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≪ 宗教に於ける仏教 ≫

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≪ 宗教に於ける仏教 ≫
≪ 宗教に於ける仏教 ≫
人類最古の化石(人類への分化)700 万年前発生
人類の誕生
人間のみが、過去・未来について思索
する。動物は、現在あるのみで、自分
がいつかは死ぬかもしれない等とは
考えないであろう。
* ホモサピエンス(20 万年前誕生)
宇宙の神秘ほど、人間の存在意義、時間というものとの関わりと不思議さを考えさせて
くれるものはない。宇宙は、我々人間の力が及ばないもので動いている。
神秘性、無限性:何十億光年という星の広がり?時間とは?ここにいる自分とは?誰にも
訪れる死とは?宇宙に存在する 100 億以上の銀河・・・・・そして、生命の構成要素は全て解
明されたのに、それに生命を吹込む「カギ」を人類は、まだ手にすることが出来ない。DNA、
遺伝子等の世界に見る生命の不思議・・・・・、
神
万物・自然への畏敬の念
から神が生まれた。
神話(創世神話、英雄神話等)・信仰・祭り
自然の神秘への挑戦
哲
自然科学
素粒子物理学等へ
(宇宙論、時間論)
学
『存在』と『時間』
(1) 科学や哲学は、この世の恐れや苦悩を解決してはくれない。
「ど
うすればそれから逃れられるか?」より宗教は始まった。
(2) ・・・・・・つまり、
「人間はどう生きたらよいか?」と考えた時、そ
れはもう宗教上の問題でして、好き嫌いに関わらず、また意識す
るしないに関わらず、宗教に無関係な生き方は、人間である限り
出来ないのです。
(会田みつお 生感動一生青春 文化出版局)
(3) 死後は、
『無』の世界と思えば切ないが、
『浄土』と思えば心も明る
くなるではないか!それが“宗教”の始まりであろうか?)
1/5
宗教
唯一神教
多神教
神→人間→動植物
(『神』が全てを支配する。)
・・・・・・宇宙に限りない神秘を感じ
る心を、信仰心と呼んでもよい。
身の周りの生き物全てを慈しむ心
も同様である。大自然の偉大さ、
宇宙の壮大さに思いをはせる時、
人はおのずと宗教的になる。
(井上
順孝 図解雑学「宗教」
:ナツメ社
より)
万物に神が宿る(原始宗教、
神道、ヒンドゥー教等開祖の
ない民族宗教)
バラモン教
ユダヤ教
(旧約聖書)
万物の創造主で統治者であるヤハウェのもとに、
モーセの指導で紀元前 13 世紀頃始まったとされる
が、A.D.5 世紀頃には国が滅び世界を放浪するユダ
ヤ人となった。しかし、第 2 次大戦後、イスラエ
ル国家の復活が国連で認められたが、これが現在
のパレスチナ紛争の火種ともなった。
仏
教
ゴータマ・シッダッタ
により紀元前 5 世紀
頃創始される。
(信者約 3 億人)
ヒンドゥー教
キリスト教
紀元前後に形成
されて行く
(信者約 8 億人)
(新約聖書)
イエスのユダヤ教改革に
よるローマ人の迫害から
のユダヤ人救済(信者約
18 億人)
い っさいし ゅじょう しつ う ぶっしょう
一切衆生悉有仏性:(涅槃経)
イスラム教
(コーラン)
神アッラーと預言者ムハン
マド(マホメット)によるア
ラブ民族の統一(A.D.7 世紀)
(信者約 10 億人)
仏教は、道を極め悟りを開いた釈迦と
同様、
“生きとし生けるものすべては、自
分自身の修行・努力によって、仏になれ
る可能性(仏性)を持っている”と説く。
(仏教は、1.仏の教え 2.仏になる
ための教え の二面性を持つ。
)
キリスト教・イスラム教等には、神や
創造主の教えといった概念はあっても、
信ずる者はキリストやムハンマドになれ
