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法科大学院「現状と課題」Q&A

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法科大学院「現状と課題」Q&A
法科大学院「現状と課題」Q&A
法科大学院制度に再生の道はあるのか
法科大学院が 2004 年 4 月に開校してから、既に 8 年が経過しました。当初は、マスコ
ミから絶賛されていた法科大学院ですが、現状は、法科大学院志望者の激減、司法試験
合格率の低迷、総務省からも 2012 年 4 月には「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革
に関する政策評価」が出され、法科大学院に対する統廃合などが勧告されるに至りまし
た。
法科大学院制度については、文科省、大学、日弁連、マスコミを上げて絶賛され、立
ち上がったにもかかわらず、何故、このような事態に陥ってしまったのでしょうか。
これまでの法科大学院設立に至った経緯にさかのぼり 、「Q&A」方式で考察してみ
ました。
引用文書中が太字になっていたり、
線が引かれているものは、すべて作成者が付し
たものであり、原典にはありません。
本当にこのまま法科大学院制度を続けていってよいのかどうか、検討するにあたって
の一助になれば幸いです。
2012年11月
札幌弁護士会会員
猪
野
亨
第1章
法科大学院制度の陥った状況
1
Q
1
法科大学院の現状は、どのようになっているか?
Q
2
総務省による「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価」
1
(2012年4月)の内容はどのようなものですか。
Q
3
3
法科大学院の設立について、修了者の7~8割を司法試験に合格させると
いうのであれば、当初は、74校、定員も5000名以上となり、司法審
のいう年間3000名に比べても多すぎることから、法科大学院を認可し
すぎたことが問題なのではないでしょうか。
Q
4
5
法科大学院間には、大きな格差が生じているようです。これは、どのよう
なものでしょうか。
Q
5
8
法科大学院の志望者が減ったというように言われていますが、かつての旧
試験では、合格滞留組がいたから母数が多かっただけで、現時点(2012 年
実施)でこそ適性試験の志望者が減ったとはいえ6000名強の志願者が
いたのですから、弊害というほどの現象ではないのではないですか。
Q
6
11
各法科大学院間に格差が生じるのは、それぞれの理念があるのだから、や
むを得ないのでは?
第2章
12
法科大学院制度の設立の経緯
Q
7
法科大学院は、何故、設立されたのですか。
Q
8
従来の司法試験(旧試験)に問題があったから、法科大学院制度は導入さ
14
れたのではないですか。
Q
9
14
17
旧司法試験の弊害として、予備校教育の弊害があり、大学の講義にも出席
せずに、大学入学後にすぐに予備校漬けになるという問題点の指摘があり
ましたが、大学の講義に出席しないことと法曹養成の問題は関連があるの
でしょうか。
Q10
21
年輩の弁護士が 、「予備校はテクニックばかりを教えているだけだ。今時
の受験生(弁護士、修習生)は基本書も読まないから体系的理解がない 。」
ということがありますが、このような批判は当たっているのでしょうか。
Q11
旧試験は、司法試験という点での選抜であったが、新しい法曹養成制度は、
プロセスを重視すると言われていますが、これは正しいのでは?
Q12
22
従来は、司法試験(旧試験)一発勝負について、医学部における医師の養
成と比較しても特異な制度であるという指摘がありますが、やはり法曹に
- Ⅰ -
23
おいても養成課程は必要なのではないでしょうか。
Q13
25
司法試験の内容については、司法制度改革審議会意見書では、法科大学院
を修了したことの成果を試す試験にすべきであるとしていますが、これは
どのような意味でしょうか。
Q14
28
法科大学院では 、「公平性・開放性・多様性」を理念としていますが、こ
の理念は正しいのでしょうか。
Q15
法科大学院制度は、第三者評価がなされることになっていますが、大学自治
(憲法23条)との関係で問題はないのでしょうか。
第3章
Q16
30
法科大学院制度が掲げる理念は正しかったのか
32
34
法科大学院の理念の中で、司法制度改革審議会意見書は 、「かけがえのな
い人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性
の涵養、向上を図る。」(63ページ)ことを掲げています。この理念自体
は、正しいのではないでしょうか。
Q17
法科大学院に入学するために必要とされている適性試験ですが、法曹にな
るための資質を図ることができるのでしょうか。
Q18
34
37
これまで法学部は実務と乖離しており、実社会に役立ってこなかったのだ
から、実務にコミットすることは良いことではないのですか。その中で実
務に対する批判的視点も取り入れているのですから、問題ないのでは?
Q19
法科大学院制度が売り物にする双方向授業とは何ですか。何故、法科大学
院でこのようなことが行われているのですか。
Q20
42
法科大学院制度では、例えば知財などに特化するなど法科大学院の独自性
のもと、種々の必要とされる法曹の養成に適うのではないでしょうか。
Q22
41
法曹の国際化を図るためには、法曹人口の激増と法科大学院制度が不可欠
なのではないでしょうか。
Q21
39
44
法科大学院制度は、借金漬けのような批判はあるものの、希望すれば奨学
金を受けられるのであるから、旧試に比べても法曹資格を取得できるよう
になったのでは?
Q23
47
法科大学院では、それまでの社会経験や活動実績なども参考にして選抜を
行うということであり、試験による能力だけの選抜よりも多様な人材を確
保できるのではないでしょうか。
Q24
法科大学院を修了した法曹(修習生)の方が、プレゼン能力に長けている
- Ⅱ -
50
と言われています。課題があるとはいえ、法科大学院における成果もある
のではないでしょうか。
Q25
51
私は法科大学院を修了した者ですが、法科大学院で履修したことは、実務
法曹になっても、非常に役立っています。法科大学院そのものに存在意義
があるのではないでしょうか。
Q26
53
法科大学院では新たに行政法を必修とし、司法試験科目にも入ったことか
ら、旧法曹が国には勝てないと尻込みをしていた行政訴訟を、新法曹は積
極的に取り組んでいるのでは?
第4章
Q27
法科大学院制度の内容の課題
54
56
法科大学院は、全国に適正配置が必要と言われています。地元に法科大学
院があるということが、地元定着をもたらす意味でも重要なことではない
でしょうか。
Q28
56
法科大学院制度では、司法審は、夜間と通信を上げていましたが、夜間は
低迷、通信は具体化されていません。現実には困難だったということで
しょうか。
Q29
59
法科大学院修了者の座談会などをみますと、よく言われているのが 、「法
科大学院制度があったからこそ私は法曹(弁護士)になれた 。」というも
のですが、法科大学院制度は、法曹への門戸を広げたと評価できるのでは
ないでしょうか。
60
Q30
法科大学院において、厳格な成績評価、修了認定は可能なのでしょうか。
61
Q31
未修者コースの低迷が言われています。これを打開する解決策はあります
か。
第5章
Q32
63
司法修習との関係
65
司法修習は、司法研修所で行われてきましたが、これまで日弁連は官から
の支配脱却を主張していたのですから、法科大学院制度は願ったり適った
りであり、司法修習の縮小は望ましい方向なのではないですか。
Q33
現在、司法修習期間は1年と従来の半分となりました。最高裁が示す修習
の目的に問題はないのでしょうか。
Q34
65
司法修習の修了認定試験である考試(2回試験)の不合格者は従来と比べ
て多いようですが、法科大学院での教育がうまくいっていないということ
- Ⅲ -
67
でしょうか。
第6章
Q35
72
今後の法科大学院制度のあるべき方向
76
法科大学院制度に課題があるからといって、課題を解決することこそ必要
なのであって、廃止とか法科大学院修了を司法試験受験要件から外すとい
うことは、筋違いではないでしょうか。
Q36
76
法科大学院制度を廃止したり、修了を受験要件から外した場合、在学生に
は大きな不利益が及ぶことになりますが、問題ではありませんか。
Q37
77
司法試験の合格率が改善されれば、志望者が増えるのではないでしょう
か。
第7章
Q38
77
その他
80
法科大学院制度設立にあたって法学部を残したことが間違いであるという
主張がありますが、どのように考えますか。
Q39
法科大学院修了後の司法試験受験回数制限(5年以内3回)には、どのよ
うな合理性があるのですか。
Q40
81
予備試験合格者が2012年度から、司法試験に初めて参入されましたが、
その結果をどのように見ますか。
Q41
80
86
司法審意見書では、法曹養成において法科大学院制度を法曹養成の中核と
位置づけていますが、その根拠は何ですか。
- Ⅳ -
87
第1章
Q
1
法科大学院制度の陥った状況
法科大学院の現状は、どのようになっているか?
法科大学院制度は、2004年4月の開校により始まりましたが、8年以上が経過し、
現状では以下のような問題点が指摘されています。
今後、以下の課題が解決できるのかどうか、その展望を示せるかどうかが法科大学院
制度存続にあたって問われることになります。
1
志望者の激減
法科大学院開校当初は、マスコミを上げての宣伝効果により、志願者が殺到しま
した。法科大学院を修了すれば司法試験の合格率が7~8割であるという言葉のみ
が一人歩きしたということもありますが、そればかりでなく、弁護士人口激増政策
のもと、弁護士需要があふれんばかりにあるものという錯覚を与えたこと、企業の
不況と就職難の相乗効果もあって、志望者が殺到しました。しかし、実情(司法試
験合格率の低下、新規登録弁護士の就職難)が浸透するに至って、急激に志望者が
減少しました。
その志望者数の推移は、法科大学院に入学するに際して受験することが必須の適
性試験の志望者数によって明らかになりますが、以下のように激減しています。
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
大 学 入 試 セ 日 弁 連 法 務 研 合計
統一後
ンター
究財団
39,350
20,043
59,393
24,036
13,993
38,029
19,859
10,725
30,584
18,450
12,433
30,883
15,937
11,945
27,882
13,138
9,930
23,068
10,282
8,547
18,829
8,650
7,829
16,479
2010年までは二つの実施
主体があり、法科大学院の受
験を目指す者は、少なくとも
どちらかの適性試験を受験す
る必要があります。両方、受
験することも可能です。
7,820
6,457
適性試験の実施主体が複数あった2010年までは、どちらも受験ができたので、
合計人数がそのまま志望者数になるわけでありません。
確かな情報ではありませんが、受験生の傾向として大学入試センター主催のもの
だけを受験する受験生はいても、日弁連法務研究財団主催のものだけを受験する受
験生は、ほとんどいないということでした。
その真偽は、確認のしようがありませんが、日弁連法務研究財団という私的団体
が実施するものだけしか受験しない受験生は考えにくいといえること、特に、大学
入試センターの数字をもって論じても、それによって法科大学院制度を論じるにあ
-1-
たってバランスを欠いた用い方にもなりませんので、大学入試センターの数字を前
提にしてもよいかと思います。
そのような視点に立っても、2003年には3万9350名の志望者がありなが
ら、2012年には6457名となっており、10年間で実に6分の1までに激減
しています。
2
実入学者数の激減
実入学者数も2012年度には、3150名となり、こちらも激減しています。
この2年間を比べてみても、以下のとおり激減しています。
2011年度
3620名(定員4571名、充足率79.19%)
2012年度
3150名(定員4484名、充足率70.25%)
その結果、学生の募集を停止する法科大学院が相次いでいます。
既に2011年度から姫路獨協大学法科大学院が学生の募集を停止していますが、
2012年に入ってからも、神戸学院大学、駿河台大学、明治学院大学の各法科大
学院において、来年度から学生を募集せず、順次、閉校ということになりました。
大宮法科大学院大学も、閉校ということにはなっていませんが、桐蔭法科大学院
と統合することにより、独自の学生の募集が停止されています。
3
司法試験合格率の低迷
法科大学院修了者の合格率は年々、下落しています。
司法試験受験者数
うち既修者
うち未修者
合格者数
うち既修者
うち未修者
合格率
うち既修者
うち未修者
2006(H 18) 2006(H 19) 2006(H 20) 2006(H 21) 2006(H 22) 2006(H 23) 2006(H 24)
2,091
4,607
6,261
7,392
8,163
8,765
8,302
2,091
2,641
3,002
3,274
3,355
3,337
1,966
3,259
4,118
4,808
5,428
1,009
1,851
2,065
2,043
2,074
2,063
2,044
1,009
1,215
1,331
1,266
1,242
1,182
636
734
777
832
881
48.3
40.2
33.0
27.6
25.4
23.5
24.6
48.3
46.0
44.3
38.7
37.0
35.4
32.3
22.5
18.9
17.3
16.2
※平成24年度の数字は、予備試験組を除いてあります。
現時点で、既修・未修別は不明です。
合格率の低下ですが、これ以上、法科大学院が新たに設立される見込みはなく、
また定員を増加させることもないでしょうから、一定のところで下げ止まることに
はなります(2012 年度はわずかに上昇しました。)。今後、法科大学院の統廃合、定
員削減により、合格率は一定、上がるものとは思われますが、合格率7~8割に近
づく状況ではありません。
特に未修者コースに至っては、社会人などの「多様なバックグラウンド」をもっ
た層の法曹資格取得コースとして法科大学院の目玉でしたが、未修者コースの低迷
-2-
が明らかとなるや、社会人からの入学者は激減しました。
4
法科大学院間の格差の拡大
法科大学院間の格差は拡大する一方です。その結果、法科大学院の閉校につなが
っていきました。
格差拡大の内容についてはQ4を参照してください。
5
総務省による「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価 」(2
012年4月)が出されるに至ったこと(Q3参照)。
政府内からも法科大学院の課題が突きつけられた形となりました。
総務省評価以外でも、行政刷新会議「提言型政策仕分け 」(2011年11月2
0日~23日)において、法科大学院制度は、成果を出していないとやり玉に挙が
っています。
Q
2
総務省による「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評
価」(2012年4月)の内容はどのようなものですか。
1
総務省は、2012年4月 、「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する
政策評価」を出しましたが、その経緯は以下のとおりです。
政策評価
行政機関が行う政策の評価に関する法律に基づき、平成 14 年度から総務省
が担当する政策に対する政策評価を実施しています。
総務省では、政策評価を行うことにより、政策の実施状況について把握・
分析を行い、その結果から得られた課題を以後の政策の企画立案に的確に反
映し、政策の見直し・改善等を図ることを目指しています。
(総務省ホームページより)
2
総務省は、2010年5月 、「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究
会」を立ち上げました。
メンバー
江川紹子(ジャーナリスト )、郷原信郎(名城大学教授・コンプライアン
ス研究センター長・弁護士 )、コリンP.A.ジョーンズ(同志社大学法学科大学
院教授)、櫻井敬子(学習院大学法学部教授)、谷藤悦史(早稲田大学政治経済学術
院副学術院長・早稲田大学現代政治経済研究所所長・教授 )、三上徹(株式会社三
井住友銀行法務部長)、山田昌弘(中央大学文学部教授)
同研究会は、2010年12月「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研
-3-
究会報告」を発表。ここでは司法審に示された法曹人口、法科大学院制度の問題点
が指摘されており、総務省は、この報告を受けて調査に移行しました。
総務省は、法務省、文科省、最高裁、法科大学院制度、弁護士会等にもヒアリン
グ調査を行い(札幌弁護士会に対するヒアリング調査もあり、2011年7月19
日に実施)、その結果、2012年4月に発表されたのが、今回の政策評価です。
3
政策評価の骨子(6項目)は、次のとおりです。
①司法試験の年間合格者数に係る目標値の検討
②法科大学院における教育の質の向上
③法科大学院の入学定員の更なる削減、他校との統廃合の検討
④未修者対策の強化
⑤法科大学院に対する公的支援の見直し
⑥修了者の進路の把握、就職支援の充実
報告書では、法曹人口については、弁護士の就職難によるOJTの不足、300
0人を達成しなくても国民への支障は認められないとしています。
また法科大学院関係では、主には文科省に対し、法科大学院における学修のばら
つきをなくし、修了者の一定の質を確保すること、成績評価及び修了認定の一層の
厳格化、質の確保の観点から定員充足率が向上しない法科大学院に対しては実入学
者数に見合った更なる定員削減、などを求めています。
4
総務省がこのような評価を行った背景にあるのは、法曹養成にかかるコストの問
題があるからです。
要は、法科大学院の設立以降、多額の税金が法科大学院に投入されていますが、
法曹需要もない、法科大学院間の格差も甚だしいということになれば、税金の無駄
遣いであり、これを是正する必要があるということです。
文科省としても、司法試験合格率の低い法科大学院に対する補助金を削減する方
向となっていますので、これ以上の税金を法科大学院に注ぎ込むということはない
でしょうし、実際にさらなる削減の方向を示しています。
但し、削減政策がよいのかどうかは別途、検討が必要です(Q15参照)。
-4-
Q
3
法科大学院の設立について、修了者の7~8割を司法試験に合格させる
というのであれば、当初は、74校、定員も5000名以上となり、司法
審のいう年間3000名に比べても多すぎることから、法科大学院を認可
しすぎたことが問題なのではないでしょうか。
1
司法試験合格者数を3000名とし、定員5000名以上、3回まで受験できる
とするならば、どう考えても合格率7~8割ということは最初の時点で不可能とい
うことになります。
法科大学院制度を推進する人たちから、文科省がこれでけ多くの法科大学院を認
可したことが誤りであったと主張されることがあります。
2
法科大学院の設置については、司法審意見書が基本となっています。
司法審意見書では、「法科大学院の設置は、関係者の自発的創意を基本としつつ、
基準を満たしたものを認可することとし、広く参入を認める仕組みとすべきである。」
(70ページ)として、むしろ、参入規制にならないようにする方針を採用してい
るのです。その根拠とするところは、今後はますます法曹人口を増加させていくこ
とが必要である、司法試験合格者3000名というのはあくまで最低限を示してい
るだけである、だから法科大学院が法曹人口を増加させていくことの妨げになって
はいけないということなのです。
この点で、佐藤幸治氏は、
『司法制度改革』
(有斐閣2002年10月、佐藤幸治、
井上正仁、竹下守夫共著)において次のように述懐しています。
「法科大学院に対する批判の1つに、法科大学院の数がだいたいこれに見合うよ
うになって、結局は法曹人口を抑えることになるのではないか、というものがあり
ます。それは全くの誤解であって、法科大学院には法曹人口を抑止する、ある時点
で抑えるとかいうような意味合いは全くありません。」(204ページ)
「法科大学院の数を幾つにすべきかといったことは決して考えていないことは、
誤解無きよう、はっきり申し上げておきます。」(223ページ)
司法試験合格者数を年間3000名、それ以上にすべきだとする司法審の意見書
の精神からは、認可を抑制するという発想にはなりえなかったのは当然の帰結であ
るし、このように基準さえ満たせば認可するという準則主義の考えは、法曹人口激
増政策と不可分の関係にもあったのです。
3
しかも、司法審意見書は、法科大学院の質の担保については、第三者評価に委ね
るとしています。そこにあるのも淘汰を前提とした競争原理なのです。
従って、認可しすぎたのが問題というのであれば、そもそもの司法審の出発点(法
-5-
科大学院間の淘汰を前提とした競争及び法曹人口激増政策)が誤っていたというこ
とを認めなければならないはずです。
4
ところが、法科大学院を推進する人たちは、司法審路線の誤りを認めようとしは
しません。法曹人口激増政策についても急激な増員が歪みを招いただけで、増員政
策は間違っていない、と主張します(3000 名まで増員せよと主張している人たちの
主張も根本は同じです。)。あるはい法科大学院制度については理念は正しいと主張
するかのごとくです。にもかかわらず、司法審のこの幅広く参入を認める仕組みの
部分については言及しないのです。
法科大学院制度が正しいというのであれば、法曹養成制度として法科大学院制度
自体は制度設計としてはあり得るのですから、法曹人口激増政策とは切り離し、合
わせて、現実に法曹を志望した者が、法科大学院を修了した後も路頭に迷うことが
ないような制度設計を具体的に考えるべきでしょう。
既に2012年に入って3校が閉校を宣言しています。司法試験合格者数、志望
者の格差は明確に出ています。司法審意見書のいう淘汰が始まっているといえます。
なお、ここで全体の合格率が低いことだけをみて議論するのは、明らかな誤りで
す。法科大学院を作りすぎであることを前提にしたとしても、上位校と言われてい
る法科大学院の累積合格率は、7~8割を達成しているからです(Q4参照 )。要
は、その法科大学院の入学を目指せば済むことになります。
5
参考までに医学部の定員増ないしは医学部新設の問題についての議論状況を紹介
します。
文科省に設置された「 今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」(20
10年12月22日~2011年11月29日)では、医師「不足」に関して議論
が行われています。もとより本当に不足しているのかどうかという議論(法曹人口
と同じような問題があります。不足しているのは勤務医、産科医、小児科医などの
不足と、都市部に群がる美容整形などの医師など偏在の問題ですが、決して医師人
口を増員するだけでは解決できるとは思えませんし、本当は単なる偏在の問題だけ
で医師は過剰なのかもしれません 。)はさておくとして、その解消方法として医師
を増員するという大前提に立ち、その方法について議論されています。
その方法は、①各医学部の定員の増員、②医学部の新設です。②については、北
海道では函館と石狩当別に新設という話が持ち上がっているところです。
但し、いずれの方法によるにせよ、いずれ過剰の時代がくるということでは、一
致を見ています。その場合、医師数の減らし方にも議論が及んでいます。
同検討会の 論点整理 では、次のように意見が整理されています(概略 )。少々、
-6-
長くなりますが、参考になりますので、引用します。
9.今後の医学部入学定員の在り方について
[1]検討の前提となる医師需要・供給の見通し
・( 略)今後の医師数について需要と供給の正確な中長期的推計を行うことは困難で
あるが、今後の需要と供給、偏在等に影響を与える要素として、どのような要因があ
り、どの程度の影響があるかということを、整理することが必要であると考えられる。
ただし、いずれの前提に立ったとしても 、「現時点では、医師の需要が供給を上回っ
ていること」や「 将来的には、医師の供給が需要を上回る時期が来ること」について
は、程度や時期の差はあるにしても、概ね意見の相違はなかった。
[2]既存の医学部の入学定員増について
この需給間のギャップを埋めるために考えられる方策として、既存の医学部入学定
員の増員による対応と、後述する大学医学部の新設による対応について、意見があっ
た。
医学部の入学定員については、従来、昭和 57 年及び平成 9 年の閣議決定により抑
制が図られてきたが、昨今の医師不足に対する社会的ニーズを踏まえ、平成 20
年度
から定員増が図られてきた。
●本検討会では、今後の医学部入学定員増について、例えば、(抜粋)
○既存の医学部の体制を強化しながら、医学部定員増で対応をしていくべき。
○将来的には、医師が余ってくると推計されている。この余った医師をどう
するのか、我々は将来にも責任を持たなければならない。
○地方の実感として、現在は医師の絶対数が足りていないため、医学部入学
定員を増やすべき。また入学定員増による医師養成を待つことなく早急な地
域の医師不足対策も必要である。
○東日本大震災による医師喪失・不足に対応する目的で、10 年間の時限つき
で被災地にある医学部の入学定員増を提案したい。
○医師数を増やすべきでないとするならば、偏在対策についての議論が必要
であり、増やすべきとするならば、都市部への集中傾向や医療費の問題を議
論すべきである。一点だけを議論するのではなく、システムとして考えるべ
き。
などの意見が出された。
[3]医学部の新設による対応について
●現下の医師不足への対応として、前述の入学定員の増員による対応のほかに、大学
-7-
医学部の新設による対応についても検討を行った。
●この点について、本検討会においては、(以下の意見が出された。)
○既存の医学部の入学定員を増やしているが、教員も増えておらず、十分な
施設もないという状況である。この対応を現場に強いるのは限界があり、医
学部を新設すべきである。
○より質の高い医学教育ができるシステムを持つ医学部の新設を検討するの
もよいかと思うが、医師数を増加させるためだけに医学部を作るのは反対で
ある。
○仮に医学部を新設すると決めたとしても、実際に医師が働くまでには相当
