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山形大学歴史・地理・人類学論集,第6号,1−26,2005年 鋳造貨幣からみたグレコ・バクトリア王国の成立 The formation of the Greco-Bactria in the Coinage 戸 田 敬 TODA,Takashi キーワード:バクトリア,セレウコス朝,古銭学,ディオドトス1世,ディオドトス2世 Keywords:Bactria, the Seleucid Dynasty, Numismatics, DiodotusⅠ, DiodotusⅡ は じ め に 的位置からインド・中央アジアの国家として 古代バクトリア史における転換点は、前 位置付けることもできる(4)。実際、クシャン 334年に始まるアレクサンドロスの東征であ 朝におけるガンダーラ美術の開花やギリシア る。バクトリア地方は中央アジアに位置し、 文字を仮借したバクトリア語など後世とのか また独自の文化を持つ地域としてギリシア人 かわりは大きい。特にバクトリアのインド進 (1) 世界とはかけ離れた存在であった 。それが 出がギリシア文化と中央アジア・インド文化 アレクサンドロスによって直接的な接点が作 との融合を促進した。 られ、ギリシア人の入植、ギリシア文化の流 両者の見解はいずれも適切であり、また両 入が進むこととなる。こうして、地中海世界 者を合わせた試みも行われ(5)、より明らかな から約3,000kmはなれ、気候環境もまったく バクトリア像が探られている。 異なった中央アジアまでがヘレニズム世界と 本稿はヘレニズム国家としての立場からバ いうひとつの枠組みに組み入れられたのであ クトリアを考察する。実際、ギリシア人がこ (2) る 。 の地に入植したことがギリシア文化による現 バクトリア地方はアレクサンドロスの死後、 地文化への直接的な影響を与える契機となっ ディアドコイ戦争をへてセレウコス朝の支配 た。加えて、ギリシア人が支配者として政権 下に入った。その半世紀後、バクトリア地方 を長く維持したことが、ギリシア文化を現地 はグレコ・バクトリア王国(以下バクトリア 文化に埋没させてしまうことを防いだともい と略)として独立する。それは入植ギリシア える。ギリシア人支配がセレウコス朝からバ 人の樹立した政権であった。したがって、バ クトリアに再編・強化されたことは、中央ア クトリアを歴史的に位置付ける場合、まずセ ジアにギリシア文化が長く存続し、やがて現 レウコス朝から分離独立したギリシア人入植 地の民族に伝播していく下地を作ったのであ 者によるヘレニズム国家として見ることがで る。 (3) きる 。 その一方で、バクトリアの歴史経過や地理 ―1― Ⅰ バクトリア地方とギリシア人 2 バクトリア地方の特殊性 では、なぜバクトリア地方がギリシア人の 1 ヘレニズム諸国と鋳造貨幣 一大結集地となり、ギリシア人政権が樹立さ 古代史を考証する上で鋳造貨幣が果たす役 れたのであろうか。まずバクトリア成立に至 割は大きい。人々の生活に密着した鋳造貨幣 る背景についてまとめ、それを踏まえてギリ は、当時の社会、経済、政治、宗教、軍事に シア貨幣による検討を行いたい。 関する情報が得られるオリジナルな史料とな バクトリア地方はアレクサンドロスの東征 (6) る 。よって、文献史料の乏しい地域では遺 でも最果ての地であり、いわばヘレニズム世 跡の発掘と並んで有効な史料となり、研究の 界最東端の地であったが、すでにアレクサン 対象とされてきた(7)。 ドロスの時代からバクトリア地方への退役軍 本稿の対象とするギリシア貨幣はヘレニズ 人の入植・駐屯が進められていた(10)。それに ム世界の拡大にともなって、中央アジア・イ はアレクサンドロスに対する不穏分子の排除 ンド世界まで広まった。この背景にはアレク や退役兵の定住という目的を兼ねていたもの サンドロスとヘレニズム諸国によって各地に の、バクトリア地方には早くから多くのギリ 鋳造所が設けられ、ギリシア貨幣が鋳造され シア人が移住していたのである。 たこと、そしてギリシア人支配下の異民族社 バクトリア地方におけるセレウコス朝の支 (8) 会で使用されたことがあげられる 。当時の 配はすでに初代セレウコス1世の時代(前 貨幣は蓄財や軍事費用だけでなく、政治的な 312−280。前305年に王を名乗る)に確立し (9) プロパガンダの役割も担っていた 。表面に ていた。セレウコス1世は地中海東岸から中 はそれまで主流だったギリシアの神々にか 央アジアまでの広大な領土を統治するため、 わって君主の肖像が刻まれた。これは支配者 息子のアンティオコス1世を副王として領土 の存在を明らかにし、さらに王がかわれば肖 の東部を支配させた(前294−280共治。在 像も一新されることで支配の継続と正統性を (11) 。このことが、バクトリ 位:前280−261) 表明したのである。貨幣はいわば権力の象徴 ア地方が領土の東辺であったにもかかわらず、 であった。一方、裏面にも守護神であるギリ セレウコス朝の統治を行き渡らせることと シアの神々や神々を象徴する特別な存在(ア なった。セレウコス朝はアケメネス朝の統治 トリビュート)が刻まれ、表面とともに自己 を受け継ぎ、その交通路を利用してバクトリ の正統性や神々の加護を強調した。このよう ア地方に地中海世界より必要な物資を提供し、 に貨幣デザインは政治的な意図を含んでいる 中央アジアにおけるギリシア人支配を確立し のである。 たのである(12)。 本稿は、特にバクトリア成立という中央ア 実際、バクトリア地方にはバビロン以東で ジアのギリシア人支配におけるひとつの転機 は他に例を見ない本格的なギリシア植民都市 を考察する視点から、セレウコス朝時代から が建設されている。現在、オクサスのアレク バクトリア成立期に鋳造されたギリシア貨幣 サンドリアと推定されるアイ・ハヌム遺跡か のデザイン変化に焦点を当てる。 らは、ギリシア式の劇場跡をはじめとして体 ―2― 育場や神殿、宮殿跡など様々な遺構が見つ いってよい。その点は同時期に成立したパル (13) 。バクトリア地方には、地中海 ティアと大きく異なっている。パルティアは 世界との連絡も途切れることなく、単なるギ アルサケスの率いるパルニ族がセレウコス朝 リシア文化の飛び地でない確固としたギリシ これに対し の領土に侵入する形で成立した(18)。 ア人世界が確立していたのである。そして、 て、 バクトリアはアルサケスを始め、 遊牧民の アイ・ハヌムやバクトラといった都市に鋳造 侵入に対する国境防衛の結果形成された(19)。 ギリシア貨幣が鋳造された。 所が設置され(14)、 したがって、バクトリア独立の要因はセレウ やがて、それらはバクトリアに受け継がれ、 コス朝の統治の緩みよりも、遊牧民との戦い 独自の貨幣を鋳造することになる。 の中で培われた国家意識の高揚にあった。実 このようにセレウコス朝がバクトリア地方 際、遺跡の発掘からもバクトリアがセレウコ の統治に力を入れたのは、やはり軍事的な要 ス朝に反乱を起こした証拠は見出されていな かっている (15) 。当時、南方のイ い(20)。バクトリアの独立前後にセレウコス朝 ンドにはマウリヤ朝があり、早い時期に国境 がプトレマイオス朝と抗争し、また内紛に苦 衝であったためであった (16) が画定していた しんだのも事実であるが(21)、それがなくとも 。このため、セレウコス朝 の領土東端は地図1のように北方に突き出す バクトリアの独立は当然の成り行きであった。 形となっていた。そして、北方には様々な遊 Ⅱ ギリシア貨幣による検討 牧民が存在し、常に侵入の危険にさらされて いた。この不安定な北方の守りを固めるため 1 「ディオドトスの貨幣」 に軍事力の結集が進み、結果的にギリシア人 の入植を進めた。西方で他のヘレニズム諸国 以上のようなバクトリア成立の背景を踏ま と対峙していたセレウコス朝にとって、バク えて、バクトリア成立期のギリシア貨幣を検 トリア地方の支配が破られることは、東方か 討する。 らその支配が解体する大きな問題であった。 バクトリアは、前3世紀半ばにこの地のサ そのため、セレウコス朝はギリシア人自身の トラップであったディオドトスによって樹立 手で防衛する方策を取ったのである。 された政権である(22)。