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2008年∼2009年の国際情勢 現状と展望 2008年 3月 財団法人 世界
2008年∼2009年の国際情勢 ─ 現状と展望 ─ 2008年 3月 財団法人 世界政経調査会 2008年∼2009年の国際情勢 Ⅰ.概 況 国際関係においては、依然として国際テロ事件の多発や大量破壊兵器拡散への懸念 が継続している。また、新たな問題として地球環境問題が浮上している。 そのような中、①イラク戦争を巡る米英と欧(仏、独)ロシア関係、②イランの核 開発とそれをめぐる米欧(英、独、仏)ロシア関係、③エネルギー問題をめぐる米欧 とロシア関係、中ロ関係、④中国、インドの台頭問題、⑤北朝鮮の核開発問題と 6 カ 国協議問題、⑥中・台関係、⑦地球環境問題をめぐる各国の動向等が引続き重要な関 心事項となっている。 ブッシュ政権は2001年9月の「同時多発テロ事件(9・11 テロ事件)」以降、 「テロとの戦い」 「大量破壊兵器の不拡散」を根幹に内外政策を展開してきたが、2期 8年の任期もいよいよ1年を切った。ブッシュ大統領の2期8年はイラク問題への対 応に苦慮した8年と言っても過言ではない。2008年は「大統領選挙年」 (11月 4 日)となる。現職正副大統領が出馬しない選挙が80年振りとあって大統領選挙戦も 前倒しの形で激しさを増し、選挙戦は民主党大統領候補に注目の目が向く。しかし、 次第にサブプライムローン、ガソリン・原油価格高騰、株価不安定など、経済問題の 行方に対する不透明感が強くなってきている。大統領選挙年はとかく争点が「内向き」 となるのが特徴だが、中東和平、イラク、イラン、北朝鮮、地球環境問題についての 論議や動き、対応も活発化する傾向にある。 欧州主要国では、この数年、各国リーダーの交代期にあたり、ドイツ、フランス、 英国で長期間続いたリーダーが交代している。今後、新しいリーダーたちによって、 新しい政治関係図が欧州に描かれることになる。また、欧州連合(EU)は2008 年末にもEU大統領が決まる。2009年より新基本条約体制になり、EUはさらに 存在感を増すだろう。 一方、主要国の動向をみると、ドイツでは2005年11月にキリスト教民主同盟 のメルケルが首相に就任し、バランスのとれた外交感覚、手堅い国内政策能力を発揮 して安定した政権を維持している。英国では2007年6月、ブレア首相の退任を受 けて、ゴードン・ブラウン蔵相が首相に就任した。新政権は内外政策ともに前政権の 方針を維持している。ただイラク戦争を機に労働党の支持率がここ数年低迷しており ブラウン政権の安定感は決して高くない。フランスは2007年5月、シラク大統領 の任期満了にともなう大統領選挙が実施され国民運動連合のサルコジ候補が当選した。 サルコジ大統領の対外姿勢は典型的な親米路線で、イラク戦争をめぐってブッシュ大 統領とシラク大統領が対立していたことから、ブッシュ大統領との関係修復に積極的 に動いている。 1 ロシアでは、2008年3月に大統領選挙が実施され、プーチン大統領が後継者に 指名したメドベージェフ副首相が圧勝した。プーチン大統領は退任後も首相就任の意 向を示しているため、5月には「メドベージェフ大統領─プーチン首相」体制が発足 する見通しである。新政権下でもプーチン大統領が引き続き影響力を保持するとみら れることから、内外政策上の極端な変化は予想されていない。日ロ関係では経済関係 が引き続き進展すると見られるが、北方領土問題ではメドベージェフ政権が発足した からといって急激な進展が望める環境にはない。 中国共産党は2007年10月、第17回党大会を北京で開催し、新たな政治局常 務委員に習近平、李克強、賀国強、周永康の4人を選出し、胡錦濤・温家宝政権の2 期目がスタートした。また、第11期全人代第1回会議が2008年3月、北京で開 かれ、温家宝総理は政府活動報告で、景気過熱やインフレの抑制を強調した。胡錦濤・ 温家宝政権は、同年8月の北京五輪までは、台湾問題を含め、国内の安定を重視する 姿勢を貫くとみられており、過激分子、新疆ウイグル・チベットをはじめとする独立 分子や労働者の陳情などへの監視を強化している。 米中関係は、政治・経済・軍事など各分野における交流が活発に行われ、概ね良好 といえるが、米国大統領選挙のある今年は、①経済②軍事③外交など、中国問題がホ ットな問題になる可能性が高い。中ロ関係は、メドベージェフがロシアの第 3 代大統 領に就任するが、首脳交流、北朝鮮・イランの核問題、台湾問題、安保理改革などで 「戦略的協力関係」は維持されよう。日中関係は今年、日中平和友好条約締結 30 周年 に当たり、胡錦濤国家主席の訪日が予定されている。 今年3月の台湾総統選挙では、国民党候補の馬英九が民進党候補の謝長廷をリード している。 北朝鮮の核問題は、北朝鮮が6カ国協議で合意した「初期段階措置」を履行し、そ の見返り措置として対北重油の輸送が開始されるなど、一時は好転の兆しを見せた。 しかし米・朝は、第2段階措置の「核申告」問題で対立し、核施設の「無能力化」に ついても期限内の履行は実現せず、6カ国協議は中断状態にある。 南北では、第2回南北首脳会談開催以降、対北経済支援を中心とした各種南北会談 が開催された。しかし、韓国大統領選挙の結果、韓国に保守政権が誕生したため、ほ とんどの南北対話が中断したままとなっている。 北朝鮮は、米国との核外交を展開する一方、中・ロ以外との外交にも積極的な姿勢 を見せた。しかし度重なる自然災害による食糧難や外貨不足などから、中国・韓国へ の経済依存傾向が続いている。 韓国では、第17代大統領選挙で保守系ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候 補が経済面の実績を強調して圧勝し、10年ぶりに保守政権が誕生した。新大統領は 対米、対日関係を重視し、北朝鮮の核問題についても日・米との連携を強化する意向 である。 2 東南アジア諸国連合(ASEAN)は 2007 年創設 40 周年を迎えた。11 月の首脳会議 で、2015 年の「ASEAN共同体」構築に向け、「ASEAN憲章」に調印した。2008 年は、ASEAN統合を進めるべく、憲章の具体化を図る一年になりそうである。東ティ モールは、2008 年 2 月大統領と首相が反乱部隊に銃撃されるなど、安定への道のりは依 然厳しい。タイでは、2008 年 2 月サマック新内閣が成立、政治は 2006 年クーデター前の 振り出しに戻ったかたちだが、反タクシン派勢力も依然強く不安材料が残る。ミャンマー軍 政は 2008 年 2 月、新憲法承認のための国民投票を 5 月に行い、新憲法に基づく総選挙を 2010 年に実施すると具体的な日程を初めて明示した。関係国の動きを含め今後の動きが注目される。 一方、南西アジアでは、各国に不安定要因が表出している。パキスタンでは 2008 年 2 月に総 選挙は実施されたものの、今後ムシャラフ政権の安定が危惧される。このほか、スリランカでの和 平構築、ネパール、バングラデシュでの総選挙実施と安定した新政権の樹立が期待される。また、 インドでは2007年7月アブドゥル・カラーム大統領の任期満了にともなう大統領選挙が実施され、 与党のプラティバ・パティル女史が新大統領に就任した。南西アジアの中核にあるインドの今後の 動きが注目される。 2001 年 9 月 11 日の米本土大規模テロ攻撃に端を発したアフガニスタン軍事作戦は、 既に 6 年半、米国主導で開始されたイラク戦争は既に 5 年の歳月が経過した。しかし アフガニスタンのカルザイ現政権は、勢力を盛り返したタリバンとの交渉を模索せざ るを得ない状況に陥っている。イラクにおいては、2007 年 1 月以降の 3 万米軍増派に よりバクダット東部などの一部の地域での治安改善の動きが伝えられる。しかし 2007 年(2007/01 から 11/06)のイラクの米兵死者数は 854 人に達した。西側諸国は、こ の対テロ戦争に対する有効な手立てを確立できない状況が現在に至るもなお続いてい る。 Ⅱ.米 国 1.国内関係 ブッシュ共和党政権の2期8年の任期がいよいよ1年を切り、次の政権を担う第 44 代大統 領を選出する「大統領選挙年」となった。ブッシュ現政権の発足が 2001 年1月 20 日。同年9 月11日、ブッシュ政権はニューヨークの「世界貿易センター・ビル」とワシントンDCの「国防総 省」を狙った「同時多発テロ事件(9・11 テロ事件)」に遭遇した。米国本土が初めて攻撃を受 けた同テロ事件に対し、ブッシュ政権は「国土安全保障省(DHS)」を新設、内外政策の根幹 に「テロとの戦い」「大量破壊兵器の不拡散」を据え、「アフガニスタン戦争」や「イラク戦争」を 展開してきた。しかし、こうした内外政策が後にブッシュ政権の「間違った情報」に基づくもの であったことが次第に判明、国内外から大きな非難を浴びるとともに欧米各国との亀裂も伴い、 国内外を二極分化する結果となった。