の時間がかかることを考えると、教員などを増強しながら、新設ではなく今
の医学部の定員増で対応して医師を育てていくべきである。
○将来的に医師数が過剰になった場合を考えると、新設した医学部を廃止す
ることは困難であるので、既存の医学部定員数の調整で対応していくべきで
あり、医学部新設は到底考えられない。
○日本全体で地域偏在と診療科偏在の解決システムを考えなければならない
のであって、東日本に医学部を作れば解決するという問題ではない。
Q
4
法科大学院間には、大きな格差が生じているようです。これは、どのよ
うなものでしょうか。
1
法科大学院制度は、2004年から始まり、74校が開校しましたが、その格差
は歴然としたものになりました。
2012年度の各法科大学院の司法試験合格率
受験者
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
予備試験合格者
一橋大法科大学院
京都大法科大学院
慶應義塾大法科大学院
東京大法科大学院
神戸大法科大学院
大阪大法科大学院
中央大法科大学院
首都大東京法科大学院
愛知大法科大学院
北海道大法科大学院
85
135
280
347
379
131
177
489
101
37
159
短答合格数 最終合格
合格率
84
58
68.2%
114
77
57.0%
233
152
54.3%
285
186
53.6%
303
194
51.2%
105
60
45.8%
128
74
41.8%
399
202
41.3%
84
40
39.6%
33
14
37.8%
123
54
34.0%
~
66 大阪学院大法科大学院
67 香川大法科大学院
68 國學院大法科大学院
54
39
59
-8-
20
19
25
3
2
3
5.6%
5.1%
5.1%
69
70
71
72
73
74
75
大宮法科大学院大学
京都産業大法科大学院
明治学院大法科大学院
愛知学院大法科大学院
龍谷大法科大学院
神戸学院大法科大学院
姫路獨協大法科大学院
124
63
106
43
89
32
19
47
24
51
14
35
16
1
6
3
5
2
4
1
0
4.8%
4.8%
4.7%
4.7%
4.5%
3.1%
0.0%
※他校に統合
※撤退
※撤退
※撤退
上位10校と下位10校との比較になりますが、大きな格差が生じていることは
一目瞭然です。
2
過去3年間の合格率と平均を比べてみると、格差が拡大しているばかりか、一層、
少数の法科大学院に合格者が集中してきていることもわかります。
2012 年度合格率
受験者
短答合格数
最終合格数
合格率
1 一橋大法科大学院
135
114
77
57.0%
2 京都大法科大学院
280
233
152
54.3%
3 慶應義塾大法科大学院
347
285
186
53.6%
4 東京大法科大学院
379
303
194
51.2%
5 神戸大法科大学院
131
105
60
45.8%
6 大阪大法科大学院
177
128
74
41.8%
7 中央大法科大学院
489
399
202
41.3%
8 首都大東京法科大学院
101
84
40
39.6%
37
33
14
37.8%
10 北海道大法科大学院
159
123
54
34.0%
11 早稲田大法科大学院
472
332
155
32.8%
12 名古屋大法科大学院
135
86
44
32.6%
13 千葉大法科大学院
66
49
21
31.8%
14 九州大法科大学院
202
122
53
26.2%
9 愛知大法科大学院
※予備試験組の数字は除いています。
2011 年度合格率
大学名
受験者数
最終合格
合格率
1 一橋大学
142
82
57.7%
2 京都大学
315
172
54.6%
3 東京大学
416
210
50.5%
4 慶應義塾大学
342
164
48.0%
5 神戸大学
148
69
46.6%
6 千葉大学
74
29
39.2%
7 中央大学
461
176
38.2%
8 早稲田大学
432
138
31.9%
9 東北大学
170
54
31.8%
10 首都大学東京
120
38
31.7%
11 名古屋大学
136
43
31.6%
73
23
31.5%
13 北海道大学
160
48
30.0%
14 大阪大学
171
49
28.7%
15 北海学園大学
37
10
27.0%
16 南山大学
80
21
26.3%
17 大阪市立大学
120
30
25.0%
18 明治大学
375
90
24.0%
19 同志社大学
277
65
23.5%
12 岡山大学
2010 年度合格率
大学名
受験者数
合格者数
合格率
1
慶應義塾大学
355
179
50.4%
2
一橋大学
138
69
50.0%
3
東京大学
411
201
48.9%
4
京都大学
277
135
48.7%
-9-
平均23.5%
平均24.6%
5
千葉大学
69
30
43.5%
6
北海道大学
144
62
43.1%
7
中央大学
439
189
43.1%
8
大阪大学
180
70
38.9%
9
東北大学
159
58
36.5%
10
名古屋大学
139
49
35.3%
11
神戸大学
144
49
34.0%
12
早稲田大学
397
130
32.7%
13
愛知大学
44
14
31.8%
14
金沢大学
54
17
31.5%
15
首都大学東京
101
30
29.7%
16
山梨学院大学
51
14
27.5%
17
九州大学
175
46
26.3%
18
大阪市立大学
119
31
26.1%
19
筑波大学
43
11
25.6%
20
明治大学
335
85
25.4%
平均25.4%
平均合格率を超えた法科大学院の推移
2010年度
20校
2011年度
19校
2012年度
14校
2012年度は、予備試験を除けば、平均を超えている法科大学院は、14校あ
ります。
2011年度では、19校、2010年度では20校でしたので、2012年度
は、なお一層、少数校への集中が加速しているといえます。
3
法科大学院へは、司法試験受験資格を得るために行くものである以上、司法試験
に合格し得ないということになると、その法科大学院の存在意義が問われることに
なります。
もちろん、司法試験受験資格とは別に、法科大学院修了ということに特別の意義
があれば別ですが、現状では司法試験に合格できなかったという意味にしか理解さ
れておらず、ことは深刻です。
しかも、この問題は、司法試験年間合格者数が3000名になっていないからと
いう問題でもありません。 法科大学院間に明らかな格差が生じているという問題と
して理解する必要があります。
司法審意見書は、このような格差が生じた場合、淘汰を前提にしていました。
また文科省は、司法試験合格率や定員充足率について一定の基準に達しない法科
大学院に対して補助金を削減する政策を打ち出しており、2012年度は6校、2
013年度は4校が削減の対象になっていますが、これは淘汰を前提にした政策で
す。
このような政策は、規制緩和路線を推進する構造改革に基づくものです。
補助金の削減は、在籍する学生に不利益を負わせることになります。もちろん補
助金を削減されて直接、影響を受けるのは、補助金を削減された法科大学院という
- 10 -
ことになりますが、もともと私学の経営状態がよいはずもなく、必然的に学生にし
わ寄せが行くことになります。
もっとも、そのような法科大学院を選択したのは、当該学生の自己責任であると
いえなくもありませんが、このような大学に対する淘汰を前提とした競争が「学問」
という世界に適してるのかどうか、それ自体が問われているのです(法科大学院で
学んでいることが「学問」といえるかどうかも含めQ15参照)。
Q
5
法科大学院の志望者が減ったというように言われていますが、かつての
旧試験では、合格滞留組がいたから母数が多かっただけで、現時点(2012
年実施)でこそ適性試験の志望者が減ったとはいえ6000名強の志願者
がいたのですから、弊害というほどの現象ではないのではないですか。
法科大学院(法曹)志望者については、通常、受験が必須とされている適性試験の受
験者数によって判断されます。
志望者数、受験者数は以下のとおりです。
実施年 志望者数
受験者数
2011年
7,829
7,249
2012年
6,457
5,967
これに対し旧司法試験の受験者は、2~3万人がいました。
もちろん、単純にこの数だけを比較することは誤りです。旧司法試験では、その年に
落ちても翌年、受験するという長期滞留組の存在があり、受験者数を押し上げていた側
面があることは否定しえなからです。また、法学部に入学した以上は一度は司法試験を
受験したという記念受験があったとも言われていました(実数はわかりません。)。
他方で、法科大学院制度の場合、入試に不合格になったものがまた翌年も受験してい
るかどうかということは、明確にはわかりません。
ただ、どう考えてみても、志望者数そのものが激減していることは動かしようもない
事実であり、法科大学院関係者も認めているところです。
司法試験年間合格者数を現状の2000名としても3人に1人の合格となり、入り口
における競争性が全く確保できていない状態に陥っています。
各法科大学院に対しては、文科省は2倍の競争率を確保するよう指導していますが、
志望者の激減で2倍を確保することも困難な法科大学院が出てきているのが現状です。
2倍を確保した法科大学院においても、文科省の指導があったから2倍未満になるよ
うな合格のさせ方はしていないというだけで、志望者が激減しているという現実は変わ
りません。
- 11 -
下記の競争率の低い順に並べた表をみればわかると思いますが、競争倍率を2倍確保
したといってみたところで、その法科大学院の定員数と入学者数とを比べてみれば、ほ
とんどが定員割れであり、充足率をみても、ほぼ厳しい状況です。2倍を確保するため
に合格者数を抑えたというだけであることがよくわかります。ちょうど2倍の倍率にな
っている法科大学院が多数ありますが、要は、一部の法科大学院側は、学生確保のため
に2倍になるまでは「合格」させているということです。これでは実質的な競争は働い
ていないし、志望者が激減している弊害の1つというべきでしょう。
競争倍率を下位校から順番に並べたもの(平成24年度)
定員
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
Q
愛知学院大学
中京大学
東海大学
山梨学院大学
大東文化大学
学習院大学
法政大学
福岡大学
新潟大学
立命館大学
南山大学
関西学院大学
島根大学
東北学院大学
鹿児島大学
白鴎大学
香川大学
神奈川大学
獨協大学
信州大学
成蹊大学
日本大学
専修大学
同志社大学
立教大学
愛知大学
國學院大學
6
25
25
30
35
40
50
80
30
35
130
40
100
20
30
15
20
20
35
30
18
45
80
55
120
65
30
40
志願者数
12
43
34
36
60
212
267
41
30
444
169
224
16
15
16
20
34
29
28
48
143
169
212
543
266
68
45
受験者数
9
42
26
36
55
188
185
41
25
403
119
209
15
14
16
18
34
28
26
42
122
142
192
484
253
61
39
合格者数
8
33
17
22
33
109
106
23
14
221
64
112
8
7
8
9
17
14
13
21
61
71
96
242
126
30
19
競争倍率
1.13
1.27
1.53
1.64
1.67
1.72
1.75
1.78
1.79
1.82
1.86
1.87
1.88
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
2.01
2.03
2.05
入学者数
6
13
11
12
24
45
63
11
5
87
32
46
3
2
5
5
6
8
9
18
30
34
41
54
50
8
11
充足率
0.24
0.52
0.37
0.34
0.60
0.90
0.79
0.37
0.14
0.67
0.80
0.46
0.15
0.07
0.33
0.25
0.30
0.23
0.30
1.00
0.67
0.43
0.75
0.45
0.77
0.27
0.28
各法科大学院間に格差が生じるのは、それぞれの理念があるのだから、
やむを得ないのでは?
1
Q4で述べているとおり、法科大学院間の格差は、もはや埋められないほどのも
のになっています。
これに対し、法科大学院関係者からは、修了者については、相応の養成がなされ
ているのだから、司法試験以外の意義を見出すべきと主張されることがあります。
それ故に法科大学院制度による修了者には別の価値が見出されるのであるから、
- 12 -
法科大学院修了生を養成することに意義があることになり、司法試験合格率によっ
て法科大学院を評価するのは誤りであると主張されています。
確かに、法科大学院制度は、それを修了すれば司法試験受験資格が与えられると
いうだけで、受験することが必須ではないということになれば、その法科大学院が
どのような修了生を育成するかは、その法科大学院の自主性に任されるというのが
筋ということになります。
2
しかし、学生の立場からみれば、最初から司法試験受験を想定せずに法科大学院
に入学してくる者は考えにくいところです。
少なくとも修了するまでに大学卒業後、最低2年間は法科大学院に行くことにな
るので、修了したときの年齢も高くなることから、修了者の就職先となる企業がそ
のような人材を欲していなければ、文系大学院の大量の卒業者が就職難になった問
題と同じような問題が生じてしまいます。
法科大学院関係者の主張が、司法試験に合格していない修了生の大量発生のもと、
その言い訳のために独自の意義があると主張しているようにしか聞こえないのは、
現実に司法試験に合格しない法科大学院修了生については、企業が積極的に要求し
ている人材とはいえない現実があるからです。
しかも、修了者と一口に言ってみても、法科大学院間に格差が出ていて、さらに
は修了認定の厳格さにもばらつきがある以上、修了者それ自体に独自の価値を見出
すのは困難と言えます。
3
現実に生じている格差は、各法科大学院の理念の違いによって生じているという
よりは、入学してくる学生の質の差に原因があります。
法科大学院の中の司法試験合格上位校は、旧試験の時代から上位であったり、元
々の大学自体が「名門」と言われているような大学であって、教員や学生集めとい
う意味では最初から各法科大学院のスタートラインは異なっていました。
例えて言うのであれば、上位校の教員が下位校の学生に同じカリキュラムで教え
たとしても、上位校と同じ結果は出せない、ということです。
しかも、充足率の低い法科大学院では受験者はほぼ合格させていたことから、全
くの無競争状態となります。これに対して、文科省が少なくとも2倍の競争率を確
保せよと指導を始めたものですが(Q5参照 )、もちろん、その程度の方法では質
を改善するにはほど遠い状態です。
今や司法修習生が法律事務所に就職するにあたって、法科大学院での成績表の提
出も求められることが多くなり、どこの法科大学院をどの程度の成績で修了したの
かは一生、つきまとうことにもなります。
- 13 -
格差は各法科大学院の「理念」の違いによって生じたものではなく、それ故に、
格差が生じるのはやむを得ないというより、ここまで格差が生じてしまった法科大
学院制度が成り立っていくのかどうかが問われているということです。
4
このような格差の問題は、法科大学院の修了により司法試験受験資格を取得し、
この司法試験受験資格と直結しているが故に生じる問題です。法科大学院修了が司
法試験受験要件に直結している以上、司法試験合格率が問われるのは当然というこ
とになります。
いずれにしても、司法試験受験資格と直結させてしまっているが故に、司法試験
合格率は、当該法科大学院の存在意義そのものに直結せざるを得ない運命にありま
す。
従って、むしろ、法科大学院制度から受験資格要件を外してしまった方が、法科
大学院は独自の意義(理念)を発揮できるのではないでしょうか。
第2章
Q
1
7
法科大学院制度の設立の経緯
法科大学院は、何故、設立されたのですか。
法科大学院の設立は、直接には、2001年6月に出された司法審意見書によっ
て提言されたことに始まります。
しかし、法科大学院構想は、司法審が設置されたのが1999年6月ですが、こ
の司法審が設置されてから突如として出てきたものではありません。
1984年4月、当時は中曽根康弘内閣でしたが 、(旧)中央教育審議会とは別
に「臨時教育審議会 」(臨教審)が設置され、大学に対する改革を断行するため、
種々の提案がなされていきました。その目的は、産官学協同化であり、大学を産業
界の要請に応えうるように改編することにありました。
しかも、大学に対し、大学自治、学問の自由の観点から問題が懸念されるような、
「自己評価」を提言しています 。「自己評価」は、大学における研究を産業界の要
請に合うように大学内部から改編するための手段として位置づけられたものです。
その後、臨教審の提言に基づき、1987年9月に大学審議会(大学審)が設置
され、その大学審は、大学院制度改革について、次々と提言を出していきます。
1988年12月「大学院制度の弾力化について」
1991年
3月「学位授与機関の創設について」
1991年
5月「大学院の整備充実について」
- 14 -
1991年11月「大学院の量的整備について」
1993年
9月「夜間に教育を行う博士課程等について」
1996年10月「大学院の教育研究の質的向上に関する審議のまとめ(報告)」
背景には、文科省(旧文部省)の大学院改革に並々ならぬ改革の決意がありまし
た。
文科省は 、「 特に,新しい産業の創出や情報化,国際化,科学技術の進展などの
諸変化に対応した新たな社会経済システムの創造などの面で,大学院を中心とした
独創的な研究開発への期待は大きい。また,我が国が先進諸外国に伍して経済競争
力を維持していくためには,自らフロンティアを開拓することのできる創造性豊か
な人材,起業家精神に富んだ人材を養成することが不可欠」「
( 大学院の教育研究の
質的向上に関する審議のまとめ」より。)として、大学院改革を位置づけています。
また、臨教審が提言した大学の自己評価についても、それにとどまらず、さらに
「第三者」による評価を推奨し、より一層、大学が産業界の要請に応えなければな
らないようにと、大学の自治、学問の自由を制約する政策を推し進めていきます。
2
大学審は、1998年10月「21世紀の大学像と今後の改革方策について-競
争的環境の中で個性が輝く大学-(答申 )」の中で、ロースクール構想に言及して
いきます。
「大学院の修了と資格制度との関係では,現在,法曹養成制度の改革が進行中で
あり,今後,法曹養成のための専門教育の課程を修了した者に法曹への道が円滑に
開ける仕組み(例えばロースクール構想など)について広く関係者の間で検討して
いく必要がある。」(第2章1(2)3))
3
そして、この議論は、大幅な弁護士人口の増加を提言する財界(経団連「司法制
度改革についての意見」1998年5月など)、行政改革会議(「最終報告」199
7年12月)と呼応するようにして、司法審設置、そして法科大学院制度提言へと
つながっていきます。
文科省が構想していた高度専門職業人養成のための大学院改革と、財界が要望し
た弁護士人口激増政策が合致して、司法審で提言されるに至ったのが法科大学院構
想といえます。
4
なお、大学に学問(研究)の自由が保障されなければならないのは、弁護士(法
曹)自治とも共通した問題があるので、付言しておきます。
大学が社会とは無縁な存在として何を研究してもよい、それが学問の自由だとい
うことではありません。
国家にとって都合の悪い法学や経済学の学説についての研究の自由が政府によっ
- 15 -
て禁圧されてはならないことに、学問の自由の意義があります。
このことは、理系学部でも同様です。学問の自由の保障がなければ、大学の研究
が企業の要請に従属してしまうということになります。
(札幌弁護士会司法改革関連資料(第 3 巻)より)
- 16 -
企業(財界)の目先の利益の追求に追随してしまっては、例えば安全性などの研
究がおろそかにされかねません。あるいは原発の危険性の研究が敵視され、補助金
削減や研究費の削減につながりかねない危険を内包したものになります。
だからこそ、研究者には学問の自由が保障されているのです。
研究者に研究者としての独立心や正義の心が制度的に保障(大学の自治、学問の
自由)されなければならないのは、単に研究者の自己満足のためというものではな
く、学問の自由を尊重することこそが国民全体の利益を図るためのものであり、そ
れが憲法の精神だからです。
産業界の言うことを聞かない大学に対して文科省が補助金などを削減するのは、
とんでもないということです。
法科大学院に対する補助金削減にも同じような問題が生じ得るといえます(Q1
8参照)。
Q
8
従来の司法試験(旧試験)に問題があったから、法科大学院制度は導入
されたのではないですか。
1
従来の司法試験(旧試験)においては、以下のような指摘が司法審意見書の中で
なされていました。
「現行の司法試験は開かれた制度としての長所を持つものの、合格者数が徐々に
増加しているにもかかわらず依然として受験競争が厳しい状態にあり、受験者の受
験技術優先の傾向が顕著となってきたこと、大幅な合格者数増をその質を維持しつ
つ図ることには大きな困難が伴うこと等の問題点が認められ、その試験内容や試験
方法の改善のみによってそれらの問題点を克服することには限界がある。」
要は、旧試の答案は、司法試験予備校が、どのように論述すべきというものを予
め作成しておき、受験生は、それを丸暗記して答案に書くため、どの答案も同じよ
うなものばかりということを「金太郎アメ」答案というように指摘されていました。
自分の頭で考えることなく、ひたすら暗記だけをしてきたような「合格者」は役
に立たないという問題点の指摘です。
もちろん、理解もなく、ただ丸暗記をして論述を羅列しているような答案が良い
はずがなく、このような答案作成者が合格してしまうということであれば、司法試
験の選抜機能が働いていないということにもなります。
『臨床法学セミナー第11号 』(早稲田大学臨床法学教育研究所、2012年3
月)の「法科大学院教育についての弁護修習指導者の評価 」(早稲田大学大学院法
- 17 -
務研究科須網隆夫教授)では、以下のように主張されています。
第一に、法科大学院制度は、これまでの旧司法試験と司法修習によって構成される法
曹養成システムに対するアンチテーゼとしての側面を強く含んでいる。特に、199
0年代末に法科大学院制度の導入に向けた議論が開始された時には、当時の修習生・
登録直後の法曹の能力が、先輩法曹より批判にさらされた。当時は、「基本書も読ま
ずに、予備校テキストのみによって勉強する結果、正解志向で、自分の頭で考えるっ
ことができない」という批判が、弁護士・検察官・裁判官を問わず、新たな法曹養成
制度を必要とする理由として、ほぼ異口同音に語られた。ここでは、具体的には、当
時、登録直後であった、40期代後半から50期代始めにかけての弁護士の能力が事
実上、批判の対象であったのである。
2
さて、以上のような指摘は正しいのでしょうか。
現実に司法試験が選抜機能を発揮できなくなってきたという指摘が出てきたのは、
急速な司法試験の合格者数の増加が背景にあります。
司法審において法務省は次のように説明しています 。(第15回議事録2000
年3月14日開催)
(法務省)
次に論文の採点でございますけれども、これは勿論、知識だけでなく、
理解力、推理力、判断力、論理的思考力、説得力、文書作成能力など、総合
的に評価しておるわけでございます。
したがいまして、 考査委員の方々は、答案の中で、少しでも光るものと
申しますか、自分の頭で考えた内容があるかということを見出すべく努力を
しておられるわけでございますが、お話によりますと、そうした答案は近年
極端に少なくなっているということでございます。
そうなりますと、 画一的な答案の一つひとつについて、それを書いた受
験生が内容を本当に理解して書いているのか、ただ、覚え込んだだけで本当
はわかっていないのかということを見分ける作業を強いられているというこ
とになります。
ここで重要なのは、表現が同じだという点ではなく、理解しているかどうか、要
は、何故、その論述をするのかを示せているのかどうかという指摘です。具体的事
例問題への対策として、それに合わせたものを事前に用意しておくことは不可能で
- 18 -
あり、 その点は、現場で考えることが求められますが、そのような理解を答案上に
おいて示せているかどうか ということです。それを示すこともせずに暗記した表現
を並べているだけ、これが「金太郎アメ答案」の問題点です。表現が同じだから金
太郎アメというものではないということは理解しておく必要があります。
単純に司法試験合格者数を増加させていくということは、単純に上位者から~名
を合格させるということになりますから、下位答案は、単純に論点ごとの論述を並
べただけの答案ということになりかねないということにもなります。
法務省の報告では、受験者が理解しているのかどうかの判断を考査委員が強いら
れるとありますが、結局のところ、合格者数を増加させれば、従来であれば理解に
基づくものではない答案ということで不合格答案となっていたものについても、合
格とさせなければならなくなってくるわけです。
なお、旧試験時代の学者の司法試験考査委員の雑感によれば、500名時代であ
っても、合格させてよいと思ったのは150名~200名程度だそうです。一線級
の学者考査委員からすれば、物足りないものばかりでしょうが、司法試験自体は学
者(研究者)を目指す登用試験ではありませんから、そのような水準は要求されな
いわけです。問題なのは、どこまでその水準を下げるのかです。
3
また、試験の採点の公平性の確保という点も非常に重要な要素です。
同じく法務省は以下のように説明しています(司法審第15回議事録2000年
3月14日開催)。
(法務省)現在、1人の受験者について各科目2人ずつ考査委員が直接やっておりま
すので、大変に手間の掛かる試験でございます。
また、試験官の間の公平性の確保でございますとか、きめ細かな採点とい
うことになりますと、また、筆記試験とは異なる困難な面もあるわけでござ
います。ちなみに考査委員の数はかつて法律で1つの科目4人までという制
限がかなり以前ですけれども、ございました。勿論、現在そのような制限は
ございませんで 、(略) 考査委員の方を相当増やしておりますけれども、や