この時期、すなわちセ レウコス朝統治末期(前256年頃)からバク その一方で、バクトリア地方はアケメネス (17) 朝の時代より反乱の温床にもなっていた 。ア トリア成立期(前230年頃)にかけて鋳造さ ケメネス朝以来、サトラップは広範な自治権 れ た 貨 幣 に「霆 の ゼ ウ ス タ イ プ」 と分類されるもの (Thundering Zeus type ) を有しており、しかもバクトリア地方は距離 的にも中央から離れていたため、統治が緩む がある。 ことで離反しやすい環境が育ちやすかった。 この貨幣は、表面がサトラップ・ディオド そこにギリシア人の一大軍事勢力が結集した トス(後のバクトリア王ディオドトス1世) のである。広範な権限を持つサトラップを頂 または息子のディオドトス2世 (両者の在位: 点に国境防衛のため軍事力を強化する政策は、 前250−230年頃)を刻んだ君主の肖像、裏 逆にバクトリアを独立させる土壌を作ったと 面が足元に鷲を従え、左腕に盾(イージス) ―3― を構え、右腕で雷霆を投擲しようとしている 類から見ると、ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟ ゼウスが刻まれている。これが名称の由来と ΚΟΥのものはセレウコス朝のサトラップ・ なった。鷲も雷霆もゼウスを象徴するアトリ ディオドトスが鋳造した貨幣であり、銘がΒ ビュートである。さらに表面の君主の肖像は ΑΣΙΛΕΩΣ ΔΙΟΔΟΤΟΥのものと ヘレニズム世界で権力を象徴するディアダム は分類を異にしている(25)。実際、セレウコス を頭部に巻き、裏面には鋳造所や王朝の象徴 朝では表1にまとめたように各地で様々なデ を表すモノグラムと王の銘(ΒΑΣΙΛΕΩ ザインの貨幣が鋳造され、 「霆のゼウスタイ Σ ΑΝΤΙΟΚΟΥあるいはΒΑΣΙΛΕ プ」もそのひとつとみなすこともできる。 ΩΣ ΔΙΟΔΟΤΟΥ)が刻まれている(貨 本稿ではバクトリア成立を視点に据える立 幣1、2)。これらのデザインは従来のヘレニ 場から、ボパラッチの分類にしたがってΒΑ ズム諸国の貨幣デザインを踏襲しており、ま ΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟΚΟΥの貨幣もΒΑ た重量も当時通用していたアッティカ基準で、 ΣΙΛΕΩΣ ΔΙΟΔΟΤΟΥの貨幣と同じ 貨幣から見てもバクトリアはヘレニズム国家 ディオドトスの鋳造した貨幣に分類する(26)。 であったことがわかる(23)。 それは銘がアンティオコス2世のものであっ このように「霆のゼウスタイプ」はギリシ ても、表面の君主の肖像も異なれば、裏面の ア貨幣に分類されるが、それがセレウコス朝 デザインもそれまでセレウコス朝で主に用い の貨幣であるか、あるいはバクトリアの貨幣 られてきたアポロからゼウスに大きく変化し であるかとなると見解がわかれる。それは銘 た点に注目するからである。バクトリア成立 のΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟΚΟΥとΒ から見れば、それまでの貨幣デザインを一新 ΑΣΙΛΕΩΣ ΔΙΟΔΟΤΟΥについて することは独立した鋳造権が確立したことを の解釈である。同じゼウスのデザインであり 意味し、新たな政権の樹立の表明になる。Β ながら、貨幣には二種類の銘が存在している。 ΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟΚΟΥの銘を持 一方のΒΑΣΙΛΕΩΣ ΔΙΟΔΟΤΟΥ つ貨幣はセレウコス朝の支配の終了と同時に、 はディオドトス1世または2世を表しており、 バクトリアの政権樹立を表すものであった。 バクトリアの貨幣であることは明らかである。 よって、本稿ではバクトリア成立をより明 しかし、もう一方のΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤ 確にするため「霆のゼウスタイプ」を、初代 ΙΟΚΟΥはセレウコス朝のアンティオコス ディオドトス1世と続く息子のディオドトス 2世(前261−247)を表している。このこ 2世の名前をとって「ディオドトスの貨幣」 とからバクトリアの独立がアンティオコス2 と表記する。 世の治世に始まったことがわかり、従来から バクトリアの独立は、まずアンティオコスの 2 問題の所在 銘を残したままの貨幣を鋳造し、次いでディ では、なぜディオドトスの貨幣はそれまで オドトスが自らの銘に変えて完全に独立した のアポロからゼウスに大きな変化を見せたの という段階的な方法がとられたと解釈されて だろうか。 きた(24)。したがって、セレウコス朝の貨幣分 ディオドトスの貨幣については、ホルトや ―4― コバレンコ、クリットといった研究者によっ スの貨幣を通したバクトリア成立期のギリシ て、鋳造所や鋳造された年代の特定などが行 ア人の意識を紐解いていくこととする。 (27) 。その際、手がかりとされたの まず、比較としてパルティア、セレウコス が鋳造方法の他、デザイン面では表面の君主 朝の貨幣の特徴をまとめ、次いでディオドト 像の年齢や人物像の違い、裏面のモノグラム スの貨幣の独自性を検証する。 われてきた の種類や銘の配置である。しかし、裏面に刻 Ⅲ ディオドトスの貨幣の出自 まれているゼウスそのものについてはそれほ ど重視されてこなかったように思われる。ホ 1 パルティア、セレウコス朝の貨幣との ルトによれば従来のアポロにかわってゼウス 比較 を刻んだ理由として、ディオドトスの名前に 由来し、新しい王朝を象徴していると言及し、 1) パルティアの貨幣 同じくナラインもディオドトスの名前が「神 パルティアの貨幣もまたギリシア貨幣の様 (ゼウス)の贈物」を意味しており、ゼウスの 式を踏襲している。表面の君主の肖像はペル 加護を求め、敵を威嚇するため雷霆を投擲す シアのサトラップの象徴であるバシリクを身 る姿を貨幣に刻んだと言及している(28)。しか につけ、ヘレニズム諸国の君主とは一線を隔 し、それだけではゼウスが選ばれた理由とし しているものの、ディアダムを頭部に巻いて て説明不足の観がある。貨幣が政治的なプロ おり、基本的なデザインは同じである。また、 パガンダを表している以上、このゼウスのデ 裏面もペルシア式の服装をしているが、右腕 ザインにも政治的な意図が含まれている。し に弓を抱え、デルフォイのオンファロス(臍 かも、雷霆を投擲するゼウスの姿は、それま 石)に座る人物(アルサケス)が刻まれてい でセレウコス朝で鋳造されたゼウスの姿と大 る(貨幣3) 。同じ姿をしたアポロがセレウコ きく異なっている点にも注目しなければなら ス朝の貨幣で多数鋳造されており(貨幣8) 、 ない。セレウコス朝でもゼウスを刻んだ貨幣 銘もΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΡΣΑΚΟΥとギ は存在しているが、雷霆を投擲するゼウスの リシア文字で刻まれていることから、パル 姿はディオドトスの貨幣以外では見られない。 ティアの貨幣は明らかにセレウコス朝の影響 よって、雷霆を投擲するゼウスの姿自体にも をうけて鋳造されたことがわかる。したがっ モノグラムや君主の肖像と同じく政治的な意 て、パルティアの貨幣デザインはオリジナル 味を持っているといえる。 なものではなく、それまでの貨幣デザインを 以上より、本稿では鋳造所や貨幣が鋳造さ 模倣したものであった。 れた順序を特定することを目的としない。問 この背景にはパルティアが遊牧イラン系国 題として、なぜゼウスが選ばれたのか、そし 家であり、それまでギリシア貨幣を使用する てなぜゼウスが雷霆を投擲する姿をしている 習慣がなかったことがあげられる。一方、ギ のか、この二点がもつ政治的意図について考 リシア人国家であるバクトリアではギリシア 察する。あわせてディオドトスの貨幣に特徴 貨幣は馴染みの存在であり、独自のデザイン 的なモノグラムについて検討し、ディオドト を採用することは自在に行うことができた。 ―5― ス2世の治世になると変化が表れる。セレウ 2) セレウコス朝の貨幣 セレウコス朝は各地にギリシア人を入植さ コス1世の時代に多かったアレクサンドロス せギリシア貨幣を鋳造した。金貨、銀貨、銅 タイプが減少し、かわって表面がギリシアの 貨で複数の単位の貨幣が鋳造されたが、主 神々から君主の肖像を刻むようになった。