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日本国憲法九条-北東アジアの平和の礎 アジアとアジアを越えて オラフ

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日本国憲法九条-北東アジアの平和の礎 アジアとアジアを越えて オラフ
日本国憲法九条-北東アジアの平和の礎
アジアとアジアを越えて
オラフ・トヴェウィト牧師
世界教会協議会総幹事
第4回九条世界宗教者会議にむけて
2014年12月3日
概論と多宗教間活動への賛辞
世界教会協議会から皆様にご挨拶申し上げます。第 4 回九条世界宗教者会議のために、こうして東京に
いることは紛れも無く光栄なことです。世界教会協議会は、東京、ソウル、沖縄で行われた過去 3 回の
会議に参加させていただいたことに感謝をしております。
これらの会議は、タイムリーで非常に重要なものでした。第二次世界大戦の 70 年後、会議は憲法九条
に新たな命を吹き込みました。会議はアジアや世界の異なる宗教、異なる文化のこころとマインドをコ
ミュニティの平和と和解をもたらす課題に集中させるものです。
今年の 7 月に、WCC 中央委員会は、第九条に関する政策方針を採択しました。WCC は、九条が平和を愛
する国としての戦後日本のイメージに貢献してきたこと、日本にとって外交的資産となっていること、
近隣諸国との関係を再構築することを助けてきたこと、海外の危機における非軍事貢献してきたことを
挙げました。
WCC の宣言文は、第二次世界大戦中に日本軍によって強制的に性奴隷にされた女性の悲劇的な歴史は、
「戦争に対する憎悪と、無実でか弱い人々の生活に及ぼす破壊的な影響を常に思い出させるもの」とし
てあげています。
中央委員会は、第九条を再解釈又は変更しようとする日本政府のイニシアティブに対して、重大な懸念
を表明しました。 WCC は、この憲法上の禁止事項が弱められることは地域の安全保障を損なうと警告し
ました。そして、日本政府に九条の文言と精神を尊重するように呼びかけました。WCC は日本政府に平
和憲法を生き、北東アジアのすべての隣接国と非軍事的集団安全保障協定を構築するよう強く促してい
ます。第九条を弱めるために外部からの圧力に降伏しないように奨励しています。WCC の声明は、九条
は日本政府が戦争時の過ちを繰り返さないための日本の誓いであると明言しています。
その声明は「日本は本当に平和な国になることを期待して平和憲法を擁護」している日本の教会や団体
を賞賛しています。そして、2014 年 8 月 4 日に WCC 議長の CHANG サン博士率いる教会の代表団は、仏教
の指導者を含めて、日本政府の官房長官を訪問し、第九条声明文と文と核のない世界に向けての新しい
WCC 声明文を贈りました。
官房長官は、会見に応じてくださいました。彼は福島の災害の後の WCC と日本の教会の支援に感謝を表
しました。彼は世界的な条件の著しい変化により九条の枠組みの中でのみ集団的自衛権を行使すること
を日本政府は考えており、その自己防衛は限られた方法でしか行使されないと述べました。世界平和と
戦後の自由と民主主義に対する考え方は変更されていないと述べました。
現在の傾向
北東アジアの傾向は確かに平和構築と集団的安全保障のための強固な政府の行動が非常に必要とされて
1
いることを示しています。どの国を見ても、厄介な問題があります。軍事的能力を高める広範囲かつ高
価なプログラムがあります。アジアへの米国の重心的移動は軍事力のグローバル展開における厄介な長
期的シフトです。北東アジアにおける日本の印象は、より軍事的性格を帯びたものになってきていま
す。
日本の領土で米軍の足あとは、第二次世界大戦以来、とても重いものです。2012 年九条会議が沖縄で学
んだように、アップグレードされています。その会議に参加したアナリストの一人は、平和憲法を破壊
している新ミサイル防衛システムを「トロイの木馬」と呼んでいました。ミサイル防衛がトロイの木馬
であるのなら、韓国の済州島に建設された海軍基地は、最新の馬小屋です。その新たな基地に対する教
会と市民社会の抵抗は、釜山の WCC 総会で注意を喚起しました。
北朝鮮の特有の敵意と、中国と相互疑念は容易に軍事化を正当化するために利用することができます。
しかし、そのような緊張は、実際に関係を正常化するための機会として使用する必要があります。良い
志を持った人々は、信頼を作り出す方法、公正な商業的なつながり、古い紛争を解決するための交渉す
るよう、より大きな地域でのコミットメントを呼びかけなければなりません。それどころか、私たちは
日本の武器輸出規制の緩和、日本の軍事上の文民当局の弱体化、自己防衛の一方的なスキームに参加す
るように日本にかかるプレッシャーを目撃しています。危機が発生した場合は、いわゆる自衛隊が米国
