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レジュメ - GACCOH

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レジュメ - GACCOH
鶴見俊輔とプラグマティズム
1、「方法としてのアナキズム」
そもそも(鶴見にとって)アナキズムとは?
・アナキズムはまとまった理論ではない。「人間の社会習慣の中に、なかば埋もれている状態 d、人間の歴
史とともに生きてきた思想だからだ」。
・「アナキズムは、権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想だ」
とおおまかに定義できる。
人間は……権力によって強制されて生きることを好まない。権力によって支配される関係から自由に
なることを夢みることは、あたりまえだ。このように道義感から見て自明のことに思える権力ぬきの
助けあいの社会がどうして実現しないのか。このことについての認識が、多くの人に、自分の素朴な
道義感のままにアナキズムにむかうことをためらわせる。また、若い時にアナキズムを思想としてえ
らんだ人にとっても、自分の理想が実現しないことのいらだちが、アナキズムをたやすくテロリズム
に転化させる。(鶴見、1991b、3-4)
ナイーブ過ぎるとして自明な感じを諦めるのでもなく、いらだちから暴力に訴えるのでもないアナキズム
は可能か。可能だとすればどんなものか。――というのが、鶴見の問い。1
権力による強制のない社会をイメージするためのアイデア
相互扶助の小さな共同体を作る運動や実践は様々に行われてきたが、そのような社会の建設が非常に難し
いことは歴史が語るところ。
①現代では「失われた有機的な世界観の下に」あった関係性
カーロス・カスタネダ『ドン・ファンの教え』
インディアンの魔術師である老人のドン・ファン。人類学を学んだ生徒が、彼に教えを乞うた。
「どの道も、幾百万の道の中のひとつの道だ。道は道というだけのものだということをおぼえておかなく
てはいけない。道そのものは、どこにつれてゆくという目的ももたない。だから、ある道をえらんでこれは
いやだと思ったら、その道をやめたらよいのだ。ある道には心があるし、ある道には心がない。この道をた
どってゆくことが、今たのしいと思う時、その道は君にとって心をもっているのだ」(カスタネダ『ドン・
ファンの教え』)
「酒ののみようも、坐りようも、茶ののみようも」、それぞれが自由な仲間をつくり、心ある仕方で営ん
でいく可能性を持っている。
自分や人間、文明、自然との関係を考え直す様々な「道」はもっと試みられてよい。
1
さらに、それに付随する問いとして、軍国主義に飼い慣らされて順応してしまった「静かなアナキズム」に対する反
感もあった。そのようなアナキズムは、権力的支配に対する抵抗をやめているか、あるいは別の新たな権力的関係を
生み出してしまっている。そのようなものを避けた、アナキズム、つまり「方法としてのアナキズム」を鶴見は探求
している。
②「単純な生活の準拠わくをもつこと」
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)の体験
『ウォールデン』は、「彼が森の中でひとりでくらした二年二ヶ月の実験の記録」。彼はその生活をとて
も楽しんだのだが、彼は「生きたいと思ういくつもの生活があっ」たために、ウォールデンの生活を途中で
諦めた。しかし、ソローの後のどんな生活においても、この二年二ヶ月の「実験」は、「ひとつの準拠わく
としてはたらいた」。(鶴見、1991b、14)
「わたしはわたしの実験によってすくなくともこういうことをまなんだ――もし人が自分の夢の方向に自
信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようとつとめるならば、彼は平生には予想できなかった
ほどの成功に出会うであろう。……彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はよりすくなく複雑に見え、
孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。もし君が空中の楼閣を築いたとし
ても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。こんどは土台をその下にさ
しこめばよい」(ソロー『ウォールデン』)
