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ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族

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ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
 Title
Author(s)
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族 : 「日本体験
手記」を中心に
金, 花芬
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
人間社会学研究集録 .2013 ,8 ,p.203-224
2013-03-29
http://hdl.handle.net/10466/12856
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
人間社会学研究収録 8(2012),203-224(2013年3月刊行)
研究ノート
ポータルサイト「シムト(쉼터)
」と在日本朝鮮族
-「日本体験手記」を中心に-
金花芬∗
1.はじめに
1978 年の末ごろから、中国では鄧小平の指導体制のもとで、国内体制改革と対外
開放政策が実施された。この改革開放政策の流れで中国国内外の人口移動が社会的
に大きな現象として見られるようになったが、朝鮮半島にルーツを持つ朝鮮族の移
動も例外ではなかった。むしろ、かつて同じ故郷もしくは祖先の国の人々との再会
や韓国との国交樹立によって朝鮮族の人々の移動は、中国の他の民族より一層活発
になったと言える。近年、朝鮮族の移動人口は 2000 年の人口総数 192 万人の 3 分の
2 におよび、中国全国、朝鮮や韓国、隣国であるロシアや日本のみならず、世界各
地に広がっていると言われている1 。
朝鮮族の日本への移動が確認できるのは 1986 年以降からである2。2010 年現在、
日本国内には 5 万人ほどが生活していると推計されているが3、在日本朝鮮族はパス
ポート上、中国籍もしくは韓国籍となっているため、その総数は正確に把握できな
い4。日本での居住地域をみると、東京を中心に関東、北海道、関西、九州に、留学
生や IT 企業への就職のために渡航した朝鮮族などが多く見られる5。
在日本朝鮮族の歴史はまだ浅く、彼らに関する先行研究は実態調査に重点を置い
(2011)の 2 章では、質問紙
たものが多い6。例えば権香淑氏の『移動する朝鮮族』
∗
大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程(人間科学専攻)
李鋼哲「巻頭言」
(
『朝鮮族研究学会誌』創刊号 2011 年)1 頁。
2
権香淑(
『移動する朝鮮族』彩流社 2011 年)151 頁。
3
中野晃・若松潤・河原一郎「在日華人:第 10 部 鼓動潮流」
(
『朝日新聞』2010 年 2 月 12 日)
2 面。
4
朝鮮族は、基本的には中国籍が多いが、韓国へ移動して韓国の国籍を取得してから、来日して
いたため、韓国籍を持つ場合がある。
5
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/news1/051202-2.htm
6
在日本朝鮮族の生活実態に関する先行研究に、金明姫「日本における中国朝鮮族の生活と意
識:在日中国朝鮮族就学生、留学生、社会人を事例として」
(
『人間科学研究』神戸大学大学院総
合人間科学研究科 第 11 巻 2 2004 年)65-93 頁。権香淑「越境する〈朝鮮族〉の生活実態とエ
1
1
204
金 花 芬
調査やインタビューにより得られたデータをもとにした在日本朝鮮族の生活実態が
考察されている。しかしそこで利用されるデータは生のものというより、研究者で
ある権があらかじめ作成した質問や関心に沿って得られたデータであり、また編集
に際しても権の手で加工されていることは否定できない。では、どうすれば研究者
による編集を経ていない生のデータを大量に得ることができるのだろうか。
そこで筆者が注目したのは、インターネット上のポータルサイト「シムト」の掲
示板「日本体験手記」である7。そこには日々、在日本朝鮮族が日本での生活の中で
体験したことや感じたことなどを投稿しており、その量は 1 万件にも及ぶ。しかも
それらは研究への利用を前提として書かれたものではない。そのため、フィールド
ワークなどよりもさらに生の実態に迫ることができるのではないかと考えられる。
本稿で扱う範囲は、シムトが開設された 2002 年から 2004 年までの「日本体験手
記」掲示板に書かれている手記である。まずはシムトと掲示板を概観し、そこに書
き込まれている内容を整理する。そして、
「勉強とお金」をめぐる手記およびレスに
焦点をあてて、彼らの日本生活の一側面を浮き彫りにし、そのような人たちにとっ
てシムトがどのような役割を果たしているのかを明らかにする。
2.
「シムト」という場
シムトは、
「在日中国朝鮮族オンラインコミュニティ(以下シムト)であり、すべ
ての朝鮮族の人たちの情報交流及び友誼を分け合うオンライン空間」の名称である8。
ではそれはいつごろ生まれたのか。現在シムトの運営者で株式会社 ASIC の社長で
もある金正男氏によると、彼が大学に通っている時(2002 年)に掲示板付きのホー
ムページを作ったのがきっかけだという。金氏は、
「その当時周りの留学生たちはア
ルバイトと勉強が本当に忙しく、あまり仲間で集まることができない状況でしたの
スニック・ネットワーク:日本の居住者を中心に」
(
『韓国系ニューカマーズからみた日本社会の
諸問題』社会安全研究財団 2006 年)207-280 頁。権香淑・宮島美花・谷川雄一郎・李東哲「在
日本中国朝鮮族実態調査に関する報告」中国朝鮮族研究会(
『朝鮮族のグローバル移動と国際ネ
ットワーク』アジア経済文化研究所 2006 年)
。権香淑『移動する朝鮮族』前掲書、などがある。
7
「シムト」は、
「憩いの場」を意味する朝鮮語である。URL:http://www.shimto.com
8
新規登録の約款の最初に書かれている。以下の URL を開くと、新規登録のページが表示され
る。URL:http://www.shimto.com/bbs/register.php
2
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
205
で、口コミでどんどん広がっていきました。
」と述べている9。その後、利用者の増
加とともにサーバーが増設されて2006年12 月に在日朝鮮族ポータルサイトとなり、
さらに 2009 年には新たに「広東シムト」も設立された。
シムトには多くのメニューや掲示板があるが、それらを利用するためには会員に
なる必要があり、2010 年現在、7 万人の会員が登録されている10。彼らは本名では
ないニックネームを使用して書き込みを行なうため、基本的には匿名性が保たれて
いる。しかしそれは、たとえば日本の「2 ちゃんねる」や中国のポータルサイト「百
度」に附属する「百度貼吧」における匿名性とは意味が違う11。2ちゃんねるや百
度貼吧ではメールアドレスとパスワードの情報を入力するだけですぐに会員になれ
