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Instructions for use Title ヘーゲル法哲学講義をめぐる近年

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Instructions for use Title ヘーゲル法哲学講義をめぐる近年
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Issue Date
ヘーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2・完)
権左, 武志
北大法学論集, 41(1): 145-176
1990-11-30
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16750
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
41(1)_p145-176.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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一研究ノiト
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へl ゲル法哲学講義をめぐる近年の論争
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(二一)ル
(二)イルティング
(以上本号)
(六)文献学的見解における異論
四第二次法哲学講義公刊をめぐる論争
(一)へンリツヒ
権
一序
二戦後司法哲学﹄解釈の動向
叶7
(四)ジ 1プ
五回顧と展望
(一)論争の総括
(二)今後の課題
~^
三第一次法哲学講義公刊をめぐる論争
(ご伝記的記述
(二)理論的解釈
(一二)文献学的見解(以上回O巻五・六号)
(四)伝記的記述における異論
(五)理論的解釈における異論
士山
北法 4
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目
研究ノート
意を表明している。ホルストマンによれば、﹁へ iゲ ル と ブ ル
シェンシャフト穏健派との聞の良好な関係、コッツェプ 1殺害
トマンとル l カス/ラマイルが正面から反論を加えている。し
判を表明しているのに対し、ホルストマンが様々な疑問を、オツ
リlデルが全商的あるいは条件付同意を、ヌッサーが好意的批
つの書評及び二つの論文が寄せられており、このうちケルンと
(四)法哲学講義をめぐるイルティングの見解に対しては四
ンも、イルテイングによる時代状況の叙述を﹁疑いもなく見事﹂
このような困難な状況を示すことに成功した。﹂また、オットマ
への不安を抱くには十分であった。イルテイングはへ lゲルの
デ・ヴエツテ)の運命、これらは自ら心配性と認める者が将来
パlド決議の強化、そしてへ lゲルと同じ大学教師(フリース、
へlゲルの数人の弟子の逮捕、:プロイセンにおけるカ l ルス
後に彼らが置かれた困難な状況、デマゴーグ狩りに関連した
かし、これらはイルティングの見解における先の三つの次元を
と認めている。これに対しリlデルは、 J ・ドントに拠りつつ
第一次法哲学講義公刊をめぐる論争
等しく取り上げているわけでなく、ケルン及びホルストマンを
へlゲルの保護者等の進歩的性格を指摘し、一八一九年一一月
しかし、他方の﹃法哲学﹄公刊過程に関しては、リlデルは、
除けば、リlデルとル l カス/ラマイルは伝記的記述の次元(中
イルティングの見解に対する異論を伝記的記述、理論的解釈、
イルテイングの唱える草稿改訂説に同意する。一八一九年一 O
におけるへ 1ゲルの転向というテーゼを﹁行き過ぎ﹂だとして
文献学見解の各次元に区分しつつ順次考察することとしたい。
月プロイセンにおけるカ 1 ルスパ lド決議実施という﹁この状
でも﹃法哲学﹄公刊過程)を、ヌッサ!とオットマンは理論的
第一の伝記的記述の次元におけるイルティングの見解は、一
況の下では、へ lゲルがハイデルベルクにおける一八一七│一
批判している。
八一九年におけるへ lゲルの立場の転換を導き出す当時の政治
一八一九年春及び夏に完成した﹃法哲学﹄のテクストは出版で
八年講義、ベルリンにおける一八一八│一九年講義で作成し、
解釈の次元を主たる検討の対象としている。従って、以下では、
状況の記述と、これに伴う司法哲学﹄草稿の改訂を指摘する司法
きなかったであろう。﹃法哲学﹄の出版が早急に望まれていた以
哲学﹄公刊過程の記述から成っていたが、このうち一方の政治
状況の記述に関しては、他の点で批判的なホルストマン等も同
北法41
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らなかった。﹂これに対しホルストマンは、﹁政治状況とへ lゲ
控え、へ lデルがクロイツアーへの書簡(一八一九年一 O 月三
O 日)の中で示唆しているように新たに編集し直さなければな
上、出版を確実にする為には、印刷の用意が出来た草稿を差し
たことをへ lグルが知っていた以上、想定し難い。また第三に
うに、プロイセンでは検閲の対象が全ての出版物にまで拡大し
のうち第二については、後にル lカス/ラマイルも批判したよ
明されるわけでない。ホルストマンが示した以上三つの可能性
ととなる。しかし、両者の相違によって直ちに草稿の改訂が証
ル│カス/ラマイルは﹃法哲学﹄成立の初期・中期・末期に
ルの行動を綿密に叙述しても、それにより直ちに司法哲学﹄の
対応する三つの書簡を対象として取り上げ、これにイルティン
ついては後にヌツサーがホルストマンに対し反論を行ってい
刷の聞に草稿を完成したという可能性があり得る。第二に、仮
グやリlデルとは異なる解釈を施そうと試みる。第一が一八一
る。そこで、残る第一の可能性を取り上げ、イルティング等の
に草稿を完成していたとしても、イルティングの前提するよう
九年三月二六日、第二回法哲学講義終了の翌日に書かれたニ 1
成立史が明らかとなる:わけでない﹂と述べ、草稿改訂説の根
に二O ボ1ゲ ン 以 下 だ っ た と は 限 ら な い の で あ り 、 逆 に 二O
トハンマー宛ての書簡であり、ここでへ lゲルは次のように述
拠とされた一 O月三O 日の書簡について異なる解釈の可能性を
ボiゲン以上だった場合、草稿が検閲の対象外だと知ったへ l
べている。﹁私は教授としてまだ始めたばかりです。私個人にお
草 稿 改 訂 説 に 対 し て 異 議 を 唱 え た の が ル i カス/ラマイルであ
ゲルは、先の書簡の中で予定通り﹁今後近いうちに﹂印刷に付
いても仕事においても為すべきことがまだ多く残っています
提示する。第一に、一八一九年九月の時点で草稿が完成してい
す意図を表明したと解釈することが可能である。第三に、完成
る。続いて、﹃法哲学﹄公刊過程に関するこのル lカス/ラマイ
された草稿を改訂したか否かもこの書簡からは明らかでないの
・:私はライプチヒの見本市までに更に一冊本を(私の自然法を
たか否かはこの書簡からは明らかでなく、守精神現象学﹄公刊の
であり、問題の草稿が現存しない以上、イルティングの草稿改
パラグラフに区切って)書かねばなりませんJ
ルの異論を取り上げ、検討してみたい。
訂説は第二団法哲学講義がその初稿に該当するという主張に、
ず、﹁為すべきことがまだ多く残っています﹂という表現が示す
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更には第二回講義と﹃法哲学﹄の聞の理論的相違に依拠するこ
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場合と同様、草稿が完成する前に最初の部分を印刷に付し、印
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
研究ノート
をそのまま印刷することを考えていたわげでなく、従って、第
へlゲルは第二回講義で使用した口述筆記部分の草稿
ら成るパラグラフ﹂で応える意図を表明しており、また﹃精神
イツア!の贈り物に対し﹁法哲学に関するこ、三のボ lゲンか
考えねばならない。何故なら、同じ書簡の中でへ lゲルはクロ
よ﹀つに
二回講義が司法哲学﹄の初稿に当たるという主張は疑わしい。
げる方法を取っているからである。次いで、﹁印刷を始めようと
現象学ヘ﹃論理学﹄、﹃エンチクロペディ!﹄初版及び第二版を
本市(九月二九日後の日曜)の何れかを指すと考えられるが、
していました。﹂とは何時の時点を指し、また如何なる理由から
公刊する時も、草稿の最初の部分を印刷に送った後残りを仕上
これを復活祭見本市と考えるリ lデルに対して、ル lカス/ラ
へlゲルはこの印刷を延期したのか。九月二O 日連邦議会で承
いる﹁見本市﹂とは、復活祭見本市(五月二日)、ミカエル祭見
マイルは一八一九年三月末に公刊準備が既に進んでいたとは想
認されたカ 1 ルスパ lド決議の内容は一 O月二日、五日、一二
次いで、ここで﹃法哲学﹄の出版期限(/)として挙げられて
一八一九年八月に章一回かれたと推定される同年冬学期講義予告の
定できないとして、ミカエル祭見本市を指すと考える。事実、
一
O 月初頭を予定していたと考えられる。そして、決議の内容
日と徐々に明らかになっていったから、印刷開始時期としては
中で、﹁自然法と国家学﹂講義が﹁まもなく出版される便覧を手
としていました。今では我々は検閲からの自由に関しどんな状
邦議会の決議がやってきたとき、私はちょうど印刷を始めよう