「権力的支配のない社会などという理想主義的なことをいうと、『そんな中学生みたいなことを言うな』
と社会人から笑われるが、現代の社会の複雑なルールを一度は、もっと単純なルールにもどして考え直すべ
きなのだ。そうでないと、われわれは、今偶然にわれわれをとりまいている社会制度に引きずってゆかれる
だけになる。……権力的支配にゆずらない生活の根拠地として、思想の準拠わくとして必要なのだ。
(中略)
現代の複雑さにまけて、その複雑なルールをおぼえて守るのにせいいっぱいになることをさけるために、プ
ラスにせよマイナスにせよ、単純な生活の準拠わくをもつことが必要だ。そこには、社会生活の再設計・再
創造の意味がはたらきつづける場がある」(鶴見、1991b、15-16)2
メモ|アナキズムとは夢をみること。変化を想像する、変化のための想像力を得るために私たちはアナキ
ズムという夢を見なければならない
③運動を支える自発的な人々
理念が先立つとか、少数派によって担われるとか、組織化された中でオートマチックに動かされるとかで
はなく、大衆によって自発的に担われるような契機が存在していなければならない。
(セクション3「大衆の翻訳者」に直接通じる観点なので、言及に留める)
準拠枠について
2
「オーウェルの政治思想」の中で、鶴見はオーウェルの「象を撃つ」を取り上げている。ここにマイナス
の「準拠わく」のひとつの例がある。ある象の気が立っていたとき、一人の男を踏みつぶしてしまった。警
官であるオーウェルはその象を追いかける。象はもう落ち着いたのか、穏やかに草を食んでいる。しかし、
オーウェルと共に追いかけてきた現地の二千人もの人々が、何かを「白人」に期待している。白人としてオ
ーウェルは何かいいところをして見せなければならないという、白人役人としての感情に屈してしまう。
「彼は象を撃ち、そして殺した。だが、なぜ象を撃つことに決めたのかの自分の動機をさぐった時、彼は
ここに、帝国主義支配のひとつのバネを見つけた。それはひとつの空虚な感情であり、自分がもともとする
、、、、、
力のないことをやってみせようとするからいばりなのだ。このうつろな感情は、彼のなかに住みつき、やが
て彼がビルマ警察をはなれる動機となる。」(鶴見、1991b、55-56)
準拠枠の応用編――「リンチの思想」
「みなさんは、身近に起こったリンチ、われわれの同時代に起こったリンチ、あるいは身近に起こった事件
で、これがリンチになりうるものだと思うような体験を思いおこしてほしい。こういうものがリンチになり
うると思ったようなリンチの芽ですね。そして、リンチのモデルというものを、非常に身近な危険と結びつ
けて自分で作ってほしい。われわれの体験は、モデルを作る力をもっている。なるべくリンチというものに
近い自分の体験を思い出してほしいですね」(鶴見、1991b、240-241)
エピソードと鶴見が呼ぶもの、あるいは経験、体験と呼ぶものが素材となって、モデルないし準拠枠が作
られる。
マイナスの準拠枠は、「あ、これはやばいな。なんとかしないとな。どこか引っかかるな、あれはいやだ
な。変えていかないとな。かっこわるいな。なんか落ち着かないな」そういう体験ですね。
プラスの準拠枠もある。それは特に友人について鶴見が語っている箇所を見ればいいでしょう。
こういう準拠枠を色々持つこと。様々な準拠枠を持つことで、現実の複雑さに負けて現状肯定に甘んじるこ
とをよしとして、他者に対して抑圧的に振る舞う可能性の芽を摘まずに残しておく――そういうことを避け
る事ができる。
2、「折衷主義としてのプラグマティズム」
方法としてのプラグマティズム
「折衷主義としてのプラグマティズム」より
「この数年のうちに、人類思想史最後のページが書かれてしまうのだという予感がみなぎったことが、こ
れまでは何度もあった。ユダヤ教も、インド教も、儒教も、歴史の終りにさきあって思想史上の最後のペー
ジをすでに書き終えたものの自信をもってうまれた。原始キリスト教、中世のスコラ哲学、近代初期の理性
哲学、現代のマルクス主義および危機神学も、最終の発言として、それぞれの思想を定式化している。(中
略)思想領域におけるすべての発言を、一つの観点から整理しなおして、一望のもとに見わたすことは、現
在の私たちの力を越える課題である。そこで、どうしても、思想問題にかんしては、いくつかの観点がのこ
ることになる」(鶴見、1991a、303-04)
「数しれぬ観点があるだろう。それらの観点を、バラバラに、ただほうっておくという、哲学的な立場も
あり得る。……プラグマティズムは、そうではない。観点の完全な統一ができないことをみとめて、ざんて
