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撮る のこす みんなとまち

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撮る のこす みんなとまち
■ ぶらり港まち新 聞 _ H1- 4 4 2 0×5 9 4
FREE
つづ
港まちづくり
協議会の
スタッフが綴る
元事務局員の﹁アフリカからのお便り﹂
しかし、少しずつ変化は生まれてきました。
私はこれまで西アフリカのセネガルで2年、 私の所に﹁こんなのを作ったんだけど、
どう?﹂
アフリカ事業を担当し、ジブチとザンビアで
て い ま し た が、今 は 日 本 の 国 際 協 力 N G O で
2 0 1 1 年 の 3 月 ま で、ま ち 協 事 務 局 で 働 い
隊 員 と し て 活 動 を し て い ま し た。帰 国 後、
ブ ル キ ナ フ ァ ソ で 2 カ 月、青 年 海 外 協 力 隊 の
﹁もう大丈夫よ﹂と笑いながらも力強く答えた
と 心 配 す る 私 に 、女 性 グ ル ー プ の 代 表 が
が居なくなった後、この活動はどうするの?﹂
性の姿も村の日常になっていきました。
﹁自分
く る 人 が 現 れ、木 陰 で ア ク セ サ リ ー を 作 る 女
と自らデザインした新作を嬉しそうに持って
うれ
仕事をしています。今日は、自身の経験を振り
一言が忘れられません。
しゅうにゅう
かんきょう
こかげ
返 り﹁国 際 協 力﹂と﹁ま ち づ く り﹂の 共 通 点 に
﹁国 際 協 力﹂と﹁ま ち づ く り﹂。無 縁 の よ う
たいいん
ついて考えてみたいと思います。
ですが、
根っこにあるのは﹁ここに暮らす人が、
はけん
すがた
セ ネ ガ ル に は、現 地 の 抱 え る 課 題 を 解 決 す
よりよく暮らせる環境をつくる﹂こと。そして、
い ど
はたら
ることを目的に派遣されました。村には収入
よ そ 者 で あ る 私 の 関 わ り 方 は、そ の き っ か け
たんとう
を得る手段がない、水︵井戸︶が足りない、病
を提供することだと思います。ここに暮らす
みずく
しこうさくご
く
むえん
院 が 遠 い な ど た く さ ん の 課 題 が あ り ま し た。
人たちの日常に目を向け、一緒にいま・ここで
いそが
かか
村にある女性グループが活動のパートナーと
で き る こ と を 考 え る。無 理 は し な い、で も
せんたく
しゅだん
なりましたが、女性たちは朝から晩まで水汲み
ちょっと頑 張 る。試 行 錯 誤 し な が ら も、こ こ
いっしょ
や 洗 濯、畑 仕 事 に 忙 し く、十 分 な 時 間 を 取 る
に 暮 ら す 人 た ちと共に活動を積み重ねていく
ゆる
がんば
ことはできません。私は大きな課題に取り組
ことが、緩やかながら、少しずつよりよい地域
えんちょう
かてい
ちいき
む よ り も、日 常 の 延 長 に あ る も の を 活 か し て
を作っていくの で は な い で し ょ う か。そ し て、
い
で き る 活 動 を し よ う と 考 え、女 性 が 身 に 付 け
ていあん
港まちぶらばなし
あ り ま す か? カ メ ラ が 貴 重 だ っ た 時
み な さ ん、写 真 館 っ て 行 っ た こ と
真 を 撮 っ て く れ ま し た。は じ め は 照
て も ら っ た 際、小 山 さ ん が 記 念 に 写
今 回、名 港 写 真 館 さ ん を 取 材 さ せ
撮ってもらっていたとか。
おめかしして写真館へ行き写真を
代 は、お 祝 い 事 や 特 別 な と き に だ け
豪 快 さ を 併 せ 持 つ イ カ し た 海 の 男!そ ん な
年、今では週に何日も通
う ほ ど の お 馴 染 み さ ん に。毎 日 ハ ズ レ な し
れ く さ か っ た の で す が、
﹁手 は 軽 く に
ぎって、肩はそのまま、顔はこっちね﹂
員﹃借りてきた猫﹄状態。
みたいな小山さんの軽快な指示に全
後日できあがった写真をもらい一同
。
…
ま、それもよい思い出ですね!
よかったなということ
こんなことならおめかししてくれば
で す ね。た だ、ひ と つ 後 悔 な の は、
で 撮 る 写 真 っ て、や っ ぱ り い い も ん
大 喜 び で し た。普 段 と は 違 う 写 真 館
これは先代である今のご主人のお父さんが
そんなレトロで懐かしい雰囲気は、磯部さん
こ ち ら は 映 画 好 き な ご 主 人 の お 気 に 入 り。
は マ リ リ ン・モ ン ロ ー の ポ ス タ ー が 何 枚 も。
趣 味 で 集 め た も の だ そ う。そ し て そ の 横 に
の 雰 囲 気。壁 に 飾 ら れ た た く さ ん の 柱 時 計、
バ ー を 愛 す る 理 由 が も う 一 つ。そ れ が お 店
と い う ラ ン チ は も ち ろ ん、磯 部 さ ん が ハ ー
きっかけで、以来
い頃に仲間とコーヒーを飲みに来たのが
﹁ハ ー バ ー﹂で し た。港 で 働 き 始 め て 間 も な
磯部さんが教えてくれたお店のひとつが
を お 願 い し た 磯 部 さ ん は、優 し い 雰 囲 気 と
お 昼 ご は ん の お い し い お 店 の ナ ビ ゲ ー ト
港 ま ち で 愛 さ れ る 喫 茶﹁ ハ ー バ ー ﹂
雰囲気もおいしさのうち!
編 集 後 記
月 の は じ め、名 古 屋 を ど り
﹁ご安全に∼♪﹂
で 有 名 な 西 川 会 の、西 川 千 雅 さ
ん プ ロ デ ュ ー ス の﹁名 古 屋 み な
と を ど り﹂が 名 古 屋 港 ポ ー ト ハ
ウスで行われました。
今 回 の 企 画 に 合 わ せ て、実 は
千雅さんには今年のみなと祭で
踊る新曲のプロデュースをお願い
し て い ま し た。初 披 露 と な っ た
新 曲 は、そ の 名 も﹃み︵ん︶な と
ヤ レ コ ノ﹄。﹁ヤ レ コ ノ♪ヤ レ
コ ノ♪﹂の 掛 け 声 は 威 勢 よ く 働
く 港 の 人!と い う 感 じ が す る
し、振り付けのいちばんの特徴
﹁ご 安 全 に ∼♪﹂は ま さ に 港 で
はよく聞かれる挨拶だったとの
こ と で、港 風 情 た っ ぷ り の 活 き
の い い 曲。去 年 祭 り デ ビ ュ ー を
の言うとおりとても居心地がよく、取材を終
次 号 予 告
[ 特 集 ]
歌 って踊 る
港 ま ち︵ 仮 ︶
日の予定です。
次号発行日は
築地口駅
名古屋港駅
8月
通常より 3 割増の美しさに
撮ってもらいました!
はんばい
記念撮影!」
金山駅
だい ご み
「写真館で
名古屋駅
そ の 過 程 の 中 で 小 さ な 変 化 を 見 つ け、何 気 な
今回の
お楽しみに!