実 だったデザインは表1に見られる通りである。 際、セレウコス1世は自身の肖像を貨幣に刻 セレウコス朝の貨幣には各地域特有のデザイ むことはなかった。したがって、セレウコス ンやモノグラムが見出される。しかし、初代 朝において君主の肖像を刻むようになったの セレウコス1世、 2代アンティオコス1世、 は成立後しばらくしてからのことといえる。 3代アンティオコス2世と時代を経るにつれ これはアレクサンドロスの威光に頼ることな て、そのデザインは画一化されていく傾向に く政権を維持できるようになった表れであっ あった。 た。さらに、裏面もゼウスやニケからアポロ やアポロを表すアトリビュートにとってか セレウコス1世 わった。これもアレクサンドロスの威光にか セレウコス1世の時代で特に鋳造されたも わる新たな守護神としてアポロを普及させる のがアレクサンドロスタイプと呼ばれる貨幣 ためであった。その姿はデルフォイのオン である。それは、アレクサンドロスの治世よ ファロス(臍石)に座り、右手に矢、左腕に り鋳造された貨幣であった。ひとつは表面が 弓を持つものが多い(貨幣8) 。この他、棍棒 ライオンの頭皮を被ったヘラクレスの横顔、 を持ち岩に座ったヘラクレス(貨幣10)の姿 裏面が玉座に座り右腕に王笏を持ち、左腕に も見られるが、デルフォイの三脚祭壇などア 鷲を持ったゼウスが刻まれたものである(貨 ポロに関係するデザインが増加している。 幣4)。また、鷲のかわりにゼウスを祝福する この傾向はアンティオコス2世の時代にさ ニケのものもある(貨幣5) 。もうひとつは表 らに強くなる。すなわち、表面に君主の肖像、 面がコリント式の兜を被ったアテナの横顔、 裏面にオンファロス(臍石)に座るアポロが 裏面が右腕に花冠を持ち、左腕に花茎を持っ 貨幣デザインとして定着した点である。実際、 たニケの立像が刻まれたものである (貨幣6) 。 表1のようにアンティオコス2世の時代は貨 この貨幣が鋳造された背景には、当時はまだ 幣デザインの種類も減少し、デザインの画一 支配権が確定しておらず、アレクサンドロス 化が進んできたことがうかがえる。これはセ の威光を借りて自己の権力を維持し、その正 レウコス朝の王権が連続・継承されることで、 統な後継者であることを主張する必要があっ その統治の画一化が進んだことを表している。 たことがあげられる。実際、アレクサンドロ さらに、この時期に鋳造されたアポロやヘラ スタイプは他のヘレニズム諸国においても特 クレスの姿はいずれもオンファロス(臍石) (29) にその初期に鋳造されている 。 や岩に座った姿が採用されている。このよう に動きのない落ち着いた姿を刻むことで、セ アンティオコス1世、2世 レウコス朝の政権が安定期に入ったことを表 続く、アンティオコス1世、アンティオコ 明したともいえる(30)。 ―6― 以上のように、セレウコス朝では政権の安 ゼウスやアテナがアポロに先立ってデザイン 定にともなって、動きのないアポロの坐像と として用いられていた。また、①の貨幣に見 いう貨幣デザインの画一化が進行していた。 られるように、ゼウスのアトリビュートであ これに対して、ディオドトスの貨幣は雷霆を る雷霆がアレクサンドロスとも関連付けて鋳 投擲する非常に躍動感のある姿を採用してい 造されている。 る。この変化から、ホルトが指摘するように では、続くセレウコス朝時代におけるバク セレウコス朝からディオドトスの新王朝への トリア地方の貨幣デザインはどう変化したの 政権変動というバクトリア地方の政治的な背 か。表2にまとめたように、バクトリア地方 景を見て取ることができる。 でもアレクサンドロスタイプやアポロを刻ん では、ゼウスと雷霆を投擲する姿はどこに だ貨幣が鋳造されており、セレウコス朝の貨 出自を求めることができるのだろうか。続い 幣デザインの傾向に沿っていたことがわかる。 てバクトリア地方における貨幣デザインの変 その一方で、バクトリア地方特有の特徴も 遷と、さらに視野を拡大して他のヘレニズム 見出すことができる。それがアンティオコス 諸国の貨幣との関係も考慮しながら考察する。 1世の貨幣で、裏面が角飾りをつけた馬の頭 部を刻んだものである (貨幣9) 。このように 2 ゼウスのデザインの出自 アポロそのものが刻まれない貨幣が鋳造され バクトリア地方におけるゼウスの存在はセ たことは、相対的にバクトリア地方における レウコス朝以前、つまりアポロが普及する以 アポロの貨幣の流通を減少させ、それがアポ 前から知られていた。すなわち、ゼウスとア ロに対する認識度を高めなかったことを想定 トリビュートである雷霆や鷲の出現である。 させる。 アレクサンドロスの東征以降のバクトリア 以上より、バクトリア地方においてゼウス 地方で鋳造されたギリシア貨幣は以下のもの の存在はセレウコス朝以前より知られており、 (31) が確認されている 。 さらにセレウコス1世によって貨幣のデザイ ①表が象戦車と騎兵の闘争、裏が槍と雷霆 ンとして採用されることで、その存在はより をもったプリギア兵(アレクサンドロス)の 明確なものになった。 一方、アポロの貨幣は他 立像(貨幣11) の地域に比べて鋳造された数が少なかった。 こ ②表が御者を乗せた象、裏が四頭馬車に のため、バクトリア地方においてゼウスがア 乗った弓兵 ポロに対して優越した存在になっていたので ③表が弓兵、裏が象 ある。 実際、 アイ・ハヌムにはゼウスを祭った ④表がアテナの横顔、裏がフクロウ 神殿が存在し、この地の人々の信仰を集めて ⑤表がアテナの横顔、裏が鷲 いた。 よって、 バクトリア地方ではゼウスはア ⑥表がゼウスの横顔、裏が鷲 ポロよりも馴染みのある神であった(32)。この ⑦表がサトラップ・ソヒュトスの横顔、裏 ようにアポロよりもゼウスに対する信仰が高 が雌鳥 かったことに、ディオドトスの貨幣でゼウス このようにセレウコス朝以前には、すでに が選択された理由を見出すことができる(33)。 ―7― きる。アレクサンドロスタイプを鋳造するこ 3 雷霆を投擲する姿の出自 セレウコス朝のゼウスは横顔かアレクサン とでアレクサンドロスの威光を利用しつつ、 ドロスタイプの玉座に座った坐像である。 さらにヘレニズム諸国の君主が新たに権力を ディオドトスがゼウスを採用するにしても、 確立したことを投擲するアテナの姿を通して パルティアの貨幣のように模倣することも可 表明したのである。 能であった。したがって、セレウコス朝にお セレウコス朝の場合はバクトリア成立に至 いて見られない姿にしたことは、やはり政治 るまで金貨、銀貨において投擲するアテナの 的な意図があったといえる。 姿が刻まれたことはない。ただし、 「槍で勝ち 同じような貨幣デザインが他のヘレニズム 取った領土」を読み取ることができる貨幣が 諸国においても見られる。それはアテナが槍 存在する。それがセレウコス1世の時代に鋳 や雷霆を投擲する姿である。プトレマイオス 造された、表面がゼウスの横顔、裏面が象戦 朝においては初代プトレマイオス1世の時代 車に乗って槍を構えるアテナの貨幣である (前323−283、前305年に王を名乗る)にア (貨幣13)。セレウキア、スサとバクトリア地 レクサンドロスタイプと並んでアテナが左腕 方で鋳造されたこの貨幣デザインはセレウコ に盾(イージス)を構え、右腕で槍を投擲す ス朝とマウリヤ朝の間で講和が成立し、国境 (34) る姿が用いられている(貨幣12) 。一方、 問題を解決するかわりに戦象を獲得したこと アンティゴノス朝でもアンティゴノス2世・ に関係している(38)。象戦車に乗り、槍を構え ゴナタス(前276−239)が同じようにアテ たアテナからは、アテナが投擲する姿と同じ ナが左腕に盾(イージス)を構え、右腕で雷 く「槍で勝ち取った領土」を想起させる。そ 霆を投擲する姿が用いられている(貨幣16) れはまさに権力を確立しつつあるセレウコス (35) 。そして、セレウコス朝でも銅貨のデザイ 朝の気風を表す貨幣であった。したがって、 ンとして数例だがセレウコス1世、アンティ この貨幣がバクトリア地方で鋳造された背景 オコス1世、2世の時代、投擲するアテナの にはセレウコス朝の東部地域における権力確 (36) 姿が鋳造されている 立を表していると見ることができる(39)。そし 。 