...

新興国のプルーデンス政策 - G-SEC

by user

on
Category: Documents
157

views

Report

Comments

Transcript

新興国のプルーデンス政策 - G-SEC
グローバル金融市場論研究論文
新興国のプルーデンス政策
~FSB を通じた先進国による支援~
慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
経済学部三年
広井一輝
目次
はじめに
1章
新興国発の国際金融危機発生の可能性
1-1 金融危機は繰り返す
1-2 金融危機の構造変化
1-3 新興国の影響力増大
1-4 まとめ
2章
新興国バブルの可能性
2-1
世界のバブルとバブル崩壊の歴史
2-2
米国のバブル崩壊とリーマンショック
2-3
日本のバブルとバブル崩壊の歴史
2-4
なぜ危機の直後にバブルは発生するのか
2-5
新興国バブルの検証
2-5-1 米国の超金融緩和
2-5-2 新興国への資金流入
2-6
3章
3-1
まとめ
国際的および先進国の取り組み
マクロ・プルーデンス監督体制の強化
3-1-1 プルーデンス政策とは
3-1-2 ミクロ・プルーデンスとマクロ・プルーデンスの比較
3-1-3 マクロ・プルーデンス検討の背景
3-1-4 マクロ・プルーデンスとは
3-1-4-1 横断的なリスクの視点
3-1-4-2 時系列的なリスクの視点
3-1-4-3 具体的なシステミック・リスク
3-1-5 マクロ・プルーデンス体制の設計
3-1-6 各国のマクロ・プルーデンス監督体制
1
3-1-6-1 米国 FSOC
3-1-6-2 英国 FPC
3-1-6-3
3-2
EU ESRB
バーゼルⅢの取り組み
3-2-1 自己資本規制の強化
3-2-1-1 自己資本の質、一貫性、透明性の向上
3-2-1-2 リスク補捉の強化
3-2-1-3 レバレッジ比率規制の導入
3-2-1-4 資本保全バッファーおよびカウンターシクリカルな資本バッファーの導入
3-2-1-5 システミック・リスク相互連関性への対応
3-2-2 流動性規制
3-3
国際会計制度改革
3-3-1 国際会計制度改革の背景
3-3-2 IFRS の会計観
3-4
4章
まとめ
新興国のプルーデンス政策の現状と課題
4-1
アジア通貨危機
4-1-1 アジア通貨危機の経緯
4-1-2 アジア通貨危機の原因と教訓
4-1-3 アジア通貨危機後の改革
4-2
新興国の現状
4-3
まとめ
5章
なぜ FSB なのか
5-1
FSB の設立および構成
5-2
マンデート
5-3
IMF との比較
5-4
具体的にどのような支援をしていくべきか
5-5
まとめ
6 章 提言および結論
参考文献
2
はじめに
過去の歴史を振り返ると、金融危機は年代、時代問わず繰り返し起こってきたので、今
後も危機の発生は避けられないであろう。そんな中、現在新興国1の経済や金融市場は拡大
を続けているため、今後ますます世界経済に対する新興国の影響力は大きくなるだろう。
2015 年には、世界の名目 GDP に占める新興国・途上国の世界シェアは、39.9%に上昇す
る見込みである(IMF 推計)。ただし、白川[2010]は、過去 10 年間における世界経済および
BRICs 経済の成長率を機械的に引き延ばすと、2040 年には世界経済に占める BRICs 諸国
のシェアが 8 割を超える計算になるが、そうしたことはもちろん考えられないとし、高度
成長を続ける経済もいずれかの時点で成熟期を迎えると指摘している。2なので、もし、新
興国で危機が起こった場合、世界的な危機の伝播は避けられないであろう。すなわち、新
興国発の国際金融危機発生のリスクがあるということである。本稿では、次なる国際金融
危機に備えて、新興国各国がプルーデンス体制を整備することの必要性を主張するもので
ある。
次に本稿の構成について述べる。1 章では本稿の問題意識である新興国発の国際金融危機
発生の可能性について述べる。2 章では、現在の具体的な新興国のリスクとしてバブル発生
を取り上げ、バブルの歴史を分析することによって新興国バブルの可能性について検証す
る 3 章では、次なる国際金融危機に備えての国際的および先進国の取り組みについてのべ
る。4 章では、新興国のプルーデンス監督体制の現状と課題を分析する。5 章では FSB の
役割について述べ、6 章で提言および結論を述べる。
1
本稿では、FSB を通じた先進国による支援を提言するので、新興国の定義は、FSB 参加
国のうち先進国を除いた国とする。
2 白川[2010] p.7
3
1章
新興国発の国際金融危機発生の可能性
1 章では、新興国発の国際金融危機発生のリスクが高まっているということを、過去金
融危機は繰り返し起こってきたことや新興国の影響力が増大していることから示す。
1-1 危機は繰り返す
過去の金融危機の歴史を振り返ると、公的債務危機、銀行危機、通貨危機など様々な危
機が、年代、地域を問わず頻発している。以下で、ラインハート、ロゴフ[2011]を参考に金
融危機は繰り返すということを示す。3
金融危機は決して目新しいものではない。金融市場が発達してからは、危機はつねに人
類と共にあった。古い時代には、通貨の改鋳が原因で起きることが多かった。戦争などで
国の財政が厳しくなったときの窮余の策として、君主が自国通貨中の金や銀の含有量を減
らすのである。だが、技術が進化したおかげで、政府が財政赤字を埋め合わせるために自
国通貨から掠め取る必要はだいぶ前から無くなっている。だからといって金融危機がなく
なったわけではない。危機はいつの時代にも発生し、今日に至るまでたくさんの国を苦し
めてきた。今日特に問題になっているのは、公的債務危機と銀行危機である。どちらも何
世紀も前から、ところ選ばず発生してきた。今では先進国と呼ばれる国でも、かつては公
的債務危機がたびたび起きていたのである。現在、これらの国は、政府が頻繁に破綻する
事態からはどうにか卒業したように見受けられるが、新興国ではデフォルトの頻発あるい
は連続的なデフォルトが、いまだに深刻な慢性的症状を呈している。その一方、銀行危機
は、先進国か新興国か問わず、今でも頻繁に発生する。この危機は、富裕国も貧困国も平
等に襲う脅威であり、銀行危機に関する調査は、19 世紀初頭のナポレオン戦争期にヨーロ
ッパで起きた取り付け騒ぎや倒産から、サブプライム問題に端を発する 21 世紀の国際金融
危機にいたる一大ツアーとなった。1945 年以降の歴史を振り返ると、最貧国を除いた 66
カ国4のうち、銀行危機を一度も起こしていないのはポルトガルだけである。
以上のように、金融危機は過去何度も起こってきた普遍のできごとである。我々は、金
融危機に関して、歴史の教訓を軽視し、問題を過小評価し同じ過ちを繰り返してきた。こ
3
ラインハート、ロゴフ[2011]pp.3-4
ラインハート、ロゴフ[2011]では、標本国として最貧国を除いた、アフリカ 13 か国、ア
ジア 12 か国、ヨーロッパ 19 カ国、中南米 18 か国、北米と大洋州各 2 か国の計 66 カ国を
取り上げている。
4
4
うした現象を、Reinhart,Rogoff[2008]は「今回は違う」症候群と呼んでいる。5そして、こ
の症状は人間の性質に根差すものであり、今後も繰り返すであろう。
1-2 金融危機の構造変化
金融危機の構造は、金融市場の発展と共に大きく変わってきた。藤田[2012]は、金融危
機の構造変化について以下のように説明している。6
金融市場の拡大と共に、世界の金融危機の原因は大きく変化してきた。1990 年代前半まで
は経済危機が金融市場の混乱を引き起こしていた。1990 年代前半までの経済危機の原因は、
1971 年のニクソンショック、1973 年第 1 次石油危機、1979 年第 2 次石油危機、1985 年
プラザ合意、1991 年湾岸戦争に起因する原油価格高騰、1992 年ポンド危機など、その多く
は通貨危機や石油危機であった。つまり、経済危機をきっかけに、株式、債券などの金融
市場は大きく崩れ、そして混乱した。
しかし、1990 年代後半は、順序が逆になり、金融危機が経済の混乱を引き起こしている。
1998 年 LTCM 危機、2000 年 IT バブル崩壊、2001 年エンロン危機、2007 年サブプライム
危機、2008 年リーマンショック、2010 年ギリシャ危機、アイルランド危機、2011 年ポル
トガル危機など、経済危機の主因は金融市場や金融システムの混乱へと変化した。つまり、
金融市場の危機をきっかけに、経済危機が発生したのである。
以上のように、現在は巨大化した金融市場の動向に経済が左右される時代なので、金融
危機の対処は重大な問題である。
1-3 新興国の影響力増大
新興国の世界経済に対する影響力が増大してきていることは周知の事実である。先進国
が国際金融危機の影響を受け景気低迷が長期化している中、新興国は危機の影響からすぐ
に回復し、巨大で多様なグループを形成しながら拡大を続けている。世界の名目 GDP に占
める新興国・途上国の世界シェアは、2010 年に 34.0%で 2015 年には 39.9%に上昇する見
込みである(IMF 推計)。浮動株ベースの時価総額でみると、新興国の世界に占める構成比は、
1994 年末時点で、4.0%にすぎなかったが、2010 年末で 12.5%に増大している。個別銘柄
の時価総額では、世界時価総額 100 社中、新興国(韓国、香港、シンガポール含む)は 19 社
5
6
Reinhart,Rogoff[2008]p.2
藤田[2012] p.376
5
入っている(2010 年末時点)。ペトロチャイナは世界 3 位、中国建設銀行は 5 位など、中国
企業が 10 社も入っている。また、新興国の金融市場は現在間接金融が中心だが、今後直接
金融の割合が拡大し、量だけでなく質も大幅に向上していくであろう。白川[2010]は、過去
10 年間における世界経済および BRICs 経済の成長率を機械的に引き延ばすと、2040 年に
は世界経済に占める BRICs 諸国のシェアが 8 割を超える計算になるが、そうしたことはも
ちろん考えられないとし、高度成長を続ける経済もいずれかの時点で成熟期を迎えると指
摘している。このように世界経済に対する影響力はますます増大している新興国経済では
あるが、いずれはかつての日本のようにバブル崩壊や危機によっていずれはその勢いを失
うであろう。そして、新興国で危機が起こった場合の世界中への伝播は避けられない。す
なわち、新興国発の国際金融危機が起こるリスクがあるということである。なので、われ
われ先進国各国は、新興国の問題を新興国だけの問題としてではなく、世界全体の問題と
して認識する必要がある。
1-4 まとめ
過去の金融危機の歴史を振り返ると、様々な危機が時代、地域問わず頻発してきた事実
がある。しかし、我々はそういった歴史を軽視し、同じ過ちを繰り返してきた。なので、
今後も金融危機は必ず起こるであろう。そんな中、現在新興国の経済は、国際金融危機の
影響で長期低迷している先進国と違い、高い成長率を誇っている。また、金融市場の発達
と相まって今後新興国の世界に対する影響力は、ますます増加していくであろう。なので、
もし、新興国で危機が起こった場合世界への危機の伝播は避けられない。すなわち、新興
国発の国際金融危機が起こるリスクがある。2 章では、現在の新興国の具体的なリスクとし
て、バブル発生および崩壊のリスクがあるので、それについて詳しくみていく。
2 章 新興国バブルの可能性
現在の具体的な新興国のリスクとしては、先進国の超金融緩和の影響による資金流入増
大およびバブル発生のリスクである。2 章では、過去のバブルとバブル崩壊の歴史から、教
訓を探り、今日の新興国のバブル発生の可能性を検証る。以下では、藤田[2011]を参考に述
6
べる。7
2-1 世界のバブルとバブル崩壊の歴史
バブルとバブル崩壊の歴史は古い。かつては、17 世紀のオランダのチューリップバブル、
18 世紀の英国の南海泡沫事件、1920 年代の米国の好況(そして 1929 年の大恐慌)がその例
である。為替相場の固定相場制を中心とする、ブレトンウッズ体制が崩壊し、主要先進国
が変動相場制を採用した 1970 年代以降の 40 年間に、世界の経済、金融市場は 4 回のバブ
ルとバブル崩壊を記録した。そして、いずれもバブル発生の直前に重大な経済危機が発生
している。つまり、現在のような危機が、その後のバブルを生んだのである。例としては、
1987 年のブラックマンデー後の 1989 年の資産バブル(日本)、1997-1998 年のアジア危機、
LTCM 危機後の 2000 年の IT バブル、2001 年の米国同時多発テロ、エンロン事件、アフガ
ン戦争、イラク戦争後の 2005-2007 年頃の米国住宅バブル(その他、M&A バブル、新興国
バブル、資源エネルギーバブル、ユーロバブル)などが挙げられる。その結果として、世界
の株式市場はおよそ 10 年に 1 度の割合で危機を迎え、その後、株価が大きく上昇するとい
ったパターンを繰り返してきた。世界経済は、若干の例外はあるが、およそ 10 年前後の景
気サイクルを形成している。IMF の統計が存在する 1970 年以降の過去 40 年間で、1975
年、1982 年、1991 年、2001 年、2009 年と、経済成長の落ち込みが計 5 回あった。それぞ
れの景気後退の原因は、1975 年が第一次石油危機、1982 年が第二次石油危機、1991 年が
湾岸戦争、2001 年が IT バブル崩壊と米国同時多発テロ、2008 年がリーマンショックであ
る。これらが株価サイクルに影響を与えており、ほぼ同じ時期に世界的に株価が大きく下
落した。つまり、過去 40 年間に、世界的に大きな株価下落が 5 回存在した。
特に、21 世紀に入って、2 度も歴史的な危機が発生していることに注目したい。2000 年
の IT バブル崩壊後、2001 年の米国同時多発テロ、エンロン事件、アフガン戦争、2003 年
のイラク戦争と、数多くの危機や戦争が重なった。その結果、世界は景気後退に陥り、世
界の中央銀行は金利を大幅に低下させた。米国の中央銀行であり、金融政策を決定する連
邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長(当時)は、2003 年 6 月に政策金利で
あるフェデラルファンドレート(FF 金利)誘導目標を当時史上最低であった 1.0%まで引き
下げ、それを 2004 年 6 月まで 1 年間据え置いた。
しかし、当時の米国の景気後退の底は 2001 年 11 月であり、2004 年の実質経済成長率は
7
藤田[2011] pp.193-205
7
3.6%と、21 世紀に入って最高水準であった。つまり、後から振り返ると、FRB は、米国
の経済成長率がピークの前後時に、FF 金利誘導目標を史上最低に引き下げ、かつそれを 1
年間据え置いたのである。これが、サブプライムローン急拡大、そしてそれに起因する米
国住宅バブルを引き起こし、現在のサブプライムローンが生じた一因となった。それが、
2008 年のリーマンショック、そしてその後の世界不況の原因となった。
2-2 米国のバブル崩壊とリーマンショック
リーマンショックの原因は米国住宅バブル崩壊と言われるが、それだけではない。世界
景気過熱と 2002 年から 2005 年までの世界的な金融緩和の結果、米国住宅バブルのみなら
ず、世界には数多くのバブルが存在した。いずれもお互いに影響しあってバブルを増幅し、
そして、それらがほぼ同時に崩壊した。
世界には数多くのバブルが存在したものの、無論、その中核は米国住宅バブルであった。
ただし、米国の住宅バブルは日本と比較すると小さい。日本の場合、1986 年から 1991 年