NAGOYA CITY
おはなし
10
るビーズアクセサリーを販売する活動を提案
佐藤 嘉宏(なごやのたからものプロジェクト)
照れちゃった
【金山駅から約 10 分】
市 営 地下鉄名港 線「名古屋 港」行き
「築 地口」駅、
「名古屋 港」駅(終点)下車。
しました。活動は、
昼食後のひとときを利用し、 い 一 言 に 喜 び を 見 出 す こ と に、そ の 醍 醐 味 が
【名古屋 駅から約 2 5 分】
市 営 地下鉄 東山線「栄」駅のりかえ。
名城 線金山 方面「名古屋 港」行き、
「築 地口」、
「名古屋 港」駅(終点)下車。
えてもついつい長居したくなってしまうの
月曜日∼金曜日、9 時∼18 時
し た 新 米 の 私 は 、ど う し て も
(祝日・休日・年末年始を除く)
ほ
港まちへのアクセス
創業は昭和 33 年。翌年の伊勢湾台風で建て替えられその後、昭和
51 年に全面改装。以来、ほとんど変わっていないという内装は先代
と今のご主人の好みが絶妙に解け合う独特の雰囲気。それもまた
お店の大きな魅力。
※ 港まちづくり協議会では、ボートピア名古屋設置に伴
い競艇を施行する自治体(蒲郡市など)から名古屋市に
交付される「環境整備協力費」を用いたまちづくり事業を、
住民と行政との協働により検討・実施しています。
でした。 文・谷 亜由子
TEL 052-654-8911
あるように思います。
前田 守彦
で輪っかを作ることばかりが気
花島 敦子(編集企画室 群)
﹁自 分 が 欲 し い も の を 最 初 に 作 る﹂こ と で、
「港まち子どもの本のじかん」
はじまり はじまり∼
﹁ご 安 全 に ∼﹂の あ の 両 手 の 指
赤澤 ゆかり(編集企画室 群)
ふにん
谷 亜由子(なごやのたからものプロジェクト)
月からはザンビアに赴任します。国が変
[港まちレポート]
に な っ て、直 前 の 振 り が し ど ろ
撮影
もさく
児島 章次 表紙、p.1∼6
[港のきおく②]
も ど ろ に。 月 か ら 始 ま る 本 格
青木 奈美(COUPGUT)
さら
福は∼内!築地神社の節分祭
20
お問合せは、港まちづくり協議会まで
●
マンガ
●
取材・編集
●
取材・文
●
まち協事務局勤務も気付けば 4
年目に突入。だんだん港の色に
染まってきた…?事務局ではお昼
ごはん担当で料理上手な一面も。
●
堀田 麻衣子
デザイン
●
楽 し ん で で き る 工 夫 も し ま し た が、最 初 は 細
髪をさわれば気持ちもわかる間柄
的な練習でしっかりマスターし
(港まちづくり協議会事務局)
わっても、
関わり方が変わることはありません。
[ヒト × ヒト]
たいと思います!
古橋 敬一、堀田 麻衣子、斉藤 葉子
とちゅう
よりどりみどり 港まちのお昼ごはん
6
進行
●
かい作業にイライラし、途中で投げ出してしま
3
名古屋の経済成長を支えた
輸出陶磁器と港
文/港まちづくり協議会事務局員
栄印刷
何 が で き る の か、新 た な 模 索 の 日 々 が 始 ま り
2
[港まちピープル]
堀田 麻衣子
港まちづくり協議会
〒455-0037 名古屋市港区名港一丁目 14 番 23 号
コーラルまるさんビル 2 階 D 号室
TEL 052-654-8911 minato55.jp
う 人 も い ま し た。雨 季 に な る と 女 性 た ち は 更
たび
[港まちあるき]
3
ご 安 全 に∼♪
印刷
●
発行
●
3
に忙しくなり、
人が集まらないこともしばしば。 ます。
︵世界一暑い国ジブチより︶
1
その度に﹁大丈夫かな?﹂と心配になりました。 文/稲葉 久之︵港まちづくり協議会 元事務局員︶
なごやの
02
みなとまち
はる号
アレコレ
まち協 メガネ
2 0 12 . 0 3
ん
港 まちづくり 協 議 会 「 ぶ らり 港 まち 新 聞 」
1 村の女性。慣れない手付きで一
■
生懸命アクセサリーを作っています。
2 自分たちで作ったピアスやネック
■
レッスをつけて、一緒に記念撮影。
3 村の子どもたち。100 人の村で
■
60 人は子どもたちです。
[特集]
撮る のこす
みんなとまち
ぶらり港まち新 聞
ご自由に
お 持 ち 帰り
ください 。
名古屋 の 港まちを歩 いて聞 いて見て
■ ぶらり港まち新 _ P1- 2 4 2 0×5 9 4( 6 5 % 出力 ) ぶらり港まち新 聞 1
2 ぶらり港まち新 聞
覚 え、外 国 の 船 員 さ ん に 必 死 に
さんのご主人が生前に撮影した
老舗料亭﹁海の家﹂では、大女将
地 図 を 手 に ま ち あ る き を 実 施。
るき地図が作られました。その
真で紹介するフラッグとまちあ
の魅力的なスポットを新旧の写
事 業 の 一 環 と し て、西 築 地 学 区
いて見ることがよくあるのです
け て き た 家 族 の 記 録。今 で も 開
そ う し て 何 年 も 大 切 に 守 り 続
させるのが習慣に。
度にアルバムを高い場所に避難
事 だ っ た の﹂。以 来、台 風 が 来 る
バムは高い所に置いてあって無
はダメになっちゃったけどアル
いっかん
写真を収めたアルバムを囲んで
か?と 聞 く と、意 外 に も そ れ は
しにせ
おさ
みりょくてき
語り合うイベントも行われまし
め っ た に な い の だ そ う。
﹁ア ル バ
さつえい
おかみ
ひなん
た。カ メ ラ 好 き で、と り わ け 家
ム 見 る の も い い け ど ね、忘 れ た
たび
族の写真を撮るのが好きだった
頃に思いがけない所からひょい
じっし
と い う ご 主 人。ア ル バ ム の 中 に
と 写 真 が 出 て き て、こ ん な こ と
おさな
あ っ た わ ね、な ん て 思 い 出 す の
わす
人のお子さんの幼い頃の写
真がいっぱい。
﹁私が踊りや三味
が 楽 し い の。写 真 は そ こ が い い
は
写真は記憶。
線をやっとったもんで発表会の
きおく
切り取られた一瞬が
わ ね。デ ジ タ ル カ メ ラ と か ビ デ
年 を 超 え る 老 舗 料 亭。
時にもよく撮ってくれたわ﹂と、
へ
を 懐 か し そ う に 見 つ め な が ら、
今も母娘でその歴史を守り続けています。
[ 海 の 家]創 業
そうぎょう
時を経て心を支えるチカラに。
昨 年
たお
大女将さんが写真にまつわる思
ひさいち
災。被 災 地 で は、倒 れ た 家 屋 の
けんめい
い出を聞かせてくれました。
さが
とつ
思い出を振り返る楽しい時間。
ふ
一枚の写真。
忘れた頃にふと目にする
ころ
中からアルバムや写真を懸命に
捜す被災者の姿がたくさん見ら
年前の伊勢湾台
い せ わん
れ た と い い ま す。こ こ 名 古 屋 港
で も、今 か ら
風で大切な写真がたくさん失わ
れ ま し た。災 害 で 家 や 家 族 を な
大女将さんが港に嫁いだのは
年前
くし失意の底にある人々にとっ
さい
年、伊勢湾台風の
昭和
の こ と。台 風 の 際 に は、海 の 家
み
て、写 真 は 思 い 出 や 記 憶 を 再 び
心 に 呼 び 起 こ す 大 切 な 宝 物。未
も天井近くまで水に浸かりまし
つ
曽有の災害をきっかけに写真の
た。しかしそれ以前に撮ったお
ぞ う
持 つ チ カ ラ が 今、あ ら た め て 見