それに、2005年8月末のハリケーン「カトリーナ」に対 する初動態勢の遅れも加わり、政権2期目のブッシュ政権は「レームダック」の様相を鮮明に 3 している。 それが顕著に現われたのが、2006 年 11 月7日の「2006 年中間選挙」である。同中間選挙 ではイラク問題が大きな争点となり、ブッシュ大統領率いる共和党が上院、下院議会でも過 半数を割る惨敗。その後、大統領は共和党、議会は民主党という「ねじれ現象」から議会運 営の主導権も民主党に握られ、予算などを巡って議会との対立も相次ぐ結果となった。同中 間選挙で大敗したブッシュ政権は、中間選挙翌日にイラク戦争を主導してきた責任者、ドナ ルド・ラムズフェルド国防長官(当時)を更迭するなど、イラクに係わる人事を一新して難局を 乗り切ろうとした。しかし、イラク問題で対応に苦慮するブッシュ政権ではホワイトハウス・スタッ フ、閣僚等の政権離脱も相次ぎ、大統領の支持率低下に加え、イラク駐留米軍の撤退問題 やアフガニスタン、イラク戦費を巡る材料が民主党議会との審議駆け引きに用いられている。 その一方で、2008年1月3日のアイオワ州党員集会を皮切りに、11月4日の投票に向け た「2008年大統領選挙」は本格化。共和党はジョン・マケイン上院議員(71歳)でほぼ共和 党大統領候補が固まり、民主党大統領候補の指名争いは混迷しており、現在では民主党の 大統領候補が決定するのは「民主党全国大会」の頃ではないかとも言われ出している。「200 8年大統領選挙」は現職正副大統領候補が80年ぶりに出馬しない選挙戦ということや、イラ ク問題もあって選挙戦が前倒しの形となり、2007年の早い段階から選挙活動が展開されて きた。なかでも、民主党のヒラリー・クリントン上院議員(60歳)は初の女性大統領、バラク・オ バマ上院議員(46歳)は初の黒人大統領としての可能性を秘めており、民主党候補指名争 いに注目が集まっている。 例年であれば、大統領予備選挙・党員集会がスタートして3月の「スーパー・チューズデ ー」を迎えないと両党大統領候補が決まらないと言われてきた米国の大統領選挙戦。「2008 年大統領選挙」は2月5日の「メガ・チューズデー」(22 州で予備選挙・党員集会)でほぼ決ま ると予測されていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、混迷すると予想された共和党がマケイン 上院議員で早くから一本化が確定化し、逆に早めに決まると予想されていた民主党がヒラリ ー・クリントン上院議員とバラク・オバマ上院議員の混戦となり、ハワード・ディーン民主党全国 委員長も混戦が長引くと民主党内に亀裂を伴ったり、選挙体制の弱体化につながるのでは ないかとの懸念の声も聞かれるようになっている。2月5日のメガ・チューズデー以降、バラク・ オバマ上院議員が本命候補と言われたヒラリー・クリントン上院議員に9連勝し、州、代議員 数でもヒラリー・クリントン上院議員を上回る結果となって、まさに「オバマ現象」「オバマ旋風」 の大統領選挙戦となっている。 ヒラリー・クリントン上院議員とバラク・オバマ上院議員の選挙戦の混迷が何時まで続くかに よっては、民主党がチャンスを逃し、逆に共和党が民主党のそれを眺めて選挙体制や選挙 戦略を練れるという時間的ゆとりも考えられる。いずれにしても8月25∼28日にコロラド州デ ンバーで民主党が党全国大会、9月1∼4日にミネソタ州ツインズシティーズで共和党が党全 国大会をそれぞれ開催し、それまでは両党正副大統領候補が正式に決定する。と同時に、 そこで内外政策の基本となる「党綱領」も発表する。そして、9月1日の「レーバーデー」開け 以降、両党正副大統領候補による具体的、本格的な内外政策論争(TV討論会は大統領候 補が9月26日、10月7日、15日、副大統領候補が10月2日)が行なわれ、それを経て11月 4 4日に「2008年大統領選挙」投票日を迎える。この長丁場の選挙戦に勝利した大統領候補 は2009年1月20日に第44代大統領として就任する。 長丁場の大統領選挙、どんなどんでん返し、スキャンダルが待ち受け、選挙情勢が一転す るか余談を許さないのも事実。2007年からは「サブプライムローン(低所得者向け高金利住 宅ローン)」の焦げ付き問題が大きくなり、そのほかガソリン・原油価格の高騰、株価不安定、 移民、環境、イラク問題等を巡る国家二極分化問題など、懸念される材料が幾つか出ている。 大統領選挙年の2008年、当初はサブプライムローン問題に絡む経済の悪化も年前半は免 れられないが、年後半から米国経済は好転に向かうだろうと楽観視されていた。連邦準備制 度理事会(FRB)とともに金融政策に加えて緊急救済措置を相次いで発表し、対応してきた ブッシュ政権としてもリセッションには至らないと楽観視しているが、サブプライムローン問題 の国内金融、経済、国際経済への悪影響も見え隠れしており、米国経済の悪化は2008年 後半まで長引き、長期化するとの見方も定着し出している。となれば、当然、経済問題が大統 領選挙戦にも大きな影響を与えるものと判断される。 2.対外関係 ブッシュ現政権の残り任期が1年を切ったこと、2008年が「大統領選挙年」ということで考 えれば、外交的問題の取り上げも比較的限定的で、「内向き」になると予想される。だが、ブッ シュ政権が直面する外交課題は、北朝鮮、イラク、イラン、イスラエルとパレスチナ自治区の 「中東和平問題」であると同時に、地球温室効果ガス問題、地球環境問題も大きなテーマに なっている。2008年7月には日本・北海道で地球環境問題を大きなテーマにした「洞爺湖サ ミット(G8サミット)」が開催され、ブッシュ大統領の政権最後の日本訪問もある。環境問題で は中国、インドに対する役割も強く求める方針を示しており、中国への役割では北朝鮮の核 問題、6カ国協議での主導的役割にも期待している。北朝鮮の核開発問題では、6カ国協議 合意に基づく核廃棄に向けた2007年末までの「核申告書」提出の約束が守られなかったこ とで大きな進展は期待できないが、ブッシュ大統領が2008年1月28日に行なった政権最後 の「一般教書演説」で北朝鮮問題に言及しなかった点は何を意味し、また2月26日の「ニュ ーヨーク・フィルハーモニック」の平壌公演が今後の米朝関係、6カ国協議にどんな影響を与 えるか注目される。 2007年後半からイラクの治安情勢が改善し、駐留米軍兵士の死者数も減少傾向にあるこ とから、ブッシュ政権はイラク駐留米軍増派の成果と主張している。だが、イラク問題の先行き が不透明であると同時に、その半面でイランの核開発問題がクローズアップ、懸念されるよう になってきている。また、2007年11月26∼28日、ブッシュ大統領はイスラエルとパレスチナ の「中東和平国際会議」をワシントンDCとメリーランド州アナポリスで仲介、和平「合意目標を 2008年末まで」とし、2008年1月にはイスラエルとパレスチナ自治区を初めて訪問してその 意気込みを示している。しかし、イスラエルによるガザ地区攻撃が現在も続いており、その目 標達成への道のりは険しい。大統領選挙、ブット元首相暗殺、総選挙を経て政情混乱にある パキスタンに加え、アフガニスタン、東南アジア情勢も、米国にとっては「不安定の弧」地帯で あり、核、テロ、人権問題との絡みで目が離せない。 5 欧州ではブラウン英首相、サルコジ・フランス大統領、メルケル・ドイツ首相ら親米政権が誕 生、オーストラリアではラッド政権、韓国では李明博政権が誕生しており、ロシアでもプーチン 大統領に代わってドミトリー・メドベージェフ新大統領が就任する。ロシアとはミサイル防衛(M D)施設のチェコ、ポーランド配備問題を巡って対立しているが、9・11テロ事件当時の各国 首脳陣も大きく様変わりし、北朝鮮、中東、アフガニスタン問題に対する欧米諸国との新たな 国際秩序の展開も予想される。しかし、カストロ議長退任後のキューバ情勢に加え、ニカラグ ア、ボリビア、エクアドル、ベネズエラなどの中南米左派系国家元首の「反米」「反ブッシュ」 「反グローバリゼーション」の動きと、ブッシュ政権が推進するFTA(自由貿易協定)との兼ね 合いも気になる。更に、コソボ独立宣言に伴う在セルビア米国大使館の襲撃事件も発生、複 雑な国際情勢下での大統領選挙戦を通じた内外政策論争も活発化し、ブッシュ政権の残り 任期下での内外努力が問われる一年となりそうである。 Ⅲ.欧 州 ドイツでは2005年11月にキリスト教民主同盟(CDU)のメルケル首相が就任し た。当初は政治的な指導力が不安視されていたが、バランスのとれた外交感覚、手堅い国 内政策能力を発揮し、現在、欧州主要国のなかでは最も安定した政権を維持している。 しかし、社会民主党(SPD)との大連立政権は、今後2009年の総選挙が近づくに つれて、内部対立が激しくなるものと予想される。