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同和問題に関わる直接的指導のあり方
1 はじめに 平成14年度より「栃木県人権教育基本方針」に基づき、人権教育が推進 されるようになり10年となります。これにより、同和問題は多くの人権問 題の1つとして扱われるようになり、以前のように大きく取り扱われる機会 は減ることとなりました。 本年度、各校の人権教育計画における「同和問題にかかわる直接的指導の 位置づけ」について調査しましたところ、各校ともに人権教育全体計画や年 間指導計画は整備されているものの、同和問題の位置づけがあいまいとなっ ている現状が明らかとなりました。 このことから、同和問題に対する認識が薄れてきてしまい、ともすると同 和問題は解決したとの誤った認識につながるのではないかと考えました。 そこで、今年度の人権教育部会では、テーマを「同和問題にかかわる直接 的指導のあり方」と設定し、小学校における直接的指導の位置づけや学習活 動の進め方、資料などを紹介することとしました。これを機会に、同和問題 に対する認識を新たにし、授業に活用していただければと思います。 2 同和問題にかかわる直接的指導の位置づけの例 単元名(項目) ・「 徳 川 の 世 」 は 、 ど ん な 世の中だったの (身分による支配) ・新しい国づくりは、ど う進められたの ( 武 士に よる政 治 の終わ り ) 指導内容 ・ 江 戸 幕 府 は 、「 武 士 ・ 農 民 ・ 町 人 ・ 農 民 や 町人とは異なる身分とされた人びと」とい う厳しい身分制度を作った。 ・「 農 民 や 町 人 と 異 な る 身 分 と さ れ た 人 び と は渋染の着物以外は着てはいけない」と命 じられたことに反対する一揆が起こっ た。 【渋染一揆】 ・新しい国づくりは、ど う進められたの (身分制度の廃止) ・解放令により、制度上は平等となったが、 その後も差別は残ったため、差別をなくそ うとする運動が続いた。 - 15 - 【四民平等】 ・戦争は、人びとのくら しをどう変えたの (民主主義への動き) ・四民平等後も差別を受けてきた人びとが自 分たちの力で差別をなくそうと全国水平社 を 作 り 、そ の 運 動 が 全 国 に 広 が っ て い っ た 。 【水平社運動】 3 授業の展開例(P 17~ P 24に掲載) 4 成果と課題 (1)成 果 ・ 限られた資料分析ではあったが、県教委発行の過去の資料や他市町の 資料に目を向け、授業実践に有効な、直接的指導に関する資料の活用法 について改めて考えることができた。 ・ 同和問題にかかわる直接的指導として、最低限これだけは押さえてお きたいという内容を再確認できた。 ・ 授業の展開案を作成することで、実践に向けての準備ができた。今ま で、同和問題にかかわる直接的指導の授業をしたことがない教員でも、 現在使用している社会科の教科書を基に、今回の資料を参考にして実践 することができると思われる。 (2)課 題 ・ 新たな資料の開発や発見が難しい。また、近年の実践事例が乏しいこ と か ら 、今 回 の 研 究 を 、実 践 ・継 続 し 資 料 等 を 改 善 し て い く 必 要 が あ る 。 ・ 実 際 に 指 導 す る 際 に は 、同 和 地 区 等 に つ い て の 配 慮 を す る 必 要 が あ る 。 ・ 同和問題についての基本的な理解を高める研修の充実が求められる。 ・ 今回は小学校だけの案なので、中学校ではどう進めていくかなど、そ の系統性も含めて考えていきたい。 - 16 - 3 授業の展開例 (1)身分による支配 ① ねらい 江戸時代の身分制度について理解し、農民や町人とは異なる身分とされた人々が、 さまざまな差別を受けながらも、くらしをささえる道具をつくったり、伝統的な芸 能や文化を伝えたりなど、社会や文化を支えてきた姿に気づく。 ② 展 開 学習活動と内容 1 学習課題を確認する。 教師の支援など ・ 身分による支配について調べよう 人口の割合のグラフから、江戸時代にはどの ような身分があったか確認し、江戸幕府がこれ らの身分をどのように支配したのか予想させる。 2 江戸時代の身分制度について、 ・ それぞれの身分の特色についてま とめる。 武士がその他の身分を支配していたことを確 認する。 ・ それぞれの身分の特権や規制、どのような仕 事をしていたかなどをまとめる。 3 農民や町人とは異なる身分とさ ・ 幕府や藩から住みにくいところへ強制的に転 居させられたり、農民や町人から差別を受けた けたのか調べる。 りしている様子に気づかせる。 4 れた人々は、どのような差別を受 農民や町人とは異なる身分とさ ・ 資料から、農業以外の仕事を行っていた様子 れた人々は、農業以外にどのよう をからこれらの仕事を行うことにより、社会や な仕事をしていたか考える。 文化を支えてきた姿に気づかせたい。(資料ア) ・ グループで話し合いを行い、自らの気づきを 言葉で表現し合い、これらの人々が社会に貢献 している様子についてに考えを深めさせたい。 5 本時の学習を振り返る。 ・ 差別を受けながらも社会や文化を支えてきた 人々に対する自分の思いをまとめさせる。 - 15 - ③ 資 料 資料ア 江戸時代の皮職人 よろい かぶと ば ぐ くら 戦国時代の大名にとって皮は絶対に必要なものでした。 鎧 ・ 兜 ・馬具・( 鞍 ・ たづな ぶ ぐ はおり はかま てぶくろ た び しか 手綱)・火薬入れなどの武具にも、羽織・ 袴 ・手 袋・足袋などの衣服にも、鹿 ・牛 ・馬などの皮をなめしたものが使われました。 たいこ じこく また、戦いでも使う太鼓は、時刻を知らせるために使われるなど、人々の生活にも たいこ 必要なものでした。この太鼓にも皮が使われています。 あつか しょくにん だから大名たちはみな、その材料となる皮を 扱 う職 人を大切にしました。しか え ど こと し、江戸時代になると、死んだ生き物を使う仕事という理由で「農民や町人とは異 な る身分」にされてしましました。 (出典 栃木県教育委員会 小・中学校の連携を図った直接的指導資料集) 身分による支配 ワークシート 氏名 資料イ 1 教科書から、江戸時代には、どのような身分があったのか調べよう。 ワークシート 2 それぞれの身分の特色を調べてみよう。 身 分 どんな仕事をしていた? 身 分 の 特 色 武士 農民 町人 農民や町人と は異なる身分 とされた人々 仕事はこの中から選ぼう。 農業 漁業 町や村の警備 太鼓づくり 医者 薬売り 皮すき 政治 庭づくり 商人 芸能(能・芝居) 大工 裁判をする 3 「江戸時代の皮職人」の資料を読んで、分かったことを書こう。 4 今日の授業の感想を書こう。 - 16 - (2)武士による政治の終わり【渋染一揆】 ① ねらい 幕末にどのような人物がどんな活躍をしたかを調べ,幕府の力が衰え,武士によ る政治が終わったことを理解することができる。 ② 展 開 学習活動と内容 1 本時のめあてを確認する。 江戸幕府は,どのようにして終わ 教師の支援など ・ 本時の内容を確認させ,学習の見通しをもた せる。 ったのか調べよう。 2 不平等条約を結んだ後の人々の様 ・ 不平等な内容を明確にする。 子を調べる。 ・ 生活が苦しくなり,幕府への不満が大きくな ったことに気付かせる。 3 幕末に活躍した人物について調べ ・ 薩長同盟までの流れを確認する。 る。 ・ デジタル教科書を活用して説明する。 ・ 幕府に対抗した理由を考えさせる。 ・ 資料をもとに,調べ,ワークシートにまとめ る。 (資料ア.イ.ウ) 4 渋染一揆について調べ,一揆がお ・ 幕府を継続するために倹約令が出された背景 こったわけやその影響について話し 合う。 にも気付かせる。 ・ 「異なる身分とされた人たち」の差別を受けた 悲しさや苦しさに共感させると共に負けずに立 ち上がった思いにも気付かせる。 ・ 討幕運動と,農民や町民の一揆によって,幕 府が衰退し,武士の政治が終わったことを確認 する。 5 どのように武士の政治が終わった ・ 幕府の力が衰え,武士による政治が終わった か調べ確認する。 ことをまとめている。 - 15 - ワークシート 資料ア けんやくれい 岡山藩の倹約令 社会科ワークシート 6年 組 名前( ) [武士・農民・町人に対して] 武士による政治の終わり(渋染一揆) 1 一 男女とも衣類は木綿にしなさい。目立つ色で染めてはいけません。 岡山藩は,どうしてこのようなきまりを出したのでしょう。 一 はでな髪型をしてはいけません。女の人のくしや,かんざしは竹 などで作ったもの以外はいけません。 2 「異なる身分とされた人たち」の気持ちを考えよう。 かさ て がさ 一 え雨の時には,みのや 竺 を使いなさい。