までの 5 年間に住宅地の公示価格は 88.0%上昇したが、米国の場合、2001 年から 2006 年
までの 5 年間の住宅価格上昇は 54.9%にとどまった。米国の住宅バブル問題がここまで大
きくなったのは、米国全体での住宅価格上昇率はバブルと言えるほどのものではないもの
の、米国の住宅価格上昇が局地的に激しかったためである。2001 年から 2006 年のピーク
時までの 5 年間に、カリフォルニア州は 130.1%、フロリダ州は 121.1%、ラスベガスのあ
るネバダ州は 112.9%、アリゾナ州は 104.8%、それぞれ上昇と、住宅価格は概ね 2 倍にな
っている。つまり、気候の温暖なリゾート地の住宅価格が大幅に上昇したのである。そし
て、サブプライムローン問題は 2007 年 6 月に、ベアスターンズ証券傘下のヘッジファンド
が巨額の損失を計上したことをきっかけに、表面化した。サブプライムローンは、米国住
宅ローンの信用リスク低下に端を発するが、サブプライムローンを利用した金融商品が問
題をさらに拡大、複雑化させている。米国の住宅価格上昇を背景に、信用力の低い層は、
通常の住宅ローンではなくサブプライムローンからの融資を利用し、住宅を購入するよう
になった。さらに、住宅価格上昇を利用して、モーゲージ・ローンの借り換えを行い、そ
れはさらなる住宅価格上昇を後押しした。
サブプライムローンは、CDO(Collateralized Debt Obligations) と呼ばれる資産担保証
券の投資対象となることが多い。元本、利息について、支払いを優先する部分、劣後する
部分、その中間のメザニン部分に分かれる。元本、利息の支払いの優先する部分は、安全
8
性が高いだけに、年金基金等の機関投資家が投資することが多い。一方で、その劣後する
部分は、典型的なハイリスク・ハイリターン商品であるため、投機的な売買を行うことが
できるヘッジファンドなどが投資することが多い。サブプライム・モーゲージ・ローンの
延滞率が 2006 年から上昇しはじめ、2007 年末には、17.3%となった。つまり、不良債権
化したのである。その結果、CDO に対するリスク懸念の高まり、格付けの低下により、ス
プレッドが拡大し、信用市場が縮小した。これによって資産担保証券(MBS)、CDO の主要
な買い手であったヘッジファンドや金融機関に損失が発生した。これが 2008 年 3 月の米国
大手投資銀行ベアスターンズ、9 月のリーマン・ブラザーズの経営破たんを引き起こしたの
である。2008 年は、米国大統領選挙の年であったが、当時のジョージ・W・ブッシュ大統
領は、イラク戦争の失敗によって支持率が大きく低下しており、かつ任期切れまで半年も
ないという状況であったため、レイムダック状態(任期切れを控え、影響力を失った状態)
であった。これがリーマンショックへの対応を遅らせる結果となり、サブプライム問題は、
歴史的な国際金融危機へと発展していった。
2-3 日本のバブルとバブル崩壊の歴史
世界同様、日本が先進国となった、1970 年代以降の 40 年間に、日本は 4 回のバブルと
バブル崩壊を記録した。同じく、日本のバブルは、毎回、危機の後にやってきた。ただし、
回数こそ同じであるが、世界と異なり、2005-2007 年頃の日本のバブルは小規模であった。
また、日本独自のものとしては、1972 年前後の日本列島改造ブームがあった。日本のバブ
ルというと、1980 年代後半のバブルのイメージが強いが、実際には、日本の歴史上最大の
バブルは 1972 年前後の日本列島改造ブームであった。1971 年 8 月のニクソンショック後、
1 ドル 360 円であった円ドル相場は、1 ドル 308 円に切り上げられた。その水準を保つため
に、日銀は円売りドル買い介入を実施し、結果として、過度の金融緩和が実施された。日
銀の供給する通貨であるマネタリーベースの年間増加率が歴史的に最も高かったのは 1973
年の前年比 35.9%であり、同じく 2 位は 1972 年の同 23.5%であった。公定歩合は 1970 年
10 月以来、1971 年 12 月まで 15 か月間に通算 1.5 ポイント下げられた。1972 年には日本
列島改造論を主張する田中角栄が首相となり、公共投資を拡大した。つまり、金融緩和と
財政支出拡大が、同時に重なったのである。実質経済成長率は 1972 年の 8.4%に引き続き、
1973 年にも 8.0%、と高い成長が続いた。その結果、TOPIX は 1972 年に、101.4%、公示
9
地価(商業地)は 1973 年に 23.7%上昇した。1972 年は、単年の上昇率としては歴代最高で
ある。しかし、株価(TOPIX)は 1973 年 1 月 24 日にピークをつけ、その後 1974 年 10 月 9
日まで 21 か月間で 40.4%下落した。短期的には、日本列島改造ブーム時のバブルの規模の
ほうが大きかったが、総合的には、日本最大のバブルは、1980 年代後半の資産バブルであ
ると言える。1980 年代後半のバブルの出発点は 1985 年のプラザ合意である。円ドル為替
相場はプラザ合意直前の 1985 年 9 月の 243.60 円から 1987 年 12 月の 121.25 円まで上昇
し、その影響で円高不況が発生した。
1987 年にはブラックマンデーによって、世界的に株価は急落した。1987 年 10 月 19 日
の S&P500 の下落率は前日比 20.5%であった。
翌日の日本株(TOPIX)も大きく下落したが、
その時の下げ幅である 14.6%は、1 日の下げ幅としては未だに過去最大である。S&P500
は 1987 年 8 月から 1987 年 10 月まで、約 2 か月で 33.2%下落した。米国株ほどではない
が、TOPIX 指数(先進国対象、ドルベース)は、1987 年 8 月の高値から同年 12 月の安値ま
で、23.7%下落した。こうした大幅な株価下落を受けて、世界の中央銀行は大量の資金供給
を実施した。この時期は、原油価格がピークの 1980 年の 1 バレル 40 ドル前後から 1986
年の同 14 ドルまで大きく下落し、原油輸入国である日本に大きな恩恵をもたらした。円高
と利下げは、遅行して輸入物価の下落と金融収支改善を通じて、企業収益にプラスをもた
らした。また、ブラックマンデーによる株価急落は一時的であり、日本は比較的短期間に
回復した。
その結果、日本の実質経済成長率は 1986 年の 2.8%を底に急回復し、1987 年 4.1%、1988
年 7.1%、1989 年 5.4%となった。しかし、経済成長率は高かったにもかかわらず、政策金
利は史上最低水準に据え置かれ、利上げ開始は 1989 年であった。これにより、1990 年を
ピークとして日本における資産バブルが生じた。当時、日本の株式市場は、世界最大の時
価総額であり、その意味では世界的なバブルであった。
2-4
なぜ危機の直後にバブルが発生するのか
過去の危機とその後のバブル発生の教訓として、株価急落後に、株価が急騰するメカニ
ズムが発生しやすい。藤田[2011]は、その背景には、①政府、中央銀行の政策実行は遅行す
る傾向があること、②遅れて政策を実行するため、過度に景気を刺激することが多いこと、
10
③偶然、バブルを助長する非経済事象が発生すること、の 3 つの要因を挙げている。8
以下でこれら 3 つの要因について具体的にみていく。
まず、①政府、中央銀行の政策実行は遅行する傾向があることについて検証する。これ
まで述べてきたように、危機の中にバブルの萌芽があり、危機の後には必ずバブルがやっ
てくる。このように、歴史的に、バブルが一定の周期で発生することは知られているが、
バブルの種類には一定のパターンがあるわけではない。危機は突如としてやってくるから
こそ、危機なのである。危機に際しては、政府、中央銀行の対応が後手に回ることが多い。
そして、後手に回ると、景気対策は過度になりやすい。市場は先行きを先見して動くが、
政府の政策は現実よりも数か月遅れて発表される経済指標を基に決定される傾向がある。
例えば、減税などの財政政策は決定から実行まで時間がかかり、実行から効果の発現まで
さらに時間を要する。これも、政策の効果が遅行する理由である。また、金融市場の巨大
化と発達に伴い、金融危機を伴った危機に対する景気刺激策は、近年では金融緩和が中心
となることが多い。そして、1980 年代以降、世界の政策当局あるいは中央銀行は、ケイン
ジアン型経済政策から、マネタリズム型経済政策に転換してきた。財政政策と異なり、金
融政策は効果が表れるのに時間がかかると言われる。そして、その結果、金融引き締めに
転じても、同様にその効果が発現するまでに時間がかかる。
次に②遅れて政策実行するため、過度に景気を刺激することが多いことについて検証す
る。政策発動が遅れると、やり過ぎることが多い。名議長と評されるグリーンスパン前 FRB
議長ですら、何度も失策を犯している。1998 年の LTCM 危機発生時の利下げと 2003 年の
IT バブル崩壊後の利下げが典型的である。いずれも、後から振り返ると、景気の回復軌道
に乗った後に、利下げを実施し、その後のバブルの主因の一つとなった。これらは危機の
認識が遅れたため、政策が後手に回ったのである。後手に回るとどうしてもやりすぎてし
まう。
最後に、③偶然、バブルを助長する非経済事象が発生することについて検証する。大規
模なバブル発生には、偶然という要素も見逃せない。バブルを助長する(あるいはバブルを
起こす)非経済事象が、たまたま発生するという偶然も条件になる。結果として、純経済的
な判断で、経済政策を実行できなくなる場合がある。非経済事象の例としては、政治、軍
事、テロなど様々なものがある。例えば、リーマンショックにおいては、ブッシュ大統領(当
時)は、レイムダック化により、政治的なリーダーシップが欠如していた。こうした政治要
8
藤田[2011]pp.202-203
11
因がなければ、これほど厳しい危機には陥らなかったであろう。米国でリーマンショック
後の 2008 年 9 月 29 日に、公的資金注入を含む緊急経済安定化法が下院で否決された。そ
の結果、S&P500 は、前日比 8.8%下落した。10 月 3 日に、修正法案が議会で可決された
が、
その後も下落は止まらず、9 月 26 日から 10 月 10 日までのわずか 10 営業日で、S&P500
は 25.9%下落した。
日本の例では、1972 年の日本列島改造ブームがある。1972 年 7 月の自民党総裁選挙で
田中角栄が福田赳夫を破ったからこそ、日本列島改造ブームは起きたのである。1972 年 6
月に、田中角栄は、新幹線、高速道路を全国に展開することを主張する。
『日本列島改造論』
(日刊工業新聞社、1972 年)を発表し、同書はベストセラーとなった。財政支出拡大と金融
緩和により、1972 年の実質経済成長率(旧基準)は 8.4%と、前年の 4.4%から大きく上昇し
た。仮に、自民党総裁選挙で福田赳夫が勝利していたら、これほどまでのバブルは発生し
なかったかもしれない。しかし、積極経済政策はインフレ圧力を生み、1973 年に第 1 次石
油ショックが発生したこともあって、インフレ率は 1973 年が 11.7%、1974 年が 23.2%と、
戦後の混乱期を除くと、戦後最高の水準となった。こうして、就任直後は、
「今太閤」とし
て熱狂的に迎えられた田中角栄であるが、「日本列島改造論」はその後の経済混乱の元凶の
一つと位置づけられる。
1980 年代後半のバブルを助長する非経済事象は、消費税導入時の税制改革における政治
判断である。1989 年の消費税導入に際して、逆進性の高い増税となる消費税導入は国民の
反対が強かったが、それを和らげるために、竹下登内閣は、合わせて所得税などの大規模
な減税を実施した。つまり、1989 年の実質経済成長率は 7.1%と過去 30 年間では最高であ
るなど好景気にもかかわらず、当時としては史上最低の公定歩合(2.5%)となる金融緩和を続
け、かつ大規模な減税を実施した(総額 5.6 兆円の減税、ネットで 2 兆円強の減税)。これは、
1989 年 7 月の参議院選挙と 1990 年 7 月の参議院選挙を控えていたためであり、不必要で
あっても、減税を政治的に実行せざるを得なかった。
2-5 新興国バブルの検証
最後に、近い将来新興国でバブルおよびバブル崩壊が発生する可能性について検証する。
バブルの根源は、財務レバレッジの拡大や過度な財政政策など様々であるが、すべてに共
通することは過度な金融緩和による金余りである。危機の直後にバブルが発生するメカニ
ズムとして、①政府、中央銀行の政策実行は遅行する、②遅れて政策実行するために、過
12
度に景気を刺激する、③偶然、非経済事象が発生する、という条件を先述したが、このう
ち①と②に関しては、すでに起きつつあると言える。米国の過度な金融緩和がこれにあた
る。そして、それによって現在新興国への資金流入が急増している。以下では、新興国バ
ブルを検証する上では、最も問題であるだろう新興国への資金流入について詳述する。
2-5-1 米国の超金融緩和
新興国への資金流入をもたらしているもっとも大きな要因は、米国の超金融緩和である。
米国の超金融緩和の例としては、ゼロ金利政策と QE(量的金融緩和)が挙げられる。
ゼロ金利政策については、米国の中央銀行に相当する FRB が、リーマンショックに対応
して、政策金利である FF 金利誘導目標を直近のピークである 5.25%から 2008 年 12 月に
は事実上ゼロ金利とした。その結果、長期金利はピークである 5.3%から 2008 年 12 月には
2.1%と史上最低水準を記録した。そして、今もなお、ゼロ金利政策は続けられている。2012
年 11 月の大統領選挙を控えて、米国の事実上ゼロ金利、あるいはかなり低い金利はまだ続
くであろう。
QE とは、FRB の金融政策の 1 つで、量的金融緩和を意味する。金融危機を受け、FRB
は、市場に流動性を供給するため、バランスシートの膨張と引き換えに、金融緩和を行っ
ている。リーマンショック以降、FRB は資産買取プログラムにより、国債、政府機関債、
不動産担保証券(MBS)の取得を積極的に増加させてきた。QE の第 1 弾目である QE1 は、
2009 年 1 月から 2010 年 3 月末まで実施され、国債、政府機関債、不動産担保証券(MBS)
の買取りが行われた。買取り総額は 1.75 兆ドルである。QE2 は、2010 年 11 月から、2011
年 6 月末まで、6000 億ドルの長期国債の買取りが実施された。2011 年時のバランスシート
を見ると、
FRB の資産は 2.9 兆ドルであり、対名目 GDP 比 19.8%である(名目 GDP は 2010
年)。日銀の保有資産 130 兆円(2010 年 6 月時点)を上回るが、対名目 GDP 比では、27.2%
と日銀資産が上回る。9000 億ドル前後であった資産が、リーマンショックを契機に、2.0
兆ドルも増加している。
こうした強烈な金融緩和は、着実に効果をもたらした。特に株価に対しては、その効果
は絶大であった。超金融緩和と企業業績好調により、米国の株価は順調に上昇している。
FRB が QE2 の実施を決定した 2010 年 11 月 3 日以降 2011 年 6 月末まで、円ベースで、米
国株は、13.2%上昇、米国の不動産投資信託は 11.3%上昇となった。実体経済も、緩やかな
がら回復の兆しを見せつつある。FRB が重視するインフレ指標であるコアインフレ率は前
13
年同月比 0.8%(2010 年 11 月)から 2011 年 5 月には 1.5%までわずかであるが回復に転じた。
しかし、こうした異常と言えるまでの金融緩和は当然大きな副作用を生む。それが新興国
への資金流入急増であり、バブル発生のリスクを生んでいる。