イツア 1宛ての書簡が問題となる。この書簡でへ lゲルは、﹁連
二
一O日クロ
れなかったのか。そこで第二に、一八一九年一 O月
では、何故﹁法哲学﹄はこの予告通り一八一九年秋に出版さ
刷を延期したと考えるには、プロイセンで決議が実施される際
イルティングの如く、草稿が二Oボlゲン以下だったが故に印
我々は検閲からの自由に関しどんな状況にあるか知っている
日になってからであり、書簡にある通り、三O 日の﹁今では、
ンで決議が実施された時の具体的規定が明らかとなるのは二六
知る為に印刷を延期したに違いない。一 O月一八日にプロイセ
を知った時、へ lゲルはプロイセンにおける実施規定の内容を
況にあるか知っていますから、私はそれを今後近いうちに印刷
に二Oボ 1グンという検閲の限界が維持されることをへ 1ゲル
引きとして﹂為されることが告げられた。
するでしょう。﹂と述べているが、まず、ここで念頭に置かれて
が
一 O 月初めに期待していたと仮定しなければならない。第三
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いる﹃法哲学﹄の草稿は草稿全体ではなく、その最初の部分と
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る障害が原則的にもう何もない﹂と言おうとしていると解さね
改作の意図は読み取れず、これはむしろ﹁今や印刷開始に対す
に、﹁今後近いうちに印刷するでしょう。﹂という表現から草稿
の解釈においては、原稿全体を検閲に付すという方法をへ lゲ
が予期していたと想定する場合にのみ意味を持つ。ただし、こ
部分に関する検聞が問題なく速やかに完了することをへ lゲル
草稿は完成し、検閲・印刷・校正を経てミカエル祭見本市二
ルが知らない或いは忘れていた(ノ)ことが前提されている。
の検閲規定に拠れば、出版物の検閲に関し二つの方法が可能
O月前半)において﹃法哲学﹄は公刊された。この間三か月余
そして、六月九日から二五日(序文日付)までの聞に司法哲学﹄
だった。第一が原稿全体を検閲に付し後に印刷する方法、第二
りをイルテイングのように﹁通常より長い﹂と見ることはでき
印刷する﹂という決定を実行に移さなかったのか。プロイセン
が原稿を少しずつ検閲に付し順次印刷する方法である。後者の
なし。
ばならない。最後に、では、何故へ iゲルは寸今後近いうちに
方法を採用した場合、途中の原稿が不許可になり既に印刷され
以上の解釈に基づいてル lカス/ラマイルは次のように結論
する。司法哲学﹄成立史は、印刷・:を予定された草稿を作成す
た部分に影響が及ぶことになっても、その損失は出版社が負わ
ねばならなかったから、前者の方法を採用したと推定される。
る際にへ 1ゲルが通常経験する叙述の困難さに帰することがで
・:多くの解釈者のように、へ lゲルが検閲を全
だが、完成された原稿はまだ存在しなかったから印刷開始を延
0
きる。﹃法哲学﹄の場合は、更に検閲手続きに伴う不便さがこれ
を付け加わる
期せざるを得なかった。
第三が一八二O年六月九日ニコライ書庖あるいはウンガ!印
ルlカス/ラマイルの以上の異論については、個別的解釈に
体として切り抜けるのに特別な労力・注意・時間を費やしたと
為送ります。しかし、まもなく後で送る予定の残りの部分が検
関して二点の疑問が挙げられる。まず、第一の書簡ご八一九
想定する為の確かな根拠はこれまでの所存在しない。﹂
聞から一戻ってくるまで印刷を始めないようお願いします。﹂と
年三一月二六日)における﹁ライプチヒの見本市までに﹂をル l
ここに一包みの原稿││半分(或いはそれ以上)││を検閲の
述べている。ここに検閲に対するへ lゲルの恐れを窺わせるも
カス等のように出版期限と解する必要はないのであって、五日か
1 は
刷所に宛てたと思われる書簡であり、そこでへ lゲルは、 私
のは何もないのであって、むしろ書簡の後半部は、原稿の前半
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る。そして、この想定の論拠として、一八一八年二月一日
書庖主ヴインター宛ての書簡において、へ lゲ ル が フ !
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ゴ!との対決が﹃法哲学﹄の最初の部分にある点を挙げて
いる。これに対し、ル lカス/ラマイルは、第二団法哲学
講義にブ lゴーへの言及が見当らない点、﹃法哲学﹄にお
けるフ 1ゴ!との対決が注解部分に限られる以上、著作の
最初は著述活動の最初を意味するわけでない点二八一九
年四月にへ lゲルがブ lゴl の本を購入している以上、
フlゴーとの対決が一八一八年二月にまで遡るが疑わし
い点を挙げ、リ1デルに反駁する。そして、一八一九年三
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い以上、書簡における寸見本市しとはミカエル祭見本市を
月末において著作の公刊準備が進んでいたと想定できな
指すと考える。
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(叩叩)開
(五)第二に、理論的解釈の次元においてイルティングの見
解に対して提出された異論をホルストマンとオットマンについ
て見てみたい。まず、ホルストマンはイルディングが示した理
論的解釈について次の三点にわたる疑問を提示している。第一
に、イルティングが挙げるような著作と講義の聞の理論的相違
によってへ lゲルの立場の転換を明確に論証することが出来る
かという点である。まず君主権の叙述に関し、へ 1ゲルは異な
る時期に相反する二つの立場を代弁しているとイルディングは
考える。しかし、法哲学講義におけるへ 1ゲルの立場を特徴づ
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の強調点の相違と解さなげればならない。無論、この根本思想
の相違と称されたものは、むしろ同一の根本思想を叙述する際
哲学 L二七七節、二八五節にも見出される。﹁君主に関する見解
また国制に拘束されているという点、この両者はそれぞれ﹃法
という君主の職務に関し偶然的であるという点、第二に君主も
けるこ点、第一に君主の性格という特殊性は形式的決定の頂点
を語っている。しかし、政治的見解の変化と本来の見解の隠蔽
そうと試みている。﹂(︿--∞
際し:・手元にあるテクストを修正し自らの実際の見解を覆い隠
味での転換を語りつつ、他方で寸へ lゲルは﹃法哲学﹄改作に
古的プロイセン国家への選択﹂(︿円
しても、イルティングは、一方で一八一九年以後における寸復
このうち第一の意味での転換について論証は為されていないと
第三に、へ lゲルの根本思想をリベラルで進歩的だとするイ
と述べ、第三の意味での転換
-50)、すなわち第二の意
は・:それ自体矛盾を免れてはいない。﹂次に、歴史的現段階の
というこの両者は両立し難い。
れが現存の政治制度についての明確な言明を避け、多義的表現
ルティングの前提がそもそも問題である。イルティングがへ l
N)
抱握に関し叶法哲学﹄序文が第二回講義序文と異なるのは、そ
を用いているという点であり、序文をめぐる一半世紀の論争が
ゲルの思想的核心をリベラルと特徴づける際の論拠は自由の概
し、へ lゲルにとり個人の自由とは未だ抽象的で限定された形
念が精神の発展の基礎を成す点に置かれる。(︿--HE円)しか
はホマイヤ l筆記録に比べ遥かに広い解釈の可能性を含んでい
式であり、自由の真の形式は国家において実現されるのであっ
とは異なる範聞の解釈の余地を有するのであり、司法哲学﹄序文
る。﹂ホルストマンによれば、著作と講義の聞の相違は実際に
て、イエナ期へ lゲルが近代の個人主義的自然法に対して為し
何よりもこれを物語っている。﹁二つの序文で述べられているこ
は同一の根本思想における強調点の相違、或いは多義性と一義
た批判が何よりもこれを示している。﹁リベラルという概念は恐
らく近代自然法思想以外の何物にも結びつき得ないから、まさ
性の聞の相違に過ぎないとされるわけである。
第二に、ホルストマンはイルテイングが論証せんとする﹁立
に近代自然法に対する批判から得られたへ Iゲルの自由概念に
証できるか見て取るのは難しい。﹂
基づいて、彼の政治哲学の根本的にリベラルな性格を如何に論
の意味が不明確だと指摘する。イルティングの言う
場の転換
L
﹁立場の転換﹂とは体系的思想の変化、具体的な政治的見解の
変化、本来のリベラルな見解の隠蔽という一二者を意味し得る。
北法 4
1
(
1
・1
5
2
)
1
5
2
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
を、イルティングが指摘するへ l
の叙述とテクストの比較に基づく寸歴史的・文献学的論証様式﹂
次いで、オットマンはイルティングが行ったような時代状況
このような和解の積極的要素として分裂を含む理性の承認は、
概念的把握﹂として既にイエナ期において定式化されており、
ている。この和解の客体化は寸分裂の中でも実現される理性の
へlゲルの立場を明らかにしている。従って、﹁一八二O年序文
歴史的起源との革命的断絶と過去の復古的称賛とを媒介する
L
ゲルの立場の転換に対し寸へ lゲルの思想における連続性しを
の悪名高い標語も革命と復古の聞を調停する哲学の両義的定式
に対し﹁体系的解釈の視点
一性を更に一層強調する。第一に、君主政論に関しイルティン
対置することによって、ホルストマンが指摘した根本思想の同
よる決定の執行と適用に還元されるのかという点にのみ関わ
するのか、あるいは君主の絶対的権限によって統治権は君主に
れている。無論、へ lゲルにとり自然法と実定法とは全く種類
することがあり得る
H
N
2
Z