手 傘 は使ってもいいが, げ た くり 柄は竹で,白く張った傘を使いなさい。下駄も, 栗 の木で作った もの以外はいけません。 [異なる身分とされた人々に対して] もん しぶぞめ あいぞめ 一 着るものは, 紋 (注1)がはいっていない 渋 染 か 藍 染 のものに しなさい。 一 雨の日,となりの家に行ったり,村の中を歩ったりする場合は, くり げ 栗下駄を使ってもよいです 。ただし,百姓にあったときには, 栗 下 た 駄をぬいでおじぎをしなさい。 一 年貢をきちんと納めている家の女子だけは,竹でできた柄で白く 張った翠を使ってもよいです。 (注1)紋‥家系や家柄・地位を表すために用いられるもの 資料イ 資料ウ 《渋染一揆の動き》 1853年,江戸の近くの海にやって来る外国船に対する備えや,江戸を中心に起 こった大地震のために,江戸幕府は,全国の大名に武士や人夫,食料を差し出す ように命令しました。 岡山藩では,その命令にしたがい,1500人もの人夫を江 戸に差し出しました。そのころの岡山藩では,財政が底をついていました。その 上,1500人分の江戸に行くための費用や食料を出すことは,大変苦しいものでし た。 そこで岡山藩は,1855年,少しでも藩の財政を増やそうと,農民からの年貢を 増やすことにしました。そのためには,農民が少しでもお金を使わないようにさ せるために,きびしい“おふれ”を出しました。 農民だらけ,今までもきびしい生活をしていたので,この“おふれ”に大変不 満を持ちました。同時に,「農民や町人より低い身分とされた人たち」に対しても 別の“おふれ”が出されました。農民たちの“おふれ”に比べ,さらにきびしい ものでした。 「農民や町人よりも低い身分とされた人たち」は,このような差別に対して反 対運動を起こしました。半年の間,この?おふれ”を取り消すようにねばり強くた のみました。しかし,少しも聞き入れてもちえません。そこで,岡山藩53の村々 の「農民や町人より低い身分とされた人たち」は,団結して立ち上がりました。 1856年6月13日のことです。 15才から60才までの男たちおよそ1500人は,吉井川の河原に集まっでおふれ” たんがんしよ を取り消してもらうための *「 嘆 願 書 」を役人に差し出すことにしました。 役人だらけ,これを追い返そうと鉄ぽうや弓力どを用意しておどしましたが, 死をおそれず,だれ一人引き下がった者はいませんでした。 3日後,「農民や町人よりも低い身分とされた人たち」の強い勇気と団結力にた たんがんしよ まりかねて,役人たちは,とうとう「 嘆 願 書 」を受け取り,“おふれ”を取り 消すことにしました。これが「渋染一揆」とよばれるものです。 渋染の着物(ドングリまたは,かきの 渋 などで染めた着物について) しぶ たんがんしよ そ しぶぞめ 岡山藩では,なぜ,異なる身分とされた人たちに, 渋 染 (柿 あい ぞ 色,赤茶色)や, 藍 染め(青色)の着物を着るように言った しぶぞめ あい ぞ のでしょうか。実は, 渋 染 や 藍 染めの着物には,次のような 人々にいやがられるわけがあったのです。 しぶぞめ しぶ そ まつ 1 渋 染 の着物は,布をかきの 渋 などで染めた粗 末 なもので あった。 2 しぶぞめ へんけん 渋 染 の色は,昔からの 偏 見 で,血の色を表していると恐れ られていた。 3 ふつうの人とは違った(と考 しゆげんじや えられていた) 修 験 者 (注1) け び い し や悪人,検非違使(注2)たち が着た着物の色だった。 * .「 嘆 願 書 」(いろいろなことを説明して,一生けんめいお願いする手紙) たんがんしよ あい ぞ しよう え びやく え 〈「 嘆 願 書 」の内容〉 4 藍 染めは, 青 衣と呼ばれ, 白 衣とともに,死んだ人と めしつか か 召 使 いなどの着物の色だった。 私たちは,田畑を耕し,年貢も納めてきましたが,渋染めの着物を着ろと いわれては,がっかりして農業をやる気がなくなります。 一 私たちの中には,どろぼうをつかまえたり,あやしい者を取りしまったり しているものがたくさんいます。渋染めのような目立つ着物を着ていては, この着物を見てすぐに逃げてしまいつかまえることができません。 一 生活に困ると着物を売ってその場をしのいでいますが,渋染めの着物では 売ることができず,生活にもますます困ってしまいます。 