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自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム
自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム 新木伸 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム ︻Nコード︼ N0138DH ︻作者名︼ 新木伸 ︻あらすじ︼ トラックに跳ねられ、異世界に転生してみると、数十年前にパー ティを組んでいた仲間の美女が、俺のことを待ち受けていた。﹁お 久しぶりです。マスター﹂ かつて自分が救った平和な世界で、レベル1からイージーモードで 再出発! 世界最強賢者メイドを従え、奴隷少女を拾って鍛え、盗賊少女を改 1 心させて、仲間を増やす! 豪華な屋敷も最強装備も思いのまま! 今度の人生は、なにひとつ自重しない最強ニューゲームでいくぞー っ!! ダッシュエックス文庫より書籍化されます。2016年11/15。 第1巻発売です! 2 トラック転生 ﹁はーい。一級管理神エルマリアが承りまーす﹂ いつの頃からだろう。 俺は、よく夢を見るようになっていた。 それは、自分が〝勇者〟として、この現実世界と違う異世界で生 きている夢だった。 その世界での俺は、いまの俺とは違う存在だった。 人々に必要とされ、そして、戦って、戦って、戦いつづけていた。 だが、あくまでも、それは夢︱︱。 はじめはそう思っていた。 しかし毎夜、寝床にはいるたびに夢を見るたびに、いつしか俺は、 この現実世界での人生のほうが、幻に思えてくるようになっていた。 現実世界での俺の人生は、取るに足らないものだった。 ブラックバイトと、ブラック企業にすり潰されてゆく毎日が、俺 にとっての﹁現実﹂だった。 就職を失敗して、アルバイター生活を続け、ようやく定職にあり つけたと思ったら、とんだブラック企業だった。 ﹁夢﹂として垣間見る、別の人生が、俺にとって、もうひとつの 現実となりつつあったわけだ。 まあ、ブラック度合いでいえば、あちらの人生の﹁勇者業﹂も、 なかなかのものだったが⋮⋮。 戦って、戦って、戦い続けて⋮⋮。勝って当然。すこしでも被害 3 を出せば、それでも勇者かと民衆から責められる日々。 そして最期は︱︱。 これは最近になって夢に現れるようになったシーンなのだが。 勇者の最期は︱︱。 魔王との戦いで、相打ちだった。 だがこの二つのブラック人生︱︱。 どちらを選ぶとなれば、俺の答えは決まっていた。 なんの意味もなくすり潰されてゆくならば、なにかの意味があっ てすり潰されてゆくほうが、まだマシだった。 恋も出会いもなく、寂しく独身童貞貴族を貫くくらいなら、美し い姫君との出会いとロマンスだけはあって、結ばれない悲恋に涙し たほうがいい。︵勇者には恋をしている暇もなかった。なにより姫 には、俺より彼女を幸せにできる男が傍にいた︶ そして、最も大きな、一点の違いは︱︱。 勇者には運命を共にする﹁仲間﹂がいたということだ。 ◇ ある日、俺は、トラックに跳ねられた。 そして、当然、死んだ。 そして、どこともつかない、不思議な空間で︱︱。 俺は﹁女神﹂と名乗る存在と出会った。 ◇ 4 ︽はい。起きてます? 起きてますね?︾ どこからか声が聞こえる。 目の前に、なにかぼんやりとした、光の塊のようなものが⋮⋮あ るような気がする。 ︽ああ。無理にイメージを見ようとしないほうがいいですよー。高 次の存在であるわたしたちは∼、三次元の方々には、刺激がちょお ∼っと強すぎますから。意識が焼き切れちゃいますので︾ なにか言っている。俺はしっかりと見ようとするのをやめて、光 の球体を、ぼんやりと眺めるままにした。 ︽ところで、きこえてますかー? 意識は、はっきりしてますかー ?︾ 俺は口を開いて答えようとした。 だが口はきけないみたいだった。 かわりになにか、﹁はい﹂と﹁いいえ﹂という選択肢が脳裏に浮 かんでくる。 トラックに跳ねられて死んだ俺は、どうも、魂だけになっている ようだ。 ﹁はい﹂か﹁いいえ﹂でしか答えられないようだ。 しかたがないので、とりあえず、﹁はい﹂のほうを選んだ。 ・ ・ ・ 5 ↓はい ︽はい。聞こえてますねー。それじゃあ。手続きにはいりまーす。 あー、申し遅れましたー。今回の転生手続きはー、わたくし、一級 管理神エルマリアが承りまーす︾ なんか妙に軽いノリの女神だった。JKでもやっていると似合い そうな感じだ。あと神様の世界にも階級とかあるんだ。 ︽えへへ。人間の方々の世界の制度をー、取り入れましてぇー。こ れいいですねー。権限がはっきりわかっていいですねー。わたし。 だいぶ偉いほうだったみたいなんですよー。この制度取り入れるま で、気づきませんでしたー。あとJKいいですねー。JKー。いっ ぺんなってみたいでーす。紅茶とかいう飲み物。飲んでみたいんで すよー︾ JK女神はよく喋る。 ︽さて。ここで本題です。前々世で世界を救って、ポイント、た∼ っくさん溜めた貴方にはっ、ななな! なーんとっ! 特権があり まーす!︾ ああ。やっぱり。 俺はなんとなく理解した。 色々なことを理解した。 前の人生でよく見ていた夢の意味も理解した。 そしてこれから俺の身に起きることも︱︱たぶん、知ってた。 〝あれ〟は、フィクションで小説だと思っていたが︱︱。ひょっ として、〝これ〟を〝知っていた〟やつらが、すこしはいたんじゃ 6 ないだろうか? ︽ハンコ。まだたくさん残ってますよー? こんどは、なににしま すー?︾ ていうか。ハンコ制なのね。店のサービススタンプみたいだな。 ︽すっごく、強い武器を持って転生しますかー? 伝説の武器です。 すっごいです。持ってるだけで最強です︾ いらんなぁ。 ・ ・ ・ ↓﹁いいえ﹂ ︽すっごく、強い敵はどうですかー? まえのときより、もっとハ ードでエクセレントかつナイトメアで、最初の街から出たところの ザコさんが、前の時のラスボスくらいはあってぇ︱︱︾ カンベンしてくれ。 ・ ・ ・ ↓﹁いいえ﹂ ︽えー? だめですかー? 俺より強いやつに遭いに行くって方、 けっこういらっしゃるんですけどねぇ⋮⋮︾ いるかもしれんが、俺はそーゆーの、もういいんで。 7 ︽そういえば。あなた。前のときには、〝もういい。平和な世界で 普通に暮らしたい〟って、そうおっしゃってましたっけねー。それ でポイントぜんぜん使わなくて︾ そうか。俺はそう言ったのか。﹁前の時﹂というのは、覚えては いないが、あの苛烈なまでの勇者の人生を思えば、前の俺が、そう 選んだのも、わからないでもない。 ⋮⋮え? ちょっと待てよ。 普通? 普通の暮らしだって? 俺がどれだけブラックアルバイトと、ブラック企業とに、すり減 らされてきたと⋮⋮? 俺は﹁いいえ﹂を幾つも突きつけた。 ︽えー? クレームですかー? あのわたし。転生女神ですので。 クレームは、クレームサポート係にお願いしたいんですけどー︾ うるせえ。犯すぞ。 ︽えーと、えーと⋮⋮、ちょっと待ってくださいね。あなたの転生 した、一つ前の世界を調べてみますのでぇ︱︱︾ 女神はしばらく黙っていた。光がわずかに大きくなったり、小さ くなったり、脈動している。 しかしこの光。綺麗だな。 ︽えーと⋮⋮、べつに、転送先の設定は、間違ってないみたいです 8 けど?︾ うそをつけ。 俺は﹁いいえ﹂を、いくつも突きつけた。 ︽女神はうそなんてつけないですよー。あ。でもー。そのうち学ん でみたいですねー。うそ。物質脳を持つと、うそがつけるみたいな んですけど︾ しらんがな。 ︽あなたの前にいた世界はー、平和そのものじゃないですかー。魔 王さん。いませんし。戦争も、局地的にはありますが、あなたの国 で、あなたの生きていた時代内では、戦争はなかったじゃないです か︾ それは⋮⋮、そうだが。 ︽あと、なんでしたっけ? ⋮⋮ぶらっく? それだって、特別に 悪いわけじゃなくて︱︱世の中的には、〝普通〟みたいですけど?︾ それも︱︱、まあそうだが。 ︽あと、あなたが女性と縁がなかったことについても、ごくごく、 平均的な︱︱︾ わかった。わかったから。それについては皆まで言うな。 ﹁はい﹂をいくつも突きつけて、俺は女神を黙らせた。 ︽それより今回はどうします? チート、どうですか? チート?︾ 9 いらんって。 ︽転生した先の世界になじめますように、うまく生きていけますよ うに。サービスでチートが一個つく規則なんですけど︾ それより一つ。頼みたいことがある。 ︱︱が、問題は、それをどうやって、このJK女神に伝えるかだ が⋮⋮。 ⋮⋮。 ⋮⋮。 ⋮⋮。 ﹁はい﹂と﹁いいえ﹂だけで、それを伝えるのには、けっこう苦 労した。 転移した先を選ばせてほしい。 ︱︱ということを、俺はなんとか女神に伝えた。 ︽え? ほんとうに、行く先は、前の前の世界で︱︱あの世界でい いんですか?︾ ↓﹁はい﹂ ︽はぁ。いちど自分の救った世界に転生したいなんて、へんな人で すねー︾ そうなのか? 俺にとってはそれが望みなんだが。 10 あの人生のほうが﹁現実﹂なんだが。 それだけでいいんだ。あそこに還りたいだけなんだ。 ︽あのー? 本当に、いいんですかー? あの世界、もう平和その ものですよー? 王様にも英雄にもなれないですよ? 魔王さんだ って、いませんし。特に英霊召喚要請も、受けてはおりませんし︾ いいんだよ。 ︽あなたがあの世界を救ったのは確かですけど。あれから、もう⋮ ⋮ええと、三次元の方々の主観時間で、もう何十年も経っちゃって ますよ? 正確には、五一年と三一二日と七時間三二分一五秒ほど ですけど︾ そんなにか。 ︽お知りあいの方もー。もう、いないのではー? ︱︱人間の方っ て、寿命、どのくらいでしたっけ? 五年くらいでしたっけ?︾ ハムスターかよ。 いいから。もういいから。 とにかくあそこに転生させろよ。 ↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂ ↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂ ↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂↓﹁はい﹂ 俺は、﹁はい﹂をたくさん突きつけてやった。 11 ︽あー。はいはいー。わかりましたー︾ 女神は観念したようだ。 うけたまわ ︽はい。それではー。あなたはあの世界に戻りまーす。出戻りでー す。それではー。一級管理神の、わたくしエルマリアがー、承りま したー︾ JK女神は、サポートセンターの人みたいな最後の文句を口にし ていた。 脳天気なその声を聞きながら︱︱。 俺の意識は、ぐんぐんと飛ばされていった。 異世界と書いて、故郷と読む。 その異世界へと︱︱。 12 トラック転生 ﹁はーい。一級管理神エルマリアが承りまーす﹂ ︵後書き︶ 新連載開始しました! 今回の連載の目標は、﹁なろうの作法を守る﹂です! へんな作品ばかりを連載していた新木でありますが! 初心に返りまして、トラック転生して強くて無双する! ︱︱だけ 考えて、他のことは置いてきました! 13 異世界への帰還 ﹁お久しぶりです。マスター﹂ 気がついたときには、どこか建物の中に立っていた。 古びた倉庫? なにかの納屋? 朽ちかけて放棄された木造の建物の中に、俺は立っていた。 そこは、だいたい薄暗かったが、屋根が破れているのか、あちこ ちから陽光が洩れだしてきていて、ちいさく、まるい光を投げ落と している。 藁の上にシーツが敷かれ、簡易なベッドもある。若干の家具もあ る。ほんのすこしの生活感が、そこには漂っていた。 地面には魔方陣がある。わずかに残った魔力の残り火で、きらき らと瞬いている。 両の足が、地面を踏んでいることに気づいた。 さっきまで意識だけの存在だったので、足があることが、その感 触が、とても新鮮だ。 手を見ると︱︱、しゅわしゅわと、粒子が寄り集まって、肘がで きて腕ができて、手の指ができた。 びっくりして、しばらく見つめていたが︱︱。手の輪郭は、もう 揺らがない。 なるほど。こうやって肉体が生じるのか。 ﹁お久しぶりです。マスター﹂ 14 背後から聞こえた女の声に︱︱俺は、ぎくりとした。 ゆっくり。ゆっくりと︱︱振り返る。 そこに立っていたのは︱︱。 ﹁モーリン⋮⋮、か?﹂ 俺は思わず、そう、つぶやいてしまっていた。 そこにいたのは、かつての俺のパーティメンバーの一人︱︱。 賢者にして、占い師にして、予言者にして、神託者︱︱。 〝勇者〟であった俺を、召喚し、育てて戦わせた、その人︱︱。 前の前の〝勇者〟の人生において、師であり姉であり仲間であり 従者であった、美女モーリン︱︱と、そっくりの女性が、そこにい た。 ﹁⋮⋮な、わけはないわな﹂ 転生女神の話では、あの時代から、数十年は経っているはずだ。 たしかに彼女は、年齢を感じさせない女性ではあったが⋮⋮。い くらなんでも、そのまま変化なし、なんてことはないはずだ。 目の前の女性は、二十代半ばくらいだろうか。 深紫のゆったりとしたローブを着込んでいるが、女性らしい起伏 に富んだプロポーションはその上からでもうかがえる。 髪の色はこの世界では珍しい黒髪だ。向こうの世界であればショ ートボブという、その髪型は、表情を滅多に見せない彼女のクール な雰囲気に、よく似合っている。 15 体つきも雰囲気も髪型までも、昔と同じなのだが⋮⋮。 やはり別人のはずだ。 ﹁本人ですよ﹂ ﹁うえっ?﹂ 俺は驚いた。 ﹁いや。まさかそんな? だって何十年も経ってるって⋮⋮﹂ ﹁では別人ということで。あちらは母で、いまのこの私は、その娘 です﹂ ﹁〝ということで〟って、なんだよ? どっちなんだよ? ︱︱だ いたい〝娘〟にしたって、計算合わなくねえか?﹂ ﹁なら孫で﹂ 俺は、ぷっと吹きだした。 ﹁もういいよ。どうでもいいよ。どっちでもいいよ。とにかく︱︱。 モーリンなんだろ?﹂ ﹁ええ。マスター﹂ 彼女は服の襟首を手で下げた。首筋を俺に示す。白い肌に、切手 くらいの小さな印が刻まれている。 隷従の紋様だ。 彼女が細い指先で黒い印に触れると、それは魔力を帯びて輝いて ︱︱。 俺の服の胸元あたりでも、同じ形が現れていた。服を越して光が 見える。 16 ﹁二度の転生を経ても有効でしたね。隷従の紋は、魂に刻まれるも のですから﹂ ﹁破棄してなかったのか﹂ 俺は言った。 この服従を強制する魔法は、契約者の片方が死ねば、残った者の 意思で、破棄することもできる。 前世で彼女にこの契約魔法をかけた。 師であり姉であり友人であり仲間であり、恋人︱︱であったかど うかは定かではなかった相手に、必要と理由があり︱︱かけた契約 だ。 まだ有効だったとは。破棄してなかったとは。 ﹁その必要もありませんでしたので﹂ 彼女はしれっと、そう言った。 これまでずっと表情がなかったその顔に、ほんのわずかに、微笑 みが浮かべる。 しかしその笑顔も、すぐにキツめのいつもの無表情に、とってか わられた。 ﹁管理神から、転生者がくると告げられました。それで待っていま したら⋮⋮。なぜ、マスターがやってくるのです?﹂ ﹁来ちゃいけなかったか? 俺の行った世界じゃ、トラックに跳ね られて異世界に転生するのが、すごく流行ってんだよ﹂ ﹁マスターがなにか間抜けな死にかたをなさって、転生されたのは 17 理解しました。でもなぜ、わざわざこの世界に?﹂ ﹁なんだか迷惑そうな言い分だな。昔はそっちから呼び寄せたくせ に﹂ ﹁ええ。世界のバランスが壊れていましたから。〝魔王〟という特 異存在に対抗しうる、〝勇者〟という、もう一つの特異点を注文し ました﹂ ﹁注文するなよ。俺は品物か﹂ ﹁管理神には少々〝貸し〟がありますので、当日にすぐ届きます﹂ ﹁Amazonかよ﹂ モーリンはしばらく無言で︱︱。ちょっとだけ、中空を見上げる ような仕草をした。 そしてすぐに︱︱。 ﹁ええ。〝プライム会員〟ってところですね。⋮⋮でもマスター? 別世界の常識を必要とするジョークに、突っこみを期待するのは、 いささか無理があると思われますが﹂ ﹁律儀に突っこんでいるおまえもおまえだな﹂ 俺たちはほんの一瞬だけ微笑みを浮かべあった。 昔、毎日繰り返していたやりとりが︱︱戻ってきた。 ﹁まだこの世界に転生されたお答えを頂いておりませんが﹂ ﹁やはり困るのか?﹂ ﹁ええ。正直に言うと。少々。先ほど申しあげました通り、勇者級 の魂は、この世界において特異的な存在です。もしマスターにその 気がありますと、簡単に、バランス・ブレイカーとなることができ ます﹂ ﹁ならないがな﹂ 18 ﹁なれますよ?﹂ ﹁ならないって﹂ ﹁なれるんです。その力があれば、神︱︱になるのは、いささか足 りませんが、悪魔にはなれます。そして魔王にも⋮⋮﹂ モーリンは、じいっと、うかがうような視線。 ﹁勇者が、魔王になって、どーするよ﹂ ﹁そうならないように願います。そして願うだけでは足りませんの で。ずっと監視していなくてはなりませんね﹂ ﹁具体的には?﹂ 俺は、聞いた。 ﹁マスターのお傍に付き添う必要があるでしょうね﹂ ﹁ずっと?﹂ ﹁ええ。マスターがこの世界にいるあいだは。ずっとになりますね﹂ ﹁じゃあ一生ってことだな﹂ ﹁そうなりますね。マスターが〝おいた〟をなさらないように、ず っと、見張っていないとなりませんね﹂ モーリンと俺との間にあった距離が、すこしだけ詰まった。 どちらから近づいたのか。それは定かではない。 ﹁今回は倒すべき魔王もいませんし。前の時のように、マスターを 育てる必要もないことですし⋮⋮。どういう役割で接すればよろし いですか? 母? それとも姉?﹂ まいったな。〝母〟もあったのか。俺の認識にあったのは〝姉〟 どまりだったが。 19 たしかに前回は幼少期からモーリンに育てられたわけであるが︱ ︱。 ﹁姉もご不満であるご様子ですね。ではなにがいいのでしょう? 師? 友人? 仲間?﹂ もう一歩。 その、もう一つ先を言ってくれないか。 俺とモーリンとの距離は、さっきよりも、もっと縮まっていた。 体と体とが、触れあうほどに⋮⋮。 ﹁マスターは何度生まれ変わっても、意気地なしのへたれであると ころは、お変わりがないようですね。前世のときにも、わたくしの カラダに興味はあったご様子ですけど。チラ見するだけ。そして視 線が重なれば、そっぽを向いて、素知らぬふり。鳴ってもいない口 笛は、あれは、痛すぎでした﹂ モーリンのその声には、責めるような響きがあった。 白い指先が、俺の胸のあたりにあたっていた。﹁の﹂の字をいく つも描いている。 ﹁しかたがないだろう。あのときは﹂ 毎日が戦いだった。そんなことをしている余裕はなかった。 世界を背負う勇者として自重していた。 勇者として二十年の生をまっとうした。戦って、戦って、戦って ︱︱そして世界を救ったそのかわりに、俺は死んだ。 ﹁隷従の紋を使われれば、私に拒否権なんてありませんでしたけど 20 ?﹂ ああ。そうだろう。 正直に言おう。余裕がなかったことが、本当の理由ではない。 怖かったのだ。 拒絶されたらどうしようと、そればかりを考えていた。 隷従の紋がある以上、彼女は俺の命令を拒むことはできない。だ が心までは自由にならない。 俺は彼女に嫌われることが、怖かったのだ。 くんふー ﹁生まれ変わった世界で、功夫は積まれていらっしゃいましたか?﹂ ﹁さあ。どうだろうな﹂ 俺はのらりくらりと、そう答えた。 は? ブラックバイトとブラック企業にすり潰される日々ですよ? いったいどんな功夫を期待しろと? だが︱︱。 この世界に戻るときに、たった一つだけ、俺が決めていたことが あった。 それは︱︱。 ﹁あっ﹂ モーリンが短く声をあげる。俺が彼女を抱き寄せたからだ。 ﹁功夫を積んできたかどうか。試してみるってのは?﹂ 21 ﹁どういう役割で接すれば良いのか。まだ先ほどの質問のお答えを 頂いておりません﹂ ずっしりと重たい女体が俺の腕の中にある。 脳髄まで泡立つような歓喜を覚えつつ、俺は努めて冷静でいよう とした。 ﹁わたくし。これは。拒絶すればいいのでしょうか。どうすれば良 いのでしょうか﹂ 彼女が目を背けて、あさっての方向を見つめている。 ﹁好きにしろよ﹂ 俺はそう言った。本当のことだった。 拒まれることは怖くない。もう怖くはない。 拒まれて傷つくことのできた時代は、もはや懐かしいほど、遠い 昔だった。 それよりも彼女がほしい。 彼女がもし拒むというのなら、拒めばいい。 俺は彼女を欲するだけだった。 ﹁隷従の紋は使いませんか?﹂ ﹁必要か?﹂ あいかわらず彼女は、目線を合わせようとしない。 なぜだろう、と、思って︱︱すぐにその理由が判明した。 彼女の目がずっと見ているのは︱︱小屋の端にある、干し草のベ 22 ッドだった。 この世界に戻れることになったとき、俺が決めたことが、一つだ けある。 俺はもう、自重しない。 俺は彼女をベッドに押し倒した。 23 朝ちゅん ﹁マスターはケダモノでした﹂ 朝だった。 ちゅん。ちゅん。⋮⋮と、スズメっぽい鳴き声が聞こえてくる。 異世界にもスズメはいるのだろうか。 そんなことを考えながら、俺は干し草のベッドの上で、もぞもぞ と寝返りを打った。 まだ半分眠りながら︱︱。何気なく、傍らに手を伸ばすと︱︱。 隣にあるはずの女体はなく︱︱。人の形のぬくもりだけが、シー ツの上に残されていた。 一瞬︱︱。脳髄が芯まで冷えて、俺は飛び起きていた。 ﹁おはようございます。マスター。朝食には、いましばらく掛かり ます。まだ横になられていていいですよ﹂ 一分の隙もなく、ぴしりと服を着こなしたモーリンが、やはり一 分の隙もない無表情顔を浮かべていた。 昨日、あれだけ乱れたというのに⋮⋮。その片鱗もうかがわせな い。完璧なまでの偽装っぷりだ。 ﹁その服は⋮⋮?﹂ 俺は、まずそこから訊ねてみた。 ﹁これですか? メイド服です﹂ 24 黒いロングスカートをぴらっ。 その場で、くるりん。 無表情でやるものだから、ギャップがむごい。 ﹁⋮⋮この、香ばしい、においは?﹂ 小屋のなかに満ちる、この香りは︱︱覚えのあるものだった。 ﹁これはコーヒーですね﹂ 彼女は、しれっと、そう言った。 ﹁なんで異世界にメイド服とコーヒーがあるんだ?﹂ 俺のこの世界に対する記憶は、夢で見た場面の寄せ集めでしかな く、あまりはっきりと覚えているわけではないが︱︱。 たしか、コーヒーもメイドさんも、いなかったはずだ。 もっと異世界っぽい感じだった。 ﹁ここ最近は転生者が多いようで。わりと文化が混じってきていま すね﹂ お、おう⋮⋮。 そんなことが⋮⋮。 モーリンのメイド姿を鑑賞できるのも、朝からコーヒーが飲める ことも、喜ぶべきなのかもしれないが⋮⋮。 俺は一抹のわびしさも感じていた。 25 俺の愛する異世界が⋮⋮。 喩えて言うなら︱︱。 なんか観光客が押し寄せたら、秘境が文明化しちゃった感じ? 秘境に辿り着いたら、そこの原住民がTシャツ着てて、自販機でコ ーラが買えちゃう感じ? ﹁マスターの世界のものと思いましたので、用意してみたのですが ⋮⋮。不評のようでしたら、やめます﹂ ﹁いや。やめなくていい﹂ ﹁やめなくていいのですか?﹂ ﹁うん。いい。⋮⋮あと、さっきの、もういっぺんやって﹂ ﹁さっきの、とは?﹂ ﹁くるりん、って回るやつ﹂ ﹁こうですね﹂ モーリンは回った。俺は幸せになった。 ◇ ﹁本日のご予定を、ご説明させていただきます﹂ 上半身裸のまま食事をする俺に、モーリンが言う。 ﹁おまえも食え﹂ 俺は皿の上の料理を示した。 スクランブルエッグに、ベーコンみたいなものを焼いたやつ。 26 あと、向こうのものとちょっと違うが、パンみたいなもの。 そこにコーヒーが加わって、いかにも﹁朝食﹂的になっている。 向こうの世界から転生したばかりの俺の味覚に、モーリンが合わ せてくれたのだろう。 それとも文化侵食が行きすぎて、こういうものが、この世界の一 般的な朝食になってしまっているのだろうか? 食ってみたら︱︱、これが、美味かった! 現代世界の食材とは、味がまったく違う! すげえ! 卵ってこんなにうまかったのか! このベーコンの肉 味はどうだ! パンもちょっと変わった味だったが! うまい! うまい! う まい! 俺こんなうまいもの食ったこと! 生まれてはじめてだ! いや。こちらの人生では生まれて一晩だけど。 はっ︱︱と、気がつくと、モーリンが見ていた。 口許に手をあてて、くすくすと笑っている。 モーリンのレア笑顔げーっと。︱︱じゃなくて。 ﹁笑うな﹂ ﹁もうしわけありません。ハナミズ垂らして一心不乱に食べている マスターを見ると、どうにも、いとおしくて︱︱﹂ え? ハナミズ垂れてた? 俺は慌てて、顔をまさぐった。 モーリンからタオルを出されて、それで顔を拭う。 そんなに感激して食ってたのか⋮⋮。 27 はずかしい⋮⋮。 ﹁おまえも食べろよ﹂ 俺はモーリンを食事に誘った。さっきからずっと俺一人で食べて いる。 あるじ ﹁いえ。侍従が主と食事を取るわけにはいきません﹂ ﹁いつ侍従になった﹂ ﹁秘書的な役割も兼ねております﹂ ﹁秘書か﹂ そういえば、さっき︱︱。 予定がどうとか。スケジュールがどうとか。言っていたっけ。 ﹁もしも、わたくしにお求めの役割が〝恋人〟であれば、ご一緒に 朝食を摂っても、差し支えないと思うのですけど﹂ 俺はあさってのほうを向いた。 鳴らない口笛を、ぴゅーと、拭いた。 くんふー ﹁では⋮⋮。マスターの功夫が足りていらっしゃらないようですの で。侍従ないしは、秘書ないしは、メイド︱︱といったあたりで﹂ 責めるような響きを言外に漂わせて、モーリンが言う。 だって、ねえ? ⋮⋮恥ずかしいじゃん? ﹁さっき予定とか言ったか?﹂ ﹁はい。申しあげました﹂ 28 ﹁ゆっくりするわけには、いかんのか?﹂ なにしろ俺は、転生したばかり。 俺の主観的にいえば、﹁残業﹂が空けたのが数時間前︱︱。 トラックに跳ねられたのは、ふらふらになって、終電をのがして、 二つ前の駅から、徒歩でアパートの部屋に帰宅する最中のことだっ た。 毎月の残業が200時間を超えるのは日常的。 ノー休日は、たしか、連続70日目くらいだったはず。 せっかくトラック転生したんだし。 俺に優しい女のいる、俺に優しい世界に来れたんだから、すこし ぐらい﹁休暇﹂がもらえてもいいんじゃなかろうか。 この世界には、もう〝魔王〟だっていないわけだし⋮⋮。 俺にはなにも使命はないわけだし。 ﹁なあ。せめて一日二日、ゆっくりしてちゃだめか?﹂ ﹁ええ。もしどうしてもとおっしゃるのでしたら、隷従の紋をお使 いください。そうすればわたくしは絶対服従ですので﹂ ﹁ちぇっ⋮⋮﹂ 俺は舌打ちした。俺がそれをできないということを知っていて、 言うのだ。 ﹁はい。はい。食事が終わりましたら、お召し物を身に着けてくだ さいね﹂ 俺は慌てて、残りを片付けた。 衣類をひとつひとつ身に着けてゆく。 29 俺が服を着るのを、モーリンは、甲斐甲斐しく、手伝ってきた。 服越しに感じる手の感触を好ましく思いながら、俺は聞いた。 ﹁今日は? なにをするんだ?﹂ ﹁まずマスターの身分を確保します﹂ ﹁身分?﹂ ﹁ええ。冒険者ギルドで登録をします﹂ ﹁冒険者ギルド? ⋮⋮そんなものまでできたのか。なんかゲーム みたいだな﹂ ﹁前回、召喚されたときにも、ありましたよ? ︱︱マスターは加 入していなかっただけで﹂ ﹁え? そうなの?﹂ なにしろ勇者業で忙しかったからなー。 世界の常識について、知らないことが多かったかもしれない。 勇者にとって、〝街〟っていうのは、素通りするだけの場所でし かないのだ。 ﹁なあ⋮⋮、やっぱ、一日くらい、ゆっくりしてちゃだめか? な ? な? 今日だけ。今日だけ。今日だけ。⋮⋮なっ?﹂ ﹁だめです﹂ 彼女はきっぱりとそう言った。 隷従の紋を使って、服従させて、ヒイヒイ言わせたろうか、この 女︱︱とか、思ったが。自粛しておく。 自重はしないと決めているが、自粛はする。 俺と彼女との絆は、そういうものではないのだ。 そういえば、モーリンは、こういう女だった。 30 物心ついたばかり、ようやく二本の足で﹁たっち﹂したばかり︱ し ︱という、赤ん坊に毛が生えた程度の肉体で転生した俺を、その日 から、容赦なく鍛え上げたのが、この女だったっけ⋮⋮。 どんな鬼女だっつーの。 ごき 人智を超えた〝勇者の肉体〟を得るためには、人智を超えた〝訓 練〟が必要とのことで︱︱。 そのくらいの年齢から始める必要があるそうだ。〝魔王〟を倒す ためには。 ﹁マスターがお望みなのは、安逸な生活であるようですので⋮⋮。 必要なのは、この世界における身分の確保ですね﹂ ﹁いまの俺の身分って?﹂ 平民とか、そんなんになるのかな? 前は、生まれたときから死ぬときまで、ずっと〝勇者〟だったわ けだけど。 ﹁なにかの組織に属していないと、人権、ないですよ? ︱︱ここ は異世界ですので﹂ ﹁うえっ⋮⋮﹂ 俺は呻いた。異世界。パネえ。 平民でさえなかった。人間とみなされてなかった。 31 冒険者ギルドで登録 ﹁こ、こんなステータス見たことないです ⋮⋮!?﹂ モーリンとともに大通りを歩いて、まず最初に訪れたのは︱︱。 冒険者ギルドだった。 ﹁へー。大きなもんなんだな﹂ 大通りに面したところにある、かなり、大きな建物だった。 石と木で出来た建物が多いこの世界で、なんと、三階建て。外か ら見た限りでも、内側にいくつかの施設があるのだろうとわかる。 一階の窓辺からちょっと覗けたところでは、飲み食いできる場所 もあるようだ。 ﹁ビルだな﹂ ﹁マスターの時代から、五十年経っていますから﹂ ﹁おま。いくつなんだよ?﹂ ﹁ふふっ。女性の歳を聞くことも考えることも、マナー違反ですよ﹂ 俺たちは、ギルドの正面入口から入っていった。 ずらりと受付カウンターが並ぶ。受付嬢が、何人も、冒険者らし き身なりの連中と話をしている。 俺は空いている窓口のうち、いちばん綺麗な娘のところに、直行 した。 ﹁ご用件は︱︱?﹂ 32 美人なのに鼻にかけない、明るい声で、その娘は言う。 ﹁君の名前は?﹂ ﹁はい? ⋮⋮エリザですけどー?﹂ 胸のプレートを示しながら、彼女は言う。 すまんが。読めない。 前の勇者時代の記憶は、夢の断片のつぎはぎになっているという こともあるのだが⋮⋮。 たぶん、前の時のその俺も、字が読めない。 義務教育なんて存在しない、この異世界では︱︱字が読めるとい うのは、かなり学のあることになる。 字が読める、というだけで、食うに困らないぐらいなのだ。 自重しないことに決めていた俺は、一番最初に目に入ったこの子 と、とりあえず仲良くなっておこうと思ったのだが⋮⋮。 ﹁この人のギルド登録を頼みたいのですが﹂ ﹁いて。いてて⋮⋮。痛い。痛いよ。モーリンさん?﹂ 俺のかわりに、モーリンが言う。俺は尻のあたりを、彼女の手で、 ぎゅーっと、つねられていた。 べつに口説こうと思ったわけじゃないんだが。 念願叶って、異世界に戻ることができた俺は、誰にでもハグをし て、愛しているよー! と、告げたい気分であるというだけで︱︱。 痛い。痛いって。マジ痛い。 33 そんな俺たちを見て、女の子︱︱エリザは、くすくすと笑ってい た。 ﹁それでは、こちらの書類にご記入を。︱︱あと、身元を保証する ものは、なにかお持ちですか? なければ準ギルド員からとなりま すが﹂ ﹁身元のほうが私が保証します﹂ モーリンが言う。 エリザは困ったような顔になって︱︱。 ﹁あ。ええと⋮⋮、そゆことじゃなくて、ですねー? ほかのギル ドの書類ですとか。あと王国関係の推薦状だとか。そういうものの ことなんですけど⋮⋮﹂ 困ったような笑顔を浮かべるエリザは、モーリンの顔を、じーっ と見て⋮⋮。 そして、はっ、と、顔色を変えた。 ﹁え!? モーリン様? え? モーリンって⋮⋮、そういえばさ っき呼んでいて⋮⋮。え? え? え? ええっ?﹂ エリザは目をぱちくり。何度もまばたきを繰り返す。 モーリンは、人差し指を一本立てて、口許へと持っていった。 しーっ、と、やる。 ﹁いまは公人ではなく私人として来ています。この方の身元は、私 が保証します。︱︱足りますね?﹂ 34 モーリンはエリザにそう言った。きっと冒険者ギルドの名士かな にかなのだろう。 ﹁も、も、も︱︱もちろんです! し、し、し、失礼しました! そ、そ、そ、そのような格好をしていらっしゃったので︱︱! て っきり、この方の従者の方だと︱︱!﹂ ﹁従者ですよ﹂ ﹁え? ええーっ!? で、伝説のモーリン様が従者って⋮⋮? え、ええーっ?﹂ エリザの声はまた大きくなってゆく。 そしてまた、しーっ、と、やられる。 モーリンは名士程度じゃなくて、伝説級の存在らしかった。 ﹁あ、あのあのえっと︱︱、えっと、その︱︱﹂ エリザは半ベソで思考もまとまらない様子。 がんばれエリザ。 普段はきっとデキる娘なんだろうけど、メイド長に叱られる新米 メイドみたいに、ぐずぐずになってしまっている。 ﹁み、身分証明は、充分ですっ。ぜんぜん足りてますっ。︱︱じ、 じゃあ、つ、次はっ、べ、別室でっ、能力検査をしていただくので すけどっ︱︱! あああ! もちろん! モーリン様の紹介なら、 それもパスです! ももも、問題ありません!﹂ エリザは、テンパっちゃっている。 35 ﹁いや。そこは計ろう﹂ レベル この世界には、Lvとステータスとが存在している。 勇者人生を過ごしていたときには、あたりまえで普通のことだっ た。疑問を覚えたことはなかった。 だが異世界でブラックバイトとブラック企業にすり減らされる現 代人をやっていたときには、なんか変じゃねーか? どーゆー仕組 みになってんだ? ︱︱なんて思ったりもしたものだが。 あるんだから、まあ、しかたがない。 ﹁で、ではっ︱︱こちらの別室でっ!﹂ ◇ 別室に通された。 魔法の道具がいくつか置かれた部屋にくる。 ﹁これに手を触れてください﹂ 水晶球みたいなものが填めこまれた器具を示して、エリザが言う。 俺は手をかざした。 昔は、こんなもんなかったような気もする。例によって定かでは ないが︱︱。 異世界も五十年も経ってると、便利になってるもんだな。 鑑定魔法もなしに鑑定することができるとは⋮⋮。 機械に魔法動力が入る。機械の各部のリングだのなんだのが連動 36 して動いて、空中に数字が現れる。 ﹁Lv⋮⋮は、1、ですね。⋮⋮え? 1? モーリン様のご紹介 で⋮⋮?﹂ 嘘? ︱︱とかいう顔を、俺に向けてくる。 俺はモーリンと顔を見合わせてから、エリザには、うなずいて返 した。 転生したばかりなんだから。そりゃ。Lvは1だろうさ。 クラス ﹁ええと、それで、職業は︱︱えっ? ゆ、〝勇者〟⋮⋮?﹂ あー。 やっぱり、そうなるよなー。 俺は、モーリンと顔を見合わせた。 ﹁エリザ︱︱。ちょっとこちらを向いてくれますか?﹂ ﹁は、はい。モーリン様﹂ モーリンが言う。エリザが顔を向ける。 視線が重なった途端︱︱。モーリンの目が妖しく輝く。エリザの 瞳にその輝きが移ってゆくと︱︱。 クラス ﹁あー、はい、職業はぁ︱︱、勇者的なー、なにかー、ですねー。 ひど ああはい。ありますあります。よくある感じですねー﹂ ﹁なにをしたんだ?﹂ クラス ﹁ちょっと認識に干渉しただけですよ。そんな非道いことはしてい ませんのでご心配なく。〝勇者〟がべつに珍しくもない職業に思え 37 ているだけです﹂ ﹁そうか﹂ それならいい。洗脳とかでもしたのかと思った。 ﹁ええと、そうしまして⋮⋮、ステータスは⋮⋮、えっ?﹂ クラス 認識を改変されて、職業には驚かなくなったエリザが、また声を あげて、固まってしまった。 ﹁こんどはなんなんだ?﹂ ﹁いえ⋮⋮、あの⋮⋮?﹂ と、彼女はおそるおそる、俺の顔を見やる。 ﹁これ⋮⋮、高すぎ⋮⋮、じゃ、ないですか?﹂ ﹁いや。普通だろう﹂ クラス 俺は言った。どのくらいの数値が出ているのか知らないが。〝勇 者〟という職業としては、いたって普通のはずだ。 Lv1でも強いのが勇者だ。 たとえLv1であろうと、スライムごときにやられているようで は、勇者は務まらない。 ﹁こ、こんなステータス⋮⋮、みたことないです⋮⋮﹂ 彼女は言う。 ギルドの受付嬢を何年か︱︱あるいは長命種族のハーフだとして も十数年か、やってきた彼女の人生のなかにおいては、という意味 でなら同意する。 38 だが世の中には、まだまだ たとえばそこの︱︱。 と、俺は後ろを振り向いた。 いつも変わらぬクール極まりない無表情で、モーリンが俺を見る。 ﹁なにか?﹂という顔をする。 あのモーリンのステータスなんか、計測してみろ。 ここの機械だと、たぶん、ぶっ壊れる。 俺なんか、まだ︱︱計測できるだけ、まともというものだ。まあ Lv1だしな。 ﹁ス、ステータス的には⋮⋮、も、もんだい⋮⋮、ないりぇふ⋮⋮﹂ エリザは、ようようのことで、そう言った。 噛んでる。 でも気づいてない。 ﹁低すぎる場合には⋮⋮、ギルドの加盟をお断りすることもあるの ですが⋮⋮、高すぎる場合の規定は⋮⋮、えっと⋮⋮、ないはず⋮ ⋮ですので﹂ だろうな。 ◇ 適正資格的なものは、パスしたみたいなので︱︱。 俺たちは、また受け付けに戻った。 39 あとは簡単な書類に、必要事項を記入するだけだった。 ⋮⋮のだが。 ﹁書けん﹂ 書類を前にして、俺は固まっていた。 そりゃ。字が読めないのだから、書けるはずもないわな。 ﹁代筆してもらっても、かまわないのか?﹂ ﹁ええ。もちろんかまいません﹂ ﹁そうか﹂ 顎でうながして、モーリンに書かせる。 ﹁うふふ⋮⋮。お母さんみたいですねー﹂ エリザがそんなことを言った瞬間︱︱。 ばりっ、と、音がした。 見れば書類が破れてしまっている。モーリンの持つペンの先が、 カウンターテーブルに穴を穿っている。 ﹁すいません。もう一枚、頂けますか﹂ モーリンが言う。 ﹁ごごご︱︱ごめんなさいごめんなさい! ごめんなさいっ! た、 たいへんよくお、お似合いだと思いますぅ! こ、恋人みたいです 40 ねっ! ︱︱ですよねっ!﹂ 必死なエリザに、必死な形相で聞かれ、俺は思わずうなずいてい た。 ︱︱いや。うなずかされていた。 モーリンはそこから機嫌よくなって︱︱残りの書類を書き上げた。 最後に、二つ、残った欄があって︱︱。 そこを俺にたずねてくる。 ﹁お名前は、どうしますか?﹂ ﹁ああ。そうだな⋮⋮﹂ クラス モーリンが言うのは、どちらの名前を使うかという意味だ。 俺には二つの名前がある。 一つ前の前世における現代人としての俺。 二つ前の前世における勇者だった俺。 一つ前の名前を使うのは論外だし。 かといって、勇者時代の名前を使うのもアレだろう。職業が勇者 で名前が元のままというのは︱︱。 俺は小声で、モーリンに聞いてみた。 ︵あの名前は、ここではいま有名なのか?︶ ︵みんな一度はあの名前を名乗りますよ︶ ︵どういう意味だ?︶ ︵子供が。ごっこ遊びのときに︶ ︵ああ︶ 41 俺は理解した。 子供が﹁勇者ごっこ﹂をするときに、﹁ぼく勇者○○ーっ!﹂と 名乗りをあげるという意味だ。 やっべぇ。そんなに有名だったか。 ︵まあ⋮⋮。魔王を倒して世界を救いましたし。そして死んできま したし︶ ︵強かったんだよ。魔王。なんとか相打ちに持ちこんだんだ。むし ろ褒めろ︶ ︵民衆にとっては最良の結果でしたよ︶ ︵勇者が死ぬのが?︶ ︵ええ。生き長らえて、権力を握って圧政を敷いたり、老いさらば えて醜態さらしたりする元勇者も多いですから。栄光が美化される という点では、最高の結末ですね︶ ︵⋮⋮⋮︶ そうなのか。 勇者業⋮⋮。つらいねー⋮⋮。 魔王を倒してこい。そして死んでこい。ってか。 まあ。俺はもう勇者じゃないから。関係ないのだが。 ﹁あの⋮⋮、お名前のところで止まってますけど? ⋮⋮なにかお 困りのことが?﹂ エリザが怪訝そうな声で聞く。 そりゃそうだ。 自分の名前で悩むやつは、そう多くはないだろう。 だが俺にとっては難問だった。 42 ﹁お名前は、どうします?﹂ モーリンが聞く。 ﹁ちょっと待て。いまそれっぽいのを考えてる﹂ ﹁はい? ⋮⋮考える?﹂ エリザが首を傾げている。モーリンは、くすくすと笑っている。 モーリンのレア笑顔げーっと。⋮⋮じゃなくて、考えろ、考えろ、 考えろ、俺。 ﹁⋮⋮オリオン﹂ 考えて、出てきたのは︱︱俺がRPGをやるときに、決まって主 人公に付けていた名前。 しょうがないだろ。んな。何秒で思いつくかっつーの。 ﹁では、名前は、オリオンで⋮⋮﹂ モーリンが羽ペンでさらさらと書きこむ。 あーあ。もう決まっちゃった。⋮⋮いまさら変えられないよね? ま。いっか。 ﹁⋮⋮あと、年齢は、いかがします?﹂ ﹁年齢?﹂ ﹁あのう⋮⋮、なにかお困りですか?﹂ エリザが、怪訝そうに、俺とモーリンの顔を見比べている。 そりゃそうだ。自分の年齢で悩むやつは、そう多くはないだろう。 43 だが俺にとっては難問だ。 二つ前の人生の年齢と、一つ前の人生の年齢とを、足し合わせる べきだろうか? いやいやいや。ありえない。足し算したら、オッサン通り越して、 おじいちゃんの歳になってしまう。 モーリンの耳に口を近づけて、小声で︱︱聞く。 ︵俺って、いま、何歳くらいなんだ?︶ この世界に転生して、まだ鏡を見ていない。自分の顔もわかって いない。歳がいくつか ︵その肉体の年齢ですか? 17歳くらいだと思われますけど︶ ︵そうか︶ ︵精力旺盛でヤリたい盛りですね︶ ︵それは余計だ︶ ︵昨夜のマスターはまるでケダモノでした︶ ︵それはいいが︶ エリザに向く。 ﹁17歳だっ﹂ 俺はそう言った。ちょっとドヤ顔になっていたかもしれない。 ﹁えっ? 年下? ︱︱やだちょっと意外﹂ エリザは妙なコメントを口走っていた︱︱が、あわてて顔を赤ら 44 める。 ﹁それでは。こちらが冒険者カードになります。なくさないでくだ さいね。偽造はできませんし本人以外使えませんので悪用される心 配はありませんが、再発行されるまで、ギルドによる特典や便宜や 保護が受けられなくなります﹂ ﹁つまり人権がないという意味です﹂ モーリンが補足する。 うっわ。異世界。こええ。 さて⋮⋮。 これで俺たちの用は済んだわけだ。 ギルド証︱︱冒険者カードは手に入れた。 これで﹁身分﹂とやらが保証される。 ﹁各種施設や、ギルドの特典のガイダンスをいたしましょうか?﹂ ﹁ああ。まあそのうちにな﹂ ﹁では、すぐにクエストをご紹介しましょうか?﹂ ﹁いや。まあ今日はいいや﹂ ﹁⋮⋮?﹂ エリザがあれこれ言ってくる。ホールの出口に向かう俺たちを、 しきりに、引き留めようとしている。 綺麗な女の子が、魅力全開、笑顔全開、華も全開で、好意を隠さ ず、すがってくるのは、正直、悪くない気分なのだが︱︱。 俺の用は済んでしまった。 しかし向こうには用があるのだろう。 45 俺はギルド的には有望な新人となるのだろう。﹁勇者﹂のところ はゴマかしているが、ステータス的には、麒麟児というやつだ。 ﹁まあ。おいおい頼むよ。しばらくはこの街にいるつもりだし﹂ ﹁ええー、でもっ⋮⋮﹂ ついに、手を握られてしまう。 どうしたらこの手を離してもらえるだろうか。 ﹁何度も来るよ。説明してもらいに。︱︱そうすりゃ。君に何度も 逢える﹂ ﹁はい! 待ってます!﹂ ようやく離してもらえた。すこしキザな台詞が必要だった。 ギルドホールの入口で、手を振って見送られた。 エリザは恋する乙女みたいな顔で、ずっと手を振り続けていた。 46 モーリンという女 ﹁世界の精霊を所有するという意味﹂ ﹁なんだよ?﹂ しばらく歩いて、顔を紅潮させたエリザの姿が見えなくなってか ら︱︱俺は、モーリンに、そう聞いた。 ﹁いえ。なにも﹂ ﹁嫉妬でもしたか?﹂ ﹁すいませんが。その質問には答えかねます﹂ ﹁だよなー﹂ 俺はそう言った。 モーリンという女は、不思議な女なのだ。 彼女に育てられた俺が言うのも、なんなのだが︱︱およそ人間離 れしている。 嫉妬だの、そういう人間的な感情に対して無縁なのだ。 そればかりでない。所有欲。虚栄心。およそあらゆる人間的な﹁ 欲﹂というものが、まったくないのだ。 彼女にあるのは、世界に対する義務感だけ。 世界を守護し、安定を保つ。そのために完全かつ完璧に、合理的 な行動を選択する。そうした存在だ。 はじめは機械かと思った。 俺との二十年間の付き合いを通して、彼女はすこしずつ変わって いった。 いまでは〝恋人〟の関係をねだってくるほどに。 47 ﹁笑顔﹂はレアなのは、そういう理由だ。﹁嫉妬﹂なんて見かけ たこともない。いちど見てみたい気もする。 そんな彼女が、唯一持っている情念が︱︱﹁誰かに所有されたい﹂ という願望だった。 俺は彼女のことを、世界の〝精霊〟なんじゃないかと考えてみた ことがある。世界が自分自身を守るために生み出した、人型の存在。 肉体は備えて人の形をしているが、人間を超越した、なにか心霊的 な存在。 仮に、もし、そうなのだとしたら︱︱。 彼女を〝所有する〟ということは、世界を所有するに、等しいの ではなかろうか⋮⋮? 実際、隷従の紋を彼女の首筋に刻むのは、どえらく苦労した。 精霊王を支配したことも、︵必要があって︶、あったのだが︱︱ モーリンに紋を刻んだときと比べて、あっけなさすぎて、拍子抜け したほどだった。 ﹁どうしました?﹂ ﹁いや。これから、どうしようかと思ってな⋮⋮﹂ モーリンが聡く察して、俺に問いかける。 俺は彼女と共に歩きながら、そう言った。 ﹁本日の予定は終わりましたので、マスターのご自由にして構いま せんが﹂ ﹁このままずっとおまえと並んで歩くのもいいな﹂ ﹁この道をまっすぐに行きますと、メレルトの街に着きますね﹂ 48 おお。覚えのある地名が出た。 滅びた街だったが︱︱。俺が魔戦将軍率いる魔王第三軍を倒して、 人間側に取り戻したんだっけ。 五十年前には、復興がはじまった。︱︱と聞かされただけだが。 ﹁いまは栄えていますよ。この地方でもっとも繁栄した商業都市に なっています﹂ ﹁へー﹂ ﹁この道。まっすぐで、どのくらいで着くんだっけ?﹂ 俺の頭にあるのは印象の強い記憶の断片ばかりなので︱︱。地理 とか、そのあたりの、どうでもいい情報は、すっかりと欠け落ちて いる。 あれって隣町だったっけ? 勇者の旅路の最終近かった気が? ﹁距離ですか? 徒歩なら四十二日ほどですね﹂ ﹁おいおいおい﹂ 俺は笑った。散歩には、ちょっとばかり遠かった。 ﹁小屋に戻りますか? それともどこかで昼食でもとってゆきます か?﹂ ﹁うーん﹂ モーリンの手料理を食べたい気もする。だがそうすると、きっと また、彼女は給仕に徹してしまうのだろう。 店で食べれば、二人で食事ができるだろうか。 結局、店で食うことにした。 49 冒険者風の荒くれ者たちの集う店に、平然と入って、平然と食事 した。 常連客のうち、何人かは、剣呑な目線を送ってきていたが︱︱。 俺もモーリンも、一切気にせず、酒と食事を楽しんだ。 見たことのない料理だったが︱︱。︵勇者の食いもんは常に携行 食で干し肉と乾パンのローテーションだ︶ どれもおいしかった。やはりこの世界は食い物がうまい。 うまい。うまい。うまい。 50 モーリンという女 ﹁世界の精霊を所有するという意味﹂︵後書 き︶ 次回は、明日の19時更新です! タイトルは! これです! ← #005.家を持とう ﹁マスターが女の子をたくさん囲うための、 大きな家が必要ですね﹂ 51 家を持とう ﹁マスターが女の子をたくさん囲うための、大きな 家が必要ですね﹂ 食事が終わって、モーリンの住む小屋に、帰ろうとしたところで ︱︱。 ﹁そういえば。あの小屋なんだが﹂ 俺は思っていたことを、切り出した。 ﹁はい﹂ ﹁あそこに住んでいるのか?﹂ ﹁ええ。⋮⋮なにか問題が?﹂ ﹁いや。特にはないが﹂ 干し草の上に、シーツを敷いただけのベッド。若干の簡素な家具。 はじめは馬小屋かと思った。 ﹁元は馬小屋だったものを借りています﹂ やっぱりー。 ﹁そういや、なんかのゲームで、馬小屋、0Gっていうのが、あっ たっけなー﹂ ﹁マスターの言うことには、たまにわからない概念がまじりますね。 ︱︱問い合わせますか?﹂ ﹁いや。しなくていい﹂ 問い合わせるって、どこにだ? そういや前にもAmazonプ 52 ライム会員の件で異世界ジョークに突っこみ入れてきてたな。あっ ちの世界にツテでもあって、誰かと念話でもできるのだろーか? ﹁冒険者の方々は馬小屋暮らしが多いですね﹂ ﹁しかしおまえは有名な冒険者かなにかだろう。ロイヤルスイート ルーム500Gでも、ぜんぜん、問題ないだろう﹂ ﹁ロイヤル⋮⋮ですか? それも問い合わせます?﹂ ﹁いや。しなくていい﹂ だからどこに問い合わせるんだっつーの。 ﹁私だけであれば、馬小屋でまったく問題ないのですが⋮⋮。たし かにマスターをお迎えするにあたって、少々、失礼があったかもし れません。その、∼∼⋮⋮感があって、よいかと思ったのですが﹂ ﹁なに感だって?﹂ 一部、ぼそぼそと小声だったので、聞き取れなかった。 ﹁∼∼⋮⋮感、でございます﹂ きこえん。 ﹁∼∼⋮⋮感、です﹂ きこえんわ。 ﹁∼∼⋮⋮感、で﹂ だからきこえんっつーの。 53 ﹁愛の巣感! で、ございます!!!﹂ うわあ。聞こえた。ばっちり聞こえた。すげえ大きく聞こえた。 鼓膜がかゆくなるくらい、よく聞こえた。 ﹁でも。たしかに。すこし。手狭でございますね﹂ ﹁いや。いいんじゃないか? ああ。うん。いいと思うよ。愛の巣。 悪くない。悪くないヨー。いいヨ。いいヨー﹂ 俺としては、精一杯、上げて、持ちあげようとしたのだが︱︱。 ﹁いえ。やはり手狭でございました﹂ モーリンは意固地になってしまった。こうなると誰にもどうにも ならない。 勇者でもマスターでも、どうにもならない。 ﹁二人で手狭となるような住居では、マスターの〝器〟に対して、 いささか、手狭でございます﹂ ﹁器?﹂ ﹁今後、マスターがなにをされるにしても、まず、仲間が必要とな りましょう﹂ ﹁仲間?﹂ ﹁わたくしと二人だけでは、ろくに戦えませんよ?﹂ ﹁いや賢者最強じゃん。おまえ魔法系のくせに、ガチ物理のそこら の将軍よか。固いじゃん。殴れるじゃん﹂ ﹁いえ。勇者といえどもLv1では、ろくに戦えませんよ。いまの ままラストダンジョンに行ったら一戦も持たず、平均余命は1分を 切ると思いますけど﹂ 54 ﹁そりゃ、そんなとこ行けばそうだろうが﹂ あー。行ったなー。ラストダンジョン。 通ったなー。ラストダンジョン。 魔王とやりあうまえの準備で、レベル上げ、やったなー。 二度と行きたくねえが。 ﹁しばらくは、のんびりと過ごす予定だ。仲間を集めるつもりは。 いまのところ、ないな﹂ ﹁そうですか﹂ 魔王はもういない。 街を歩いたり、酒場で飲み食いして、人々の話にざっと聞き耳を 立てていたが、話題は平和そのものだった。 酒場では乱闘騒ぎが起きていたが、理由は、取るに足らないもの で︱︱なにかの、こちらの世界のスポーツかなにかのチームが、勝 ったの負けたの、そんな程度の話題。 五十年前は、魔王軍がどこまで攻めてきたとか。どこの街が滅ん だとか。そんな話題が常だったわけだが⋮⋮。 そうした話題は、ぜんぜん、聞こえてこなかった。 冒険者ギルドでも、クエストの内容は、隊商の護衛だとか、悪さ をしているゴブリン退治だとか、素材系の依頼だとか、オークにさ らわれている女騎士の救助だとか。 そんな程度ばかりのようで⋮⋮。まあ、平和そのものといえた。 ソロ勇者Lv1でも充分すぎる内容だ。人類未到達Lvに立つ賢 者が、﹁お守り﹂でついているなら、なおさらだ。 ﹁仲間を作るご予定がなくても、屋敷と呼べる程度の住居は、きっ 55 と必要となりますね﹂ ﹁なぜだ?﹂ ﹁マスターはきっと、兼ねてからの夢を御実現させるはずですから﹂ ﹁どんな?﹂ 俺は、心ここにあらず、といった感じで、モーリンに聞いた。 ちょうど道ばたで花を売っている女の子の︱︱いい形をした、お 尻に目をやっていたからだ。 胸も豊かなのだが⋮⋮。どうしても脚と尻に目がいってしまうな ぁ。 うん。非常にいい形のお尻だ。まさに理想的だ。 ﹁⋮⋮もう自重されないようですので。マスターは﹂ ﹁え?﹂ 俺はモーリンに顔を向けた。 なんだって? なにを自重しないって? ﹁女の子をたくさん囲うための、大きな家が必要と思われます﹂ ﹁え? なんの話?﹂ ﹁自覚しておらず、指摘されてもわからないというのであれば、驚 嘆の念を禁じ得ません﹂ ﹁え? だからなに? なんなの?﹂ 俺は本当にわからずに、モーリンに聞きかえした。 べつに怒っているようではないのだが⋮⋮。︵滅多なことでは彼 女は怒らない︶ わかってます、というように、モーリンは俺に向かってうなずい た。 56 ﹁さあ。屋敷を探しにまいりましょう﹂ 腕を取られて、俺は引っぱられていった。 ◇ モーリンに連れられていった先は、いわゆる﹁不動産屋﹂みたい な商売をやっている場所だった。 長期滞在する旅人を相手に、宿屋の一室を紹介したり。あるいは、 定住するための部屋や、一軒家や、俺たちが買おうとしている大き な屋敷や︱︱あと、〝城〟まで取り扱っているようである。 ﹁マスター。城にしておきますか?﹂ モーリンは、ぱらぱらと、羊皮紙を綴じた〝カタログ〟をめくっ てゆきながら、なんの気なしにそんなことを言う。 ﹁いや。いくらなんでも、城はいらんだろう﹂ 俺は言った。 ﹁お客様。屋敷をお探しとのことで⋮⋮。こちらの屋敷なとは、い かがでしょう?﹂ ﹁うん﹂ 小太りの商人が、揉み手をしながら、俺に物件を見せてくる。 どうやら金持ちと思われているらしい。上客と見たのだろう。 まあ、いきなりぶらりと店にきて、﹁屋敷を買いたいのだが﹂と か言う人間は、だいたい二通りだろう。 57 頭がおかしいやつか、本物の金持ちかだ。 俺たちは、どっちに分類されるんだろうな︱︱とか、頭の片隅で、 そんな、どうでもいいことを考えながら、俺は物件をいくつも見て いった。 ﹁おお。これなんか。いいんじゃないのか﹂ ﹁お客様。それに目を留めるとは、お目が高い﹂ 二階建てで、広さも手頃。部屋数も豊富。 さっきモーリンが、〝女の子を囲う〟だとか、なんか魅力的な響 きの言葉を口にしていたが︱︱。そういうことになっても問題ない 広さ。 庭︱︱というには、ちょっと大きすぎる自然がある、林付きの豪 邸。 俺が目を留めたところは、﹁井戸付き﹂の物件だったというとこ ろだ。 庭園には井戸がある。これはプラスだ。 水汲みが楽そうだ。 この異世界には、電気、ガス、水道などは、もちろんない。 電気のかわりは、油を燃やすランプだ。金持ちなら魔法の灯りと なる。 ガスのかわりは薪。これも金持ちなら魔法動力の熱源を使うかも しれない。 だが水だけは、蛇口をひねれば出てくるわけはなくて︱︱川なり 井戸なりから、汲んでこなければならない。 58 まあモーリンくらいの大賢者ともなれば、水の精霊王でも喚びだ して、空中に、無尽蔵に水を生じさせることもできるのだろうが︱ ︱。 たかが﹁風呂﹂をいれるために喚びだされたのでは、精霊王が泣 いてしまう。 そのうち﹁水道﹂の概念でも、広めようか? なんだっけ? こういうの? 内政チートとか、いうんだったっ け? 現代人的な知識は多量に持っているから、概念だけでも、だいぶ この世界の役に立つはずだ。実際にどう水を引く道を作りあげるの かは、この世界の石工や建築家、専門家の人間に任せればいい。 まあ。そのうちでいいか。なにも急ぐことはない。 ﹁ここに決めた﹂ そこの屋敷は、他よりも良い物件なのに、なぜかほかの半額程度 というところも気に入った。 俺は、ふっと、一人で笑った。 つい。現代人的意識が出てきてしまう。 安いものを探すことと、節約することとが、﹁いいこと﹂だとい う︱︱。そんな﹁小市民的﹂な思考法だ。 あちらの世界の習慣と思考が、べっとりと染みついてしまってい る。 べつに金に困っているわけではないのだ。 59 ここは、ぽんと買ってしまえば︱︱。 ﹁ああ。そうですマスター。ひとつ言い忘れておりましたが⋮⋮﹂ ﹁ん?﹂ モーリンが言う。俺は﹁支払ってくれ﹂と言おうと思って、ちょ うどモーリンを呼ぼうとしていたところだった。 ﹁お金。ありません﹂ ﹁ん?﹂ ﹁ですから。お金。ありません﹂ ﹁うん?﹂ ﹁もう。マスター。意味がわかりますか? それともこれは遊びの 一種ですか?﹂ ﹁うん? うん? うん? ⋮⋮すまん。もういっぺん。言ってく れないか?﹂ 俺はモーリンに言った。 どうも意味が頭に入ってこない。 ﹁ですから。お金。ありません。マスターはわたくしのお金をアテ にされていたようですけど。最近、馬小屋暮らしでしたので、多額 の現金は必要なく。持ち合わせはこの程度ですね﹂ 金貨の袋が、どさっと、テーブルの上に置かれる。 けっこうな額ではあるが、屋敷を買うには、ぜんぜん足りない。 まったく足りない。 60 どのくらい足りないのかというと⋮⋮。 まず、買おうとしている屋敷の値段は、100万Gほど。 カタログにあるほかの屋敷は、どれも200万Gを超えているの で、半額以下なわけだが⋮⋮。 それに対して︱︱。 モーリンがテーブルに置いた革袋は、中身全部がゴールド貨幣だ とすると、ざっと見たところ、2000Gくらいあるようだ。 これはどのくらいの金額かといえば⋮⋮。鍛えた鋼の装備が、ど れかひとつ買える程度だった。 まえに勇者をやっていたとき︱︱。憧れの﹁鋼の装備﹂は、騎士 見習いの給料1ヶ月分、なんていう話を聞いたことがある。 昔と物価が変わっていなければ、現代日本の〝円〟に換算して、 2000Gは、20万円くらいとなるわけだ。 ってことは、1Gの価値は、だいたい100円くらいってことに なるのか。 そういえば、さっきの店でも、二人で食事をして、払ったゴール ドは十枚もなかった。 その換算レートで、屋敷の値段を計算すると︱︱。 ﹁モーリン。ひゃくかける、ひゃくまんは?﹂ ﹁1億です﹂ つまり屋敷の価格は1億円ということだ。 おや? 意外と安くね? 現代日本でこんな豪邸買ったら、1億 61 じゃ済まなくね? ﹁あの∼、お客様ぁ∼⋮⋮﹂ ああ。ほら。 商人の目が、これまでと変わってしまっていた。 これまでは、﹁うおお上客きたぜい!﹂的な感じで、キラキラ︱ ︱いや、ギラギラって感じだった。 それが、なにか汚いものでも見るような目付きに変わっていて⋮ ⋮。 ああ。まあ。 そうだなー。 金がないのに豪邸を買うつもりでいるとかー。 俺たちー。頭おかしい客のほうだったわー。 1億万の家を買いに来た人間が、20万しか持ってねえ、とか言 ってるのと同じだ。 ちなみにこの世界には〝ローン〟なんてものはない。いつもニコ ニコ現金払いが、異世界の常識である。 ﹁提案なんだが⋮⋮。そこの金を手付金として、物件を待ってもら うっていうのは、どうかな?﹂ 俺は商人さんに同情した。そう提案してみる。 ﹁ええ。待つのは構わないんですけどね? ⋮⋮でも、いつまでの 話で?﹂ 62 すっかり疑う目付きになって、商人は言う。 まあ仕方ない。つまり俺は﹁これから1億円稼いでくるから待っ ててくれ﹂と言っているわけだ。どう考えたって、頭がおかしい。 その頭のおかしい俺は、店主に対して、こう言った。 ﹁明日まで﹂ ﹁あ︱︱あしたあぁ!?﹂ ﹁あ。いや⋮⋮﹂ 俺は窓の外を見た。まだ明るいし、日も高い。 正午は回っていないだろう。 ﹁モーリン。このあたりに手頃なダンジョンはあるか?﹂ ﹁前の旅路のときに、最初に挑んだ洞窟は覚えていらっしゃいます か?﹂ ﹁ああ。あれか。覚えてる﹂ ﹁近くにございます。往復1時間といったところでしょうか﹂ ﹁そうか﹂ 俺は商人に顔を戻した。 ﹁じゃあ。今夜までで﹂ ﹁こ、今夜あぁ!?﹂ 商人はまた奇声をあげる。 いちいちうるさい。 ﹁約束の時間をもし過ぎたら、その金は貰ってくれてかまわない﹂ ﹁え? え? ⋮⋮本当に? よいのですか?﹂ 63 ﹁そのかわり。今夜は、ちょっと遅くまで店を開けていてもらうこ とになるかもしれないが﹂ ﹁え⋮⋮、ええ⋮⋮、まあ⋮⋮、そ、そのくらいは⋮⋮、か、かま いませんが⋮⋮﹂ 商人は、懐から出した手ぬぐいで、しきりに汗を拭いている。 だらだらと、油が絞れそうなほどに汗をかいている。 ◇ 俺は家を買うことにした。 家を買うための金を稼ぐ必要があって、ダンジョンに行くことに した。 5階層目までは金にならんので、さくっと飛ばして、6階層目あ たりから開始することにした。ダンジョンを練り歩き、出会ったモ ンスターをことごとく倒し、全10階層まで降りて行った。 スタート時点では、素手だったが︱︱。 倒してドロップする武器防具を、拾うたびに、交換していって︱ ︱。 武器防具もだいたい揃った。 そのあいだに、Lvがたくさん上がっていたが︱︱。 今回の目的はゴールドにあるので、そこは、どうでもいい部分だ った。前回みたいに、魔王を倒す旅路なわけでもなし。 Lvなんて、どうでもいい。 商人への約束は、24時だったが︱︱。 64 だいぶ早く、日が暮れた直後くらいには、戻ることができた。 100万ゴールドを揃えた俺に、商人はびっくりした顔をしてい た。 俺自身も、夜中になるだろうと思っていたから、すこしは驚いて いたが︱︱すくなくとも、その100万倍くらい、商人のほうは驚 いていた。 俺たちは、家を買った。 権利書を一枚と、屋敷の鍵束を受け取り︱︱。 ﹁ど、どうぞおぉぉーー、ごひいきにぃ∼∼ィ!﹂ 引き攣った声に送られて、俺たちは、商人の店を出た。 65 奴隷が売ってた ﹁お客様お目が高い。この娘は、さる王家の血 を引く者でして﹂ モーリンと二人で、夜の街を歩いた。 屋敷の場所は権利書に書いてある。鍵束は手の中にある。 今日はいっぱい戦った。いっぱい稼いだ。 そして俺たちは新しい住居を手に入れた。 ﹁しかし。血まみれだな﹂ 俺は言った。 自分の体を見る。 黒い鎧と、そこそこの切れ味の魔法剣︱︱。ドロップ装備だけで コーディネートしたものだから、だいぶ禍々しい感じになってしま った。まるで〝一仕事〟終えたあとの山賊みたいな格好だった。 なによりも、それっぽいのが︱︱返り血で、べっとりと汚れてい るところだった。 返り血は、装備や服だけでなく、髪にもついて、固まってしまっ ている。 ﹁そうですか? 私は、それほど⋮⋮﹂ ちなみに戦闘のあいだ、モーリンは、だいたいにおいて、後ろで 見ていただけ。 戦闘後に、ちんまく減ったHPを回復するために、回復魔法を唱 えてくれる程度。 俺も勇者なので、当然自前で回復魔法は使えるのだが。すぐ後ろ 66 にMP無限タンクがいるのだから、それに頼って 俺がキズを治させてやると、モーリンは、無表情なままではある が、そこはかとなく、幸せそうな顔をする。 モーリン歴20年の俺が言うのだから、間違いない。 ﹁街には公衆浴場がありますが﹂ ﹁おお。風呂があるのか﹂ それはいい。前世の記憶に風呂は出てこなかった。俺はすべての 記憶を持っているわけではなく、重要ではない記憶は忘れているも のも多い。日常のことはわからないことも出てくる。 ちなみに、金ならある。 100万Gを少々超える額を、きっちり稼いで帰ってきて、目の 前に突きつけてやったら、あの商人。向こうから自主的に﹁値切っ て﹂きた。 はじめからボッていたのか、それとも、今後もひいきにして欲し い﹁上客﹂と判定したのか、それは俺の考えることではなく︱︱。 ひょんなことで出てきた﹁お釣り﹂を、ありがたく、もらって帰 ってきていた。 よって、いま、懐には20万Gと少々があった。 ええと⋮⋮、日本円にすると⋮⋮。いくらだ? 2000万円くらいか。まあ金額とかは、この際、どうでもいい か。 当面、困らないだけの、けっこうな大金がある。それで充分だ。 ﹁普通の浴場と、特殊な浴場とがありますが。どちらになさいます か?﹂ 67 ﹁それはどう違うんだ?﹂ ﹁普通の浴場は、男女別の大きな湯船があります﹂ ﹁ふむ。銭湯だな﹂ ﹁特殊な浴場は、美しい女性がサービスをしてくれます﹂ ﹁おおう﹂ ﹁おまえと一緒に入れて、おまえがサービスしてくれる風呂はない のか?﹂ ﹁貸し切ります﹂ ﹁そうしろ﹂ モーリンの腰を抱いて、歩きはじめた俺だったが︱︱。 ふと、脚を止めた。 ﹁⋮⋮マスター。どうされました?﹂ ﹁ん。いや。なんでもない﹂ 通りのすこし離れたところから、俺たちを、じっと見つめてくる 視線があったからだ。 通り自体も夜なので、暗くてよく見えないのだが⋮⋮。なにか、 薄暗いところで、じっとうずくまっているように思えた。 ﹁どうされました?﹂ ﹁いや⋮⋮﹂ 俺はモーリンを連れて、歩きはじめた。 ◇ 風呂をひとつ、貸し切りにして、モーリンと入浴した。 68 たっぷりとした湯で、体を長くして寝そべると、今日の疲れが溶 けるように抜けていった。 モーリンに体を洗ってもらった。人に洗われるのは、気持ちがよ かった。 そしてモーリンの体のほうは、俺が洗ってやった。洗っているう ちに、そういう気分になってきたので⋮⋮。自重せずに、彼女を抱 いた。 戦闘をしたせいで昂っていたのだろうか。昨夜よりも激しく求め てしまった。 食事も風呂の中に取り寄せた。 食いながらした。しながら食った。 ◇ そうして、モーリンと二人で、しっぽりと、くつろいだ時間を過 ごしてから︱︱。 俺たち二人は、夜の道を歩いていた。 夜はすっかりと更けていて︱︱。通りからも、人の姿が消えてい る。 ﹁すっかり遅くなってしまったな﹂ ﹁マスターがケダモノだったせいですね﹂ いつもは距離を置いて歩くモーリンだが、俺の腕を取り、しなだ れかかるように体を預けてきている。 毅然とクールな彼女もいいが、こういうのも、悪くないと思った。 69 買ったばかりの館を見に行くのもいいのが⋮⋮。 もう夜は遅い。 今夜はモーリンのあの小屋で過ごして、明日になってから、館に 行ってみるか。 ﹁ああ。そういえば。ここは⋮⋮。さっきのところか﹂ 見覚えのある場所に来て、俺は、ふと、立ち止まった。 さっき視線を感じた交差点だ。 視線の正体はわからずじまいだったが︱︱。 もうあれから何時間も経っているので、視線の主は、さすがにも ういないだろうが︱︱。 いや。⋮⋮あった。 前回のときと同じ場所から︱︱。 うずくまるくらいの高さから、こっちを、じいっと見つめてくる 視線があった。 なんだ? 暗殺者にしては、気配が、だだ洩れなのだが⋮⋮? あれじゃ素人以下だ。 ﹁どうしました?﹂ ﹁いや。暗殺者⋮⋮なわけはないな﹂ モーリンに言いかけて、俺は言葉を止めた。 70 もう勇者じゃないんだっけ。 じゃあ暗殺者につきまとわれることもないのか。 視線の正体を確かめてみるために、俺は、そちらに歩いていった。 路地の入口あたりに、大きな木箱が置かれていて、視線はそこか ら送られてきている。 その木箱の前に立ち、俺は︱︱。 ﹁なんだ⋮⋮? これは?﹂ 人間が檻に入れられていた。 入れられているのは⋮⋮、たぶん、娘。 たぶん年頃の娘。 ひどく汚れていて、ぼろを着ているので、はっきりしない。 木箱は、人が一人、なんとか座っていられるだけの大きさしかな かった。 立つことも横になることもできないような木箱のなかで、娘は、 頭が天井にくっつきそうになりながら、窮屈そうに座っている。 ﹁⋮⋮﹂ 目と、目が、合う。 暗闇のなから、こちらを見てくる目は︱︱不思議と澄んでいた。 檻に入れられ、首輪を付けられていても、その目は屈服していな い。 この視線だ。 71 俺が夕方から気になっていたのは、この目だった。 しかし⋮⋮。 なぜ人が檻のなかに入れられているんだ? 俺は剣を抜いた。 檻は単なる木箱だった。こんなもの、たったの一撃で︱︱。 ﹁マスター。それは犯罪にあたります﹂ モーリンが言った。 ﹁⋮⋮俺か?﹂ 俺はモーリンにそう聞いた。 どうやらモーリンは、人を木箱に閉じ込めていることのほうでは なく、俺のしようとしていることのほうを、﹁犯罪﹂と言っている らしい⋮⋮? ﹁はい。他人の財産を侵害するのは、こちらの世界では犯罪にあた ります。マスターのいらした異世界では、どうかわかりませんが﹂ ﹁財産⋮⋮? 人だろ?﹂ 俺はもう一度、木箱の檻と、その中にいる女の子︱︱たぶん︱︱ を、よく見た。 木箱には値札が貼りつけられていた。 なにか但し書きか、売り文句みたいな、文面もある。 ﹁やあ。こんな時間にいらっしゃい﹂ 72 ぱかりと建物の壁の窓が開いた。 ﹁ええ。ええ⋮⋮。当店は24時間営業ですとも。︱︱お金を払っ ていただけるお客さんでしたらね﹂ いかにも強欲そうな濃い顔の男が、木窓をはねあげて、顔を出し ていた。 男の後ろのほうには、崩れた感じの女が、一瞬、見えていたが︱ ︱。その尻も、すぐに視界から消えてゆく。 ﹁奴隷をお求めですか。︱︱いいのが揃っていますよ?﹂ どうやら〝商談〟がはじまってしまったらしい。 ﹁しかしお客様。その娘に目をつけられるとは、お目が高い﹂ 商人は説明をする。 、、 ﹁それは掘り出しものでしてね。当店でも、とびっきりの上玉なん ですよ﹂ そこで、商人は、左右をうかがう仕草をした。 声をひそめて、こっそりと、小さな声で︱︱。 ﹁じつは⋮⋮、ここだけの話⋮⋮、さる王家の血を引く者でしてね ⋮⋮? 本日お買い上げでしたら、特別に、お安くしておきますが ⋮⋮?﹂ 73 異世界だから﹁奴隷﹂がいるのもおかしくはない。 勇者だった頃の、俺の前世の記憶は、意外と穴だらけだから、そ こだけ抜け落ちていたか︱︱あるいは、奴隷を見たことがなかった のかも? なにしろ勇者は忙しい。 戦って。戦って。戦って。そして死ぬのが勇者の仕事だ。 街や世の中が、どうなっているのか︱︱知らなくても、勇者はや れる。 ﹁どうです? その娘? 見目は良いでしょう? ⋮⋮ああまあ。 いまはちょっと汚れてますしね。洗って服を着せれば、見栄えがす ること請け合いですよ!﹂ ﹁⋮⋮ふう﹂ 俺は肩をすくめてため息をついた。 商人のセールストークには、正直、うんざりとしていた。 だが商人は、俺のその、ため息と仕草とを〝感嘆〟と受け取った のか︱︱建物の外に飛び出してきてしまった。 本格的に売る気になってしまったようだ。 〝肩をすくめて、ため息〟のボディランゲージは、異世界だと、 違う意味になるのかもしれない。 ﹁⋮⋮いくらだ?﹂ 唾を飛ばしてセールス文句を垂れる商人を黙らせるために、俺は そう言った。 いや、奴隷の娘を買おうとしているのは、それが理由ではないか。 74 もともと、この︱︱檻に捕らえられた娘を、解放しようとしてい たわけだ。 檻を壊して解放するのも、金を払って解放するのも、方法は違え ど、行為としては同じことだ。 ﹁いけません!﹂ 凛とした声が、響き渡る。 檻のなかの娘だった。 ﹁貴方はだまされています! 私は王家の血筋なんかじゃありませ ん。掘り出し物っていうのも真っ赤な嘘。売れ残って、表に置かれ ているだけです﹂ ﹁だまれこの!﹂ 商人が木箱を蹴った。女の子はびくりと身をすくめる。 ﹁せっかく買ってくれるっていうお客さんがいらっしゃるんだ! 余計なことばかり言うその口を、すこしは閉じていろ!﹂ 数度、箱を蹴りつけて︱︱娘が何も言わなくなると、商人は俺に 向いた。 ﹁いえ。なに。失礼しました。⋮⋮ええ。まあ。少々。口も態度も よろしくない娘ですがね⋮⋮。口さえ閉じていれば、これが、けっ こうな美形なんですよ。⋮⋮ええ。わかりました。わかりました。 そこの値札から、ずっと、お値引きさせていただきます﹂ 75 俺は値札の文字が読めないわけだが⋮⋮。 商人はそんなことも知らないわけで⋮⋮。 数字ぐらいは読めるようになっておこう。10種類ほど覚えるだ けだ。 ﹁ずばり! 20万G! ︱︱どうですお安いでしょう?﹂ 商人が言う。 ﹁いけません!﹂ 娘が言う。 そして木箱が、どすっと蹴られる。 俺は懐から袋を取り出すと、丸ごと、商人の足元へと放った。 どすんと、重たげな音を響かせつつ︱︱袋は地面へと落ちた。 ﹁へぇ! へへえぇ!﹂ 男は地面の袋に飛びついた。袋からこぼれたゴールド貨幣も、這 いつくばって拾い集める。 俺は冷たい目で、貨幣を拾い集める男を見ていた。 あまり気分がよくなかった。 ﹁では。これを﹂ 男から鍵を受け取る。 なんの鍵かと思えば︱︱。 76 木箱の檻から出てきた娘を見て、わかった。 首輪の鍵だった。 娘は、ぼろきれ一枚を体に引き寄せているだけで、素っ裸に近い 格好で立っている。 俺を不審そうな目で 俺は自分のマントを外すと、娘の体をくるんでやった。返り血が ついているが、いまの格好よりは、ましだろう。 ﹁あ⋮⋮、ありがとうございます﹂ 俺は娘の手に鍵を与えた。いま商人から受け取ったばかりの、首 輪の鍵だ。 そして娘に何も言わず、先に立って歩きはじめた。モーリンが静 かに俺のあとについてくる。 ﹁毎度ありがとうございまーす!﹂ 商人の、ほくほくとした声が、俺の背中にかけられる。 売れ残りの〝在庫〟を〝処分〟することができて︱︱。 あの商人は、さぞ、今夜はよく眠れることだろう。 かわりに俺は一文無しになってしまったが。 ◇ 2ブロックほど歩いたが、娘は、ぺたぺたと裸足を鳴らして、俺 たちのあとをついてきていた。 77 もう1ブロックほど歩いたところで、俺は、ついに振り返った。 ﹁なぜついてくる?﹂ ﹁貴方は私を買いました﹂ 娘に言うと、簡潔な答えが返ってきた。 ﹁鍵はやったろう。好きなところへ行け﹂ ﹁そういうわけにはいきません﹂ 娘は、きっぱりとそう言った。 どうも強情な娘らしい。 なるほど。売れ残るわけだ。 ﹁俺は奴隷なんて持つもりはない﹂ ﹁じゃなんで買ったんですか! 20万Gも、ぽんと払って? ば かじゃないんですか! そんな大金! あんな商人に騙されて! 言ってあげたのに! 警告したのに!﹂ なんか。娘は。いっぱい言ってきた。罵ってきた。 これが地か。 俺は、ちょっと笑った。 さっきの取り澄ました感じは、あまり好きではなかったが、こっ ちのほうなら、好きになれそうだ。 娘は俺のことを睨みつけてきている。 夜の闇の中で、目だけが光っている。 78 そういえば、その目に惹かれたんだっけな。 檻のなかに入れて首輪に繋がれていても、屈服していない、その 目に惹かれたんだっけな。 この目をした獣は、檻のなかにはいていけない︱︱と、単に、そ う思った。それだけだ。 いや⋮⋮。獣じゃないが。人間であり、娘だが。 ﹁俺は奴隷を買ったつもりじゃない。解放してやっただけだ﹂ ﹁頼んでなんていません﹂ ﹁俺が勝手にやったことだ。あのまま立ち去ってもよかったが。寝 覚めが悪くなりそうだったんでな﹂ ﹁貴方がどんな理由で買ったかなんて、私とは関係ありません﹂ ああ言えば、こう言う。 なんだか言いあいの感じになってきた。 このまま往来で続行すると、しまいには︱︱。﹁バカっていった ほうがバカ﹂とか﹁何時何分何秒に言ったよ﹂とか、そんなフレー ズまで飛び出してきそうだ。 助けを求めるように、モーリンに顔を向けると︱︱。 彼女は口許に手をあてて、くすくすと笑っていた。 その笑顔を見ただけで、20万Gくらいの浪費の価値はあったな。 じつは、ちょっとだけ︱︱気になっていた。 勝手に奴隷なんか買っちゃって、怒られはしないかと︱︱。 無用の心配だったようだ。 79 ﹁とにかく、貴方が私の所有者です﹂ ﹁だから買いたくなかったと言ってるだろう﹂ ﹁私だって買われたくなんて、ありませんでした。︱︱でも。買わ れたんですから。ついてゆきます﹂ ﹁勝手にしろ﹂ 俺は背中を向けて、憤然と歩きはじめた。 ぺたぺたという、裸足の足音がずっとついてくるのを聞きながら、 小屋へと向けて歩いた。 80 奴隷が売ってた ﹁お客様お目が高い。この娘は、さる王家の血 を引く者でして﹂︵後書き︶ 新ヒロイン登場です。 名前は⋮⋮、まだ呼んでもらえません。 しばらく名無しっ子っです。 2回くらい先まで名前出ませんが、レギュラー化するメインヒロイ ンです。 81 奴隷を持ってしまった ﹁暖かい毛布とか、柔らかい寝床とか、 ひさしぶりです⋮⋮﹂ 寝た。起きた。 ちゅんちゅん。︱︱という、スズメだかなんだかの、鳥の声を聞 きながら、俺は目を覚ました。 干し草の上のベッドに、身を起こして、ぼんやりとする。 傍らにモーリンの体はなく、俺一人だ。 昨日の朝と同じに、モーリンは食事の準備に取りかかっていて︱ ︱。いいにおいが漂ってくる。 ︱︱と。それはいいのだが。 俺は小屋の中を見回した。 なにも異常は見つからなくて、つい、ほっとしかけた、その瞬間 に︱︱。 小屋の隅の毛布の小山から、ちょろりとはみ出した、鎖の端っこ が、見えてしまって︱︱。 げっそりとした顔になる。 夢であったらいいなー、という気分が、すこしはあった。 昨夜の出来事は夢ではなくて、現実だったのだと、諦めるまでに 要した時間は︱︱。まあ、多めに申告しても、二秒フラット。 俺はベッドのシーツから抜け出すと、小屋の隅へと歩いていった。 鎖の端を握って︱︱。引っぱる。 82 ﹁ひゃん!﹂ 案外と可愛い鳴き声とともに︱︱。 昨夜の奴隷娘が、ずるずると毛布のなかから引っぱりだされてく る。 鎖の先は、娘の首輪に繋がっていた。 ﹁あっ⋮⋮! あわわっ! あわわわっ!﹂ いきなり叩き起こされたせいか、娘は慌てふためいている。 結局、こいつは、ついてきてしまったのだ。 もう自由だから、どこへなりと行けばいいと、そう言ったのだが ︱︱。 ﹁なに、ぐーすか寝てやがるんだ﹂ 俺は言ってやった。 勝手についてくるだけに留まらず、小屋にまで入りこんで、朝ま で熟睡とか。どんだけだ。 ﹁あ⋮⋮、あの、ごめんなさい⋮⋮。暖かい毛布とか、柔らかい寝 床とか、ひさしぶりだったもので⋮⋮﹂ ﹁柔らかい?﹂ 石の床の上で寝ていたはずだが︱︱? 見れば、すこしは藁が敷いてある。毛布も一枚ではなく、何枚か 置かれている。 83 ああ。まあ⋮⋮。 横になることもなれない檻の中に比べたら︱︱。はるかにマシか。 ぜんぜんマシか。熟睡しきるほどマシなわけか。 ⋮⋮まあそうだろうな。 ﹁可哀想ですよ。マスター。奴隷暮らしで疲れているんですから﹂ 食事を運んできながら、モーリンが言う。 毛布をくれてやったのも、モーリンか。 俺は小屋に帰るなり、ふて寝を決めこんでしまったので、あとの ことは知らなかった。 ﹁あっ。あの私⋮⋮、手伝えること、なにかあるでしょうか?﹂ 娘は立ちあがると、モーリンを手伝いはじめた。 といっても、出来上がった料理を運んで並べるだけだが。 ◇ 食事は、昨日と違って、三人分、用意されていた。 俺の分。 娘の分。 そしてモーリン自身の分。 昨日と違って、モーリンの分が用意されているのは︱︱。娘への 配慮だろう。 俺と娘の分だけあって、自分の分がなかったら、この娘は、きっ 84 と食わない。 食えと言ったって、食いやしない。 きっとそうだ。絶対にそうだ。 言って聞くような相手なら、いま、こんな事態になっていない。 ﹁⋮⋮すごい。こんなごちそう。⋮⋮貴族みたい﹂ 単なるスクランブルエッグと、ベーコンと、焼きたてパンと、絞 りたてミルクと果物というメニューに、娘は、目を丸くしていた。 そのお腹が、ぐうううぅぅぅー、と、鳴り響く。 娘は恥ずかしがって、恐縮していた。 ﹁食わないのか?﹂ ﹁え、えっと⋮⋮﹂ 娘は、俺とモーリンの顔色をうかがっている。 なんで食わないのか、不思議に思った。 だが、考えたら、すぐにわかった。 俺がコーヒーを飲んでいたからだった。 俺が手を付けていないのに、奴隷の自分が食べるわけにはいかな い。︱︱と、そういうとこだろう。 俺は、ちょっぴり、この娘が好きになった。 愛の巣に飛びこんできたお邪魔虫、くらいに感じていたが。虫か ら格上げしてやってもいい。 85 ﹁食っていいぞ﹂ 娘は食べはじめた。 手づかみで食ってる。 俺が、スプーンとフォークを使って食いはじめると、手で握りし めたベーコンを皿に戻して、ぎこちなく、フォークを握って、俺の 真似をして食ってる。 やべぇ。もうちょっと好きになってきた。 ﹁たしかに⋮⋮、王家の血筋とやらでは、なかったな﹂ 俺はそう言って、軽く笑った。 ﹁お、王家⋮⋮ではないですけど。族長の娘ではありました。⋮⋮ 手っ、手ぇっ、手づかみなのはぁっ︱︱、うちの部族の、さ、作法 なんですっ﹂ 胸を反らして、ツンと澄ました顔になる。 なるほど。育ちはいいらしい。 日の光の下で見てみると、娘は、かなりの美貌を持っていること がわかった。 ただ⋮⋮、言っちゃ悪いが、顔も髪も汚れきっていて⋮⋮。あと、 木箱に長いこと閉じ込められていた生活のせいだろうか⋮⋮。つま り、ニオイが⋮⋮。 ﹁⋮⋮?﹂ 86 顔を横に傾けて、大きく口を開いて、卵とベーコンとパンをいっ ぱい載せたパンに、かぶりつこうとしていた娘は︱︱。 俺の表情に、まず気がついて︱︱。それから、すんすんと鼻を鳴 らして、自分の発する臭気に気がついて︱︱。 娘は、すすすーっと、1メートルばかり後ろに、自分から下がっ ていった。 ﹁その⋮⋮、ごめんなさい。でも⋮⋮、これは仕方のないことで⋮ ⋮﹂ かしこまって恐縮している。 さっきまでの強気ぶりとうってかわって、かわいらしくなってし ま。 ﹁⋮⋮これで、だいじょうぶですか?﹂ 距離のことを言っているのだろう。 ﹁だいじょうぶじゃないが。気にするな。それより早く食え。今日 は働いてもらう﹂ ﹁さっきは出ていけって言われてましたけど﹂ ﹁出ていってくれるなら、出ていってくれてかまわない。自由だっ て言ったろ。︱︱だが、おまえはなんでか、出ていかないようだか らな。だったら、食った飯のぶんは、働いてもらう﹂ 娘は、しばらく、ぽかんと口を半開きにしていたが︱︱。 俺の言った言葉の意味がわかったのか︱︱。 ﹁はい!﹂ 87 力強く、うなずいてきた。 ﹁ふふっ⋮⋮、マスターはお優しいですね﹂ コーヒーのおかわりを注ぎながら、モーリンが笑っている。 俺はぶすっとしていた。 88 屋敷を掃除する ﹁ちょ⋮⋮!? デッキブラシで女の子、洗わ ないわよ⋮⋮ねっ?﹂ ﹁ここが、俺たちの家か﹂ 地図を見ながら歩いてきた俺たちは、屋敷の門の前で立ち止まっ ていた。 ふむ。 ここが俺たちの家か。悪くないな。 すこし古いが、立派な面構えの邸宅だった。2階建てで、窓が無 数に並んでいる。 図面を見た限りでは、大きな広間があり、個室の数も充実してい る。地下室なんかも、たしかあったはずだ。 大きな厨房もあり、客を迎えて豪華すぎるほどのパーティを催す こともできる。 まあ。やらんが。 きっと貴族か大商人でも住んでいた屋敷なのだろう。 大きな庭まで備えるその屋敷は、個人で所有するには、少々、大 きすぎるほどだった。 ﹁大きな⋮⋮、お城⋮⋮﹂ 娘が、ぽかんと口を半開きにして、つぶやいている。 俺は、くっくっく︱︱と、つい笑い声を洩らしてしまった。 89 娘には、〝城〟に見えたらしい。 ﹁いつまで眺めているんだ? ︱︱入るぞ﹂ ぼんやりとしている娘に声を投げて、俺とは屋敷の敷地へと足を 踏み入れた。 ◇ ぎいい、と、扉を押し開いて行く。 長いこと使われていなかったのだろう。埃っぽい空気が充満して いた。 床にも、うっすらと埃が積もっている。 モーリンが屋敷の奥へと進んでゆく。指先をあげ、ぽっ、ぽっ、 と、魔法の小球を生み出して、壁の燭台に光を灯してゆく。 蝋燭の灯りじゃない。魔法の灯りだ。 ﹁ま⋮⋮ほう、だ⋮⋮﹂ 娘がまたぽかんと口をあけている。 今日は驚きっぱなしだな。 ﹁さて。働いて貰おうか。俺は、さっき言ったな?﹂ ﹁え⋮⋮、ええ⋮⋮、はい、わかってます﹂ 娘は俺に顔を向けた。 ﹁なにを⋮⋮、すれば、いいんでしょう?﹂ 90 ﹁掃除だな﹂ ﹁は、はは⋮⋮、一人で?﹂ 娘は引きつった笑いを浮かべた。 ﹁だいじょうぶだ。モーリンがいる。あれの労働力は、ざっと数え て普通のメイド300人分はある﹂ モーリンは、いわゆるひとつの完璧超人というやつだ。 ﹁じゃ、じゃあ⋮⋮、私、いてもいなくても、一緒じゃあ⋮⋮?﹂ ﹁飯の分を返さずに食い逃げしたいなら、どうぞご自由に。俺は解 放してやるって言ったのに、恩を返してないとか言って、勝手に残 っているのはおまえだろう﹂ ﹁恩じゃなくて、お金の話です。私が逃げたら、貴方、大損じゃな いですか﹂ ﹁だから逃げるんじゃなくて、解放したんだって言ってるだろうに ⋮⋮﹂ 俺は後ろ頭をぽりぽりとかいた。 この言いあいを、また繰り返すつもりはないんだが⋮⋮。 ﹁⋮⋮仕事をはじめます。掃除すればいいんですよね?﹂ ﹁ああ⋮⋮。そうだが⋮⋮。待て﹂ 掃除道具を探しに行こうとする娘を、俺は呼び止めた。 娘の歩いていった床に、足跡が残っている。 91 足跡は本当に裸足で歩いていたからだ。 娘の格好は、昨夜のまま。 俺のくれてやったマントに身をくるんではいるが、その下は、奴 隷の木檻に入っていたときのままで︱︱。半分、裸みたいな格好だ。 長かった奴隷生活のせいで、娘の体は、ひどく汚れていて︱︱。 ﹁ちょっと来い﹂ ﹁え? ちょっと︱︱なに? なんですか!? 離して!﹂ ﹁いいから来い﹂ 俺は娘の手を引くと、屋敷の中を歩いた。 たぶんこのあたりだろう、というところに、目的の場所︱︱〝厨 房〟はあった。 水瓶がある。 雨水が溜まる仕組みなのか。澄んだ水が、なみなみと湛えられて いる。 ﹁あとは⋮⋮、ああ⋮⋮。あった︱︱、あった︱︱﹂ 俺が見つけ出してきたのは、床用のブラシ。 長い柄がついていて、両手で構えて、ごしごしと力を入れて洗う ためのブラシだった。 向こうの世界だと〝デッキブラシ〟という名前がついている、そ の先端のブラシの剛毛を、ずいっと︱︱娘に向けた。 92 ﹁屋敷の掃除をさせるまえに、まず、おまえの体を〝掃除〟しない とな。︱︱そうでないと、綺麗にしているのか、汚しているのか、 わからん﹂ ﹁えっ? いえあのっ⋮⋮、そ、その凶悪な感じの、ブラシはっ⋮ ⋮?﹂ ﹁マントを脱げ。そうしたら、そこの水瓶から、水を汲んで、自分 で体に浴びろ﹂ 俺はそう命じた。 ﹁ちょ⋮⋮、ま、まさか⋮⋮、そ、そんな凶悪なブラシで⋮⋮、女 の子︱︱洗わないわよね?﹂ ﹁敬語を忘れてるぞ﹂ ﹁あ、洗いません⋮⋮よねっ?﹂ ﹁いいから裸になれ。それとも、俺に裸にひん剥かれたいのか?﹂ ﹁ひ、ひん剥くって⋮⋮﹂ ﹁面倒くさいやつだな﹂ 俺は手を伸ばしかけた。ひん剥いてやろうと伸ばした手から、娘 は逃れて︱︱。 ﹁ぬぎます! ぬぎますっ! ぬぎますからっ! さ︱︱さわらな いで!﹂ 触りたくないから、ブラシを探してきたんだが⋮⋮。 娘はしぶしぶ、マントを脱いだ。 93 わずかにまとっていた、ボロ切れ状態の服も、すっかり脱いで、 完全な全裸となる。 胸と股間を手で隠して、顔を赤らめて、厨房のタイルの床に立つ。 ﹁あ⋮⋮、洗うからっ⋮⋮、自分で、やるからっ⋮⋮﹂ ﹁敬語を忘れているぞ﹂ ﹁あ、洗いますから⋮⋮、あっちへ行っててくださればぁ⋮⋮、自 分でしますからっ﹂ ええい。もう面倒くさい。 俺は水瓶から汲んだ水を、娘の裸に、ぶつけるようにして︱︱ぶ っかけた。 ﹁つめたい!﹂ ﹁水が冷たいのはあたりまえだ﹂ 娘は、いちいちと、うるさかった。俺はさっさと〝作業〟を終わ らせることにした。 ﹁まずは背中からだ﹂ デッキブラシを、娘の背中に︱︱ごしごしとかける。 ﹁いたい! いたい! ︱︱いたいっ!﹂ ﹁これでも加減してやっている。このくらいの力を入れないと、お まえの垢が落ちんだろう﹂ 娘が暴れて洗いにくいので︱︱。 94 背中を蹴ってうつ伏せにさせる。足で踏みつけて、逃げないよう にする。 ﹁逃げる! 逃げます! もう逃げてやるうぅ!﹂ ﹁だから最初から逃げろと言っている﹂ ﹁︱︱やめて! 残るなんて言わないからぁ! もう逃げ出させて ええぇ!﹂ 俺は一切耳を貸さず︱︱。娘の体を、ごしごしと洗った。 ◇ ﹁うっ⋮⋮、うっうっ⋮⋮﹂ ﹁ほら。綺麗になったじゃないか﹂ べそをかいている娘の髪を、タオルで拭いてやりながら、俺は言 った。 ちょっと埃っぽいタオルだが、ほかに見あたらなかったので、し かたがない。 洗う前の娘は、ちょっとばっちい感じで、触るのは、はばかられ たものだが︱︱。 洗ったあとの娘になら触れられる。 てゆうか。むしろ触れたい。 髪と体を拭ってやるついでに、あちこちタッチしてしまおうかと も思ったが⋮⋮。 そこは、自粛しておく。 この世界に転生して、自重はしないことに決めている。 だが自粛はする。 95 洗うだけ、と、自分で言っていたのに、他のことをはじめてしま ったら、カッコが悪い。 さっきまで﹁死ぬ﹂だの﹁いっそ殺して﹂だの口走っていた娘は、 観念したのか、すっかりおとなしくなって、俺の手に髪を任せてい る。 はじめ見たときには、目の光以外は、ただの小汚い奴隷娘としか 思っていなかった。 綺麗に洗ってやって、第二の皮膚となってしまっている垢を、削 り落としてやりさえすれば︱︱。 ずいぶんと、美しい娘だった。 やべえ。ちょっと欲情した。 ちょっとしか、欲情していないが⋮⋮。 具体的には35度くらいだ。 ﹁彼女の服が入り用ですね﹂ 声がかかる。 ﹁ああ。⋮⋮そうだな﹂ 俺は余裕を持って、背後を振り返った。 モーリンが立っていた。 ﹁あんまり汚かったからな。洗ってやった﹂ 俺はそう言った。 単なる事実をモーリンに説明する。 96 ちょっと、どっきりしていた。 ちょっとしか、どっきりしていないが⋮⋮。 あー。びっくりしたー。びっくりしたー。 ﹁それは? おまえとお揃いだな﹂ モーリンの持っている服に、俺は目を留めた。 ﹁いま予備はこれだけでして﹂ モーリンの持っているのは、メイド服だ。 彼女の手から、その服を受け取り︱︱。 俺はそれを、しゃがみこんだままの娘の背中に、ばさっと、投げ 落とした。 ﹁ほら。着ろ﹂ 97 据え膳食えと言われてもな ﹁お、お金以外のもので⋮⋮、借り を返します!﹂ 夜、俺は大きなベッドの上で横になっていた。 モーリンはまだ仕事が残っているとかで、夜なべで作業をやって いる。 屋敷中、ピカピカにするつもりのようだ。 俺は一人でベッドにいた。 寝ようと思うのだが、これが、なかなか寝付けない。 暖炉では、ぱちぱちと火が燃えている。 部屋の中はうっすらと火の赤で、照らしだされている。 このあたりは、大陸のなかでも、暮らしやすい温暖な地方である が︱︱夜はすこしだけ冷える。 暖炉があると、大変、快適だ。 もっとも暖炉なんて持っている豪邸は、金持ちの家でも、そうそ うないだろうが⋮⋮。 今日は、たくさん働いた。 屋敷を掃除するのは、モーリンと娘の仕事だった。 俺の仕事は、もっぱら、すぐにサボる娘の尻を蹴飛ばして、仕事 につかせることだった。 娘に言わせれば、あれはサボっているんじゃなくてヘタりこんで いるのだと言うのだが。﹁すこし休ませてよ死んじゃう﹂とか﹁こ 98 の鬼畜﹂とか、いろいろ、言っていたが⋮⋮。 俺は細々とした家事については、一切、手伝わず︱︱。 それ以外で、力のいる仕事を、すこしやった。 薪を割ったり、葡萄酒の樽を、丸ごと一個、街中で買い上げて、 街中から担いで きたりと︱︱そうした仕事だ。 屋敷を買うために金を稼ぎに、ダンジョンに行った。 そのときに、ついでにレベルがだいぶ上がっていた。ステータス もだいぶ増えた。 レベルというのは、世界の仕組みに組み込まれた、高次の概念だ が︱︱。 単純な肉体的な﹁力﹂というものなども、ステータスの増加で変 化する。 何十キロもあるような樽を、ひょいと担いで、軽々と運んでこら れる。 いまの俺は、そのくらいのステータスを持っているというわけだ。 本来であれば、冒険から帰ってきたら、ギルドに行ってレベルア ップの申請と測定をするものらしいが︱︱。 まあ、そのうちでいいだろう。冒険をするのは﹁ついで﹂であっ て、それが﹁目的﹂ではない。 娘は夕食のときまでには、相当、へばっていた。 それでも食事には食らいついた。 一回、吐いていたが、そのあとでまた食った。いい根性をしてい る。 しかし⋮⋮。そんな吐くほどの運動量か? 99 仕事の内容は違えども、仕事の﹁量﹂としては、俺のほうが、は るかにこなしている。 主人より働かない奴隷が、どこにいるというのだ。 やっぱ。解雇だな。解雇。 明日になったら、あの尻をドアから蹴り出して、クビだ、と言い 渡してやろう。 そして好きなところに行けばいい。 せっかく自由になったのだから。 ⋮⋮とか。 そんなことを考えて、寝付けずにいたら︱︱。 こんこん、と、控えめに、ノックの音が響いた。 ﹁あいてるぞ﹂ 俺は言った。 誰だ、とは聞かない。 きっとモーリンだ。 俺の無聊の相手をしに、顔を出してきたのだと︱︱。 ︱︱と、思ったら、違った。 ﹁あの。ご主人さま⋮⋮? 起きてます⋮⋮よね?﹂ ﹁ああ﹂ 娘だった。 燭台を手に、木綿の夜着一枚で、俺の部屋を訪れにきた理由は⋮ 100 ⋮。 考えるよりも、聞いてみるのが、早いだろう。 ﹁なんの用だ?﹂ ﹁話があって﹂ ﹁なんの話だ?﹂ ﹁そういう。威圧的な話しかた。やめてもらえます? いま不機嫌 なのでしたら帰りますし。あとにしますし﹂ ﹁⋮⋮なんだ?﹂ 俺はベッドの上に身を起こし、座り直すと︱︱娘に向いた。 きちんと娘の目を見て、話をする。 ﹁まず最初にお礼は言っておかなきゃと思って﹂ ﹁なんの礼だ?﹂ ﹁もう! だからそれやめて! ⋮⋮やめていただけますか? 私 と歳もそれほど変わらないのに⋮⋮、なんでそんなエラそうに。⋮ ⋮ご主人さまは、いくつなんですか?﹂ ﹁17だな﹂ モーリンに聞いてみたところ、17歳ぐらいと言われた。 前世と前々世を数えると、ややこしいことになるので⋮⋮。肉体 の見かけの年齢で、通すことにしている。 ﹁なによ一個下じゃないの﹂ 101 娘はぼそぼそと口の中で文句を垂れた。︱︱聞こえてるぞ。 ということは、娘は18か。 ﹁私を買ってくれたことと、奴隷から解放してくれようとしたこと には、まず、お礼を言います。どんな酔狂だったのかは知りません けど﹂ ﹁ああ。その件だが。⋮⋮おまえもう、明日、朝飯くったら、どこ へでも行っちまっていいぞ。半日働いたくらいでへたりこんで、ひ ーひー死ぬ死ぬ言ってる根性なしのメイドは、うちにはいらん。解 雇だ解雇。雇ったつもりもないが、クビだクビ。どこへなりとも行 ってかまわない﹂ 俺はさっき考えていたことを、娘に告げた。 ﹁また言いあいしたいの? ⋮⋮したいんですか?﹂ ﹁おまえもうメンドウくさいから、タメ語でいいぞ?﹂ ﹁そんなにわけにいかないでしょ! ⋮⋮いきません﹂ ﹁だからメンドウくさいって⋮⋮﹂ 俺は、つい、笑った。 娘も笑った。 ﹁おまえ。名前はなんていうんだ?﹂ ﹁やっと名前を聞いてくれた。︱︱聞くまで、絶対、名乗らないっ て、私、思ってた﹂ ﹁べつに名乗りたくなきゃ、名乗らなくていいんだぞ﹂ 102 ﹁おい﹂とか﹁娘﹂とか﹁あれ﹂とか﹁これ﹂でも、こちらは一 向に構わない。 ﹁アレイダよ。⋮⋮カークツルス族の、アレイダ﹂ ﹁アレイダ・カークツルスか﹂ ﹁ちがう。カークツルス族の、アレイダ。カークツルスは、部族の 名前。⋮⋮もうないけど﹂ ﹁ご主人様は? 名前。聞かせてくれない? ⋮⋮くれませんか﹂ ﹁あれ? 言ってなかったっけ?﹂ ﹁きいてないわよ。モーリンさんも、〝マスター〟って呼ぶだけだ し﹂ ﹁ええと⋮⋮、なんだったっけかな?﹂ ﹁言いたくないなら、言わなくていいけど。⋮⋮ご主人さまって呼 ぶから﹂ ﹁いや⋮⋮、そうじゃないが。えーと﹂ 冒険者ギルドで名前を書いた。 なんにしたっけかな⋮⋮? ﹁ああ。⋮⋮オリオンだった﹂ ﹁なによそれ? 自分の名前を忘れてた? ⋮⋮忘れてました?﹂ ﹁色々あるんだよ﹂ 転生者であること。元の名前は有名すぎて使えないこと。色々あ ったが。 娘に︱︱いや、アレイダか。 彼女に話すべきことではないだろう。 103 向こうも、奴隷に身を落とした経緯も含めて、色々あるようだ。 族長の娘がどうだとか︱︱前に口走っていた。その部族がもうな いということは、滅びでもしたのだろう。 この50年は平和らしいから、どうだかわからないが⋮⋮。その 手のことは、俺が勇者をやっていた大戦期には、よくあったことだ。 ﹁オリオンだけ? 下の名前とかは⋮⋮、ないの?﹂ ﹁ないな。ただの。オリオンだ﹂ ﹁ふぅん⋮⋮﹂ アレイダは、値踏みでもするように俺を見た。 この世界では、人は、ふつう、〝名字〟というものは持たない。 姓というものを持つのは、名家に生まれた者だけだ。守るべき〝 家〟を持つものだけが、姓というものを持っている。 王、王族、貴族、騎士、あとは大商人や、学者の家系など。 ﹁俺がそういう、いいとこの坊ちゃんに見えるのか?﹂ ﹁ぜんぜん見えない﹂ ﹁じゃあ、どういうふうに見えるんだ?﹂ ﹁もっとこう⋮⋮、ワルい人?﹂ ﹁ははは⋮⋮。ワルか。いいな﹂ 俺はおかしくて、笑った。 これでも世界を救った勇者なんだが。 そうか。ワルか。 自由でよさそうだな。ワルは。 勇者をやっていたとき。魔王を倒し、世界を平和にする︱︱決め 104 られた道を歩んでいたとき。 そしてまた、現代社会で社畜として、社会の歯車として組みこま れ、ブラックバイトやブラック企業で、すり減らされていたとき︱ ︱。 俺が、ずっと、なりたかったものは、﹁ワル﹂だったのかもしれ ない。 ﹁ああ。うん。そうだな。ワルだな﹂ 俺は認めた。 ﹁俺は好きなことをする。やりたいことをする。自重しない﹂ ﹁そうそう。そんな感じ﹂ アレイダは笑った。 ﹁それで⋮⋮。そんなワルに買われてしまった私は、ああ、これは きっと、ヒドい目に遭わされてしまうんだろうなー、って、そう︱ ︱﹂ ﹁期待したのか?﹂ ﹁だ︱︱誰が! 期待なんて︱︱!? ⋮⋮ちがくて。覚悟してい たの。⋮⋮覚悟していたんです﹂ ﹁ひどい目か。それは具体的にいうと、どういう目のことなんだ?﹂ ﹁え? そ、それは⋮⋮﹂ 俺が聞くと、アレイダは口ごもる。 ﹁そういや、昼間は、死ぬ死ぬ口走ってたな。︱︱ああいう感じか ?﹂ 105 しょっちゅうへたりこんでサボっていたから、蹴飛ばして、仕事 に戻させたが。 ︱︱あれか? あれが﹁ヒドい仕打ち﹂か? ﹁ず、ずっと狭い木箱に閉じ込められていたのよ? 体力が落ちて いて⋮⋮﹂ ﹁モーリンはおまえの10倍は働いて、顔色の一つも変えてないが な﹂ ﹁あ⋮⋮、ああいう仕事は⋮⋮、慣れてなかったから⋮⋮、そのう ち、慣れてくれば︱︱、もっと上手くできるわよ﹂ アレイダは言いわけばかりしている。 ﹁しばらくすれば、体力だって戻るし。体だって仕事に慣れてくる と思うし﹂ ﹁なんだ。ずっと居着くつもりか?﹂ ﹁貴方への借りをお返しするまでは﹂ アレイダは、毅然とした顔で、そう言った。 ﹁なにか貸しなどあったっけ?﹂ ﹁私を買うときのお金が︱︱﹂ ああ。あれか。 ﹁じゃあ返せ﹂ ﹁す︱︱、すぐに返せるわけないでしょう! あんな大金!﹂ 俺が半日で稼いできた額の、さらにその5分の1だったんだがな。 106 ﹁す、すぐに⋮⋮って言うなら。そ、その⋮⋮、お金はないけど⋮ ⋮、ほ、ほかのものでっ⋮⋮﹂ アレイダはうつむいてそう言った。 自分の二の腕を、ぎゅっと抱く。 ﹁あ、貴方は、たぶん⋮⋮、そういうつもりもあって⋮⋮、私を、 買ったんだと思うし⋮⋮﹂ ああ。なんか変な誤解をされているようだな。 ﹁いや。ノーサンキューだ﹂ ﹁へ?﹂ アレイダは、きょとんとしている。 ﹁え? ⋮⋮だってそういうことを⋮⋮、したいんでしょ?﹂ ﹁悪いがそこまで不自由していない﹂ ﹁え? でも?﹂ この年頃の娘というのは、自分の身体の価値を、どうして高く見 積もるのだろうか。 ﹁いや。だっておまえ。汚いし﹂ ﹁あ︱︱洗ったわよ! 洗ったでしょ! 洗われたわよね!?﹂ ﹁敬語は?﹂ ﹁あ⋮⋮、洗いましたから。⋮⋮その、だいじょうぶかと﹂ なにが大丈夫なのかわからないが、俺は首を横に振った。 いらんものはいらん。 107 だいたいこの手合いはきっと処女だ。メンドウくさいこと、この 上ない。 ﹁いまのおまえには、抱いてやるほどの価値もないな﹂ 俺はそう言い渡した。 ﹁なっ︱︱!?﹂ アレイダは顔色を変えた。 まず赤くなり、怒って、無言で俺を睨みつけ︱︱。 俺がまったく動じずにいると︱︱。 しばらくしたら、青くなった。 自分の身体に異様な高値を付けていたことに、気づいたのだろう。 ﹁そう⋮⋮、ですか﹂ がっくりと意気消沈して、帰っていこうとする。 あーあ。⋮⋮くそう。 こんなメスガキの一人が、自惚れていようが意気消沈していよう が、どうでもいいのだが︱︱。 ほっときゃいいのに︱︱と、自分でも思いながら、俺はその、と ぼとぼとした背中に、声をかけた。 ﹁あー、もしおまえが〝一人前〟になったら、そのときには︱︱抱 いてやる﹂ ﹁︱︱頼んでないし!﹂ 108 ばたん! ︱︱と、ドアを力一杯閉じて、アレイダは出ていって しまった。 俺は、くっくっく、と、含み笑いをもらしていた。 あいつ? 抱かれに来たんじゃなかったのか? そういや︱︱。 もう金がなかったな。 屋敷を買って、奴隷娘を一人、解放してやったから、すっかり一 文無しだ。 今日、街に行って、酒と食料を買ってきたが、あれは、モーリン の﹁へそくり﹂だ。 ヒモ生活も悪くはないが、アレイダを﹁一人前﹂にしてやると言 ったこともあるし、明日はダンジョンへ、繰り出すか。 俺は一人でベッドに入った。 モーリンが夜這いしてこないかとwktkして待っていたが、結 局、朝まで、なにもなかった。 109 奴隷娘を冒険者にする ﹁おまえを一人前にする約束をしたから な﹂ ﹁わたくしは、ついていかなくても、よろしいですか?﹂ 翌日。朝食を食べ終えたあとで、俺は、娘︱︱アレイダを連れて 外出することにした。 ﹁ああ。今日はだいじょうぶだ﹂ 入口まで送りにきたモーリンに、俺はそう言うと、歩きはじめた。 後ろにアレイダがついてくる。 格好はメイド服姿のままだ。こいつの服は、いまのところ、これ しかない。 ﹁なになに? どこ行くの? ︱︱服、買ってくれるの?﹂ ﹁はあァ?﹂ ﹁ちがいました。ごめんなさい。⋮⋮あと敬語も忘れていました。 ごめんなさい﹂ アレイダはしゅんとなった。 さっきから、ぴょんぴょんしていると思っていたら⋮⋮。そんな 勘違いをしていたわけだ。 ﹁おまえを一人前にするという約束をしたからな。⋮⋮冒険者ギル ドだ﹂ ﹁冒険者⋮⋮、ギルド?﹂ ぽかんとしている娘を置いて、俺は先に立って歩きはじめた。 110 娘は、慌てて俺のあとをついてきた。 ◇ ﹁うわ⋮⋮、すごい行列だな﹂ 昼時についてしまったのが、よくなかったのか、受付の窓口には、 どこも長い行列ができあがっていた。 ざっと見たところ、1時間は待ちそうな長さだ。 さて。どうしたものか。 俺がしばらく考えていると⋮⋮。 ﹁あっ! オリオンさん! こっち、こっち! こっちでーす!﹂ 窓口の一つを開いていた受付嬢が、腕をちぎれんばかりに、びゅ んびゅん振っていた。 ああ。 おとといあたりに来たときに、担当してくれた娘だった。 名前は⋮⋮。名前は⋮⋮。 俺は列をかわして、窓口の脇へと、直接、行った。 彼女に話しかける。 ﹁やあ﹂ ﹁今日はなにかご用ですか?﹂ ﹁ああ。ええと⋮⋮﹂ 名前がまだ出てこない。 111 ﹁リズって呼んでください!﹂ そうしたら、向こうのほうから言ってくれた。 あれ? でも? いま思いだしたのだが⋮⋮。 ﹁エリザでなかったっけ?﹂ ﹁はい! だからリズで!﹂ なるほど。愛称なわけか。 それで呼べと。 ⋮⋮ふむふむ。 ﹁ナンパしにきたんですか? ご主人様﹂ アレイダにちくっとやられて、俺は要件を思いだした。 ﹁今日は冒険者登録をもう一人と⋮⋮、あと、クエストでも、なに か紹介してもらおうと思って﹂ ﹁ええ。どうぞどうぞ! オリオンさんなら、いつでも大歓迎です !﹂ 今日の彼女は、妙にテンションが高い。 この前もこんなんだったか? そういえばモーリンの大ファンっ ぽかったな。 ﹁しかし⋮⋮、今日は混んでるな﹂ ﹁すぐやります。いまやります。どうぞどうぞ﹂ リズはそう言った。 112 ﹁いや。順番でいいよ﹂ 俺は、長々と続く列に目をやった。最後尾は壁際まで伸びている。 だがアレイダを並ばせておいて、自分は座って待っていればいい。 なんなら街をぶらついて時間を潰していても⋮⋮。 ﹁はいすいません。こちらの窓口は休止となります。他の列にお並 びくださーい!﹂ リズが窓口を閉じてしまう。 え? あれ? 列に並んでいた冒険者たちは、口々に文句を言ったり、じろりと 睨みをきかせたりしながら、他の列へ移動していった。 あららー⋮⋮。 ま。いっか。 待たずに済むのはありがたい。 俺たちは別室へと通された。 ﹁特別窓口﹂と書かれた部屋が、ギルドの奥にあった。 ﹁はい! 冒険者登録ですね。そちらの方ですか? これまでにな にか剣や魔法やその他の技能の心得は? 他の職能ギルドなどに登 録されていたことは? 提携先ギルドの場合には、免除や優遇措置 などがあります﹂ 113 ﹁あっ。はい⋮⋮、えっと⋮⋮?﹂ アレイダは不安そうな顔を、俺に向けてくる。 ﹁冒険者の資格はとりあえず持っておけ。俺の奴隷であるうちは、 所有物として財産扱いもしてもらえるが。俺のもとを離れて、自由 になったときには、人権もないぞ﹂ ﹁あっ⋮⋮、あの⋮⋮、ないです﹂ ﹁ではLv1からの開始となりますね。ステータスの測定をします ので。右手にある機械の球体の上に手をかざしてください﹂ 俺のときにも行った測定がはじまる。 ﹁あっ。はい。ステータスでました。ありがとうございます。ええ と。このステータスですと⋮⋮、ご案内できるご職業は︱︱﹂ ﹁CONが高いはずだ﹂ 俺は横から口をはさんだ。 ﹁えっ? オリオンさん? わかるんですか?﹂ ﹁ああ。なんとなくな﹂ 俺はうなずいた。 ﹁鑑定スキル⋮⋮? お持ちでしたっけ?﹂ ﹁いや。ないな﹂ 114 スキルはないが⋮⋮。元勇者の経験とでもいうのだろうか。 相手のおおまかなLvと、長所短所くらいなら、見ただけでわか る。 モーリンなら鑑定魔法が使えるので、そこの機械と同じか、それ 以上の精度で読み取れる。鑑定機というのは、鑑定スキルや鑑定魔 法を模して作られたものだから、オリジナルの精度は出ない。 ﹁オリオンさんのおっしゃる通りです。アレイダさんは、CONが ずば抜けて高いです。この耐久値ですと、お薦めなのは︱︱﹂ ﹁戦士だな﹂ ﹁はい。戦士です。お薦めです﹂ 俺が言う。エリザもうなずく。 グラップラー ﹁他にも格闘士などにも適性があると思いますけど﹂ ﹁戦士にさせたい。うちのパーティは少人数だからな。基本職でい い﹂ 俺はそう言った。 前衛に立って、敵の攻撃を受け止める役がパーティには一人は必 要だ。 格闘家なんてのは、前衛後衛揃ってからのアタッカーだ。 そして極めれば基本職がじつは最強だったりする。成長も基本職 のほうが圧倒的に早い。 とりあえず﹁戦士﹂として育成することに決めていた。 とりあえず﹁一人前﹂になるまでは、転職もなしだ。 115 ﹁私の意見は、聞いてくれないのね⋮⋮﹂ アレイダが嘆いている。身振りまで入れてアピールしている。 ﹁不満か? なら早く言え。三秒以内にだぞ﹂ ﹁いえ⋮⋮。いいです﹂ ﹁あの⋮⋮、アレイダさん? ところで、よろしいんですか? あ ちらのLvのほうが⋮⋮?﹂ エリザがアレイダになにかを聞いている。 ﹁いえ⋮⋮、いいです。戦士で。ご主⋮⋮、オリオンも、そう言っ てます﹂ ﹁おい呼び捨てか?﹂ ﹁ご主人様がどうしても〝ご主人様と呼べ〟とご命令されるのでし たら従いますが。表では、お名前のほうで呼ばせていただけると嬉 しいです﹂ ﹁呼び捨てはやめろ﹂ 俺は、そこだけは命令した。 ﹁オリオン⋮⋮、様?﹂ ﹁まあ⋮⋮、それならいい﹂ ﹁年下のくせに﹂ ぼそっ、と口にしたのは聞こえていたが、俺は無視した。 116 アレイダは冒険者となった。 戦士Lv1となった。 うちのパーティに前衛ができた。 117 奴隷娘を戦士でパワーレベリング ﹁武器ぐらい買ってください ⋮⋮﹂ さあ。冒険者になった。 職業は﹁戦士﹂にした。 冒険、開始だ。 昨日のダンジョンに行って、一階から攻略を開始した。 いや⋮⋮、正確に言うと、攻略しようとした。 最初でいきなりつまずいた。 ﹁こんな武器で⋮⋮﹂ 入口を降りたばかりのところで、まだ何メートルも行かないうち に、アレイダはぐずって動かなくなってしまった。 〝武器〟を手に、なにかぶつぶつと文句を言っている。 ﹁モップは嫌いか? デッキブラシのほうがよかったか?﹂ ﹁そういうことじゃなくて!﹂ 〝モップ〟を構えて、アレイダは言う。 デッキブラシは嫌いなようだったので、気を利かせてモップのほ うにしてやったのだが⋮⋮? ﹁武器ぐらい⋮⋮、買ってください⋮⋮、買いなさいよ! ケチ!﹂ ﹁どっちなんだ?﹂ 118 俺が聞いたのは、敬語なのか呼び捨てなのか、どちらなのかとい う意味だが。 ﹁買ってください⋮⋮﹂ アレイダは敬語のほうで言い直してきた。 ﹁武器か? そんなもん拾えば済むだろう﹂ ﹁自分はいいの持ってるくせに!﹂ 俺の腰に下がった漆黒のロングソードを示して、アレイダは言う。 ﹁俺のもこれは、全部拾ったものだ。この迷宮で出るものばかりだ ぞ?﹂ ﹁え? うそ? ほんと?﹂ ﹁だからどっちなんだよ﹂ 俺は笑いながら、また聞いた。 ﹁⋮⋮本当ですか?﹂ 俺はうなずく。 本当もなにも︱︱。俺だって、このあいだ、モーリンに、この迷 宮に連れてこられたわけだ。 Lv1からのスタートだ。 武器はなし。防具もなし。 俺の場合にはモップさえなかった。武器がなくてどうやってモン 119 スターを倒すのかというと、もちろん、素手で︱︱だ。 防具のほうは、街の人間の、普通の普段着からのスタートだった。 いまアレイダの着ているメイド服のほうが、いささか防御力が高 いんじゃないかと思えるほどだ。 ﹁さあ。四の五の言ってないで、はじめるぞ⋮⋮﹂ ﹁あ、あの⋮⋮、私はべつにね? 不当な文句を言っているわけで はなくてね? ダンジョンに挑むなら、それなりの装備っていうも のがあるっていうことを⋮⋮、いわば常識的なことを︱︱﹂ 俺はため息をついた。 これでも充分〝やさしく〟やってあげているのだが⋮⋮。 言っておくが、〝モーリン式〟は、こんなもんじゃない。 前々世において︱︱俺がいったい、どんな〝しごき〟を受けてい たと⋮⋮。 思いだしてしまうと、幼児退行してしまいそうだったので︱︱。 俺は記憶の蓋にしっかりと鍵をかけた。 ﹁やるのか? やらないのか? やらないのなら︱︱帰れ﹂ アレイダには冷たく言う。 だいたい、解放してやるって言っているのだ。 もう冒険者ギルドで登録もしたから、ギルドの一員であり、人権 も得ているわけだ。 奴隷として売られる心配は、当面、ない。 しかるべき準備を整えたうえで、ダンジョンに挑み、ちまちまと レベルアップしてゆくというなら、それもいいだろう。 120 それなのに、金返すだの、返せないから抱いてだの、色々メンド ウクサイことを言ってきたのは、こいつのほうだ。 ﹁わ⋮⋮、わかったわよ。や、やるわよ⋮⋮。やればいいんでしょ う?﹂ ﹁だから、やりたくないのなら、帰っても︱︱﹂ ﹁や、やります! やります! うわーい! がんばるわー!﹂ 妙にハイテンションとなったアレイダとともに、俺はダンジョン の攻略を開始した。 ◇ しばらくすると、防具が手に入った。 ﹁あ、あの⋮⋮、こ、これ⋮⋮、ち、ちょっと、はずかしいんだけ ど⋮⋮﹂ ﹁ほら言った通りだろう。防具が手に入った﹂ ﹁い、いや⋮⋮、そ、そうだけど⋮⋮、これ、ちょっと短すぎない ?﹂ スケイル 念願の〝装備〟が手に入ったというのに、アレイダのやつは不満 そうだ。 ドロップした鎧は、鱗状の小片を繋ぎ合わせた金属鎧で、ワンピ ース型。 メイド服を脱いでそれを着こむと、超ミニスカ状態となってしま った。 ﹁剣を振ってみろ﹂ 121 ﹁こ、こう?﹂ 武器のほうも手に入っていた。︱︱単なる剣だが。鉄でさえない 青銅の剣。 まあこんな初心者ダンジョンの一階をうろちょろしているモンス ターのドロップ品としては、それでも幸運なほうなのだが。 ﹁はっ! はっ、はっ! はあっ!﹂ アレイダは掛け声ごとに、前へと踏みこんで、剣を振る。 脚を大きく開いて動かすたびに、白い下着がチラチラと見え隠れ する。 ﹁うん。いいんじゃないか﹂ 俺は、言った。 ﹁あ、あの⋮⋮、見えて⋮⋮、なかった?﹂ ﹁いいと思うぞ﹂ だからいいと言った。 うん。いいぞいいぞー。 ﹁⋮⋮見えていたでしょ?﹂ アレイダは、じっとりとした視線を俺に向けてきた。 ◇ ﹁死ぬ⋮⋮、死んじゃう⋮⋮﹂ 122 ひとつの戦闘が終わった。 アレイダは、まだ生きていた。 ただし、だいぶ傷ついて、地面の上でのたうっている。 ﹁じゃあ回復してやるか﹂ 俺は回復魔法を唱えた。 俺の職業は〝勇者〟なので︱︱。あらゆる武器防具を装備できる うえに、だいたいの魔法も使うことができる。 魔法方面は、本職のマジックユーザーほどの威力はないものの、 攻撃魔法と回復魔法、補助魔法など、だいたい一通りのスペルは持 っている。 死にかけの低レベル戦士を全回復をさせて、HPを満タンにする ぐらいは、簡単なことだった。 そういや、俺も、つい1日か2日前までは、低レベルだったな。 こちらに召喚されたばかりのときには、Lv1だった。 いまって、俺、Lvいくつなんだろう? まあ。どうでもいいか。 ソロでこのダンジョンを最下層までクリアできることは実証済み だ。 回復魔法が効いてくると、アレイダの傷は、みるみる治っていっ た。 仰向けに姿勢を変えて、アレイダは荒い呼吸をしている。 123 スケイルメイル 鱗鎧の胸が苦しげに上下する。上を向いたせいで厚みの減った乳 房が、谷間に浮かぶ汗とともに、上下している。 ﹁どうして⋮⋮、手伝って⋮⋮、くれないんですかぁ⋮⋮﹂ ﹁手伝ったらおまえの修行にならんだろう﹂ このあたりのモンスターだと、一撃で倒してしまうどころか、一 度剣を振ったら、一ダースぐらいずつ数が減ってしまうだろう。 昨日だか、一昨日くらいだかの、俺が金策で挑戦していた頃であ れば、共闘してやってもよかったのだろうが⋮⋮。 いまではLvが違いすぎる。 だから俺は、自分では一切戦わず、アレイダだけを戦わせていた。 つまり〝パワーレベリング〟に徹しているわけだ。 ﹁さっきのは⋮⋮、危なかったわ⋮⋮﹂ ようやく地べたから身を起こして、アレイダが言う。 まったく。この女は文句ばかりだな。 やれ武器がないの防具がないの。モップはいやだの。ぱんつが見 えるの。 うん。ぱんつは大歓迎だが。 戦闘中、ヒマして待っている間の、目の保養になって、大変によ い。 124 そして武器も防具もドロップして、装備が足りてきたら、こんど は死にそうだの、もう死ぬだの。 まったく。文句ばかりだ。 これでも戦闘後に全回復させてやっている。大サービスだ。 ちなみに、俺のときの〝モーリン式〟は、もっとひどかった。 俺が〝勇者〟で回復可能なものだから、回復も自前だ。本当にモ ーリンは〝付き添って〟いるだけ。 まあ。モーリンの前で無様な姿は見せたくなかったから⋮⋮。﹁ 死ぬー﹂とか内心で思ってはいても、声にも顔にも出しはしなかっ たが。 こいつはどうだ。 寝転がって、死ぬ死ぬ騒いでいりゃ、楽だわなー。 ﹁もう⋮⋮、わたし⋮⋮、死んじゃったら⋮⋮、どうするのよ?﹂ ﹁べつにどうもしないな﹂ ﹁え?﹂ アレイダは、目をぱちくり。驚いたように聞き返してくる。 ﹁そうだな。死体をそこに残して帰ることになるかな﹂ ﹁え?﹂ ﹁運が良ければ、死体屋が間に合って回収されるかもしれない。運 が悪ければ、モンスターの胃袋に収まって、それきりだ﹂ 死体屋、というのは、こうした低レベルダンジョンを巡回してい る職業だ。 冒険者の死体があったら街に持ち帰り、蘇生させて、生き返った その本人に対して〝料金〟を請求するのだ。 125 もし金が払えなかったら装備品を剥ぐ。 あまり好かれてはいないが、いちおう合法とされている商売であ る。 さて、もし装備も金も持っていない死体が転がっていたら、死体 屋はどうするか? もちろん、ほうっておくに決まっている。慈善 事業じゃないからだ。 他にもダンジョンで商売をしている連中といえば、ポーション屋 なんかもいる。 ダンジョンの奥で薬品が底をついたところに、絶妙なタイミング で現れて、足元を見た法外な値段で、体力回復のポーションなどを 売りつけるのだ。 ﹁え? ちょ? 見殺し⋮⋮? あ、あの⋮⋮、ちょっと?﹂ アレイダはぎょっとした顔で、俺を見やる。 ﹁奴隷から解放して、どこへなりと行かせるのと︱︱。死体になっ たら置き去りにして引き上げるのと、俺にとっては、たいして変わ らんと思わんか?﹂ 俺は、単に事実を告げる冷たい口調で、そう言った。 アレイダの戦闘に介入していかないのは、いつでも助けてもらえ ると思っていたら、甘えが生じるからだし。 死んだら捨ててくぞ、と言うのも、同じ理由だった。 この手の教育方針でゆく場合、﹁こいつは本気でやる﹂と相手に 思わせなかったら意味がない。 126 もちろん、俺は本気でやるわけだし。本気でそう思っているし。 ﹁本気﹂を伝えるには、本当に本気になるのが、一番の方法だ。 ﹁わかった⋮⋮、わよ。⋮⋮強くなってやるわよ﹂ 剣を杖がわりに地面について、アレイダは立ちあがった。 木檻に入っていたときと同じ︱︱いい眼でもって、俺を睨んでき た。 ◇ その日。日付が変わらないうちに︱︱。 アレイダはダンジョン最下層までを制覇した。 俺の数倍は時間がかかっていたが︱︱。まあ及第点だな。 アレイダの戦士レベルは13となっていた。 ま。初心者向けダンジョンだし。こんなもんだろ。 127 奴隷娘改め、戦士娘 ﹁私⋮⋮、こんなに強くなってた?﹂ ギルドの窓口に並んで、いくつか達成したクエストを換金させる。 今回はアレイダを列に並ばさせた。リズがうずうずした顔でこち らを見ていたが、特別窓口のほうは、謹んで辞退した。 壁際の長椅子に座って待っているが、退屈はしない。 あれからアレイダの装備品は、2回変わっていた。 いまは竜鱗のスケイルメイル︱︱なんていう、Lv13には勿体 ないくらいの装備となっていた。 だが丈は最初のものより縮んでいる。 てゆうか。もともとあれは上下セットの装備なわけだ。脚装備の ほうは出なかったので、上だけを着ている。 だから、つまり︱︱。 なにが言いたいのかといえば︱︱。 座った目の高さからだと、ぱんつがちらちら見えている。 うむ。良き哉良き哉。 ﹁こんなにもらえた!﹂ 戻ってきたアレイダは、嬉しそうにそう言った。 ゴールドがぎっしり詰まった袋を ぴょんぴょん飛んで、ハイタッチしたくて仕方がない︱︱という 顔をしているので、しかたなく応じてやった。︱︱一回だけだから 128 な。 俺は二つあったゴールドの袋を、ひとつをアレイダに持たせた。 もうひとつは自分の懐にしまう。 ﹁ひっどい!! お金半分も巻きあげた!﹂ アレイダが叫ぶ。 ﹁もともと、このダンジョンにやって来たのは︱︱。金を稼ぐため だったからな。おまえのレベルアップは、そのついでだ﹂ ﹁わたしがぜんぶ倒したのに! わたしが稼いだのに!﹂ ﹁回復魔法。何回かけてやったと思ってる。あれだけ唱えられる使 い手を雇っていたら、こんな金額じゃ済まなかったぞ﹂ ﹁そ、そうかもしれないけど⋮⋮﹂ 俺が正論を言うと、アレイダのやつは、ぐっと言葉を飲みこんだ。 ﹁だいたいおまえは俺の奴隷じゃないのか? 奴隷が稼いだ金は、 普通、所有者の懐に入るんじゃないのか? 半分もらえただけでも 有り難いと思いやがれ。︱︱あと、おまえ、さっきから忘れてるぞ﹂ ﹁え? なにを?﹂ ﹁敬語﹂ ﹁あっ⋮⋮、はい。すみません﹂ ﹁おせえよ﹂ 二人で笑顔を浮かべる。 そして二人で並んで、ギルドを出ていこうとしたときだった。 129 ﹁おい。その娘︱︱。おまえの奴隷なのか?﹂ 一人の男が、話しかけてきた。 俺としては、できれば無視したいところだったが︱︱。 このまま応対せず、まっすぐ歩いていけば、一言二言の侮蔑は投 げつけられただろうが、穏便に、この場を離れることもできたはず だが︱︱。 ﹁なによ、あなた? いきなり失礼じゃないの?﹂ アレイダのやつが、返事をしてしまった。 荒しとお馬鹿なやつは、放置が基本と、おまえはネットで習わな かったのか? 習わなかったんだろうなー。異世界にはネットないしなー。 ﹁こんないい娘を持ちやがって⋮⋮。ええ? おまえ、羨ましいな ? ええおい?﹂ 男はアレイダ本人に言うのではなく、俺のほうに、そう言ってき た。 こいつの存在には、じつは、気がついていた。 長椅子にどっしり座って、ガン見だった俺とは違い︱︱横目でチ ラチラと盗み見を繰り返していた。 どこを見ていたかって? もちろん、アレイダのケツだ。 ﹁おまえ。今朝、横入りしてきた新入りだろ?﹂ 男が言う。 130 まあ新入りには違いがないが⋮⋮。 横入りについて誤解があるな。 窓口が、急遽、閉まって、﹁特別窓口﹂に案内されただけだ。 横のほうで、リズが、あわあわと慌てているのが視界に入ってい た。 俺は手の指先だけを、ちょこっと動かして︱︱いいからいいから、 と、制した。 ﹁おい。おまえ。なんか言えよ? ︱︱それともビビっちまって、 口も聞けねえってか?﹂ これはきっと、挑発してるつもりなんだろうなー、と、思いつつ、 俺は男の凄む顔を見つめていた。 これで〝難癖〟を付けているつもりなのだろう。 俺がなにも答えずにいたせいだろうか。 男はこんどは、アレイダのほうに話しかけた。 ﹁おい。おまえ。︱︱いくらで買われたんだ? 俺が身請けしてや ろうか? こんなクズいやつに所有されているよりも、俺のほうが、 いい目に遭わせてやれるぜ?﹂ ああそっか。こいつ。 アレイダを奴隷と思っているわけか。︱︱奴隷なんだけど。 奴隷で、若い娘で、しかも美人っていえば、普通は、〝性奴隷〟 であるわけで︱︱。 つまりそういうことか。 131 そのアレイダの、いまの顔は、と、表情を見やると︱︱。 台所によくいる黒い虫でも目にしたようなカオになっていた。 ああ。うん。理解しているな。 俺は歩きはじめた。アレイダを伴って、無言でギルドを出ていこ うとする。 ﹁おい。売ってくれないのかよ? ︱︱飽きたらでいいんだ! 俺 に売ってくれって﹂ 俺は足を止めた。 因縁でも、挑発でも、恫喝でもなくなって︱︱なんか、懇願にな っていた。 はあぁーっと、大きく、ため息をつく。 ﹁売らんし。当面。飽きる予定もない﹂ ﹁そ、そんなに⋮⋮いいのかよっ!?﹂ だめだこいつ。 拒絶の意思を、きちんと言葉にして言ってやったのだが︱︱。な んと14文字分も口を動かして。 アレイダの、男を見る視線が、ますます冷えきった。 いまだいたい、絶対零度付近だった。 ﹁行くぞ︱︱﹂ ﹁なぁおい! ちょっと待てって!﹂ ﹁ちょ︱︱離して!﹂ 俺は振り返った。 132 男はアレイダの手首を、しっかりと掴んでいた。 俺はもう一度、大きく、ため息をついた。 ﹁おまえ。いつまでそいつに手を握らせているつもりだ?﹂ アレイダに向けて、そう言う。 ﹁え? ちょ︱︱!? 私ぃ!?﹂ アレイダは不満そうに叫んでくる。 ﹁なんで!? 助けてくれないのっ!?﹂ ﹁自分の身ぐらい自分で守れ﹂ 俺はアレイダに対してそう言った。あくまでアレイダに向けて話 しかけた。 男に話しかけるのは嫌だった。 ﹁おいおい。彼氏はビビっちまったようだぜ?﹂ 男の口調は、また恫喝するような、それに戻っていた。 手を掴まれたアレイダは︱︱なんと、少々、脅えているようだっ た。 おいおい⋮⋮。 、、、 ﹁おい︱︱。おまえ。自分がどのくらい強くなったのか、わかって ないだろ? ちょっとそいつで試してみろ﹂ ﹁え?﹂ 133 ﹁いいから。ひねってやれ﹂ ﹁ひ、ひねれって言われても⋮⋮﹂ と、アレイダの体が動いた。 掴まれていた自分の手首を返して、男の腕を、逆にひねりあげる。 ﹁い︱︱いたたたたたっ!﹂ ﹁あ。こうか﹂ 体が動く。 その動きは、鍛え上げられた高レベル戦士のそれだった。 拳が腹にめりこみ、前にのめったところに、掌底が打ち込まれ︱ ︱。 アレイダはくるりと身を回して︱︱男の腕をからめ取り、前方へ と、投げ飛ばした。 ﹁あ。できた﹂ 当然の結果だ。 アレイダはいまLv13。 このギルドホールにいる人間の中では、おそらく︱︱俺を覗いて、 もっとも高いLvを持っている。 そして相手の男のLvは、元勇者の見立てによれば︱︱。7とか 8とか、そんなあたり。 Lvが2倍も違うのだ。簡単に、ひねってしまえる相手だった。 ﹁わたし⋮⋮、こんなに強くなってたんだ?﹂ 134 自分の手を見ながら、アレイダは、呆然とつぶやいた。 まあ仕方がないともいえる。 1日かそこらで、ここまでLvアップしてしまったわけだ。現在 の強さに意識が追いついていなかったのだろう。 リズに軽く手を振る。 あとは任せてください、みたいな顔を、彼女は返してきた。︱︱ いい女だ。 俺とアレイダは、ギルドホールから表に出た。 ﹁ね? わたし? もう一人前?﹂ アレイダは俺の腕に、自分の腕をからめてきた。 ﹁ぜんぜんだな﹂ 俺は言った。 Lv13なんて、ほんの入口みたいなものだ。 世界を救えるようなLvじゃない。⋮⋮ああべつに世界は救わな くていいんだっけな。もう勇者じゃないんだし。 しかし⋮⋮。腕に抱きついてくるのはやめろ。 歩きにくいったら、ありゃしない。 135 奴隷娘改め、戦士娘 ﹁私⋮⋮、こんなに強くなってた?﹂︵後 書き︶ アレイダがパワーアップしました。 ついでにデレました。⋮⋮いや。まだデレてはいないですね。 アレイダの﹁育成﹂は、第一段階が終了ということで、次回からは 次のヒロインが登場します。 ハーフ人外っ♪ ハーフ人外っ♪ 136 盗賊娘にサイフをすられる ﹁ころせる。ころせない。﹂ アレイダが冒険者として、一人前になったとは言いがたいものの ︱︱。 まあ目鼻がついてきて、いちおうは﹁戦士﹂って名乗ってもいい ぐらいの感じになっていた。 その日、俺とアレイダは、街へと買いだしに出ていた。 アレイダのやつが、﹁そんなにたくさん一人で持てない!﹂とか、 ぶーたれているので、俺は、おもに荷物持ちの役目で、ついてきて やっていた。 しかし⋮⋮。 おまえ﹁筋力﹂いくつだ? 牛一頭ぐらいは、もう、かついで走れるんじゃないのか? 必要か? ⋮⋮荷物持ち? 野菜を買う。肉を買う。果物を買う。パンを買う。 さまざまな物を買って行く。 モーリンのリストは完璧で︱︱。上から順に買っていけば、街中 を最短距離で一筆書きでナビゲートされる作りになっている。 それはいいのだが⋮⋮。 主人である俺に半分は持たせて、こいつは、ぴょんぴょん跳ねる みたいに上機嫌で歩いている。 137 ﹁オリオン⋮⋮、ご主人さま? なんだか⋮⋮、デートしてるみた い⋮⋮ですよね?﹂ ﹁はあァ?﹂ 俺はヤクザみたいな声で聞き返した。 頭。涌いてんじゃねえのか。 どう見たって、荷物持ちさせられて、不機嫌きわまりない男だろ うが。 だいたいもし仮に万が一、〝デート〟だったとしても︱︱荷物持 ちってのは、罰ゲームの一種にしか思えない。 ﹁ああ︱︱あの果物。知ってますか? ちょっと酸っぱいけど、と っても、おいしいんです﹂ ﹁幾つか買っていっても、よろしいですか? 二、三個くらい? モーリンさんのリストにはないですけど﹂ ﹁ああ。好きにしろ﹂ 俺は言った。 こいつ︱︱。こういうときだけ、敬語なんだよな。 しかし︱︱。 また荷物が増えるのか。 そして金を出すのは俺か。 まあ奴隷と一緒に買い物に出ていて、払いを持たない主人もいな いとは思うが⋮⋮。 ﹁すいませーん。三つ︱︱いえ、五つください﹂ 138 二、三個じゃなかったのかよ。 盛ってるし。 まあどうでもいいが。 俺はサイフを探した。 ゴールドを入れてある革袋⋮⋮。革袋⋮⋮。 あれ? おかしいな? ﹁125Gになります﹂ ﹁ああ。ちょっと待ってくれ﹂ 俺はサイフを探していた。 持っていた荷物をすべて地面におろして、本格的に探しはじめる。 ﹁⋮⋮落としたの?﹂ ﹁まさか﹂ たしか、前に金を払ったときには、ゴールド袋は、腰に下がって いたから︱︱。 ﹁⋮⋮落としたんじゃない﹂ こいつ。 こういう時だけ、敬語じゃないのな。 ﹁そんな間抜けなことをするか。⋮⋮俺を誰だと思っている﹂ しかし、サイフは出てこない。 139 ﹁⋮⋮落としたんだ。ほーら﹂ ほーら、じゃねえ。 勝ち誇ってんじゃねえ。犯すぞ。 ﹁すまないな。その果物は︱︱﹂ ずーっと待ってる店員に、俺がそう言いかけると︱︱。 ﹁わたしが払います。︱︱はい。125G﹂ アレイダが、自分のサイフを出して、さっさと払ってしまった。 ご主人様の面子を丸つぶれにしてくれた女奴隷は、さらに、あろ うことか︱︱。 ﹁サイフを落とした間抜けなご主人様。︱︱残りの買い物は、どう しましょうか?﹂ にっこりと微笑んで、俺に、そう聞いてきやがった。 ﹁⋮⋮探しに行く﹂ ﹁落ちたサイフ探しに行くの? ︱︱だっさ﹂ ﹁ちがう﹂ サイフを落としたのでなかったら、考えられる結論は、ひとつ︱ ︱。 盗まれたのだ。 140 しかし、前回、支払いをした店から、ここまでのルートのあいだ に︱︱。俺の間合いに入ってきた者はアレイダだけだった。 数メートル以内には、他に誰も入ってきていない。 アレイダが盗んだはずはないので︱︱もし盗んでいたら、それこ そお仕置きだ。テラオカス よって、俺のサイフを盗み取った者が、途中のどこかにいるはず だ。 しかもそいつは、俺に近づくことなく、すくなくとも、数メート ル以上は離れたところから、サイフを持ち去っていったわけだ。 しかし︱︱。どうやって? ﹁たしか、このあたりだったな⋮⋮?﹂ 俺は立ち止まった。 ルートのあいだで、妙な気配を感じた場所だ。 思えば、あのときにサイフをやられたのかもしれない。 気配自体は、覚えている。 もしまだ近くにいるようなら、探れるはずだ。 俺は目を閉じた。 感覚を研ぎ澄まし、周囲の気配に神経を向ける。 俺がいま発動させているのは、ごく普通の|︽敵感知︾のスキル であるが︱︱。 普通に使うのではなく、ちょっと違う使いかたをする。 141 五感の一つ一つを︽サクリファイス︾︱︱。 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして味覚︱︱すべてを一時的に消失 させる。 そうすることで︽敵関知︾のスキルは、飛躍的に効果を増して︱ ︱。 ︱︱いた。見つけた。 こそ泥め。 元勇者のサイフをすりとって、逃げられると思うなよ? 俺は獰猛な笑みを浮かべた。 ◇ ﹁もう逃げられないぞ﹂ 盗人を、路地の奥へと、追い詰めた。 そいつは︱︱。 ぼろのマントですっぽりと身を覆い尽くしていた。 中身が大人なのか子供なのかさえ、よくわからない。 体格からいうと、子供か、それとも老人か︱︱。かなり小柄なほ うだった。 だが、深いフードの内側からのぞく目は、爛々と野生生物のよう に輝いていて︱︱。 うっかり近づいたら、食い殺されてしまいそうだった。 142 ﹁⋮⋮怖い目ね。食い殺されちゃいそう﹂ アレイダが俺の考えていることと、まったく同じことを言うもの だから︱︱。 俺は苦笑した。 ﹁おまえもあんな目をして、木檻の中から、にらんできていたぞ﹂ ﹁うそっ!?﹂ ﹁だから買ってやったんだがな﹂ ﹁じゃ、じゃあ⋮⋮、よかったのかしら?﹂ 俺は一歩近づいた。 ﹁かえさない。﹂ そういう目をしている、そいつが︱︱俺はすこし気に入っていた。 ﹁これは。すけるてぃあの。もの。﹂ 一語、一語、区切るように、まるで喋ることに慣れていないかの ように、そいつはカタコトで、そう言った。 女の声だな。しかも若い。 ﹁いや。それは俺のサイフだろ。おまえのものじゃない。だから返 せ﹂ ﹁すけるてぃあは。かえさない。﹂ ﹁あと、おまえの名前は聞いてない﹂ ﹁すけるてぃあは︱︱﹂ ﹁だから。きーてない﹂ 143 ﹁⋮⋮⋮﹂ そいつは黙りこんでしまった。 ところで⋮⋮。 なんだか気のせいか、フードの中に覗く目が、六つとか八つとか あるような気がしているんだが⋮⋮? その、ぜんぶの目が、睨んできているような? ﹁なに道化の掛け合いやってるんだか﹂ アレイダはため息とともに、そう言った。 ﹁そこは〝漫才〟と言うべきだな﹂ ﹁なにそれ?﹂ アレイダはわからない、という顔をする。まあ異世界人に﹁漫才﹂ は通じないか。モーリンだと通じたりしそうだがな。 ﹁盗人と問答なんて、するだけ無駄よ。︱︱やっつけちゃいましょ う﹂ このあいだのことで自信をつけたか、アレイダは一歩前に出る。 ﹁むり。すけ⋮⋮は、ころせない。﹂ 名前を全部言うと、俺にまた突っこまれると思ったのか。省略し てきた。 よしこいつの名前はスケさんだ。もう決まりだな。 144 ﹁おまえ。ころせる。﹂ アレイダを指差して、そいつは、そう言う。 そしてつぎに俺を指差して︱︱。 ﹁⋮⋮ころせない。﹂ そう言った。 まあそうだな。 相手の強さくらい計れなければ、元勇者は名乗れない。 アレイダを﹁ころせる﹂というのは、おそらく﹁事実﹂。 俺を﹁ころせない﹂というのは、これは︱︱100パーセント確 実な﹁現実﹂。 ﹁ころせない。だから⋮⋮。スケは。にげる。﹂ そいつは、片手を上にあげた。 なにをするのかと思ったら︱︱。 手のひらの付け根。手首のあたりから、なにかが︱︱びゅっと出 た。 手の付け値から出たのは、粘性のある液体のようだった。 手首から出てきた蜘蛛の糸のようなものは、建物の上のほうに、 狙い違わず命中した。 すぐに固まり、離れなくなる。 145 少女の体は、するすると上がっていった。 ﹁えっ! うそおっ!? ︱︱ちょっと待ちなさーい! 逃げるな ーっ!?﹂ アレイダが叫ぶ。 だが少女はもう屋根の高さだ。 また別の糸を発射して、他の建物に飛び移っていってしまった。 逃げ足は速かった。 ああ。なるほど。 あの手首から飛び出す糸で、俺のサイフをすりとっていったわけ か。 なるほど。離れたところからでも、盗めるわけだな。 納得だった。 146 盗賊娘にサイフをすられる ﹁ころせる。ころせない。﹂︵後書 き︶ 新ヒロイン。盗賊娘。蜘蛛子登場です。 おしおきタイムは、次回です。 147 盗賊娘を捕まえておしおきをする ﹁かったら。たべるよ?﹂ ﹁スケルティア。⋮⋮というモンスターがいます﹂ 夕食を食べながら、モーリンが言う。 ナイフとフォークを上品に動かしながら、肉を切って口へと運ぶ。 その隣の席では、アレイダが、モーリンの仕草を見習って、ナイ フとフォークを使おうとしているが、どうにもぎこちない。 食器を使った食事の方法に、アレイダはいまだに慣れない。 さすがに手づかみで食べようとして、ぴしりと、叩かれるような ことはなくなったが︱︱。 俺とモーリンの二人だけなら、食べるのは俺だけになってしまう が。 アレイダが同席していると、モーリンも給仕はしないで、一緒に 食事を摂る。 俺はモーリンと一緒に飯を食いたいと思っているので、アレイダ がいるのは、大歓迎だった。 ﹁そのスケルティアというモンスターは、巨大なクモのモンスター なのですが⋮⋮。少々。困った性質を持っていまして﹂ ﹁どんなですか? ︱︱困るって?﹂ アレイダが聞く。 148 ﹁好色といいますか。オスは人間の女性をさらって、子を産ませる ことが︱︱﹂ ﹁うわぁ⋮⋮﹂ アレイダが、ものすご∼く、嫌な顔をする。 聞かなきゃよかった、という顔になる。 たしかに、ちょっと食事中にする話題ではなかったな。 ﹁しかも子を産ませると、その女性を食べてしまい︱︱﹂ ﹁うわぁ⋮⋮﹂ ﹁女性が美人でないと、子を産ませる前に食べてしまうことも︱︱﹂ ﹁うわぁ⋮⋮﹂ ﹁またメスのスケルティアの場合には、さらうのは女性でなくて、 男性となって︱︱﹂ ﹁うわぁ⋮⋮﹂ すっかり食欲がなくなった︱︱という顔で、アレイダは、ナイフ とフォークを置いてしまった。 俺とモーリンは、もりもりと食べている。 冒険やってると、死体の隣で食うこともあるしなー。 さらわれたの、孕まされたの、実際に見ながらだったらともかく、 話程度では、食欲は微塵も揺らがない。 ﹁⋮⋮で? そのモンスターに孕まされると、生まれてくる子供は、 どっちになるんだ?﹂ 149 俺はモーリンに、そう聞いた。 ﹁は、はらますとか⋮⋮、ゆーなーっ!﹂ アレイダが文句を言っている。言い換えるともっと生々しくなる と思うのだが⋮⋮? ﹁妊娠させる﹂とか。 ﹁それが、どっちでもないのです。いわばハーフで。人と蜘蛛の両 方の特徴を備えた雑種となります﹂ ﹁⋮⋮ふむ﹂ ﹁レベルを上げて、上限レベルにまで到達すれば、進化して、完全 なスケルティアになることもできますが⋮⋮。まあ大抵は、そうは なりませんね﹂ ﹁なぜだ?﹂ ﹁モンスターからも疎まれ、人間からも疎まれる、中途半端な存在 だからです。生まれた子は、そう長いこと生きることはありません。 ⋮⋮大抵は﹂ モーリンは﹁大抵は﹂と、そう言った。 何事にも例外がある、ということだ。 その例外が、あの娘だったというわけか⋮⋮。 モンスターからも、人からも疎まれ、一人で、逞しく生きてきた わけか。 言葉は話せたようだが、喋りかたが、たどたどしかったのは、そ のせいか。 〝他人〟と接することが、ほとんど、なかったのだろう。 150 ﹁あの。マスター? まさかとは、思いますが⋮⋮?﹂ モーリンは、じっとりとした目を、俺に向けてきた。 ﹁ん? ああ、いや⋮⋮﹂ 俺は、ちょっと、いいかなー、とか思っていた。 あの目がなー。 俺は、ちらりと、アレイダに目をやった。 ﹁え? なに?﹂ こいつもなー。木檻に入ってた頃はなー。 精悍な野生の獣みたいな目をしていたんだがなー。 暖かいベッド。美味しい食事。たっぷりの湯を使える風呂。 そんな暮らしでふやけてしまって、なんかもうすっかり〝駄犬〟 だなー。 駄犬の目だなー。 その駄犬を、俺は︱︱。寄生させず、パラサイト奴隷にならない ようにと、厳しく躾けて、自立させようとしている最中だった。 誰か俺を褒めてほしい。 ﹁なに? なんなの? なんなのその目? ︱︱なにがいいたいの 151 ーっ!? 言ってよ! ⋮⋮言ってください﹂ ﹁もう。ほんとに。しようがないですね。マスターが悪趣味なのは、 いまに始まったことではないですし﹂ ﹁え? ⋮⋮悪趣味? あ、あの⋮⋮、私、買われたの⋮⋮、悪趣 味なんですか?﹂ ﹁さあ。⋮⋮どうでしょうね? わたくしは、マスターが楽しくて 幸せであるなら、それでいいので⋮⋮。マスターに聞いてください な﹂ モーリンは楽しげに笑っていた。 ◇ ﹁このあたりですか?﹂ 翌日、例の盗賊娘と出会ったあたりに、三人で出向いた。 モーリンはメイドの格好ではなく、賢者のローブ姿。 メイド姿のときよりも、人目を引いてしまう。 メイドは最近金持ちのあいだで、使用人にその格好をさせるのが 流行しているらしく︱︱街を歩いていても、誰も気にしてこない。 だがこちらの格好だと、さすがに目を引く。 何気なく身につけている装備の一個一個が、伝説級の装備だった りするからだ。 それが分かる者はあまり多くはないが︱︱。ぎょっとした顔で振 り返ってくるのが、それだ。 152 ﹁これでは目だってしまいますね。⋮⋮こんど、初心者向け装備の 一式を揃えておきます﹂ モーリンはそう言った。 まあな。 魔王倒しに行こうってんじゃなし。ラストダンジョンに挑もうっ ていうんじゃなし。神を倒しに行こうっていうんじゃなし。 そこらの武器屋、防具屋、魔法屋で売ってる、既製品の量産品で 充分だ。 ﹁まだこのへんにいるとは限らないんじゃないかしら? ⋮⋮昨日 のことがあったから、居場所を変えているかも?﹂ ﹁余裕で逃げていったからな。また来ても、すぐに逃げられると、 たかをくくっているだろうさ﹂ 俺は言った。 それに蜘蛛系のモンスターには、巣を作って定住するという性質 がある。その性質があの娘にも引き継がれているとは限らないが⋮ ⋮。 ﹁では。探しましょうか﹂ とん︱︱と、賢者の杖を、地面についた。 |︽モンスター関知︾のスキルを発動させる。 同じスキルではあっても、モーリンのスキルLvは、いまの俺と は比べものにならない。 感知範囲は、街一つぶんにも及ぶ。 153 ﹁見つかりました﹂ ﹁どこだ﹂ ﹁マスターの真上ですね﹂ ﹁真上?﹂ 俺は真上を見上げた。 なにも支えるものもない、路地の空。 そこに、糸にぶらさがった、娘がいた。 身につけているのは、ボロのマント一枚きり。体には、きれぎれ の布を巻き付けているだけという姿。 そんな服ともいえない、ほとんど半裸か全裸かっつー姿で、頭が 下の足が上、という、上下逆の、さかさまの状態でぶらさがってい るものだから︱︱。 大変、よろしい姿になっていた。 ﹁よう﹂ 頭上1メートルにいる娘に、俺は、片手を挙げて挨拶をした。 ﹁スケ⋮⋮。は。ばれた。﹂ ﹁そうか。バレたのか﹂ ﹁ところで、なにがバレたんだ?﹂ ﹁また。ぬすむ。﹂ なるほど。 しかし⋮⋮。 154 逃げるどころか、向こうから近づいてくるとは。 ﹁すっかりカモ扱いされているな﹂ ﹁カモって、なに?﹂ ﹁説明は難しいな﹂ カモがネギを背負って︱︱なんて慣用句は、異世界にはないし。 ﹁まず昨日盗んだ俺の財布を返せ﹂ 娘に言った。革袋が降ってきた。 ﹁中身もだ﹂ ﹁スケは。かえさない。﹂ ﹁俺の物だ。かえせ。﹂ ﹁スケの。もの。﹂ 強情な娘だった。