きせき
逃 れ た の で す。﹁着 物 や な ん か
のが
誕生の頃の写真は奇跡的に難を
なん
嫁入りの写真、新婚旅行や長男
月に港まち
直されています。
そ ん な 中、昨 年
こう ぼ がた
づくり協議会による提案公募型
たよ
70
と
撮る のこす みんなとまち
現在のご主人のお父さんが港で
説明したことも今では懐かしい
文/谷 亜由子
デジカメや携帯電話で誰もが気軽に写真を撮ることができるようになり、写真はぐっと身近に。その反面、プリントをしてアルバムに整理するなど
はやがてカメラ専門店へと変わ
働く人たちのために食堂を開業。
思 い 出。ま た 写 真 の プ リ ン ト で
影も担当しています。
仕 上 げ て こ そ プ ロ。僕 は い つ も、
客さんに喜んでもらえる写真に
つら
なつ
オだとそうはいかないものね﹂。
いっしゅん
丁寧に残すことが少なくなってしまいました。思い出や歴史の貴重な語り手である写真をもう一度見直してみませんか。
港まちの歴史とともに
りました。
ていはく
カメラ専門店になったのはその
も 一 般 の お 客 さ ん だ け で な く、
とくしゅ
んでお客さんとおしゃべりをするのが何よりの楽しみ。
思い出をカタチにしてくれる港まちの頼れる写真店
カメラと写真の魅力を
高 校 卒 業 後、お 店 を 手 伝 い 始
つうせん
伝え続けるまちの写真屋さん
おきあい
渡 し 船 に 乗 り、沖 合 に 停 泊 中 の
ぶね
ま ち の 写 真 屋 さ ん と し て 長 年
外国船までカメラを売りに行っ
わた
め た ご 主 人 は、通 船 と 呼 ば れ る
港の人たちに愛され続ける林カ
年頃、 た こ と も。カ メ ラ 用 語 を 英 語 で
数 年 後 の こ と で し た。食 堂 か ら
周 辺 の 企 業 や 港 警 察 署、海 上 保
ていねい
ぜんせい
し ゅ う せ い ぎ じ ゅつ
体 が 大 き く、一 見、強 面。で も
う ち は 上 手 い で す よ、っ て 自 信
手にした瞬間、笑顔の奥に光る眼差しにプロの誇りと自信がみなぎる。
まなざ
メラ商会。終戦直後の昭和
カメラ店へ。意外な展開ですが、
安庁など港における特殊な需要
げきげん
ぎ し
専門的な写真の修整技術を学び、
しょうがい
何気なく始めた写真が
全国でも指折りの修整技師とし
かつやく
生涯の仕事に。
ても活躍するようになりました。
ているんだと思う﹂
。たくさんの
当は写真を撮ってもらいたがっ
﹁写 真 は 嫌 い、と い う 人 ほ ど 本
きら
喜んでもらえてこそプロの仕事。
名 港 写 真 館 は 西 築 地 学 区 に あ
ゆいいつ
る 唯 一 の 写 真 館。開 業 は 昭 和
実はとても気さくでユーモア
持って言うの﹂。
げまで徹底的にこだわり、手を抜かない姿勢を貫く小山さん。カメラを
てっていてき
げんざい
そこには港まちならではの理由
への丁寧な対応が評判に。
しんちゅうぐん
かいぎょう
が あ り ま し た。お 店 の 前 に は か
そ し て 今 や デ ジ カ メ 全 盛 の 時
はた
つて市電が通り便利だったこと
代。ま ち に 何 軒 も あ っ た カ メ ラ
せんもんてん
か ら、進 駐 軍 の 軍 人 さ ん で に ぎ
屋 さ ん の 数 は 激 減 し、西 築 地 学
き
けいさつしょ
わ い ま し た。船 で 帰 国 す る 際、
区では林カメラ商会のみとなっ
ほ
とう じ
きぎょう
何か日本のお土産が欲しいとい
て し ま い ま し た。
﹁お 得 意 さ ん が
てんかい
う 軍 人 さ ん を 相 手 に、陶 磁 器 や
旅行の写真やお孫さんの写真を
じゅよう
着 物 な ど を 仕 入 れ、販 売。中 で
現像しに来てくれるもんだでね、
なんけん
もカメラは性能の良さで定評の
まだまだ頑張って続けにゃいか
ゆず
印 象 的 な 言 葉。写 真 嫌 い の 真 意
なっとく
小山さんが譲り受け再スタート。
は﹁納 得 の い く 写 真 を 撮 っ て 欲
し い﹂と い う 切 実 な 願 い だ と 感
ほこ
年余を誇るベテラン
フォトグラファーでもある小山
じ る そ う。
﹁た だ 撮 っ て 渡 す だ け
キャリア
さ ん は、先 代 か ら 引 き 継 い で 西
な ら プ ロ と 名 乗 り た く な い。お
た っ ぷ り の 人 柄 が 魅 力。フ ォ ト
プロとして誇りに満ちた仕事を
さつ
築地小学校の卒業アルバムの撮
グラファーとしての小山さんの
こなしながら、昨年 月の東日本
たんとう
経 歴 は 実 に ユ ニ ー ク で す。写 真
大震災後には被災地におもむき、
えい
を始めたのはなんと中学生の頃。
修 整 技 術 を 活 か し たボランティ
こわもて
学生時代にはデザインの勉強な
アにも参加。津波で流された写真
ひとがら
ど も 経 験 し、中 日 ビ ル 内︵中 日 パ
を一枚一枚修 復 す る 作 業 を 現 在
い
レス︶にあったスタジオで本格的
も続けています。
みが
ひしゃたい
月におきた東日本大震
晴れ姿で写る若かりし頃の写真
3
年代。途中、先代のオーナーから、 人を 撮 り 続 け て き た 小 山 さ ん の
30
みやげ
ある日本製のものが特に人気で、
ん﹂とご主人。
ご
32
なご
なが
て来てくれるとやっぱり嬉しいもんだね」。カウンター越しに写真をはさ
「被写体である相手に心から喜んでもらえる写真を」と、撮影から仕上
住所/名古屋市港区名港 1-19 -5
TEL / 052- 661-5316
営業時間/ 10:0 0∼17:0 0
(不在の場合があるため電話にて確認ください)
定休日/不定休
12
おやこ
きぬがわ
しんこん
3
に写真の技術を磨きます。そこで
名港写真館
褪せた懐かしい写真を楽しげに眺める 2 人。亡きお父さんが見守っているかのような和やかな空気に。左=大女将・小島美智子さん、右=女将・小島紀美恵さん
あ
53
30
売 上 げ は う な ぎ の ぼ り に。食 堂
林カメラ商会
2
3
「これいつの写真?」
「新婚旅行のときね。日光と鬼怒川行ったのよ」
「いいとこだね。また今度みんなで行こうよ」。数年ぶりに母娘でアルバムを開き、
セピア色に
住所/名古屋市港区入船 1-7-27
TEL / 052- 651- 4302
営業時間/ 8:30∼18:0 0
定休日/日
「プリントのお客さんが減っちゃったのはさみしいけど、フィルムを持っ
20
■ ぶらり港まち新 _ P1- 2 4 2 0×5 9 4( 6 5 % 出力 ) ぶらり港まち新 聞 3
4 ぶらり港まち新 聞
手こねずし
むか
この3月でオープン2周年を迎えた本格インド料理店。日替わり
名古屋では珍しい手こねずしの専門店。活きのいいカツオを贅沢
のおすすめカレーをはじめ、
数種類のカレーから好きなものを選び、
に使い、酢を抑え甘口に仕上げる特製のタレも毎日仕込む。奥さ
チャイやラッシーなどのドリンクが付くランチセット(800 円∼)
んがこだわって炊くごはんとの相性も抜群の手こねずしは、初め
が大好評。とくにOLさんからの支持が高く、
お客さんの 8 割が女性。
て食べた人がマグロと間違えてしまうほどの、クセのないおいしさ。
お昼は毎日満席になるほどの人気。ナンとライスはおかわり自由!