るのに対し、シムトではアカウント新規登録に際して実名、ログイン ID、パスワー
ド、ニックネーム、性別、住所、メールアドレス、携帯電話の情報が必須で、さら
に自己紹介、会員アイコンを入力する欄(これらは必須ではない)もある。シムト
と 2 ちゃんねるや百度では、
同じ匿名といっても以上のような違いがあるのである。
シムトのメニューには掲示板、コミュニティ、情報広場、フォト、シムトサービ
スなどがある。掲示板には「自由掲示板」
、
「日本体験手記」
、
「家庭・育児」
、
「人探
し」
、
「親友探し」
、
「愛情掲示板」
、
「サッカー掲示板」
、
「ゴルフ掲示板」
、
「日本語掲
示板」
、
「中国語掲示板」
、
「English room」など数多くのメニューが設置されているが、
これらの中でもっとも活発に利用されている掲示板は、自由に話題を提供して議論
する場所である「自由掲示板」である。ここの文章は自由で短い文が多い。さらに
「カササギバシ(오작교)」
、
「最新ニュース」などのメニューもある。
「カササギバシ」
は結婚紹介所の役割をしているもので、世界各地にいる朝鮮族の独身者の情報が登
録されている。これらのメニューを見るだけでも、朝鮮族が日本で生活するのに必
要な情報が網羅されていることが分かる。
9
http://www.yokosojapan.net/mt/archive/000582.html
「在日華人:第 10 部 鼓動潮流」前掲書、2 面。
11
「2ちゃんねる」に関する文献としては、早川公・井出里咲子(
「2ちゃんねるのことばとコ
ミュニティ感覚:カキコミの作法が創る一体感をめぐって」
『メディアとことば 4』ひつじ書房、
2009 年)があり、
「百度」に関する文献としては、安田峰俊(
『中国人の本音:中華ネット掲示
板を読んでみた』講談社、2010 年)がある。
10
3
206
金 花 芬
3.掲示板「日本体験手記」について
「日本体験手記」という掲示板は、シムトが開設された 2002 年 9 月から存在し
ている。その時から 2011 年までこの掲示板に投稿された書き込みの総数は、表 1
のように、2012 年 2 月 9 日現在で 9846 件である。ただし総数については、作成者
が自分の書いたものを削除することがあるため、若干変動することがある。
表 1 掲示板への書き込み数―年度別
年
件数
2002-03
174
2004
709
2005
1454
2006
1750
2007
2049
2008
1376
2009
975
2010
664
2011
695
合計
9846
3-1 2002 年~2004 年までの書き込みの全体像
「日本体験手記」掲示板にはどのような書き込みがあるのか。まず、この掲示板
の「notice」という欄に掲載されている「利用案内」によると、日本で生活しながら
見聞、体験、感じた点について自分の言葉で書いたもの(以下「手記」と表記)と
なっている12。
表 2 2002 年~2004 年までの書き込みの種類
件数
手記(一話完結)
720
手記(連載)
160(31 組)
写真
3
合計
883
この「利用案内」に沿って分類すると、表 2 のように大きく手記と写真に分けら
れ、手記はさらに一話完結(720 件)と連載もの(31 組・160 件)に分けられる。
一話完結手記とは文字通り一回で完結した手記であり、連載もの手記とは自分のあ
る体験をシリーズで掲載したものである。連載もの手記の内訳は、日本生活体験記
が 7 組、ある出来事に関する体験記が 5 組、留学生活体験記が 4 組、アルバイト体
験記が 3 組、恋愛日記が 2 組、会社生活体験記・就職活動体験記・体験から見る日
本・合宿生活体験記・生活日記・教会生活体験記・帰国体験記・忘年会後記・日本
語学習・自作詩が 1 組ずつとなっている。手記以外の写真(3 件)はいずれも正月
の時期に載せられたものだが、現在は表示されない状態になっている。
次に書き込みの作成者を見てみると、シムト内で用いられる名前であるニックネ
ームが 328 個ある。対応する ID の数は 302 個であるが、そのうち現在使用中の ID
12
「利用案内」は、2008 年 3 月 20 日付けで管理者により掲載されている。URL:
http://www.shimto.com/bbs/board.php?bo_table=1_1_2&wr_id=326505
4
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は 236 個、非会員になっている ID が 75 個、不明 1 個である。13 個の ID の所有者
がニックネームを変更したことが分かる。しかし、ニックネームを変えても ID は
変更できないため、
マウスをニックネームの上に乗せるとポップアップされるため、
違うニックネームの利用者が同一人物であることは分かる。
文体については、ある出来事や考え・感想を叙述した叙述文、ある物語を、会話
を入れながら誰かに話すような口調で書かれた会話文、あることについてまとめて
説明する箇条書き文、日記、体験記、詩などがある。文章の段落の分け方について
は、パソコン上での読みやすさを念頭においた文章が多い。
表 3 手記の使用言語状況
件数
朝鮮語
834
日本語
41
中国語
3
朝鮮語と日本語
1
朝鮮語と英語
1
合計
880
最後に使用言語であるが、表 3 の通りである。朝鮮語・中国語・日本語・英語が
用いられているが、朝鮮語が最も多く使用されている。朝鮮語で書かれた手記を見
てみると、朝鮮語の文法に従った書き言葉、延辺方言、パソコン上でよく用いられ
る簡略化した単語、さらに、日本語や中国語を朝鮮語で表記した言葉や会話、日本
語や中国語の文字を使用した単語や会話などが見られる。逆に日本語や中国語で書
かれた手記を見てみると、言語の混用はなく、一貫して同じ言語で書かれている。
朝鮮語と日本語で書かれた手記 1 件は、朝鮮語の文章と日本語の文章の両方を半分
ずつの割合で使って作成されたものであり、朝鮮語と英語で書かれた手記 1 件は、
英語で書いた手紙をそのまま掲載し、その文章の前後に朝鮮語で自分のことを書い
たものである。次節ではさらに手記の内容を細かく見ていきたい。
3-2 手記の内容
前節で述べたように、手記には一話完結手記と連載もの手記がある。これらの手
記には在日本朝鮮族が日本で生活する中で体験している様々な出来事や、体験に伴
う様々な感情や考えなどが書かれている。しかしここでは便宜上、体験した出来事
について書かれている内容を主題別に分けてみる。
表 4 手記内容の分類
件数
本人
638
国家・民族
115
他人
79
ネットワーク・コミュニティ
31
5
その他
17
合計
880
208
金 花 芬
手記を主題別にみると、作成者本人および本人と関わりのある人、滞在してい
る国(日本)
、自分の祖国や民族、日本で参加しているネットワーク・コミュニティ
などが見られる。そこで本稿では表 4 のように「本人」
、
「国家・民族」
、
「他人」
、
「ネ
ットワーク・コミュニティ」
、
「その他」というカテゴリーに分類した。以下、これ
らの分類に沿って考察していく。
3-2-1 「本人」について
「本人」は、本人が日本での生活の中で直接体験し、感じたことについて書かれ
たもので、それらは表 5 のように大きく「体験」と「心の動き」に分類することが
