ ン ー イ ン パ 新 た な 「 中 心 一辺 境 」 の サ ブ シ ス テ ム が形 成 さ れ る こ クト 論 で は, こ う し た 日 本 の 工業 化 の必然 性 の理 由 は, と が, 近 代 化 な の で あ る。 西 欧 が 作 り 出 した近 代 で は, 問 わ れ る こ と も な く説 明 さ れ る こ と も な か っ た。 な ぜ こ う し て い わ ば近 代 世 界 にお け る 差 別 の重 層 化 か 進 行 近 代 日 本 が 工 業 化 し な け れ ば な らな か っ た か , と い う し た の で あ る 。 か か る 差 別 の重 層 化 を 踏 ま え る こ と に 一 見 自 明 な が ら 重 要 で 難 し い 問 題 は, 日 本 を 含 め た 東 よ り, 世 界 史 教 育 に お け る文 化 圏 学 習 に も, 新 た な地 アジア世界 の伝統的な世界 シ ステムから考えてい くこ 平 が 開 か れて く る ので は な い で あ ろ う か。 と に よ って , 理 解 の糸 口 が 掴 め て く る の で あ る。 日 本 を 含 む東 ア ジ ア世 界 の 伝 統 的 な 国 際 関 係 の シ ス 3。 文 化 圏 学 習 の 課 題 テ ムは , 朝 貢 を 中 核 と す る 重 層 的 な 冊封 体制 で あ った。 歴 史 上 の 匚中 心 一辺 境 」 概 念 は, 地 理 的 概 念 か ら 価 1840 ∼42 年 の ア ヘ ン戦 争 を 嚆 矢 と す る 西 欧 諸 国 の ア ジ 値観を内包 する文化的概 念へと重層構 造を有し なが ら ア 侵 略 も, 冊封 体 制 と 無 関 係 に 行 わ れた もので はな く, 転 化 し , 近 代 に 至 り 西 欧 を 頂点 と す る差 別 の重 層 化 構 ヨ ーロ ッ パ諸 国 も朝 貢 関 係 の論 理 の 中 に 組 み込 ま れ, 造を 有 す る も の と な っ て近 代 世 界 シ テ ス ムを 形成 した。 地 理 的 に は 四 囲 に 近 接 す る 匚辺 境 」 に 位 置 さ せ ら れ て 近 代 に 形 成 さ れ た 世 界 史 は, か か る 匚中心 一辺 境 」 概 開 始 さ れ た。 し た が っ て, 明 治 維 新 を 契 機 に, 近 代 の 念 を 内 包 す る も ので あ り, そ の学 習 に は こ う し た 認 識 世界 システムに「辺境」 として位 置づけ られた日本 の を 踏 まえ た う え で の教 育 内 容 の分 析 が 必 要 と な ろ うO 近 代 化 も, 東 ア ジ ア の 伝 統 的 な 朝 貢 シ ス テ ム に 規 定 さ こ と に近 年 提 唱 さ れ, ま た 受 容 さ れ て い る文 化 圏 学 習 れた ものであった。 すなわち, 日本の近代化を 東ア ジ で は, 文 化 圏 と い う概 念 装 置 に一 層 の 有 用 性を 持 た せ ア 世 界 の朝 貢 シ ス テ ム か ら 捉 え れ ば, 日 本 が 中 国 に 代 る た め に, か か る 視 角 か ら の 分 析 が有 効 と な ろ う。 わ っ て 東 ア ジ ア の中 華 = 中 心 を 奪 取 し よ う と す る 過 程 学 習 指 導 要 領 の世 界 史 の 目 標 にお い て, 初 め て 文 化 か ら, 日 本 の近 代 化 を 把 握 で き る の で あ る 。 