伊勢志摩郷土料理 かわせみ
インド料理 ドルーガ 2 号店
住所/名古屋市港区入船 2 丁目 4-33
TEL / 052-661-7705
営業時間/ 11:30∼14:00、18:00∼21:00(夜は要予約)
定休日/土・日・祝
住所/名古屋市港区入船 2 丁目 3-2 ツインビル 2F
TEL / 052-355-6555
営業時間/ 11:00∼15:00、17:00∼22:00
定休日/無休
せんもんてん
めずら
ぜいたく
おさ
あいしょう
ばつぐん
今日のランチ 奥さんが 献 立を考え、手 作りするというメ
質のお肉がお手頃な値段で味わえる。名古屋
ニューはまさに「家庭の味」。種類は和・洋・
名物のみそかつは、初めて食べる人の口にも
中と幅広く、しかも安くてボリュームたっぷり。
合うよう、味噌ダレにもひと工夫。本場岡崎
付け合わせの種 類が多いのも魅力で、毎日
の八丁 味 噌をベースにした、程よい甘さと
通っても飽きないのだとか。熱さの加 減が
はばひろ
みりょく
あ
ぜつみょう
絶 妙なお味 噌 汁も磯 部さんのお気に入り。
旬菜味処 藏
ハーバー
住所/名古屋市港区入船町 2 丁目 5-14
TEL / 052-661-2855
営業時間/平日 11:00∼14:00、17:00∼21:30
土・祝 11:00∼14:00
定休日/日・第2土曜日 ※ランチタイムは禁煙席アリ
住所/名古屋市港区入船 1-3-38
TEL / 052-661-5443
営業時間/ 7:00∼17:00
定休日/土・日・祝
文/谷 亜由子
というとっておきのお店。精肉店直営なので上
こんだて
がぜん
仕 事 や 家 事 の 合 間 の 息 抜 き で
︵この日はヒレカツ定食︶
いきぬ
も あ る ラ ン チ タ イ ム。今 日 は 何
を食べようかな、とあれこれ迷う
ね う
市立東港
中学校
の も 楽 し い も の。お い し く て お
市立港楽
小学校
腹も満足、そのうえお値打ちなら
駅
文句なしです。
港区役 所
お好み焼き工房
こぶた
港 で ラ ン チ。そ れ な ら ば 毎 日
ハーバー
ひ が
磯部さんのイチオシは日替わりランチ。毎日、
さらっとした口当たり。上品な味わいが絶品。
名古屋港局
港でごはんを食べている人に聞
築 地口 駅
ばってき
港橋広場公園
630 円
市外からのお客さんとのランチによく利用する
ほど
バロー
いてみるのが一番。と、勝手にラ
名古屋 港
駅
磯部さんの
おすすめ!
950 円
てごろ
市立西築地
小学校
ンチ達人に抜擢させていただい
中国食房 凛
いそべ
インド料理
ドルーガ 2号店
旬菜味処
蔵
20
年ほど前か
伊勢志摩郷土料理
かわせみ
かんとく
住所/名古屋市港区入船 2 丁目 2-6
TEL / 052-661-2011
営業時間/ 11:00∼14:00、17:00∼23:00
定休日/日
にやく
住所/名古屋市港区栄 1-1-22
TEL / 052-652-6533
営業時間/平日 10:00∼18:00 土曜 10:30∼14:30
定休日/日・祝
たのは、名古屋港で
中国食房 凜
よしふみ
お好み焼き工房 こぶた
ら荷役作業を監督している磯部
自家製の麺にまろやかなスープがからんでクセになりそうな味わい。
たんたんめん
芳 文 さ ん。港 で 自 動 車 の 積 み 下
明るく元気にこなす。テイクアウトはもちろん店内での食事もOK。
めん
ろしをするチームのことを世界
そう。ランチでは麺セットが好評で、中でも担々麺が一番人気。
共通の用語で﹁ ギャング﹂と呼ぶ
昨年オープン。身体に障害を持つスタッフが調理、接客、販売を
そうですが、磯部さんもそのギャ
も行列ができるが、回転が速いので待ち時間はそれほど長くない
ングの一員です。
やってくるお客さんも多い。障害者就労継続支援を行う会社が
みそかつ丼
いてみるとダントツで人気の高かったのがここ。お昼どきはいつ
しょうがいしゃしゅうろうけいぞくしえん
大 き な 体 に シ ャ イ な 笑 顔 が
口コミで話題となり、地元の人はもちろん、遠方からわざわざ車で
︵ 漬 物 、味 噌 汁 付 ︶
ランチがオススメのお店を教えて、とまちで出会った人たちに聞
えんぽう
チ ャ ー ミ ン グ な 磯 部 さ ん。作 業
さんびょうし
味、ボリューム、安さと三拍子揃ったお好み焼きや焼きそばが、
現 場 を 走 り 回 っ た 後 は、い つ も
磯部さんの
おすすめ!
ボリューム満点のお昼ごはんを
がっつり食べているのかと思え
ば、実はその日の仕事や、一緒に
食べる相手に合わせて、お店やメ
ニューをうまくチョイスしてい
る と の こ と。オ ス ス メ は?と 聞
く と、お 気 に 入 り の お 店 の 名 前
が 次 々 に 飛 び 出 し、案 内 し て く
あなば
れ ま し た。中 に は 地 元 の 人 に も
つ
あまり知られていない穴場のお
店 も。さ す が は 港 を 知 り 尽 く し
ぬ
650 円
た ギ ャ ン グ!お い し い 情 報 に も
港まちから
一足伸ばして
行けるお店
250 円
抜かりがありません。
麺セット
︵写真は担々麺︶
塩焼きそば
大盛り
港まちづくり協議会
スタッフの
おすすめ!
よりどりみどり 港まちのお昼ごはん
あま
漁師の父と海女の母との間で育ったご主人が、12 年前に始めた
港 ま ち の お 昼 ど き 。 そ れ ま で の ん び り 静 か な 時 間 が 流 れ て い た 通 り は 俄 然 、に ぎ や か に 。 港 ま ち で 働 く 人 た ち の ラ ン チ タ イ ム の は じ ま り で す 。
1200 円
890 円
今 回 は 、ラ ン チ タ イ ム に 名 古 屋 港 近 く を 歩 く ビ ジ ネ ス マ ン や O L さ ん に オ ス ス メ の お 店 を う か が い 、人 気 の 高 か っ た お 店 を ご 紹 介 し ま す !
ランチセット
B
■ ぶらり港まち新 聞 _ P5 - 6 4 2 0×5 9 4( 6 5 % 出力 ) しんらい
1. 石田辰三さん 2. 築地神社の奉賛会のお手伝
い 3. ここが地元です。 4. このまちがもっとに
ぎわうといいなと思います。かつてのにぎわいを取
り戻したいです。
1. 右から、石川良一さん、織 田 健司くん 2. 奉
賛会のお手伝い、小学生 3. 近所から 4. 今年
はいい年にしたいですね。
(石川さん)
伊藤さんの腕には絶対の信頼を置き、
いつもスタイルはお任せ。
伊藤和子さん(ミテラ美容室)/叔母のすすめで始めたこの
仕事が、今では天職と感じるほどの生き甲斐に。人情味溢れる
昭和
りっしゅん
年にできた築地神社。立春前日の
月
港まちでの暮らしを楽しむ美容師歴 40 数年のベテラン。
髪をさわれば気持ちもわかる間柄
やくどし
さんぱいきゃく
美容師さんとお客さんとして 30 年ものお付き合いを続けるご近 所同士のお二人。
きとう
野口さんにとって、ミテラさんにやってくる月に一度のこの時間がとても大 切なリラックスタイムになっているようです。
※年も通ってくださるお客さんは多い?
伊藤 そ う ね 。 う ち は け っ こ う 長 く 来 て く だ さ る 方 が
私 も 港 に 来 て か ら ず っ と。世 代 も ほ ぼ 同 じ な の よ。
多いわね。
野口
好 み も 大 体 わ か っ て る か ら ね。形 を 変 え る っ て
りんかく
長くやってもらってると髪をさわるだけで健康状
したことあったの。
丈夫で綺麗なこの髪が急に細くなっちゃって心配
きれい
ね。前にね、
野口さんにちょっと悩みがあった時も、
髪は風邪ひいただけでもすぐ手ざわりが変わるから
やら気持ちやら、もうなんでもわかっちゃう。
勝 手 に、こ う し ま し ょ!と か 言 っ て ね。顔 の 輪 郭
言っても、夏向きとか冬向きとかくらいで。
伊藤
野口
伊藤
野口
態 や 精 神 状 態 ま で わ か っ ち ゃ う の ね。で、つ い つ
い悩みを話してるうちにいらんことまでしゃべっ
︵笑︶
ちゃって・・・
例えばどんな?