キリスト教民主同盟と社会民主党が選 挙に向けてそれぞれの党の独自色を打ち出してくるためだ。2008年、2009年は2 大政党の対決が注目される。 2大政党以外の政治勢力の動きも注目される。緑の党、自由民主党の中堅政党は大連立 政権の前に自らの存在感を示すことができなかった。しかし、大連立政権下、強力な野党 がない状態にあり、有権者の批判を受け止める存在はなかった。中堅政党としては、そう した隠れた政府に対する批判を自らへの支持に転化する好機でもある。環境問題、格差問 題などで次期選挙を意識した独自の主張を強めていくだろう。 なお、ドイツ国内で格差問題が深刻化するなか、左翼党の動向も注目される。 英国では、2007年6月、ブレア首相の退任を受けて、ゴードン・ブラウン蔵相が首 相に就任した。もともとブレアからブラウンへの禅譲は既定路線であり、新政権は内外政 策ともに前政権の方針を維持している。ブラウン首相は政策に明るく、特にその金融財政 政策に対する評価は内外で非常に高い。しかし、イラク戦争を機に労働党の支持率はこの 数年間低迷しており、また、長期間続いた英国の好景気が終わろうとしていることから、 ブラウン政権の安定度はけっして高くない。治安、格差問題など難問も山積している。 一方、若いキャメロン党首が率いる保守党に対する支持は上昇傾向を続けている。 2009年5月に予想される総選挙に向けて、2大政党の対決色が強まることが予想さ れる。 6 フランスでは、2007年5月、シラク大統領の任期満了にともなう大統領選挙が実施 され、国民運動連合のサルコジ氏が社会党のロワイヤル候補を破って当選した。サルコジ 大統領はシラク前大統領の後継者という位置づけであるが、路線の違いは大きい。典型的 なのが対米関係である。シラクはイラク戦争を行ったブッシュ政権に批判的な態度をとり 続け、米仏関係の冷却化を招いた。一方、サルコジ大統領は以前から親米派として知られ ている。大統領就任後、精力的にブッシュ政権との関係修復に動いた。 今後注目されるのは対ロシア政策である。シラクはプーチンのロシア、シュレーダーの ドイツとの関係を強化したが、サルコジ大統領はこの路線を踏襲していない。ただ、ロシ アの新大統領のスタンス如何では、仏独露関係が進展する可能性もある。 イタリアでは、2008年1月24日、内閣信任決議案が否決され、プローディ政権は 崩壊した。ナポリターノ大統領は2月6日、議会を解散した。総選挙は4月13、14日 に実施される予定である。現時点ではベルルスコーニ前首相率いる中道右派グループがベ ルトローニ・ローマ市長率いる中道左派グループを支持率で大きくリードしている。 欧州連合(EU)は2007年12月13日、ポルトガルのリスボンで新基本条約に調 印した。これにより欧州憲法批准についてフランスで否決されるなど停滞していたEU機 構改革が進展することになった。注目されるのは2008年末にも決定されるEU大統領 職の人事である。現在のところ、ブレア前英首相が本命視されている。しかし、英国は単 一通貨ユーロに参加していないことから、これに異議を唱える声も多い。年末に向けて人 事問題が焦点となる可能性もある。 Ⅳ.ロ シ ア 1.国内関係 2008年3月の大統領選挙では、プーチン大統領が後継者として指名したメド ベージェフ第一副首相が当選したが、プーチン氏が大統領退任後の首相就任の意向を 示していることから、5月には<メドベージェフ大統領―プーチン首相>体制が発足 する見通しとなっている。このため、次期政権下でもプーチン路線が原則的に継続さ れ、権力の垂直構造の強化、諸外国や野党の影響力排除、マスコミの統制といった強 権的手法が当面維持されると考えられている。こうした情勢下で新大統領がどの程度、 独自色を発揮できるのかに注目が集まっているが、強い影響力をもつ政権内強硬派シ ロビキ勢力には、政権内リベラル派を代表するメドベージェフ氏が大統領になること への不満があるとされ、両派の軋轢が表面化する局面も予想される。 エネルギー部門に牽引される形で好調に推移してきたロシア経済は、石油価格の高 値安定傾向のなかで、引き続き高い成長が約束されている。とはいえ、課題とされる 資源偏重型産業構造の変革は遅れており、ナノテクノロジーなど国際競争力あるハイ 7 テク工業部門の確立が急がれる。また、経済自由化を掲げるメドベージェフ氏が国家 主義的産業政策の見直しの動きをみせた場合に、経済路線をめぐる争いが激化する可 能性があるほか、エネルギー産出量の先細り傾向に加えて、インフレの高進、米サブ プライムローン破綻による世界的な株式不安などが、経済に否定的影響を及ぼす可能 性が指摘されている。 2.対外関係 外交分野でも、プーチン政権のもとで進められてきた政策が継続され、エネルギー と資金力を背景とする強気の姿勢が崩れることはないとみられる。米ミサイル防衛 (MD)の東欧への配備計画、ウクライナやグルジアの NATO 加盟方針、コソボ独立 問題など、欧米諸国と対立している問題でロシアが譲歩する可能性は低く、軍備増強 の誇示やエネルギー資源を利用した対決姿勢を明確に維持しつつ、実利優先の外交を 推進していくことになろう。 順調に推移している日ロの経済関係は引き続き進展するとみられる。北方領土問題 では、一部で日本が並行協議方式に復帰するとの見方が浮上、公式に表明されれば交 渉のテーブルに着く用意があるとロシア側は示唆している。とはいえ、プーチン政権 が第2次世界大戦の結果として4島がロシアの帰属になったとの立場をとってきたこ とから、メドベージェフ政権下での急激な進展が望める環境にはない。 Ⅴ.中 国 1.中国の内政姿勢 中国共産党の第17回党大会が2007年10月15日から21日まで北京で開催 された。胡錦濤総書記は初日の15日、第16期中央委員会を代表して政治報告を行 い、 「科学的発展観」の徹底を全面的に推進する必要性を強調した。最終日の21日に は、特別招請人を含む2235人の代表による無記名投票で、中央委員204名、同 候補委員167名からなる第17期中央委員会を選出、 「科学的発展観」に関する記述 を盛り込んだ党規約改正案に関する決議を採択した。翌22日には第17期1中総会 が開かれ、総書記に胡錦濤国家主席を再任、政治局常務委員9人、政治局委員25人 からなる中央指導部を選出した。同指導部選出では、既定方針の「若返り、定年制」 に基づき、曾慶紅、黄菊(死去)、呉官正、羅幹ら4人が引退、習近平、李克強、賀国 強、周永康の4人を補充し、9人体制を維持した。習近平が胡錦濤の後継者(党務)、 李克強が温家宝の後継者(総理)になると見る向きが多いが、今後の政治評価次第で は逆転する可能性もあるとみられる。 第11期全人代第1回会議が2008年3月5日から18日まで北京で開かれ、政 府活動報告、2008年予算案、国務院の機構改革や新期の国務院人事などが採択さ れた。温家宝総理は政府活動報告で、景気過熱やインフレを抑制するため、2008 8 年の経済成長目標を8%前後、消費者物価上昇率を前年実績と同様の4.8%前後に 設定した。特に食品安全の問題では、医薬品を含む約7700品目について、国内に おける安全基準の制定を目指すと表明した。米国サブプライムローン危機については 自国経済に対する影響は小さいとみている。台湾問題では、2008年3月の総統選 挙との同時実施が計画されている国連加盟の是非を問う住民投票の動きを強く牽制し た。2008年の国防予算は、前年比17.7%増の4099億4000万元(約5 77億ドル)で、20年連続2桁の伸びを維持している。米国防総省筋などは、計上 されない額を含めると、実質的には米国に次ぐ世界第2位の額に相当すると指摘して いる。 2007年の国内総生産(GDP)は前年比11.4%増の24兆6619億元(約 3473億ドル)、貿易総額は前年比23.5%増の2兆1738億ドル、対外貿易黒 字は前年比47.7%増の226億9000万ドルに上った。外貨準備高は2007 年12月末時点で前年同期比43.32%増の1兆5282億ドルに達している。穀 物生産量は前年比0.7%増の5億150万トンで、5年連続の増産となった。胡錦 濤・温家宝政権は「科学的発展観」に基づき、「調和のとれた社会」(和諧社会)の実 現を目指しているが、エネルギー不足、環境汚染、経済格差拡大、「三農」(農業・農 民・農村)問題、雇用・教育・医療問題、汚職・腐敗(過去5年間に20万9487 人を立件) 、人権・民主化問題など課題が山積している。 チベット自治区では2008年3月14日、ラサで僧侶や市民数百人による暴動が 発生し、犠牲者の数については中国側が新華社発表で10人、チベット亡命政府発表 では80人で、情報が錯綜しており、周辺の四川省などへも波及しつつある。 香港関連では、2007年12月に開催された第10期全人代常務委第31回会議 は、曾蔭権・香港特別行政区行政長官が提出した「政治体制改革の諮問状況と201 2年の行政長官・立法会議員の選出方法改定の必要性の有無に関する報告」を審議の 結果、否決した。