) であるものと内容上相違
律(の2
2N) は、即白的に法 (
第三に自然法論の修正についても、﹃法哲学﹄一二二節では寸法
と解さねばならない﹂のであって、そこには体系における妥協
る。だが、この君主の権限の絶対性と空虚性は共に、﹃イエナ実
を異にするものでなく、個人が自然状態において前政治的権利
グが主張する立場の転換は君主権の基礎としての君主政原理で
在哲学﹄以来﹃法哲学﹄と法哲学講義を通じて見出される。も
を有するような自然法をへ lゲルは知らない。﹁しかし、へ lゲ
の傾向への問いが残されている。
ちろん、君主権の基礎づけは、自然による世襲君主の正当化が
ルが国家の外における如何なる権利も個人に対して認めないと
はなく、君主の権限の問題、つまり空虚な決定のみが君主に属
自然から自由へと向かう客観的精神の発展と一致し得るかとい
しても、これは復古に規定された理論ではなく、イエナ以来存
二回講義一回二節の中で﹁究極の和解は、学による理性的なも
第二に歴史哲学的視野の隠蔽に関しても、へ lゲルは既に第
妥協の問題は歴史的・文献学的方法によってではなく、体系の
協は既にイエナ期に妊胎しているのであり、へ 1ゲルにおける
に、イルティングが﹃法哲学﹄のうちに見て取った復古への妥
在する彼のアリストテレス主義の帰結である。﹂以上のよう
とされ、自然法と実定法の相違が明言さ
う問題を苧んでいるが、この体系的問題は復古への適合という
のの認識である。﹂(︿回目 ω巴)と述べており、一八一八│一九
L
問題とは結びつかない。
年のへ lゲルにおいても即自的に起こった和解は対自的になっ
北法 41
(
1
・1
5
3
)
1
5
3
研究ノート
分析によってのみ議論可能である。
ホルストマンとオットマンによって提出された理論的解釈に
おける以上の異論は次の二点に要約することが出来る。第一に、
イルティングが想定するへ lゲル政治哲学の根本的にリベラル
な性格に対し、ホルストマンは、リベラルな性格の根本的限定
(6) 肘
σ
p
w∞-Nω
印
戸
(
7
) 開σp -Nω 一
∞
・
門
門回二
Nb・
(8) 何σ?ω ・Nω∞﹃・
(9) 同σ ω・Nω由﹃・
解釈の対立の延長を意味するのに対し、後者は著作と講義の聞
系的思想における連続性を対置する。前者が実質的には新旧両
に対し、ホルストマンは根本思想の同一性を、オットマンは体
に、イルティングが指摘する具体的な政治的見解における矛盾
スハイムの両筆記録[第五回・第六回講義]に関する不確実性
は全く正しい﹂と認めつつ、にもかかわらず﹁ホトlとグリー
スターがガンス版を非難した仕方をイルティングが批判したの
対 し 為 さ れ た 異 論 を 見 て み た い 。 ま ず 、 ヌ ッ サ lは﹁ホフマイ
(六)第三に、文献学的見解の次元においてイルティングに
(叩)肘ぴ門?ω ・
の関係をめぐる断絶説と連続説の聞の新たな対立と言うことが
は、それによって除去されない﹂として、公刊された﹃法哲学﹄
性を、オットマンは体系における妥協の傾向を主張する。第二
出来よう。いわば解釈対象に転位されることで調停されるかに
は﹁文献円了的に特別な地位
うイルテイングの見解は、理論的解釈から得られた結論に基づ
ていないが放に司法哲学﹄に対して資料として優位に立つとい
に、法哲学講義は検聞に対する恐れによって理論的に規定され
に対して有する優越的な地位しを強調している。既に見たよう
記録[第二回講義]が:・ホ卜1及び:グリ!スハイムの筆記録
別な地位ヘ更には﹁口述筆記に基づき作成されたホマイヤ l筆
を占めていると指摘する。また、
見えた対立は、対象における対立と同一をめぐる対立となって
オットマンも﹁へ 1ゲルが正式に認可したテクストの有する特
a
L
再び解釈主体の側へと投げ返されたわけである。
印
円
甲町・
出C35山口P 出
Nt
即
・ 0wω
・ ・
開
σ己 よ ∞ -NAF
開
σ己 よ ∞ -NAF
=E白
ロP 白
・
白
・ 0 ・ω-Mωc・
σ ω-Mωω
開 門
戸
。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
1
(
1
・1
5
4
)
1
5
4
北法 4
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
講義と第五回・第六回講義の間で信頼性に差異が存在すること
資料として劣位の位置にあること、法哲学講義の中でも第二回
サlやオットマンの言うように﹃法哲学﹄に対し法哲学講義が
粋に文献学的問題として吟味されねばならない。その場合、ヌッ
くものであって、法哲学講義の信頼性はこれとは切り離して純
よって交わされた論争を概観したい。
二次法哲学講義公刊をめぐってへンリヴヒ、イルテイング等に
プが後者に対する限定的批判を行っている。本節では、この第
を試みた後、ル 1カスがこの両者に対する全面的批判を、ジー
対し、第一回・第三回講義に依拠しつつイルティングが反批判
リッヒが先のイルティングの見解に対して批判を加え、これに
に対応する形で、第三回講義の冒頭には﹁理性的なものは
L
現実的となり、現実的なものは理性的となる。﹂(当日耳目ロ民自
る
。
る寸理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的であ
解釈の次元において見てみたい。第一に、﹃法哲学﹄序文におけ
資料に依拠しつつイルティングに対して行った批判を、理論的
(二まず、第三団法哲学講義の編集者へンリッヒがこの新
は認めなければならないであろう。
(1)Zcgq唱国・白・。 -wω・ N 2・ NNω・
(
2
) 。35同コP 出
・
白
・ 0 ω・ NN
・
・
・
申
第二次法哲学講義公刊をめぐる論争
釈、文献学的見解の三者に区分しつつ考察した。だが、新資料
解並びにこれに対し提出された異論を、伝記的記述、理論的解
れている(﹁制度理論的視点﹂)のに対し、後者においては現実
て、歴史的に成立した制度が理性的性格を有することが強調さ
り、前者においては概念(意識)に対する現実の優位に基づい
をめぐる同一の思想の両面を表現したものと考えられる。つま
・)
の公刊はこの第二回・第五回・第六回講義だけに留まらず、新
(︿出巴)という命題が見出されるが、この両者は理念の実現
己z
cEE
印
ヨ
円 EWZ三E52EEm
m
w呈丘三E5・
たに第三回・第一回の法哲学講義が発見され、共に一九八三年
に対する概念の優位に基づいて、理性的制度が歴史的に実現さ
前節では、第一次法哲学講義公刊をめぐるイルテイングの見
に公刊されるに及んで、先の論争はこの新たなアリーナの下で
れ得ることが強調されているつ歴史理論的視点
L)
。この講義で
続行されることとなった。まず、第三回講義に依拠しつつへン
北法 410・
1
5
5
)
1
5
5
四
研究ノート
性を超えて、現にある具体的なものとなる。﹂(︿固にご換言
成を強調しつつ定式化されている。理念はこの概念から、主観
のに対し抗することが出来ないということが、状態ではなく生
は﹁如何なる力も国民(︿己主が﹀概念において︿到達したも
に埋め込んだ仕方から直接生じてくる。﹂(︿国民)
﹁何れも、へ 1ゲルが国家の概念を論理的概念の体系そのもの
性を他の講義以上に強調している。だが、この強調点のうちの
更に第三回講義において、へ 1ゲルは君主の決定の単なる形式
に対し、司法哲学﹄では君主の決定の絶対性が強調されており、
このように理性と現実の二重命題、君主権の理論というこ点
すれば、前者では発展の要素が理性と現実の同一性に従属して
いるのに対し、後者では理性と現実の究極的統一という思想に
について、司法哲学いと第三回講義││更には法哲学講義一般
相違であることをへンリッヒは指摘する。強調点の理論的相違
││の聞の相違は同一の両義的思想を叙述する際の強調点の
盾ではなく強調点の相違と解さねばならないのであって、寸統一
を認める限りにおいてへンリッヒはイルテイングの見解に同意
動が示されている。へンリッヒによれば、この両者の相違は矛
的連聞を成す同一の思想のうちの各々異なった局面が、本来的
するが、にもかかわらず、他方でこの相違を同一の両義的思想
拠りつつ、理性の現実化と現実の理性化という両面から成る運
叙述[第三回講義]と派生的叙述[著作]において強調されて
という内在的根拠から説明する限りにおいてイルティングから
一方で君主による決定は国制という制度に拘束されているにも
対する批判を行う。﹁へ lゲルが﹃法哲学﹄の公刊を準備したま
つつ、へンリッヒは伝記的記述の次元においてイルティングに
そして、第三回講義に関するこのような理論的解釈に依拠し
挟を分かつわけである。
かかわらず、他方でこの制度に基づく決定が君主の自己統治へ
さにその半年間に行われた講義は、・:復古への好意的態度に
第二の君主権の理論についても同様の事が言えるのであり、
いるに過ぎない。﹂(︿出口)
と移行する時点とその程度を決定するという権利が君主に帰属
よって以前及び以後の講義から区別されるわけでなく、それど
ころか﹀リベラルな︿理論的解釈を許容するような要素の強調
へlゲルの理論そのものに組み込まれているのであって、何れ
の契機にアクセントを置くかによって相違が生じてくる。即ち、
において他の講義を上回っている。そこにはドラマティックに
している。立憲主義と絶対主義というこの理論的両義性もまた、
一連の法哲学講義では君主の決定の形式性が強調されているの
北法 41
(
1
・1
5
6
)
1
5
6
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
れるわけである。
ゲルの政治的立場の転換というイルティングのテーゼが反駁さ
いるリベラルな性格によって、一八一九年一一月におけるへ!