いてきな整理をこころみるのが、プラグマティズムの方法である」(同、304)
「現代人にとって共通の思想的遺産となるべきプラグマティズムは、イデオロギーとしてでなく方法とし
て把握されねばならぬ。プラグマティズムの方法とは、意味をあきらかにする方法である。……それぞれの
思想流派の意味をあきらかに把握する手続きの中で、それぞれの思想的強み、弱みをはっきりさせ、それら
のつぎあわせを計るという、独自の折衷方法である。もしプラグマティズムが独自の思想体系としてなりた
つとするならば、その体系としての独自性は、その折衷の仕方の独自性に由来する以外にないと思う」
(同、
305)
『期待と回想』より
「体系ではなく方法という考え方はたしかに[私のなかに]ありますね。……方法としてとりあえずやっ
ている。それである程度のことができたとしても未完成な体系にすぎない。これが最後の体系だ、というも
のに対しては疑いをもつんだ。一つの立派な体系をつくろうという側にはまわらないんだね」
(鶴見、2008、
339)
体系=完成された思想(堅固で動かない基礎・土台から作られた建築物の喩で語られることが多い)
折衷=論争を停止させる力としてのプラグマティズム
リスをめぐる形而上学的論争
ウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』第二章で登場するリスの例。集団でキャンプに行った時、
一人山中で散歩して帰ってみると、山野の閑暇にまかせて討議されていた形而上学的論争に出くわした。
「論争の主題は一匹のリスであった――一匹の生きているリスが木の幹の一方の側にくっついていると仮
定し、その木の反対側には一人の人間が立っているものと想像する。リスを目撃したその人間が、木のまわ
りをすばやく駆けめぐってリスを見ようとするが、彼がどんなに速くまわっても、それと同じ速さでリスは
反対の方向に移るので、リスト人間との間にはいつでも木が介在していて、そのためにリスの影も形も見ら
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
れない。かくしてここに、その人間はリスのまわりをまわっていたのかどうかという形而上学的な問題が起
こってくる」(ジェイムズ、49)
「『どちらが正しいかは、リスの「まわりをまわる」ということを諸君が実際にどういう意味で言ってい
るかによって定まることだ』と私は言った。」(同、50)
プラグマティズムの方法
「プラグマティズムの方法は、元来、これなくしてはいつ果てるとも知れない形而上学上の論争を解決す
る一つの方法なのである。世界は一であるか多であるか、宿命的なものか自由なものか、物質的か精神的か
――これらはどちらも世界に当てはまるかもしれないし、当てはまらないかもしれない観念であって、かか
る観念に関する論争は果てることがない。プラグマティズムの方法とは、このような場合に当たって、各観
念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものであ
る。……もしなんら実際上の違いが辿られえないとすれば、その時には二者どちらを採っても実際的には同
一であることになって、論争はすべて徒労に終わることになる」(同、51-2)
折衷主義の応用例
市井三郎と最首悟による論争の背景
1975 年 8 月 7 日、環境庁(当時)を陳情で訪れた熊本県議会公害対策特別委員会の一行(公害の認定に
携わる医師を含む)が、「水俣病の申請者には補償金目当てのニセ患者が多い」と露骨に非難した露骨に非
難したとの報道があった。
患者たちはこれに抗議する運動を起こしたが、その担い手の一部が不当逮捕・起訴された。水俣問題の忘
却に起因するものであり、水俣問題が封印されつつあると考えた石牟礼道子は、現地総合調査の必要性をよ
びかけた。民衆史家の色川大吉に対して要請した結果、鶴見和子ら「近代化論検討研究会」メンバーを中心
とする第一次調査団が発足。二年目から市井、最首が加わり、水俣での現地調査と合宿、月齢研究会を組み
合わせた共同研究が 1980 年まで続けられた。
この第一次調査団の最終報告書に市井は論文を寄せたのだが、この内容と取扱を巡って議論が沸騰した。
市井三郎「哲学的省察・公害と文明の逆説――水俣の経験に照らして」(1983)
1980 年の合宿研究会で発表され、激しく批判を受けた。それは限定付きながら、原子力発電所を「必要
悪」として認めるものであり、水俣病も「必要悪」として肯定しかねないロジックだった。そこで噴出した