できる。
表 5 「本人」について
件数
体験
498
心の動き
140
合計
638
まず、
「体験」を見てみよう。
「体験」では、現在の生活の中で起こったこと、ラ
イフステージで起こったこと、本人の日本生活を整理しながら振り返ることなどに
ついて書かれている。つまり、
「現在の生活」
(表 6)
、
「ライフステージ」
(表 7)
、
「振
り返り」
(表 8)に分類することができる。
表 6 「体験」1-「現在の生活」で起こったことについて
件数
合計
日常
60
余暇
14
時間
祭日
11
94
一時帰国
9
アルバイト先
71
場所
学校 移動
39
25
159
会社
17
住居
7
その
他
8
合計
261
表 6 では、
「現在の生活」で起こったことについて書かれた手記を、時間軸と空
間(場所)軸、
「その他」で分けている。まず「時間」を「日常」
、
「余暇」
、
「祭日」
、
「一時帰国」に分けている。
「日常」は健康や食べ物、近所のことなど、一日の生活
や日常で起こったことについて書かれた手記である。
「余暇」は映画を見たこと・サ
ーフィンをしたこと・自転車に乗る練習をしたことなど、
「祭日」は新年の挨拶や日
本人の家で正月体験をしたことなど、
「一時帰国」は国へ帰った後に起こったことや
感じたことなどについて書いたものである。
「空間(場所)
」についての手記では「アルバイト先」について書いたものが一
6
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
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番多く、以下「学校」
、
「移動」
、
「会社」
、
「住居」の順である。
「アルバイト先」はア
ルバイト先での出来事や感じたことなどを書いたものである。
「学校」では試験や実
験、ゼミなどについて書かれている。
「移動」では移動中の出来事や人について書か
れている。
「会社」は会社内での人間関係や新入社員生活など、
「住居」は引越しし
たことやルームシェアの生活などについて書かれたものである。
「その他」は店の宣
伝や学校の情報、結婚お祝い金についてのものである。
表 7 「体験」2-「ライフステージ」について
件数
進学
7
就職
19
恋愛
37
結婚
1
育児
1
帰国
1
不法滞在
5
その他
2
合計
73
「ライフステージ」は表 7 のように分類することができる。
「進学」では合格の
報告や進学先についての質問などを書いたものである。
「就職」では就職活動の経験
を書いたものがあり、
「恋愛」では日本人の恋と自分の恋との差異や恋人との関係な
どなどについて、
「結婚」では自分の口から出てきた結婚の話で周りの人がびっくり
したことについて書かれている。
「育児」には妊娠していることを知らなくて煙草を
吸い、後悔しながらみんなに忠告を呼びかける内容のものがある。
「帰国」は 8 年間
の日本生活を終えて帰国することを伝える内容、
「不法滞在」は自分の不法滞在生活
について書いいたものである。
「その他」には留学生活で成功したケースの紹介・日
本生活が終わったらアメリカに行きたいことが含まれる。
表 8 「体験」3-「振り返り」について
件数
留学生活
63
日本生活
38
ルームシェア生活
19
アルバイト生活
15
自己変化
13
その他
16
合計
164
「振り返り」は表 8 のように「留学生活」には、学校生活や奨学金、家探しなど、
留学期間中にあったことを振り返って書かれたもの、もしくは手記を書いた段階で
留学生だと特定できた人が書いた連載ものが含まれる。
「日本生活」は日本で生活し
たことを振り返って書いたもので、手記を書いた段階での身分が特定できない人が
書いたものも含まれる。
「ルームシェア生活」ではルームメイトとの関係や出来事な
ど、
「アルバイト生活」ではアルバイト体験記やそこで感じたことについて書いたも
のである。
「自己変化」は身体や性格などの変化、良い/悪い習慣を身につけたこと
などが含まれる。
「その他」ではある期間の生活のまとめや先輩が言った言葉などが
7
210
金 花 芬
書かれている。
「心の動き」では本人の体験による気分や疑問などについて書かれたもので、そ
れを表 9 のように、
「感情や願望」
、
「思考」
、
「問い」に分けた。
「感情や願望」
(表
10)はさらに「感情(+)
」と「感情(-)
」に分けられる。
「感情(+)
」は嬉しさ
や楽しさなどプラスの感情が、
「感情(-)
」は悲しさや寂しさなどマイナスの感情
を表現したものである。
「その他」には、
「頑張ろう、最後まで」というメッセージ
を書いたものが含まれる。
表 9 「心の動き」について
件数
感情・願望
54
思考
52
問い
34
表 10 「感情や願望」について
合計
140
件数
感情(+) 感情(-)
9
44
その他
1
合計
54
表 11 「思考」について
件数
生活戦略
19
人生
11
呼びかけ
6
得失
3
忠告
3
希望
3
成功
2
その他
5
合計
52
「思考」は表 11 のように分類することができる。
「生活戦略」は成功者の物語か
らの引用や自己抑制・目標を立てることなどが書かれたものである。
「人生」は生と
死をめぐる疑問や夢などを書いたものである。
「呼びかけ」はお金を稼ごうとする人
や勉強や就職をしようとする人への助言、心の平和を探そうなどと呼びかけたもの
である。
「得失」
(日本生活で得られたものと失われたもの)では後輩や来日しよう
とする人たちへの忠告や目標達成、よい人生を歩む成功について書かれている。
「そ
の他」は戦うことや女性批判、孤独などについて自分の考えを語ったものがある。
表 12 「問い」について
件数
進路
6
勉強とお金
6
来日理由
4
成功
3
得失
3
お金
3
日本生活
3
その他
6
合計
34
「問い」
(表 12)とは何らかの疑問を投げかけたものである。
「進路」
、
「勉強とお
金」
、
「来日理由」
、
「成功」はそれぞれ、文字どおりの内容を問うたものである。
「得
失」は日本生活で何を得て何を失ったのかについて、
「お金」は金銭感覚、
「日本生
活」は他の人がどんな日本生活を送っているのか、みんな疲れていないかなどを問
うたものである。
「その他」には運命や目標、留学生の悩みの種類などが含まれる。
8
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
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3-2-2 「国家・民族」について
「国家・民族」について書かれた手記は表 13(次頁)の通りである。表 13 の「日
本」の中に含まれているのは、表 15 で表されるような抽象的な次元のものである。
次に表 15 に沿ってこの項目の内訳を見ている手記には、
日本に対する誤った先入観
を持つのはよくないこと、個人からみた日本と日本人について書かれている。次に
「日本の環境」は「自然環境」と「社会環境」に分類することができる。前者の中
には中国国内であまり体験することのない地震の話題が多く見られ、ほかにゴキブ
リ・花粉症についても書かれている。後者には治安・メディア・公共施設・社会現
象などの話題がある。