ばならない。し(︿国民)一八一九二O年冬学期講義が示して
自由を力説するほどには不安を抱いていなかったと認めなけれ
は教室において歴史理論的視点を隠蔽し、君主の行為における
展開する時代状況の知何なる痕跡も見出されない。:・へ lゲル
及び他の講義に対する第三回講義の資料的同等性というへン
べてヨリ満足のできる作品となる。﹂(︿国少戸)しかし、著作
は﹁四分の二の部分からは、へ lゲル政治理論の他の資料に比
い説明を必要とすべく構想されているしのに対し、第三回講義
観的である。彼によれば、﹃法哲学﹄は﹁講義において更に詳し
としているのであって、この点についてへンリッヒは極めて楽
慮というイルティングの見解を認める。﹁著作と講義の聞の相違
していることを説明する外在的な根拠として、検閲に対する考
ルの説明を理解できなかったが、のみならず余り熱心には講義
る。(︿出口)第二に、﹁講義聴講者は・:講義開始時にはへ 1ゲ
しは公刊された一連のパラグラフに拠らなかった
り口述筆記部分を含んでおらず、従って、﹁へ 1ゲルは口述ない
とならざるを得ない。第一に、この筆記録は第二回講義と異な
リツヒの暗黙の前提は、次のような記述に面した時危ういもの
を:・意図から説明するような根拠を考慮する場合、上司[アル
に集中せず、恐らく何時間かを欠席した。﹂(︿出口)第三に、
だが、へンリツヒは同時に、著作と講義の間で強調点が移行
テンシュタイン]に対する顧慮と並んで、唯一検聞に対する顧
と推定でき
慮を挙げることが出来る。:・草稿の後半部分が検聞から返って
この﹁筆記録は職業的筆記者によって聴講者の覚え書きから作
L
くるまで前半部分の印刷を延期するよう頼んでいるへ lゲルの
N
) へンリツ
︿出口・ 8
L(
義筆記録の文献学的信頼性は著作のみならず他の講義に対して
ヒによる以上三点の文献学的記述を考慮するならば、第三回講
中に成立しなかったのは確かである。
成された﹂以上、﹁ここに公刊された草稿がへ lゲルの講義時間
ぐ Z N C )検閲を非政治的・手続き的問
L(
書簡[一八二O年六月九日]は、検聞に関する不安から説明す
ることが可能である。
﹃法哲学﹄成立に及ぼした政治的・実体的な影響力を認める点
も劣ると言わなければならない。
題へと還元するル lカス/ラマイルとは異なり、検閲の存在が
においてへンリッヒはイルテイングと共通すると言える。
無論、先の理論的解釈は第三一回講義の文献学的信頼性を前提
北 法4
1(
1
・1
57
)1
5
7
研究ノート
(1)
口出巾コユロ﹃ f E 田口]巾芹ロロ関与巾出回巾円何回己的拘巾σ巾門田一
1S
ロロロ常一口︿巾コ三﹁E
n
yロロ m F 3 Z ︿出・申
・
︿
2
.・
(2) ﹁印刷された﹃法哲学﹄が従来使用可能だったそれ以前
の時期の資料︹第二回講義]と比べ相違を示す限りで、イ
ルテイングの記述は:・説得的だった。そのような相違は
(二)第三団法哲学講義に基づくへンリッヒのこのような批
判に対し、イルティングは自ら編集した第一団法哲学講義筆記
録の序文並びに序論の中で次のように述べている。一九七三
│七四年の第二回・第五回・第六回講義公刊を通じ明らかとなっ
た﹁新たなへ lゲル像﹂は、へンリツヒによる第三回講義公刊
、第一回講義公刊によって寸今や
を通じ﹁驚くほどに確証され L
現実に存在する。中でも序文では:・歴史理論的視点が制
度理論的視点により駆遂されているし、程度はヨリ小さ
最終的に保証されたと見ることが出来る。﹂(︿巧回日
a
H∞)
いが、君主権の章でも君主の決定権がこの決定の形式性
第三回講義筆記録の書評という形式を取る同年のイルテイング
﹁新たなへ lゲル像﹂を証明しているのであろうか。以下では、
如何なる点で一九八三年に公刊された二つの法哲学講義がこの
に比して前面に出ている。﹂(︿巴町ご
そして、この第一回講義は﹁長らくプロイセンの国家哲学者と
へ lゲルが政治運動取締りのための﹃カ l ルスバ lド 見られてきたへ
(
3
) ﹁
lゲルが南ドイツにおける初期立憲主義の傑出
決議 L ( 一八一九年夏)のために法哲学の内容を変更した
した理論家であったことを証明している。﹂(︿者同呂ごでは、
というイルテイング説は、へンリッヒによって否定され L
たという加藤尚武氏の要約は、検聞が﹃法哲学﹄成立に及
の見解を有していることを看過している点で適切でない。
ぼした影響力に関してへンリッヒがイルティングと同様
の論文を対象としつつ、第一回・第三団法哲学講義をめぐるイ
L
前者の政治的見解に関してはへンリツヒと同様、寸第三回講義筆
テイングは、へ lゲルの政治的見解と体系的思想を区別しつつ、
まず著作と講義の関係をめぐる理論的解釈において、イル
解釈と伝記的記述について見てみたい。
ルティングの見解並びにへンリッヒに対する反批判を、理論的
﹃理想﹄六二O号
、
(加藤尚武﹁へ lゲル研究の曲がり角
一九八五年一月、二三九頁参照。)
(4) ﹁この[第三回︺講義録の資料的価値もほぼ決定的なも
のだと言ってよい﹂という加藤尚武氏の指摘は、第三回法
哲学講義の文献学的信頼性に関する批判的吟味を欠いて
いる。(加藤尚武﹁最近のへ lゲル研究事情﹂﹃理想﹄六O
五号、一九八三年一 O月、五八頁参照。)
記録が復古政策への譲歩を含んでおらず、その叙述は残りの法
北法41
(
1
・1
5
8
)
1
5
8
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
ことを認める。そして、第
歴史の理念は原則的に廃棄されている。へンリッヒの言う講義
における﹁歴史理論的視点﹂とは﹁歴史的現実はまだ理性的で
L
一回・第二回・第三回講義の聞の理論的同質性、これらの講義
はない﹂という思想に、著作における﹁制度理論的視点 Lは﹁現
哲学講義に劣らずリベラルである
と著作の間の異質性を次の二点において指摘する。第一に、﹃法
存の国家制度が既に今理性的である
という思想に帰着するの
哲学﹄公刊に先立つ三回の講義の中には、理性と現実の連闘を
であって、両者を同一の思想に属すると考えることは出来な
第二に、先の三つの講義では、君主の決定は形式的・主観的
L
示す次の諸命題が見出される。寸国民精神(︿ C一官官互)は実体
性的なものが起こることは必然的である。﹂(第一回講義、ぐ者回
され、更に君主は政治的には無意味な存在であるが故に責任を
性質を有するに過ぎず、実質的・客観的決定は内閣に属すると
である。総じて国制(︿RPEC口問)はその発展であるから、理
第二回講
盾が存在することが前提されている。これに対して、﹃法哲学﹄
の歴史的状況において理性的なものと現実的なものとの間に矛
うちに具体化されることの必然性を示しており、そこでは当時
取りつつ理性が歴史的に発展すること、理性的なものが現実の
講義、︿国宮内)これらの命題は何れも、国民精神という形を
ものは現実的となり、現実的なものは理性的となる。﹂(第三回
世界において妥当し得ることを哲学は知っている。・:理性的な
臼)﹁国民の概念のうちに存在するもののみが現実
と内閣において主観的なものと客観的なものとの分離が現われ
は全ての責任を免れている。﹂(第二回講義、︿--ωωN内)﹁君主
り、内閣のみが政府の行為に対し責任を負い、これに対し君主
回講義、ぐ宅Z 5日)﹁このような客観性と主観性との区別によ
全ての決定は当該大臣によって署名されねばならない。﹂(第一
て決定されたりするような君主の行為は起こり得ない。君主の
個人によって決定されたり、君主の主観的な側近、宮廷によっ
を負うとされている。﹁君主権の責任は大臣に属するから、単に
免除されるのに対し、内閣は政治的な権限を有するが故に責任
L(
目叶)寸全ての国民は・:必然的段階に基づいて、自由の概念と現
実との一致を目指す闘争に耐えぬかねばならない。
N
序文において理性と現実の聞の矛盾を見出すことは不可能であ
る﹂から、﹁責任は大臣にのみ帰属し得る 0・:君主の尊厳は政府
義、︿
り、理性的なものは現実的であるという言葉によって、過去に
の行為に対して何ら責任を負わない。
L(
第三回講義、ぐ出回ω)
おいて始まり未来において漸く完成されるような発展としての
北法41
(1・
1
5
9
)
1
5
9
研究ノート
これに対し、﹁法哲学﹄はニつの異なる解釈を許容するのであり、
盾と並んで、イルテイングは体系的思想のレベルにおいても両
このような政治的見解のレベルにおける講義と著作の間の矛
は矛盾である。﹂
にも全ての決定を為し、政府はこの決定を実施・適用する為に
者の聞の二疋の差異が見られることを指摘している。つまり第
第一の解釈によれば﹁君主は︾形式的︽のみならず︾実質的︽
のみ存在する。 また、第二の解釈によれば﹁政府は一方で、君
ことが出来る。講義と著作の聞のこの相違を、へンリッヒのよ
それは﹁検閲並びにその背後にある権力への譲歩﹂と解釈する
は君臨すれども統治せず﹂との見解とは相容れないものであり、
おけるこのような君主権の絶対主義的観念は、講義における﹁王
定の実施・適用︽(一一八七節)に携わる。﹂何れにせよ、著作に
たらし、他方で、君主権とは異なる契機として︾君主による決
主権の一契機として︾決定の客観的面会二八四節)を君主にも
て自然法的理性概念と思弁的理性概念は混在しているのであっ
系的な非連続性﹂を意味するものでは決してなく、各々におい
わけである。もちろん、この志向の転換は講義と著作の聞の﹁体
実の関係に関する見解の相違の根底に横たわっているとされる
ER-02ぽ吉ロぬ)が存在しており、これが理性と現
向の転換﹂(円H
的理性概念へ、規範的理論から思弁的理論へと転じるような﹁志
法的理性概念から両極を結びつけ統一する第三者としての思弁
一回講義と﹃法哲学﹄の聞において、普遍的規範としての自然
L
うに制度に基づく決定と君主の自己統治が共存するような両義
て、﹁志向の転換しとは、﹁原理的に異なる二つの:・課題が共に
以上の理論的解釈、中でも政治的見解における矛盾の指摘に
思想のうちに含まれており、叙述に際し両者の間で重点が移動