はり考査委員の質の確保、あるいは試験の公平性という観点から見ますと、
考査委員の数の増加というのはおのずから限界があるだろうと考えておりま
す。
要は、実際に採点する能力があること、そしてそれを公平になしうるためには、
一線級の考査委員によって行われなければなりませんが、合格者数を増やせば、前
- 19 -
提として短答試験の合格者数も増やす必要があり、採点すべき論文の数が増えるで
しょうし、合否の判断のための考査委員の負担も増えることになりますが、しかし、
考査委員の負担をこれ以上増やすこともできないし、考査委員自体を増やすことに
も限界がある(相応の人材がいないということ)ということです。
予備校テキストによる丸暗記答案の問題は、合格者数を単純に増加させたことに
よって生じてきた問題といえ(もちろん、原因はそれだけではありません。)、それ
以前においては司法試験は選抜機能を果たしていたのですから、旧試における予備
校問題(金太郎アメ答案)を引き合いに出し、法科大学院制度を正当化するのは、
明らかな誤りといえます。
4
須網教授の主張について述べておくと、法科大学院制度を擁護したいという気持
ちが先走りすぎてのことなのでしょうが、少々、歪曲が過ぎるのではないでしょう
か。
40期代後半から50期代前半が問題だと言う主張ですが、このようなことは司
法審の議論の中にも出てきません。せいぜい金太郎アメ批判であり、それが即、「正
解志向で、自分の頭で考えるっことができない」というところにまではつながって
いませんし、その頃までは、司法試験は選抜機能を果たしていたという法務省の報
告にも反しています(Q11参照)。
また、法科大学院構想は、このような旧試験の弊害という視点から生まれたもの
ではなく、その設立の経緯に照らせば(Q7参照 )、旧試験の弊害などは後からと
ってつけた理由の1つに過ぎません。いってみれば法科大学院制度を正当化するた
めに、旧制度を批判しているに過ぎないものです。
「基本書も読まずに予備校テキストのみによって勉強」というフレーズも、これ
こそ根拠もなく金太郎アメのような批判を繰り返しているだけと評しうるでしょう
(Q10参照)。
5
なお、この問題は、新司法試験においても同様の傾向が出ています。法務省が公
表している採点雑感等に関する意見では、同様の事態が報告されています。
平成23年新司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)
○答案構成としては ,「自由ないし権利は憲法上保障されている,しかしそれも絶対
無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,そこで問題はその制約の違憲
審査基準だ 。」式のステレオタイプ的なものが,依然として目に付く。 このような観
念的でパターン化した答案は,考えることを放棄しているに等しく,「有害」である。
○問題となる権利について十分な検討がなく,観念的・パターン的な論述に終始して
- 20 -
いるため,違憲性判断の論述の説得力も弱く,論証が不十分になっているとの印象を
受けた 。受験者には,問題文を読み込み,想像力を働かせて,少し条件を変えてみた
場合はどうかなど思考上の工夫をしながら,事案の特殊性をつかみ,何を重点に論じ
るかを考えてもらいたいと感じた。
○「明確性の基準」について指摘するものの,第31条の問題としてのみ取り上げ,
「表現の自由」そのものにおいて論じない答案が多かった。基本的な理解が至らない
ためか,そうでなければ, 通り一遍(型どおり)の知識の詰め込みと吐き出しになっ
ているのか,法科大学院での授業内容を自省せざるを得なかった。
しかも、新司法試験の場合には法科大学院修了者が受験者ということになります
ので、こちらの方が根が深い問題といえます。
Q
9
旧司法試験の弊害として、予備校教育の弊害があり、大学の講義にも出
席せずに、大学入学後にすぐに予備校漬けになるという問題点の指摘があ
りましたが、大学の講義に出席しないことと法曹養成の問題は関連がある
のでしょうか。
1
もともと、大学の講義については、法学部を問わず、学生の受講態度については
色々と指摘されていました。また大学の授業自体に工夫がないなどの指摘も法学部
に限った問題ではありません。
大学審「21世紀の大学像と今後の改革方策について-競争的環境の中で個性が
輝く大学-(答申 )」(1998年10月)では、以下のように学部段階での問題点
が指摘されています。
「学部段階の教育については、一般に教員は研究重視の意識は強いが教育活動に
対する責任意識が十分でない,授業では教員から学生への一方通行型の講義が行わ
れている,授業時間外の学習指導を行っていない,学期末の試験のみで成績評価が
行われている,成績評価が甘く安易な進級・卒業認定が行われている,教養教育が
軽視されているのではないかとの危惧がある,専門分野の教育が狭い領域に限定さ
れてしまう傾向があるなど,教育内容と教育方法の両面にわたり多くの問題点が厳
しく指摘されている。また,学生によっては,授業に出席しない,授業中に質問を
しない,授業時間外の学習が不十分である,議論ができないなど,学習態度とその
成果の両面について問題点が指摘されている。」
大学の上記の様子は、誰にでも心当たりがあるのではないでしょうか。学生が大
- 21 -
学の講義に出ない(さぼる)のは、何も予備校に通うということだけが目的ではな
く、普通にあった現象でした。
しかも、現在では大学全入の時代ですから、学生募集に四苦八苦している大学で
は、学生は「お客様」扱いになっていることでしょうから、なおさら弊害が増幅し
ているものと思われます。
2
他方で、司法審意見書でも法学部には独自の意義を認め 、「 大学法学部が、法曹
となる者の数をはるかに超える数(平成12年度においては4万5千人余り)の入学者
を受け入れており、法的素養を備えた多数の人材を社会の多様な分野に送り出すと
いう独自の意義と機能を担っている」(62ページ)とあるように法曹養成そのも
のを目的としておらず、独自の意義があるとしていたのですから、これを法曹養成
との関係で批判することは的外れであるばかりか(仮にその批判が当たっているの
であれば、法科大学院構想に飛躍させるのではなく、学部教育の改革でなければな
りません。)、法曹養成とは別の法学部に独自の意義を認めている以上、学生が在学
注から予備校を利用すること自体が「学生が受験予備校に大幅に依存する傾向が著
しくなり 、「ダブルスクール化 」、「大学離れ」と言われる状況を招いており、法曹
となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼす 」(61ページ)という司法審の
問題設定そのものに無理があると言わざるを得ません。
3
結局、法科大学院制度設立を合理化するために法学部の問題点をあげつらってい
るだけであり、その法学部自体が「改善」されていないのですから、論理的な関連
性はなかったといえます。
Q10
年輩の弁護士が、「予備校はテクニックばかりを教えているだけだ。今
時の受験生(弁護士、修習生)は基本書も読まないから体系的理解がない。」
ということがありますが、このような批判は当たっているのでしょうか。
1
年輩の弁護士といえば、もちろんまだ司法試験予備校などなかった時代です。あ
ったとしても、それほど大規模にはなっていなかった時代ではないでしょうか。
その年輩弁護士がよく用いるのが質問文にあるように「予備校はテクニックばか
りを教えているだけだ。今時の受験生は基本書も読まないから体系的理解がない。」
というものです。この批判はあたっているのでしょうか。
予備校のテキストとは、要は、司法試験に必要な情報等を取捨選択し、作成され
たものであり、司法試験との関係でいえば、合目的的です。
しかも、組織と費用を使って、多くの情報(その中には当然に先輩弁護士がいう
- 22 -
「基本書」の情報も含まれます 。)を集約しているわけですから、個人でこのよう
な作業を行うことには意味がないばかりか、到底、適うものではありません。通常
の受験生がゼロからスタートすることには何のメリットもないのですから、予備校
のテキストを利用するのであり、それが批判の対象になること自体がおかしいと言
わざるを得ません。その意味では大学受験も同様です。高校生は、予備校等を利用
していますが、こちらの指導内容が批判されていることはありません。
個別の論点ごとの論述をどうするのかという点ばかりを教えているのが予備校だ、
というのは偏見そのものでしょう。
基本書が体系的で、予備校が体系的でないということ自体に根拠がなく、要は受
験生の利用の仕方の問題にすぎません。
2
なお参考までに次のエピソード的発言を紹介します(最高裁司法修習委員会第1
9回議事録より。2011年3月7日開催)。
(高橋宏志委員長、中央大学法科大学院教授)最近,新堂幸司先生の書かれた本を教
科書に使ったところ,分かりにくいという学生がいて,驚いた。三十数年前
にその本が出版されたときは,こんなにわかりやすい民事訴訟法の教科書が
出たと言われたものだが,今は,それが分かりにくいと言われるようになっ
てしまった。
「けだし」とか,
「思うに」とか,そういう言葉は使えるのだが,
日本語能力,文章能力,そのものは今の若い世代が落ちていることは事実だ
ろうと思う。
前田雅英教授、内田貴教授らが執筆され、そして東京大学出版会から出版されて
いる教科書などは、今や2色刷り、図 などもふんだんに用いており、とても読みや
すくなっています。大学の教科書ですらそのように変わってきているのです。
年輩弁護士も、時代が変わってきていることくらいは気づくべきでしょう。
「○○先生の基本書」などというように権威によりかかっているだけではダメな
のです。
Q11
旧試験は、司法試験という点での選抜であったが、新しい法曹養成制度
は、プロセスを重視すると言われていますが、これは正しいのでは?
1
旧試験では、司法試験に合格すると、その後、司法修習を受け、最後の考試(2
回試験)に通れば、法曹資格を受けることができました。従来は、考試に落ちる修
- 23 -
習生はほぼ皆無(たまに合格留保となる修習生がありましたが、追試で合格してい
ます。)でした。
そのため、事実上、司法試験に合格すれば法曹になれたということになります。
しかし、これをもって旧来の制度が点での選抜であり、新しい法科大学院制度を
プロセスというのは、誤りと言わざるを得ません。これは、あくまで選抜過程に限
ってのことです。
期間
司
従来、誰でも受験可
法科大学院制度
入学
成績評価
修了認定
法
司
→
2年
法 (1 年半)
試
修
験
習
1年
この過程を経ないと受験できない
この点線で囲った部分全体が選抜過程の一環ということです。
従来は、司法試験という点で選抜された後、2年間の司法修習期間があり、この
司法修習こそが法曹養成の中核でした。点からプロセスという言い方は、あたかも
点だけで法曹になっているような誤解(印象)を与える点で、相当でないと言えま
す。
なお、これまでは、従来の司法試験は点でありながら、選抜機能を果たしてきた
と評価されています。
司法審(第14回、2000年3月2日開催)では、法務省から「司法試験の選
抜機能、能力判定機能ということについて問題点を申しましたけれども、考査委員
の方々は、これまでの司法試験で能力のない者が合格して、能力のある者が不合格
になっているとは考えておられません。つまり、答案の画一化に悩みながらも、こ
れまでのところ司法試験は何とかその機能を果たしていると評価できると思いま
す。」と報告されています。
旧試験は、点での選抜であるが故に公平・平等に誰でも受験できるというメリッ
トがあり、入り口を絞っていたこともあって、相応の水準を維持してきたというこ
とでもあります。従って、旧試験制度には、相応のメリットがあったわけですから、
それを一概に点かプロセスかで比較することも誤りといえます。
- 24 -
2
法科大学院制度は、 単純に旧制度のもとで司法試験合格者数を増加させてしまう
と、質の維持ができなくなるということから導入されたものであって、司法試験合
格者数を激増させる「必要」から導き出されたものですから、司法試験という点で
の選抜を受けられる資格を制限したものといえます。その意味でも、点とプロセス
を比較するのは誤りなのです。
司法審の委員であった竹下守夫氏は 、「法曹人口を増やすことが必要だと言って
も、同時に質を維持する、あるいはさらに向上させる必要があるわけです。そこで、
現在の法曹養成制度のままで、したがって現在の司法試験のままで、合格者だけ増
やすのは、法曹の質に関わる問題をはらむ ことになります 。」『
( 司法制度改革』有
斐閣203ページ)と述べているところです。
3
このことは、法科大学院間にも格差があり、修了認定が法科大学院において厳格
さが異なるという現実からも裏付けることができます。
法科大学院間の格差により、修了者の能力には明らかな差があり、また司法修習
に堪えうる能力が備わっているかは不明と言わざるを得ません。そのため、司法試
験によりその能力を判定することになるのですが、これは明らかに点による選抜な
のです。
4
このように法科大学院制度を点での選抜の前提に過ぎないと評価すると、以下の
ような反論も考えられます。
司法審意見書は、質の問題を確保するということだけでなく、より積極的に法曹
としてふさわしい人を育てることを目的としている、あるいは、法科大学院制度が
充実したときは、司法試験はそれに見合ったものとすべきとしている、としている
ものであって、単なる点での選抜の過程に過ぎないという評価は誤りだというもの
です。
しかし、もともと人(人格の意味ですが)を育てると言ってみても、とってつけ
たような美辞麗句に過ぎませんし(Q16参照 )、司法試験の改革にしてみたとこ
ろで、前提としての法科大学院教育の充実とあるように、そもそもが実現不可能な
前提を置いていることからしても(Q21参照 )、上記批判は、できないことを前
提にした批判にすぎず、意味のある批判ではありません。
Q12
従来は、司法試験(旧試験)一発勝負について、医学部における医師の
養成と比較しても特異な制度であるという指摘がありますが、やはり法曹
においても養成課程は必要なのではないでしょうか。
- 25 -
1
医師は、医学部を卒業することが要件とされ、医学部において、臨床教育などを
経た上で卒業し、医師国家試験の受験資格を得ることになります。司法試験におけ
る予備試験のような例外はありません。これに対し、法曹資格は、旧司法試験の場
合には、誰も受験できるという意味で全く受験資格に制限がありませんでした。
法科大学院を修了しなくても予備試験に合格すれば司法試験を受験できる制度も
同様といえます。
ここでの問題点は、このような旧来の法曹養成と医師養成とを比較して、法曹を
点(旧司法試験)で選抜することがおかしいという比較に合理性があるのか否かで
す。
従来は、旧試験制度の下では、司法試験合格後は、2年間の司法修習があったわ
けで、それが養成課程でした。司法試験は、従来から単なる知識を確認するもので
はなく、法的素養の有無、今後2年間、司法修習を行う上での基礎的な能力がある
かどうかを試すものであり、それによって選抜し、その後、司法修習という養成過
程を経ていたのですから、法曹資格取得に関して、養成課程がないという前提自体
が誤りなのです。
選抜試験を受ける前提として法科大学院制度を設けたのですから(Q12参照)、
これを医師の場合と同列に議論すること自体が誤りです。医師の国家試験は選抜の
手段ではありません。選抜であるならば、医師の場合は医学部の入試がこれに当た
ります。医師国家試験と比較すべきなのは、司法修習終了時の考試です。このよう
に、比較の対象が誤りといえます。
2
但し、法曹養成の場合は、従来は、合格者数を抑えることによって質を維持して
きたということがあります。大量合格を前提とするのであれば、単純に点による選
抜では機能しないということも考えられます。特に成績の上位者から2000名は
合格させる、ということになると従来の司法試験では選抜機能を果たさなくなるこ
とは目に見ています(Q11参照)。
ですから、選抜の前提として法科大学院が必要であるという論旨であれば理解で
きますが、医学部と比較して法科大学院制度を合理化することには無理があると言
わざるを得ません。
3
なお、医学においても、「医師不足」という大合唱のもと、医学部の定員を増加
させたり、地域枠を設けたことによって、法曹養成の場合と同様の問題が生じてい
ます。
地域枠というのは、医師資格取得後、特定の地域(その医学部のある地域)で勤
務することを条件に、一般入試枠とは別に特別に選抜する方法です。この場合は、
- 26 -
要は一般入試枠に残るだけの学力がなくても、当該地方で医師として従事すること
を条件に学力は低くても入学させるというものです。医学部の定員増は、一般枠の
中で、従来であれば不合格となっていた受験生を合格させることを意味することに
なります。
文科省に設置された「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」の「論
点整理」(前掲、Q3参照)では以下のような指摘(意見)が掲載されています(2
011年12月14日発表)。
[1]カリキュラム改革の必要性について
○本検討会では、 短期間で医学部入学定員を増加したことなどにより医学生の学力が
低下しているのではないかという意見があった。
○(略)多様なニーズや課題に応えるためには、平成 23 年 3 月に行われた「医学教
育モデル・コア・カリキュラム」の改訂の柱である、[1]基本的な診療能力の確実な修
得、[2]地域の医療を担う意欲・使命感の向上、[3]基礎と臨床の有機的連携による研
究マインドの涵養という視点を、本検討会で指摘された様々な課題に対応していくた
めに、どのように充実させていくかが課題である。
○このためには、 多くの医学部の6 年次の時間の大半が、医師国家試験の対策に費や
され臨床実習が必ずしも十分でないと言われている現状を考慮し、6
年間の医学教育
の効果を高め、特に後述する診療参加型臨床実習の充実など、各大学におけるカリキ
ュラム改革が求められる。
[4]診療参加型臨床実習の充実(基本的な診療能力の確実な修得)
○臨床実習は、概ね 5 年次から 6 年次にかけて行われている。しかし実施時間数がき
わめて少ない大学 があることや、全体としても時間が少ないこと、さらに実習の内容
が見学にとどまるものが多いなどの問題もある。この背景として、前述の国家試験の
準備に多くの時間を割くために実習が形骸化している場合があるのではないかという
指摘があった。
○こうした中、医学部入学定員を短期間で増加させたことに伴い、医学生の能力が低
下するのではないかという懸念に応えていくためには、特に臨床実習の充実が非常に
重要であるという意見があった。
4
医学部においても、学力の低い者を入学させることによって、授業についていけ
ない、臨床実習がおろそかになるという問題が生じているのです。医師を養成する
と言ってみても、高校までの教育の実態が問われているわけですから、単純に定員
- 27 -
などを増加すれば足りるという問題ではないのです。現状ですら、医学部定員が多
すぎて入試における競争原理が働いていないという問題があるのではないかという
ことです。
仮に医師や法曹が不足していたとしても、単純に増員するだけで足りるような日
本全体の学力を持った卵たち(高校生以下)が育っているのですか、ということが
問われているということでもあります。
ゆとり教育の名のもとに教育予算を削減し、多くの子どもたちの学ぶ機会を奪っ
てきたことのつけが回ってきたということも曖昧にしてはいけません。
Q13
司法試験の内容については、司法制度改革審議会意見書では、法科大学
院を修了したことの成果を試す試験にすべきであるとしていますが、これ
はどのような意味でしょうか。
1
司法審意見書では 、「 司法試験を、法科大学院の教育内容を踏まえた新たなもの
に切り替えるべきである。」とし、その理由について、「法科大学院において充実し
た教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新
司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内
容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹と
しての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備え
ているかどうかを判定することを目的とする。」としています。
法科大学院関係者から以前から言われているのは 、「 現在の新司法試験(旧試が
終わった以上、今後は「司法試験」になりますが 。)が難しすぎる、知識の要求が
多すぎる、これでは未修者コースの修了者が不利だ、もっと易しくすべきだ。」と
いうものです。
その根拠とするのは、司法審意見書の上記部分です。
2
しかし、これが文字通り実現されるのであれば、その前提として各法科大学院に
おいて、厳格な成績評価、修了認定が行われなければなりません。しかも、例えば
上位校のみがそれを行ってみても意味がなく、すべての法科大学院において実施さ
れない限りは、実現不可能な要請になります。
しかも、法務省は、予備試験の在り方をめぐる議論ではありますが、司法制度改
革推進本部法曹養成検討会(第4回、2002年2月19日開催)で、次のように
報告しています。
- 28 -
(法務省)要するに、改革審意見の趣旨を踏まえた法科大学院が設置されて、その教
育内容が意見書にあるとおり充実したものになれば、新司法試験は基本的に
は受験技術優先の論点主義の勉強では対応できず、法科大学院においてきち
んと勉強し、考える力を身に付けた者でなければ合格が難しいようなものに
なると思われます。
そうなれば、新司法試験の合格者はおのずから法科大学院の修了者が中心
となるものと考えております。
そうなると、新しい司法試験は、法科大学院を修了していなければ解けな
いような問題であることが想定されているとも言えます。
3
厳格な成績評価、修了認定がなされている修了者であれば、現行司法試験程度の
問題であれば、優に解けるのではないかという疑問も生じます。
4
もちろん、未修者コースの修了者が知識の問題でハンディがあるという点は、出
発点において最初からハンディを負っていたわけですから、それに追いつくという
ことも大変なことであろうということは想像できます。
これについては、法科大学院関係者は、知識などは実務について確認しながら対
応すれば足りるし、試験で試された知識など最大瞬間風速を試すようなもので、試
験が終われば忘れてしまうようなものなのに、それを試す意義があるのかという問
われ方もします。
もちろん、誰もが満点で合格しているわけではありませんし、また時間とともに
細かな知識も忘れていくことはあるでしょう。
しかし、だからといって基礎となる知識を減らしてもよいということにはなりえ
ませんし、基礎となる知識ですから、試験後に忘れているのだから試験で試す必要
もないという方が暴論といえます。試験で試されたことは、相応に定着しているの
です。
また、法科大学院協会が毎年、実施している新司法試験に対するアンケートでは
総じて良問であるという回答結果もあります。
平成24年度司法試験に関するアンケート調査報告書によれば以下のように記載
されています。
回答内容全体を概観すると、短答式試験については「適切 」「どちらかといえば適
切」とする回答が併せて 85.6%(以下、いずれの数値も回答校数に対する割合)、論文
式試験については、必修科目 85.5%、選択科目 78.8 %であり、いずれも高評価を受け
- 29 -
ている。比較すると、一昨年及び昨年の数値は、短答式試験が一昨年 85.6%、昨年度
87.3%、論文式必修科目が同じく 75.8%、83.3%、論文式試験選択科目が同じく 79.2 %、
82.9%であるから、試験問題に対する積極的評価は、ここ3年間、高い水準で安定し
ているといえる。
但し、その後に「しかし、…」とは続くのですが、現在の司法試験の問題が良問
であることは否定し得ないのではないでしょうか。
平成22年度から24年度までのアンケート結果を一覧にしてみました。
全体
適切・どちらかといえば適切
どちらかといえば適切でない・適切でない
平成22年度
85.6%
8.2%
平成23年度
平成24年度
84.7%
82.6%
6.8%
5.0%
短答全体
適切・どちらかといえば適切
どちらかといえば適切でない・適切でない
85.6%
6.4%
87.3%
6.0%
85.6%
5.9%
論文全体
適切・どちらかといえば適切
どちらかといえば適切でない・適切でない
77.2%
9.3%
83.3%
7.3%
82.5%
4.5%
論文必修全体
適切・どちらかといえば適切
どちらかといえば適切でない・適切でない
75.8%
12.2%
83.2%
7.9%
85.5%
5.0%
論文選択全体
適切・どちらかといえば適切
どちらかといえば適切でない・適切でない
79.2%
5.7%
82.9%
6.4%
78.8%
3.9%
総じて良いという評価が与えられています。
5
このように見てくると、現在、実施されている司法試験の内容自体を抜本的に変
更しなければならない理由はないといえます。
Q14
法科大学院では、「公平性・開放性・多様性」を理念としていますが、
この理念は正しいのでしょうか。
1
旧試験制度のもとでは、社会人からの司法試験に参入してくる人たちは少なから
ずいました。
しかし、非法学部系の割合は多くはありませんでした。
以下は、非法学部出身者の割合の一覧です(単位:%)。
旧試験
元年
16.60
2年
6.81
3年
9.92
4年
8.89
5年
6年
8.71 10.00
7年
8.54
8年
9年
9.67 11.13
10年
12.93
- 30 -
11年
11.40
12年
11.07
13年
14.34
14年
12.76
15年
16年 17年
15.21 16.86 17.96
新、旧試験以降
18年
19年
20年
21年
22年
23年
旧試験
18.03
22.98
20.83
27.17
22.02
33.33
新試験
11.50
22.26
21.65
20.85
19.05
18.13
24年
合格者の増員により徐々に非法学部の割合が増えてきていますが、新制度以降も
同様時に増えています。
2
司法審意見書では 、「入学者選抜は、公平性、開放性、多様性の確保を旨とし、
入学試験のほか、学部成績や活動実績等を総合的に考慮して合否を判定すべきであ
る。」(65ページ)とされています。
それを受けて法科大学院設置基準においても、
第19条
法科大学院は、入学者の選抜に当たっては、文部科学大臣が別に定めると