素直に返してきたなら、すこしは手心を加えて やってもいいかと思ったが⋮⋮。 お仕置きタイムだ。 俺は頭上に向けて、炎の魔法をぶっ放した。 張り巡らされている糸を、広く焼き払うため、ファイアボールの 魔法だ。 ﹁あつい。﹂ 糸を焼かれて、娘は地上に落ちる。 155 素早く動いて、また建物の壁に向かう。 平面でしか動けない人間と違って、立体機動できる蜘蛛子は、立 ち回りの位置取りが独特だ。 だがそちらに動くことは、わかっていた。 俺はすでに先回りして、蜘蛛子の前に立っていた。 ﹁剣でも牙でもいい。おまえの誇りにかけて誓え。俺が勝ったら、 おまえを俺の物にする﹂ ﹁スケが。かつよ?﹂ ﹁そうしたら。おまえの好きにしろ﹂ ﹁たべていい?﹂ 食うのかよ。 俺は、にやりと笑った。 ﹁ああ︱︱! おまえが勝てたらな!﹂ 盗賊の蜘蛛子と、俺の一騎打ちがはじまった。 ◇ 結果。 俺の勝ち。 圧勝⋮⋮、と、いえるほどではなかったが。 まあ、勝った。普通に勝った。 しかしLvがもう少し足りなかったら、ヤバかったかもしんない。 156 初心者ダンジョンを制覇したくらいで、調子に乗らないほうがい いな。 もうすこしLvアップしておいたほうがいいっぽい。 捕らえた蜘蛛子は、お持ち帰りした。 ずっと一人で生きてきて、色々、常識に欠けているようだから、 これから〝教育〟してやらんといかんだろう。 しかし⋮⋮。 どうして、こう、うちにやってくる娘たちは、最初、小汚いんだ ? 157 盗賊娘を躾けよう ﹁なまえ。もらた。はじめて。うれしい。﹂ 盗賊娘を、お持ち帰りにした。 蜘蛛子を糸でぐるぐる巻きにして拘束してやった。イモムシ状態 にして、肩にかついで運ぶ。 自分自身の糸で拘束してやったのが、ちょっとだけ爽快だった。 蜘蛛子のほうは、悔しそうにしている。 さっきまで暴れていたが、無駄だと悟ると、すっかりおとなしく なった。 まるで無抵抗の梱包済み蜘蛛子を、肩にかついで、俺は意気揚々 と屋敷への道を歩いていた。 後ろをアレイダとモーリンがついてくる。 ﹁オリオン⋮⋮、ご主人さまって⋮⋮、強かったんですね﹂ 後ろをしずしずとついてくるアレイダが、そんなことを言った。 ﹁すくなくともおまえよりはLvが上だしな﹂ 俺はそう返した。正確なLvは測定しにいってないのでわからな い。 ⋮⋮が、モーリンとダンジョン制覇したときに、だいぶ上がった 気がする。 158 それも単なる〝到達者〟とはわけがちがう。1階からはじめて1 0階まで、モンスターを〝根こそぎ〟にしていったた。アレイダも ソロの〝到達者〟なわけだが、エンカウントした相手と戦うだけな のと違って、俺の場合は通常の数倍は経験値を稼いだはずだ。 もっとも、俺の目当ては﹁経験値﹂でなくて、﹁金﹂のほうだっ た。まあ金のほうも10階層までのモンスターを根こそぎにしてや って、アレイダのときの数倍は稼いだわけだが。 ﹁戦っているところ。はじめて見ましたから⋮⋮。本当に強かった んだって、納得しました﹂ アレイダはそう言った。 ﹁そうだったっけ?﹂ 一緒にダンジョンに入ったろうが? ﹁回復魔法を掛けていただけじゃないですか。強いかどうかなんて、 わかりませんよ﹂ なるほど。そういえばそうだった。 俺は一切戦っていなかった。アレイダが一人で戦っていた。死に かけていて、やっばいなー、とか思っていても座視していた。 死んだら死んだで、帰るかな。︱︱ぐらいのつもりでいた。 俺の〝本気〟はアレイダにも伝わっていたことだろう。〝必死さ 〟が段違いだった。﹁いざとなったら助けてもらえる﹂という甘え がある時と、﹁この人は助けてくれない﹂と確信できている時とで は、人間、育ちかたが段違いになる。 159 俺の育成方法は〝モーリン式〟だった。 つまり後者だ。 そのおかけで、アレイダの前では一度も戦っていなかった。 今回、蜘蛛子を懲らしめてやるために、ちょっと本気を出してみ たわけだが⋮⋮。 アレイダはいまLv13だ。 あまりにも実力が違いすぎると、どれだけ凄いのかわからないも のだ。 2∼3倍程度、ちがっているあたりが、最も違いがよく感じられ る。 Lv13となったアレイダには、俺と自分とのあいだに、どのぐ らいの差があるのか⋮⋮。戦いを実際に見ていて、よくわかったの だろう。 そして敬語が増えた。 こいつ。ほんと。わかりやすいな。 ﹁しかし⋮⋮、見直す前は、いったいなんだと思ってたんだ?﹂ ﹁え? そ、それは⋮⋮﹂ ﹁怒らないから言ってみろ﹂ ﹁怒らない? ほんと? ほんとに怒りません? じゃあ言います けど⋮⋮。ただのエラそうな人だと。口先だけの﹂ はっはっは。 俺は笑った。 正直だ。こいつ。 160 ﹁まあ。おまえを買う前日くらいまでは、Lv1だったからな﹂ ﹁え? うそ? ⋮⋮それって、うそ? ⋮⋮ですよね?﹂ ﹁おまえだってダンジョンに潜る前は、戦士Lv1だったろうが﹂ ﹁それは⋮⋮、そうですけど⋮⋮﹂ 現代世界でネトゲに慣れていた俺には、これぐらいのパワーレベ リングは、大したことのないように思えるが⋮⋮。 ひょっとして、この世界に存在しない概念を、持ちこんでしまっ たのだろうか? パワーレベリング自体は、そう難しいものではない。 自分よりチョイ上の敵と戦い、死にかけるような目に遭うだけ。 戦闘後に回復。すぐにまた連戦。それを延々と繰り返すだけ。 24時間もしないうちに、目鼻のつくLvには上がる。 そんな話をしているうちに、屋敷へと着いた。 ◇ ﹁さて。どうしたもんか﹂ 自分の糸でぐるぐる巻きとなった蜘蛛子を、ぼてっと床の上に置 く。 戦って勝って、ゲットして、お持ち帰りにするところまでは、心 が高揚していたのだが⋮⋮。 いざ持ち帰ってみたら、どうしようか? と思ってしまった。 161 ほら。たとえばネトゲで、素材を山のように狩って︱︱。終わっ てみたら、さて、こんだけの量、どうしよう? っていう感じ? あるいは、リアルのほうだと、セミだのザリガニだの、たくさん 捕まえて持ち帰るまではウキウキだが、家に着いてみたら、さてど うしよう? っていう感じ? セミでもザリガニでもなくて、蜘蛛なわけだが。 ﹁なあ。おい。おまえ。ごめんなさい︱︱を、する気はあるのか?﹂ 蜘蛛子は、ふて腐れているのか、地面に転がされたまま身動きも しない。 俺は髪を掴んで、その頭を持ちあげた。 ﹁答えろ﹂ ﹁ちょ︱︱ちょ! オリオン⋮⋮、様っ! ︱︱乱暴はやめなさい よ?﹂ アレイダが割って入る。 俺のかわりに蜘蛛子に聞く。 ﹁ねえ貴方⋮⋮? 私のときとは違うんだから。おサイフ返せば、 帰らせてもらえるわよ?﹂ ﹁ごめんなさいをしたら、だ﹂ 俺はそう付け加えた。 ﹁ほら。ごめんなさい。⋮⋮貴方、〝ごめんなさい〟ぐらい⋮⋮、 162 知ってるよね?﹂ アレイダが聞く。 だが蜘蛛子は﹁なにそれ?﹂って顔をしている。 ﹁スケ⋮⋮。は。あきらめてる。﹂ 蜘蛛子は言った。 ﹁いや。諦めないでよ﹂ ﹁スケ⋮⋮。は。まけた。まけたら。くわれる。これ。だいしぜん の。おきて。﹂ ﹁え? 食べる⋮⋮って? 食べない食べない! 食べないから! ⋮⋮食べませんよね? ねっ?﹂ ﹁ある意味。食う︽、、︾ことは、あるかもしれんなぁ﹂ 俺はとぼけた声でそう言った。 ﹁マスターはケダモノですから﹂ モーリンがコメントする。 ﹁⋮⋮⋮﹂ アレイダが、すげえ嫌そうな顔をした。オヤジくさっ。︱︱とで もいう顔で。 俺はちょっとだけ傷ついた。 ﹁おい。おまえ。ずっと縛られたままなのは、嫌だろう?﹂ 163 俺は床の蜘蛛子に向けて、声を投げ下ろした。 ﹁たたかう。まえに。やくそく。〝まけたらおまえのものになる〟﹂ ﹁ああ。そう言ったっけな﹂ かわりに俺が負けたら︱︱なんだったっけ? 食われるんだっけ? うっわー。こっえー。蜘蛛子こええー。 本当に文字通りの意味だったか。 まあ勝ったのだから、問題はないが。 ﹁俺のものになるっていう意味⋮⋮。わかるか?﹂ ﹁スケ⋮⋮。は。よく。わからない。﹂ ﹁奴隷になるっていうことよ﹂ ﹁違う﹂ アレイダが横から言ってきたので、俺は言った。 ﹁どう違うのよ?﹂ ﹁俺のそばにいて、俺の言うことを、ずっと聞くっていうことだ﹂ ﹁一緒じゃないの﹂ ﹁違うさ。︱︱たとえばモーリンは、奴隷じゃないからな﹂ ﹁はい。わたくしはマスターのものですので﹂ 隷従の紋は刻んであるが、使ったことはない。 使え使えと、よく言われる。奨励される。だが一度も使ったこと 164 はない。 ああ。いっぺんだけあったか。 前々世で、魔王と決着をつけにいったとき︱︱。モーリンを置き 去りにするために、紋を使って〝命令〟した。 ﹁なぜ?﹂ ﹁ん?﹂ 蜘蛛子は床から言う。 ﹁なぜ。スケ⋮⋮。が。ほしい?﹂ ﹁はて。なんでだったかな﹂ ﹁うまそう?﹂ ﹁いや。だから食わんって⋮⋮﹂ 発想をそこから離せ。この野生児め。 ﹁意外と美味しいですよ。マスターの世界の生き物でいいますと、 〝カニ〟というものに似た味とのことですけど﹂ ﹁ほー。カニか﹂ そりゃ高級品だな。 ﹁まー。とりあえず、このまま玄関に転がしておくわけにもいかん しな﹂ 俺は糸の端を握ると、床の上をずるずると引っぱっていった。 165 ﹁ちょっと! ちょっと! 引きずるのやめなさいよ! かわいそ うでしょ!﹂ アレイダが騒いでいる。 俺は気にせず歩いた。 向かう先は︱︱、例によって〝厨房〟だ。 ﹁え? ちょっ⋮⋮!? ちょ︱︱! まさか⋮⋮?﹂ この間の記憶がフラッシュバックでもしているのか、アレイダは 厨房の敷居をまたがずに、立ち止まっていた。 ﹁まさかまた! アレで洗わないわよね! アレで女の子洗ったり しないわよね!?﹂ アレイダは大声で騒いでいる。 うるさいな。もう。 まったく︱︱。 うちにやって来る娘たちは、どうしてこう、最初は小汚いのか。 さっき肩に担いでいたときにも︱︱じつは、けっこう、きつかっ た。 いろいろ話すにしても、メシを食わせてやるにしても、この汚さ で屋敷の中をウロつきまわられるわけにはいかない。 よって、第一にすべきことは、まず、決まっていて︱︱。 ﹁おお。そうだ。モーリン。〝アレ〟︱︱探してきてくれ﹂ 166 ﹁はい。〝アレ〟でございますね﹂ モーリンは〝アレ〟がなにかも問わずに探しに行った。 このあいだ、あそこのアホ娘がダンジョンで折っちまったが、も う一本ぐらい、どこかにあったはず。 蜘蛛子の体を、ぐるぐる巻きにしてあった糸を、ナイフで、ざっ くざっくと、切り開いてゆく。 自由になったら、襲いかかってくるかと、そう思っていたが︱︱。 そんなこともなく。 糸を解かれた蜘蛛子は、厨房のタイルの上に、ぺたんと女の子座 りをして、俺を見上げている。 こうして明るいところでよく見ると、ハーフモンスターといえど も、人間の女の子と、そう変わったところはなかった。 手首の付け根に、糸を射出する場所がある。イボみたいなところ が、きっとそうなのだろう。 髪の色は、ちょっと人では見かけないぐらいの色だ。青みがかっ た銀髪で︱︱。まあしかし、このファンタジー世界において、銀髪 ぐらい珍しくもないか。 まだ現代世界の感覚が抜けきっていないようだ。あちらで過ごし たのは三十年以上か⋮⋮。長かったもんなー。 あと違いがあるといえば⋮⋮。 額のところ。二つある本物の目の上の、おでこのあたりに、赤い 菱形の突起が幾つか並んでいた。 167 クリスタルみたいな光沢のある色合いで︱︱。 俺は指先でそこに触れてみた。 ﹁さわるの。だめ。﹂ さわってみたら、怒られた。 そして、どしゅっと︱︱俺の目に、指が突きこまれた。 ﹁なにをする﹂ 手を捕まえて、俺は聞いた。 目潰ししてきたろ。︱︱いま? ﹁め。さわるの。だめ。﹂ ﹁それは〝目〟か。⋮⋮なるほど﹂ そういや蜘蛛って目が幾つもあったっけ。 そこの性質を受け継いでいるわけか。 ﹁なるほど。〝目には目を〟ってやつだな。あっはっは﹂ 目を触られたから、俺の目も触ってこようとしたのか。 ﹁悪かったな。もう触らない﹂ ﹁わるい? ⋮⋮って。なに? スケ⋮⋮。は。しらない。﹂ おお。一人で生きてきた、言葉も怪しい野生児の蜘蛛子は、そも そも﹁善悪﹂の観念から、持っていなかったらしい。 168 ﹁マスター。〝アレ〟をお持ちしました﹂ モーリンが〝アレ〟を持ってやってきた。 〝アレ〟だけで伝わるとは、さすが︱︱モーリン。 俺は〝アレ〟を︱︱デッキブラシを構えると、顎で蜘蛛子に促し た。 ﹁裸になれ。そしたら、自分でそこの水瓶から水をくんで、頭から 浴びろ。︱︱洗ってやる﹂ ﹁だめ! やめて! やめなさい! ︱︱犠牲者は私一人で充分だ からっ!﹂ アレイダが叫ぶ。 うるさいし。 蜘蛛子は︱︱素直に俺の言うことを聞いた。 ざばー、っと、頭から水を浴びる。ぶるぶるっと動物みたいに首 を振って、水を跳ね飛ばす。 ﹁よし。じゃあまず。背中からな﹂ 蜘蛛子を、タイルに寝かせる。その背中にブラシをあてる。 ﹁蹴った! いま蹴った! 蹴り倒した!﹂ アレイダが叫んでいる。 うるさいし。 169 その背中を、ごしごしとやる。ブラシで洗う。 ﹁もうちょっと優しくやってあげなさいよ! 可哀想でしょ!﹂ アレイダが叫んでいる。自分のことみたいに騒いでいる。 うるさいし。 そういや。こいつに何か名前がいるな。 いつまでも﹁盗賊娘﹂とか﹁蜘蛛子﹂とか呼んでいるわけにもい かない。 ﹁おい。おまえ。⋮⋮名前は、なんて呼べばいい?﹂ 背中からお尻にかけてブラシを掛けてやりながら、俺は聞いた。 肉付きが薄く、少年みたいなお尻だが、いちおう女の子のそれで ある。本物の蜘蛛と違って、お尻には糸を吐く器官はないっぽい。 まったく普通のお尻である。 ﹁⋮⋮おい? きーてんのか?﹂ 目を閉じていた蜘蛛子は、はっと︱︱目を開いた。 アレイダのときには、ぎゃあぎゃあ騒いでいたが、こいつの場合 には、このくらいの強さでもちょうどよいようで︱︱。 なんか、うっとりと目を閉じている。 ﹁はっ。うっかり。おもわず。﹂ ﹁おまえの名前だ。⋮⋮なんて呼べばいい?﹂ ﹁すけるてぃあ。﹂ ﹁それは名前と違うんだよなー﹂ 170 いわゆる種族名というやつだ。俺の聞いているのは個体名という やつで⋮⋮。 ﹁スケ⋮⋮。は。なまえ。ない。﹂ ﹁名前がないのか。⋮⋮じゃあ、その、スケってやつでいいか﹂ ﹁かわいそうよ! もっとちゃんとつけてあげ︱︱﹂ アレイダが騒いでいる。 ﹁だまれカクさん﹂ ﹁は? ⋮⋮なに? カクさん?﹂ ﹁おまえ。まえにカークツルスとか言ってただろ。だからカクさん だ﹂ ﹁いえ、それは部族名で⋮⋮﹂ ﹁こいつのも種族名だから、似たようなもんだな﹂ ﹁そんな、いいかげんな⋮⋮﹂ ﹁とにかく、こいつの名前はスケだ。それで決まりだ。俺が決めた。 俺がルールだ﹂ ﹁そんな横暴な⋮⋮﹂ ﹁スケ⋮⋮。は。うれしい。なまえ。もらた。はじめて。﹂ うつ伏せた蜘蛛子は、俺にごしごしと背中を洗われながら、にい っと口許を歪めた。 ああ。うん。 笑顔はあんまり上手くないな。これから覚えないとな。 肉食獣の舌なめずりに見えたぞ。いまそれ。 171 ﹁よーし、ひっくりかえすぞー。こんどは前なー﹂ ひっくり返して、こんどは前を洗ってやった。 今日のご主人様は、いっぱい、働いた。 172 盗賊娘を躾けよう ﹁なまえ。もらた。はじめて。うれしい。﹂ ︵後書き︶ スケさんカクさんがお供になりました。でもまだしばらく諸国漫遊 には出ません。 173 元勇者のたのしい授業 ﹁ころす。たべる。どっちも。だめ?﹂ ﹁では一時間目の授業をはじめる﹂ 俺は〝教壇〟に立つと、二人の〝生徒〟を前にそう言った。 無駄に部屋数の多い屋敷の一室を〝教室〟にした。 〝生徒〟は、スケさんとカクさん。︱︱じゃなくて、スケルティ アとアレイダの二人。 そして〝教師〟は、俺とモーリンだ。 元勇者と、元勇者の〝師匠〟だった女だから、たぶん、この世で これ以上の教師はいない。 ﹁なんでオリ⋮⋮ご主人様が教えるんですか? モーリンさんなら 分かりますけど﹂ だがうちの娘たちの生意気なほう︱︱カクさん、じゃなくて、ア レイダは不満そうだ。 ﹁おりおんが。おしえる? スケ。おそわる?﹂ うちの娘たちの素直なほう︱︱スケルティアは、目をまんまるに 見開いて、俺をじっと見つめてくる。 人間社会で暮らしたことがないせいか、彼女は、正面から目線を 完全に重ねてくる。 174 じっと覗きこまれるような視線を向けられると、ちょっと面映い が、べつにわるいことではないので、俺はなにも言っていない。 ﹁すけ。おそわるの。はじめて﹂ スケルティアは無表情にそう言った。ちょっと嬉しそう。 学習意欲は、たいへん旺盛だ。 ﹁わ⋮⋮。わたしも〝がっこう〟とか行くの⋮⋮、ちょっと憧れて いたから⋮⋮﹂ アレイダもそう言った。こっちも、ほのかに嬉しそう。 ﹁ではまず。一般的な道徳からいくぞ﹂ 俺はそう言った。 授業を開始する。 ﹁人は、殺してもいいのか? ︱︱どう思う?﹂ ﹁え? ちょ︱︱? そこからぁ?﹂ アレイダが声をあげる。 だが相方のスケルティアにしてみれば、そこから必要だろう。 ﹁どっちの? ひと?﹂ ﹁どっちとは?﹂ 質問に質問で返される。 人っていったら人だろう? 種類とかあったっけ? 175 ﹁マスター。人間とモンスターのことを聞いているんだと思います よ﹂ モーリンがそう教えてくれた。 ああ。なるほど。両者の中間にいるスケルティアからみれば、ど ちらも等距離か。 ﹁スケ。それは片方はニンゲンと呼ぼう。もう片方はモンスターだ な﹂ ﹁ん。わかた。﹂ スケルティアは言った。 そして俺の目をまたじっと見てくる。 素直だなー。 やべー。ちょっと可愛くなってきたー。 ﹁なんだか、とってもあたりまえなところから、勉強させられてい る気がするわ⋮⋮﹂ もう片方は、なにやら文句がおありらしい。 そっちの可愛くないほうを、俺は指差した。 ﹁じゃあ。カク。おまえ。さっきの問いを答えてみろ。︱︱人間は 殺していいのか?﹂ ﹁え? わたし? ⋮⋮え? そ、そりゃあ、いけない⋮⋮でしょ う?﹂ ﹁相手がおまえに襲いかかってきたときには?﹂ 176 ﹁え? そ、そりゃあ、応戦しますけど⋮⋮。まあ殺さないで済む なら、手加減くらいはしますけど﹂ ﹁そういやこの前、冒険者ギルドで絡まれていたときに、おまえ、 相手のことを、ぶっ殺しは、していなかったな﹂ ﹁あたりまえでしょ﹂ ﹁︱︱では? 山で山賊。海で海賊。ダンジョンの奥で盗賊に出会 ったときには? 金や品物めあてのときもあるが、相手はだいたい 殺すつもりできているな。金や品物を渡したからといって、無事で 帰れるとも限らん。︱︱特に女は﹂ ﹁殺すわ﹂ アレイダは即答だった。 据わった目になって答えた。 うむ。よい返事だ。 そして、よい目だ。 俺が買ったのはあの目だな。最近の駄犬のほうの目じゃないな。 ﹁では。殺していい場合と、殺してはいけない場合とがあるわけだ。 ⋮⋮その違いは?﹂ ﹁うまくない。まずい。とき。﹂ スケルティアが即答。 だがその答えは、エキセントリックすぎる。 ﹁いや。食わん。⋮⋮仮に、やむを得ず殺した場合でも、食っちゃ いかんぞ?﹂ ﹁もんすたー。は?﹂ 177 ﹁それは食ってよし﹂ ﹁ニンゲンは。たべない。どうぶつと。もんすたー。は。たべる。﹂ スケルティアは理解したっぽい。 ﹁ちなみに、念のため聞いておくが。⋮⋮これまでに、人間を食っ ちまったことは?﹂ ﹁まだ⋮⋮。ない。﹂ ﹁そうか。すこしだけ安心したぞ﹂ ﹁あれ? ねえスケさん⋮⋮? でも貴方、オリオンのときには、 勝ったら、食べる、とか言ってなかったっけ?﹂ ﹁それは。ちがう。いみ。﹂ ﹁そ、そうなんだ⋮⋮。ち、ちがうって、どんな?﹂ ﹁しみつ。﹂ ﹁⋮⋮で、おまえの答えは? カク﹂ ﹁だからそのカクってなんなの? ⋮⋮ええと。襲われたときとか。 身を守るときとか﹂ ﹁こちらが襲いに行くこともあるんじゃないか?﹂ ﹁じゃあ、ええと⋮⋮。戦い、になったときとか?﹂ すこし考えて、アレイダは正解を出してきた。 ﹁そうだ﹂ 俺はうなずいてやった。 生徒が自力で正解に辿り着いたときには、そう教えてやるのが、 教師の役目だ。 178 ﹁敵と命のやりとりをしているときには、殺してもよい。︱︱具体 的にいうなら、向こうが武器を持っていて、それの行使をチラつか せた時などだな。つまり武装しているかどうかだ﹂ ﹁交渉や取引などの平和的方法以外の、脅しや暴力による解決をは かろうとした相手にも、まあ時や場合や程度にもよるが︱︱殺して かまわない﹂ 非武装だからといって平和的とはかぎらない。すぐに刃物を取り 出すチンピラよりたちの悪い悪党だってる。 ﹁それはちょっと乱暴すぎないかしら?﹂ ﹁乱暴されるのが嫌なら、暴力的な手段に出なければいいんだ。暴 力をふるう時点で、自分が暴力にさらされることも、覚悟すべきだ﹂ こちらの世界に比べれば、いくぶん平和な向こうの世界にも、そ ういう不文律はあった。 銃を持っていい者は、撃たれる覚悟のあるやつだけだ。︱︱みた いな感じ。 こちらの世界に比べると、あちらの世界は、ひどく平和だったな ー、と思う。 特に日本とか。 ﹁なお、この原則は自分たちにも適用される。⋮⋮俺たちも、武器 を持っている以上、やられて泣くのは、それはなしなわけだ﹂ ﹁ふぁいと。あんど。いーと。まけたら。くわれる。これ。だいし ぜんの。おきて。﹂ 179 スケルティアが深々とうなずいている。 ﹁いや。だから食わんって﹂ そこは訂正しておきたい。 ﹁そっか。⋮⋮そうよね。動物の狩りをするときなんかも、もし狩 りに失敗したら、こちらが食べられちゃうものね⋮⋮﹂ アレイダが納得している。 そういえばこいつは、辺境の滅びた部族の出身だったか。 ﹁ちなみにですね﹂ ︱︱と、そこでモーリンが口を挟む。 ﹁冒険者ギルド的には、自衛のための戦闘は容認されています。ギ ルド外の人員を殺傷した場合には、自衛であったならお咎めなし。 ギルドメンバー同士で抗争があった場合には、呼び出しを受けて事 情聴取をされたり、場合によっては罰則が適用されることもありま す。このあいだのギルドでの、カクさんのケンカ沙汰は、あれは衆 人監視のなかだったので自動的に自衛となりました。⋮⋮ギルド所 属の冒険者同士で争うことがあるときには、なるべく、衆人環視の なかで行うか、立ち会い人を付けたほうがいいですね﹂ ﹁カクさんになってるし⋮⋮。争う予定になってるし⋮⋮﹂ ﹁おまえは美人だからな。狙ってる者も多いみたいだぞ﹂ ﹁そ、そんな⋮⋮、び、美人っ⋮⋮、とかっ! か、関係ないでし ょ? ⋮⋮ないですよ?﹂ 180 あはははは。からかうと面白い。 まあ﹁美人﹂の部分はともかくとして︱︱。 Lv13の戦士をギルドに連れていった時の、周囲の目がけっこ う熱かった。﹂仲間に欲しい﹂的な目のほうだ。 この世界は現代世界ではない。 〝法律〟︱︱に相当するものは、ないこともないのだが︱︱。 それは所属団体内だけの﹁ローカルルール﹂のようなもので︱︱。 世界全体に通用する︱︱いわゆる向こうの世界における﹁法律﹂ というものは存在していない。 基本的人権ってなに? それおいしいの? ︱︱的な世界だ。 そもそも﹁権利﹂という概念が発明されているのかどうか、怪し かったりもする。 この世界における﹁法律﹂は、組織と組織の間における﹁約束事﹂ であり、約束を破らないことと、破った場合の罰則を決めているだ けに過ぎない。 はじめ、こちらの世界に転生した直後に、モーリンが言った。 ギルドに所属していないと人権もない。︱︱と。 これは正確に言うと︱︱。 ギルドに所属していても、やっぱり﹁人権﹂はないのだ。 あるのはギルド員として いわゆる﹁基本的人権﹂というものは︱︱。 人は生まれながらに﹁権利﹂を持ち、生命を守られ、財産を守ら 181 れ、そればかりか﹁自由﹂や﹁名誉﹂まで保護されるとなっている。 人は生まれながらにして、自由であり平等である、という思想だ。 この異世界においては、それは﹁幻想﹂だ。 ギルドが保証するのは、ギルドメンバーとしての保護と加護だ。 たとえばギルドメンバーが、どこか外の組織とのあいだで不都合 を負った場合には、ギルドがその組織と交渉を行って、解決してく れる。 たとえばどこかの国で不当に逮捕されても、ギルドメンバーであ るなら、ギルドによる仲裁や救済を期待してもいい。 冒険者ギルドは、多くの国家間とも繋がりを持っているので、多 くの国家で身分が保障されることになる。 なぜギルドが構成員のために動いてくれるのかというと、﹁基本 的人権﹂があるからとかでは、まったくなくて︱︱。それがギルド の﹁利益﹂に繋がるからだ。 すべての仕組みは、シンプルで、単純だ。 ギルドは個人を﹁役に立つ﹂ので﹁守る﹂わけだ。 たとえばさっきの、ギルド員同士で抗争があった場合の話だが︱ ︱。 いったんギルドが争いを預かり、その裁定を下すことになる。そ のときに最も大きな判断材料となるのは、﹁正義﹂とか﹁道徳﹂と かでなくて、﹁ギルドの都合﹂だ。 ぶっちゃけ、ギルドに対しての貢献度が大きい者のほうが﹁正し い﹂ということになる。 182 モーリンがギルドにとって、どういう位置にいるのか、いまひと つ、はっきりわからないが⋮⋮。 立場を隠していなければ、﹁かつて世界を救った勇者の仲間﹂の ﹁大賢者﹂ってことになっているはずで︱︱。 ああ。うん。なんか最強ポジションだな。 まあ、さすがにそれだと、気楽に出歩かせてももらえないだろう から、立場を伏せて、実力の一端だけを示して見せて、ギルドの﹁ 顧問﹂をやっている程度なのだろう。 ﹁法と秩序に関しては、そんなところだな。おさらいをするぞ。︱ ︱スケ。敵はどうする?﹂ ﹁ころす。﹂ ﹁ころさないでも済むような。ザコやチンピラなら?﹂ ﹁いかす。﹂ ﹁よし。そうだな﹂ 俺はうなずいた。 ﹁にどと。はむかえ。ない。ように。いたくする。﹂ ﹁よし。いいぞいいぞー。それでいいぞー。⋮⋮で、カクは?﹂ ﹁だからカクってなんなの⋮⋮。ええ。自分の身は自分で守るわ。 私はいま貴方の〝財産〟ですから。ご主人様の財産を損なうような ことはしません。︱︱これでいいの?﹂ ﹁よし。いいぞいいぞー﹂ 俺がスケルティアとおなじように褒めてやると、アレイダはちょ っと嬉しそうな顔を見せた。 183 ﹁まあ。他の細々としたことは、おいおい、教えてゆくとして︱︱。 いちばん大事なところに関しては、そんなもんだな﹂ スケルティアは、こくこく、と、うなずいている。 ﹁さて。それではマスターにかわりまして、2時間目は、わたくし が⋮⋮﹂ モーリンが前に出る。俺はちょっと脇に下がった。 ﹁つぎの時間は⋮⋮。読み書きですね。文字の読み書きができない と、色々と、不自由することも多いですから﹂ ﹁もじ。って。なに?﹂ スケルティアが、きゅるんと首を傾げている。 まあ。そこからだろうなー。 ﹁あっ︱︱。私も共通語はちょっと苦手で⋮⋮。教えてもらえると、 嬉しいかもっ?﹂ なんだ。字も読めなかったのか。 どこかの部族の族長の娘っていってたから、いちおう小さくても 姫様ポジションじゃないのか? ﹁ええ。教えますよ﹂ そんなポンコツ姫に対しても、モーリンは、にっこりと柔和に微 笑んだ。 184 ﹁⋮⋮では。マスター。あちらへどうぞ﹂ ﹁ん?﹂ モーリンがなにか言っている。 ﹁⋮⋮あっちって、どっち?﹂ ﹁あちらの席へ﹂ スケルティアとアレイダと、二人は並んで座っている。 その並びに、もう一個、席が用意されていた。 モーリンは顎で、その席を指し示す。 ﹁え? ⋮⋮俺?﹂ 俺は自分の顔を指差して、モーリンにたずねた。 ﹁ええ﹂ モーリンはうなずいた。 ﹁マスターも、読み書き、できませんでしたよね﹂ ﹁いや。俺はいいって﹂ ﹁⋮⋮字。書けないと。困りますよ?﹂ モーリンはニコニコと微笑んでいる。 ﹁い、いや⋮⋮。そのうち思い出すだろ。だからいいって﹂ ﹁そうですね。教われば、すぐ、思い出すかもしれませんね﹂ 185 モーリンはニコニコと笑っている。 その笑顔の迫力に俺は負けて︱︱一度も勝てた覚えはないのだが ︱︱おとなしく、席に座った。 ﹁なによ。偉そうにしていて。わたしたちと、おんなじじゃない﹂ うちの娘たちの生意気なほうが、そう言う。 ﹁おりおん。おなじ。スケ。と。まなぶ。﹂ うちの娘たちの素直なほうが、そう喜んでいる。 二人は言ってることは真逆だったが、その顔はおなじで︱︱微笑 みになっている。 俺は、まあ、いいか︱︱と、おとなしく席について学ぶことにし た。 186 元勇者のたのしい授業 ﹁ころす。たべる。どっちも。だめ?﹂ ︵後書き︶ 毎日更新続けてまいりましたが、少々きつくなってまいりました⋮ ⋮。 2日に1回ぐらいの更新を目指しまーす。 187 お供を連れてダンジョンへ ﹁れべる。あがたよ。﹂ いつものダンジョンへ、俺は二人を連れて出かけていた。 ﹁カクさんには攻略済みで退屈かもしれんが、まあ、スケさんの訓 練だと思ってつきあえ﹂ ﹁だからそのカクさんってなんなの⋮⋮?﹂ ﹁なんだ? ヤジさんとキタさんのほうがいいのか?﹂ ﹁ますますわからないわよ⋮⋮﹂ と、アレイダは斧を構える。 このあいだ攻略したときの最初の装備はモップ。そのうちに銅製 の剣になり、鉄製の剣になり、最終装備は大きな戦斧となっていた。 ﹁スケ⋮⋮さんにも、なにか買ってあげなさいよ。武器とか防具と か﹂ アレイダは隣に立つスケルティアに、ちらりと、目をやった。 ﹁武器や防具なんか、戦っていれば、そのうち、なんか出る﹂ ﹁ひっどい﹂ シーフ ﹁それにスケのやつは、盗賊タイプだからな。案外。素手で普段着 のほうが、戦いやすいかもしれんぞ﹂ ﹁ん。スケ。たたかうよ。﹂ 188 スケルティアは腕を構えてみせる。 普通の人間とは構えが違う。手首から糸を撃つのが彼女の戦闘︵ 捕食?︶スタイルだから、それに応じた構え。 ﹁さあ。行くぞ。︱︱ついてこい﹂ ﹁あっ︱︱ちょ、ちょ!? 待って待って!﹂ ﹁ん。スケ。ついてく。﹂ 赤いのと青いの。 うるさいのと静かなのを連れ立って、俺は歩いた。 ◇ 1階から3階までは、エンカウントした敵を、火の粉を払うだけ の目的で倒しただけで、4階までまっすぐに進行した。 4階からはモンスターの構成が変わる。ちょっと強い顔ぶれにチ ェンジする。 1∼3階までが本当の駆け出し向けなら、4階より下は初心者向 けというあたりか。 勇者業界における強さの分類基準は、だいたいこんなもんである。 駆け出し。 初心者。 初級者。 中級者。 マスタークラス 上級者。 達人。 伝説級。 189 世界の命運を賭けた戦いは、だいたい、上2つあたりの連中によ って行われる。 このダンジョンは、階層によるが、下3つくらいに相当している。 階層によって難易度が変わり、最下層が初級者向けとなっている。 つまり最下層でも、勇者業界では、まだまだ﹁初﹂とかついちゃ う場所なわけだ。 ただしこの分類は勇者業界のものであるから、世間一般の基準と は、だいぶズレがあるかもしれない。 ここだって、そこそこ有名なダンジョンなのだ。 世間一般的にいうなら。 しせい たとえば冒険者ギルドで、アレイダにのされていたあの男とか︱ ︱。 ああいう市井の冒険者たちが、一生を賭して、引退までのあいだ に、最下層まで到達して制覇できるかどうか。 そのぐらいの難易度はある。 4∼7階あたりの中層を、6人も揃えたフルパーティで練り歩い ているくらいで、街で肩で風を切ってデカい顔をして歩けてしまう。 そのぐらいのダンジョンではあるはずだ。 最下層までのモンスターを﹁根こそぎ﹂にしてゆくと、屋敷や小 さな城が買えてしまう金が手に入るのは、そうした理由だ。 ﹁じゃ。この4階から本格的にやろう。よし。まずはそこの右の部 屋からだな。右手の法則で、ぜんぶやってくぞ﹂ 190 俺は開いていた︽マップ︾を閉じた。 マッパー 一度到達した場所はオートマップされる。つまりこのダンジョン は、すべてが一望できている。 ﹁なにその便利な能力﹂ アレイダが文句を言う。 レイダー ﹁便利スキルだ。おまえも転職すれば、使えるぞ。探索者か測量者 だな﹂ ︽勇者︾は一般的なスキルのうち、かなりのものを使える。これ もそのうちの一つ。 まあ、︽魔王︾を倒してこいと呼ばれるのが︽勇者︾なわけで︱ ︱。このくらいのチートや特典がなければやっていられない。 倒すべき︽魔王︾がもういない︱︱この平和な世界では、ちょっ とオーバースペックかもしれないが。 ﹁カクさん。スケさんのレベルが上がって装備が揃ってくるまで、 ちゃんとフォローしてやれよ﹂ ﹁だからそのカクさんってなんなの⋮⋮。するけど﹂ 二人は身構えた。 ドアを蹴破って、戦闘がはじまった。 ◇ ﹁ほう。だいぶ装備も揃ってきたな﹂ ﹁かこいい?﹂ 191 スケルティアが︱︱。くるりん、と、その場で回る。 ドロップした装備を順番に着せていったら、コーディネートが、 なんか忍者っぽくなった。 鎖帷子に鉢金。両手に短刀。重い剣と違って軽く握れるものだか ら、手首から撃つ糸の邪魔にもならない。 ﹁下半身にも、なにか着させてあげなさいよ。なんでさっきのズボ ン。捨てちゃうのよ﹂ ﹁うるさいな。いいんだよ﹂ 俺はそう言った。 わかってない。まったくわかっていない。 鎧の上衣だけ着させることで、見えるか見えないかというチラリ ズムが発生するのだ。 あのズボンは、まったくよくない。 防御力もたいしてあがらないうえに、なんだあの、ダサい色とデ ザインは。 ないな。絶対。ないな。 ﹁男のロマンだ。女子供にはわからん﹂ ﹁スケベ﹂ 一部分、わかっているようである。 ﹁ねえ。スケさん。⋮⋮連携のことで相談なんだけど。あなた、糸 撃つでしょ、そしたら私がね︱︱﹂ 192 アレイダはスケルティアと戦いかたの相談をはじめた。 ふんふん、と、スケルティアは素直に聞いている。 その戦いかたには、指導すべきところもあったが、俺は二人の自 主性に任せることにした。 工夫は、どんどんしてゆくべきだ。 多少の間違いや、無駄な施行があってもかまわない。 自分の頭で考えて、工夫することに、意味がある。 それがもし致命的にまずいことであれば、俺が止めるし。 二人の考えたそれが、うまくないやりかたであれば、それを指摘 するのは、一度﹁うまくない﹂ことを自分たちで体感したあとだ。 なぜそれが﹁うまくない﹂のか。どうしてダメなのか。 やる前に指摘してやめさせるよりも、実際にやってから指摘した ほうが、はるかに﹁経験値﹂になる。 この場合の﹁経験値﹂というのは、Lvや強さに繋がるほうのそ っちではなく、精神面においての意味合いだが︱︱。 ﹁おい。いつまで休憩してる? 出発するぞ﹂ ﹁ふふふっ。⋮⋮オリオン。わたしたちね。すっごい、戦いかた、 考えついちゃったのよー?﹂ うちの娘たちのうちの調子に乗るほうが、そう言った。 ﹁おりおん。スケ。は。がんばる。﹂ うちの娘たちのうちの健気なほうが、そう言った。 193 ﹁ああ。楽しみにしてるぞー﹂ ◇ 二人の考えついた戦法というのは、まあまあの、及第点だった。 これまでスケルティアは、捕食者としての本能から、敵を捕らえ るために糸を使っていた。 その固定観念の発想から離れると、蜘蛛の糸というものには、い ろいろな使い途が生まれた。 どう固定観念から離れるのかといえば︱︱。 たとえば。 糸を敵でなくて味方に吐きつける。 糸は性質を変えられるので、強度のある糸をアレイダの腕に吐き つけることで、即席の盾ができあがる。 ダメージを受けた場所を覆って、即席のプロテクターにすること もできる。 また捕獲のための糸の使い途にも、バリエーションが生まれた。 これまでスケルティアは、相手に直接吐きつけようとしていた。 本来、蜘蛛の粘着糸というものは、巣を作り、待ち伏せするため に使うものだ。もともと動く相手にあてるためのものではないので、 命中率は低く、まあ、まぐれで当たったときぐらいしか役に立って いなかった。 しかし、避けない相手であれば、必ず命中させることができる。 194 だからまず、味方︱︱この場合はアレイダであるが︱︱に対して 糸を吐き、二人のあいだに糸を架け渡す。 そして二人が、ただ移動するだけで︱︱。間にいるモンスターは 一網打尽だ。すべて糸に絡まって身動きが取れなくなってしまう。 糸一射で行える、超ローコストな、集団麻痺魔法みたいなもので ︱︱。 この技を編み出してからの二人は、効率をあげてバンバン戦闘を 進めていった。 もう、なんつーか⋮⋮。 戦闘っつーより、狩り? 一方的な狩り? ﹁前に来たとき、この階、私一人でやってたら、けっこう死にそう だったんだけど︱︱﹂ 剣を振りながらアレイダが言う。 ﹁︱︱スケさんとやってると! ほんと! 楽!﹂ その言葉に、糸を撃ちながら、スケルティアも応じる。 ﹁⋮⋮スケも。うれしい。ふたり。で。たたかうの。はじめて。﹂ まったく危なげなく戦う二人を、俺は、な∼んにもしないで見守 っていた。 本当に、なにもしていない。まったく戦っていない。 ただ、ぼーっと突っ立って、眺めているだけ。 俺が経験値を奪い取ってもしかたがないので、どんなに苦戦して いても、手は出さない方針だ。 195 もっとも、まったく苦戦などしていないが︱︱。 アレイダが振るう武器は、戦斧から剣へと変わっていた。 レアドロップがあって、魔力を帯びた剣になっている。 この初心者ないしは初級者向け︵勇者業界基準︶では、かなり幸 運なドロップ品だ。 あれ以上のドロップ品は、ここではたぶん出てこないだろうから、 アレイダはしばらく女剣士だな。 最初のときに持っていた戦斧は、ポイ捨てだった。 ちょっともったいない気もする。武器屋なりギルドなりに持ちこ しせい めば、わりといい値で売れるはず。 市井の一般人が、数年は遊んで暮らせる額ぐらいにはなるはず。 帰り道で、もしそのまま落ちて残っていたら、拾って帰るか。 まあ、どうせ誰かが持って帰っているだろうがな。﹁こんな凄い のが落ちてた! ラッキー!?﹂という感じで︱︱。 ﹁さあ! こいつらで最後よ!﹂ 例の糸の使い方で、数体を行動不能にしたアレイダが、声をあげ る。 ここは最下層、10階の、最後の部屋︱︱。 最後の一群のモンスターとの戦いの趨勢が、だいたい決したあた りで、俺は声をかけた。 ﹁ひとつ。アドバイスをしてやろう﹂ これまで、なにもアドバイスはしていない。 そして、ほとんど手出しもしていない。 196 戦闘後に使ってやる回復魔法も、前回のように、毎回、ゼロ近辺 から全快までさせるのではなく、たまにちょっとした小傷を治す程 度だった。 クレリック そこらの低レベル僧侶でも足りる程度のMPしか使っていない。 ﹁なによ。もう。遅いわよ。︱︱こんな最後になって﹂ ﹁そのモンスター。糸で絡めたろ﹂ ﹁したわよ?﹂ ﹁じゃあ、あと、火をつければいいんじゃね?﹂ ﹁はい⋮⋮?﹂ ﹁こうだ﹂ 俺は指先に小さな火球を生み出した。 炎系魔法の、いちばん最初のやつ。 たぶん、どんなにLvの低いモンスターでも、この魔法、単体で は、致命傷は与えられない。 そんな程度の小さな火球だが︱︱。 俺はモンスターたちを縛っている糸めがけて、その火球を撃ちこ んだ。 糸は爆発的に燃焼した。 それに包まれていたモンスターたちも、焼死した。 ﹁蜘蛛系モンスターの糸はよく燃える。︱︱覚えとけ﹂ ﹁あっ⋮⋮﹂ 197 アレイダが口を虚ろに開いて、ぱくぱくとやっていた。 これを思いついていれば、もっと戦いが楽になっていた。そのこ とに思い至った、という顔だ。 うちの娘たちのうちの、調子に乗るほうは、へこんでいる。 ﹁あと、蜘蛛の糸が、火に弱いってことは⋮⋮。炎系モンスターに 対しては、その戦法は使えないってことだな。︱︱これも覚えてお け﹂ ﹁スケ。は。⋮⋮おぼえた。﹂ うちの娘たちのうちの生真面目なほうは、真摯な顔でうなずいて いる。 ﹁よし。じゃあ。本日の訓練は終了。モーリンが美味しいシチュー を作って待ってるぞ。さあ帰るぞ。︱︱おまえたち。今日はよく頑 張ったな﹂ 俺は二人の尻を叩いて、そう言った。 ﹁だからイヤらしいっての﹂ ﹁にく。はいってる?﹂ ◇ 本日のダンジョン攻略︱︱。 二人で最下層10階まで易々と制覇した。 もうこのダンジョンでは、二人には簡単すぎるかもしれない。 198 二人ともレベルがあがった。 アレイダは戦士としてLv20となった。 スケルティアは職業ではなく種族だが。﹁ハーフ・スケルティア Lv20﹂となった。 アレイダは戦士としてマスターレベルに至った。つまり転職が可 能だ。 しかし彼女のLvは、カンストしておらず、まだまだ上がるらし い。 この﹁カンスト﹂するLvというのは、個人ごとに違っている。 転職可能となるLvは職業ごとに決まっていて、だいたい20前 後だ。 このLvを世間一般的には﹁マスターレベル﹂という。勇者業界 的にいえば、こんなん、ようやくスタートラインに立ったようなも んだが⋮⋮。 まあ、世間一般的には﹁達人﹂と見なされるレベルだということ だ。 この﹁マスターレベル﹂︱︱﹁転職可能レベル﹂に到達できるか どうかが、ある意味で、才能の有無であるといえる。 Lvの上昇がストップしてカンストする﹁才能限界Lv﹂が、ど こにあるのかは、人によって違う。 また通常の方法では調べることができない。︵通常でない方法な ら、調べる方法はいくつか存在している。勇者業界では常識︶ 通常は、人生を賭して、自分が﹁何者かになれるか﹂を確かめて 199 みることになる。 初期値に恵まれてレベルアップも早く、﹁天才﹂と言われていて も、惜しいかな、才能限界レベルが、転職可能レベルに到達しない 者もいる。 その逆に、まったく凡才極まりないやつが、地道にレベルを伸ば していって、転職して花開く、ということもある。 うちの二人の娘たちが、この先、どう育ってゆくのか。 俺は見守っていきたいと思っている。 200 お供を連れてダンジョンへ ﹁れべる。あがたよ。﹂︵後書き︶ 今回はパワーレベリングです。 景気よく、じゃんじゃんばりばり、あがっていってますー。 市井の凡夫の冒険者さんたち、ごめんなさ∼い。 次回の更新は2日後の予定です。5/20です。 201 転職? 進化? ﹁つよい。かこいい。﹂﹁これカッコいい!﹂ ちゅん。ちゅん。ちゅん。 たぶんスズメじゃない小鳥のさえずりによって、俺は眠りから覚 まされた。 隣にある女体が、静かにその乳房を上下させている。 昨夜は激しかったせいか、まだ深い眠りについている。 俺が目覚めてから数秒後︱︱。 どすどすと廊下を歩いてくる足音が近づいてきた。 あるいは俺が目を覚ましたのは、この足音のせいだったのかもし れない。 もう〝勇者〟ではなくなって、だいぶ、なまってしまったという か、たるみきっているというか︱︱。 まあ職業上は|︽勇者︾ではあるのだが︱︱。世界を救う使命を 帯びた存在ではなくなった︱︱という意味である。 ドアが、バーンと開かれた。 ﹁オリオン! いつまで寝てるの! もうモーリンさんが朝ご飯を 作って︱︱って! ⋮⋮えっ?﹂ うちの娘たちのうちの世話焼きなほう︱︱アレイダが、口をあん ぐりと開いて、俺を見ていた。 いや。俺ではなくて︱︱。その目線の先にあるのは、俺の隣に寝 そべる女体のほうか。 202 ﹁え? あ⋮⋮。えっと⋮⋮。だれっ?﹂ ﹁リズだ。おまえも知ってるはずだが?﹂ ﹁え? し⋮⋮。しらない⋮⋮﹂ ﹁知ってるさ。ギルドでよく世話に︱︱ああ、エリザだったな。本 名は﹂ ﹁な、なら⋮⋮、しってる﹂ なんでこいつ、子供みたいに、たどたどしくなってんの? ﹁な、なんでその⋮⋮、エリザさんが⋮⋮、オリオンのベッドで⋮ ⋮、ね、寝てるの? は、はだかで⋮⋮﹂ ﹁なんでって? そりゃあ、おまえ︱︱﹂ 説明せんとわからんのだろうか。 ほんとうに? ﹁ふあぁ⋮⋮、ああー⋮⋮っ、おはよーございまぁす⋮⋮﹂ 俺とアレイダがうるさくしていたので、エリザが起きた。 大きく伸びをする。 見事なバストが、ぷるるんと揺れる。 この娘。 おっとりしている印象とは裏腹に⋮⋮、昨夜は、かなりの激しさ 203 だった。 そして肉食系。 見かけによらないというか。 俺のほうがむしろ食われたカンジっつーか。 ﹁あ、あの⋮⋮、エルザ、さん? ⋮⋮えっと、朝食⋮⋮、た、食 べていかれます?﹂ アレイダは、なにか、間抜けなことを言っている。 ﹁モーリンさんのごはん⋮⋮、とてもおいしくて⋮⋮、わたしも今 朝は、スクランブルエッグっていうのを作らさせてもらって⋮⋮、 ていうか⋮⋮、スクランブルにしかならないっていうか⋮⋮﹂ アレイダは、なにか、ごちゃごちゃと言っている。 ﹁あっ。いえ。戻ります。お仕事ありますしー﹂ アレイダがごちゃごちゃ長々とくっちゃべっている間に、エリザ は下着を拾い集めて身に着け終わっていた。ブラウスに袖を通して、 スカートを穿く。 髪をまとめあげて、きりっとする。 ﹁いつまで見ているんだ?﹂ 女が服を身に着けてゆく様を愉しむ性癖は、俺にはあるが、アレ イダにあるとは思えないのだが︱︱。 アレイダは立ちっぱなしで、ぽうっとした顔で、ずうっと見てい るので︱︱。 そう聞いてみた。 204 ﹁えっ?﹂ ﹁どかないと、彼女が通れないぞ﹂ ﹁えっ! はい! ご、ごめんなさいっ!﹂ ぴょんと飛び跳ねて横にどいたアレイダの脇を、エリザは歩き抜 けてゆく。 歩くたびに左右に振れるそのお尻を、見えなくなるまで、眺めて いた俺だったが︱︱。 アレイダに顔を向けた。 ﹁いつまで見てんだ?﹂ ﹁べ︱︱べつに見てない! なんにも見てない! ︱︱って! う わあ! 服着なさいよ!﹂ 全裸の俺にアレイダが悲鳴をあげている。 ﹁なにをいまさら⋮⋮﹂ しかし⋮⋮。 最近、こいつ、すっかり敬語使わなくなったなぁ。 また〝教育〟しないとだめかなぁ。 ◇ ﹁へぇっ⋮⋮、ウォーリアーかぁ⋮⋮、でもまだ転職できないなぁ ⋮⋮﹂ 食堂で俺は遅めの朝食を摂っていた。 205 もう皆は食べおわっていたので、俺が一人でモーリンの給仕を受 けている。 ﹁あっ⋮⋮、これもカッコいい⋮⋮、クルセイダーかー⋮⋮、でも これもまだなんだぁ⋮⋮。まずナイトにならないといけないのか⋮ ⋮﹂ アレイダがさっきから、ぶつぶつとうるさい。 エリザが昨夜、屋敷を訪ねてきたのは、俺の頼んでいたものを持 ってきたからだった。 〝マスターレベル〟に到達した二人のために、職業のカタログを 持って来てもららった。 まあ、そのついでというか、なんというかで、一晩、過ごしてゆ くことになったわけだが⋮⋮。 上級職のカタログなど、ギルドに行けば、旅行パンフぐらいの気 軽さでどこかに刺さっているかと思ったら、奥の〝特別窓口〟に行 ってさえ、すぐには出てこなかった。 なんでも、マスターレベルに到達した者は、ここ数年、出ていな かったということで⋮⋮。 エリザが残業してお手製の資料をまとめてきてくれた。その特別 サービスに対して、俺も特別サービスで応じたわけだ。 しかし⋮⋮。ここ数年で、転職者がアレイダとスケルティアだけ というのは⋮⋮。 この世界が平和すぎるのか。それともこの地方だけなのか。ここ が特別、初心者向けの場所なのか? 206 俺が前々世で勇者をやっていたときには、もうすこしは平均レベ ルが高かったような⋮⋮? ﹁こんなものなのか?﹂ ﹁まあ。こんなものですね﹂ 傍らに立つモーリンに聞くと、彼女は紅茶を注ぎながら、そう答 えてくれた。 ふむ。そんなもんか。 てゆうか。俺。いま頭の中で考えていただけなんだけど。なんで 何事もなく会話が成立するんだろうな。 うむ。モーリンだからだな。 しかし⋮⋮。 コーヒーだけでなく、紅茶まであるよ。この世界。 なんでも他の転生者が文化輸入して、それがアウトブレイクした とかで、向こうの文化が、いくらか流通している。 パンをもう一枚くれ。 ﹁かしこまりました﹂ なんか無残な出来のスクランブルエッグを、捨てるのも勿体ない ので、俺は自分の胃袋に捨てていた。 あまりにひどい出来なので︱︱パンでごまかして流し込まないと、 無理すぎる。 ﹁これ⋮⋮。かこいい。これも⋮⋮。かこいい。﹂ 207 アレイダの隣で、スケルティアのやつも、カタログに夢中だ。 クール少女が、鼻息を荒くして食い入るように見つめている。 ﹁しかし、スケのほうは⋮⋮、〝転職〟じゃなくて、〝進化〟だっ たのな﹂ ﹁ハーフですから。種族を固定すれは、職業を持って、転職も行え るようになりますが﹂ ﹁ふむ。そういうものか。どっちにも進めて、ある意味、いいんだ な﹂ ﹁あの子しだいですけどね﹂ と、モーリンと二人で、スケルティアを見る。 カタログに熱中している彼女は、俺たちの視線に、ぜんぜん気が つかない。 ﹁なにに〝進化〟するのか、もう決めたか?﹂ 俺が声をかけると、スケルティアは、はっ︱︱となって、顔をあ げた。 周囲を見やる。ここが食堂であるということに、いま、気がつき でもしたような感じ。 そして俺を見て、ぷるぷると首を振ってきた。 ﹁スケは、どういうのが? いいんだ?﹂ ﹁かこいい。やつ。﹂ スケルティアは、見ていた一枚を、すっと俺のほうに出してきた。 大きくイラストが描かれている。 208 ﹁蜘蛛だな﹂ ﹁グランド・スパイダーですね。最大で全長三メートル。巣を持た ず狩りをする、捕食性の大型の蜘蛛です。荒野や森などに棲息しま す。糸も使いますが、それは狩りの道具として用います。知能は比 較的高く。高レベルになれば会話することも可能であるとか﹂ ﹁話が通じるのはいいが。しかしそれに進化すると、人型じゃなく なるんじゃないかな?﹂ 俺はスケルティアにそう言った。 彼女のお気に入りは、完全な蜘蛛だった。 それはまあ、いいといえば、いいのだが⋮⋮。 この屋敷には住めなくなるなぁ。3メートルでは、部屋に入りき らない。 俺はテーブルの下を覗きこむようにして、スケルティアの体を見 た。 肉付きの薄い少女の体だ。 いまの彼女はほとんど人間と変わりがない。額に6つほどの〝単 眼〟があることと、手首に糸を吐く射出口があること。その二つく らい。 以前、裸にして、ブラシでゴシゴシと擦ったときに、表も裏も目 にしたが︱︱。ほかに変わっている部分は、特になかった。 まったく少女の体、そのままだ。 ただ、皮膚は人間と同じに見えて、遙かに強靱であるらしく︱︱。 デッキブラシでゴシゴシと擦っても、どこかの誰かさんみたく、 209 みっともなく悲鳴を上げたりはしなかった。 むしろ心地よさそうにしていた。 鎧を着ていなくても、レザーアーマーか、薄い金属鎧ぐらいの強 度はあるらしい。 大蜘蛛のイラストを見せられている俺が、顔をしかめていると⋮ ⋮。 ﹁つよいよ?﹂ スケルティアは、首を45度に傾げつつ、俺にそう言ってきた。 ﹁さっきは、カッコいいって言ってなかったか?﹂ ﹁つよいのは。かこいい。よ?﹂ ﹁なるほど。そうなのか﹂ まあ、美的感覚は人それぞれだから、それはいいのだが⋮⋮。 ﹁おりおん。これ。いやだ?﹂ ﹁いや。べつに嫌なわけではないが⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮。が?﹂ ﹁⋮⋮いや。なんでもない。おまえの好きなのを選んでいいんだぞ﹂ 美的感覚は人それぞれであるのだから、俺の美的感覚を持ちだし ても仕方がない。 210 これは、うちの娘たちのかわいいほう︱︱スケルティアの﹁人生﹂ の問題だ。 いや。進化先によっては﹁人﹂じゃないかもな。﹁人生﹂じゃな くて﹁モンスター生﹂になるかもな。 ﹁ふふっ⋮⋮。オリオンはね。スケさんとエッチできなくなるので、 がっかりしてるのよー﹂ うちの娘たちの耳年増なほうが、そんなことを言う。 ﹁知ってるんだからー。わたしとか、スケさんとか⋮⋮、エッチな 目で見てることある。 ﹁さあ⋮⋮。覚えにないな﹂ 俺はやんわりと否定した。 ムキになって否定しないように心がけた。 それこそ、思うつぼだ。 ﹁⋮⋮?﹂ スケルティアのほうは、どうも、よくわかっていない感じ。 ﹁⋮⋮。できるよ?﹂ グランド・スパイダーのイラストを、ずいっと俺に差し出してく る。 いやあ⋮⋮。 211 ちょっとー。それはー。 無理だろう。 ﹁⋮⋮。こっち?﹂ 次に差し出されてきたのは、また別の種のカタログ。 上半身が美しい少女のモンスターだ。顔はとても美形。そして二 つの乳房も美しい。⋮⋮が、当然ながら、下半身は蜘蛛だ。 ﹁いやあ⋮⋮。微妙だな、これは⋮⋮。ギリか?﹂ ﹁なにがギリなんだか。どうせケダモノなんだから、いいじゃない の﹂ 俺が睨みつけると︱︱アレイダは、顔をあさってのほうに向けた。 そして、くくく、と、笑っている。 上半身が人間型なので、ちょっとエッチなことはできるかもしれ ない。 でも最後までは無理だな。うん。無理だ。 俺が腕を組んで、顔をしかめつつ、深遠な悩みに挑んでいると⋮ ⋮。 ﹁それはアラクネですね﹂ 絵をちらりと見て、モーリンが言った。 ﹁上半身が女性です。人間部分は疑似餌で偽装というのがこれまで の通説でしたけど、最近の研究では、別個の脳も存在していること 212 が判明しています。脳が二つありますから、知能も高く、蜘蛛部分 で近接戦闘をしながら、人間部分で高度な魔法を使ってきたりと、 ちょっと人間では真似のできない戦いかたができますよ﹂ ﹁いやー。しかしなー﹂ 俺は腕を組んで唸り声をあげた。 このアラクネという、上半身だけが美少女のモンスター。ちょー ど下半身の、いいところのあたりから、蜘蛛なんだよなー。 ないんじゃね? なくなくね? なくなくなくね? ﹁アラクネには全身擬態のスキルがありますので、レベルが上がれ ば、胴体と脚は折り畳んで二本の足になりますけど﹂ ﹁え?﹂ ﹁人間と性行為は可能ですし混血もできますが。もともとアラクネ にはメスしかいませんので、繁殖には多種族の男性を必要とします﹂ ﹁え? そうなの?﹂ いやー。しかしなー⋮⋮。 ﹁人魚も似たようなスキルで、尾ひれを足に変えて陸上にあがり、 恋人を作ったりしますけど。⋮⋮マスターはそういうのはお嫌です か?﹂ ﹁いや。人魚はオーケーだな。ぜんぜんオッケエだ。むしろウエル カムだ﹂ ﹁なら蜘蛛もOKなのでは? 人魚はOKで蜘蛛はだめというのは、 213 それは差別ですよ?﹂ ﹁え?﹂ そう言われて、俺は、スケルティアを見た。 ﹁くも? だめ?﹂ スケルティアは、見るからに、しょんぼりとしていた。 ﹁スケ。にんぎょ。⋮⋮なた。ほうが。いい?﹂ ﹁いやいやいやいや。大丈夫。大丈夫っ! だから︱︱俺の希望な んて、どうでもいいから。おまえの好きなのを選べばいいんだよ﹂ ﹁おりおん。の。すきなの。スケの。すきな。もの。﹂ ﹁ねえ。スケさん。︱︱この進化系統図を見て。とりあえず、グラ ンド・スパイダーになるにしろ、アラクネを目指すにしろ、途中過 程は一緒みたいよ?﹂ アレイダが別の資料を持ってくる。 どういう経緯で進化できるのか、既存の判明済みの、進化経路の 全マップがそこにある。 これは貴重な資料である。 人間の転職のほうでも同じことがいえるが、へんなもんに進化し てしまうと、その先で、行き止まりの袋小路になってしまうことが ある。 214 転職や進化が一生に1回のイベントなら、どうだっていいのだろ うが。うちの娘たちの場合には、すくなくとも、あと数回、ひょっ としたら十数回ぐらいは、起きることなわけで︱︱。 まあ⋮⋮。 魔王倒しに行こうっていうわけでもないのだから、何回程度かで 充分か。 ﹁ほんと。だ。﹂ 系統図を指でたどって、スケルティアがうなずく。 冒険者用というよりは、ほとんど、モンスター学者用の学術研究 資料だった。 エリザはこんなもんを用意していたから、時間がかかったという こともある。 そのぶんたっぷりとお返しをしたわけだが︱︱。 ﹁ああ。ほら。これこれ。この顔。︱︱このカオが、イヤラシイこ とを考えているときのカオね。覚えときましょうね。︱︱スケさん﹂ ﹁おぼえた。﹂ 二人がなんか言っている。勝手に言ってろ。 ﹁じゃあ、スケは決まったのか?﹂ ﹁うん。きまたよ。はーふ。えれくしす。﹂ ﹁エレクシス・スパイダーは、各種の毒を持った種ですね。致死性 の毒以外にも、麻痺や感覚遮断の毒などもあって、応用が広いです 215 よ﹂ ﹁ほう。良さそうだな。︱︱ハーフっていうからには、まだ、人型 なのか?﹂ ﹁外見的な違いは単眼が一対減りますね。そのかわり残る6個の視 力はあがって、動く敵にも強くなります﹂ ﹁ほう。いいじゃないか﹂ つまり、スケルティアの、この愛らしい貧乳美少女の姿は、まだ しばらく変わらないということだ。 ﹁もう。喜んじゃって⋮⋮。見え見えなのよ﹂ ﹁そういうおまえは。なにに転職するのか、決まったのか?﹂ ﹁え? わたし? わたしは︱︱これっ!﹂ ﹁クルセイダーか? マゾいな、おまえ﹂ ﹁ええっ? ま、マゾ⋮⋮って? なんでっ?﹂ クルセイダーは、ダメージを一手に引きつける職だ。 マゾが多い⋮⋮かどうかは、じつのところ、よくわからんが。な んとなくそういうふうに呼ばれている。 ﹁じ、じゃあ︱︱! こっちにする!﹂ そちらはヴァルキリー。 ﹁防御特化から、攻撃特化かよ。なんでそう極端なんだ? てゆう か。ポリシーがまったく感じられないんだが。見た目のカッコ良さ だけで選んでいるのは、おまえのほうなんじゃないのか?﹂ 216 ﹁え? ええっ? わ、わたしの人生に︱︱、だめ出しっ? スケ さんのときには自由にしろとか言っといて︱︱? わたしのときに はだめ出し? なんなのその過干渉? 不当差別っ?﹂ ﹁差別じゃない。ポリシーもコンセプトも感じられないって言って るだろ。︱︱だいたい。俺の聞いたのは次の転職だ。3つも先の職 なんて、いま聞いてない﹂ ﹁目標があるのはいいことでしょう。スケさんの時には、アラクネ 目指すのを、いいって言ったのに﹂ ﹁あいつにはポリシーがあるって言ってる﹂ ﹁かこいい。よ?﹂ ﹁ああ。そうだな﹂ スケルティアが言う。俺はうなずいてやった。 ﹁どうちがうのよ! わたしだってカッコいい職業になりたいもん !﹂ ﹁おまえのは、ミーハーなんだ﹂ ﹁それに、だいたいべつに、わたし、強くならなくたって⋮⋮。も ともと、なんだっていいんだし⋮⋮﹂ ﹁すこしは考えろよ。世間一般的には、わりと大事な問題らしいぞ ? それに、いちど転職すると、元の職に戻るにしたって、マスタ ーレベルに上げないとならないしな﹂ ﹁1日じゃない﹂ 217 まあ。そうだが。 しかし上位職になると必要経験値も増えるので、2、3日になる んじゃないかな。 そもそも、いつものあのダンジョンでは、割に合わなくなる。 ﹁⋮⋮で、ちゃんと考えたのか?﹂ ﹁べ、べつに⋮⋮、転職できれば、なんだっていいのよ⋮⋮﹂ ん? アレイダが、なんか変だぞ? 顔をうつむかせている。やや赤くした顔で、ちらっ、ちらっ︱︱ と、俺に目線を送ってきている。 ﹁そ、その⋮⋮、転職すれば⋮⋮っ、い、一人前なんでしょ?﹂ ﹁いや。どうだろうな。 たかが一回転職した程度で︱︱。 ああ。まあ。市井の水準では、一生、転職しないで終わる場合も あるというか、むしろそっちのほうが多いわけで︱︱。 それからみれば、一人前と言えなくもないのだろうが︱︱。 しかし、勇者業界の常識からいうと︱︱。 たとえば、3回くらい転職してなるような、さっきの﹁クルセイ ダー﹂とか﹁ヴァルキリー﹂とか︱︱。 あれのさらに上位にあたるレア職業ぐらいからが、そもそも﹁入 口﹂であって︱︱。 そんなあたりで、ようやく﹁ヒヨッコ﹂の扱いを受けているわけ であり︱︱。 ヒヨッコというのは﹁半人前﹂くらいか。 218 都合4回の転職が、半人前なのだとすれば︱︱。 すると、つまり、1回転職したあたりだと、どのくらいになるん だ? ﹁0.125人前くらいか?﹂ ﹁ひっど! なにその細かい数字! なんで小数点第三位まで!﹂ ﹁いや。1を8で割ったら、そうなるだろう﹂ ﹁え!? なに! 8回転職しないと一人前にならないの!?﹂ ﹁いや。〝とある業界〟では。そのあたりが〝常識〟だったという 話だが﹂ くすくすくすと、笑い声が聞こえてきたので、顔を横に向ければ ︱︱。 モーリンが上品に笑っていた。 モーリンの笑顔は、すごくレアだ。 俺のこの笑顔のためだったら、世界の半分くらいを差し出したっ ていいと思っている。 ﹁⋮⋮マスター。アレイダさんは、あの約束のことを言っていらっ しゃるんですよ﹂ ﹁あの約束?﹂ ﹁あーっ! あーっ! だめっ! 内緒でっ! それぜったい内緒 でぇっ!﹂ アレイダが騒ぐ。 なにか約束したっけかな? ⋮⋮なんだっけ? アレイダを見る。テーブルに突っ伏している。真っ赤になった、 219 耳たぶしか見えない。 スケルティアを見る。ぽかんとしている。 モーリンを見る。くすくすと笑っている。 ⋮⋮ああ。あれか。 俺はようやく思いだしていた。 ﹁たしかに⋮⋮。8回転職じゃ厳しすぎたな。⋮⋮じゃあ、こうし よう。おまえを買ったときに俺が払った金額。あの金額をおまえが 稼いだら、おまえは、自分の尊厳を買い取る証を立てたってことで ⋮⋮、一人前と認めてやるよ﹂ ﹁ほんとっ!? ほんとにそんな簡単なことでいいのっ!?﹂ アレイダは、がばりと身を起こした。 ﹁簡単⋮⋮っていうが。おまえ。このあいだの稼ぎは、数万Gぽっ ちだろ。おまえの値段は︱︱って、なあ、こいつ⋮⋮? いくらで 買ったんだっけ?﹂ ﹁20万Gでしたね﹂ モーリンに聞くと、すぐに答えが返る。 モーリンはいつでも完璧だ。なんでも覚えている。 ﹁忘れてるし﹂ ﹁じゃあ。20万だ。20万。それだけ貯めこんだら、認めてやる よ﹂ 220 ﹁さあ! いくわよスケさん! いざダンジョンに! ︱︱レッツ のゴーよ!﹂ スケルティアは、首根っこ引っ掴まれて、ずるずると引きずられ ていった。 あいつ。すげえやる気だったな⋮⋮。 ◇ アレイダが、結局、1回目の転職で選んだのは︱︱。 スケルティアと二人だけでダンジョンを攻略するために、回復魔 法も使える一人タンクの〝ナイト〟にしたらしい。 そしてアレイダは、残りの金額を、本当にたったの一日で稼ぎき った。 221 転職? 進化? ﹁つよい。かこいい。﹂﹁これカッコいい!﹂ ︵後書き︶ 2日ごとの更新のはずが、1日あいてしまいましたー。ごめんなさ い。 次回は2日後に投稿できる予定であります。 222 俺の女たち ﹁下半身に節操のないどうしようもないクズよね﹂ ちゅん。ちゅん。ちゅん。 朝がきた。 ﹁おい。おまえら。朝だぞ。起きろ﹂ 俺はベッドの上にあった尻二つを、引っぱたいた。 ﹁ひゃん﹂ ﹁ん⋮⋮。スケは。おきた。﹂ かわいい声と、いつものローテンションな声と、二つあがる。 昨日はお愉しみだった。 まあ、おもにお愉しみだったのは、俺一人で︱︱。〝はじめて〟 だった二人は、大変だったようであるが⋮⋮。 ﹁あ⋮⋮、お、おはよ⋮⋮﹂ アレイダは、ささっとシーツを引き寄せて、裸身を隠した。 そんな恥ずかしがるような間柄でも、もう、ないのだが⋮⋮。 二人と関係を持つことが、もしあるとしても、もうすこし先のこ とだと思っていた。 だが、つい昨夜、抱くことになってしまった。︱︱二人一緒に。 理由は、まあ、いくつかあって︱︱。 223 俺に気に入られようと、ダンジョンに通ってLv上げをする二人 が、可愛く感じてしまったことと︱︱。 二人のLvアップが、思いのほか早く、3分の1人前、ないしは、 半人前くらいにはなってしまったということと︱︱。 いつも通っているあのダンジョンが、二人が行くと、ごっそりモ ンスターを取ってしまって、迷惑な感じになってしまったのと︱︱。 まあ、いちばん大きな理由としては︱︱。 アレイダのやつが、例の20万Gを稼ぎ終えたから︱︱というこ とだった。 自分に対する﹁身請け金﹂として、20万Gを積み上げたアレイ ダは、俺に言ったのだ。 ﹁これで私は私を買うわ﹂ ︱︱と。 ひさびさに、〝あの目〟を見た気がする。 最近すっかりポンコツ化して、駄犬化していたアレイダだったが ︱︱。 檻に閉じ込められていた奴隷の娘が、鉄格子越しに俺に見せた︱ ︱あの目を、そのときばかりは、俺に向けてきた。 俺が惚れたあの目だ。誰のものにもならないという、気高き目だ。 正直、惜しいと思った。俺が買ったときの金額の20万Gは、〝 あの目〟に払ったようなものだった。 224 ご主人様に尻尾を振って寄生してくる、パラサイト奴隷の駄犬な ら、ノーサンキューであるか、決して屈さない気高き獣であれば、 ぜひとも、欲しい。 だが所有できないからこその、気高き獣なわけで︱︱。手元に置 いておくのは、原理的に矛盾がある。 その20万Gをもって、アレイダが自分自身を買い戻すことを︱ ︱俺は承諾した。 だが、金、それ自体は突っ返した。 餞別がわりに、くれてやるつもりだった。 俺はてっきり、アレイダが出て行くつもりだと思っていた。 自分を買い戻したのだから、当然、そうなのだろうと︱︱。 だが違った。アレイダは、出て行くつもりなど、まったくなくて ︱︱。 自分の価値を、俺に示すために、自分の身請け金を積み上げてみ せたのだ。 そういえば、言った、言った。俺、言った。﹁一人前になったら 抱いてやる﹂とか﹁20万Gを払い終えたら一人前だ﹂とか。 俺に抱かれるために、そうして健気に頑張ったアレイダに︱︱。 俺は感激し、お姫様だっこで寝室まで運んだ。﹁ずるい。﹂とス ケルティアまでついてきたので、もうこの際、一緒にお召し上がり になった。 初めての二人はどうだったか知らんが、俺のほうは、しっかりと 225 堪能した。 ﹁メシ食うか。モーリンが朝飯を作ってくれている頃だ﹂ こちらの世界にやってきて、時計のない生活を送っていると、鳥 の鳴き声の種類でもって、だいたい時間がわかるようになった。 早朝と、飯時と、午前中とで、鳴く鳥の種類や鳴きかたまで変わ る。 それによると、いまはだいたい︱︱モーリンが、パンを香ばしく 焼きあげた頃合いだ。 ﹁顔、合わせられない⋮⋮﹂ アレイダは枕に顔をうずめている。 スケルティアのほうは、下着を拾い集めて身につけてゆくところ。 俺がじっと見ていても、物怖じもしない。 ﹁モーリンさんに、なんか悪いかなって⋮⋮﹂ ﹁あれはそういう女じゃない﹂ モーリンにとっては、この世界のすべてが、自分自身のようなも のなのだろう。 あれは﹁世界の精霊﹂みたいなものだろうと、俺は仮説を持って いる。 すべての人、すべての生物、そしてすべての物体︱︱俺の世界の 言葉には〝森羅万象〟という言葉があるのだが、こちらの世界には、 ちょうどうまく言い表す語彙がないっぽい。 かつてモーリンは、世界のバランスが壊れかけたときに、俺を召 喚した。 ︽勇者︾というバランス・ブレイカーをもって、︽魔王︾という 226 バランス・ブレイカーを制したわけだ。 モーリンは単に世界の守護者というだけでなく、世界そのものに 芽生えた〝自我〟のようなものではないかと︱︱。俺はそう結論し ている。 そのモーリンにとっては、アレイダも︱︱ああもう服をぜんぶ着 ちゃったが︱︱スケルティアも、〝自分の一部〟に過ぎない。 その〝自分の一部〟が俺に愛されていたとして、妬く必要がある だろうか? ︱︱いいや。ない。 〝右手の小指〟が愛されようが、〝左手の小指〟が愛されていよ うが、自分が愛されていることに変わりはない。 ﹁これでおまえたちは、俺の女だ。もう出て行けとは言わん。好き なだけいていいぞ﹂ ﹁⋮⋮ほんとっ?﹂ ﹁ああ。おまえたちが出て行きたくなれば、別だがな﹂ ﹁そ、そんなこと⋮⋮、あるわけ⋮⋮、貴方には〝恩〟があります し⋮⋮﹂ 最初は〝借り〟だったのが、こんどは〝恩〟に変わったわけか。 ﹁えらそうで、いいかげんで、下衆で、欲望に忠実で、特に下半身 に節操がなくて、どうしようもないクズだけど⋮⋮、恩人ですから。 私に自由と強さと尊厳を与えてくれた人ですから﹂ ﹁ひどい言われようだな﹂ ﹁本当のことでしょう?﹂ アレイダは俺を見て笑った。俺も笑った。すっかり服を着終わっ 227 たスケルティアは、まっすぐに立って、きょんと俺たちを見ている。 ﹁笑い﹂は、まだ彼女には難しそうだ。 俺は服を着終わった。だがアレイダはまだベッドのなかにいて、 裸の胸にシーツを引き寄せているばかり。 ﹁ところで、あの⋮⋮、あっち向いてて⋮⋮、くださいますか?﹂ ﹁なぜかな?﹂ ﹁あの⋮⋮、服を着たくて⋮⋮、見ていられると⋮⋮、着れないの で﹂ ﹁いやだな﹂ ﹁お願いします﹂ ﹁だが断る﹂ こういう反応はちょっと新鮮だった。 俺はいちど着終わった服を、また脱ぎはじめた。 ﹁えっと。あの⋮⋮、なぜ、服を脱いでいるの⋮⋮でしょう?﹂ ﹁いや。朝飯前にもう一度⋮⋮と﹂ ﹁い、いやっ! ケ、ケダモノっ︱︱!?﹂ ﹁節操がないと、さっき言ったろう。その節操のないところを見せ てならねばな﹂ 俺は有無を言わさず、襲いかかった。 朝ちゅんが、昼ちゅんになってしまった。 228 俺の女たち ﹁下半身に節操のないどうしようもないクズよね﹂ ︵後書き︶ メインヒロインたち全員と﹁そういう関係﹂となるのは明白な物語 ですので︱︱。 ヤルのヤラないので、延々、気を持たせるのも良くないと思いまし て、さっさと﹁朝ちゅん﹂となりました。 次回からは、そろそろ、﹁魔法の馬車﹂を入手に動きはじめます。 旅立ちの準備です。 229 これからの目標 ﹁え? ちょ︱︱、魔法の馬車って、高くない ?﹂ 待っていたモーリンと、四人でしっぽりと、遅い朝食をとった。 いや、しっぽりとは、いらんか。 しっぽりとやっていたのは、さっきまでの寝室でのほうか。 スケルティアはともかくアレイダのほうは、はじめは嫌だのキャ アだの騒いでいたが、昨夜から数えて数回目の最後のほうでは、コ ツを覚えてきたのか、わりと良くなってきていたもようだ。 そして、のっそりと、三人で顔を現した〝朝食〟は、すでに〝昼 食〟かというくらいの時刻になっていて︱︱。 しかし、焼きたてのパンと、淹れたてのコーヒーと、半熟とろと ろのスクランブルエッグが、俺たちが席に着いたときには、出来た てのほやほやで、すべてが湯気を上げているのは⋮⋮。これはいっ たいどうしたことか。 ﹁あ、あの⋮⋮。い、いただきます﹂ アレイダが、モーリンの顔色を、超窺っている。︱︱そして遠慮 がちに、パンから手に取ってゆく。 さっきの話題を、まーだ、気にしていやがるのか。 俺と寝たら、モーリンが気にするとかいう、くだらない話題だ。 ﹁おい。モーリン﹂ ﹁はい。マスター﹂ 230 俺はモーリンにそう言った。 ﹁二人を俺の女にした﹂ ﹁まえからそうだと認識しておりましたけど﹂ ﹁まあ、それはそうだが。正式な意味でな﹂ ﹁ちょ⋮⋮、な、なに言ってるのよっ⋮⋮﹂ ﹁不服か?﹂ ﹁スケ。は。おりおんの。もの。﹂ うちの娘たちのうちの素直なほうが、そう言った。無表情ながら に、ちょっとだけ頬を染めている。 ﹁わ、わたしは︱︱っ! オリオンのものになったつもりなんて︱ ︱、な、ないんだからね!﹂ うちの娘たちのうちのツンデレなほうが、言わずもがなのことを 叫ぶ。 俺のものになったつもりがないなら、なんで、寝たのやら。 俺はまったく強制などしていない。 身請け金として俺が払った20万Gを積みあげて、﹁さあ。これ で対等の関係よね?﹂︱︱だとか。 よくくびれた腰に手をあてて宣言する、その表情が、大変に愛ら しかったので︱︱。 その腰を腕で抱き、寝室に運んでいって、対等に取り扱ったわけ だ。 231 一人の男と一人の女として。 ああ。いや⋮⋮。 スケルティアもくっついてきたから、一人の男と二人の女だった が。 ⋮⋮まあそのへんは、細かいことなので、どーでもいいか。 ﹁なにニヤけているのよ。どうせイヤらしいことでも考えていたん でしょう﹂ ﹁当たりだ﹂ 俺はそう答えた。 ﹁ば! ばか! なに言ってんのよ! ひ、否定くらいしときなさ いよっ!﹂ アレイダがムキになっている。こいつのリアクションは、たまに 新鮮に感じることがある。 さっきも﹁服着るとこ見られると恥ずかしいから、あっち向いて て﹂とか、妙なことを口走って俺を野獣化させていた。 ﹁モーリン。コーヒーのおかわりを頼む﹂ くすくすと笑っているモーリンに、俺はカップを差し出した。 向こうの世界でよくある形の﹁マグカップ﹂を、陶器の職人にわ ざわざ特注して作ってもらった。 そしたらその職人が、同じデザインのマグカップを大量に作り始 めて、いま、街待では﹁マグカップ﹂が大ブーム。 ⋮⋮それは、まあ、どうでもいいのだが。 232 ﹁はい。かしこまりました﹂ コーヒーが出てくる。 俺の前だけでなく、アレイダたちのカップにもコーヒーが注がれ る。 ﹁は。あの⋮⋮、す、すいません﹂ いつもは食事の準備を手伝っているアレイダだが、今日はモーリ ンに任せっきり。 それもあって、アレイダはひどく恐縮していた。膝の上に置かれ た手にはぎゅっと力が込められている。それこそ、指の関節が白く なるほどに。 ﹁ところでモーリン﹂ ﹁はい。なんでしょう?﹂ ﹁俺は昨夜はお愉しみだったぞ﹂ 言わずもがなのことを、俺は、あえて言った。 ﹁はい。存じておりますが?﹂ アレイダが﹁うっわこのバカ! なに言ってるの!﹂という目で 睨んできているが、俺は努めて無視を決めた。 ﹁それはよろしゅうございました﹂ モーリンは穏やかな声と表情でもって、そう返してきた。 普段の雰囲気とまるで変わりがない。 233 アレイダの顔が、特に面白かった。 耳は真っ赤にして、顔は真っ青にして、いっそ殺して︱︱みたい な顔になんでいる。 ﹁二人とも、具合は、そこそこ良かったな﹂ 俺はあえて、最高に下世話な表現で、そう言った。 これ以上考えられないくらいの、最低な言い回しを、あえて選ん だ。 だがモーリンは顔色ひとつ変えず、むしろ微笑さえ浮かべて︱︱。 ﹁それはよろしゅうございました﹂ と、そう言った。 ﹁二人とも、出会ったときから、マスターのお気に入りでしたから ね﹂ ﹁そうなのか?﹂ ﹁そうですよ。見ていれば、わかります﹂ モーリンは、俺のことならなんでも知ってる、という顔で、うな ずいた。 自覚はないが︱︱。彼女が言うのなら、そうなのだろう。 ﹁そうだったんだ⋮⋮﹂ アレイダが、小さく、つぶやいている。 ﹁ん。んっ︱︱﹂ 234 俺は咳払いをひとつした。 スケルティアはともかく、こいつは、調子に乗らせないほうがい い。 ﹁今後の行動計画について、説明する﹂ ﹁なによ突然? ⋮⋮それより、いまの話なんだけど。気に入って た⋮⋮、って、あの、それはどういう意味で︱︱﹂ ﹁んんんっ!!﹂ 俺は大きく咳払いをした。 もうその話題は終了! 終了なの! ︱︱犯すぞ! ◇ ﹁馬車?﹂ ﹁そう。馬車だ﹂ 聞き返してくるアレイダに、俺は、重々しく、うなずいた。 ﹁馬車くらい⋮⋮、買えば?﹂ ﹁そうだ。買うつもりだ﹂ おや? アレイダの反応が、どうも薄いぞ? ﹁てゆうか。なんに使うの? 馬車なんて?﹂ ﹁なんにって⋮⋮、そりゃ、おまえ、決まっているじゃないか﹂ まったく。こいつは︱︱。 235 俺の〝スゴイ計画〟を聞いても、ぜんぜん、驚きやしねえ。 張りあいがないったら、ありゃしない。 だめだな、こいつは︱︱という顔で、モーリンを見やる。 くすくすと笑っていたモーリンは、目尻の涙を拭うと、俺に言っ てきた。 ﹁僭越ですが、マスター⋮⋮。アレイダさんは、マスターが普通の 馬車を買うつもりだと思っていますよ﹂ ﹁ああ﹂ ﹁普通じゃない馬車って⋮⋮? あー、まさか、金ピカの馬車とか 買おうっていうつもり? 趣味わるーっ﹂ しも ﹁なんだその金ピカっていうのは。勝手に決めつけるな。だいたい おまえは、俺をどんなふうに見ているんだ?﹂ ﹁身勝手でワガママで欲望の抑制が効かなくて、特に下のユルい、 どうしようもないダメ人間﹂ 断定しやがった。 ﹁今夜はおしおき決定だな﹂ ﹁ちょ︱︱! ずるい! そういうのなし! 反則よ!﹂ ﹁〝おしおき〟というのはおまえも悦ぶタイプのお仕置きの意味だ が﹂ ﹁も⋮⋮、もっとなしっ⋮⋮﹂ 顔を赤くさせていなかったので、もしやと思って補足を入れたが ︱︱。 やはり正解だったらしく、こんどは真っ赤になってうつむいた。 236 ﹁俺が買おうという馬車は、もちろん、普通の馬車じゃない﹂ ﹁ど⋮⋮、どんな馬車?﹂ ﹁魔法の馬車だ﹂ ﹁まほう⋮⋮の、馬車?﹂ アレイダは首を傾げる。 その隣で、スケルティアも同じように見習って、首を傾げる。︱ ︱こちらは、ただ、真似をしているだけだろうが。 ﹁ああ。すごい魔法のかかった馬車だ。見たことも聞いたこともな いような、凄い魔法だ。どうだ? 知りたいか? 知りたいだろう ?﹂ ﹁⋮⋮オリオン。それちょっとウザい。それより⋮⋮、馬車って? 商売でも始めるつもりでなければ、なんに使うの? ⋮⋮旅とか ?﹂ ﹁ああ。そうだ。旅に出ようと思う﹂ おしおき濃度増加確定の、余計な一言はともかく、アレイダの理 解は、ようやく追いついてきたらしい。 ﹁⋮⋮でも、このお屋敷は⋮⋮、どうするんですか? ⋮⋮せっか く買ったのに?﹂ ﹁ああ。そのことか﹂ 現実的な問題点に、ようやく話が及ぶ。 、、、、、 ﹁もちろん。持ってゆく﹂ ﹁は?﹂ 237 アレイダは口を半開きにして、マヌケな顔になった。 そうだ。これこれ。この顔を見てみたかった。 ﹁⋮⋮え? あの? ⋮⋮えっとね? このお屋敷を⋮⋮、持って く? ⋮⋮って、そう、聞こえたんだけど⋮⋮?﹂ ﹁ああ。その通りだ。持ってゆく。せっかく買った︱︱というのは、 まあどうでもいいところだが。この屋敷は住み心地はいいし、気に 入っているしな。旅の最中でも、住み慣れた〝我が家〟があるとい いだろう﹂ ﹁い、いえ⋮⋮、あのっ⋮⋮、まあ、それはそうなんだけど。でも 問題は⋮⋮、どうやって〝持ってゆくか〟ってところで⋮⋮、てい うか? なに言っているの? オリオン⋮⋮、貴方、へいき?﹂ ﹁おい︱︱。カクさんが、なにかポンコツになってるぞ? ︱︱叩 けば直るんじゃないか?﹂ ﹁たたく? なおる?﹂ スケルティアが真に受けて、アレイダの額に、チョップを入れて いる。 ﹁痛いわよ! ︱︱このお屋敷を持ち運ぶ、なんていう! すごい ことが出来るっていうなら、その方法を説明してよ!﹂ ﹁だから、さっきからやっていただろう? ︱︱すごい馬車を買う んだって﹂ ﹁それが⋮⋮? 魔法の⋮⋮馬車?﹂ ﹁だから魔法の馬車なんだろう?﹂ 238 ようやく理解が、ここまで到達した。 ﹁魔法技術的なことは専門外なんで、あまり詳しくはないがな。空 、、 間拡張の魔法の一種が掛かっていて、馬車の中に、この屋敷の敷地 ぐらいは、すっぽり収まってしまうんだ。元々は勇者が冒険の旅に 用いていたものだったそうだ﹂ その言葉は、どうも言いにくい。 その言葉を口にするときには、イントネーションが、どうもおか しくなってしまう。 、、 ﹁勇者⋮⋮って!? あの勇者っ!? 何十年も前に、世界を救っ たっていう、あの勇者様っ?﹂ ﹁⋮⋮まあ、そういうことになっているらしいな。ああ。その勇者 だよ﹂ 苦々しい顔になっていたかもしれないが⋮⋮。 俺はともかく、うなずいた。 昔の旅路は、そんな良い物ではまったくなくて⋮⋮。リゾート気 分とは縁遠い、実用一辺倒の苦行だったわけだが⋮⋮。 屋敷ごと収納できる便利な空間魔法が掛かっていても、そこに収 められていたのは⋮⋮。 食料の備蓄品。替えの武具。 そんな程度でしかなかった。 もともとは古代の魔法文明の王族が、宮殿ごと旅をするために作 らせたものらしいが⋮⋮。それを俺は、今回の人生では、〝本来の 用途〟で使おうと思っているわけだった。 239 ﹁話はわかったわ。わかったんだけど⋮⋮。でも⋮⋮﹂ ﹁でも?﹂ 俺は続きをうながした。 ﹁でもそれ⋮⋮、高いんでしょ?﹂ ﹁それほどでもないさ。すくなくとも〝値段〟がついてる﹂ ﹁そうですね⋮⋮﹂ 食後のデザートを皆に配りながら、モーリンが言った。 しかし、これはもう朝食じゃないな。すっかりフルコースになっ ている。 ﹁勇者の武具のほとんどは、値段なんて、付けられないものばかり ですから﹂ ﹁へえ。まだ残ってんのか﹂ 俺は、ふと、モーリンに聞いていた。 魔王との戦いでは、ボロボロになって、相打ちに持ちこんで、倒 したはいいが、自分も死んでしまったので︱︱。 その後のことは、まったく、知らない。 剣は折れてたし、鎧もぼろぼろだったしで、壊れたと思っていた のだが⋮⋮。 ﹁ええ。各地の王国の宝物庫の奥深くに、厳重にしまいこまれてい ますよ﹂ まあ。たしかに。 240 世界のバランスを狂わせてしまうような、狂った性能のアイテム ばかりだった。 自己修復のエンチャントくらい、標準装備で、普通についてるよ うな代物ばかりだった。 ﹁⋮⋮まあ、というわけで、値段がついているぐらいなんだから。 安いほうだ﹂ 俺は軽く言ったが、アレイダは、じっと疑いの眼差しを俺に向け るまま⋮⋮。 うん。こいつも。だいぶ。学習してきたなっ♪ ﹁⋮⋮でも、高いんでしょう?﹂ ﹁なに。死ぬ気で稼げば、すぐだな、すぐ﹂ 俺はあくまで軽く言った。他人事のように言った。 なぜなら〝他人事〟だったからだ。 ﹁⋮⋮というわけで。おまえたちには、明日から、働いてもらうぞ﹂ ﹁えーっ⋮⋮﹂ アレイダが露骨に嫌な顔をした。 、、、 ﹁馬車を買うんだからな。それこそ馬車馬のように働いてもらうぞ﹂ うまくハマったジョークに、俺は、ひとり、えっひゃっひゃっ♪ と、愉快になっていたが︱︱。 皆は︱︱、特にアレイダは、モアイのような顔をしていた。 241 これからの目標 ﹁え? ちょ︱︱、魔法の馬車って、高くない ?﹂︵後書き︶ しばらく更新止まっておりましたが、連載再開でーす。 ︳︶m 完全停止せず、週1くらいで、ゆるゆると進行させますので、よろ しくお願いいたします。m︵︳ 242 ダンジョンで稼ごう ﹁お、お願い⋮⋮、ヒールして⋮⋮、し、 死ぬ⋮⋮、死んじゃう﹂ ﹁お、お願い⋮⋮、ヒールして⋮⋮、し、死ぬ⋮⋮、死んじゃう﹂ ﹁ああ。たしかにギリギリかもな﹂ 俺は﹁ステータスウィンドウ﹂を開くスキルを使って、アレイダ の現状を確認した。肉眼でも死にそうなのはわかっていたが、ステ ータス上は、もっとわかりやすかった。 HPが1と2のあいだを行き来している。 減って1になって、自動回復分で戻って2になって、また減って 1になって︱︱と、その繰り返し。 なにかでバランスが壊れれば、0まで減ってしまって、そこでお 陀仏だ。 戦闘で毒をくらったアレイダは、いま、毒のDOT︵持続ダメー ジ︶と、HPを自動回復するリジェネと、二つの効果のあいだで、 生死の境をさまよっているのだった。 ちなみに﹁ステータス・ウィンドウ﹂をオープンするスキルは、 賢者系かトレーナー系の上位職にあるスキルだ。もともとがレアな ジョブだし、スキル自体も自動取得ではなくて、条件が死ぬほどメ ンドウくさかったりするが︱︱。 こいつら二人の育成のために有用なので、あえて、取得した。 こいつら二人が、ぐーすか、鼻チョウチンを作って寝こけている あいだに、モーリンと一緒に〝修行〟しにいった。必要な条件を満 たし、さらにナイトメアモードのイカレタ負荷を自分にかけてと︱ 243 ︱本当に面倒くさかった。 なんと、3時間もかかってしまった。 ﹁ヒールないしはセルフ回復系のスキルは、ソロないしは単独行に 近い状況では〝重要〟だと、まえに言ったろ?﹂ アレイダの近くにしゃがみこむと、俺は話しかけた。 ﹁言った⋮⋮わよ⋮⋮、ええ、いっぺんだけ⋮⋮﹂ HP1の状態にあえぎながら、アレイダは認めた。 おお。すごい。鳥頭のくせに覚えていたのか。 もし本気で忘れていたら、俺も本気で、もう本気で見捨てておい て、立ち去ってしまっていたかもしれない。 ﹁クラス特性だかなんだか知らんが、HPの自動回復︻自動回復: リジェネ︼を手に入れたおまえは、有頂天になって、ぜんぜん、聞 いちゃいなかったな﹂ とりあえずクルセイダーを目指しているアレイダは、その一つ前 のクロウナイトへと転職していた。回復魔法を一旦失うかわりに、 ジョブ特性の自動回復︻自動回復:リジェネ︼を得たわけだが︱︱。 ﹁反省してます⋮⋮。してますからぁ⋮⋮。回復してっ。⋮⋮ほん とに死んじゃう﹂ ﹁いつも言ってるだろ。〝俺たちをあてにするな〟︱︱と。おまえ とスケさんのコンビだけで潜っているつもりでいろと﹂ ﹁わかってるわよ。⋮⋮ええ。わかってます。⋮⋮わかってるから。 244 ⋮⋮あの。⋮⋮回復を﹂ ﹁いや。人がなにかを覚えるには一定量の〝痛み〟が必要なんだ。 だからもうすこし勉強しとけ。その身にトラウマとして刻み込んで、 永久固定しとけ。︱︱あともし万が一生き残ったら〝余録〟もつい てくるしな﹂ ﹁ま、万が一って⋮⋮。ほ、ほんとに死んじゃうから⋮⋮、死んじ ゃったら⋮⋮、ど、どうするのよ!﹂ ﹁しぬ? しぬ? ⋮⋮かくは。しぬ?﹂ スケルティアがアレイダの隣にしゃがみこんで、顔の血色を窺っ ている。 ﹁そ、そう⋮⋮、あぶないの⋮⋮、だから、オリオンのバカに、ス ケさんからも言って︱︱﹂ ﹁しんだら。これ。たべていい?﹂ ﹁それはお薦めできんな﹂ ﹁そ。﹂ ﹁食べる話、してるし⋮⋮、死ぬことになってるし⋮⋮﹂ 死にかけのくせに、元気すぎるな。こいつは。 ﹁だいたい毒を受けたのだって、おまえの増長が原因だろ。えーと、 なんだったっけ? 〝リジェネがあるから平気よ!〟とかいって、 避けられた毒を、あえて喰らっていたっけな﹂ ﹁リ、リジェネと⋮⋮、仲間のヒールがあるから平気です⋮⋮、は やくヒールしてっ⋮⋮、し、死ぬ⋮⋮、死んだら化けて出てやるか らぁ!﹂ ﹁そしたらターンアンデッドで昇天させてやるし。心配しなくても 245 墓くらい作って、やるし。対アンデッド化措置くらい、しといてや るし﹂ ﹁お、覚えてなさいよ⋮⋮﹂ ﹁そう言ってるいるあいだに、HP、二桁になってきてるが?﹂ ﹁え? HP?﹂ ﹁ああ、普通は見えんわな﹂ ﹁毒の効果が弱まってきたんだな。おまえのご自慢のリジェネが、 毒を上回りはじめている。⋮⋮ちっ﹂ ﹁舌打ちしたぁ! いま舌打ちしたぁ!﹂ ﹁うるせえな。もうすこし毒が残ると思ったんだが。⋮⋮くっそ使 えねえ。ポイズン・フロッグ﹂ ﹁使えないとかゆったぁ!﹂ じつは意外と知られていないことだが。 HPが2から1に減じたとき、一定確率でCONが上がる可能性 がある。 いまみたいに、2と1を行ったり来たりしている状況は、狙って やっても、そうそう作れないものだから、俺としては、できるだけ 長く、アレイダが苦しみ続け︱︱げふんげふん、アレイダのCON が上がる︵かもしれない︶状況が、長々と続けばいいと思っていた。 決して、苦しんでいる時の表情ってものが、アレなときのアレに 似ていて色っぽい、なんて思ったりはしていない。ぜんぜんない。 ぜったいない。⋮⋮ま、ちょっとは思ったりしたかも? 今夜は燃 えそう。とか思ったりはしていないぞ。 そうとう鬼畜な自覚はあるが、そこまで鬼畜じゃない。⋮⋮たぶ ん。 ﹁ふう⋮⋮。死ぬかと思ったぁ⋮⋮﹂ 246 膝を笑わせながらも、アレイダは自分の足で立ち上がった。 現在のジョブとレベルの自動回復︻自動回復:リジェネ︼率から いって、30分程度で体力は満タンに戻る。 俺はアレイダのステータスをオープンした。CONの値を見やる。 ﹁おお。⋮⋮3も、増えてた﹂ ﹁え? なにが?﹂ ﹁おまえが知らなくていいこと﹂ ﹁なによそれ。人を見殺しにしといて。またなんか秘密にしてるし。 教えなさいよ﹂ ﹁いや。死んでないし。生きてるし。いま俺に悪態ついてるし﹂ きゃんきゃん騒ぐアレイダに、笑顔を押し殺して、俺は仏頂面を 返した。 そして、ダンジョン深部へと足を進めた。 馬車を買う金を手に入れるのが、今回のダンジョン探索の主目的 だった。 247 ダンジョンで稼ごう ﹁お、お願い⋮⋮、ヒールして⋮⋮、し、 死ぬ⋮⋮、死んじゃう﹂︵後書き︶ 連載再開でありまーす。馬車かって旅に出て最初の寄港地で1エピ ソードやって︱︱と、そこまでは連載止めずに続ける所存でーす。 248 魔法の馬車 ﹁さあ! 出発だ!﹂ 金が貯まった。 魔法の馬車を調達するため、俺達は商人の元を訪れるところだっ た。 アレイダとスケルティアを連れて、街を歩く。 ﹁お、重い⋮⋮﹂ 丈夫さが取り柄の麻袋を、老婆のように腰を曲げて、アレイダが 背負って運んでいる。 ストレングス 巨大な麻袋の中身は、すべて金属だ。 ハイレベル上級職のSTRをもってしても、背負って運ぶのは容 易ではない。 直径一メートルぐらいの金属塊を運んでいるのだと考えると⋮⋮。 おお。力もちぃー。 ﹁頑張れ。荷物を持つのが、奴隷の仕事だ﹂ ﹁もう奴隷じゃないし。身請け金は完済したし﹂ ﹁奴隷じゃないなら、じゃあ、いまのおまえの立場は、なんになる んだ?﹂ ﹁そ、それは⋮⋮っ⋮⋮。こ⋮⋮、恋⋮⋮、じゃなくてっ! そ、 そのっ、パ、パートナーとかっ?﹂ ﹁なんで、そこ、疑問系になるんだ?﹂ ﹁じ、じゃあ! パートナーでっ!﹂ ﹁いやー⋮⋮。パートナーっていうには、ちょっと頼りないんだが 249 なー﹂ ﹁なによ! 馬車を買うお金とか! ぜんぶわたしたちに稼がせて ! 自分は後ろからついてきてただけで! ただ見ていただけじゃ ない! なんにもしないで! 今回は本当にヒールさえしないで! 本当に見てただけで!﹂ ﹁ほら。暴れるな。静かに運べ﹂ 麻袋を運ぶ駄馬が、駄馬過ぎるせいで、ぽろぽろとコインがこぼ れ落ちる。 それをスケルティアが拾って歩いている。俺も何枚か拾うはめに なった。 ﹁おまえら二人だけで行かせてもよかったんだがな。だが帰ってこ なかったら、寝覚めが悪いじゃないか﹂ このところ、二人をダンジョンに通わせていた。それに俺は、毎 回、ついて行っていた。 なんかあったら助けてやるつもりでいたわけだが、アレイダたち には﹁こいつは絶対助けてくれない﹂と思わせなければならない。 鬼ないしは悪魔の顔を取り繕っているのが、これがけっこう、難 しかった。 スケルティアは野生育ちのせいか、デッド・オア・ダイ、弱肉強 食の掟に、なんの困難もなく馴染めているが、アレイダのほうは、 すぐに甘えが出てくる癖があって、よくない。 ﹁だから落とすなっての。払いが足りなくなる﹂ 250 コインを拾い集めながら、俺は後ろを歩く。 ﹁だいたい、この袋⋮⋮。なんでこんなに重いのよ⋮⋮? なんか 石か鉛でも入れて増やしてない? イジワルしてない? してるで しょ? これも訓練ダー、とか言っちゃって⋮⋮﹂ ﹁そりゃ2億Gだからな。重いだろうさ﹂ ﹁に、2億⋮⋮って!? わたしとスケさんで稼いだお金! 20 00万だけなんですけど!? 残りの1億8千万Gは、い、いった い!? ど、どこからっ!?﹂ ﹁ん? ああ⋮⋮。俺とモーリンとで︱︱﹂ ﹁わたしたち、あんなに苦労して死にかけて! それで2000万 で!? 全体からすりゃ、たったの1割で! 残りの9割! そん なにあっさり稼げるんだったら! わたしたち頑張る必要あった! ? ねえあった!?﹂ ﹁いちいちうるさいメス駄馬だな。そこらで売ってる、静かでよく 働く荷馬と取り替えちまおうか﹂ ﹁いまのはちょっとひどくない!? ねえひどくない!? もとも と貴方が欲しがってた魔法の馬車でしょ! 十分の一とはいえ、わ たしたちの稼ぎも入れてるっていうのに!﹂ ﹁どこかの駄馬が、目的がないとダンジョンにこもらず、屋敷から 一歩も出ずに、食っちゃ寝食っちゃ寝の、ニート生活を決めこむも んでな﹂ ﹁なによ? ニートって?﹂ ﹁ああ。こっちにはないんだっけな。その言葉は。︱︱つまりおま えのことだ﹂ ﹁ううっ⋮⋮。なんかよくわからないけど。悪口言われてるのだけ はわかる⋮⋮﹂ 251 ﹁飼い主としては、大変なんだぞ。運動の理由を作ってやるのは⋮ ⋮﹂ ﹁なによ飼い主って。いつ飼われたのよ﹂ 言っているうちに︱︱。 ﹁おお、着いた﹂ 目的地へと、到着した。 以前、屋敷を購入したときに取引をした商人が、手揉みをしなが ら、わざわざ表で待っていた。 ﹁これはこれはオリオン様⋮⋮、本日はお日柄もよく⋮⋮﹂ 相当な上客と見なされているのだろう。 どこまでも続きそうな社交辞令を適当なところで終わらせて、俺 は、用件を切り出した。 ﹁約束の二億を用意した。この駄馬が、ぽろぽろと小銭をこぼすか ら、いくらか目減りしているかもしれないが。もし足りなければ言 ってくれ。すぐに不足分を納める﹂ ﹁いえいえ。サービスしておきますよ﹂ ﹁ぜんぶ。ひろたよ。﹂ ﹁おお。そうか。じゃあ足りるはずだな﹂ スケルティアの頭を、ぐりんぐりんと撫でてやる。 ﹁なによ。運んだの。わたしなのに﹂ 252 うちの娘の素直じゃないほうは、撫でられたそうな顔をしている。 だったら手の届くところに来ればいいのに。 ﹁外で立ち話もなんだな。店の中に︱︱﹂ ﹁︱︱これ、ちょっと入口には、入らないと思う﹂ ﹁なるほど﹂ アレイダが運んでいた大袋を地面に下ろす。 ずうん、と、地響きがした。 見物人が、ぎょっとした顔をしている。 盾系上級職がみせる、物理無双ぶりは、一般人にしてみれば、ま あちょっとした見物なのだろう。 重量でいうなら︱︱あれって、自動車を一台、かついでいるよう なものか。 まあ、そりゃ驚くわな。 こちらの世界においては、人は、〝鍛えかた〟次第で、どんどん 強くなれるのだ。 ただレベル上限というものはあり、個人の資質によって、到達可 能な強さの上限というものは存在する。もっとも、才能上限レベル に到達できる人間など、そうそういなくて︱︱。通常は先に努力の ほうが尽きるわけだが。 アレイダもスケルティアも、〝勇者式パワーレベリング〟を、1 ヶ月と少々、やってきている。一般常識からすれば、相当の強さに 達しているはずだ。 勇者業界的にいえば、まだまだ、ヒヨっこもいいところなわけだ が⋮⋮。 253 ﹁品は、用意してあるのか?﹂ ﹁ええ。もちろん。⋮⋮こちらへどうぞ﹂ 商人に連れられて路地へと入る。 馬車が一台。あった。 数人の冒険者が近くにいる。どうやら警護しているらしい。 なんでだ? ⋮⋮と思ったが、すぐに理解した。 そういえば2億Gの商品だったっけ。 ﹁おお。これだこれだ﹂ 俺は馬車に近付いていった。 一見、なんの変哲もない古ぼけた馬車。とても2億Gもの価値が あるとは思えない。 だが、かつてこの馬車で、魔王を倒す旅をしていた俺には、これ があのときの馬車であることがわかった。 ぐるりと回り、御者台の脇のところの木に︱︱ああ、あったあっ た。 ナイフで﹁モーリンのバーカ﹂と刻まれている。 あの頃の俺は、まだガキだった。厳しく鍛えてくる年上の女性に、 恨み言の一つを︱︱言うかわりに、ここにこうして、彫り込んだん だっけか。 さっそく消しておく。モーリンに見られないうちに、きちんと消 しておく。 254 ﹁なにやってんの? さっそくマーキング? だっさ﹂ ﹁ださいとかゆーな﹂ ﹁あのう⋮⋮。真贋の鑑定についてですが﹂ ﹁必要ない﹂ 俺は揉み手をしてくる商人に、そう言った。 俺の落書きがあった以上、こいつは、本物だ。 ﹁そういえば、馬車をひく馬がいるなぁ﹂ ﹁わ、わたし⋮⋮!? ひかないからっ!﹂ 俺は白けた目で、アレイダを見た。 いくら俺が外道っていっても、それは⋮⋮。 ﹁⋮⋮いいかもな﹂ ﹁やだ! ちょ︱︱本気!? し︱︱しないよね!? やらないわ よねっ!?﹂ ﹁馬を都合してくれ。おとなしい牝馬を頼む。こいつみたいな、じ ゃじゃ馬じゃないやつをな﹂ ﹁うけたまわりました﹂ ◇ ﹁よし。じゃあ。やるぞ﹂ 馬車をひいて屋敷まで戻る。 モーリンとアレイダとスケルティアに、俺は確認した。 255 こく、こく、と、二人の娘が神妙な顔でうなずいてくる。 モーリンは微笑みを顔に浮かべるだけ。彼女に関しては、俺がい つなにをどういうふうにしても、こうして、微笑んでくれるのだろ うと確信できる。 ﹁︱︱|︽収納︾﹂ コマンドワードは、シンプルなものだった。 大仰な呪文を唱えるわけもなく、魔法機能は発動して︱︱術式範 囲を示す四つのマーカーごと、敷地上にあった一切合切が、消失し た。 突然、屋敷のサイズの物体が消失したわけで、空気がぎゅっと押 し寄せて、突風が沸き起こり︱︱あとは、﹁しゅぽん﹂という、コ ルクを抜いたときのような、気の抜けた音が響いただけだった。 周囲の雑木林だけを残し︱︱敷地にあったすべては、消え失せた。 ﹁きえた!﹂ ﹁なくなった。﹂ 娘たちが騒ぎたてる。 ﹁馬車のなかに入ってみろ﹂ 俺が言うと、二人は競うように馬車に入った。 幌の内側に踏みこんだ途端に︱︱。 ﹁ある! あるわ! お屋敷が! すごい! ほんとに中にある!﹂ 256 ﹁やしき。あったよ。﹂ 弾んだ声が、幌の内側から響いてくる。 幌の内側には、亜空間への入口がある。内部の広さは、縦横高さ ともに一〇〇メートルくらいはある。城は無理かもしれないが、ち ょっとした豪邸程度までなら、余裕で収まる。 ﹁すごい! すごい! なか! 広いの! なんで!? 不思議! 不思議!﹂ ﹁でる。はいる。でる。はいる。⋮⋮おもしろい。﹂ 二人のはしゃぐ声が聞こえる。 俺とモーリンは顔を見合わせて、思わず笑いあった。 ﹁さて。⋮⋮じゃあ。旅支度はいいな?﹂ 俺は皆に言った。 だが、聞くまでもなく、わかっていることだった。 旅支度もなにも⋮⋮。 屋敷ごと持って行くのだから、なにも必要ない。 さあ! 出発だ! 257 はじめの地 ﹁温泉⋮⋮、って、なに?﹂ かっぽん。かっぽん。 馬の蹄の音が、リズミカルに響く。 俺は手綱を握りながら、御者台に座っていた。 どこまでも続く青い空の元︱︱。 俺は馬車を走らせていた。 旅は、いい。 特に目的のない旅というのは、すごく、いい。 勇者をやってたときには、分単位のハードスケジューリングによ る、﹁魔王を倒す﹂ことを究極目的とした、ナイトメアモードの旅 だった。 馬車を走らせるときだって、馬の体力がもつ、ぎりぎりの速度で 行軍を続けていた。 効率厨のプレイのように、潤いと余裕がなかった。 いまは馬の勝手に、好きな早さで歩かせている。 かっぽん。かっぽん。リズミカルに続く蹄の音が、いい感じ。 商人は注文通りの馬を用意してくれた。 白馬で、牝馬で、おとなしい、いい娘だった。 どこかのじゃじゃ馬とは、えらい違いだ。 ﹁なんか言ったぁ?﹂ ﹁いいや。なんにも﹂ 258 馬車のうしろ。幌の中からアレイダが現れて、俺の隣に座りに来 る。 ﹁なんだよ﹂ ﹁べつにいいでしょ。横に座ったって﹂ ﹁かまわんが﹂ 俺は言った。笑いをかみ殺すのに苦労した。 ﹁モーリンさんが。そろそろお昼ご飯ができるって﹂ アレイダは言った。 馬車の中は異空間だ。屋敷ごと持ち運んでいる。その屋敷の調理 場では、モーリンが調理をしているというわけだ。 ﹁そうか﹂ 俺が馬を止めようとすると︱︱。 ﹁あ。すぐじゃないわよ。そろそろだけど。もうしばらくかかるわ よ﹂ ﹁そうか。すぐじゃないのか﹂ 俺は手綱を持ち直して、止めかけた馬を、再び歩かせた。 ﹁そろそろなわけか﹂ すぐではなくて、そろそろなところに、アレイダの乙女心をみた。 俺はそれを酌んでやって、すこしゆっくりと、馬を走らせた。 259 ﹁野駆けとかしたいわね﹂ 白馬の尻尾を見つめながら、アレイダが、ぽつりとそう言う。 ﹁乗れるのか?﹂ ﹁乗れるわよ。そりゃぁ、だって︱︱﹂ と、当然のように言いかけて︱︱。 ﹁︱︱私の部族は、騎馬民族だもの﹂ そういや。昔の話は聞いたことがなかったな。 こいつに対して、俺が知っていることは︱︱。 ﹁カークツルス族﹂という名の、辺境部族ないしは蛮族の出身で あるということ。 族長の娘であったということ。 その部族はもう存在しないということ。族長の娘が、奴隷に身を やつしていたくらいだから、当然、そのはずだ。 その件に関して、俺はアレイダに、深く聞いてはいない。 話したければ自分から話すだろう。 過去になにがあろうと、俺のほうは、まったく気にしない。いま こいつが、〝俺の女〟であるという事実に変わりはない。 ま。人生いろいろあるさ。 俺だって、転生して勇者させられて、転生してブラック企業にこ き使われて、また転生して、いまこうして︱︱何度目の人生だ? 260 まあとにかく、人生を送っているわけだし。 ﹁ねえ。あそこ﹂ と、アレイダが手をあげて、遠くを指差した。 ﹁︱︱なにか、のろしでも上がってない?﹂ 見れば、たしかに、そちらの方向に、煙のような白い筋が立ち昇 っている。 が︱︱。あれは︱︱。 ﹁いや。あれは。ちがうな﹂ ﹁でも煙でしょ? じゃあ⋮⋮、山火事?﹂ ﹁いや。そういうのともちがう﹂ ﹁じゃあ。なんなのよ?﹂ ﹁あれは湯気だ﹂ ﹁湯気?﹂ 俺は知っていた。 以前︱︱といっても、こちらの世界の時間では、数十年前になる わけだが⋮⋮。 俺は、この地を訪れたことがある。 その時には、ちょっと面倒な敵と、ちょっと派手なバトルをやっ て、やむを得ず大技を使い、地層深くまで貫通する大穴を開けてし まった。 そして地下からは、大量の〝湯〟が涌きだしてきた。 261 つまり、あれは︱︱。 ﹁あれは、〝温泉〟というものだ﹂ 俺はアレイダに、そう言った。 うむ。 最初の立ち寄り地が、決まったな。 ◇ 馬車で街中に入ってゆく。 温泉街︱︱というものを、向こうの世界の感覚ではかって想像し たのと、ちょっと違う街並みが広がっていた。 観光地︱︱というよりは、西部劇の街並みだ。 舗装されていない道の両側に、木造の建物が、ちらほらと並んで いる。 ま。田舎の街並みだ。 街の中央あたりに、他よりも、すこし大きな建物があった。 酒場か食堂か宿か。 あるいは、その、どれでもあるわけか。 とりあえず、俺は、その酒場らしき店の前に馬車を止めた。 ﹁ここにするの?﹂ ﹁ああ。皆を呼んできてくれ﹂ 262 俺はアレイダにそう言い返した。 馬車の中にいる連中を呼んでくる、というのも、変な話だが⋮⋮。 魔法による亜空間のなかで、さらに屋敷の中にいるのだから、しか たがない。 馬を馬車から外して、水桶のところに繋ぎ直してやる。尻を撫で て、本日の労働を労ってやると、ぶるるっと嬉しげにいなないた。 ほんと。素直でいい娘だ。どこかの誰かとは、えらい違いだ。 とか、思っていると︱︱。 その当人が、皆を引き連れて戻ってきた。 ◇ ﹁いらっしゃい﹂ 店に入る。 美人だが、すこしとう︻とう:傍点︼の立った女が、俺たちを見 てそう言った。彼女が店の主人らしい。 ﹁四人にはなにか食事を。あと表の馬に干し草を頼む﹂ テーブルにつきながら、カウンターの中の女に、そう言った。 ﹁はいさ﹂ 物憂げに返事をすると、女は、俺たちのテーブルに水を運んでき た。 水を置くとき、豊かな胸元が、俺の目の前にやってくる。 263 その重量感のある物体の眺めと︱︱。あと、女のつけている香水 の匂いと︱︱。 俺はどちらも満喫した。 アレイダの手がテーブルの下に伸びてきた。 俺の太腿を、つねりにくる。 あー。だからー。 表で草を食ってる女の子のほうが、ぜんぜん、可愛いわー。いい 娘だわー。 そういや、名前を付けてやらなきゃな。いつまでも﹁馬﹂では、 あんまりだ。 ﹁ふぅん⋮⋮。あなたたち、このへんのモンじゃないわね?﹂ 女主人は、髪をかきあげると、そう言ってきた。 サバけた感じの女性だが、仕草のひとつひとつが、なんだか妙に ⋮⋮、色っぽい。 ﹁わかるか?﹂ 俺は聞いた。旅人をたくさん見てきているであろう、酒場の女主 人︱︱マダムに、自分たちがどう見えているのか、ちょっと興味が あった。 ﹁ええ。何年もやってますからね。すぐにわかります。⋮⋮おのぼ りさんは﹂ ﹁ぷっ⋮⋮!﹂ 264 アレイダが吹き出した。 俺はじろりとにらんだ。手の届くところにケツでもあれば、つね りかえしてやっているところだが。 ﹁あなたたちも、あれ? あれを目当てで、来たんでしょう?﹂ マダムは言う。 ﹁アレとは?﹂ 俺は聞く。 ﹁もちろん。勇者温泉よ﹂ ﹁う゛⋮⋮?﹂ 俺は変な顔をしていたに違いない。 ﹁ゆ、勇者⋮⋮、温泉っ?﹂ ﹁ええ。そうだけど⋮⋮。あらあら? 知っていて来たんじゃない の? 昔々、勇者様があたしらのために掘ってくださった︱︱ここ は、有り難い温泉でね﹂ いやー⋮⋮。べつに掘ったわけじゃないんだけどねー。 敵が強くてねー⋮⋮。 威力をセーブできなくて、大技ぶっ放したら、岩盤まで貫いちゃ ってねー。 265 ﹁へー⋮⋮、勇者様が⋮⋮﹂ ん? 傍らを見ると︱︱。 アレイダのやつは︱︱。両手を胸の前で組み合わせて、〝乙女の 祈り〟って感じのポーズを取っていた。 いっぱいに見開かれた目は、どこか遠くを見つめていて︱︱。 そして、その口許からは、夢見るような、つぶやきが︱︱。 ﹁ああ⋮⋮。勇者様⋮⋮っ﹂ ﹁うええっ?﹂ 俺はぎょっとなって、隣の女を見た。 勇者⋮⋮様ぁ? モーリンに顔を向ける。 信じがたい。問い質したい。そんな表情を向けていると︱︱。 ﹁一般的に言いますと︱︱。〝勇者〟は、畏敬と崇拝と、憧れの対 象になっていますね﹂ ﹁そうなのか?﹂ ﹁そうです﹂ モーリンは、深々と、うなずいた。 ﹁だって。世界を救った人物なんですから。少女たちの憧れになっ 266 ていて、当然です﹂ そう断言した。 そうか。当然なのか。 ﹁おい。スケ⋮⋮。おまえも、あれか? あれなのか? 勇者⋮⋮、 しってるか? 勇者?﹂ カップを両手で持って、くぴくぴと傾けていたスケルティアに、 おそるおそる、そう聞いてみた。 ﹁ゆうしゃ? ⋮⋮それ? おいしい?﹂ たいへん、個性的なリアクションが返ってくる。 都会の底辺で物盗りをしつつ生きてきた盗賊少女の常識力は、ま あ、こんな程度だろう。 ﹁そういえばマスター。最初にあったとき、スケルティアは、マス ターのことを食べるとか、そう言ってましたけど?﹂ ﹁ん。﹂ モーリンの言葉に、スケルティアがうなずく。 ﹁そっち? ガチでそっちの意味だったのかよ﹂ ボケじゃなくて、ガチだったようだ。モンスター娘。おそるべし。 こいつとの夜が、なにかスリリングな気分になるのは、そうした 理由か。 ﹁あ。オリオン。ちがうから。そんなんじゃないから﹂ 267 ようやく帰ってきたアレイダが、なんか手を振って、ぱたぱたと 首筋を仰いでいる こっちはこっちで、なにをやっているのだか。 なにがそんなんじゃないんだか。 ﹁はい。勇者定食。四人前。⋮⋮お待たせ﹂ マダムが食事を運んでくる。 俺が仏頂面になって食事をしたであろうことは、想像にかたくな い。 ◇ ﹁ゆうしゃ。うまかった。うまうま。﹂ ご当地名物をたいらげて、俺たちは一息ついていた。 ﹁へー、温泉って、地面から出てくるお湯のことなんですかー﹂ アレイダはすっかりマダムと仲良くなっていた。 ﹁おまえ。そんなことも知らなかったのか﹂ ﹁オリオンが全然教えてくれないから。温泉。温泉。って。自分だ けわかった顔してて﹂ ﹁マスター。この世界では温泉は珍しいんですよ﹂ ﹁そうなのか﹂ ﹁モーリンさんが言うと、すぐ聞くんだから﹂ 268 ﹁ふふふっ⋮⋮﹂ 俺たちがいつもの調子で言いあっていると、マダムは笑った。 泣きぼくろ、というのだろうか。目の下にあるほくろが、色っぽ い。 ﹁こんなに楽しい気分はひさしぶり。あなたたちを見ていると、楽 しくなるわ﹂ そう言ってくる、美人マダムに、俺は︱︱。 ﹁ここは、宿もやっているのか?﹂ そう聞いた。 ﹁ええ。裏には、露天風呂もあるわよ﹂ ﹁なになに? ろてん⋮⋮ぶろ? それって、なになに?﹂ ﹁それ。おいしい?﹂ うちの二人は、きゅるんと小首を傾げている。 その様子に、マダムはまた口許に手をあてて、笑った。 ◇ ﹁うっわー。ひろーい﹂ アレイダがはしゃいでいる。 露天風呂は、現代人の感性を持つ俺からしても、満足のいくもの だった。 池、といっていいサイズの、立派な露天風呂だった。 269 うちの娘たちの、うるさいほうが︱︱ばしばしゃと湯を乱してい る。 ﹁泳ぐな。バカ﹂ ﹁えー? いいじゃない? 誰もいないんだし﹂ 他に宿泊客はなく、露天風呂は、俺たちの貸し切り状態だ。 混浴だが、それを気にする者は、俺たちのなかにはいない。 アレイダあたりが、脱衣のときに、﹁あっち向いて﹂だとか﹁恥 ずかしい﹂だとか、なにかメンドウクサイことをウダウダ言ってた くらいだ。 モーリンはほんのりと肌を桜色に染めて、俺の傍らにいる。静か に湯を愉しんでいる。俺も湯に浮かぶモーリンの乳房を目で愉しん でいたりする。 うちの娘の静かなほうは、膝を抱えて湯に浸かり、口許まで湯の 中に没して、ぶくぶくとやっている。 ﹁どうした。風呂は嫌いか﹂ そういえば、こいつ。野良ハーフ・モンスターという生い立ちの おかげで、体を洗う習慣などは、持っていなかったようだ。 はじめに捕まえたときに、デッキブラシで、ごしごしと洗ってや ったが⋮⋮。あれでトラウマにでもなってしまったか? ﹁ぜったいオリオンのせいよ! あんなブラシで、女の子、ゴシゴ シと洗うから﹂ 270 ﹁ちがう。洗ってもらうのは。きもちいい。⋮⋮溺れるの。こわい。 ﹂ なるほど。 蜘蛛は水には入らないわな。 ﹁え? スケさん泳げないの? じゃあ、教えてあげよっか?﹂ ﹁だからやめろ﹂ 俺たちは、温泉を愉しんだ。 ◇ 夜。 寝室を一人で抜け出して、階下に続く酒場のほうへと、下りてい った。 マダムが一人で店の片付けをやっていた。 酒場となっている一階では、地元の常連客が遅くまで飲んでいた。 エール ﹁喉が渇いてな。水を一杯くれないか。麦酒でもいい﹂ 片付けている最中の席に、俺は適当に腰を下ろした。 ﹁はいさ﹂ エール 麦酒が出てきた。 こちらの世界の酒は、向こうの世界より、断然うまい。そんな気 がする。 271 ﹁ずいぶんとお愉しみだったみたいじゃないか。この色男﹂ ﹁ん?﹂ なにを揶揄されているのか、一瞬、わからなかった。 何秒かして︱︱。三人と一戦交えていたことを言われているのだ と、そう気がついた。 あー⋮⋮。 肉欲に溺れるのは、最近、あまりに普通のことすぎた。 食う。寝る。いたす。 ︱︱の、三つのことが、だいたい同列な感じだ。 モーリンだけを相手にしていた時は、相手の体力を気遣ったりも したものだが︱︱。 なにせ、いまでは三人もいる。 むらっときたら、なんならその場ですぐに押し倒してしまっても、 OKだったりする。 モーリンはもとより、アレイダもスケルティアも、皆、俺の女に したわけであるし。 ﹁あんな声が聞こえてきたら⋮⋮、そ、そりゃ、気になるじゃない さ﹂ ウェーブのかかった髪を、しきり撫でつけながら、マダムは言う。 そうか。部屋の外に、そんなに声が洩れていたか。 ちなみに、うちの娘は二人いて、うるさいほうと、静かなほうが いる。 しかし︱︱。 なんでそんな生娘みたいな反応を? そんな歳でもなかろうに? 272 と、すこし考えてみたら︱︱。 ああ。なるほど。了解した。 ﹁そんなに美人なのに、勿体ないな﹂ ﹁やだ。なに言ってるんだか﹂ マダムはテーブルにせっせとフキンをかけている。同じところば かりを何度も拭いている。 マダムの反応は︱︱。つまり、初心なほうのそれではなくて、最 近ご無沙汰なほうの、それなわけだ。 ﹁この店は? 一人でやっているのか?﹂ 俺はそう聞いた。 おっと 昼も夜も、マダムが一人で切り盛りしているように見える。男の 影は見えない。 すくなくとも、良人がいるような感じではない。 ﹁宿のほうには、手伝いの娘を頼むときもあるけどね。こっちは、 ずっと一人さ﹂ ﹁そうか﹂ 俺はうなずいた。 なら問題ない。 俺は麦酒の残りを片付けてから、立ち上がった。 273 マダムの傍らに寄り添うように立ち、その体を抱き寄せる。 ﹁えっ。⋮⋮あの、ちょっと?﹂ 食う。寝る。いたす。︱︱が、同列となっている俺でも、こうい うときには、なにかロマンティックなことを言わなければならない と、心得ている。 アレイダあたりに迫るときには、﹁ヤラせろ﹂とストレートに口 にして、手ではたかれたりグーでパンチされたりして﹁ムードがな い!﹂と罵られながらも、そのままずぶずぶと、なるようになって、 結果オーライになったりするわけだが⋮⋮。 ﹁⋮⋮俺が隙間を埋めてやる﹂ ん。八〇点。 最高ではないが、それほど悪くもない口説き文句が、とっさに口 から出せた。 こんど、練習しておくか。 スケルティアあたりを口説いても表情の変化はないし。モーリン を口説いてもあしらわれるに決まっているし。 アレイダあたりが、ちょうどよくチョロいので、あれで練習して おこう。 ⋮⋮そして、マダムの反応は? ﹁だめよ。⋮⋮それはだめ﹂ マダムは、拒んでいる。 274 ふむ。 俺がだめなのではなくて、〝それ〟がだめなわけか。 しかし、だめよだめよも好きのうち、とも言う。 迫って拒まれて、はいそうですかと簡単に引き下がっているくら いなら、そもそも最初から口説きにかかるな、というものだ。 一押しや二押ししてみるのは、〝色男〟と呼ばれた者の、礼儀で あり作法の範疇というものだろう。 俺自身には、べつに〝色男〟などという自覚があるわけではない。 好きなことを、好きなときに、好きなようにやっているだけだ。 それが〝色男〟ということになるなら、べつに、それでもいい。 腕の中でぐずぐずやってるマダムを、俺は、さらに強く抱きしめ にかかった。 歳を経た女の量感あるボディは、アレイダともスケルティアとも モーリンとも違って、新鮮な感動を俺にもたらした。 さっきも上でさんざんヤリつくした後ではあるが、また、食欲が 湧いてくる。これは別腹だ。 ﹁いい匂いがするな﹂ ﹁いやっ⋮⋮。一日、働いたあとよ?﹂ ﹁それがいい﹂ んー。七〇点。 やはり今度練習しておこう。 ﹁だめよ。だめ﹂ ﹁いいじゃないか﹂ 275 マダムは弱々しく拒むばかり。男の腕から本気で逃れようとして いるわけでもない。 俺は最後の一押しをすることにした。 尻をがっしりと掴みしめて、そこを基点に体を引き寄せる。 そして、唇を吸おうとすると︱︱。 おっと ﹁だめ。⋮⋮良人がいるの﹂ 手で唇を遠ざけられた。 ﹁⋮⋮? いるようには見えないが?﹂ さっき確認した。この店は一人で切り盛りしている。男の影もな い。 ﹁戦争に行ったのよ﹂ どこか遠くに目を向けながら、彼女は、ぽつりとそう言った。 ﹁⋮⋮ああ﹂ 俺は曖昧にうなずいた。 この世界に転生して、それほど長いわけでもないので、現在の世 界情勢については、じつのところ、あまり詳しくはない。 魔王もいない平和な世界であっても、人間同士のいざこざは、時 折、起きる。 276 まったく⋮⋮。︽勇者︾とかいうヤツがブラック人生を頑張って、 一命を賭して、平和な世界を築いてやっていうのに⋮⋮。自分たち で争いを起こしている。 馬鹿な話だ。 それはそうと︱︱。 この世界に不案内な俺でも、いまこの近くでやっている戦争がな いということは知っている。 戦争が起きると、徴兵が起きる。 平時から﹁兵士﹂として生計を立てている、いわゆる﹁職業軍人﹂ の数は、それほど多くない。 戦争になれば人数はまったく足りなくなる。そうなると領内の男 が駆り出されることになる。鍛冶屋や交易商人など、戦時特需に関 わる者は兵役を免除されることもあるが、それ以外は根こそぎだ。 戦闘で大軍勢同士がぶつかり合う光景は、見栄えがするが⋮⋮。 その軍勢のうちの九割どころか、九割九分が、強制連行されてきた 素人だと思えば、争いというものが、いかに愚かであるかがわかる。 このマダムの夫だった男も、そうして連れて行かれたうちの一人 だったわけだ。 そして、帰ってこなかった側か⋮⋮。 ﹁この酒場は、あの人と、二人ではじめたものなのよ﹂ 俺の腕のなかで、女は、そう言った。 ﹁あの人が帰ってきたときにさ⋮⋮。この店、なくなっていたら、 悲しむだろ?﹂ 277 俺は黙って聞いていた。 ﹁だから⋮⋮、あたしは、この店を守っているのさ。あの人が帰っ てくるまで⋮⋮﹂ 女の声は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。 俺には、かける言葉がなかった。 その男は死んだか、あるいはもし仮に生きているのだとしても、 帰ってくるつもりはないのだろう。 だがそんなことは、言われるまでもなく、女にもわかっているは ずだ。 俺は女の体を手放した。 強く拒まれているわけではない。押して通れば、開いてくれそう な気配もある。 ⋮⋮が、主義として、まだ人のものである女に手を出すことはや らない。 ﹁ごちそうさま。うまかったよ。一杯﹂ 俺は麦酒のカップをテーブルに残すと、酒場をあとにした。 278 ﹂ はじめの地 ﹁温泉⋮⋮、って、なに?﹂︵後書き︶ ﹁自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム ダッシュエックス文庫より、11/25、刊行でーす。 次回の更新は11/11です。発売日まで3日おきくらいです。 279 ある夜の騒ぎ ﹁こいつら畳んじゃっていい?﹂ 夜の喧噪のなか、俺たちは酒場で夕食をとっていた。 ﹁んっ。んっ。んっ。⋮⋮ぷはーっ! さあ! 飲んだわよー!﹂ アレイダは常連客の酔っぱらいどもと、すっかり馴染んでいた。 飲み比べなんかをやっている。 今夜で、もう何度目かの夕食になる。 温泉とうまい飯。 居心地がいいので、つい、長居をしてしまっている。 マダムが心変わりしないかなー、とか、そんな未練がましく、い じましい気持ちなどは、まったくない。これっぽっちもない。断じ てない。 ﹁⋮⋮なんだ?﹂ テーブルの向こうから、薄く微笑んでこちらを見ているモーリン に、そう尋ね返した ﹁いえ。思うようにいかず、ジレンマに悩んでおられるマスターも、 よいものですね。︱︱と、そう思っていただけですから﹂ ﹁愛でるな﹂ 俺はそう言った。 280 モーリンには、まったく、なにもかもお見通しだ。 俺の女に対する好みを、俺よりも、よくわかっている。 だがモーリンの読みにも、一部、不正確なところもある。 俺はジレンマに悩んでいるわけではない。俺のものにならない女 に興味などないのだ。 ﹁はい。そういうことにしておきますね﹂ モーリンは楽しげに笑った。 いま! 心の声に突っこまれたよ! ﹁⋮⋮?﹂ うちの娘の静かなほうが、ぴくりと、顔をあげた。 騒ぎも会話にも関知せず、目の前の山盛りの肉に、ずっと無言で ずっと無表情で、だがきっと内心は夢中でかぶりついていたスケル ティアが、入口のほうに、何気なく顔を振る。 数秒後。大人数が、ぞろぞろと入ってきた。 男たちは異質だった。 店の常連もあまりガラのいいほうとはいえないが、こちらの連中 は、まるで堅気の雰囲気ではない。相手を威圧するような服装や装 備。見せつけるように武器をちらつかせている。 まるで、ならず者か冒険者か︱︱って、俺たちも立場的には〝冒 険者〟なわけか。 こんなのと一緒にしてもらいたくはないな。 281 男たちは店のいちばん真ん中の席に陣取ると、足をテーブルの上 に投げ出し、それから、横柄に言った。 ﹁酒﹂ マダムは硬い顔で立っていた。いつもは欠かさない﹁いらっしゃ い﹂もなければ、笑顔もない。 常連客たちも、会話をぴたりと止めて、緊張した面持ちになって いる。 一人、例外なのは、んぐ、んぐ、んぐ︱︱と、腰に手をあててジ ョッキを一気飲みしている、うちの娘の馬鹿なほうだけだ。 明らかに歓迎されていない雰囲気だが、男たちは、いっこうに気 にした様子がない。 ﹁おい。酒はまだかよ﹂ ﹁あとメシな﹂ ﹁それとー、女なー!﹂ 一人が下品な笑いをあげて、マダムの尻を一撫でした。 ﹁おい馬鹿。ボスに︱︱﹂ 別のやつがたしなめる。言われた男は、ばつの悪そうな顔で押し 黙った。 マダムは何も言わず、男たちのもとへ、酒と料理を運んだ。 さっきまで、会話をするのも困難なほど騒がしかった酒場は、ま 282 るでお通夜のように静まり返っていた。 この世界の葬式に通夜があるかどうかは、不明だが。 常連客は気まずそうに顔を見合わせる。幾人かは席を立って、押 しつけるようにマダムに金を払って、店を出ていってしまった。 ﹁なに? ⋮⋮なんなの?﹂ 飲み比べをしていた相手がいなくなってしまって、アレイダがし らけた顔になって戻ってきた。 ﹁見ての通りだ﹂ 俺は肩をすくめて、そう言った。 ﹁⋮⋮なにが?﹂ うちの娘のお馬鹿なほうは、きょとんとしている。 もうひとりの静かなほうも、当然、きょとんとした顔。 ああ。そうか。 現代世界の知識がある俺には、なにが起きているのか、一目瞭然 なわけだが⋮⋮。 モーリンみたいな人生経験の化け物ならば、ともかくとして︱︱。 十代の娘には、わからんな。これは。 ﹁おい!﹂ 料理を食っていた一人が、突然、声を張りあげた。 283 ﹁料理に虫が入ってたぜ!﹂ ほら、はじまった。 他のやつも同調して、酒が腐っているだの、なんだのと、騒ぎは じめた。 ﹁えっ? えっ? えっ? なに? なんなの?﹂ 突如あがった大合唱に、アレイダはきょろきょろと周囲を見まわ している。 ﹁マダムの料理に、虫なんて入ってるわけないじゃないの﹂ ﹁ああ。そうだな﹂ ﹁お酒だって。べつにへんじゃないし﹂ ﹁もちろん。そうだな﹂ 俺はアレイダに、いちいち、うなずいてやった。 うちの娘のお馬鹿なほうが、いつ、理解するか。ちょっと辛抱が 必要かもしれない。 ﹁スケ。︱︱おまえは、わかったか?﹂ ﹁ん? んー⋮⋮。んっ。﹂ うちの娘の、はしっこいほうは、すこし考えて、わかったようだ。 さすが元盗賊。世知辛いことには慣れがあるのか。 ﹁え? なに? 私だけ、のけものなの?﹂ ﹁おまえは胃袋でなくて、すこしは頭を使ったほうがいいぞ﹂ いまだにジョッキを手放さない、うちの娘の食い意地の張ったほ 284 うに︱︱俺はそう言った。 ﹁いいわよ。文句言ってくるから﹂ ﹁あー。おい⋮⋮﹂ 止める間もあらばこそ。 アレイダは、ジョッキを手にしたまま、すたすたと歩いていって しまった。 ﹁ねえちょっと、あなたたち﹂ と、男たちに向けて、なんの屈託もなく、声をかけてゆく。 ﹁さっきから聞こえてきてたんだけど。あんまりマダムを困らせる もんじゃないわよ﹂ ﹁困らせる? ハァ? そいつは傑作だ。まるでオレたちが、言い がかりを付けているみたいじゃないか︱︱﹂ ﹁困らせてるのは確かでしょ。言いがかりかどうかはわからないけ ど﹂ ﹁あの、げんに、ここに、虫が︱︱﹂ ︱︱と。 男が料理を差し示した。 その料理を、アレイダは奪い取るなり︱︱。 がっふ。がっふ。 食った。 食っちまった。 285 ﹁虫? どこに?﹂ ﹁い、いや⋮⋮、油虫が⋮⋮﹂ ﹁あと。お酒がどうしたの? どれ?﹂ ﹁これ︱︱﹂ ごっく。ごっく。 こっちも飲んでしまった。 ﹁べつにおかしくないわよ?﹂ ﹁あ⋮⋮、う⋮⋮﹂ 男は言葉をなくしている。 俺も言葉をなくしている。酒のほうはともかく、料理のほうは、 あれは入ってたんじゃないのか⋮⋮? この手の常套手段では、そこらで捕まえてきた虫を、入れておい て、﹁おい! 虫が入っていたぞ!﹂と難癖をつけるわけだが︱︱。 俺はそのことが気になって仕方がなかった。本当に、気になって しまう。 ﹁︱︱はいはい。じゃあ。なんでもなかったんだから。もう。静か にする。︱︱いいわね?﹂ アレイダはそう言うと、男たちに背中を向けて、戻ってこようと した。 その肩を、男の手が掴む。 ﹁待てや。ネエちゃん﹂ ﹁︱︱なによ?﹂ 286 ﹁マスター。助けに入っては、あげないのですか?﹂ ﹁なぜだ?﹂ モーリンに聞かれて、俺は問い返した。 ﹁あるいは。加勢に入ってあげますとか﹂ ﹁だから。なぜだ?﹂ 俺はまたもや問い返した。 守ってやる必要など、どこにあるのか。 アレイダのいまのレベルはそれほど高くはないが、それは転職マ ニアであるせいで︱︱。実際には上級職2回分の強さの上乗せがあ る。 同じレベル1であっても、上級職のレベル1は、基本職のレベル 20ぐらいには相当する。 こんな場末の、山賊まがいのチンピラどもに遅れを取るようなこ とはない。 ﹁いえそちらではなくて。マスターが、ご自身でなさらなくて、よ ろしいのですかと︱︱彼女のために﹂ ちら。︱︱と、モーリンが目を向けた先にいるのは、マダムだっ た。 ﹁ああ﹂ 俺はうなずいた。 それだったら、俺は、手出しをしないことに決めていた。 悪さをする者がいる。それをいちいち正して回っていては、いず 287 れ、すべての悪を倒して回らなくてはならなくなる。 それは〝勇者〟とかいうヤツの役目だ。いまの俺の役目ではない。 あんな人生。一回やれば、もう充分だ。 俺の今回の人生では、﹁人助け﹂はしないことに決めている。 ﹁でもアレイダのときには助けましたよね。お買い上げになられま したけど?﹂ ﹁うぐぅ﹂ いつもながら、どうして、こう︱︱モーリンは、俺の心の中のセ リフに、的確にツッコミ入れてくるのだろうか? ﹁あれは︱︱俺の女にしたわけだろ﹂ ﹁スケも。だよ?﹂ ﹁ああ。スケも。俺の女だな﹂ ﹁それではマダムは、〝俺の女〟にならなかったから、助けてはや らないのだと︱︱そういった理解でよろしいのでしょうか?﹂ ﹁おまえ。なんか妙に絡んでこないか?﹂ 微笑を浮かべるモーリンに、俺は、そう聞いてみた。 ﹁いえ。昨夜。彼女にフラれたあとに、マスターがわたくしのもと にやってまいりまして、わたくしを抱かれたことなど、微塵も気に しておりません。かわりに使われたことなど、なんとも思っており ませんよ?﹂ ﹁うぐぅ﹂ 俺は呻いた。 288 うん。発散できなかった欲情をモーリンの身にぶつけた。 他の女のことを考えながら、モーリンを抱いた。⋮⋮かもしれな い。違うとは断言できない。 ﹁それについては悪かった。謝る。反省する。二度としないと誓う。 だがそれとこれとは、やはり話が別だ。俺は自分にメリットのない 人助けはやらない。とことん利己的にやらせてもらう﹂ ﹁ええ。マスターの望むままに﹂ 世界の精霊︱︱と、俺がそう認識しているモーリンは、個々の人 間の運命に関して、ほぼ、関心を持っていない。 彼女が守るのは世界のバランスだ。彼女が守る世界の中で、人は 生き、そして死んでゆく。大量死や絶滅が起きるおそれのあるとき だけ、彼女は世界に対して干渉する。たとえば前回のときのように 〝魔王〟が世界に出現して、人間そのものを滅ぼそうとしたときな どだ。 それ以外のときには、彼女は、誰が死のうが生きようが︱︱ぶっ ちゃけ、眼中にない。 ただ一人の例外は、俺であり︱︱。 いまの彼女が関心を持ち、望むことは、俺の幸福だ。 ﹁でも⋮⋮。マスターはなにもしないおつもりでも、アレイダはや る気になっていますけど﹂ ﹁あいつが買った喧嘩だ。好きにするさ﹂ ﹁おうおう! ネエちゃん! 痛い目みるまえに引っこんでな!﹂ ﹁ふーん? 痛い目みるのは、そっちだと思うけど?﹂ 289 アレイダは、すっかりやる気のようだ。 闘争心を目にたぎらせて、自分より大きな相手を、下からにらみ 返している。 物事の仕組みがまったくわかっていないにも関わらず、正しい応 対をしようとしている、うちの娘の馬鹿なほうに、俺はすべて任せ ることにした。 ︱︱と。 つんつん、と、俺の服の袖を引っぱる者がいる。 ﹁なんだ?﹂ ﹁スケ。⋮⋮も。いて。いい?﹂ ﹁うーん⋮⋮﹂ 俺は考えた。 うちの娘の容赦のないほうが参加すると、それこそ、容赦のない 展開になってしまうのではなかろうか。 べつにあいつらの命なんか気にしているわけではないが。穢れた 血で店を汚すのも忍びない。 ﹁まえに教えたな? こういうとき。ああいうやつらは。⋮⋮どう するんだっけ?﹂ ﹁⋮⋮? いたくする?﹂ スケルティアは、あまり自信がなさそうに、首を傾げた。 ﹁そうだ﹂ まえに、うちの娘たち二人に教えた。 290 戦いになったとき。相手を殺すときと、殺さないとき。その区別 を教えた。 今回のケースは、どれに該当するのか︱︱? ﹁ころさない。でも。にどと。はむかえ。ない。ように。いたくす る。﹂ ﹁よし。してこい﹂ 俺はスケルティアの頭をくしゃっと撫でてから、送りだした。 そろそろあちらのほうでも、アレイダが、はじめそうだ。 そこにスケルティアも、そーっと近づいていって、アレイダの隣 に並ばずに、なぜか、男たちの背後に回っていった。 ああ。蜘蛛の習性か。 ﹁てめえ! この野郎!﹂ 激高した男が叫ぶ。 ﹁野郎じゃないわよ。女よ。べろべろばー!﹂ アレイダがわかりやすく挑発をする。 男の顔がみるみる赤くなってゆく。 はい。爆発、三秒前。 俺はマダムにぴっと手を挙げた。麦酒のおかわりを要求する。 殴り合いがはじまった。 正確にいうと、〝殴り合い〟ではなくて、一方的に、殴って殴っ 291 て殴っているだけだから︱︱、〝殴り殴り〟とでもいうべきだろう が。 とにかく喧嘩がはじまった。 男たちは次々と畳まれていった。テーブルも壊さない。店の備品 の破壊も、他の客への被害も、最小限。 アレイダは投げ飛ばした男の着地点まで計算してるし。スケルテ ィアのほうは、テーブルから落ちたジョッキが地面につくまえに、 糸を飛ばしてキャッチする芸当などを、敵の一人を絞め落としてい る最中に披露していた。 俺は心配どころか、ほとんど関心さえ払わず、麦酒とツマミに没 頭していた。 このマダムの特製チーズ。うまいな。 最初はなんだこのカビたチーズは。とか思っていたが。カビを取 り除いた綺麗な中身が、食うべき正味物のほうで、それがめっちゃ うまい。 ﹁お⋮⋮、覚えてやがれ⋮⋮!!﹂ 陳腐な︱︱それこそカビの生えた捨て台詞を残して、男たちは引 き上げていった。 ちゃんと仲間を引きずって行けるように、歩いて帰れる人数まで、 アレイダとスケルティアは、きちんと調整している。 うん。街の喧嘩で、二人に教えるべきことは、もう、なにもない な。 292 すこしだけ騒々しかった、ある一夜の、取るに足らない出来事は、 こうして終わった。 293 黒幕についての情報 ﹁マスターにお任せします﹂ ﹁⋮⋮調べがつきました。マスター﹂ ﹁おお。そうか﹂ ひさしぶりに賢者の格好で外に出ていたモーリンは、戻ってくる と、俺にそう報告した。 ちょっと内密の話なので、酒場のホールではなく、馬車の中の屋 敷のなかの一室で、俺はモーリンを出迎えた。 ここは小さな街だが、冒険者ギルドの支局くらいはある。そこに 顔を出してきてもらって、起きていることの裏を取ってきてもらっ たのだ。 こちらの世界で顔が利くのは、俺よりモーリンのほうだから、彼 女に頼んだわけだ。 ﹁マダムの店は、悪質な嫌がらせを、以前から受けていたようです﹂ ﹁ほう﹂ モーリンの言葉に、俺はうなずいた。 うむ。それは、見ればわかる。 アレイダあたりだと怪しくて、男どもを追い返したあとにも、﹁ もう酔っぱらいってイヤよね﹂などと、天然でのんびりしたことを 呟いていたものだから、﹁あれはワザと暴れにきてたんだよ﹂と教 えてやらねばならなかったほどだ。 294 ﹁⋮⋮で? 嫌がらせを受けていた理由は﹂ ﹁街の、とある有力者から、肉体関係を求められていたようです﹂ ﹁⋮⋮﹂ 俺は、あからさまに顔をしかめた。 あの美貌だ。あの身体だ。そして性格もいい。 欲しくなるのはわかるが⋮⋮。どこのどいつだ? ﹁その、とある有力者っていうのは? どこの小物だ?﹂ ﹁この街の領主です﹂ うっわ。⋮⋮腐ってんな。この街。 ﹁前々から懸想して、愛人契約を結ぼうとして、いろいろと、ちょ っかいをかけていたそうです。ですが、けんもほろろに拒絶され、 はじめは合法的な圧力を加えていたようです。温泉ならびに宿の営 業許可を取り消そうとしてみたり﹂ ﹁それは合法なのか﹂ ﹁それでもマダムがなびかないので︱︱。最近では、少々、非合法 な手段にも出てきているようですね。 ﹁馬鹿かそいつは。なびくわけないだろう。北風をいくら強く吹い てみても、旅人がマントを脱ぐはずがない﹂ ﹁あのごろつきどもですが。領主の私兵です。定期的にやってきて は、店で暴れていたようです。いったん離れた客が戻ってくると、 またやってくるそうで﹂ ﹁だからなのか。店がこんなに寂れていたのは﹂ 俺はうなずいた。 295 変だとは思った。酒も料理もうまい。宿も温泉も快適。女主人も 美人。︱︱なのに、宿泊客は俺たちだけ。 マダムが一人で切り盛りしていたのも︱︱思えばあれは、従業員 を危険にさらさないためだったのかもしれない。 ﹁単に経営難なのかもしれないですね。必要はないかと思いました が、店の経営状況についても、別方面から調査してまいりました。 かなりの借金があるようです。︱︱これも、その地方領主が、無条 件かつ無期限の融資を申し出ていますけど。現状、断り続けていま す﹂ ﹁なるほど。そういった状況か﹂ ﹁はい。マスターの世界でいうと、〝型にはめる〟という状況です ね。︱︱ヤクザ用語ですけど﹂ ﹁なぜおまえは、俺より、俺の世界の言葉に詳しいんだ?﹂ まあ。事情はわかった。状況も把握した。 だが、やはり俺の判断と行動は、かわらない。 悪代官︱︱じゃなくて、悪徳地方領主か。 そいつらが立場を悪用して、私腹を肥やしているとして、いちい ち正して回るようなことはしない。 そんなことをしていたら、体がいくつあっても足りない。 悪代官なんざ、この世界に何人いるんだ? 一人を見つけたんだから、二〇人はいるのは確実だ。そして二〇 人目を見つけだす頃には、二〇かける二〇の、四〇〇人に増えてい るに決まってる。 296 水戸黄門じゃあるまいし。諸国漫遊の世直し旅なんかしていられ るか。 ああまあ⋮⋮。スケさんとカクさんならいるけどな。ハチベイは いないけどな。 俺はモーリンの口から、﹁水戸黄門﹂の名前が出てこないか、数 秒ほど、びくびくしながら待ってみた。 ︱︱が、さすがにこれは出てこなかった。 かわりに出てきたのは︱︱。 ﹁あと調べてきたことは、もうひとつ。︱︱マスターの判断に影響 するかと思いまして﹂ ﹁なんだ? 言ってみろ﹂ 俺は鷹揚に聞いてみた。内心では、ちょっと、びくびくしながら ︱︱。 俺の考えが変わるだって? なぜ? どんな理由で? おっと ﹁マダムの良人が出征した戦いですが。七年ほど前の出来事でした﹂ そんな前なのか。ずいぶんと長い間、操を立てていたんだな。 ﹁その争いの理由ですが。ほとんどする必要もない戦争でした。こ この領主が、遠くの小国に、言いがかり的な戦争をしかけまして︱ ︱。小さな局地戦を一、二回、仕掛けたあとで、すぐに和平協定が 結ばれています﹂ ﹁ん?﹂ 297 俺は妙な違和感を覚えた。 ﹁なんで起きたんだ? その戦争?﹂ 普通、戦争というのは、資源ないしは領地を奪う目的で起きるも のだ。そして始めるからには、目的を達成するまで終わらない。和 平が結ばれるのも、戦況が硬直しきって、両国が疲弊しきって、共 倒れとなることを防ぐためだ。 ﹁いや⋮⋮、なぜ、起こしたんだ?﹂ ﹁なぜだと思いますか?﹂ 質問に質問を返される。逆に聞かれてしまった。これでは教師と 生徒だ。 ずーっとずーっと昔。まだモーリンが師であり、俺が弟子であっ た頃の気分を、一瞬だけ思いだしてしまって︱︱。俺はすこしだけ 恥ずかしくなった。 昔、モーリンは、俺が﹁なぜ?﹂と聞くと、姉的な微笑みを浮か べつつ、﹁なぜだと思う?﹂とオウム返しに問い返して、俺に考え させていた。 ひとつ。考えられる理由がある。 だが⋮⋮。 まさか。まさか。まさか⋮⋮。 まさか⋮⋮? そんな小さいやつが、存在するのか? ﹁気に入った女を自分のものにするために、旦那を亡き者にした⋮ ⋮? そのために、わざわざ、戦争を起こした⋮⋮?﹂ 298 ﹁噂ではそうなっています。わたくしも少々信じがたかったので、 おっと 裏を取るために、調べてまいりましたが⋮⋮。疑いから確信へと変 トゥルーライズ わりました。戦場で、彼女の良人を、後ろから斬った下手人も突き 止め、本人を捜し出して、真偽の天秤をかけたうえで、証言も取っ てもみましたが⋮⋮﹂ ああ。なるほど。ガチだった。 ここの領主は、女を手に入れるために、陥れて型にはめるような 小悪党だと思っていた。 だが、ちょっとばかり、小悪党の域を越えてしまっていた⋮⋮。 トゥルーライズ ちなみに真偽の天秤という魔法は、賢者系の高レベルにあるレア 魔法だ。相手の言ったことの真偽を確認するというものだ。 ﹁彼女の良人の指輪です。金目の物だったので奪ったのでしょう。 古物商に流れた先を追い、買い戻してきました﹂ ことりと、金のリングがテーブルに置かれる。 ﹁その指輪をどうするか⋮⋮。マスターにお任せしたいと思います﹂ モーリンは俺の目を見ながら、そう言った。 299 俺のものになるか ﹁忘れさせて⋮⋮、おねがい﹂ 俺は、彼女の夫の遺品の指輪を持ち、長いこと、考えていた。 そのおかげで夜になってしまった。 夜、酒場の片隅のテーブルで、一人で残っている俺を、彼女はな にも言わず、そこにいるのが当然のように、あたりまえのように受 け入れていた。 彼女は、いつものように、一人で店の片付けをやっている。 酒場の片付けが、半分くらい、終わったところで︱︱。 ﹁あんたのものにはならないよ﹂ 彼女は、唐突に、そう言った。 ﹁前にも言ったけど。貴方のものにはなれないの。ごめんなさい﹂ おっと 正確にいえば、そうは言ってはいない。〝良人がいる〟と、そう 言っただけだ。 そして、その夫は︱︱。 悩む時間はもう終わっていた。 俺は決めていたように、ポケットから指輪を出すと︱︱。ことり と、音を立てて、机の上に置いた。 彼女の視界の隅にはうつったはずだ。 もし彼女が、見てもわからないのであれば、それでいい。 300 だが彼女は︱︱。 ﹁それを⋮⋮、どこで?﹂ ﹁とあるルートで見つけてきた。あんたが持っているべきだと思っ た﹂ 見つけたきたのはモーリンだが。まあ。そのへんはどうでもいい。 彼女は、よろよろと、覚束ない足取りで近づいてくると⋮⋮。 指輪を手に取り︱︱。彼女は、内側に刻まれた文字をよみはじめ た。 ﹁⋮⋮。〝ジョセフィーヌから、ロンサムへ︱︱。永遠の愛を誓っ て〟。⋮⋮ええ。これは確かに、あの人の物だわ。私があの人に贈 った指輪よ﹂ そう言って、彼女は、自分の指に嵌めていた指輪を抜き取った。 同じ形の指輪。こちらにはきっと、﹁ロンサムから、ジョセフィ ーヌへ︱︱﹂と、同様の文面が刻まれているに違いない。 ﹁どこかでは⋮⋮、わかっていたのよ。あの人は、もう、帰ってこ ないんだって⋮⋮。でも認めたくなかった。ずっと店をやっていれ ば、頑張って守っていれば、あの人が、憎めない笑顔を浮かべて、 ひょっこりと現れるんじゃないかって⋮⋮﹂ よろよろと、よろめき⋮⋮立っているのも困難そうだ。 ﹁死んだって言われても、信じなかった⋮⋮。きっと⋮⋮。戦場か ら逃げだして、バツが悪くなって、戻るに戻れないだけなんじゃな 301 いかって⋮⋮。あの人って。ほら。臆病者だから⋮⋮﹂ 彼女は俺を見て、笑いを浮かべた。 笑いながら、泣いた。 ﹁ぜったい⋮⋮、帰ってくるって⋮⋮、待ってれば⋮⋮、来るって ⋮⋮、だから⋮⋮、だからあたしは⋮⋮﹂ ﹁帰ってきたろ﹂ 俺はそう言った。 形見の品︱︱。 一つだけだが︱︱。 彼女の夫は、いま、帰ってきたわけだ。 それが理由だった。 俺が、彼女に指輪を渡すことに決めた︱︱それが理由だ。 彼女に真実を伏せておくことはできた。そのほうが幸せかもしれ ないと、そうも思った。 だが、男の帰りを待っていた女のもとに、男を帰すべきではない かと思ったのだ。 たとえ、いかなる形になっていたとしても︱︱。 あの指輪を俺に託したのは、モーリンだ。俺が決めろと、迂遠に 言っていた。 そのモーリン自身は、俺が帰ってくるのを、ずっと待っていた。 隷従の紋を、その身に刻みつけたまま︱︱。 302 彼女は泣いた。 その場にしゃがみこんで、しばらくのあいだ、泣きつづけた。 まるで子供に返ったかのような、そんな幼い、泣きじゃくりかた だった。 俺はそんな彼女のことを、ずっと見守っていた。 かたわ 麦酒がなくなった。ジョッキの底に残った数滴を、ちびちびと、 勿体なさげに舐めた。 泣いている女に、胸を貸すことはしないが、傍らにいてやる。 〝人の近くに立つ〟と書いて、〝傍ら〟と書く。現代世界のほう の﹁漢字﹂の話だが︱︱。 俺はその通り、彼女の近くに、ずっといてやった。 ﹁あの人は⋮⋮、死んだのね﹂ 泣き声も聞こえなくなって、だいぶ経った頃︱︱彼女は、ぽつり と、そう言った。 ﹁そうだ。でも帰ってきた﹂ ﹁ええ。帰ってきたわ﹂ ぺたんと座りこんでいた地面から、彼女は立ち上がった。危なげ だった足下は、わずかな時間に、しっかりしたものになっていた。 ﹁あの人にね︱︱、言われちゃった﹂ 俺の近くにやってくると、彼女は、ちょっと歳には合わない、い たずらっぽい娘のような顔で、そう言った。 体温が感じられるぐらいの距離で 303 握っていた手を開く。ずっと握っていた指輪が、きらりと光った。 ﹁俺を待つのはもういいから。おまえは幸せになれ。︱︱って、そ う、言われた気がしたの﹂ 俺はなにも答えない。答えられない。それは彼女自身の問題だ。 彼女がどう考えるかの内面の問題だ。 だが彼女の決めた方向に、俺は賛同する。 女は幸せになるべきだ。特にいい女は。 彼女は俺から離れると、後じさった。まだ片付けの最中だったテ ーブルに、その逞しいとさえいえる尻を載せる。 テーブルの上のものを、腕の一振りで押しのけて、すべて荒っぽ く下に落としてしまう。 もう片方の腕を差しのべて、俺を誘った。 ﹁すこしの間でいいの。⋮⋮忘れさせて﹂ おやすい御用だった。 304 成敗 ﹁俺の女の敵は⋮⋮、俺の敵だな﹂ ﹁い、いったい⋮⋮、な、なんの⋮⋮﹂ 俺の前で腰を抜かしている小男が、その悪代官。⋮⋮もとい。悪 徳地方領主だった。 