拠りつつ、イルティングはへ 1ゲルの政治的立場の転換という
的思想における強調点の差異と解してはならない。君主の自己
く決定とは両立しない。ここでは君主の権限が問題であるから、
テーゼを再び主張する。へ lゲルは一八一七年以来、﹁自由な自
統治に移行する時点を決定する権利が君主に属するならば、そ
全ては規範的に解釈されねばならず、復古期において両者が共
己意識の発展によって歴史的に乗り越えられた法制度を克服
しているということ﹂を意味する。
存し得たのは事実上の権力状態にのみ基づく。つまり、﹁事実と
れは君主の自己統治以外の何物でもないのであり、制度に基づ
規範の区別を抹消する場合にのみ・:︾両義性︽について語るこ
ょう
し、理性に適った国制を創出するための努力を支持する
L
とが出来る﹂のであり、﹁︾両義性︽と考えられたものは、本来
北法 41
(
1
・1
6
0
)
1
6
0
年までの哲学的・政治的思想を本質的な点で否定するような立
はわずか数ヵ月後、一八二O年初夏には、一八一七年から二O
lニO年冬においてもなお維持されていた。寸しかし、へ iゲル
な立場を講義において表明しており、この思想は一八一九年
の中の﹁客観的精神﹂││後年﹃法哲学﹄へと発展する部分!ー
一七年に公刊された﹃エンチクペディ 1﹄初版(序文日付五月)
迄かに大きな体系的完成度を示しているという点である。一八
冬学期の第一回法哲学講義が後の第二回・第三回講義に比して、
よれば、これらの筆記録からまず明らかとなるのは一八一七年
は現存の法的・国家的状況に反対する立場から、当時存在した
はまだ完成されてはおらず、従って、かつては第一回講議にお
では抽象的法の理論が完成されているのみで、道徳性及び倫理
L
国家のみならずその抑圧的復古政策をも明確に正当化する立場
いて﹃法哲学﹄の体系的構成は未完成の段階に留まると推測さ
場を公刊された司法哲学﹄の中で取った。
へと移行した。・:ここに存在するのはまさに︾政治的立場の転
れていた。しかし、今やこの想定が誤りであったことが判明し
L
こうしてへンリッヒが指摘する
換︽と呼ばれるものである。
たのであり、寸第一回講義における叙述は多くの点で:・第二回講
によって、この修正に応じている。しかし、かつては伝記的記
時期を一八一九年一一月から一八二O年初夏へと変更すること
ラグラフから成っている。これに対して、第三回講義筆記録か
ラグラフを示すに過ぎないのに対し、第一回講義は一七O のパ
部分についても妥当するのであって、第二回講義は一四二のパ
これは第二回講義の筆記
第三団法哲学講義(一八一九年冬学期)のリベラルな性格に同
録では断片的に伝えられている注解部分のみならず、口述筆記
義よりも具体的で完成されている。
述に基づき語られていた立場の転換の時期が、ここでは第三回
ら窺えるのは﹁へ lゲルがそれ以前の二つの講義のように、パ
L
テlゼは修正せざるを得ないのであり、イルティングは転換の
意する以上、一八一九年一一月までの立場の転換という従来の
という点で、この修正が十分な説得力を有するとは言い難い。
講義を新たに取り入れた理論的解釈に基づいて変更されている
録には見当らない。そこで、寸へ lゲルは第三回講義において、
という点であり、原稿に基づいて講義を行った痕跡はこの筆記
ラグラフの本文をノ iトに口述筆記させることを見合わせた﹂
の時々における﹃法哲学﹄の体系的完成度を判断しつつ、﹃法哲
法の哲学の素材:・を草稿に拠らない講義の中で述べたと想定し
次いで、イルテイングは第一回・第三回講義の筆記録からそ
学﹄成立過程に関し新たな記述を試みている。イルティングに
北法 4
1
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つまり、寸へ lゲル
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
研究ノート
程をたどったと考える。﹁へ lゲルは一八一七年春に抽象的法の
初の部分は注目すべき未熟さによって際立っている。その筆記
のように述べている。まず第三回講義に関しては、﹁筆記録の最
最後に、新資料の文献学的信頼性についてイルティングは次
来ると主張する。
概略的叙述を完成した後、夏季休暇(九│一 O月)に次の冬学
者は講義開始時には述べられた事に対し特別な関心を抱かな
従って、イルティングは﹃法哲学﹄成立が大略次のような過
なげればならない J
期の講義を準備し、それに対し、司法哲学﹄から知られるような
かったし、十分理解も出来なかった。﹂そして、﹁この氏名不詳
き写されているに相違ない。﹂従って、第三回講義の筆記録に
の筆記者による講義録は、一層能力が乏しい筆記者によって書
る。・:ハイデルベルクからプロイセンに移住した[一八一八年
は﹁恐らくは講義そのもの以上に・:遺憾な点が多い
講義に比して遥かに大きな体系的完結性と統一性を示してい
一
O月]後、へ lゲルは[一八一八年冬学期の]第二回講義に
し、第一回講義筆記録は﹁疑いなく、従来知られていた全ての
形式を与えた。[一八一七年冬学期の]第一回講義は後の全ての
おいて講義の本文を縮小し:・た。一八一九年夏には印刷を予定
筆記録の中で哲学的に最も内容豊かであり、かつ文献学的に最
ものであって、それは口述筆記された本文のみ
OL
これに対
したテクスト(司法哲学﹄初稿)を作ったが、これは第三回講義
ならず、注解部分についても当てはまる。
も信頼できる
L
には直接反映せず、この講義はむしろ原稿に拠らず覚え書きに
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(2)
関巾宮司出口町
(1) 欠
基づいて為されたと思われる。しかし、一八一九年秋から一八
二O年初夏までの聞にへ lゲルは手元にある初稿に手を加え、
可法哲学 Lの最終的テクストを書き終えた。﹂この際イルティン
グはル!カス/ラマイルの批判に対して、﹁﹃法哲学﹄初稿が一
八一九年九月末に完成していたと想定する為の証拠を我々は
持っていない﹂ことを認めながら、へ lゲルが一 O月
一
二O Hの
書簡で予告したにもかかわらず印刷を直ちに開始しなかった理
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由は、へンリッヒと同様に検閲への考慮から説明することが出
北法41
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へーゲノレ法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
(4) この箇所は筆記録の解読・校訂に関し、イルテイング版
の権力が行政の唯一の原動力だから、君主は大臣の仲介に
れとは別個の存在を有する。﹂﹁自由な憲法において、内閣
を次の
(叩)開
門
門︼
・
NC日
・
叶
調点の差異か、相容れない二つの思想の聞の矛盾か)、或いは理
めつつ、理論的相違の性質をめぐって(同一の思想における強
作の聞の理論的差異、その根拠としての検閲への恐れを共に認
(三)以上のように、へンリツヒとイルティングが講義と著
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白
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の原文は以下のようになっている。
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(8) イルティングによれば、君主権のこのような把握はパン
ジ ャ マ ン ・ コ ン ス タ ン に よ る 一 八 一 四 年 の 憲 章 (hy
同
え
巾
25ZE位。ロロ白己巾)のリベラルな解釈を継承しているとさ
L
れる。例えばコンスタンもまた、憲章一二条﹁王の人格は
神聖かつ不可侵である。王の大臣が責任を負う。
ことにより、内閣の権力と王の権力を明確に分離する。内
論的相違を規定する主たる要因をめぐって(両義的思想という
ように解釈していた。寸我々の憲法は大臣の責任を定める
閣の権力は主の権カに由来するにもかかわらず、実質上こ
北法41
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6
3
研究ノート
要因か)論争を交わすのに対して、ルーカスはこの両者に対し
内在的要因か、検閲に代表される当時の復古政策という外在的
の中で・:述べられたへ 1ゲ ル に 対 し 持 ち 出 す こ と に 対 す る 警
たのであり、このように﹁へ lゲルの手にならない草稿を著作
ブアルンハ lゲン・フォン・エンゼによって為されていた。当
だが、ル l カスによれば、そのような警告は既に一八三九年、
告﹂が必要である。
とする書評の中で、この筆記録が有する文献学的信頼性に対し
時K-E ・シュ 1 バルトは自らの著作の中で、へ lゲルの立憲
まずル l カスは、へンリッヒが編集した第三回講義録を対象
て全面的批判を加えている。
て疑念を表明する。ル lカスによれば、﹁我々にはもはや入手不
君主政は﹁君主の衣をまとった共和政﹂であり、そのような理
として、へ lゲル司法哲学﹄の非プロイセン的・革命的要素を
可能な[聴講者による]原本が J阜稿で扱われた素材に対し自
介在する﹁二重のフィルター﹂を考慮するならば、へンリッヒ
告発していた。これに対し、フアルンハ 1ゲンは、シュ l パル
ないという確信を呼び起こす以上、﹁謀反と反乱の教唆﹂である
が第三回講義の筆記録に置いた高次の資料価値は疑わしい。し
卜の非難がガンスによってへ 1ゲルのテクストに付された﹁追
論は現存する国家が国家の理念に対応する完成された国家では
かし、ル lカスが問題とするのはへンリッヒが前提する第三回
加﹂に対し向けられており、﹁追加は本来のテクストに対して一一
らは何ら関係を持たないL:・職業的筆記者により書き留められ
講義筆記録の信頼性のみには留まらない。そもそも講義筆記録