※
う∼ん・・・主人のこととか、孫のこととか。
たが
野口
途中は手元を見ててなかなかお互いの目を見て
そうそう。ここへ来るとね、いつもおいしいお茶を
存分バカ話して盛り上がるの。
ぞんぶん
お 話 し で き な い で し ょ。だ か ら 終 わ っ て か ら 思 う
とちゅう
伊藤
野口
出 し て く だ さ る ん だ け ど そ れ が 何 よ り 楽 し み で。
家だと家族にお茶出す側だけどここならすっかり
いっしょ
お 客 様 で い ら れ る で し ょ。だ か ら と っ て も 気 持 ち
は
いい。一緒におしゃべりできるのも楽しみ。
そ う ね。も う 終 わ っ て 靴 履 い て 帰 る ば っ か り に
まだ話し足りん、とか言いながら!
伊藤
な っ て る の に、ド ア の と こ ろ で 立 ち 止 ま っ て ま た
野口
お店に来た時より、見た目も気持ちも綺麗になって
しゃべり始めちゃったりとか、しょっちゅう。
伊藤
うれ
帰 っ て も ら う の が 私 た ち の 仕 事。綺 麗 に な っ た
わって、ほころんだ笑顔で帰ってもらうと嬉しい。
そ う ね。ま ち の 人 た ち が な ん だ か 親 戚 み た い な
しんせき
港まちのいいところは?
※
ふん い き
野口 みんな気さくで人情があって、下町の雰囲気がいい。
伊藤
おつき合いだものね。
これからもミテラさんに?
※
野口 こ こ が あ る 限 り ね。な く な っ ち ゃ っ た ら 困 る わ。
1. 寺田尚さん、幸代さん 2. 会社員 3. 港区千
鳥から 4. 健康第一、世界平和
どこ行ったらいいかわかんなくなっちゃうもん!
1. 左から、三輪典正さん、嘉希くん、千野陽祐さん
2 . バイク屋 3.BOM BERS(近 所 の バイク屋)
4.BOMBERS が儲かりますように!
日 に は 、毎 年 厄 年 の 人 を 中 心 に 7 0 0 人 近 い 参 拝 客 が ご 祈 祷 を 受 け に 訪 れ ま す 。
1. 左から、小 林麻 利子さん、流奈ちゃん 2. 主 婦
3. 名港から来ました。4. 家族みんなで楽しく!
1. 名前
2. 職業
あふ
が い
30
1. 河村昌伸さん 2. 飲食業 3. ここが地元です。
4. 親が介護が必要なので、介護の免許を取ること
が目標です。
お ば
いとう かずこ
福は∼内! 築地神社の節分祭
1. 河村章幸さん、綾ちゃん 2. 飲食業 3. ここが
地元です。 4. 健康で幸せに。
3
1. 右から、河村美加さん、玲乃ちゃん、 2. 主婦
と小学 2 年生 3. 近所から 4. 散財しないように
がんばります!(美 加さん)、算数の勉強をがんば
りたい(玲乃ちゃん)
4. 今年の抱負
以来、
欠かさず月に一度のペースでミテラさんへ通う常連さん。
1. 右から、小田由香里さん、煌久くん 2. 主婦と
幼稚園生 3. 港区港楽町 4. 毎日、家族のみん
なが笑顔で楽しく過ごせますように。
のぐち ゆ か
1. 右から、川崎綾花さん、竹本理絵さん、晏理ちゃ
ん 2.− 3. 弥 富から。地 元が 港なので 毎 年 節
分 祭に来ています。 4. 体脂肪を減らす!(川崎
さん)、お金を貯める!(竹本さん)
野口裕可さん(お客さん)/新潟出身。港まちへ嫁いで 30 年。
1. 右から山田昌子さん、水谷蓉子さん 2. 主 婦
3. 築地から。家が隣同士なの。 4. 健康で事故
のないように。
(山田さん)、災害がない 1 年に(水
谷さん)
2
1. 左から、田畠 多津 子さん、伊 藤 光 代さん、足
立美恵子さん、内藤由美子さん 2. 女性会のメン
バーです。 3. みんな港が地 元です。 4. みん
な仲良く元気よく!
3 . どこから?
「美容室 ミテラ」
豆 ま き や 福 引 き な ど も 行 わ れ 、大 に ぎ わ い の 境 内 で 出 会 っ た み な さ ん に 今 年 の 抱 負 を う か が い ま し た 。
13
ぶらり港まち新 聞 5
6 ぶらり港まち新 聞
■ ぶらり港まち新 聞 _ P 9 -10 4 2 0×5 9 4 ( 6 5 % 出力 )
森村組が東京、京都の専属絵工場を則武橦木町(東区)に結集
明治 29(1896)年
とう
じ
38(1905)年
瀬戸電開業「瀬戸∼矢田」
39(1906)年
瀬戸電「大曽根」開設
40(1907)年
名古屋港開港
44(1911)年
瀬戸電「堀川駅」開設
ノリタケが初のディナーセット「セダン」完成
昭和 7(1932)年
中川運河全面開通
中川運河の入川隻数が堀川を上回る
13(1938)年
第二次世界大戦参戦∼敗戦
16(1941)∼ 20(1945)年
27(1952)年
主権回復
34(1959)年
9 月 26 日
伊勢湾台風
43(1968)年
名古屋港(金城ふ頭)にコンテナ船が初入港
陶磁器荷役の
争奪戦
きかう。市電の向こうに見える擬宝珠状の屋根の建物は、名古屋初の洋風ホテル「名古屋ホテル」
(明治 27 年建設)
。
昭和 ︵1932︶年、
全国的に主導権を
握っていた名古屋
陶 業 界 が、威 容 を
誇 る﹁名 古 屋 陶 磁
Made in
Occupied
Japan
第二次世界大戦後、
連合軍に占領され
て い た 日 本 で は、
昭和 ︵1947︶年
月に制限つきで
すが民間貿易が再
年の
年に主権を回復
開 さ れ ま し た。同
するまで約
間につくられた輸
出向け製品には
﹁ Made in Occupied
︵=占領下日
Japan
本 製︶﹂と 表 示 す る
ことが義務でした。
海外からのバイヤーも宿泊した。
(写真=げんぞうアーカイブス提供)
取締役総務部長
伊勢湾台風
昭和 ︵1959︶
年
月の伊勢湾台
風 は、輸 出 関 係 者
にも大きな打撃を
与 え ま し た。 月
といえばちょうど、
ヨーロッパやアメ
リカに輸出するク
リスマス用荷物の
風 に よ る 被 害 で、
最終期限。しかし台