2-5-2 新興国への資金流入
以上で述べたように米国の超金融緩和は新興国への資金流入を増大させている。2000 年
以降の国際資金の流れをみると、経常収支黒字の新興国や資源国が、経常収支赤字の米英
など先進国に資本を輸出する動きが続いている。また、新興国と資源国の資金フローを部
門別にみると、その多くにおいて、公的部門(通貨当局)が、巨額の外貨準備運用によっ
て資本を輸出する一方、民間部門は、証券投資(株式、債券)や直接投資などのチャネル
で、海外から資本を輸入するという構図になっている。その新興国民間部門の資本輸入す
なわち新興国への資金流入の規模は、2007 年まで拡大を続けたがリーマンショック後、投
資家のリスクアペタイトの減退や金融機関のデレバレッジを背景に、急速に減少した。し
かし、2009 年春頃から、アジアやラテンアメリカを中心とする新興国への資金流入は再び
増加し、新興国の株価上昇を牽引してきた。具体的には、BRICs への海外からの資本収支
額は、リーマンショックのあった 2008 年が 211 億ドルのマイナスであったものが、2009
年は 2517 億ドル、2010 年は 3676 億ドルのそれぞれプラスと、大きく増加した。新興国へ
の証券投資に対する資金流入を個別にみると、08 年に 150 億ドルの流出超となったイン
ドは、09 年には 11 月までで 195 億ドルの流入超へと一変して資金が流入、ブラジルは
08 年に 11 億ドルの流入超から 09 年は 491 億ドルと大幅な流入超となっている。こうし
た新興国への資金流入増の一因として指摘されるのが、低金利の通貨を借りて高金利通貨
の金融資産に投資するキャリートレードである。特に 09 年以降はドルを資金調達通貨とし
たドルキャリー取引が活発化したとみられる。新興国への資金流入のどれだけがキャリー
トレードを伴ったものかは慎重にみていく必要があるが、こうした取引が続く限り投資通
貨の減価は抑えられることになる。同取引を通じた投機資金の流入の影響は、中国、イン
ド、香港といった固定相場制や管理変動相場制を採っている国に大きな影響をもたらして
いる。海外資金の国内流入に伴う自国通貨の増価圧力を抑制するために、通貨当局は非不
胎化介入を行い、その結果生ずるマネーサプライの増加が資産バブルの可能性を高める一
因となっている。こうした新興国への資金流入の強まりは、資本市場における企業の資金
調達環境の改善や資産価格の上昇による資産効果を経由して、内需を後押しし成長を促進
14
させるという側面も持つ。しかし一方で、国際資金流入の増加が継続すると、こうした国々
の拡張的な金融財政政策と相俟って、景気の過熱や資産価格の高騰をもたらす結果、その
後の景気の落ち込みを招くリスクがある。新興国は利上げを実施しつつあるが、それでも
景気が過熱し、インフレ率は上昇しやすい。本来ならば、金利上昇を背景とする新興国通
貨の大幅上昇によって、新興国の景気とインフレの鎮静化が期待できるはずである。しか
し、中国などのように、新興国では政府が為替に介入することが多く、為替相場の市場メ
カニズムがうまく機能しない場合が多い。
Moreno[2011]は、このような新興国への資金流入増大で、金融監督当局は金融安定化の
課題に直面している、と指摘している。9こうした中で、先進国は早期に超金融緩和を止め
るべきという意見は当然あるが、藤原[2010]は、国際マネーフローの緊密性が強まる中で自
国の政策が与える影響を考慮する必要性は高まっている。しかし、新興国のバブル生成に
配慮して自国の金融政策を修正できるほど日米欧の経済状態は強くはなく、各国中銀の金
融政策が独立性を失うという危険性もある、と指摘している。10 では、新興国のバブルを
防ぐためにはどうすればいいのだろうか。国際局国際経済調査担当[2010]は、新興国への資
本流入の抑制については、まずは資本流入規制やプルーデンス政策等で対応することが第
一義である、と指摘している。11 また、白川[2010]は、新興国がバブル発生を防ぐために
は、経済全体としてのリスクの所在を的確に把握する、いわゆるマクロ・プルーデンスの
観点に立った監督が重要である、と指摘している。12
2-6 まとめ
以上より、新興国のバブル発生の可能性は高いということがわかる。先進国は、国際金
融危機の影響を受けて、景気が長期低迷しており、それに対処するため超金融緩和を続け
ている。それは、新興国への資金流入増大を招き、新興国のバブル発生のリスクを高めて
いる。そして、1 章でも述べたように、もし、新興国で危機が起こった場合世界的な危機の
伝播は避けられない。すなわち、新興国発の国際金融危機のリスクが高まっているという
ことである。では、国際的および先進国では次なる危機に備えてどのような改革がおこな
われているのであろうか。3 章でみていく。
Moreno[2011] p.1
藤原[2010] p.4
11 国際局国際経済調査担当[2010] p.8
12 白川[2010] p.9
9
10
15
3 章 国際的および先進国の取り組み
次なる危機に備えて、国際的および先進国ではどのような改革がおこなわれているので
あろうか。国際金融危機を受けて、国際的には、マクロ・プルーデンス監督体制の強化、
金融規制の強化、金融機関の自己資本規制強化、国際会計制度改革が同時に実施されてい
る。特に 3 章では、プルーデンスの観点から、マクロ・プルーデンス監督体制強化と、国
際的な規制であるバーゼルⅢ、国際会計制度改革についてみていく。
3-1 マクロ・プルーデンス監督体制の強化
この節では、そもそもプルーデンス政策とはなんなのか、マクロ・プルーデンスが重視
されるようになった背景、先進国で実際に行われているマクロ・プルーデンス重視の改革
などについて詳述する。
3-1-1 プルーデンス政策とは
黒田[1995]は、プルーデンス政策(prudential policy)とは、金融システムの健全性・安定
性を維持することを目的とした政策と定義している。 13 また、金融システム(financial
system)とは、狭義には金融に関する法律や規制(さらには慣行)の体系を指し、そうした体
系の下で、どのような金融機関が存在するのか、また、どのような金融商品が取引されて
いるのかを内容としているが、広義には、各金融機関がどのように行動しているのか、ま
た各金融商品の市場において、どのようなメカニズムで金利や価格が決定されているのか、
といった問題も含むことになるとし、また、金融の基本的な機能に即してみれば、金融シ
ステムとは、金融仲介システム、信用創造システム、決算システムを包括する幅広い概念
であるとしている。プルーデンス政策には大きく分けて、ミクロ・プルーデンスとマクロ・
プルーデンス政策がある。リーマンショック以降、従来のミクロ・プルーデンス中心の監
督体制の問題点が露呈し、その結果、マクロ・プルーデンス監督体制が重視されるように
なった。以下で具体的に述べる。
3-1-2 ミクロ・プルーデンスとマクロ・プルーデンスの比較
まず、ミクロ・プルーデンスとマクロ・プルーデンスの簡単な比較を行う。白川[2009]
13
黒田[1995] p.4
16
によれば、ミクロ・プルーデンスとは、
「個々の金融機関が健全経営を行えば、その集合体
である金融システムは安定するはずであり、規制・監督はそうしたミクロレベルの健全性
実現に焦点を当てることで対応する」という考え方であり、マクロ・プルーデンスとは、
金融システムの安定は、そうしたミクロレベルの努力だけでは達成できず、
「実体経済と金
融市場、金融機関行動の相互関連を意識して、金融システム全体の抱えるリスクを分析し、
そうした評価に基づいて意識的な制度設計、政策対応を行っていく必要がある」という考
え方だと述べている。14より単純化していえば、ミクロ・プルーデンスは個々の金融機関の
健全性の維持に焦点を当てた規制・監督アプローチであるのに対して、マクロ・プルーデ
ンスは金融システムに脅威を与えるシステミック・リスク15や金融システムの安定性に影響
をもたらす過剰な信用の拡大、資産価格の高騰といったマクロ経済上の問題を把握・対処
し、金融システムの安定性に焦点を当てる規制・監督アプローチ、もしくは政策アプロー
チである。また藤田[2012]は、ミクロ・プルーデンスとマクロ・プルーデンスは、二項択一
的ではなく、相互補完的であると述べている。16
Borio[2003]は、図表 1 のように分類をしている。17
図表 1 マクロ・プルーデンスとミクロ・プルーデンスの違い
マクロ・プルーデンス
金融システムの毀損の抑制
生産(GDP)コストの回避
リスクモデル
内因(部分的)
金融機関の相関性、共通のエクスポージャー
重要
プルデンシャル規制の測定
システム全体の毀損の観点:トップダウン
中間目標
最終目標
ミクロ・プルーデンス
個別金融機関の破綻の抑制
消費者(投資家・預金者)保護
外因
無関係
個別金融機関のリスクの観点:ボトムアップ
(出所) Borio[2003]より筆者作成
3-1-3 マクロ・プルーデンス検討の背景
この節では、マクロ・プルーデンスが重要視されるようになった背景について述べる。
マ ク ロ ・ プ ル ーデ ン ス が 初 め て 使 わ れた 例 とし て 、 バ ー ゼ ル銀 行 監督 委 員 会 (Basel
Committee on Banking Supervision; BCBS、以下「バーゼル委員会」という)の前身であ
白川[2009 ]p.2
システミック・リスクとは、個別金融機関の倒産、特定の市場または決算システムの崩
壊が、他の金融機関、他の市場、または金融システム全体に波及するリスクを指す。
14
15
16
17
藤田[2012] p.10
Borio[2003]p.3
17
るクック委員会(Cooke Committee)の WP クック委員長が、1976 年 6 月の会合においてマ
クロプルーデンシャルという語を発したことが議事録で確認されている。18 同時期には、
イングランド銀行(Bank of England;BOE)のペーパーでもマクロプルーデンシャルの語が
使われるなど、マクロ・プルーデンスは 1970 年代後半に使われ始めた概念である。その時
期から数十年が経過し、マクロ・プルーデンスという言葉は規制・監督の分野では定着し
ており、特に、2007 年以降のグローバル金融危機を経て、マクロ・プルーデンスという言
葉が使われる頻度は飛躍的に増えている。19 小立[2011]は、その使用頻度が高まっている
のは、金融危機を受けて進展しつつある国際的なレベル、各国・地域レベルの金融制度改
革において、マクロ・プルーデンスという言葉が改革のキーワードになっているからであ
り、マクロ・プルーデンス政策あるいはマクロ・プルーデンス規制・監督アプローチを構
築することが改革の重要な課題になっているからであろう、と述べている。 20 また小立
[2011]は、金融危機後にマクロ・プルーデンスに焦点が当てられている背景には、危機が生
じる以前、各国監督当局における監督上の視点は、個々の金融機関健全性の維持、すなわ
ちミクロ・プルーデンスに焦点が当てられており、結果として、金融危機をもたらすシス
テミック・リスクを適切に把握することができなかったという反省がある、と述べている。
例えば、英国の金融サービス機構(Financial Service Authority; FSA)の会長である、ア
デア・ターナー卿が金融危機について分析を行った「ターナーレビュー」は、①BOE はイ
ンフレ・ターゲットを採用する金融政策に関する分析に焦点を当てる傾向があり、さらに、
BOE は英国の金融システムの安定を監視する報告書として「金融安定報告」(financial
Stability Report; FSR)を策定してはいたものの、FSR の分析は政策に利用されなかったこ
と、②FSA は個々の金融機関の監督に焦点を絞っていたため、金融セクターやシステム全
体に存在するリスクに対する監督が不十分だったこと、③BOE と FSA はマクロ・プルーデ
ンス分析を積極的に分析することもマクロ・プルーデンスのツールを明確化し、それを利
用することもなく、両者の間に規制の陥穽(under lap)があったことを指摘している。21
米国では、ヘンリー・ポールソン財務長官のイニシアティブの下で財務省が策定した米国
の規制システム改革に関する報告書においては、銀行、証券、保険、先物取引に分かれた
Clement[2010] pp.59-65
Clement[2010]は、マクロ・プルーデンスという語をインターネットで検索した結果、
200 年から 2007 年の間には約 5 千件の参照であったのに対して、2008 年 1 月以降 12 万 3
千件以上に上っているとしている。
20 小立[2011] p.3
21 FSA[2009] pp.83-86
18
19
18
米国の機能別の規制システムの欠陥として、個々の金融危機のイベントが金融システムに
幅広い混乱をもたらしたり、デフォフルト連鎖のトリガーを引くことで、実体経済に負の
影響をもたらすシステミック・リスクまたはその可能性を監視するための規制機関が不在
であったという課題が指摘されている。22
欧州連合(EU)では、欧州委員会の諮問委員会としてジャック・ド・ラロジエール元フラン
ス中銀総裁が議長を務めたハイレベル・グループが策定した「ド・ラロジエール報告書」
が、EU の監督の枠組みが個々の金融機関の監督に焦点を当てており、マクロ・プルーデン
スの側面が不十分であったと認めている。23
このように金融危機を防ぐためには、ミクロ・プルーデンスの視点だけではなく、マクロ・
プルーデンスの視点を意識することが重要だと認識されている。
3-1-4 マクロ・プルーデンスとは
この節では、グローバル金融危機以降重要視されるようになった、マクロ・プルーデン
スについて詳述する。
Borio[2010]は、マクロ・プルーデンスを規制・監督の方向付けあるいはパースペクティ
ブであるとしており、個々の金融機関単独の安全性や健全性というよりはむしろシステム
全体またはシステミックなパースペクティブから測られるものとして表現している。24 マ
クロ・プルーデンスの最終目的については、システミック・リスクを特定し、その対処・
削減を図ることであるということが概ねコンセンサスになっている。BIS[2010]は、各国の
政策当局者の間で幅広く合意が得られていることとして、マクロ・プルーデンス政策の目
的は、システミック・リスクを削減し、ショックに対する金融システムの体制の強化を図
り、緊急時に政府支援を受けることなく、安定的に金融機能を維持できるようにすること
であると指摘している。25 また、FSB, IMF and BIS[2011]は、マクロ・プルーデンス政策
とは、システミック・リスクを抑えるためにプルーデンス・ツールを利用する政策である
とし、それによって、①金融のインバランスの積み上がりを抑え、その後のサイクル悪化
の速さと熾烈さを抑制し、経済に与える影響を制限する防御策を作り、②システム全体の
伝播・波及効果の原因となる共通のエクスポージャーやリスク集中、相互関連性および相
22
23
24
25
U.S. Treasury[2008] pp.3-5
High-Level Group[2009] pp.39-40
Borio[2010] p.1
BIS[2010a] p.1
19
互依存性を特定・対処することによって、実体経済に重大な影響をもたらす主要な金融サ
ービスが混乱するような事態を抑えることであると定義している。26 これら二つの議論を
みても、マクロ・プルーデンス政策とは、システミック・リスクを特定し、それに対処す
ることであるということがわかる。また、マクロ・プルーデンスを実施する目的として
BIS[2010]は、①経済のダウンサイクルその他の負のショックに対する金融システムの強靭