圏学 習 が 掲 げ ら れ た の は, 昭 和53 年 告 示 の学 習 指 導 要 具 体 的 に は, 日 本 が工 業 化 を めざ し た 理 由 は, 東 ア 領であ った 气 そして,平成 元年告示 の学習 指導 要 領 ジ ア の朝 貢 シ ステ ムを 支 配 す る 清 国 商人 の勢 力 が 強 大 世 界 史 B で も, 世 界 史 の 目 標 に 文 化 圏 学 習 の重 要 性 が ― 75 ― ,内容の(2), (3), (4) に ,それ ぞれ 東アジア文 うた わ れア , 西 ジア ,南アジア文化圏 ,ヨー ロッパ 文化圏 化圏 。 の 四つ, の 文 化 圏 が 掲 げ ら れ て い る の で あ る 社会科の成立とともに開始され た世界 史教育 戦後 ,匚 世界史の基本法則」に代表 され る社会構 の 主流は 9 . 成体の 発史 展 に よ 歴 史 法 で あ っ た , 的 唯っ 物て 論を 中を 核認 に識 据す える ,方 普遍 的 な 歴 史 発展 しか し ,その教 条性 と西 の法則性 を理解 させ る発展段階論は %それ らの 欧中心, 史上 観原 に専 厳 し 批 判 がた 浴 び元 せ ら世 れ界 た 禄い が 提唱 し 多 的 史の 把握法は 中でも 。生活現実の 歴史化的 ・課題化的認識に 有 力であ, った やが て十三文明圏論として結 実する諸文明 基づいて ,史 圏の 並立の うえに立 つ世界 史を説 く上原の構想 は S 。 的唯物論者達にも大きな影響 を与えたの である こうし 原 ら 多 元 な し ,た そ上 れ と はの 別 の 淵的 源 を世 持界 っ史 て理 文論 化も 圏背 学景 習と は 形な 成 が らも 。注4 所掲星村論文によれ ば ,文化圏学習的な され た ,世界史成立の 当初か ら存在する世界 史の構成 発想は 一つであった 。それ が,昭和 に関する基本的な原理の B)において,指導 35 年版の 学習指導要領世界史 A( , 計画作 成および指導上の 留, 意昭 事項 の(3) 初 め て 登 場 し 和53 年に 版 で は 目 標 に 明 昭和45 年度版で内容 項 目 に 。昭和53 年版に よれ ば,①膨大で煩 示 されたのである 瑣な, 世界 の歴 諸容 事 象 を 整事 理 し 徒選 のの 理手 解 を 易つ に ② 世 界 史の 内 ・ 指導 項生 の精 段容 の 一 す る ,③ 西欧や 中国中心の史観や内容構成の傾 向か とする ,グ ロー バル な視 点に立とうとした ,④各 文 ら脱 して ・生活 ・歴史な どの価値の再発 見,再 化圏固有の 文化 ,⑤ 中学校の歴史的分野との関連 認識 を図ろうと, しと たいう諸 点を考慮 して ,文化圏学習 を図ろうと した 目標に掲 げたと され ている。 を ,文化圏学習の意義と して強調 これ らの 諸 点 中 で , ③の 西 欧 中心史観 からの脱却である 。近 された 点は 代西欧が 形成 し ス テ 内 し た 世界 史の ,た 西世 欧界 中シ 心史 観ム か らで 脱成 却立 す るこ と は , 極 教育に おいて 。文化圏学習は ,この困難な西欧中心史観 め て難 しい 一歩となった。さらに ,西欧中 か らの脱却の 重要な第 心史観からの脱却 と表裏を す ④ 各 化 圏 固 の 文化 。な こう し た文 意 義を 有有 す る の再認識も重要 で あ う , 現ろ 在 までに 多くの 批判が提 出 され た 。 圏学習に 対 し て圏学習の特徴が③ , 文化 ・④ に存するため , それ らは ・④ に係わるものが 中心 となっている 。 その 批 判 も ③ 一に ,③の 西欧中心史観からの脱却に対 して,文 第 化圏学習によっても西欧中心史観 か ら の 脱 却二 が谷 で貞 き夫 て 。 例 え ば , いな い と い う 批 判 が 行 わ れ て い る ,53 年版学習指導要領 が文化圏学習 を18 世紀末まで は とす るこ とに対 し,西欧を相 対化せず19 世紀西欧中心 ,先進 ・後進の工業化=近代 史観の世界 史像に加 えて,世界の 中でみ ごとに近代化 化型の世界 認識 を重ね て をや りとげた 日 本 中 心 史 観 の 世 界 史 像 を 結 ん で い史 る と 。 