何週間も船が港に
入 れ ま せ ん。
﹁み ん
な 困 り ま し た。私
台ほど
どもの会社はト
ラックを
はじまりは
おわりはん
堀川・中川運河・名古屋港
瀬 戸 や 多 治 見 な ど 日 本 で も 有
の陶磁器は堀川で艀に積んで四
江戸時代から、瀬戸や東濃地方
産地と結ぶ盛んな水運
―
数の陶磁器産地を背景に、輸出陶
日市まで運ばれ、横浜や神戸など
︵1905︶
年、
は じ ま り は、名 古 屋 城 の 東 ―
しらかべ
ちからまち
現 在 の 東 区 白 壁・主 税 町 あ た り。
を占めていたといいます。
は﹁大 曽 根 駅﹂ま で 延 長 し て 中 央
﹁瀬戸駅∼矢田駅﹂が開通。翌年に
瀬戸でつくられる陶器の資材と
近代化が進む明治
はしけ
磁器の一大産地を形成していた
の港へ送られていました。
%
明治維新で職を失った尾張藩中
線と結びます。
︵1907︶
年、名古屋
製品の輸送を主な目的に瀬戸電
級 武 士 の 広 い 屋 敷 が、陶 磁 器 の
そして同
関 連 業 者、貿 易 商、さ ら に は 通 信
に大小の絵付業や一貫生産工場、
や東濃から運び、やがて付近一帯
て 使 わ れ た の で す。素 地 を 瀬 戸
景雲橋のたもとにターミナル駅
と 堀 川 が 結 び つ き ま す。現 在 の
ら世界に輸出するために瀬戸電
ると、瀬戸の陶磁器を名古屋港か
港が外国との貿易港に指定され
きんゆう
とうのう
や金融などが集積していきます。
と し て 瀬 戸 電﹁堀 川 駅﹂が つ く ら
。これによって、
年︶
名 古 屋 港 が 開 港 し た の は そ ん
おど
れたのです︵同
しゅっかがく
輸出の集約地がうまくつながった
﹁背 後 の 産 地 と 名 古 屋 港 と い う
その後も首位を独走します。
大運河﹂と呼ばれ、名古屋港と旧
︵1932︶
年に全面開通。
﹁東洋一の
もう一つの中川運河は、昭和
りました。
堀川の水運はますます盛んにな
ことが、この地で輸出陶磁器産業
かなめ
国鉄笹島駅を結ぶ名古屋の物流
たずさ
が大きく栄えた理由でしょう﹂と
みなも
幹線の要になっていきます。
今は静かな水面を見せる2つの
運河ですが、当時はいずれも年間
万隻以上の船が行きかうにぎわ
そして﹁中川運河﹂でした。
﹁戦前の米国で、
磁器ディナーセッ
い ぶ り *。荷 物 を 運 ぶ た く さ ん の
けんそう
入されはじめ、ようやく一般の 人
おきなかし
沖仲士たちが働き、喧騒に満ち満
トは非常に高価でした。日本の比
争議もよくあったそうです。
の手に届くようになったところ
たいぐう
ちていたことでしょう。ケンカは
較的安い磁器ディナーセットが輸
そのころの様子を、陶磁器輸出
と だ
に 戦 争。ヨ ー ロ ッ パ か ら の 輸 入
し た。ト ラ ッ ク な ど で 中 川 運 河
完成業者に商品を発注していま
の絵付は少なくなり、瀬戸の加工
﹁私 が 関 わ っ た こ ろ は 名 古 屋 で
陶 磁 器 は ほ と ん ど の 原 材 料 を
前の水準に戻ったと思います﹂
。
ですから、陶磁器産業は早くに戦
まざまな支援をしてくれました。
し く て 仕 方 な か っ た 米 国 は、さ
も 途 絶 え て い る。磁 器 食 器 が ほ
沿いの海荷業者の倉庫に運び込
国内で調達できるため、他の産業
もど
しえん
ん で、輸 出 用 の 梱 包 を し て 木 箱
と比べて外貨の獲得率が高いと
かいか
に 詰 め ま す。そ れ を 一 つ ず つ、
いう特徴がありました。獲得され
うんぱんしゃ
日 本 の 陶 磁 器 輸 出 の 最 盛 期 は
ぐるま
でいたのを覚えています﹂
。
昭和
とくちょう
倉 庫 か ら 艀 に 板 を 渡 し て、人 が
た外貨が他の産業を育て、また名
わた
﹃ね こ 車︵荷 物 運 搬 車︶
﹄で 運 ん で
古屋港を近代的な港湾に進化さ
木 箱 を 積 ん で い る の は 陶 磁 器
他産業の急激な進展に伴い、名古
こうわん
いました。艀で港に運び、大きな
せていったとも言えるでしょう。
を 運 ぶ 艀 で し た。陶 磁 器 は 割 れ
屋港では同
年に輸出品トップ
年まで続きますが、
︵1984︶
ないように、薄い木を細長く削っ
の座を輸送機械に、翌年には鉄鋼
もくめん
年に中川運河が堀川
て運ばれたそうです。
*入 川 隻 数 は 昭 和
を上回り、戦後は中川運河が主体になった。
陶磁器輸出が
名古屋の経済と港を育てた
かいめつ
日 本 経 済 が 壊 滅 状 態 に な っ た
第 二 次 世 界 大 戦。そ の 痛 手 か ら
いち早く立ち直り、名古屋経済を
しせつ
けん引していったのも陶磁器の
しんちゅうぐん
輸出産業でした。
じゅよう
﹁当初は ︵進駐軍 の 商業施 設 ︶
けいき
での需要が非常に大きく、それが
契 機 の 一 つ に な り ま し た﹂と 話
位 を 譲 り 渡 し ま す。艀 が ト
取材協力/名古屋港管理組合・名古屋陶磁器会館
いくのと時を同じくしていました。
送にかわり、沖仲仕が姿を消して
ラックに、港の荷役がコンテナ輸
に
た﹁木 毛﹂に て い ね い に 梱 包 さ れ
あみ
網でかかえ上げて船に積み込ん
かか
はこう語ります。
︵ ︶
貿易を営んでいた佐々一美さん
いっぱん
もちろん、待遇改善を求める労働
名古屋の中心を縦断する﹁堀川﹂
、
産地と 港 をつな い だ動脈 と は、
いた小原重信さん︵ ︶
。
言うのは、戦後、貿易業に携わって
出荷額は一躍トップに踊り出て、
いちやく
な 時 期。当 然 の よ う に 陶 磁 器 の
いしん
最 終 工 程 で あ る﹁絵 付 工 場﹂と し
し
の陶磁器輸出額は日本の約
名 古 屋。明 治 後 期 に は、名 古 屋
尾張藩中級武士の屋敷跡
やしきあと
年以上ずっとトップの座を占めてきました。 文/赤澤 ゆかり
代表取締役
﹁船が来ない!﹂
専務理事
7
みなさんのご協力、よろしくお願いいたします!