異論を受けて市井は全面的に原稿を改稿し、「人間淘汰」の観点からの公害批判を展開することになった。
ここでの人間淘汰は、餓死や疫病、自然災害や戦争、被差別者の殺戮など、「短期間にいっきょに成員数
が減少するか否か、また天災であるか人災であるかを問わず、人間が自然死にいたるサイクル以外の理由で、
滅んでいくこと」を、価値中立的に指している(色川、392)。その上で、市井は次のような結論を導こう
とする。
「人間の自発的な意志による産児制限という形での人間淘汰(いや、この場合、人間形成を未然に回避す
るのであるから、わたしの定義する人間淘汰ですらない)だけが、倫理的に容認しうるものであり、人類史
上、最近に発生した公害という形での人間淘汰をも含めて、総じて淘汰による人間人口の抑制を肯定するこ
とは人間の尊厳に反する、ということなのである。そのことを、最もなまなましく訴える象徴的事実の一つ
が、水俣病という公害であるのだ」(同、393)。
とりわけ、市井の水俣問題に対する強調点は、広島長崎などと比較して、「平和産業」によって担われた
人間淘汰であること、「ほんらい殺しあう意図をまったく持たない場合にも、多数の人間を淘汰しうる」と
いう「重大化」していることにある。
最首悟による反論
市井論文は「無意味であるばかりか、加虐的である」という見解は最首だけでなく、多くの調査団員が共
有するものだった。
人間淘汰という概念をめぐって、最首はこう批判する。
「価値禁欲的な人間淘汰という詭弁を弄して公害を疫病や自然災害と同列に扱い、よって公害被害者の苦
しみをアイマイ化させ、公害による人口の安定化という自分の立てた愚にもつかぬ命題を自分で否定する、
市井論文の趣旨は撤回されるべきである」(同、426)。また、「価値をぬこうとしてもぬけない淘汰概念
をつかって、公害を新たなる人間淘汰と基底することは、被害者の苦しみ、人間性を踏みにじり、公害発生
者、公害発生機構を免責、容認するものとして、絶対に許すことはできない」(同、422)。
市井論文にあった次の表現にも向けられていた。「四肢の変形した男性の胎児性患者が、うずくまってい
るのに直面したとき、わたしは激しく動転し、10秒と直視をつづけることができなかった。(中略)重症
水俣病患者が、死をまぬがれて絶望的な生を、なお生きつづけることの意味はどこにあるのだろう。人間の
尊厳というときの、「人間」の定義まで撹乱しかねない異状の存在を、なお「人間」と確認してその存在意
義を問うならば、それは、他の「正常な」無数の人間が、営々としていとなむ文明行為の現在性に、痛烈な
反省をうながすことにあるのではなかろうか」(同、404)
「……[市井の立場は]わたし達がおちいりがちな「人間観」であるにしても、はっきりと優生学的な「人
間観」である。関係的存在である人間を、その関係性を断ちきって、丸裸にした上で、その機能面だけで判
断する「人間観」であり、この「人間観」こそが、障害者・精神病者・犯罪者差別を生み出しているのであ
る。公害―人間淘汰による市井氏の見方は、……水俣病患者として生きている事自体が地獄図なのである。
死をまぬがれたとしても十代な後遺症がつづき、今なお医学的に有効な治療法がない」と一括りにしてしま
う。水俣病症状の多様性が明らかになりつつある今、この単純な断定は、「ニセ患者キャンペインをはじめ
として被害者救済の切捨てをはかろうとする側のものであることが市井氏にはわからないのだろうか」
(同、
424)
鶴見俊輔の評価
「人間淘汰は市井の初発の問題関心にあったもので、その当否は当人の倫理判断が依拠すべき事実認定に
関わっている。これに対して障害児と暮らしている最首は、内面を鼓舞する言葉でもって市井批判を行なっ
ている。市井および最首の文章を倫理的言語の二つのアスペクトとして読むこともできる。両者の間には裂
け目もあるが、相互乗り入れの回路もある」(川本、296)
倫理的言語には、冷静な事実認定に基づいた適切な判断を提示するもの(観察者的な言語)と、被害者・
受苦者への寄り添いを提示するものとがある(当事者的な言語)。
3、大衆の翻訳者
鶴見俊輔の非エリートへの注目
ジョン・デューイとの接点
「デューイの哲学には、彼がその間に育ったヴァーモントの普通人の会話がいきづいている。デューイは、
……二代目知識人ではなかった。「プラグマティック・アメリカ」……という小さいエッセイに、眼に一丁
字もないキコリの言葉からうけた啓示が彼の生涯に生きつづけたことを書いている。