理論を追加に基づいて非難するのは無理解と中傷に満ちた仕方
次的関係に立つ﹂以上、-この追加を理論そのものと言い立てて、
た﹂という事情、語られたものと書き留められたものとの聞に
との同一視に対し、ホト!とグリ l スハイ
一般の信頼性が疑問であって、寸へ 1ゲルのテクストと講義から
ムの筆記録では弟子の精神とへ lゲルの精神が検証不可能な形
今同でも講義ないしは追加の中にへ lゲルのリベラリズムを見
である﹂と述べて、へ 1ゲルを弁護した。ル l カスによれば、
作成されたヱ追加
で混在しているという根拠によって、ホフマイスターが留保を
出そうとする者は、フアルンハ lゲンにより﹁一八三九年以来
L
付したのは私の考えでは全く正しかった。﹂然るに、イルテイ
既にその妥当性を批判されているような仕方に従っている J
しかし、ル l カスによりその信頼性を疑われた第三回講義並
ング以来、著作と講義の資料的同等性を前提として講義の中に
へlゲルの真の顔を見出そうとする試みが為されるようになっ
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へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
るか判断するのは難しい。何れにせよ、それはヴアンネンマン
[第二回講義の筆記者]が書き取った本文がどの程度信頼でき
前者についてル 1カスは次のように述べている。﹁ホマイヤ i
三回・第五回・第六回講義との問では当然異なるはずであり、
いる。従って、その信頼性の程度も、第一回・第二回講義と第
第一回・第二回講義はへ lゲルにより口述された本文を含んで
びに﹁追加﹂の素材となった第五回・第六回講義とは異なり、
て党派的な人間の証言を入念な検証なしに受け入れてよいもの
T-ヴェルカ l の名が挙げられ、寸確かにこのような極め
てK ・
九O ご年)公刊された遺稿では、この個人的動機の情報源とし
ょうとするへ lゲ ル の 功 名 心 を 挙 げ て い た 。 ハ イ ム の 死 後 ご
に求め、その動機としてテュ 1ビンゲン大学事務局長の職を得
一八一五l 一八一六年に為された討論﹄)における政府への妥協
﹁領邦議会論﹄(原題﹃ヴユルテンベルク王国領邦議会において
と回想されていた。だが、ハイムは
﹁私は自分の中の党派性を克服するに足る程純粋な意味で歴史
L
と前提しなければならない。ヴアンネンマンによる本文も誤り
家ではなかったしことを認めつつも、﹁それが私の著作に生き生
か考えてみるべきだった
を免れてはいないが、その信頼性はカロヴェにより保証された
きとした色彩を与えた以上、今日でもなおその事を後悔するこ
[第一一回講義の筆記者]が書き取った本文以上に校訂を要する
慎重な言い回しながら、ル lカスも
と見なすことが出来る。
ルな政策とへ 1ゲル哲学との相反性を証明する意図に基づいて
傷という方法を用いたハイムの批判は、リベラルかつナショナ
とはできない﹂と考えていた。何故なら、ハイムにとり﹁学問
L
更にル 1カスは、伝記的記述に関し、へ lグルが迫り来る政
いたが、今日ではイルティング等により寸個人的功名心から、
また第一回講義に対し他の講義に優る資料価値を認めている点
治的抑圧に直面して個人的動機からプロイセン復古政策に妥協
否、買収に応じて破壊的な政治論文を書いたという旧来の非難
をリベラルでナショナルな宣伝に奉仕させること﹂が狙いだっ
したというイルテイングの説明は、へ lゲル個人を非難するこ
は疑いないのであり、事実自らの論文において第一回講義を対
とでへ 1ゲル哲学全体の信用を失墜させんとするハイムの方法
が、個人的迫害の可能性に対する恐れへと解釈変えされてい
たからである。へ lゲル哲学全体を不信に陥れる為に個人的中
と軌を一にするとして批判する。かつてハイムは﹃法哲学﹄で
る。﹂ル lカスの見るところでは、﹁今や新たな伝説がかつての
象とする理論的解釈を展開している。
へlゲルが為した復古精神の哲学的正当化の源を一八一七年の
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へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
義の意味及び信頼性について基本的にイルティングに同意する
論﹄に基づく検証が可能である。このようにジ lプは第一回講
て最も大きな相違を一不す国内公法の部分については、守領邦議会
論(本文)に関して一致が存在する。第三に、﹃法哲学﹄に比し
とホマイヤーにより筆記された第二回講義録との間で、特に序
の該当箇所と完全に一致している。第二に、この第一回講義録
いるが、これはヴアンネンマンにより筆記された第一回講義録
回法哲学講義の中の二二七節及び一四O節(本文)を引用して
存在し得るし、また存在しなければならない。
るように、理性に基づく法と共同体での現行法との聞に相違が
法律 5
22N) も法(河内各庁)の基準ではない﹂ 245) とあ
ないのであって、第一回講義に寸哲学的法学において如何なる
哲学的法学が現行法を実証主義的に肯定し得ることをも意味し
い。だが、他方で、
発展の根本傾向を無視し、純粋理性のみに基づくことは出来な
を表わしている。従って、司法哲学﹄のような規範的学も歴史的
秩序と発展防寸論理学的理念﹂によって決定されるという思想
にもかかわらず、第二に国家の三権の聞の関係については、
1
現実的なものは理性的である﹂との公式は
が、同じ筆記者ヴァンネンマンにより筆記された続く第二団法
哲学講義の序論(注解)部分はホマイヤーによるそれとは相違
﹁一八一七年のへ 1ゲルは事実上一八二O年に比べて、西欧に
る﹂とされる。つまり、ジ lプの別の論文によれば、一八一七
している以上、第一回講義の注解部分に対しては十分な信頼を
次いで、ジ lプは理論的解釈の次元でこれまで争われてきた
年と一八二O年の問では次の三点に関し、君主権・統治権・立
おける議会君主政のリベラルな初期段階に著しく接近してい
二点、理性と現実の二重命題並びに君主権の位置について、第
一に、第一回講義によれば君主の決定は当該大臣の同意(副署)
法権という三権の聞の重点の移動を見て取ることが出来る。第
置くことは出来ないと考える。
一回講義を対象としつつ以下のように述べている。第一に、寸理
を必要とし、大臣の任免は議会の多数に依存するとされている
性的なものが起こることは必然である﹂という第一回講義の命
題は、第三回講義における﹁理性的なものは現実的となる﹂或
・
印
哲学﹄では両
者共に見出されない。第二に、第一回講義では、
が、(︿当日
2H) 第二回講義では後者が、一八二O年のヱ訟
いは著作における寸理性的なものは現実的であるしに対応する
政府と反対派の対立、議会内におりる与党と野党の対立が立法
C
と考えられるが、ジープによれば、これらの表現は全てへ lゲ
ルにおける同一の存在論的根本思想、すなわち自然及び歴史の
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研究ノート
の変化はへ lゲルの権力分立論の寸根本的特徴
て優越的地位を占めることとなった。従って、三権の聞の比重
に際して生
に関わるもの
にも見出されるが、以後のテクストには存在しない。第三に、
権の本質とされており、(︿当官CR) これは﹃領邦議会論﹄
L
L
ルlカスやジ lプによって為された以上の批判に対し、イル
でなく、むしろ状況に対する理論の﹁精密な適用
回講義では積極的意味での選挙が問題であるのに対し、司法哲
ティングの側からの再反論を期待することはもはや出来ない。
立法権それ自体の比重ならびに立法権の政府に対する比重が、
学﹄では選挙は﹁余計なこと﹂(三一一節)とされており、また、
ングは世を去ったからである。ここに、法哲学講義をめぐり交
第一回・第三回講義が公刊された翌年、一九八四年にイルテイ
じる相違と見なければならない。
∞)吋法哲学﹄ではこれが君主に
一八一七年に比べて一八一九年以降軽減している。まず、第一
NH
わされた論争は一万の当事者を失うことによって幕を閉じるこ
られているのに対し、(︿巧
第一回講義では官僚の権力濫用に対する統制機能が議会に帰せ
付与されている。(二九五節)以上の三点から明らかとなるよう
ととなった。
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に、司法哲学﹄に比べ、第一回講義では議会が政府及び君主に対
しヨリ大きな比重を有しており、この限りで、一八一七年にへ i
というイルテイングの見解に同意することが出来
Nm)
ゲルは﹁英仏をモデルとして議会君主政への歩みを成し遂げた﹂
(︿岩国
る。しかし、ジ lプによれば、この比重の変化はへ lゲルにお
ける根本思想の転換を意味するものではない。へ lグルの権力
分立論は君主の下にある不可分の主権と国制に基づく権力分立
とを体系的に統一する試みの結果であり、君主と国制の統一が
理性的国家の基盤を成すという考えはイエナ末期以来確定した
へ 1ゲルの思想であった。そして、この結果、三権の中でも君
B-コンスタン)とし
主権が最終的決定を下す﹁中立的権力﹂ (
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関するへ 1ゲルの構想は当時の英仏には現実には見出さ
れない以上、ドイツにおける初期自由主義・立憲主義の傑
回顧と展望
(ご最後に、二度にわたる法哲学講義公刊を契機として展
学講義を解釈対象に取り入れつつへ lゲル﹃法哲学﹄の新たな
開された以上の論争を振り返りつつ論点を集約し、続いて法哲
﹁条件付きでのみ受け入れることが出来る。﹂何故なら、
出した代弁者へ lゲルというイルテイングのテーゼは、
解釈を試みる上での考察枠組を提示したい。
咽
。
た。そこで、一見すると両者の対立は断絶説対連続説という両
した上で、根本思想における連続性を指摘するという点であっ
の根本思想ないしは体系的思想と具体的な政治的見解とを区別