このように投擲するアテナの姿はヘレニズ て、セレウコス朝の象徴である錨をあわせて ム諸国、特にその初期において共通する貨幣 刻むことで新王朝の樹立を表明したのである。 デザインであった。 こうしたヘレニズム諸国の権力確立の表明 こうした貨幣デザインを用いた背景にはア をディオドトスの貨幣にも見出すことができ レクサンドロス以来のマケドニアに通用して る。それまでのアポロの坐像に比べて、投擲 いた概念があったと思われる。すなわち、 「槍 するアテナの姿と同じように雷霆を投擲する (37) 。これは ゼウスは躍動感のある攻撃的なデザインと 軍事的勝利による征服が領土所有の合法的手 なっている。これによって、ディオドトスが 段となるという考え方であるが、そうした概 セレウコス朝から一国の王として領土を勝ち 念がまさにアテナが槍を構えて戦闘体勢を 取り権力を確立したこと、すなわち「槍で勝 とっている貨幣デザインから見出すことがで ち取った領土」を表明したのである。 で勝ち取った領土」の概念である ―8― しかし、ディオドトスの貨幣はゼウスであ 以来の貨幣デザインに共通するが、これはセ りアテナではない。それでは、このデザイン レウコス朝への帰順というよりも、エウテ はまったくのオリジナルなものだろうか。 ディモスが小アジア西岸のマグネシア出身で 注目できる貨幣は、アンティゴノス朝の あり、出身地で鋳造されたデザインをバクト ディメトリオス・ポリエリケテス(前294− リアに持ち込んだ結果であったといえる(41)。 287)の貨幣である(40)(貨幣15)。ディメト セレウコス朝と同じデザインとなったが、 リオスはディアドコイ戦争時代、父のアン クーデターによってディオドトス2世から権 ティゴノス1世(前306−301)と共に東地 力を奪取したエウテディモスにとって、その 中海に勢力を確立し、セレウコス1世と抗争 意図はヘラクレスという別の守護神を用いる した人物である。ディメトリオスの貨幣には ことによるディオドトスへのアンチテーゼで ポセイドンが採用された。その裏面のデザイ あり、同時に坐像を用いることでバクトリア ンは三叉銛を投擲しようとする姿をしている。 の権力継承・安定を表明するものであった。 ゼウスとポセイドン、雷霆と銛という違いは ディオドトスの出自そのものははっきりし あるが、その姿は非常に似ている。ディメト ていないが、エウテディモスと同様にセレウ リオスの貨幣もアンティゴノス朝の勢力確立 コス朝確立期に地中海地域から入植したギリ を表明する意図で鋳造され、まさに「槍で勝 シア人の子孫で、ディメトリオスの貨幣の存 ち取った領土」を表明するものであった。最 在を知っていた可能性はある。雷霆を投擲す 終的にはセレウコス1世に敗れるが、セレウ る姿とディメトリオスの貨幣を直接つなげる コス朝と抗争した点や、セレウコス朝自体の ことはこれ以上できないが、セレウコス朝に 権力も形成期で勢力範囲も流動的であったこ 対抗しようという政治的な意図を表明するに とから、この時期に地中海地域からバクトリ は効果的な貨幣デザインであった。 ア地方に入植したギリシア人がこの貨幣デザ インを知っていても不思議はない。このこと 4 小 括 からディオドトスがセレウコス朝に反旗を翻 以上より、ディオドトスの貨幣でゼウスが した際、ディメトリオスの貨幣デザインをも 採用され、雷霆を投擲しようとする姿をして とにゼウスというバクトリア地方に根付いた いる理由として、ホルトの新王朝の象徴とナ 神を用いて貨幣デザインを決定したことが想 ラインの敵に対する威嚇という意図は大筋で 定できる。 適切であるといえる。この見解に、バクトリ 実際、バクトリアでも王の出身地の貨幣デ ア地方の人々にとってゼウスの存在がアポロ ザインを用いた例が存在する。バクトリア3 よりも一般的あったという社会的背景、また 代目の王エウテディモス1世(前230−200) 「槍で勝ち取った領土」 というアレクサンドロ の貨幣である(貨幣18) 。これはセレウコス ス以来の伝統に基づく政権の確立、ディメト 朝時代のバクトリア地方では鋳造されなかっ リオス・ポリエリケテスの貨幣デザインの模 た岩に座るヘラクレスのデザインが用いられ 倣によるセレウコス朝への敵対姿勢を加味す ている。デザイン的にはアンティオコス1世 ることで、より明確化できると思われる。 ―9― Ⅳ モノグラムをめぐる問題 下に入り、Δのモノグラムの一種(Δ|)や 錨のデザインが再び用いられるが(44)、それも 1 ディオドトスの貨幣に特有なモノグラム 一時的なものですぐに表れなくなる。また、 次に、ディオドトスの貨幣におけるモノグ 後代に再び登場するΔのモノグラム(45) もセ ラムと銘について検討してみたい。表3のよ レウコス朝に起源があるのではなく、独自の うにバクトリア地方でもセレウコス朝の時代 造形であったといえる。アンティオコス3世 から様々なモノグラムが刻まれている。 以降、セレウコス朝の東方への影響はパル セレウコス1世の時代、モノグラムはΝや ティアの勢力拡大にともなって退潮していっ Πなどギリシア文字を模したモノグラムが多 たからである。 用されている。これは他の地域でも用いられ 一方、錨やΔにかわってディオドトスの貨 ており、バクトリア地方独自というよりセレ 幣のモノグラムを特徴づけるものは、花冠の ウコス1世の時代に見られる特徴である。ま モノグラムであった。これがセレウコス朝時 た、錨のデザインはセレウコス朝の象徴とし 代のバクトリア地方で用いられたのは銅貨に てその後の貨幣にもモノグラムのほか、貨幣 1例あるだけで、さらに後のバクトリアの王 デザインとしても用いられている(貨幣7) 。 も用いることはなかった。すなわち、ディオ 続くアンティオコス1世、 2世の時代に多 ドトスの貨幣にのみ見出せるモノグラムであ く見られるものがΔを模したモノグラムであ る。したがって、バクトリア成立期の花冠の る。Δのモノグラムは特にバクトリア地方で多 モノグラムには政治的に特別な意味があった 用され、この地では錨の他、Δもセレウコス朝 と考えることができる。ただし、ディオドト にとって重要なモノグラムとなっていた(42)。 スの貨幣でも花冠のモノグラムがあるものと 表4のようにディオドトスの貨幣では錨や ないものが存在することから、表4のような それまで用いていたΔのモノグラムは見られ 鋳造の年代配列の根拠にされているが、ここ なくなる。ここからも意図的にセレウコス朝 ではホルトが主張するアルサケスに対する勝 の象徴を否定し、独立を表明したとみなすこ 利の象徴として花冠のモノグラムを位置づけ とができる。すでにバクトリア地方は完全に た点に注目したい(46)。花冠はセレウコス朝に ディオドトスの支配下にあり、貨幣にアン 対する勝利ではなく、アルサケスを撃退した ティオコスの銘は用いられているが、半独立 ことの象徴であった。バクトリア地方を護っ の状態にあった。ホルトはディオドトスの銘 たことがディオドトスの名声を高め、ギリシ を刻んだ貨幣はディオドトス1世の治世には ア人の独立心を高めることに貢献した。ホル 鋳造されず、アンティオコスの銘のみを鋳造 トは、ディオドトス2世がパルティアと同盟 (43) 。よって、遅くとも を結ぶことによって花冠のモノグラムが消滅 ディオドトス2世の時代には完全にセレウコ したと解釈しているが(47)、それでもディオド ス朝から独立した存在となっていた。 トスの貨幣を特徴付ける要素であるといえる。 後にアンティオコス3世(前223−187) 以下、この花冠のモノグラムについて検討し による東征の結果、バクトリアはその宗主権 てみたい。 したと想定している ― 10 ― 2 花冠のモノグラムをめぐって で勝ち取った領土」の概念に基づくセレウコ 花冠のモノグラムはセレウコス朝における スの権力確立を意味している。よって、セレ 扱いを見ることで、その政治的意図が明らか ウコス朝において花冠のモノグラムは勝利を になる。花冠のモノグラムや、花冠が他のモ 祝福すると同時に権力確立を表す特別な象徴 ノグラムを取り囲んだもの、貨幣の周囲を縁 であった。 取るデザインなど、ヘレニズム時代のギリシ したがって、ディオドトスの貨幣の場合も ア貨幣において比較的使われたデザインであ 国家成立期に鋳造されたものであるから、セ る。しかし、セレウコス朝における花冠のモ レウコス1世と同じ意図で花冠のモノグラム ノグラムの使用はそれほど多くない。