と並んで軍事作戦の多種多様な使命を帯びています。
これらは、憲法九条の問題です。これらは、分析され、地域でだけでなく、全国的に理解されなければ
なりません。その背後にあるビッグパワーのライバル関係は、フィリピンと南シナ海、および DMZ に沿
って明らかです。その影響は、基地契約、地域の武器販売と領土紛争の激化に見られています。
憲法九条の平和条項は、歴史的です。それらを弱める現在の圧力が深く懸念されています。行動が言葉
にまさるものなら、憲法九条を課した国の行動は、既に九条を書き換えています。一般市民の心の中で
は、こんなメッセージが見られるのかもしれません。”そう、日本よ、あなたは今もまだ外交政策の道
具として戦争を利用すべきではない。しかし、私達は、あなたが私達の戦争を自分たちのものとしてほ
しいと思っています。あなたはその義務を果たさねばなりません。その間、私達は核兵器であなたを保
護することを継続し、あなたの土地と他の同盟国の土地を我々の軍事基地のために使用し続けます。つ
まり、あなたは、武力を外交政策の道具として利用しますが、それはとりもなおさず、私たちの外交政
策なのです“
まだ完成していない柱
石で大きな建物を建てる場所では、柱が不可欠な要素です。現場又は採石場で、時々半分まで終わって
いる柱を見かけます。地面に横たわっている岩のブロックは、片方は荒削りですが、もう一方の端は綺
麗に柱に彫刻が施されています。時には、柱のてっぺんには既に装飾が刻まれている場合もあります。
このイメージの中に九条のたとえ話が含まれています。 1947 年の九条の採択は、平和憲法の驚くべき
生きた記念碑として石の柱に彫刻を施したもののようでした。憲法九条は非常に破壊的な戦争の後の建
設的な成果でした。柱は直立しましたが、、作業が終了していません。憲法九条、およびその基礎のベ
ースは、まだ終わっていないのです。これらの他宗教会議は、憲法九条が平和の柱となることを完了す
るために必要となると確信を示しています。
日本国内と海外の宗教コミュニティは、平和憲法を弱めることを日本政府に期待していません。日本が
憲法九条から離れることを受け入れることはできません。むしろ、私たちは日本がこの地域の平和のた
めの柱として、そしてそれを更に超えて、憲法九条に従っていくことを期待しています。
責任ある政府が無視することができるものは第九条では何もありません。第九条と同じ時代に書かれた
国連憲章は、戦争を行使するための絶対的な権利を付与するものではありません。それは、武力行使せ
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ずに国際紛争を解決するようすべての国に義務付けています。また、社会福祉や公共の利益から軍隊と
戦争の行使へ資源を流用することを最小限にするよう呼びかけています。
私たちは、日本が憲法九条に従うことを期待しています。我々は、日本は他の国の行為に影響を与える
前向きな例になるということを確信しているのです。
平和のための柱、過去の回復
憲法九条は、過去を癒し、現在を導き、未来を形作るのに有効ですので、北東アジアの平和のための柱
として機能することができます。
過去の多くは戦争、強姦、略奪と占領のトラウマ的な影響に耐えていた地域に癒やされないまま残って
います。憲法九条は困難な状況にあります。この未完成の柱は異なる角度、勝者の正義、敗北のペナル
ティ、癒しをもたらす歴史的な賭けとして見ることができます。
国全体で戦争をし、原子爆弾までも使用したその国が戦争に勝利した時点でそのようなことを二度と繰
り返さないと約束させることはどんなメッセージを送っているのでしょうか?きっとあいまいなメッセ
ージでしょう。そこで敗戦国が学ぶことはむしろ、意図したものとは逆の教訓となる可能性が最も高い
のではないでしょうか?征服者の戦略を採用する、時間は満ちるまで待つ。そして、復讐できる機会を
探す、というものでしょう。
しかし、日本が第二次世界大戦で征服した国のための第九条が持つ癒しの力を理解することは難しいこ
とではありません。加えて、憲法九条が日本国内で非常に幅広く支持されていることに注意することが
重要です。多くの市民が、暴力の連鎖を壊し、反射的な復讐を拒否し、狭いナショナリズムの破壊的な
ダイナミクスを拒否する智慧を認識しています。私たちは、平和への共通したコミットメントにたいし
て宗教的信念や一般市民の関わりが果たす役割に感謝をしていきたいと思います。
九条に対して憤慨し、自国の名誉の汚れとして、その終焉を楽しみにする。それはそれで一般的な人間
性です。暴力的な過去を生き抜いている人々は、将来の暴力の育てることにとって、肥沃な土壌となり
ます。つらい思いさせる社会は平和の種を成長させるには乏しい土壌なのです。
冷戦は北東アジアが第二次世界大戦から適切に回復していくことを凍結させました。冷戦は長い間続き