「日本語」は日本語の慣用表現・日本語の難しさについてのも
のである。
「日本人」では日本人の性格や趣味、また地域の日本人やホームレスなど
について書かれている。
「政治」はマスクをしたままで議員選挙に出ていることの不
思議さに関するものである。
「思想」は大和精神についてのものである。
「日本文化」
には酒文化・習慣・慣例・食文化・住宅文化・伝統文化などが含まれる。
次に表 13 の「中国」だが、これは日本側の視点から表象された中国である。こ
こには差別される側の中国人、中国の弱点、中国人犯罪・医療で成功した中国・貧
困な中国などが含まれる。
表 13 「国家・民族」について
表 14 「ネットワーク・コミュニティ」に
ついて
件数
日本
93
中国
11
朝鮮族
4
その他
7
合計
115
件数
イベント
19
シムト
7
各種団体
5
合計
31
表 15 「日本」について
日本のイメージ
件数
2
日本の環境
自然環境 社会環境
14
36
日本語
日本人
政治
思想
文化
合計
4
27
1
1
8
93
表 13 の「朝鮮族」もやはり抽象的なもので、朝鮮族の根と民族性、朝鮮族女性、
在日本朝鮮族の進路、朝鮮語の中にある日本語などがある。
「その他」
(表 13)には、中国語の名前を日本語で発音した際のおかしさについ
て書かれたもの、映画館・公務員・私にとっての中国と日本・日本人と中国人の見
分け方などを比較したものがある。
9
212
金 花 芬
3-2-3 ネットワーク・コミュニティ
「ネットワーク・コミュニティ」の分類は表 14 の通りである。
「イベント」には
天池協会のメンバーが参加した学術会議・天池協会内の選挙や行事・コンマンウル
(つぼみの意味)会およびシムトが中心になって行われたイベントなどについて書
かれている13。これらのイベントの内容は忘年会・就職経験交流会・運動会などで
ある。
「シムト」では日本体験手記へ書き込みのルールや利用方法・投稿した文章が
削除されたことが書かれている。
「各種団体」では日本の韓国系キリスト教教会で体
験したことが書かれている。
3-2-4 「他人」について
表 16 「他人」について
件数
日本人
22
友人
19
家族
14
在日
6
出会った人
6
不法滞在者
4
朝鮮族
3
韓国人
3
中国人
2
合計
79
「他人」は表 16 にように分類することができる。
「日本人」にはよい日本人・店
で出会った人・真面目な日本人・変な日本人などに関するものが含まれる。
「友人」
は友人との人間関係や友人に起こったことについてのものである。
「家族」は両親・
母親・弟について書かれたものがあるが、母親に関するものが多い。
「在日」では在
日の家主との人間関係や店で出会った在日について書かれたものがある。「朝鮮
族」
・
「韓国人」
・
「中国人」はそれぞれ不法滞在者・働く場所で出会った人で、それ
らの人について書かれたものである。
3-2-5 「その他」について
以上のカテゴリーに当てはまらない主題を表 4 の「その他」に分類したが、合わ
せて 17 件の手記がある。来日する前の疑問や考え・日本に来ていないが周りの人と
の関係などで理解した日本について・来日している彼氏に連絡できないこと・日本
生活と関わりがない手記などがある。
13
天池協会のパンフレットによれば、
「天池協会(前身は天池倶楽部)は、日本に在住している
中国朝鮮族の親睦団体として、1995 年 3 月 25 日、東京在住朝鮮族の有志たちにより発足」され
たものである。ただし引用は権香淑、前掲書、267 頁。
10
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
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4.手記からみる日本生活の一側面とシムトの役割
3 章から分かることの一つは、書き込む人の中では留学生によるものが圧倒的に
多いことである。これは在日本朝鮮族の中に留学生が多いのと、シムト開設当時、
シムトの社長自身が留学生であったことから、仲間の留学生の中で広がりやすかっ
たためではないかと推測できる。
そこで、本章ではこれまで整理した手記の中から、在日本朝鮮族の生活の一面を
取り出して考察する。まず多くの在日本朝鮮族が共通に抱えている問題のうち、
「勉
強とお金」にかかわる三つの事例を取り上げ、紹介のうえ考察する。そして彼/彼
女らの日本での生活におけるシムトの役割について明らかにする。
4-1 事例の紹介
事例 1─勉強かお金かの悩み
ここで紹介する事例1は、2003 年 8 月 28 日 08:11 に「딸기(いちごの意味で、
以下「いちご」と表記する)
」という作成者が「어떻게 하나요? 도와주세요! (訳:
どうしましょう?助けてください!)
」というタイトルで投稿したものである14。作
成者は勉強のために来日しているが、現実生活ではアルバイトをしなければならな
い状況に陥っているため困っており、勉強を選びたいという考えに同調する意見を
求めようとこの手記を投稿した。まず作成者の手記を見てみよう。
手記の訳文15
長い夏休みも、半分過ぎましたね。
しかし、心は日々不安で緊張しますね。
今夏休みなので、昼から夜までアルバイトをしています。これも来年の学費のため
にです。昼に勉強する時間がなかったので、たまに朝早く起きて勉強していました。
来年大学院に進学するために受験準備をしています。今日も早く起きましたが、あ
まりも疲れて、結局寝てしまいました。あまりにも矛盾した現実に私は長い間悩ん
で落ち込みました。勉強はしたいのですが、学費のためにやむを得ずアルバイトを
しないといけないし…そして、昼のアルバイトをやめて、夜だけアルバイトをしな
がら、昼は図書館に行って、勉強をしようとかと何十回も考えました。私は本当に
自力で勉強を熱心にして、大学院に進学して楽しい時間を過ごしたいです。来日目
的が勉強のためだったのに、これを諦めると自分の人生の意義と価値を失ってしま
14
URL:http://www.shimto.com/bbs/board.php?bo_table=1_1_2&wr_id=223141&page=199。作成者い
ちごさんは、本事例 1 の手記以外にも「自由説」
、
「マラソン」
、
「世の中で何が本当なのか?」
、
「猫と人間」の 4 つの手記を投稿した。
15
原文の翻訳は筆者による。なるべく原文を尊重し、修正は必要最小限にとどめた。
11
214
金 花 芬
うのではないかと自分に言っています。
みなさん、私に意見を聞かせてください。私の考えが正しいのか間違っているのか。
実際、今日の午前中に、昼のアルバイトを辞めることを半分決めました。日本に来
て、自分が今まで歩んできた道をお金のせいで変えてしまうことは、本当にあんま
りだと思っています。本当に日本に来たばかりの時、アルバイトもしてなくて生活
を維持しながらも、一生懸命辞書で単語を一つ一つ探しながら勉強をした日々が恋
しいです。また、その時に戻りたいです。誰か横で、私の決定を支持してくれる人
がいればいいですね。私のすることが正しいと支持してくれる、私に力になってく
れる人がいればということです16。
事例 2─勉強を選択
事例 2 は 2004 年 12 月 15 日 13:03 に
「マユミちゃん」
という作成者が、
「공부? 돈?
어느쪽을 선택하세요?(訳: 勉強?お金?どちらを選ぶのか?)