性を強化すること、②金融リスクの蓄積を積極的に抑制し、金融サイクルを抑制すること
を挙げている。27
白川[2009]によれば、システミック・リスクの評価にあたっては様々な切り口があるが、
最近では、現状を横断的に捉えたリスクの視点と将来にわたるリスクの変化、言わば、時
系列的なリスクの視点という2つの軸が重要との認識が、共有されるようになってきてい
る、と述べている。28 以下で詳述する。
3-1-4-1 横断的なリスクの視点
第 1 の「横断的なリスクの視点」とは、ある時点における金融システム全体のリスクの
評価軸であるが、そこで強く意識されているのは、各金融機関のポートフォリオや各商品
のリスクの相互連関である。金融機関が特定の業種へ与信や投資を集中すると、その金融
機関は大きなリスクを抱えることになる。不動産に対する与信はその典型的な例であるが、
同じことは金融システム全体についても言えることである。しかし、仮に個々の金融機関
単位でみた場合、特定業種へのエクスポージャーの集中がなくても、多くの金融機関が同
じようなポジションをとっている場合、金融システム全体としては、大きなリスクを抱え
ていることになる。特定のエクスポージャー、たとえば、不動産の価値に対するショック
が発生すると、各金融機関が一斉にそのエクスポージャーを圧縮しようとするが、皆が同
じような行動をとろうとすると、エクスポージャーを圧縮すること自体が難しくなる。そ
の過程では、資産の市場流動性や資金流動性が著しく低下し、そのことが損失をさらに拡
大させてしまう。こうした一種の群集行動現象は、crowded trade と呼ばれており、様々
な原因によって発生する。典型的には、経済の先行きに対する見方が同一化することによ
って生じるが、リスク管理手法の同一化によっても促進される。金融技術が高度化すると、
26
27
28
FSB, IMF and BIS[2011a] pp.2-3
BIS[2010a] p.2
白川[2009] pp.6-8
20
リスク管理も複雑化してしまう。そうなると、リスク管理手法を自ら開発する資源を持た
ない金融機関では、他の金融機関で開発されたリスク管理手法を採用するインセンティブ
が高まる。こうした状態が一般化すると、銀行間で資産エクスポージャーの内容が似てく
るのみならず、取引のタイミングが同期化することによって、市場の振幅が激しくなって
しまう。
3-1-4-2 時系列的なリスクの視点
マクロ・プルーデンスの第 2 の視点である「時系列的なリスクの視点」とは、金融シス
テムが抱えるリスクが、時間の経過に伴って、どのように変化していくかというダイナミ
ックなリスク変化の評価軸である。危機に先立つ局面では、グローバル金融危機の前に見
られたように、良好な経済状態がしばらく続き、経済主体のリスク認識は楽観的となり、
リスク許容度は高まっていく。その結果、経済主体のリスクテイク姿勢が積極化すると、
資産価格の上昇が、それによって、リスクテイク姿勢はさらに積極化してしまう。こうし
たリスクテイク姿勢の内生的な変化、つまりリスクテイキング・チャネルについてのわれ
われの知識は、極めて限られているが、はっきりしていることは、マクロの金融・経済環
境に大きく影響されるということである。リスクテイクの過程で蓄積した金融面での不均
衡は、無限には持続可能なものではなく、いずれかの時点でバランスシート調整が生じる
ことになる。調整は当初ゆっくりと進むが、何らかのショックをきっかけとして、資金流
動性不足という形で危機が表面化し、金融市場参加者間での信認が崩壊することによって、
危機は深刻化していく。このように、金融機関の利益追求行動が金融・経済のマクロ的な
循環を増幅するという現象は、
「プロシクリカリティ」と呼ばれており、先述した横断的な
リスクの視点とは別の重要な評価軸である。
3-1-4-3 具体的なシステミック・リスクの原因
英国財務省はシステミック・リスクを具体的に表現している。財務省が 2011 年 2 月に策
定した規制システム改革に関する報告書はシステミック・リスクの原因について、①市場
ストラクチャー、②リスク・エクスポージャーの分布、③シクリカル・リスクの 3 つの面
から整理を行っている。29
29
HM Treasury[2011] pp.15-17
21
図表 2 システミック・リスクの原因
内容または評価
情報の問題
特定証券のリターンのボラティリティに関する透明性の欠如、金融機関のバランスシートに関する
不十分な情報が、危険なリスク・エクスポージャーの蓄積をもたらす。金融危機の初期段階ではサ
ブプライム・モーゲージやその関連証券に関する情報がなかった
個々のエージェントの意思決定は、それが自らの視野に基づいた合理的かつ有益なものであって
誤ったインセンティブ も、集積されると不都合な結果となる。金融危機では、資産価格の下落が不良資産の投売りをもた
らした
市場流動性
OTCデリバティブなど一定の市場における取引プラットフォームのルールの欠陥、または標準化
の欠如が、ストレス時における流動性に貢献する投資を妨げる
波及効果
金融市場のあるセクターでの脆弱性が他のセクターに拡大。特に、最近の金融イノベーションとし
ての証券化市場の成長とクレジット・デフォルト・スワップの急速な拡大は複雑性と金融機関間の
相互連関性のネットワークの規模を増大
市場ストラクチャー
システム上重要な金 SIFIsの破綻によって金融システム全体にストレス状態がもたらされる
融機関(SIFIs)
金融市場は安全で信頼性の高い効率的な支払・清算・決済システムと取引情報を交換し指示を発
不十分な市場インフラ するための安全な通信システムに依拠しているが、こうしたシステムの破綻は、深刻な市場の混乱
をもたらし、混乱を増幅
リスク・エクスポージャーの分布
金融セクターのリスク・エクスポージャーの分布によってシステミック・リスクがもたらされる可能性。
多くの金融機関が誤った価格の同じ証券を保有していたり、潜在的にリスクの高い業務を行っている
場合、いくつかの大規模で相互連関性をもつ金融機関が他の金融機関に幅広い悪影響を及ぼすリ
スク・エクスポージャーを保有している場合である。資産・負債のミスマッチや持続可能
性のないファンディング・ポジションもシステミック・リスクをもたらす
投資家は一般に、実際にはリスクが上昇していてもリスクを過小評価し、リスクが顕在化すると過度
シクリカル・リスク
リスク・アペタイト、ク に悲観的になる。市場ベースのリスク計測が利用されている場合、市場環境に依存するため特に顕
著となる。一方、銀行は経済が拡大しデフォルト率が低い場合にはより多くの貸出を行うが、成長が
レジット・サイクル
鈍化すると貸出に対して過度に慎重になる。クレジット・サイクルと金融の不安定化は密接に関連
担保の効果
資産価格の上昇は担保価値を上昇させ、さらなる借入れを可能にする一方、その後に資産価格が
下がれば、バランスシートは急速に悪化
(出所) HM Treasury[2011] pp.15-17 より筆者作成
3-1-5 マクロ・プルーデンス体制の設計
以上のように、マクロ・プルーデンスの目的はシステミック・リスクを特定し、削減す
ることであるが、そのシステミック・リスクを特定し、削減するためのマクロ・プルーデ
ンス体制はどのようなものが適切なのだろうか。2010 年 11 月のソウル・サミットでは、
G20 首脳が金融安定理事会(FSB)および国際通貨基金(IMF)、国際決済銀行(BIS)に
対してマクロ・プルーデンス政策の枠組みに関する検討を求めた。具体的には、マクロ・
プルーデンス政策の枠組みの設計・実施に関する将来の国際的な原則、ガイドラインの基
22
礎とするための、マクロ・プルーデンス政策のベスト・プラクティスの特定に向けた進捗
報告書の報告書の作成を要請した。その要請に応じて、FSB および IMF、BIS は、2011
年 2 月に、
「マクロ・プルーデンス政策ツールおよびフレームワーク」と題する報告書を提
出し、さらに 10 月にはその進捗報告書を提出した。その報告書では、マクロ・プルーデン
ス 政策 に関 する 組織 的な アレ ンジ メン トに つい て述 べら れて いる 。 FSB, IMF, and
BIS[2011b]は、各国・地域のマクロ・プルーデンス政策の組織体制を評価する際の軸とし
て、①マンデート、②権限および措置、③アカウンタビリティおよび透明性のメカニズム、
④意思決定主体の構成、⑤国内の政策協調を図るアレンジメントを挙げ、次のように一般
化を図っている。30
① マンデート
金融の安定という包括的な目的に対してより具体的なマクロ・プルーデンス政策上のマン
デートを規定することによって、明確な目的、責任、権限が政策当局に与えられる。当局
は正式なマンデートが与えられることで、意思決定の明確さを向上させ、措置を何も講じ
ないことを防ぎ、政策の停滞を回避する。
② 権限および措置
マクロ・プルーデンス政策に関する最近の組織改革では、情報収集と意思決定の権限に焦
点が当てられている。マクロ・プルーデンス当局が関係情報を容易に入手できない場合に
は、民間セクターから情報を直接収集する権限をもっているかが重要である。一方、規制
上の報告チャネルによって情報が収集されている場合には、マクロ・プルーデンス当局が
当該情報にアクセスする権限をガバナンスするための枠組みが必要となる。
新たに構築されるマクロ・プルーデンス政策の枠組みでは、共通してリスク・ワーニング
を発出する権限や規制上の措置を勧告・命令する権限が与えられている。同一当局の下に
マクロ・プルーデンス政策上のマンデートが与えられ、政策措置のオペレーションの権限
がある場合(例えば、中央銀行が監督当局を兼ねている場合)には、直接的に政策措置を
講じたり調整する権限が与えられる。マクロ・プルーデンス政策を担う組織が特定の措置
を割り当てるメカニズムを設けるところもある一方、マクロプルーデンス・ツールのオペ
レーションの責任が明確ではない場合には、その明確な割り当てが必要である。
30
FSB, IMF, and BIS[2011b] pp.15-19
23
③ アカウンタビリティおよび透明性のメカニズム
マクロ・プルーデンス政策のコストは直ちに認識されるのに対して、金融ストレスの可能
性が低下するという政策のベネフィットは、長期に及ぶものであり測定しにくい。マクロ・
プルーデンス政策の成否を容易に評価する基準がないため、マクロ・プルーデンス体制の
設計においては、アカウンタビリティの確立が大きな課題となる。特に、異なるマクロ・
プルーデンス上の目的をもつ複数の当局が政策に関わる場合にはさらに状況が難しくなる。
また、一般に対する政策決定の透明性と明確なコミュニケーションはアカウンタビリティ
の基本的要素であり、①アカウンタビリティを確保するための事前的方法として、マクロ・
プルーデンス戦略に関するステートメント、議事録の公表、FSR の策定、②事後的方法と
して、政策の実効性に関する評価を含む年次パフォーマンスのステートメントがある。多
くの法域では議会に対する報告が行われる。
④ 意思決定主体の構成
マクロ・プルーデンス政策の決定は多くの国で、特に関係当局が複数存在する場合は委員
会形式で行われる。複数の当局に金融の安定に関するマンデートが与えられている場合ま
たは政策の決定と適用の権限が当局の間で分かれている場合には、委員会を設置すること
が望ましい。
マクロ・プルーデンス政策における中央銀行の位置づけについては、金融およびマクロ経
済の評価に関する経験と専門性、決済システムおよび最後の貸し手(LLR)としての中央
銀行の役割から、マクロ・プルーデンス政策の政策決定に加わることが一般的であり、そ
の中でも主導的な役割を果たすことが多い。
一方、マクロ・プルーデンス政策上の財務省の役割は、各国の法的枠組みの相違、委員会
に与えられた目的の違い(システミック・リスクの蓄積の抑制だけでなく、危機管理に対
する責任まで負うかどうか)を反映して様々である。財務大臣はマクロ・プルーデンス政
策の目的および政策の優先順位の決定に加わり、規制の対象範囲の拡大などシステミッ
ク・リスク削減のために法改正が必要な場合に重要な役割を担う。もっとも、マクロ・プ
ルーデンス政策のオペレーションにおいて財務大臣が中心的な立場に位置づけられた場合、
政治の圧力に対する緩衝材としての効果が低下するリスクがある。
また、規制・監督当局については、マクロ・プルーデンス政策の目的に適うようプルーデ
24
ンス・ツールの調整を図ること、SIFIs に対するマクロ・プルーデンス監督を具体化するこ
とから、マクロ・プルーデンス政策の中で主要な役割を担うこととなる。
⑤ 国内の政策協調メカニズム
異なる政策目的の間で生じる潜在的な利益相反に対しては、委員会形式はその解決を促し
対処することができる。例えば、カウンターシクリカルな資本バッファーについては、マ
クロ・プルーデンスの観点からは経済サイクルに応じて資本の積み上げ、取り崩しを認め
るが、銀行当局はミクロ・プルーデンスの観点から、個別金融機関のリスク・バッファー
として高い資本水準を維持することを望む。このような場合、意思決定の責任の割り当て
と政策目標間の利益相反を解決する明確なメカニズムを設けておくことが必要である。
金融政策および財政政策とマクロ・プルーデンス政策の間の政策協調については、政策決
定を担う委員会にメンバーを重複参加させることが典型的な解決策である。また、金融政
策および財政政策はマクロ経済のインバランスに焦点を当てる一方、マクロ・プルーデン
ス政策はシステミック・リスクの抑制に焦点を当てるため、両者の明確な役割分担によっ
て金融政策の独立性が確保されることとなる。
3-1-6 各国のマクロ・プルーデンス体制
国際的に、マクロ・プルーデンス体制のアレンジメントに関する議論が進む中で、現在、
先進国各国のマクロ・プルーデンス監督体制はどのような改革が行われているのだろうか。
グローバル金融危機を受けて、欧米を中心にマクロ・プルーデンス政策に責任を負う組織
を設ける改革が進められている。その代表的な例として、米国の FSOC、英国の FPC、EU
の ESRB を取り上げる。小立[2012]は、いずれの組織にも共通する特徴として、マクロ・
プルーデンス政策に関する明確なマンデートを有し、他の当局との間で役割分担が図られ
ていること、政策決定のアカウンタビリティと透明性を確保するための措置が手当てされ
ていることを指摘し、以下のようにまとめている。31
3-1-6-1 米国 FSOC
米国の金融規制システムは、金融機能別に連邦・州レベルで分かれていることから、シ
ステミック・リスクに対する監視が不十分であったことが金融危機によって明らかになっ
31
小立[2012] pp.56-61
25
た。このため、2010 年 7 月に成立したドッド=フランク法の下、システミック・リスク・
レギュレーターとして FSOC が設置された。FSOC は、財務長官が議長を務め、議決権を
有するメンバーとして FRB 等の連邦規制当局の長が参加する合議体であり、FSOC はメ
ンバー当局の間の調整機能も担っている。32FSOC は、①大規模金融機関のイベントや業
務から生じる米国の金融の安定へのリスクを特定すること、②政府によるベイルアウトへ
の市場参加者の期待を排除し市場規律を促すこと、③米国の金融システムへの脅威の顕在
化に対応することが法律で求められており、マクロ・プルーデンス政策を担う組織として
明確なマンデートが与えられている(図表 3)
。
FSOC は少なくとも四半期に 1 回の頻度で開催され、その議事録は公表されるほか、年次
報告と議会証言が義務づけられており、アカウンタビリティの確保が図られている。
一方、ドッド=フランク法の下、FSOC をサポートするための組織として財務省に OFR
が設置された。OFR は、