しかし、行政長官の直接選挙に関しては2017年からの実施を認 めることを決定した。これに対して民主派は「問題の先送りだ」として反発、議員や 市民ら約2万2000人(主催者発表)が2008年1月、香港島中心部で民主化要 求デモを行い、あくまでも2012年の行政長官・立法会両選挙から全面的な直接選 挙を導入するよう訴えた。今後も民主派によるデモの活発化が予想される。 2.外交姿勢 対外関係では、国内の経済成長を最優先に、米国、ロシア、EUなど大国との関係 を安定させた上で、上海協力機構、ASEAN、印パなど周辺諸国との関係を強化・改善す る外交を展開している。ここ数年では特に、中央アジア・ロシア、中東、東南アジア、 アフリカ、南アメリカにおける全方位のエネルギー外交が活発化している。 米中関係は、議会、軍事、経済・貿易など各分野における交流が昨年も引き続き活 発に行われ、多方面にわたり協力関係が進化している。米中関係は概ね良好といえる が、米国大統領選挙のある今年は、①経済問題、②軍事問題、③外交問題など、中国 9 問題がホットな問題になる可能性が高い。経済面では、米国経済がサブプライム問題 関連で失速する中、①貿易不均衡②知的財産権③人民元レート④中国製品の質などの 問題で米国内で不満が高まっている。軍事面では、中国による昨年 1 月の衛星破壊実 験、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実戦配備など、台湾有事の防衛範囲を超越する軍 備増強が懸念されている。外交問題では、北朝鮮の核・反テロなどで、米中協力が進 んでいるものの、他方、スーダン、イランなど人権状況が懸念される国々とのエネル ギー協力関係が問題視されている。 中ロ関係は、メドベージェフ氏が今年 5 月、ロシアの第 3 代大統領に就任する。プ ーチン体制が継続されることから、定期的な首脳交流をはじめ、北朝鮮・イランの核 問題、台湾問題、安保理改革などで「戦略的協力関係」は維持されよう。軍事協力も 緊密である。中国は、ロシア製の戦闘機、ミサイル、駆逐艦、潜水艦などのハイテク 兵器購入に加え、装備の自主開発を進め、海・空軍力の近代化を推進している。中ロ および中央アジア4カ国で構成される上海協力機構は、反テロ軍事演習・エネルギー 分野で、協力関係が強化され、同時に米国けん制の動きが強まっている。 中朝関係は、2006 年 10 月、北朝鮮が核実験を実施した後、中国は国際舞台を利用 して、北朝鮮の核実験に圧力をかけるとともに、6 カ国協議の枠内で核問題を解決す ることを主張、6 カ国協議は、これまでに①「第 4 回 6 者会談の共同声明」 (2005.9.19) ②「共同声明の実施のための初期段階の措置」(2007.2.13)③「共同声明実施のための 第 2 段階の措置」(2007.10.3)の 3 文書を採択し、一定の成果を示した。しかし、北朝 鮮がすべての核計画の申告に応じないため、中国側の調整が難航している。 日中関係は、一昨年10月の安倍首相の「氷を割る旅」で「戦略的互恵関係」構築 で一致、昨年 4 月の温家宝総理の「氷を溶かす旅」では、日中「戦略的互恵関係」の 具体的取組みとして、①「対話と交流の強化・相互理解の増進」 (首脳交流、日中ハイ レベル経済対話、防衛交流など)②「互恵協力の強化」(環境・エネルギー協力など) ③「地域・国際社会における協力」 (安保理改革、6 者協議、東シナ海のガス田開発な ど)など 3 つの枠組みが示された。また、温家宝総理は訪日時の「国会演説」におい て歴史認識問題で日本の謝罪を積極評価、 「未来志向」による関係改善を強調した。 福田首相の昨年 12 月の訪中は、「春が来た」などと歓迎され、①日中両首相による 記者会見、②胡錦濤国家主席主宰の夕食会、③福田首相の北京大学での講演が、中国 全土にテレビ中継されるなど、異例づくしの厚遇を受けた。しかし、最大の焦点であ った東シナ海のガス田共同開発問題は未解決のまま先送りされ、今年の胡錦濤訪日ま での合意が新たな目標となった。台湾問題では、陳水扁台湾総統が目指す「台湾名義 での国連加盟」を問う住民投票をめぐり、中国が日本に対し、米国と同じように「反 対」を表明するよう要求、結局、福田首相は「不支持」を表明するに止まった。日中 間にはこれまで、常に①歴史②台湾③領土の3つの問題が存在してきた。最近の動き としては、特に「台湾」「領土」(尖閣諸島問題など)における摩擦が目立つようにな っている。日中関係は今春にも、日中平和友好条約締結 30 周年に当たり、胡錦濤国家 主席の訪日が予定されており、 「戦略的互恵関係」を確認する「第 4 の文書」作成につ 10 いて事務当局間で折衝が継続している。 3.台湾・両岸関係 台湾関係は今年 1 月立法院選挙があり、国民党は定数(113 議席)の 3 分の2を上 回る 81 議席を獲得して、総統罷免権を得た。また、(親民党などを含め)野党陣営と しては定数の 4 分の3を上回る 86 議席となり、憲法改正も可能となった。与党・民進 党は 27 議席と惨敗した。今年 3 月22日に実施される台湾総統選挙の情勢は、国民党 候補の馬英九・蕭万長ペアが民進党候補の謝長廷・蘇貞昌ペアを一貫してリードして いる。しかしまだ、①李登輝やノーベル化学賞受賞者の李遠哲・前中央研究院院長及 び無党派の謝長廷に対する幅広い支持、②勝ちすぎた国民党への警戒感などから逆転 勝利の可能性があるとする見方もある。大陸側の態度としては、昨年 10 月の第 17 回 党大会における胡錦濤の政治報告、今年 3 月の温家宝の政府活動報告は、いずれも台 湾問題に対する表現がソフトであった。他方、政治報告・政府活動報告には入れられ なかったものの、胡錦濤国家主席は訪中した外国賓客に対して、「昨年から今年まで、 台湾海峡は高度な危険期においている」と述べている。 Ⅵ.朝 鮮 半 島 1.北朝鮮核問題の現状 2007年2月、第5回6カ国協議第3ラウンドで定められた①北朝鮮の寧辺(ヨ ンビョン)実験原子炉関連施設の封印と②国際原子力機関(以下、IAEA)の査察受け 入れという「初期段階措置」は、香港バンコ・デルタ・アジア内の北朝鮮口座移管処 理の不調により、履行が大幅に遅れた。 しかし2007年6月になって、米国はロシアの協力を得て同資金の移管手続きを 開始し、日本を訪問中のヒル国務次官補を平壌に派遣して北朝鮮側と懸案事項を協議 させた。北朝鮮はこれにあわせて、核施設査察員受け入れを IAEA に通告した上、ヒ ル国務次官補の訪朝終了後に同資金の移管を確認したと発表するなど迅速に対応した。 この結果、7月に IAEA は核関連施設5か所の稼働停止を確認、一部の封印作業開始 を発表した。 これを受けて関係各国は、初期段階措置履行の見返りとして対北重油5万トンの輸 送を開始し、2007年9月に開催された第6回6カ国協議第2ラウンドで、第2段 階措置として「核施設の無能力化」、「核申告」を年末までに履行することで合意し、 米国の対北朝鮮テロ支援国の指定解除と、 「敵国貿易法」の実施中止の可能性について も言及した。 米国は、核関連施設に対する「初期段階措置」履行に伴い、北朝鮮の駐国連常任代 表部関係者の米国内移動の認可、テコンドー選手団や朝鮮赤十字病院関係者の米国入 国許可などの措置をとった。北朝鮮も、ヒル国務次官補を始めとする現職の外務官僚 や、駐韓大使歴任者、学者などの訪朝を受け入れて核関連施設の「無能力化」過程を 11 公開する一方、ニューヨーク・フィル・ハーモニックの平壌公演を誘致するなど、一 定の対米融和姿勢を示した。 また米国は、日本の主張する「拉致問題」解決をテロ支援国の指定解除の条件にし ないことを明言する一方で、第2段階措置履行の期限内実施を促すため、12月にヒ ル国務次官補を再び平壌に送り、ブッシュ大統領の金正日(キム・ジョイル)国防委 員長宛の親書を伝達した。 一方、北朝鮮は2008年1月の外務省談話を通じ、2007年11月に核申告書 を作成して米国に通報したと発表した。しかし米国は北朝鮮の主張を「核申告」とは 認めないとの認識を示し、米・朝間の対立が明らかとなった。北朝鮮は重油輸送遅延 を理由に寧辺実験原子炉関連施設の「無能力化」を遅らせている他、 「核申告」では米 国が強く要求している高濃縮ウラニウム(HEU)計画とシリアへの核技術移転問題への 言及を拒否し、これがネックとなって6カ国協議は事実上ストップしたままとなって いる。 2.北朝鮮動向 金正日政権は、健康問題、後継者問題を抱えつつも今のところ表だった不安な動き にまでは至っていない。 人事面では、金正角(キム・ジョンガク) ・前人民武力部副部長の朝鮮人民軍総政治 局第1副局長就任、一時左遷説が浮上していた金正日(キム・ジョンイル)国防委員 長の妹婿にあたる張成澤(チャン・ソンテク) ・朝鮮労働党中央委員会第1副部長の同 部長への昇格、金養建(キム・ヤンゴン) ・前国防委員会参事の朝鮮労働党中央委員会 統一戦線部長への就任がそれぞれ確認された。 