ころにより、多様な知識又は経験を有する者を入学させるよう努めるものとする。
と規定されています。
ここでいう「多様性」とは、多様なバックグラウンド、要は、各種分野での経験
を持っている者で、法曹資格を得たのであれば、その分野で即、戦力としての法曹
になることを想定しています。
決して、人間性としての「多様性」ではありません。
それは、今時の司法「改革」が財界からの要請で始まったものであり、その財界
が要求しているのは、企業において戦力となる法曹そのものだからです。
その意味では、財界が求めている法曹像とはビジネスそのものであり、従来の在
野としての法曹像とは一線を画するものです。
司法審意見書においても 、「 多様性の拡大を図るため、法学部以外の学部の出身
者や社会人等を一定割合以上入学させるべきである。」
(65ページ)とあるように、
法曹としての人間的な多様性などを問題にしているわけでありません。
3
では、司法審のいう「公平・開放性」という意味は、従来の司法試験の公平、平
等と同じ意味でしょうか。
旧試験では、公平、平等ということが言われていました。誰もでも受験できるこ
れほど平等な試験はないというものです。反国家的思想を持っていようとも、全く
能力のみによって選抜されるという意味では、非常な平等性があったのです(但し、
任官は無理です。)。
これに対し、法科大学院制度にいう「公平性・開放性」は、旧試験のときの公平、
平等とは意味が異なります。
- 31 -
司法審意見書のその後の文脈を見てもわかるとおり、成績以外の要素(学部成績
や活動実績等)をも考慮せよとなっているのであり、純粋な成績評価ではなく、そ
こには主観的評価が入り込む余地を残すものとなっている点です。
司法審が意図してた成績以外の要素については 、「学業以外の活動実績、社会人
としての活動実績等」としていますが 、「活動」内容についての具体的な例示はあ
りません。建前としては、各法科大学院において判断すべきものということになる
のでしょうが、とはいえ、反原発行動に邁進してきたということがプラスの要素に
なるとも思えません。要は、文科省が強調するところの「社会奉仕」や企業での実
績などなどを想定していることは、従来の流れからは容易に想像がつくというもの
です。司法審意見書が「公平・開放性」に続いて「多様性」を並列させていること
も、この文脈で理解することができます。
4
ところで、このような成績以外の判断が入ると、入試成績は合格水準に達してい
ながら、他の要素で不合格にさせられたとしても問題になりえなくなります。他の
入試以外を加点要素とすれば、総合点で抑えることが可能になり、その合否の判断
は、各大学の判断だということで合理化されてしまうからです。
論者によっては他の法科大学院に行けばいい、などという人もいますが、それな
ら適正配置という「理念」とは、明らかに矛盾してしまいます。
そのために予備試験があるんだ、ということであれば、なるほどと思わなくもあ
りませんが、思想的に法科大学院から排除された人のために予備試験があるという
のは、あまりに悪い冗談としかいいようがりません。
法科大学院の選抜の理念の「公平性、開放性」と旧試験の公平、平等とは明らか
に異質なものであり、文字面だけで旧試験と同じと評価するわけにはいかないので
す。
Q15
法科大学院制度は、第三者評価がなされることになっていますが、大学
自治(憲法23条)との関係で問題はないのでしょうか。
1
学校教育法99条2項では、「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、
高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うこと
を目的とするもの」を専門職大学院として規定しています。
専門職大学院設置基準第6章以下で「法科大学院」について規定されています。
法科大学院は、この専門職大学院に当たります。
専門職大学院では、法科大学院は認証評価機関による認証を受けることが義務づ
- 32 -
けられています(学校教育法109条3項)。
現在、認証評価機関として認証を受けている機関は、以下の3団体です。
2
公益財団法人
日弁連法務研究財団
独立行政法人
大学評価・学位授与機構
公益財団法人
大学基準協会
各法科大学院は、教育課程、教員組織等その他教育研究活動の状況について、5
年以内ごとに、認証評価機関から認証評価を受けなければならないことになってい
ます。第三者評価とは、認証評価のことであり、法科大学院自身ではなく第三者が
評価することから、第三者評価と言われています。
その認証内容に問題があると、法科大学院としての認可を文科省から取り消され
ることもあります。
認証評価は、授業内容に立ち入ることになるため、学問の自由との関係で常に緊
張関係を持つことになります。
専門職大学院では、学問の自由はない(付与されない)という論者もいるようで
すが、建前としては大学ですから、学問の自由は保障されている、しかし、専門職
大学院という特殊性から、学問の自由も制約を受けると立論されるようです。
3
しかし、このような制約は、学問の自由の観点からみても非常に問題といえます。
もともと、法科大学院では実務追随になりやすという指摘がありますが、司法試
験受験資格に直結してしまっていますから、教授すべき内容が最初から限定されて
しまうことになります。
これでは法科大学院の予備校化と同じで、何も学問の自由を享受する大学である
必然性はありません。
法科大学院を学校教育法の大学に位置づけたのは、『司法制度改革』(佐藤幸治、
井上正仁、竹下守夫著)では、以下のように説明されています。
(井上)ここで法理論というのは、単なる法規についての知識ではなく、法の体系と
それを支える基本的な原理についての幅広く実質的な理解を基にして、問題を筋道立
て、他の問題への対応とも整合性を取りながら、合理的に解決していく思考方法ない
し論証の仕方を意味しますが、そういう教育をするには、やはり学問的な研究がその
基礎になければならず、それを最も適しているのは、教育研究機関としての大学だろ
うと考えられるのです。
確かに基礎にある法原理等は学問の領域でしょうが、それを基にして応用的な勉
- 33 -
強を行うのであれば、それは研究ではないのですから、極論すれば「学問」である
必然性はありません。予備校レベルと質的な違いはありません。
むしろ逆に、このような専門職大学院を設けたが故に大学における学問の自由の
概念が曖昧にされてきてしまったということの方が問題です。
法科大学院が受験資格を「獲得」した反面、学問の自由を放棄したに等しく、そ
の意味では、専門職大学院の在り方は、非常に問題でしょう。
4
もともと、このような認証評価(第三者評価)の在り方は、過去にさかのぼれば、
臨時教育審議会(臨教審)が大学に自己評価を求めたことに始まります(Q7参照)。
そして、その後、臨教審から大学審議会(大学審)に引き継がれ、大学にさらな
る自己評価を求めるとともに、第三者による評価を求めるようになりました。
その目的は、産官学を一体化させ、大学を産業界の要望に合うように改編するた
めです。そこには学問の自由を侵害することは当然の前提とされていたものであり、
法科大学院の認証評価も、この延長線上にあります。
従って、専門職大学院という特殊性から、学問の自由も制約を受けるという立論
は、言葉を置き換えているだけで、学問の自由への侵害そのものなのです。
5
なお、これまで認証評価で問題になったのは、受験指導をしていないか、要は、
予備校のような答案練習をしていないかというものです。
予備校批判によって法科大学院設立を正当化、合理化しようとしてきたのですか
ら、答案練習を行っているとすると矛盾になってしまうからです。
もっとも各法科大学院とも添削指導は行っています。日本語の文章に対する添削
も行われています。
これが答案練習ではないのかという疑問に対しては、「この場合には、このよう
に表現して書く。」ということを教えるのが予備校的な答案練習なのだそうです。
表現そのものを添削として記載するかどうかはともかく(ここまで添削するので
あれば、おそらく「参考答案」を配布するかと思います。)、これでは予備校の答案
練習での添削とあまり大きな違いはないのではないかと思われますが、本音と建て
前が使い分けられているところだと思います。
第3章
Q16
法科大学院制度が掲げる理念は正しかったのか
法科大学院の理念の中で、司法制度改革審議会意見書は 、「かけがえの
ない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間
- 34 -
性の涵養、向上を図る。」(63ページ)ことを掲げています。この理念自
体は、正しいのではないでしょうか。
1
字面だけをみれば、正しいようにも思うかもしれません。法曹であるが故に特に
求められている人間像であるということであれば、一般論としてはその通りでしょ
う。
しかし、この理念を実現するためのカリキュラムを具体化すること自体が不可能
です。もともと、このような人格というものを法科大学院入学後(大卒ですから、
飛び級制度による例外はありえますが、23歳以上になります 。)の学生にどのよ
うな教育を施せば、命題のような人格者になれるのか、ということであり、本来、
このような人格は、幼児期から小中学校の時代をかけて養われていくべきものであ
って、法科大学院の理念として掲げるのは、いかにも美辞麗句を並べただけにすぎ
ないものといえます。
2
司法試験科目で「倫理」を入れるかどうかについて、法曹養成検討会(第3回)
での以下のやり取りが参考になります。(○は委員、匿名となっています。)
(法務省) (略)すぐれて実務との関連で法曹が身につけるべきハートであるとか、
技術については、相当程度、最終の司法研修所における教育にゆだねるべき
もの ではないかと我々としては考えまして、実務と架橋する理論教育が行わ
れる法科大学院の履修効果を判定する試験としては、こうあるべきではない
かという考え方で、今日御説明させていただいたところでございます。
○ その場合に、司法制度改革審議会の意見書から言っても、これからはむしろ法曹に
とって豊かな人間性を持っているということが重要なんだという前提がある
わけですから、最低限、そういった意味での規範である法曹倫理について、
きちんと理解していることというのはミニマムではないかと思いますが、こ
こでは科目としてなじまないということで採用しないとされていますけれど
も、点数を付けるということになると、確かにいろいろ問題があるかもしれ
ませんが、 倫理的に問題が起こる状況、利益相反行為になるかならないか、
あるいは守秘義務、弁護人が被告人からこういうことを打ち明けられたけれ
ども、どうしたらいいかという状況を与えて、それについてのその人の解答
を書かせて、それが論理的に整合していて、説得力があると、おおまかな弁
護士倫理に反していないという範囲であればみんな合格、そうじゃない、何
言っているんだから訳がわからない、いっぱい書いてあるけれども訳がわか
- 35 -
らないという答案は不合格。あるいは、全く弁護士倫理というものを理解し
ていない答案は不合格という非常におおまかな採点をするということにすれ
ば、現在においても、これは科目として採用できないということにはならな
いのではないかという気がするんですけれども、その点はどうでしょう。
(法務省) (略)まだ学問的に普遍的な理解が得られているのか、教える方々、ある
いは採点する方々の主観的立場、考え方によって、採点の客観性、公平性が
保てないんではなかろうか、法科大学院においても、すべての法科大学院で
同様のカリキュラム、同様の水準の教育がなされるかどうか、現時点では確
認できないと思いますので、ややなじまないと考えておるんです。
司法試験科目に「倫理」を入れよという委員の発言なのですが、上記発言に見ら
れるように、最初は、「豊かな人間性」という設定から、その後、何故か「利益相
反」のような技術的な話にすり替わってしまっています。
もともと「豊かな人間性」のようなものを机上の議論で教育することが無理であ
るばかりか(この点、法務省は、修習の中で実務に触れる中で教育される趣旨で報
告されています。Q33参照 )、カリキュラムの中に組み込んだとしても、その科
目の中で学生を採点、評価することなどできる話ではないのです。
極論すれば、例えば 、「困った人がいた場合、助けますか?」という問いに対し
ては、求められている回答は「助けます 。」以外の模範回答はないわけで、そのよ
うなことを問うてみても全く意味がないのです。もちろん、そのような単純な話ば
かりではなく、今、はやりの「哲学」的な議論に発展するような事例も多々ありま
す。しかし、問題なのは、設問で求められている「豊かな人間性」のようなものは、
与えられた事例をどのように考えるかどうかという次元のものではないし、教室で
の勉強によって身につくようなものでもないのです。
このように考えてくれば、できもしないことを司法審意見書は、美辞麗句として
並べているだけということがよくわかると思います。従って、この部分だけを取り
出して「理念」は正しいということ自体、評価の在り方として誤りなのです。
つまり、司法審の意見書の特定部分のフレーズだけを取り出して 、「ここは正し
い 。」と評価を与えてみたところで何の意味もないばかりか、司法審意見書におい
て美辞麗句を並べたことの策に見事にはまっただけなのです。どのような文脈の中
で用いられいているのかという分析こそが評価の在り方です。
3
法科大学院では多くの実務家が関与しており、実際の事件であるとか、事件の現
場などに触れる機会もあります。それを法科大学院生がみることによって、得られ
- 36 -
るであろうものがあり、人間的な成長を果たすことを可能にするという主張がなさ
れることがあります。
しかし、生の事件を見たり聞いたりするだけで、人間的な成長が促されるとはあ
まりにも短絡的であるし、それが司法審意見書にいう「かけがえのない人生を生き
る人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。」
ための手段であるならば、従来の司法修習では、法科大学院以上に生の事件に触れ
ていますが、それが何故、司法修習では不可能だったのかという視点が、全く抜け
落ちてしまっています。
いずれにしても、法科大学院制度を論ずるにあたって、このような「かけがえの
ない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、
向上を図る。」などということを持ち出すこと自体が欺瞞なのです。
Q17
法科大学院に入学するために必要とされている適性試験ですが、法曹に
なるための資質を図ることができるのでしょうか。
1
適性試験は、法律の試験ではなく、主には論理思考を試すものとなっています。
もちろん、どこかに答えがあるわけでなく、答えを覚えるような勉強方法を用いる
ことはできません。
適性試験は、法科大学院を受験する者すべてが受験しなければなりませんが、そ
れだけで合否が決まるような足きりをされたりするわけではありません。
その成績については、各法科大学院が合否を判定する際に用いることになります。
2
しかし、文科省は、中教審大学分科会法科大学院特別委員会の答申を受け 、「 法
科大学院教育の更なる充実に向けた改善方策について(提言)」(2012年7月1
9日)を出し、適性試験について、下位15%未満の者については入学させないよ
うに求めました。
下位15%未満の者であっても司法試験に合格している例はあるが、希有な例と
して、ほとんど合格しうる水準に達しないというのがその根拠です。
また、結局、下位15%未満の者でも入学させるということになると、適性試験
を実施していることの意味がなくなるというものです。
もちろん、論理的思考さえできれば一定の水準には達しうるものであることを考
えると、下位15%未満の者ではどうなのかという疑問は沸きますし、今後、法曹
としての法的素養を身につける上でも、この程度もできない、ということになると
不合格とすることもやむを得ないように思います。
- 37 -
その意味では、適性試験である程度の水準に達しているかどうかは1つ目安には
なります。
法科大学院側からは、入試選抜についての過度な干渉であるという批判を聞くこ
ともありますが、現実には、下位15%未満の者を入学させている法科大学院は、
志望者が少なく、定員割れをしているところがほとんどなので、説得的な批判とは
いえません。
3
もっとも、適性試験の水準が高いからといって司法試験に合格しているかといえ
ば、必ずしもそのようにはなっていないようです。
適性試験は、必要条件であっても十分条件ではないということになります。
では、何故、論理試験はできても、法律学では成就し得ない場合があるのか、そ
れは法律学の特殊性から来るものです。
法律学は学問とは言いながら、真理があるわけではなく、極論すれば法的思考方
法により、条文を解釈し、結論を出していくだけのものです。あくまで解釈学とい
う法的思考方法という手段を身につけるものです。そこに真理は存在しません。
もちろん、結論の当否に真理はあります。しかし、手段的な法律学では結論の当
否のような真理を探究したりはしません。あくまで一般常識的な「結論」です。こ
の一般常識的な結論も人によって異なり、その結論を巡ってそこが争点になること
はありますが、所詮は、その程度にすぎません。
例えば、憲法という法律になかなかなじめない人もいます。憲法の答案がどうし
ても思想が前面に出た政治学の答案になっている場合です。
それから、条文という非常に技術的というのも特徴の1つです。条文に書かれて
いることは知識の範ちゅうに入ります。そこにも真理というものは存在しません。
条文の隙間にあるものは何か、研究によって真理が探究できるわけでなく、解釈
学という手段によって隙間を埋めるためだけのものですから、何かの真理を「発見」
するという性質のものではないのです。
しかも、条文に隙間があったとしても、解釈学という手段ではなく、立法という
手段で埋まってしまうこともあります。
このような法律学になじめない人は少なくないだろうと思います。なじめなけれ
ば、法科大学院に在籍していること自体が苦痛になるものと思います。
未修者コースにおいて途中で断念する人が少なくないのもこのようなことに原因
の1つはあります(Q31)。
結論として、適性試験で資質をはかることは不可能です。資質をはかれるとすれ
ば、法律学の試験しかありません。
- 38 -
未修者コースそのものの存在意義が問われているというべきです。
Q18
これまで法学部は実務と乖離しており、実社会に役立ってこなかったの
だから、実務にコミットすることは良いことではないのですか。その中で
実務に対する批判的視点も取り入れているのですから、問題ないのでは?
1
以前、法学部で教えられていた内容については、実務との乖離が指摘されていま
した。学者の自己満足のような言われ方もしていました。実務に対し全く無頓着に
独自の世界で解釈学を展開しているような場合には、そのように感じることはあっ
たかもしれません。
しかし、だからといって、法学研究が実務にコミットしていくということは、と
もすれば実務追随になりかねません。
この点、 法科大学院関係者や法科大学院を擁護する人たちからは、批判的能力を
身につけることこそ、重要なのであり、実務を丸暗記することではないということ
であり、実務追随ではないという反論がなされることになります。
法的素養を身につけるということは、そのような意味でもありますから、それ自
体が誤っているわけではありません。手続を代行するにすぎない隣接職種との違い
でもあります。
2
問題は、従来の法学部の果たしてきた役割と比較した場合、その批判的視点とい
うものが全くもって次元の異なるものになっているのではないか、それが、ここで
の問題です。
単純に実務に批判的かという視点ではなく、政策そのものへの批判的精神がある
のかどうかという点です。
法科大学院で重視されている「批判的視点」とは例えば当事者の立場に立ったと
き、その視点で考えよというように、いろいろな視点からの思考を求めている(反
対当事者からみれば「批判的視点」になります。)、というものであって、それ以上
のものではありません。
これに対し、従来、実務を批判してきた視点というのは、このようなものは全く
異なるものです。
次項で具体的な違いを述べますが、法科大学院を擁護する人たちは、意識的にか
無意識的にか、この「実務追随」の意味を混同させているので、注意が必要です。
3
古くは、 滝川事件 (京都大学 )、 天皇機関説事件 (東京大学)は、いずれも法学
部教授による学説がときの権力から弾圧を受けた事件があり、学問、研究が国家か
- 39 -
ら統制されていくという歴史がありました。
これに対し、戦後、新憲法の下で確立したのが学問の自由(憲法23条)です。
学問・研究による体制批判は憲法で保障された自由となったのです。
そして、戦後も朝鮮戦争勃発後、自衛隊の前進である警察予備隊創設に対して、
芦部信義氏ら学者を中心に青年法律家協会が結成されましたが、これも学問の自由
の発現といえます。自衛隊の存在について絶えず疑問を提起してきたのも憲法学者
でした。
あるいは1970年代の刑法「改正」反対闘争でも学者、研究者の果たした役割
は大きく、存在意義を示していました。
ところが、これが法科大学院という職業専門人養成ということになると、このよ
うな批判的視点は無縁にならざるを得ません。
法科大学院制度のもとで憲法が必修とはいえ、自衛隊の合憲性、さらには有事法
制の合憲性なども、考える問題としては想定しうるのかもしれませんが(題材にし
ている法科大学院があるとは思えませんが。)、要は、考える題材に過ぎないという
ことです。
4
もともと、職業専門人養成ということと、従来、法学部が果たしてきた役割とは
全く次元が異なるのですから、これをもって従来の法学部が実務から乖離していた
などと法学部の在り方を批判することは、的外れといえます。
学問として、実務や国家政策に対し、懐疑的な見地から批判を行うことはまさに
研究者の使命でもあったわけです。しかし、法科大学院には、そのようなことは求
められていません。
今回の司法審意見書や大学審の提言などは、このような法学部あるいは大学それ
自体の在り方を批判し、産官学協同の見地から、大学そのものを改編しようとして
いるものであって、実務にコミットすること自体が問題であるといえます。学者の
自己満足研究の問題とは次元とは異なるということを認識すべきです。
法科大学院においては、どのようなカリキュラム内容になっているのかなどを第
三者評価によって統制しようというのですから(Q15参照 )、ますますもって批
判的視点が欠如していくことは明らかです。
そして、 実務に対する異様なまでの傾斜は、法曹(弁護士)を単なる技術職的な
ものにおとしめる点においても看過し得ない問題が含まれているといえます。
司法審や法曹養成検討会の議論をみても、専門分野に特化した法曹をどのように
育てるのかという視点しかなく、在野法曹としてこれまで果たしてきた役割が全く
捨象されてしまっていますが、それは、法曹(弁護士)を単なる技術屋と位置づけ、
- 40 -
それを具体化しているのが、実務にコミットした法科大学院制度ということなので
す。
弁護士について、在野としての法曹の位置づけが全く欠如してしまっている、あ
るいは軽視されることこそ問題といえます。
Q19
法科大学院制度が売り物にする双方向授業とは何ですか。何故、法科大
学院でこのようなことが行われているのですか。
1
法科大学院では、少人数による双方向教育ということが一つの売りになっていま
す。この少人数による双方向教育については 、「ソクラテスメソッド」とか「ケー
スメソッド」というような言われ方をすることがありますが、要は、一方的な講義
形式の授業にはしない、学生に答えさせるなどして、その学生の理解の程度を確か
めていく、というものです。それ以上の意味はありません。
専門職大学院設置基準においては、
(授業を行う学生数)
第7条
専門職大学院が一の授業科目について同時に授業を行う学生数は、授業の方
法及び施設、設備その他の教育上の諸条件を考慮して、教育効果を十分にあげられ
るような適当な人数とするものとする。
(授業の方法等)
第8条
専門職大学院においては、その目的を達成し得る実践的な教育を行うよう専
攻分野に応じ事例研究、現地調査又は双方向若しくは多方向に行われる討論若しく
は質疑応答その他の適切な方法により授業を行うなど適切に配慮しなければならな
い。
2項(略)
と規定されています。
2
では、何故、法科大学院においては、このような授業方法が必要だったのでしょ
うか。少人数による双方向教育ということになれば、それだけ多くの教員が必要と
なり、高コストになることは間違いないからです。
それは、法科大学院制度の下では、従来の司法試験合格者の3~4倍(司法審当
時の合格者数は850名)であったものを3000名にすることを想定していたか
らです。
しかも、従来の司法試験合格レベルにまで、未修者コースで3年、既修者コース
で2年で引き上げなければならない、しかも、目標としては3000人(司法審が
- 41 -
目標とする数字)をそのレベルにまで引き上げるということを意味します。
従来の大学で行われていたような学生の「自主性」に任せていたのでは、到底、
そのレベルに引き上げることは不可能です(学部学生における問題点は、Q9を参
照)。
そこで、登場したのがこの少人数による双方向教育です。教育を充実といえば聞
こえはよいですが、その実態は、こうでもしなければ学生全体を従来の水準まで確
保する見通しが立たないからに過ぎません(Q9参照)。
3
現状での合格者数は2000名強に留まっていますが、状況は変わりません。実
体法の理解が不十分で2回試験の不合格者が出ているという現状では、少人数によ
る双方向教育によっても、未だ全体の水準の引き上げには成功していないといえま
す。3000名という水準を達成することは、 明らかに非現実的ということでもあ
ります。
4
なお、法科大学院では「文書作成」も指導の1つとなっています。法文書自体の
特殊性はありますが、ここでいう文書作成指導は、日本語の文法そのものも含まれ
ています。本来、そこまで手取り足取り「大学院」で行われるべきものなのだろう
かという疑問が出てきますが、それが法科大学院の現状でもあり、根本的には日本
の教育全体の課題であると言えます。
Q20
法曹の国際化を図るためには、法曹人口の激増と法科大学院制度が不可
欠なのではないでしょうか。
1
今時の司法「改革」は、財界からの要請に基づいて始まったものであることは周
知のとおりです。その財界が目標としているところは、企業のグローバル化に伴い、
国際競争に打ち勝つための1つの手段としての国際問題に強い法曹の養成です。