が反論を加えてきたが、これらの反論に共通するのはへ lゲル
第三回講義をめぐりへンリッヒが、第一回講義をめぐりジ lプ
回・第五回・第六回講義をめぐりホルストマンとオットマンが、
著作の間の理論的矛盾を主張するイルティングに対して、第二
きた理論解釈上の論争を総括したい。一九七三年以来、講義と
第一に、法哲学講義と守法哲学﹄の関係をめぐり交わされて
へ1ゲルは君主を議会における多数に依存させつつも、他
方で寸君主の最終決定権﹂を認めることによってイギリス
のような君主の議会依存を拒否すると共に、全体を諸身分
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へと編制する代表によって﹁普通選挙というフランス的抽
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立し難い二律背反であるかのように見える。しかし、両者の関
係は実際には﹁あれかこれか﹂日三者包R10骨司)の二者択一を
迫るような﹁矛盾対当しの関係ではなく、アンチノミ!と見え
たものは﹁仮象の矛盾﹂に過ぎない。何故なら、一方でイルテイ
北法 4
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五
研究ノート
ヒ、ジ lプ も 具 体 的 見 解 に お け る 一 定 の 非 連 続 性 を │ │ 強 調 点
いう形で││認めるのに対し、他方でホルストマン、へンリツ
ングが体系的思想における一定の連続性を││重点の移動と
一方あるいは双方を考慮に入れればよいのである。
合には、個々の論点に応じて外在的要因と内在的要因のうちの
と言えよう。つまり、講義と著作の聞の非連続面を考察する場
第二に、当時の政治状況並びに司法哲学﹄公刊過程に関する
ングの見解の中でも相対的に最も異論の少なかった部分であ
の相違ないしは重点の移動という形で 1 1 認めるからである。
り、ハイムにならった個人的中傷というル lカスの批判といえ
のうち、まずへ lゲルが置かれた政治状況の記述は、イルティ
る。もちろん、両者共に連続面と非連続面を認めるとはいえ、
ども、具体的内容を欠く以上、到底実質的批判とはき同えない。
伝記的記述をめぐって為された論争そ見てみたい。伝記的記述
イルティングと他の論者の間で連続・非連続の比重について見
しかし、一八一九年一一月におけるへ lゲルの政治的立場の転
の枠組を共有する者の聞の力点の相違を意味していると言え
解の相違が存在することは確かであり、また問題となり得る論
換というイルティングのテーゼが第三回講義を対象とする理論
従って、外見上アンチノミ!と思われたものは、実際上は同一
以上、ヨリ広範な論点に即して連続・非連続の比重に関する最
点も理性と現実の関係、君主権の位置付けのみには留まらない
るイルティングの修正が十分な説得力を有しない点は既に見
的解釈に基づいて修正を余儀なくされた点、転換の時期に関す
更に、両説において等しく認められた非連続面を説明する根
た。だが、ここには別の修正の可能性、即ち転換の意味を具体
終的判断を下すという作業はなお残された課題である。
拠についても同様のことが当てはまる。確かに、へンリツヒ等
降のデマゴーグ狩り、九月のカ 1 ルスパ lド決議といった困難
と変更する可能性が残されている。つまり、一八一九年七月以
ている。しかし、へンリッヒが検閲への顧慮という外在的要因
な政治状況はへ 1ゲルの政治的見解を転換させるよりも、むし
的な政治的見解の変化から、著作における本来の見解の隠蔽へ
を認めざるを得なかったのと同様に、イルティングもまた体系
ろ著作において本来の見解を表出するのを妨げる方向に働いた
し、イルテイングは政治的立場の転換という外在的根拠を挙げ
的思想における重点の移動という内在的要因を認めているので
と解することが可能であり、この場合イルテイングのように転
が思想的両義性という体系的思想に内在する根拠を示すのに対
あって、この点についても両立し難い二律背反は問題ではない
北法41
(
1
・ 170)170
へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2・完)
における不明確さにもかかわらず、次の二点は確定していると
言ってよい。第一に、第一回講義が示す体系的完成度の高さで
成されていたと想定することも可能である。しかし、以上二点
出来るものか、それとも強調点の移行を許容するような両義性
あり、イルティングやジ lプが指摘するように﹃法哲学﹄の体
換の時期を特定する必要はそもそも存在しない。無論、この本
に充ちた思想であるのかという点は伝記的記述によってではな
系は既にハイデルベルクにおいて完成されていた点は見粉うべ
来の見解と呼ばれるものが単純にリベラルと特徴づけることが
ならない。
く、講義と著作を対象とする理論的解釈によって決定されねば
草稿改作説を唱えるイルティング、リ 1デルとこれを否定する
を経由しているという点であり、講義と著作の聞の理論的相違
スパ!ド決議後に課された検閲を前提として書かれ、現に検閲
九日の書簡が示している様に、﹃法哲学﹄の具体的叙述はカl ル
くもない。第二に、一八一九年一 O月三O 日、一八二O年六月
ル1カス、ラマイルとが両極で対峠しているが、説の適否を決
は検閲が及ぼした政治的・実体的影響力を考慮に入れることに
次いで司法哲学﹄成立過程に関しては、これまで見たように、
するにはなお不分明な点が多い。第一に、一七O のパラグラフ
が主として市民社会及び国家の叙述に関わるだけに、二つの講
違が存することを確認しなければならない。即ち、五つの講義
性を検討したい。まず、講義それ自体の問において信頼性に相
最後に、現在知られている五つの法哲学講義の文献学的信頼
よって説明することが出来る。
義の間のこの分量の差は次の点を考える上でも看過することは
の中でも第一回及び第二回講義(特にその本文)が高次の信頼
フにまで縮小されたのは何故かという点である。特に縮小部分
から成る第一回講義が、第二回講義において一四二のパラグラ
出来ない。即ち、第二は一八一九年の時点で草稿の完成度がど
り、第五回・第六回講義はこの両極の聞に位置し、中程度の信
頼性を有すると言える。次いで、講義と著作の聞の信頼性の相
性を有するのに対し、第三回講義の信頼性は低次に留まってお
最初の部分のみが完成されていたに過ぎないというル lカス等
違が問題となるが、この際講義の聞の信頼性の相違を考慮しな
の程度だったかという点であり、確かに、﹃精神現象学﹄﹃論理
の説は説得力を持っている。しかし、第一回講義の高い完成度
げればならない。即ち、第一回・第二回講義本文は司法哲学﹄
学﹄﹃エンチクロペディ 1﹄の場合を考えれば、ここでも草稿の
を考えれば、リ lデル、イルティングのように既に大部分が完
北法 4
1
(
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7
1)17
1
研究ノート
相違を以て講義と著作の聞の比較を最初から拒絶する態度は支
入れることは可能かつ有益であり、ル lカスのように信頼性の
性の相違を自覚した上で法哲学講義を理論的解釈の対象に採り
しい。そして、以上のような講義の問、講義と著作の聞の信頼
に対し資料的に劣位に立ち、これは特に第三回講義について著
と同程度の信頼性を有するが、これを除く他の講義は﹃法哲学﹄
ジlプが試みたように君主権をへ lゲルの権力分立論の中で捉
両義的関係に遡らなければならないし、また後者についても、
ンリッヒが試みたようにへ lゲルの思惟における概念と現実の
必要がある。即ち前者については、かつてハイムが、近くはへ
けに留まらず、その深層に横たわる体系的思想にまで遡行する
当たってはテクストの表層に現われた政治的見解に注目するだ
されてきたが、論争の経緯が示すように、この両者を論ずるに
解釈を前提としつつ、法哲学
L
解釈の中心に据え、そこに復
古の哲学を見て取った戦前の解釈に対し、戦後の解釈は市民社
へ1ゲルの国家概念を﹃法哲学
次いで、残る二点は戦前と戦後の問の論争に係わっている。
え直し、その体系的根拠にまで下降しなければならない。
持することが出来ない。
L
(二)以上のような法哲学講義をめぐる近年の論争並びにこ
れに先立つ戦前戦後の司法哲学
の聞の関係、両者の連続面と非連続面を解明
してきた。しかし、国家概念の一面的強調に対し市民社会概念
会概念を抽出し、これを革命の哲学を具現するものとして対置
L
する為の基本的視角について次に述べてみたい。法哲学講義を
講義と﹃法哲学
解釈対象に取り入れつつ﹃法哲学﹄の新たな解釈を試みるに際
出来る。まず、最初の二点は講義と著作の間の連続と断絶をめ
理論的解釈を振り返る時、そこには四つの論点を見出すことが
内側から照射する内在的観点であり、この観点からする従来の
第一が、共時態としてのテクストの世界に身を移し、これを
はハイムによる古典的なへ 1ゲル批判、即ち近代原理に対する
決するという作業が不可欠となるが、この際手掛かりとなるの
そこで、再度へ 1ゲルの国家概念に注目し、これと理論的に対
疫を欠くという別の一面性を代償として支払わざるを得なぱ。
を怠り、その結果として新保守主義的世界観に対する思想的免
への関心を喚起するこのような解釈は、国家概念の理論的検討
ぐる近年の論争に係わっている。ここではへ lゲルにおける理
古代原理の優位が近代国家の諸原理の歪曲、国家の古代的神格
しては、以下の三つの観点を考えることが出来る。
性と現実との関係並びに君主権の位置付けというこ点が問題と
北法 4
1
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7
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へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
化を帰結するというテーゼである。同時にハイムにおいては、