表5の を用いたと想定できる。前述の貨幣11で見ら ように花冠が他のモノグラムを囲んだものを れるように、すでにセレウコス朝以前からバ あわせても、セレウコス1世の貨幣以外では クトリア地方ではニケがアレクサンドロスに 数例しか見られない。したがって、花冠のモ 花冠をかかげるデザインが見られた。これは ノグラムはセレウコス朝においても特殊な存 アレクサンドロスの中央アジア、インド征服 在であった。セレウコス1世の貨幣で花冠の を祝福していることを表している。アレクサ モノグラムが表われるのはアレクサンドロス ン ド ロ ス や セ レ ウ コ ス1世 と 同 じ よ う に、 タイプであり、場所もセレウコス朝の中心部 ディオドトスはアルサケスに対する勝利に であるスサ、バビロン、セレウキアで鋳造さ よって「槍で勝ち取った領土」に基づきバク れた貨幣である。これはセレウコスが王を名 トリア地方に権力を確立し、バクトリア独立 乗った時期、拠点となった場所に一致する。 を表明したのである。 また、アレクサンドロスタイプ自体も玉座 に座るゼウスをニケが花冠を捧げて祝福して 3 小 括 いるものや(貨幣5)、ニケがセレウコスの銘 以上より、ディオドトスの貨幣がアンティ や錨に花冠をかかげるように配置したデザイ オコス1、2世のデザインからの継承したも ンのものがあり(貨幣6) 、これらのデザイン のはギリシア貨幣の様式だけで、前述のゼウ 自体もセレウコス1世を祝福する意図を持っ スや花冠のモノグラムはいずれもセレウコス ていた。他にセレウコス1世の貨幣で表面が 1世が用いたセレウコス朝初期の貨幣デザイ アレクサンドロス(セレウコス1世本人、 ディ ンであった。Δのモノグラムの消失と花冠の オニソスとも)と想定される英雄の横顔、裏 モノグラムの出現というモノグラムの変化の 面にニケが甲冑(戦勝記念碑)に花冠をかか 背景には、セレウコス1世の王位宣言をバク げて祝福している姿が刻まれているものがあ トリア地方で再現する意図があった。した る(貨幣14)。甲冑を祝福するデザインはゼ がって、バクトリア地方のギリシア人にとっ ウスを祝福するアレクサンドロスタイプより てバクトリアの建国は、単にセレウコス朝か も、より直接的にセレウコスのディアドコイ ら反乱によって独立したというよりも、それ 戦争における勝利への祝福を表している。 以上のこと、セレウコス朝の建国と同じ「槍 ディアドコイ戦争での勝利は、すなわち「槍 で勝ち取った領土」に基づいてアレクサンド ― 11 ― ロスの遺領を分割し、後継国家を樹立したと ケドニアの伝統が長く息づいたヘレニズム国 いう意識の表れであった。実際、パルティア 家であったのである。 の貨幣には「槍で勝ち取った領土」を表す要 素は見られない。パルティアもギリシア文化 を愛好したが、あくまで異民族が形成した国 家であり、純粋な意味でヘレニズム国家では なかった。これに対して、バクトリアは時代 的に半世紀遅れているもののアレクサンドロ スの後継者である純粋なヘレニズム国家であ り、単なる「ギリシア人の植民国家」以上の 志向を持って樹立された政権であった。 おわりに ― その後のバクトリアの貨幣 ― 以上、バクトリアの成立をギリシア人側の 視点から見てきたが、最後にその後のバクト リアにおけるギリシア貨幣のデザインについ て触れて結びとしたい。 ディオドトスの貨幣デザインは、その後ア ガトクレス(前190−180)、アンティマコス (前185−170)によって復刻された(48)以外は 用いられることはなかった。ただし、ギリシ アの神が投擲する姿は、その後、メナンドロ ス(前155−130)の投擲するアテナの貨幣 (貨幣19)に引き継がれる。メナンドロスは インドに領土を拡大・支配した王であり、貨 幣を通して「槍で勝ち取った領土」を表明し たのである。もうひとつ、エウクラティデス 1世(前170−145)は槍で武装した騎兵を 用いたデザインを用いた(貨幣17)。彼もま たディメトリオス2世(前175−165)に勝 利し、バクトリアの支配権を獲得した。した がって、両者とも軍事的成功によって支配権 を確立した「槍で勝ち取った領土」の支配者 であった。バクトリアはその貨幣に見られる ようにアレクサンドロス以来のギリシア・マ 註 (1) アレクサンドロスの東征以前のバクトリ ア地方については、Frank L.Holt, Alexander the Great and Bactria : The Formation of a Greek Frontier in Central Asia , Leiden, 1988, pp.11−51. 樋口隆康『アフガニスタン・ 遺跡と秘宝・文明の十字路の五千年』NHK出 版、2003年、25−40ページ。 (2) ibid ., pp.24−25. (3) W. W. Tarn, The Greeks in Bactria and India , Cambridge, 1938. (4) A.K.Narain, The Indo-Greeks , Oxford, 1957. (5) ジョージ・ウッドコック/金倉圓照、塚本 啓祥訳『古代インドとギリシア文化』平楽寺書 店、1972年。 (6) Frank L.Holt, Thundering Zeus. The Making of Hellenistic Bactria ,(以 下 Thundering Zeus と略) California, 1999, p.67. (7) ibid ., pp.72−78. (8) Michael Micthiner, Indo-Greek and Indo-Scythian Coinage . Vol.1−9, London, 1975.パルティアやギリシア人支配が終焉した 後のバクトリア―北インド地方を支配した大 月氏やインド=スキタイ、クシャン朝の貨幣も その様式を踏襲している。 (9) Holt, Thundering Zeus , p.67. Otto Mφ rkholm, Early Hellenistic Coinage. From the Accession of Alexander to the Peace of Apamea , Cambridge, 1991, pp.23−24. (10) アリアノス/大牟田章訳『アレクサンドロ ス大王東征記』岩波文庫、2001年、 4巻4章 1節。 (11) H.Sidky, The Greek Kingdom of Bactria. From Alexander to Eucratides the Great , Lanham, 2000, p.132. (12) Susan Sherwin-White & Ame ´lie Kuhrt, From Samarkhand to Sardis : A new Approach to the Seleucid Empire , Berkeley, 1993, pp.62,72−73. (13) ibid ., pp.111−113. アイ・ハヌム遺跡の地 ― 12 ― 図、出土物については、NHK『文明の道』プ (27) Holt, Thundering Zeus ; Braian Kritt, ロジェクト『ヘレニズムと仏教』NHK出版、 Seleucid Coins of Bactria , Lancaster, 1996. Dynastic Transitions in the Coinage of Bactira , Lancaster, 2001 ; Sergei Kovalenko, The Coinage of Diodotus Ⅰ and Ⅱ , Greek Kings of Bactira, Silk Road Art and Archaeology 4 , 1995/96, pp.17−64. (28) Holt, Thundering Zeus , p.96 − 97 ; Narain, op.cit ., p.19. (29) Mφrkholm, op.cit ., PartⅡ. (30) バクトリアやパルティアの独立の他、アン ティオコス・ヒエラクスとの内紛の時代やモロ ン(前222−220) 、 アカイオス(前220−214) が 反乱を起こした際もセレウコス朝の貨幣デザ インは一貫して動きのないアポロの坐像や立 像で統一されていた。 (31) Micthiner, op.cit . Vol.1, 1975, pp.20−23. (32)『文明の道』 プロジェクト、 前掲書、 62−64 ページ。 神殿跡からゼウス神像の左足が出土し ている。 (33) Bopearachchi, op. cit ., pp.169 − 171, 217−219. バクトリアでも、時代が下がればエ ウクラティデス2世 (前145−140) の貨幣にお けるアポロの出現やエウテディモス2世 (前 190 − 185) の貨幣におけるアポロのアトリ ビュートである三脚祭壇が用いられているが、 これはセレウコス朝とは関係なく、 独自のデザ インであったといえる。 (34) Mφ rkholm, op.cit ., pp.63 − 70. プ ト レ マ イオス朝のアレクサンドロスタイプはヘラク レスが象の頭皮を被っている。この後、プトレ マイオス朝では君主の肖像を表面に、裏面には 雷霆に乗った鷲やゼウスのアトリビュートで ある豊饒角が用いられるようになった。 (35) ibid ., pp.132−137. マケドニアではアポロ やパンなど複数の神々が用いられた。 (36) Seleucid Coins , №15−17, 381−387, 565− 566, 604. この他、 アカイオスが独自に金貨、 銀 貨、銅貨のいずれでも投擲するアテナの姿を採 用している。Seleucid Coins , №952−954. (37) 森谷公俊「アレクサンドロス大王からヘレ ニズム諸王国へ」『岩波講座世界歴史5 帝国 と支配―古代の遺産』130ページ。ユスティヌ ス、前掲書、11巻5章。 (38) Kuhrt, op.cit ., pp.12,47. 以降、戦象はセレ 2003年、92−93ページ。 (14) Holt, Thundering Zeus , p.92. (15) Sidky, op.cit ., pp.133−134. (16) ポンペイウス・トログス、ユニアヌス・ユ スティヌス抄録/合坂學訳『地中海世界史』京 都大学出版会、1998年、15巻4節。 (17) 森本公俊『アレクサンドロス大王』講談社、 2000年、241−242ページ。アレクサンドロス の征服以後も、バクトリア地方でアレクサンド ロスに対する反乱が起こっている。 (18) ユスティヌス、前掲書、41巻4節。パル ティアは前245年にサトラップのアンドラゴ ラ ス が 独 立 を 宣 言 し 貨 幣 も 鋳 造 し た が、前 240−239年頃、侵入したアルサケスに倒された。 (19) ストラボン/飯尾都人訳『世界地誌』龍渓 書舎、1994年、11巻9章3節。 (20) Holt, Thundering Zeus , p.62 − 63. な お、 ユスティヌスは「バクトリアの千の都市の総督 テオドトス(ディオドトス)も離反した」と反 乱を記している。ユスティヌス、前掲書、41 巻4節。 (21) 第3次シリア戦争(前246−241) 、セレウ コス2世(前246−226)とアンティオコス・ヒ エラクス(前242−227)の内紛。 (22) バクトリアの成立については、ディオドト スの貨幣の鋳造が始まった前256年頃までさ かのぼる説もあるが、本稿ではホルトなどの説 に従って前230年代初め(前240−239)を想定 している。 Greek Coins and Their Values . Vol.2, London, 2000, pp.705 − 731. バクトリアとそれに続くインド=グリーク王 国の貨幣もギリシア貨幣に分類される。 (24) Holt, Thundering Zeus , p.89. (25) Arthur Houghton, Catharine Lorber, Seleucid Coins. A Comprehensive Catalogue , (以 下 Seleucid Coins と 略)New York, 2003, pp.218 − 223 ; Edward T.Newell, The Coinage of the Eastern Seleucid Mints , New York, repr.1978, pp.245−249. (26) Osmund Bopearachchi, Monnaies Gre ´ co-Bactriennes et Indo-Grecques , Paris, 1991, pp.147−153. (23) D.R.Sear, ― 13 ― op.cit ., pp.161−162. ウコス朝の兵器として登場する。 (39) Holt, Thundering Zeus , pp.25,51−52. Mφ rkholm, op.cit ., p.71. バクトリアに新たな鋳造 (42) Seleucid Coins , p.103. (43) Holt, Thundering Zeus , pp.94−95. 所が設置された頃、スサで鋳造されていたこの (44) Bopearachchi, op.cit ., p162. 貨幣デザインが持ち込まれた。また、バクトリ (45) Bopearachchi, op.cit ., p195. ディメトリ ア地方はセレウコス朝における象の供給地で オス2世の貨幣などがある。 あったこととも関連している。前275年頃、バ (46) Holt, Thundering Zeus , pp.99−100. クトリアのサトラップがセレウコス朝に象を (47) ibid ., p.105. デ ィ オ ド ト ス2世 の パ ル 提供している。 ティアとの同盟については、ユスティヌス、前 (40) Mφrkholm, op.cit ., pp.77−80. 掲書、41巻4章。 (41) Holt, Thundering Zeus , p.127 ; Sidky, (48) Bopearachchi, op.cit ., pp.177−178,187. ― 14 ― 表1 セレウコス朝における貨幣デザイン 主なセレウコス1世の貨幣 金 貨 表 裏 備 考 鋳 造 地 アレクサンドロス ニケ スサ、エクバタナ、バビロン アポロ 象戦車 スサ、バクトラ アテナ やしの枝葉を持つニケ 銘はアレクサンドロス ミレトス タルソス、オロンテスのアンティオキア、カルラエ、 アテナ 花茎を持つニケ チグリスのセレウキア、スサ、バクトラ カルラエ、バビロン、チグリスのセレウキア、スサ、 アテナ 花茎を持つニケ 銘はアレクサンドロス エクバタナ 表 アタルガティス アテナ バァル 英雄 ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス 馬の上半身 馬頭 馬頭 盾 三脚祭壇 三脚祭壇 ゼウス ゼウス ゼウス 表 アレクサンドロス アレクサンドロス アテナ アポロ アポロ アポロ アポロ アポロ アテナ アテナ アテナ 雄牛 ディオスクロス ディオスクロス 象(右向き) ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス 馬頭 馬頭 岩に座る男性 男性の頭部 銀 貨 裏 備 考 鋳 造 地 玉座に座るアタルガ ヒエラポリス ティス 象頭部 スサ ライオン バビロン、チグリスのセレウキア、スサ、エクバタナ 甲冑に戴冠するニケ スサ 矢、矢筒、棍棒 バビロン、エクバタナ 騎兵 エクバタナ 玉座に座るゼウス オロンテスのアンティゴニアもしくはピエリアの 銘はアレクサンドロス (ニケ) セレウキア サルディス、タルソス、オロンテスのアンティオキア、 玉座に座るゼウス ピ エ リ ア の セ レ ウ キ ア、カ ッ パ ド キ ア・東 シ リ ア・ (ニケ) 北メソポタミア、チグリスのセレウキア、 錨 東部地域 錨 バクトラ 象 ペルガモン 象頭部 オロンテスのアンティオキア 錨 チグリスのセレウキア 弓、矢筒 チグリスのセレウキア 象 スサ 四頭象戦車 チグリスのセレウキア、スサ、バクトラ、アイハヌム 象戦車 スサ、バクトラ、アイハヌム 裏 錨 ニケ 槍を構えたアテナ 雄牛 雄牛頭 キタラ 馬頭 三脚祭壇 雄牛 象(右向き) 戦士 錨 錨 馬上半身 馬頭 雄牛 象(右向き) 象頭部(右向き) 船首 錨 雄牛(左向き) 象頭部(右向き) 雄牛(右向き) 銅 貨 備 考 鋳 造 地 銘はアレクサンドロス スサ、エクバタナ 銘はアレクサンドロス