司法審意見書でも 、「今後、国民生活の様々な場面における法曹需要は、量的に
増大するとともに、質的にますます多様化、高度化することが予想される。その要
因としては、経済・金融の国際化の進展や人権、環境問題等の地球的課題や国際犯
罪等への対処、知的財産権 、医療過誤、労働関係等の専門的知見を要する法的紛争
の増加 、「法の支配」を全国あまねく実現する前提となる弁護士人口の地域的偏在
の是正(いわゆる「ゼロ・ワン地域」の解消)の必要性、社会経済や国民意識の変
化を背景とする「国民の社会生活上の医師」としての法曹の役割の増大など、枚挙
に暇がない。」(57ページ)とあります。
法科大学院では、英語を入試の必須科目にするところがあるなど、国際化に「特
- 42 -
化」することに腐心している様子もあります。
他方で、法科大学院で行える専門分野の学習には限界があり、そこで履修したこ
とは、基本的にはその分野に出ていこうとする際のとっかかりになるに過ぎません。
しかも、現状では、基礎学力を身につけることで精一杯というのが実情です(Q
19参照)
実際には、現場に出て身につけていくべき能力なのです(Q21参照)。従って、
国際化のための養成制度が法科大学院制度である必然性はありません。
2
では、何故、法曹が国際化するために、法曹人口を激増させることが不可欠と主
張されているのでしょうか。
企業は、次のように述べています 。(法曹養成検討会第18回議事録より。20
03年7月14日開催)
松下電器の●●です。(略)まず、「1.米国と日本における知的財産実務家の実態に
おける格差」というところですが 、(略)知的財産の実務家の数における格
差を日常の実務の中で大きく感じております 。(略)特許弁護士の数で比較
すると、米国のパテント・アトーニーが約 21,000 人、日本では弁護士登録し
ている弁理士は300人強、そのうちの理系出身者はごく一部という実態です。
そうした数のギャップを何で補っているかということになりますが、これは
今の企業の中の実務家がかなりの部分を補っていると私は考えております。
(略)次に、米国と日本の技術部門の特許交渉や訴訟の仕方を比べますと、
アメリカ側はパテント・アトーニーが弁護士兼弁理士のような仕事をやって
いるのに対し、日本側はそれに対応するのに2人が必要であり、場合によっ
ては通訳まで要るので3人が必要であるという状況にあります。1人の頭の
中でいろいろとアイデアを練るのと、3人が交互に議論しながらやるのとで
は、おのずからスピードと質に差が出てくるということを感じることがしば
しばであります。
企業にとっては海外と張り合う場合に、当該分野で専門的知識をもった弁護士(法
曹資格者)が少なすぎるという認識があったようです。また専門分野では、理系出
身者が少ないということも指摘されていますが、従来のような法曹(司法試験)が
狭き門であれば、企業の社員が法曹資格を取得してくることは極めて困難です。法
学部一本でやってきた受験者と同じ土俵で勝負しても、それが狭き門であるならば、
一般的には、到底、勝ち目はないのです。その意味では多様なバックグラウンド(こ
- 43 -
の場合でいえば理系出身)を持った者が参入しやすくするためには、従来の狭い枠
組みを取り払う必要があります。それが司法試験合格者数の激増を要請する背景事
情です。
もちろん、学生(非法学部、特に理系)→法科大学院というコースで上がってく
る新法曹も相当数、含まれることになりますが、それはそれで即戦力になるとまで
は考えていないでしょうが、少なくとも理系法曹の卵として養成しておかなければ、
今後の戦力となる法曹の育成にもつなげられないということになりますから、やは
り、前提としての法曹人口激増政策は、不可欠のものとなるわけです。
3
ただ、現実問題、上記報告がなされたのが2003年、それから既に弁護士人口
(新法曹)が増加の一途ですが、企業からの現実のニーズは聞こえてきていません。
実際に誕生した法曹の質が企業のニーズにあっていなかったのか、コスト面で見
合わないのか、そもそもそのようなニーズがあったのかは判然としませんが、法曹
の国際化のために、法曹人口激増が必然であったかどうかを再検討する必要がある
といえます。
4
もともと、企業の中で一線級で活躍してきた人が、その職を辞めて、あるいは休
職して法科大学院に入学してくることは想定しづらいものがあります。
企業が想定している法曹有資格者とは、現実にいるのだろうかというようなスー
パーマンを想定していないでしょうか。
かつて日経新聞(2012 年 6 月 3 日付)で掲載されていた、企業が求める法曹像を
紹介しておきます。果たして、このような低価格のスーパーマン弁護士がいるのか
どうかという問題です。
しかも、法科大学院等を修了し、法曹資格を得るまでに1000万円のコストを
掛けた上でのことです。
企業が求める人材
契約や業務をチェックできる能力・語学力が欲しい。
経済や社会にい関心があり、当該業界の知識もある。
年収300万~400万円からスタート。
Q21
法科大学院制度では、例えば知財などに特化するなど法科大学院の独自
性のもと、種々の必要とされる法曹の養成に適うのではないでしょうか。
- 44 -
1
司法試験では選択科目(倒産法、租税法、経済法、知的財産法、労働法、環境法、
国際関係法(公法系)、国際関係法(私法系))がありますが、選択科目が設けられ
ている趣旨は 、「 法曹を志す者に幅広い法律分野についての履修を促すとともに、
それぞれが専門分野を持つよう積極的に誘導するという観点から、新司法試験にお
いては、必須科目のほか、選択科目も設けることが相当」と法務省は説明していま
す(法曹養成検討会第3回議事録より、2002年2月5日開催)。
知財などの専門分野については、すべての法科大学院において特化することは不
可能でしょうから、専門分野については、それぞれの法科大学院にとって独自性を
打ち出すためのものということもできます。
2
しかし、果たして、法科大学院では、専門分野について、どの程度のことを可能
にするのでしょうか。
法曹養成検討会第18回(2003年7月14日開催)のやり取りが参考になり
ます。少々長くなりますが、引用します。但し、内容を細かく読み込む必要はあり
ません。
○牧野和夫委員(国士舘大学教授)
次に、以上の4つの要素、つまり知的財産に強
い法曹に求められる基礎的な素養としての4つの要素を踏まえて、そういっ
たものを具体的に法科大学院の知的財産教育で実現していくにはどうしたら
よいかということについて、検討いたしましたので、御説明いたします。
(略)まず、1番目に知的財産法必修科目では、知的財産法基礎科目として、
各分野の基本的なルールを修得するため、特許法、著作権法、意匠法、商標
法、不正競争防止法について、全体で8単位程度の教育が必要であると考え
ております。
次に、知的財産法応用科目ということで、具体的なルールを修得した上で
応用力を付けてもらうため、知的財産法応用、クリニックI・II といった形
で6単位程度の教育が行われることが望ましいと考えております。なお、知
的財産法応用とクリニックの区別は、知的財産法応用は、実務の現場ではな
くて、いわゆる机上での教育で、クリニックの方はまさに実務現場での実習
体験ということを想定しています。
2番目に、知的財産法選択科目とありますが、知的財産法といいましても、
専門分野がかなり分かれておりますので、各専門分野において更に能力を修
得してもらうということが必要であると考えられます。
3番目に関連法律科目ですが、例えば知的財産訴訟におきまして、特にア
- 45 -
メリカの特許訴訟では、訴訟を起こしますと、反対に独禁法違反ということ
で反訴が提訴されることが多く、独禁法と非常に密接な関係を持っておるわ
けでありまして、その観点から独占禁止法といったものも関連法律科目とし
て必要となります。
また、国際的に活動する企業が非常に多くなっていることから、国際関連
の科目として、国際経済法、国際民訴法といった科目も必要になってくると
考えられます。
その他、企業法務や、電子商取引法、サイバースペース法、あるいはエン
ターテイメント法といった関連科目が必要になってくると考えております。
4番目に、知的財産の技術基礎科目ですが 、(略)技術の知識が知的財産
の法律問題の処理のために非常に重要かつ不可欠なものであり、これによっ
て今後の国力にも影響するというような説明がありましたけれども、私ども
の実務家研究会としましては、技術基礎科目を重要な科目としてとらえてお
ります。
技術といいましても様々な分野がございますので、必修科目として最低限
の物理に関する知識と先端技術基礎のほか、選択科目としまして、電気、化
学、機械の中からいずれかを選択することとし、必修2単位、選択2単位と
いうことで全体で4単位くらいは履修していただく必要があると考えており
ます。
したがいまして、実務家研究会としましては、必修科目として考えており
ますのが、1の知的財産必修科目、4の技術基礎科目の 16 単位で、大分大き
い単位数でございますけれども、これが将来的には必要であると考えており
ます。
なお、知的財産法基礎科目8単位程度のカリキュラムについては、特許法、
著作権法、商標法、意匠法、不正競争防止法のうち、恐らく、特許法と著作
権法が主体になると思いますが、この内訳につきましては、今後検討を進め
ていきたいと思います。
また、技術知識につきましては、例えば理工系の学生には、専攻分野に強
くても、すべてに広く浅く強いという方はいらっしゃいませんので、基本的
に選択式とすることが適切であると考えております。
(略)外国の知的財産法につきましても原語による授業を行うことにより、
国際性を高め、語学力を付け、更にその国の知的財産法の制度とか法律を十
分に使いこなすようになってもらうことが必要だと思います。(略)
- 46 -
○永井和之委員(中央大学教授)
今のとおりになるかどうかは分かりませんけれど
も、なった場合、この知的財産法関係の選択をした場合の学生の負担という
のは、範囲や分量から、かなり重い試験になっていくと思われ、ほかの選択
科目とのバランスという問題を考えないと、ほかの選択科目がもう少し軽い
ものになった場合には、ちょっと微妙な問題が出てくる可能性が現実にはあ
るのではないかと思います。
また、もしほかの選択科目でもこのぐらい重たい試験を課していくことに
なった場合には、公法系、民事系、刑事系という基本科目の方がかなり軽い
感じがいたします。検討している問題の内容を聞くと、そういったところで
全体のバランスをどう考えるかという点で、これを取り入れる場合でも重さ
というのを十分検討しなければならないのではないかという感じがします。
特色を設けるというので、基本科目以外全部知的財産に特化してやるとい
うならば、対応できるのでしょうけれども、ある程度の人数を抱えた法科大
学院ではそんなに特化するわけにはいかない。(略)
3
このような報告をみますと、それぞれの分野では、その専門家がはりきってカリ
キュラムの内容を具体化していたことが伺えます。そこには大きな情熱も感じます。
しかし、実際には、ここで示されたような「情熱」が現実の法科大学院で実践でき
ようはずもなく、今後の法曹としての専門分野に進んでいくきっかけ、動機になっ
たとしても、所詮はその程度ということにならざるを得ません。それが司法試験に
選択科目を設けた趣旨にも合います。
従って、その程度であれば、何も法科大学院制度の特色というほどのものではな
いというべきです。
Q22
法科大学院制度は、借金漬けのような批判はあるものの、希望すれば奨
学金を受けられるのであるから、旧試に比べても法曹資格を取得できるよ
うになったのでは?
1
法科大学院制度の下では、法曹となるまでには多額の負債を背負い込まなければ
ならないと言われています。
法科大学院に対する学費は、入学金を除いて、国立で80万円前後、私学では幅
があり60万円から170万円という状況です。
これだけではなく、仕事をしながらということは事実上、困難ですから、学費と
- 47 -
は別に、別途、生活費を工面しなければなりません。
そのため多くの学生は奨学金に頼ることになります。
法科大学院を修了するまでに2~3年を要し、その後、司法修習期間が1年あり
ますが、給費制は現時点では廃止されていますので、生活費はやはり別途工面しな
ければなりません。多くの修習生は国庫から貸与を受けることになります。
その結果、法曹となるためには、多額のお金を必要とするのが現実です。
そのため、お金がないと法曹になれないという批判がされるようになりました。
2
それに対し、法科大学院関係者からは、次のように言われることがあります。
法曹養成という過程において一定のコストがかかることは当然のことである。
従来の旧試験では大学卒業後は自分で生活費を捻出しなければならなかったが、法
科大学院制度のもとでは希望すれば誰もが奨学金を受けることができ、それこそお金
のない人でも法曹になれる道を開いた。
宮澤節生教授らが第62期弁護士に対して行った調査(「 第62期弁護士第1回
郵送調査の概要 」(94ページ、2011年、青山法務研究論集)では、以下のよ
うになっています。
旧試験組の方が負担が大きいというアンケート調査結果になっています。
旧試
新試
3
在学中
修了後、合格まで
生活費を得ること
負担
負担でない
42.0%
58.0%
24.7%
75.3%
29.3%
70.7%
学費を得ること
負担
負担でない
30.6%
41.2%
26.5%
73.5%
21.7%
52.5%
法科大学院関係者からは、以上のように借金ができることを、むしろ肯定的に評
価しています。
旧試験制度のもとでは、大学の教養課程を経ていれば、第1次試験が免除され、
誰でも受験できたことを考えると、トータルでかかる費用は、格段に旧試験制度の
方が低額で済んだことは間違いありません。法科大学院修了を司法試験受験要件と
したため、必ず通過しなければならないという意味では高コストであることは間違
いありません。
そうであったとしても、奨学金制度が充実していれば、高コストであろうとも等
しく法曹になる道は開かれているし、他方で、旧試であれば奨学金制度はないのだ
から、低コストであろうとも、法曹になれない人は出てくるのだから大きな違いが
あるということになります。
- 48 -
また、法科大学院関係者は、法曹養成(人材育成)に一定のコストがかかること
は当然という言い方になります。そして、従来の点(司法試験)での選抜とは異な
り、人に対する教育を行っている、それがプロセスによる教育であると言われ方す
るわけです。
4
要は、借金ができるようになったこと自体が素晴らしいことということになりま
す。
医師は、お金があれば医師になれると言われることがあってもお金がなければ医
師にはなれないというようなことは言われません(もっとも、裕福な家庭でなけれ
ば大学に行けないということが言われることがありますが、これは医師であろうと
旧試、法科大学院いずれも共通することなので、ここでは問題とはしません。)。奨
学金制度により医学部に行くことは可能であり、国立大学では授業料免除制度もあ
ります。
また医師となった後は、医師として勤務先が全くないということはなく、奨学金
の返済に困ることはありません 。(もちろん、勤務医が不足しているからですが、
勤務医の労働条件は過酷です。)。
司法試験に合格し、司法修習を修了すれば、多くは弁護士登録をするということ
になりますが、そのほとんどの新規登録弁護士の収入が相応のものであり、奨学金
等の返済が十分に可能であるならば、このような「お金がなければ法曹になれない。」
という批判はなかったのかもしれません。その意味では、この問題は、法曹、特に
弁護士になった場合の収入が著しく減少したことを背景にした問題でもあります。
5
しかし、法科大学院制度によるプロセスによる教育とは、単に大量の司法試験合
格者を出すにあたって質を確保するための制度的保障に過ぎず (Q11参照 )、全
員が全員、必要なわけではありません。
しかも、これだけの大増員が必要だったのかどうかも問われなければならず(法
曹人口激増に見合う需要はありません。)、高コストを合理化する根拠としては、プ
ロセスによる教育だけでは根拠薄弱と言わざるを得ません。現状では、需要もない
法曹養成を行っているが故に高コストと言わざるを得ない状態といえます。
必要な法曹人口のみを養成するという従来の旧試験制度及び司法修習制度のもと
では 、「点」であろうとも選抜機能を果たしてきたのであり、受験者側も国側も低
コストであったこと、それを敢えて高コストにしておきながら、借金ができますよ
と言ってみたところで説得力はないこと、あるいは受験者には借金ができなくても
働きながら試験を受験できたこと、を想起すべきです。
さらには、借金ができると言ってみても、それを返済する目処が立たなくなって
- 49 -
きている現状からは、借金だけが残るリスクが高くなるのですから、法曹を目指す
者にとっては全くの詭弁でしかありません。
6
司法修習生に対する給費制も同じような問題がありますので付言しておきます。
法曹の養成に関するフォーラム(2011年4月~2012年4月)は、201
1年5月に登録5年後の弁護士の収入についてアンケート調査を行い、その年収が
1400万円であったことから十分に給費制を貸与制にしても十分に返済可能など
という結論(第1次取りまとめ、2011年8月)を出しました。従来の弁護士の
収入がそのまま維持されるという大前提に立っている点で、分析というレベルのも
のではなく、最初から給費制を廃止するための「分析」であった点で、調査として
の価値もありません。確かに、これから法曹になる人たち(法科大学院の入学者)
の弁護士登録後の5年後の年収が1400万円ということになるのであれば、金持
ちしか法曹になれないなどという言われ方はしなかったかもしれません。
考えてみれば、給費制の廃止は国家予算が欠乏し、緊縮財政を目指すことを背景
にしたものでしたが、そうであれば日本経済自体が縮小していく方向なのですから、
なおさら新規登録弁護士の収入など、たかがしれたものにならざるを得ないのです。
法曹の養成に関するフォーラムで給費制廃止に賛成した委員は、よほどの分析能力
がないか、単に給費制を廃止したかったかなのですが、一線級の学者たちなのです
から、分析能力がないのではなく、後者の単に給費制を廃止したかったかだけで、
法科大学院関連の予算が削減されることを恐れたからです。
なお、司法修習生に対する給費制については 、「金持ちしか法曹になれない」か
どうかの問題とは別の意義がありますので、法科大学院生に対する奨学金とは同列
には論じられません。
Q23
法科大学院では、それまでの社会経験や活動実績なども参考にして選抜
を行うということであり、試験による能力だけの選抜よりも多様な人材を
確保できるのではないでしょうか。
1
司法審意見書では、法科大学院の入試選抜にあたっては、設問で示されたように
「入学者選抜は、公平性、開放性、多様性の確保を旨とし、入学試験のほか、学部
成績や活動実績等を総合的に考慮して合否を判定すべきである。
多様性の拡大を図るため、法学部以外の学部の出身者や社会人等を一定割合以上
入学させるべきである。」(65ページ)としています。
入学選抜において、入学試験以外の要素を考慮するということは、当然のことな
- 50 -
がら入試では合格ラインに達しない者でも、それまでの社会経験などに基づいて合
格させるべきだというものです。
2
しかし、このような選抜方法は、そもそも採用側の主観が入る点で、国家試験に
直結している入試において妥当性に疑問があるばかりか(Q14参照 )、一定の学
力に達していない者を選抜することによって、一定の学力に達していた者を不合格
にする点でも不公平であること、さらには、そのような学力に達しない者を入学さ
せた場合、司法試験合格にまで責任が持てるのか、ということが問題となります。
ここに『 ロースクールの挑戦
弁護士になって日本を変えたい』(2005年6
月発行、大宮フロンティア・ロースクールⅠ期生有志著、監修久保利英明弁護士)
という本があります。
実名で12名の学生たちがそれぞれのバックグラウンドを背景に抱負を語ってい
ます。
「大宮フロンティア・ロースクール」とは、大宮法科大学院のことであり、第二
東京弁護士会の肝いりで設立された法科大学院です。特徴としては未修者コースし
かないということです(同校は2013年度より他校と統合のため学生の募集は停
止されました。)。
学生が語る抱負というものは、多くの夢を語っているのであり、清々しいのです
が、現実に法曹になれたのかどうか、要は司法試験に合格し得たのかどうか問題で
す。残念ながらほとんど弁護士登録はされていません(2名しか確認できませんで
したが、姓が変更されていたり、もしかすると志を変えて任官されたのかもしれま
せん。)。
時折、学力よりも志だなどと言われることがありますが、こと専門職については
それはいくら何でも学力あっての志であって、志が学力をカバーすることにはなり
えません。恐ろしいことに生命に直結する医師の過疎問題でも 、「志」で論じられ
ることがありますが、本末転倒でしょう。
Q24
法科大学院を修了した法曹(修習生)の方が、プレゼン能力に長けてい
ると言われています。課題があるとはいえ、法科大学院における成果もあ
るのではないでしょうか。
1
新司法修習生に対する大規模な調査としては、2010年12月から2011年
2月に掛けて実施された「 新司法修習における弁護修習アンケート調査」がありま
す。
- 51 -
実施主体
早稲田大学臨床法学教育研究所
アンケート対象者
指導担当弁護士
日弁連及び単位会を通じてアンケート用紙が指導担当弁護士に配布されており、
日弁連が全面的にバックアップしたものとなっています。
アンケート結果は、『臨床法学セミナー第11号』(2012年3月号、早稲田大
学臨床法学教育研究所 )、その概要が『自由と正義』2012年3月に掲載されて
います。
アンケート結果をまとめたものが以下のように掲載されています。
肯定的評価
否定的評価
法律専門職としての倫理観・責任感
76.4%
20.9%
事実の分析能力
72.4%
23.1%
コミュニケーション能力
67.4%
30.0%
法的知識
61.8%
36.2%
事実の調査能力
50.1%
47.8%
書面作成
48.8%
47.8%
法情報調査
44.7%
46.4%
法情報調査を除けば、いずれも肯定的評価が上回っているとしています。
また、日弁連の「 法科大学院制度の改善に関する具体的提言」(2012年7月
13日)では、法科大学院修了生について次のように評価しています。
旧司法試験時代は,司法試験対策として,抽象的な法解釈に学修のウエイトが置か
れていたが,法科大学院では,事実に即して思考する能力の養成に重きがおかれ,法
律基本科目だけでなく法律実務基礎科目,展開・先端科目といった幅広い法分野と法
曹倫理の修得が求められるなど,法曹養成に特化したプロフェッショナル・スクール
として旧制度下における法学部,受験予備校等とは大きく異なる教育が行われている。)
(略)
そして,こうした新制度で養成された法曹については,これまでよりも総体として
多様なバックグラウンドを有しており,コミュニケーション能力,プレゼンテーショ
ン能力,判例・文献等の調査能力などに優れているといった指摘もなされている。
日弁連の提言の根拠になるのが、前掲アンケート結果のようなのですが、アンケ
ートのような感想レベルのものであれば、種々の文献には掲載されています。
もちろん、これらはすべて「感想」レベルのものであって、裏付け等があるわけ
- 52 -
でありません。早稲田大学臨床法学教育研究所が行ったのもアンケートであって、
そこで回答されるものは感想レベルのものを超えているわけではありません。
このような「感想」が随所に掲載されるようになった背景には、新法曹は質が低
いのではないかという指摘が随所からなされていることを意識したものです。その
ようなこを意識せざるを得ないくらい、質に関する指摘が多いということの裏返し
でもあります(Q34参照)。
2
ところで、アンケートの対象になっていたり、日弁連の提言の中に出てくる「能
力」とは一体、どのようなものなのでしょうか。
コミュニケーション能力(プレゼンテーション能力)
これは、法科大学院では双方向教育により、学生が自分の意見を口頭で表現でき
る能力を身につけているということのようです。
しかし、これが、何故、法科大学院における特性となるのかという根拠は不明で
す。もともと双方向教育と言ってみたところで、Q19で説明されているとおり、
単に「 一方的な講義形式の授業にはしない、学生に答えさせるなどして、その学生
の理解の程度を確かめていく」という意味を超えるものではなく、これによってコ
ミュニケーション能力が従来以上に身につく方法とは思われません。
判例・文献等の調査能力(法情報調査)
今やインターネットにより情報が飛び交う時代となり、調査能力とは、要はイン
ターネット検索能力のことを言うようです。
もちろん、そこで得られる情報を取捨選択しなければなりませんが、単に時代が
変わっただけと言うこと以上の意味はないのかもしれません。
上記アンケートを分析した臨床法学セミナー第11号の「法科大学院教育につい
ての弁護修習指導者の評価 」(早稲田大学大学院法務研究科須網隆夫教授)では、
高い評価について「インターネット等の先端的情報ツールの使用に疎い、年輩の弁
護士には若い世代の通常の能力が、すばらしく見えたのであろうか。」
(17ページ)
とあるのが参考になります。
3
法科大学院制度による成果と言われているのは、とかく旧試験に比べての批判が
多いことから、新法曹は、旧制度に比べても優れているということのアピールでし
かなく、実証的なものではないということです。
Q25
私は法科大学院を修了した者ですが、法科大学院で履修したことは、実
務法曹になっても、非常に役立っています。法科大学院そのものに存在意
- 53 -
義があるのではないでしょうか。
1
法科大学院の講義は、法科大学院によっては一線級の講師が授業を受け持ったり
しているので、その内容が質が高いということはあるでしょうし、それを聞いたこ
とによって、直接、間接に実務に役立つこともあるでしょう。
2
しかし、制度として論じる場合には、法科大学院制度の是非であって、個別の授
業の是非ではありません。
そのような講義は、法科大学院でしか拝聴することができない、という性質のも
のではないからです。
司法修習中に修習として受講することも可能です。
また弁護士登録後に研修として受講することも可能です。
その意味では、法科大学院でなければならない必然性はないという点は踏まえる
必要があります。
Q26
法科大学院では新たに行政法を必修とし、司法試験科目にも入ったこと
から、旧法曹が国には勝てないと尻込みをしていた行政訴訟を、新法曹は
積極的に取り組んでいるのでは?