元ジャパントレーディング
(株)
契約して貨物を清
編集作業を行っていく予定です。
6 陶磁器は木箱に詰めて運ぶ。
■
(写真 4、5、6 /名古屋陶
水 や 神 戸 に 送って
うかがったお話とお写真を元に、
器 会 館﹂を 建 設。
万円ほどが
万 円 余 の う ち、
その建設費の総額
推定
艀を運行する会社
から出ていたとい
う の で す。︵﹁名 古
屋 陶 磁 器 会 館 H P﹂
よ り︶昭 和 初 期 は
海 運・港 運 業 界 に
とってまさに競争
激 化 期。陶 磁 器 を
そこで、みなさんの港まちの「昔の記憶」、
元(株)佐々ブラザース
38
「昔の写真」を探しています。
7 大正2∼7年ごろの納屋橋。堀川右岸南から北東を望む。橋には市電が走り、堀川端には荷馬車、堀川には艀が行
■
運ぶ仕事の争奪戦
すのは、日本陶磁器輸出組合に勤
みなさんと考えていきたいと思っています。
元日本陶磁器輸出組合
70
60
2
小原 重信 さん
3
佐々 一美 さん
40
歴 史を振り返ることで、新しい西築地の未来を
4 輸出用陶磁器の上絵付作業
■
[今回お話をおうかがいした方々]
44
42
59
以上になっている。全体の輸出先は「北米合衆国」が一番
積み出しました﹂と、
めていた近藤進さん︵ ︶
。
港まち 温故知新。
こぼれ話 1 の激しさを物語る
11 ノリタケチャイナ RONDINE /戦前の正餐用磁器ディナーセット。ノリタケは1904 年から10 年かけて磁器ディナー
■
3
2
港まちの「きおく」を探しています。
13
多い。
佐々一美さん。
77
磁器会館提供)
近藤 進 さん
9
理組合)大正 9 年には陶磁器の輸出が明治 41 年の 10 倍
セットを完成させ、米国向けに製造し輸出していた。
(名古屋陶磁器会館蔵)
こぼれ話 3 3
■海外貿易統計図表(
『名古屋港 大正 9 年』名古屋港管
特にドイツの大きな需要に応えた。
(名古屋陶磁器会館蔵)
(昭和 25 年、写真/名古屋港管理組合提供)
ズに応えた技法。写真は、
盛り上がった細い線が特徴の
「赤絵銅板」
。量産向けに開発された
「転写」
技術で、
ヨーロッパ、
1
9 米兵が製作した佐々商店のスーベニアショップの看板(昭和 20 年、名古屋陶磁器会館蔵)
■
1 2 輸出陶磁器の積込
■■
10「名古屋絵付」は、デコ盛り、金盛り、九谷風、有田風など、絵付のさまざまな伝統技能をいかして世界中からのニー
■
5
34
8 名古屋陶磁器会館/スクラッチタイル張りの外壁、幾何学的なモチーフを用いた質の高いデザインは当時の流行最
■
こぼれ話 2 8
9
10
11
6
出用陶磁器が見られる。国登録有形文化財指定。[名古屋市東区徳川1-10-3 TEL 052-935-7841]
22
9
先端。映画「ALWAYS 三丁目の夕日 64」のロケ地にもなった。1階のギャラリーでは華やかな時代の主役だった輸
8
27
7
3
5
部分的民間貿易再開
5 梱包作業
■
60
7
22(1947)年
4
大正 3(1914)年
き
名古屋の経済成長を支えた輸出陶磁器と港
名古屋陶磁器会館建設
7(1932)年
6
エピソード。
PX
はな
名 古 屋 港 の 開 港 当 時 、も っ と も 多 く 海 外 に 輸 出 さ れ た 製 品 は 何 だ っ た で し ょ う ? 答 え は﹁ 陶 磁 器 ﹂。 翌 年 の 名 古 屋 税 関 調 べ に よ る と 、
日本陶器が日本初の近代的な陶磁器量産工場を則武(西区)に建設
2 位 の 雑 品︵ 293,606
。 以 来 、1 9 6 6 年 ま で
円 ︶を 大 き く 引 き 離 し て 1 位︵ 1,050,082
円︶
37(1904)年
86
79
名古屋を中心に上絵付活性化
明治 20 年代
ぶらり港まち新 聞 7
8 ぶらり港まち新 聞
2
■ ぶらり港まち新 聞 ( 仮 称 ) _ P 7- 8 4 2 0×5 9 4 ( 6 5 % 出力 )
1
むか
﹁ 港 ま ち 子 ど も の 本 の じ か ん ﹂ はじまり はじまり∼
ちょうせん
会える場ならではの一コマです。
充実した子育て環境を自分たちで作り上げて行こうと、2003年から活動開始。
さんによるゴリラの書き方指南も。作家さんと直接出
かんきょう
かつやく
子育てサロン「どるふぃんくらぶ」
、講演会やむすび座公演など様々な活動を行っています。
こうえんかい
港まちづくり協議会の事業、
「まちの遊び場へ行こう!」でも活躍中です!
描いた動物たちを切り抜いて台紙に立
みんなの頭の中はたくさんの動物たち
しりとりをしながら「どうぶつえん」に
第2部の「親子ワークショップのじかん」
第 1 部の最後には、みんなで記念撮影をし
会場は笑いに包まれ、高畠さんからは
お待ちかねの 絵 本タイム。高畠さん
第1部「おはなしのじかん」の会場は、
す。それぞれに楽しい動物園が出来上
てます。同じ動 物でも描く人によって
で満タンに!さあいよいよ絵を描いてい
いるさまざまな動 物たちをたくさんイ
は図工室へ移動。木の机やイスたちが
ました。後ろのほうの方…小さくてごめん
未公開のとっておきの 1 枚も飛び出し
の「わんわん わんわん」に始まり、
「ダ
西築地小学校の音楽室。明るい日射
がりました。
違いがあり、おもしろかったです!
きます。
メージしていきました。
柔らかな雰囲気を醸し出していました。
なさい!
ました!
ジャレ」シリーズへ。
しに包まれました。
かも
三輪哲さん(右)
。おしゃべりしながらもその眼差しは子どもたちに向けられていました。
さつえい
子どもの本って、
ころ
にしました。
﹁絵 本﹂に ス ポ ッ ト を 当 て る こ と
な ジ ャ ン ル が あ る 中 で、今 回 は
どもの本と一言で言っても様々
ま ち 子 ど も の 本 の じ か ん﹂。 子
今回初めての試みとなった﹁港
ん な 中、子 ど も た ち を じ っ と 見
だ ん と 場 が 和 ん で い き ま す。そ
少 年 の お 話 を 聞 き な が ら、だ ん
中で一番好きだったという高畠
夏休みの始まる日が365日の
そ し て 当 日。絵 本 作 家 の 高 畠
大人と子どもの橋渡しをしてく
そして今回、高畠さんの存在が、
作っていけたらと思います。
大人にも楽しんでもらえる場を
がスタート。お二人の自己紹介や、 り寄せながら、子どもにもそして
純 さ ん と、三 輪 さ ん を 囲 ん で 会
れ て い た よ う に 感 じ ま す。高 畠
まらなかったことを丁寧に手繰
を思い出して、面白かったことつ
﹁絵本の力﹂を感じたひととき
﹁絵 本﹂と い え ば、主 に 子 ど も
どもそれぞれにいい化学反応が
ち。けれど自分が子どもだった頃
が読む本だと思われる方も多い
ていた三輪さんが、
﹁そろそろ …
﹂
と高畠さんの絵本を開いて読み
起きていたのではないでしょうか。
子どもだけのもの?
かもしれません。けれど、誰の中
始めた途端に空気がガラッと変
それを言葉で表現するのは難し
いっき
つど
さ ん の 世 界 に 触 れ て、大 人 と 子
た ぐ
にもずっと子どもの自分は変わ
わ り ま し た。子 ど も た ち は 絵 本
い け れ ど、大 人 と 子 ど も と 作 家
ていねい
らずにいるのではないでしょう
の 世 界 に 一 気 に 引 き 込 ま れ、そ
さんがともに集う場の可能性を
よ
か。それが大人になると、子ども
れにつられるように大人たちの
思いました。
かいさい
こうふん
ろ、
﹁一 緒 に 楽 し い こ と を や り ま
哲さんに相談にうかがったとこ
ヘ ン ハ ウ ス﹂の 店 主 で あ る 三 輪
い。だ け ど そ ん な 子 ど も の 姿 か
思う絵本は違っていることが多
と子どもたちが心から楽しいと
﹁大人が子どもに読ませたい本
[高畠さん]ページのめくりは大事にしてい
。
…
に そ の ひ と と き を 楽 し み ま し た。 さ て さ て、
﹁港 ま ち 子 ど も の 本
ゆる
はしわた
の自分を無意識に隠してしまう
表情も緩み、大人も子どもも一緒
の じ か ん﹂、こ れ か ら ど ん な 風 に
なご
場面も多くなって忘れてしまっ
開催前に﹁絵本の力﹂と三輪さん
広がっていくのでしょう
とたん
ているのでは …
。大 人 に と っ て
はそんな子どもの自分を見つけ
が何気なくおっしゃっていたそ
かく
る ひ と つ の き っ か け に な り、子
の大きなパワーを目の当たりに
む い しき
どもにとっては楽しい空想に浸
し て、お ど ろ き と 感 動 と 興 奮 が
ひた
れ る、そ ん な﹁絵 本﹂を み ん な で
心に広がりました。
し ょ う!﹂と い う お 言 葉 を い た
ら大人は学ぶことがある﹂と三輪
ともに楽しむ場を目指して
だ き、協 力 し て い た だ け る こ と
さ ん は お っ し ゃ い ま す。今 回 の
﹁港まち子どもの本のじかん﹂終了後の
ますよ。絵がもつメッセージって絶対にある。
自分が読まずに誰かに読んでもらって絵を
見 て い た 方 が ぐ っ と 入 っ て き て 、ず っ と
そ の 自 然 体 が い い ね。今 日 は 絵 本 の お も し
い ま し た 。 最 初 の﹁ し り と り ﹂で の 動 物 出
ワ ー ク シ ョ ッ プ も 盛 り 上 が り ま し た ね。
―
子どもたちがとても満足そうな顔をして
心に残るんだよね。
ろさ、楽しさをみんなが感じて帰れたらいい
しもおもしろかったです。
らいで丁度よかった。それから、今回のチラ
たね。人数も目が行き届いて、集中できるく
[高畠さん]みなさんノリがいい方が多かっ
た の は よ か っ た ね。お 母 さ ん が 楽 し そ う に
像 力 が 高 ま り や す く な る。今 回 親 子 で 作 っ
名 前 を 出 す こ と で 頭 が 柔 ら か く な っ て、想
[高畠さん]最初にみんなでたくさん動物の
うれ
シはきれいに作ってあるね。デザインがいい
作 っ て い る 姿 を 見 る と 子どもも嬉しかった
て 嬉 し か っ た な。育 児 に は 父 親 の 参 加 が 必
いくじ
今 回 、絵 本 を 開 い た と た ん に 子 ど も 達 が
―
ぐ っ と 変 わ る の を 間 近 に 見 て 、す ご い な と
要だと思う。男の人の方が単純だから、おも
たんじゅん
肌 で 感 じ ま し た 。高 畠 さ ん は 絵 本 を 作 ら れ
しろいと思ったらはまってくれるんだよね。
[三輪さん]それから今日はお父さんが多く
りするしね。
と会のイメージも伝わるし、ものすごく大事。
るね。参加者のみなさんの反応がよかった。
な と 思 っ て い た。そ れ が で き て い た 気 が す
ね。
おもしろい、
つまらないがはっきりしてる。
[三輪さん]どこへ行っても子どもは一緒だ
終わってみてどうでしたか?