「データ・センター」、「調査分析センター」として法的に位置づ
けられており、マクロ・プルーデンス政策の実行に必要なデータの収集とシステミック・
リスクの分析というマンデートが与えられている。33
OFR はデータ・センターとして、規制当局に加えて金融機関や民間のデータ・プロバイ
ダー、データ・ソースから業務遂行に必要なデータを収集・蓄積するほか、一般にも利用
可能な「金融会社参照データベース」、「金融商品参照データベース」を構築しなければな
らない。一方、調査分析センターとしての OFR については、米国の金融の安定へのリスク
を測定するための仕組みを開発すること、システミック・リスクを測定し、特定すること
が法的に求められている。34
FRB の他に、①通貨監督庁(OCC)、②消費者金融保護局(CFPB)
、③証券取引委員会
(SEC)
、④FDIC、⑤商品先物取引委員会(CFTC)、⑥連邦住宅金融庁(FHFA)、⑦全米
信用組合管理庁(NCUA)の各機関の長、⑧大統領が指名し上院の助言と同意を受けた保
険分野の専門性をもつ独立メンバーが議決権をもったメンバーとして参加する。また、議
決権をもたず助言のみを行うメンバーとして、①OFR の長官、②連邦保険庁(F IO)の長
官、③州の保険規制の代表者、④州の銀行規制の代表者、⑤州の証券規制の代表者も会議
に加わっている。
33 OFR の責務としてドッド=フランク法では、①FSOC のためにデータを収集し、FSOC
およびメンバー当局に提供すること、②報告・収集されるデータの種類およびフォーマッ
トの標準化を図ること、③調査、本質的に長期の調査を実施すること、④リスクの測定、
モニタリング・ツールを開発すること、⑤その他関連サービスを実施すること、⑥OFR の
活動の結果を金融規制当局に利用させること、⑦金融規制当局が収集するデータの種類お
よびフォーマットの決定を支援することが規定されている。
34 なお、2012 年 3 月、OFR に対して助言、勧告、分析、情報を提供する組織として、金
融調査諮問委員会を設置する方針が公表された。当該委員会には、学者、研究者、業界代
32
26
図表3 ドッド=フランク法のFSOCの目的規定
FSOCの法的目的
1. FSOCのメンバー当局、その他の連邦・州規制当局、FIOからの情報収集。米国の金融システムへのリスク評価に必要な場合
にはOFRに銀行持株会社、ノンバンク金融会社からの情報収集を指示
2. FSOCの業務をサポートするため、OFRに指示し、OFRからのデータや分析を要求
3. 米国の金融の安定に対する潜在的な脅威を特定するため、金融サービス市場を監視
4. 国内・国際的な規制提案・策定の監視(保険・会計を含む)、米国の金融市場のインテグリティ、効率性、競争力および安定性
を向上する分野において連邦議会に助言・提案
5. FSOCのメンバー当局、その他の連邦・州規制当局の間の国内金融サービス政策の策定、規則策定、検査、報告、エンフォー
スメントに関する情報共有の促進
6. メンバー当局間の議論の結果を踏まえた一般的な監督上の優先課題および原則の提案
7. 米国の金融の安定に脅威となり得る規制におけるギャップの特定
8. 重大な金融ストレスまたは破綻が生じれば、米国の金融の安定にリスクとなり得るノンバンク金融会社に対するFRBによる監
督の勧告
9. FRBに監督されるノンバンク金融会社および大規模で相互連関性のある銀行持株会社を対象にした、リスク・ベース資本、レ
バレッジ、流動性、コンティンジェント・キャピタル、処理計画、与信集中制限、開示の改善および全社的なリスク管理に関する
FRBによる厳格なプルーデンス規制への勧告
10. システム上重要な金融市場ユーティリティ、支払・清算・決済業務の特定
11. 銀行持株会社、ノンバンク金融会社、米国の金融市場において、重大な流動性、信用その他の問題をもたらすまたは増大さ
せる金融業務・活動に対して第一義的監督当局が新たな厳格な規制およびセーフガードを適用するための勧告
12. 既存または提案された会計原則・基準・手続きに関して、SECおよびその他の基準設定者のレビュー、意見の提出
13. 市場の発展と規制上の課題の検討・分析、FSOCのメンバー間の規制上の管轄の解決のためのフォーラムの開催
14. FSOCの活動、重大な金融市場・規制の動向(保険・会計に関する規制・基準を含む)とそれらの金融システムの安定に対す
る評価、米国の金融の安定に対して潜在的に生じつつある脅威、FRB監督下のノンバンク金融会社またはシステム上重要な金融
市場ユーティリティ、支払・清算・決済業務に関する決定とその根拠、メンバー当局間の監督上の管轄争いに関する勧告およびそ
の結果、米国の金融市場のインテグリティ、効率性、競争力および安定性を向上し、市場規律を促進し、投資家の信認を維持す
るための勧告に関して、連邦議会に年次報告書を提出し証言
(出所)ドッド=フランク法より筆者作成
表者、政府関係者、データおよびテクノロジーに関する専門家が参加する予定である。
27
3-1-6-2 英国: FPC
英国では、金融危機で明らかになった財務省、BOE、金融サービス機構(FSA)による
トライパタイト(tripartite)体制の欠陥を踏まえて金融規制システム改革が行われようと
している。英国議会で審議されている金融サービス法案は、一元的な監督当局である FSA
を廃止する一方、①BOE に理事会レベルの委員会としてマクロ・プルーデンス政策を担う
FPC を設け、②BOE の運営上独立した子会社としてミクロ・プルーデンス監督を担う「プ
ルーデンス規制機構」
(PRA)を設置し、③BOE から独立した規制機関として消費者保護・
市場規制を担う「金融行為監督機構」
(FCA)を新設する(図表 4)
。プルーデンス政策と消
費者保護・投資家保護の規制の目的別に責任当局が分かれるいわゆる「ツインピークス・
モデル」である。同法案が成立すれば、2013 年第 1 四半期から FPC、PRA、FCA によ
る新たな金融規制システムに移行する予定である。金融サービス法案によって、BOE は英
国のプルーデンス体制の中心に位置づけられる。FPC は、マクロ・プルーデンス政策を通
じて金融システムの安定性に責任を負い、PRA はミクロ・プルーデンス当局として、銀行、
保険会社、その他プルーデンス上重要な投資会社の安全性および健全性を監視する責任を
負う。さらに、BOE は特別破綻処理(SRR)を利用した銀行の破綻処理を含む危機管理、
支払・決済システムや CCP を含む主要な金融インフラ規制に関する責任を有し、中央銀行
として金融セクターへの流動性を保証し、緊急時の流動性支援を提供する責任を負う。BOE
は 2009 年銀行法によって、英国の金融システムの安定を保護し、改善を図るという「金融
安定目的」
(Financial Stability Objective)の追求が法的に義務づけられ、FPC は金融サ
ービス法案によって、金融安定目的の実現に貢献する観点から自らの機能を発揮すること
が求められる。そのための FPC のマンデートとして、①システミック・リスクを特定・評
価する観点から英国の金融システムの安定を監視、②PRA、FCA に指図を実施、③BOE、
財務省、PRA、FCA、その他の者への勧告を実施、④FSR の策定(年 2 回)を行う。FPC
による PRA、FCA への指図とは、FPC がマクロ・プルーデンス措置を実施するために監
督権限をもつ PRA、FCA に指図する権限である。マクロ・プルーデンス措置は、FPC と
協議の上、財務省による命令(order)によって具体的に規定され、原則として議会承認を
受ける必要がある。
FPC は、①議長を務める BOE 総裁、②副総裁 3 名(金融政策担当、金融安定担当、プ
ルーデンス規制担当)
、③FCA 長官、④総裁が指名する BOE 理事 2 名、⑤財務大臣が指
28
名する委員 4 名、⑥議決権をもたない財務省代表者で構成される。35FPC は最低でも年に
4 回開催されることが定められており、その議事録は公表される。なお、金融サービス法
案の成立に先立って暫定 FPC がすでに設置されている。暫定 FPC は、FPC が正式に発足
するまでの間、マクロ・プルーデンスの観点からシステミック・リスクを監視し、マクロ
プルーデンス・ツールを採用するに当たっての準備作業や分析を行う役割を担う。暫定 FPC
の議長にはマービン・キング BOE 総裁が就任し、BOE の副総裁や理事がメンバーとなっ
ている。外部メンバーとしてドナルド・コーン元 FRB 副議長がメンバーに選ばれている点
は注目される。
35
金融政策の独立性の確保の観点から、BOE の金融政策委員会(MPC)にはプルーデン
ス規制担当の副総裁は参加しないこととなっている。
29
図表 4 英国の新たな金融規制システム
BOE
財務省、PRA、FCAを含む関係当局と協働し、
英国の金融システムの安定性を保護・強化
FPC
BOEの特別破綻処理部局は、特別破綻処理制
度を利用して破綻銀行を処理することに責任
英国の金融システムの強靭性を保護・強化する
観点kら、システミック・リスクを除去・軽減する
ための措置を特定・実施し、金融の安定を保
護・強化するBOEの目的に貢献
FPCがシステミック・リスクに対処す
るために勧告・支持する権限
FCA
PRA
金融機関の破綻の影響の最小化を含め、
PRA監督下の認可業者の安全性・健全性
を確保し、金融の安定を強化
プルーデンス規制
プルーデンス規制
金融サービスの効率化、選択を促し、消費者
保護の適切な程度を保証し、英国の金融シ
ス テ ムの誠実性を強化することで、英国の金
行為規制
金融シ ステム・インフラ
プ ルーデンス上重要な会社
消費機関、決算システム、
支払システム
預金受け入れ期間、保険会社、一
般の投資会社(投資銀行)
プルーデンス規
制・行為規制
投資会社、取引所、その他の金
融サー ビス、プロバイダー
取引所、保険ブローカー、運用会
社、独立投資アドバイザー
(出所) 英国財務省より筆者作成
3-1-6-3 EU: ESRB
EU レベルでは従来、銀行、証券、保険・年金の分野ごとに欧州委員会の諮問委員会が
置かれていたが、2011 年から EU レベルの監督体制の強化が図られ、それぞれの分野ごと
に ミ ク ロ ・ プ ル ー デ ン ス 監 督 の 責 任 を 担 う 欧 州 監 督 機 構 ( European Supervisory
Authorities; ESAs)として、欧州銀行監督機構(European Banking Authority; EBA)、欧
州証券市場監督機構(European Securities and Markets Authority; ESMA)、欧州保険年
金監督機構(European Insurance and Occupational Pensions Authority; EIOPA)が設置
された(図表 5)
。さらに、ミクロ・プルーデンス当局に加えて、EU レベルでマクロ・プ
ルーデンス政策に関わる ESRB が設けられた。ユーロ圏では域内国独自の金融政策がなく、
自己資本規制については EU レベルで調和を図る政策であることなど、EU ではマクロ経
済政策、ミクロ・プルーデンス政策やそれらの政策的な調和に制約があるため、マクロ・
30
プルーデンス政策の必要性は特に高いことが指摘されている。
ESRB は、金融システムの変化から生じるシステミック・リスクの回避・緩和に資する
ため、EU 域内の金融システムのマクロ・プルーデンス監督(macroprudential oversight)
に責任をもつ組織として位置づけられ、幅広い金融ストレスを回避するため、マクロ経済
の変化を考慮することを目的とする。そのための ESRB の責務として、①ESRB の目的を
達成するために必要な情報を決定、収集、分析、②システミック・リスクの特定、優先順
位づけ、③システミック・リスクが重大な場合の警告、④特定されたリスクに対する是正
措置の勧告、⑤ESRB が非常事態と判断した場合の非公表ベースでの警告、⑥警告・勧告
へのフォローアップ・モニタリング、⑦ESA との緊密な協調36、⑧適切な場合、共同委員
会への参加、⑨国際的な金融組織との調和、特にマクロ・プルーデンスに関する IMF およ
び FSB、第三国の関係機関との調和というマンデートが与えられている。
ESRB の理事会は、議決権を有するメンバーとして、①欧州中央銀行(ECB)の総裁お
よび副総裁、②各国中央銀行総裁、③欧州委員会 1 名、④EBA 議長、⑤EIOPA 議長、⑥
ESMA 議長、⑦諮問学術委員会の議長、副議長 2 名、⑧諮問専門委員会の議長で構成され
る。理事会は最低でも年 4 回開催することが規定されており、その議事録の公表を行うほ
か、少なくとも年 1 回、ESRB 議長は欧州議会の公聴会への出席が求められ、欧州議会、
閣僚理事会に年次報告を行い、それを公表することが義務づけられている。
適切な場合、ESA にシステミック・リスクに関する情報を提供し、特に ESA と協働で
システミック・リスクを特定・測定するための定性的・定量的指標としてリスク・ダッシ
ュボードを開発することを含む。
36
31
図表 5 EU の新たな監督体制
欧州システミック・リスク理事会(ESRB)
■理事会
メンバー(議決権あり)
ECB総裁・副総裁、各国中央銀行総裁、欧州委員会1名、EBA議長、EIOPA議長,
ESMA議長、諮問学術委員会の議長・副議長2名、諮問専門委員会の議長
■運営委員会
■事務局
■諮問委員会
・専門委員会
オブザーバー(議決権なし)
各国監督機関代表者、経済財政委員会(EFC)議長
マクロ・プルーデンスの分
析、早期警戒・勧告等
ミクロ・プルーデンス
情報の提供
欧州監督機構(ESA)
合同委員会
欧州銀行監督機構
(EBA)
欧州保険年金監督機構
(EIOPA)
欧州証券監督機構
(ESMA)
各国銀行監督機関
各国保険・年金機関
各国証券監督機関
(出所) 欧州委員会より筆者作成
3-2 バーゼルⅢの取り組み
バーゼルⅢとは、主要国の金融監督当局で構成するバーゼル銀行監督委員会が 2010 年 9
月に公表した、新たな自己資本規制である。バーゼルⅢでは、資本を①コア Tier1、②Tier1、
②総資本、の 3 段階に区分し、それぞれに規制をかける。①コア Tier1 は、導入開始の 13
年には 3.5%が必要とされ、19 年には 4.5%が求められることになる。②Tier1 については、
13 年に 4.5%が課され、19 年には 6%が必要とされる。③総資本については、現行基準の
8%と同水準であり、段階的措置は取られない。また、バーゼルⅢでは以上の最低水準に加
えて、新たに「資本保全バッファー」と呼ばれる概念が導入される。これは、金融、経済
のストレス期において損失の吸収に使用できる資本のバッファーを銀行が維持することを
目的としている。これは、16 年から段階的に導入され、19 年に 2.5%となり完全施行され
る。なお、資本保全バッファーは①コア Tier1、②Tier1、③総資本の 3 つに同じ水準で上
乗せされる。この資本バッファーに加え、マクロ・プルーデンス政策の観点から「カウン
32
ターシクリカルな資本バッファー」というさらなるバッファーが求められる。そのほかに
も世界的に金融システムの安定上重要な金融機関(G-SIFIs)に対してより高い自己資本を求
めることや流動性規制の導入などが行われる。バーゼルⅢは、自己資本規制と流動性規制
に大別されるが、以下で、BCBS[2011]と金本[2011]を参考に詳述する3738
3-2-1 自己資本規制の強化
3-2-1-1 自己資本の質、一貫性、透明性の向上
決定的に重要なことは、銀行のリスク・エクスポージャーが質の高い自己資本によって