」というタイトル
で投稿した手記である17。作成者は勉強とお金のうち、勉強を選択したが、ここで
はどのようなプロセスを経てその結論に至ったかについて書いている。
手記の訳文
「あそこの家がまた新しいマンションを買ったんだって。この前は新しい車に乗っ
ていた。娘がお金を送ってきてね…」
この前、家に電話した時に、母親が話した言葉である。
「お母さん、そんなにうらやましい?」
「いや、そんなことないよ。ただそうだという話。
」
実際、母親はうらやましがっていた。誰もお金が多いことが嫌ではない。いいマン
ションに、また新しい乗用車に乗って、楽な生活をする友たちがうらやましいだろ
う。そんな母親の心が私には理解できる。親に何もしてあげられない自分が憎いだ
け。
日本に来てあっという間にもう 3 年が過ぎた。来日前には、日本に行くとお金もた
くさん稼いで勉強もよくしようと思った私だ。日本語学校の時には、お金を少し稼
げただろうか?いや、お金を稼いだというより、その時にはただ目標なしにバイト
だけ頑張ってきた。来日する時に使った費用を稼いだことになるのか。一日でも早
く家にお金を送りたい思いで、学校を辞めようと思った時もあった。早くお金をた
16
この手記に対して 9 つのレスが付いている。
「勉強してください」
、
「一定の期間にアルバイト
だけをして、一定の期間に勉強だけをする」
、
「両立したほうがよい」
、
「生活費用を稼げる程度ア
ルバイトして、残りの時間で勉強する」
、
「学費の心配しなくていい」
、
「勉強とお金との間で一つ
を選びたいけど、両方とも諦めたり、所有することもできない苦しい心情」などである。
17
URL:http://www.shimto.com/bbs/board.php?bo_table=1_1_2&wr_id=232854&page=185。原文での
日本語は「イタリック」にした。作成者マユミちゃんは、本事例 2 の手記以外にも、
「
「ツライ」
日本の生活ですが、
「ガンバレ」しかないです。倒れないよう、負けないように胸を張って生き
ていきましょう!」
、
「苦労(くろう)ではなく「苦学(くがく)だった」
、
「こんなにそそっかし
い性格で何ができるの」
、
「中国の経済は急速に発展しているが、私自身はもどかしい」
、
「明日は
新年なのに、この愚かな友人は…」の五つの手記を投稿した。
12
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
215
くさん稼いで帰ろうと。その時は、なんでそんなに幼稚だったのか。今考えてみる
とあまりにも愚かな私だった。他の地方にいる先輩が一ヶ月に 100 万円稼げるとい
う言葉に、私は乗ってしまった。どうしたらそこまで?疑いながらも私は直接行く
ことにした。日本に来て間もないので、なにも知らない愚かな私だった。
「こんな仕
事や」と説明してくれるその先輩の話を聞いたとたん私は考えもせずに荷物を持っ
て帰ってきた。その時にやっと人間はそう生きてはいけない、お金が全部じゃない
ことを悟った。
そのことをとおして、私は再び立ち直れた。もちろん病を持つ親のためには、お金
を稼いで送ることが第一であるが、私はまず知識を獲得したかった、若いので。勉
強をして知識を頭に入れるべきだという考えが私の頭の中で固まった。お金はいつ
でも稼げるが、勉強は時期を逃すとしたくてもできないという言葉が、その時やっ
と分かるようになった。
「勉強」と「お金」
、対立するこの両者あまり矛盾しますよ
ね?日本にいるみなさん?
そして、私はお金を稼ぐことを諦めて、大学への進学を選んだ。もちろん、他の人
と比べて働く時間も少なく、お金もあまり稼げなかったが、知識を頭の中に入れる
だけで私は満足していた。勉強を頑張るとそれなりの成果があり、当然得られた知
識で誰よりも立派な企業に就職できるこのすべてが夢であるとしても、私は決して
夢だとは思わない。なぜ?私はできるので。それで、親にもこれから 3 年だけ我慢
してほしいと約束をした。大学を卒業するまで。病を持つ親を早く幸せにするどこ
ろか、待ってくれと約束する私が馬鹿らしく見えるかもしれないが、今の私はお金
を稼ぐことに神経を使えない。私の知識がお金より価値があることを知っているか
らだ。私のようにこの道を選択することで成功するという話ではない。ただ、私に
はこの道が合うようで、この道を歩もうと考えただけ。人によって思考、生き方が
異なるから。お金が第一であれば、お金を稼ぐ道を選ぶのも悪く思わない。博士に
なったとしても、みんながうまくいくのでもないのに。ただ、自分が最後まで続け
て歩めることが大事ではないか。
「娘からまたお金を送ってきたと自慢している」とうらやましがる私の母親。しか
し、父親は違った。いつも私によく勉強してねって、体がよくないが、娘の勉強が
うまくいっているという話を聞くと薬を飲まなくても治ったようだと。いつも親に
感謝する気持ちだけだ。
そのような大金を送る人たちがどんな仕事をしているのかを親に教えたいが…私は
これまで一言も口に出してなかった。なぜ?私は他の人の生き方に対して判断した
くない。それは、その人たちが選んだ道だから。客観的にみると、他の人ができな
いことができた彼たちがすばらしいとも思う。お金をよく稼げる人たちを批判する
前に、自分に欠けていることが何かを知るべきだと思う。つまり、今お金を稼げな
かったら勉強を頑張って知識を得て、その知識をお金に変えること!