ましたが、それは終わりました。憲法九条は、時代を先取りしていたかもしれませんが、生き残ってい
ます。今日では、東アジアが世界の中心として浮上してきており、憲法九条が確実に平和のための中心
的な柱となる時が来たのです。
WCC 総会声明文 「平和の道へ」 では、憲法九条と一致する声で戦争の代替についてこう述べていま
す。”国家間の平和のために、国際的な人権と人道法を強化し、衝突を解決する多国間交渉を促進し、
条約保護を保証する責任を政府に保持させ、大量破壊兵器を排除することを助け、不必要な軍事予算を
民間の必要とするところに再分配する要求していくために、教会は、協働しなければならない。私達
は、国の軍事能力を削減し、戦争施設を非合法化するために、他の信仰のコミュニティや良い志の人々
の輪に参加していく必要があります。”
これらの言葉は、憲法九条の精神を呼び起こします。たとえその起源が政治と覇権の企てにあったとし
ても、第九条は、戦争で荒廃した地域が、その恐ろしい過去からの回復を支援するための柱となりま
す。
現在を導く
憲法九条が、北東アジアの時事問題のためのガイドとして機能しなければならない一つの場所があれ
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ば、それは朝鮮半島です。朝鮮半島は占領と分裂に1世紀以上に耐えてきました。韓国の人々は、彼ら
の忍耐、努力と創意工夫、たゆまぬ献身のために幅広い国際的な認知を得ていますが、現時点ではまだ
平和で報われていません。
釜山の WCC 総会で、我々は「平和と朝鮮半島の統一について」という総会声明文のなかで平和のための
エキュメニカルで多宗教間の関わりの長い歴史を認識しました。私たちは、北朝鮮と韓国の教会の指導
者、アジア、北米、ヨーロッパからの他の教会が関与し、クリスチャン·仏教の協力を含め、継続して
より多くのそのような取り組みが行われることを推奨します。このような取り組みは憲法九条の精神と
調和した市民社会を示しています。
「朝鮮半島において、人類共通の安全保障と人権は、分裂や競争、軍事国家安全保障よりも優先すべき
である」と総会は宣言しました。
宣言文では、休戦協定に関連する国が合意した平和条約の「新鮮で断固たる行動」を呼びかけました。
それは、平和フォーラムを行うという六者会談の約束を参加者に想起させました。長い間保留になって
いる合意に到達するための進行役を中国が務めるように呼びかけています。声明文は、核兵器の備蓄を
含むその領域における軍事強化を非難しました。私達は、米国と日本にたいして、朝鮮半島のすべての
軍事演習を停止し、周辺地域の軍事費を減らし、朝鮮民主主義人民共和国に対する封鎖と制裁を停止す
るよう「強く促し」ました。
我々は、韓国の「真の非武装地帯」が国際協力を得て、半島を平和な地域に変換するだろうと呼びかけ
ました。これが憲法九条を用いた地理学です。
多くのことが、釜山以来起こっています。北朝鮮と韓国からの教会の指導者は、平和、和解と統一に関
する国際協議のため 6 月にジュネーブにやって来ました。新しい関係が始まりました。ドアが再び開か
れたのです。WCC が平壌の朝鮮基督教連盟を訪問するという重要なフォローアップのステップが10月
にありました。
将来を形成する
最後に、第九条に秘められた義務は北東アジアと更にそれを超えて未来を形作るのに役立ちます。私た
ちは、特に世界で誰も再び広島と長崎が受けた苦しみを受けることがないよう、より安全な未来を構築
するために、1 つの具体的な機会を見てみましょう。
これらの宗教間会議は、すべての核の危険を非難しています。私たちは憲法九条が核兵器とは本質的に
互換性がないということを信念を持ってここで宣言しましょう。まず、日本が第九条の下で核兵器を保
有することは明らかに受け入れられません。これ以上、憲法を冒涜する行為は考え難いでしょう。第二
に、九条の下、日本にたいして使用された巨大な兵器が、他の誰かにたいして使用されるべきであると
いうこと受け入れるのは、九条下にある日本の対極にあることです。しかし、これが、アメリカの拡張
された核抑止政策戦略を日本が受け入れた、とういことです。第三に、米国が独自の戦争計画や教義の
ために日本を協働させようとするのはの第九の下で偽善的であります。
我々が期待する 第九条が正常に機能しているアジア は、核兵器のない場所でなければなりません。
核兵器の脅威にさらされている日本は平和な日本ではありません。核兵器に依存している日本は恐怖と
恒常的な危険の中に生きています。これは隣国にとっても、日本にとっても真実です。
私たちは、多宗教間の会議です。私たちは釜山総会からこのトピックに関する信仰のいくつかの言葉に
耳を傾けてみましょう:WCC 総会は命を脅かし、破壊する方法で原子のエネルギーを使用することは、