よって唱えられている。つまりハ l パl マスによれば、近代を
に対しては、近年これと対極に位置する解釈がハ l パl マスに
へlゲルにおける国家に対する個人の従属は近代原理の絶対化
国家の神格化をもたらすこの古代原理の勝利は近代主体性の没
体性の位置付けについても、戦後のリベラルな解釈により充分
に伴い、主体性に本来的に内在する抑圧的・権威主義的性格が
に留まったが故にへ lゲルは国家主義に陥ったのであって、
な注意が払われてきたとは言い難い。しかし、へ 1ゲルにおけ
露呈したものに他ならないとされる。従って、このような対立
特徴付げる主体性原理を絶対視し、主体中心化した理性の枠内
る国家像及び主体性の把握という二点は、へ iゲルとリベラリ
という形でハイムのテーゼを根本的に再検討することが新たな
する解釈を考慮に入れつつ、へ lゲ ル に お け る 古 代 │ 近 代 問 題
落をも招来するという点、即ち主体性・国体性の軽視が国家の
ズムとの親近性あるいは背反性を考える上でのメルクマールと
絶対化と表裏一体の関係にある点が指摘された。このような主
言わねばならない。
性・主体性が[実体性と]同等の本来的意義を有することを強
ンネンマン筆記録はベルリン時代の他の筆記録以上に、個別
へlゲルと近代立憲主義の親和性が、へンリツヒによって﹁ヴア
ング及び(条件付ながら)ジ lプによって第一回講義における
は法哲学講義という新たな資料を手にしており、既にイルティ
テーゼの単純な更新を意図するものではない。第一に、今や我々
するということは、次の二重の意味においてハイムのかつての
メタ政治の次元へと下降することは前提作業として不可欠であ
ル自ら強調した点であり、内容と形式、政治と哲学が交錯する
み た い し ( 巧 ︿ ロ ロ ロ ) と は ﹃ 法 哲 学 ﹄ 序 文 に お い て へ lゲ
に、﹁この面からこの論述が理解され、評価されることを特に望
おり、寸学において内容は本質的に形式と結びついている Lが故
い。著作の﹁全体もその分肢の展開も論理学的精神に基づいて
ように政治理論と哲学の聞の連繋を看過することは許されな
以上回点を論ずるに際し、戦後英米の解釈において見られた
課題となる。
調している﹂(︿国勾印)点が指摘されている。従って、新たに
ると言えよう。同時に、この作業は講義と著作を貫く強靭な連
もちろん、 へlゲルの国家概念と主体性概念をムユ度問題と
法哲学講義を理論的射程に収めつつ、先のハイムのテiゼを検
続性を確定するという意義を有しており、従って、政治理論と
L
証することが新たな課題となる。第二に、ハイムの古典的解釈
北法 4
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7
3)
17
3
研究ノート
哲学が連繋するこの連続面を明らかにした後に初めて、理性と
ことが出来る。一八二O年前後の復古期へ lゲルに関する伝記
思想との連繋に注目しなければならない。この連繋を捉える方
的記述が充分な資料の裏付けに基づき為されるようになったの
法として、第一に当時の政治状況に関する伝記的記述を挙げる
の講義と著作の聞の連続・非連続を検討する際、主たる対象と
は戦後になってからであり、この点においてJ ・ドントやイル
の聞の連続・非連続を検討することが可能となるであろう。こ
して取り上げるべきは第一回・第二回講義、とりわけ第一回講
ティングによる近年の成果が参照に値する。無論、ドントとイ
現実、君主権、国家権、主体性という四点における講義と著作
義であり、他の第三回・第五回・第六回講義は副次的な形での
的関係を指摘するのに対し、イルティングはこれを前提としっ
ルテイングの聞にはへ lゲル像に関し相違が存在するのであっ
て一八一九年におけるプロセイン復古期の開始を転機とする
て、ドントがプロイセン政府との提携と緊張、ブルシェンシャ
独自のパラグラフと本文から成っており、同時に司法哲学﹄成
両義性の解消、へ lゲルの政治的立場の転換を指摘している。
み検討の対象となる。それは一つには、﹃法哲学﹄公刊以後の講
立過程を明らかにするという意味を持つからである。今一つは
しかし、既に述べたように、イルティングが言う立場の転換の
フトの批判と擁護という二重のレベルにおけるへ lゲルの両義
文献学的信頼性の問題であって、既に見たように、第一回・第
意味を限定的に解するならば、両者の見解の隔たりは一見する
るのに対し、公刊以前に為された講義は(第三回講義を除き)
二回講義の本文が講義の中でも高次の信頼性を有するという点
義が基本的に﹃法哲学﹄のパラグラフに基づく注解部分から成
では論者の見解はほぼ一致しており、更にイルティングの見解
挙げられる。即ち、﹃法哲学﹄及びこれに連なる諸論考がへ lゲ
ほど大きなものではない。状況と思想の連繋を捉える第二の方
以上のような内在的観点と並んで、第二にテクストを取り巻
ルの思想の原理論を述べているとすれば、これと並んで、イエ
によれば、第一回講義の注解部分もまた他の講義に比して充分
くコンテクストに注目し、テクス卜を外側から照射する外在的
法として、へ lゲルの時事論ないしは状況的政治観への着目が
観点が挙げられる。まず、政治理論は状況との関わりの中で形
へlゲルについては﹃領邦議会論﹄、一八三ご年のへ lゲルにつ
ナ前期のへ lゲルについては﹃ドイツ困制論﹄、一八一七年の
な信頼性を有するものと考えられる。
式されると同時に状況に対する一定の対応である以上、状況と
北法41
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へーゲル法哲学講義をめぐる近年の論争(2 ・完)
命の絡み合いは何よりもその思想的発展史のうちに見出される
の中心に据えられていた。しかし、へ iゲルにおける伝統と革
ようなコンテクストとの連続と断絶という視点がへ lゲル解釈
ルにおける実践哲学の伝統がこれであり、両者においてはこの
きものが存在する。リッターにおける形市上学的伝統、リ lデ
名付けるならば、他方で言語世界的コンテクストと呼ばれるべ
繋という意味でのコンテクストを仮に政治史的コンテクストと
とが一つの理論的課題となり得る。このような状況と思想の連
存在しており、これらの時事論と先の原理論との連関を探るこ
いては﹃イギリス選挙法改正法案について﹄といった時事論が
ちろん、このような革命と伝統の絡み合いを若きへ 1ゲル・イ
ト教)が受容・摂取される過程を把握することを意味する。も
としてヨーロッパ文化の伝統(古代ギリシア並びに原始クリス
共に、今一つにはこの時代の課題と取り組む際にその手掛かり
へlゲルの思想の生成・発展過程を理解することを意味すると
革命、イギリス産業革命、カント批判哲学)との関連において
野を拡大し、当時の政治的・経済的・哲学的諸革命(フランス
それは一つには、復古期のへ lゲルから革命期へ 1ゲルへと視
ゲル・若きへ lゲルへと遡ることが前提作業として必要となる。
成の所産として捉え、精神的年代記をたどりつつイエナ期へ l
化・細分化と引き替えに、解釈対象並びに接近視角の分離・拡
エナ期へ lゲルの思想的発展史のうちに探る試みはルカ lチ以
散という代価を支払わざるを得なかった。従って、これら発展
ものである以上、この視点を直接ベルリン期へ lゲルの理論的
以上二つの観点が共時態としてのテクスト及びコンテクスト
後様々な形で為されてはきた。しかし、既に見たように、戦後
に注目するのに対し、通時態としてのそれに注目するのが第三
史的分析の蓄積を総合的視点の下で今一度統合することによっ
解釈に適用する試みは安易な伝統主義的解釈に陥る恐れなしと
の発展史的観点である。先に挙げた理性ないし概念と現実との
てへ lゲルの思想的発展の全体像を構築すること、更にこれを
の発展史的解釈は文献学の急速な進展とこれに伴う分析の精微
両義的関係、権力分立論における君主権の位置付け、古代│近
ベルリン期へ 1ゲルの内在的・理論的解釈へと架橋することが
しない。
メタ政治の次元において明らかにする為には、へ lゲルの思想
代問題との関連における国家像と主体性の位置、これらの点を
本稿では戦前戦後の﹃法哲学﹄解釈を概観し、これとの関連
新たな課題となる。
を予め与えられた所与としてではなく、一連の過程を通じた生
北法41
(1・
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研究ノート
守法哲学﹄ と法哲学講義の相互連関
において法哲学講義をめぐる近年の論争を考察した後、 この論
争を総括しつつ、
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一連の法哲学講義と)八二O年の ﹃法哲学﹄ の聞の
これについては今後を期したい。
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巾﹃門出。到。}}巾仏巾 H
RS 切己申・ 52wNSiN品。
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E巴 と を 挙 げ る こ と が 出 来 る 。
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として、ホフマイスターによる書簡集の公刊(切円円 1
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(2) 戦 後 に お け る 伝 記 的 研 究 の 進 展 に 与 っ て 力 あ っ た も の
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錯綜した関係を解き明かすという作業は、 以後へ lゲル政治理
拠りつつ、
たような三つの観点ll内在的・外在的・発展史的観点ーーに
を明らかにする為の考察枠組の設定を試みてみた。最後に述べ
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