5 渋 染 や 藍 染めは, 牢 屋に入れられた, 罪 人 の着物の色 とされていた。 一 しぶぞめ あい ぞ ろう や ざいにん しゆげんじや (注1) 修 験 者 ・・・山などで修行をする人 けびいし (注2)検非違使・・悪人の取り締まりや決まりを守らせる仕事をした人 以上,お考えの上, “おふれ”を取り消し,これまでどおりにしてくだい。 - 16 - (3)身分制度の廃止【四民平等】 ① ねらい 解放令によって制度上は身分差別がなくなり、四民平等になったこと がわかる。また農民や町人とは異なる身分とされた人びとの喜びや差別 に対する気持ちを共感的に理解することができる。 ② 展 開 学習活動と内容 1 教師の支援など 学習課題を確認する。 ・ 挿絵「天地のはかり」から身制度 江戸時代の身分制度は、明治 がどうなったかを予想させる。 時代にどう変わったのだろうか 2 四民平等について調べる。 ・ 生活面で自由になったことも多い ・ 職業、結婚の自由 ・ 名字の許 可 が、新たな身分区別が生じている ・ 華族、士族、平民の身分 ことにも気付かせたい。 3 解 放 令 に つ い て 調 べ 、「 農 民 や ・ 解 放 令 に よ り 法 的 に 平 等 が 認 め ら 町人と異なる身分とされた人び と」の気持ちを考える。 れたことを確認する。 ・ (資料ア) 資料の中の言動から、これまで 受けてきた差別から解放された喜 びを読み取らせることで共感的理 解に迫りたい。 ・ (資料イ) 残された差別を解消するために 立ち上がったその思いを感じ取ら せたい。 4 本時の学習を振り返り、考えた ・ ことや感じたことを発表する。 (資料ウ) 四民平等の果たした役割と共に 差別に立ち向かった人びとの思い を自分の言葉でまとめる。 - 15 - ③ 資料ア 資料 資料イ 解放令 喜びで迎えられた「解放令」 資料ウ - 16 - 学校へ行きたい (4)民主主義への動き【水平社運動】 ① ねらい 第一次世界大戦について知るとともに、米騒動や全国水平社運動などについて調 べ、民主主義を求める運動へと発展していったことをとらえる。 ② 展 開 学習活動と内容 1 本時のめあてを確認する。 民主主義の考えは、どのように広 教師の支援など ・ 本時の内容を確認させ,学習の見通しをもた せる。 まっていったのか調べよう。 2 第一次世界大戦について、日本が ・ 大戦は、当時の大国による植民地再分割をめ 参戦した理由やその影響を調べる。 ぐる戦争であったことを補足する。 ・ 日本が、連合国側の一員として参戦した理由 について考えさせる。 3 米騒動について調べる。 ・ 米騒動では、工場労働者や四民平等後も差別 を受けてきた人々が多く参加したことを知ら せ、米騒動が彼らの自信となり、その運動の勢 いを増す機会となったことを理解させる。 4 全国水平社運動について調べ、運 ・ 差別を受けてきた人々は、団結し、自らの力 動が起こったわけやその影響につい で差別をなくそうと立ち上がった事実を押さえ て話し合う。 る。 (ワークシート、資料ア) ・ 少年までもが運動に参加していたことに気づ かせ、その心情に共感させたい。 (資料イ) ・ 差別解消のために立ち上がった人々の、強く たくましい姿をとらえさせ、そのすばらしさに ついて考えさせたい。 (資料ウ) ・ 水平社運動が全国に広がっていった事実を押 さえる。 5 普通選挙運動や女性の職場進出に ・ 普通選挙の実現や産業の発達により生まれた ついて調べ、民主主義の高まりにつ 新しい職業について調べさせ、女性の参政権や いてまとめる。 社会進出についてまとめ発表させる。 - 15 - ③ 資 料 ワークシート 資料ア そうりつ 全国水平社の創立 こめそうどう 1918年(大正7年)の米騒動をきっかけに,差別を受 け続けてきた人々は,自分たちの力で差別をなくすために立 ち上がるようになりました。今までとちがって,人間として け ん り しゅちょう かいほう 生きる権利を主 張することによって,解放に立ち上がったの です。 こうかいどう 1922年(大正11年)3月3日,京都の岡崎公会堂を めざして,全国から差別を受け続けてきた人々がぞくぞくと 集まり,会場は約3,000人の人々でいっぱいになりました。 「300万人の絶対解放」「全国水平社創立大会」などと書か いか れた会場は,「解放」「団結」「自由」などと怒りをこめた旗で うめつくされ,熱気につつまれました。