2で検 討 し た よ う に , 西 欧 中 心 観 批 判 し て い る ゜ ,西欧が世界 を 「 ̄ 辺境 」化 した近代 以降に成立 した は 。その 近代以降 を,文化圏学習で取 り扱 う ものである ,た しかに文化圏学 範囲から除外 して しま った ことは 習が西欧中心 史観 を る と を げ て い , 近 代克 の服 世す 界 経こ 済 シ テ妨 ス ム が 形るO2 成 されの た 検討の よう に化圏に , 各文 固有な性格が歴史に刻印され てい 後にも ,む しろ近代以降の歴史にも ,文化圏 るの であるか ら 。 学習の構 想 を 推 進 す べ き で あ る と 思 わ れ る ,④への 批判 とも係わ って くるが ,③ に関す 第 二に 一 つの 批判は ,西欧中心 を批判 して ,どこに 中 るもう 。例 えば ,浜 林 正夫は , 心を置 くのか という批判である 文化圏学習の ような 多元的, 世そ 界史 によ る 欧中 心主 義 れ で は そ西 れ に 代 え て別 批判が正当である としても ,それ とも匚 中心」 と の新たな中心 が設 か 一 切定 否さ 定れ する るの の か,という問題 を提起 し いう考え 方 を 。浜林 自身は ,民族の 自立や生産 力の発展 を ている 3 民主主義との か か わ り で とら え な お す という視 点から 再 構 成 を 提 唱 し て い る 。 の世界 史, の④の 文化圏固有の 文化の再認 識に 関 しては。 第 三に ,西欧中心史 並列的な文化圏, を多 くっ 学て 習 し たな だ け は学習によ か え 様々 地で 域の り生 観 を克服 できず 。例 徒の 負石 担井 が郁 増 加は す るす だで けで あ原 ると す る批 判 か お る , 男 , に 上 の 十 三 地 域 論 に 対 して , えば ,世界 を十三の 地域にわ けた り,中央 西欧中心主義は 。 アジアの 諸民族 を学ぶ ことによっては克服 でき な い分 , 西 欧の 世界 を十三の地域にわ ける と 考 え はの克服がで ,い 西う 欧中 心方 主義 量 を少なくすることに よ り 。西欧の何 と対決 し,何 を克 きるという風に聞こえる ,と批判 している 3 。 服す るのかがは, っ文 き り し な習 いに 化 圏学 対する従 来の批判は, 以上の ように ,中心の不在 ,文 西欧中心史観からの不十分な脱却 や要するに問題は , , 化圏 並列の 弊害を説 くもの で, あ り 西欧中心史観 を克服 し 従 来の文化圏学習においても 。近代西欧が形成 し 得 ていないという点に収 斂 さ れ る ,西欧中心史観 を克服す るた た世界 史 の 学 習 に お い て ,近代西欧が形成 した世界 史そのもの を相 対化 めには 。そのための方法の 一つとし す る近 作代 業世 が 必 要 で包 あさ ろう , 界に 内 れ る 「中心一辺境」概念 を踏ま て えた うえでの ,世界 史の再構 成が存在す る と思われ る 。 4。ヨー ロッパ中心史観の克服,その レベル を弁別 西 欧 中 心 史 観 へ の 従 来 の 批 判 は す ることな く,異なった レベルの批判を混在 して行 っ −76− て き たO 西 欧 中 心 史 観 へ の批 判 を , 以 下 の三 つ の レ ベ 出 に 対 す る ア ジ ア の対 応 と あ る よ う に, 近 代 にお け る ル に 大 別 し て 把 握 す る こ と か ら始 め よ う 。 西 欧 と そ の 他 の地 域 と の 関 係 は, 西 欧 側 か ら の一 方 的 第 一 は, 世 界 史 教 育 に お い て, 西 欧 史 の分 量 ・ 知 識 な 交 流 と し て の み描 か れ て い る 。 