椅子が倒れ、テーブルの上の料理も床に散らばっている。 俺とモーリンの二人は、この館の主である、この悪代官︱︱もと い、地方領主に招かれて、夕食をしていた。 その相手が、いきなり剣を抜いて、喉元に突きつけてきたわけだ。 腰を抜かしてしまうのも仕方がないだろう。 ロック ドアには、モーリンが施錠の魔法をかけている。 どんどんどん︱︱と、向こう側から激しく叩かれているが、ぶち 破られるまでには、いましばらくかかるだろう。 夕食中の部屋の中には、警護の者が二人ほどいたが、油断こいて、 ロック 欠伸などしていたものだから、隙をついて蹴り二発で、ドアの向こ うに放り出して、バタンと閉めて、魔法で施錠してやった。 しばらくは誰にも邪魔をされない、完全密室のできあがりだ。 ちなみに俺たちの触れ込みは、〝織物商人〟となっていた。 高価な品を特別にお分けしますよ、売りさばけば、物凄く儲かり ますよ︱︱お代官様も悪ですねえ、とか、それっぽい話を適当に持 ちかけたら、相手はホイホイとのってきた。 305 アレイダとスケルティアは、このあいだ乱闘騒ぎをやったことも あるので、顔バレするので、ここにはいない。ちょっと別所でもっ て、控えさせている。 ﹁お、お、お︱︱おまえら! こ、こ、こ、こんなことをして︱︱ ! ただで済むと、お、思っているのかっ!﹂ 小男は腰を抜かしながらも虚勢を張ろうとしていた。 そういえば領主だったっけ。威厳を保とうと必死だった。 ﹁ど、ど、ど︱︱どうするつもりだ! わ、わ、わ︱︱わたしを殺 すのか!﹂ ﹁それもいいがな﹂ 俺がうなずくと、小男は、ヒィッ︱︱と、短い悲鳴をあげた。 ぶっちゃけ。俺はいま。この男の生殺与奪権を手にしている。 返答次第では、この先、どう転ぶか、わからない。 ﹁まずおまえの罪状からいくか。おまえも、自分がなにをやったの か、知らないままでは、未練も残るっていうものだろう﹂ ﹁ヒィィッ︱︱﹂ ああ。言いかたが悪かったな。〝未練〟︱︱だとか。それではい まから殺すと宣言しているようなものだ。 ﹁おまえの罪状を告げる。まずおまえの罪だ。三つある。ひとつ。 ︱︱俺の女に手を出したこと﹂ ﹁え? 女⋮⋮とは、そ、それは誰のことで?﹂ ﹁ふたつ。︱︱俺の女に手を出したこと﹂ 306 ︵それ、ひとつめと同じでしょ︶ そこらの空中から声が聞こえる。俺は努めて無視した。 ﹁みっつ。︱︱俺の女に手を出したこと。︱︱以上だ﹂ ︵全部おんなじじゃない︶ ﹁あ、あの⋮⋮? ひょっとして、女というのは、あの宿の女将の ことを⋮⋮? 言ってるのか? ⋮⋮言ってますか?﹂ ﹁そうだ﹂ 俺は、罪状を告げる閻魔大王の重々しさをもって、うなずいた。 ﹁あれは︱︱!! 何年も昔から、私が先に︱︱﹂ ﹁関係ない﹂ 俺は言い切った。 後だとか先だとか、年数だとか。まったくもって関係がない。 てゆうか。何年にも渡って﹁俺の女﹂を苦しめてきたわけで、罪 状が次々と加算されるばかり。 ﹁わ、わ、わ︱︱私を殺したら、ど、どうなるのか︱︱! お、お まえら︱︱わかっているのか!﹂ 俺の怒気を感じ取ったのか、男は怯えたように声を震わせた。 ﹁いや。知らん﹂ ﹁正当な理由もなく身勝手に戦争を起こした件は、資料と共にまと めて、王立査問委員会に後ほど提出します。判断は正しく下される 307 はずですが、爵位剥奪は、まず間違いのないところでしょうね﹂ おおう。世界を救った〝勇者〟の元仲間である、大賢者様からの 告発文か。 そりゃ右から左に流れていって、いちばんてっぺんの、国王レベ ルあたりで、処理されることになるんだろうなー。いったいどんな 処罰が下るのやら。 ま。俺の心配するこっちゃないけど。 怯えたり怒ったり、表情が一秒おきに、くるくるとめまぐるしく 入れ替わる男に向けて︱︱俺は、口を開いた。 ﹁ひとつ。誓えるか? もうあの女に一切手を出さない。半径一〇 〇メートル以内にも近づかない。それが誓えるのであれば︱︱﹂ 俺が最後まで言い切らないうちに、男は︱︱。 ﹁誓います! 誓います! ぜったい誓います! もう二度と手を 出しませんし、もう忘れます! ですから助けてください! 私は じつはいい領主なんですよ! これからは領民のために! 領民の ためだけに生きていきますから!!﹂ 俺はモーリンに首を向けた。 モーリンは、 ﹁ダウト。ダウト。それからダウト。いい領主というのもダウトで すし。領民のために生きるというのも、すべてダウトですね﹂ ちなみに〝ダウト〟というのは、現代世界のカードゲームにおい て、〝嘘〟を見抜いたときの掛け声だ。︱︱って。だから。なぜ知 308 ってる。 まあ、それはそれとして︱︱。 ﹁あーあ⋮⋮﹂ 俺は、さも残念そうに声を張りあげた。わざとらしいほどの大声 をあげた。 実際、すこしは期待していたのだ。 万に一つぐらいかもしれないが、この男が、本気で誓約するかも しれないと⋮⋮。 だが、これでもう決まった。 ﹁ざーんねーん⋮⋮﹂ 落胆をたっぷりと込めた、白々しい声によって、ニュアンスが伝 わったのか⋮⋮。 男は肩を震わせはじめた。 てっきり、嘆いているのかと思った。だがそうではなかった。 ﹁ふっふっふ⋮⋮。さっき、報告書は、これから提出する⋮⋮と、 そう言ったな?﹂ ﹁言ったっけ?﹂ 俺はモーリンに、そう聞いた。 309 ﹁言いましたし。ここに持っていますし﹂ 豊かな胸元から、ぴろっと、封蝋を施した書筒が出てくる。 ﹁では! お前たちを亡き者とし! そいつを奪ってしまえば! このことを知るものは誰もいないということだな!﹂ ﹁そうなるんじゃないかな﹂ ﹁そうなりますね﹂ 俺とモーリンは、顔を見合わせた。 ︵ねえ。まーだー? そろそろ効果が消えてきちゃいそうなんです けどー?︶ ﹁まだちょっと待て﹂ 俺は空中に向かって、そう声をかけた。 ドアのほうでは、どがん、どがん、と、激しい音が鳴っている。 部下たちが、ようやく頭と道具を使いはじめたか︱︱。扉が破ら れるのは、もはや、時間の問題だ。 ﹁出会えーっ!﹂ 扉が破られると同時に、男が叫ぶ。 武装した男たちが、部屋の中になだれ込んできた。 俺とモーリンを、距離を置いて取り囲む。 ﹁殺せ!!﹂ 310 男が、叫んだ。 あーあ。言っちまいやがったよ⋮⋮。 ﹁スケ﹂ 俺は右手のほうに向かって、そう声をかけた。 ﹁すけ。は。ここ。﹂ すうっと、空気が透明でなくなって、少女の体が現れてくる。 完全武装のスケルティアが、そこに立っていた。 ﹁カク﹂ つぎに左手のほうに向かって、そう声をかける。 ﹁だからカクってなんなんだってば﹂ アレイダ・カークツルスもまた、完全武装で、雄々しく仁王立ち。 抜刀したその白刃は、魔力の輝きを刀身に流れさせる業物だ。魔 神や魔獣、上位種族に対して用いるべきで、人に使うのがイケナイ ことに思えてくる、殺傷のための武器。 ﹁スケ。⋮⋮まえに教えたな? 俺たちを殺しにかかってきた者は、 どうするんだ?﹂ ﹁ころす。てき⋮⋮は。ようしゃなく。ばらす。﹂ ﹁よし﹂ 311 俺は、うちの娘の容赦のないほうに︱︱そう、うなずいた。 そして︱︱。 ﹁アレイダ?﹂ ﹁やるわよ?﹂ うちの娘の野性味のあるほうは、目を光らせると、そう答えた。 すっかりためらいのない目だ。俺が惚れこんだあの目だ。 ﹁︱︱よし! スケさんカクさん、殺っておしまいなさい!﹂ いっぺん言ってみたかったんだ。これ。 ちなみに﹁やって﹂ではなく、﹁殺って﹂なのがミソな。 アレイダが地を走った。スケルティアは壁をつたった。 銀光がきらめくたび、首がひとつずつ跳ね飛んでゆく。 糸がきらめき自由を奪ったところへ、念入りに毒を塗りこんだ短 剣が突き立てられる。 私兵は︱︱、二、三十人は、いたのだろうか。つぎつぎと部屋に 飛びこんでくるが、つぎつぎと斬り伏せられて、床の堆積物へと成 り果てる。 二人の戦いぶりは、まるで、踊りだった。 アレイダは返り血に染まり、妖しいほどに美しかった。 スケルティアは生き返ったように嬉々として殺戮を繰り広げてい て︱︱なんかもう、べつの生き物だった。 ぽーん、と、胸のまえに飛んできた首の一つを、俺は受け止めた。 なんか。見覚えのある顔だ。 312 あの夜、酒場で、マダムの尻を撫でた男だった。俺の女の尻を撫 でた男だ。百万と一年忘れない、とか思ったが。もう忘れていっか。 ぽーん、と、俺は頭を後ろに放り投げた。 よーし。もう忘れた。 ﹁オリオン。全員。殺したわよ﹂ ﹁おわたよ。﹂ アレイダとスケルティアの声がする。 見れば、もう動くものは、二人をおいて、他になくなっていた。 あとは足下でイモムシみたいにのたちうながら、這いずって逃げ ようとしている小男︱︱悪徳領主、ただ一人だ。 まだ誰もなにもしていないから、立って歩けないのは、単に、腰 を抜かしているだけだろう。見れば失禁もしているようだ。 ﹁た⋮⋮、たすけてくれぇ⋮⋮、たすけてえぇ⋮⋮、こ、ころさな いでくれええぇ⋮⋮﹂ 足にすがりついてこようとするものだから、一歩、下がった。 ばっちい。 俺は腰から剣を抜いた。 だが思い直して︱︱。 ﹁おい。モーリン﹂ ﹁はい。わかってます﹂ モーリンが胸の前で印を切り、魔術を使う。 亜空間の入口が開く。 313 俺はそこに腕を突っこむと︱︱〝武器〟を、手で探った。 あった。あった。 到底、握れるようなサイズの物体ではないので、腕で絡めて、引 っぱった。 巨大な︱︱途方もなく巨大な、金属の塊としか表現できないよう な物体が、亜空間を抜けてくる。 その巨大な物体は、まるでモーリンの体内から出現しているよう に見えた。 形状は金棒。しかし、人の用いる武器ではない。かつて勇者とし て戦っていたときに、異界の魔神と死闘を繰り広げた︱︱その時の 戦利品だ。 こんな悪党は、剣のサビにしてやることさえ、勿体ない。 人間一人を殺傷するには大袈裟すぎる、巨大な鉄塊を︱︱俺は、 頭上に振りあげた。 ﹁た、たすけ︱︱﹂ 男は、命乞いをした。 俺は、言った。 ﹁俺は、敵には容赦しない﹂ そして俺は、男を床の上の染みへと変えた。 314 そしてエピローグ ﹁夕陽の沈む方角へ﹂ 別れは︱︱、夕陽の中での出来事となった。 ﹁行ってしまうんだね⋮⋮﹂ ﹁ああ。旅もまだ途中だしな﹂ 俺はマダムにそう言った。 彼女は、縋りついてくるのを、ぐっと堪えている感じ。 あれから数日は、色々と忙しかった。 まず、街の中のゴミを駆逐した。頭は潰したが、体は生きている 場合があるので、念入りに腐敗のタネを断っていった。 あるじ あと、夜は夜で、また別な意味で急がしかった。俺のものとなっ た女のカラダに、誰が主であるのかを、たっぷりと教え込んでやっ た。 経験豊富な彼女をまじえての夜の営みは、アレイダやスケルティ アには、色々と参考になったようで⋮⋮。彼女を先生として、あち らのレベルがアップした。 色々と旅立ちの準備を終え、いざ出発、となったのは、こんな半 端な時間だった。 ﹁あの⋮⋮、あんたさえよければ⋮⋮、なんだけども⋮⋮﹂ 言いにくそうに、彼女は言う。 315 ﹁うん?﹂ ﹁だから⋮⋮、その、ずっと⋮⋮、ここにいてくれても⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮いや﹂ 俺は、かぶりを振った。 彼女はぐっと息を飲み、それから、大きく息を吐きだした。 晴れ晴れとした顔になって、それから言う。 ﹁そうだね。⋮⋮あんたみたいな風来坊を、引きとめられるはずが なかったね﹂ ﹁すまんな﹂ 彼女は他の女たちに顔を向けた。 ﹁アレイダちゃんも。スケルティアちゃんも。元気でね。⋮⋮二人 とも、可愛かったわよ﹂ ﹁やだ、もうなに言ってるんですかあぁ!﹂ ﹁⋮⋮?﹂ うちの娘の声の大きなほうは、真っ赤になって恥じらっている。 もう一人の声の静かなほうは、意味がわかってなかったのか、き ょとんとしている。 ﹁モーリン︱︱﹂ 彼女はつぎにモーリンへと目を向けた。 二人は数日のあいだに打ち解けて、すっかり、呼び捨てで呼び合 う仲となっていた。 316 ﹁︱︱彼のことを、よろしく﹂ ﹁ええ。もちろん。承りました﹂ ﹁堅いって﹂ 彼女は、笑う。 ﹁ええ。なにがあっても、わたくしはオリオンと一緒ですから。心 配なく﹂ ﹁まかせたよ﹂ 彼女は、もっと笑う。 おや? ところでいま、マスターでなくてオリオンと呼ばれたか? ま。いっか。 ﹁オリオン⋮⋮。あんたは、これから、どこへ行くんだい?﹂ ﹁どこへ、って⋮⋮、そりゃぁ⋮⋮﹂ 答えようとして、自分がなにも答えを持っていないことに気がつ いた。 だが俺の胸に、ひとつの考えが生まれていた。 昔の道筋を辿ってみようか。 昔の︱︱。勇者時代の旅の道筋を︱︱。 つらくて、苦しくて、ブラックだった勇者行を、良い思い出で塗 り潰してゆくのも、いいかと思った。 ならば、次に訪れるのは︱︱。 俺は、手を持ちあげ、まっすぐに、指し示した。 317 ﹁この夕陽の沈む方角へ︱︱﹂ 318 そしてエピローグ ﹁夕陽の沈む方角へ﹂︵後書き︶ 明後日11/25は、書籍第一巻の発売日でーす。ダッシュエック ス文庫より刊行でーす。 しばらく連載休憩となりまーす。次巻刊行2ヶ月前あたりから連載 再開予定∼。 次エピソードでは、また別の地へ∼。 かつて主人公が前世で恋仲だった王女の王国へ行く予定∼。 319 かっぽんかっぽん。旅の途中。﹁オリオン、馬には優しいのよね ﹂ かっぽん。かっぽん。 優しいリズムを刻む蹄の音を聞きながら、俺はゆらゆらと、馬車 の揺れにまかせる形で、上体を揺らしていた。 こういう状態⋮⋮。 おじいちゃんであれば、〝船を漕ぐ〟とか言われてしまう状態な のだろうが︱︱。 しかし居眠りをこいているわけではない。 意識のほうは、しっかりと目覚めている。 頭上を木の枝が覆っている。その上には、澄み渡った青空が広が っている。 木漏れ日の下を通っていると、光がさしたり、日陰がきたり。 なんでもない、あたりまえのことだろうが︱︱。俺にとっては、 そんな些細なことが、ひどく楽しい。 前々世の勇者時代にも、もちろん前世のブラック現代生活にも︱ ︱。 こうしてのんびりと、道で馬車を走らせたことなど、なかった。 俺は﹁旅!﹂︱︱の醍醐味を、一人で満喫していた。 ああ⋮⋮。本当に癒やされる⋮⋮。 なにもしないこの時間が⋮⋮。特に、よい。 時間を〝無駄〟にしている感覚が、本当に、素晴らしい!! 320 人生はこうであらねばならない。 すべての時間を無駄にして、有益なことを、なんら行っていない 無駄な時間で満たされた人生というのが、たぶん、最高の人生だ。 それが﹁自分らしく生きる﹂ということだと、俺は、真にそう思 う。 魔王倒すための効率厨の勇者人生だとか。ブラックアルバイトと ブラック企業の歯車になんて磨り潰されてゆくだけの人生だとか。 そんなのはまったく人生とは呼ぶべきじゃない。 というわけで︱︱。 俺は時間を見つけては、なるべく御者台に座るようにしていた。 アレイダやスケルティアやモーリンに御者を任せてもいいのだが、 アレイダのやつは﹁退屈!﹂とか騒いでうるせえし、スケルティア に任せると、様子を見に行ったときには馬そっちのけで、チョウチ ョを追いかけていたりするし︵蜘蛛の習性︶。 御者が馬車を降りて横っちょで、目をキラキラさせて虫を追いか けていても、それでも馬車は、問題なく、道を外れることもなく、 目的地に向かってまっすぐ進んでいるのだが︱︱。 かっぽん。かっぽん。蹄の音が響く。 俺は上体を揺らしている。 道は舗装もされていない農道だから、馬車はそこそこ揺れている。 手綱は︱︱。ちょっと脇のほうに縛りつけてある。じつは手綱を 引く必要は、まったくなかったりする。 321 ﹁どうどう﹂ 俺は体を前に倒して、手を伸ばして、馬の尻を叩いてやった。 ほんと。いい娘だった。こいつは。 いい馬を買った。賢くて忠実で、いい牝馬だ。いい娘だ。どこか のじゃじゃ馬とは大違いで︱︱。 ﹁あ。オリオン﹂ と、そんなことを考えた瞬間︱︱。ほうら。その〝じゃじゃ馬〟 が、幌の内側から、にゅっと顔を出してきた。 ﹁なんだ? もうメシか?﹂ ﹁ううん? ⋮⋮まだだけど﹂ ﹁じゃあ、なんだ?﹂ ﹁⋮⋮えへへ。⋮⋮隣、座っててもいい?﹂ ﹁べつにかまわんが﹂ 旅の満喫感が減ってしまうが、まあ、それはいい。 ちょっとは柔っこい女体の感触を、体の片側に覚えながら馬車に 揺られるというのも、それはそれで、オツなものだが︱︱。 ﹁オリオン、馬には優しいのよねー﹂ アレイダは手を伸ばして、馬の尻を撫でた。ぶるるっと、いなな いて、馬は喜びを露わにする。 ﹁俺は女には優しいぞ﹂ ﹁うそばっか﹂ 322 言われた。考えた。 ふむ。訂正しよう。 ﹁⋮⋮自分の女には、優しいぞ﹂ ﹁もっとうそばっか﹂ アレイダはそう言って︱︱。俺の隣に、すっぽりと収まりにきた。 なんかこいつ、体をくっつけてくるんだよなー。御者台に二人並 ぶと狭くなってしまうのだが、必要以上に、体をくっつけてくる。 前にいっぺん、これは抱かれに来たのだろうか? ︱︱と、勘違 いして、そこらの茂みで、木の幹に押さえつけて後ろから﹁いたそ う﹂とした。 そんなことが、前にあったりした。 おとなしい馬もいいが、じゃじゃ馬のほうは、じゃじゃ馬で︱︱ ひいひい、ひひーん、と鳴かせてやっているときには、ちょっとヤ バいくらいに、キモチヨカったりするのだが⋮⋮。 その時には、﹁ちがう!﹂とか怒鳴られた。グーパンチで殴られ た。 わけがわからん。 じゃあ、なんで、横にくるのか? ﹁なに? ⋮⋮不満?﹂ 俺が思いだしていたことを察しとったのか、それとも別の理由か 323 ︱︱アレイダは、そう言ってきた。 ﹁いや。駄犬がまとわりついてこなければ、もっと、のんびりでき たなー、と思ってな﹂ ﹁だ︱︱駄犬っ!?﹂ 駄犬と呼ばれて、なんかショックを受けている。 事実を言ってやったまでなのだが⋮⋮。 ﹁俺は思った。俺は最近、働きすぎた。もっとゆっくりすべきだ﹂ ﹁オリオンがいつ働いたっいうのよ? いっつも、あたしとスケさ んに働かせてばかり。自分はダンジョンについてきても、後ろで腕 組みして、〝さっさとこいつら死なねえかなー〟とか、ニヤニヤと、 悪魔の笑いを浮かべて見ているだけのくせに﹂ ﹁⋮⋮おまえが俺をどう見ているのか、だいたいわかった﹂ ﹁あっ︱︱うそうそ! でも助けてくれないのはホントでしょ。ニ ヤニヤと悪魔の笑いを浮かべているかどうかは、ともかくとしても﹂ ﹁だから働いているだろ。すげえ働いているよ。俺は﹂ ﹁だからいつ働いたっていうのよ﹂ ﹁駄犬がサボらないように、しっかり、監督してるだろ﹂ ﹁⋮⋮!!﹂ 駄犬は﹁ひゃん﹂とも鳴かずに、ただ、沈黙した。 まったく。俺がどれだけ働いていると思っているんだ。 生きるか死ぬか、ギリギリの階層に放りこんでやるのも、じつは、 324 骨の折れることなのだ。 ダンジョンには難易度というものがある。俺の知っているそれは、 何十年も昔のものでしかないので、現在の状況を、いっぺん行って、 確認してこなければならない。 ついうっかり、間違えてしまって、二人が死んだら︱︱。まあそ れならそれでも、かまわないのだが︱︱。べつにぜんぜん、かまや しないが︱︱。本当に︱︱。本当だぞ? もしそうなってしまったら、数日、寝付きが悪くなってしまいそ うなので︱︱。 俺はそうならないように、色々、やっている。 二人をダンジョンに連れて行く前に、俺一人で︱︱あるいはモー リンと二人で、事前調査をしてきている。 難易度を実地に確認してきたうえで、二人が二人だけのパーティ で、ギリギリ生還できる階層に放りこんでいるわけだ。 ほうら。働いているじゃないか。 すげえ働いているよ。飼い主様は。 しかし、そろそろ、二人じゃなくて、もう一人ぐらい、欲しいな ー。 いや。セックスの相手とか、そういう意味ではなく︱︱。まあ、 それもあったりするが︱︱。 いまのところ、自己治療できるマゾい盾系タンク職と、テクニカ ルに糸で戦う蜘蛛子がいるわけだ。 前衛、中衛、が、揃っているといえる。 ここにさらに﹁後衛﹂が加われば、パーティとして完璧になるの だが︱︱。 325 ﹁ほらその目。またイヤらしいこと︱︱、考えてる。いやよ。その へんでだとか。絶対。イヤだからね﹂ イヤらしいことを考えているのは、それは、おまえなんじゃない のか? いますぐ馬車を止めてそこらの茂みで木の幹にしがみつかせて、 後ろから貫けと︱︱それは誘っているのかどうなのか? だから抱かれたいのか抱かれたくないのか。隣にやってきて、わ ざわざ、ひっつきにくる理由を、説明せよ。 後衛には色々と選択肢がある。 まず大きくわけて、魔法系、そして投射系がある。 アーバレスト 魔法系は︱︱、攻撃魔法系、治癒魔法系、援護魔法系などに、細 アーチャー 分化してゆく。 ガンナー 投射系も、弓士が基本だが、弩士もいるし、最近はあちらの世界 の文化が混じっているというから、銃士だって、いまはいるのかも しれない。 さらに後衛には、召喚士などのクラスもある。 召喚したなにかに戦わせる召喚士系なども、分類としては後衛に はいるだろう。召喚獣ないしは召喚精霊を戦わせているあいだ、自 分の手は空くので、︵使えれば︶魔法や遠距離武器で援護できる。 リズに一度、クラス一覧の載った目録を持ってきてもらうべきだ ろうか? あの街とは、もう物理的に、だいぶ離れてはいるが︱︱。モーリ ンの転移魔法で、どうせすぐに戻れる。 ギルドの一階ホールに転移点をマーキング済みだ。館の食料だと か、買い出しも、じつはあの街で済ませていたりする。 326 クラス クラス まあしかし、目録を見て、うちの娘たちのパーティを補完するの に、ぴったりの職が見つかったとしても︱︱。その職の、ちょうど よいレベルの女が見つかったとしても︱︱。 え? 男? 入れるわけないだろ。ばーか。 その女が、うちのパーティに入るからには、俺の女となるわけで ︱︱。 ﹁セックスが気持ちいいことが、一番大事なことだなー﹂ ﹁ほうら。考えてた。やっぱいつもアレのことだけ考えてる﹂ いけね。口に出して、いま、言ってたか。 ま。いっかー。 かっぽん。かっぽん。 馬の蹄の音をBGMに、俺たちは馬車に揺られた。 しかしなんでこいつ。アレイダ。⋮⋮隣に来るわけ? 327 かっぽんかっぽん。旅の途中。﹁オリオン、馬には優しいのよね ﹂︵後書き︶ 連載再開でーす。しばらく、特に目的のないまま、ゆるゆると日常 回をやってまーす。 20話ぐらい先に、次の目的地に到着して、〝悪〟をしばき倒す予 定でーす。 年内は週1∼2の更新予定です。新年から本格稼働しまして、週2 ∼3くらいの予定であります。 328 昼食時の話題。﹁こいつとのセックスって、死ぬほどキモチいい のな﹂ いつもの旅の道中。いつもの昼食時。 街道の脇に馬車を止めて、テーブルを出して、椅子を出して、タ ープも張って、木漏れ日の下で昼食を取っている。 街道をたまに通る他の馬車が、﹁いいなー﹂という目を向けてき たりするが、俺たちは素知らぬ顔で、のんびりと昼食を取っている。 いや⋮⋮。のんびり、というのとも違うか。 およそ約一名。 一名というよりも一匹というべき? 飢えた獣みたいに、がふがふ、がつがつ、ナイフとフォーク使う の面倒だからもう手づかみで︱︱って勢いで、フードファイトでも やっているかのような健啖ぶりを発揮しているやつが、一名ないし は一匹いる。 じーっ、と、見ていると、うちの娘たちの、大食らいなほうは、 はっ、と気がついて︱︱。 ﹁あ⋮⋮、ちがうのこれは。うちの部族ってフォークとか使わなか ったものだから。ついクセがでちゃって﹂ うちの娘たちのうちの、小食なほうは、としゅっ︱︱と、爪を伸 ばして、唐揚げの真ん中に命中させた。爪をひっこめる勢いで、口 の中に、ぽーんと入れている。 329 一つ進化したら、なんか技が増えた。出し入れ自在な爪を得た。 普段はまったく人間の女の子の手にしか見えないのに、爪が伸び たときには、鋼を断ち切る武器になる。 ﹁おまえら二人。晩餐会とかに連れて行くなら、マナーを一から叩 き込んでやらないとな⋮⋮﹂ 俺は大きなため息とともに、コーヒーのカップをソーサーに下ろ した。かちゃん、という音も立てない。 昔、勇者をやっていた頃、必要があって、所作一式を叩き込まれ た。 モーリン式だ。勇者も半ベソになる怖くて厳しい方式だ。 ﹁晩餐会っ! ︱︱えっ! なにっ!? 舞踏会とか! 連れてい ってくれるの! わたし! 行けるのっ!﹂ ﹁おまえがいますぐ出られるのは、舞踏会でなくて、武闘会のほう だがな﹂ あー、どっかの街で武闘会にでも出してみるか。賞金でも荒稼ぎ するか。 いいな。こんど大きな街にいったら、考えてみよう。 ﹁ところで⋮⋮、なんの話だったっけ?﹂ 駄馬が無言でエサ食ってりゃいいのに人間様の会話に参加してく るものだから、なにをどこまで話していたのか、忘れてしまった。 ﹁〝具合〟の話。⋮⋮でしたように思いましたけど?﹂ ﹁ああそうだったな﹂ 330 ﹁具合? なんの具合?﹂ 駄馬が、もうほんとに、食ってりゃいいのに、わざわざ聞きにく る。 俺はしかたなく、会話の続きをはじめた。 ﹁こいつは、ある意味では、いちばん具合がいいな﹂ ﹁はへ? ︱︱わ、わたしぃ? なんかっ、わたしっ︱︱ほめられ てるっ?﹂ 手を体の前に突きだして、てれってれっと左右に振って、あんま り大きく動くものだから、髪まで揺らして︱︱。 アレイダは続きを聞きにくる。 ﹁︱︱それで? それでっ? 具合って、なに? なんの話っ?﹂ 俺は、言った。 ﹁こいつとのセックスは、死ぬほどキモチいいんだな﹂ ﹁ぶふおぉーっ!?﹂ アレイダは口の中の物を一斉に噴き出している。 きったねえなー。まったく。 まあ予想はしていたから、射程範囲から自分の皿は退避させてあ ったが。 ﹁まあ。それはようございました﹂ コーヒーのおかわりを注ぎながら、モーリンが微笑む。 これ。ホントのほんとに喜んでいるときの感じ。 331 たまに嫉妬っぽいものを俺は引きあててしまうこともあるが、い ったいどういう行為がモーリンの嫉妬を呼ぶものなのか、わざわざ 実地に確かめてみるほど愚かではない。 ﹁や⋮⋮、やめて⋮⋮﹂ アレイダはテーブルに突っ伏している。見えている耳が、すごく 赤い。 わざわざおまえが聞いたんだろーがよ。夢中で食ってりゃ頭上を 素通りしていった話題だが。 ﹁なんでキモチいいのかなー。こいつが頭おかしいからかなー?﹂ ﹁アタマおかしいのはぜったいオリオンのほうだと思う﹂ 狂気を秘めた女とのセックスは破滅的にキモチいいことがあるの だが⋮⋮。 アレイダも若干その気があると思う。そのせいだろうか? ﹁スケ⋮⋮。は?﹂ うちの娘の静かなほうが、ぽつりと、口を開く。 これは嫉妬。静かなほう。うんうん。かーいー。かーいー。 ﹁おまえは、ある意味、スリリングだな﹂ ﹁⋮⋮すりりんぐ? ⋮⋮それ。いいほう?﹂ きゅるん、と、小首を傾げる。 銀色の短髪をさらりと揺らして訊ねかける。 捕まえて俺の女にしたときには、ショートカットだった髪が、ち ょっと伸びて、ちょっと頬にかかっている。 332 頬にかかるその髪を、俺は払ってやりたい衝動に駆られた。 一切、自重せず、手を伸ばして、髪と頬に同時に触れた。 ﹁おまえとはな。おわったあとに、まだ生きてると︱︱あー、俺、 生きてるーってカンジがするんだ﹂ ﹁なにそれ。ぜんぜん意味わかんない﹂ アレイダが文句を言う。 ﹁背中。傷だらけになってたりするしな﹂ ﹁うわっ。やだ。スケさんだめよ? ⋮⋮そういうのやっちゃ?﹂ ﹁しかた。ない。﹂ ﹁えっ? ⋮⋮はっ。⋮⋮しかたがないって、そ、そういう意味っ ?﹂ アレイダが興味津々だ。 ﹁こいつ最近、爪がナイフ並みじゃん? その気になったら、さく っとやられちゃうわなー。俺﹂ ﹁うそよ。殺したって死なないくせに﹂ アレイダが憎まれ口をきく。 ﹁⋮⋮たべて? ないよ?﹂ ﹁食べちゃだめでしょ! てか! 食べないよね! スケさんだめ よ? オリオン他べちゃ? こんなの食べたら、おなか、壊しちゃ うわよ?﹂ ﹁いやー⋮⋮、スリリングなんだよなー﹂ 俺は顎を撫でまわした。 333 スケルティアのときは、アレイダとは別の意味で、燃える。 ﹁え? まさかほんとに⋮⋮、そういう意味?﹂ ﹁蜘蛛のなかには交尾のあとにオスを食べてしまう種もいますから ね﹂ モーリンが俺のカップにお茶を注ぎながら、こともなげに言う。 ﹁そうなのか?﹂ ﹁ええ﹂ 長い睫毛が伏せられる。 ﹁そういうの、カマキリだけでなくて?﹂ ﹁蜘蛛にもけっこういますね﹂ なるほど。本当の本気でそうだったのか。錯覚でもなかったわけ か。 ⋮⋮ふむ。 スケルティアの元々のスケルティア種と、いまの種は︱︱なんだ っけ? ハーフ・エレクシスに進化したあと、もう1回2回、進化 しているはずだが。 それらの種は、交尾後に雄を食っちまうのか食わないのか、そう いう性質があるのか、ちょっと確認しておこうかと思ったが︱︱。 ﹁お聞きになりますか?﹂ モーリンは賢者だから、当然、知っている。 だが俺は︱︱。 334 ﹁いや。やめた﹂ 俺はモーリンに、そう言った。 ﹁ちょ︱︱ちょ! 聞いておきましょうよ! ︱︱スケさん? オ リオンのこと、食べちゃだめだからね? めーっ、だからねっ!﹂ ﹁⋮⋮たべないよ? がまん。する。﹂ ﹁あーっ! がまんするとか! いま! ゆったーっ!﹂ ﹁うるさいよ。おまえ﹂ ﹁うるさいとか、ゆわれたーっ!﹂ アレイダは、ほんと、うるさい。 ﹁オリオン! あのね! 貴方の命のことなんだからね! もっと 真剣に真面目に考えてよね!﹂ ﹁俺の命なんだから、どう使おうと俺の勝手だろ?﹂ ﹁勝手って⋮⋮、あのね?﹂ ﹁俺の女になら、食われてやってもいい﹂ ﹁あのね。食べられちゃったら、死んじゃうのよ? さすがに死ん じゃうわよ?﹂ ﹁殺されてやってもいいよ。︱︱俺の女にならな﹂ 俺はスケルティアの頭を手でわしっと掴んだ。髪の下の頭蓋を、 わしっと鷲掴みにして、ぐりんぐりんやる。 スケルティアはうっとりと赤い目を細める。 ﹁もう! スケさんばっかり! ずるい!﹂ 335 なにがズルいのか。おまえも、わっしわっしやってほしいのか? ︱︱ああ。殺されてやってもいいっていうほうか。 俺はすぐに理解して、アレイダに言ってやった。 ﹁おまえも。いつ刺しにきたって、いいからなー﹂ ﹁なんで刺すのよ﹂ ﹁なんか色々恨んでいるだろー。鍛えかたが厳しい! とか、駄馬 語ないしは駄犬語で、よく、ひひんひひん、きゃんきゃん、騒いで るだろ﹂ ﹁いないわよ。駄馬語ってなによ﹂ ﹁人間語でも、よく言ってるじゃないか。〝オリオンのバカ! ぶ っ殺してやる!〟とか。︱︱俺のいないときに﹂ ﹁い、いってないもん﹂ ﹁本当か? 俺の目を見て、もう一度、言ってみるか?﹂ ﹁言ってない! 言ってない! いっ! いいいっ︱︱言ってない よね! ね!? スケさんっ!﹂ ﹁いてるよ?﹂ ﹁うわあぁぁーん! すこしは庇ってよーっ!﹂ ﹁うそ。いくないよ?﹂ ﹁優しいウソのときは、いいのーっ!﹂ うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるさい。 ﹁ではマスター。アレイダは死ぬほどキモチがよくて、スケルティ アとのほうは、死ぬかと思うほどスリリングであるというわけです ね﹂ ﹁ん。そんなところだな﹂ モーリンのほうにカップを差しだして、俺は言う。 しかしコーヒーのおかわりは注がれない。 336 モーリンはポットを手にしたまま、穏やかな微笑みを浮かべるば かり。 ⋮⋮うん? ﹁ではマスター。わたくしとは?﹂ おお。なんか。いま。モーリンのうしろに⋮⋮。 ごごごご、とか、そんな炎のようなオーラが浮かんでいる。 ⋮⋮しっかり見える。 俺は一瞬も怯まず考えず、ただ〝事実〟だけを口にした。 ﹁おまえとは、癒やされる、⋮⋮って感じだな﹂ ﹁癒やされる⋮⋮、ですか?﹂ 賢者でもわからないことがあるのか。 メイドのヘッドドレスを乗せた頭を、五度ほど傾ける。 その仕草が、妙に少女っぽくて︱︱。大人の女で、しかもモーリ ンのような普段クールな女がやると、ギャップ萌え著しいというか ︱︱。 いまちょっとヤバいくらいに押し倒したくなってしまったが、朝 食中なので自粛することにして︱︱。 俺は自重はしないが自粛はすることに決めている。 俺は、重々しく、うなずいた。 337 ﹁そうだ。おまえのときには、攻めてるっていうよりも、癒やされ ている、って感じが強くてな﹂ ﹁そ、そう⋮⋮﹂ ﹁うおお頭おかしいやつとヤってると頭おかしくなるくらいキモチ いぜー︱︱だとか。うおやべえマジこれやべえ。うおお俺生きてる ってスバラしー︱︱だとか。そういうのと違って。なんか人生この ときのためにあったような。⋮⋮そういう感じ?﹂ ﹁そ⋮⋮、そうでございますか。それは⋮⋮、たいへん⋮⋮。よろ しゅうございました﹂ モーリンは自分の髪をしきりに撫でつけている。 俺は空のカップを持ったまま。コーヒー、じぇんじぇん、注いで もらえない。 俺は肩をすくめると、アレイダとスケルティアに顔を向けた。 モーリンの照れてるところなんて、滅多にお目にかかれないぞ。 ︱︱という目を向ける。二人は、ふんふん、と、うなずいて、モー リンに笑顔を向ける。 立木につないであった牝馬が、ヒヒーンと鳴き声をあげた。 いつまでも﹁馬﹂とかでは、かわいそうなので︱︱。このあいだ、 俺が名前をつけてやった。 あの娘の名前はミーティアだ。 なんの変哲もない、どこにでもあるような︱︱。 俺たちの大切な昼食の時間は、穏やかに過ぎていった。 338 山賊さんいらっしゃい ﹁山賊には、手加減するんじゃないぞ﹂ ﹁いいか? 山賊という連中は、とかく面倒くさい相手だからな。 もし万が一出会ったときには、手加減するなよ﹂ ﹁なんかいきなり殺しちゃえ、⋮⋮とか、言われている気がするん ですけど?﹂ とある日の、昼食後の時間︱︱。 屋敷の庭の木の下の、青空教室で、アレイダとスケルティアの二 人に稽古をつけてやっていた。 本日の授業のテーマは、﹁もしも山賊に出会ったら?﹂である。 ちなみに〝屋敷の庭〟というのは、魔法の馬車の中の亜空間のな か。 この空間。どういうわけだか、﹁空﹂がある。表とは別に﹁お天 道様﹂も見えている。 馬車の外が雨でも中は晴れだったり、中は晴れでも馬車の外は曇 りだったり、天気は連動していない。 季節などは特になく、天気の変化を除けば、常に快適な気温湿度 となっている。 どういう仕組みになっているのかは︱︱、しらん。 モーリンなら、喪われた太古の魔法技術をすべて解説できるのだ ろうが、特に興味もないので、聞いたことはない。 ﹁ねえオリオン。本当に殺しちゃってもいいの? 山賊は?﹂ ﹁さんぞく。⋮⋮ころす? ころす?﹂ 339 ﹁いいか? まず前提からいくぞ? ︱︱街で出会うのは盗賊だ。 ︱︱海で出会うのは海賊だ。︱︱では、山で出会う連中は?﹂ ﹁山賊。⋮⋮だよ。﹂ スケルティアに、俺はうなずいてやった。 ﹁そうだ。つまり、山で出会った盗賊である以上、そいつらは、山 賊だ﹂ ﹁なんだか、あたりまえのこと、言われている気がするー﹂ アレイダがぼやく。 デカい尻の下にある丸太の椅子を、いっぺん蹴っ飛ばしてから、 俺は話を続けた。 ﹁山賊が厄介⋮⋮っうか、愉快⋮⋮なところは、人里離れたところ で活動しているせいで、やつらの感覚は、すっかりおかしくなって しまっているということだ。盗賊なら、ギルドがだいたい仕切って る。海賊なら仁義が通用したりもする。場合によっては手を組むの もありかもしれない﹂ 俺は木陰に置いた黒板を前にして、手を後ろに組みながら、行っ たり来たりしながら話した。 アレイダとスケルティアはすっかり生徒の顔。 ふむふむ、とか、うなずいていたりする。 ﹁︱︱特に海賊の場合。頭目は美人であるケースが多いしな﹂ 俺が真面目な顔でそう言うと︱︱アレイダのやつが、ずっこけて いた。 340 丸太の椅子から、見事に転がり落ちている。大袈裟すぎ。 うむ? おかしいな? そんなずっこけるようなことを、話した か? 二週目人生においては、すごく大事なことを言ったはずだが。 ﹁んで。山賊だ。こいつらは金ナイ度胸ナイ女ナイ、の、三ナイだ。 度胸と器量がないから、徒党を組む。土地勘のある山に引きこもっ て一歩も出ないで、通る商人や旅人を襲う。金がナイから仕事ぶり もセコい。そして︱︱。おい、そこでまだずっこけてるアレイダ? もうひとつ〝ナイ〟のは、さて、なんだったかなー?﹂ ﹁ええと⋮⋮、な、なんだっけ?﹂ うちの娘たちのよく聞いているほうが、うちの娘たちのぜんぜん 聞いてないほうに、こしょこしょと耳打ちしてやっている。 ﹁え、えと︱︱、女? ⋮⋮だったっけ?﹂ ﹁そうだ﹂ 俺は重々しくうなずいた。 ﹁山賊に捕まるとなー。悲惨だぞー?﹂ ﹁ど⋮⋮、どうなるの?﹂ ﹁うむ。後ろから前から、責められるな﹂ ﹁ぐえっ﹂ ﹁一対一にして︱︱なんていう贅沢は、聞いてもらえないな。複数 人が群がってくるな﹂ ﹁ぎゃっ﹂ 341 ﹁表から裏から、あるいは両方同時にだとか。遠慮もない﹂ ﹁り、りょうほう? 両方ってなにー!? ︱︱お、おもて? う、 うらっ?﹂ ああそういや。こいつとのセックスはノーマルばかりか。表とか 裏とか両方とか、知らんのかも? ﹁壊れるまでご利用されること請け合いだな﹂ ﹁ううう⋮⋮﹂ ﹁そして最後には、首を絞められたままヤられて、そのまま逝き殺 されたりもする。〝えっひゃっひゃ。おいこれいいぜー!! 首を 絞めるとアソコも締まるぜー!!〟とかお下品な感じで、ようやく、 ご利用を終了してもらえる﹂ ﹁うわぁ⋮⋮﹂ アレイダがビビっているのが面白くて、ついつい、下品な話にな ってしまった。 ﹁⋮⋮おほん。まあそんなことにならないように、だな。おまえた ちには、山賊と出会ったときの心構えを︱︱﹂ ﹁心配してくれてるの?﹂ ﹁ん?﹂ ﹁あたしの、心配してくれてるの?﹂ ﹁ん?﹂ アレイダのやつが。なんか。キラキラした目を向けてくる。 342 ﹁⋮⋮おほん﹂ 俺は咳払いをひとつした。 なにか妙な誤解が生じているらしい。 俺は別に心配などしているわけではなく︱︱。 うん。そう。 俺の女がそんな目に遭うことを、俺は到底容認できん。︱︱とい うだけである。 うん。そう。 ﹁おまえの。⋮⋮じゃなくて、おまえたちの、だからな。⋮⋮おい。 スケ。おまえも、きーてるのか?﹂ ﹁ん。さんぞく。ころすよ。おりおんの。ところ。かえってくるよ。 ﹂ うちの娘たちの健気なほうは、鼻を鳴らして、そんなことを言っ た。 俺はちょっと、じーんと来た。 ﹁じゃあちょっと立て。複数対一の戦いかたを教えてやる﹂ ﹁できるわよ。このあいだ何十人も皆殺しにしたし﹂ 温泉街のときの戦いの話か。 悪徳領主の配下のゴロつきどもを、何十人か倒したっけ。 ﹁おまえらは、二人のチームプレイっつーか、ハメ技に特化しすぎ。 それに慣れすぎ。スケと一緒じゃなくて、一人だったら、どーすん だ?﹂ ﹁普通にやるんだって、できるわよー? 三十人かそのくらいまで 343 なら﹂ うちの娘たちの調子くれてるほうが、そう言った。 ﹁ほほう?﹂ 俺は目を光らせた。 ぱちんと、指を鳴らす。 木の周囲の地面に、土の山が生まれた。土塊は、いくつも無数に 盛り上がっていって︱︱。 それぞれが、手足を持つ ﹁うわぁ⋮⋮、なにこれ?﹂ ﹁土傀儡だ﹂ 俺の、ぱちんと指を鳴らす合図によって、遠くにいるモーリンが、 家事のついでに魔法を唱えただけだが︱︱。 べつに﹁勇者﹂のジョブでも、この魔法は使えるぞ? だいたい なんでもできる、というのが、勇者というジョブの特性なので。 ただ取得にかかるコストがあまり安くはない。せっかく全魔法系 統を修めきっている﹁賢者﹂がいるわけだから、任せることにして いるだけで︱︱。 やっぱ⋮⋮。、こんど、取得するかな。 モーリンと二人でラストダンジョンに行って小一時間も戦えば、 必要なスキルポイントを得るだけレベルアップもするのだろうし。 344 ﹁今日はこれと戦ってもらう﹂ ﹁いいわよ﹂ アレイダが剣を抜く。スケルティアが手を構える。 ﹁ばか。一人ずつだ。なに聞いてんだおまえ﹂ 俺はアレイダの背中にケリを入れた。見事な足形が背中の肌のう えについた。肌と泥のコントラストがちょっとエロティック。 ﹁ちょ︱︱! なんでわたしだけ!? わたしだけ蹴られるの!? スケさんだって構えてたよね! いま構えてたよね!﹂ うちの娘の賑やかなほうは、ほんと、うるちゃい。 アレイダが、ぎゃーぎゃーと騒いでいる間にも、都合、三十体ば かりの土傀儡は、周囲を包囲して、じりじりと包囲を狭めつつあっ た。 こいつらには知性はなく、召喚されると、手近なものを襲いはじ める。命令を与えその者だけを襲わせることもできる。 ﹁まず。おまえからだ﹂ 俺は指を差した。 標的ポインタを、アレイダに固定しようとしたとき︱︱。 ︱︱ひひ∼ん! ﹁ん? ミーティアか?﹂ ﹁え? なに? ミー⋮⋮?﹂ 345 ﹁ああ。馬の名前な﹂ このあいだつけてやった。うちの馬車牽き牝馬の名前だ。女の子 らしい、いい名前だと思う。 ﹁なにそれ! わたしカクさんとか呼ばれてて! なんで馬に! そんなちゃんとした名前つけてるの! ひどくない!? ねえ! ひどくない!?﹂ うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるちゃい。 ﹁外でなんかあったみたいだな﹂ 命令を与えなかった土傀儡が、二、三体、ふらふらと近づいてく る。適当に殴って爆散させる。 ちなみに高レベル勇者のパンチだから爆散するのであって、レベ ル1の戦士とかだと、一対一でも勝てるかどうか怪しい。土傀儡は そのくらいの強さがある。山賊と同等ということで、選んだわけで あるからして︱︱。 ﹁︱︱ちょっと訓練中止な。見に行ってみるか﹂ ◇ 俺たちは、馬車を出た。 そこにいたのは︱︱。 ﹁あれ? この人たち、なに? 大勢で⋮⋮?﹂ 346 ぽかんと言っているアレイダに、俺は頭を抱えたくなった。おま えはさっきの女業でなにを聞いていた? 大勢の男たちが馬車の周りにいた。 あまりいい服は着ていない。服装はまちまち。全員、なにがしか の武器を携行しているが、その武器は、山刀や狩猟ナイフといった ものの範疇を大きく逸脱している。戦闘用か人体破壊用って感じ。 ﹁お⋮⋮? おまえら、いったい⋮⋮、どこから⋮⋮?﹂ 男たちのうちの一人が、そう言った。 馬車の中は亜空間へと繋がっているが、それは、所有者である俺 が登録した者にとっての話。招かれざる者にとっては、本当に単な る馬車にしか見えない。幌の中をのぞいても、がらんとしてなにも ない内側が見えるばかりだ。 すでに覗いて、誰もいないいことを確認したのだろう。 放置された馬車だと思ったのだろう。 そして盗んで売り払おうとでも思ったのだろう。 別の男が馬の近くにいた。 ﹁いい馬じゃねえか∼。馬車はゴミだが、この馬は高く売れそうだ ぜ∼﹂ ﹁汚い手でさわるな﹂ 牝馬︱︱ミーティアの尻を、男が薄汚い手で撫でまわしていた。 俺は長剣を抜くと︱︱。 その手を、すぱんと切断した。 347 肘から先が、くるくると回転して地面に落ちる。 腕を切り落とされた男は、うおー、とか、ぎゃー、とか、腕が腕 がっ俺の腕がっ、とか、地面を転げ回って騒いでいるが︱︱。 俺の関心は、もっぱらミーティアの怯えをなだめてやることに向 かっていた。 ﹁よしよし。︱︱よく我慢したな。よく知らせてきたな。もう安心 しろ﹂ ﹁ちょ︱︱! ちょ! ちょちょ! なにやってんの! なんでい きなり人様の腕! 腕っ! 腕えっ! ︱︱斬り落としちゃってん のっ!!﹂ アレイダが騒ぐ。 ﹁腕がっ! 俺の腕があぁぁ︱︱!!﹂ 男はもっと騒ぐ。 ﹁あーもう! うるさい! いま話してんの! 静かにして!!﹂ アレイダに一喝されて、男は︱︱。 ナミダをこらえて口をつぐんだ。先のない腕を抱えてごろんごろ ん。仲間たちはひどいもんで、止血もしてやろうとしない。 まあこいつらの団体制というのは、こんなんもん。徒党を組んで いるというだけで仲間意識があるのかどうかも、怪しい感じ。 ﹁さっきからなにを騒いでいるんだ? おまえは?﹂ 348 俺は長剣で自分の肩を、とん、とーんと叩きながら、アレイダに 聞いた。 ﹁人様の腕をいきなり斬り落としてんじゃないって言ってんの!!﹂ 美しい赤毛を逆立てる勢いで、アレイダは言う。 指差しているのは、ごろんごろん、無言で転がっている犠牲者そ の1。 ﹁あァ?﹂ 俺はヤクザみたいに聞き返した。 何を言っているのか。何でこいつが怒っているのか。まるでわか らない。 ﹁⋮⋮おまえ。⋮⋮ひょっとして? ⋮⋮わかってない?﹂ ﹁なにをよ!! まったく!! ︱︱ひどいやつ、ひどい男だって、 そう思ってたけど! いきなり人の腕斬っちゃうとか! そこまで とは思っていなかったわ!!﹂ あー、やっぱりー。 うちの娘のうちの賢いほうに目を向けると︱︱。両手を水平に伸 ばしたポーズが返ってきた。 うちの娘のうちの働き者の、大きな尻に目を向けると︱︱。ひひ ひん、と、いななきが返ってきた。 ﹁さっき授業でやったばかりだろ? ⋮⋮街で出会うのは盗賊。海 で出会うのは海賊。⋮⋮では? 山で出会うのは?﹂ 349 ﹁山賊よ﹂ よくくびれた腰に手をあてて、アレイダは、〝いばりんぼ〟のポ ーズで言った。 ﹁じゃ、こいつらは?﹂ 俺は、周囲の連中を顎で示した。 もうすっかり武器を抜いて、身構えている。目をギラつかせてい る。 ちょっと露出度の高い格好のアレイダの肉体を見て、ものすご∼ く、目をギラつかせている。 こんな山奥を根城にしている連中が、いったい何日、女抜きでや っているのか⋮⋮。考えたくもないし、想像もしたくない。 ﹁こいつらは? なんだ?﹂ 俺はアレイダに、もう一度聞いた。 ﹁⋮⋮えっ? え、ええと⋮⋮、さ、山賊っ?﹂ ﹁あたーり﹂ そう正解と認めたのは、俺じゃない。 周囲を取り巻く男たちの一人が、べろお∼りと、曲刀︻曲刀:シ ミター︼を舐めている。 舌が切れているが、おかまいなし。 アレイダの身体を舐め回すように視姦して、ぐへへ、と笑った。 ヨダレを垂らしてる。 350 俺は、ぱんぱん︱︱と、手を打ち合わせた。 ﹁じゃ。授業のつづきな﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁最初は、アレイダ︱︱おまえからな﹂ ﹁へっ?﹂ 間抜け顔を晒して、自分の顔を指差しているアレイダに、俺はそ う言った。 同じように自分の顔を指差しているスケルティアには、﹁おまえ はまた次な﹂と言ってやる。 ﹁どうせなら、土傀儡じゃなくて、〝本物〟︱︱のほうが、練習に なるだろ﹂ ﹁えっ? あっ? ええと⋮⋮、本物って? えっえっ?﹂ うちの娘たちの頭の回転の悪いほうは、いっこうに飲みこみが悪 い。 スケルティアなど、自分の番じゃないことに、ぷうと頬を膨らま せている。おっ。めずらしく無表情少女が感情を表している。そう か。そんなに殺りたかったかー。 だが今回はアレイダの番だしな。 ﹁山賊に捕まると︱︱特にお前みたいな、若くて美人で〝具合〟の 良さそうな女が捕まると、どうなるんだったかな?﹂ 俺は教師か教授か、という口調で、学術的にそう聞いた。 ﹁やめて⋮⋮、その⋮⋮〝具合〟とかってゆーの⋮⋮﹂ 351 ﹁山賊に捕まると?﹂ ﹁えっと⋮⋮、あのっ⋮⋮、う、うしろから⋮⋮、まえから⋮⋮だ ったっけ?﹂ アレイダが耳まで真っ赤にさせながら、そう言った。 ヒャーッヒャッヒャッ! 近くの男が奇声を張りあげる。﹁その通りだぜー!﹂とかいう顔 で、動物みたいに騒ぐ。 ﹁︱︱ちょっと静かにしてて!!﹂ アレイダが顔を向けずに腕を横に突きだすと、下品な男は、交通 事故みたいな勢いで吹き飛んでいった。 マスターレベルのすこし手前の、高レベルのクロウナイトだ。岩 ぐらいは素手だってカチ割れる。 男は︱︱あれはたぶん、永久に静かになった。 ﹁あ、あと⋮⋮、表から⋮⋮、裏から⋮⋮、って! だから裏って なんなのよ!﹂ ぎぬろ、と、男たちを睨んだ。 ﹁大人数で、壊さゃちゃうまでご利用だとか⋮⋮、冗談じゃないわ っ!﹂ 燃える瞳を、男たちに向ける。 男たちは、手をかざして、首を左右に振りたくって︱︱。 352 やらないやらない、しないしない、とか、必死になってサインを 送っているが、このモードに入ったアレイダは、人の話なんか、聞 きゃしない。 そういえばクロウナイトのジョブ特性に﹁狂気を力に変える﹂っ ていうのがあったっけなー。そこからさらに闇落ちしていってファ ナティック・ナイトに進む道と、暗黒面への誘惑を昇華させて聖な る力を振るうクルセイダーとに分岐するんだっけなー。 ﹁絶対、させない。絶対、やらせない⋮⋮﹂ アレイダは据わった目になって、そう言った。 ﹁わたしに⋮⋮、そういうことしていいのは⋮⋮っ! オリオンだ けなんだからーっ!!﹂ これには俺がちょっと赤くなってしまった。 ◇ アレイダは、全員、ぶっ殺した。 三十数名。迷うことなく大虐殺。 土傀儡でやる実戦よりも貴重で有意義な、﹁本物で行う練習﹂が 積めた。 うむ。よきかな、よきかな。 峠を一つ下っていって、山の向こう側の国に降りてみれば、やは りやつらは山賊だったらしく︱︱。若干の報奨金が手に入った。ア レイダがすんごい顔して﹁いらない﹂とかゆーので、俺がありがた く、懐へとしまった。 353 口説き文句の練習 ﹁好きって言えよ﹂ ﹁好きって、言えよ﹂ 廊下の壁に、ドンと手をつく。 アレイダのやつの逃げ場を、まず封じておいて︱︱。 息が掛かるほどの距離から、殺し文句を囁いた。 ﹁な、な、な、なっ︱︱なにっ! な、なんなのっ⋮⋮!?﹂ アレイダのやつは、めっちゃ、動揺してる。 これで平静を装っているつもりなんだろう。しかしぜんぜんだ。 最近、こいつのポンコツ具合が、カワイイと思えるようになって きた。 やべえ。ちょっとムラムラしてきた。このまま壁に押さえつけて 犯したくなってきた。 だが〝そういうつもり〟ではじめたことではないので︱︱。ここ は自粛することにする。 俺は、また囁いた。 ﹁カワイイな、おまえ﹂ ﹁なっ︱︱! なにっ? い、いつもはゼッタイそんなこと言わな いのに? ⋮⋮へんよ? オリオン?﹂ ありゃ? 真顔になりやがった。 失礼なやつだな。 俺が口説き文句を言うのは、そんなにおかしいか? 354 そりゃ、おまえなんかを口説いたりはしないが。街の女なら普通 に口説く。 これはそのための〝練習〟だった。 身近にいる俺の女のうちで、こいつがいちばんチョロい。 モーリンは、あれは、だめだ。ハイレベルすぎる。 あれを赤面させるとか、落とすとか、人類にはちょっと荷が重す ぎる。元勇者にとっても、だいぶ難しい。 たまになんらかの偶然で、俺の行動が彼女のツボに決まったとき、 照れ顔の一つくらい見せるのだが⋮⋮。モーリンのツボは、どうも よくわからない。狙って突くのは、限りなく無理ゲー。 そしてスケルティアはといえば︱︱。 無口無表情を絵に描いたような娘で︱︱。感性が人と若干違う。 種族的にも、ハーフなんちゃらスパイダーなので、どっちかってい うと、虫寄り、昆虫寄り、蜘蛛寄り。 そこがまたいいんだが⋮⋮。人とは違うスリリングなセックスを 味わうことができるわけだが。 ラブ・アンド・ピースの世界の精霊と、セックス・アンド・ダイ の蜘蛛少女と、そんな二人と比べれば、引きニート駄犬の、ポンコ ツ美少女のほうが、まだ一般人に近いわけで︱︱。 だから﹁口説き﹂の練習台として、アレイダを選んだわけだった。 前の街で温泉宿のマダムを口説いたとき︱︱。 自己採点の点数は、満足のいくものではなかった。 そこに関して、若干の経験値の不足は認めなければならないだろ 355 う。 前々世のときには、なにしろ多忙な勇者人生だった。街の少女や 女性たちには﹁勇者様ーっ♡﹂と、モテモテだったが、実際には女 性とはまるで無縁の人生だった。 パーティ内には美少女も美女もいたが、最も身近かつ想いを寄せ ていたモーリンにさえ手を出すこともできなかった。 そして前世においては、ブラックバイトとブラック企業に磨り潰 されてゆくだけの毎日。やっぱりこちらでも、そちら方面の経験値 はあまり積めていない。 ︱︱てなわけで。 さっそく、アレイダで経験を積むことにする。 ﹁ねえ? オリオンってば⋮⋮? 今日、なんか変よ?﹂ ﹁俺が変なのだとしたら、それはおまえのせいだな﹂ ﹁う、うえっ? わ、わたしの⋮⋮?﹂ アレイダはまばたきを繰り返している。 いまのセリフ。自己採点だと50点を切ってたんだが⋮⋮。 アレイダの反応を見る限り、かなり〝アリ〟だったらしい。 ああ。なるほど。 現代世界では〝物語〟が発達しているから、定番セリフが鼻につ いたりするわけだが⋮⋮。 この異世界では物語はあまり普及していない。テレビもラジオも、 当然、ネットも存在しない。 演劇だか、オペラだか、そんなものならあるらしい。観に行った 356 ことはないが。 演目の一番人気は﹁勇者﹂の活躍の物語らしい。絶対、観に行か ねー。 小説や漫画みたいなものは、あるのかどうかわからない。アレイ ダぐらいの年頃の女の子が読んでいるのを見たことはないので、た ぶん、ないのだろう。 あったとしても、ひどくマイナーなのだろう。 勇者が魔王を倒して平和になったとはいえ︱︱。 この世界は、日々、刺激に満ちあふれている。 人が死んだりモンスターが暴れたり人が食われたり、そのモンス ターが討伐されたり、日々、生きるか死ぬかで、割合と忙しい。 物語などに耽って〝暇つぶし〟をしなければ、退屈で死んでしま う︱︱なんていう裕福かつ恵まれた環境にいる人間は、そう多くは ないということだ。 ということで︱︱。俺は︱︱。 バンバン、歯の浮くようなセリフを並べ立てることにした。 ﹁おまえの瞳のなかに星が見える﹂ ﹁え? ええっ⋮⋮、ほ、星って⋮⋮、そんなぁ﹂ ﹁おまえは俺の太陽だ﹂ ﹁え? やっ⋮⋮、あのっ⋮⋮、そ、そんなこと言われてもっ﹂ ちょろい。ちょろすぎる。 俺はつづけて、チョロ駄犬に囁いた。 ﹁おまえ。綺麗になったな﹂ ﹁え? ええぇ⋮⋮っ?﹂ 357 ﹁俺のところに最初に来たときより、ずっと綺麗になった﹂ ﹁そ︱︱それは言わないでぇ。あ、あのときは⋮⋮、だって⋮⋮、 ずっと檻に閉じ込められていて⋮⋮、汚れていたからっ⋮⋮﹂ ん? ああ。そっちの意味で誤解したわけか。 たしかに奴隷として売られていたこいつを買ったときには、すっ げー、汚かったっけなー。 ﹁そういう意味で言ったんじゃないんだが﹂ 俺は笑いながら、アレイダの赤い髪に手で触れた。 あのときは、触るの嫌だったけどー。 いまはぜんぜん、むしろどんどん触りたい感じー。 髪を撫でられているだけなのに、アレイダは目をつむって身を震 わせている。 ﹁ふわん﹂ そのうちに、こらえきれなくなったのか、声を洩らす。 色っぽい声出すなよ。屋敷の廊下だが、襲いかかりたくなるじゃ ないか。 だが〝そういうつもり〟ではじめたことではないので︱︱。ここ は自粛することにする。 触れていると前戲になってきてしまうので、俺は名残惜しかった が、髪から手を離した。 壁に︱︱ドンと、その手を突いて、頬の両側を押さえこんで、逃 358 げられないようにする。 あくまで、言葉だけで攻めてゆく。本日のお題はそれだ。 ﹁ばかだな。綺麗になったっていうのは、魅力って意味だ。おまえ の積み重ねてきたことが、自信となって︱︱それが〝魅力〟として 外に出てるって言ってるんだ﹂ ﹁えっと⋮⋮、あのっ、そのっ⋮⋮、それってつまり⋮⋮、褒めて くれてるっ?﹂ ﹁ああ。綺麗だぜ﹂ ﹁ふわわぁ∼⋮⋮﹂ アレイダのやつは、なんか変な声をあげた。 感嘆の声なのやら、イッちゃってる声なのやら。 しっかし⋮⋮。 チョロい。ほんとチョロい。 ﹁おまえ。チョロいな﹂ やべ。口に出ちまった。 ミス。ミス。 うっかり。うっかり。 ﹁ちょ︱︱! なによ、それ!?﹂ 途端に目つきが鋭くなる。 あはは。俺はほんとはこっちの目のほうが好きなんだけど。駄犬 チョロインの、とろけきった乙女の目より、いまにも噛みついてき そうな野性の目のほうが︱︱。 359 いまは口説き文句の実践練習だ。すぐにリカバリーしないとなー。 ﹁自分のキモチに素直になれよ。︱︱期待してんだろ? 可愛がっ てやらねえぞ?﹂ ﹁期待なんて︱︱﹂ ﹁してないっていうのか?﹂ 俺は顔をぐいっと近づけて、凄んでみせる。 こいつが、俺に、惚れているということを︱︱俺は1ミリも疑っ ていなかった。 単なる事実として受け止めていた。 そして同時に、こいつは俺に、﹁そのこと﹂がバレていないと思 っている。 まったく、可愛いものであった。 股まで開いておいて、好きじゃないとか︱︱そっちのほうが、む しろ驚きだ。 娼婦だって相手を愛する。︱︱一時だけは。 ﹁⋮⋮や﹂ ﹁や?﹂ ﹁やさしく⋮⋮、してくれるの? 素直に⋮⋮、なったら?﹂ ﹁ああ。おまえが可愛い女でいればな﹂ チョロい。ほんと。チョロい。 ﹁俺に甘えろよ。⋮⋮甘えたいんだろ?﹂ ﹁あ⋮⋮、う⋮⋮﹂ 360 いやいやでもするように、アレイダは首を左右に振る。 いったいなにを抵抗してんだか。さっさと楽になっちまえよ。 ﹁か⋮⋮、かわいい⋮⋮ほうは、自信ないけど。でも素直になるほ うだったら⋮⋮﹂ ﹁なるほうなら?﹂ 俺は、ここを先途と、踏みこんだ。 ﹁が、がんばるっ⋮⋮﹂ ﹁ぷっ⋮⋮﹂ 俺は、たまらず、吹きだした。 素直になることを﹁頑張る﹂なのか。そこまでか。それほどか。 どこまで強情で、どこまで意地っ張りなんだか⋮⋮。 ﹁くっくっく⋮⋮。あーっはっは!﹂ ﹁ちょ⋮⋮、な、なによ? なに笑っているの? ⋮⋮わたし、な んか、だめだった?﹂ 俺はこのへんで実践練習を終えることにした。 ﹁これな。〝好きって言えよ〟︱︱ゲームな﹂ ﹁はぁ?﹂ ﹁口説く練習。おまえでやってたわけ﹂ ﹁ええと?﹂ アレイダは、まだわかっていないというカオ。 361 ﹁おまえに好き好きって言わせたら、勝ち。⋮⋮だけど。⋮⋮はは ははっ! おまえには無理だ。頑張んなくていーぞ。はっはっは!﹂ 俺は笑った。膝をバシバシ叩いてウケていた。 ﹁あの⋮⋮えっと、確認するけど。つまり、わたし⋮⋮。からかわ れていた⋮⋮って、そういうこと?﹂ 俺はヒーヒー笑っていて、答えられる状況になかった。 ﹁じゃあ⋮⋮、つまり⋮⋮、さっき言ったこと⋮⋮、みんなウソ⋮ ⋮って、そういうこと? かわいい、だとか⋮⋮、きれい、だとか ⋮⋮﹂ アレイダの髪がざわざわと騒いでいる。殺気が洩れだしている。 そこについてはウソはない。 こいつはかわいいし、綺麗だ。︱︱野性的な意味において。 いまにも俺をぶっ殺そうというぐらいの気迫が満ちてゆく。 目が爛々と輝きを放っているように見える。︵心象風景的に︶ やべえ。欲情した。 このアタマおかしい女とのセックスは、めちゃくちゃ気持ちいい ことを、俺は思い返していた。野性の雌との交尾は、鋭い快楽で、 最高にいいのだ。 ﹁ぶっ殺︱︱!?﹂ 殴りかかってきたアレイダのパンチを、俺はひょいと避けた。 362 そしてアレイダを〝お姫様だっこ〟で抱えあげる。 ﹁︱︱って! ちょ! きゃっ! な︱︱なにっ!? おろして!﹂ ﹁だが断る﹂ 俺はそう言った。 そしてそのままアレイダを〝寝室〟へと運んでいった。 ﹁ちょ︱︱! なに!? なんなのっ!﹂ ごちゃごちゃとうるさい俺の女を、そのまま、ぽーんとベッドに 放りだして︱︱。 ◇ このあと、滅茶苦茶セックスした。 好き好き好き︱︱と、うわごとで、何度も泣き叫ばせてやった。 363 ブルマ ﹁これ⋮⋮、ちょっと恥ずいんだけど﹂ ﹁ブルマだ﹂ 穏やかな昼食の風景。 ずっと押し黙っていた俺は、腕をほどくと、開口一番、そう宣言 した。 ﹁はい?﹂ ﹁???﹂ ﹁ぶるま、でございますか﹂ 三者三様の反応が返ってくる。 ﹁うむ﹂ 俺は重々しく、うなずいて返した。 ﹁ブルマってなによ? わけわかんないわよ﹂ ﹁おりおん。すき?﹂ ﹁ああ。好きだ。熟考の末に辿りついたわけだが、俺はだいぶ、ブ ルマが好きなようだ。最近、なにか足りないなと思っていたのだが ⋮⋮。そうだ。ブルマだ。ブルマ成分だ﹂ ﹁だからブルマってなんなのよ?﹂ ﹁それ。たべるもの?﹂ ﹁はっはっは。スケ。おまえは食うことばかりだなぁ。残念ながら ハズレだ﹂ ﹁⋮⋮じゃあ? なに?﹂ 364 うちの娘の殊勝なほうは、小首を傾げる。真剣に考える顔つきを する。 ﹁なんであたしには答えてくんないの!?﹂ ﹁メンタル弱いなおまえ。放置プレイ数秒で、もう半ベソか﹂ ﹁は︱︱半ベソなんてかいてないもん!﹂ うちの娘のメンタル弱いほうは、手の甲で目元を擦る。かいてん じゃん。 二人と会話しているあいだ、モーリンはずっと、中空を見上げる ような仕草をしていた。 ﹁衣類︱︱の一種、とのことですね﹂ 正解だが⋮⋮。 ﹁おまえ。いつも疑問なんだが。⋮⋮それは、いったい、なんなん だ?﹂ ﹁なんでしょう?﹂ ﹁そのどこかを見てる仕草だが﹂ ﹁おや。見ていましたか﹂ 意識外の動作がモーリンにもあったとは。ちょっと驚きだ。 ﹁マスターの元いた世界に、わたくしと似た者がおります。そこへ 問い合わせております﹂ ﹁ほー﹂ ﹁元いた世界って?﹂ 365 ﹁似た者って、なんだ?﹂ アレイダがなにか言っていたが、無視だ。 べつに隠すことでもないのだが、うちの娘の頭の悪いほうに理解 させるのは、大変そうだ。 ﹁平行世界における同一存在⋮⋮、で、マスターは、おわかりにな られます?﹂ ﹁ああ﹂ なるほど。そういったものか。 じゃあ向こうのモーリンも、世界の守護者かなにかなわけだな。 完璧超人なのだな。 ﹁わかんないわよ!﹂ ﹁まあ親戚みたいなものでしょうか﹂ それはだいぶ違うように思うが⋮⋮。アレイダにわかるようにす るには、そのへんの説明が限度だろう。 ﹁向こうも賢者か?﹂ ﹁いえ。侍従、兼、メイドをやっているようですね﹂ ﹁ほほう﹂ なるほど。それでメイドという概念、およびメイド服が、こちら に輸入されてくるわけか。 ﹁ねえ? なんの話ー?﹂ ﹁いま夕食の支度の最中に答えてくれたわけですけど。︱︱ブルマ とは、向こうの世界における体操服の一種であるのだと﹂ 366 ﹁うむ。そうだ﹂ 俺は重々しくうなずいた。 ﹁だから、なんの話ー? なんの話ーっ? ねえわかるように言っ てよー! のけもの禁止ーっ!﹂ うるせえな。こいつ。 ぴょんぴょん跳ねてアピールしているアレイダに、俺は言ってや ることにした。 ﹁その体操服をおまえに着せようって話だ﹂ ﹁うえっ!?﹂ ﹁なんだよ? 嫌なのか?﹂ ﹁いや、まあ⋮⋮、体操服なら⋮⋮、着るけど。⋮⋮でもオリオン が言うんだから、ぜったい、変な服なのよね⋮⋮? えっちいやつ ⋮⋮とか?﹂ ﹁普通の女学生の服だぞ﹂ ﹁じょがくせい? ⋮⋮って、なに?﹂ そういえば、この世界には﹁学校﹂ってないんだっけ。 ないこともなく、あることはあるのだが、王族だの貴族だの金持 ちだのが通うものと相場が決まっている。庶民の子供は学校なんて 通わない。 ﹁ああそうだ。モーリン﹂ ﹁なんでしょう﹂ ﹁どうせなら、〝スク水〟も問い合わせておいてくれ。ブルマがあ ってスク水がないというのは、それは、片手落ちというものだ﹂ 367 俺はそう言った。断言した。断定した。 ﹁すくみず、ですね﹂ ﹁またなにか禍々しい響きの名前の服がーっ!?﹂ アレイダが騒いでいる。 ほんと。うるさいな。こいつ。 ﹁⋮⋮。旧式と新式、どちらになさいますか? ⋮⋮と、質問が戻 ってきましたが﹂ ぬう。 なんかしらんが、向こうのモーリンは達人だなっ。 そこに着目するかよ。 ﹁無論。旧式だ﹂ 俺は、重々しく答えた。 他にない。 事実上。選択肢など存在しない。 ﹁⋮⋮﹂ モーリンはしばらく中空を見上げていた。 表情の停止したその顔が、なんだかちょっと怖い。 ﹁⋮⋮。はい。デザイン。いただきました。これなら割とすぐに作 れそうですね。そんなに凝ったものでもないですし﹂ 368 戻ってきたモーリンは、自分のメイド服を、ぴっと引っぱりなが らそう言った。 ◇ ﹁早い⋮⋮、すごい⋮⋮﹂ モーリンが縫う。縫う。縫う。 ミシンよりも早く正確に手で縫っている。 しまいには2本の針を、左右それぞれの手に持って、布の裏と表、 両側から縫いはじめる。 布は空中に浮かんだまま。 あまりの早業に、落下することさえ許されずにいる。 紺色の布地が、カットされ縫われ、あっという間に仕上げられて ゆく。 そしてこちらは上着か。白い布のほうも、あっという間に形を整 えられてゆく。 ﹁はい。できあがりです﹂ 何着かの女学生用体操着が、ぽん、と置かれる。 ﹁同じ素材はこちらにはありませんので⋮⋮。ナイロン? でした か。それと似た感触の生地で代用してありますが。⋮⋮いかがです か?﹂ ﹁うむ。完璧だ﹂ ﹁恐れ入ります﹂ 369 ブルマーと対となる白い上着もセットになっていた。 その胸のところには、名札も縫い付けられていて︱︱そこには﹁ あれいだ﹂と﹁すけるてぃあ﹂と、名前まで書かれていた。 しかも〝ひらがな〟で。 これもきっと向こうのモーリンの仕業だな。 うむぅ⋮⋮。わかっていらっしゃる。 ﹁アレイダ。おまえ。トシいくつだったっけ?﹂ 俺はうちの娘のトウの立っているほうに、そう聞いた。 ﹁な︱︱? なによ? なんでそんなこと⋮⋮﹂ ﹁答えろ﹂ ﹁じ⋮⋮、十八よ。あなたの1コ上⋮⋮、なんだからねっ?﹂ ﹁ギリだな﹂ ﹁な、なによギリって⋮⋮? なにがギリなのよ? ねえちょっと ?﹂ もう一個上なら、ナンチャッテ女子高生になるところだが⋮⋮。 18歳なら、現役でも三年生であれば、あり得る年齢だし⋮⋮。 ﹁スケ。おまえは幾つだ?﹂ こんどはうちの娘の若いほうに、そう聞いた。 ﹁⋮⋮?﹂ ﹁トシ。年齢。生まれてから巡っていった季節の数な﹂ こちらの世界の一日と一年の長さは、向こうの世界と大差ない。 370 日の出と日没、季節の移り変わりで時間を計る風習は同じだ。人 が人である以上、そういうところは変わらない。 スケルティアは、指折を折りながら数えていって⋮⋮。 ﹁冬⋮⋮。15回⋮⋮。きたよ?﹂ ﹁そうか。じゃあ15歳くらいだな﹂ ﹁スケ。⋮⋮は。15さい?﹂ ﹁ああそうだ。15歳だな﹂ 俺がうなずいてやると、スケルティアのやつは、にこっと嬉しそ うに微笑を浮かべた。 お。笑うようになったんだ。 ﹁へー。スケさん。15歳だったんだー。ちょっと年下だったのね ー。カワイー﹂ 俺は思わず吹き出しそうになった。女学生ってのは、こっちも向 こうも変わらないもんだな。向こうの女学生も、なんでも﹁カワイ ー﹂と言ったりする。 ﹁こっちもギリか﹂ ﹁だからなによ? ギリって?﹂ 15歳なら高1でもあり得る年齢だ。 おや? よくよく考えてみれば、これは条例違反じゃないか? 異世界に条例は関係ないがなっ!! はっはっはーッ!! ﹁よし。おまえら。着ろ。〝なんちゃって〟︱︱ではないから。モ ノホンでセーフだから﹂ 371 ﹁あいかわらず、なに言ってるのかわからないけど⋮⋮。あたした ち、着ること、もう確定してんの? それって?﹂ ﹁当然だ﹂ 俺は言った。なにを言っちょる。着せるために作らせたんだろう が。 ﹁たとえば拒否したら? ⋮⋮どうなるの?﹂ ﹁抱いてやらん﹂ ﹁⋮⋮っ!?﹂ なんか、すっごい目つきで、アレイダのやつは睨んできた。 俺は素知らぬ顔でそっぽを向いていた。心臓の弱いやつならショ ック死確実の眼光を首筋の皮膚で受け止める。 さーて、折れるのか。それとも突っぱるのか。 アレイダがどっちを選択するか。 これは俺の問題ではなくてアレイダの問題だ。 ﹁⋮⋮き、着るわよ。⋮⋮着ればいいんでしょ?﹂ 折れた。あっさり折れた。 やっぱこいつはチョロかった。チョロインだ。 ﹁なんだ。そんなに俺に抱かれたいのか﹂ ﹁むこう向いてろ!﹂ う 服が投げつけられてくる。 あっはっは。愛いやつめ。 372 ◇ ﹁お⋮⋮、終わったけど⋮⋮﹂ モーリンがミシンのように﹁スク水﹂を縫いあげている。 その脇で、試着会が執り行われていた。 ﹁どれ⋮⋮﹂ 背中を向けていた俺は、くるりと振り返って、二人の姿を見た。 ﹁おおっ﹂ 思わず、声を洩らした。 そのぐらい、いーかんじ! ︱︱であった。 まずアレイダのやつ。 ほどよい太さの健康的な脚が、ブルマによって、より強調されて いる。 そして、なにを恥ずかしがっちょるのか、上着の裾を、ぐい∼ん と伸ばして、太股まで隠そうとしている。 だが隠しきれずに、紺色がチラりと覗いていて︱︱。 無理に隠そうとしているところが、かえってエロい。 ﹁なんで⋮⋮、こんな⋮⋮、下着姿で⋮⋮﹂ ﹁それは下着じゃないぞ﹂ 373 勘違いしているアレイダに、俺は言ってやった。 ﹁うそばっか!﹂ ﹁いやウソじゃない。︱︱なぁ? モーリン?﹂ ﹁ええ。森が言うには。それは体操着でしたと﹂ ﹁森?﹂ ﹁ああ。はい。向こうの管理者の固有名ですね﹂ 向こうのモーリンは、森さんというらしい。 ﹁でした? ⋮⋮って、なに? なんなの? なんで過去形? え っとそれは⋮⋮、どういう意味で?﹂ アレイダが怖々と聞いている。アレイダがどーでもいい細かなこ とを聞いている。怖々と聞いている。 ﹁昔は女学生の体操着でしたが。現在では使われていないようです﹂ ﹁なんで?﹂ ﹁諸説あるようですが。男性が性的な見るからという説が、主に有 力で︱︱﹂ ﹁やっぱりーっ!!﹂ アレイダが騒ぐ。 ﹁見てる! 見てる! オリオン!! ほら見てる! ほら! ス ケさん! あれが性的な目だからねっ!!﹂ うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるさい。 対して、うちの娘の従順なほうは︱︱。 374 ﹁こう? ⋮⋮こっち? それとも⋮⋮。これ?﹂ 俺の目の前で色々とポーズを取っている。 上着の裾をブルマから出している派のアレイダと違い、こちらは、 中にしまう派。 俺的にはどちらもアリだった。ブルマに貴賤なしである。 俺が思った通り、スケルティアもまた、ブルマが非常に似合って いた。 ブルマと白い体操着という服装は、スレンダーな娘にも、発育の 良い娘にも、どちらにも似合う。完全無欠なものなのだ。 ﹁いいぞー、いいぞー﹂ 俺は顔を緩めて、そう言った。 いい。すごく。いい。 ﹁性的。な。目。⋮⋮もっとする?﹂ スケルティアは俺の求めに従って、次々とポーズを変えていった。 ポーズだけはひどく媚びたものだが、表情のほうは、いつもの無 表情。 そのギャップがいい。萌える。そして燃える。今夜はすごく燃え そう。 ﹁ちょ! ちょーっ!! なんでスケさんばかり見てるの! あた ︱︱あたしだって! 着てるんだから! 恥ずかしいの我慢してき てるんだからーっ!!