神の創造の罪深い誤用であると述べました。クリスチャンは、原子や分子からも命を呼び出し、豊かに
命の創造を与えてくださる寛大な創造主として神様を理解しています。
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人類が核兵器によって守られ、恐る恐る生き、また原子力エネルギーに依存して、無駄に生きるよう
に、命を危険に晒すのではなく、命を守る方法を生きるように召しだされていると私達は信じていま
す。我々の仕事は、神の多様な命の賜物と社会や経済の調和を構築することだ、と会議は宣言しまし
た。
1990年台、カナダ北部の Sahtu-Dene の人々が、彼らの土地から算出されたウランが 1945 年に広島
と長崎を破壊した爆弾に使用されていたことを知り、謝罪のために、日本へ長老の代表団を派遣しまし
た。
我々は核の被害に苦しむすべての人に耳を傾ける必要があります。被爆者、PI-POK-JA、太平洋および
中央アジアの試験場の被害者の声が核時代からの脱出を叫んでいます。そして今、これらは別の形で、
福島の原子力災害の犠牲者によってつなぎ合わされています。
「私たちは、自分たちを守るために他の人々の命が大量に破壊されることが正当な形であると受け入れ
ることを拒否しなければなりません。神は私たちの前に、生と死、祝福と呪いを置いてくださっていま
す。神は私たちと私たちの子供たちが生きることができるように、「今、命を選びなさい」と切にお望
みです。
総会は韓国人キリスト教徒のグループの最近の信仰宣言を引用し、「私たちは緊急に核武装国の現状の
確保のためではなく、すべての人間性と創造物のための命を守ることの必要性を宣言する”と述べまし
た。
私たちすべてが、共に祈り、「命を守る」のために協働していきましょう。進歩は可能なのです。 WCC
は、命を守り、平和を構築する一歩一歩のアプローチを取っている教会のネットワークです。このエキ
ュメニカルネットワークは、国連での共同声明を背後とし、より多くの政府が団結することに貢献して
います。共同声明はこのように述べています。"核兵器がどのような状況下でも再び使用されることは
ないということは人類の存亡にとって非常に有益であります”。 155 政府が現在参加しています。日本
の肯定的な姿勢は広く評価をされています。これらの共同行動は、核兵器の非合法化と壊滅的、人道的
影響のために最終的に禁止をしていく支援の高まりの一部です。
WCC は、このように政府に働きかけて、仏教のパートナーたちとともに同じ結果を求めながら共同して
いる日本と韓国のメンバー教会の代表者に感謝しています。
来週はウィーンで、日本は核兵器の人道的な影響に関する画期的な会議に 150 の政府とともに参加しま
す。これらの会議は、事実に基づいた学際的なものであるため、核による抑止の支配的な枠組みに挑戦
し、核武装国の中にも少なからず懸念を生じさせるものです。
日本はこれらの会議に参加し続け、それらが成功するよう手助けしていくことが重要です。憲法九条と
核兵器とが相容れないものであるならば、核兵器を廃止できない集団的な失敗とも相容れないものであ
ると言えましょう。
平和の道に沿ったエキュメニカルな進展は憲法九条を確約し、確証します。1983 年にカナダのバンク
ーバーで行われた WCC 総会の後、教会は、南太平洋を非核地帯にするキャンペーンの成功に重要な役割
を果たしました。ブラジルの 2006 年総会で WCC 勧告に続いて、WCC の教会は、アフリカに非核兵器地帯
を作る手助けをしました。今、釜山総会では、「北東アジアのすべての核兵器の、完全な検証可能かつ
不可逆的な排除を確証する」ために教会に呼びかけています。皆さん御存知の通り、これは北東アジア
非核兵器地帯のための長年の提案の目標であります。それは困難な命題ですが、それは夢ではありませ
ん。この地域における公正で持続可能な平和は、彼らが過去 60 年間経験したような、隣接の国々がも
はや、大量破壊で互いに脅かすこのとのない平和です。
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憲法九条を再解釈ではなく、再確認されなければならないというのが私達の信念です。それは国民の日
常生活の片隅に追いやられるべきものではなく、日本の国際関係の中心に再配置する必要があります。
九条は日本の伝統、そして、それ以上のものです。それは、戦争によって傷ついすべての国民の学びで
あり、対立に溺れるすべての政府を正すものです。憲法九条は日本のためだけではなく、アメリカ、中
国、韓国、ロシアにとっても有益な挑戦です。宗教指導者は、アジア、そしてそれを超えて、平和のた
めに、さらに一層平和の柱を中心に結集しなければなりません。
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