2007年8月中旬、北朝鮮全域に降った集中豪雨は甚大な被害をもたらした。北 朝鮮は、国連機関を始めとする国際社会に被害状況を迅速に通報し、国連関係者らの 一部被害地域への視察も許容した。公式報道では死亡・行方不明者は600人を超え、 田畑の水没や主要炭鉱の浸水など経済的に大きな被害を受けた。このため北朝鮮は、 平壌で開催中だったアリラン公演を一時中断するとともに、当初8月23日からの開 催で韓国側と合意していた南北首脳会談(於平壌)も10月初めへの延期を要請した。 2008年に入ってから、北朝鮮公式メディアは国家創建記念60周年(9月9日) を盛大に祝賀するための経済扇動を行っている。しかし度重なる自然災害による食糧 難や外貨不足などから、経済環境が改善されているとは言い難く、中国・韓国への経 済依存傾向が続いている。 一方北朝鮮は、米国と核外交を展開する一方で、ベトナム共産党総書記の訪朝(2 007年10月) 、金英一(キム・ヨンイル)総理の東南アジア4カ国歴訪(2007 年10∼11月)など、中・ロ以外の国家との外交にも積極的な姿勢を見せた。 3.南北関係 南北関係は、核問題の進展を受けて特に2007年下半期から活発化した。 12 韓国大統領選挙を2カ月後に控えた10月、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領 が、第2回南北首脳会談参加のため南北軍事境界線を越えて北朝鮮を訪問し、金正日・ 国防委員会委員長と会談した。 その結果南北双方は、経済協力強化と軍事的敵対関係終息を骨子とする南北共同宣 言を発表し、それ以降南北総理会談、国防長官会談を始めとする各種南北会談が開催 され、韓国の対北経済支援の動きも活発化した。 しかし12月の韓国大統領選挙で、核問題解決を対北経済協力の前提条件にする保 守系ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補が大統領に当選したことから、一部 の会談を除き多くの南北対話は中断状態になった。 また李明博当選者の政権引き受け委員会は、前政権下で南北関係推進の役割を担っ てきた統一部の解消を発表し、最終的には存続となったものの、その規模と役割の縮 小は避けられない見通しとなっている。 一方北朝鮮は、国内の公式メディアを通じては李明博大統領候補の当選と就任につ いて言及しないかわり、表だった批判も避けており、現在のところ新大統領の対北政 策の方向を注視している状況となっている。 4.韓国動向 2007年12月に行われた第17代韓国大統領選挙は、経済面の実績を強調して 「経済再生」を訴えた野党ハンナラ党の李明博候補が、南北融和の実績を訴えた与党 の統合民主党候補を大差で破って10年ぶりに保守政権が誕生した。 しかし、国会で過半数を占める与党統合民主党は、2008年4月の総選挙に勝利 することで李明博新政権への牽制が可能になるとの計算から、新政権には厳しい姿勢 で臨んでいる。 当初、李明博当選者の政権引き継ぎ委員会は、統一部や女性部などの統廃合を骨子 とした現内閣18省の13省への縮小構想を発表したが、統合民主党の反対により、 公務員の削減を除いてその中身は大幅な変更を迫られた。また2008年2月の就任 式前後に発覚した指名閣僚候補の不動産スキャンダルで、現在までに3人の候補が就 任を辞退する騒ぎになっている。 李明博大統領は、対米、対日関係の強化を外交政策の柱にすえた上で、中国・ロシ アとの均等な協力関係を目指すとしており、北朝鮮の核問題についても日・米との連 携を強化する意向で、前政権の外交政策とは一線を画している。 Ⅶ.東 南 ア ジ ア 1.ASEAN (1)ASEAN統合の行方 創設 40 周年を迎えた東南アジア諸国連合(ASEAN)は 2007 年 11 月、シンガ ポールで開いた首脳会議で、2015 年の「ASEAN共同体」構築に向け、機構の法的 13 基盤となる「ASEAN憲章」に調印した。2008 年は、ASEAN統合を進めるべく、 憲章の具体化を図る一年になりそうである。まず、憲章発効に全ての加盟国の批准が 必要とされていることから、12 月に開催予定の次回首脳会議までに各国が批准を終え ることができるかどうかが最初の関門となる。その際、ミャンマー民主化問題が一部 加盟国で批准の障害となる可能性が懸念されている。そのほかにも、創設が決まって いる「人権機構」の形態や権限等の決定など、取り組むべき課題は多い。 (2)東アジア地域協力をめぐる動向 2007 年 11 月にシンガポールで開かれた第 3 回東アジア・サミットは、初めて気候 変動問題を主要議題として取り上げ、地球温暖化対策に関する宣言を採択するなどし たが、同サミットは 16 カ国が参加する枠組みとしての存在価値を十分に示していると は言えない状況にある。一方で、同時に開かれた「ASEANプラス 3」首脳会議は、 今後 10 年間の方向性を打ち出した「東アジア協力に関する第 2 共同声明」を採択し、 13 カ国による協力を着実に進めつつあり、改めて東アジア・サミットの意義や成果が 問われ始めている。 2.主要各国にとっての課題、注目点 東ティモールでは 2006 年 5 月、待遇差別撤廃を求めた西部出身兵士への除隊処分 が、軍同士、警察を巻き込んだ武力衝突、東西住民の抗争に発展し、15 万人以上の国 内避難民が発生した。オーストラリア軍主体の国際部隊と、国連東ティモール統合派 遣団(UNMIT)のPKOが治安維持にあたる中、2007 年 4 月の第 1 回投票と 5 月の決選投票を経て、ノーベル平和賞受賞者ラモスホルタ前首相が新大統領に就任し た。6 月の国会選挙では、独立の英雄グスマン前大統領率いる 4 党連合が過半数を確 保し、グスマン新首相が就任。2002 年の独立から政権の座にあった第 1 党フレテリン は下野した。しかしその後も逃走中の反乱部隊との和解や避難民帰還が進展しない中、 2008 年 2 月には大統領と首相が反乱部隊に銃撃され、大統領が重傷を負い豪州に移送 される事件が発生した。政府は非常事態宣言を発令、国連もUNMITの任期を 1 年 延長したが、安定への道のりは依然厳しい。 タイでは、2006 年 9 月クーデターでタクシン首相(当時)を放逐した暫定政権のス ラユット首相が 2007 年 4 月来日、「日タイ経済パートナシップ協定」が調印された。 5 月憲法裁判所はタクシン元首相が党首を務めていたタイ愛国党に解党判決を下し、 同党幹部約 100 人の公職追放が確定した。7 月には政策への不安から低迷する経済を 逆手にとって“タイ買い”を煽る業界筋の動きなどで通貨バーツが急上昇、1997 年ア ジア通貨危機以来の高値を更新するなど不安定な状況が続いた。8 月暫定政府は新党 設立禁止を解除、同月 19 日新憲法草案承認国民投票が実施され、10 月 11 日新憲法が 公布された。しかし新憲法に基づき穏便な民生移管を期して 12 月 23 日実施された下 院総選挙では、タクシン支持派・公職追放中の旧タイ愛国党幹部の身代わり候補らか ら成るパランプラチャチョン(人民の力)党が圧勝。サマック・スンダラウェート党 14 首が 2008 年 1 月第 25 代首相に就任した。民意はクーデター政権を否定、政治は振り 出しに戻ったかたちとなった。こうしたなか 2008 年 2 月末タクシン元首相が突然帰 国。反タクシン派勢力も依然強く同首相および支持勢力の動向をめぐる混乱が危惧さ れる。一方、これまで政局混乱時に調停の役目を果たし、タイ国家統一の要とされた プミポン国王(80 歳)が 2007 年 10 月入院。同時期入院した王姉(84 歳)は 2008 年 1 月死去した。国王は早期に退院はしたものの公務は皇太子が代行している。国王 の健康状態もまた 2008 年のタイ政局に不安を予測させる要素である。 ミャンマー軍政は 2007 年 9 月 3 日、制憲国民会議を 1993 年の設置から 14 年半を経て 閉会した。これにより、軍政が 2003 年に提示した「民政移管に向けた 7 段階のロードマップ」 の第 2 段階までが終了し、次のステップである③新憲法草案起草、④新憲法採択のための 国民投票、⑤新憲法下での総選挙−の早期実施が期待された。しかし、その矢先の 9 月末、 燃料価格引き上げ反対に始まった元学生運動指導者らによるデモが、これに同調する僧侶 のデモに波及、さらに、一部市民も合流し、スー・チー女史解放などを求める大規模な民主 化要求デモに発展した。これに対し、軍政は武力を行使し、デモを鎮圧した。徹底的な弾圧 による事態沈静化への自信と国際社会の批判への配慮からか、軍政はガンバリ国連事務総 長特別顧問を受け入れ、スー・チー女史との対話を再開して事態の好転が期待されたが、そ の兆しは未だ見られない。