こ う し た, 西 欧 文 化 量 が 相 対 的 に多 い と い う 批 判 で あ る 。 こ れ は, 極 めて 圏 が そ の 他 の 全 世 界 の 文 化 圏 を 一 体 化 さ せて 近 代 世 界 原 初 的 な批 判 で あ る が, 授 業 時 間 の 限 ら れ た 世 界 史 教 を 形 成 す る , とい う 視 角 で はな く, 世 界 史 の 目 標 で も 育 で は, 量 の問 題 は, 看 過 し 得 な い 意 味を 有 して い る。 掲 げ ら れ て い る文 化 圏 の相 互交 流 と い う 側 面 か ら近 代 第二 は, 世 界 史 教 育 にお い て, 西 欧 的 価 値 観 の み が 世 界 を 把 握 す る こ と に よ っ て の み, 第三 の 問 題 点 を 克 服 で き る ので は な い で あ ろ う か 。 尊重 されてい るという批判 である。大航 海時代が地 理 上 の 発 見 と 呼 ば れ て い た こ と へ の批 判 を 典 型 とす る 西 具 体 的 に は, 2 で 検 討 し た 日 本 の近 代 化 の理 解 が, 力 東 漸 的 な 世 界 史 教 育 へ の批 判 は, 文 化 圏 学 習 導 入 の そ の さ さ や か な 事 例 の一 つ と な ろ う。 日 本 は, 近 代 世 大 きな契機 ともなっ たのである。 界シ ステムの中で「差別 の重層化」 という構造を受 容 第三 は, 世 界 史 の形 成 さ れ た 近 代 そ の も の が, 西 欧 し な が ら も, 東 ア ジ ア 文 化 圏 の 伝 統 的 な 世 界 シ ステ ム に よ る 世 界 の 包 摂 に よ り形 成 さ れ た とい う認 識 であ る。 で あ る 朝 貢 シ ステ ム の 中 で, 自 己 の 近 代 化 を 行 っ た 。 西 欧 中 心 史 観 の 払 拭 が説 か れ 続 け な が ら, 今 なお 克 服 近 代 にお け る 「 中 心 一辺 境 」 の 厂差 別 の重 層 化 」 と い で き な い 理 由 の 大 半 は, こ こに 存 在 す る 。 世 界史 教 育 う 複 合 構 造 に 着 目 す る こ と によ っ て, 日 本 の近 代 化 が の 対 象 で あ る 世 界 史 そ の も のが , 近 代 西 欧 の形 成 し た 朝 貢 シ ス テ ム のな か の 「 中 華 」 化 で あ っ た こ と や 工 業 世 界 シ テ ス ム内 で 成 立 し た も の であ る た め, 世 界 史 の 化 の必 然 性を 理 解 で き る の で あ る。 か か る理 解 は, 従 教 育 内 容 自 体 に , 西 欧 的 な「 中 心 一 辺 境」 概 念 が 刻 印 来 の西 欧 中心 史 観 に 基 づ く, 日 本 の 近 代 化 = 西 欧 化 と さ れて い る ので あ る。 これ の克 服 は最 も困 難で あ る が, い う認 識 以 外 の理 解 で あ る。 こ こ で は西 欧 と い う 外 圧 そ れ が 西 欧 中 心 史 観 か ら の最 終 的 な 脱 却 に 繋 が ろ う。 的 な 要 因 で はな く, 東 ア ジ ア 文 化 圏 の内 在 的 な 理 解 に そ れ で は文 化 圏学 習 は, 西 欧 中 心 史 観 に対 す る以 上 よ り , 日 本 の近 代 化 は認 識 さ れ て い る の で あ る 。 こ う し た 文 化 圏 内 部 か ら の内 在 的 な 理 解 に よ り 近 代 の 三 点 の批 判 に , 充 分 対 応 し得 る も のな のであ ろ う か。 