なかには ,「こんなに かんげき も差別に苦しんでいる仲間がいたのか。」と感激のあまり,声 を出して泣き出すものもいました。 水平社宣言は,「全国にいるきびしい差別を受けてきた仲間 たちよ,団結しよう!」に始まり,「・・・わたしたちは人間 をとりもどす時代をむかえたのだ。これまでの苦しみをなげ うった 返す時が来たのだ。」と 訴 え, 「水平社は,こうして生まれた。 人の世に熱あれ,人間に光あれ。」と感動をこめてむすんでい ます。 しゅうしょく こうして,四民平等となった明治時代以後も,就 職や結 婚などきびしい差別に苦しめられてきた人々は,団結して全 国水平社をつくり,自分たちの活動で差別をなくす運動に立 じんけんせんげん ち上がりました。この宣言は,日本最初の人権宣言であり, ほこ 世界に誇るべき大宣言でもあります。これはまさに,差別を 受け続けてきた人々が団結をして差別解消にたちむかう出発 であったわけです。 出典:栃木県教育委員会「直接的指導資料集」より一部改作 ※ワークシート内の写真は教科書「日本文教出版・小学校の社会6上」から転載 資料イ 資料ウ こ の じ ろ う すいへいしゃせんげん 山田孝野次郎君の演説 そうりつ 水平社宣言 こ の じ ろ う だんけつ 水平社の創立大会で,まだ16才の山田孝野次郎という少 だん 年が壇に上がり,落ち着いた態度で話し始めました。 全国にいるきびしい差別を受けてきた仲間たちよ、団結しよ う! 「わたしは,役所の人たちや学校の先生のお話を何度も聞き まし た。その人たちは,必ず,平等が必要であることを話 します。 せ 人と人を差別してはならないと言って,差別して いる人を責め ます。そして,わたしたちのことを本当に理 解しているかのよ うに,あるいは差別する気は少しもない ように言われます。し かし,先生たちでさえ,わたしたち を見る目はなんと冷たいも のでしょうか。」 長い間、いじめられてきた兄弟たちよ。 そ せ ん わたしたちの祖先は、のどから手が出る思いで、自由と平等 にあこがれ、そして自らそれを実行してきたのだ。しかし、わ たしたちの祖先は、身分制度のぎせいにされてきた。人のいや あた がる職業を与えられ、その仕事に命をささげてきたのだ。生き 生きと生きる人間の心をふみにじられ、くだらない、いやしい とばかにされ、つばをはきかけられてきたのだ。それでも、わ ほこ たしたちの祖先は、人間としての誇りを忘れなかったのだ。 そうだ、今、わたしたちは人間をとりもどす時代をむかえた のだ。これまでの苦しみをなげ返す時が来たのだ。わたしたち ほこ が差別されてきた歴史を誇らしく思う時がやってきたのだ。 ぜったい わたしたちは、もう絶対におく病になって祖先をはずかしく 思ったり、自分のことを身分や地位が低いなどと思ってはいけ ない。 この世の中を生きていくことが、どんなにつらいことか、い ちばんよく知っているわたしたちは、暗く苦しい世の中に、心 から人間の誇りを、新しい光を熱く求めようではないか。 水平社はこうして生まれた。 よ 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 かれのほほを涙がとめどなく流れ,話を続けることができな くなりました。山田少年はしばらく泣いていましたが,きゅ っと顔をあげ会場の人々に大声で呼びかけました。 「今,わたしたちは泣いているときではありません。おとな も子 や ぶ どもも,いっせいに立ち上がってこの悲しみの原因を うち破り ましょう。差別のない,光り輝く新しい世の中に していきまし ょう。」 かんげき 会場に集まった差別を受け続けてきた人々は,感激して大き はくしゅ な拍手を送りました。 こ の じ ろ う 山田孝野次郎少年はその後 ,「少年少女水平社」の創立や多 こうえんかい かつやく 数の講演会に参加し ,水平社運動に活躍しましたが,1931年, しょうがい 25才の短い生 涯を閉じました。 そうりつ 大正十一年(一九二二年)三月三日 全国水平社創立大会 出典:鹿沼市教育委員会「なかま」より一部改作 出典:栃木県教育委員会「直接的指導資料集」より一部改作 栃木県総合教育センターHP「教材研究のひろば」資料から引用(ワークシートは一部改作) - 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