﹂ 375 ﹁おまえ、見て欲しくないのか、見て欲しいのか、どっちなんだ?﹂ うちの娘のメンドウクサイほうに、俺は言ってやった。 ﹁ううっ⋮⋮、見て⋮⋮、ください⋮⋮﹂ ったく。はじめから、そう言え。 俺はアレイダの希望にしたがって︱︱。 顔を近づけてガン見にかかった。 股間を見る。胸の膨らみを見る。 ブルマと太股の境目を見る。肉にわずかに食いこむブルマの縁の 部分を、特によく見る。 後ろに回ってお尻を見る。上着とブルマの間にわずかに覗く一セ ンチに満たない領域を見る。しょっちゅう見ている肌が、まるで別 物のようではないか。 ﹁やっ⋮⋮、あのちょっ⋮⋮﹂ ﹁手が邪魔。手は肩より上﹂ 俺は厳しく叱りつけた。 すぐに手が下りてきて、服の裾を掴んで引っぱり伸ばそうとする のだ。 あっはっは。それもまたいいんだがなーっ。 ﹁あの⋮⋮、あんまり⋮⋮、見ないで⋮⋮っ﹂ なんでこいつはこんなに恥じらうのか。ベッドの中ではどこもか しこも見せているのに。俺が見ていないところ。手で触れていない 376 ところ。口をつけていないところ。︱︱は、どこにもないと、そう 言い切れるほどなのに。 ﹁おい。隠すな。臍見せろ。臍﹂ ﹁お? お臍おぉ!?﹂ 素っ頓狂な声をあげる。 ﹁え? ちょっとオリオン? それは変でしょ?﹂ 素に返った声でアレイダが言う。 なんだと? 貴様? 俺のフェチ道に意義を申し立てるか。よう し全面戦争だ。当方に迎撃の用意ありだ。 ︱︱と、そんな馬鹿なことを考えていた俺は、ふと、気がついた。 気がついてしまった。 名札のせいでいまいち気づくのが遅れたが⋮⋮。胸の先端付近に、 ぽちっと盛り上がる部分が⋮⋮。 ﹁あれおまえって? ノーブラ?﹂ ﹁え? なに? のー? ぶら? なに? なんなの?﹂ アレイダはわからないみたいだった。 スケルティアは︱︱。こいつは、いらんな。ブラは。 俺はモーリンに顔を向けた。 二人が試着している間も、モーリンはずっと人間ミシンをやって いて︱︱。ちょうど三着のスク水を仕上げ終えるところだ。 377 糸を歯で噛んで切って︱︱それから、俺に顔を向ける。視線を合 わせる。 ﹁こちらの世界にブラはないですよ。コルセットならありますが。 ブラジャーはまだ生まれていませんね。転生者が文化を持ちこもう としてはいるようですけど、定着しているとは言い難いですね﹂ ﹁あれ? でも、おまえたちは、いつも︱︱﹂ 俺はそう言いかけた。 だが︱︱。いつも脱がすときに、皆がブラをしていなかったこと に気がついた。 てっきり、あれは、気を利かせていたのだと思っていた。脱がす 手間を省くために、着けずにいたのだと⋮⋮。 ﹁いや待て? あるじゃないか。ブラジャー。アレイダの鎧のあれ は︱︱﹂ ﹁あれは鎧でしょ。いましているの、下着の話でしょ?﹂ 体操着を着ていても、よくくびれのできる腰に手をあてて、アレ イダが言う。 ﹁なぜビキニアーマーが存在して、ブラジャーがないんだ? おか しいだろう?﹂ ﹁なに言ってるかわからないわよ﹂ おかしい。まったくおかしい。 ﹁ビキニアーマーでしたら。わりとポピュラーなものですね﹂ ﹁よく考えてみれば、なぜ、ビキニなんだ? 防御力的に、あれは 378 どうなんだ?﹂ ﹁あーっ!! 言う!! それあんたが言う!!﹂ アレイダが指を指して糾弾してくる。 ﹁どした? おまえ?﹂ なにいきなりエキサイトしてんの? バカなの? あの日なの? ﹁ダンジョンでフルプレートとかドロップしても、頑として〝だめ だ〟とか言っちゃって、あれしか許さなかった貴方が、それを言う ?﹂ ああ。そうだった。完全に俺の趣味だった。 フルプレート もっとも、あれは強力な防御魔法が掛かっている品だから、あん な諸肌脱いでいたって、魔法なしの全身鎧より、よほど防御力が高 く、実用面でも問題ないわけだが⋮⋮。 女性向けのアーマー類は、強力な魔法の掛かっている品ほど、露 出度が高い傾向がある。そんな気がする。 きっと製作者のなかに、同好の士がいるに違いない。 ﹁この下着みたいなの。もう脱いでもいいわけ?﹂ ﹁脱いでいいぞ﹂ 俺が言うと、アレイダはあからさまに、ほっとした顔になる。 そこに、俺は言葉を加えた。 ﹁つぎはこっちだ。スク水だ。しかも旧タイプだ﹂ 379 アレイダの顔が、あからさまに引き攣った。 ◇ ﹁もう⋮⋮、やーっ!﹂ ﹁こう⋮⋮?﹂ うちの娘のワガママなほうは、文句ばかりいっている。 うちの娘の謙虚なほうは、俺が言うまま、望むままに、魅惑的な ポーズを取っている。セクシーポーズもいくつか会得した。 やはりスク水はいい。とくに旧式はいい。股間のところの三角形 が素晴らしい。じつはあそこ、生地が二重になっているところ、穴 が空いているんだ。開いているんだ。 モーリンの仕事は完璧だから、もちろん、そんなところまですべ て完全に再現されているのだ。 ﹁はふぅ﹂ たっぷりと堪能しきった俺は、ため息を洩らした。 よし堪能したぞ。 ﹁おまえたち。もう今日は休んでいいぞ﹂ 熱中しているあいだに、だいぶ時間が経っていた。いつのまにや ら、もう夜だった。 ﹁え? おわりっ?﹂ 380 アレイダは嬉しそう。 スケルティアは逆にちょっと残念そう。最後のほうでは、楽しく なってきていたのか、表情に妖しいものが混じりはじめていた。無 表情かつ妖艶顔は、股間を直撃してくる色気を持つに至った。 ﹁ほんとっ? ほんとに、もう終わりっ? これ脱いでいいのっ?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁次の衣装︱︱とか、もう言わない? 喜んだあとでイジワルしな い? ぜったい?﹂ まったく。こいつ。俺をなんだと思っているんだ。 ああ。おわりだ。 ︱︱今日はな。 明日もまた、た∼っぷりと、やってもらうがな⋮⋮。 くっくっく。 明日はなにがいいかなー? まず二人ともバニーガールにさせる かなー? うむ。すべてはそこからだなー。 ﹁あ⋮⋮﹂ 喜んで着ているスク水に手をかけた、アレイダのその顔が︱︱固 まっていた。 俺の背後に向けて︱︱。アレイダは、凍り付いた半笑いを顔に貼 りつかせて、石の彫像と化していた。 スケルティアまでもが、ぴく、ぴくと頬を痙攣させている。 381 なんだ⋮⋮!? 俺の背後に⋮⋮!? いったいなにがあるというのだッ!? ﹁あのですね。マスター⋮⋮﹂ モーリンの声が背後で響く。 俺は前を向いたまま、その声を聞いていた。 ﹁じつは衣装はすべて3つ作っておいたのですけど。お気づきにな られておりましたでしょうか。こんなおバアちゃんが、そんな女学 生の服を着るなんて、おかしいかもしれませんし、ぜったい、似合 わないように思うのですけど。マスターに、こんなおバアちゃんの こんな格好をお見せするのは、大変、抵抗があるのですけど⋮⋮。 しかしマスターの命であるなら、致しかたありません。⋮⋮いえ。 隷従の紋を使うまでには及びません。わたくし。⋮⋮自分で着ます。 命令ですから。仕方ありませんね﹂ なんか、異様な長台詞が聞こえてくる。なにかの呪文みたいに響 いている。 モーリンの台詞が止まったので⋮⋮。 俺は、おそるおそる、振り返った。 モーリンが立っていた。 恥ずかしそうに、もじもじ、としている。 モーリンの恥じらい顔という、レア表情ゲットの感動を感じてい る余裕は、俺には、まったくなかった。 モーリンは体操服を着ていた。ブルマ着用だ。アレイダよりもス 382 ケルティアよりも成熟した成人女性の体が、女学生の体操服に包ま れている。 体操服の上衣をきつく押し上げている胸元には、20センチ×1 5センチほどの名札が貼られ、そこには、ひらがなで﹁もーりん﹂ と書かれている。 ヤバイ。ヤバすぎる。⋮⋮これはイカンだろ。けしからん。 なんというか⋮⋮。ギャップがヤバすぎる。 萌えた。 俺は激しく萌えあがってしまった。 ﹁ダーーッ!﹂ 俺は飛びかかっていた。 モーリンだけでなく、アレイダとスケルティアと、〝俺の女〟の 三人に、野獣となって襲いかかった。 ﹁ちょっとちょっとちょっと! オリオンちょっと! 居間でだな んて! やーっ! せ︱︱せめて寝室でえっ!? きゃーっ!?﹂ うるさい。だまれ。これを食らえ。 俺はアレイダをしゃべれなくさせた。 このあと滅茶苦茶セックスした。 383 ブルマ ﹁これ⋮⋮、ちょっと恥ずいんだけど﹂︵後書き︶ ﹁このあと滅茶苦茶セックスした﹂オチ・シリーズ、連続第2弾で す。 元勇者、自重せずに、好き勝手生きておりまーす。 384 おひげをしょりしょり ﹁動かないで、剃ってあげる﹂ ﹁あれ? オリオン? あごのとこ⋮⋮﹂ いつもの昼過ぎ。 俺が屋敷でくつろいでいると、アレイダのやつが通りすがりにそ う言ってきた。 ﹁⋮⋮ん?﹂ アレイダのやつが、足を止めて、見つめてきているのは︱︱俺の あごのあたり。 なんだ? どうした? ﹁あごのとこ。⋮⋮はえてる﹂ なにが? ⋮⋮と、伸ばした俺の手に触れてきたのは、馴染みの ある、ひげの感触。 いや⋮⋮。馴染みはないな。 馴染みがあると思ったのは、前の人生の記憶のほうだった。 そりゃ毎日生えてきて、毎朝、剃っていた。 そういえば、この体に転生してから⋮⋮、しばらくなかったな。 いや⋮⋮。 ﹁はじめてか?﹂ 385 俺は記憶を探る。どうも髭を剃っていた覚えが記憶にない。 ということは、これまで生えていなかったことになる。 ﹁へー。へー。へーっ⋮⋮﹂ アレイダが身を乗り出して、俺に顔を近づけてくる。 ﹁なんだよ?﹂ 顔が近い程度で、俺は、ドギマギなどしないし。 量感のある若々しいおっぱいが目の前で弾む程度のことで、動揺 などするはずもないが︱︱。 なんで目を輝かせてんだ。こいつは。 ﹁面白いのっ。︱︱見せて見せてっ﹂ ﹁べつにかまわんが﹂ アレイダのやつは、俺の膝の上にのっかってくると、間近で近距 離から、しげしげと観察をはじめた。 なにが珍しいのか。⋮⋮ああ。珍しいのか。 そういや女には生えんわな。 ﹁ね? さわってもいい? さわってもいい?﹂ なにこいつ。誘ってんの? この場で襲ってほしいの? ︱︱だとか。 俺でなければ誤解しかねない言動に、苦笑してしまった。 ﹁べつにかまわんが﹂ 386 俺は重々しく、そう言った。 ﹁へー。へー。へー⋮⋮。ちくちくする。すごーい﹂ アレイダは俺のあごや口元を、手でなでなでとやってくる。 おもしろい、というのは、俺にはよくわからないが。目を輝かせ て、おもしろがっている。 テーブルのほうにいたスケルティアが、こちらを目を向けてきて いる。 二つある人間の目と、額にある四つの蜘蛛の単眼と、全部、こち らに向けている。 つまり︱︱。うずうずとしている。 最近、あいつの無表情を、若干、読み解けるようになってきた。 ﹁お髭を剃る支度をいたしますか? それとも伸ばします?﹂ モーリンが、そう聞いてきた。 頭の中で、髭を伸ばした自分、というものを想像してみた。 ⋮⋮⋮。 ないわー。 あと20年ぐらい経ってからなら、渋くてアリかもしれないが⋮ ⋮。 この若さでは、ないわー。 ﹁剃ろう﹂ 387 ﹁あたし! やるっ!﹂ ﹁おまえがか?﹂ 俺は疑わしげに、アレイダを見つめ返した。 目を、キラッキラ☆︱︱とさせていて、なんか、怖ええんだけど。 テーブルのほうに目を向けると⋮⋮。 スケルティアのほうも、目をキラッキラ☆︱︱とさせていた。 こっちは、ある意味、もっと怖い。 ハンティングするときの蜘蛛の目︱︱といえば、おわかりだろう か? モーリンが泡立てたシャボンと、剃刀とを持ってきた。 シェーバーだの安全剃刀だといった便利アイテムは、この世界に はない。 よって〝剃刀〟というのは、ようするに、よく研ぎ澄まされた切 れ味の良い刃物のことを指す。 頸動脈ぐらい、すぱっと簡単に断ち切れてしまう。 つまり︱︱。剃刀による髭剃りを他人に任せるということは︱︱。 自分の命を他人に預けることになるわけだ。 俺は、俺の女にだったら、殺されてやってもいいと思っている。 ︱︱が。 手を滑らせて、うっかりー、︱︱とかいうのは、御免こうむりた い。 ﹁ねー! やらせてやらせて! いいでしょーっ!? いいよねっ? ﹁べ⋮⋮、べつに⋮⋮、か、かまわんが⋮⋮﹂ 388 俺は、声がかすれないように気をつけながら︱︱そう言った。 今日が俺の命日になるかもしれん。 ﹁じゃーんけーん! ぽいっ!﹂ アレイダとスケルティアとが、ジャンケンをやっている。 このあいだ現代世界の﹁じゃんけん﹂を教えてやったら、ことあ るごとに、それで順番を決めるようになった。 ちなみにスケルティアは、最初にチョキを出す癖がある。アレイ ダのやつはいつもそれを利用して、ちゃっかり勝利している。 アレイダ。おまえいつか。オシオキだからな。 アレイダ。あとそこ。﹁ぽい﹂じゃなくて、﹁ぽん﹂だからな。 ﹁勝ちーっ! じゃあ! 最初! あたしからーっ!﹂ ﹁⋮⋮まけた。﹂ スケルティアは、心底、残念そうにしている。 しかし⋮⋮。 うちの娘のおバカなほうは、ほんと、バカだなぁ。 〝最初〟もなにも、おまえが剃っちまったら、ヒゲ、なくなるじ ゃん。スケルティアのやつは、剃れないじゃん。 バカ? バカなの? ﹁いっくわよー!?﹂ 俺の膝にお座りしたアレイダが、カミソリを手に、ニコニコとし ている。 389 ぎらり。白刃が煌めいた。 俺は覚悟を決めると、顎を差し出した。 しょり。しょり。 ﹁あははははー、おもしろーい、なにこれー﹂ 俺は面白くない。めっちゃ怖い。 カミソリを持つのがモーリンであれば、ひげ剃りをされながら居 眠りだって余裕なのだが︱︱。 きゃっきゃ言いながら面白がってるバカ猿では、ビビるなという のは無理な話だ。 死を覚悟した元勇者だからこそ、顔色ひとつ変えずにいられるの だ。 ﹁いてっ﹂ ﹁あっ︱︱ごめんごめん。ほんとごめん﹂ ほうら切られた。 ﹁ほら。もう。手許に気をつけて。︱︱マスター。すぐに治します からね﹂ 傍で見ていたモーリンが、タオルを手にして近づいてくる。 治療魔法を唱えてから、頬を拭ってゆく。 なに? そんな大出血? タオルで拭わなければならないほど、出血してたわけ? 390 鏡がないので自分では見ることができない。もどかしい。こわい。 ﹁よいしょ、よいしょ﹂ 今度は真面目に、アレイダはカミソリをあててくる。 また神妙に硬直している時間が過ぎる。 ﹁あん。もう。オリオン。動かないで﹂ ﹁いやそう言うがな﹂ アレイダは俺の上にしっかりと座っている。股間を密着させてい る。 そしてカミソリを操るために、もじもじ、もぞもぞ、と、不意を 突く動きを常にくり返している。 そのもどかしいぐらいの動きが、なにか微妙な作用を果たして︱ ︱。 ﹁もう⋮⋮。オリオンってば。おっき。しないの﹂ 顔を赤らめて、アレイダが言う。 気づいていたか。そして言いかたが、なんとも可愛いらしく︱︱。 ﹁やーっ⋮⋮、もうっ、また大きくなったぁ⋮⋮﹂ ﹁髭。剃れよ。手を止めるな﹂ ﹁う、うんっ⋮⋮﹂ 手許がまた怪しくなってきた。 やるかなー。やるかなー。やるかなー。と、思っていたら⋮⋮。 391 ざくっ。 ﹁痛てえええ﹂ ﹁ああ。ごめん。ほんと。ごめん。︱︱だってオリオンが。⋮⋮こ んなっ﹂ ﹁こんな? って? どんなだ?﹂ 俺は意地悪く聞いてやった。 しかし、こいつ。 最近、相当、強くなってきてるんだな。 ステータス差があれば、単なる刃物で、傷つけられることはない わけだが⋮⋮。 ざっくりやってしまえるということは、レベル的に、ステータス 的に、割と近くなってきているということである。 また治療魔法で治してもらって、ひげ剃りを続行。 そしてまた、たいして進まないうちに、ざっくりやられた。 ざっくりっていうか、べろりというか。 ﹁痛てえ痛てえ。痛てえぞ。切ったっていうより削いだろ。いまお まえ﹂ ﹁うわあああ。モーリンさん、はやくはやくヒール早くっ﹂ アレイダが騒ぐ。ヒールは他人まかせ。 いまのこいつはクロウナイトだから、強力なリジェネとエナジー ドレイン︵HP吸収︶は持っているが、他人にかけるヒールは持ち 合わせていない。闇のナイトに、そんな人様のための技はない。 もう一回マスターレベルに到達すれば、光の側の中位職であるク 392 ルセイダーへの転職条件が成立する。そうすればまたヒールが使え るようになるのだが⋮⋮。ナイトの時よりも、もっと強力な回復呪 文があるのだが⋮⋮。 いまは単なる人を害するしか能のない、ダメな猿である。 俺の傷が治った。いったいどんな大怪我をさせられていたのやら。 モーリンの使ってた呪文⋮⋮。かなり大きくなかった? カミソリ 傷を治す小さなヒールじゃなかったよね? ﹁さんかい。斬ったよ?﹂ ﹁ん?﹂ スケルティアが、ぽつりと、そう口にした。 指を三本、折っている。 ﹁すりーあうと。ちぇんじ?﹂ ﹁どこで覚えた。そんなもん﹂ こっちの世界に野球はない。 ⋮⋮いや? 転生者が文化を次々持ちこんでいるというから、あ るのかも? ﹁ええーっ? 三回で交代なんて、そんなこと決めてないわよーっ ! 今日はずっとあたしがやるの! じゃんけんで勝ったんだから !﹂ ﹁交代。交代。交代だ﹂ 俺は腰の一振りで、アレイダのやつを、ぽーんと飛ばしてやった。 有無を言わさず交代させる。 かわりにやってきたスケルティアは、すとんと、俺の股間の上に 393 座りにきた。 ﹁⋮⋮⋮。﹂ と、ちょっと首を傾げてから︱︱。 ﹁⋮⋮する?﹂ 俺に聞いてきた。 ﹁しない。⋮⋮ヒゲを剃れ﹂ ﹁はい。スケさん。カミソリ﹂ アレイダが苦笑をしながら、カミソリを渡そうとすると︱︱。 ﹁⋮⋮いらない。﹂ スケルティアは断った。 カミソリなしで、いったい、どうするのかと思いきや︱︱。 しゃきーん! 爪が伸びた。 そういえばスケルティアのやつは、進化して、新たな種族特性を 得たんだっけ。自在に伸ばせる爪だ。普段はまったく人間の女の子 の手にしか見えないのに、爪が伸びたときには、鋼を断ち切る武器 になる。 よって、髭も︱︱。 394 しょり。しょり。 自分の体の一部だけあって、扱いが上手い。 まったく危なげがない。 モーリンにされているように、リラックスできる。任せられる。 おお。カミソリを使わずに髭を剃られる。自分の女にしたモンス ター娘から、甲斐甲斐しく、髭を剃られる。 おつなもんだな。 こんどから、毎日、ひげ剃りは、スケルティアにやらせようか。 一緒に風呂に入ってやらせたりするのも、いいかもな。 そしてもちろん、ひげ剃りが終わった後には︱︱。うっしっし。 ﹁なんかオリオン⋮⋮、いまイヤらしいこと考えてるでしょ。ぜっ たい。そうでしょ?﹂ うちの娘のヘタクソなほうが、なんか、言ってやがる。 しるか。ばーか。 395 おひげをしょりしょり ﹁動かないで、剃ってあげる﹂︵後書き ︶ このあと滅茶苦茶セックス︱︱は、してないですね。今回は。 ちなみに肉体年齢17歳&受肉してから数週間? 数ヶ月? ⋮⋮ で、初おひげ、という設定です。 396 謎の女 ﹁ずっと⋮⋮、お慕いしておりました﹂ 月の綺麗な夜だった。 屋敷を出て、馬車も出た俺は、木立の中を歩いていた。 月は二つ見えている。 空に浮かぶ月と、水面に浮かぶ月である。 どちらも完全な真円。 今夜は満月だった。 こちらの世界にも月がある。向こうとはちょっと違う周期で満ち 欠けをしている。 モーリンが言うには、生命が発生するのに月は不可欠であるそう だ。 月の光に含まれる原初の魔力が、生命の微細構造に与える影響が なんたらと︱︱魔法使いのジジイどもが小躍りして喜びそうな、魔 法工学の講義が始まってしまいそうだったので、そこから先の説明 は、謹んで辞退申しあげた。 小さな泉の近くで、今日は、馬車を止めた。 涌き水の出ている、綺麗な泉だった。 深夜に、ちょろっと抜け出して、一泳ぎしようと思いたった。 モーリンかアレイダかスケルティアか、誰か一人ぐらい連れてこ ようと思ったのだがが、全員、ダウンしていて︱︱。 顔をぺちぺち叩いても、まるで起きやしない。 397 ちょっと、今夜は、激しすぎたっぽい。 次からは、もうすこし手加減しようと、そう思った。 反省。 俺は服を、すぱぱぱぱーっと、脱ぎ去ると、岸を蹴って︱︱。泉 に指の先から飛びこんでいった。 クロールで、すいすいと泳ぐ。 そういえば、こっちの世界にクロールだのバタフライだのといっ た泳法って、あるのかな? なければ広めてみるのも面白いか。 アレイダのやつにまず教えるか。あいつ。犬かきしかやってなか ったっけな。 ︱︱と。 俺は、その時に気がついた。 美しい女性がいた。 水面に浮かぶ月のなかに︱︱立っていた。 腰までを水に浸している。下腹部から上の美しい曲線が、すべて、 月の光の元にさらされている。 ﹁︱︱失礼。先客がいるとは思わなかったもので﹂ 俺はそう言った。 柄にもなく、慌てていた。 まさかこんな人里離れた場所の泉で、こんな美しい女性が、こん な時間に沐浴をしているなんて⋮⋮。 思うわけがない。 398 ﹁⋮⋮あっ﹂ 女性は、いまこちらの存在に気がついたようで⋮⋮。 びくっと身をすくめた。胸元をかばう仕草をする。それが俺の目 には、ちょっと新鮮に映った。 長い黒髪の美しい女性だった。年の頃はアレイダとモーリンの、 ちょうど中間ぐらいか。もっともモーリンは、あれは実年齢はいか ほどなのか、確かめるのも怖いくらいだが。 俺はそんなことをぼんやりと考えこんで、時間を潰した。 勇者業界の人間からすれば、一般の人間の反応速度というのは、 ひどくのろくさいものであり︱︱。たとえば街のチンピラなどでは、 パンチしてくるその手にハエが止まっているのが見てわかるほどだ。 そして俺はいま、水浴中に男が現れて驚いた女性が、﹁きゃー!﹂ と悲鳴を上げるのを待っているわけであり︱︱。 ﹁⋮⋮お会いできるのを、ずっと待っておりました﹂ ん? だいぶ待って、女性の口からようやく出てきた言葉は、そんなも のだった。 ﹁⋮⋮お慕いしております。オリオン様﹂ ん? ん? ん? なんで俺、いきなり惚れられてんの? 399 ん? ん? んー? ⋮⋮ああ。なるほど。 つまり、それだけ俺が、魅力的だということか。 出会った瞬間に、恋に落ちてしまうほど。 ﹁君の前では月さえも霞んでしまうな﹂ 俺の口から、さらりと、 アレイダを使って、さんざん練習を積んだおかげで、俺は、歯の 浮く台詞を無限に近いほど口走れるようになっていた。 アレイダのやつなら、これで、ふにゃふにゃになる。 口説く練習だと言ってあったって、それでも、ふにゃふにゃに蕩 けきってしまう。 さあ︱︱? 初対面から俺に惚れてる、この美女︵美少女?︶の場合には⋮⋮? ﹁まあ⋮⋮。お上手ですわ﹂ 片手を頬にあてて、彼女は上品に返してきた。 ふにゃふにゃに駄犬化するのでも、照れて頬を染めるのでも、ぽ かーんとしているのでもなく、新鮮なリアクションだった。 ﹁私⋮⋮本当に、そうですか?﹂ ﹁うん?﹂ ﹁言葉だけでなくて⋮⋮、本当に?﹂ ﹁俺は思っていないことは口にしない﹂ 400 俺は、そう言った。 チョロインのアレイダに対して、練習で、ふにゃふにゃにしてや ったときにも、思っていないことは口にしていない。 ただ、キザで歯の浮くような台詞を、リミッターをかけずにしゃ べっているだけだ。 ﹁こんな私でも、好きになっていただけますか?﹂ 彼女は自己評価がきわめて低い類いの人間らしい。こんなに美し いのに。 ﹁ああ。もちろん﹂ 俺はうなずいてやった。 俺の愛は全人類の50%に無条件に発生するといっていい。 ﹁証明してくださいますか?﹂ ﹁ああ。もちろん﹂ たやすいことだった。 月の映った泉の真ん中で、俺は彼女を︱︱﹁俺の女﹂にした。 ◇ ﹁ねー、オリオン。オリオンってばー?﹂ ﹁んー⋮⋮?﹂ 馬にブラシをかけてやって、出発の準備をしながら︱︱。 俺は、ぼんやりとしていた。 401 隣にきているアレイダのやつが、まとわりついて、体を擦りつけ てくるのだが、残念ながら、俺の心は、いまここになし。 俺の心を捉えているのは、昨夜の美女のことだった。 泉の中で︱︱。それから岸辺で︱︱。 たっぷりと〝お楽しみ〟になった。 そして満足しきって、彼女の膝で、すこしうたた寝をしたのだが ︱︱。 目覚めたときには、彼女の姿は消えていた。 なにか化かされでもした気分である。 現代世界のほうの昔話なんかに、こんなのがあったよーな⋮⋮? 美女の歓待を受けて溺れきってみれば、翌朝、田んぼで寝ている ことに気がつくだとか。 モンスター なんでも知ってる賢者のモーリンに、こちらにもそういう化け物 がいるのかどうか、聞いてみようかと思ったが⋮⋮。 そうすると昨夜のことを話すことになるので、ちょっと自粛。 いやべつに怖いわけではないぞ? ぜんぜんないからな? ﹁ねー、オリオン。きょうは、わたし、隣に座っていてもいい?﹂ アレイダのやつが、なんか言ってる。 ぜんぜん耳に入ってこない。 ﹁はぁ⋮⋮﹂ 俺は、深く長く、ため息をついた。 402 ﹁た⋮⋮、ため息いぃ⋮⋮!?﹂ アレイダのやつが、なんか言ってる。 ぜんぜん耳に入ってこない。 そういえば。あの娘の名前。ついぞ︱︱聞かずじまいだった。 情熱的に求め合った。言葉などいらないぐらいに通じ合っていた。 ﹁また⋮⋮。あの娘に逢えるかなー?﹂ ミーティア 俺は馬のお尻にブラシをかけてやりながら、そう言った。 ﹁え? なに? 女の人の話っ? ちょっと︱︱、なによそれ! ︱︱いったい、いつ!﹂ ︱︱ひひひーん! ミーティア そのとき馬が高々といなないた。 ﹁あははっ︱︱! そうかそうかー﹂ ミーティア 俺は馬の尻を撫でた。 う ﹁また逢えるって? そう言ってるのか? そうかそうかー。愛い やつめー﹂ ︱︱ぶひひん! う ﹁ん? なんだ嫉妬か? そうかそうかー。愛いやつめー﹂ 403 う 馬語はわからん。だが愛いやつなのはわかる。 ﹁また女の人の話してる! ぜったい! してるー!﹂ 駄犬語もわからん。だがあんまり可愛くないのはわかる。 404 謎の女 ﹁ずっと⋮⋮、お慕いしておりました﹂︵後書き︶ ヒロイン3人目、登場であります。⋮⋮ていうか、ずっと前から出 てくるだけは、していましたが。 アレイダともスケルティアともタイプの違うヒロインを狙っていま す。 405 ラストダンジョン ﹁ちょ⋮⋮、ここっ⋮⋮なんなのっ?﹂ 今日は楽しいダンジョン遠足。 俺たちはめずらしく全員でダンジョンを訪れていた。 ﹁おーい、早く立ち上がらないと、つぎ、くるぞー﹂ 最初に出くわしたモンスターをなんとか倒したはいいが、早くも 死にかけているアレイダに、俺はそう言った。 ﹁ま⋮⋮待って、回復が⋮⋮、間に合わな⋮⋮﹂ クロウナイトの回復方法はリジェネだ。エナジードレインで敵か らHPを吸い取る方法もあるが、さっきの戦いはあまりにも過酷で、 そんな余計な技を使う暇などなかった。 可及的速やかに、全力をもって、出し惜しみなどせず、はじめか ら全開で、敵の息の根を止めなければ︱︱たぶん、倒されていたの はアレイダとスケルティアのほうだった。 ﹁まー、いきなり奥義から使ったのは、あれはー、わりとよかった がなー﹂ 俺はそう言った。素直に褒めておいた。 思いきりがいいじゃん。もっとぐずぐずやって、俺が助けてやる ハメになるかと思っていた。 まあ︱︱。 406 このダンジョンにおける、最も浅い層において、最も弱いザコ敵 の、たった一匹を始末しただけで、HPはガタガタ。MPなんて底 をついているわけであるが︱︱。 ﹁ほらー、早く立てー。いまの戦闘の音を聞いてー、つぎがー、押 し寄せてくるぞー﹂ クラス 俺はアレイダに回復魔法を使った。 勇者の職業は、基本、なんでもできる。 クラス それでいて器用貧乏にならず、剣技も魔法も補助スキルでさえも、 本職に並ぶのが、勇者という職業である。 ﹁立つけど﹂ HPが全快したアレイダが、すっくと立ちあがる。 ちょっとデカいヒールを使った。万とかいう単位のHPでもなけ れば、たいてい全回復させる魔法だ。 ﹁スケも。︱︱いけるか?﹂ ﹁いける。よ。﹂ 天井から垂れた糸の先で、逆さまになって、スケルティアが言う。 こちらは中衛。直接ダメージは食らっていない。だが一匹始末す るために糸を多量に使っていた。MPはアレイダ同様、そんなに残 っていない。 ﹁おい。モーリン。あれをやってくれ﹂ ﹁あれ、でございますね﹂ 407 モーリンは今日はメイド姿ではなくて、大賢者の格好。 宝玉のあしらえられた賢者の杖を、とん、と、床につくと︱︱。 不思議な波紋が広がり︱︱。パーティ全員のMPが、みるみる回 復してゆく。 賢者の特殊スキル。MP全回復だ。戦局をひっくり返す威力があ る。 HP全回復の呪文を先に唱えてから用いれば、HPとMPを、ど ちらも共に満タン状態に戻せる。 一日に一回しか使えない裏技であるが︱︱。 ﹁ええっ? なに? なんなの、この大盤振る舞い⋮⋮? ケチな オリオンが? ヒールしてくれるだけでなくて、なんでMPも戻し てくれんの?﹂ 俺はべつにケチなわけではなく︱︱。 簡単に助けてしまっては、やつらの成長に繋がらないから、助け ずにいるわけだ。 あ。いや⋮⋮。いざとなったら、助けてもらえると思っていると、 ぜんぜん成長に繋がらない。やつらには︱︱特に駄犬化の激しいア レイダには、﹁絶対に見殺しにする﹂と思わせなければならない。 よって、俺も本気でそう考えるようにしている。 死んじまったら、そのままにして、帰るかー、ぐらいに、本気で そう思っている。 ﹁今日は特別だ。MP戻さずに〝次〟をやったら、おまえら確実に 死ぬしなー﹂ 408 通路の奥から、剣呑な音が聞こえてくる。 多数の魔物の足音。 ﹁え? あのその? 奥から、なんか、くるんですけどー⋮⋮?﹂ ﹁さっき倒した一匹な。本当はアレ、集団で襲ってくる魔物なんだ わ。一匹だけで出てきたのは、むしろ珍しいっていうか、レアって いうか﹂ ﹁⋮⋮て、⋮⋮いうことは?﹂ うちの娘の駄犬なほうは、だんだん、わかってきたらしい。 ﹁スケ。食事はそのへんにしとけ。︱︱くるぞ﹂ ﹁ん。たべおわた。よ⋮⋮。糸の。材料。まんたん⋮⋮。﹂ ﹁そうか﹂ うちの娘の野生味のあるほうは、この短時間に〝食事〟をしてい た。 感心感心。〝食えるときに食え〟は、冒険者の鉄則とされている。 ちなみになにを食したのたといえば、さっき倒した魔物。火も通 さず〝生〟でいっている。 ハーフ・モンスターは便利だなー。あれで食あたりを起こさない んだもんなー。 ﹁すすす︱︱スケさん! わわわ︱︱わたしが食い止めるから! えええ︱︱援護おねがいっ!﹂ アレイダの声は、しっかりと裏返っている。 最近、﹁どう? 強いでしょ? わたし、強くなったでしょー?﹂ 409 とか、ドヤ顔をしてうるさいので、自分がいかに小物で駆けだしで あるのかを思い知らせるために、俺とモーリンが修行あるいはカネ 稼ぎに使っている、通称〝ラストダンジョン〟の、ごくごく〝さわ り〟の部分を体験させることにした。 つまり、一階の入口近辺。 攻略だとか、侵攻だとかは、一切、考えていない。 入口付近を、ちょろちょろとして、エンカウントした敵とちょっ とだけ戦う。雰囲気、及び、敵の強さの〝ランク〟というものを、 おおむね体験できたら、さくっと帰る。 そういう、体験遠足コースであった。 闇の中から、数多くの魔物の足音が響いてくる。徐々に大きくな ってゆく。 ﹁き、き、き⋮⋮きなさいよっ! や、やるの! やるのっ! や るのーっ! お、おおぅ!﹂ アレイダはすっかり腰が引けてしまっている。 ﹁なんだそのへっぴり腰は。しゃんとしろ、しゃんと﹂ ケツを蹴りつける。 ﹁蹴ったあぁぁ!?﹂ 抱えこむと具合のいいそのケツに、ちょっと欲情を催したけども ︱︱さすがの俺も、こんなところで、そんなコトに及んでいたら、 死亡する。 410 ここはそのぐらいは危険な場所だった。 このダンジョンに入ったことのある人間は、おそらく、両手と両 足の指くらいで足りる程度だろう。 足を踏み入れ、生きて出ていった者となると、かつての勇者とそ のパーティを除けば、まあ、片手で足りる程度だろう。 そして修行と金策に、ここを使っているのは︱︱。 これはまあ断定してしまっていいだろうが、俺とモーリンの二人 くらいだ。 元勇者と大賢者の二人パーティだけが、金策にこの場所を使って いる。 ﹁言っとくが。MP回復は、もうないからな﹂ ﹁どケチ!﹂ ﹁あれはモーリンの賢者スキルで、一日一回しか使えない奥の手だ っつーの﹂ ﹁奥の手最初に使っちゃうし!﹂ ﹁HPは俺が回復してやるが、MPは吸い取るか、さもなければレ ベルアップしろ。レベルアップ時の全回復がなければ、死ぬと思え﹂ ﹁なによそれ! なんなのよそれ! なに言ってるのかちょっと意 味わかんないわよ!﹂ この世界では、レベルアップすると全回復するシステムだ。 なんでか知らんが、そうなっている。 向こうの世界のゲームでは、わりと見かけるシステムだが、現実 として存在していると、ちょっと面食らう。 411 だがそれを変だと感じるのは、異世界からの転生者である俺ぐら いなもので⋮⋮。この世界に生まれ育った者にとって、それは単な る〝常識〟だ。 俺も実際、こちらの世界で生を受けた前々世での勇者時代は、ま ったく気にしていなかったわけだし⋮⋮。 レベルアップ時の全回復を、戦略に組みこむのは⋮⋮。まあ、〝 常識〟ではないかもしれないが。 でも勇者業界では〝常識〟なんだよなー。これってー。 アレイダやスケルティアあたりの低級職なら、この通称〝ラスト ダンジョン〟の敵を、1、2匹倒せば、レベルアップする。 アレイダはさっきはレベルアップしていないから、次の1匹で、 確実だ。 おっと。﹁クロウナイト﹂は低級職じゃなかったか。世間一般的 には中級あるいは上級職だっけか。勇者業界の〝常識〟で計ると、 まだまだぜんぜん、くちばしの黄色いヒナ鳥になるんだが⋮⋮。 などと考えながら、待ち受けていたら︱︱。 きたきた。 ぞろぞろきた。続々ときた。隊列作ってやってきた。 ﹁ぎゃあああああ! きた! きたあぁぁぁ!﹂ アレイダのやつは、今生の終わりみたいな悲鳴をあげる。 うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるさい。 ﹁⋮⋮いくよ。﹂ 412 スケルティアが、決死の面持ちで、うなずいた。 うちの娘の腹の据わっているほうは、ほんと、静かだ。 二人は敵のただなかに飛びこんでいった。 ◇ ﹁はぁ⋮⋮、ふう⋮⋮、はぁ⋮⋮、ふう⋮⋮﹂ 折れた剣を杖がわりにして、アレイダのやつは、かろうじて、立 っている。 スケルティアのほうは、もう糸も出せなくなっているのか、地面 にぺたんとへたり込んでいる。 俺はすでに倒している敵を、念入りに、金棒で破壊して回ってい た。 ただ倒しただけで放置しておくと、こいつらは自然復活してくる。 昔々、前々世において、俺がはじめてここを訪れたときには、モ ーリン式で鍛えられていた。 モーリンはニコニコ笑って見ているばかりで︱︱。 俺は復活してきたやつらにタコ殴りにされて︱︱第二ラウンドが 開始となった。レベルがもう3つもあがった。 ﹁マスターはお優しいですね﹂ ﹁フンっ︱︱。こいつらが死んじまったら、寝覚めが悪いからな。 ただそれだけだ﹂ 昔々の、俺の時には、まだ余力があったが︱︱。こいつらは本当 にもう限界だ。これ以上は本当に死んでしまう。 413 言わずもがなのツンデレ言語を口走っているのは、自分でもわか っている。 でもどうにもならない。 幾分、呼吸も整ってきたアレイダのやつは、きょとんとした目で、 敵の残骸を徹底的に破壊し尽くしている俺を見ていたが︱︱。 はっ、と、気がついた顔をする。 あー、ばか、もう! 気がつくな! おまえはいつもみたいにバカなままで、バカ面をさらしていろ! ﹁あ、あのね⋮⋮、オリオン⋮⋮、えっと、その⋮⋮﹂ ﹁なんだ?﹂ 俺はじろりと、うちの娘のしおらしいほうを、にらみつけた。 感謝の言葉でも口にしたら、コロス、あるいは犯す、と、目で凶 悪に訴える。 それが伝わったのか、アレイダは言いかけていた言葉をいったん 飲みこむと、かわりに別の言葉を言いはじめる。 ﹁お、オリオンって⋮⋮、本当に⋮⋮、強かったのね﹂ ﹁はァ?﹂ 俺はぎろりと、凶悪に睨み返した。 手にした金棒で、残骸をごりごりと粉末にしてゆく。 ﹁ほ、ほら⋮⋮、わたしとスケさん、戦っているときに⋮⋮、何体 か、減らしてくれていたじゃない?﹂ 414 ちっ。気づいていたのか。 アレイダがこっちを見ていない隙を狙って、一瞬で、ぶっ飛ばし ていたんだが。 ﹁一撃だし。残骸も残らないぐらいの威力だし﹂ ﹁ま、まあな⋮⋮﹂ 俺もそれなりにレベルを上げている。 こいつらは、亀のごとき歩みではあるが、じりじりと強くなって きてはいる。 俺がまったくレベル上げをしないでいると、だんだんと、その差 あるじ は縮まってきてしまう。 どちらが主かわからなくなってきてしまう。 常に圧倒的な力量差がなくてはならない。 もう倒すべき魔王もいないのだから、そんな﹁強さ﹂は不要なわ けだが⋮⋮。 俺はこいつらが常に﹁絶対にかなわない存在﹂でなくてはならな いのだった。 あー、メンドクセー。 二度目の人生は、もっとサボるつもりだったんだがなー。 ﹁こんなの。べつに。たいしたことでもない﹂ 金棒の先で、ごおりごおり。粉末が増えてゆく。 ﹁スケさん。もっと褒めろってさ﹂ ﹁⋮⋮?﹂ ﹁おい。誰が褒めろなんていった﹂ 415 ﹁ほら。ほめてって。︱︱わかる?﹂ ﹁おい。聞けっての﹂ ﹁⋮⋮?﹂ スケルティアは首をどんどん傾けてゆく。 ﹁いいこと﹂と﹁わるいこと﹂の区別さえ難しいモンスター娘に、 ﹁褒めろ﹂は難し過ぎたようだ。 ﹁ほら。ほめてあげましょう﹂ ﹁だいてー﹂ スケルティアは、俺をまっすぐ見つめて、照れもせず真顔で言っ た。 ﹁へ? いやちょっとそれって、どうなの? ありなの? ないで しょ?﹂ ﹁お、おう。⋮⋮帰ったらな﹂ うむ。男にとっては、最高の褒め言葉だな。 今夜はいっぱい、抱いてやろう。 ﹁えっ! アリっ!? アリなのっ︱︱!?﹂ ﹁マスター。わたくしのことも抱いていただけますか? わたくし も、少々、濡れてしまいました﹂ ﹁なぜおまえまで﹂ 俺はモーリンをまじまじと見つめた。 なぜここで、いきなり、抱かれたい宣言? しかも表情ひとつ変 えずに? 416 う ﹁照れていらっしゃるマスターも、愛いものですから﹂ ﹁愛でるな。⋮⋮だいたい、おまえ。その、〝濡れた〟とかいうの も、ウソだろう?﹂ 俺はなぜかうろたえつつ、そう聞いた。あんな鉄面皮で表情ひと つ変えずに、そんなこと言ったって⋮⋮、ねえ? ﹁では、お確かめになっていただきませんと﹂ ﹁う、うむっ。そ、そうだな。よし抱いてやろう。その言葉の真偽 は、当然、俺のこの目で、確かめなくてはならないからなっ。直接 っ﹂ ﹁はい﹂ モーリンは長い睫毛を伏せて了承。 よし。よし。よしっ。あとで確かめる。しっかり開いて確かめる からなっ。 ︱︱で、アレイダのやつだが。 ﹁えっ? ええーっ! なっ︱︱ちょっ! みんな! なんなのっ !﹂ アレイダは一人で慌てている。 俺はモーリンとスケルティアを左右に抱えた。二人の細腰を、左 右の手で抱き寄せる。 そのうえで、アレイダに問い質した。 ﹁おまえは、どうなんだ?﹂ ﹁えっ? いや、あの、ちょっ⋮⋮﹂ ﹁抱かれたいのか。抱かれたくないのか。イエスかノーかで、簡潔 417 に答えろ﹂ ﹁ああぁーっ、うううーっ⋮⋮﹂ ﹁あー、うー、ではなくて。俺は答えろと、そう言った﹂ 俺は意地悪く、質問を続けた。 こいつ。おもろい。もう何回も抱いてやってるのに。夜中に自分 から枕抱きしめて、夜這いにやってきたことさえあるのに。 まだ素直に言えない。口にできない。 ﹁⋮⋮いです﹂ ﹁聞こえんな﹂ ﹁︱︱!? ⋮⋮いです!﹂ ﹁だからぜんぜん聞こえんなぁ﹂ 俺は耳に手をあてて、わざとらしく、聞き返した。 アレイダは、まなじりを決すると、息を深々と吸いこんで︱︱。 ﹁だ︱︱!! 抱いてえぇぇーっ!!﹂ ◇ 目をつぶって、大声で言うアレイダが、可愛らしくて︱︱。 その夜は、大いに燃えた。 まずアレイダから愉しんだが︱︱。全員、もれなく味わった。 しかし⋮⋮。 血が騒ぐというか。 戦闘のあとのセックスは、大変、キモチがよかった。 418 ラストダンジョン ﹁ちょ⋮⋮、ここっ⋮⋮なんなのっ?﹂︵後 書き︶ ラストダンジョン1階入口数歩のところで、ちまちま、やりました。 いわゆるド○クエのクリア後に行けるダンジョンみたいなものだと お考えください。 オリオン自身は、モーリンと二人で、ここでレベル上げします。 419 食べ放題 ﹁これぜんぶ食べていいのーっ!?﹂ ミーティア かっぽ。かっぽ。 ミーティア 馬に牽かれて、馬車が進む。 ひさびさの石畳を踏んで、馬はちょっと楽しそう。 いつもの足取りは、かっぽん、かっぽん、なのであるが、いまは、 かっぽ、かっぽ。 この微細な違いを見分けることが出来るのは、世界広しといえど も、まあ、俺一人だろうな。 山間の道を抜けていったら、わりと大きな街へと出た。 ﹁前の旅のとき、こんな街、あったかな?﹂ モーリンに聞く。 ﹁まえの旅ってー?﹂ 聞いてもいないアレイダが、いらん質問を返してくる。 ﹁この五十年で大きく発展した街ですよ。昔は村もありませんでし た﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁なんでそんな昔の話をしてんのよ?﹂ うちの娘の頭悪いほうは、首を傾げている。 教えてやんない。 420 俺が元勇者だということは、べつに身内になら、バレてもなにも 問題はないのだが⋮⋮。 俺のプライベートなことだし。いまの人生には関係のないことだ し。 いまの俺は、単なる旅人だ。 自分の救ったこの世界が、数十年でどう変わったのか、実際に自 分の足で訪れて、確かめてみている最中だ。 俺の今生での旅は、前々世での旅路をなぞるようにしている。 いまはこの国の王都へと向かっている途中だ。 名前も知らないこの街は、その途中にある街なわけだ。 最近できた街だから、名前も知らなくて当然だ。 最近︱︱といっても、俺の﹁最近﹂とかいう感覚は、五十年とか いう時間尺となるわけだが。 ﹁あ︱︱、なんかこれ、いい匂い﹂ アレイダが言う。 ふんふん。すんすん。⋮⋮たしかに、肉の焼ける、いい匂いが漂 ってきているな。 どこかの店から、料理の匂いが風にのってやってくる。 ︱︱ぐーきゅるきゅる。 誰かの腹から、そんな音が鳴り響いた。 皆の視線が集まる中、アレイダがうつむいて、片手を挙げる。 421 ﹁はい⋮⋮、わたしです﹂ ﹁すこし早いですけど。お夕飯の支度をはじめますね﹂ モーリンが微笑んでそうフォローする。 だが俺は︱︱。 ﹁いや、それよりも、いい店がありそうだ﹂ そう言った。 手綱を引かずとも、ミーティアは立ち止まった。いい娘だ。 目立つ看板を掲げた店があった。 さっきの匂いの源は、ここだ。この店だ。 ﹁たべ⋮⋮ほうだい? え? これって、なんのお店?﹂ 店の看板を見上げて、アレイダが言う。 コモン 文字が読めなかった蛮族奴隷娘も、毎日のモーリンの教室のおか げで、共通語の読み書きくらいは出来るようになっている。 俺? 俺はそんなもん。とっくにクリアだ。義務教育経験者を舐 めんな。 効率のいい勉強方法なんて、学校教育と受験勉強とで、会得済み だ。 ﹁今日はここで食事をとるぞ﹂ ﹁かしこまりました﹂ モーリンが、うやうやしく頭をさげる。 街にいるときには外食を多めに取るようにしている。毎度毎度、 422 食事の支度をしているモーリンの負担を減らすというほうの意味で はなく︱︱。メイドではない彼女と、恋人のような雰囲気で食事を したいという意味のほうだ。 ま。どうせ子連れになって台無しになるのだが。︵笑︶ ﹁ねえ? たべほうだい? ⋮⋮って、それ、どんな料理ー?﹂ ﹁おや。店が開くのは夕方からか。もうしばらくかかるな﹂ 入口に札がかかっていた。午後は休憩。昼と夜の営業のみ。 漂ってきていた美味そうな匂いは、仕込みの匂いか。 これは期待できるな。 ﹁ねえ。だから、〝たべほうだい〟って、どういう料理ーっ?﹂ ◇ ﹁ちょ、ちょ、ちょ︱︱? これから食べるのに、なんで、いま食 べてるの?﹂ いったん馬車の中にもどり、亜空間内の屋敷に引き上げて︱︱。 俺はコンソメスープを飲んでいた。 〝食べ放題〟に向けて、準備万端、整えている最中だった。 ﹁完全な空腹よりも、事前にすこし腹にいれておいたほうが、たく さん食べられるんだ﹂ ﹁だから、〝たべほうだい〟って、どんな料理なのか、教えてって ばー!﹂ どうもさっきから違和感を覚えていたのだが。アレイダのやつは、 423 本当に﹁食べ放題﹂がなんだかわかっていないっぽい。 ⋮⋮こっちの世界にはないのか? 食べ放題? ﹁なんでも食い放題なんだよ。一定料金で、好きなものを、好きな だけ食っていいんだ﹂ ﹁えっ? うそっ? マジっ!?﹂ ﹁まじまじ﹂ ﹁すっごーい!!﹂ 喜んでいる。すっごく喜んでいる。 こいつは単純だなぁ。 ﹁モーリン。あの果物。なんていったっけ? あの苦いやつ﹂ ﹁グレプスですね﹂ ﹁そう。それ。そいつの絞り汁も持ってきてくれ﹂ ﹁かしこまりました﹂ 果物のジュースが出てくる。 果物はそのまま食べるのが、こちらの世界における平均的な食べ かただ。 絞ってジュースにすると、グラス一杯に何個も使う。逆に言えば、 何個分も栄養が採れる。 そういや、ジュースって、あまり見ないのはなんでだろう。 〝転生者〟はそれなりにいるらしいから、もうすこし広まってい たって良さそうなものだが⋮⋮。 ﹁わたし⋮⋮、この苦いの、きらーい﹂ 424 ﹁飲んでおけ。苦い味は、胃袋を動かすのにいいんだ﹂ ﹁うえーっ⋮⋮﹂ アレイダは思いっきり顔をしかめて、ぐいっと煽った。 グレープフルーツみたいで、俺は好きなんだが。なんでか、こち らの世界には、苦い食べ物は少ない。コーヒーも転生者たちの広め た〝輸入品〟だ。 ﹁にがーい!! もういっぱーい!!﹂ おかわりをして勢いをつけているアレイダの隣で、スケルティア が、グラスを傾けて、くぴくぴと飲んでいる。 なにせ無表情なので︱︱。苦いのを我慢しているのか、おいしい と思っているのか、どっちなのやら、ぜんぜん、わからない。 時間まで、屋敷で準備万端、整えて︱︱。 俺たちは、出陣をした。 ◇ ﹁これおいしー!! あと三皿持ってきてー!!﹂ 大の男でも﹁うっ﹂となるような盛りのヤキソバを、三皿も、ま とめて注文する。 給仕の若い男が、引き攣った顔になっている。 食い放題という、あちら側のシステムを導入している店だから、 なにもかも向こう式で、バイキング式で取り放題、さらにはドリン クバーぐらいはあるのかと思ったが︱︱。 425 システム的には、意外と普通。 席に座って、注文して、じゃんじゃんばりばり、持ってきてもら う方式。 まあ、向こうの焼き肉食い放題とかでも、オーダー式のところも あるしな。 メニューは豊富で、各地の名物料理がずらりと並んでいる。北の 地方の酢漬け料理。南の地方の魚料理。なんでもあった。 あと、転生者か絡んでいると、俺が確信したのが⋮⋮。 ﹁つぎ。俺は。この〝お好み焼き〟というのをもらおう﹂ ﹁オコノミヤキという料理は、小麦粉を︱︱﹂ 料理の説明をしようとする給仕を、手で遮って︱︱。 ﹁︱︱説明はいらない。青ノリ、たくさんかけてくれ﹂ まさかこの世界でお好み焼きが食えるとは思わなかった。 アレイダのいま食ってるやつも、ヤキソバで︱︱。これはこちら にはない料理だ。 ここの店主なのか、料理開発担当なのかは、 ﹁ローストチキンレッグ︱︱6本! じゃなくて12本!﹂ 訂正する。 もう食っていなかった。さっき食っていた。 ︱︱てか。早いな? さっき三人前、きたばかりじゃないのか? ﹁スケ⋮⋮、食ってるか?﹂ 426 ﹁ふがっ。ふごっ。﹂ うん。食ってるな。忙しそうだな。 スケルティアのやつは、ほとんど生肉状態の超レアステーキにか ぶりついている。 蜘蛛は肉食。そしてナマが好き。 血の滴るような︱︱、という表現があるが。比喩でなく、ほんと に、血が滴っている。 ﹁ほら。スケ。口のとこ︱︱﹂ 俺はナプキンで、口許をぬぐってやった。 スケルティアのやつは、黙っておとなしく拭われていて、終わっ てから︱︱。 にいぃ、と、赤い目を細めた。 うん。かーいー。かーいー。 世間一般的には、ちょっとコワい顔なのかもしんないけど。 俺にとっては、かーいー。かーいー。 ﹁あっ。口許ソースまみれになっちゃったぁ∼﹂ うちの娘のわざとらしいほうが、なんか、言ってやがる。 俺たち︵特にアレイダ︶が健啖ぶりを発揮していると︱︱。 給仕ではない男が、ホールの端から、こちらをこっそりと窺って いた。 冒険者の性というやつか。元勇者の習慣か。 427 どうしても気づいてしまうんだよなー。 昔と違って、周囲の警戒なんか、まるでやってはいないのに︱︱。 観察者がいると、つい、気づいてしまう。 俺はちょいちょいと手招きする仕草をした。 手のひらを下にして、指先を、くいくいと動かした。 男は、すぐにこちらに近づいてきた。 ああー。なるほどー。 いまの男のリアクションで、俺は一つ気がついたことがあった。 それを確認するために、男にもう一つほど、聞いてみる。 ﹁君は支配人か?﹂ ﹁ええ。まあ。料理長⋮⋮みたいなことをやっています﹂ 男は頭を掻きながらそう言った。 控えめで誠実そうな男だ。年は二十代後半ぐらい。 ﹁この店は、じつにいい﹂ 俺は素直に賛辞を述べた。 ﹁ふがふがっふ! ふぁっふぁ! ふぉひひふふふぇーっ!!﹂ うちの娘の馬鹿なほうも、なんか言ってる。なにを言ってるのか、 ぜんぜんわからないが、なにを言いたいのかは、わかる。 ﹁90分の時間制限を設けていないところが、特にいいな﹂ 428 俺がそう言ったとき︱︱料理長の目が、きらり、と光った。 さっきの手招きに反応したこと。そしてこの﹁90分﹂というキ ーワードに反応したこと。 この二つをもって、俺は、この料理長が〝転生者〟であると確信 に至った。 手招きは︱︱俺は、手のひらを下にして行った。 これは現代世界の日本においては、﹁手招き﹂だが、この異世界 だと﹁あっちいけ﹂の手振りとなる。 それで、すぐに近づいてきたということ。 つぎに﹁90分﹂のキーワードに反応したこと。 向こうの世界の〝食べ放題〟は、大抵、時間制だ。朝から晩まで 居座りつづけて、腹を減らしてはまた食べるという、非常識なやつ らが出てくるからだと聞く。 こちらの世界で﹁90分時間制﹂なんて概念が出てくれば、それ は、転生者同士にしか通じない〝符丁〟として機能する。 俺たちは、目と目で通じ合った。 向こうは俺とは違う系統の転生者らしい。 たぶん食堂無双とか、料理道無双とか、そっち系だな。 まあ定番のひとつだな。 俺のほうは勇者転生無双ハーレム︵2週目︶で︱︱。もっとド定 番であるわけだが。 ﹁次はなにをお持ちしますか?﹂ ﹁ヤキソバと。あとライスをもらおう。〝ヤキソバ定食〟にしてく れ﹂ 429 料理長が、にやり、と笑った。 ﹁ふぉりふぉん︱︱、ふぁひぃふぉれ﹂ アレイダが、なんか言ってる。 ﹁なに言ってんのかわかんねーよ﹂ ﹁⋮⋮もぐもぐ。⋮⋮ごっくん。⋮⋮炭水化物と炭水化物って、変 よ、それ﹂ ﹁わかんねーやつは、引っこんでろ、ばーか﹂ ﹁バカっていったほうがバカなんだから! ︱︱あっ。これおいし かったです。もっとください﹂ ローストビーフの載ってた大皿を出す。キロ単位で載ってて十人 前ぐらいはあったはずだが⋮⋮。もう肉汁しか残っていない。 料理長は嬉しそうに笑うと、厨房のほうに引っこんでいった。 ◇ 俺たちは、食って、食って、そして食いつづけた。 〝トリの丸焼き〟なんていう料理を、一人頭、2羽分ずつ食って、 骨を積み上げていると︱︱。 ﹁特別料理をお持ちしました﹂ ﹁ん?﹂ 料理長がきた。後ろに数人続いている。 430 大きなワゴンに載せて運ばれてきた、〝それ〟は︱︱。 ﹁ブタの丸焼きにございます﹂ うおっ。 丸々一頭の焼死体が⋮⋮。 ではなくて、こんがりとローストさせた、ブタ一匹、丸ごとの丸 焼きが、カートに載せられてやってきた。 俺はそのボリュームに、たじたじとなっていた。 いくらうちの駄馬が、モリモリ馬のように食ってるとはいえ︱︱。 これは、ちょっと、さすがに︱︱。 ﹁うわー、おいしそー﹂ あっ。はい。そうですか。 数人がかりで持ちあげられた超大皿が、テーブルの上の料理を半 分ぐらい押しのけて、でん︱︱と、置かれる。 ブタの焼死体の顔が、俺を睨んでくる。 いや。違った。こんがりと美味しそうにローストされた、ブタの 丸焼きか。 俺も常人よりはだいぶ食うほうだが︱︱。 焼きそば、ステーキ、お好み焼き、ドリアにグラタン、それから なんと〝寿司〟まで︱︱。現代の懐かしい味を食べまくって、さす がにもうちょっと喉元まで込みあげてきている。 431 料理長が、俺を見て、にやり、と笑った。 その目が、〝お帰りになられてもよろしいですよ〟と云っている。 これは挑戦だった。 勇者として、その挑戦を受けないわけにはいかない。 ﹁おい。アレイダ。どんどん食え。モリモリ食え。好きなだけ食え﹂ 俺はアレイダに勧めた。 知ってるか? 勇者ってのは、〝パーティ〟で戦うものなんだぜ? ﹁うわーい!﹂ 食うしか能のないうちの駄馬は、モリモリと食いはじめた。 ◇ ﹁ふ、わあぁぁぁ⋮⋮、たべたー、たべたー﹂ ぱーん、ぱーん、と、アレイダが、お腹を叩く。 アレイダのやつは妊娠していた。 9ヶ月ぐらいだ。 スケルティアは無表情のまま中空を見つめて、ぼんやりしていて ︱︱。 モーリンはナイフとフォークをちまちま使って、小さな切れ端を、 ちょこちょこと口許に運んでいる。 最初からずっとあんな感じ。マイペースかつ一定ペース。 まあモーリンには〝戦力〟を期待してはいないが︱︱。 432 俺は、うちの娘の空気読まないほうが、﹁これおいしいよー。は い、いいところ切ってあげたー﹂とか、ニコニコしながら巨大な肉 塊を置いてきて︱︱。 なんとかかんとか、胃袋へと詰めこんだ。 もう数日ぐらいは、肉、食いたくない。 ブタの丸焼きが、骨格標本だけを残して、だいたいすべて誰かの 胃の中に収まり、ほっとした頃︱︱。 店の奥︱︱、厨房のほうで、動きがあった。 従業員が何人も集まっている。 みこし 大勢でかついでくるのは︱︱。 神輿だった。 ﹁牛の丸焼きでございます!﹂ みこし テーブルの上の皿も料理も、すべてを押し潰して︱︱。 神輿が置かれた。 牛の焼死体が︱︱。 いや︱︱。〝牛の丸焼き〟が、焼けただれた眼球で、俺を、にら んでいた。 ﹁⋮⋮⋮﹂ 俺は脂汗を通り越して、なんか妙な液体を、だらだらと顔と背中 に垂れ流しながら︱︱。 433 牛の丸焼きと対峙していた。 ﹁当店自慢の名物料理でございます﹂ 料理長が⋮⋮、嗤っていた。 〝お帰りになられますか?〟と、その目が、云っていた。 勇者は引けない。 勇者が敗れるときは、それは人類の滅亡を意味する。 ⋮⋮もう勇者じゃねーんだけど。 ﹁お⋮⋮、おい、アレイダ? ここの名物料理らしいぞ﹂ ﹁う⋮⋮、わ⋮⋮、う、うわーい⋮⋮、お、おいしそ⋮⋮う﹂ アレイダも、引きつった顔になっている。 すでに妊娠9ヶ月目。これ以上食ったら、生まれてしまう。 スケルティアは、さっきからずっと、動いていない。 モーリンは、しずしず、ちまちま︱︱と、お行儀良く食べ続けて いる。我関せず、といった顔で、小片を口許に運んでは、自分のペ ースで食事を愉しんでいる。 ﹁じ、じゃあ⋮⋮、い、いただきま⋮⋮す﹂ うちの娘の役に立つほうが、決して勝てない戦いに向けて、最初 の一口を刻んだ。 ﹁う⋮⋮、う、う⋮⋮、もうだめ⋮⋮﹂ ﹁やめろ。それはやめろ⋮⋮﹂ 434 テーブルに突っ伏して呻いているアレイダに、俺も同じように突 っ伏しながら、そう制止した。 ﹁だ⋮⋮、だめ⋮⋮、だめっ⋮⋮﹂ ﹁やめろ。ヒロインやめたくなかったら⋮⋮、やめろー!﹂ だが、しかし、アレイダは︱︱。 ﹁う、うぷ︱︱﹂ やったー! リバースしたー! ヒロインやめて、ゲロインになっちまったあぁぁーっ!! わかっている顔の従業員が、あっという間に取り囲んで、ゲロイ ンを引きずって連行してゆく。 床のうえに、光り輝く〝道〟が、できあがっていた⋮⋮。 あーあー⋮⋮。ばっちー⋮⋮。 何日か、触んの、やめよー⋮⋮。 何日か、あいつ、抱いてやんねー⋮⋮。 主戦力は轟沈したものの、俺たちは、牛の丸焼きも、なんとか食 いきった。 モーリンが意外と食べていた。 ちまちま、ちまちま、少しずつではあるが、ナイフとフォークを 操る手を止めないので、地味に丸焼きが減ってゆく。 435 スケルティアは、静止と再起動を繰り返していた。生き返ったと きには、大の男一人分ぐらい片付けて、また静止モードに入る。 完全静止しているときには、内臓をフル稼働させて消化している っぽい。 牛の丸焼きが⋮⋮。 俺たちを壊滅寸前にまで追いこんだ、この凶悪な物体が⋮⋮。 ようやく、片付いた。 俺たちが﹁ごちそーさま!!﹂と叫ぼうとした︱︱その時のこと だった。 従業員が、わらわらと群雲のように現れて︱︱。なにか、やって いる。 俺の目には、どうも、店の壁を破壊しているようにしか⋮⋮。見 えないのであるが⋮⋮。 壁が取り払われた。 表通り沿いから、〝それ〟が︱︱。搬入されてきた。 ﹁竜の丸焼きにございますッ!!﹂ でた。きた。 最強生物が丸焼きになって、出てきた。 竜ってまだいたんだ。五十年前でも希少種だったが。 そしてあの料理長。竜を狩れるほどの強さだったのか。 なんで料理人なんてやっているんだ? なんで竜なんて倒してん だ? 436 ああ。料理人だから、もちろん、〝料理〟のために倒してんだな。 そりゃそうだな。 俺はたっぷり数十秒ほども、現実逃避に耽っていた。 やつの目が嗤っていた。〝お帰りになられますか?〟︱︱と。 俺は︱︱。 俺は︱︱。 負けるのは、大変、屈しがたい。勇者として許されない。︱︱い やもう勇者じゃないんだけど。 だが⋮⋮。 だがこれは⋮⋮。 俺は焼死したドラゴンの顔と、にらめっこをした。 俺が降参の言葉を口からだそうとした︱︱。そのとき︱︱。 ﹁あら。おいしそうですこと﹂ え? という顔が、無数に︱︱一点へと集中した。 しずしずと食べていたモーリンが、ドラゴンの顔を見ながら、に っこりと微笑んでいる。 なにかの魔法をみているようだった。 モーリンはあくまでも、ゆっくり、ナイフとフォークを扱ってい 437 る。ただそれだけ。 なのに、みるみる、どんどん、ドラゴンの身肉は減ってゆくのだ。 ﹁あー、ドラゴンステーキ!! わたしも食べるー!!﹂ どんだけ吐いてきたのか。臨月状態からスマートな体に戻ったア レイダが、そんなことを叫びつつ、ドラゴンステーキに飛びついた。 てゆうか⋮⋮。吐いてきてから、また食うとか、それって、ルー ル違犯なんじゃね? 俺も再び戦線に復帰した。また食った。限界を超えてみせた。 ドラゴンステーキなんて貴重なものを、食わないわけにはいかな い。 知ってるか? 食うだけで強くなるんだぜ? ステータスあがる んだぜ? なんでこんなチート食材、食い放題なん? おかしくね? おかしくなくなくね? 食った。食った。食いつづけた。食材効果でSTRとCONがあ がった。なので胃袋に空きができて、そのぶんも食った。 だがやはり限界だった。 ドラゴン一匹なんて、食い尽くせるはずが︱︱。 絶望の目を、ドラゴンの丸焼きに向けた俺は︱︱。 ﹁え?﹂ 半分、減ってた。 モーリンがゆっくりとした仕草で、ちまちまと、お行儀よくナイ フとフォークを使いながら︱︱。しかし確実に、減らし続けていた。 438 ﹁え? え? え?﹂ 一口一口は、ほんの小さな小片をゆっくりと運んでいるだけだ。 優雅ともいえる仕草だった。 しかしドラゴンの肉はみるみる減ってゆく。 時間の流れが、なんかおかしい。 モーリンが一口に使っている時間は、〝体感時間〟では、ゆうに 数秒以上。だが〝客観時間〟では︱︱。 俺は時間を計るスキルを発動させて、厳密に計測を行った。 その結果︱︱。 モーリンの一口の実時間。︱︱なんと、〇・〇〇一秒。 この世には、勇者すらも知り得ないスキルがあるらしい。 世の中⋮⋮、奥が深い⋮⋮。 モーリンは優雅に食事を続ける。 あれだけの量が、どこに入っているのやら。テーブルの下のウエ ストあたりを見ても、まるで変化がない。 アレイダのように9ヶ月とかになっていない。そうなったモーリ ンというのを、いずれは見てみたいものだが。︱︱まあそれはそれ として。 モーリンは、すべてを完食した。 ﹁おいしゅうございました。⋮⋮ふう﹂ 頬を上気させて、ため息をひとつ、つく。 439 それきりだ。 〝竜の丸焼き〟を食べきった美女は、満足したように、微笑んだ。 ﹁おかわりは? ⋮⋮でますか?﹂ ﹁も⋮⋮、もう⋮⋮、ないです⋮⋮﹂ 料理長は、両手両足を床についていた。がっくりとうなだれてい る。 牛の丸焼きに続く、竜の丸焼きで、俺たちを完全に仕留めたと思 っていたのだろう。 さすがに〝次〟は用意していなかったようだ。⋮⋮って、竜より デカい生き物なんか、そうそういやしないが。 だが︱︱。おまえもよくやったよ。相手が悪かっただけだ。 俺たちでなければ、竜どころか、牛のあたりで、倒されていたは ずだ。 俺は床に這う料理長に、手を差しのべた。 引きあげて、立たせてやった。 ﹁ごちそうさま。うまかったよ﹂ 笑いかけると、あいつも笑い返してきた。 ﹁世界を救うことがありましたら、その際には、また来てください。 いい料理をお出ししますよ﹂ 料理長は細い目をさらに細めて、ウィンクしてきた。 440 あー、これー、すっかりバレてんなー⋮⋮。 まー。世界のどこを探したって、〝魔王〟なんていやしねえけど な。 俺が倒した。前世で倒した。相打ちとなりはしたものの、命をも って、倒しておいた。 だからもう世界を救う必要なんて、ぜんぜん、ないんだけどなー。 ﹁まあ。その時が来たら、また食いにきてやるぜ﹂ ﹁それまで腕を磨いておきますよ﹂ 俺は料理長と腕をクロスさせた。 あんまり男とくっつく趣味はないのだが。 くっつくのであれば美女ないしは美少女がよいのだが。 ま。なんか︱︱。好敵手っぽい友情が芽生えてしまったわけで。 ﹁さ︱︱。帰るか﹂ ﹁はーい!﹂ ﹁スケ。は。かえる。﹂ 皆が立ちあがる。 モーリンも最後に静かに立ちあがって、足を踏み出す。 ︱︱と。 床が抜けた。紙みたいに抜けた。 わりと頑丈そうな木の板の床だったが、モーリンが足を出すたび に、ばりんばりんと壊れてゆく。 441 ﹁⋮⋮困りました。これでは帰れません﹂ なるほど。 俺は理解した。物理法則までは曲がっていなかったらしい。 質量保存の法則というやつだ。 食ったぶんが、いったいどこへ消えているのかと思っていたが︱ ︱。 見かけは変わっていなくても、〝質量〟のほうは、しっかりと変 わっていたわけだ。 いまのモーリンは、ドラゴン一頭分の体重があるわけだ。 ﹁〝飽食〟のスキルも万能ではないようですね。スキルポイント余 っていたので取ってみましたが﹂ ﹁モーリン。ちょっと失礼するぞ﹂ 俺は紳士的に声を掛けた。そしてモーリンの背中と、膝の裏に、 それぞれの手をかけて︱︱。 ﹁えっ? あっ⋮⋮、きゃっ﹂ 小娘みたいな可愛らしい声をあげて、モーリンは俺の手に﹁お姫 様だっこ﹂をされた。 ﹁軽いな。小鳥のようだ﹂ 俺はモーリンを運びつつ、店を出て行った。 スキルをいくつか使った。 442 ドラゴンの体重を持つ女を抱き上げるためには︽剛力︾。単純な 腕力を底上げするスキルだ。 もう一つは︽軽身功︾。スキルレベルによっては、体重が、かぎ りなく﹁0﹂に近づく。 ︽剛力︾は戦士系で、︽軽身功︾は盗賊や隠密系のスキルである が、勇者のクラス特性は﹁全スキル取得可能﹂だ。 俺の女のために、溜まっていたスキルポイントを浪費するくらい、 造作もないことだった。 俺の女のためなら、スキルポイントだろうが、なんだろうが、た とえ命だろうが、いつだってすべてくれてやる。 ﹁マスター。あの⋮⋮、お、下ろしてください﹂ ﹁だが断る﹂ 俺は断固たる調子で、そう言うと︱︱。 モーリンをお姫様だっこしながら、店をあとにした。 そこ。アレイダとスケルティア。 いいなー、とか、指をくわえながら見てるんじゃねえよ。 ◇ アレイダはSTRとCONがあがった。スケルティアはDEX。 モーリンは、驚いたことに、INTがあがった。カンストしてる ステータスなのに、なんと、〝桁〟が増設されていた。 俺はまんべんなく、どのステータスも向上していた。 レベルと経験値に一切変化はなかったが、ステータスだけは何レ ベル分もあがった。ラストダンジョンにこもって修行するぐらいの 443 効果があった。 行く先々で宣伝してやるとするか。 〝食べるだけで強くなれる、すごい店があるぞ〟︱︱と。 444 不幸の手紙 ﹁どどどどど、どうしよう! 誰かに読ませないと っ!﹂ ﹁やったー! 宝箱ーっ!﹂ 剣を高々とつきあげて、アレイダが勝ちどきをあげている。 宝箱があった。 まあ。部屋を襲撃して、固定エンカウントの多種族構成による一 団を一掃したのだから、宝箱ぐらい、出ても当然だ。 ダンジョンには、ランダム・エンカウントと、固定エンカウント がある。 通路で出くわす敵は、だいたい前者だ。徘徊している敵である。 それに対して固定エンカウントの敵というのは、その場所に行け ば、必ず遭遇する敵のことを呼ぶ。 まあ、必ず、といっても、本当に必ずいるわけではない。 空き部屋ということも多々ある。たとえば先客が根こそぎにして いった場合など︱︱。 以前、アレイダとスケルティアを連れて、街の近くの、初心者冒 険者向けのダンジョンでパワーレベリングしていたときには、すこ し迷惑をかけていたかもしれない。 俺たちのあとに訪れる冒険者たちは、無人のダンジョンに呆れて いたことだろう。 だいたい、どこのダンジョンでも、根こそぎにしたら、まあ、二、 三日くらいは、なにもいなくなる。 445 逆に言えば、二、三日もすれば、なにかしら涌いてくるともいえ る。 モンスターの生態は、いまだ解明されきってはいない。 どこから来て、どこへ行くのか︱︱。 オークやゴブリンといった、通常の繁殖方法によって、普通の生 物と同じように増える種族もいる。植物系は文字通りに〝生えて〟 くる。 どこからか〝出現〟したとしか思えない増えかたをする、魔法生 物のようなものもいる。 生物の一種ではあるのだろうが、この世界で生まれたわけではな く、異次元から時空を渡ってくる悪魔系のモンスターもいる。自然 エネルギーの申し子である精霊系のモンスターもいる。どう見ても おまえ機械だろ、という、マシン系のモンスターもいる。 部屋でエンカウントする固定モンスターは、多種族構成となる。 構成するモンスターの種類によっては、戦略は、まったく異なる。 たとえば今回の部屋などは︱︱。 数ばかり多い獣人のザコ的のほかに、火系エレメントの遊撃隊が いた。司令塔の悪魔魔道士が、これまた厄介で、仲間を回復させる わバフかけるわ。こっちのバフを剥ぎ取ろうとしてくるわ。 最初に仕留めようとしても、仲間の後ろに隠れてしまうので、前 衛をなぎ倒していかないかぎり、手が出せない。 あー、遠距離攻撃ユニット、ほしいわー。 弓だのクロスボウだの使い手だとか⋮⋮。魔法使いでもいい。 むしろ魔法使いがベストだな。 あー、ほしいわー。 446 前衛のガチ物理さんのアレイダがいて、攻めも守りも変幻自在の 中衛のスケルティアがいて、これであと、回復と攻撃と両方できる 魔法使いがいたら、最小構成で完成するんだがなー⋮⋮。 無論、なんでもできる万能クラスの﹁勇者﹂と、魔法最強の﹁賢 者﹂はいるわけだが︱︱。 俺らが出ていってしまうと、このへんの敵だと、やっぱり一撃で 掃討してしまうので⋮⋮。なるべく手を出さない方針でいる。 具体的には、二人が倒れて、おっ死ぬまで。 ﹁今回は、だいぶ、苦戦していたようだな﹂ ﹁ね! それより! 宝箱! 宝箱っ!﹂ ﹁うるさい。ぴょんぴょんすんな。宝箱は逃げない。まずはいまの 戦いの反省会だ﹂ ワンコの躾はすぐにやる。動物教本にも書いてある。うちのワン コは特におバカだから、きっちり守らないとならない。 今回の部屋は、前衛のアレイダと、中衛のスケルティア二人だけ では、掃討、苦戦していたようである。 火系エレメントの敵がまじっていたので、いつもの蜘蛛の糸で絡 める一網打尽作戦が使えずにいた。 あれは強力なハメ技であるが、最近の二人は、あれに頼ってばっ かりいる。 ぜんぜん。よくない。強い戦術に頼りきりでは工夫しない。成長 しない。格下には滅法強いが、〝格上〟に出会ったときには、あっ さりと殺られてしまう、そんな貧弱キャラが育つだけだ。 447 ︱︱と、いうようなことを、俺は淡々と説明した。 二人が苦戦していた理由も、すべて解説してやった。 ︱︱と、いうのにだ。 ﹁わかったからー⋮⋮、もー、いいでしょー? 宝箱ー、宝箱ーっ ?﹂ うちの娘の駄犬のほうは、ご主人様のありがたい話を聞いちゃい ねえ。 このアマ。犯すぞ? 裸にひん剥いて、石床のうえで滅茶滅茶に 犯すぞ? ⋮⋮だめだな。ご褒美にしかならんな。 そういやこれまでエンカウントの敵ばかりだったので、確定で出 てくる宝箱は、はじめてなのか⋮⋮? こいつって? だからぴょんぴょんしてるのか。 ﹁ねー! 開けて開けてー! わたしー! 開けていいのーっ!?﹂ ﹁馬鹿。鑑定魔法が先だ﹂ 専門の盗賊がいないから、あんま、開けたくないんだけどなー。 罠の有無および種類を鑑定する。 ⋮⋮ふむ。シロと出たか。 罠はなし、と、出た。 本来なら、複数人で鑑定魔法を用いて、鑑定の精度を上げるとこ 448 ろだが︱︱。 ﹁開けていいぞ﹂ ﹁わーい﹂ こいつは駄犬ではあるが、いちおう、世間一般的には上級職とさ れるクロウナイト。 魔法爆雷に至近距離で巻きこまれても、ギリ、生きているだろう。 かちゃり、と、箱が開く。 ﹁ん? なに? これ⋮⋮? 巻物? ⋮⋮ちぇっ﹂ スクロール 入っていたのは、一巻きの巻物。 武具を期待していたのだろう。アレイダはあからさまに落胆した 顔になっていた。 そう落胆するものでもない。 見つかった巻物が、もし身習得の呪文であれば、ヘタな武具が出 るよりお得なこともある。 使わない武具は売ってカネにするしかないが。俺たちはカネなら これ以上必要がないぐらいに持っている。このあいだラストダンジ ョンに行って、入口付近で二人を鍛えたら、まー、儲かった。しば らく金策をする必要がなくなった。 スクロール 巻物は見た目は地味だが、中味次第では宝物だ。 スクロール 魔法の呪文には、レベルがあがると、自動的に取得できるものと、 誰かに教わるか巻物から取得しなければならないものとがある。 