3 年という時間、親にはあまりにも長い期間であるかもしれないが、申し訳ないけ
ど、待たせることしかできない。3 年後の娘の姿を描きながら生きる私の父親、母
親、きっと幸せにするのだ18。
18
この手記に対するレスは 32 件である。
「勉強した方がよい」が 5 件、
「勉強してください」の
応援が 4 件、
「どちらでもよい」が 4 件、
「私もお金を選択した」が3件「どちらを選択というよ
り、いつ楽に暮らすかの時間的問題」が 2 件、
「どちらも大事だ」
、
「正しい選択をした」
、
「本当
に両立は苦しい」
、
「自分が選択した道に向かって頑張る」
、
「自分に合う道を選べばよい」
、
「自分
の選択に信じて従って」などがある。また、どちらかというより、
「頑張る過程がいい経験で財
産である」
、
「自己分析して、夢に近い道を選ぶ」
、
「勉強とお金を分けて解釈することは危険」が
1 件ずつあり、
「作成者の感謝文」がある。
13
216
金 花 芬
事例 3─お金を選択
事例 3 は 2004 年 12 月 10 日 15:51 に「비오는거리(
「雨降る街」という意味、以
下は「雨降る街」と表記する)
」という作成者が、
「지친뒤의 욕망(訳:くたびれた
後の欲望)
」というタイトルで投稿した手記である19。この事例では「勉強とお金」
でお金を選択した理由、そして精神状態と欲望について書かれている。
手記の訳文
日本での生活は日一日と疲れる。
日本に来たばかりの時は言葉の障害で疲れて、日本の生活に慣れつつお金の使い方
をあまり気にしないまま、無謀な毎日を過ごした。
それに、ちょっとお金があると知られると周りからお金を貸してくれと言う人が増
えてきた。
私も日本で学位よりお金を選択した〔単純な〕その中の一人である。
日本に行くときっと勉強も一生懸命して、お金も多く稼ぎますよ。これは私が来日
前に母親とした約束である。実は、勉強ができなかったのではなく、してなかった。
春になると、小道に山ほど積んだゴミが溶ける時、その臭い、今考えても吐き気が
する。
夏になると、前後のドアを開けても暑くていらいらする時、扇風機を買うお金もな
い貧しかった事、
秋になると、火をたく石炭よ、目張りよ、白菜の購入よ。
冬になると、水道が凍り、水もよく使えなく、また疲れているのに寒くて、朝寝も
よくできない、そのような惨めさ。
私よりもっと貧しい生活を経験してきた人たちも多いと思うけど、私は本当にそん
な生活は嫌だった。
それで、昔のすべてを想いながら、私は日本で勉強して出世するよりお金を稼いだ
後に勉強をするほうがよくないかと考えた結果、お金を選んだ。
来日してすぐマッサージの仕事、チョコレート製造工場での夜勤、焼肉店の従業員、
ラーメン屋の厨房などで働いた。
一日の平均睡眠時間は 4 時間もなかった。日本語学校は、一日も欠席せずに行かな
ければならなかったので、このように 1 年が経ったら、体はボロボロになった。
腰が痛くなり、よく目まいがして食欲もなくて、考えた結果、学校を辞めた。
オーバーステイになった。このように 4 年間という歳月が経ったけど、お金を稼ぐ
目標は変わっていない。
変わったことがあるとしたら、情が薄れるようになったことだ。
恋をしても自分のすべてを相手に全部見せたくなかった。
家族に電話をしても、お金が必要なのか聞く。
19
URL:http://www.shimto.com/bbs/board.php?bo_table=1_1_2&wr_id=232582&page=185。作成者雨
降る街さんは、本事例 3 の手記以外にも、
「日本にきたらみんなお金をよく稼げるの?」
、
「足な
い言葉が千里いく」
、
「こんなのがうっとしい」
、
「ねずみで狂いそう」
、
「お金は稼いだけど、健康
が失われた時」の 5 つの手記を投稿した。
14
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
217
お金のせいで、人間味(人情)がないやつだということまでは聞きたくない。
今は症状が軽い方だけど、
このまま行くと、お金でない多くのものを失うだろう。
燃えるような熱い恋をしてみたい。今の彼女と、
(仲)睦まじい家庭に戻りたい。愛しい(会いたい)母親のもとに20、
4-2 考察
前節では在日本朝鮮族が共通に抱えている問題のうち、
「勉強とお金」を主題に
した手記を 3 つ紹介した。本節ではこれらの事例の考察をとおして在日本朝鮮族の
日本生活の一側面を浮き彫りにし、シムトの役割について明らかにする。
4-2-1 「勉強とお金」―悩みから選択
「勉強とお金(アルバイト)
」の両立で悩む事例 1 の作成者・いちごさんは女性
で、大学院の研究生として 2003 年 3 月 23 日に来日し、5 年前に来日した兄と一緒
に暮らしている。事例1を書いたのは来日して 4 ヶ月の時であり、勉強しながらア
ルバイトをしていた。彼女は夏休みを利用して、進学するための学費を稼ぐ目的で
昼と夜の 2 つのアルバイトをしながら試験勉強をするつもりだった。その計画で朝
早く起きて勉強するつもりだったが、2 つのアルバイトで疲れた彼女は途中で寝て
しまい、落ち込んでしまう。試験準備がうまくできないことに気づいた彼女は、勉
強に専念するため昼間のアルバイトを辞めたいと心の中で半分決めた。なぜなら勉
強を諦めると「自分の人生の意義と価値がなくなってしまう」からである。しかし
学費を用意しておかないといけない彼女は、昼間のアルバイトを辞めることが正し
いかどうか判断がつかなくてなり、シムトの利用者に意見を求めようとした。
事例 1 が「勉強とお金」でどちらを選ぶのかの悩みであるとしたら、そのような
悩みで勉強を選択した手記が事例 2 で、お金を選択した手記が事例 3 である。事例
2 をみると、作成者「マユミちゃん」さんは 22 歳の女性で、2001 年 10 月 31 日に来
日し、本事例を掲載した 2004 年には大学 2 年生であった。彼女は毎日、家-学校-
アルバイトを繰り返す生活をしており、そのような生活が辛くても前向きに頑張る
しかないと思っている。彼女は、
「日本に行ってお金もたくさん稼いで勉強もよくし
20
この手記に対するレスは 17 件である。
「応援メッセージ」が 9 件、
「何のために生きるのか考
えたことがあるのか」
、
「やり直してみてください」
、
「健康が第一」
、
「こんなものこそ、日本留学
生活掲示板に掲載すべきではない?」
、
「人情を保ちましょう」
、
「自分の母親の話」
、
「心のドアを
開けてください」
、
「目標があるから大丈夫だよ」などである。
15
218
金 花 芬
ようと思」って来日の道を選んだ。来日した当初の目的はお金で、アルバイトを中
心とした生活を送った。その時(語学学校の時)には「一日でも早く家にお金を送
りたい思いで、学校を辞めようと思った時も」あった。しかしある出会いから彼女
は、その考えがいかに「幼稚」で、
「愚か」だったのかに気づく。その出会いとは、
毎月 100 万円くらい稼げる先輩との出会いである。その先輩のところに行って直接
仕事内容を教えてもらったことから、
彼女は自分の人生について考えるようになり、
「人間はそう生きてはいけない、お金が全部じゃないことを悟った」のである。彼
女はレスで
「お金のためにすべてを諦めるような人間にはなりたくなかったですよ。
知識で勝負をかける今の時代に知識がなかったら、ゴミだけでなく、どこにも足を