るのだという教えはない。これは、他の
宗教と仏教が大きく異なる点である。
2/5
さん
ぼう いん
三 法 印(又は四法印)
『十二因縁』
『四諦(八正道)
』
・・・・・・仏教の思想には、人間は
万物の霊長であるという思い
上がった考えはまったくない
ということです。花を咲かせる
命も、人間を生かす命も、命は
ただ一つ。縁あって花に成り、
縁あって人に生まれる。・・・・・・
(松原泰道師講演より:釈尊の
こころ 仏教伝道協会版)
伝統仏教
南方仏教/上座仏教/
原始仏教/(小乗仏教)
大乗仏教の誕生
(北方仏教/
菩薩乗仏教)
紀元 250 年、インド西方で龍
樹(ナーガルジュナ)により興っ
たといわれる。
*過度の教義・規律・儀式に迷
い込んだ伝統仏教からの再
誕を目指して、大乗仏教が生
まれ、般若心経が普及し、禅
が誕生して行く。
チベット仏教
=ラマ教
チベット
ブータン
8 世紀後半、チベットに仏
教が伝わり、土着のボン教
と影響を及ぼし合いなが
ら形成された。
*ブッダは、前世では、菩薩(求道
者)であったが、我々迷える者
しゅじょう
(衆 生 )を救うべく、現世に現
れたと見る。また、出家者を含
む在家者でも修行によって、菩
薩・仏にもなれるとする。
*ブッダは、はじめは人間
であり、後に悟りを開い
て仏になったとする。
*出家することにより真の
仏道修行が可能になると
する出家者至上主義、及
び戒律を守ることによっ
て教えが保たれるとする
戒律至上主義。
スリランカ、ミャンマー、タ
イ、ラオス、カンボジア等
チベット、中国、朝鮮、日
本、台湾、ボルネオ等
『般若経』
大品般若経、
小品 〃 、
金剛 〃 、
文殊 〃 、
仁王 〃 、
大般若経、
般若心経 他
3/5
「大乗非仏説」
大乗仏教は、正確にはブッダ
が説かれた教えそのものを
記録したものではない。ブッ
ダの説かれたのは、伝統仏教
のごく一部である。
しかし、ブッダは、その一
部であっても、その後の歩む
べき道は、仏教者自ら発見
し、築いて行けるものと信じ
ておられたのである。
くう
空
禅宗
「空」の思想は、原始仏教の「縁起」
の教説から発展的に出て来たもので
ある。(ひろ さちや「般若心経の読み方」日
本実業出版社)
(6 世紀に達磨によって中国
に伝えられたと いう。曹洞
宗・臨済宗は 9 世紀に誕生)
「・・・・・『空』の見方は、いろいろである。これが『空』なんだと一つの見方ばかりに
執着したり、先入観念に捉われることは、般若心経の最もきらうところである。すなわ
ち、
『空』は、徹底して自由である。最高の自由である。
『空』の立場に立つとは、
「悲し
みや苦しみ」も実体の無いものだからこだわるなという。実体がないものを、我々が「悲
しみや苦しみ」に仕立て上げて、それを後生大事に保存しているのであるから、そんな
馬鹿げたことを止めなさい、と『般若心経』は、われわれに忠告しているのである。
しかし、苦悩している人にとって、知識・理屈では解っていてもそう簡単に割切れる
ものではない。故に、心配事はあるがままに、しかし、それにこだわりすぎないことで
ある。心にわだかまりを持たないことである。それには、
“南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華
経”を唱えるのも良い。座禅・写経をすることでも良い。ただひたすら一心に努めてい
るうちに、やがて、
“苦悩”は徐々に薄らいで行くであろう。苦悩の最中(さなか)にあっ
て、せめて心を十年後の状態に置くことが出来たなら・・・・・。『時間』は、偉大な解決者
である。
」(ひろ さちや「般若心経の読み方」日本実業出版社を、一部補足)
とう ひ が ん
ね は ん じゃくじょう