1
行政法については、旧司法試験では、1999年度の試験までは選択科目となっ
ていましたが、2000年度以降は、両訴訟法が必須となったため選択科目は廃止
されました。
今時の新司法試験において、行政法は必須となりました(但し、科目としては公
法系科目の中に入ります。)。
法曹界の中で、行政法の地位が上がったのは直接には司法審意見書ですが、法科
大学院に関しては 、「法科大学院における行政法教育の充実も求められる 。」(40
ページ)とされました。
2
そのため、新法曹は行政法を学んでいるが、旧法曹は行政法は知らないし、そも
そも負けるからといって引き受けてもくれない などということがまことしやかに言
われることがあります。
しかし、試験科目の問題は、何も法科大学院制度のメリットではありません。ど
の法律科目を受験科目にするのかという試験制度の選択の問題に過ぎません。
また、旧試組は行政法を選択してないというだけで(以前は選択科目として行政
法はありましたが 。)、好みの問題はさておくとしても、能力を低くみること自体に
飛躍がありすぎます。
- 54 -
さらに、負けるから引き受けないということが事実だったとしても、それが依頼
を断るための方便でそのようなことを言っているのであれば問題ですが(以前には、
行政訴訟に限らず、このような問題があったということは事実でしょう。)、現実に
勝訴率が低いというこであれば、それを前提にして、なお訴訟を提起するかどうか
の検討が必要なのですから、これを旧試世代の弁護士の責任にしてしまうこと自体、
ナンセンスです。
3
なお、ここでいう行政訴訟に関して、念頭に置かれているのは、個人に不利益処
分が課せられている事案に対するものであって、原発問題等の許認可に対する行政
訴訟ではありません。
司法審意見書においては、「司法の行政に対するチェック機能の強化」(39ペー
ジ)とありますが、そこには具体的な提言は全くなく 、「 行政事件訴訟法の見直し
を含めた行政に対する司法審査の在り方に関して、「法の支配」の基本理念の下に、
司法及び行政の役割を見据えた総合的多角的な検討を行う必要がある。政府におい
て、本格的な検討を早急に開始すべきである。」述べるにとどまっています。
ただし、それでも方向性は冒頭で示されています。
行政に対する司法のチェック機能については、これを充実・強化し、国民の権利・
自由をより実効的に保障する観点から、行政訴訟制度を見直す必要がある。このこと
は個別の行政過程への不当な政治的圧力を阻止し、厳正な法律執行を確保しつつ、内
閣が戦略性、総合性、機動性をもって内外の諸課題に積極果敢に取り組むという行政
府本来の機能を十分に発揮させるためにも重要である。
違憲立法審査制度については、この制度が必ずしも十分に機能しないところがあっ
たとすれば、種々の背景事情が考えられるが、違憲立法審査権行使の終審裁判所であ
る最高裁判所が極めて多くの上告事件を抱え、例えばアメリカ連邦最高裁判所と違っ
て、憲法問題に取り組む態勢をとりにくいという事情を指摘しえよう。上告事件数を
どの程度絞り込めるか、大法廷と小法廷の関係を見直し、大法廷が主導権をとって憲
法問題等重大事件に専念できる態勢がとれないか、等々が検討に値しよう。また、最
高裁判所裁判官の選任等の在り方についても、工夫の余地があろう。
ここで念頭においているのは、規制緩和政策をより実行的にするために司法の行
政に対するチェック機能を強化しようということです。
それに続いて、違憲立法審査権の在り方が記述されているのが興味深いところで
す。これまで最高裁を始め、司法権は違憲立法審査権の行使に極めて消極的でした。
- 55 -
日米安全保障条約や自衛隊に対する判断は、統治行為論によってことごとく憲法判
断を回避しています。
司法審において違憲立法審査権の在り方を論じているのは、日米安保条約や自衛
隊法に対して積極的に違憲判断を下して欲しいからという趣旨ではなく、経済行為
に対する行政規制や立法規制に対して、国会を通すまでもなく、迅速に直接的にそ
れを取り払える手段として司法権及び違憲立法審査権を位置づけているということ
です。
第4章
Q27
法科大学院制度の内容の課題
法科大学院は、全国に適正配置が必要と言われています。地元に法科大
学院があるということが、地元定着をもたらす意味でも重要なことではな
いでしょうか。
1
法科大学院における適正配置についは、全国に適性に配置することによって、法
科大学院入学を希望する者の便宜という側面と、誕生した法曹を養成した法科大学
院の所在地域に定着させることを目的とする側面の2つが指摘されています。
例えていうならば、医学部は、各県に1つはあり、地域医療を担う医師の育成と
いうようなものです(但し、この理念が正しいのかどうかは要検討です。)。
現在、全国に69の法科大学院があり(既に閉校を宣言した法科大学院を除いた
数です。)、全国各地に設立されています。
医学部のように都道府県各1校ではありませんが、一応、全国に配置されている
とはいえます。
2
では、全国への適正配置は、法科大学院制度にとって必須のものなのでしょうか。
司法審意見書では、制度設計の考え方として、
「 法科大学院の設置については、適正な教育水準の確保を条件として、関係者の自
発的創意を基本にしつつ、全国的な適正配置となるよう配慮すること」(63ペー
ジ)
としています。
司法試験を受験するためには、原則として法科大学院を修了していなければなり
ませんから、法科大学院が地元になければ、地元から離れて法科大学院に通学する
必要があります。
小中学校の義務教育ではもちろん、高校も保護者のもとから通学するのが当然の
前提ですから、各地域に設置されなければなりません。
- 56 -
2012年8月時点(閉校宣言した法科大学院を除く)
ブロック
北海道
都道府県
北海道
東北
宮城県
関東
栃木県
埼玉県
茨城県
千葉県
東京都
神奈川県
中部
山梨県
長野県
新潟県
石川県
静岡県
愛知県
近畿
京都府
大阪府
兵庫県
中国
四国
九州
岡山県
広島県
島根県
香川県
福岡県
熊本県
鹿児島県
沖縄県
大学
北海道大学
北海学園大学
東北大学
東北学院大学
白鴎大学
獨協大学
筑波大学
千葉大学
東京大学
一橋大学
首都大学東京
青山学院大学
学習院大学
慶應義塾大学
國學院大學
駒澤大学
上智大学
成蹊大学
専修大学
創価大学
大東文化大学
中央大学
東海大学
東洋大学
日本大学
法政大学
明治大学
立教大学
早稲田大学
横浜国立大学
神奈川大学
関東学院大学
桐蔭横浜大学
山梨学院大学
信州大学
新潟大学
金沢大学
静岡大学
名古屋大学
愛知大学
愛知学院大学
中京大学
南山大学
名城大学
京都大学
京都産業大学
同志社大学
立命館大学
龍谷大学
大阪大学
大阪市立大学
大阪学院大学
関西大学
近畿大学
神戸大学
関西学院大学
甲南大学
岡山大学
広島大学
広島修道大学
島根大学
香川大学
九州大学
久留米大学
西南学院大学
福岡大学
熊本大学
鹿児島大学
琉球大学
定数
県別定数
80
25
80
30
20
30
36
40
240
85
52
50
50
230
40
36
90
45
55
35
40
270
30
40
80
80
170
65
270
40
35
25
50
35
18
35
25
20
70
30
25
25
40
40
160
32
120
130
25
80
60
30
100
40
80
100
50
45
48
30
20
20
80
30
35
30
22
15
22
ブロック別定数
105
105
110
110
20
30
36
40
2,053
2,329
150
35
18
35
25
20
230
363
467
1,007
310
230
45
78
20
20
175
143
20
234
22
15
22
これに対し、大学は、全国各地にある中から選択しますが、地方から首都圏にあ
る大学(国公立私立を問わず)に行く、逆に首都圏から地方の大学に行く場合には、
ほぼ国公立の大学が選択されますが、いずれにしても、高校卒業後は、学生の大移
動という現象が国内で起きます。もちろん、地元の大学に行く学生もいますが、決
して、このような大移動が例外的なことではないということです。
- 57 -
ところで、現在の状況は、地元志向が強まっ
ているというように言われていますが、地方か
ら首都圏の大学に行くことが、この大不況の下
で経済的に困難になってきているからです。
さて、法科大学院の場合、特別に地元でなけ
従来の「地元志向」とは異な
る「親から離れたくない」とい
う「地元志向」も増えているよ
うです。これは無視します。
ればならないという必然性はありません。
既に法科大学院は、Q4で述べたとおり、法科大学院間の格差が歴然としてしま
っている状況の下で、地元の法科大学院に入りたいでしょ、と言ってみたところで、
そうですねということにはなりません。いくら入学する学生自身の質次第と言って
みたとしても、現状ではどの法科大学院でもよいということにはならないのです。
また、地元に法科大学院があるから法曹を目指すんだということであるならば、
各都道府県に1つは設置されていなければならなくなりますし、むしろ、法科大学
院が地元になければ法曹を目指さないというのであれば、法科大学院制度そのもの
が法曹になるための障壁になっていると言わざるを得ません。
仮に法科大学院制度を絶対の前提とするのであれば、一定の水準を保持した法科
大学院を首都圏を中心に設置し、学生に対する経済的保障の下で維持されるべきも
のであり、全国適正配置が必然的な選択肢ではないのです。
なお、適正配置の理由の1つに家庭の事情等が言われることがありますが、そう
なると司法修習すら困難になってしまうことになります。家庭の事情を理由にする
には無理があります。
3
さらに地元に法曹を根付かせるために適正配置が必要であると主張されることが
ありますが、これもとってつけた理由に過ぎません。
司法審意見書ですら、この適正配置は、通学の便のために要請しているものであ
って、弁護士の地域的偏在解消のための手段としては位置づけられていません。
「(3)
公平性、開放性、多様性の確保」の中で以下のように要請されているだけ
です。
○地域を考慮した全国的な適正配置に配慮すべきである。
○夜間大学院や通信制大学院を整備すべきである。
○奨学金、教育ローン、授業料免除制度等の各種の支援制度を十分に整備・活用すべ
きである。
あくまで司法審のいう「公平性、開放性、多様性の確保」のために適正配置を求
- 58 -
めただけであって、弁護士の地域的偏在の問題とは関係がありません。
地域の特性ということが根拠に上げられることがあります。朝日新聞2011年
12月18日付では、静岡大学法科大学院長である田中克志氏がインタビューに対
して、次のように答えています。
「地域の特性をよく知る法律家を育てる意味は大きい。また教育環境整備や人材
育成という点から見ても地元に法科大学院があるというのは重要だと思っていま
す。」
地域の特性と言ってみたところで、法科大学院で行えるカリキュラムには限界が
ありますし(Q21参照 )、そもそも地域の特性とは一体何なのかが不明です。各
県ごとによって異なるのは 条例ですが、その条例がカリキュラムに組まれていると
も思えませんし、仮にそのようなカリキュラムがあったとしても、何の意味もなく、
選択科目であれば、よほどの物好きでもなければ、そのような科目を選択するはず
もありません。また法の運用が独自のものということであれば(破産手続などは、
地裁ごとに特色があります 。)、その程度のものであれば、法曹となってから学べば
足ります。
しかも、弁護士の地域的偏在は、既に解消されています。それに大きな役割を果
たしたのが日本全国の裁判所本庁のあるところすべてで実務修習が実施されたこと
です。
このようにみても、地域司法を目的に適正配置の問題として語るには無理があり
ます。
4
各法科大学院の格差の拡大ともあいまって地域適正配置という要請は破綻したと
いうべきでしょう。
Q28
法科大学院制度では、司法審は、夜間と通信を上げていましたが、夜間
は低迷、通信は具体化されていません。現実には困難だったということで
しょうか。
1
司法審意見書(69ページ)では、次のように述べます。
「地域を考慮した全国的な適正配置に配慮するとともに、夜間大学院等の多様な形
態により、社会人等が容易に学ぶことができるよう法科大学院の公平性、開放性、
多様性の確保に努めるべきである。通信制大学院についても、法科大学院の教育方
法との関連で検討すべき課題は残っているが、高度情報通信技術の発展等を視野に
入れつつ、積極的に対応すべきである。」
- 59 -
実際には、夜間法科大学院は苦戦していますし、通信制法科大学院は未だ設立の
基準すら具体化されていません。本当にこのような制度が可能なのでしょうか。
2
夜間の法科大学院について
現在、夜間の法科大学院があるのは、次の通りです。
桐蔭横浜大学大学院、北海学園大学大学院、筑波大学大学院、成蹊大学大学院、
名城大学大学院
夜間法科大学院は、修業年限は3年を超えることも認められています。しかし、
実際には、極めて厳しい状況にあります。北海学園法科大学院では夜間での入学者
は2012年度は0人でした。
その原因としては、勉学と仕事の両立が難しいということに尽きます 。「プロセ
ス」を売りにしている法科大学院制度ですから、現実に一定の期間をそこに費やす
ことが前提であり、働きながら通学というのは、制度設計として、明らかに無理が
あります。通学するということは、当人の理解度とは関係なく、必ず一定の時間は
法科大学院のための時間として拘束されるということです
しかも働きながらといのは、結局のところその人にも生活がかかっていて、仕事
を辞められないからにすぎないということの裏返しですが(その勤務先に戻る予定
であれば別でしょうが。)、それでは参入障壁そのものでしょう。予備試験について
も例外として位置づけよと主張しているのが法科大学院関係者ですから、本来であ
れば、退職して法科大学院に入学するのが、予定していた在り方というのが当然の
帰結になります。生活のために仕事が止められないというのは矛盾なのです。
法科大学院の夜間制度自体が矛盾を抱えていた制度といえます。
3
通信制の法科大学院について
もともと法科大学院構想が、少人数による双方向教育ということを理念としてい
るため、通信制を具体化するような基準作りが困難であることから実現していない
のですが、当初から検討課題とされていたように、実現可能性はないものと思われ
ます。
Q29
法科大学院修了者の座談会などをみますと、よく言われているのが、
「法
科大学院制度があったからこそ私は法曹(弁護士)になれた。」というもの
ですが、法科大学院制度は、法曹への門戸を広げたと評価できるのではな
いでしょうか。
1
法科大学院制度ができたからこそ、法曹(弁護士)になれたと言われることがあ
- 60 -
ります。
例えば、弁政連NEWS
大学院出身者の新進法曹
JAN.27号(2012年1月発行)では 、「法科
大いに語る」という企画の中で4名の新人弁護士との対
談が掲載されています。
特に、日吉由美子氏(新61期)は、種々のシンポジウムで発言されたり、中教
審大学分科会法科大学院部会の委員(2011年6月~)となっている方ですが、
「(略)が、法曹を目指した直接的な動機です。ただ、その当時旧試験だったので、
実際は無理だなと思っていたら、風の便りにロースクールなるもんができるらしい
と聞いて、まさしく皆さんも無謀だとおっしゃるのですが、無謀中の無謀でとにか
く、後先考えずに飛び込んだのです。」(3ページ)と語っています。
2
ここでいう法科大学院制度でなければならない必然性があったのかどうかという
ことが問題になります。
その動機付けに法科大学院制度ができた、ということが言われることがあります
が、確かに、法科大学院制度設立初期の頃であれば、多くの人が7~8割が合格で
きると信じていた状況がありましたから、大いにきっかけにはなったでしょう。日
吉由美子氏の発言は、どうもこのきっかけ(動機)にしか読めません。
そして、現状では、もはや法科大学院に行こうという動機付けになる状況にはな
く、法科大学院があるからこそ法曹になることを断念したという人の方が多くなら
らざるを得ないといえます。それは、その後の志望者の激減によって如実に表れて
います。
3
それから重要な点としては、司法試験合格者数を激増させている点です。従来の
狭き門では通らなかったかもしれないがというのであれば、それは法科大学院制度
というよりも、司法試験合格者数の激増により、法曹になれたという方が正しいと
いうことになります。
もともと従来の狭き門でもパスするような人であれば、法科大学院制度がなくて
も、十分に法曹になることはできたのです。
その意味では、設問にあるような座談会は、法科大学院制度の宣伝のためのもの
と評価すべきものであり、真に受けてはいけません。
Q30
1
法科大学院において、厳格な成績評価、修了認定は可能なのでしょうか。
法科大学院においては、各種カリキュラムが用意されており、それぞれの必修科
目、選択科目の単位を取得し、必要単位数を取得すれば、進級、修了となります。
- 61 -
そこで重要になってくるのは、最終的には修了認定ですが、その前提としての個
々の科目での学生に対する成績評価の在り方です。
大学における単位取得は甘いと言われていましたが、こと法科大学院においては
司法試験受験資格に直結していることから、個々の成績評価も厳格になされる必要
があります。
また、この厳格な成績評価は、司法審意見書も要請しているところであり、司法
試験を法科大学院教育に合わせたものに変革していくための大前提とされています
(Q13参照)。
では、このような厳格な成績評価は、可能なのでしょうか。もちろん、受験資格
に直結していることから、当該科目を選択した学生間のみならず、全国で平等、公
平な取り扱いが可能なのかどうかということです。特に必修科目については、その
ような要請が強く働きます。
この法科大学院では厳格だが、この法科大学院では甘いという批評のされ方をさ
れることがあり、決して公平ではないのでないかということが問題とされているの
です。
現在、法科大学院でも導入が指導されているGPA方式ですが、各法科大学院で
の導入の有無はバラバラであり、内容(算定方法)についても一般的ではない方法
を導入しているところもあり、各法科大学院間の比較自体が困難であるとも言われ
ています(総務省「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価」(2
012年4月、201ページ)。
GPAの算出方法:成績を100点満点に換算した上で60点以上を合格とし、
合格の中でも10点刻みに4段階(例:評価の高い順にA + (90点以上):
4点、A (80点以上): 3点、B (70点以上):2点、C (60点以上)
:1点)のポイントをつけて評価するのが一般的
2
個々のカリキュラムにおいて担当教官が厳格に成績評価を行うことは可能であっ
ても、それが公平になしうるかといえば、教員にも差があることから、事実上、不
可能でしょう。
必修科目とはいえ、統一的な教科書を用いたり、教員間での意見交換を行ってい
るわけでもなく、公平というものは制度上も不可能といえます。
これに対し、司法試験は厳格な採点が行われています(Q8参照)。
研修所教育においては、クラスごとに分かれますが(従前は、前期・後期修習、
現在は集合修習)、指導すべき内容については教官間で打ち合わせも行われており、
等しく教育が行われています。
- 62 -
最終的な国家資格である司法試験や司法修習と比較することは、無理はあります
が、しかし、それらと比較してみると、いかに司法試験が厳格に採点され、司法修
習が厳選されたものであるかがわかります。
3
なお、厳格な成績評価や修了認定を行えば行うほど、法科大学院には入学したも
のの、修了認定がなされる前に途中で退学ということになる学生が増えていくこと
になります。
これでは プロセスによる教育とはいうものの、最後まで面倒をみることなく、途
中で切り捨てる結果となっています。
これで修了者の質が高くなると言ってみたところで、学生にしてみれば、何故、
入学試験をパスさせたんだということになりかねません。
ましてや現時点では、未修者コースの3割もの人が修了認定を得られていません
が、プロセスによる養成そのものに無理があったのではないかを再検討すべきとい
うことでもあります。
Q31
未修者コースの低迷が言われています。これを打開する解決策はありま
すか。
1
未修者コースについては、合格率の低迷、さらに最近では、1年次から2年次へ
の進級率が低下している現状の下、未修者コースへの志望者が減少しています。
以下のとおり、未修者の問題は数字上も明らかになっています。
1年次から2年次の進級率
全体
2004年度
94.7%
2005年度
92.9%
2006年度
89.5%
2007年度
87.5%
2008年度
84.8%
2009年度
79.0%
2010年度
75.8%
2011年度
76.3%
※2012年度は、現時点で未発表
うち法学部出身
うち社会人
95.0%
95.9%
94.3%
94.8%
90.9%
92.0%
88.7%
89.0%
85.7%
87.0%
79.9%
78.2%
77.4%
76.1%
78.2%
84.1%
うち非法学部出身
うち社会人
94.3%
94.5%
90.7%
90.5%
87.3%
87.1%
85.1%
88.4%
83.2%
84.5%
77.1%
75.3%
72.3%
72.1%
72.4%
69.4%
進級率は、2011年社会人に例外現象があるのみで低下の一途です。これは、もち
ろん、文科省より進級に関して厳格化せよという要請があったことも背景事情の1つで
す。
- 63 -
司法試験合格率の比較
全体
2006年度
2007年度
2008年度
2009年度
2010年度
2011年度
2012年度
48.3%
40.2%
33.0%
27.6%
25.4%
23.5%
25.1%
48.3%
46.0%
44.3%
38.7%
37.0%
35.4%
既修者
法学部出身 非法学部出身
48.8%
44.6%
46.3%
43.2%
44.5%
42.9%
39.4%
33.6%
37.3%
35.1%
36.6%
27.0%
未修者
法学部出身
32.3%
22.5%
18.9%
17.3%
16.2%
非法学部出身
32.1%
22.1%
18.6%
18.4%
17.2%
32.7%
23.1%
19.4%
15.1%
14.3%
※2012年度は、現時点で未発表
2
司法審の意見書によれば、法科大学院においては3年コース(未修)が原則であ
り、例外として、短縮型として2年での修了(既修者コース)を認めるとしていま
す(同意見書65ページ)。
既修者コースは、法律学の試験を受けた上での入学ですが、これに対して、未修
者コースに対しては、一切の法律学の試験はありません。全く法律を知らなくても
よいということになっています。
そうなると、2年次に進級するにあっては、既修者コースと同等の学力を身につ
けている必要があり、1年間で、このレベルに達しなければならないということに
なります。
もちろん、それが可能な学生もいます(実際には、法学部出身でありながら、未
修者コースに入学してくる、いわゆる「隠れ既修」が増えているのが現実で、純粋
未修者はそれ以上に減っています。)。
しかし問題になるのは、純粋未修で1年間で修得し得た学生は、法科大学院にお
ける授業の内容というよりも、もともとそのような素養があったから、1年間での
習得が可能であったというべきものです。カリキュラムの内容や教員の教え方によ
って大きな差が出るとは思われないことは、Q6でも述べたとおりであり、上位校
の教員が下位校の学生に同じカリキュラムで教えたとしても、上位校と同じ結果は
出せない、ということでもあります。
従って、一番問題になるのは、入試における選抜ということになります。
3
では、入試等の選抜によって、今後、法的素養を身につけることが可能かどうか
の見極めは可能なのでしょうか。
まず適性試験については、Q17で述べたとおり、この適性試験をパスしたから
といって、今後の学修によって法的素養を身につけることが可能かどうかは未知数
と言わざるを得ません。
また、選抜において司法審意見書がいうような「入学者選抜は、公平性、開放性、
多様性の確保を旨とし、入学試験のほか、学部成績や活動実績等を総合的に考慮し
- 64 -
て合否を判定すべきである 。」(65ページ)としてしまうと、入試の成績が悪くて
も他の要素で合格させてもよいということを意味しますから(入試の成績が合格水
準に達していれば他の要素を考慮するまでもなく合格とすれば足ります。)、入試に
合格したことに喜ぶよりも、その学生にとっては、その後に厳しいものが待ってい
るという現実にぶつかることになります。
仮に、本来の水準に達していないのに、その法科大学院の判断で修了させること
ができたとしても、それでは司法試験に合格することは困難にならざるを得ません。
各法科大学院においても、下位校になればなるほど、受験志望者が少なく、その
結果、事実上の「全入」となっていました。文科省の指導により競争率2倍を確保
せよということで、ジャスト2倍の競争率を確保した法科大学院が多数ありました
が(Q5参照)、もはや入試の選抜機能は失われているのが実情です。
では、上位校はどうかといえば、上位校といえども既修者と未修者の司法試験合
格率には歴然たる差があります。
累積合格率による比較
累積合格率
既修
未修
1 一橋
76.4%
81.6%
61.2%
2 東京