第 一 の 分 量 の問 題 に つ い て は, 工 夫 の 凝 ら さ れ た教 を 把 握 で き た 時 , 従 来 の文 化 圏 学 習 で は西 欧 中 心 史 観 材 研 究 が多 く行 わ れ て お り ゜I , 解 決 へ の努 力 が 継 続 さ か ら 脱却 で き な か っ た 近 代 の再 構 成 も可 能 と な り , 文 れて い る が , 平 成 元 年 告 示 の学 習 指 導 要 領 世 界 史 B の 化圏学 習が西欧中心 史観を真 の意味で克 服し得る ので 解 説 に は, イ ス ラ ム 世 界 ・ 南 ア ジ ア・ 東 南 ア ジ アを そ はな い か。 つ まり , 単 に 様 々な 地 域 の歴 史 に 世 界 史 を れ ぞ れ 独 自 の文 化 圏 と 捉 え る こ と や, 東 欧 の 歴 史 を 多 分 解 す る の で はな く, 当 該 文 化 圏 固 有 の シ ステ ムに 対 く取 り 入 れ 西 欧 中 心 の 考 え 方 を 是正 す る方 策 が 掲 げ ら し ,F  ̄ 差 別 の重 層 化 」 に よ る サ ブ シ ス テ ム の形 成 ま で れて お り, なお 一 層 の 工 夫 が必 要 と な っ て こ よ う 。 を も射程に納 めるような,詳 細な分析を重 ねる ことに 第二 の西 欧 的 価 値 観 の み の 尊 重 は ど う か。 昭 和53 年 より , 文 化 圏 学 習 は, 西 欧 近 代 を 中 心 と す る 歴 史 観 を 版 の学 習 指 導 要 領 で は, 内 容 の(5)19世 紀 の 世 界 の 解 説 超 克 し 得 る 新 た な 地 平 を 切 り 開 け る で あ ろ う。 で は,19 世 紀 に お い て 世 界 に お け る 西 欧 の 優 位 性 が実 近 代 西 欧 に よ る 世 界 シ ス テ ムの 形 成 は, 従 来 の理 解 現 し た こ とを 捉 え さ せ る と あ っ た 。 し か し, 平 成 元 年 の よ う に , 西 欧 が 自 己 の 価 値 観 に よ り , 一 方 的 に世 界 告 示 の 学 習 指 導 要 領 世 界 史 B で は,〔5〕 は 近 代 と世 界 の を 包 摂 し て い く 過 程 と し て 捉 え る こ と は で き ま い。 近 変 容 に 改 め ら れ, そ の解 説 で は,18 ・ 19世 紀 の ア ジ ア 代 の 世 界 史 が 形 成 さ れ る 歴 史 的 な 時 点 で, 世 界 史 の 視 を 西 欧 の進 出 の 対 象 と し て 西 欧 の目 で 捉 え る 視 点 に代 角 を 規 定 し て い た 西 欧 中 心 史 観 的 な 「 中心 一辺 境 」 の え , ア ジ ア の 側 に 視 点 を 置 い て , 西 欧 の 進 出 に対 す る 構 造 は す で に 崩壊 し つ つ あ る ので あ る。 東 ア ジ ア世 界 ア ジ ア の対 応を 捉 え る よ う に 構 成 し た。 こ れ は従 来, へ の 西 欧 の進 出 が 朝 貢 シ テ ス ムを 前 提 と し , 匚差 別 の 世 界 史 で 大 き な 比 重 を 占 め て き た19 世 紀 の西 欧を 世 界 重 層 化 」 と い う 形 態 で , ア ジ アを 支 配 下 に お く もの で 史 の 中 で 相 対 化 し, 適 切 に 位 置 づ け よ う と し た も の で あ っ た事 例 や, 欧 州 内 部 に お い て も 厂中 心 一辺 境」 の あ る と さ れ て お り, 西 欧 的 価 値 観 か ら の 脱 却 の 意 図 が サ ブ シ ス テ ムを 有 し て い た 事 例 は, 近 代 西 欧 が, 他 の 窺 わ れ る。 