支えられていることである。金融危機では、信用コストや償却は、有形普通株式資本の一
部である内部留保から捻出されることが示された。また、国毎に自己資本の定義が一致し
ていないことや、開示不足により市場が銀行毎の自己資本の質を完全に測定、比較するこ
とが困難であることが明らかになった。この目的を達成するために、Tier1 資本の主要な部
分は普通株式および内部留保によって構成されなければならない。この基準は、一連の原
則によって補強されており、これらの原則は非株式会社形態の金融機関についても質の高
い Tier1 資本を同等の水準まで保有することを確保するという意味において、それらの金
融機関にも適用され得るものである。自己資本から差引かれる控除項目や調整項目は国際
的に調和され、一般的には普通株等、非株式会社形態の銀行についてはそれに相当するも
のに対して適用される。その他の Tier1 資本については、劣後で、その支払いの実行に関
し銀行に完全な裁量がある非累積的配当やクーポンを有し、満期日や償還のインセンティ
ブの双方を有しない資金調達手段によって構成される必要がある。ステップ・アップ条項
のような償還インセンティブを有するイノベイティブなハイブリッド資本調達手段につい
ては、現在、Tier1 資本の 15%まで算入が認められている。今後、段階的に廃止される。
加えて、Tier2 資本調達手段は統一され、現在、市場リスクをカバ―する目的のみで認めら
れる、いわゆる Tier3 資本調達手段は廃止される。さらに、市場の規律を高めるために、
自己資本の透明性の向上が図られ、自己資本の全ての構成要素は、財務報告書との詳細な
差異の説明とともに開示されることが求められる。
3-2-1-2 リスク補捉の強化
37
38
BCBS[2011] pp.4-9
金本[2011]pp.29-34
33
先般の金融危機では、バーゼルⅡが捕捉していなかったさまざまなリスクが顕在化した。
そのため、バーゼルⅢではそれらを捕捉するため、信用評価調整(CVA)39の変動リスクの
捕捉、誤方向リスクへの対処、大規模金融機関へのエクスポージャーに対する資産相関係
数の引き上げ、担保管理の強化、デリバティブ取引の中央清算機関への移行促進、外部格
付への依存の低下などの見直しを行っている。CVA リスクは、国際金融危機において、完
全なデフォルトによって生じる損失によりも、大きな損失になった。
3-2-1-3 レバレッジ比率規制の導入
金融危機の根本的な要因の一つとして、銀行システムにおいてオンおよびオフバランス
シートのレバレッジの積上がりが挙げられる。金融危機の最も深刻な時期に銀行セクター
は市場からレバレッジ引下げを迫られ、これが資産価格の押下げ圧力を強め、損失、自己
資本の低下、信用収縮の悪循環を増幅させる結果となった。リスク調整後の自己資本比率
だけの規制では、低リスク資産を積み上げることによって、金融機関が、自己資本に対し
て総資産を積み上げることができる。その結果、高い自己資本比率ながら、レバレッジ比
率が高くなることがあった。それを避けるためには、自己資本比率とレバレッジ比率両方
の規制が必要になる。
3-2-1-4 資本保全バッファーおよびカウンターシクリカルな資本バッファーの導入
資本バッファーは資本保全バッファーとカウンターシクリカルな資本バッファーに分か
れる。
①
資本保全バッファーの導入
国際金融危機において、金融機関の中には、財務状況や銀行セクターの見通しが悪化し
ていたにもかかわらず、配当や自社株買い、手厚い報酬の形で巨額の分配を続けたものも
存在した。しかし、このような資本の社外流出の結果、新規の貸出しが困難になり、経済
状況の悪化を促進したといわれる。そのため、バーゼルⅢでは、資本の社外流出を抑制し、
内部留保の蓄積を促すため、最低所要自己資本に上乗せして自己資本を備えることを銀行
に求めている
(資本保全バッファー)
。
資本保全バッファーの水準は、普通株等 Tier1 で 2.5%
であり、銀行は最低所要自己資本(のうち普通株等 Tier1 部分)の 4.5%との合計で 7.0%
CVA とは、カウンターパーティの信用リスクの時価の変動を評価額に反映させるもので
ある。
39
34
の普通株等 Tier1 を備えることが求められることになる。銀行の自己資本が資本保全バッフ
ァーを割り込み、普通株等 Tier1 比率が 4.5%~7.0%になった場合、普通株等 Tier1 比率に
応じて、資本の社外流出(配当、自社株買い、役職員への賞与)が制限されることとなる。
なお、資本保全バッファーは、それを下回ると利益処分が制限されるものの、取り崩しが
禁止されているわけではなく、逆に、ストレス時に資本保全バッファーを取り崩して貸出
しに回すことにより、経済状況を改善させることが期待されているものである。しかし、
利益処分が制限される以上、銀行は資本保全バッファーを割り込まないことを目指すと考
えられるため、実際上、最低所要自己資本と資本保全バッファーの合計が最低水準となる
と考えられる。
②
カウンターシクリカルな資本バッファー
金融危機の最大の不安定化要因の一つは、銀行システムや金融市場、広範な経済を通じ
て広がる、金融ショックのプロシクリカルな増幅効果である。市場参加者はプロシクリカ
ルに行動する傾向があり、これが、時価評価資産や満期保有ローンに関する会計基準、担
保実務、さらに金融機関や企業、消費者のレバレッジの積上げと解消を通じて増幅された。
そのような損失から金融機関を守るため、バーゼルⅢではバッファーとしての資本を備え
させるべく、カウンターシクリカル(景気変動抑制的な)資本バッファーが導入されてい
る。また、カウンターシクリカル資本バッファーの積み立てにより、過度な信用の増加を
緩和する効果も期待されている。カウンターシクリカル資本バッファーは、資本保全バッ
ファーと同様のメカニズムにより、水準を下回ると社外流出が制限される。カウンターシ
クリカル資本バッファーは、普通株等 Tier1(または「その他の完全に損失吸収力のある資
本)で満たすことが求められ、その水準は、0~2.5%の範囲で、各国が「総与信/GDP 比の
トレンドからの乖離」を指標として参照しながら裁量によって決定する。
3-2-1-5 システミック・リスク相互連関性への対応
プロシクリカリティが時間軸のなかでショックを増幅させた一方、システム上重要な銀
行の間の過度な相互連関性も金融システムや経済にショックを伝播させた。システム上重
要な銀行は、最低基準を超えた損失吸収能力を有するべきであるとし、新たに世界的に金
融システムの安定上重要な機関として、G-SIFIs が特定され、より高い自己資本比率を求め
ることで対応することになった。
35
3-2-2 流動性規制
強固な自己資本規制が銀行セクターの安定に対する必要条件であるが、これのみでは十
分ではない。頑健な監督基準を通じて補強された強固な流動性基盤も同等に重要である。
国際金融危機においては、多くの銀行は適切な自己資本の水準を保ちつつも、流動性を慎
重な方法で管理しなかったことから困難に直面した。金融危機によって、金融市場と銀行
セクターが正常に機能するには流動性がいかに重要であるかが改めて認識された。これに
より BCBS は、銀行に流動性を確保するように求めるため、国際的に調和された流動性比
率規制として、流動性カバレッジ比率(LCR)と安定調達比率(NSFR)を導入している。
流動性カバレッジ比率では、ストレス下でも市場から流動性を調達できる高品質の流動資
産(適格流動資産)を、30 日間の厳しいストレス下におけるネット資金流出額以上に保有
することが求められる。安定調達比率では、1年間にわたる資産負債構成に着目し、流動
性を生むことが期待できない資産(所要安定調達額)に対し、流動性の源となる安定的な
預金等の負債及び資本をより多く保有することが求められる。
3-3 国際会計制度改革
この節では、国際金融危機を受けて改革が行われた背景や IFRS の会計観について述べる。
IFRS の導入の是非については様々な議論が存在するが、本稿では国際金融危機を受けての
国際会計制度改革に焦点を当てているため、そのような議論は割愛する。
3-3-1 国際会計制度改革の背景
国際会計制度改革の背景については、藤田、野崎[2011]を参考に述べる。40
国際金融危機の原因は様々であるが、会計制度の不透明さがその主因の一つとされてい
る。サブプライムローンを証券化した金融商品を世界的な金融機関が大量に保有(あるいは
投資)していたが、その価格は不透明だった。証券化商品の価格が大きく下落しても、その
実態が性格に把握できず、金融機関の損失が予想を超えて急拡大した。その結果、突如と
してリーマン・ブラザーズが経営破綻に陥り、世界的な金融危機が生じた。さらに、金融
商品の会計は世界的に統一されておらず、かつ複雑である。2008 年以降、国や地域によっ
て、通常のプロセスを経ず、金融商品の会計基準が改定されることもあったが、これらは
政治的な圧力によるものとされている。こうした事態は、会計制度の信頼性を損ねるもの
40
藤田、野崎[2011] p.66-67
36
である。金融危機の影響により、世界的に時価会計緩和に向けた圧力が強まった。企業や
金融機関が保有する金融商品を時価(公正価値)評価した場合の財務へのインパクトが大き
いためである。
以上の議論を受けて、2008 年 11 月の G20 ワシントン・サミットでは、IASB、FASB と
いった会計基準設定主体に対し、金融商品の会計基準に関する複雑性を低減し、信用リス
クに関する会計上の認識を強化するといった会計制度の大きな改革を求めた。そして、
「単
一で質の高いグローバルな会計基準」の実現を目指すこととなった。これを受けて、IASB
は、金融商品の分類および測定を中心に会計基準の改定等を進めた。現在、
「単一で質の高
いグローバルな会計基準」に最も近いのが IFRS であり、多くの国で導入が進められている。
次節では、その IFRS の会計観について述べる。
3-3-2 IFRS の会計観
以下で、
藤田[2012]、
高田[2010]を参考に IFRS の 5 つの根本的な会計観について述べる。
4142
①
徹底した利用者(投資家)志向
IFRS は、徹底した利用者(投資家)志向である。株式や債券の投資家など、資金提供者の
意思決定に有用な財務報告を求めており、財務諸表作成者(会社)のための財務報告を求める
ものではない。このため、税法、会社法により求められる財務報告は想定されていない。
②
原則主義
IFRS では原則主義が採用されている。原則主義とは、基準としては基本の考え方だけを
規定し、その具体的な適応は状況に応じて、個々の財務諸表作成者が判断することである。
原則主義は「すべての状況を想定することは不可能である」という考え方と、「専門家の判
断を尊重する」とする英国的な考え方が合致したものであり、IFRS の適応にあたっては、
常に個々人の判断が要請されることになる。
③
公正価値重視
公正価値は市場価格をベースとし、将来に対する情報を最も適切に集約し、反映してい
る。時価会計の浸透に伴い、世界的な流れは分配可能な実現利益の計算から、企業の公正
価値を示す包括利益にシフトしている。また、財政状態も公正価値で表す必要があり、公
41
42
藤田[2012]pp.328-329
高田[2010]pp.3-5
37
正価値評価においては、将来キャッシュフローの現在割引価値の概念も反映される。
④
ルールの共通化
経済、資本のグローバル化に伴い、各国独自の会計基準では比較可能性に問題が生じる。
そこで、世界的に共通した高品質の会計基準の作成を目指す。IFRS が原則主義を採用する
のは、各国の法制度や経済制度が異なり、詳細な会計基準を設定するのが困難なためであ
る。
⑤ 資産・負債アプローチ
資産・負債アプローチとは、バランスシートを重視し、当該機関のストックの価値変動
から利益を算出する考え方である。これが、包括利益の基本的な考え方である。一方、日
本では伝統的に実現収益と発生費用から期間利益を計算する収益・費用アプローチが重視
されてきた。なお、現在の当期純利益、収益・費用アプローチに基づくものではない点に
留意する必要がある。当期純利益は、収益・費用アプローチに基づく利益に加えて、流動
性資産の評価損益と、固定資産の評価損益の一部を含む。したがって、当期純利益はフロ
ーの利益を示すものではない。かつて、当期純利益はフローの利益に近く、バランスシー
ト項目の変動が反映されることは例外的であった。しかし、2000 年以降の会計基準の度重
なる変更によって、有価証券評価損益、棚卸資産の評価損、固定資産の減損のように、バ
ランスシート項目の変動が当期純利益に反映されている。つまり、当期純利益が徐々に包
括利益に近づいているのである。その結果、当期純利益はフローの損益に加えてバランス
シートの価格変動を部分的に含む曖昧なものとなった。
3-4 まとめ
以上のように、国際的および先進国では様々な改革が行われてきた。監督体制の面では、
従来のミクロ・プルーデンス中心の監督体制の失敗を受けて、マクロ・プルーデンス重視
の監督体制の強化が行われ、規制の面では国際的な自己資本規制がバーゼルⅢによって強
化された。しかし、1、2 章で述べたように、現在、新興国発の国際金融危機発生の可能性
が高まっているので、先進国の改革を進めるだけでは不十分である。では、新興国のプル
ーデンス政策の現状はどうであろうか。4 章で詳述する。
38
4 章 新興国のプルーデンス政策の現状と課題
国際金融危機を受けて、先進国各国ではマクロ・プルーデンスの改革が行われてきた。
また、バーゼルⅢや IFRS などの国際的に統一された金融規制や会計制度の整備も進められ
ている。では、新興国では、どのような改革がなされているだろうか。1 章で述べたように、
新興国の世界経済に対する影響力は増してきている一方で、金融制度の整備が追い付かな
いといったギャップが存在する。もし新興国で危機が起こった場合、世界への危機の伝播
は避けられないであろう。すなわち、先進国で厳しい規制を実施したとしても、新興国の
監督、規制の整備が追い付かないことによって、新興国発の国際金融危機が起こるリスク
がある。4 章では、まず、過去の新興国の代表的な危機であるアジア通貨危機について分析
し、その原因や教訓などについて述べた後、現在の新興国の問題や課題につて分析する。
4-1 アジア通貨危機
アジア通貨危機(1997~1998 年)は、それまでの新興国において、最も大規模なものであ
った。急激な資本流出が大幅な通貨下落を伴い、それが国内の金融システム危機の引き金
となり、実体経済にも大きなダメージを与えた。以下で、危機の経緯、危機の伝播、危機
の原因について詳述する。
4-1-1 アジア通貨危機の経緯及び伝播
アジア通貨危機の経緯及び伝播について、中村、永江、鈴木[2011]は、以下のように述べ
ている。43
アジア通貨危機とは 1997 年 7 月よりタイを中心に始まった。アジア各国の急速な通貨下
落現象である。この現象は、東アジア、東南アジア各国の経済に大きな悪影響を与えた。
狭義にはアジア各国の通貨の暴落を指すが、広義にはこれによって起こった金融危機を含
む経済危機を指す。1993 年「東アジアの奇跡」と世界銀行からレポートされたアジア諸国
の多くは、アジア通貨危機以前はドルと自国通貨の為替レートを固定するドルペッグ制を
採用していた。この頃まではドル安で比較的通貨の相場は安定していた。この時期先進国
では低金利と景気低迷の状態であった。一方、アジア諸国は固定相場制の中で金利を高め
に誘導して利鞘を求める外国資本の流入を促し資本を蓄積する一方で、輸出需要で経済成
長するという成長システムを採用し、順調な経済成長を遂げていた。中でもタイはこのパ
43
中村、永江、鈴木[2011] pp.43-62
39
ターンの典型であった。