スサ、エクバタナ オロンテスのアンティオキア チグリスのセレウキア バビロニア オロンテスのアンティオキア バビロニア オロンテスのアンティオキア チグリスのセレウキア チグリスのセレウキア バクトリア アイハヌム バクトラ バクトラ オロンテスのアパメア 北シリアあるいはキリキア バクトラ チグリスのセレウキア アラドス チグリスのセレウキア、バクトラ カルラエ オロンテスのアンティオキア 東部地域 ― 15 ― 表 裏 メドゥーサ 雄牛(右向き) メドゥーサ メドゥーサ 盾 ゼウス 雄牛(左向き) 雄牛頭部 錨 盾の上に雷霆 銅 貨 備 考 鋳 造 地 サルディス、マイアンドロスのマグネシア、チグリスの セレウキア、スサ、エクバタナ、アイハヌム オロンテスのアンティオキア サルディス オロンテスのアンティオキア ピエリアのセレウキア 主なアンティオコス1世の貨幣 表 アンティオコス1世 馬頭 アテナ ニケ セレウコス1世 馬頭 裏 金 貨 備 考 鋳 造 地 アイハヌム チグリスのセレウキア アイハヌム 銀 貨 備 考 鋳 造 地 サ ル デ ィ ス、タ ル ソ ス、チ グ リ ス の セ レ ウ キ ア、 アンティオコス1世 臍石に座るアポロ (矢) エクバタナ アンティオコス1世 臍石に座るアポロ (弓) マイアンドロスのマグネシア 臍石に座るアポロ アンティオコス1世 サルディス (サンダル) アンティオコス1世 岩に座るヘラクレス スミルナまたはサルディス、シプロス山のマグネシア アンティオコス1世 馬頭 アイハヌム、東部地域 戦士 甲冑に戴冠するニケ セレウコス1世と共治 スサ 象頭部 馬頭 スサ サルディス、タルソス、オロンテスのアンティオキア、 ヘラクレス 玉座に座るゼウス(ニケ) セレウコス1世と共治 ピ エ リ ア の セ レ ウ キ ア、カ ッ パ ド キ ア・東 シ リ ア・ 北メソポタミア、チグリスのセレウキア ヘラクレス 玉座に座るゼウス(ニケ) サルディス セレウコス1世 馬頭 サルディス セレウコス1世 臍石に座るアポロ (弓) サルディス 三脚祭壇 弓、矢筒 セレウコス1世と共治 チグリスのセレウキア ゼウス 四頭象戦車 セレウコス1世と共治 チグリスのセレウキア ゼウス 象戦車 セレウコス1世と共治 アイハヌム、東部地域 表 裏 表 裏 盾の上に錨 鏃 アンティオコス1世 錨 臍石に座るアポロ アンティオコス1世 (左向き) 臍石に座るアポロ アンティオコス1世 (右向き) アンティオコス1世 アポロ立像(弓) アンティオコス1世 岩に座るアルテミス アンティオコス1世 馬頭 アンティオコス1世 ニケ アンティオコス1世 座る人物像 アンティオコス1世 三脚祭壇、カラス アポロ 錨 アポロ 鏃 アテナ 槍を構えたアテナ アポロ 弓 アポロ 雄牛 アポロ キタラ アポロ 兜 アポロ 臍石 アポロ 三脚祭壇 アポロ(3/4右向き) 甲冑に戴冠するニケ アルテミス 錨 銅 貨 備 考 鋳 造 地 東シリアあるいはメソポタミア オロンテスのアンティオキア オロンテスのアンティオキア、エクバタナ オロンテスのアンティオキア エクバタナ スサ 東部地域 マルギアナのアンティオキア マルギアナのアンティオキア エクバタナ シリア サルディス、オロンテスのアンティオキア チグリスのセレウキア オロンテスのアンティオキア オロンテスのアンティオキア エクバタナ、東部地域、アイハヌム アイハヌム オロンテスのアンティオキア オロンテスのアンティオキア チグリスのセレウキア、アイハヌム シリア ― 16 ― 表 アテナ アテナ アテナ アテナ アテナ アテナ アテナ アテナ アテナ 裏 アポロ立像、左向き(弓) 雄牛 二重三角帽子 象頭部左向き ニケ フクロウ 三角帽子 星2 甲冑 アテナ(正面) ニケ 雄牛 ディオニシオス ディオスクロス ディオスクロス(正面) ヘリオス(正面) ヘリオス(正面) 兜 ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス ヘラクレス 馬頭 馬頭 メドゥーサ セレウコス1世 セレウコス1世 盾 盾 盾の上に三脚祭壇 ゼウス ゼウス ゼウス 錨 錨 馬頭 象(左向き) 錨 馬頭 三脚祭壇 弓、弓筒 弓、棍棒 雄牛 棍棒 馬上半身 錨 弓 雄牛(右向き) 錨 馬頭 象(右向き) 象上半身 弓筒に入った弓 雷霆 雷霆(半分) 三脚祭壇 銅 貨 備 考 鋳 造 地 チグリスのセレウキア スサ タルソス スミルナ スミルナまたはサルディス、アイハヌム アイハヌム タルソス タルソス キリキアまたはシリア北部・メソポタミア北部 スミルナまたはサルディス、シプロス山のマグネシア、 マイアンドロスのマグネシア セレウコス1世と共治 アイハヌム セレウコス1世と共治 アイハヌム バクトラ スサ スサ スサ 東部地域 セレウコス1世と共治 東部地域 アイハヌム アイハヌム アイハヌム アイハヌム 東部地域 エウロポス セレウコス1世と共治 アイハヌム エウロポス エウロポス オロンテスのアンティオキア、エウロポス オロンテスのアンティオキア 東部地域 オロンテスのアンティオキア、ピエリアのセレウキア オロンテスのアンティオキア オロンテスのアンティオキア 主なアンティオコス2世の貨幣 金 貨 備 考 鋳 造 地 キュメ キュメ、オロンテスのアンティオキア、チグリスの アンティオコス1世 臍石に座るアポロ セレウキア、アイハヌム アンティオコス1世 アテナ立像 ミュリナ、フォカイア アンティオコス2世 臍石に座るアポロ オロンテスのアンティオキア、スサ、アイハヌム アンティオコス2世 臍石に座るアポロ (弓) エフェソスあるいはミレトス アテナ やしの枝葉を持つニケ 銘はアレクサンドロス ミレトス アテナ やしの枝葉を持つニケ サルディス、タルソス アテナ ニケ スサ ディオドトス1世、 投擲するゼウス バクトリア 2世 表 裏 アンティオコス1世 玉座に座るアポロ 銀 貨 備 考 鋳 造 地 キュメ サルディス、エクバタナ、アレクサンドリア・トロアス リュシマキア、マイアンドロスのマグネシア、カリア、 アンティオコス1世 臍石に座るアポロ (弓) アリンダまたはミュラサ 臍石に座るアポロ アンティオコス1世 サルディス (サンダル) アンティオコス1世 岩に座るヘラクレス テムノス、ミュリナ、キュメ、フォカイア、スミルナ アンティオコス2世 臍石に座るアポロ (矢) エクバタナ 表 裏 アンティオコス1世 玉座に座るアポロ アンティオコス1世 臍石に座るアポロ (矢) ― 17 ― 表 裏 アンティオコス2世 臍石に座るアポロ (弓) 臍石に座るアポロ アンティオコス2世 (サンダル) ディオドトス1世、 投擲するゼウス 2世 銀 貨 備 考 鋳 造 地 エフェソス、ミレトス タルソス ディオドトスの鋳造所(バクトリア) 銅 貨 裏 備 考 鋳 造 地 臍石に座るアポロ エクバタナ 臍石に足を置くアポロ エクバタナ ローブをまとった神 エクバタナ 錨 サルディス 臍石に座るアポロ アポロ オロンテスのアンティオキア (リュラに肘をつく) アポロ アテナ立像 チグリスのセレウキア アポロ 雄牛 マイアンドロスのマグネシア アポロ 二重三角帽子 キリキア アポロ キタラ サルディス アポロ ヘルメス アイハヌム アポロ 三脚祭壇 サルディス、トラレス、オロンテスのアンティオキア アポロ(3/4左向き) アルテミス チグリスのセレウキア アポロ (左 向 き) 三脚祭壇 サルディス アポロ (右 向 き) 三脚祭壇 サルディス、トラレス、チグリスのセレウキア アルテミス 牡鹿上半身 エフェソス ア テ ナ(3/4左 向 臍石に座るアポロ チグリスのセレウキア き) (リュラ) ディオスクロス 象頭部(右向き) ニシビス (左向き) ディオスクロス アテナ タルソス (騎乗) 兜 三脚祭壇、ローブ エクバタナ ヘルメス へび杖 アイハヌム ヘルメス 交差するへび杖 アイハヌム メデゥーサ 雷霆 チグリスのセレウキア (3/4右向き) 君主像 槍を構えたアテナ スサ 君主像 双首のフクロウ シゲウム 君主像 甲冑 不明 盾 象(右向き) オロンテスのアンティオキア、エウロポス 盾 象(上半身) オロンテスのアンティオキア 牡鹿 へび杖 アイハヌム テュケー 三脚祭壇 メソポタミア ゼウス 雷霆 アイハヌム 表1−3、5はArthur