クラス 自動的に取得する呪文は、その職業を代表する特性のものである。 449 たとえばナイト系では治療魔法。闇の騎士たるクロウナイトではエ ナジードレインなど。 だが本当に強力なのは、自動では身につかない呪文のほうだった りする。習得可能ではあるが、困難なり条件なりを要する。そうい う呪文やスキルのほうに、強力なものが揃っている。 苦労して手に入れたもののほうが、見返りが大きい。︱︱ま。当 然の常識だわな。 アレイダがいっぺんクロウナイトに闇落ちしたのは、さらなる上 位職を目指すための腰掛けであるから、そういうことは一切やらせ ていない。 単なる素のスペックの駄クロウナイトでしかない。 ﹁なんかわたし⋮⋮、いま悪口言われてる気がするー⋮⋮﹂ ﹁気のせいだ﹂ じっとりとした目線に、俺はしれっと、そう答えた。 ﹁こーいうのって⋮⋮、呪い⋮⋮とか? かかっていることあるん でしょ?﹂ アレイダが気味悪そうに言う。 宝箱の中の巻物を見つめるだけで、手を出さないのは賢明である が⋮⋮。 俺はそのケツを蹴った。 ﹁なにやってる。とっとと広げて、読んでみろ﹂ ﹁だっ︱︱だって! 呪いとか掛かっていたら︱︱!?﹂ 450 ﹁知ってるか? マンドラゴラの抜きかた。犬に紐を結んで、引っ ぱらせて、抜くんだぞ﹂ ﹁犬うぅ! わたし! 犬うぅぅ!﹂ ﹁スケ。⋮⋮が。読む?﹂ スケルティアが、そう言った。最近、スケのやつも、文字を覚え た。 外国語を習得するわけではないので、文字と音の対応関係さえ学 ぶだけだ。覚えるのはわりと早かった。じつは頭も良かった。種族 特性でINTも上がってきているので、そのうち、魔法を操る蜘蛛 系種族に進化してゆくといいのかも? ﹁いや。わたしが読むわよ﹂ アレイダがきっぱりと言った。 さっきまでグズグズ言ってたわりには、スケがやると言ったら、 自分がやると一瞬で決めた。 俺。こいつのこういうところは好き。 うちの娘たち︱︱と、二人を一セットに考えることはよくあるが、 そういえば、どっちが姉でどっちが妹かということは、考えたこと がなかったな。 アレイダが姉だな。スケルティアは妹だな。 ﹁スケ。⋮⋮も。読む。一緒。﹂ ﹁え? あ⋮⋮、うん。まあ⋮⋮、いいけど﹂ 姉は妹に弱かった。 451 俺は笑いをこらえるのに、苦労していた。 スクロール 人身御供は、一人で充分なんだが⋮⋮。 まあ、仮に呪いの巻物だったとしても、大賢者に解呪できない呪 いは、そうそうないし。こんな初心者向けダンジョン︱︱おっと、 世間一般的には、充分、高レベル・ダンジョンだったな。勇者業界 からすると、駆け出しの初心者になるというだけで。 まあ、こんな勇者業界・初心者向けダンジョンで出てくるような 呪いが、そんなアブナイはずがない。 ﹁えーと⋮⋮、なになに⋮⋮?﹂ スクロール アレイダとスケルティアは、石の床の上に、ぺたんと女の子座り して、二人で巻物を広げにかかった。 コモン ﹁あれ? 共通語で書いてある?﹂ ﹁ん?﹂ スクロール コモン おや。ハズレだったか。 呪文の巻物なら、共通語で書かれているはずがない。 コモン ﹁共通語なら読めるだろ。読んでみろ﹂ 俺は言った。 ﹁え? ええっと⋮⋮﹂ アレイダのやつは、文字を指でなぞりながら読みはじめる。 なんでか。こいつ。この蛮族姫君。読むとき、指でさしながら読 むんだよなー。 452 萌えるから、やめ、っつーの。 ﹁この巻物は⋮⋮、呪いの巻物です⋮⋮、って!﹂ ぎょっとした顔をアレイダは向けてくる。 ﹁いいから読め﹂﹂ ﹁だってだってだって︱︱! 呪いって書いてあるのよ! ほらこ こに!﹂ 呪いの巻物です、と書かれた、呪いの巻物があるわけ、ねーんだ けど⋮⋮。 ﹁⋮⋮その先は? なんて書いてある?﹂ ﹁えっとえっと⋮⋮、ええと⋮⋮、この巻物を読んだ者は、三日以 内に同じ巻物を書いて、五人以上に渡さなければ、不幸が襲いかか ってくるでしょう⋮⋮って! そう書いてある! そう書いてある んだけどーっ!﹂ ﹁落ちつけ﹂ ぎゃーぎゃー騒いでいるアホ女のケツを、俺は蹴り飛ばした。 こいつのケツ。蹴り心地がいいんだよなー。つい蹴ってしまうん だー。 蹴り心地だけでなくて、抱え心地もいいんだが。つい抱えこんで しまうんだが。後ろからな。 ﹁呪われたー! 呪われちゃったー!﹂ 453 前のめりになって石の床とキスしていたアレイダは、顔を持ちあ げると、抗議の一つもせず、またギャーギャーと騒ぎたてはじめた。 ﹁スケさんどーしよー! どーしよー! わたしたち呪われちゃっ たー! だからわたし一人で読むって言ったのに! そしたら呪わ れるのわたし一人ですんだのにーっ!!﹂ ﹁のろい。⋮⋮って。なに?﹂ スケルティアは、きゅるんと、頭を傾けている。 ころす。喰う。寝る。︱︱の、シンプルライフの野生の蜘蛛生活 には、﹁のろう﹂はなかったっぽい。 ﹁呪いよ!! だから、つまり︱︱!!﹂ ﹁どんな災厄が襲ってくるって?﹂ ﹁だから災厄なの!﹂ ﹁だから、どんな?﹂ 俺は、聞いた。 ﹁ええと⋮⋮、どんなだろ?﹂ 答えが存在しないということに、アレイダはようやく気づいたよ うだ。 ﹁威しとしても、三流だな。脅すからには、脅した内容が確実に履 行されると、相手に思わせなくてはならない。その内容が確実に現 実であると確信させなくては、脅しとは、単なる言葉でしかない。 単なる言葉など、なんの意味も持たない﹂ 454 ﹁それは⋮⋮、そうだけど﹂ ﹁たとえば小悪党を捕まえて拷問に掛けるのだとする。質問に答え なければおまえの指を一本落とす。それでも答えなければもう一本 落とす。二本目以降も順に全部落とす。︱︱と、そう宣言しておい てから、本気でやると思っていないその相手の指を、一本、落とし てやれば、残りの四本についても本気だと確信させることができる﹂ ﹁な⋮⋮、なんで拷問方法の話になってんの?﹂ ﹁俺は普段からおまえたちに〝俺は助けない〟と言っているな。そ の脅しについて、おまえらは確信を持っているはずだ﹂ ﹁現実に⋮⋮、助けてくれてないよね? わたし死にかけて、びっ くんびっくんいってたって、放置するし⋮⋮﹂ びっくんびっくんいってるくらいは、まだ、わりと平気な領域だ しなー。 死んで十数秒ぐらいなら、じつは蘇生魔法はいらなくて、まだ大 回復や全回復で間に合ったりする。 ﹁わたしたち、戦っているときにも、あーでもないこーでもない、 ダメ出ししてくるだけで、どんなに苦しい戦いでも、絶対、手伝わ ないよね?﹂ ﹁当然だ﹂ 俺が手伝ってしまったら、こいつらの訓練にならない。 ﹁ひどいのよね。極悪人よね﹂ 過保護にしないで適切に扱うだけで極悪人かよ。 455 ﹁安心しろ。骨ぐらいは拾ってやる﹂ ﹁ほら! 骨にするし! 骨になるまで助けないって宣言だし!﹂ 藪蛇だった。 ジョークで潤いを与えようと思ったのだが。こちらの世界にはこ のジョークはないのかも。 ﹁死んだ。ら。⋮⋮食べてね?﹂ スケルティアも、長いこと考え抜いたあとで、そんなことを言っ た。 自分が死んだあとのことを、頑張って、考えてみたらしい。 野生の生物はそんなことは考えない。死んだらどうなる? ︱︱ なんて意味のないことを考えるのは、人間だけだ。 だからスケルティア的には、これは、頑張った。 言葉の意味は、俺が推測するに︱︱。 自分が死んだあとには、きちんと食べて、有効活用してね? ︱ ︱と、そういうことらしい。 そのへんはいまだに野生の生物。 あとついでに、実行不能。 100%モンスターなら食べてもいいのかもしれないが、半分人 間のハーフ種族は、ちょっと、むーりー。 ﹁⋮⋮おほん。まー、つまりだな。俺が言いたいことは⋮⋮﹂ どうも、俺の誠意が、娘たち二人に伝わっていないようなので⋮ ⋮。 456 ﹁大丈夫だ。こんなん。気にするな。俺がそう言ってるんだから︱ ︱信じろ﹂ ◇ ﹁⋮⋮と、いうようなことが、あったわけだ﹂ ﹁さようでございますか﹂ 夕食も終わって、二人きりになったあとで、俺はモーリンにそう 言った。 ナイトガウン姿で、ワインのグラスを俺に差し出すモーリンは、 昼間のメイド姿とはまた違った顔を俺に見せる。 アレイダやスケルティア︱︱娘たちには見せない恋人としての顔 を、俺は独り占めだった。 いちおう育成状況は俺とモーリンの間で共有している。俺のかわ りにモーリンがついて、二人をダンジョンに連れてゆくこともある。 ﹁こっちには、〝不幸の手紙〟っていうのは⋮⋮、ないのか?﹂ ﹁不幸の手紙? ⋮⋮で、ございますか?﹂ モーリンは中空を見つめる仕草をする。 別の次元にいる〝親戚みたいな存在〟と交信して聞いているのだ と、このまえ語っていた。 ミーム ﹁実行力のない文面における脅しのみで、自己増殖する情報遺伝子 ⋮⋮とのことですけど﹂ ﹁そんなたいしたものでもない。俺のいた世界で流行っていた単な るイタズラだ﹂ 457 ﹁と、伝えておきます﹂ 異世界モーリン、くっそ使えねえ。 ﹁森はくっそ使えない。⋮⋮ああ怒りましたね。交信終了﹂ ﹁思考まで読むんじゃない。⋮⋮おまえの親戚は怒るんだな﹂ ﹁最近。感情表現が豊かになりました。なぜでしょう﹂ 向こうも、きっと、そう思っているはずだぞ⋮⋮? 五十年前のモーリンは、ほんと、機械かと思ったしなー。 ﹁異世界モーリンのやつを、羨ましがらせてやるか﹂ 俺はモーリンの細腰を抱き寄せた。 ﹁ばくはつしろ、と、言われたら、俺たちの価値な﹂ ﹁⋮⋮問い合わせますか?﹂ ﹁いっそ実況中継してやれ﹂ 俺はモーリンを押し倒した。 ソファーしかないが、それで充分だ。 ◇ 数日が経った、ある夜のこと︱︱。 俺が支度を調えていると、モーリンがやってきた。 俺の身支度を手伝ってくる。 女の手で服を着せられると、戦意が向上する。 458 ﹁あいつらは︱︱?﹂ ﹁寝室です﹂ 上着を着せた俺の背を撫でながら、モーリンが言う。 俺の来ている上着は、見た目は単なるロングジャケットでしかな いが、防御力でいえば、なかなかの逸品だ。 頭おかしいほどの強化魔法が掛けられているおかげで、布素材で あるくせに、そこらのガチガチのフルプレートよりも、よほど性能 が高い。 見た目も、向こうの世界の服装に、なんとなく似ているので、気 に入っている。 スカウト なにより動きやすいのがいい。 もともとは密偵用の布装備だから、動いても音がまったくしない。 夜、闇夜の中で戦っていても、すくなくとも俺からは、一切の音 が発生しないはずだ。 寝てる二人を起こす心配は⋮⋮。 ﹁⋮⋮寝てるのか?﹂ モーリンは、くすっと微笑んだ。 ﹁二人で抱きしめあって、震えていますよ﹂ はっはっは。 うちの娘のバカなほう。バカかわいー。 スケルティアのほうは、無表情で抱きしめられているだろうが。 こっちも、無表情かわいー。 ﹁さて⋮⋮、行ってくる﹂ 459 ﹁ご武運を﹂ 武運が必要なほどじゃない。 片手を振って、俺は屋敷の外へ出た。 こちらの世界における〝呪いの手紙〟は、イタズラじゃなかった。 ホンマもんだった。 気になったので、リズに依頼して、いちおう調べてみたら︱︱。 何人も呪い殺されている、ホンマもんだった。 やべえやべえ。てっきりイタズラだと思ってたさー。 アレイダが手紙を見つけて、スケルティアと二人で読んで︱︱あ れから三日が経っていた。 今夜は手紙に書いてあった期日の日である。 〝呪い〟の本体を迎撃するために、俺は霊的戦闘準備を整えて、 待ち受けていた。 屋敷は亜空間の中にあるから、霊だろうが呪いだろうが、なんだ ろうが、入ってくるためには、その通路は一箇所しかない。 外の馬車と繋がる時空通路の出口で俺は待っていた。 貞子だか伽椰子だか知らないが︱︱。 俺の娘たちを呪い殺そうとか、どこのどいつだ。 俺は娘たちに﹁安全﹂と約束した。それが嘘であってはならない。 ﹁安全﹂かつ﹁無害﹂にしてやる。さあこい。 460 俺は元勇者の顔に、凶悪な笑みを浮かべた。 461 ﹁ゴブリンスレイヤー? ①﹂ かっぽん。かっぽん。 山あいの道で、馬車を進ませる。 歩くより速いか遅いか、そんな程度の速度で、ゆっくりと進む。 空はどこまでも青い。 そして道はどこまでも続いている。 この道は、世界のどこにだって続いている。俺はこの馬車で、愛 する女たちとともに、どこへだって行ける。 勇者時代の道は、﹁魔王討伐﹂という目的地にしか繋がっていな かった。それはそれは窮屈な旅であった。 かっぽん。かっぽん。 規則正しく︱︱それでいて、絶妙な心地よさの﹁F分の一揺らぎ﹂ の、蹄の音が聞こえてくる。 ミーティア 馬は良い娘だった。 俺が手綱を操っていなくても、勝手に歩いていってくれる。 俺が居眠りをこいていると、手綱を引いて起こしてくれたりもす る。 どっちが御者なのか、わからない。 はっはっは。いい娘だなぁ。 なでなで。 462 ミーティア 手を伸ばしてお尻を撫でていたら、馬が立ち止まった。 ん? 尻をさわって怒ったか? そんなわけはないな。 俺はやや遅れて、その気配に気がついた。 何者かが森の中を移動している。こちらに近づいてくる。 人サイズ。おそらく一人。なにかから逃げているみたいな、急い でいるような、切羽詰まった足取りだった。 やがてその人物は、馬車の前の道に姿を現した。 森の中から道に出て驚いている。そしてこちらを︱︱馬車と、そ の御者台に座る俺を見て、その顔に浮かんだ表情は⋮⋮、あれは安 堵か? 希望? 懇願? 美人ではあった。だが血と泥で汚れていた。 返り血と泥とは、激しい戦闘と、そのあとの逃亡劇を、濃厚に物 語っていた。 なにかワケあり ﹁ん? どうしたの? なんか止まった?﹂ 馬車の中から、ひょっこりと、アレイダのやつが顔を出す。 ﹁女の人? ⋮⋮どうしたの?﹂ ﹁さあな﹂ 俺は手綱をアレイダに預けると、馬車を飛び降りた。 立ち尽くしている女に向かう。 463 少女と女の︱︱ちょうど中間くらいの年齢か。 汚れていることをさっぴくと︱︱とびっきりの、美少女だった。 スリムで野性味のある肢体に、鳥の羽をあしらった羽根飾りを身 クラス に帯びている。 職業としては、レンジャー系かシャーマン系か︱︱。あるいはど ちらも兼ね備える上位職か。 鑑定スキルを発動させずとも、そこそこの実力者なのはわかる。 アレイダやスケルティアと組ませてダンジョンに送り出しても、 それほど見劣りはしないだろう。 そういや遠距離攻撃できて後衛って欲しかったんだよなー。レン ジャーなら、当然、遠距離武器を使うんだろうし、シャーマン系は バフが充実してるんだよなー。 まあそんなことよりも、見るからに尋常ではない彼女に、事情を 尋ねるのが先決だろう。 血まみれなのは返り血で、本人の怪我はたいしたことはない。せ いぜい、逃げているときに木の枝で擦った引っ掻き傷程度だ。 ﹁どうした? なにがあった﹂ ﹁た⋮⋮、助けて⋮⋮﹂ 見るからに焦燥しきった彼女は、俺に助けを求めてきた。 声を掛ける前から︱︱。視線から︱︱。そんなことじゃないかと 思った。 ﹁ゴブリンに︱︱、みんなが︱︱﹂ ﹁待った﹂ 464 訴えかけてくる彼女を遮って︱︱俺は、ストップをかけた。 ﹁悪いが。他をあたってくれ﹂ ﹁ちょ︱︱!? オリオン! なに言ってんのよ! 助けてあげま しょうよ!﹂ アレイダが馬車の上から、ぎゃーぎゃーと叫ぶ。 うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるさい。 これがうちの娘のクールなほう︱︱スケルティアであれば、その 相手が死んでるか生きてるかぐらいにしか興味がないのだが。死ん でたら﹁たべていい?﹂となって、生きてるほうには、ぶっちゃけ 興味がない。 ﹁俺は人助けはやらない﹂ 俺はアレイダにそう返した。 勇者だった頃には、目に付く者は、すべて助けていた。 自分で言うのもなんだが、かなり品行方正な勇者だったと思う。 見返りなど一切求めず、滅私奉公で働いた。 困っている人がいれば助けた。救った村や街は数知れない。 そうやって、なにもかも捨てて、民衆のために戦った英雄に対し て、人々が願ったことは︱︱﹁魔王を倒して死んでくれること﹂だ ったわけだ。 その通り。俺は死んだ。相打ちとなって魔王を倒して︱︱。 465 俺はもう二度と、他人のためには戦わない。 人助けなどしない。そう決めたのだ。 ﹁勇者でも探して頼んでくれ﹂ ﹁勇者は⋮⋮、モータウロス様は、ゴブリンに捉えられました﹂ 彼女はつらそうに、そう言った。 ﹁はあぁァァ?﹂ いや。失敬。 思わず変な声が出てしまった。 勇者がどーとか、言ったからだ。 そして勇者がゴブリンに捕らえられたなどと、言ったからだ。 クラス どこの世界に、ゴブリンに倒されている勇者がいるんだ? それに勇者の職業は、あれは特殊で︱︱。 世界で、ただ一人しか同時存在できない。 いまこの世界には俺が存在しているので︱︱。つまりそいつは、 〝ニセ勇者〟ということだ。 あー、いたなー。 前々世でもー、ニセ勇者ー、いっぱい、涌いてたわー。 ゴブリンは数こそ多いが、けっして、強いモンスターではない。 ただゴブリンだけなら完全なザコだ。初級冒険者にとってはいい カモで、稼ぐネタにもなる。 466 ただ用心棒的にホブゴブリンが行動を共にしていたり、ゴブリン・ ロード︱︱王に率いられた部族であったり、ゴブリン・シャーマン の守護を受けていたりすれば、話は別だ。 途端に中級冒険者でも手を焼くような存在へと変わる。 〝ゴブリン事故〟と、冒険者のあいだでは呼ばれているが︱︱。 ゴブリンに返り討ちにあってしまう初心者が後を絶たないのは、 〝ゴブリンは弱い〟という先入観のまま、侮ってかかるからだ。 準備もせず、メンバーも揃えず、敵集団の数も確認しないで力押 しで赴けば、事故だって起きる。 ゴブリンは弱いモンスターだが、罠を使うぐらいの知恵がある。 仲間がいくら殺されてもまるで怖れない。これは勇猛なわけでは なく、頭のネジが吹き飛んでいるほうだ。 モンスターを研究している学者たちの一説によれば、非常に多産 で成人するのも早い種族であるために、戦闘でバンバン損失の出る ことが〝口減らし〟になっているのだとか。 また、やつらは人間の女に異様な執着を示す。味方の屍の山を築 いても、女は生かして捕らえようとしてくるぐらいだ。どうも美的 感覚が、なぜだか人間に近く、同族のメスが醜く見えて、人間の女 は美しく見えるのだそうだ。 捕らえられた女がどうなるのかは︱︱。わざわざ語るまでもない だろう。 ﹁助けて! ︱︱お願い! 助けてください!﹂ 女は俺にすがりついてきた。 467 身に帯びた鳥の尾羽が揺れて華やぐ。こんな場面でもなければ、 その羽根は女を美しく引き立てていたことだろう。 ﹁おまえの男を、なぜ、俺が助けなくちゃならない?﹂ しかも、ニセ勇者を? ﹁ケインだけじゃなくて! グレーチェルとシズルも︱︱!﹂ おや。女の名前か? なんちゃらとかいう名前のニセ勇者だけでなくて、女もいるパー ティなのか。てゆうか。女が三名か。男一人か。 なにそのハーレム? ばくはつしろ。 ﹁ねえ、オリオン、助けてあげましょうよ⋮⋮?﹂ ﹁うるさい。おまえは黙ってろ﹂ これは俺の問題だ。俺の人生の問題だ。 二度と他人のためなんかで戦わない。そう決めた。 だからだめだ。答えは絶対にノーだ。 ﹁この道をまっすぐ行ったところに街があった。そこで冒険者でも 雇え﹂ ﹁どのくらい行けば⋮⋮﹂ ﹁二日だな﹂ 徒歩なら、そのくらいだ。 ﹁それじゃ⋮⋮、間にあわない⋮⋮、みんな死んじゃう⋮⋮﹂ 468 彼女はがっくりとくずおれた。 心の折れ欠けた顔で、懸命に︱︱俺の足元にすがってくる。 ﹁助けて⋮⋮、助けてくれたら! なんでもします!﹂ 俺の心が。ぴくりと動いた。 心っつーか。下半身の一部だが。 具体的には45度ぐらいだ。 血塗られて狂気に染まりかけた目で懇願する女に︱︱欲情してし まった。 ﹁あっちですこし話そうか?﹂ ﹁ちょ! ちょ︱︱っ! どこ行くの! オリオンどこ行くの! あっちってどっち! ちょ! ちょおぉぉーっ!?﹂ うちの娘のうるさいほう。うるさい。 俺は娘の手を引いて、森をすこし入っていった。 大きな木が、一本、立っている。 その幹に手を突かせる。 そして、背後から覆い被さりながら︱︱。 ﹁おまえ。名は?﹂ ﹁クザク⋮⋮と、いいます﹂ 娘はこれからなにが起きるのか、完全に、わかっているようだっ 469 た。 それどころか瞳が濡れていた。 人は生命の危機に際したとき、種族保存本能が強く働くという。 俺も自分で覚えがある。戦闘のあと。血を浴びたあと。殺し殺され たあと。ひどく女が欲しくなることがある。そういうときのセック スは死ぬほどキモチいい。 アレイダもその気があって、ダンジョン帰りのときには、狂気を 秘めた妖しい目でもって、激しく求めてくることがある。 それも向こうからだ。いつもならロマンティックにしてくれなき ゃやだー、なんて言ってるくせに、即ハメで、自分から腰を振る。 ﹁これから。おまえを。俺の女にする﹂ 俺は、そのように宣言した。 ﹁はい﹂ 娘は長い睫毛を伏せてこたえた。 ﹁そうすれば、助けていただけますか?﹂ ﹁俺の女の敵は、俺の敵だ。俺は人助けはやらないが、俺の女は守 る。絶対にだ﹂ ﹁はい。貴方の⋮⋮、女となります﹂ 交渉成立。 俺はクザクを木につかまらせると、背後から繋がった。即ハメだ った。 470 えっほ。えっほ。 俺はハッスルした。 ◇ 俺が賢者モードになって︱︱。完全にスッキリとして︱︱。テカ テカ、ツヤツヤの顔で︱︱。 妙にしおらしくなってしまったクザクの手を引いて、戻ってくる と︱︱。 しらー⋮⋮と、凄まじい目付きで睨まれた。 御者台の上であぐらをかいた、アレイダが腕組みをして、鼻息を 荒く噴き出して、じっとりとした視線を、俺に投げ下ろしてくる。 ﹁不潔﹂ いや。毎晩毎晩、絞め殺されるニワトリみたいな声を上げている オンナに、そんなこと、言われたくないのだが⋮⋮。 ﹁話はついたぞ。助けに行く﹂ ﹁さっさと助けてあげればいいのに。わざわざ言いわけなんて作ら なくても︱︱﹂ ﹁︱︱だから、さっさと、してきたわけだろ﹂ ﹁うるさいばかしんじゃえー!﹂ なんか色々投げつけられた。 馬車からスケルティアとモーリンが降りてきた。 スケルティアは完全武装。モーリンはメイド服だ。つまり出陣し ないということだ。その必要もない。 471 ﹁案内してくれるか﹂ 俺はクザクに言った。 彼女はほんのりと頬を染めると、こくりと、力強くうなずいた。 472 ﹁ゴブリンスレイヤー? ①﹂︵後書き︶ ②につづきます。 473 ﹁ゴブリンスレイヤー? ②﹂ 俺たちはクザクに案内されて、山の木々の間を移動した。 クザクは本来の高レベル・レンジャー職のスペックを遺憾なく発 揮していた。先行する彼女を追うのは、うちの娘たちでもしんどそ うだ。 クザクは憔悴していたさっきまでが嘘のように活力を取り戻して いる。 俺が犯しまくったせいである。 単に犯していただけではない。性行することでHPとスタミナと MPをすべて回復させる特殊なスキルを、俺は取得していて︱︱。 俺のそれらを、それぞれを分け与えて、満タンにしてやっていた。 いわゆる房中術系のスキルだ。サキュバスか女忍者でもなければ 取れないスキルだが、もちろん勇者は取ることができる。外道勇者 としては、当然の嗜みだ。 彼女はもう平気そうだな。 木々を飛び渡ってゆく尻を眺めつつ、俺はそう思った。 精神に刻まれたダメージというものは、MPの多寡だけで計れる ものでもない。 さっきまでの彼女は、相当にヤバかった。 目が普通でなかった。行動もまるでおかしかった。高レベルのレ ンジャー職が、道端でばったり誰かに出くわして驚いているとか、 普通ではない。 474 あのまま隣町まで行かせていたら、二日間のあいだに、焦燥と憔 悴と、そして絶望とで、彼女の精神は完全に破壊されていたことだ ろう。 女を落ち着かせるには、セックスに限る。︱︱これは俺の体験か ら得た結論であるが。 なにしろ急ぎであったし、あまり可愛がってはやれなかったが︱ ︱その効果は大きかったようだ。 彼女は完全に常態に復帰していた。 動揺は完全に収まっている。有能なレンジャーとして働いてくれ そうだ。 ったく。こんないい女を持っているとか。ニセ勇者のやつ。けし からん。 もう俺の女になったがなーっ! ニセ勇者の名前は︱︱。なんてったっけ? モー、モーなんとか? ⋮⋮モモタロウ? いや違ったな。まあ いいか。どうだって。 くざく ああ。〝クザク〟っていう名は、なんだったのか、いまふと思い 出した。 日本語語であれば、〝孔雀〟と書く。 やっぱ鳥だな。 勇者の名前はモモタロウがどうとかいってた気がする。これで猿 と犬がいたら、まんま、桃太郎だな。 そういやゴブリン、漢字で書いたら﹁小鬼﹂とかになりそうだな。 鬼退治に行って返り討ちにあう桃太郎か⋮⋮。くっそ使えねえ。 475 もうすぐゴブリンの里が近いのか︱︱。 森の中で、一匹。︱︱出会った。 そいつが、気づいて、目玉がぎょろりとこちらに向く︱︱あたり には、もう致命傷がぶちこまれていた。 クザクの投擲したダーツが目玉に刺さる。 スケルティアが長く伸ばした爪で、その首を刈る。木々のあいだ を糸を使ってスパイダー渡りをするスケルティアは、高機動を欲し いままにしていた。 立体環境における、蜘蛛つええ。 ﹁まってまってーっ! 置いていかないでー! どっちだか! わ かんなっちゃうーっ!!﹂ どたどた地面を走って駄馬が、そう叫んで必死についてくる。 索敵もなければ、疾走系も軽業系もない。地べたを、どたどたと ブザマに走るしか能のない駄馬である。 クラス カンスト手前のクロウナイトであるアレイダだが、職業には得手 不得手がある。ナイト系はガチ物理系なので、その種のスキルには、 一切、縁がない。 ゴブリン密度があがってきた。里が近い証拠だ。 やがて開けた場所に出た。 草木のない剥き出しの地面が、広場になっている。そこに十数匹 のゴブリンが見えた。 476 ほとんど声もあげさせず︱︱。すべてが、倒れた。 視野のなかのすべてのゴブリンが倒れている。 だが表にいたのは、全体数からすれば、ごくごく一部。 洞窟の入口が真っ暗な口を開いている。そちらのほうが、ゴブリ ンの住処の本体であった。 すべてをほぼ瞬時に倒したから︱︱。 一切の警告は、洞窟内に届いていない。 俺たちは、そのまま、洞窟内部へと侵攻した。 殺した。殺した。殺しまくった。 女︱︱メスも殺す。子供も殺す。 繁殖部屋らしき場所にいた、乳児だか胎児だかなんだかわからな いものを、すべて踏み潰して殺す。 皆殺しだ。 ゴブリンが人間に対して行うのと、ちょうど同じように︱︱俺た ちはすべてのゴブリンを等しく皆殺しにした。 俺はほとんど手を出していない。 クザクも数体は倒しているが、実際には、それほどの数を殺して はいない。 ほとんどのゴブリンは、うちの二人の娘の手にかかっていた。 たかがゴブリン。アレイダとスケルティアの二人で殲滅できてし まう。 ホブゴブリンの傭兵がいようが、ロードに統率されていようが、 シャーマンが呪ってこようが、ゴブリンはやはりゴブリンである。 477 うちの娘たちの敵ではない。 まず鍛えかたからして違う。 強さ自体は、同等の上級職であるクザクたちと、それほど変わら ないかもしれない。 だがうちの娘たちは油断しない。助けてもらえるなんて、間違っ ても思わない。︱︱そう躾けた。 そして敵に情けを掛けない。いったん〝敵〟と認識すれば、徹底 的に殲滅し、破壊し、蹂躙し尽くす。︱︱そう躾けた。 さらにうちの娘たちは、憎しみなどでは殺さない。 もう条件反射的に敵ならば殺す。機械的に殺す。殺すことを意識 しないうちに殺している。︱︱そう躾けた。 殺意だとか憎しみだとか。そんな揮発性の有限の心の資源を消費 しない。 そのように躾けた。 ﹁グレーチェル! ︱︱シズル!﹂ 奥の奥まで侵攻していたときだった。突如、クザクが叫んだ。 部屋の奥の薄暗がりの中︱︱。醜いゴブリンのオスたちの合間に ︱︱白い肌が見え隠れしていた。 クザクが、戦鬼と化した。 このときばかりは、うちの娘たちを差し置いて︱︱クザクが大殺 戮を繰り広げた。 クザクの仲間なのだろう。その二人の女を犯していたゴブリンた 478 ちは、どれがどれともわからない断片となって、床に散らばった。 最後の一匹など、五体をバラバラにされる寸前まで、女を貫いた ままでいた。女の体内にナニだけが残っていた。 ﹁だいたい。⋮⋮終わったか?﹂ 俺はそう言いつつ、広間の隅に隠し扉を感知して︱︱そちらに近 づいていった。 蹴破ると、小部屋が一つあって、そこに怯えて震える大きな体の オスと︱︱、メスが数匹と、あと子が数匹いた。 ﹁やはりロードがいたか﹂ 俺は巨大な棍棒を、軽くふるって、ぺちゃんと潰した。 メスと子は、俺の脇を駆け抜けて、逃げだして行ったが︱︱。 ﹁一匹も逃さない﹂ クザクが、すべて始末した。 ﹁これで全部終わったな。アレイダ。スケルティア。︱︱その二人 の女性を保護しろ。だいじょうぶだ。生きてはいる﹂ 一人は人狼族の少女。もう一人は蛮族と思われる、やたらと逞し い体つきの女性︱︱。 二人とも意識はない。意識がなくても、犯され続けていたわけだ。 あー⋮⋮。犬と猿。 うーむ。やはり、これは⋮⋮桃太郎だったか? 479 ﹁あと⋮⋮? 男の人も⋮⋮、いるんじゃなかったっけ?﹂ アレイダが言う。 ああ。そういや、そうだったっけか。 男なんて、ゴブリンに捕らえられて、生きているはずがないのだ が︱︱。 女であれば、そして美人ないしは美少女であれば、死ぬまでは犯 されつづけてもらえるわけだが︱︱。 ああ。そこ︻そこ:傍点︼にいた。 あったあった。 桃太郎は、鍋になっていた。 ゴブリンの大好物の鍋がある。獣肉も煮込むが、材料として最高 とされるのは、人間の肉であるらしい。 獣の肉を食うように、ゴブリンは人の肉を食う。 人とゴブリンの戦いが、殲滅戦となる理由である。 ﹁さて。帰るか﹂ ニセ勇者が鍋になっていたのを見届けて、わだかまりなく、すっ きりしゃっきり、気分よく、引きあげようとすると︱︱。 ﹁彼も⋮⋮、助けて﹂ クザクが言っていた。 480 いや無理だろ。鍋の中味になってるし。半分以上はゴブリンども の腹に収まってるし。そのゴブリンどもは、たぶん、床に堆積する 肉片になってるし。 だいたい。俺の女になったというのに。まーだ、前の男なんかを 引きずっているのか。 まあ⋮⋮。俺の女の頼みだ。 ﹁スケ。︱︱モーリンを呼んでこい﹂ ﹁おりますよ。ここに﹂ 大賢者の格好で、モーリンが立っていた。 ﹁いちおう⋮⋮。やるだけはやってみますが﹂ 大賢者も、自信がなさそうに、そうつぶやいた。 ◇ 結局、その後⋮⋮。 ゴブリンどもの肉片をかき集めて、たぶん内臓はこのへんだった ろ、的な部分を集めて山を作って︱︱。 それに残っていた鍋の中味も加え︱︱。 肉を綺麗にそぎ落とされて捨てられていた、白骨も、一人前の本 数を集めてきて︱︱。 そして〝蘇生〟の呪文を使った。 大賢者の魔力をもってしても、ここからの蘇生は不可能なはずだ 481 った。 ⋮⋮が。 なんと、蘇生してしまった。 あとでステータスを見て、納得だったのだが⋮⋮。 このニセ勇者︱︱。桃太郎だか、モータロウスだか、なんかそん なような名前の男は、LUKの値だけ、異常なほどに高かったのだ。 LUK︱︱つまり、幸運値だ。 おかげで蘇生することはできたものの︱︱。鍋にされて食われた ことによるトラウマは、深刻なようだった。 なにしろ、狂乱して喚いていた、その叫びの断片からすると、ど うやら生きながら鍋に突っこまれたそうで︱︱。食われている最中 にも、まだ意識が残っていたそうで︱︱。 そりゃトラウマにもなるだろう。ちょっとは同情した。ちょっと だけな。 冒険者としての復帰は無理だろう。 勇者騙るんじゃねえぞ、と、小一時間くらい説教してやりたいと ころだったが。 近くの冒険者ギルドに押しつけて、俺たちは立ち去ることにした。 別れ際まで、ついぞ、正気が戻ったようには、見えなかった。 まあ、男のことなんか、ぶっちゃけ、どーでもよくて⋮⋮。 問題は〝俺の女〟となった、三人のことだ。 482 そう︱︱三人だ。 クザクは俺の女にしていたが、残り二人。 人狼種族の年端もいかない犬娘と、大猿の血を薄く引くクォータ ーの褐色の女丈夫と︱︱。 どちらの美女も美少女も、おいしく、頂くこととなった。 これも人助けだ。 ゴブリンたちによってたかって輪姦された忌まわしい記憶を、完 全に上書きしてやるまで︱︱、なんと、三日三晩もかかった。 そのあいだ犯し尽く︱︱〝愛して〟やったおかげで、二人はトラ ウマに苦しめられることもなくなった。 かわりに、俺は、めちゃくちゃ惚れられてしまったが⋮⋮。 さすがの俺も、三日三晩の乱交︱︱〝愛〟の儀式は、きつかった。 終わったあとには、もう一週間ぐらい、女は抱きたくない︱︱と、 思ったりもしたものだったが。 同じ日の夜にアレイダやスケルティアやモーリンと寝た。別腹っ てあるもんだな。 三人は、冒険者を続けてゆくらしい。 〝俺の女〟であることは、そのままだが︱︱。思うところあって、 彼女は俺たちとは別行動を取ると言ってきた。彼女たちの意思を尊 重して、俺は許可を出した。 彼女たちは、自らを鍛え直すと言っていた。 あれは自分たちの弱さが招いた事態であると︱︱。 クラス まあ、その通りなわけだが。 うちの娘二人は、職業の上級具合もレベルも、彼女たち三人と似 483 通っていたが︱︱。しかし、彼女たちよりも、圧倒的に強かった。 いまのままでは、俺の女でいる資格がないとか、かわいいことを 言ってきた。 まあ彼女たちは、前衛、中衛、後衛︱︱と、バランス良く揃った 上位職のパーティであるから、三人でも各地で無双することができ るだろう。 油断さえしなければ。 あと、〝お荷物〟であった、ニセ勇者などが足を引っ張らなけれ ば︱︱。 そして︱︱。ギルドに預けた、廃人ニセ勇者のほうは︱︱。 風の噂では、その後、冒険者へと復帰したそうだ。ゴブリンだけ を専門に狩るハンターとして復讐を続けているらしい。 484 ﹁ゴブリンスレイヤー? ②﹂︵後書き︶ 作品のレーティングを﹁残虐描写あり﹂に変えました。 人肉鍋と、バラバラ死体。ちょっとエグいなー、と思ったもので。 三人の娘たちは、しばらく別行動です。しばらくは出番ないかもー? クザクは﹁風車の矢七﹂ポジだと思ってください。 485 女のにおい。﹁ちょ︱︱! 嗅がないでーっ! やーっ!﹂ ある日の昼すぎ。 たまたま通り過ぎていったアレイダを、俺は振り返って、じっと 見た。 いま、なんか、気になったな。 アレイダは見せつけるようにヒップを振って歩いている︱︱わけ ではなくて、発達した筋肉がもりもり動くので、俺の目には、そう 見えているだけのことだ。 もしケツを振って俺の目を惹くような知恵がすこしでもあれば、 〝駄犬〟の称号を改めなくてはなるまい。 ﹁おい︱︱、アレイダ﹂ ﹁うん? なになにー?﹂ 俺はアレイダに声を掛けた。 あいつはすぐにシッポ振って駆け戻ってきた。 いや。シッポはないが⋮⋮。俺の目には、シッポをちぎれんばか りに振りたくって、耳をぱたぱたやっている姿が、はっきりと映っ ていた。 ﹁ちょっと、動くなよ﹂ さっき感じたことを確かめるために、アレイダに顔を近づけて行 く。 486 ﹁ちょ︱︱!? またぁ⋮⋮? またあのアレぇ?﹂ ﹁アレとは?﹂ ﹁壁に、ドンってやって⋮⋮、それで⋮⋮、優しいこと言って⋮⋮、 わ、わたしが⋮⋮、好き、って言ったら勝ちだとか、ゆー⋮⋮、ゲ ームでぇ︱︱﹂ ﹁ああ。あれか。あれはもう飽きた﹂ ﹁えっ? ちがうの?﹂ ﹁だっておまえ。チョロいんだもん﹂ ﹁チョロ⋮⋮﹂ なんでこいつは落ちこんでいるんだ? 事実だろう。チョロインをチョロいと言っただけのことだが。 ﹁今日はそれじゃない。⋮⋮いいから動くな。もじもじするな﹂ ﹁だっ、だっ、だって⋮⋮、な、なんか⋮⋮、へ、へんなことする ?﹂ ﹁しない﹂ 俺は単に、においを嗅ごうとしただけだ。 さっき、通り過ぎていったとき︱︱。アレイダから、なんの香り もしてこなかった。 こっちの世界に、シャンプーだとか、そんなものがないことは知 っているが⋮⋮。 女の子の匂い、と、男が理解しているそれは、大抵、シャンプー 487 やリンスやボディソープの香りなのだと理解はしているつもりだが ⋮⋮。 しかし、なんで、なんの匂いもしてこないんだ? くんくん。すんすん。俺はアレイダの匂いを嗅いだ。 ﹁な⋮⋮、な、なっ⋮⋮、なんなのぉぅ⋮⋮﹂ チョロインは、ぐにゃぐにゃになっている。 身をすくめて、髪の毛をふるふると震わせて︱︱。 そして膝頭まで、がくがくとさせている。 こいつ。発情してんの? 確かめてみたら。濡れてたりすんの? だがいまはべつにそういうコトをするつもりではない。 そんなのは夜にたっぷりやれる。てゆうか。昼間でもそういう気 分になったらスルけど。ギャーギャー騒いでても、ひん剥いてハメ るけど。 いまは匂いを確認しようとしただけだ。 ﹁や、やだ⋮⋮、もうっ⋮⋮、するなら⋮⋮、はやく、してよう⋮ ⋮﹂ メス あーもう。やっぱ勘違いしてやがる。この駄犬めが。略してメス 犬めが。 ﹁勘違いするな。においを嗅いでいるだけだ﹂ 488 ﹁にお⋮⋮!? ⋮⋮って!?﹂ アレイダのやつは、なんか、ギョッとしている。 ﹁ちゃ⋮⋮、ちゃんとお風呂入ってるからぁ⋮⋮、だ、だいじょう ぶだからぁ⋮⋮﹂ 顔を真っ赤にさせて、恥ずかしそうに言う。 ああ。そういえば。こいつ。はじめて拾ってきたときには、すご いニオイだったな。 木枠の檻に閉じ込められていた奴隷だった。身を清めることもで きないので、くさくて当然なのだが。 あまりにもバッチくて、触るのも嫌だったので、デッキブラシで ゴシゴシやったなー。ギャーギャー騒いでたなー。 昔から。こいつ。うるさかったなー。 ﹁⋮⋮くっく﹂ 俺が思い出し笑いをすると、アレイダは、きょとんとしていた。 ﹁⋮⋮いや。⋮⋮おまえ。昔は、くさかったなと⋮⋮、くっく﹂ ﹁しょ︱︱!? しょうがないじゃない!? しょうがないでしょ !?﹂ ﹁いまは、いいにおいがするな﹂ まあちょっと可哀想かなと思ったので、俺はそう言って話題を変 えてやった。 言葉だけでは、女を安心させることはできない。よって態度でも 489 示す。 抱き寄せて、ふんふん、すんすんと、髪の匂いを嗅いでやる。 特に香りはしない。だが自然な体臭なのか、いい匂いだけはする。 女の匂いだ。 ﹁やっ⋮⋮、ちょっ⋮⋮。口説いてる? これ口説かれてる? そ れであとで、これはゲームだー、とか⋮⋮、ゆーんでしょ?﹂ 言わねえって。 アレイダは疑心暗鬼になっているようだ。 俺は言葉を費やすかわりに、態度で示すことにした。 ぎゅーっと、抱き心地のよい女体を、しっかりと胸にかきいだく。 ﹁やっ⋮⋮、あっ⋮⋮、ちょっ⋮⋮、だめっ⋮⋮、だめだってばぁ ⋮⋮﹂ アレイダのやつは、ふにゃふにゃになった。 ほかは、どうなんだろう? 俺は、ふにゃふにゃになって、ぐにゃぐにゃになっているアレイ ダを、ぽいっとうっちゃって、廊下を歩きはじめた。 ﹁えっ!? ちょーっ!? ︱︱捨てていかれたっ!?﹂ なんか騒いでいる。うちの娘のチョロくてうるさいほう。ほんと。 チョロくてうるさい。 ◇ 490 ﹁おー。スケ。いたか﹂ ﹁おりおん。﹂ 屋敷を歩いてスケルティアを見つける。 ぎゅー、と抱きついて、まず確保しにかかる。 ﹁⋮⋮? なに?﹂ うちの娘の静かなほうは、抱きしめても、きょとんとした顔を返 すだけ。 チョロいほうみたいに、いきなり発情したり勘違いして騒ぎたて たりしない。 俺は、くんくん、すんすんと、スケルティアのにおいを嗅ぎはじ めた。 まずは身長差を使って、頭のてっぺんのつむじのあたりを、くん くんする。 ﹁なに。してる。の?﹂ ﹁おまえもやっぱり、特に香りはしないなー。ふつうの女の子にお いがするな﹂ アレイダと比べると、ややミルクくさいかな。 ﹁スケ。は。⋮⋮ふつう。﹂ スケルティアは、にんまりと笑った。なにか嬉しかったらしい。 こいつの喜びポイントは、いまいち、わからん。 491 ﹁はーい。ばんざーい。﹂ 髪のにおいを嗅ぎ終わったから、ばんざいをさせる。 ﹁ばんざい。﹂ 脇の下を嗅ぐ。髪とは違うにおいがした。そういえば人間にも〝 フェロモン〟とかいうのがあるそうな。スケルティアはハーフモン スターだから半分は人間だ。 やべえ興奮しそう。 胸も嗅いだ。お腹も嗅いだ。だんだん下へと、おりてゆく。 ﹁そこは。だめ。﹂ 肝心のところに辿りつく前に、頭をがっしりと押さえられてしま った。 ﹁抵抗は。無意味だ﹂ 俺はそう言って、強引に、においを嗅いだ。 ﹁⋮⋮⋮。﹂ スケルティアは目を閉じて、ぷるぷると身を震わせて耐えている。 やべー。フェロモン嗅いだせいか。興奮してきた。 このまま〝いたして〟しまおうか? ⋮⋮と、一瞬、思いもした が。 492 元々、そういうつもりで始めたことではないので、次に行くこと にする。 ﹁⋮⋮え?﹂ 立ち去る俺の背を、スケルティアの意外なそうな声が追ってくる。 だが俺は立ち止まらなかった。 次の獲物が、俺を待っている。 ◇ ﹁モーリン。ここにいたのか﹂ キッチンでモーリンを見つけた。 メイド姿で立ち働くその後ろ姿に、俺はそっと寄り添って︱︱。 背後から、きゅっと、抱きしめにかかった。 ﹁あらあら。どうしたんですか?﹂ 俺は無言で、モーリンの髪に顔をうずめる。セミロングの髪に、 うなじが見え隠れしている。髪と肌の境界線上を、俺は狙った。 ちっこいスケルティアとか、普通のアレイダと違って、モーリン の背丈は俺と変わらないくらいある。 二人を相手にしたときとは違う感覚だ。小娘を手玉に取るのとは 違う。大人の女を相手にしている実感がある。 ﹁そういうことは、もっと若い子にしてあげるとよいかと﹂ おいたをする子供にでも向ける感じで、やんわりと言う。 493 いまでもやっぱり、姉ないしは母として、接してこられるなぁ。 いつになったら﹁恋人﹂あるいは﹁妻﹂となるのだろうか。まあ ゆっくりじっくり攻略してくか。なにせ時間は﹁一生分﹂あるのだ から。 ﹁もうやってきた﹂ ﹁ま﹂ モーリンの声色に、ちょっとだけ起伏がつく。 俺を完全に受け入れていた柔らかな体に、ちょっとだけ、芯が入 って固くなる。 ﹁勘違いしていないか? 俺はただ、においを嗅いでいるだけなん だが?﹂ ﹁え? あー⋮⋮。はい﹂ 限りなく全知に近く、限りなく全能に近い︱︱。大賢者であり完 璧超人であるモーリンでも、間違いを犯す。 俺に関わることでは、特に、しょっちゅう間違っている。 モーリンの〝恥じらい〟は、レアなリアクションである。 あまりに可愛くて、このまま〝だーっ!〟と行ってしまいたいと ころであるが⋮⋮。 やはり今日は〝そーゆーの〟ではないので、自粛する。 俺は自重はしないが自粛はたまにする。 ﹁あ、あの⋮⋮? なぜ、においをかがれているのでしょう?﹂ おお。すごい。今日は﹁あのあの﹂言ってるSSRモーリンまで 494 ゲットしたぜ! 頭の回転の速い人間というのは、﹁あの﹂だの﹁その﹂だの﹁え っと﹂だの﹁あー﹂だの﹁うー﹂だの、その手の言葉は、口にしな い。 会話の情報伝達速度は1分間に300文字程度と言われている。 つまり1秒に5文字。1単語にも満たない。 頭の回転の速いやつというのは、﹁あの﹂だの﹁その﹂だの﹁あ ー﹂だの﹁うー﹂だの言って、言葉を探すための時間稼ぎなんて、 する必要がない。 なので大賢者であるモーリンが、﹁あのあの﹂言っている場面と いうのは、檄SSR的にレアなのであった。 萌えー。 ﹁あ、あの⋮⋮? なぜ、においを?﹂ ﹁おまえは俺に嗅がれて困るにおいでもさせているのか?﹂ ﹁えっ? いえあの、その⋮⋮、おっしゃる意味が⋮⋮、わかりま せんけど⋮⋮。ああっ、そこはっ︱︱﹂ 逃げようとするモーリンを、俺はがっちりとホールド。 そして、〝くんかくんか〟しにいったのは︱︱脇の下。 ﹁えっと、あのう⋮⋮、そういうことでしたら⋮⋮、その、寝室へ ︱︱﹂ ﹁おまえ。スケと同じこと言うな﹂ ﹁えっ⋮⋮? そ、そうでしたか?﹂ 495 モーリンは、なにやらショックを受けているっぽい。 ふははは。おもろい。 俺は大賢者にダメージを与える技︱︱〝大賢者スマッシュ〟を連 発した。 ﹁じたばたするな。それではアレイダと同じだ﹂ ﹁そ⋮⋮、そう言われましても⋮⋮っ﹂ 唇を噛んで耐えている。普段のクールさとのギャップに目眩がす る。 このまま押し倒︱︱さない。 断固として初志貫徹だ。 よし。誘惑に負けたら、俺は腹を切るぞ。いま決めたぞ。 脇から胸、胸から腹、だんだんと下に下がってゆく。 そのあたりから下は嗅ぎにくいので、キッチンの台にお尻を載せ させた。 ﹁食べ物を調理する場所にお尻を載せるのは、少々抵抗があるので すが⋮⋮﹂ モーリンはうだうだ言ってる。却下だ却下。 腰を嗅ぐ。そして下腹部へと移る︱︱。女の部分は入念に嗅いだ。 ﹁も⋮⋮、やめ⋮⋮、お願⋮⋮、後生ですから⋮⋮﹂ 目線を持ちあげてみれば︱︱モーリンは顔を真っ赤にさせている。 496 おー。すごい。ド赤面。 俺は〝大賢者殺し〟の称号をもらってもいいのではあるまいか? ﹁こちらの世界の女からは、香りがしないことに気がついてな。 ﹁香り?﹂ モーリンは赤くさせた顔で、天井の一角を見つめた。 〝親戚〟とやらと、異世界交信を行っている。 俺はそのあいだ、人形みたいになってしまった女のにおいを嗅ぐ。 なんか背徳的な気分。 ややあって︱︱。 ﹁︱︱香料のことですね。マスターのおられた世界では、洗顔料や 整髪料、はては石鹸にまで、あらゆるものに香料が含まれているの だとか﹂ ﹁そうなのか? ⋮⋮そうだったかもしれないな﹂ 特に意識していなかったが、そうだったかもしれない。あらゆる ものから匂いがしていた⋮⋮ような気もする。 ﹁あちらの世界では、香料がありふれたもののようですね。石油化 学工業? ⋮⋮なるものがあって、大量に安く生産できるのだとか。 ﹁詳しくは知らないな。そういう専門家でもなかったので﹂ ﹁マスターの世界の常識を、こちらの世界を、そのままお持ち込み になられても困ります。こちらでは、産業革命? ⋮⋮というのも、 まだ起きていないんですから﹂ 497 慣れない言葉が出てくるたびに、ちょっと怪しくなる大賢者、萌 え。 ﹁どう困るっていうんだ?﹂ 女の部分の匂いを嗅ぎながらモーリンと会話する。 モーリンは澄ました顔で難しい話題をしているものの、匂いの変 化から、俺には丸わかりだ。 やっべー。やっべー。やっべー。 マジでこのまま襲っちゃいそー。俺。切腹することになっちゃい そー。 ﹁あの⋮⋮、そういうことでしたら⋮⋮、その⋮⋮、足首のところ を⋮⋮﹂ ﹁ん? 足首?﹂ そんなとこにモーリンの性感帯あったっけ? 俺はずっと下におろしていった。脚を越えて、言われた場所︱︱ 足首のにおいを嗅ぎにいく。 ﹁あ⋮⋮?﹂ なんだろう? 花の匂い? それとも果物の匂い? 薔薇と柑橘系の中間くらいの香りが、モーリンの足首から漂って くる。 ﹁香油は貴重なものですので、一滴だけ﹂ 498 ほー。へー。はー。 こちらの世界の女からは、女の匂いしかしないと思っていたが⋮ ⋮。 モーリンからは香りがした。さすがモーリンだった。大人だった。 ◇ 後日︱︱。 ﹁ほらー! オリオン! どうよ、どう! わたしもにおいー! するでしょー! 香りをぷんぷんさせながら、アレイダがドヤ顔をする。 ﹁そうだな﹂ ﹁このあいだのダンジョンの稼ぎ。ぜんぶ使っちゃったー! おこ づかい! ぜんぶ突っこんだー!﹂ ばかだ。ばかがいた。 伝説の武器防具が買えてしまう額を、ちっちゃな小瓶一つに突っ こむか。 最近、出かけるダンジョンは、実入りもいいし。この屋敷を買っ たときの値段よか高いんだけどな⋮⋮。 しかもその瓶を、全部一度に使っちまうか。 ﹁どう! いい匂いでしょー! さあー! 嗅げーっ!﹂ ﹁どうでもいいけどな。あんま近くに寄らないでくれるか? ⋮⋮ 臭いんだよ﹂ 499 こいつはチョロインでありゲロインでもあるが、クサインでもあ った。 ﹁く︱︱くさい!? くさいって言われたあぁぁーん! あーん! あんあん!﹂ 泣いてろ。ばーか。 500 女のにおい。﹁ちょ︱︱! 嗅がないでーっ! やーっ!﹂︵後 書き︶ においを嗅ぐフェチ回です。﹁だーっ!﹂はありませんです。 そのうちブラッシングでふにゃふにゃにする回とかもやりたいです ねー。 ⋮⋮ですが書籍2巻目の尺の問題で、次回からラスト連作になりま す。﹁王国編﹂を数話ほど。 501 王都 ﹁すごーい! すごーい! お姫様っているかなーっ!? ﹂︵前書き︶ 今回から続きものです。 502 王都 ﹁すごーい! すごーい! お姫様っているかなーっ!? ﹂ ミーティア ぽっく。ぽっく。 馬の立てる足音が、いつもと違う響きになっている。 石畳の上がめずらしいのか、それとも嬉しいのか、彼女の足取り もどこか誇らしげ。 俺たちは王都にやってきていた。もう半月も前からこの国には入 っていたわけだが、都に入ると、﹁違う国に来た﹂という実感がわ く。 馬車の上の、歩く人たちよりもすこし高い視点から、俺たちは街 並みを眺めていた。 さすがに王都。これまでの街や村とは大違い。 いま馬車が進んでいるのは大通りであるが、左端から右端までの 幅は、向こうの世界の道路でいえば6車線分ぐらいはあった。 ﹁広い! ひろーい!﹂ アレイダがはしゃぐ。 その横でスケルティアは、膝を抱えてちょっと警戒中。〝開けた 場所〟というのは立体起動を行う蜘蛛子にとっては苦手な場所っぽ い。苦手なのは人が多いほうかもしれないが。 ﹁ここはパレードでも祭りでも開ける広さがある。その時期になれ ば店も出て、凄い人になるぞ﹂ ﹁すごーい! すごーい!﹂ 503 あ。びくってなった。うちの娘の奥手なほうの苦手なのは、人の 多さのほうか。 ﹁お姫様って! いるかなーっ!?﹂ うちの娘のお馬鹿なほうは、やっぱり、馬鹿だった。 おまえ。辺境の蛮族とはいえ、部族の族長の娘じゃなかったっけ ? 小さくてもいちおうは姫様ポジションじゃなかったのか? どこの世界に、お姫様に、きゃー! とかいうお姫様がいるんだ? もうこいつ。すっかり姫様でもなんでもないな。単なる駄犬だな。 ﹁こちらの王国の姫君は、たいへんお美しいそうですよ﹂ ﹁えっ? ほんとモーリンさん?﹂ ﹁ええ。それはもう。代々。大変なお美しさであると。周辺各国か ら評判です﹂ モーリンが言う。その言葉の端々に、ちくちくとする棘が含まれ ていると思うのは、俺の錯覚であろうか⋮⋮? ﹁かの勇者も二代前のフローネ姫と恋に落ちたのだとか﹂ ﹁うわーっ! うわーっ! 素敵!﹂ ﹁オペラにもなっていますね﹂ ﹁えっ!? オペラっ!? ︱︱観れるっ!?﹂ ﹁この50年。上演されていない夜はないのだとか﹂ 錯覚ではなかった。本当にトゲがあった!? トゲだらけだよ!? ﹁勇者と姫君のロマンスの物語は、王国のみならず、周辺各国の女 504 性の心を捕らえて放さないそうですね﹂ ﹁きゃー!? 勇者さまーっ!?﹂ やめろ。激しくやめろ。 俺が元勇者であることは、アレイダとスケルティアには言ってな い。 決して言えない理由があるわけではない。特別な意味などなんに もなく、ただ単に、言っていないだけである。 強いて理由をあげるとするなら、元勇者であることをカミングア ウトすると、必然的に、二度あった前世のことも話すことになり、 俺が外見通りの歳ではないと教えることになる。 そうすると⋮⋮、べつにまあ、まずいことはなに一つないのでは あるが⋮⋮。 そ、そう。︱︱つまんないのだ。 アレイダのやつが、﹁17歳? なによ1コ下じゃない。ふふん。 わたしのほうがお姉さんよねー﹂とかドヤ顔をする。そのバカ顔を 見れなくなるのが惜しい。ただそれだけの理由である。 ﹁ふふっ⋮⋮。そういうことにしておきましょうね﹂ おい。大賢者。心の声に突っこみを入れてくるのをやめろ。 馬車は、ぽっくぽっくと、石畳を歩んだ。 ◇ 505 大門からまっすぐ︱︱。向こうの世界の単位だと一キロぐらいは あっただろう。 ようやく大通りが終わった。 大きな噴水のある広場が、その終点だ。 広場からは王城を展望できる。城壁は二重構造になっていて、城 壁の内側にもう一つ内堀と城壁がある。城はその中だ。 外周の城壁の内側は城下町となっている。 半径一キロ以上は確実だから、直径にすれば三キロぐらいか? かなり大きな街であった。向こうの世界の常識と比べても、けっ こう、大きい。 王都ともなれば、これくらいの規模にもなるわけか。 ﹁さて。王都に到着しましたが、いかがいたしましょう?﹂ モーリンが俺に言う。 ﹁ごはん!﹂ アレイダが真っ先に答える。 ﹁黙れ駄犬。おまえには聞いてねえ﹂ ﹁うう⋮⋮、オリオンが⋮⋮、しどい。なんか不機嫌?﹂ ﹁べつになんにも不機嫌じゃねえよ﹂ なにいってんの? こいつ? ﹁ごはん。⋮⋮に。する?﹂ ﹁よし。メシにするか﹂ 506 俺はスケルティアの頭を撫でた。 ﹁ちょ︱︱!? なんでスケさんはいいの! 不公平! 不公平禁 止ーっ!﹂ なにいってんの? こいつ? てめえのは自分が食いたいだけであって、スケルティアのは、俺 を気遣ってのことで︱︱。ぜんぜん、意味が違うだろ。 まったく公平に扱ってやってるだろ。駄犬は駄犬と区別して、駄 犬のように扱っているだろ。 しかし、そんなに様子がおかしかったか? 心配されるほどだっ たか? 店はどこでもよかった。 ミーティア 馬用の飼い葉と水桶の置いてある食堂を適当に見つけて、表に馬 車を置き、馬の軛を解いて自由にしてやる。 この子はいい娘なので、逃げたりなんてしない。 誰かが連れ去ったりすることは心配だが、賢い娘なので、そうい うときには鳴いて知らせてくる。 店に入って、席に座る。 すこしは店を選べばよかったと、後悔しながら⋮⋮。 そこらじゅうの壁に、勇者の肖像やら、姫様の肖像やらが飾られ ているので、俺は不機嫌にうつむいていることになった。 ﹁へー、勇者様ってー、ああいうお顔だったんだー﹂ 507 アレイダが壁を見て。 気づけよ。︱︱いや気づくな。 ﹁なにになさいますか?﹂ ウエイトレスのカワイイ娘が、花の笑顔を振りまきながらやって くる。 いつもならカワイイ子には笑顔で応じる俺だったが、今日は、ぶ すっと黙ったままである。 ﹁勇者ランチ!﹂ アレイダが手をしゅぱっと挙げた。 勇者。食われてるし。 ﹁おいモーリン。大賢者ランチもあるらしいぞ﹂ 俺はメニューをモーリンのほうに滑らせた。 顔色一つ変えないクール無表情の大賢者が、なんだかちょっと憎 らしい。 モーリンは大抵いつも無表情だが。表情が出るのは、俺に関する 時だけだが。 ﹁えっ? あらー、おんなじ名前なんですねー。大賢者様とー﹂ ウエイトレスの娘が感心している。 508 ﹁ええ。まあ。⋮⋮本人ですので﹂ ﹁えっ? まったまたー! 冗談ばかりー。⋮⋮でもそれやめたほ うがいいですよー。アブナイですからー﹂ なにがアブナイんだろう? まあいいが。 ﹁大賢者ランチを⋮⋮、二つでよろしいですか? オリオン様﹂ ﹁ああ﹂ 俺は鷹揚にうなずいた。もうこの際なんでもいい。勇者ランチで なければ、なんだっていい。 ﹁蜘蛛ランチ。⋮⋮。ある?﹂ ﹁ないですねー﹂ ﹁そ。﹂ スケルティアはちょっとがっかりしている。 最近は無表情にも種類があることがわかるようになってきた。 ﹁蜘蛛肉のフライならありますけどー﹂ ﹁じゃ。それで。﹂ おい? 蜘蛛子? いいのか? 共食い⋮⋮には、ならないか。人間が牛豚を食うようなもんか。 同じ哺乳類であるぐらいしか共通項がないしな。蜘蛛にとって他の 蜘蛛を補食するというのは、人間が牛豚を食うぐらいの遠さになる のか。むしろ適度に近いほうが﹁美味い﹂のかもしれないし。 勇者ランチだの大賢者ランチだのいっても、出てきたものは、普 509 通の定食だった。 勇者ランチは﹁はんばーぐ﹂だった。俺ハンバーグ好きなんだよ なー。あっちのがよかったかなー。ビーフシチューもついてるし。 食事がだいぶ進んだ頃︱︱。 ﹁ねえ。オリオン。⋮⋮なんかさっきから、へんよ? なんか不機 嫌⋮⋮じゃないんだとしても、なにかあるなら、話してくれない? 話せないなら、べつに無理に聞かないけど﹂ アレイダが言ってきた。 駄犬が駄犬なことをやったときには、無体に扱ってやっている俺 だったが︱︱。 まともなことを言ってきたときには、まともに扱ってやるべきだ ろう。 俺はしぶしぶ⋮⋮、口を開いた。 ﹁べつにたいしたことじゃない。この街には⋮⋮、まあ、なんだ。 あんまりいい思い出がなくってな﹂ ﹁ここ来たいって言ったの、オリオンじゃないの?﹂ ﹁そうだけど⋮⋮﹂ ﹁ああ。ごめん。⋮⋮べつに、いじめてないからね?﹂ 俺はいじめられていたのか! 誰に? 駄犬に!? ﹁マスターは、この街の悪い記憶を、楽しい記憶で塗り替えようと されているんですよ﹂ ﹁いい記憶⋮⋮?﹂ ﹁ええ。わたくしや。アレイダ︱︱貴方や。スケルティア︱︱貴方 510 と﹂ ﹁えっ? あっ⋮⋮、あの⋮⋮、わたしと? ⋮⋮楽しい? ⋮⋮ あっ、はい﹂ アレイダが畏まっている。姿勢を正して、手は膝の上に置く。 なんだこいつ。なんでこいつ。 駄犬のくせに、いきなりしおらしくなりやがって。 ばーか。ばーか。ばーか。 ◇ 夜。宿は適当に取った。 何日か、あるいはもうすこし長い期間か。しばらく逗留する予定 だった。 向こうの世界でいえばロイヤルスイートくらいに相当する部屋を、 金貨の何十枚かで前払いしておく。 アレイダとスケルティアのレベル上げついでに、金策も自動的に 行える。金に困ることはない。例のゴブリン退治も、あとでギルド に報告したら、多額の報奨金が得られた。 ゴブリン・スレイヤー。稼ぎいいじゃん。 聞けば新米冒険者を何パーティも餌食にしていた、いわくつきの 部族だったという。高額賞金首だった。最近ではその賞金目当ての 中級冒険者まで餌食にしていたようだ。 群れを率いるロードが特に強い個体だったらしい。︱︱まったく 実感はなかったが。 屋敷はあるが、旅先では宿を取るようにしている。でないと旅を している気分にならない。 511 豪華な部屋で、俺たちはくつろいでいた。 大きな天蓋付きのベッドに寝そべって、寝心地を確認していると ︱︱。 のっし、と、アレイダのやつが俺の背中に重たいケツをのせて、 またがってきた。 ﹁ね? オリオン? 明日どこ行く? なに見にいく?﹂ ﹁ふんっ。観光か。気が乗らんな﹂ ﹁あっ⋮⋮、ゆっくりしたいんなら、それでもいいよ? ゆっくり しよ?﹂ ﹁ふんっ﹂ 駄犬なりの気の遣いかたなのだとわかる。 だから駄犬が気を遣ってんじゃねえよ。みえみえなんだよ。わざ とらしいんだよ。気を遣うならもっとわからないようにさりげなく 気を遣え。 おまえは飲み会で焼き鳥を串から外す女かよ。気を遣える女子力 高い私のアピールかよ。そして得意料理は肉ジャガかよ。 ﹁ふんっ⋮⋮。もしおまえが、どーしても遊んで回りたいとゆーな ら、連れてってやらんこともない﹂ ﹁どーしても!﹂ 即答かよ。 ﹁スケさん! スケさん! どっか連れてってくれるってー!﹂ 512 アレイダが言う。スケルティアが、にか、と歯を剥く。見てない がわかる。 ﹁わたしわたし! オペラとかゆーの観たーい! スケさんも観た いよねーっ!?﹂ ﹁⋮⋮? それ。おいしい?﹂ スケルティアのやつは、ぜんぜんわかっていないっぽい。 しかし? なんだって? オペラだって? ドレスから靴まで、 上から下まで揃えろと? こちらの世界の観劇はよく知らないが、向こうの世界よりも遥か に格上の、上流階級の遊びのはずだ。 舞踏会に出られるくらいの格好が必要だと、容易に推測できる。 あー。うん。駄犬はともかく。スケルティアを着せ替えして遊ぶ のは、楽しいな。 まー。うん。駄犬も駄犬で。スタイルだけは無駄にいいから、セ クシー系とかが似合うかもしれないな。 モーリンはシックで上品なものが似合うに違いない。アダルトだ。 大人の色気だ。 この街を訪れて︱︱ここに来ることを決めたのは俺自身だが︱︱ ちょっと塞いでいた気分が、すこし上向きになった。 明日に対しての気分が、すこしは持ち直してきたところで⋮⋮。 ﹁さーて︱︱、とりあえず今夜は⋮⋮、ヤルかーっ!﹂ ﹁えー! 情緒がない!﹂ 情緒がどーとか言うやつが、跨がってきてケツをのせて誘ってく るのかよ? 513 ﹁ちょ! ちょっ︱︱ちょーっ! お風呂! せめてお風呂に入ら せてっ!﹂ ﹁ぶぅゎーか! それがいいんだろぉーっ!﹂ ﹁きゃーっ! いやー! きゃー! きゃー!﹂ ﹁スケ。も。まざるよ。﹂ ﹁ではお風呂に湯を張ってまいりましょう﹂ スケが飛びこんできて、モーリンは慌てず騒がずぜんぜん落ち着 いていて︱︱。 俺たちがいつものように、ぐずぐずになっていこうとした、その とき︱︱。 ﹁王都警備隊である! おまえたちを詐称罪にて連行する!﹂ ロイヤルスイートルームの扉が、いきなり開いて︱︱。 数名の武装した男がなだれこんできた。 ⋮⋮はい? 514 牢獄 ﹁わたしたち⋮⋮、なんでこんなとこ、いんの?﹂ 夜が明けた。 俺たちは牢獄の中にいた。 だいぶ上のほうに鉄格子つきの窓があり、朝の日差しと、ちゅん ちゅんと小鳥の鳴き声が入ってくる。 それによって、朝がきたことがわかる。 ﹁ねえ、わたしたち⋮⋮、なんでこんなとこ、いんの?﹂ 膝を抱えて、アレイダが言う。 ﹁あー、ヤダ。鉄格子みてると⋮⋮。思いだす⋮⋮。ねえ。暴れて いい?﹂ ﹁やめとけ﹂ 目の前にも鉄格子。石組みの壁に囲まれて、正面は鉄格子という、 ﹁牢獄﹂と聞いてイメージする、まさしくそんな場所に、俺たちは 入れられていた。 アレイダのやつは、すさんだ目で鉄格子を睨んでいる。 奴隷で木檻に入れられて﹁商品﹂にされていたときのことを思い 出すのだろう。 あのときは単なる小娘で、木檻を破壊する力もなかったわけだが。 いまは高レベルのクロウナイト。その気になれば、鉄格子をひん 曲げて出て行くことも可能だ。石の壁だって素手でぶっ壊せるかも 515 しれない。 俺たちは捕まっているのではなくて、捕まえられてやっているの だった。 憲兵だか王都防衛隊だか、なんだか知らんが、俺たちを捕らえに 来た男たちは、この国の、まあ警察組織みたいなものだった。 かつて勇者に救われたこの国では、﹁勇者﹂や﹁大賢者﹂や、あ と勇者のパーティの仲間すべては、神格化されており︱︱。 その名を騙ることは、重罪となるらしい。 昼飯を食ったときに、モーリンが﹁大賢者本人です﹂と名乗って いた。 ウエイトレスの女の子は冗談と思ったらしいが、﹁アブナイから だめですよー﹂とも言っていた。その意味は、つまり、こういうこ とだったわけだ。 あの娘が密告したとは思わない。カワイイ女の子と、綺麗な美女 に、悪いやつはいないというのが、俺の持論だ。あそこの店にいた 他の客が密告したか、あるいは憲兵の関係者がメシでも食っていた のだろう。 しかし、名乗っただけで投獄とは⋮⋮。有罪とは⋮⋮。 知らんがな。 この街を救った勇者様だって、50年後に、まさかそんなアホな ことになっているなんて、思いもしなかっただろうよ。 あー、賭けてもいいぞー。本人ここにいるしなー。 516 ﹁ねー⋮⋮、ほんとにすぐに出られるのよね? ⋮⋮出してもらえ るのよね?﹂ ﹁さあな﹂ 俺は言った。アレイダのやつは心配でたまらないらしい。数分ご とに﹁ぶっ壊していい?﹂と聞いてくるのだ。そんなに鉄格子にト ラウマがあるのか。 ﹁さあな、って、なにそれ。一生ここから出られなかったら、オリ オンのせいだ⋮⋮﹂ なんでいきなり一生になるんだ。そんなに鉄格子がトラウマか? ﹁おりおん。よし。あれいだ。よし。もーりん。よし。﹂ アレイダの言葉を真に受けたのか、スケルティアが、俺とアレイ ダとモーリンを指し示して、よし、とかうなずいている。 一生ここにいることになっても俺たちがいるから、よし、という 意味だろう。 うちの娘のカワイイほうは、ほんと、かーいー。 俺たちは、無論、出ようと思えば、こんなとこ、いつでもすぐに 出て行くことができた。 うちのバカ娘が、バカ力で、牢を石壁ごとぶっ壊したっていいし。 スケルティアが糸を操って鍵を開けたっていいし。モーリンの転移 魔法でテレポートするのが、もっともスマートだと思うが。 それをしないのは、自分たちにやましいことがないからだ。逃げ ればみずから罪を認めることになる。 517 取り調べに対して、俺たちは﹁本人だ﹂と一貫して主張している。 やつらは冒険者ギルドに問い合わせをすると言っていた。朝にな ったし。そろそろ連絡が戻ってきてもいい頃だ。 本当に問い合わせていれば、の、話であるか。 ﹁はやく出たい早く出たいいますぐ出たい。ああもうあいつらぶっ 殺して出ていい? いいよね?﹂ アレイダが膝を抱えてぶつぶつ言ってる。据わった目で牢の番兵 を見つめている。 闇持ちのクロウナイトは、危なっかしくてかなわない。てゆうか。 そんなに鉄格子にトラウマが? ﹁退屈だな。もうすこし時間がかかるかもしれないし。暇つぶしで もしているか﹂ 気晴らしになるだろうか。︱︱という軽い気持ちで、俺は、隣で 肩を寄せてくるアレイダに襲いかかった。 ﹁ダーッ!﹂ ﹁なになに! ちょ︱︱!? なんなのなんでコイツいきなり欲情 してんの!?﹂ こいつ。ついにご主人様を〝こいつ〟呼ばわりかよ。 ああ。いや。自分で得た金で自分を身請けしたから、もう奴隷じ ゃないんだっけか。じゃあ俺とこいつの関係ってなんだ? ああうん。飼い主と駄犬だな。そうに決まった。 518 ﹁ちょ!? 見てるみてるみてる! あそこの人たち見てるうぅぅ ! 見てるからだめえぇぇ!﹂ それは見ていなければOKという意味か? まあOKなんだがな。 ちなみに俺は、〝見せてやる〟ことに、なんら抵抗はない。 むしろ⋮⋮。 ほーれ、俺はこんないい女を自由に出来るんだぜー! うらやま しいかー? うらやましいだろおぉぉ? いいぞいいぞー、鉄格子の向こうで自分でしているぐらい、許し てやるぞー? ︱︱ぐらいなカンジ。 牢の中にはいてやるが、その他のことには、まったく自重するつ もりはない。 ﹁きゃー! きゃー! だめーっ! そこはだめーっ! あっ、そ こは⋮⋮﹂ 俺はアレイダの固くなってきた部分を、うりうりとやった。 牢番の男どもは、がっぷりと寄ってきて、血走った目で見ている。 ぎいぃ、バタン。 鉄扉が開く音がした。 ここからは見えないところから、足音が聞こえてくる。 通路を、かつかつかつ、と、ヒールで石を踏む足早な音が近づい てきた。 ﹁ああ! オリオンさん! よかった! 見つかりました! こん 519 なところに入れられて、まったく災難でしたね!﹂ 現れたのは、リズだった。いつも懇意にしている冒険者ギルドの 人間だ。 しかしずいぶん離れた街にいたはずなのだが、どうやって? ちなみに俺たちは転移魔法があるので、あの街まで顔を出してい るが。 ﹁問い合わせがあったので、すぐに飛んできました。ギルド同士に は転移陣がありますから﹂ 、 おお。そうか。五十年前には遺跡の奥でしか見かけなかったが、 そこまで普及しているんだな。 ﹁貴方たち。⋮⋮まずパンツあげ!﹂ リズが一括する。 牢番たちは、まずズボンを引きあげた。直立不動になる。 ﹁この方々たちを。すぐにここから出してください﹂ ﹁いや、しかし︱︱﹂ 、 、、 、、、、 ﹁貴方たち。︱︱なにをされたのか、わかっているのですか? 本 物の、本当の、正真正銘大賢者様を、投獄したのですよ?﹂ 牢番たちが、顔色を変える。 なにが起きつつあるのか、ようやく、理解した顔だ。 だから、俺たち、ゆったじゃーん? 本物だって、本人だって、そおゆったじゃーん? ばっかでー。 520 ﹁おい。大賢者。話題になってるぞ﹂ 俺は子供みたいな手足を縮めて、すうすうと眠っているモーリン を、揺すって起こした。 ﹁あ⋮⋮。はい。すぐに朝食の支度を⋮⋮﹂ 寝ぼけてる。 萌えー。 寝れるときに眠れるのは冒険者の資質だ。 牢に入ってなにもできず、暇になったところで、モーリンはすや すやと睡眠に入っていた。冒険者の鑑とは、こういうことを言う。 モーリンは、顔をこしょこしょとやって、くーっと、伸びをやっ てて︱︱。 そして、きりっと、完璧超人の顔に戻った。 ﹁誤解が解けたようでなによりです。貴方たちの減刑は、きちんと お願いしておきますからご安心ください﹂ ひどい目にあわせた相手に寛大なことを言う。 大賢者とそのご一行の威厳をみせつけながら、俺たちは、牢をあ とにしたのだった。 521 国賓 ﹁舞踏会ぃ! ぶぶぶ! 舞踏会ーぃぃぃぃ!!﹂ きらびやかな夜会が行われている。 牢屋暮らしから、一転︱︱。 大賢者とその一行、ということで、国賓となった俺たちは、その 夜の夜会に呼ばれてきていた。 ガラスのシャンデリアが天井から下がる。夜なのにまるで昼間の 明るさだ。 ﹁すごーい! まぶしーい⋮⋮!﹂ 異世界の前世においては見慣れた明るさでも、こちらの世界では びっくり驚くものなのだろう。 うちの娘の駄馬のほうは、目をキラキラさせて見あげている。 もう一人のほうは、まぶしいのか、目をきゅっとつぶっている。 おでこの単眼だけを開けたまま。 今夜の夜会は、べつに特別なものというわけでもなさそうだ。毎 晩、行われているものなのだろう。上等なスーツとドレスに身を包 んだ、麗容な男女の様子は、まるで浮ついたところがない。落ち着 いたものだった。いつもの日常という感じだ。 それに比べて、うちの駄馬ときたら︱︱。 ﹁すごーい! 歩きにくーい!﹂ 522 足元を制限されるドレスで、みるからに危なっかしい。 そして階段を下りてゆくときに、バランスを崩して︱︱。 ﹁きゃ︱︱﹂ ﹁気をつけろ﹂ 俺は、アレイダに手を差しだして、支えてやった。 ﹁あ⋮⋮、ありがと﹂ そのままエスコートしてやる。 またすっ転ばれたら、かなわないからだ。俺が恥をかくからだ。 けっしてそれ以上の他意などない。 アレイダは赤いドレス。体のラインを強調して、スタイル自慢で もしてるような感じ。まあ。俺の隣を飾るトロフィーとしては及第 点だな。 ﹁⋮⋮なに?﹂ 見ていると、目をぱちくりさせて、年相応のはにかんだ顔をする。 〝駄馬〟から〝トロフィー〟に格上げしてやったんだぞ。ここ。 喜ぶところだからな? スケルティアは青いドレス。お花みたいに咲き誇っていて、可愛 い感じ。 本人、可愛い服を着せられているという自覚がなくて、ぱたぱた、 走り回っていたりするのも、より可愛さを引き立てている。 ﹁⋮⋮? なに?﹂ 523 清楚な格好。意外と似合うな。中味は毒々蜘蛛娘なのだが。こん ど純白のワンピースでも着せてみようか。 