アジア通貨危機の発端となったタイでは、1993 年に Bankok International Banking
Facilities(BIBF)と呼ばれるオフショア市場が設立され、多額の短期資本が流入した。BIBF
では国内金融取引に適用される預金準備率、金利、為替管理などの規制が外されるほか、
通常、収益に対して 30%である税率を 10%に引き下げた税法上の優遇措置が取られていた。
このように、規制緩和により投資機会が拡大したことと実態はドルペッグ制であることか
ら為替リスクが低いと投資家から判断されたことにより、先進諸国からの投資が増加した。
また、これらの資本流入に伴う外貨準備の増加を不胎化政策によって相殺した結果、国内
金利が上昇し、さらに投資を呼び込んだ。この時点で、タイへの資本流入のタイ GDP 比は
50%程度であった。しかし、アジアの国際分業体制は 1992 年以降の中国の改革開放政策の
推進により構造的な変化が生じており、東南アジアに展開していた日系、欧米企業多くが
より人件費の安い中国へと生産シフトを強めていた。1990 年代のタイ経済はそれまで年間
平均経済成長率 9%を記録していたが、1996 年に入るとその成長も伸び悩みを見せ始め、
1996 年、タイは初めて貿易収支が赤字に転じた。さらに、1995 年以降米国の経済政策とし
て、「強いアメリカ」が採用され、ドルが高めに推移するようになった。これに連動して、
アジア各国の通貨が上昇した。その結果、それまで経済成長を遂げていたアジア諸国の輸
出は伸び悩み、これらの国々に資本を投じていた投資家らは経済成長の持続可能性に疑問
を抱くようになっていった。
このような状況に際し、ヘッジファンドは、アジア諸国の経済状況と通貨の評価にずれ
が生じ通貨が過大評価され始めていると考えた。そこで、ヘッジファンドは通貨の空売り
を仕掛け、買い支えることのできないアジア各国の通貨は変動相場制を導入せざるをえな
い状況に追い込まれ、通貨価格が急激に下落した。タイバーツは、1980 年代後半には平均
およそ 1 米ドル 26.06 バーツであり、1990 年代前半には平均でおよそ 1 米ドル 25.39 バー
ツであった。1997 年 5 月 14 日、15 日にヘッジファンドがバーツを売り浴びせる動きが出
た。5 月当時の為替レートは、1 米ドル 25.87 バーツであった。これに対してタイ中央銀行
は通貨引下げを阻止するため外貨準備を切り崩して買い支え、バーツのオーバーナイト借
入レートを 25%~3000%に高めるなどの非常手段を用いて対抗した。6 月 30 日には、チャ
ワリット・ヨンチャイユット首相が通貨切り下げをしないことを宣言した。この時点での
為替レートは 1 米ドル 25.79 バーツであった。しかし、再びヘッジファンドによる空売り
攻撃が始まり、1997 年 7 月 2 日にバーツとドルのドルペッグ制を取りやめ変動相場制に移
40
行した。それまで、1 米ドル 25 バーツ程度であった為替レートが一気に 1 米ドル 29 バー
ツ台まで下がり、7 月末には 1 米ドル 32.07 バーツまで下落した。その後、タイ政府は IMF
への支援を要請し、改革が行われたが、信用を失ったバーツの下落は止まらず、最終的に
は半年後の 1998 年 1 月には 1 米ドル 53.81 バーツにまで落ち込んだ。
このようなタイの通貨下落の影響は、タイだけにとどまらず、周辺のアジア諸国へと波
及し、東南アジアや東アジアの多くの通貨も大幅に減価した。特にインドネシアと韓国の
経済は大きな打撃を受けた。また、新興国における通貨不安はアジア地域にとどまらず、
1998 年 8 月から始まるロシア財政危機、1991 年 1 月ブラジル通貨危機など、同様の混乱
を招いた。
それまで、先に挙げたアジア諸国に投下されていた外貨資金が、通貨危機により急激に
流失したため、アジア諸国の経済は自国通貨ベースでの対外債務の急増と企業債務の増加、
銀行資産内容の悪化(特に不良債権の増加)と信用収縮などの要因により深刻な打撃を受け
た。特にファンダメンタルズの悪化に直面した、タイ、インドネシア、韓国の 3 か国が IMF
等からの国際的支援を求めることになった。また、アジア諸国を襲った通貨危機について
は、外貨や輸出に依存したアジア固有の体質が問題の原因であるという考え方が、当時は
一般的であった。しかし、1998 年にロシア、ブラジルに通貨危機が伝播するとアジア固有
の問題ではなく、既存の国際通貨体制が内包する問題であると考えられるようになった。
そのため、国際通貨体制の再構築、国際緊急融資の見直し、短期資本移動規制とヘッジフ
ァンド規制、民間金融機関関与などの必要性が強く認識されるようになっている。
4-1-2 アジア危機の原因と教訓
以上のようにタイ発のアジア通貨危機は、周辺諸国に瞬く間に広がり、各国の経済に大
きなダメージを与えた。そして、その根本的な原因は、無理に新興国諸国に金融の自由化
を進めたことによって起こった巨額の短期資金流入に対して、それらを適切に規制、監督
をする能力が欠如していたり、それらの短期資金に頼らざるを得ないといった国内の金融
システムの脆弱性である。タイでは BIBF というバンコク・オフショア市場の設立や対外
取引資本規制や外為管理の規制緩和などの金融の自由化を進め、短期資金の巨額の流入を
招いた。タイでは、それらを適切に規制、監督する能力が欠如していたので、タイ国内で
はバブルが発生したり、銀行の過剰な貸出などが起こった。そして、バブル崩壊に伴い、
銀行の不良債権が増大し、経済の脆弱化を招いた。それは、直ちに投資家の信用に影響を
41
与え、信用を失ったタイの通貨は下落や投機攻撃を受けた。河合[2001]は、東アジア各国は,
1980 年代後半ないし 90 年代に入り国内の金融自由化(金利規制の撤廃や金融業務範囲・
市場参入の規制緩和など)を進めたが,金融機関の経営体質の未熟さ(資産、負債管理、リ
スク管理を行える能力、ノウハウの欠如)、会計基準、情報開示の不十分さ,規制、監督体
制の不備・不徹底など,根本的な点で問題があった、と指摘している。44 要するに、国内
金融システムが未成熟なまま、
「急いだ」金融取引の自由化と対外資本取引の自由化を行っ
たことが通貨、金融危機につながったのである。以上の議論より、新興国がまずするべき
ことは、金融の自由化などといった先進国の基準を直ちに導入するのではなく、まずは規
制、監督能力や国内の金融システムなどの基盤の強化を行うべきである。しかし、同じく
河合[2001]は、多くの新興国諸国にとっては、強靭かつ健全な金融システムを構築すること
は至難の技であり、長い時間を要するものであると、指摘している。45 アジア危機を受け
て新興国各国では様々な改革が行われたが、次節で詳述する。
4-1-3 アジア通貨危機後の改革
アジア通貨危機を受けて、アジア各国は具体的にどのような改革を行ってきたのであろ
うか。アジア通貨危機後の改革について、深川[2008]は以下のように説明している。46
より深い構造改革が必要というコンセンサスの元、IMF や世界銀行は早期に不良債権を
処理して金融部門の機能を回復させるのと並行し、従来の銀行中心の金融システムを、社
債や株式を中心とした市場主体に切り替え、市場を対外開放し、投資家や少数株主の保護
を強化し、情報開示義務を強化することを「構造改革」の中核として強調した。最も広範
囲に危機の原因を構造的な問題と捉える議論が存在した韓国については金融・企業部門に
止まらず、労働部門(労働市場の柔軟化)や公共部門(公務員削減など)までが「構造改革」の
範疇に入った。激しい信用収縮によって金融部門の危機は短期間で実体経済を巻き込んだ
「総体的」危機に発展したことから、一連の制度改革や、不良債権処理による金融機能の
回復、という点では各国ともに大きな進捗が見られた。通貨制度は危機の最中に変動相場
制に移行し、不良債権の処理に向けては預金者保護制度、不良債権の受け皿機関の設立、
実態にそぐわなくなっていた倒産法や商法の改正、不良債権の定義厳格化などが次々と行
44
45
46
河合[2001] p.22
河合[2001] p.41
深川[2008]p.4
42
われた。
以上のように、アジア通貨危機を受けて様々な改革が行われたが、同じく深川[2008]は、
監督体制の改革にはまだまだ課題が残っていることを指摘している。
グローバリゼーシ
ョンが、一層浸透してきていることから、グローバルな金融、企業活動の健全性を支える
規制や監督能力の養成が急務となった。アジア新興国では、外資の先端的な技術を監督で
きる人材は乏しく、いたとしても政府部門には回りにくい。このように、アジア新興国で
は、アジア通貨危機後に改革が行われたが、依然として規制、監督面での課題が残ってい
た。
4-2 新興国の現状
アジア危機を受けて、新興国では様々な改革が行われてきたが、現状はどうであろうか。
FSB[2011]は、現在新興国が直面している金融の安定性に関する課題として、①国際的な
金融基準の導入、②クロスボーダー監督協力の促進、③規制監督の範囲の拡大、④為替リ
スクの管理、⑤国内の資本市場の向上の 5 つを示し、以下のようにまとめている。47
①
国際的な金融基準の適用
ほとんどの新興国は、ここ十年、グローバル金融危機の影響に耐えられるように、銀行
監督や、証券規制や保険監督の質を向上させてきた。この地域の主要な課題は、監督能力
の強化や、不完全な法的枠組みや、十分な金融と複合金融機関の規制監督能力や、それら
の国々の金融の発展や監督能力のレベルに合わせるペースでの国際基準の導入などに関連
している。
②
クロスボーダーな監督協力の促進
外国の銀行が重要な役割を果たしている国々において、外国銀行の母国と新興国側の根
本的な利害対立は、十分な監督協力、情報共有、複雑なリスク評価、クロスボーダーな解
決などを妨げる。これを受けて、新興国といくつかの先進国は、その地域のステークホル
ダーの利益を守るために、外国の銀行に、子会社として、完全に母国の親会社とは独立し
て参入することを要求したり、時には、追加的なプルーデンス措置の導入を要求したりす
る。
47
FSB[2011] pp.5-6
43
③ 規制監督の範囲の拡大
ほとんどの新興国では、規模の小さいノンバンクの貸出や預金取扱い機関が大きな役割
を果たしている。それらが拡大するにつれて、このセクターは、とても複雑で、他の金融
システムとも密接に影響を及ぼしあうようになってきた。時に資産の質の悪化を招くよう
な、その急速な成長は、根本的に、いくつかの新興国において金融の不安定化を招く結果
を生みかねない。不十分な規制の枠組みや、限られた監督の資源や能力などといった、い
くつかの要因がこの状況を生み出している。
④
為替リスクの管理
巨額の資金流入によって増した、名目為替相場のボラティリティは、重大な為替リスク
を生み出している。これらのリスクは、国内の金融市場の規模が小さかったり、相当な金
融のドル化がすすんでいたり、通貨ミスマッチをヘッジするための市場が限定的な新興国
において特に顕著である。銀行は、直接的には、負債の為替リスクのヘッジを効率的に行
えないことを通じて、間接的には、資産や財源が為替の変動によってリスクにさらされて
いる借手に貸すことを通じて、そのようなリスクにさらされている。
⑤
国内の資本市場の発展
先進国と比較して、新興国の資本市場は、突然の価格変動や、信用を弱めるような大き
な混乱に対してとても敏感である。国内投資家のベースや、非流動的な市場へのアクセス
の方法の発展や、市場インフラの改善は、いくつかのそれに関連した金融安定性の問題に
対処するための重要なポイントである。
以上の議論をみてもわかるように、これら 5 つの課題のほとんどに共通する根本的な原
因は、監督当局の能力不足である。なので、やはり、アジア通貨危機を受けて改革が行わ
れたが、十分な改革が行われてきたとは言い難い。依然として、監督当局の能力不足の問
題が残っている。では、前節で述べたように、新興国独自で改革を行うことが困難である
ならば、どのような改革をしていけばよいのだろうか。FSB[2011]は、これらの課題に新興
国が対処するのを助けるのに、国際機関は重要な役割を果たすことができる、と述べてい
44
る。48 具体的に国際機関がとることのできる行動としては、よく調整された技術的支援を
通じて、監督能力の強化や基準設定団体による指導の向上、クロスボーダーな監督協力や
情報交換の促進などである。そして、先進国は金融危機を受けて、プルーデンス体制を改
革してきた経験があり、特に日本は 1990 年代に、欧米諸国に先駆けて危機を経験している
ので、そういった経験を活かすことができる。また、新興国発の国際金融発生のリスクが
高まっている現在においては、先進国が新興国のプルーデンス体制強化を支援していくこ
とは自国の利益にもなる。なので、先進国は国際機関を通じて新興国の監督当局の能力強
化を支援していくことが重要である。本稿では、国際機関として FSB を取り上げ、FSB を
通じて先進国が新興国の監督当局の能力強化の支援をしていくことの重要性を主張する。
4-3
まとめ
以上のように、アジア危機では、監督当局の能力不足や国内の金融システムの脆弱性が
露呈した。それを受けて、アジア諸国では様々な改革が行われた。しかし、依然として監
督当局の能力不足の問題が残った。また、現在新興国が抱えている金融の安定性に関する
課題のほとんどは、監督当局の能力不足が原因である。なので、新興国がまずすべきこと
は、マクロ・プルーデンス監督体制を整備したり、バーゼルⅢなどの国際的な規制の導入
を急ぐのではなく、監督当局の能力強化である。しかし、新興国独自でそういった改革を
行うのは難しいので、国際機関を通じて先進国が支援していくのが望ましい。先進国は金
融危機を受けて、プルーデンス体制を改革してきた経験があり、特に日本は 1990 年代に、
欧米諸国に先駆けて危機を経験しているので、そういった経験を活かすことができる。ま
た、新興国発の国際金融発生のリスクが高まっている現在においては、先進国が新興国の
プルーデンス体制強化を支援していくことは自国の利益にもなる。そして、本稿では国際
機関として、FSB を取り上げるが、5 章ではなぜ FSB なのか、具体的にどういった支援を
していくべきかについて述べる。
5章
なぜ FSB なのか
5 章では、なぜ新興国の監督当局の能力強化の支援を FSB が行うべきか、また具体的に
FSB を通じて先進国がどういった支援を行っていくべきかについて述べる。具体的には、
48
FSB[2011] p.6
45
FSB の設立の背景、構成、マンデートなどを中心に述べていく。49
5-1 FSB の設立および構成
FSB とは、2009 年 4 月に、FSF の後継組織として設立された。これは。2008 年のリー
マンショックを受けて、G20 各国がより強固な組織の必要性を感じたためである。具体的
には、脆弱性に対処するための国際権威、基準設定団体、国際金融機関としての有効性を
強めるため、また、金融の安定のためにより強固な規制、監督、その他の政策の開発と実
行をするためにメンバーの拡大を行った。構成メンバーは、BIS、ECB、EC、IMF、OECD、
世界銀行、BCBS、CGFS、CPSS、IAIS、IASB、IOSCO、各国中央銀行50、各国金融監督
機関が参加している。
5-2 マンデート
FSB のそもそもの目的はなんであろうか。以下で FSB のマンデートについて述べる。
1.金融システムに影響を与える脆弱性を評価し、それらに対処するための行動を監視する
こと。
2.金融の安定化に責務を持つ機関同士の協調と情報交換を促進する。
3.規制当局にマーケットの発展やそれらのインプリケーションについて監視しアドバイス
する。
4.国際基準設定団体による政策開発のレビューをまとめることを引き受けること。