こうした中、軍政は 2008 年 2 月 9 日、新憲法承認のための国民 投票を 5 月に行い、新憲法に基づく総選挙を 2010 年に実施すると発表した。具体的な日程 が初めて明示され、民政移管に向け動き出したかにみえるが、憲法草案の内容、国民投票 や総選挙が実際に行われるかどうかは不透明で、今後の動きに注目する必要がある。 一方、対外的には、軍政を支援する中国、インド、ロシアとの関係を強化、特に中国とはミ ャンマー横断石油ガスパイプライン建設構想やミャンマー沖合いでの天然ガス田探査などで の協力が進展している模様。ただし、軍政は、潜在的・伝統的な反中国、反インド感情から、 過度の一国依存には慎重でもあり、中国との関係を重視しながらも、ロシア、インドとの関係を 強調することで、外交のバランスを計っているとの見方もあり、今後の関係国の動きに注目す る必要がある。 フィリピンでは 2007 年 5 月に中間選挙が行われ、大統領弾劾や改憲でカギを握る 下院は与党が圧勝したが、上院は非改選議席と合わせて野党優勢となり、政権の安定 性に不安を残した。アロヨ大統領に対しては 2004 年大統領選の不正疑惑に加え、政 府が中国企業と契約を結んだブロードバンド事業で、大統領の夫が入札で便宜を図っ た疑惑も新たに浮上した。11 月には、2003 年ホテル占拠事件の首謀者で、獄中から 上院議員に当選したトリリャネス元大尉と、2006 年にクーデターを計画した容疑が持 たれているリム准将が裁判所から脱走してホテルを占拠。治安部隊の強行突入で無事 解決したが、フィリピンの不安定さを国内外にあらためて印象付けた。2008 年 2 月に は与党を率いるデベネシア下院議長が大統領との関係悪化が原因で解任された。治安 面ではイスラム過激派アブサヤフの掃討作戦で一定の成果がみられるが、モロ・イス 15 ラム解放戦線との交渉は一進一退を続けており、共産勢力との和平の兆しはみられな い。 ベトナムでは第 12 期国会議員選挙が 2007 年 5 月に行われ、選挙後の新国会で第 2 次グエン・タン・ズン内閣が発足。副首相に若手のホアン・チュン・ハイ工業相(1959 年生)、 グエン・ティエン・ニャン教育訓練相(1953 年生)が抜擢されたが、両者は次世代の指導部の 中核をなすとみられている。 同選挙では、今後のベトナムの政治面での民主化の動向を占うものとして非党員や党の 推薦を得ない自薦立候補者の当否が注目されたが、立候補者は前回より増えたものの、当 選者は前回を下回り、一党独裁下での民主化の難しさを示した。 その一方で、中国の南シ ナ海での動きを批判する反中国デモや社会主義化により没収された教会財産の返還を求め るカトリック教徒のデモが発生するなど一部市民の政治意識の覚醒の動きも見られ、社会的 な影響や今後の当局の対応が注目される。 対外関係では、南シナ海の領有権問題を抱える中国との関係で、ベトナムは経済的な実 利を優先した現実的な対応をしつつも、南沙諸島などを管轄する三沙市の設置など中国の 挑発的な動きに対し、懸念を表明、自制を求めるなど強気の姿勢を示す一面もあり、南シナ 海をめぐる今後の中越関係には特に注目する必要がある。 マレーシアでは、2008 年 3 月 8 日に行われた下院(定数 222)総選挙で、アブドラ首 相率いる与党連合「国民戦線(BN)」が 140 議席を得て過半数を確保したものの、解散 前の 199 議席から大幅に減らし、目標としていた安定多数(3 分の 2 以上)の維持にも失 敗した。一方、アンワル元副首相を中心とする野党陣営は計 82 議席を獲得し、解散前(20 議席)の 4 倍増と大きく躍進。同時に実施されたサラワク州を除く 12 州の州議会選挙で も、首相の出身地であるペナン州を含む 5 州で勝利した。このような与党の予想外の「後 退」で、今後の政局には不透明感が出て来ている。アブドラ首相は選挙後、与党から支持 を受けて再任され、当面は退陣論を封じ込めた形となったが、今秋には首相が党首を務め る与党第 1 党「統一マレー国民組織(UMNO) 」の役員選挙が予定されており、その際 に改めて党内から首相の責任を問う声が上がるのかどうかが注目される。他方、野党側は、 政権を担当することになった州でマレー人優遇(ブミプトラ)政策の見直しを進める方針 を示しており、中央と地方の間の軋轢や民族間の緊張が生じる恐れもある。なお、野党間 選挙協力で政治手腕を見せたアンワル氏は、補欠選挙出馬を通じて国政復帰を目指す構え である。 インドネシアでは 2009 年に大統領選・総選挙が予定されている。原油高に伴う物 価上昇、相次ぐ自然災害などで就任当初に比べ低下したとはいえ、ユドヨノ大統領の 次期大統領候補としての人気は依然高い。ただ自身の政党基盤が弱いため、これまで 最大政党ゴルカル党首として連立政権を支えてきたカラ副大統領や同党幹部の動きが 注目される。スハルト元大統領が 2008 年 1 月に死去したことをきっかけに再評価の 16 議論も活発化しており、次回選挙でも一つの争点になるとみられる。2002∼2005 年 に毎年発生したイスラム過激派ジェマー・イスラミア(Jemaah Islamiyah=JI)に よる大規模爆弾テロは 2006 年以降発生しておらず、2007 年にはJIの最重要幹部を 相次いで逮捕するなど大きな成果がみられた。しかし 2002 年のバリ事件の実行犯の 死刑が執行された場合、報復テロが起きる可能性も指摘されており、引き続き警戒を 要する。外交面では、中国資本のインドネシア進出、日本向けの天然ガス輸出など、 主要国とのエネルギー外交が注目される。 Ⅷ.南 西 ア ジ ア 1. SAARC首脳会議 第 14 回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議が 2007 年 4 月 3∼4 日、イ ンド・ニューデリーで開催された。アフガニスタン、バングラデシュ(チーフ・アド バイザー)、ブータン、インド、モルジブ、ネパール(首相)、パキスタン、スリラン カが参加。第 14 回SAARC首脳会議宣言を採択して、アフガニスタンの新規加盟、 「南アジア共同体」の形成、SAARC開発基金の早期運用開始、貧困対策、テロリ ズムへの共同対処などが謳われた。なお、同会議では日本や韓国などとともに中国も オブザーバーの地位にあるが、ネパール、ブータン、インド、パキスタンのSAAR C4 ヵ国と国境を接する中国については、加盟に前向きな意見も示された。南アジア・ ビジネスフォーラムの制度化など同会議に対し具体的な政策を持つ中国に比べ、日本 の対応は資金の供出が中心で具体性に乏しいとも見られている。 2. 主要諸国にとっての課題、注目点 インドでは、2007 年 7 月 19 日アブドゥル・カラーム大統領の任期満了に伴い実施 された大統領選挙で与党が推すプラティバ・パティル女史が当選、25 日新大統領に就 任した。 8 月 21∼23 日安倍総理が公賓として訪印。連邦議会で『二つの海の交わり』と題し 演説。両政府による環境保護及びエネルギー安全保障における協力の強化に関する共 同声明、新次元における日印戦略的グローバル・パートナーシップのロードマップに 関する共同声明に調印した。ただし日本側の意図は経済連携協定(EPA)にあるのに 対し,インド側の意図は印米原子力協定への理解、民生用原子力エネンルギー開発へ の日本企業の進出(原子力発電所の建設)にあるとも見られた。 なお、インドは 8 月 9∼17 日上海協力機構(SOC)のテロ対策を目的とする「平和 の使命 2007」合同軍事演習にオブザーバーとしてデオラ石油・天然ガス相を派遣。9 月 4∼9 日米豪印シンガポール5ヵ国海上合同軍事演習に参加した。また、アグニミサ イルの射程距離が、さらに 1,500km 延長されて中東諸国、日本、中国、ヨーロッパ、 ダルフール(スーダン)までもがインドのミサイルの射程内に入ったと報じられ、2008 17 年 2 月には東部沖合で核弾頭搭載可能な潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM) 「K15」の 発射実験に成功した(射程 700km)。 インドでは、IPI(イラン・パキスタン・インド)パイプライン構想に悪影響を及ぼ さない形で米国の中東政策を後押しするイスラエルとの関係強化も図られている模様。 かわりにインドは米国から印米原子力協定を取り付けることに成功したとも見られる が、インドとイスラエルとでパキスタンを挟み牽制するかたちとなっている。「デリ ー・ムンバイ間産業大動脈(DMIC)」構想、などでインドの経済的側面に対する日本 企業の関心は急速に高まっているが、政治その他の分野でも急速に情勢悪化の兆しを 見せる南西アジア諸国の中核にあるインドの動きが注目される。 パキスタンでは、2007 年 3 月ムシャラフ大統領は、大統領再選の障害と見られたチ ョードリー最高裁長官の職務を停止、同大統領に対する批判の声が高まった。