モーリンは大賢者の貫禄を漂わせた紫色のドレス。200年生き てる美しい魔女が着るにふさわしい感じ。 この﹁200年生きている﹂というのは、巷で流れている噂だ。 〝モーリン〟という名の人物が歴史上に現れて、人類を陰日向から 助けていたのが、そのくらいの昔とされている。 ちなみに表の記録には残されていないが、それより以前には、滅 びかけていた魔族に援助していた同名の存在があるとされる。衰退 していた魔族はその者の助力で勢いを取り戻し、勢い余って、こん どは逆に人類を滅亡させかけてしまったわけだが⋮⋮。 いっぺんそのことを聞いてみたことがある。﹁ちょっとテコ入れ しすぎちゃいましたね﹂との答え。 本当かどうかはしらん。どうでもいい。 モーリンは俺の女だ。それ以外のことには、マジで興味がない。 三人を連れて会場へと下りていった。 ただちょっと俺としては面白くない。いろいろなことで面白くな い。 ひとつめ︱︱。服も靴もすべて借り物だということ。 服は俺が買ってやろうと思ったのに、貴賓室のクローゼットを開 けると、何十着も揃っていた。 こーゆーの着せてやったら、似合うんだろうなー、と、俺がまさ に思い描いていた服が、山ほどあった。 524 ﹁これはこれは大賢者様。本日。お会いできたことは、我が家の末 代までの語りぐさとなりましょう﹂ そして、ふたつめ︱︱。 いまモーリンに話しかけているのは、たぶん、大臣。 話しかけているのは、あくまでモーリン。俺たちなんて眼中にな い。護衛かなにかと思われているのだろう。 ﹁ねー、オリオン! こっちこっちー、これぜんぶ、食べ放題みた いよー!?﹂ うちの駄馬が、さっそく、料理の置かれたテーブルに貼りついて いる。 いいけど。食い放題だからといって、また妊娠9ヶ月になるんじ ゃねえぞ。 ﹁おい。スケ。そんなとこに入るのはやめろ﹂ 俺は純白のテーブルクロスを、ぴろっとめくった。 隠れていた少女に、めっ、とやる。 ﹁ひと。おおい。ここ。ひろい。⋮⋮このなか。せまいよ?﹂ 人の多いところと、広いところは、あいかわらず苦手らしい。 そういや牢屋で居心地よさそうにしていたなぁ。 ﹁ふぉへっ!? ふおっふぉ! ふぉひぃぃふぁふぁぁ!﹂ 駄馬がなにか言ってる。口の中のものを飲みこんでから言え。ぜ 525 んぜんわかんねえ。 モーリンはあいかわらず国の重鎮たちに捕まったまま。 俺はぶらりとパーティ会場を歩きはじめた。 アレイダあたりが、﹁ぶぶぶ舞踏会っ!? あの舞踏会っ!?﹂ とか言って震えて痺れていたが、その駄馬は、いま、食うのに夢中 になっている。 どーせおまえなんか、踊ってくれる相手もいないんだろうし、そ も踊れもしなくて赤っ恥かくのが関の山だろうし、俺が踊って、一 緒に恥をかく覚悟をしていたのだが。 俺は一人で、グラスを片手に、パーティ会場をぶらついた。 美しく若い娘さん︱︱は、本気にさせてしまうとメンドっちいの で、熟れて餓えてる貴族の未亡人あたりを探す。決して本気にさせ ず、一夜の遊びですむような⋮⋮。 そんな目で会場を物色していた俺は︱︱。 ある人物の登場とともに、会場の雰囲気が、さっと一瞬で変化し たことに気がついた。 一人の若い女性︱︱少女が、入ってくる。 皆が会話を止め、彼女を見ている。 凄いドレスも、宝石を散りばめたアクセサリーも身につけていな い。清楚な白いドレス。この会場においては地味ともいえる服装。 しかしその人物の持つ気品は隠すことができない。オーラのよう に周囲に暖かな光を放っている。 526 今夜の遊びの相手に選ぶことはできないだろうが、挨拶くらいは しておくか。 俺は彼女に近づいていった。 彼女も俺に向けて歩いてくる。 間にいる人たちが道を譲る。人垣が左右に分かれてゆく。 人の大勢いるパーティ会場のなかで、俺と彼女は、まるで二人だ けでいるかのように、笑顔を交わしあった。 あれ? こんなこと、前にもあったよな? 俺は綺麗な女の子に、笑いかけながら、頭のどこかで、そんなこ とを考えていた。 なんか。デジャヴとでもいうのだろうか。前にも同じことがあっ たような既視感がつきまとう⋮⋮。 ﹁当国へようこそ。見知らぬお方﹂ ドレスの裾をつまむと、優雅にお辞儀をしてきた。 ﹁この国の王女。︱︱アンジェリカと申します﹂ その名前に、少々、打ちのめされていながらも、俺は自分も名乗 ることにした。 ﹁旅の途中で立ち寄らせていただきました。名は︱︱﹂ ﹁待って﹂ 言いかけたところで、止められた。 なんだろう。と思ったところで。 527 ﹁わたくし。当ててみせますわ。貴方のお名前は⋮⋮、∼∼∼∼で しょう?﹂ 王女アンジェリカの口にした名前は⋮⋮。 それは、俺がもう捨てた名前だった。 そして俺は完全に思いだした。ここまでの一連のやりとりは、す べて、昔、起きたことだった⋮⋮。 50年前︱︱。俺は、駆け出しの〝勇者〟として、この国にやっ てきた。そして美しい王女と出会い︱︱。 目の前に立つ王女は、その50年前と同じ名前をしていた。 ﹁祖母のお名前を頂いております。同一人物では︱︱ないですよ?﹂ 先祖の名前を付けるのは、貴族、王族では、ごく一般的な風習で ある。そのこと自体は、べつに驚くことではない。 だが俺が驚いたのは︱︱。その顔で︱︱。 ﹁ええ。祖母に〝生き写し〟と、よく、言われるんですのよ。お歳 を召した方からは、そのような反応をされることも、しばしばで⋮ ⋮。慣れておりますので﹂ にっこりと微笑む。 ﹁いえ⋮⋮失敬﹂ 528 俺はそう言うのがやっとだった。それほどまでに、俺は顔をまじ まじと見つめていた。 50年前︱︱。すがる彼女を置き去りにした。 連れてゆくことはできなかった。〝魔王を倒す〟という使命が、 勇者にはあったからだ。 いや正直にいえば、幸せにしてやれる自信がなかったからだ。そ して彼女には、俺なんかよりも幸せにしてくれる人間が、身近にい た︱︱。 だから俺は、彼女を置き去りにして︱︱。 ⋮⋮⋮⋮。 だいぶ混乱していたようだ。彼女は彼女であって、目の前にいる 王女とは別人だ。顔も名前もそっくりであるというだけの︱︱単な る孫娘だ。 ﹁お互いさまということで、先ほどの失礼は許していただけますか な? ︱︱貴方も、俺のことを、どなたかとお間違えのようでした し⋮⋮﹂ ようやく余裕を取り戻して、俺はそう言った。 さっき彼女は、〝ある名前〟で、俺を呼んできた。﹁名前をあて る﹂などと言って、その名前を口にした。 大賢者の名前を騙ると重罪になるなら、その名前を容易に持ち出 すのも問題になるのではないかと思ったが︱︱。 とにかく、その名で俺を呼んできたのだ。 ﹁祖母から、常々、聞かされておりました。彼の御方のこと。彼の 529 御方がどういう殿方で、どう喋り、どう動かれ、どんな仕草をされ、 どういう癖を持っておられるのか⋮⋮。祖母にねだって、何度も何 度も聞いておりましたの﹂ ﹁なるほど。そうでしたか。でも俺は別人で︱︱﹂ 俺はそう言い張ろうとしたのだが、彼女は、ぜんぜん聞いちゃく れなくて︱︱。 指先を口許でぴたっと合わせると、恋する乙女の顔になって、俺 に言ってきた。 ﹁︱︱ですから、わたくし、一目見てなので、わたくし、てっきり ⋮⋮。ぜったいそうだって確信してしまいました!﹂ ﹁ないですね。勇者は死んだという話ですし。だいたい生きておら れたとしても、60歳も超えてるおじいちゃんでしょう﹂ うっわ。いま咄嗟に計算したけど、考えたくもない年齢になって たー! ⋮⋮忘れよう。 ﹁そういえば、そうでしたわ﹂ よかった。ようやく納得してくれた。 常識的な思考よりも、直感が優先するこのあたり、神託の巫女と 名高かったかつての祖母の血を︱︱能力を引いているのかもしれな い。 ﹁そういうことでお願いします。俺は勇者なんかではないんで﹂ ﹁では皆の勇者様ではないとしても、わたくしの勇者様にはなって 530 いただけますか?﹂ うわ。そう来た? そう来ましたか? 俺は熟考したうえで、返事を口にした。 ﹁貴女のために命を捨てようという男性は、たくさんいると思いま すよ﹂ 俺は、俺の女にならない女に、興味はない。 一夜の相手として遊ぶのには、王女は、ちょっとばかり重すぎた。 ◇ その夜は︱︱。 ドレスアップして出席していたリズを会場で見つけて、二人で行 方をくらませて、しけこんだ。 牢から助け出してくれたお礼がまだだったので、〝たっぷり〟と お返しをした。 なんでか、彼女とは遊びの関係を続けている。 俺の女になるか? と、一度聞いてみたことはあるのだが、はぐ らかされて、それっきり。現在に至る。 ま。朝帰りしてからが、たいへんだったが︱︱。 アレイダはなんでか、カンカンだったし。スケルティアは、ぴと ーっと貼りついてきて離れないし。 なんだ。俺は浮気の一つもできんのか。 モーリンはいつもと変わらず。俺に卵と砂糖いっぱいのフレンチ トーストを焼いてくれた。 531 エスコートをおっぽり出して遊び回っていたことに、なにか小言 くらい言われるかと思ったが、まったくなにもない。 あんな毎夜の舞踏会に王女が出てくることは異例だったので、大 賢者にも予測がつかなかったのかもしれないが⋮⋮。 王女が〝彼女〟の生き写しであることぐらいは、言っておいてく れてもよかったんじゃないか? そんなことを考えて、口を尖らせぎみにしていた俺に、モーリン が言ったのは︱︱。〝彼女〟がまだ存命であるということだった。 そうか。てっきり、もう、死んでいるものだと思っていた。 50年か。まだ生きていても不思議はないんだな。 俺は50年という時間の重さを噛みしめていた。 ◇ ﹁大賢者⋮⋮、の一行が、なぜ、我が国に⋮⋮﹂ 暗がりの中。二人の男が話し合う。 ﹁まさか⋮⋮。気づかれているのか? やつらはどこまで気づいて いるのだ!﹂ ﹁宰相閣下。お声が大きゅうございます﹂ ﹁お、おお⋮⋮。そ、そうであったな﹂ 二人の男は、声を潜めた。二人がいまここで会い、内密の話をし 532 ていることも、そもそも秘密なのだった。 二人の男は陰謀を共有する仲間であった。 片方はこの国の宰相。大臣たちの上に立ち、王を補佐して国を運 営する最高責任者だ。 もう片方は、国を守護する黒騎士団を率いる、騎士団長。 ﹁やつらもおそらくなにも証拠は得ていないはず。仮になにかを得 ていたとしても、確証までは得ていないはずですぞ﹂ ﹁そ、そうであろうか⋮⋮﹂ ﹁実際に動いていないのが、その証拠﹂ ﹁う、うむ﹂ ﹁ですが。わざわざ、あれほど目立つ形で大賢者がやって来たとい うことは、我らの企みに感づいているというのも、また、確実なと ころでありましょう﹂ ﹁まずいぞ。このタイミングで⋮⋮。我らが数十年もかけて周到に 用意してきたというのに⋮⋮、ええい、いまいましい! 勇者が死 んでくれて清々したというのに、なぜ大賢者だけ生き残っておる!﹂ ﹁ご心配めされるな。大賢者殿には⋮⋮、そうですな、失踪してい ただくのが、よろしいかと﹂ ﹁失踪? こ、殺せるというのか⋮⋮?﹂ ﹁お声が大きいですぞ、宰相閣下﹂ ﹁う、うむ﹂ ﹁大賢者殿には、あくまでも︱︱〝失踪〟していただくのです﹂ ﹁う、うむ⋮⋮。そうだな。失踪していただこう。それが良い﹂ ﹁我らが黒騎士団の力⋮⋮、とくと、お目に掛けましょう﹂ ﹁騎士団長よ⋮⋮、其方も悪よのう?﹂ ﹁いえいえ。宰相閣下には及びませぬ﹂ ﹁くっくっく⋮⋮﹂ 533 ﹁ふっふっふ⋮⋮﹂ 二人の男は、昏い笑いをつづけた。 534 襲撃 ﹁ねえ? こいつら殺しちゃっていーい?﹂ 王都に逗留して、何日目かの夜︱︱。 俺は、またかと、ため息をついた。 街にぶらりと飲みに出た。 ポールに掴まってくるくる回る半裸の女の子とか、チップを差し こむと膝の上に座りに来てくれる女の子とかのいる店に行った。 この手の店には、通常、女の客は絶対に入らない。 だがそこにあえて、連れこんだ。 アレイダは、はじめ、目を白黒させていたものの、飲み比べをし て景気をつけたあとは、女の子に混じって踊っていた。俺が褒める と調子に乗って、ポールでくるくると回るようになった。 スケルティアは黙々と食べていた。 モーリンは俺の隣でグラスが空くと勺をしていた。女の子の何人 かが﹁お姉様ー﹂と慕って、なんか異様にモテていた。あの女の子 たちも、そのお姉様が、まさか街でウワサの大賢者とは思わなかっ たろう。 しかし、なんで異世界にストリップ・バーと、ポールダンスがあ るんだ? だれだこんな低俗な異世界文化を持ちこんだ転生人は! けしからん! いいぞもっとやれ! てな感じで、俺たちが上機嫌で帰り道を歩いていると︱︱。 535 襲われた。 ﹁⋮⋮で、どうすんの? こいつら?﹂ 襲ってきた連中は数人ほど。そのうちで捕まえられたのは四人ほ ど。一人二人は逃げている。 その四人は、スケルティアの糸でぐるぐる巻きにして、ふんじば っている。 ﹁どうする、って言ってもなー⋮⋮﹂ 俺は正直、困り果てていた。 じつは襲われるのは、今夜が初めてではない。 昨日の夜も、一昨日の夜も、襲われた。 今夜など、どうせまた襲われるのだろう︱︱と思って、わざわざ 隙を作ってやるために外出したくらいだ。 ﹁おい。おまえら? 誰に雇われたのか、言うつもりは?﹂ いちおう念のため、男たちに聞く。 だが昨夜と一昨日の連中と同じく、口をへの字に結んだまま。 ﹁ねー、こいつら殺しちゃっていーい?﹂ アレイダが言う物騒な言葉にも、ぴくりとも反応しない。 胆が据わっている。 536 俺は経験から知っていた。 この種の手合いは、拷問をしてもなにをしても無駄。口を割らな い。 自白が無理な相手でも、心を読むことで、情報を引き出す魔法や スキルは、あることはあるのだが⋮⋮。 どうせそっちへの〝対策〟も済んでいるはずだ。 魔法やスキルの効果を妨害するとか、そんな高度なものではなく、 もっと遥かに簡単な方法が存在する。その種の方法が使われたとき に、即座に死ぬような仕掛けもあるわけだ。 ﹁べつにぶっ殺したっていいんだが⋮⋮﹂ 山で襲ってきた山賊をバラすことに、なんの躊躇もない俺であっ たが⋮⋮。 なぜだか、めずらしく、悩んでいた。 後味が悪いっつーか。冒険者ギルドに状況説明するのが面倒くさ いっつーか。リズにあんまり面倒かけたくないっつーか。 〝彼女〟の思い出のあるこの王都を、血で汚したくないというか。 ︱︱まあ、それがいちばんの理由なんだろうな。 ﹁いつものアレで﹂ ﹁了解。スケさん。お花。摘んできて。︱︱4輪ほど﹂ ﹁わかた。﹂ スケルティアは、こくこく、とうなずいて、夜の街路に〝お花〟 を探しに行く。 537 そのあいだにアレイダは﹁花瓶﹂を作りにかかった。 いつもの〝アレ〟というのは、〝花瓶の刑〟というものだ。 大の男を花瓶みたいに取り扱って、逆さまにする。 アレイダはLvカンスト寸前のクロウナイト。ガチ物理系の上級 職のステータスは、それを可能とする。 逆さまにして、ひん剥いて、お花をいける︱︱というのが、花瓶 の刑であった。 どこに〝いける〟のかって? ︱︱それはご想像にお任せする。 この者。狼藉者なり。 ︱︱と、消えないペンで顔に書いてやって、成敗完了。 道端に花瓶を置いて、俺たちは立ち去った。 ◇ ﹁も⋮⋮、だめ﹂ いちばん体力のあったアレイダが、やっぱり最後まで保ったわけ だが⋮⋮。 気絶するように俺の上に倒れ込んできて、それきり、動かなくな る。 ちなみにモーリンとスケルティアの二人は、アレイダより先にリ タイヤして いた。目のまわりが落ちくぼむほどに衰弱して、いま、死んだよう に眠っている最中。 538 どんなイタズラをしても、決して目を覚まさないカンジー。 裸の娘を上に乗せたまま、俺は天井の一角を見つめていた。 思うところあって︱︱。天井の隅に、声を投げる。 ﹁クザク︱︱。いるんだろ?﹂ がたごと、ごとん。 音がして、音がやんで︱︱。しばらくして︱︱。 天井の板がすうっとずれて、そこから、バツの悪そうなクザクの 顔が現れた。 あるじ ﹁いえあの釈明を許していただければ⋮⋮。決して覗いていたわけ でも、主を試そうとしていたわけでもなく⋮⋮。その⋮⋮、お役に 立てればと思いまして⋮⋮﹂ 鳥の羽の髪飾りを、ぷるぷると震わせて︱︱。クザクは言わずも がなのことを、いっぱい喋った。 なるほど。覗いていたのか。 なんか屋根裏で気が乱れていたけど。そのせいで気づいたわけだ けど。 ああ。俺たちの行為を見て、一人でしていたわけか。そして気を やっていたわけか。 てか。混ざればいいのに。 クザクは俺の女だった。 前に、ゴブリンに返り討ちにあった彼女たちに、助けを求められ 539 た。 助けてやるかわりに俺のものにしたわけだが︱︱。そのまま心酔 されて、残り二人の女と共に、正式に、俺の女となった。 三人は、冒険者を続けて、自分たちを鍛え直すと言っていたが︱ ︱。俺の近くについてきているのだろう。 彼女は、俺たちに足りない諜報系のクラスだった。役立つスキル をたくさん持っている。向こうの異世界だったら﹁忍者﹂とでもい うべきところなのだろうが⋮⋮。こっちの世界に、その種のクラス はまだないっぽい。 あるじ ﹁頼みたいことがあるんだが。いいか?﹂ ﹁はい! 主の命でしたら! なんなりと!﹂ 俺は、クザクに用件を告げた。 ◇ 翌日の夜︱︱。 ﹁宰相と騎士団長が結託して、とんでもないことを考えているよう ですよ﹂ ベッドにうつぶせに横たわり、満足しきった顔のクザクから、俺 は報告を受けていた。 俺の頼みを受けたクザクは、たった1日で、色々なことを調べ上 げてくれていた。 その〝ご褒美〟ということで、報告を聞く前に、まずは一戦を終 540 えていた。 気絶させちゃうと報告が聞けなくなるので、ほどほどで︱︱。 どうも最近溜まりまくっていたらしいクザクが、満腹しきった猫 みたいな表情になるまで、何度も何度も際限なく、くれてやった。 たまに三人以外の女を抱くと、これがまた新鮮で︱︱。意識して いないと、激しく燃えあがってしまいそうで、自分を抑えるのに、 俺のほうはすこし苦労していた。 ああ。リズが俺の女にならない理由が、なんかわかった気がする。 おやつは、たまに食べるから美味しいんだ。おやつとなるわけだ。 てか。俺はおやつか。食われてるのは、俺の側か。 そういや彼女。朝になるとピンピンしてツヤツヤになって、しゃ っきりと帰ってゆくな。 ﹁首謀者は、宰相と騎士団長か⋮⋮﹂ 腐ってんなー、この国。 そういえば、その二人、かなりの歳である。ずっと王国に仕えて いる重鎮なのだという。 ということは、つまり︱︱、50年前にも〝居た〟わけだ。 おそらく小僧か若造だったろうから、俺のほうは、覚えてもいな いのだが。 ﹁︱︱で? その重鎮が、なにを企んでいる?﹂ 考えれば推測はできたろうが、果てしなく面倒くさいので、いき なり聞く。 541 小物の思考をトレースしたら、自分まで小物になりそうだ。 ﹁王女を傀儡に仕立てあげ、国の実権を握ろうとしているようです。 ︱︱国の乗っ取りですね。つまり﹂ 下向きに重く垂れ下がった、クザクの美しい乳房を眺めながら、 俺は考える。 その忠義溢れる重鎮たちは、50年のあいだに歪んでいったのだ ろうか︱︱? それとも忠義など、最初からまやかしで、50年をかけた遠大な 計画であったのだろうか。 まあ、どちらであったとしても、いまとなっては同じことだ。 たぶんこれは自分の願望ないしは希望だ。 自分が救った国が、せめて前者であってほしいという、元勇者の ささやかな感傷だ。 ﹁それと先々代の女王︱︱王女の件ですが﹂ クザクには、たしかそのことは頼んでいなかったはずだが。 彼女は俺が命じたかのように、調べてきたことを話しはじめる。 てゆうか。たった一日でどんだけ調べてきてんの、この娘? 何この優秀な娘。 うちの駄犬に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわー。 ﹁先々代女王は︱︱公式には病気の療養ということですが⋮⋮。特 に悪いところもなく、心身共に健やかなるご様子でした﹂ 見てきたように言う。もちろん見てきたのだろう。 542 〝彼女〟がいる場所も、もちろん、知っているのだろう。 ﹁えっ⋮⋮? あっ、ちょっ⋮⋮、まだご報告がっ⋮⋮﹂ 俺はこの優秀な娘に、もうちょっと〝ご褒美〟をやっておこうと 思った。 具体的には︱︱。 さっき前からだったので、こんどは、後ろから犯した。 543 姫君 ﹁ずっとお慕いしておりました﹂ #042.姫君 ﹁ずっとお慕いしておりました﹂ 王都で国賓となって、もう何日目になるのか、数えもしなくなっ た、朝︱︱。 部屋での朝食を軽く終えたあと、俺は出かける支度をしていた。 ﹁つまんにゃー、オリオンばっかり外に遊びにいってー、ずるーい﹂ アレイダが文句をいっている。 テーブルにほっぺたをつけて、ガラスのコップを逆さまにして、 かっぽんかっぽん、上げ下げしている。 部屋の中に迷いこんできた、ハチだかアブだかハエだかを、捕ま えては放して、それを繰り返して退屈しのぎをやっている。 コップを上げると、放された虫が逃げようとする。それを、また かっぽんと捕まえる。 隣では、スケルティアのやつが、めっちゃ食いついていた。目を きらきらさせて、虫を見ている。 だがあれはたぶん別の意味。虫って、蜘蛛の主食だしなー。 ﹁ずるい。連れてって﹂ アレイダがまた言った。あいつも、どうせ無駄だとわかっていな がら、そんなことを言う。 あれは、わがままが通るか、試しているんだろうなぁ。 544 通んねえよ。ばーか。 これから女のところに行くんだよ。子連れで行けるか。ばーか。 まあこのあいだはストリップバーに女連れで行ったけど。 例の襲撃はまだ続いている。 食ってるとき、寝ているとき、ヤッてるとき︱︱時間と場所を選 ばずに襲撃される。もちろんぜんぶ〝花瓶〟にして通りにさらし者 にして返却している。 そしてもちろん出歩いているときにも襲われる。 アレイダでもスケルティアでもモーリンでも、べつに誰一人のと きでも、問題なく撃退できるわけであるが⋮⋮。 うちの娘たちは、ちょっと実戦的に育てすぎた。 山賊は? ↓ 殺せ! ︱︱的な育成方法で、鍛えすぎてしまった。 俺かモーリンかがお目付役でついていないと、相手をぶっ殺して しまいかねない。またどっちらかがついていても、穏便に済ませら れなくて、周囲に被害を出してしまいかねない。 決して、うちの娘たちの心配はしていなかったが⋮⋮。 俺はこの王都に、いらない血を流そうとは思っていなかった。 よって、あいつらはお留守番だ。 ﹁じゃあ、行ってくる﹂ ﹁いーっ、だ!﹂ 545 うちの娘の、嫉妬をよくするほうから、暖かい見送りを受けて︱ ︱俺は部屋をあとにした。 ◇ 薔薇の咲き誇る庭園のただなかで︱︱。 彼女は一輪の薔薇のように立っていた。 ちょっきん、と、バラの枝のひとつを選定する。ハサミを脇に控 えていた侍女に手渡す。 そのあとで俺を見つけて︱︱まぶしい笑顔を、ぱあっと咲き誇ら せる。 ﹁また⋮⋮、いらしてくださったんですね﹂ ﹁ああ⋮⋮、まあ⋮⋮、約束だったし﹂ このところ俺は、よく、彼女のもとを訪れていた。 あの夜、パーティのときに、﹁また会っていただけますか?﹂と 言われた。断る理由が見つけられずに、いまに至る。 彼女は俺に恋い焦がれていた。 正確に言うと、祖母から聞かされていた 風のように現れ、王女と王国とを救い、風のように立ち去った。 その者の話を聞かされて育って、恋い焦がれるようになってしま った。 しかしべつにあれは、風のように立ち去ったわけではなく、次の スケジュールが押せ押せだったので、速攻、撤収したわけだけど。 546 前々世での俺は、人の一生のあいだに、魔王を倒せるまでに強く なるという、無理ゲーに挑まされていた。 いや。無理。 普通。無理。 魔王って、どんだけ強いと思ってんだよ。戦った俺は知ってるが。 あんなん。人が倒せるとか思っている時点で、まず、そいつの頭 がおかしい。 だが世界の管理者たるモーリンは、頭がおかしかった。 勇者がいま世界にいないのなら、作ってしまえ、というのが、彼 女の発想だった。 世界の管理者が、転生女神に掛けあい︵弱みを握って脅すともい う︶、英霊召還とやらで、望む資質を持った魂を呼び寄せた。 この世界に生まれた俺は、はじめは、単なる赤子だった。 特別な資質を持っているわけでもない。ステータスも平凡。才能 といえるものもない。チートスキルもない。 成長速度も並か、それ以下だったかもしれない。 ただひとつだけ、俺の魂が、他と違うところを持っていたとすれ ば︱︱。 俺には﹁才能限界Lv﹂というものが、なかったということ。︱ ︱その一点だけだった。 それだって、普通の村人の生活でもしていれば、気づきもしない で一生を終えていたことだろう。 転職可能なマスターLvに到達せずに人生を終える人間がほとん 547 どだ。 そしてモーリンは、俺を、鍛えに鍛えに、鍛えまくった。 0歳児からビシビシやられた。﹁続けなさい。時間を無駄にして はいけません﹂がモーリンの口癖だった。 その甲斐あって、まず3歳で︽勇者︾のクラスを獲得。 ちょっとこれ、全次元ワールドレコードじゃないかと思う。 ちなみに勇者業界の常識では、︽勇者︾とは後天的に転職するも のではなくて、はじめからそのクラスとして生まれつくものだと相 場が決まっている。 だが俺の場合には違っていた。あちらの︱︱現代世界で超有名な RPGゲームでいうなら、﹁Ⅰ﹂でも﹁Ⅱ﹂でもなくて、﹁Ⅲ﹂で あったということだ。 普通はやらない頭おかしいようなルートで、いくつかのクラスを 極めると、勇者への転職条件が満たされた。 勇者となったその後も、モーリンという鬼の専属秘書にスケジュ ール管理されながら、最大効率で、﹁強くなるためだけ﹂の人生を 過ごした。 1分ごとになんの修行をしているか、どこのダンジョンでなにと 戦っているか、すべて決められていた。 レベルは前人未踏の高みに至っていた。なにしろ俺には﹁才能上 限レベル﹂がない。カンストしない。どこまでも上げられるのだ。 そうして勇者人生の13年後︱︱。 王都を囲んでいた魔王軍を、単騎で突破。敵の将軍を打ち倒して、 速やかに戦争終結。 548 王女の救出は、最初はモーリンのスケジュールに入っていなかっ た。 その頃のモーリンは人というよりも機械に近くて、王女という存 在が、どれだけ民の︱︱国民の支えや希望となるのか、正しく理解 できていなかった。 俺がモーリンを説き伏せて︱︱めっちゃ〝オシオキ〟されたけど も、王女を救出して守って戦い、王都まで送り届けるように、プラ ンとスケジュールの修正を認めさせた。 そして立ち去る前に︱︱三分間だけ。 別れを惜しむ時間をもらえた。 守って戦い、王都まで送った数日と、三分間。 それが⋮⋮俺と王女との〝ロマンス〟の正体だ。 せめて、一晩⋮⋮もらえていたら、俺、童貞卒業できていたのか も⋮⋮? いや、そこのところは、まさしく、どーでもいいんだが。 王女の側から、それが、どう見えていたのか︱︱。俺は知らない。 だが彼女の孫にあたるという、現王女を見ていれば︱︱まあ、な んとなくわかる。 俺は彼女に何度も説明しているのだが︱︱。 ﹁おばあさまのお話﹂に出てくる人物と、俺は、別人であるのだ と。 だが彼女はまったく聞く耳を持たない。 俺とその人物とが同じであるという理由は、﹁だってお話と同じ まつりごと ですもの﹂だった。 いまでこそ、政の主役ではなくなったものの、王家の血筋には、 549 信託の巫女の力が残っているという。 いまだに﹁聖戦﹂の発動は巫女姫の信託が必須と、法文に明記さ れているほどである。 あー、そういやー、前々王女が、魔王軍への人質として、その身 を差し出す決意をしたのも、﹁勇者が現れる﹂との信託によるもの だったっけなー。 現れたなー。たしかにー。 ﹁あの。どうかされましたか? 勇者様?﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮あの?﹂ ﹁姫。そう呼ぶのはおやめくださいと、言ったはずですが﹂ ﹁わたくしの勇者様になっていただけると、言ってくださいました﹂ いやー。答えてはいないんだがなー。断ってもいないがー。 この国では大賢者を名乗ると投獄で、勇者を名乗ると斬首だった。 勇者を名乗ったほうが罪が重い。 そういえば、ニセ勇者モモタロウっていたな。ここに来たら極刑 だな。また勇者鍋だな。 なんで俺は、姫と逢瀬を重ねているのか⋮⋮。自分でもわけがわ からない。 ﹁ああ。そうだ勇者様。ひとつ、お願いを聞いていただけませんか ?﹂ ﹁そう呼ぶのをおやめくだされば、考えてあげないこともありませ んがね﹂ ﹁じゃあ⋮⋮﹂ 550 秘密めいた顔で、彼女は〝お願い〟を口にした。 俺はもちろん、﹁考えてあげると言っただけで、聞くとは言って ない﹂とか大人のずるい対応をするつもりだったのだが⋮⋮。 その〝お願い〟には︱︱。本当に、考えさせられてしまうことに なった。 ◇ ﹁ねー、なんで助けてあげないの?﹂ ﹁国の内政の話だしな﹂ ﹁じゃ。とっとと。他の場所。いきましょうよー。この街から出れ ば、暗殺もやって来ないんでしょ?﹂ ﹁それはどうだかわからないな﹂ ﹁街の外なら、べつにいいんでしょ? 殺しちゃっても?﹂ うちの娘の物騒なほうは、物騒なことを言う。 まあ実際、そうだけどな。 ﹁あのお姫様のこと⋮⋮、そんなに気に入ってるなら⋮⋮、助けて あげればいいんじゃないの﹂ アレイダの話は、また元のところに戻る。さっきからこれでエン ドレスだ。 ﹁べつに気にいってるわけでもない。だいたい。まだヤッてない﹂ うっわ最低︱︱とかいう顔を、アレイダからされる。 551 ﹁⋮⋮おほん﹂ 俺は咳払いをひとつ。話題を変えることにした。 ﹁まず第一に︱︱。俺は人助けはしない。いちど人助けなんて始め たら、世界のすべてを救って回らなくちゃならなくなる。そんなの は勇者かなにかの仕事だ。俺のするべきことじゃない﹂ 勇者なんか。いっぺんやれば充分だろう。 いっぺん世界のすべてを救って回ったさ。自分の幸せなど、なに もかも捨てていってな。惚れた女も⋮⋮。 ﹁そして第二に︱︱。傀儡として生きてゆくことも、案外、悪くな い生きかたかもしれんぞ﹂ ﹁なによそれ?﹂ ﹁籠の鳥は幸せなのか不幸なのかっていう話さ﹂ ﹁わかんないわよ﹂ ﹁あの頭にお花の咲いてる生き物が、野に出て、 ﹁どゆこと?﹂ こいつは辺境部族の長の娘だったっけか。わかるように話してや ることにするか。 ﹁鷹がいたとする。卵か雛のうちに捕まえて飼育したのだとする。 餌をやって生かすのだとする。その鷹は自分で狩りをしないで育っ たとする。︱︱そいつを野に放してやったら、どうなるか?﹂ ﹁エサ取れなくて、死んじゃうんじゃない?﹂ なにあたりまえのことを? ︱︱的な顔で、アレイダは言う。 552 ﹁おまえはいまそれをやれと、俺に言ってるわけだ﹂ ふふん、どうだ。なにか言い返せるか︱︱とばかりに、俺がふん ぞり返っていると︱︱。 ﹁え? あれでも? オリオン、わたしのこと助けてくれて、あと はどこへでも好きにしろ。︱︱とか、言わなかった?﹂ ぎくり。 ﹁お、おまえのときには⋮⋮、ほら、あれだ﹂ ﹁なによ? あれって?﹂ ﹁お、おまえは⋮⋮、ほら⋮⋮。気高い狼だってわかっていたから な⋮⋮。自分でエサとって生きていくだろうと⋮⋮、そ、そう、確 信があった﹂ ﹁なんか、異様にー、〝⋮⋮〟が、多いんですけどー?﹂ ﹁い、いや⋮⋮。そんなことはないぞ? いつも通りだ。そして俺 が確信していることも間違いないぞ。⋮⋮うん﹂ 俺はそこに関しては自信を持ってうなずいた。 アレイダの場合は、野に放しても、しぶとく生き残っていたこと は間違いがない。 そして引き取って飼育してたら、ぶくぶく肥え太って駄犬になっ てしまったわけだがな。 やっぱこいつ? 野に放していたほうがよかったのでは? そし たら美しく気高い狼だったのでは? いまからでも遅くはないか? 553 ﹁スケ。⋮⋮は?﹂ アレイダのことを、じーっと見ていたら、スケルティアが、ぽつ りと言った。 お。めずらしい。嫉妬か? これって? ﹁おまえはべつに一人で生きてきてたし。放そうが捕まえとこうが、 前々変わらないだろうな﹂ そういや蜘蛛とか︱︱。この場合は本当の本物の〝蜘蛛〟のこと だが。飼育していようが野生だろうが、なにひとつ変わる気がしな いな。 本能に忠実に生きてるしな。 ﹁ん。ひとりで。生きれるよ。﹂ ﹁だが︱︱﹂ 俺は腕組みをして、続きを言う。 ﹁︱︱俺のところにいたほうが、おまえは、より幸せだ﹂ ﹁ん。スケ⋮⋮は。しあわせ。﹂ にいっと、目を細める。 ﹁なっ︱︱! なによなによ! スケさんばっかー! わ、わたし だって⋮⋮﹂ ﹁わたしだって? ⋮⋮なんだ?﹂ 俺は意地悪く、そう聞いてやった。さっき問い詰めてきたことへ 554 の、お返しだ。 ﹁わたしだって、し⋮⋮、し⋮⋮、し⋮⋮﹂ ﹁し?﹂ ﹁し︱︱仕返し! してやるうぅぅーっ!﹂ 逃げてった。バタンと戸が閉まった。 その戸が、再び開いて︱︱。 ﹁今夜は? お出かけになられますか? マスター?﹂ なんで彼女は、俺の考えることがわかるんだろうな︱︱と、思い つつ、俺はそう答えた。 555 彼女のもとへ ﹁いつか再びお会いできると信じておりました⋮ ⋮﹂ スキル配分的に、密偵みたいな仕事は、あまり向いていないんだ が︱︱。 その建物へ︱︱。俺は、屋根を伝い、窓から侵入していった。 ベッドで眠る女性を、まだ起こさないようにしながら︱︱。 月の光が、よくさし込むように、窓のカーテンをすべて開けてお く。 それから椅子を引き寄せ、月の光の中に座り︱︱。 彼女が気がつくのを待った。 規則正しかった呼吸の調子が変わり︱︱。 ﹁⋮⋮?﹂ やがて彼女は、気がついた。 目を開けて、俺を見つめる。 俺はちょうど月光の逆光の中に身を置くようにしていた。 彼女からはシルエットしか見えないことを計算している。 ﹁あ⋮⋮﹂ 彼女の口から、声がもれる。声には喜色が混じっていた。 訪ねてきたのが俺だということがわかったのだろう。 それにはすこし、俺が驚いた。 556 彼女はベッドの上に身を起こした。 背筋を伸ばす。良い姿勢で、俺に ﹁いつか再び、お会いできると、信じておりました⋮⋮﹂ ﹁必ず戻ってくると、そう言ったろ﹂ 俺は言った。 かつて、彼女を置いて立ち去るとき、彼女にした約束だった。 前々世では、果たせなかった。魔王と相打ちで死んでしまったか ら。 ﹁はい。待っておりました﹂ 彼女は、いい顔で微笑んだ。 きらっと、目から、光るものが流れ落ちる。 彼女を、俺よりも幸せにできる男が、彼女の側にはいた。 彼女が実際に幸せであったかどうか︱︱。俺は知らない。彼女を 幸せにする役を担ったのは、俺ではない。 人の一生は顔に出るという。 彼女の老いたその顔には、深い皺が刻まれていた。だが老いても なお、彼女は美しかった。 それが彼女の人生の結果だった。 俺は今夜、そのことを確かめにきたのだった。 それは王女のお願いでもあった。﹁お婆さまに一度でよいので会 ってあげてください﹂というのが、王女が俺にしてきた﹁おねがい﹂ なのだった。 557 頭をハンマーで殴られたような気がした。言われるまでまったく 思いつかなかった。 いや⋮⋮。それは嘘だな。思いつかないことにしていたんだな。 ﹁勇者様。⋮⋮ひとつお願いが﹂ ﹁なんだ?﹂ 俺はちょっとだけビビった。 女性は女性であるだけで素晴らしい。年齢も美醜も体型でも一切 の差別をしないつもりではあるのだが⋮⋮。 できるか? ﹁孫娘のことです﹂ あ。そっちね。 ﹁私がいつも話聞かせていたのがいけなかったのでしょうね。すっ かり。貴方のことを愛してしまうようになって︱︱﹂ ﹁だが、俺は︱︱﹂ ﹁あの子には、味方がおりません。私にはエドワードがおりました﹂ それはこの国の歴史に出てくる名前だ。 おっと エドワードというのは、二代前のこの国の王の名前だ。そして彼 女の良人の名だ。 ふっ。衛兵が王になったか。とんだ大出世だな。そして姫を守っ たんだな。俺のかわりに。 姫を託した男の名前︱︱。俺。いまはじめて聞いたな。覚えてお くようにしよう。 558 ﹁でもあの子には⋮⋮、いまは一人も味方が⋮⋮﹂ それも知っていた。 50年という時をかけて、この国の忠臣は、注意深く取り除かれ ていた。何者かの手によって︱︱。 ﹁どうか⋮⋮、あの子を、貴方様のものにしてあげてください﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ 俺は答えなかった。約束のできないことは、しない主義だ。 ◇ 暗がりの中で相談しあう、男が二人︱︱。 相談というよりも罵りあいだが︱︱。 ﹁なぜだ! なぜ殺せぬ!﹂ ﹁それが彼奴らめは、意外にも手練れで︱︱﹂ ﹁いいわけなど聞きとうないわ!﹂ ﹁宰相閣下︱︱、いましばらく! いましばらくのご猶予を! 次 こそは必ず仕留めてご覧にいれますれば︱︱!﹂ ﹁ええい。この無能めが! 虎の子の黒騎士でもなんでも出して! さっさと殺してこんか!﹂ ﹁い、いえそれは⋮⋮、足がついてしまっては、元も子も⋮⋮﹂ ﹁よし。わかった﹂ そこで宰相の声色が、がらりと変わる。 ﹁殺せぬというのであれば⋮⋮。仕方がない。他の方法を取るまで 559 よ!﹂ ﹁はぁ⋮⋮?﹂ 腹の据わった顔になった宰相を、騎士団長は、ぼんやりと眺める のであった。 ◇ ﹁つまんにゃー、つまんにゃー、つまんにゃー﹂ ベッドでゴロゴロしている俺の背中に跨がって、うちの駄娘が、 ゆっさゆっさ揺すってきている。 犯すぞ。このアマ。 最近は、襲撃もぱたりと止んだ。 花瓶遊びもできなくなって、うちの娘の運動量の多いバカわんこ のほうは、フラストレーションがますます溜まってきている。 襲撃がなくなったのは、いいかげん、諦めたのだろうか。 それとも消すのは無理と判断して、別の方法に切り替えたのだろ うか。 俺がうちの娘の肉付きのいいほうのケツを背中に感じ続けて、い いかげんそろそす本当に犯すかな。 ︱︱とか、だんだん本気になってきていたときのことだった。 ﹁おもて。へん。⋮⋮だよ?﹂ 窓枠にあごを乗せて、大通りをぼんやり見ていたスケルティアが、 560 ぽつんと言った。 ﹁どれどれ?﹂ 俺は背中の駄犬をそのままに、起き上がって、窓際に行った。 アレイダのやつは、俺の背中に張りついたままで、よじよじと登 ってきている。 ﹁パレード? いや、ビラまきか?﹂ なにか〝お触れ〟を出している。紙をバラまいている。 スケルティアが︱︱蜘蛛糸を撃ち出して、縮めて、ビラの1枚を 手元に引き寄せた。 ﹁ええと⋮⋮。なになに⋮⋮? ︱︱!?﹂ そこに書かれていた内容に、俺は驚愕した。 ﹁おい!? クザク! ︱︱なぜ知らせなかった!﹂ 天井の片隅に向けて、怒声を張り上げる。 ﹁えっ? なに? クザクさん? ︱︱って、どこ?﹂ アレイダがきょろきょろしている。 本人が顔を出すかわりに、天井の一角から︱︱ぴろっと、紙が一 枚、舞い落ちてきた。 ﹃問題は主の決心にあります故、報告の必要を感じ得ませんでした﹄ 561 簡潔な抗議文。 俺はぐしゃりと握りつぶした。 まったく正論なので、めっちゃ、腹が立つ。 ﹁えっ︱︱!? ちょっ! オリオンどこいくの!﹂ ついてこようとしたアレイダを︱︱。 ﹁マスターは一人で考えたいのですよ﹂ モーリンがそっと制止する。 俺は一人で街へと出た。 ◇ 街は大賑わい。 大量に撒かれたビラを手に、国民たちは、皆、喜びの笑顔になっ て、興奮したように話しこんでいる。 誰もが祝福する顔になっていた。 笑顔の人が、ビラを持っていない俺に、一枚、手渡してきてくれ た。 その人に罪はない。俺はビラを受け取って礼を言った。 今日、国に出された〝御触れ〟は︱︱。 王女の結婚の知らせだった。 お相手は︱︱、くっそどうでもいいが、どこかの貴族のぼんぼん だ︱︱。 562 ビラには二人の馴れそめまで書いてあった。交際を続けていた二 人は、長年かけた育てた想いを、うんちゃらかんちゃら︱︱。 くそくらえ。 俺はビラをびりびりに破いて、小さな小さな小さな破片にしてや って、風に飲ませた。 なにもかもが気に入らなかった。 ◇ 深夜。 結婚式が近づき、慌ただしさを増す王都で、俺は盗賊みたいに建 物の屋根を渡っていた。 盗賊系スキル︱︱少々。取ったさ。 使い道のないスキルポイントは有り余っていたしな。 大戦から50年⋮⋮。ふやけて鈍りきったとはいえ、いちおうは 大国。そこそこの警備はされている。 隠居させられていて、すっかり忘れ去られた婆さんのところに忍 びこむのとは違って︱︱。現役の﹁政治の道具﹂である姫君の警護 を抜けるには、俺にもそれなりの進化が必要だった。 月の照らす窓から侵入する。 侍女が室内に二名ほどいた。寝ずの番というやつで、貴人の部屋 には、一晩中起きて突っ立っている使用人がいるのだ。 侍女は眠りの魔法で眠らせた。 そして俺は懐から取り出した水晶球を、そこらのテーブルの上に 置いた。 563 大賢者謹製。ジャミング・アイテムだ。 これで部屋の中の出来事は、一切、外には伝わらない。どんな大 声をあげても、一切、外からはわからない。 また探査系の魔法にも対応している。外部からいくら調べても、 まったく異常がないように偽装される。 見抜くためには大賢者級の技量が必要となる。つまり、誰にも見 破られない、ということだ。 椅子を引き寄せ、月の光の中︱︱逆さまにまたいで、腰を下ろす。 そして、彼女が気がつくのを待った。 彼女の祖母にそうしたように、王女にもそうする。 俺はだんだん妙な感覚にとらわれていた。 彼女の祖母と︱︱王女自身と、別人だと、頭では理解しているの に、心はおなじだと叫んでいるのだ。 姿形が同じ。声が同じ。性格が同じ。立ち居振る舞いまで同じ。 俺を愛してくれているところまで同じ。 だが、別人なのだ。 だが俺の心が叫ぶ。 あの時、できなかったことを、やれと︱︱。 心の空白を埋めろと、騒ぎ続けるのだった。 そして俺は、この人生において、決めていた。 自重はしない。 564 彼女が⋮⋮、目を覚ました。 俺を見る。驚いた様子はない。 ﹁侍女にはすこし眠ってもらっています。だいじょうぶ。手荒なこ とはしていません﹂ 俺は彼女にそう言った。 ﹁こんな夜更けに⋮⋮、どんなご用ですの?﹂ 俺は椅子の背もたれに、組んだ手と顎をのせて︱︱言う。 ﹁悪い魔法使いが貴女をさらいにまいりました﹂ ついに、言った。 前々世のとき、本当は、したかったことが⋮⋮、それだった。 なにも後先を考えなければ、俺は⋮⋮、姫をさらって逃げたかっ た。 姫もそう願っていたことだろう。 だが俺は勇者だった。なにもかも捨てしまうわけにはいかなかっ た。 だから俺は、彼女を置いて立ち去ったのだ。 だがいまの俺は勇者ではなかった。 もうなにも自重しなくていい。 だからこそ⋮⋮。俺は⋮⋮。 ﹁いえ。それはお断りいたしますわ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮? は?﹂ 565 俺は、ぽかーんと、口を半開きにしていた。 たぶん長い。ものすごく長い。 ﹁いや⋮⋮? しかし⋮⋮?﹂ ずいぶんと時間が経ってから、俺は、ようよう、それだけを口に した。 ﹁さらわれるわけにはまいりません。わたくしは民に対する責任が ありますもの﹂ ﹁いや、そんなものは︱︱﹂ そんなものは、うっちゃって、俺とこい! そう言おうとしたら︱︱。 ﹁いえ。責任だからするのではありませんわね。わたくしは、この 国の民を愛しております。だからわたくしの判断で、わたくしの決 断によって、わたくし自身が、そう決めているのですわ﹂ ﹁しかしこの国は⋮⋮﹂ ﹁ええ。存じております。我が国のことで、勇者様にはご心労をお かけしております﹂ 俺はこの国の腐敗を伝えようとしたが、彼女は、すべて承知と目 を伏せた。 ﹁そうですわね。⋮⋮50年。腐りきってしまうのに50年かかっ たのですから、元の素晴らしい国に戻すためにも同じ50年が必要 だと。わたくし。そう思うのです﹂ 566 彼女は言った。つまり一生を賭して国を元に戻すのだと。 ﹁しかし⋮⋮、貴女が結婚させられる相手は⋮⋮﹂ クズと名高い、貴族の腐った男だった。もちろん宰相の手の者だ。 念のため調べてはみたが、噂通りのクズだった。 それを指摘しても、彼女は動じない。 ﹁殿方は、女性次第でいくらでも変わられると聞き及んでおります﹂ ﹁いやしかし⋮⋮﹂ ﹁だいじょうぶ。立派な王にしてみせますわ﹂ ぱちこーん、と、片目でウィンク。 彼女が⋮⋮。お飾りの姫様だと思っていたことを、俺は、撤回し なければならないだろう。 彼女は︱︱﹁王﹂だ。 人のため、民のためにすべてを捧げる︱︱王のなかの王だ。 無知でも無策でもない。だが無垢きわまりなく、純粋だ。 彼女なら本当に⋮⋮、この腐った国を建て直すことも可能かもし れない。50年もあれば⋮⋮。 だが俺は⋮⋮。納得はしていなかった。 50年もかかるような茨の道に、彼女を置き去りにするわけには いかない。 もう、二度と⋮⋮。 567 ﹁もし俺が⋮⋮、おまえを無理にさらってゆくと言ったら⋮⋮、ど うする?﹂ 敬語をやめる。 本性を剥き出しにして、俺は獰猛な笑いとともに、そう言った。 あー、なんか、魔王やってるような気分ー。 ﹁舌を噛んで死にます﹂ おおっとぉ。 俺はハンマーで頭を殴られた。〝ような気がする〟とか、比喩表 現はいらなかった。本当に殴られたのと同じだけのダメージを食ら った。 くらくらとなった。 てっきり彼女も俺のことを好いてくれているのだと思っていた。 立場があるので、できないでいるだけなのだと⋮⋮。 あれ? あれ? ひょっとして、50年前のときにも、じつは⋮ ⋮? ﹁ごめん。帰る﹂ ふらふらとしながら、窓辺に向かう。 このまま、窓から、ふらっと落っこちてしまいそう。 ﹁あっ︱︱!? ちがいます! ちがうのです!﹂ 王女の声が追いすがってきた。 ﹁ちがいます! お慕いしております! そ⋮⋮その、あ、愛して 568 いるといっても、けっしてこの気持ちは過言ではなく⋮⋮。あ! 愛しております! さきほど! わたくしのことをさらって逃げて いただけると言われたときには、すごく! 嬉しかったです! こ のまま、さらわれても、いっかなー⋮⋮とか、すこし⋮⋮、いえ、 正直、ものすごく心が揺れました﹂ 俺は足を止めていた。 王女に体を向けている。 ﹁⋮⋮でも。それはいけません。そうなったら、きっと⋮⋮、わた くしは貴方をだめにする、悪い女になってしまいますわ﹂ なんと。俺のことを案じてもらえていた。 その気持ちは理解できた。 50年前の俺は、まさにその一心で、未練を振り切ったのだから ⋮⋮。 自分よりも、相手の幸せを念じて祈ることが、愛、という感情で あると、俺は思う。 だとすれば、俺は王女に愛されていた。 ﹁愛しております。勇者様。会って数日ですが。⋮⋮でも、十何年 も愛し続けておりました﹂ 勇者様やめてね。⋮⋮と、いま言うのは無粋というものだろう。 かわりに俺は、王女を抱き寄せた。 ﹁あっ︱︱﹂ 569 腰を抱かれた王女は、驚いたように俺を見る。 ﹁あのわたくし⋮⋮。あの、数日後に結婚を⋮⋮﹂ この国には、新婦は︱︱特に王族における花嫁は、純潔でなけれ ばならないという、しきたりがあった。 俺はそれを、当然、知っている。 だが︱︱。 俺と王女の影は、ベッドの上で二つに重なった。 570 結婚式 ﹁花嫁さん、きれー﹂ 荘厳なる雰囲気のなか、物凄い規模の結婚式が執り行われていた。 大教会の大礼拝堂において、大司祭による長い祝詞が述べられて いる。 会場の左右、両側には、帯剣した黒騎士団がずらりと数十人も並 んでいる。この国の最強の精鋭軍団だった。 黒騎士たちの実力は、一人で軍団に匹敵する︱︱と、いわれてい る。 王女の結婚式は、﹁大﹂が何個もつくような盛大な規模で、執り 行われていた。 発表から式の実行まで一週間という、超スピード結婚式だった。 各国の要人の参列は間に合わなかったほうが多いと聞く。 俺たちは大賢者の一行ということで、式に招待されていた。 全員、正装のうえ、参列している。 アレイダが駄犬のくせにドレスなんか着ていて、超おかしい。ス ケルティアがドレスなんて着ていて、超、かーいー。 大司祭による祝辞が、長々と続いている。 祝詞というものは、神に対して要件を切り出す前に、ひたすら延 々と続けられる﹁おべっか﹂だと⋮⋮、俺はそのように理解してい る。 こちらの世界では、かつて神は世界を創り︱︱そして壊しかけた ところで、なんでか気が変わってやめにして、そして現在に至ると 言われている。 571 王族とはいえ結婚式程度で、神がいちいち話を聞くはずもないだ ろうが、もし万が一神の怒りに触れて、世界がぶっ壊されたら大変 なので、おべっかも長くなってしまうのである。 もう小一時間ほどもそれが続いている。参列する皆も、内心うん ざりしているはずだが、厳粛な顔を崩していない。貴族連中という のは、ある意味ですごい。 しかし、なにが凄いっていったら、やはり大司祭。 あんなん、ぜんぶ、一字一句まで暗記しているとか⋮⋮。聖職者 というのは、ご苦労な職業だ。 俺はべつに不信心者というわけではない。﹁神﹂を信じていない わけではない。 魔法のなかには神聖系に属するものもあり、不信心な人間は神の 力を借りて奇跡を起こすことはできない。勇者も、当然、神聖系の 魔法を扱える。つまり俺の信心は立証されている。 もっとも、俺が﹁神﹂の実在を信じているのは、〝会った〟こと があるからだが⋮⋮。 JK転生管理女神には二回は会ってる。﹁神﹂というのは、実際 に会ってみると、意外とJKっぽくて軽いノリの相手なのだ。あの ミーハー女神なら、こんなローカル王族の結婚式も、覗き見してい るかもしれないな。おべっかのための祝詞は無駄ではないのかもし れないな。 転生女神の〝上司〟とやらにも、俺はちらりと遭遇したことがあ る。それがいわゆる皆の信仰する〝神〟本人なのかどうかはわから ないが⋮⋮。 性格でいうと﹁うぇーい系﹂だったような気がする。 すくなくとも、神に捧げる感謝の言葉が一文字間違ったくらいの ことで、騒いだり激怒したり街を塩に変えてしまったりとかは、起 572 きない感じ。 まあ、それはともかく︱︱。 花嫁姿の王女は、とても美しかった。 向こうの世界のウエディング・ドレスとは、ちょっと違うが︱︱。 白を基調とした汚れなき乙女のイメージだ。 凜と立つ彼女は、国民の信頼を一心に浴びる、気高く優しく美し い王女であった。 その人気は、もはや信頼を超えて〝信仰〟とさえ呼べるほど︱︱。 宰相一味は、その人気を利用しようとしていた。 新王となる男はクズ中のクズであるが、宰相の忠実な部下だった。 宰相に絶対服従の、よき傀儡となることだろう。 そして国民には仲睦まじい王と王妃の姿をアピールして、国民の 心まで掌握しようとしているのだった。 国民のなかには、早すぎるこの結婚に疑問を持つ者もいる。 だが王女の幸せを願う気持ちは本物だ。王女が幸せであるならば ⋮⋮、と、無理やりに納得している者も多いそうだが。 ︵悪い魔法使いになり損ねて、残念だった?︶ アレイダが隣から小声で、そんなことを言ってくる。 ﹁うっせ。ブース﹂ からかいには悪態で返す。 アレイダのやつは、くすりと笑うばかり。 573 くっそ。ブス。︱︱あとで犯す。ヒイヒイ泣いて許しを請うまで 犯し抜く。絶対だ。 王女の部屋を訪れる前に、皆に言っておいたのだ。﹁俺の女が一 人増える。仲良くやれ﹂︱︱と。 そう命じておいたのに、結果は、俺一人で朝帰り。 バツが悪いったらありゃしない。 アレイダのやつは、ちょっと喜んで︵なぜだ?︶、そして︵なぜ か︶同情してきて︱︱。 駄犬に同情されるご主人様の惨めさが⋮⋮、わかるか? しかし⋮⋮。王女をさらって逃げるという作戦を、実行しなくて よかったのかもしれない。 国民のアイドルをさらって逃げたりしたら、いったい、どんなこ とになったのやら⋮⋮。奪還と討伐の大軍団に組織され、永遠に追 いかけ回されるはめになったかもしれない。 俺の自由がだいぶ減る。致命的に減る。 それよりも国民の落胆っぷりのほうが深刻だ。 50年前、魔王に姫をさらわれたときも、この国の民は生きる気 力を失っていた。俺はそれをこの目で見て知っている。 王女は俺に言った。何十年計画で立ち向かう覚悟だと。 宰相たちや騎士団長。この国を腐らせる連中を恭順させると。 彼女は途方もない難行に挑もうとしている。俺は彼女の意思を尊 重するしかなかった。 悪い魔法使いとなって、力尽くで奪うことなど⋮⋮。できない。 俺もまた、彼女を崇拝する者の一人となってしまったのかもしれ 574 ない。 そんな俺の思いをよそに、式は、どんどんと進んでゆく。 神への﹁おべっか﹂の祝詞が終わり、ようやく本題に入ろうとす る。 二人が結婚する旨を、神に対して報告するのが、式のクライマッ クスである。 と、その前に︱︱。 大司祭は、式に参列したすべての者を見回して、そして︱︱問う。 ﹁この婚姻に同意するか。意義なきときは、沈黙をもって答えよ﹂ 参列者に対する問いかけの形となってはいるものの︱︱、これは 単なる慣例的な手順でしかない。 ここで異を唱える者は、実際にはいない。 数十秒間の沈黙が続く。 その間に俺は︱︱隣のモーリンに、小声で話しかけた。 ︵大賢者様︶ ︵はい。なんでしょう︶ ︵この国、出入り禁止になるかもしれないが⋮⋮。いいかな?︶ ︵ご随意に︶ 睫を一伏せして、モーリンは了承した。 昼飯にベーコン食いたいんだけど、いいかな? いいですよ︱︱ ぐらいの気楽さで、うなずいてきてくれた。 575 じゃ、やるか。 ﹁それでは、意義なきものとみなして︱︱﹂ 大司祭が、そう言いかけたところで︱︱。 俺は︱︱。 ﹁異議あり!!﹂ 大きな声をあげて、名乗り出た。 式典の会場にいる全員が、ぎょっとした顔を向けてくる。 それもそのはず。 意義を唱えてはならないことになっている。 だが俺は堂々と立ち上がり、周囲を睥睨した。 意義ならある! あるぞー!! ﹁その者! 王女は! ︱︱純潔にあらず!!﹂ ざわりと、会場中の全員が騒ぐ。 宰相と騎士団長は、血相を変えている。 馬鹿げた話であるが︱︱。この国では、花嫁は、純潔でなければ ならないというしきたりがある。 無論。そんな無茶なルール。守っているカップルは、そうそうい ない。 576 町民同士の結婚では、皆、暗黙の了解で、破っている。 好きあっている若者のカップルに、結婚まで、セックスすんなと か、むーりー。 だが貴族同士の結婚においては︱︱。 ﹁な︱︱なにを根拠に!! 衛兵! その者を引っ捕らえよ!﹂ 宰相が唾を飛ばして叫ぶ。 俺は悠然と︱︱。 人波を押しのけるようにして、前に歩きながら︱︱。 ﹁証拠か? ⋮⋮ならば言ってやろう! 姫の純潔! この俺様が 奪ってやったわーっ! ハーッハッハッ!!﹂ 悪者のように高笑いをする。 じゃなくて⋮⋮。俺。悪者な。 結婚式。ぶち壊すわけで。 まさしく悪だ。悪者のなかの悪者だな。 俺たちの周囲には、ちょうどいい感じの円形の空間ができあがっ ていた。 皆、巻き添えを怖れて、逃げ出している。 うん。いいぞ。いいぞー。 衛兵が数名、やってきた。 俺はにらみ付けた。 ぎぬろ、と、一睨みしただけで、数名の衛兵は、縦回転して吹き 飛んでいった。 577 視線だけで、物理的な圧力を発生させるスキルがある。 攻撃に使うものではないが、一般人相手なら、縦回転させて吹き 飛ばすぐらいの威力にはなる。 手も出さずに衛兵数名を行動不能にさせた。 俺を取り押さえるには、生半可な戦力では無理であると︱︱相手 に判断材料をくれたやった。 ﹁黒騎士よ!! この狼藉者を取り押さえよ!! ︱︱いいや! 殺せ!!﹂ 騎士団長の命令が飛んだ。王国最強の黒騎士たちが、抜刀し、俺 たちを取り囲む。 黒騎士たちは、儀礼のための礼装のはずだが、バリバリの完全装 や 備だった。向こうもこうなることは予期していたに違いない。 や ﹁ねー? 殺っていい? 殺っていいよねーっ!?﹂ ﹁スケ。の。でばん?﹂ アレイダとスケルティアの二人が、前に出る。 ドレスの肩口に手をかけて、ばっ︱︱と、ばかりに脱ぎ捨てる。 その下から現れたのは、完全武装の二人の姿。 どんな魔法なんだ。それともスキルか。 二人に対するは、王国最強兵団。黒騎士が︱︱三十余名。 俺の出る幕でもないな。 ﹁こちらを殺すつもりで来るやつは?﹂ ﹁敵よ﹂ 578 ﹁敵。だよ。﹂ ﹁敵は、どうする?﹂ ﹁殺すわ﹂ ﹁ころそう。﹂ うちの娘への教育は、完璧だ。 正直、黒騎士たちには恨みはない。 だが俺たちの前に立ち塞がるのであれば、死、あるのみだ。 ﹁よし︱︱スケさんカクさん!﹂ 俺は手を挙げ、そして︱︱振り下ろした。 や ﹁︱︱殺っておしまいなさい!﹂ うん。これこれ。チャンバラ開始の合図は、やっぱ、これだな。 戦闘がはじまった。 ﹁どうりゃあぁぁぁ︱︱っ!﹂ アレイダが剣を振り抜く。胴薙ぎにする。 黒騎士たちの正規鎧は、高度な防御魔法の掛かった魔法鎧だ。そ の金属の製法は門外不出だそうだが、強化魔法のために鋼が黒く変 色しているのだという。黒鋼といわれる魔法金属だ。 その魔法鎧を、力技にて︱︱ぶった斬った。 上半身と下半身と二つに分かれて、人体が、くるくると舞った。 579 うちの娘のバカ力のほう。すんげえ力。 そしてうちの娘の技巧派のほう︱︱スケルティアは、そんな無駄 な力を使わなかった。 指先の爪の隙間から出した蜘蛛の糸を、細く細く研ぎ澄ませて︱ ︱。鎧の隙間から送りこむ。 鋼の強度を持つ蜘蛛の糸を、鎧の内側に送りこみ︱︱肉体だけを 滅茶苦茶に切り刻む。 ばたりと倒れた黒騎士の鎧から、赤い液体が大量に流れ出て、血 だまりを作る。 ﹁だめよスケさん! そんなの地味! もっと派手にぶっ殺さない と!﹂ フルスイングして、もう一人を上下バラバラの肉塊に変えながら、 アレイダが叫ぶ。 ﹁じみ? これ⋮⋮? だめ?﹂ ﹁いい? 競争だからね! どっちがたくさん殺すかで︱︱勝負よ !﹂ ﹁わかた。ころすよ。﹂ 糸をしまって、指先から、爪を、しゃきーん、と伸ばした。 ﹁ええい! 怯むな!﹂ はじめの三人があっという間に斬り伏せられて、次が続かなくな った。 試し斬りの巻き藁みたいにぶった斬られて、精強さを誇る黒騎士 580 団にも動揺が走る。 ﹁ええい! 全員でかかれ!﹂ 騎士団長の叱責で、黒騎士たちが一斉に動いた。 それをアレイダとスケルティアが迎え撃つ。 ﹁ひとお︱︱っつ!﹂ アレイダが剣を一振りする。その剣圧に巻きこまれたのか、斬ら れたのかは定かでないが、ばらんばらんになった。黒鋼のパーツと 人体のパーツが、無数の破片となって、ぶちまかれる。 ﹁⋮⋮。ひとつ。﹂ スケルティアも見習って、爪を振るうたびに数をかぞえる。 彼女の指から長々と伸びた四本の爪は、一振りごとに犠牲者をき っちり五等分にしていった。 ﹁ふたぁーっつ!!﹂ ﹁⋮⋮。ふたつ。﹂ ﹁みっつーっ!!﹂ ﹁⋮⋮。みっつ。﹂ ﹁よっつーっ!!﹂ ﹁⋮⋮。よっつ。﹂ ﹁いつつしーっ!!﹂ ﹁⋮⋮。たくさん。﹂ 二人、競いあって、黒騎士をつぎつぎと葬ってゆく。 スケルティアは四から先は﹁たくさん﹂になっていた。﹁算数﹂ 581 も教えないとなー。 アレイダの叫ぶ数が、十を超え、二十に迫ろうとする頃︱︱。 その場において動いている者は、アレイダとスケルティアの二人 だけとなっていた。 アレイダのやつは、﹁あれ? もうおしまい?﹂という顔をして いる。 ﹁スケさん。何体だった?﹂ ﹁⋮⋮。たくさん。﹂ ﹁それじゃどっちが多かったのか! わかんないでしょー!﹂ ﹁⋮⋮。たくさん。だよ?﹂ 言い合いをしている二人をよそに、俺は、金棒を肩に担いで、〝 そいつら〟の前に歩いて行った。 ﹁ば、ばかな⋮⋮、三七人だぞ? さ、三十七人の黒騎士が⋮⋮、 た、たった二人に⋮⋮、ば、ばかな⋮⋮﹂ 騎士団長におかれては、なにか、ショックを受けておられる模様。 相手が悪かったな。うちの娘は、俺が言うのもなんだが、ちょっ と鍛えすぎた。 ﹁オリオンー、ぜんぶ殺したわよー?﹂ ﹁ころした。よ?﹂ 二人が言う。食べ足りない、とでもいう感じに言ってくる。 ﹁あー、じゃあ最後だけはー、やるかー﹂ 582 俺はぶらりと足を進めた。肩には巨大な金棒を担いでいる。 小悪党を、床の染みへと変えてやるのは、この金棒と決めていた。 この手の連中は︱︱剣の錆にしてやるのさえ、もったいない。 騎士団長と宰相の二人は、腰を抜かしていた。 床に広がる黒い染みは︱︱、小便だな。キタナイな。 金棒を突きつける。 ﹁おまえらをぶっ殺すまえに︱︱なぜ殺されるのか。その罪状を教 えてやる﹂ 青くなって震えている二人のクズには、まあ、聞こえちゃいない だろうが︱︱。 俺は続けた。 ﹁おまえらの罪は、三つある。ひとつ。︱︱俺の女に手を出したこ と﹂ ﹁まーたはじまった﹂ ﹁ふたつ。︱︱俺の女に手を出したこと﹂ ﹁それ。ひとつめと同じでしょ﹂ ﹁みっつ。︱︱俺の女に手を出したこと。︱︱以上だ﹂ ﹁だから全部おんなじじゃない﹂ ﹁判決。︱︱死ね﹂ そして俺は金棒を︱︱。 振り下ろそうと思ったのだが︱︱。 それを止める者がいた。 583 ﹁だめですわ。オリオン様。⋮⋮その者たちは、我が国の法で裁か せていただきますわ﹂ 王女だった。 三十数人分の人体がバラ撒かれた惨劇の場でも、顔色一つ変えず に歩いてくる。 さすが︱︱俺が自分のものにしたいと思った女。 毒虫とわかっている相手に、国のため、その身を捧げようとして いた女なのだ。死体を見るのは初めてだろうに︱︱まるで臆した様 子がない。 後ろについているのはリズか。こちらはさすがに顔色が悪い。記 録用の魔導具を手にしているのは、この場の一切を証言するためだ ろう。 彼女とクザクには、裏で動いてもらって証拠集めをしていてもら っていた。なにをどうやってもひっくり返せないだけの証拠は、す でに集めてある。 ﹁さて宰相閣下。そして騎士団長。⋮⋮貴方がたお二人を、国家転 覆罪で告発します﹂ 王女が、そう宣言した。いつもの優しい声は、そこにはない。 がくがく、ぶるぶる、と、震えていたジジイ二人は、がっくりと 首を折って、おとなしくなった。 二人とも連行されて、退場してゆく。 ﹁オリオンさん。やりすぎですよー。これはちょっと正当防衛の線 584 は難しいですよ。過剰防衛になっちゃうかも∼⋮⋮?﹂ リズが俺にそんなことを言ってくる。 クラス 三十数人分のバラバラ死体を、踏まないように足下にひどく気を 使っている。 ﹁え? そう?﹂ だって。だって。だってだって。 俺の女に手え出したんだぞ。皆殺しでいいじゃーん。 ﹁犠牲者がいなければ、問題ありませんか?﹂ ﹁えっ?﹂ 王女が言う。リズが目をぱちくりとする。 ﹁我。無垢なる乙女の声を聞き、求めに応じたまえ︱︱﹂ 王女が神聖呪文を唱え始める。 正確にはあれは魔法ではない。神の奇跡でもない。神官系の職業 の使う魔法とは違うものだ。 一切のMPを消費せずに奇跡をなすものは、魔法とは呼ばない。 王家。そして王女の連なっている一族は、神の寵愛を受けている。 巫女たる姫君が﹁おねがい﹂ないしは﹁おねだり﹂をする。する と神はそれを叶えようとする。 それが王家の女性のみに発現する﹁神の奇跡﹂の正体である。 どこの神かは知らないが︱︱。あの転生JK女神の上司とかいう やつかもしれないが︱︱。 585 ﹁戦いで倒れしこの者たちに、再び、戦う機会を︱︱。仕えし者持 つ忠臣に、再び、仕えし機会を︱︱﹂ だが、さすがに三十数名の蘇生は荷が重いようだ。 床に巨大な魔方陣が生み出されてはいるが、まだ発動までには至 らない。 ﹁手伝いましょう﹂ 大賢者が杖をかざす。 自身も蘇生の魔法を行使する。人外の魔力で後押しする。 しかしそれでも発動までには、まだ一歩、及ばない。 一人二人、見捨てていいのであれば、式を起動できるだけの神聖 力は集まっているのだが︱︱。 王女と大賢者は、黒騎士の全員を、一〇〇%の確度でもって復活 させるつもりのようだ。 確定蘇生は、超高難易度となる。聖女や大賢者でも難しい奇跡だ。 以前、勇者鍋から、ニセ勇者を復元したことがある。ただあのと きは﹁失敗したって、べつにいいや﹂で試みていた。てゆうか。ま さか成功するとは思わなかった。クザクたちが頼むので、しかたな く試しただけだ。 昔の男など生き返らせてやる必要は、これっぽっちもなかったの だが⋮⋮。断るのも器が小さいと思った。俺の器の大きさを示すた めに、一度試みて、ごめーん無理だったー、とかいうつもりで、モ ーリンにやらせてみたら⋮⋮。 なんと、鍋から蘇生した。 確率はゼロではないにしろ、ゼロに近いぐらい低かったはずなの 586 だが⋮⋮。本人のあり得ないほどに高いLUK値のせいだろう。 桃から生まれた選ばれし男は、いまゴブリンに復讐するだけの人 生を送っている。 ﹁もう︱︱おねがい聞いてくれないと、縁、切っちゃいますよ?﹂ 王女が、ぼそっとつぶやいた。 その途端、莫大な霊力が天上から滝みたいに降り注ぎ︱︱。 蘇生魔法が発動した。 地面にばらまかれていた三十数名分の人体パーツ。それに床に染 みこんでいた血液。 あらゆるものが逆回しとなって、戻ってゆく。 骨が合わさり、筋肉がまといつき、血管と神経とが這い、皮膚が 覆って人体が再生される。 四散していた散っていた魂が集まり、合わさり、再生済みの体に 飲みこまれる。 三十数名⋮⋮、黒騎士団の面々は、一人も欠けることなく、見事 に生還を果たした。 肉体が蘇生したばかりでなく、鎧まで復元されていた。 ﹁ひ︱︱姫っ!﹂ ﹁疲れたか?﹂ 俺はモーリンに寄り添って、そう言った。 さすがの大賢者も、いまの大魔法のおかげで、足下がふらついて いる。 ﹁いえ。それほどでも﹂ 587 一人で立とうとしたモーリンだったが、ふと、表情を変えて︱︱。 ﹁やっぱり肩を貸していただいてよろしいですか?﹂ ﹁ん。もちろん﹂ 俺にすがって立つモーリンの頭が、こてんと、俺の肩に預けられ る。 さて︱︱。これまで眼中になかったが︱︱。 会場には、参列の皆様方がいた。 目の前で行われた殺戮残虐ショーに腰を抜かしていらっしゃった が、全員、復活して︱︱。その奇跡を目の当たりにして、なんでか しらんが、涙を流している。 きっと処理能力を超える出来事が起きて、思考停止状態なのだろ う。 黒騎士たちは整列した。王女に剣を捧げ、忠誠を誓う。 彼らは命令に忠実なだけだった。それが軍人というものだ。彼ら の忠誠が、本当は誰に捧げられていたのか︱︱。見れば︱︱明らか だった。 ﹁これもすべて皆様のおかげですわ! 見事! 王家に仇なす逆賊 を討ち取ることができましたわ!﹂ 式の参列者たちは、思考停止状態で、王女の言葉にうんうんとう なずいている。 はい。プロパガンダと洗脳おわり。 588 ﹁ねー、あっちー? 生き返ったけどー。もーいっかい、殺してい いのー?﹂ ﹁ころす? ころす?﹂ うちの娘たちはアホだった。空気読め。 589 エピローグ ﹁わたくしは永遠に貴方様の女です﹂ ﹁行って⋮⋮、しまわれるのですね﹂ 夕陽の中。俺たちは別れを惜しんでいた。 憂いを秘めた顔で、王女は俺を見つめる。 その純白のドレスがオレンジに染まっている。 このまま、さらって行きたい衝動に駆られるが⋮⋮。 いっぺん、手ひどくフラれているので、二度は言わない。 ︵ねえなんでオリオン。さらっていかないの? なんで自重してん の? あれって本当に本物のオリオン?︶ うちの娘の失礼なほうが、失礼なことを言っている。 あとでオシオキだ。今晩は厳しくオシオキだ。 ﹁姫さま。いいにおい。﹂ うちの娘の野生生物のほうは、気に入っているらしい。 こっちはご褒美をやろう。今夜は凄くご褒美だ。 ﹁おまえを残していくのは、正直、気になるが⋮⋮。ま。大掃除は しておいてやったしな。あといくらか掃除は必要かもしれんが﹂ 腐っていたのは宰相と騎士団長の二人だが、その周辺にも少々腐 敗は広がっている。 だがそちらは姫の仕事だろう。50年がかりの大事業が、数年未 590 満に短縮されているはずだ。 それが︱︱俺が、俺の女にしてやれる、たったひとつのことだっ た。 ﹁オリオンさま。ご安心ください。どこにおりましても、わたくし が貴方様の女であることは変わりのない真実です﹂ ﹁ああ⋮⋮、うん⋮⋮、その⋮⋮、まあ⋮⋮、なんだ⋮⋮、困った ことがあったら⋮⋮、俺に言え。俺が駆けつけてきてなんとかして やる﹂ ﹁お手を煩わせるようなことはないと思いますわ。だって、嫌われ たくないですもの﹂ 王女は、にっこりと花の笑みを浮かべる。 ﹁ねー。ねー。オリオン。オリオン﹂ ﹁うるさいな。いまいいとこなんだよ。黙ってろ駄犬。︱︱ハウス﹂ 俺はいま、めまぐるしく考えていた。 もうすこし、この王都に逗留していようかなー? もう一ヶ月近く留まっているが。もう一ヶ月ぐらい、おかわりで ︱︱。 ﹁ねー。ねー。オリオン。オリオン﹂ ﹁うるさいって。駄犬。ハウスしろハウス﹂ ﹁ねー。空気読んだほうがいいわよー?﹂ ん? 空気とな⋮⋮? 姫は俺の前で微笑みを絶やさずにいる。 591 ﹁お近くにいらしたときには、またお越しください。︱︱絶対です よ?﹂ 姫はあの夜、俺に言った。 俺が彼女を連れて逃げたら、彼女は俺をだめにする悪い女になっ てしまうと。 では、俺が彼女のもとに留まったら⋮⋮? 俺は彼女をだめにする悪いヒモになってしまうのだろうか。 うん。まあ。そうだな。 だめな〝ヒモ〟になる自信は、かなりあるなっ。 まっしぐらだ。賭けてもいい。 アレイダが飼ってやったら、駄犬になってしまったのと、おなじ ぐらい確実だな。 わかった︱︱という印に、俺は微笑み返した。 ﹁ああ。⋮⋮また近くにきたときには、抱いてやる。部屋の窓を開 けて待っていろ﹂ 王女に見送られつつ︱︱。 俺たちは馬車に乗った。 御者台に座る俺の隣にやってきたアレイダが︱︱。 ﹁ねえ? オリオン? こんど、どこに行くっ?﹂ 俺は、手を持ちあげ、まっすぐに、指し示した。 ﹁この夕陽の沈む方角へ︱︱﹂ 592 エピローグ ﹁わたくしは永遠に貴方様の女です﹂︵後書き︶ 第2部︵書籍第2巻︶完了でーす。 定期更新はしばらくお休みとなります。 次の更新再開は、3月末∼4月末ぐらいの予定です。 593 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n0138dh/ 自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム 2017年2月20日15時38分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 594