5.監督体制の設立に対するガイドラインの設定およびサポートをすること。
6.重要な機関の観点からの、クロスボーダーな危機に対処するための危機対応計画書を管
理すること。
7.早期警戒演習を IMF と協力して行うこと。
以上のことから、FSB は金融システムの規制、監督関連で主導的な役割を担っているこ
とがわかる。また、藤田[2012]は、FSB は金融市場の監督および監視に関する情報交換と、
FSB のホームページ参照
具体的な国は、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、フランス、
ドイツ、香港、インド、インドネシア、イタリア、日本、メキシコ、オランダ、韓国、ロ
シア、サウジアラビア、シンガポール、南アフリカ、スペイン、スイス、トルコ、英国、
米国である。
49
50
46
国際協力を通じて国際金融の安定化を促進することが目的である、と述べている51
5-3
IMF との比較
IMF も加盟国の経済、金融のサーベイランスや支援を行っているが、なぜ IMF ではなく
FSB なのか、その点について述べる。IMF 加盟国は、188 カ国であるが、すべての国の監
督体制の支援をしていくのは現実的に難しい。また、加盟国の中にはそもそも資本市場が
ほとんど発達しておらず、世界に対する影響力が小さい国も多い。一方、FSB の参加国は
24 か国(香港も含む)と少数だが、世界全体の GDP(2012 年)のうち、それら 24 か国の占め
る割合は約 82%と非常に大きい。また、全新興国および発展途上国のうち、FSB 参加国の
新興国の占める割合は約 70%とこれまた非常に大きい(ともに IMF「World Economic
Outlook」)。すなわち、FSB は、世界経済に対する影響力が大きい国々を集めたものであ
る。なので、まずは、少数ながら世界全体の新興国の占める割合が大きく、影響力が特に
大きい FSB の参加国で監督当体制を整備していくことで、世界の新興国の大半を網羅する
ことができる。このため、本稿では FSB の重要性を主張する。
5-4 具体的にどのような支援をしていくべきか
具体的に FSB を通じてどのような支援を行っていくべきであろうか。現在、FSB は国際
金融システムに影響を及ぼす脆弱性の評価及びそれに対処するために必要な措置の特定・
見直し、金融の安定に責任を有する当局間の協調及び情報交換の促進など間接的な支援し
か行っていない。今後はより直接的な監督当局の能力強化のための支援を行っていくべき
である。その点については、日本の金融庁の取り組みが参考になる。52 2006 年日本の金融
庁は、アジア新興国の金融システムの安定性の向上のために、それらの金融当局への技術
的支援を通じた、金融当局の能力向上や人材育成に取り組んだ。具体的には、当局を招い
て研修やセミナーなどを開催している。また、金融庁はそのような研修を各国のニーズに
合ったものとするため、常日頃からアジア新興国各国の金融システムに関する実態調査を
行い、その結果を研修などに反映させている。これらの取り組みを評価した 2012 年のレポ
ートによれば、研修に参加した、アジア新興国の当局に実施したアンケートで、回答者の 9
割以上から「実際の業務に役立っている」,もしくは「具体的に活用したい」との回答を得
51
52
藤田[2012] p.17
金融庁ホームページより参照
47
ていることから有効性は認められるとしている。グローバル化がますます進行し、新興国
の世界に対する影響力が増している今日においては、新興国の金融システムの安定は国際
金融システムの安定に不可欠である。また、このような支援を通じて新興国の当局との連
携を深めていくことも非常に重要である。なので、このような取り組みを、FSB を通じて
先進国が、アジアだけでなく他の FSB 参加の新興国に対しても国際的レベルで行っていく
べきである。
5-5 まとめ
以上より、①金融システムの監督、規制関連で主導的な役割を担っていること、②FSB
参加国の少数の新興国で新興国全体の GDP の大半を占めていること、
の二点の理由により、
新興国の監督当局の強化などを支援する国際機関としては、FSB が妥当であることがわか
る。具体的な支援としては、日本の金融庁の取り組みを参考に、FSB を通じて先進国が各
地域向けに監督当局の能力強化のための技術的支援を行っていくのが望ましい。
6 章 提言および結論
最後に提言および結論について述べる。様々な金融危機が年代問わず繰り返し起こって
きた歴史を分析すると、今後も金融危機は繰り返し起こってしまうだろう。現在、新興国
の経済や金融市場は拡大を続けているため、今後ますます世界経済に対する新興国の影響
力は大きくなる。しかし、現在、新興国には、経済成長に金融制度の整備などが追い付か
ないといったギャップが存在しているのも事実である。もし、金融危機が新興国で起こっ
た場合、世界への危機の伝播は避けられない。すなわち、新興国発の国際金融危機がおこ
るリスクがある。
昨今の国際金融危機を受けて、次なる国際金融危機に対処するために国際的および先進
国では様々な改革が進められている。先進国ではマクロ・プルーデンス重視の監督体制の
改革が進められている。リーマンショックでは、従来のミクロ・プルーデンス中心の監督
体制の問題点が露呈し、その結果、マクロ・プルーデンス監督体制が重視されるようにな
った。マクロ・プルーデンスの目的は、システミック・リスクを特定し、対処することで
あるということは、概ねコンセンサスを得られている。これらの議論を踏まえて、米国、
英国、EU では改革が行われているが、まだ完全に確立されているわけではない。また、国
際的には、昨今の国際金融危機を受けて、バーゼルⅢや IFRS などの国際的な改革および導
48
入が進められている。
一方新興国では、アジア危機で、監督当局の能力不足や国内金融システムの脆弱性が露
呈し、それを受けて様々な構造改革が行われたが、依然として監督当局の能力不足の課題
が残った。また、現在の新興国の金融の安定性の課題のほとんどは監督当局の能力不足が
原因である。なので、新興国がまずするべきことは、マクロ・プルーデンス監督体制を整
備したり、バーゼルⅢなどの導入を急ぐのではなく、監督当局の能力強化を行うべきであ
る。
しかし、新興国独自に強化することは、過去の経験から難しいので、国際機関を通じて
先進国が支援していくべきである。先進国は金融危機を受けて、プルーデンス体制を改革
してきた経験があり、特に日本は 1990 年代に、欧米諸国に先駆けて危機を経験しているの
で、そういった経験を活かすことができる。また、新興国発の国際金融発生のリスクが高
まっている現在においては、先進国が新興国のプルーデンス体制強化を支援していくこと
は自国の利益にもなる。そして国際機関としては、その組織や役割、世界全体の新興国 GDP
のうち FSB 参加国少数で大半を占めていることから考えて FSB が妥当である。具体的に
は、日本では、金融庁がアジア新興国の監督当局を招きセミナーを行ったりと、アジア新
興国監督当局に対する技術的支援や教育活動を行っているが、このような活動を FSB を通
じて先進国が、アジアだけでなく他の FSB 参加の新興国に対しても国際的レベルで行って
いくのが望ましい。
49
参考文献
金子悠貴[2011] 「バーゼルⅢの概要と見直しの背景」月刊資本市場 No.313
カーメン・M・ラインハート、ケネス・F・ロゴフ[2011] 「国家は破綻する 金融危機の
800 年」日経 BP 社
河合正弘[2001] 「新興市場経済と国際金融システム改革─東アジア通貨・金融危機の教
訓─」財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」1 月
小立敬[2011] 「マクロ・プルーデンス体制構築に向けた取組み」金融庁金融センター
小立敬[2012]「マクロ・プルーデンス政策の国際的な潮流―次第に明らかになる政策の方
向性―」預金保険機構 5 月
黒田晃生[1995] 「プルーデンス政策の在り方」政経論叢第 64 巻第 1・2 号
国際局国際経済調査担当[2010] 「新興国の国際資金フローと資産価格の変動」日銀レビュ
ー
白川方明[2009]「マクロ・プルーデンスと中央銀行」日本証券アナリスト協会における講
演 (http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2009/ko0912c.htm/)
白川方明[2010] 「先進国と新興国:異なる速度での景気回復」Bauhinia Foundation
Research Centre における講演(香港)の邦訳
高田橋範充[2010] 「導入前に知っておくべき IFRS と包括利益の考え方」日本実業出版社
中村宗悦、永江雅和、鈴木久美「アジア通貨危機とその伝播」 「バブル/デフレ期の日本
経済と経済政策」
(歴史編)2 第 4 部
(http://www.esri.go.jp/jp/archive/sbubble/history/history_02/analysis_02_04_03.pdf)
深川由起子[2008] 「アジア通貨危機 10 年 構造改革の進捗と合意」アジア研究 Vol. 54,
No. 2,
50
藤田勉[2011]「新興国投資ガイドブック」東洋経済新聞報社
藤田勉著[2012]「グローバル金融制度のすべて―プルーデンス監督体制の視点」一般社団
法人金融財政事情研究会
藤田勉、野崎浩成[2011]
「バーゼルⅢは日本の金融機関をどう変えるか グローバル金
融制度改革の本質」日本経済新聞出版社
藤原裕之[2010] 「新興国への資金流入と出口戦略の行方」リサーチ総研 金融経済レポー
ト No.17
BCBS, 2010, “Basel III: A global regulatory framework for more resilient banks and
banking systems” December
(http://www.bis.org/publ/bcbs189.pdf)
BIS, 2010a, “Macroprudential Instruments and Frameworks: A Stocktaking of Issues
andExperiences,” CGFS Papers No 38, May (http://www.bis.org/publ/cgfs38.pdf)
BIS, 2010b, “Macroprudential Policy and Addressing Procyclicality,” 80th Annual
Report, 28 June, (http://www.bis.org/publ/arpdf/ar2010e.pdf)
Borio,Claudio, 2003, “Towards a macroprudential framework for financial supervision
and regulation?” BIS Working Paper No. 128
Borio,Claudio 2010, “Implementing a Macroprudential Framework: Blending Boldness
and Realism,”as a Keynote Address for the BIS-HKMA Research Conference on
“Financial Stability: Towards aMacroprudential Approach”, Honk Kong SAR, 5-6 July,
(http://www.bis.org/repofficepubl/hkimr201007.12c.pdf)
Carmen M. Reinhart,Kenneth S. Rogoff, 2008, “THIS TIME IS DIFFERENT:A
PANORAMIC VIEW OF EIGHT CENTURIES OF FINANCIAL CRISES”, NBER
Working Paper No. 13882, March
(http://www.nber.org/papers/w13882)
Clement, Piet, 2010 “The Term ‘Macroprudential’: Origins and Evolution,” BIS
Quarterly Review, March (http://www.bis.org/publ/qtrpdf/r_qt1003h.pdf)
FSA, 2009, “The Turner Review: A Regulatory Response to the Global Banking Crisis,”
March (http://www.fsa.gov.uk/pubs/other/turner_review.pdf)
FSB, IMF, and BIS, 2011a, “Macroprudential Policy Tools and Frameworks,” Update to
G20 Finance Ministers and Central Bank Governors14 February
51
(http://www.financialstabilityboard.org/publications/r_1103.pdf)
FSB, IMF, and BIS, 2011b, “Macroprudential Policy Tools and Frameworks” Progress
Report to G20, 27 October
(http://www.imf.org/external/np/g20/pdf/102711.pdf)
FSB, IMF, and WB, 2011, “Financial Stability Issues in Emerging Market and
Developing Economies” Report to the G-20 Finance Ministers and Central Bank
Governors, 20 October
(http://www.financialstabilityboard.org/publications/r_111019.pdf)
High-Level Group of Financial Supervision in the EU, 2009, “Report,” Chaired by
Jacques de Larosiere, 25 Feburary
(http://ec.europa.eu/internal_market/finances/docs/de_larosiere_report_en.pdf)
HM Treasury, 2010, “A New Approach to Financial Regulation: Judgement, Focus and
Stability,”26July
(http://www.hm-treasury.gov.uk/d/consult_financial_regulation_condoc.pdf)
Moreno,Romon, 2011, “Policy Making From Macroprudential Perspective in emerging
market economies ”, BIS Working Papers No.336, January
U.S. Treasury (2008), “Blueprint for a Modernized Financial Regulatory Structure,”
(http://www.treasury.gov/press-center/press-releases/Documents/Blueprint.pdf)
52
Fly UP