7 月 3 日首都イスラマバードでイスラムの神学生が、治安部隊と銃撃を交えた「ラール・マ スジト立て籠り事件」発生。治安部隊・軍の武力で事件は終結したが、同事件直後か らイスラム原理主義勢力は激しく反発、各地で自爆型テロが続発し新しい政治局面が 表出した。 10 月 6 日実施された大統領選挙でムシャラフ大統領が圧倒的多数票を獲得したもの の、陸軍総参謀長を兼務する同大統領の立候補資格判断などで選挙結果確定が難航し た。この間 10 月ベナジル・ブット元首相が米国の後押しで帰国したが、同元首相を標 的とするなどのテロがその後も続発。大統領は 11 月 3 日非常事態導入、チョードリー 最高裁長官を解任。15 日下院解散、総選挙の実施が 2008 年 1 月 8 日に設定され、11 月 22 日最終的にムシャラフ大統領の再選が確定された。 この間 11 月ナワズ・シャリフ元首相が滞在先のサウジアラビアから帰国。11 月 28 日ムシャラフ大統領は陸軍参謀総長職を辞任。後任には、キアニ陸軍副参謀総長が就 任。12 月 14 日には憲法を改正し、15 日非常事態を解除した。 こうして選挙戦が本格化した矢先、12 月 27 日ブット元首相がラワルピンディーで選挙 遊説中に暗殺された。翌 28 日シンド州を中心にパキスタン全土で反暗殺暴動が発生し、 2008 年 1 月に予定されていた総選挙は 2 月 18 日に延期された。 2008 年 2 月 18 日の総選挙は比較的平穏に実施されたものの、暗殺されたブット元首相が 総裁を務めていたパキスタン人民党(PPP)がほぼ 3 分の 1 の議席を獲得して第 1 党に、シャ リフ元首相のパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派(PML-N)がこれに続き、大統領の与党 パキスタン・イスラム教徒連盟カイディアッザーム派(PML-Q)は惨敗した。勝利した PPP と PML-N は 21 日連立政府の樹立で合意。ムシャラフ離れが加速すると見られるが、両党は長 年政争を繰り広げてきた政敵同士。内閣結成までには曲折が予想される。 物価上昇、軍内部でも人事硬直などで体制への不満が燻るとされる。また、ムシャ ラフ大統領は米英主導のアフガニスタンでの「対テロ戦争」への協力を表明している。 「核の闇市場」というアキレス腱を持つパキスタンとしては、米国をはじめ国際社会 の批判をかわす必要があり、 「対テロ戦争」は重要な外交カード。しかし、パキスタン 18 では反米感情が根強く、連邦直轄部族地域を中心にパシュトゥーン人などの勢力は国 軍への協力に消極的で、対テロ戦争も大きな成果は上がり難い。政情安定への道筋の 早期確立が望まれる。 ネパールでは 2006 年 4 月ギャネンドラ国王が統治を断念する旨発表。既成政党によ る暫定連合政府「7党連合政府」が樹立され、国際社会(インド、アメリカ、国連) の支持を受けネパール・コングレス党のコイララ総裁(82 歳)が首相に就任した。2006 年 11 月には過去 10 年間続いた政府側治安部隊(国軍、警察)と、ネパール共産党毛 沢東派(マオイスト)の内戦も終結した。こうしてマオイストをも加えて民主化(国 王の権力剥奪と無力化) 、国体変革(国名改称、国歌改定、国教廃止)などが進められ たが、政治改革のペースは遅かった。一方、マオイストをも対象とする反政府の動き が南東部のタライ(1960 年代以降ジャングルが伐採され、インド人の「土地なし労働 者」が多数入植しマドヘシという開拓移民人口が増加)で発生。2007 年 1 月よりマド ヘシ人権擁護団体の運動が活発化して権利拡大、地方分権要求の動きが激化した。 2007 年 4 月 1 日暫定政府成立。しかし「制憲議会選挙前の共和制導入」の要求を 容れられなかったマオイストは 9 月、暫定政権離脱を発表(4 閣僚の引き揚げ)。11 月 4 日臨時立法議会で、 「連邦共和制」宣言した。しかし「共和制」への移行は来る選 挙で選出される「制憲議会」が認可するとされた。その後、政府側との交渉を経てマ オイストは 12 月 23 日暫定政府に復帰。 「暫定憲法の下で連邦民主共和国を宣言する ことになるが、まずは憲法制定議会選挙が先」との方針が確認された。選挙実施予定 日は当初の 2007 年 6 月 20 日から 11 月、さらに 2008 年 4 月 10 日に延期されている。 今後、順調な選挙の実施と無事に新体制の国家が建設されることが期待される。 国連安全保障理事会は 2007 年 1 月ネパールにおける政治支援活動の1年間実行を 決議。武装解除と解除武器の保管管理の監視、制憲議会選挙における選挙監視などの ミッションに対して国連安保理を通じて要請を受けた日本は、陸上自衛隊員6名の「文 民要員」を 3 月末に派遣(1年の予定)した。防衛省昇格後、国連PKO活動が自衛 隊の「本来業務」となり初めての活動となっている。なお、2007 年7月、モンスーン による大規模豪雨被害・土砂崩壊等で死者 185 人(インド人を含む)、約 58 万人罹災 した。 スリランカでは、少数派のヒンドゥー教徒タミル人と多数派の仏教徒シンハラ人の 対立が 2002 年の停戦合意後も収まらず、2007 年にはテロ活動はさらに激化の様相を 見せ、2008 年に入ると政府が停戦合意破棄を決めた。2 月 4 日厳戒態勢のなかで挙行 された英国からの独立 60 周年式典でラジャパクサ大統領が反政府組織「タミル・イー ラム解放のトラ(LTTE)」掃討作戦の成果を強調した直後、北東部、南部で爆弾テロ が続発、約 30 人が死亡・負傷するなど名実ともに内戦に逆戻りの様相を見せている。 12 月 8∼11 日には、ラジャパクサ大統領が訪日し、福田首相、高村外相らと会談した。 我が国は同国における和平構築に一層の支援を行う旨表明した。 19 バングラデシュでは、2007 年 1 月 21 日に総選挙が予定されていた。しかしながら、 野党連合が不参加を表明し(2007 年 1 月)、アハメド大統領は 1 月 11 日に非常事態宣 言を発出して事態の沈静化につとめた。選挙管理内閣は、2008 年末までに総選挙を実 施する意向である。しかし、シェイク・ハシナ・ワセド率いるアワミ連盟を中心とす る野党 14 党は、こうした選挙管理内閣の動きを与党バングラデシュ民族主義党に有利 であるとして厳しく非難し、与野党間の対立は一層激しさを増している。 アフガニスタンに関する国連報告によれば同国の情勢は、パキスタンと隣接する南 部や南東部で治安が悪化、2007 年 9 月時点で自爆テロなどの暴力行為が前年比で 20% 増加の由。旧支配勢力タリバンとの激しい戦闘が続く南部に駐留する米、英、カナダ、 オランダなどが増援を求めているのに対し、北大西洋条約機構(NATO)の他の加 盟国が部隊を出し渋り、対立が表面化している。また、アフガニスタン支援国会合が 2008 年 2 月東京で開かれた。日本はこれまでに合計 14 億 5,000 万ドルの支援を表明、 このうち人道・復興支援など 12 億 4,000 万ドルを既に実施している。真剣な検討が求 められよう。 3.オーストラリア 2007 年 11 月の総選挙で 11 年ぶりに政権を奪回したラッド労働党政権が、政策面で どこまでハワード前政権との違いを打ち出していくのかが注目される。対外関係では、 2008 年に入って米国や日本、中国、インドなどとの外交を活発化させており、その中 から同政権の外交政策の輪郭が徐々に明らかになりつつある。これまでのところ、豪 米同盟堅持など基本的な外交姿勢で継続性を強調しながらも、イラク駐留豪軍部隊の 部分撤退や日本の捕鯨に対する批判、 「日米豪印連携」構想への対応、対印ウラン禁輸 の継続など一部の問題では独自色を示そうとしており、 (二国間外交に傾斜した前政権 とは異なって)多国間の外交も重視する方向にある。ラッド首相は今後、米国、欧州 訪問を計画しているほか、中国、日本、インドネシア各国訪問も調整中と伝えられて おり、それらの外遊を通じて、さらに外交政策が明確化していくことが予想される。 Ⅸ.軍事情勢 全般情勢 2001 年 9 月 11 日の米本土大規模テロ攻撃に端を発したアフガニスタン軍事作戦は、 既に 6 年半、米国主導で開始されたイラク戦争は既に 5 年の歳月が経過した。しかし アフガニスタンのカルザイ現政権は、勢力を盛り返したタリバンとの交渉を模索せざ るを得ない状況に陥っている。イラクにおいては、2007 年 1 月以降の 3 万米軍増派に よりバクダット東部などの一部の地域での治安改善の動きが伝えられる。しかし 2007 年(2007/01 から 11/06)のイラクの米兵死者数は 854 人に達した。西側諸国は、こ 20 の対テロ戦争に対する有効な手立てを確立できない状況が現在に至るもなお続いてい る。 