―
お 二 人 に 、感 想 を う か が っ て み ま し た 。
ちが
となりました。
め て と な る 絵 本 の 専 門 店﹁メ ル
そ こ で、名 古 屋 に あ る 日 本 で 初
いう思いら、企画が始まりました。
くうそう
一緒に囲む楽しい会にしたいと
こころ
しゅさい
るときにどんな工夫をされてるんですか?
親 、大 人 、も っ と 言 え ば 男 性 が 変 わ る の が
こちらは高畠さんのサイン。イラスト付きの可愛いサイン
をしていただきました!
いっしょ
色画用紙で池や木々を作って仕上げで
やわ
第1部
第2部
会も企画をするのは大人の私た
﹁ 港 ま ち こ ど も の 本 の じ か ん ﹂で は 、子 ど も の 本 専 門 店﹁ メ ル ヘ ン ハ ウ ス ﹂の 三 輪 さ ん を パ ー ソ ナ リ テ ィ に 、作 家 さ ん を ゲ ス ト に お 迎 え し て 、
「港まち子どもの本のじかん」第1回目のゲスト・絵本作家の高畠純さん(左)と、パーソナリティの「メルヘンハウス」
毎 回 楽 し い プ ロ グ ラ ム を お 届 け し ま す 。 子 ど も も 大 人 も み ん な 一 緒 に 、本 を 囲 ん で 楽 し く 集 う ひ と と き で す 。 文 / 港 ま ち づ く り 協 議 会 事 務 局
ナルの「どうぶつえんづくり」に挑 戦しました。高畠
港まちづくり協 議 会 主 催 の
港まち文庫事業を紹介します。
三輪さん、高畠さん、素敵な時間をありがとうございました!
大事だよね。
絵本作家。1948 年名古屋市生まれ、愛知教育大
学美術科卒業。
『だれのじてんしゃ』
(フレーベル館)
で ボローニャ国 際 児 童 図 書 展グラフィック 賞、
『オー・スッパ』
(講談社)で日本絵本賞、
『ふたりの
ナマケモノ』
(講談社)で講談社出版 文化 賞絵 本
賞受賞。他に、
『ダレ・ダレ・ダレダ』
(講談社)、
『ひ
なたぼっこです』
(絵本館)、など多数。
かく
高畠 純(たかばたけ じゅん)
[高畠さん]工夫はないですが、ただアイディ
1944 年静岡県生まれ、南山大学経済学部経済学
科卒業。1970 年、子どもの本の勉強のため渡米。
1973 年、日本初となる子どもの本専門店「メルヘ
ンハウス」を名古屋でオープンさせる。絵本作家と
の親交も深い。
ア は 核 が 一 つ 出 て き た ら、そ れ を 散 ら さ な
い よ う に し て い る。例 え ば 今 日 読 ん だ﹁わ
ん わ ん わ ん わ ん﹂は 鳴 き 声 だ け の お も し ろ
さでいこうと思った。鳴き声と絵だけにして、
ス ト ー リ ー は 入 れ な い。ス ト ー リ ー が あ る
と 読 む 人 は 考 え て し ま う か ら ね。子 ど も は
絵 を 見 て 楽 し ん で く れ る け ど、大 人 は 文 字
ばかりを読んでしまう。
[三輪さん]ストーリーがページをめくるご
と に ど ん ど ん あ る と、空 白 が 少 な く な っ て
し ま う。ス ト ー リ ー っ て 日 常 に 近 い も の で
も あ る か ら、日 常 が 入 り 込 み す ぎ る と 空 間
が 小 さ く な っ て し ま う。空 間 や 空 白 は 非 日
常のもので、それは広い方がいい。
三輪 哲(みわ てつ)
しなん
● NPO法人みなと子育ているかねっと
じゅうじつ
第 2 部では、画用紙を使って親子でそれぞれにオリジ
2 長瀬賢俊さん・賢人くん
■
大胆なイラストが、見る人の心
も自由にしてくれる素敵な動
物園になりました。
「思ったよ
り難しかったけど、息子と楽し
んで作れてよかったです!」と
の声をいただきました。
子どもと大人が一緒にいる中で、子ども
たちのことをちゃんと見てくれている雰
囲気がありリラックスして参加できまし
た。1 部では、子どもたちが前の方でお
ふんいき
話を聞けていて、楽しんでいる雰囲気が
伝わってきました。ワークショップは見て
るだけのつもりで来たお父さんも一緒に
作りだして、親子みんなで楽しめました。
二人の楽しいおしゃべ
りタイム。高畠さんの
絵本の読み聞かせの
時間もありました。
動物が大好きな高畠さ
んの発案で、オリジナ
ルの「どうぶつえんづ
くり」を行いました。
企画から当日の運営までご協力いただいた「いるかねっと」スタッフ
と会員のお二人に、当日の感想をうかがいました。
第1部
第2部
参加者の
ようす
・開催日時:2012 年 2 月19日(日)
・会場:名古屋市立西築地小学校
・パーソナリティ:
三輪哲さん(メルヘンハウス店主)
・ゲスト:高畠純さん(絵本作家)
・プログラム
第 1 部 おはなしのじかん 第 2 部 親子ワークショップのじかん
祖父江実苗さん と 花香ちゃん
当日は受付をしていたので、会場に入っ
たときは子どもたちの笑い声でいっぱい
に。お兄ちゃんは家に帰ってからも何度
も声に出してダジャレ絵本を読みながら
ひび
笑っています。音の響きっておもしろい
し大事ですね。ワークショップは「ダメ」
なことが一つもない自由さがあって、好
きなように作れたのが楽しかったです。
1 髙羽宏和さん・里奈さん
■
ワイワイとたくさんの動物たち
がにぎやかで可愛らしい動物
園。親子 3 人楽しそうに作る
様子が印象的でした。
森田みどりさん と あおいちゃん
2
ぶらり港まち新 聞 9
1 0 ぶらり港まち新 聞
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