げだつ
涅槃 寂 静 =悟り=解脱
到彼岸:
【空】の立場から『変化
(流転)
』と『縁起』の現象世界
をありのままに捉え、物事を「中
道」により正しく判断して、
「執
着(欲望)」を的確に制御して行
く「自利利他」のこだわりのな
い真に自由な心。
(参考)
ブッダ最後のことば
『汝らは、自らを灯明とし、自らを拠りどころとせよ。他人を拠り
どころとせず、法を拠りどころとせよ。
』
(注) 灯明=智慧と祈りの象徴、法=仏法(ブッダの説かれた教え)
過去を追うな、未来を願うな。過去は既に捨てられた、未来はまだやって来ない。
故に、
(今ある命に感謝しつつ)、現在のことがらを良く観察し、しっかりと見極めて、
揺らぐことなく真剣に実践すべし。誰か明日の死あることを知らんや。(中阿含経)
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<おわりに>
私がこのフローチャートを作成していた時、哲学者 梅原猛の本に、正に私の心の世界そのものを語っ
たと思われる部分に出くわしたので、次に抜粋しておく。(文中の下線強調は、小宮山記)
・・・・・・ほとんどの人類の宗教は死後に行くあの世を説く。キリスト教の神の国、仏教の極楽浄土など、す
べて絶対の無である死の運命に耐えられない人間の弱さから生まれた幻想にすぎない。私は戦後約十年、
このような無神論者であった。
・・・・・・しかし今は違う。その後四十年の人生を生きた私は、宗教の説くあの世に、前よりはるかに寛容に
なった。ドストエフスキーが言うように、あの世を信じる宗教がなかったら文明というものもなかったで
あろう。私は、幻想かもしれないあの世を仮想することによって、文明を創造してきた人類の歴史を前よ
りも好意的にみることができるようになった。
・・・・・・近代哲学の立場は、個人の上に立っています。個人は死ねば、その後にはなにもない。しかし、現
代の科学は、新しい知見を生み出した。人間の生命、生きとし生けるものの生命は、遺伝子によって、ず
っとつながっている。遺伝子というものを、最近の科学は見いだしたんです。遺伝子の立場に立てば、個
人は死んでも遺伝子は残る。
・・・・・・今われわれが生きているのは、永遠といってもよい長い生命の発展の歴史の結果であり、その生命
発展の歴史が、われわれの生命の中に遺伝子として集約されているのである。そして、われわれが子孫を
もつことができるとすれば、この遺伝子は、未来にほとんど永遠というべき長い歴史をもつであろう。そ
のように考えると、われわれの生命には、過去と未来の二つの永遠が凝集されているといえる。このよう
な遺伝子の不死は、現代科学が明らかにした事実であるが、多くの宗教が説いた魂の不死なるものも、こ
の遺伝子の不死という事実の多分に文学的な解釈であったのではなかろうか。
・・・・・・そして、このような遺伝子は、自己を生き永らえさせようとする自利の要素と、自分を犠牲にして
も子孫を残そうとする利他の要素をもっている。遠く離れた海の彼方から自らが生まれた川に帰って卵を
産んで死ぬ鮭には、明らかに利他の精神がある。生きとし生けるものは、みな自ずからこのような利他の
精神を宿している。遺伝子そのものに仏教のいう自利利他の要素が含まれるのである。自分を犠牲にして
も子孫を残そうとする利他の精神は、やがて家族をこえて国家や人類までに及ぶ。
・・・・・・諸君、私はこのように考えて、若き日の無神論を克服した。二つの永遠が凝集した自利利他の精神
を自らもっているこの尊い人生を精一杯生きようではないか。
(梅原猛の授業 「仏教」朝日新聞社 より)
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