Houghton,Catharine Lorber, Seleucid Coins. A Comprehensive Catalogue より作成 表 アンティオコス2世 アンティオコス2世 アンティオコス2世 アポロ ― 18 ― 表2 セレウコス朝治下のバクトリア地方の貨幣デザイン セレウコス1世 表 アポロ アテナ 表 馬頭(角飾) ゼウス ゼウス ゼウス ゼウス ヘラクレス 表 ヘラクレス 馬頭(角飾) ディオスクロス 人面雄牛 雄牛 ディオスクロス メデューサ アテナ ディオニソス 裏 二頭象戦車(アルテミス) ニケ立像 裏 金 貨 備 考 鋳 造 場 所 バクトラ(鋳造所19) バクトラ(鋳造所19) 貨 幣 № 257 258,291,292 銀 貨 備 考 鋳 造 場 所 貨 幣 № バクトリア (鋳造所18) 256 バクトラ(鋳造所19) 259−261 バクトラ(鋳造所19) 262−263 アイハヌム(鋳造所20) 272−273,276,279 274, 275, 277− 二頭象戦車(アテナ) 銘はセレウコス、アンティオコス アイハヌム(鋳造所20) 278,280−283 玉座に座るゼウス (鷲) 銘はアンティオコス バクトリア(不明) 293−301 錨 四頭象戦車(アテナ) 二頭象戦車(アテナ) 四頭象戦車(アテナ) 銘はセレウコス、アンティオコス 裏 象 錨 馬頭 錨 錨 錨 雄牛 戦士 錨 銅 貨 備 考 鋳 造 場 所 バクトラ(鋳造所19) バクトラ(鋳造所19) 銘はアンティオコス、セレウコス バクトラ(鋳造所19) アイハヌム(鋳造所20) 銘はセレウコス、アンティオコス アイハヌム(鋳造所20) バクトラ(鋳造所19) 銘はセレウコス、アンティオコス アイハヌム(鋳造所20) バクトリア(不明) アイハヌム(鋳造所20) 貨 幣 № 264−266 267−268 269−270 283A 284−288 271 290 303 289 鋳 造 場 所 アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所26) 貨 幣 № 426−427 435−436 469−470 鋳 造 場 所 アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) バクトリア付近 銘はアンティオコス (鋳造所25) 銘はセレウコス、アンティオコス アイハヌム(鋳造所26) 貨 幣 № 428−434 437−439 アンティオコス1世 表 裏 アンティオコス1世 馬頭(角飾) アンティオコス1世 臍石に座るアポロ セレウコス1世 馬頭(角飾) 表 裏 アンティオコス1世 馬頭 アンティオコス1世 臍石に座るアポロ アンティオコス1世 馬頭 セレウコス1世 表 ヘラクレス ディオスクロス ヘラクレス アポロ アテナ ヘラクレス ヘラクレス アポロ アテナ アポロ(3/4右向き) 馬頭(角飾) 裏 金 貨 備 考 銘はアンティオコス 銀 貨 備 考 銅 貨 備 考 馬上半身 馬頭 雄牛 キタラ フクロウ 棍棒 弓筒に入った弓、棍棒 兜 ニケ立像 ニケ立像、甲冑 ― 19 ― 鋳 造 場 所 バクトリア(鋳造所18) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) 467−468 471−472 貨 幣 № 425 440 441−442 424,443 444 445−446 447 448−451 452−454 455−460 アンティオコス2世 表 アンティオコス2世 アンティオコス1世 ディオドトス1世 ディオドトス2世 裏 臍石に座るアポロ 臍石に座るアポロ 投擲するゼウス 投擲するゼウス 表 アンティオコス2世 アンティオコス1世 ディオドトス1世 ディオドトス2世 裏 臍石に座るアポロ 臍石に座るアポロ 投擲するゼウス 投擲するゼウス 表 牡鹿 ヘルメス ヘルメス ゼウス アポロ 裏 金 貨 備 考 銘はアンティオコス 銘はアンティオコス 銀 貨 備 考 銘はアンティオコス 銘はアンティオコス 銅 貨 備 考 へび杖 へび杖 交差するへび杖 雷霆 ヘルメス ― 20 ― 鋳 造 場 所 アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) ディオドトスの鋳造所 ディオドトスの鋳造所 貨 鋳 造 場 所 アイハヌム(鋳造所20) アイハヌム(鋳造所20) ディオドトスの鋳造所 ディオドトスの鋳造所 貨 幣 № 616 617 629 630 幣 № 618,620 619 628,631 632−637 鋳 造 場 所 貨 幣 № アイハヌム(鋳造所20) 621 アイハヌム(鋳造所20) 622 アイハヌム(鋳造所20) 623−624 アイハヌム(鋳造所20) 625−626,638 アイハヌム(鋳造所20) 627 (貨幣№はSeleucid Coins の番号) 表3 セレウコス朝治下のバクトリア地方のモノグラム セレウコス1世 Α: Β: Γ: Δ: Ε: Ζ: Θ: Κ: Λ: Μ: Ν: Π: Σ: Φ: Χ: アンティオコス1世 Α: Β: Δ: Θ: Μ: Π: アンティオコス2世(ディオドトスの貨幣は除く) Δ: Θ: ― 21 ― 表4 ディオドトスの鋳造金貨・銀貨一覧 典拠:Frank L. Holt, Thundering Zeus , p.92.(筆者一部訳) ― 22 ― 表5 セレウコス朝の貨幣における花冠のモノグラム セレウコス1世 貨 幣 の 分 類 鋳 造 地 域 備 考 アレクサンドロスタイプ スサ 銘はアレクサンドロス 貨 幣 № 164,166,168,170,171 アレクサンドロスタイプ カルラエ 39 カッパドキア、東シリア、メソポタミ アレクサンドロスタイプ 銘はアレクサンドロス ア北部(鋳造所1) 49 ※ アレクサンドロスタイプ カッパドキア、東シリア、メソポタミ 銘はアレクサンドロス ア北部(鋳造所6) 62 ※ アレクサンドロスタイプ カッパドキア、東シリア、メソポタミ ア北部(鋳造所6) 63 ※ アレクサンドロスタイプ バビロン 銘はアレクサンドロス 81 アレクサンドロスタイプ チグリスのセレウキア 銘はアレクサンドロス 114 ※ 115,117 ※ 81−85 ※ 67 ※ アレクサンドロスタイプ チグリスのセレウキア アレクサンドロスタイプ バビロン 銘はアレクサンドロス アレクサンドロスタイプ バビロニア(鋳造所6A) アンティオコス1世 貨 幣 の 分 類 鋳 造 地 域 備 考 貨 幣 № 岩に座るヘラクレス スミルナまたはサルディス 313 臍石に座るアポロ スミルナ 311 ※ 岩に座るヘラクレス スミルナまたはサルディス 313 ※ アテナ・ニケ(銅貨) スミルナまたはサルディス 314−316 ※ アンティオコス2世(ディオドトスの貨幣は除く) 貨 幣 の 分 類 鋳 造 地 域 備 考 貨 幣 № 臍石に座るアポロ 小アジア西部 554 牡鹿・へび杖(銅貨) アイハヌム 622 ※は他のモノグラムを囲んだ花冠のモノグラム (貨幣№はSeleucid Coins の番号) ― 23 ― 地図1 典拠:『山川世界史総合図録』山川出版社、2000年、9ページ 地図2 バクトリアの領域 典拠:加藤九祚『アイハヌム2001』東海大学出版会、2001年、2ページ ― 24 ― 貨幣図版 典拠:貨幣1−2 貨幣3 貨幣4−10 貨幣11−17 貨幣18−19 Kritt, Dynastic Transitions in the Coinage of Bactira . Plate2, A8. Plate6, D3. Newell, The Coinage of the Eastern Seleucid Mints . Plate LVI, 13. Seleucid Coins . No.94.3d, 3.3b, 93.1, 256.3, 335.6, 428, 503. Mφrkholm, Early Hellenistic Coinage . No.44, 95, 132, 139, 162, 430, 640. Bopearachchi, Monnaies Gre ´co-Bactriennes . P1.3, 15. P1.28, 53. ― 25 ― ― 26 ―