71.1%
80.2%
48.1%
3 京都
70.7%
78.6%
44.0%
4 慶応義塾
69.4%
76.3%
50.4%
5 神戸
68.0%
74.2%
48.4%
※平成23年度までのものの累積
4
そうなると、結局、未修者コースを復活させるための方法は、①司法試験におけ
る短答式試験の範囲の限定など未修者に不利にならないようにする、②合格者数そ
のものを増加させる、ということしかありません(①はQ13、②はQ20参照)。
まさにこれが司法審意見書の目的であり、方法だったのですから、未修者コース
の低迷している数字だけをもって未修者コースの破綻というのは、前提が異なる以
上、議論がかみ合っていないということにはなります。
結局、この未修者コースの問題は、法曹人口激増政策の是非という問題に直結す
ることになります。
第5章
Q32
司法修習との関係
司法修習は、司法研修所で行われてきましたが、これまで日弁連は官か
らの支配脱却を主張していたのですから、法科大学院制度は願ったり適っ
- 65 -
たりであり、司法修習の縮小は望ましい方向なのではないですか。
1
司法研修所は、ご承知のとおり、最高裁の監督下にあります。司法修習生となる
ためには、最高裁が任命し、しかも、罷免については事実上の自由裁量となってい
ます。
濫用的罷免があるかもしれませんが、裁判所に訴えを提起してみたところで、最
高裁が判断者ですから、どうなるものでもありません。
(なお、最高裁司法修習委員会では、罷免等については、修習生の身分に関わるこ
とから、聴聞の機会の付与などの規則化を検討するようです。)
研修所教育も、裁判官養成であるかのような要件事実教育に偏したものという評
価がなされることもありますし、事実上の裁判官、検察官のリクルートの場と化し
てしまっており、弁護士になっても就職難という状況の下では、必然的に任官希望
者が増えていくことになり、修習生全体が管理されていくという側面も出てくるで
しょう。
しかも、司法研修所は、司法修習生の独自の活動(従来の「春の集会」の開催な
ど)を嫌う傾向がありました。
2
では、このような研修所であれば廃止して法科大学院制度の方がよいということ
になるのでしょうか。
しかし、そこにはあまりに飛躍がありすぎます。
現実には法科大学院は文科省の監督下にありますし、大学の自治と言ってみたと
ころで、文科省による統制の下、学長権限が強化され、あるいは予算によって大学
を締め付けることなどたやすいという状況があります。
その意味ではどっちもどっちというレベルであり、研修所か大学かなどというの
は、本質的な問題ではありません。
論者の中には、弁護士会が法科大学院の運営の主体を握ればよいという主張もあ
り、第二東京弁護士会が肩入れした大宮法科大学院大学がありましたが、それだけ
で官から脱却したというのは飛躍がありすぎます。
3
この問題は、官からの支配脱却というのであれば、相応の権力側との闘いが必要
なのであって、法科大学院ができたから官から脱却できるという単純なものではな
いのです。
一連の司法改革の中で、一部の弁護士からは、今時の司法改革を、官からの脱却
のチャンスであるかのような発想で主張されることがあり、このような主張は、司
法「改革」全般で見られるのですが、根本的な視点において誤りがあると言わざる
- 66 -
を得ません。
司法研修所に対する最高裁の支配が問題というのであれば、それに焦点を当てた
闘いが必要なのであって、司法研修所を廃止して法科大学院に移行すればよいとい
うことで解決する問題ではないのです。
また、司法研修所の管理統制というデメリットを考えても、なお分野別(実務)
修習など、変えがたい内容を含むものであり、一層、修習を発展させる方向、まず
は従来の前期修習を復活させる運動こそ重要なのです。
Q33
現在、司法修習期間は1年と従来の半分となりました。最高裁が示す修
習の目的に問題はないのでしょうか。
1
司法修習期間は当初は2年間でしたが、司法修習生の数が増えるにつれて、修習
期間はその都度、短縮されていきました。
合格者数
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
50期
51期
52期
53期
54期
55期
56期
57期
58期
59期
旧60期
旧61期
旧62期
旧63期
旧64期
旧65期
(口述のみ)
738
734
746
812
1,000
994
990
1,183
1,170
1,483
1,464
549
248
144
92
59
6
修習期間
2年
1年6月
新60期
新61期
1年4月 新62期
新63期
新64期
1年
65期
66期
合格者数
修習期間
1,009
1,851
2,065
1年
2,043
2,074
2,063
2,102
※新旧区別があるのは 64 期まで。
2
従来、2年間で行っていた司法修習の期間を短縮するわけですから、行える修習
にも限界が出てきます。
法曹人口激増政策のもとで、新司法修習をどのようにすべきかという議論の中で、
司法修習の目的自体が変更されることになります。
最高裁が作成した資料(最高裁司法修習委員会第2回(2003年9月12日)
に提出された資料より)によると以下のようになります。
旧制度
司法試験合格者に対し、法曹として活動を始めるのに必要な知識、
- 67 -
技能などを養成する実践的・体系的な専門職業教育
新制度
幅広い法曹の活動に共通して必要なスキルとマインドの養成
法科大学院教育を前提として、生きた事件を素材とする実践的・体
系的な法律実務教育
そして、それを元に司法修習委員会で議論された結果、最高裁司法修習委員会で
2004年7月2日に取りまとめた「 議論の取りまとめ」によると以下のようにな
ります。
これから求められる資質(概略)
我が国社会経済の構造的な変動に伴い,司法に対する需要は,国民生活の
様々な場面において,量的にますます増大するとともに,質的にも一層多様
化・高度化しつつある。そこで,これからの法曹には,従来,法曹の主たる
活動領域とされていた法廷活動のための知識・技能にとどまらず,多様でよ
り専門的な法律知識・能力を身に付けることが求められる。また,法曹がそ
の職務を適切に行うためには,法律に関する知識のみならず,周辺諸科学に
ついての知識や,その判断が社会から遊離しないための健全な常識を備えて
いる必要がある。
司法修習の意義・理念
○司法修習においては,法廷活動に限られない幅広い分野における法的ニー
ズに的確に応えられる法曹を養成するため,法科大学院における教育及び法
曹資格取得後の継続教育(OJTを含む 。)との有機的な連携と役割分担 を
図ることが不可欠である。
○ 司法修習においては,幅広い法曹の活動に共通して必要とされる,法的問
題の解決のための基本的な実務的知識・技法と,法曹としての思考方法,倫
理観,心構え,見識等-これらを標語的にまとめるとすれば ,「 法曹として
の基本的なスキルとマインド」と表現することもできよう-の養成に焦点を
絞った教育を行うことが適当である。
○ 司法修習では,事情聴取をはじめとする事実調査の能力,複雑な事実の中
から法的に重要な事実を選び出して構成する法的分析能力,錯そうする証拠
から的確に事実を認定する能力,法的問題について分かりやすく説得的に表
現する能力の養成に重点を置くことが相当である。
3
従前の法曹教育が法廷活動を中心に考えられてきたというものですが、それは、
- 68 -
最終的には裁判所が判断を下すという意味において、法曹は裁判実務を熟知する必
要があるからです。
もちろん、実務に追随する趣旨ではなく、あくまで解決方法、見通しとして判断
する能力などを身につけることにあります。
これに対し、新しい司法修習では、何とそれに加えて、さらに「多様でより専門
的な法律知識・能力を身に付けることが求められる」というのです。修習期間は短
縮されていながら、求めるものは増えているように読めます。
他方で、修習の意義、理念からは、従来、前期修習でやっていたような訴状、判
決、起訴状のような起案は必要はない、そのようなものは書式さえ与えれば、実務
に入ってからのOJTに委ねるべきものであると位置づけられています。
だから従来の前期修習は必要ないと結論付けます。
もちろん、書式が重要かといえばたいした問題ではなく、従来の民事・刑事裁判
修習こそが拘りすぎていただけともいえます。
また、修習の在り方との関連で、法科大学院で行うべきカリキュラムの内容もそ
れによって「有機的な連携」をすることになります。
その点は、司法修習委員会の会議の中では繰り返し確認されています。わかりや
すいと思われる発言を引用してみます 。(司法修習委員会第17回議事録、201
0年9月1日開催)
(酒巻匡委員、京都大学大学院法学研究科教授)
法科大学院教育と実務修習の接合部分については,この数年来ずっと当委
員会で何度も確認してきたことであるが,それにもかからず,いまだに法科
大学院教育というもの,特に法科大学院が実務に関して何を教育しているの
かということについての理解,それから,昔の前期修習を受けてきた方にと
っての前期修習のイメージと法科大学院の実務教育のイメージが不幸にして
重なったことなどの,根本的な誤解に基づいて議論されている印象が強い。
法科大学院では,かつての前期修習でやっていたようなことはやらず,む
しろ起訴状や判決書に何を書くべきか,材料,証拠に基づいてどういう分析
をすべきか,書くべきものの前提になる大きなものの考え方を教えるもので
あると思われる。
(笠井之彦幹事、司法研修所事務局長)
新司法修習における,法科大学院教育と司法修習の関係あるいは司法修習
の到達目標については当委員会でも議論してきたところである。
- 69 -
まず,法科大学院において,前期修習に相当する教育が行われるという点
については,法科大学院では,実務を意識した法理論教育,あるいは法理論
と実務の架橋という意味での実務導入教育が行われるものであって,従来の
法廷実務家の養成を前提にした司法修習,それを前提とした前期修習を行う
ことは想定されていない。このことは第13回の当委員会においても確認さ
れているところである。
実際の実務修習のやり方については、以下の発言によって整理されています(同
上)。
(石井誠一郎幹事、元民事弁護教官)
現在の集合修習においては,いわゆる表題部,事件番号や代理人の名称を
書かせて,フルに起案をさせるということは,もうしておらず,例えば,あ
る一つの法的な主張に絞って,その部分に関して証拠と関連付けて文書で書
けという起案をさせている。したがって,起案で求める内容は質的に変わっ
ていると理解していただいてよい。修習指導担当弁護士は,修習生が最終準
備書面を書けるようにならなくてはならないということで困っておられるよ
うであるが,もうその必要はない
(二瓶茂幹事、元刑事弁護教官)
本年度からは,裁判所に提出することを前提に書面を作成し,準備をさせ
るということ自体は,余り意味を持つものではないと考え,その前提となる
事実の認定能力,証拠の分析能力や表現力,構成力,説得力といったものに
主眼を置いた訓練が必要なのではないかというふうに考え方を改めている。
(略)
最終的な弁論要旨を書かせるというのが指導の仕方,あるいは研修所とし
て求める起案であった。しかし,今はそうではなく,証拠について,証拠が
出されるそのプロセスを考えさせたり,手続の最終的な段階にとどまらず,
証拠調べの段階,あるいはそれ以前の段階や主張の整理の段階で何か考えら
れないかといったように,もっと刑事手続を幅広くとらえて,その時点その
時点でさまざまに考えさせるようにしている。最終的な弁論要旨を書かせる
にしても,すべてを検討させるというよりも,むしろ重要と思われる事項に
ついて深く具体的に考えさせ,そういう中で証拠の評価の仕方や,あるいは
事実の認定の仕方,あるいは説得力を持った文章を構成していくような能力
- 70 -
を修習生に学ばせたいと考えて取り組んでいる。
要は、実務(分野別)修習を担当する指導する者は、以上のような視点に従って、
修習生を指導し、考えさせることをすべきであるというものです。
4
このように司法修習の目的と意義は、はっきりと変わってしまいました。
短い期間での修習のため、従来通りにはできない、そのため、個別の論点を提供
するから考えてね、という以上のものではありません。幅広く考えさせる旨の発言
もありますが、要は、それ以上のことはできない、という意味に過ぎません。
従来の司法修習といえども、そのようなことは当然に行ってきたというべきもの
です。
5
むしろ、前期修習を行わないということの意味(マイナス部分)を考えるべきで
す。
この最高裁司法修習委員会では、修習指導担当弁護士が分野別(実務)修習での
修習生の対応に苦慮していることが伝えられています。
そこでは、大雑把にいえば、訴状や準備書面などを起案させてみても、修習生が
実務や訴状等のイメージがないために、修習が円滑に進まないというものです。起
案はともかくとしても、実務のイメージがない中でいきなり、この点についてどう
思うと言ってみたところで、修習生は右往左往するだけでしょう。
従前の前期修習では、最初の3~4ヶ月(実施年度によって異なります。)、座学
としての修習があり、訴状等の起案等だけでなく実務も含めた、だいたいのイメー
ジはつかんでいました。
その前期修習がなくなっため、法科大学院修了後、いきなり実務修習に入るとい
うことになるため、従前とは全く様相が異なってしまったということです。
もちろん、これは訴状等の書式を知っているかどうかという問題ではありません。
そのようなものは形式的なことであり、マニュアル化された時代だからこそ、何と
でもなります。
そうではなく、司法修習を受けるにあたり、今後、行われる実務修習に入る前に、
全体として、どのような実務になっているのか一通り学修してから実務に入ること
が必要だということです。また法曹とは何かということについて、目指すべき理念
を座学の中からも学んでいくことが重要なのです。
今時の最高裁司法修習委員会では、実務修習における生の事件についても、その
事件を通して全体像を見通すというよりは、個別の論点ごとに、修習生に考えさせ
るということに力点を置いているというに説明されます。いきなり右も左もわから
- 71 -
ないまま実務の中に放り込まれ、しかも分野別はそれぞれ2ヶ月で修了してしまう
ということになると、現場の修習生は戸惑うばかりでしょう。
「要は,法廷実務家に固有の書面の形式等に関する知識の修得よりも実質的な法
的分析能力や事実認定能力の涵養に向けた指導を行うことが重要であることを繰り
返し説明している」(最高裁司法修習委員会第19回議事録8ページ参照)という
ように、事件は1つの素材にすぎないわけです。
これは、 法廷を前提にした法曹を育成しているわけではないということにも関連
するのですが、事件全体を扱うことが修習生の激増と修習期間の短縮によって不可
能となってしまったことから、前期修習を廃止するために修習の獲得目標そのもの
を変更してしまったのです。これでは、前期修習は不要と言われても、到底、納得
できるものではありません。
しかも、法廷を前提にしない法曹の育成ですから、その後は、前掲「議論のとり
まとめ」によれば、各分野でのOJTに委ねることになるとあり、そうであるなら
ば、法廷を前提にした法曹の場合、バックアップ体制のない即独などは想定されて
ないということになります。
比較的規模の小さい弁護士会であれば、まだ即独弁護士に対するバックアップは
可能なのでしょうが、東京のような大規模会では、OJTの機会を得ることは絶望
的といえます。バックアップ体制のない即独弁護士が増えている現状は背理であり、
司法修習の獲得目標の変更とも相まって、法曹養成制度全体の破綻ともいえ、司法
修習に限らず、法曹養成の全体像に一貫性がないことの表れともいえます。
6
修習の目的の1つに法曹三者の相互の理解というものがあります。しかし、前期
修習の廃止、分野別はそれぞれ2ヶ月ということでは、このような短期間に相互の
理解と言ってみたところで無理があります。
現状でも修習生の人数の増大に伴い、各分野別修習においても、単なる見学レベ
ルとなり、お客様扱いとなっています。
修習期間は、あまりに短すぎて形骸化が著しいと言わざるを得ません。
Q34
司法修習の修了認定試験である考試(2回試験)の不合格者は従来と比
べて多いようですが、法科大学院での教育がうまくいっていないというこ
とでしょうか。
1
2回試験の不合格(合格留保を含む)状況は、以下のとおりです。
- 72 -
旧制度
受験者数
50期
51期
52期
53期
54期
55期
56期
57期
58期
59期
727
729
743
789
979
990
1,006
1,183
1,189
1,493
合格者数
722
729
740
770
963
979
995
1,137
1,158
1,386
不合格者数
合格留保
0
0
0
0
0
1
0
3
1
10
5
0
3
19
16
10
11
43
30
97
不 合 格 + 合 不合格及び合
格留の計
格留保の率
5
0.7%
0
0.0%
3
0.4%
19
2.4%
16
1.6%
11
1.1%
11
1.1%
46
3.9%
31
2.6%
107
7.2%
新制度と旧制度が併存しているときのものですが、これ以降は、合格留保の制度はな
くなりました。
旧60期
旧61期
旧62期
旧63期
旧64期
受験者数
合格者数
不合格者数 不合格率
1,453
1,393
60
4.1%
569
549
20
3.5%
263
254
9
3.4%
148
136
12
8.1%
83
69
14
16.9%
新60期
新61期
新62期
新63期
新64期
986
1,811
2,044
2,016
1,968
927
1,710
1,974
1,931
1,912
59
101
70
85
56
6.0%
5.6%
3.4% ※この数字は、新旧いずれも新規で受験
4.2% した者のみであり、再受験者は除外して
2.8% います。
不合格率(合格留保を含む)を比較したものです。
旧制度
50期
51期
52期
53期
54期
55期
56期
57期
58期
59期
60期
61期
62期
63期
64期
2
0.7%
0.0%
0.4%
2.4%
1.6%
1.1%
1.1%
3.9%
2.6%
7.2%
4.1%
3.5%
3.4%
8.1%
16.9%
新制度
6.0%
5.6%
3.4%
4.2%
2.8%
これからわかることは、旧制度の下でも司法試験合格者数を1500名にまで一
気に引き上げてから不合格率が一気に上がったということです。
その後、司法修習の目的を変更したことから(Q33参照 )、それに合わせて2
回試験の目的も変更されており、出題方法も変更されています。
最高裁司法修習委員会が2004年7月2日出した「議論の取りまとめ」では、
- 73 -
2回試験についても以下のように述べています。
「考試の方法については,現在より簡素化を図る方向で検討を加えるのが相当で
ある。」
とした上で、その理由について 、「考試は,法曹養成のプロセスの最後に位置する
関門であるから,法曹資格を与えるにふさわしい,法律実務家として必要な資質・
能力を備えているか否かを的確に判定するものでなければならない。もっとも,考
試を過度に重いものにすると,点による選抜となってしまい,プロセスとしての養
成の趣旨を損うおそれがある上,司法修習の期間が1年に短縮される中で,考試に
その多くを費やすことは相当でないという現実的な要請もあるので,考試の方法に
ついては一定の簡素化を図る方向で検討を加えるのが相当である。」としています。
これは、既に最初の段階から、2回試験を簡素化することが予定されていたもの
ですが、この「簡素化」とは、結局のところ、司法修習の意義、理念が下記のとお
り変更されていることの必然的な結果ともいえます。
司法修習においては,幅広い法曹の活動に共通して必要とされる,法的問題の解決
のための基本的な実務的知識・技法と,法曹としての思考方法,倫理観,心構え,見
識等-これらを標語的にまとめるとすれば ,「 法曹としての基本的なスキルとマイン
ド」と表現することもできよう-の養成に焦点を絞った教育を行うことが適当である。
司法修習では,事情聴取をはじめとする事実調査の能力,複雑な事実の中から法的
に重要な事実を選び出して構成する法的分析能力,錯そうする証拠から的確に事実を
認定する能力,法的問題について分かりやすく説得的に表現する能力の養成に重点を
置くことが相当である。
現在の2回試験が小問形式が増えたのも、上記のような要請があるからと思われ
ますが、その背景には、小問形式の方が修習生にとっても答えやすいという配慮が
あることは否定し得ないでしょう。
3
それにもかかわらず、2回試験の不合格者の多さは、どのように考えるべきでし
ょうか。
前述のとおり、司法試験合格者数を飛躍的に激増させた結果、不合格者が増大し
たということは否定し得ないところです。
旧試の場合には、まさに合格者数だけを増加させたことの問題が如実に出ている
ということです。真偽のほどを確かめようがありませんが、不動産の即時取得を論
じたのが59期(旧試験制度)という話があり、単純に合格者を増加させた場合の
- 74 -
問題点とも言えます。
では、法科大学院修了生の場合に問題はないのかといえば、そうとも言えません。
最高裁が2008年7月15日に「新第60期司法修習生考試における不可答案
の概要 」を公表しましたが、そこでは実体法への理解が不足している修習生がある
とされています。
また、最高裁司法修習委員会での議事録(第17回)の中でも、前期修習の廃止
による場合の弊害があるかという場面での議論ではありますが、実体法の理解不足
が副次的にですが、指摘されています。
(奥田正昭幹事)民事裁判実務の修習指導官と意見交換をする機会があり,そこで,
修習生について,実体法の理解が必ずしもできているわけではないという話
を聞くことはあるが,手続的なものや,書式,書き方を知らないというよう
なことでトラブルが生じたり,実務修習に支障が生じたということは全く聞
いていない。
(秋吉淳一郎幹事 )刑事裁判でも,実務修習,それから集合修習を通じて,判決書と
いう形で文書を作成させることはしていない。今,酒巻委員の話にもあった
ように,まさにその中に書くべき内容,すなわち事実認定が争われたときに
どうするかという,内容を求めている。実務の指導官から,修習生の実体法
に対する理解が欠けるという批判はあるにせよ,書く書式に問題があるとい
う批判は受けていない。
(大谷晃大幹事)検察も,両裁判教官からの話と似たような状況である。
このように数を増加することによって起きる問題ではないかと推測されます。
(なお、旧63期において2回試験に3回連続して不合格になった者がいるというこ
とが同議事録の冒頭で紹介されています。何故、そのような状況になったのかとい
う報告はありません。)
4
ところで、2回試験の不合格者の多さについて、2回試験が機能しているという
言われ方をすることがあります。
しかし、機能していればよいということでなく、司法試験の選抜機能、ひいては
法科大学院における養成課程及び修了認定に問題がないのか、さらには一気に20
00名もの大増員が人材育成という観点から無理がなかったのか、今後も持続可能
な数なのかどうか(人材は欠乏していきます。)、再検討を要する事情の1つといえ
ます。
- 75 -
現状では、法科大学院の厳格な成績評価及び修了認定も含めて、明らかに発展途
上であると言わざるを得ません。
5
もう1つ考えておくべきことは、修習期間が短縮されたこと、さらには大教室に
なり、教官1人あたりの修習生数も激増したことです。
実体法の理解が不足しているために不合格になる場合は論外と言えますが、2回
試験の不合格者数増加は、 修習期間の短縮こそ大きな問題といえます。今までは2
年間(その後1年半)かけてやってきたことを1年、しかも慌ただしい1年の中で、
勉強する時間も激減している中で、しかも教官1人あたりの修習生数が激増してい
るということになると、指導も行き届かなくなります。これに修習生の就職難が、
修習生の勉強に掛ける時間を減らすことに拍車を掛けることになります。
それに対する最高裁司法修習委員会の方針が 、「 司法修習の期間が1年に短縮さ
れる中で,考試にその多くを費やすことは相当でないという現実的な要請もあるの
で,考試の方法については一定の簡素化を図る方向で検討を加えるのが相当である。」
(前掲、議論の取りまとめ)となってしまうのですから、本末転倒なのです。
第6章
Q35
今後の法科大学院制度のあるべき方向
法科大学院制度に課題があるからといって、課題を解決することこそ必
要なのであって、廃止とか法科大学院修了を司法試験受験要件から外すと
いうことは、筋違いではないでしょうか。
1
法科大学院には種々の課題があり、極めて厳しい状況にあります。
日弁連が発表した「 法科大学院制度の改善に関する具体的提言」(2012年7
月13日)では 、「本提言は,法曹の養成に関するフォーラム又はその後継組織に
おいて法曹養成制度の見直しに関する検討が開始されるにあたり,法科大学院を中
核とする法曹養成制度を,その理念に沿って改善するいわば「最後のチャンス」と
の認識の下,上記各提言を踏まえつつ,法科大学院と司法試験のあり方に関する,
より具体的な改善方策を提言するものである 。」とあるように、法科大学院制度の
課題については非常に危機意識があります。そして、最後の改善のためのチャンス
とまで述べています。
このように日弁連では、まだ法科大学院を何とかしたいと考えています。
また法科大学院関係者も同様です。
2