「こいつあおれがおもいついたばかりじゃあ、しようがねえ。いつかは人にしらせなくちゃあ」」
(1984、
260-61)
実際に「プラグマティック・アメリカ」でデューイが言っているのは次のようなこと。
「ウィリアム・ジェイムズがいつも言うように、任意のものは堂々たる超然さから具体的な事物の濁流へ
と降りることを強いられている。その確信は、知識に関するコミュニケーションの価値の感覚を育む。これ
が効果を持つのは、教育においてだけでなく、それが分け与えられ、共有され、共同の資産になるまでは私
たちはどんな事柄の意味も十分には知らないという信念においてである。学校教育を受けていない、あるア
メリカの開拓者[デューイの妻の祖父にあたる]の意見を私はよく覚えている。ある事柄について、いつか
それが明らかになるだけでなく、知られるだろうと述べた人である。彼は書籍のことを知らなかったのだが、
共同生活 common life の中に作用するまでは、何も本当に知られていないという深い哲学を彼は表明して
いるのである。」(Dewey, 1922)
物事は超然と抽象的に隔離されるのではなく、常に具体化していく[べきである]という確信を鶴見俊輔も
共有している。この確信によって、知識はコミュニケーションの中で価値を持つという、すなわち、人々に
知られ、共有され、生活の中で作用することで、初めて知識は知識となるという思想が育まれている。
無名の人々への視線
「歴史は、無数の人生の集積である。その歴史や人生が、“大きな名前”(ビッグ・ネーム)で記憶され
“小さな名前”もしくは“無名”(ネームレス)のものが、ほとんど、忘れさられることに、異議をとなえ
つづけたい。
よく、歴史に名を残す、ということが、人生の、あるいは英雄的人生の目的であるかのように、いわれ
る。だが、歴史に名を残すのが、少数の英雄しかいないなら、そういう歴史に終止符をうちたい」(鶴見、
1999、330-31)
「そういう[無名の]ひとたちの口ごもり。たとえば、1964 年に描かれた水木しげるの戦争漫画「白い旗」、
この作品のなかでも、上官の命令に否応なく従いながらも、それでも「でも」とぽつりつぶやく固めの下士
官の、その口ごもりに、鶴見は注目する。(中略)その口ごもりの鈍重さのなかにじぶんを溶かしこんでい
って、……すらすら語られる言葉ではない言葉で口ごもりに形をあたえることが問題なのだ。『官僚などす
らすらともの言える者の知恵によって繰り返し押しつぶされてきたにもかかわらず、しかもなんとか自らを
保ちつづけてきたもの言えない人々の知恵』に、と鶴見自身も書いている」(鷲田、288-89)3
参考文献リスト
色川大吉[編]、1983、『水俣の啓示――不知火海総合調査報告』上・下、筑摩書房。
ウィリアム・ジェイムズ、桝田啓三郎[訳]、1957、『プラグマティズム』岩波文庫。
川本隆史、「“不条理な苦痛”と「水俣の傷み」」、飯田隆ほか[編]、2008、『岩波講座・哲学1
いま〈哲
学する〉ことへ』岩波書店、所収。
鶴見俊輔、1984、『人類の知的遺産
――――、1991a、『アメリカ哲学
デューイ』講談社。
鶴見俊輔著作集1』筑摩書房。
――――、1991b、『方法としてのアナキズム
鶴見俊輔著作集9』筑摩書房。
――――、1999、『限界芸術論』ちくま文庫。
――――、2001、『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫。
――――、2008、『期待と回想
語り下ろし伝』朝日文庫。
――――、重松清、2010、『ぼくはこう生きている
鷲田清一、2001、「解説
君はどうか』潮出版社。
へりの思想」、鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫、所収。
Dewey, John, 1922, “Pragmatic America,” New Republic 30, 185-87.
3
鷲田は、下士官の「でも」が鶴見自身の「でも」として反復されているとして、鶴見俊輔のあるパンフレ
ットを引用する。「居ごこちの悪さが、私が文章を書くもとの力である。……その居ごこちの悪さをもとに
書いてきた文章が、私をこえて、誰かに、考えのもとを、たとえ反撥という形であっても、手わたすことが
できれば、うれしい。」また、この「でも」というのは鶴見自身も用いるキーワードでもある(『期待と回
想』第二章参照のこと)。
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