こ の よ う に, 学 習 指 導 要 領 の 改 訂 に も, 第 世 界 のす べ て を 自 己 の 価 値 観 の下 に包 摂 す る も の で は 二 の 批 判 へ の対 応 は存 在 し, 歴 史 学 に 隣 接 す る諸 学 問 な い こ とを 明 確 に 理 解 さ せ よ う 。 西 欧 に よ る近 代 の 形 分 野 の援 用 な ど を 積 極 的 に 行 え ば, 第 二 の問 題 も 次 第 成 は , 決 し て 一 方 的 な も の で はな く, 相 互 の文 化 圏 の に克 服 さ れ よ う(21‰ 軋 轢 や 葛 藤 な ど に よ っ て , 相 互 の 文 化 圏を 変 容 さ せ て 問 題 は第 三 の 批 判 点 で あ る。 平 成 元 年 告 示 の学 習 指 形 成 さ れ た も の な ので あ る。 し た が っ て, 近 代 以 降 の 導 要 領 世 界 史 B の(5)近 代 と 世 界 の変 容 で も, 西 欧 の 進 ― 77 ― 世 界 史 に こ そ, 文 化 圏 学 習 を 導 入 し , 「 閉じ た文 化 圏」 。 」の相互 交流 を近代という 山 尾 幸 久 『古 代 の 日 朝 関 係 』 (塙 書 房, 1989 年 ) を越 えた 「開かれ た 文 化 圏 , 学習は ,ヨー ロッパ 中心史 ーラーステイン,川北稔訳 『近代世界システ (5)ウォ∼1750 時 代 に 描 け た と き 』 (名古屋大学出版会,1993 年), 観 を克服 し得る 重要な史観に 昇華できるのである。 ム1600 『史的 シ ス テ ム と し て の 資 本 主 義 (岩 1985 。 近 代 世 界 シ ス テ ム に 関 す る 諸議波 論書 は店, ,田中 明 年) 。 彦 『世界システム』 (, 東 大 出 版 会, 1989 年 ) を 参 照 山 崎 カ ヲ ル訳 『階 級 と 民 族 』 (6)サミール=アミン (新評論,1983 年)。 ーム ,浜林正夫 ・神武庸四郎 ・和田一夫 (7)ホブズボ 。桑原莞爾 ・ 訳 『産 業 と 帝 国 』 (未 来 社, 1984 年 ) ・伊藤昌太編 『イギリス資本主義と帝国主義 井上巽 。 世界』 (九州大学 出 版 会, 1990 年 ) ース トリア農民解放史研究一三 眼 中 (8)佐藤勝則 『オ 。 欧地域社会史研究序説- ( 』多賀出版,1992 年) , (9〉江口朴郎 『帝 主義と 』 (東 京大 学出 , 宮島国 喬 ・梶 田民 孝族 道 『現 代ヨ ー ロ ッ版 パ会 の地 1954 年) 域 家-づ 容す る 〈 中 〉 -と国 』 (有 信変 堂, 1988 年 )心 な一 ど周 を辺 参 照問 。題への視角 ーゲル,武市健人訳 『歴史哲学』 (岩波書店, (10 )ヘ ,丸山真男 『日本政治思想史研究』 (東京 1961 年) 。 大学出版会,1952 年) 的生産様 ㈲ 小谷汪之 『マルクスとアジアー アジア 。 式論争批判- 』 (青木書店,1979 年) (12 )浜下武志 『近代中国の国際的契機』 (東京大学出 版会,1990 年)。 (13) 吉田 寅 『世 界 教育 研究と実践』 (教育出版セ ー, 1986 年史 )を 参の 照。 ンタ ,星村平和匚 歴 ㈲ 戦後の歴史教育 の 展 開 に 関 し て は 一視点 ( 」 『歴史教育の視点を求めて』 史教育史研究のー,1986 年)。星村平和匚 高等学校 教育出版センタ ( 」 『社会科教育 社会科 『世界史』の変遷とその特色 。 の理論』ぎょうせい,1989 年)を参照 」 ㈲ 渡邉義浩 「世界史教育における 『発 。 展』について (『総合歴史教育』28, 1992 年) , (16) 上原専。 禄編 『 日 本 国 民 の 世 界 史 』 (岩 波 書 店 遠山茂樹 「世界史における地域史の問題」 1960 年) 。 (『歴史学研究』301,1965 年)を参照 ㈲ 二谷貞夫 『世界史教育の研究』 (弘生書林,1988 年)所収の諸論文。 (18) 浜林正夫 『世界 入門-一 歴史 のな が。 れと日本 一史 刊再 (地 歴社, 1992 年) 〈 注 〉 の位置を見直す っ (19) 石井郁男匚 “ヨーロッパ中心の 世界史”批判」 (1 )文化圏 の本 来 的な意 びお そけ のる 成 立 過 程 に 。 ,学 星習 村平 和 「 『世 界義 史及 』に 文 化 圏 学 習」 (『歴史地 理 教 育 』106,1965 年 ) いては , 千 葉 県 高等学校教 育 研究会歴史部会編 『 。 例えば (『社会科研究』28, 1980 年)を参照 ‐肖也域 ・民衆からみた歴史像 , 馘 新 し い 世 界 史 の 授 業 (2)小倉芳彦 『 中 国 古 代 政 治 思 想 研 究 』 (岩 波 書 店 ,栗原朋信 『上代日本対外関係の研究』 - 』 (山川出版社,1992 年)を参照。 1970 年) ,西嶋定生 『中国古代国家 宮 崎 正勝匚 おける 『文 圏』 (吉川弘文館,1960 年) 。 剛 」 ( 『社 会世 科界 教史 育教 研育 究に 』66, 1992 年化 )を 参に 照つ 。い て と東アジア世界』東京大学出版会,1983 年) を参照。 」 (『社 鴎 星 村 平 和匚 歴 史 教 育 に お け る 内 容 の 革 新 (3 ) 日 原 利 国 『春 秋 公 羊 傳 の 研 究 』 (創 文 社. 197& 年 ) 会科研究』30, 1982 年)を参照。 (4)石母田正 『日本古代国家論』 (岩波書店,1973 年) , おわりに ,西欧中心史観 を克服す るこ とを中核 文化 圏段 学階 習論 はや近代の超克まで , 発展 をも射程に置いて, に 。しか し, 圏内文化の 共通 性 を 指 摘 す る も の で あ っ た ,共通性 だけで総括 し得る もの でな く , 文化圏の内 実 は ・被支配や相剋関係 ,文化的非同質性 を内 内部 にま 支た 配圏の , 空間的広が りも時代によって動揺する 包 し った。東アジア を事例 として考 えても ,それ もの であ ,い くっものサ ブシス が 近代西欧に組 み 込 ま れ る 際 に ,差別が重層 化され ることを捨象 した テムが 形成 され ,文化圏 学習はパ ラパ 議論となっている限 りにおいて 。 ラな地域 の 併 存 を 説 く も の に す ぎ な く な っ て し ま う ,国民国家 という枠組み を越 えて,いくつか しか し ,その 空間 的 の 地域空間 をシステム と しての圏と捉え まとま りの 紐帯 を 考 察 し てい く 文が 化さ 圏ら 学な 習る の実 有効性 は 。 た だ し , 文化 圏 学習 を 極め て高い ,当該圏内に おける文化の混在 してい 有するた め に在 は , 内 され る支配 ・被支配関係 ,あるいは 文 る状況や 化一 圏の 互 流 な ど 歴 史具 体 的 な 圏 層相 の 深交 ま り が 必と 要い とっ さた れ よ う 。そ の た文 め化 の 方学 法習 の の 一つとして,世界システム論からの 文化圏学習の再編 。一定の 地域 ・空間 をま とま を掲げることが で き よ う 」と捉え,その 具体 的な特徴 を見 る世 りを持った 「圏 ,一般 界シス テム 論の空間概念 を世界 史 教 育 し , 歴に 史導 具入 体 的な背景 的に文 化地 圏と 称 さ れ て いを る考 も の の , 域 的 まと ま り え 得 る歴史的意 識を形成 を探 り ,文化圏学習はその本来的な目的であった事 し得た時 ・事項暗記型の 学習指導か ら脱却することが 項羅列型 。本稿は,その些少な具 可能なの では なか ろうか () 22 一 辺境 」概 体 的事例と して世界 史現 教 育 に文 お化 け圏 る 「 心有する問題 , 在の 学中 習が 念 を り し 点 と手 展掛 望か を 指と 摘 して よ うと したもの である 。 −78 −