法科大学院が「改善」で何とかなる程度のものなのかということが問われている
- 76 -
わけですが、今後、改善する見込みなど全く見えません。
上記日弁連の提言の骨子は、法科大学院の統廃合を述べる以外は、未だにさらに
税金をつぎ込めとか、教員に自助努力を求めるなど、倒産直前の経営者のようなこ
とを述べているだけです。
これでは、誰も法科大学院制度を、なお敢えて存続させたいとまでは考えないで
しょうし、それこそ司法「改革」派の好む市民感覚という視点からは、法科大学院
制度が国民(市民)の支持を得られようはずもないのです。
それほどまでに法科大学院制度を存続させたいのであれば、精神論ではない永続
可能な提言をすべきであり、それは存続を求める側が示すべきものです。それが不
可能であるならば、むしろ断念すべきなのです。
制度の失敗は失敗と認めた上で、清算することも1つの選択肢ではないでしょう
か。そうでなければ、なお一層、悲惨な状況を招くだけであり、決断も必要なので
す。
Q36
法科大学院制度を廃止したり、修了を受験要件から外した場合、在学生
には大きな不利益が及ぶことになりますが、問題ではありませんか。
1
法科大学院制度を廃止したり、司法試験受験要件を外すということになると、在
籍している法科大学院生に不利益を及ぼすことは避けられません。
法科大学院に入学してきた学生は、あくまで司法試験受験資格を取得するために
法科大学院に入学したのであって、そこでの授業を受講することそのものを目的と
しているわけではないからです。
受験要件でなければ、法科大学院には来なかったという学生が圧倒的多数でしょ
う。
2
しかし、制度を考えるにあたって、在籍している学生の不利益があるから制度を
変更できないということがあろうはずがありません。
学生の不利益に対する配慮は別途、講ずれば済むことであって、制度そのものを
変更してはならないということにならないのです。
そして、法科大学院制度を守りたいとする勢力からは、決まって在籍している学
生はどうなるんだ!という言い方をされることがあります。これが「学生人質論」
ですが、本末転倒な議論であることは明白です。
Q37
司法試験の合格率が改善されれば、志望者が増えるのではないでしょう
- 77 -
か。
1
まず法科大学院制度を維持するのであれば、司法試験の合格率を上げることは大
前提となります。しかし、多額の費用と長期(2~3年)を要する法科大学院に対
し、合格率が仮に50%に上がったとしても、志望者が増えるとは思えません。そ
れだけのリスクがありながら、一旦、会社を辞めてしまえば、もはや後戻りができ
なくなるからです。それは就職難の新卒大学生にも当てはまります。
その意味では、司法試験の合格率を上げること、それもほぼ合格しうる水準にま
で上げることは、志望者を回復するためには必須の条件ということになります。
司法試験合格率を上げるための方法としては、次の2つがあります。
司法試験合格者数そのものを大増員すること。
この主張は、法科大学院関係者からよく聞かれることです。司法審意見書では、
少なくとも3000名としていたのであるから、それを実行すべきであるというよ
うにです。
法科大学院の統廃合を進め、法科大学院の定員自体を大幅に削減すること。
現在、日弁連が「法科大学院制度の改善に関する具体的提言」で推し進めようと
しているのは、この方法です。
従って、司法試験の合格率を上げるといった場合、即、司法試験合格者数の激増
とはイコールではないという点に注意が必要です。
2
次に志望者が回復するためには、司法試験の合格率を上げるだけでは足りません。
司法修習修了後に通常の収入が得られる見込みがあるかという点です。
仮に弁護士になったとしても(フォーラムの言葉でいうと「法曹有資格者」)、収
入が得られる見込みがなければ、法科大学院を志望する者の数が回復することはあ
りません。コストばかりがかかるだけで、その回収の見込みがなければ志望する動
機づけにはなり得ないからです。
さらに、注意が必要なのは、 司法試験の合格率という場合、通常は、法科大学院
修了者を前提にしていることです。実際に入学し、修了し得ないで退学した者など
は除外されています。
そして、法科大学院を修了するためには、厳格な成績評価と修了認定が行われる
ことになっていますので、法科大学院に入学できれば必ず法科大学院を修了できる
とは限りません。
現時点においても、修了できた割合は、
(平成22年度)既修者コース
法学部出身
- 78 -
87.5%
うち社会人
非法学部出身
80.6%
うち社会人
(平成21年度)未修者コース
法学部出身
80.0%
60.4%
うち社会人
非法学部出身
79.7%
53.8%
50.4%
うち社会人
47.6%
という状況となっており、特に未修者コースにおいては厳しい数字となっています。
修了者を基準にして司法試験の合格率をみても意味がない、入学者に対する司法
試験合格率を見る必要があるということです。残念ながら、このような統計は見た
ことがありません。各法科大学院ごとに算出すべきでしょう。
3
累積合格率の問題もあります。司法試験の合格率は、単年度の合格率ということ
になりますが、修了後、5年以内3回まで受験することができますから、その年度
のみの合格率だけではなく、累積合格率をみてみる必要があります。
上位校から下位校は以下のようになります。
1
2
3
4
5
一橋
東京
京都
慶応義塾
神戸
累積合格率
既修
未修
76.4%
81.6%
61.2%
71.1%
80.2%
48.1%
70.7%
78.6%
44.0%
69.4%
76.3%
50.4%
68.0%
74.2%
48.4%
~
70 京都産業
9.1%
33.3%
71 愛知学院
8.2%
50.0%
72 鹿児島
7.9%
73 大阪学院
5.6%
36.4%
74 姫路獨協
3.4%
8.0%
※平成23年度までのものの累積
8.4%
6.5%
7.9%
3.6%
1.6%
上位校では、修了者の7~8割が達成されており、法科大学院間に大きな格差が
生じていることがわかります。合格率の問題だけでいうのであれば、上位校の志望
者がさらに増えていなければならず、これは合格率だけの問題ではないことを示し
ています。
但し、2012 年度の一部の上位校の未修者コースの志願者は増えたそうです。これ
は、合格率も関係しているということはその通りですが、ただそれ自体は、志望者
増のための必要条件を示しているにすぎず、その後の一定の職としての安定がなけ
れば全体として志望者が増加することはありません。
4
単純に司法試験の合格率だけを取り出して、合格率が上がれば志望者が増えると
- 79 -
いう立論は正しくないといえます。
第7章
Q38
その他
法科大学院制度設立にあたって法学部を残したことが間違いであるとい
う主張がありますが、どのように考えますか。
1
ロースクール制度を導入している国では法学部に相当する学部がないと言われて
います。他方で、ロースクール制度の本場のような米国では、確かに法学部はない
が、他の学部には法律系の科目はあるので、ロースクールに入学する前には、その
ような履修は済ませている とも言われています。これは日本においても同様で、法
学部がない大学でも、法律科目がある法学部ではない学部は多々あります。
いずれにせよ、制度の内容については論者によって異なり、実際のところはわか
りませんが 、「法学部」がない、要は法律学を中心とした学部はないということは
前提となるようです。とはいえ、米国においても法律科目を中心に履修してからロ
ースクールに入学してくることは可能なようですから、米国には法学部がないとい
うことを強調するのは慎重であるべきと思われます。
日本では、法学部はこれまで通り、残りました。司法審意見書では法学部には独
自の意義があるということでしたが、実際には、種々の利権もあるでしょうから、
法学部廃止というドラスティックな構想まで想定し得なかったのでしょう。
しかし、そのため日本の法科大学院制度では、原則3年という修業年限でありな
がら、特に法学既修者に対しては2年コースを認めるという特殊なものとなりまし
た。
2
ところで、法科大学院の理念は、多様なバックグラウンドをもった者を法曹とし
て育成することにあるのだから、法学部を残しておくことは中途半端であったとい
う指摘があります。
一切、法学部をなくして、短縮型の2年コースは認めない、すべて「未修者コー
ス」とするというものです。
既修、未修の格差是正は、既修者コースを無くしてしまうのですから、格差は存
在し得なくなりますが、それでも以下の問題は残ります。
(a )
法学になじめない者に対する手当にはなりえない。
(b)
そもそも1年で既修レベルに達成させること自体が困難なのであるから、
全体として水準を下げることに同意することになる。
- 80 -
( c)
必ず3年間は法科大学院に行かなければならず、法曹養成に時間とコスト
が掛かりすぎる。
(d)
この間、独自の意義を果たしてきたとされる法学部の役割はどのように継
承するのか。
( e)
法学部を廃止した場合、他の学部においても、一切、法律科目を設けない
というような徹底を行うのか、それとも、科目として設けることは容認する
のか。
( f)
法学部を廃止しても学部在籍中に法学の独習は十分に可能であるし、その
ための予備校もできよう。同じスタートラインにしうるということ自体が幻
想ではないか。
逆に未修者コースこそ廃止すべきという見解も成り立ちうるところです。
この法学部廃止という主張自体は、筋は通っているとは思いますが、現状の法科
大学院の課題その他の問題点を考えるならば、今さら法学部廃止という主張自体、
既に手遅れ感があり、もはや日の目を見ることはないでしょう。今さら、主張して
も無駄といえます。
Q39
法科大学院修了後の司法試験受験回数制限(5年以内3回)には、どの
ような合理性があるのですか。
1
法科大学院制度の下では、法科大学院修了後、5年以内に3回の司法試験受験資
格しか認められていません。
この制限の範囲の中で司法試験に合格しなければ受験資格を失います。その後、
司法試験を受験したければ、①再度、法科大学院に入学し、修了することによって
受験資格を獲得する、②予備試験に合格して受験資格を獲得する、この2つの方法
になります。
2
実際に受験資格を失った者が再度、法科大学院に入学していることは珍しいこと
ではありません(総務省評価348ページより)。
法科大学院で把握できている再入学者数(38 校)
2007年度
再入学者数
うち既修者
うち未修者
再入学者数のうち法科大学
院 で受験 資 格喪 失者数 で
あると判明している者の数
うち既修者
うち未修者
2008年度
2009年度
1
1
0
0
0
0
0
0
3
3
0
2
0
0
0
0
2
0
- 81 -
2010年度 2011年度
合計
7
14
6
13
1
1
5
5
5
0
5
0
25
23
2
12
12
0
但し、ほとんどの法科大学院では、入学試験の受験資格として、法科大学院修了
であることを明らかにすることを求めてはいませんので、実態は不明です。
逆に、再入学を認めていない法科大学院もあります。
3
受験資格を失った者は、以下のように推移しています。
受験資格喪失者は、着実に増加しています。
法科大学院の修了年度別にみた新司法試験の受験資格喪失者数(2005 年度~ 2010 年度)
2005年 度 2006年 度 2007年度 2008年 度 2009年 度 2010年 度 計
修了者
修了者
修了者
修了者
修了者
修了者
法科大学院修了者数
2176
4418
4910
4994
4792
4535
100%
100%
100%
100%
100%
100%
受 験 可 能 な試 験 06~10年 07~11年 08~12年 09~13年 10~14年 11~15年
の実施年
受験者数
2122
4244
4653
4675
4209
3529
合格者数
1518
2188
2226
2228
1798
1147
69.8%
49.5%
45.3%
44.6%
37.5%
25.3%
受 検 資 格 喪失 者
658
2230
89
522
303
3
数
30.2%
50.5%
16.5%
10.5%
0.6%
0.1%
4
25825
100%
23432
11105
43.0%
4252
16.5%
受験回数制限は、司法審意見書に始まります。
適確認定を受けた法科大学院の修了者の新司法試験受験につては3回程度の受験回
数制限を課すべきである(72ページ)。
受験回数を制限する実質的な理由は、以下のように言われています。
( a)
受験回数を制限しないと、従来の旧司法試験と同じように狭き門となって
しまうこと。
(b)
その結果、受験技術的なものに走る結果、プロセスとして養成されてきた
ことが無意味になってしまうこと(法科大学院関係者は、法科大学院で学ん
できたことの効果が残っている内に受験をしないと制度の意味がなくなると
表現します。)。
( c)
合格し得ないような者に対しては、別の進路に進んでもらう方がその者に
とっても有益であること。
(d)
実際にも受験回数が増えるに従って合格率は極端に下がっている。
これに対しては、以下のような批判があります。
( a)
法科大学院修了者の進路については、その者が決めればよく、余計なお世
話である。
- 82 -
(b)
法科大学院での教育効果と言っても、数年たつとその効果がなくなってし
まうという程度の教育だったということなのか。
(少なくとも5年間は効果があるのであれば、5年3回ではなく5年5回が筋)
( c)
何年かかろうとも、司法試験の合格水準に達した者を排除すべき積極的理
由はない。
(d)
要は、法科大学院制度の見かけ上の合格率を維持したいがために回数制限
をしているだけだ。
というものです。
現実の受験者は、実際には1回目の合格率が高く、その後、急速に低くなるのは
事実のようです。(総務省評価243ページより)
平成 17 年度及び 18 年度修了者(既修者)の受験年別にみた合格者数
受験期間1年目
受験期間2年目
受験期間3年目
受験期間4年目
受験期間5年目
17年度修了者(2,176人)
18年度修了者(1,854人)
合格者
累積
合格者
合格者
累積
1,009 -
819 -
396
1,405
258
1,077
99
1,504
78
1,155
8
1,512
12
1,167
6
1,518
9
1,176
合計
合格者
1,828 -
654
2,482
177
2,659
20
2,679
15
2,694
受験年別にみた平成 17 年度及び 18 年度修了者(既修者)の合格実績率
受験資格者(A)
受験期間1年目
受験期間2年目
受験期間3年目
受験期間4年目
受験期間5年目
4,030
2,202
1,548
1,371
1,351
n 年 目 か ら5年 n年目の受験資
目までの間の合 格 者 の 合 格 実
格者(B )
績率(B /A )
2,694
866
212
35
15
66.84%
39.33%
13.70%
2.55%
1.11%
この数字を見る限りは、受験合格率は、回数を重ねるごとに合格から遠ざかって
いることがわかります。
それ故に法科大学院関係者は、数年間は法科大学院の教育の効果が残っていると
いうのです。受験回数を制限する根拠の1つとしても用いられています。
5
では、受験回数の制限に合理性は全くないのでしょうか。
司法試験の合格水準に達したのであれば合格させないことはおかしい、というの
は論理必然的に導かれるわけではなく、回数制限は、同じスタートラインで出発し
ている、同じ回数の中での競争ということも可能です。
- 83 -
旧制度では、
●
●
●
●
旧
旧
旧
旧
旧
試
試
試
試
試
験
験
験
験
験
スタートラインはバラバラ、
習得過程もバラバラ
スタートラインなどが異なる以上、どこ
の試験をどれだけ受けてもよいはずだ
しかし、新制度では
法科大学院
→
新司法試験(5年以内3回まで)
スタートラインは同じ、
厳格な成績評価と修了認定によって施されるプロセスも同じ
旧制度の下では、回数制限をすること自体に合理的根拠を見出すことはできませ
ん。この点は、1996年度から実施された3回以内受験者の優先枠(いわゆる「丙
案」)は実質的な回数制限と同じ問題があり、丙案を合理化できる理由は全くなく、
単に法務省が若年合格者が欲しいという政策的なものです。
しかし、法科大学院制度の下では 、「理念型」に立てば、その期間内に合格しな
ければ受験資格を失うということは制度としては観念しうることになります。
これは厳格な成績評価と修了認定の場合にも同様の問題が生じます。法科大学院
に在籍しうる期間も決まっており、留年を繰り返しても、修了すればいいというこ
とにはなりません。一定の期間内に修了できなければ放校処分となります。
修了後の司法試験についても同様です。何度でも受験してよいということになる
と、法科大学院の成果ではなく、回数さえ受験すればいつかは偶然にでも合格でき
るということにもなりかねず、それでは、そのような偶然合格を排除しようとした
法科大学院制度が無意味になります(繰り返しになりますが、背景には司法試験合
格者数の激増があります。)。法科大学院において一定の素養が身についたかどうか
を判定するためには期限は区切らざるを得ないということです。
ところで、この「判定」ですが、ここでう「判定」の意味は、むしろ「確認」と
- 84 -
いうのが正しいことになります。法科大学院関係者がいう「成果を試す」という表
現も同趣旨かと思います。恐らく「効果が残っているうち」というからわかりづら
いのです。むしろ、身についたかどうかを試すのであれば、本来であれば1回で十
分だ、それができていないのであれば、本来であれば再履修してくることが筋だ、
もっとも色々と事情があるから追試はあと4年以内2回まで認めてやる、というこ
との方がわかりやすいかと思います。
合格者数の激増に伴い司法試験の合格水準自体が下がっていることは争いようが
ないことですから、受験回数に関係なく、合格水準に達したら合格させるべきだ、
とまでは言えないのではないかと思います。
問題はあるかもしれませんが、法科大学院制度の下では、司法試験の受験回数の
制限に合理性はあり得るのです。但し、それは 司法試験が選抜機能を果たしていな
いことの裏返しでもあります。
6
受験回数を制限するのは、このように司法試験が選抜機能を果たし得ていないか
らです。
合格水準に達したのであれば何回目の受験かは関係がないという主張も、合格水
準自体が低下し、さらに選抜機能が失われているとすれば 、「合格水準に達した」
と評価すること自体が困難なので、やはり無理があろうかと思います。
この回数制限の背景にあるのは、
( a)
司法試験合格者数の激増の要請と水準(質)の維持のために法科大学院制
度で担保すること
(b)
一定の期間内に合格できないということは、その者が水準に達していない
ということ。
しかも、重要なのは、どこに能力不足があるかわからないということ。
( c)
そうであれば、最初から全課程を履修しなおしてもらうしかないこと(受
験資格の剥奪)。
ということです。
7
では回数制限は維持すべきなのでしょうか。
しかし、現実に各法科大学院間で、厳格な修了認定が平等、公平に行われおらず、
法科大学院制度自体がその機能を果たし得ない中で、法科大学院制度に密接不可分
の関係にある受験回数制限だけを維持せよと言ってみても説得力はないと言わざる
を得ません。
日弁連の提言が5年5回にせよと述べているのは、前提となる法科大学院制度が
うまく機能していないということから「緩和」を求めているものであり、発想は同
- 85 -
じと思われますが、これでは制度の破綻を認めているようなものなのです。
法科大学院制度の破綻を前提に回数制限を撤廃するか、あるいはまぐれ合格を排
除するために回数制限を維持するのか、という問題ですから、はっきりいえば、ど
ちらの結論も問題があるということです。
これは端的に、その試験答案内容の如何を問わず、上位2000名を合格させる
という選抜機能を放棄した司法試験合格者数の決定の仕方に原因があります。出来
の悪いものはすべて不合格にすれば、選抜機能は回復するのですから、受験回数制
限という問題は、単に法科大学院制度を維持したいかどうかだけの政策問題に帰着
します。
8
なお、このように主張すると、では逆に2000名以上が合格水準に達していた
ら合格させるのかという反論が予想されます。
しかし、既にそのような事態が生じることは、司法試験採点雑感を見ても現実に
はあり得ない事態ですから(Q8参照 )、そのような仮定的な反論にはあまり意味
がないでしょう。
また医学部に定員があるのと同じように、現実に一度に養成しうる法曹の数は限
りがあるわけですから、その範囲で合格者の範囲を切るということも政策的には十
分にあり得ることです(Q12参照)。
Q40
予備試験合格者が2012年度から、司法試験に初めて参入されました
が、その結果をどのように見ますか。
1
予備試験における結果は、以下のとおりです。
受験者
85名
短答式合格者
84名
最終合格者
58名
合格率
68.2%
この中でも20代の受験者は、1名を除いて合格したという状況です。
2
20代受験者
35名
最終合格者
34名
2012年度の上位10校は、以下のとおりです。
受験者 短答合格数
予備試験合格者
最終合格数
合格率
85
84
58
68.2%
1 一橋大法科大学院
135
114
77
57.0%
2 京都大法科大学院
280
233
152
54.3%
3 慶應義塾大法科大学院
347
285
186
53.6%
4 東京大法科大学院
379
303
194
51.2%
- 86 -
5 神戸大法科大学院
131
105
60
45.8%
6 大阪大法科大学院
177
128
74
41.8%
7 中央大法科大学院
489
399
202
41.3%
8 首都大東京法科大学院
101
84
40
39.6%
9 愛知大法科大学院
37
33
14
37.8%
10 北海道大法科大学院
159
123
54
34.0%
予備試験合格者の合格率が68.2%であり、非常に高い合格率になっています。
トップの一橋大学57.0%に比べても格差があります。
本来、予備試験は、法科大学院を修了した者と同程度の能力があるかどうかを判
定するのものですから、予備試験組を除いた法科大学院修了者の合格率は、24.
6%ですが、倍以上の開きがあります。
もっとも、予備試験に対しては、もともと試験では計れないものがあり、法科大
学院によるプロセスによる教育とは同じではないと主張されることがあります。
とはいえ、あまりに差が広がり過ぎているという現実は、試験で計れる計れない
の次元の問題ではなく、法科大学院制度にとっても危機的状況といえます。
Q41
司法審意見書では、法曹養成において法科大学院制度を法曹養成の中核
と位置づけていますが、その根拠は何ですか。
1
司法審意見書では、新たな法曹養成制度として法科大学院制度の創設を提言し、
この法科大学院制度こそが法曹養成の中核であるとしています(同11ページ)。
法曹養成制度については、21 世紀の司法を担うにふさわしい質の法曹を確保するた
め、司法試験という「点」による選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有
機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備することとし、その中核
として、法曹養成に特化した大学院(以下、「法科大学院」と言う。)を設ける。
それ以外の本論でも 、「中核」という言葉は何度か出てきますが、趣旨を要約す
れば、上記の部分に尽きます。要は、法科大学院制度を法曹養成の中核に位置づけ
るということです。
2
では、何故、法科大学院制度が法曹養成の中核として位置づけられなければなら
ないのでしょうか。
中核という表現では、他の制度(司法試験、司法修習)は、すべて付随的なもの
として位置づけられることになります。
司法試験について、司法審意見書では法科大学院制度に合わせたものにすべきで
あるとし(Q13参照 )、また、司法修習自体もその目的を変更しています(Q3
- 87 -
3参照)。
法科大学院制度に合わせて、すべてを変更してしまっているということなのです
●
●
●
が、その変更もいずれも「縮小」の方向です。だから法科大学院制度が中核として
位置づけられているということです。
もともと、法曹人口を激増させることが目的で提言されたのが法科大学院制度で
すから、法科大学院制度を法曹養成の中核とすべき積極的理由はありません。
「点からプロセスへ」というのも、法曹人口を激増させるために導入せざるを得
ないことから提言されたものであって、そこに特別の意義はありません(Q11参
照 )。法曹としてのマインドの教育ということが言われることがありますが、とっ
てつけた美辞麗句にすぎず(Q16 )、中核論の根拠になりうるものではありませ
ん。
そこに文科省による大学院制度改革が結びつき(Q7参照)、その結果、「中核」
というように提言されるに至ったものです。
従って、法科大学院制度が法曹養成制度の中核と言われているのは、上記の経緯
からですから、これを政策的に変更し、例えば、司法修習を法曹養成の中核として
位置づけることは、何ら問題ありません。
ましてや、法科大学院制度を法曹養成の中核とすることには、法曹人口の激増政
策とともに、現状では失敗していると言わざるを得ないわけですから、法科大学院
制度中核論の是非も含め、抜本的な再検討が必要なのです。
- 88 -
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