入れる場所がないと思います。だから、大学を選びました」と語っている。こうし
て来日目的がお金から勉強に変わった。彼女はお金を稼いで病気の親に送金するこ
とも後に回し、親に 3 年待ってほしいと約束をして、勉強で出世する道を選んだの
である。
これに対して事例 3 の作成者・雨降る街さんは男性で、手記を書いた時は来日 4
年になる。事例 3 を書く直前(2004 年 10 月 25 日)にはマッサージの仕事をしてい
た。付き合っている彼女がおり、彼女の勉強の手伝いも少ししている。しかし彼の
母親は、彼女がいるからお金が溜らないのではないかと疑っている。雨降る街さん
は、母親と「日本に行って勉強にも努力し、お金もいっぱい稼ぐ」と約束して来日
した。来日後、彼はその目標に向かって、学校とアルバイトの生活を 1 年間続けた。
だが 1 日の睡眠時間は 4 時間もなく、体はボロボロになった。
「勉強とお金」の狭間
で体に限界がきたため、考えた結果、学校生活を諦めてお金を選択した。この選択
の背景には家族の貧困が大きく働いていることが分かる。彼は、自分の故郷や家の
貧困を四季に分けて描写している。その貧困から抜け出すため、彼にとってはお金
を稼いでから勉強か出世する考えが先だった。こうしてお金を稼ぐ目標は変わらず
頑張ってきたが、いつのまにか自分の情が薄くなったことに気づく。このままでは
多くのものが失われるのではないと不安を手記で書いている。
この 3 つの事例の作成者は、いずれも留学生として来日し、勉強をしながらアル
バイトをしていた。事例 1 のいちごさんは勉強のために来日し、事例 2、3 のマユミ
ちゃんと雨降る街さんは来日の目的は勉強とお金の両方だった。しかし、彼/彼女
らの生活状況ではアルバイトをしなければやっていけない。いちごさんは、来年の
進学のために自分で学費を稼がないといけなかったので、夏休みを利用してアルバ
16
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
219
イトをかけもちしたことで受験勉強に響いた。勉強のために来日しているのに、ア
ルバイトをしないといけないことで悩み落ち込んだ。
「マユミちゃん」さんは、来日
してアルバイトを中心した生活を行い、一時はお金を稼ぐために退学も考えた。し
かし最終的に勉強を選んだ。逆に雨降る街さんは、勉強もしてお金も多く稼ぐ約束
を母親として来日したが、実際には勉強とアルバイトの両立で体を壊してしまい、
お金を選んだ。このように彼/彼女らは日本での生活で、
「勉強とお金」に悩まされ
つつ、そこから自分の目標に向かって自分が行く道を選択していく。
こうした問題は留学生に関する様々な研究でも調査されている。例えば、いちご
さんのような事例は、中国人私費留学生に関する「生活時間と諸問題」を論じた浅
野慎一の論文で取り上げられている
21
。また藤井桂子と門倉正美の調査でも「留学
生が最も困難を感じているのは経済的な問題で、住居、学習、アルバイト等につい
ても経済的な問題との関連で、問題となっているものが多い」と示されている22。
さらに権の『移動する朝鮮族』でも、
「最も大変だったこと」に関する項目で「勉学
とバイトの両立」が挙げられている23。これからの先行研究からも本事例で取り上
げている「勉強とお金」に関わる問題は、留学生または在日本朝鮮族の人々の生活
上で最も困難な問題であることが分かる。
このように、日本留学生活で「勉強とお金(アルバイト)
」は多くの留学生が共
通に抱える問題であり、
「勉強とお金」は切るにきれない関係でどちらも捨てられな
い重要なものである。しかし、いずれどちらかを選ばないといけない状況に立たさ
れる時期が訪れるが、その選択によって人生は変わる可能性がある。
4-2-2 「勉強とお金」―時代的な背景
前節まででは、留学生が「勉強とお金」の問題についてどのように悩み、どちら
え選択されているのか考察した。ここではシムトの中でこの問題がどう議論されて
いるのかを見て、その背景にあるものを考察する。まず事例 2 の手記を掲載した経
緯について見ていこう。
21
浅野慎一(
「アジア人留学生・就学生の生活と文化変容(2)
」
『神戸大学発達科学部研究紀要』
3(2)
、1996 年)160 頁。
22
藤井桂子・門倉正美(
「留学生は何に困難を感じているか:2003 年度前期アンケート調査から」
『横浜国立大学留学センター紀要』第 11 号、2004 年)113 頁。
23
権香淑、前掲書、131-132 頁。
17
220
金 花 芬
「マユミちゃん」さんが「勉強とお金」について書いた手記は、事例 2 が初めて
ではない。シムトに最初に投稿した「
「ツライ」日本の生活ですが、
「ガンバレ」し
かないです。倒れないよう、負けないように胸を張って生きていきましょう!」と
いう手記の中で、彼女はすでに「勉強とお金」の両者について簡単に書いている24。
なぜ彼女が事例 2 の手記を書いたのかについては、事例 2 の直前にあたる 15 日 01:
22 に「동해물(東海物の意味)
」さんが「日本でお金を稼いだ人たち」という手記
を読んで、自分も話したかった話題だったので投稿したと、事例 2 のレスで書いて
いる。これから、
「マユミちゃん」さんは「勉強とお金」について、少なくとも何ヶ
月間も考えていたのではないかと推測される。
では、
「勉強とお金」についてどのような人が議論に参加しているのかを見てみ
よう。2004 年 12 月 10 日に掲載した事例 3 以後、前記の東海物さんが掲載した手記
が 12 月 15 日 13:03 に掲載され、その後同日の 16:45 に事例 2 が掲載された。事
例 2 が掲載された日の 21:12 に「最近みなさんの文章を読んで」
、その二日後の 17
日の 23:21 に「Re:日本でお金を稼いだ人たち」
、19 日の 22:00 に「選択」とい
うタイトルの手記も掲載された。こうして 10 日の間に「勉強とお金」に関して 7
つの手記が掲載されたのである。これらの手記やレスを書き込んだ人は計 93 人で、
積極的にあちこちのレスに自分の考えを書き込んだ人もいる。
なぜ短期間にこのように多くの手記やレスが書かれ、またおおぜいの人たちの視
線を惹いたのか。単なる掲示板上の流行なのか。それとも何かあるのか。マユミち
ゃんはなぜ何ヶ月もかけてこの話題を話したかったのだろう。そして、留学してい
る人の来日目的が、なぜ「勉強とお金」との両立なのか。その裏にどんな物語が潜
んでいるのか、等等の疑問が私の頭を駆け巡った。その疑問を解くために、事例 2
と事例 3 の作成者雨降る街さんが 2003 年 10 月 3 日に書いた「日本にきたらみんな
お金をよく稼げるの?」という手記をあらためて考察してみる。
事例 2 の冒頭に、母親が近所の人が新しいマンションや車を購入したことを話し
ており、
「マユミちゃん」さんは母親がそれをうらやましがっていると思っていた。
また雨降る街さんが 2003 年 10 月 3 日 02:22 に書いた手記でも、母親が友達の集ま
24
「対立している【お金】と【学校】両者をどうやって自分がコントロールするかが一番大事
だと私は思います。
」
(抜粋先:作成日:2004 年 10 月 29 日、作成者:マユミちゃん、タイトル:
「ツライ」日本の生活ですが、
「ガンバレ」しかないです。倒れないよう、負けないように胸を
張って生きていきましょう!)