対テロ戦争の特徴が、兵器・戦法がかみ合わない 「非対称戦」 と変化したことで、従 来型の戦争とその作戦・戦闘形態が大きく変わったことによるものである。この「非対 称戦」は、非国家主体の活動の脅威の高まりにより、単にイラク、アフガニスタンの 軍事作戦に止まらずパキスタン、パレスチナ等の中東や、スーダン、ウガンダ等アフ リカ諸国を含む世界の安全保障環境に大きな影響を及ぼしつつある。 ロシアは、戦略爆撃機によるパトロール飛行の再開やロシア艦隊の地中海方面への 遠征、欧州通常戦力条約の履行の一方的停止宣言を行った。これ等軍事動向は、石油 価格の高騰を伴った資源ナショナリズムの動きとも関連し、強いロシア再興の動きと して注目される。 1.米国情勢 (1)2009 会計年度国防予算と対テロ補正予算 米国防総省は 2008 年 2 月 4 日、2009 年会計年度(08/10∼09/09)の対テロ戦費を 除く通常の国防予算案について、2008 年度の実績比 7.5%増の 5,154 億ドル(約 54 兆 6,300 億円)と発表した。イラクやアフガニスタン等の対テロ戦費は 700 億ドル(2008 年度の年間戦費は、2,351 億ドル)が計上された。この額は、今春予定されるペトレ アス・イラク駐留米軍司令官の現地情勢報告や来年(2009 年)の新大統領就任といっ た不確定要素があるため、数か月分として計上された額である。この国防予算案がそ のまま議会で承認された場合には、インフレ調整後で第 2 次大戦以降の最高水準とな る。 (2)在日米軍の再配置 アジア太平洋地域における米海兵隊第 3 海兵機動展開部隊(ⅢMEF)は、2014 年まで に沖縄からグアムに移転予定である。これに伴い残余の在沖米海兵隊は再編される。 陸軍では、ワシントン州フォートルイス所在米陸軍第 1 軍団司令部が改編の上、2008 年までに座間基地への移設が進められている。これに伴いキャンプ座間の在日米陸軍 司令部は統合任務が可能な司令部に改編される。また 2007 年 3 月に新設された陸上 自衛隊中央即応集団 (CRF) 司令部の朝霞基地から座間基地への移設が、2012 年まで に予定されている。この改編に伴い相模総合補給廠内に戦闘指揮訓練センター等が建 設される。米第 5 空軍司令部が所在する横田飛行場には、府中に所在する空自航空総 隊司令部が 2010 年度を目標に移転する。横須賀を母港とする空母キティホークは 2008 年に退役し、原子力空母と交代する。また第 5 空母航空団が厚木飛行場から岩国 飛行場に移駐する。弾道ミサイル要撃に関連した米軍の BMD 用移動式 X バンド・レ ーダの展開地として空自車力分屯基地が選定(2006 年 5 月)され、米軍の PAC-3 の 嘉手納基地への配備が 2006 年 9 月から開始された。 (3)アフリカ方面軍の新設 米軍は 2007 年 10 月 1 日までにアフリカ地域における影響力の拡大を目指し、新た 21 に「アフリカ方面軍」(AFRICOM)を新設した。この方面軍は内戦続きのアフリカの平 和と安定を目的とし、アフリカ諸国の正規軍に対する訓練・指導を主要任務とすると されるが、米国の軍事介入強化による紛争の悪化や石油資源の確保を狙ったものとの アフリカ諸国の懸念から、新司令部の設置場所は、現地から遠く離れたドイツ南部の シュツットガルトとなった。この方面軍の設置について、ブッシュ大統領は 2008 年 2 月 20 日ガーナの首都アクラでの記者会見時、アフリカに新たな軍事基地を建設する考 えがないことを明らかにした。 2.中国軍事情勢 (1)台湾海峡情勢 台湾海峡を挟む両岸軍事情勢は、1999 年台湾の李登輝が両国論を提唱してから現在に 至るこの 7 年間を比較しただけでも、台湾海峡の双方の海空軍力、戦役戦術ミサイル 戦力に急激な変化が生じて来た。総体的戦力は、明らかに大陸に傾斜している。台湾 国防部副部長柯承享が 2008 年 1 月 21 日明らかにしたところによれば、台湾海峡正面 の中国の台湾向け弾道ミサイルは、1328 発で陳水扁政権が発足した 2000 年当時の約 7 倍に増えたという。 中国の 「対衛星破砕弾道ミサイル」 の試験発射(2007 年 1 月 11 日) 、同年 10 月 24 日月探査衛星「嫦娥 1 号」の打ち上げ成功は、中国が宇宙制空権の獲得に向け進んで いることを示している。一方台湾が保有している戦闘機は、F-16 Block15+中期改良型 148 機、Mirage 2000-5 58 機、IDF 130 機の規模で、第 3 世代戦闘機の数量は、この 7 年以来 336 機の水準を維持したままである。 海上では中国海軍が大型の駆逐艦、護衛艦を大幅に強化している最中に、台湾海軍 はこの 7 年来わずかに大型キッド艦 4 隻を建造しただけである。この購入は、民新党 が政権を担当して以来唯一の対外大型軍需品の購入であった。 (2)中露軍事交易 2007 年から現在に至るロシアからの中国向け武器輸出は、J-10A 用エンジン AL31FN の購入(約 1.5 億ドル)を除き、激減している。これは改良型 J-11 (Su-27) 戦 闘機の生産中断問題や IL-76 大型輸送機 38 機の生産遅延問題等軍事契約上の摩擦が解 消することなく続いたためである。従来のロシアから中国への兵器輸出は、最近まで 年間 18 億ドルから 20 億ドルに上り、ロシアの兵器輸出の約 4 割を占めていた。 3.ロシア軍事情勢 2007 年 12 月 5 日、空母アドミラル・クズネツォフ以下 4 隻からなる統合海軍任務 部隊が北大西洋及び地中海に向け出航した。ロシア艦隊が地中海で行動するのは 25 年振りである。更にロシアは 1992 年以降中止していた戦略爆撃機による定期的な遠 距離パトロール飛行を 2007 年 12 月 17 日から再開、2008 年 2 月 9 日には TU-95 爆 撃機が伊豆諸島南部の日本領空を侵犯した。またブッシュ米政権が進めるミサイル防 衛(MD)東欧配置への対抗措置としてロシアは 2007 年 12 月 12 日、欧州通常戦力(CFE) 22 条約の履行を一方的に停止した。これ等動向は、ロシアによる強いロシア再興を目指 す動きとして注目される。 またロシアの 2007 年の国防予算は、プーチン政権発足直後の 2001 年に比し、4 倍 近い 8,210 億ルーブル (約 3 兆 7200 億円) に増加した。 4.中東情勢 (1)イラク情勢 ブッシュ大統領は 2008 年 1 月 28 日夜(日本時間 29 日午前)一般教書演説を行い、 イラク情勢につき「1 年前に自ら主導した米軍増派について想像できなかった成果を 達成した」と治安の改善をアピールした。一方英国際戦略研究所が公表した同年 2 月 4 日付「ミリタリーバランス 2008」はイラク情勢について、「イラク市民の犯罪、暴 動、宗派暴力による 2006 年の犠牲者は、34,452 人に達した。イラク治安部隊の自立 は、米軍の 2007 年の増派以降も米国が思うほど進展していない。米軍部隊の増派に よりイラクでのテロなどの暴力行為はかなり減少したものの、民兵同士や宗派間の衝 突は頻発している。このため来年の米政権交代後も最低 10 万人の米軍部隊を駐留させ る必要がある。」との見方を示した。 米民間団体 ICCC によると、2007 年(2007/01 から 11/06)のイラクの米兵死者 数は 854 人に達し、最悪だった 2004 年の 849 人を超えた。 一方、米軍のアルカイダ掃討作戦に協力し治安回復の先導役を担うようになってき かくせい たスンニ派部族長らが結成した「覚醒評議会」 (スンニ派部族とアルカイダ系スンニ派 の分断を狙ったとされる)の存在が内戦の新たな火種になりつつあると言われる。 (2)アフガニスタン情勢 北大西洋条約機構は、タリバンの攻勢が南部から北部にまで拡大する中で 2008 年 2 月 7∼8 日にかけ、リトアニアの首都ビリニュスで国防相会議を開催した。同会議では 米国の 2,000 人規模の増派に加えベルギー、ドイツ、フランス等が増強する方針を表 明したが、アフガニスタンの平和維持を使命とするドイツなどの NATO 加盟国の姿勢 に対し、反乱勢力との戦闘に重きを置くアメリカとの調整が難航したと報じられてい る。なおアフガンでは、現在 NATO 主体の国際治安支援部隊(ISAF)計 4 万 3,000 人が展開している。 (3)パキスタン情勢 首都の宗教施設に武装神学生が立てこもり、軍に制圧された 2007 年 7 月以降テロ が多発し始めた。2007 年は全国で 56 件の自爆テロがあり、626 人が死亡している。 この数字は、2006 年の 6 件、137 人を大きく上回った。治安悪化の影響を受け、軍は 今年に入り部族地域の南ワジリスタン地区での戦闘を本格化させている。発足から 8 年が経過したムシャラク政権は、軍事作戦においても現在最大の岐路にたたされてい ると見られる。 23