18
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
221
りにいって、
「日本人と結婚して 1 年以内に永住権を取ったこと、月に 30 万円送っ
てくる、日本で職業紹介所を開いた」などの話を聞いてショックを受け、彼に電話
で話したことが書かれている。このうらやましがっている母親と、ショックを受け
た母親が電話でわざわざ言ってきたという内容の背景は、朝鮮族の間でブームのよ
うになった社会風潮を想起させる。
本論の冒頭で述べたように、92 年の中韓国交樹立によって朝鮮族の移動は加速し
た。
朝鮮族社会の中ではまず海外ブームとなり、
近年海外に居住している朝鮮族は、
朝鮮族全人口の 3 分の 1 に達している25。彼らの移住先は韓国が一番多く、その次
が日本である。韓国に移動する朝鮮族は、親戚への訪問や国際結婚をきっかけに一
家の成員の一部が韓国国内に移住し、様々な過程を経て最終的に単純労働に就く者
が多い。これに対して日本に移動する朝鮮族の多くは留学から始まる。若者にとっ
て、韓国へ行って単純労働するより日本に留学して勉強をしながらお金も稼ぐこと
のほうがより自己実現のためには魅力的だからだと思われる。1996 年から身元保証
人制度が廃止されたことや日本の諸専門学校が直接朝鮮族の高校に来て勧誘したこ
となども大きい。このような一連の変化が、朝鮮族の若者が日本へ留学するのに大
きな役割を果たしたのではないかと思われる26。
4-2-3 日本生活とシムト
「日本体験手記」掲示板に書かれた手記から、「勉強とお金」を両立させている
例は多く見られる。来日する以前から、勉強しながらアルバイトをする覚悟をして
いると手記からは窺える。しかし、現実に生活してみると、
「勉強とお金」を両立さ
せるのがどれほど大変か、体験した人は身体でしみじみと感じただろう。
来日してまず学校に登録し、それから直ちにアルバイトを探す。日本に来てアル
バイトが見つからない人はお金で困って悩み、アルバイトをしている人は疲れて悩
む。もちろん、すべての人がこうだとは限らないが、このような家―学校―アルバ
25
李鋼哲「巻頭言」
、前掲、1 頁。
筆者が 2007 年 9 月 22 日から 10 月 21 日まで 60 人に実施した質問紙調査でも、来日目的の項
目(複数可能)で、
「視野を広げるため」
(31 人)を挙げた人が一番多く、その次が「勉強とお
金」で 22 人(37%)に達するという結果がでている。
(金花芬「三言語を使える『朝鮮族』を可
能にしたもの:留学生として来日している『朝鮮族』を中心に」
『朝鮮族研究学会誌』創刊号 2011
年、83 頁。
)
26
19
222
金 花 芬
イトを繰り返す生活で、肉体も精神も疲れて、何のために来日したか、自分が行く
道はこれで正しいのか、こんな人生でいいのか、なぜ生まれてきたのか、などの問
いを自分に投げ込んだりする。しかし、答えはどこにもない。マユミちゃんさんが
最初の手記で書いているように、
「倒れないよう、
負けないように胸を張って生きて」
いくしかない。自分が選んだ道だから、最後まで頑張って行くしかない。
以上のように、
「勉強とお金」に関する事例、またそれに関わる手記やレスを考
察して、在日本朝鮮族の日本生活の一側面を浮き彫りにした。これらの手記から、
彼/彼女らの日本生活が困難な状況に陥っている現状が浮かび上がってくる。この
ような生活状況で、同じ体験をしている同士で励まし合ったり、先輩が後輩に自分
が歩んだ道を語り、後輩もまた、いずれ自分もその道に歩むだろうと推測し、誰に
も言えない苦しみを分け合い、共に笑い、泣いてくれる人がそこに常にいる。留学
生相談センター、大使館、日本の公共施設があるにも関わらず、たくさんの在日本
朝鮮族がシムトを利用しているのは、シムトがこのような「場」だからである。シ
ムトは在日本朝鮮族の生活を支える受け皿になっているのである。
5.おわりに
本稿では、シムトが開設された 2002 年から 2004 年までの「日本体験手記」掲示
板に書かれている手記を取り扱い、その掲示板を概観し、そこに書き込まれている
内容を整理してきた。そして、
「勉強とお金」をめぐる手記およびレスに焦点を絞っ
て、在日本朝鮮族の日本生活の一側面を浮き彫りにし、彼・彼女らにとってシムト
がどのような存在であるのかを明らかにしてきた。
しかし本研究はシムトに掲載されたものをもとにしたものであり、これをただち
に在日本朝鮮族全体に適用できるかというと、必ずしもそうではないだろう。本稿
では「勉強とお金」に焦点をあてて考察したが、すべての在日本朝鮮族がこの目的
で来日したとは限らない。来日目的はあくまでも個人によって異なり、そのつどの
状況によって変わる代わる可能性もありうる。さらに本稿では感情面においてマイ
ナスのものを多く取り上げているが、だからといって、彼/彼女らの日本生活に嬉
しいことや楽しいがないということではまったくない。例えば、
「夢見たいよ」とい
う手記は「進学合格書をもらって、嬉しい涙を泣かしたことを永遠に記憶に残す起
すために」
、シムトに投稿されたものだが、それに対するお祝いのレスが 45 個もあ
20
ポータルサイト「シムト(쉼터)」と在日本朝鮮族
223
った27。日本生活を後から振り返って、苦労したが自分にとっては充実した生活だ
った思う人も少なくない。さらにすべての在日本朝鮮族がシムトを利用していると
は限らない。筆者の周りにも、朝鮮語をみると頭が痛いから利用していないという
人もいる。
シムトは、2002 年 9 月に設立されて、今年でちょうど 10 年を迎える。個人のブ
ログ付きのホームページから、
「そこで調べたら何らかの情報が得られる」というく
らいに在日本朝鮮族のニーズに答えるほど大きく成長した。この急成長の裏には、
もちろん金正男氏をはじめ運営スタッフの努力もあるが、利用者も大事に利用して
いるという事実がある。掲示板以外にも様々なメニューがあり、情報を得るのに重
要な役割を果たしている。さらに毎年企画される花見や運動会、忘年会、新年会な
どのイベントは、シムトの利用者が互いに直接出会う機会となり、そこに参加する
ことで絆を作っていく。これもまた、シムトの大事な役割である。
今後、こうした点をさらに研究していくことで、在日本朝鮮族が進むべき未来に
ついて考えていきたい。
27
URL:http://www.shimto.com/bbs/board.php?bo_table=1_1_2&wr_id=223528&page=199
21
224
金 花 芬
“Shimto” : A portal into the lives of Chaoxianzu in Japan
- online postings by ethnic Koreans about their experience in Japan JIN Huafen
Approximately 50,000 Chaoxianzu – people of Korean ethnicity, who make up one of
the ethnic minorities in China – are currently living in Japan. Since the Chaoxianzu have
entered Japan holding either a Chinese or a Korean passport, it is difficult to tell from
“Statistics on the Foreigners Registered in Japan” precisely how many of them now reside in
Japan. The ethnic origin of these individuals, unless they choose to disclose it, will remain
unknown to other Japanese residents. However, many Chaoxianzu have decided to discuss
their ethnic origin online, writing extensively about their experience in Japan on a portal
website called “Shimto”.
In this paper I investigate the postings written on the Shimto bulletin board entitled
“Experience in Japan” between 2002 and 2004, give an overview of the bulletin board, and
organize the postings into different categories. Then, by focusing in particular on the postings
and responses related to “study and money”, I will shed light on certain aspects of the lives
of Chaoxianzu and clarify the role that “Shimto” plays for those of them living in Japan.
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